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共同作業所全国連絡会(共作連)/きょうされん

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・1977〜

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■人

◆藤井 克徳
秋元 波留夫
上田 敏

■文献他

◆障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協) 共同作業所全国連絡会(共作連) 全国障害者問題研究会(全障研) 編 19920825 『障害者の人権20の課題』,全国障害者問題研究会出版部(全障研出版部),351p. ISBN-10: 4881349635 ISBN-13: 978-4881349632 \3000 [amazon][kinokuniya] ※ d00h i01 w0105

◆秋元 波留夫・調 一興・藤井 克徳 編 19990129 『精神障害者のリハビリテーションと福祉』,中央法規出版,251p. ISBN-10: 4805817771 ISBN-13: 978-4805817773 2730 [amazon] [kinokuniya] ※ m.

 「わが国の障害者の福祉にかかわる法制度に共通して見られる欠陥はリハビリテーションの視点が欠落していることである。その著しい例が精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(平成7(1995)年7月施行)である。この法律で精神障害者福祉と呼んでいるのは社会復帰施設や地域生活支援事業(グループホーム)などであり、正しくは地域リハビリテーションとして位置づけられるべきものなのである。また、身体障害者、知的障害者の更生施設、授産施設、福祉工場なども福祉施設として福祉法のもとで管理されている。このように、厚生行政ではリハビリテーションが福祉という概念の中に埋没されているのが実情である。そのために、保健と福祉の関係など法制度上の混乱が起きている。
 しかし、福祉がリハビリテーションの同義語ではあり得ないことはいうまでもない。福祉とは「国は、すべての生活場面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(日本国憲法第25条第2項)とあるように、すべての国民、実際にはいわゆる生活困窮者、弱者が普通の暮らしができるように援助する国の政策のことである。障害者が国民の一員として、この福祉政策の対象であることは当然であり、現に生活保護法の適用を受けている障害者も少なくない。しかし、リハビリテーションは単なる生活保護的な生活援助ではない。それは障害者の機能障害、能力障害、社会的不利の克服を援助するための専門分野であり、この分野の理論と実践の発展のために活動しているのが日本障害者協議会や日本障害者リハビリテーション協会、共同作業所全国連絡会などであり、……
 精神障害者が必要とするのは、第1に医療・看護、医学的リハビリテーション、第2に社会的リハビリテーション・社会福祉、第3に一般雇用であり、これに対応する法制度として、医療・看護、医学的リハビリテーションに対しては「精神保健法」が、社会的リハビリテーション・社会福祉に対しては「障害者福祉法」が、一般雇用に対しては「障害者の雇用の促進等に関する法律」が整備されなければならない。」(pp.14-5)

◆秋元 波留夫 20050916 『99歳精神科医の挑戦――好奇心と正義感』,岩波書店,246p. ISBN-10: 400022543X ISBN-13: 978-4000225434 1995 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「国立武蔵療養所
 […]国立武蔵療養所は、一九四〇(昭和十五)年、軍事保護院が設立した傷痍軍人のためのための精神療養所の一つとして創立された。戦後は、厚生省に移管され一般市民の治療施設として運営されていた。東京都の西郊、小平市と東村山市にまたがる七万坪の広い敷地は、いまでは本館、病棟、神経研究所、精神保健研究所などの、近代的な建物が立ちならんで狭く感じるほどである。しかし、わたしが赴任した頃は傷痍軍人療養所時代の兵舎風の古びた木造病舎や、うす汚い本館が使われていた。それでも武蔵野の面影が所内のあちこちに見られる櫟林に色濃く残っていた。院長室の窓も、櫟林から吹く風で<0184<ガラス戸が音をたててゆれた。
 […]わたしの武蔵在任中のいちばん大きな仕事は、院内リハビリテーションの改革、強化であった。それは現在のわたしの主な仕事となっている共同作業所づくりの基ともなった。これまでの入院中心から、社会復帰に重点をおいたやりかたに発展させるための改革は、困難ではあったがやりがいのある仕事であった。後にわたしが深くかかわりをもっようになった小平地域の保健婦や、ケースワーカーの人たち、障害者の生活と権利をまもるための運動に挺身するボランティアの多くの若者たちとも知り合いになった。患者の社会復帰は、地域の活動との連帯がなくては実現が困難だからである。わたしが、東大から武蔵療養所に移ったちょうどそのころから、クロルプロマジンをはじめとする抗精神病薬が発見され、導入された。そのため精神病治療の画期的な進歩によって、難治の精神病の人たちの病状が改善されて、社会復帰が可能な時代になった。
 社会復帰にそなえるためには、まず院内のリハビリテーションを活発にする必要があった。厚生省と談判して、制度化されたばかりの作業療法士、さらには福祉を学んだソーシヤルワーカーをはじめて採用した。武蔵療養所は前任の関根真一所長の時代から作業療法が盛んで、温室でのシクラメンや観葉植物の栽培、野菜づくり、養豚などが行われていたが、わたしは作業の場を地域にも広げたいと思い、所外作業をはじめた。所外作業というのは、地域の事業所、おもに町工場、商店、食堂、スタンドなどに病院から通勤して仕事を覚え、退院、就労に結びつける活動である。毎日数十人の人たちが弁当持参で、萩山駅から地域の職場に通勤する風景がみられるようになった。<0186<
 この所外作業は「職親制度」の先駆けで、いま、精神保健福祉法で「通院患者リハビリテーション事業」として制度化されている。デイホスピタルも武蔵療養所が最初に作った。それは一九七ニ(昭和四十七)年「デイケア」が制度化され、社会保健診療報酬がつく二年前であった。このような、病院内リハビリテーションの積極的な努力によって、院内寛解と呼ばれる人たちの社会復帰の準備はかなり進んだ。また、所外作業などを通じて職業に就く人も増えてきたが、しかし、多くの人たちは退院して、社会に戻ることがきわめて困難呎であった。長期入院のため、身寄りがなくなった人とか、退院しても生活のあてがないなど、医学以外の社会的悪条件が、この人たちの社会復帰の妨げとなっていた。

  脳院をふるさとのごと住みている未復員患者にわれも似てゆく
  ふるさとを脳院にせむ心すら湧きいて今日の吾が病いながし
  故郷より帰院したりし我が友が「ふるさとは此処だ」と言ひて口つぐむ

