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HIVと人権を考える会・北九州




■HIVと人権を考える会・北九州

    :
  名称:HIVと人権を考える会・北九州
  郵便:
  住所:北九州市小倉北区木町4-13-13
   tel:093-581-6895
   fax:

  発足:
情報更新:
  種別:
  管轄:
  活動:
  範囲:
  地域:
活動目的:
  代表:岩下均
事務局長:
  口座:
 情報源:
定期刊行:
提携団体:
  備考:


◆1996/06/08「HIVとハンセン病」講演会

■「HIVとハンセン病」講演会

170/177 KFA04206 北野 隆一    「HIVとハンセン病」講演会(長文注意)
( 2) 96/05/28 13:36

                   1996年5月28日
《みなさまへお知らせです》

           ▽朝日新聞西部本社社会部・北野隆一
           〒802-88 北九州市小倉北区砂津1-12-1
            093-521-1649, FAX: 093-541-3992
            携帯電話080-911-5260
            e-mail: kfa04206@niftyserve.or.jp

 北野は、北九州市のHIV問題を考える市民団体の主催で6月
8日、「ハンセン病とエイズ」をテーマにした勉強会の講師をする
ことになりました。内容についてレジュメをまとめましたので、
みなさんにもお送りします。かなり内容は長いので、ダウンロード
や印字をする際はご注意ください。お問い合わせは北野のほうにメ
ールでいただくか、「考える会」のほうに電話でいただけると幸い
です。よろしくお願いします。

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「HIVと人権を考える会・北九州」第2回学習会

 テーマ「エイズとハンセン病
    〜隔離と排除の歴史を繰り返さないために」

 日時 6月8日(日)午後6時〜8時
     6時〜6時20分 ハンセン病についてのニュース映像
     6時30分〜7時40分 北野の話
     7時40分〜50分 質疑応答

 会場 北九州市立女性センター「ムーブ」4階小セミナー室
    北九州市小倉北区大手町11-4 093-5833-3939

 問い合わせ先 「HIVと人権を考える会・北九州」の岩下均代表
        北九州市小倉北区木町4-13-13 093-581-6895

 参加費 無料

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 [1]はじめに

 HIV、エイズの問題に関心をもっていらっしゃる人は、連日の報
道に触れたり本を読んだり、関係者から話を聞いたりしているうちに
、かならずあることに気づくと思う。それは、この病気に対する差別
、偏見の強さということである。正しい知識さえ持っていれば、ちょ
っと気をつけるだけで感染の危険にさらされることはほとんどないは
ず。それなのに、どうしてエイズというだけであんなに恐れられ、排
除されるものなのか。HIV訴訟でも、なぜ感染者は、実名を名乗っ
て裁判に登場できないのか。それはひとえに、社会の偏見がいまだ強
く、実名で登場することに非常な危険が伴うからにほかならない。
 一般化して考えてみよう。病気に対する偏見は昔からあったのか。
答えは「イエス」である。特にひどかったのが、ハンセン病に対する
偏見だった。ハンセン病の歴史を見てみると、エイズの問題にあまり
によく似た社会構造があることに驚かれると思う。問題はエイズだけ
に限った話ではなく、そうした偏見差別を生み出す社会構造そのもの
にもある、ということを理解していただけるのであれば、今回の話の
目的は達成できたことになる。

 [2]ハンセン病とは

 ハンセン病とは、らい菌による慢性感染症のこと。菌を発見したノ
ルウェー人医師アルマウェル・ハンセンの名を取り「ハンセン病」
と呼ばれる。らい菌は現在まで純粋培養に成功していないことから、
動物実験ができず、感染経路はいまだ解明されていない点が多い。
しかし、その伝染力はきわめて弱く、幼少時の濃厚接触以外、発病の
おそれがほとんどない、ということだけははっきりしている。かつては
不治の病とされ、隔離がほぼ唯一の対策だった。重症化すると、
神経障害や合併症で手足や顔の欠損や変形、視覚障害などの後遺症が
残り、外見が著しく変化する病気だったため、「恐ろしい伝染病」
という社会的偏見が強かった。
 「治る」病気になったのは、終戦直前。アメリカで特効薬が開発され、
戦後間もなく日本にも導入された。1981年にはWHOで3種類の
薬剤を併用する「多剤併用療法」が確立し、発病しても2年で完治する
病気になった。現在、全世界で170万人の患者がいるといわれて
いるが、10万人単位で毎年治療されている。日本国内で毎年新たに
見つかる患者(新発患者)は年間10人あまりにとどまる。
 ただ、いったんハンセン病を患った患者にとっては、社会復帰するに
は厚い壁がある。病気そのものが治っても後遺症が残っている例も少な
くないこと、それに、今年4月1日に廃止された「らい予防法」が残っ
ていたことなど、社会的偏見や制度上の差別の残存が、その背景にある。

