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◆2014/03/14 「尊厳死法案 「「自分の最期は自分が」「周囲の空気で…危険」岩尾総一郎、平川克美 両氏が激論」(金曜討論)
MSN Japan 産経ニュース 2014.3.14 13:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140314/bdy14031412160002-n1.htm
写真:岩尾総一郎氏(伴龍二撮影)
本人の意思で延命措置を受けずに最期を迎える尊厳死について、法制化の動きが進んでいる。超党派の議員連盟が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」(通称・尊厳死法案)を用意、今国会にも提出する方針だ。法案では本人意思に基づく尊厳死では医師の責任を問わない内容となる見通し。法制化の是非について、「日本尊厳死協会」の岩尾総一郎理事長と、
「尊厳死の法制化を認めない市民の会」
呼びかけ人の平川克美氏に見解を聞いた。(溝上健良)
≪岩尾総一郎氏≫
死ぬ権利に裏付け必要
−−法制化への動きが進んでいる
「われわれは人生の最期は自分で決める、不治かつ末期の状態になったら無駄な延命治療はしないでほしい、という運動を進めてきた団体で、チューブにつながれて不本意な終末期を送る人がいる中で、終末期についての立法をお願いしてきた。ここへきて法案提出の機運が出てきたことは感慨深い。早く決めてほしいが、今国会での成立は難しいかもしれない。まずは広く国民の前で議論をしてほしい」
−−不本意な終末期とは
「昔は枯れるように人が亡くなっていたものだが、今は栄養をチューブで補給され、水ぶくれするように亡くなっている人が多くみられる。ロウソクの火が消えるように人が亡くなるところに、あえて医療が介入する傾向があるのではないか。本来、自分の最期は自分で決めるべきだが『先生、お任せします』となりがちで、任された医師の側としては延命治療をせざるをえない。救急の現場でよくあることだが、本人と同居の親族が『もういいよ』と言っても、遠くに住んでいる親類が延命を求める傾向がある。いまの法案では本人の意思について規定されているが、もし家族の意思も尊重するということであれば、そこに優先順位を付けておく必要があるだろう」
−−現状では尊厳死はできないのか
「約12万5千人が日本尊厳死協会に入り、死期が迫ったときに延命治療を断る宣言書を書いている。亡くなった会員の遺族アンケートの結果、会員の92%が尊厳死しており、活動の成果はある程度出ている。しかし『法律がないから』と断られるなど尊厳死を選べなかった方も少数いる。それは私たちとしては立つ瀬がないところだ」
−−法制化することの意味は
「私たちは『死ぬ権利』を持っているはずだが、それが法律では明記されていない。自分の意思で自分の人生を閉じられないとしたら、基本的人権が侵されていると思う。自己決定をすることに法的な裏付けが必要だろう。また、本人の意思に従って延命措置をしない、あるいは延命措置を中止した医師が刑事責任を問われないよう免責規定を設けることは重要で、医師は安心して本人の望む方針を採ることができるようになる」
−−障害者団体などでは法制化への反対意見が根強い
「私たちは常に『不治かつ末期』になったときに、と主張している。まだ十分生きられる、末期でない人に何かするなどということは毛頭、考えていない。なお、安楽死が認められている米オレゴン州では14年に及ぶ調査が行われ、安楽死が貧困層などに広がっていないことが実証されている。『尊厳死を認めることで、弱者にどんどん適用されていく』との考えは杞憂(きゆう)だ」
≪平川克美氏≫
法でなく個別の判断で −−法制化の動きをどうみるか
「個人の死の問題に法律で枠をはめることに、ものすごく違和感がある。死はとても個人的な問題であり、個々の死はすべて違う。父親を介護した経験から言えば、本人と介護者と医師とがきちんとコミュニケーションをとっていれば、その人の死についてどうすべきかという方針は自然と出てくる。私の父親は日本尊厳死協会の会員だったが、死生観は年をとると変わるものだ。父の介護をしていて、意識障害がありながらも会話する中で『生きたい』と思っていることがよくわかった。介護者である私と医師とで何度も話し合って治療方針を探っていったが、このプロセスは絶対に必要だ。死のあり方は法律ではなく、個別に決めるのが大原則であるべきだ」
−−尊厳死法案のどこが問題か
「医療費を削減するという経済的な理由が背景にあり、そんな理由で決めてもらいたくはない。医療、介護はできる限りのことをするのが原則だろう。それがどこまでできるか、というのは人によって異なる。それを線を引いて一律で決めると、そこで止めてしまうことになりかねない。私の父親の場合は胃瘻(いろう)もした。その判断が正しかったか今でも迷っているが、他人に判断を委ねるのではなく、自分で迷うことは大事なことだと思う。子供が親の面倒をみる、ということは法律には書かれていないが、これは義務であるはず。その前提がこの法律ができることで崩れてしまうのではないか」
−−延命治療をしないで、と事前に書面で意思表示することについて
「そんなことをする必要はないだろう。周りの人に言っておけばいい話でしかない。若いころには誰しも『寝たきりになってまで生きたくない』とは思うだろうが、いざ自分がそうなったらどうか。基本的に人間は、もっと生きたいと思うものだ。延命治療を中止するといっても、どこが法案でいわれる『終末期』なのか、分からない。ただ延命治療の中止で医師が訴えられたりしないよう、免責の問題は別途考える必要があるが、それは尊厳死法とは別の話になってくる」
−−「死ぬ権利」は認めるべきか
「本人が死にたいのに死ねない、というのは不幸な状態で、私はいわゆる安楽死というものを認めないわけではない。しかし、終末期をどうするかは法律で決めるものではなく、当事者が引き受けるしかない問題だ。法制化で一番恐れているのは『そんなに長生きしたいのか』という空気が出てくること。個人の死に方が周囲の空気で決められるのは危険だ。なお『尊厳死』という言葉はよくない。延命措置をしたからといって、尊厳死でない死などあるのか。これが尊厳ある死に方だ、などと法律で決められたらたまらない」
【プロフィル】岩尾総一郎
いわお・そういちろう 昭和22年、東京都生まれ。66歳。慶応大大学院博士課程修了。慶応大講師、産業医科大助教授、厚労省医政局長などを経て慶応大客員教授。平成24年から日本尊厳死協会理事長。
【プロフィル】平川克美
ひらかわ・かつみ 昭和25年、東京都生まれ。63歳。早稲田大理工学部卒。IT関連企業・リナックスカフェ社長、立教大大学院特任教授。父親の介護体験を描いた「俺に似たひと」など著書多数。」
◆立岩 真也 2012/08/27 「「尊厳死の法制化を認めない市民の会」発足集会へのメッセージ」
■言及
◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/** 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院
↓全文掲載
「尊厳死法制化に反対する呼びかけ」 尊厳死の法制化を認めない市民の会 2012/08/27