 この三首の短歌は、一九七九(昭和四十五)年、武蔵療養所の総婦長羽生りつさんによって編集発行された、患者諸君の歌集「葦かび」に掲載されたものである。精神病院を自分のふるさとにしなければならない悲痛な思いが歌われていて、心打たれる。
 わたしはこの頃から、これらの人たちにも、知的障害者や身体障害の人たちと同じように、授産施<0187<設や更生施設のような、地域の生活を支える場所が欲しいと思うようになった。そんな時、たまたま、わたしはあさやけ作業所の藤井克徳さんたちと出会い、共同作業所への道が拓かれることになる。小平での、精神障害の人たちの地域リハビリテーションの幕開けとなった。これについては後述する。
小平から、精神病院のなかではじまった社会復帰活動と、地域の草の根運動から発展した精神障害者共同作業所、この両方が生まれた。わたしは幸いなことに両方の活動に参加し、小平と武蔵療養所はわたし自身のリハビリテーションの原点でもあり、ふるさととなった。
 センター構想はその後紆余曲折があり、最初のゎたしの構想とはだいぶ違う、筋疾患を包含する「精神神経センター」として一九七七(昭和五十二)年に発足した。わたしはセンターの発足を目前にして武蔵療養所を去った。武蔵はわたしの終着駅だと思っていたので、あとは作業所作りに専念するつもりでいたが、そこに思いもかけず、松沢病院長就任の話がもちあがった。そのことに触れる前に、武蔵療養所時代にはじまり、今日まで続いている沖縄へのわたしの思いを書いておきたい。」(秋元[2005:183-188])

「共同作業所
 […]わたしは、いま共同作業所作りと、共同作業所の全国組織である「きょうされん(旧共同作業所全国連絡会)の活動に参加している。「きょうされん」とその傘下の共同作業所は、精神障害の人たちの地域の受け入れがまったくなかった時代に、いちはやくその門戸を開いてくれたのだった。わたしは精神科医として、そのことをいちばんありがたいと思っている。
 共同作業所の存在や、それを運営していた藤井克徳さんと知り合ったことが、わたしにとって大きな契機となった。その経緯を、藤井さん自身の回想からたどってみよう。これは、上田敏先生のインタビューに答えたものである。
 藤井さんが、東京都小平市の知的障害児養護学校の教諭をされていた二十三歳のときである。十八歳を過ぎて養護学校を卒業しても、障害児はどこにも地域に受け皿がないために、行きどころがどこにもなかった。それは教師にとっても親御さんにとっても深刻な問題であった。そこで、藤井さんは<0202<考えた。
 まず、実態を把握しよう。そして、自分たちで何とか解決の道を切り開こうと思った。そのために障害者自身を含めた「障害者(児)の権利を守り生活の向上をめざす小平の会」を発足させた。その最初の事業として小平市の障害者(児)の実態調査をした。「障害種別を越えて」をスローガンにした。身体、知的、精神の三障害全部を対象にしたのは、当時としては画期的でした。
 その調査の結果、障害者(児)や、とくに精神障害者がひじょうに多いことがわかった。それは、地元に国立武蔵療養所があり、その退院者が地元に住み着く人がかなりいたからです。
 そこで、まず、一九七四年六月養護学校新卒者五人を対象に、四畳半一間のアパートを借りて「あさやけ作業所」を作り、割り箸の袋詰め<0203<などの仕事をはじめた。間もなく、精神障害者の作業所も必要だとの声が高まり、それが一九七六年十月の「第二あさやけ作業所」の創立につながった。
 その準備の過程で、秋元先生を、一九七六年の春、全く紹介もなく、突然、国立武蔵療養所にお訪ねした。若かったからできたことでした。何とか専門家の立場から作業所の設立・運営にご援助いただけないかという一心からでした。

 一九七〇、七一年頃からー武蔵療養所での院内リハビリテーションがどうにか軌道に乗り、退院できる患者さんが増えてきた。しかし、肝心の受け皿が地域になかった。これは武蔵としても深刻な問題であった。武蔵の近くに知恵おくれの人たちの、小さな無認可共同作業所があることは耳にしていた。それを運営されていたのが藤井さんであった。訪ねてこられた藤井さんに「本業は何か、どうして、どのような経緯で精神作業所を作ろうと孝えたのか、何をやるつもりか」などと、いろいろ質問をしたように思う。

 先生は何のこだわりもなく会ってくださいました。一時間近くとっていただいたと思います。ひとわたり聴かれた先生は、「協力しましょう」と快諾された。その後も何度もご相談にうかがい、作業所にも来ていただいた。一九七八年に第一、第二のあさやけ作業所を運営する法人として、「ときわ会」を設立した。その理事長にも就任していただいた。また、一九八一年の国際障害者年<0204<に行われた、全国組織「きょうされん」(前共同作業所全国連絡会)第四回全国大会では実行委員長も務めていただいた。「きょうされん顧問」、関連の二法人の理事長などを熱心に務めていただいている。

 かくして、わが国最初の精神障害者の共同作業所が誕生した。共同作業所という名前をはじめて用いたのは、名古屋の「ゆたか共同作業所」で、一九六九年のことである。障害者を主人公として、障害者と職員が共同して運営する場所を意味する言葉として「共同作業所」が使われた。身体障害者福祉法や知的障害者福祉法で使われている「授産施設」という言葉は、九仕事を授けてやるという官尊民卑の言葉だというので、現場では使われていなかった。一九七七(昭和五十二)年、全国十六の共同作業所が集まって、「共同作業所全国連絡会」(現在の「きょうされん」)が結成され、いまでは加盟作業所などおよそ千七百余を擁する、わが国の障害者運動の主力として発展している。
 「精神障害者共同作業所」は全国に広がり、いま、その数は千八百を地え、さらに増加する勢いである。その数が増えるだけでなく、活動内容も障害者のニーズに対応して多様化している。列挙すれば次のようになる。