 [3]どんな点が似ているか

 (1)伝染しにくいが、いったん発病して悪化したら治らない

 特効薬が開発されるまでは、ハンセン病は「不治の病」だった。いっ
たん発病したら治る見込みはなく、しかも合併症のために手足の欠損や
顔の変形、視力の喪失など重症化する人も多かった。かつては遺伝病と
か宗教上の報いとの考え方もあったが、感染症と判明してからは、伝染
の恐怖が浸透し、患者の社会復帰を困難にした。

 (2)政府の対応・最初に「予防法」ありき

 感染症や伝染病に出あうたび、政府はまず「予防法」をつくってきた。
伝染病予防法、結核予防法、性病予防法、らい予防法。精神病に対して
も、政府はまず保健医療政策より社会防衛を優先する精神病者監護法と
してスタートし、精神病院法、精神衛生法、精神保健法、と名を変えて
現在にいたる。
 ハンセン病についても、政府や専門家の医師がしたことは、病気へ
の恐怖をあおり、患者から社会を防衛するための対策として「予防法」
をつくることだった。
 明治期までは患者は放っておかれた。社会的にも排除、放置され、後
遺症から重い障害を負った患者は、故郷を追われ熊本の本妙寺、群馬の
草津温泉、四国八十八カ所などの名刹に乞食として生活している人も多
かった。国の近代化で西洋人が入ってくると、これが「国の恥」として
認識され、放浪患者(「浮浪らい」と呼ばれた)を収容する法律として
の「法律十一号 癩予防ニ関スル件」が1907年に制定された。
 さらに、「民族を浄化し、優秀な国民をつくる」という、ナチスドイ
ツなどに由来する優生思想が高まると、「らいの根絶」は、治療によっ
て病気をなくすのでなく、「らい患者を社会から根絶する」と読み替え
られた。まとめて隔離収容し、断種手術で子を産めなくし、社会からそ
の存在を消してしまうという発想である。
 らい予防法には、ハンセン病が治ったら、その後患者の社会復帰をど
うはかるか、という規定はなかった。また、隔離収容でなく自宅から通
院して治す場合の取り決めもない。あくまで、ハンセン病(とその患者)
から社会を守るための法律であり、保護対象は「健康な社会」のほうで
あって、患者ではなかった。
 この発想はエイズ予防法にも受け継がれた。「患者の人権を守る」と
うたいながら、患者をいかに発見、把握し、社会への感染を防ぐかとい
う社会防衛的な規定ばかりで、患者の医療福祉をどうするか、患者の人
権をどう守るかという発想はない。
 らい予防法にも、エイズ予防法にも、「医師の守秘義務」はある。つ
まり感染、発病をもらしてはならない、といった規定である。しかしこ
の規定は果たして人権保護の観点に立った条文といえるだろうか。守秘
義務を定めないと、社会から患者を保護できないとすれば、その社会は
果たして人権尊重社会といえるだろうか。

 (3)厚生省の対応

 厚生省ではエイズとハンセン病は同じ課で扱う。ハンセン病問題の担
当課は現在「エイズ結核感染症課」である。
 厚生省はハンセン病患者にどう対応したか。今回の予防法廃止に大き
く貢献した大谷藤郎・元厚生省医務局長が担当課長に就任してまずやっ
たことは、患者団体「全国ハンセン病患者協議会」の代表者を廊下でな
く、課長室に招き入れてお茶を出すということだった。それまで患者は
廊下で応対され、お茶は紙コップで出されていた。大谷課長が「うつら
ないから」と説明して患者を部屋に入れたにもかかわらず、若い女性職
員から「自分はこれから結婚して子どもも産む。うつったらどうするの
か」と詰め寄られたという。
 国立療養所でも、長らく医師は頭から白衣白帽、マスクで完全武装し、
土足のまま患者の住む畳の間に上がり込んで診療をしていた。

