★ 「「医学連」は「全国医学生連合」の略称で、それは全国の医学部学生の”闘う組織”でした。組織の中心には「ブント」という新左翼の党派の人たちもいて、彼らが東大闘争についての実質的な指導をしていたのでしょう。
「ぼくは「なんとしても革命を起こさなくては」というところまではまじめに考えず、「世の中の理不尽さがいくらかでも正されれば」程度の思いで活動していましたから、「党派の連中にはついていけない」といふうに思っていました。しかし…」(山田[126])→時計台占拠
個人的に一番インパクトが強かったのは、大学4年のときのゼミナールで、竹内芳郎★が来てたんだけどね。竹内芳郎はもうまったく難しくてわからない話だったんだけども、西村豁通(ひろみち)★っていう同志社の経済学だろうね、教授が来て、社会保障制度について、今でいえば、福祉国家論みたいなものを言って、結局その日本の健康保障制度なんかも、もとはドイツの社会保障政策の上に連なるものだから、飴と鞭であって、社会保障制度という飴を与えて、それで別の形で搾取していくっていうその国ありようの中のひとつの制度だっていう話を西村さんがして、それでそれはなんか非常に衝撃的だったっていうのはあるんだよね。★ 西村 豁通 1961 『社会政策と労働問題』,ミネルヴァ書房,184p. ASIN: B000JALO1U
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――――― 1970 『増補 社会政策と労働問題』,ミネルヴァ書房
額田 粲・西村 豁通 編 1965 『日本の医療問題』,ミネルヴァ書房,294p. ASIN: B000JACZ5O
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だから具体的な運動じゃないけれども、五月祭なんかで、保険制度、健康保険制度についての分析はやったりなんかはしていたので、インターンの問題からはあんまり社会的な問題にはいかないっていうか、あれ要するに身分の問題で、医者の労働収奪だって言って、医者も労働者だと規定してね、労働者で働いてるのに学生扱いされて給料もくれないのもおかしいって言ってたんだけれども、でもそれは、実際にはほとんどみんなバイトをやって、けっこういいお金をもらったりなんかしてて、生活やなんかにとくべつ困っているわけでもなかったしね。だからそのこと自体から、インターン反対運動みたいなものから学ぶっていうものはあんまりなかったんだけども、別の形でそういう医ゼミっていってたゼミナールなんかで学んだものっていうのはあった。