 一、活動の多様化 下請け作業の単純労働から、喫茶店、レストラン、食事サービス、リサイクルショップ、農園、クリーリング、印刷など。
 ニ、活動の分化 最重度障害者のための憩い、交流の場、重度障害者のための福祉作業所、軽度<0205<障害者のための福祉工場
 三、住まう場所グループホーム、アパートなど提供
 四、地域の人々との交流の場地域生活支援センターの併設
 五、障害者運動の拠点
 昔のような下請け仕事だけではなく、食事サービス、パン屋、喫茶店、レストラン、農場、印刷工場など、バラエティーに富むようになり、利用者の選択肢が豊富になった。働く場所だけではなく、共同住居、グループホーム、アパートなどの住まう場所づくりや、障害者の自助運動の支援、市民の町づくりへの参加など、共同作業所は文字通り、障害者の地域生活を支える拠点として、飛躍的に発展している。共同作業所は、精神障害者が地域で人間らしく生きるのに、なくてはならない大切な拠点になっている。
 この民間の草の根運動から生まれた共同作業所がモデルになって、精神障害者授産施設が精神保健法ではじめて制度化された。さらに精神保健福祉法でその種類が増えた。しかし、社会福祉法人の取得にお金がかかるなどの理由で設置が進まず、無認可小規模作業所が多数を占めているのが現状である。
 きょうされんは国会請願などで無認可小規模作業所の法定化を進める運動をつづけてきたが、国はようやくニ〇〇二年に小規模授産施設制度を発足させた。この制度は従来の授産施設よりも、社会福祉法人の取得条件を軽くしようというもので、自己資産が少なく、建物などの規制もなく、定員も従<0206<来の通所型授産施設の最低定員の半分の十人でよいと定めた。この制度の施行により、無認可から法定施設となる道が開けたことは確かだが、公的補助金が従来の通所授産施設制度の三分の一にも満たない低額であるなど、小規模作業所運営の実情を無視しているために、期待されたほどこの制度の活用が進んでいないのが現状である。
 これらの作業所、授産施設などは医療施設ではない。活動を支えている職員のほとんどは医療専門職ではなく、社会福祉を勉強した人、教師、当事者の家族などである。アマチュアリズムが共同作業所などの福祉施設の大きなな利点、特色となっている。だが、そこで暮らしている精神障仰害者の多くは、障害のほかに病気を併せ持つ人たちでもあり、医療からの援助を必要としている。わたしが、共同作業所の活動にかかわりをもっていちばん痛切に感じることは、この活動が、精神障害者の社会復帰からさらに進んで社会参加と自立のために、なくてはならない大切な役割を呆たしているということである。現状では精神医学、精神科<0207<医からの援助、協力は十分とはいえない。しかし、最近の傾向として、地域リハビリテーションに関心を持ち、精神保健福祉センター、保健所を希望する若い世代の精神科医が増えている。また、精神科医の間で共同作業所などの活動に理解が深まり、協力が得られるようになったことを心強く思っている。わたしは、いま、「きょうされん」顧問を引き受けているが、その大切な役目の一つは、医学、医療との連携である。とくにこれまで手薄だった、精神医学との連携を強めていきたいと考えている。」(秋元[2005:201-208])

◆秋元 波留夫・清水 寛 200609 『忘れられた歴史はくり返す――障害のある人が戦場に行った時代』,きょうされん,86p. SBN-10: 4894911132 ISBN-13: 978-4894911130 \700

◆20070525 (惜別)精神医学界の重鎮・秋元波留夫さん 精神障害者の社会復帰に尽力――朝日新聞

【あきもと・はるお 4月25日死去(肺炎)101歳 7月22日しのぶ会】
 日本の精神医療の中枢を担ってきた。
 東大医学部を卒業後、金沢大教授を経て、58年に東大教授となった。66年に東大を退職し、東京都内にある国立武蔵療養所(現、国立精神・神経センター)の所長、都立松沢病院長に就いた。教え子の一人、同センター名誉総長の高橋清久さん(69)は「わが国の精神医学の象徴的な存在でした」と悼む。
 療養所長になったころ、精神医療は「入院中心から、地域ケアへの転換」が言われるようになった。精神障害者が、まちの中で暮らすための生活指導や就労訓練に取り組んだものの、受け皿がないことや、強い偏見から、社会復帰はなかなか進まなかった。
 76年、療養所の近くに精神障害者が働く、全国初の共同作業所ができた。協力を求められた所長の秋元さんは快く応じた。アパートの4畳半2間で始まった「拠点」を守るため、療養所の職員にカンパを呼びかけた。その後、この作業所を運営する社会福祉法人の理事長と、共同作業所の全国組織「きょうされん」の顧問にもなり、亡くなるまで務めた。
 83年に医療現場を離れた後は、さらに精神障害者の社会復帰運動に力を注いだ。講演では、「精神医学の父」と言われる先輩の呉秀三・東大教授の有名な言葉を借り、「患者には『この国に生まれたるの不幸』がいまも重くのしかかっています」と、長期入院が続く精神医療の現状を批判した。
 「きょうされん」常務理事の藤井克徳さん(57)は、30年以上の交流があった。秋元さんの原動力には「入院中心の医療を変えられなかったという思いがあったのではないか」と察している。
 88歳から始めたパソコンを駆使して、年1冊以上の本を出した。亡くなる前日まで仕事への意欲を口にした。
 死後、研究に役立ててほしいと秋元さんの脳は献体された。父の生き方を見てきた4人の娘が決断した。(稲石俊章)