 (4)医学者、専門家の対応

 いったん医学者の世界で定説として決まってしまうと、のちにその定
説の誤りが発覚しても、その道の権威の顔をつぶすことになるため、定
説を転換して自己批判することはきわめてまれである。医師など専門家
の世界では、とにかく自己検証をいやがる傾向が強い。
 ハンセン病の場合は、国際的には1950年代に隔離政策の誤りが指
摘されていたのに、その事実を公式に学会が認めて患者に謝罪したのは
やっと昨年のことだ。医師ら専門家がたこつぼ化することの弊害が、も
っとも悪い形で現れた典型といえる。ただちに専門家が自分たちの過ち
をただちに検証し、認める謙虚さと科学者魂を持っていたら、ハンセン
病患者の人権はどれほど回復されていただろうかと思うと、残念でなら
ない。
 日本でも、京都大学の小笠原登助教授は「伝染力のきわめて弱い病気
であり、隔離する必要はない」と主張した。しかし援護はほとんどなく、
むしろ隔離推進を主張する学会主流派から、猛烈な非難を浴びて否定さ
れた。以来、隔離の是非が論議されることは、1990年代までほとんど
なかった。

 (5)医師の無知と診療拒否

 ハンセン病は、ふつうの病院ではみてもらえない。らい予防法により
保険医療が認められず、指定医療機関のみでの診療が規定されていた。
全国15カ所の国立、私立療養所と、ごく一部の国立大学病院だけである。
 ハンセン病は、大学でも習わない。医学的にはすでに治療法が確立さ
れた病気ということもあって、医学部でもほとんど教えられることはな
く、しかも法制度上、一般病院では診療できないことになっていた。こ
のため、診断できず、悪化するまで放って置かれることもあったようだ。
 それ以上に多かったのは、いったんハンセン病にかかった人は、その
他の病気でも一般の病院にかかれなくなってしまうことが少なくなかっ
たということだ。保険がきかないこと、療法がわからないことなどから、
病院が診療拒否をし、遠く離れた療養所まで運ばれてくるということも
あった。専門の医療機関をつくったことで、全部そこに押しつけてしま
う、という状況がみられたわけである。

 (6)誤った知識の流布による社会的パニック

 ハンセン病は幼少時の濃厚接触や免疫異常がない限り、発病する可能
性はほとんどないのに、「恐ろしい伝染病」という誤った認識が流布さ
れた。隔離政策の遂行のためか、医師もこの誤解を積極的に正そうとせ
ず、むしろこのパニックを利用して、ハンセン病療養所の医療体制や隔
離政策を充実させるための切り札に使っていたふしもある。
 日本におけるエイズの「登場」のしかたとして、厚生省と検討委員会は、
血友病患者への血液製剤による感染を意図的に黙殺し、性的接触による
感染者のほうを感染第1号として大々的に宣伝したことには、事実を隠
蔽し世論を一定方向に誘導しようとする意思を読みとらざるをえない。

 (7)歴史的、社会的な意味

 「中世においては、癩(らい)患者は堕落を眼に見えるものとする社
会的テキストであり、頽廃の見本、象徴であった」「(エイズは、)血
友病の患者や輸血を受ける人々のように、どんなに非難の幅を広げてみ
てもこの病気に対する責任があると思えない場合でも、恐怖した人々か
ら同じように容赦なく除け者にされ、……病気をもっている人々と、『
一般の人々』−−それを定義するのは健康問題の専門家やその他の役人
である−−との間に強力な差別を生み出す」(スーザン・ソンタグ『隠
喩としての病い/エイズとその隠喩』)
 歴史的、社会的に見て、ハンセン病はしばしば特殊視されてきた。キ
リスト教、仏教、イスラム教など主な宗教は、ハンセン病患者を「天刑
病」「業病」と罪人扱いして排除し、あるいは「もっとも憐れな者」と
して見下し、慈悲の対象とした。
 戦後間もなく、薬剤の開発によって治る病気になったが、偏見は解消
されなかった。患者としての烙印(スティグマ)は、単に病気にかかっ
ているという意味だけでなく、「らい病持ち家系」として家族全体が忌
避の対象になった。職場を追われ、結婚が破談になった。ハンセン病患
者を親に持つ子(その子本人は感染も発病もしていない)の小学校通学
が、地域の猛反対でかなわなかった例もある(熊本市の黒髪小学校事件)。
エイズでも、地域の反対で感染者の就学を認めなかった事件が、米国で
起きている。