◆立岩真也 20101101 「社会派の行き先・1――連載・60」,『現代思想』

「□組織および学者
 日本の場合、精神医療、リハビリテーション医学において、批判を受ける側にいたのは、共産党系の「社会派」の人たちだったことを述べた。知らない人は知らないのが当然だろうから、ここでは障害(者)に関わる組織に限って、ごく簡単に記しておく。そしてその前に述べておくが、現在、以下に記す対立は弱くなっていると言ってよいだろうと思う。例えば「共作連(きょうされん)」という組織は、一八〇〇を超える施設が会員になっているというが、その多くは、すくなくともその個々の場にいる人々の多くはそんなことを意識していないはずである。また研究者のある部分は、時にはその所属機関等々との関係もあり、何を支持すると明言することがないことはある。そして障害をもつ当人たちにおいても、当然のことだが、所得保障その他、利害の共通するところはいくらもある。対立する部分は残りつつも、共通する広範な部分で、対立する部分のあった組織がともに全国組織を構成してもいる。そしてそのことは基本的にはよいことだと私は思っている。以上を認めつつ、ただ、まずは歴史的な事実として、対立があったことは知っておいてよい。
 もちろん障害者に関わる団体は様々既に存在したのだが、ここであげる団体については、共産党に関わりのある組織の設立が先行した。紹介・説明はここでは略すが、「全国障害者問題研究会(全障研)」(一九六八年結成、そのHPによれば会員数は五千名)がある。こちらが研究会を称しているのに対し、運動団体であることを明示し実際そうした活動をしている団体として「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)」(一九六七年結成)がある。そして各地にありその数を増やしてきた作業所のかなりを会員組織とする「共同作業所全国連絡会(共作連)」(一九七七年結成、現在の名称は「きょうされん」)がある。これらの組織は、例えば『障害者の人権二〇の課題』(障全協・共作連・全障研編[1992])といった本を全国障害者問題研究会出版部(全障研出版部)から出版するなどしている。
 他方、そうした組織の方針と別の流れの主張をすることになった組織として[…]そして、「共作連」と比べればはるかに小さな組織ではあるが、それと違う労働の場のあり方を求めて「差別とたたかう共同体全国連合(共同連)」(現在は「(NPO)共同連」)が一九八四年に結成される☆08。[…]
 精神医学者の秋元波留夫(一九〇六〜二〇〇七)は、一九五八年から一九六六年まで東京大学医学部教授(その後、国立武蔵療養所)。一九七六年の著作として『精神医学と反精神医学』(秋元[1976])がある。また秋元は「作業療法」「精神障害者リハビリテーション」の分野の日本での開拓者ということにもなるのだろう。『精神障害者リハビリテーション――その前進のために』(秋元[1991])、『新 作業療法の源流』(秋元・冨岡[1991])、『精神障害者のリハビリテーションと福祉』(秋元・調・藤井編[1999])といった著作もある。冨岡詔子は作業療法の研究者・教員ということになるが、藤井克徳は現在は「日本障害者協議会」の常務理事を務めるとともに、「共作連」の活動に長く関わり、その常務理事でもある.☆10。秋元自身もその理事長、顧問を務めた。そして「全障研」の指導者の一人清水寛との共著『忘れられた歴史はくり返す――障害のある人が戦場に行った時代』(秋元・清水[2006])がある。そしてリハビリテーション部という別の場で一時期同じ医学部にいた上田敏は、長く秋元との関係を有してきた。秋元・上田の共著書『精神を病むということ』(秋元・上田[1990])があり、さらに、九九歳の秋元が語ったものを上田敏が構成した『九九歳精神科医の挑戦――好奇心と正義感』(秋元/上田構成[2005])も出版されている。
 […](一時期の)「日本精神神経学会」「日本臨床心理学会」等で「改革」がなされ、「代々木系」の人たちに対する批判がなされた。この人たちはそれを受けて立つ側だったということである。そしてみたように上田もまたそうした系列に連なる人である。上田の最初の概説的な単著『リハビリテーションを考える――障害者の全人間的復権』(上田[1983])は青木書店から刊行されている。また上田は長く「共作連」の活動に関わり、支援し、その顧問等を務めた。
 その対立はどのような構図になるのか。」

◆立岩 真也 2011/01/25 「もらったものについて・6」『そよ風のように街に出よう』80:-

 「一方のαの方では、まず「全国障害者問題研究会(全障研)」(一九六八〜、そのHPによれば会員数は五千名)がある。こちらが研究会を称しているのに対し、運動団体であることを明示し実際そうした活動をしている団体として「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)」(一九六七〜)がある。そして各地にありその数を増やしてきた作業所のかなりを会員組織とする「共同作業所全国連絡会(共作連)」(一九七七〜、現在の名称は「きょうされん」)がある。「共作連」などについては、とくに加盟している個々の作業所やそこにいる人たちはその「党派性」を意識していない、というか知らないということもあるだろう。それを切り盛りしている人たちも否定するのかもしれない。それはそれでもかまわないが、人的にその他、つながりがあってきたのは事実ではある。例えば『障害者の人権二〇の課題』(障全協・共作連・全障研編、一九九二)といった本が全国障害者問題研究会出版部(全障研出版部)から出版されるなどしている。」

◆立岩 真也 2012/05/30 「後ろに付いて拾っていくこと+すこし――震災と障害者病者関連・中間報告」,『福祉社会学研究』09:81-97(福祉社会学会

 「それらがどこまでのことをできていて、どんな困難を抱えているのか。それを追っておく必要がある。そしていちおう注目しておきたいのは、ここではその要因までは述べないけれど、かつて少数派であった部分が先頭に立って、そしてかつてはあまり(時にはとても)仲のよくなかった部分も含めて、やっていっているということだ。
 これは非常時だからということもあるだろう。またいつまで続くかわからない今の政権に代わったという要因もないではないだろう。かつての政権党を支持してきた側にしても、得られるものがあるから支持してきたということであって、その要求先が変われば態度も変わる。そして、共産党に近く、とくに障害児教育のあり方を巡って鋭い対立を見せていた部分も、今はかつてほどの攻撃性はなくなっているといったことがあり、そちらに近い(と、今は関係者たち自身の大多数が思っていないのだろうと思う)「共同作業所全国連絡会(共作連)」に属する組織やそこにいる人たちも例えは福島のセンターで仲良くやっていると聞く。このセンターの名称の先頭についている「JDF」は「日本障害フォーラム」。この組織は旧来の大手の組織「日本身体障害者団体連合会」(日身連)といった組織を含む大同団結的な組織である。
 ただ、例えば福島であれば、そのセンターの代表をしているのは「福島県青い芝の会」を橋本広芳らと共に始めた白石清春(1950生)である。その白石らの主張に反感を感じて事務所に乗り込んでいって徹夜で議論して「寝返り」、その活動に参画するようになったのが鈴木絹江で、さらにそれに感化されたのが安積遊歩(1956生)ということになる。鈴木も今、田村市で支援の活動をしている(現在「ケアステーションゆうとぴあ」理事長)。」

◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会ニュース 2008.12.11号 第7号→障害者自立支援法 2008

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  ◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会◆
    ニュース 2008.12.11号 第7号
  http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/

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1)勝利をめざす広島の会が結成されました!

12月7日、勝利をめざす広島の会が発足しました。
中国新聞はつぎのように報じています。
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200812080026.html

会の代表世話人となった浅井基文さんはご自身のホームページで
「障害者自立支援法について考えること」をのべられています。
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2006/143.html


広島市中区であった発足集会には、広島県内の作業所の利用者たち約100人が参加。
原告の秋保和徳さん(57)と妻の喜美子さん(59)が
「人間として生きるのに必要な援助に、利用負担を強いられるのはおかしい」
と訴えた。

会の代表世話人を務める広島平和研究所の浅井基文所長は
「応益負担は、福祉行政に市場原理を持ち込んでおり、見直しが必要」と強調。
事務局を務める藤本風明・きょうされん県支部長が、
裁判の傍聴や市民学習会の継続実施などの運動方針を説明し、
支援法の見直しを目指して連携することを申し合わせた。


2)滋賀は1月9日に結成集会を開催へ

滋賀からは、結成集会のチラシが届きました。
 http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/data/200901siga.pdf
新春の1月9日(金)13時〜15時、近江八幡市人権センター
よびかけ人は滋賀県の身体障害者福祉協会、社会就労センター、ろうあ協会、
手をつなぐ育成会、精神障害者家族会連合会、きょうされんなどの代表や
滋賀大学、龍谷大学などの研究者など16名です。
[…]
◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会ニュース 2008.12.28号 第10号

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  ◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会◆
    ニュース 2008.12.28号 第10号
   http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/

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1)東京で説明会&懇談会を開催

12月24日、東京弁護団の5名の弁護士が町田ヒューマンネットワークを訪問し、
町田で自立生活をしている「チェーンの会」、きょうされん東京支部からなど
16名が参加して説明会と懇談会が開かれました。

参加者からは、
 負担額が軽減策によって3000円と少なくなってはいる。
 しかし、食べるため、生きる為など普通に暮らすために、
 障害がなければ負担することがあり得ない負担を強いられることはあってはならない。
 金額の大小に惑わされないように、この裁判の本質を
 まずしっかり共通理解していくことが大切
などの意見が出され、訴訟の具体的な検討をしていくことが話されました。
[…]
◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会ニュース 2009.1.13号 第12号→障害者自立支援法 2009


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  ◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会◆
    ニュース 2009.1.13号 第12号
   http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/

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1)「勝利をめざす滋賀の会」結成! 代表に高谷清さん

1月9日(金)、近江八幡市人権センターで129人が参加して立ちあがりました。
冒頭、きょうされん滋賀の加藤直樹理事長より開会のあいさつがあり、
順次予定のプログラムに沿って進行されました。
この会の代表には医師でびわこ学園元園長の高谷清さんが選出されました。

◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会ニュース 2009.1.28号 第16号◆

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  ◆障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会◆
    ニュース 2009.1.28号 第16号
   http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/

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[…]

2)支援カンパのとりくみ広がる

DPI日本会議は、
「生きることに必要な支援は(益)なのか」「裁判闘争には多くの支援が必要です」
と、独自の訴えをしています。
2月2日には、大行動実行委員会が、自立支援法の見直し案をめぐって、
厚労省交渉と厚労省前集会を行いますが。その際にもアピールされます。

JD加盟団体のきょうされんは、
1月30日、31日名古屋市で施設経営管理者研修会を行いますが、
特別報告は「障害者自立支援法訴訟の滋賀の様子から」、
利用者の主張「立ち上がろうよ一緒に! 障害者自立支援法訴訟の原告より」で
大きくアピールします。

◆障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会◆
(ニュース 2010.11.30 第78号(通巻186))→障害者自立支援法 2010

[…] ◇3◇ きょうされん利用者部会の「緊急要望」、東久留米市からの「要請文」

今日の要請行動できょうされんのみなさんが議員に届けていた
利用者部会のみなさんの「緊急要望」の中から、
兵庫の日笠恭利さんの「わたしの願い」を紹介します

 多くの国民達、障害者、老人、健康な人のみんなの意見を聞いてから、
 法律を作ってもらいたい
  ふりかえれ あなたのしたこと よう見てみ!?

◆障害者自立支援法「改正」法案は参議院で廃案にしてください
(2010 年11 月28 日)
参議院議員 各位
きょうされん 理事長 西村 直

わたしたちは、「障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律案」(以下、自立支援法「改正」法案)に対し、強い憤りと深い疑念をもって、反対します。
第1 に、またしても自立支援法「改正」法案が政治の駆け引きの道具とされたことについてです。
9月以降、与野党3 党が多くの障害者団体へヒヤリングを行いました。しかし、補正予算審議の委員会開催などを条件に、当事者や関係団体の意見を聞かずに第174 回常会に上程され、廃案となった自立支援法「改正」法案を再上程し衆議院で可決したことは、わたしたちの声を無視したも同然です。
政治の駆け引きの道具として、障害のある人たちの命と生活に関わる法案が使われることは、国政への信頼の失墜、強い憤りならびに疑念を抱かざるをえません。
第2 には、2013 年8月までに自立支援法の廃止と新法制定を、司法上の和解にて調印し、またその方針を閣議決定した国(政権与党)が、自立支援法の延命に手を貸し、復活の道をつくる法案の可決に賛成したことです。自立支援法「改正」法案の原案は、2009年の国会で廃案となった厚労省が作成したものであり、自立支援法廃止と新法制定が国の方針となっていなかった時期のものです。また「改正」法案は多くの条文の施行期日が2012 年4 月とされており、新法施行までわずか一年余しか
ありません。施行期日が介護保険法定時改正時期と重なることからも、疑念を抱かざるをえません。
いまもっとも求められていることは、障害者権利条約の精神に立って新法制定と障害者制度改革について、しっかりと議論することです。新法実施までに行うべきは、障がい者制度改革推進会議が政府に要望した「4つの当面の課題」の実施であり、自立支援法「改正」法案ではありません。
つきましては、参議院議員の皆様におかれましては、良識の府としての権威を発揮し、以下の要望についてご高配くださいますことを、何とぞお願い申し上げます。

一、 自立支援法「改正」法案については、本院において廃案にしてください
二、 新法の施行までに解決すべき問題点については、障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会が首相に提出した「4つの当面の課題(※)」であり、これらは政省令の見直しや予算措置等において実現をはかってください
※ @利用者負担についての見直し、A法の対象となる障害範囲についての見直し、B地域において自立した暮らしを行うための支援の充実、C新法制定の準備のための予算措置

<問い合せ先>
きょうされん事務局
事務局長 多田 薫
〒164−0011 東京都中野区中央5−41−18−5F
TEL 03-5385-2223 / FAX 03-5385-2299

◆またもや真にわたしたちの声を聞かなかった「改正」案
障害者自立支援法「改正」案の衆議院可決にあたっての声明
(2010年11月18日)
 11月17日午後3時25分、障害者自立支援法(以下、自立支援法)の一部を「改正」する法案(以下、「改正」案)が、衆議院・厚生労働委員会において可決されました。それは、委員長による提案に対して野党2名の意見表明以外、まったく審議されないままのわずか10数分の出来ごとでした。そして本日(18日)、衆議院・本会議において、審議なしの採決で、民主党・自民党・公明党などの多数で可決されました。
 「きょうされん」は、ここに強い憤りと深い疑念とともに、新たな決意を表明するものです。

●「改正」案可決までの経緯と問題点
 第1には、またしても「改正」案が政治の駆け引きの道具とされたことです。補正予算審議のための委員会開催などを条件に「一言一句を変えることなく『改正』案を再上程せよ」という自民党の強硬な圧力に屈した民主党は、6月の国会で廃案になった「改正」案を無修正のまま再上程しました。
 先の国会では、法案の内容の問題に加えて、障害のある人と家族・関係者の意見をまったく聞かずに「改正」案を強引に上程したことが大きな問題になりました。9月以降、民主党・自民党・公明党の3党は、数多くの障害者団体のヒヤリングを実施し、そこではさまざまな意見がだされました。しかし、これらヒヤリングでだされた意見をまったく反映することなく、一言一句変更なしに「改正」案を上程・可決したことは、当事者の声を尊重するポーズをとりながら、結局、その声を無視したも同然です。
 第2には、2013年8月を期限とした自立支援法の廃止と新法制定を約束した政権与党が、自立支援法の延命に手を貸し、復活の道をつくる法案の可決に賛成したことです。そもそも「改正」案の原案は、自公政権時代に厚労省が作成し、2009年の国会でも廃案になりました。つまり、2度の廃案を経て再び上程された「改正」案は、自公政権が制定した自立支援法を前提としているため、同法の延命、さらには復活を狙うことに主眼があり、現政権の自立支援法廃止と新法制定の基本方針とは相反するものです。しかも「改正」案は施行期日が2012年4月とされており、新法施行までわずか一年余しかありません。このことは、新法への「つなぎ」が本当の狙いではなく、2012年4月の介護保険法の定時改正に照準をあわせたものと言わざるをえません。現政権は、自立支援法訴訟の「基本合意」を反故にし、介護保険の統合に方針転換してしまったのでしょうか。
 第3には、「改正」案が、障がい害者制度改革推進会議や総合福祉部会の議論を制約し、その流れが歪められてしまうことへの懸念です。今回の採決にあたっては「障害保健福祉の推進に関する件」という「委員会決議」が可決されましたが、その内容は、民主党・自民党・公明党による調整の結果、2013年の自立支援法の廃止と新法制定をあいまいなものにしてしまいました。

●わたしたちの決意と課題
  「改正」案は、これから参議院での審議に移ります。「良識の府」といわれる参議院であるならば、徹底した審議によって「改正」案の本質問題を明らかにし、廃案にすべきです。
 わたしたち「きょうされん」は、引き続き多くの関係団体とともに、「改正」案の廃案を求める運動を強く推しすすめ、自立支援法の廃止と新法制定、そして権利条約の批准をめざした障害者制度改革をすすめる運動を大きく前進させることを決意します。

2010年11月18日
きょうされん  理事長 西村 直

◆自立支援法「改正」案の再上程に対する緊急国会要請・抗議行動について

きょうされん東京支部
事務局長 小野 浩

 本日(15日)、民主党の障害者政策プロジェクトチーム(PT)が開かれ、自立支援法「改正」案の再上程が確認されました。
この間お伝えしましたように、自民党は「雇用・能力開発機構の廃止法案や、労働者派遣法改正案を通したいなら、一言一句変更せずに自立支援法『改正』案を通せと強硬な姿勢」で民主党に迫っていました。それに対して民主党は、「改正」案の内容評価ではなく、政治的な利害の駆け引きで了承したのです。
 民主党PTの議員からは、「力が及ばなかった」、「訴訟団との関係が心配」、「民主党PTも壊れてしまうかもしれない」といった声も聞かれます。
 しかし、自公政権時代に厚労省が作成し、2009年と2010年6月の国会で廃案になった「改正」案を、「一言一句変更せず」に承認するということは、民主党が自立支援法の延命に手を貸したと言っても過言ではありません。これは民主党政権が自ら交わした、自立支援法訴訟の「基本合意」を踏みにじる行為です。
11月16日には、衆議院・厚生労働委員会理事懇が開かれ、「改正」案を含む審議内容が確認され、翌17日には衆議院・厚生労働委員会が開かれ、提案・審議、そして即決採択がおこなわれる動きです。
 そこで、「10.29全国大フォーラム」実行委員会では、緊急の国会要請・抗議行動を実施します。

◆立岩真也 20101101 「社会派の行き先・1――連載・60」,『現代思想』

「□組織および学者
 日本の場合、精神医療、リハビリテーション医学において、批判を受ける側にいたのは、共産党系の「社会派」の人たちだったことを述べた。知らない人は知らないのが当然だろうから、ここでは障害(者)に関わる組織に限って、ごく簡単に記しておく。そしてその前に述べておくが、現在、以下に記す対立は弱くなっていると言ってよいだろうと思う。例えば「共作連(きょうされん)」という組織は、一八〇〇を超える施設が会員になっているというが、その多くは、すくなくともその個々の場にいる人々の多くはそんなことを意識していないはずである。また研究者のある部分は、時にはその所属機関等々との関係もあり、何を支持すると明言することがないことはある。そして障害をもつ当人たちにおいても、当然のことだが、所得保障その他、利害の共通するところはいくらもある。対立する部分は残りつつも、共通する広範な部分で、対立する部分のあった組織がともに全国組織を構成してもいる。そしてそのことは基本的にはよいことだと私は思っている。以上を認めつつ、ただ、まずは歴史的な事実として、対立があったことは知っておいてよい。
 もちろん障害者に関わる団体は様々既に存在したのだが、ここであげる団体については、共産党に関わりのある組織の設立が先行した。紹介・説明はここでは略すが、「全国障害者問題研究会(全障研)」(一九六八年結成、そのHPによれば会員数は五千名)がある。こちらが研究会を称しているのに対し、運動団体であることを明示し実際そうした活動をしている団体として「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)」(一九六七年結成)がある。そして各地にありその数を増やしてきた作業所のかなりを会員組織とする「共同作業所全国連絡会(共作連)」(一九七七年結成、現在の名称は「きょうされん」)がある。これらの組織は、例えば『障害者の人権二〇の課題』(障全協・共作連・全障研編[1992])といった本を全国障害者問題研究会出版部(全障研出版部)から出版するなどしている。
 他方、そうした組織の方針と別の流れの主張をすることになった組織として[…]そして、「共作連」と比べればはるかに小さな組織ではあるが、それと違う労働の場のあり方を求めて「差別とたたかう共同体全国連合(共同連)」(現在は「(NPO)共同連」)が一九八四年に結成される☆08。[…]
 精神医学者の秋元波留夫(一九〇六〜二〇〇七)は、一九五八年から一九六六年まで東京大学医学部教授(その後、国立武蔵療養所)。一九七六年の著作として『精神医学と反精神医学』(秋元[1976])がある。また秋元は「作業療法」「精神障害者リハビリテーション」の分野の日本での開拓者ということにもなるのだろう。『精神障害者リハビリテーション――その前進のために』(秋元[1991])、『新 作業療法の源流』(秋元・冨岡[1991])、『精神障害者のリハビリテーションと福祉』(秋元・調・藤井編[1999])といった著作もある。冨岡詔子は作業療法の研究者・教員ということになるが、藤井克徳は現在は「日本障害者協議会」の常務理事を務めるとともに、「共作連」の活動に長く関わり、その常務理事でもある.☆10。秋元自身もその理事長、顧問を務めた。そして「全障研」の指導者の一人清水寛との共著『忘れられた歴史はくり返す――障害のある人が戦場に行った時代』(秋元・清水[2006])がある。そしてリハビリテーション部という別の場で一時期同じ医学部にいた上田敏は、長く秋元との関係を有してきた。秋元・上田の共著書『精神を病むということ』(秋元・上田[1990])があり、さらに、九九歳の秋元が語ったものを上田敏が構成した『九九歳精神科医の挑戦――好奇心と正義感』(秋元/上田構成[2005])も出版されている。
 […](一時期の)「日本精神神経学会」「日本臨床心理学会」等で「改革」がなされ、「代々木系」の人たちに対する批判がなされた。この人たちはそれを受けて立つ側だったということである。そしてみたように上田もまたそうした系列に連なる人である。上田の最初の概説的な単著『リハビリテーションを考える――障害者の全人間的復権』(上田[1983])は青木書店から刊行されている。また上田は長く「共作連」の活動に関わり、支援し、その顧問等を務めた。
 その対立はどのような構図になるのか。」

◆[jsds:15839] Re: 明日(11月17日)の行動について(太田)
日付 2010年11月16日13:59

つるたです。

別のルートからきょうされん東京支部の案内が届いたので転載します。

===
*民主党PTは、「改正」案の再上程を承諾してしまいました。*
緊急の国会要請、そして傍聴・抗議行動を実施しますので、ぜひ参加呼びかけて
ください。
きょうされん東京支部 
===

以下は、きょうされん東京支部からの案内(ワードをテキスト化したもの)
から部分転載
====
関係者 各位
きょうされん東京支部
事務局長 小野 浩

自立支援法「改正」案の再上程に対する
緊急国会要請・抗議行動について
本日(15日)、民主党の障害者政策プロジェクトチーム(PT)が開かれ、
自立支援法「改正」案の再上程が確認されました。
この間お伝えしましたように、自民党は「雇用・能力開発機構の廃止法案や、
労働者派遣法改正案を通したいなら、一言一句変更せずに自立支援法『改正』
案を通せと強硬な姿勢」で民主党に迫っていました。それに対して民主党は、
「改正」案の内容評価ではなく、政治的な利害の駆け引きで了承したのです。
民主党PTの議員からは、「力が及ばなかった」、「訴訟団との関係が心配」、
「民主党PTも壊れてしまうかもしれない」といった声も聞かれます。
しかし、自公政権時代に厚労省が作成し、2009年と2010年6月の国会で廃案
になった「改正」案を、「一言一句変更せず」に承認するということは、民
主党が自立支援法の延命に手を貸したと言っても過言ではありません。これ
は民主党政権が自ら交わした、自立支援法訴訟の「基本合意」を踏みにじる
行為です。
11月16日には、衆議院・厚生労働委員会理事懇が開かれ、「改正」案を含む
審議内容が確認され、翌17日には衆議院・厚生労働委員会が開かれ、提案・
審議、そして即決採択がおこなわれる動きです。
そこで、「10.29全国大フォーラム」実行委員会では、緊急の国会要請・抗
議行動を実施します。

◆立岩 真也 2011/01/25 「もらったものについて・6」『そよ風のように街に出よう』80:-

 「一方のαの方では、まず「全国障害者問題研究会(全障研)」(一九六八〜、そのHPによれば会員数は五千名)がある。こちらが研究会を称しているのに対し、運動団体であることを明示し実際そうした活動をしている団体として「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(障全協)」(一九六七〜)がある。そして各地にありその数を増やしてきた作業所のかなりを会員組織とする「共同作業所全国連絡会(共作連)」(一九七七〜、現在の名称は「きょうされん」)がある。「共作連」などについては、とくに加盟している個々の作業所やそこにいる人たちはその「党派性」を意識していない、というか知らないということもあるだろう。それを切り盛りしている人たちも否定するのかもしれない。それはそれでもかまわないが、人的にその他、つながりがあってきたのは事実ではある。例えば『障害者の人権二〇の課題』(障全協・共作連・全障研編、一九九二)といった本が全国障害者問題研究会出版部(全障研出版部)から出版されるなどしている。」

なにが問われる―障害者基本法改正 
(2011年2月13日(日) しんぶん赤旗)→障害者自立支援法 2011

○今国会に提出
 障害者基本法の改正案が今国会に提出されます。14日にも、障害者施策のあり方について議論してきた「障がい者制度改革推進会議」に法案要綱が示される見込みです。基本法改正がなぜ求められているのか、改正で問われるものは―。(岩井亜紀、鎌塚由美)
条約の批准に必要
 障害者基本法の改正が求められているのは、2006年の国連総会で採択され、08年に発効した障害者権利条約批准のためです。
 「21世紀最初の人権条約」といわれる障害者権利条約は、すべての人に保障されるべき普遍的な人権と基本的自由を、障害のある人に差別なく完全に保障することを締約国に求めています。日本は07年に署名しましたが、批准はまだです。
 自公政権時代の09年、政府は一部の法の手直しで批准を狙いましたが、障害者団体は猛反発。障害者自立支援法の廃止を含め、条約批准にふさわしい国内法整備を求めました。
 障害者施策の基本となる理念や障害の定義などの基本事項を定めているのが障害者基本法です。権利条約の精神を基本法に反映させることは、条約を批准し、日本の障害者施策を国際水準に引き上げるために欠かせません。
○障害者自身が論議
 障害者施策見直しの議論は、政府内に置かれた「障がい者制度改革推進会議」で昨年1月からすすめられてきました。委員24人のうち14人が障害者や家族です。こうした委員構成は障害者らの運動の反映です。
 障害者らは障害者自立支援法の反対運動をすすめ、同法は憲法違反だとする訴訟を全国で展開。その結果、政府は昨年1月、自立支援法違憲訴訟団と基本合意を結びました。
 基本合意で国は、▽速やかに応益負担制度を廃止し、遅くとも13年8月までに障害者自立支援法を廃止し新法を実施する▽新法制定に当たって、障害者の生活実態などにも配慮して、障害者の権利に関する議論を行う―などを約束しました。
 推進会議は、基本合意を踏まえ、障害者権利条約批准のための法制度の抜本的見直しを議論してきました。昨年6月の「第1次意見」では、国内法整備の基本的な考え方やスケジュールを示しました。障害者基本法の抜本改正法(11年)、障害者自立支援法に代わる障害者総合福祉法(12年)、障害者差別禁止法(13年)の各案を国会に提出すると閣議決定されました。
 改正によって障害者基本法は、障害者関係の国内法の「トップにある法律」(東俊裕障がい者制度改革推進会議担当室長)と位置づけられます。
 推進会議は昨年末、改正障害者基本法に盛り込むべき考え方を「第2次意見」としてまとめました。それをもとに法案がつくられることになっています。
○「意見」反映がカギ
 推進会議の「第2次意見」は、「障害の有無にかかわらず地域社会で共に自立した生活を営むことが確保された」社会実現のために障害者基本法の見直しが行われるべきだとしています。
 また、すべての障害者が「基本的人権の享有主体」であり、その権利を実現するために「自立と社会参加を保障するための支援が必要」だとしています。
 何が障害かは社会環境によって決まるという視点を明らかにし、制度的支援を必要としながら対象外とされる障害者を出さないように、障害の定義の見直しと支援対象者の拡大などを求めています。
 障害者権利条約の批准に向け、「第2次意見」に基づく基本法の抜本改正を、すべての障害者団体が一致して求めています。
 3日に国会内で開かれた「国連障害者の権利条約推進議員連盟」の総会で、推進会議の議長を務める日本身体障害者団体連合会の小川榮一会長は「基本法改正の作業で、どう第2次意見を反映させるか」がカギだと強調。日本障害者協議会の藤井克徳常務理事は「私たちは特別な権利を求めているのではない。他の市民との平等を得たいだけだ」と訴え、当事者の声を踏まえ、超党派で批准に取り組むよう要望しました。
 全国の共同作業所などでつくる団体「きょうされん」の小野浩常任理事は「形式的な障害者権利条約の批准では何も変わらない。権利条約の水準にかなうかたちで国内法を整備し、批准することが重要だ」と指摘します。
○自立支援法廃止を
 しかし、「第2次意見」が障害者基本法改正案にきちんと反映されるかには懸念がもたれています。
 「第2次意見」取りまとめの過程で厚生労働省は、障害者は「基本的人権の享有主体」と明記することについて「憲法にすでに明記されている。障害者についてのみ確認することはどうなのか」と抵抗を示しました。
 3日の推進議員連盟の総会では、外務省が権利条約批准は「既定の国内法で足りる」と説明。詰めかけた障害者団体の批判を受けました。
 ふさわしい国内法整備が求められるなか、障害者自立支援法廃止の必要性が改めて浮き彫りになっています。障害者が生きるために必要な支援を「利益」ととらえる障害者自立支援法は、必要な支援を受けることを権利とする権利条約と真っ向から対立するからです。
 権利条約の批准を実効あるものにするためにも、自立支援法は廃止しかありません。

◆立岩 真也 2012/05/30 「後ろに付いて拾っていくこと+すこし――震災と障害者病者関連・中間報告」,『福祉社会学研究』09:81-97(福祉社会学会

 「それらがどこまでのことをできていて、どんな困難を抱えているのか。それを追っておく必要がある。そしていちおう注目しておきたいのは、ここではその要因までは述べないけれど、かつて少数派であった部分が先頭に立って、そしてかつてはあまり(時にはとても)仲のよくなかった部分も含めて、やっていっているということだ。
 これは非常時だからということもあるだろう。またいつまで続くかわからない今の政権に代わったという要因もないではないだろう。かつての政権党を支持してきた側にしても、得られるものがあるから支持してきたということであって、その要求先が変われば態度も変わる。そして、共産党に近く、とくに障害児教育のあり方を巡って鋭い対立を見せていた部分も、今はかつてほどの攻撃性はなくなっているといったことがあり、そちらに近い(と、今は関係者たち自身の大多数が思っていないのだろうと思う)「共同作業所全国連絡会(共作連)」に属する組織やそこにいる人たちも例えは福島のセンターで仲良くやっていると聞く。このセンターの名称の先頭についている「JDF」は「日本障害フォーラム」。この組織は旧来の大手の組織「日本身体障害者団体連合会」(日身連)といった組織を含む大同団結的な組織である。
 ただ、例えば福島であれば、そのセンターの代表をしているのは「福島県青い芝の会」を橋本広芳らと共に始めた白石清春(1950生)である。その白石らの主張に反感を感じて事務所に乗り込んでいって徹夜で議論して「寝返り」、その活動に参画するようになったのが鈴木絹江で、さらにそれに感化されたのが安積遊歩(1956生)ということになる。鈴木も今、田村市で支援の活動をしている(現在「ケアステーションゆうとぴあ」理事長)。」



UP:20101120 REV:20130516, 0517
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