 (5)本名を名乗れない患者、感染者

 ハンセン病とエイズとを見比べて、私がもっとも強くその相似点を感
じたのは、ともに「患者が本名を名乗れない」という現象である。
 HIV訴訟の場合、川田龍平君のような数えるほどの例外を除いて、
いまも数百人の原告のほとんどが匿名なのはご存じの通りだが、ハンセ
ン病でも、現在療養所の在園者のほとんどが、病気そのものは治ってい
ても、なお匿名でいる人が多い。
 九州弁護士会連合会が九州、沖縄の5カ所の国立ハンセン病療養所の
在住者計2300人を対象に実施した調査によると(回答率60・5%)、
46%が偽名使用の経験があり、そのうち31%は現在も偽名を使用し
ている、と回答した。いったんハンセン病患者が出ると家族の就職、結
婚に障り、なかには一家離散、心中を余儀なくされた例さえあった時代。
患者である自分の存在を社会から消し去るための一つの手段として、名
前を変えるということを余儀なくされた実態の一端がうかがえる。
 松本清張原作の映画「砂の器」は、ハンセン病に対する社会の偏見が
小説のテーマになっている。新進音楽家が殺人を犯した動機として、ハ
ンセン病の父を持つ経歴の発覚を恐れたことが描かれている。

 (6)らい病か、ハンセン病か

 もともと学名を「癩(らい)」といい、学会の名前も「日本らい学会」、
法律の名前も「らい予防法」というのに、なぜ「ハンセン病」というのか。
「らい」ということばが社会的偏見を伴うニュアンスとして語られている
ことを嫌う患者の希望によるものである。患者団体は「全国ハンセン病患
者協議会」と名乗っている。「らい(LEPROCY)」を嫌い「ハンセン病
(HANSEN'S DISEASE)」と名乗ろうというのは、国際的な動きでもある。
これは、「エイズウイルス」を「HIV」といいかえる動きに共通するも
のを私は感じるのだが、いかがだろうか。
 ちなみに、がんこに学名としての「らい」の名称にこだわっていた日本
らい学会は今年四月、学会の名前から「らい」をなくし、「日本ハンセン
病学会」と改めた。
   
 [4]おわりに

 ハンセン病に出あった政府は、患者を社会から隔離し、彼らに子孫を残
すことを許さず、ただ死滅するのを待つ、といっても過言でないような状
況に置いた。不治の病でなくなった後も、社会復帰や偏見解消について十
分な策を講じず、戦後50年になるまで手をこまぬいていた。
 これはあくまで想像だが、人権意識が普及していなかったら、エイズに
おいても同様な措置がとられた可能性があったのではないか。毎年100
人単位で在園者が亡くなっているハンセン病療養所は、現在存続の危機に
ある。ハンセン病に対する隔離政策の過ちが指摘されぬまま現在にいたっ
ていれば、ハンセン病患者のいなくなった療養所に、代わりにエイズ患
者を隔離収容するということがありえたかもしれないのである。
問題を広げて考えてみよう。ハンセン病、エイズに限らず、偏見・差別
の問題は、つまるところ異質なものと共存できるか、これを排除するかと
いう、社会のあり方とひとりひとりの生き方にかかわる問題でもある。共
存とか共生とかいうことは簡単だが、いうほど簡単に実行できるか。ハン
セン病が完治する病気になってすでに40年以上たっているのに、今なお
社会の偏見はただされていない。まして、現状では有効な治療法がないエ
イズに対して、正確な知識でもって、できるだけ偏見なく接していくこと
は、どれくらい可能なのだろうか。
らい予防法がこれだけ放置されてきた背景には、専門家や行政の怠慢も
あるが、それだけでなく、世間がこの問題にあまりに関心を払ってこなか
ったという背景もある。社会の矛盾や不合理をただそうというとき、「無
関心」「無知」は、改革を阻害する厚い壁となってしばしば立ちはだかる。
エイズ問題でも、世間がふたたび無関心になってしまったときが、その後
の問題解決をはばむ障害になるのではないか、ということを指摘しておき
たい。

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参考文献一覧〈1〉北野の個人的なリスト

  (1) 入門書、パンフレット

 『現代のスティグマ ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難』大
谷藤郎(予防法廃止の中心人物)、勁草書房、1993年
 『らい予防法の改正を』島比呂志(療養所入園者にして作家、鹿児島
県星塚敬愛園在住)、岩波ブックレット、1991年
 『「らい予防法」と患者の人権』島比呂志、社会評論社、1993年
 『ハンセン病/資料館/小笠原登』大谷藤郎、藤楓協会、1993年
 『ハンセン病資料館』高松宮記念ハンセン病資料館運営委員会、19
95年
 『シンポジウム「らい予防法」をめぐって』晧星社ブックレット、1
994年
 年刊『藤楓だより平成七年度 特集「らい予防法」改正問題』藤楓協
会(ハンセン病問題の啓発活動をしている団体。現在は大谷藤郎氏が理
事長)、1995年
 『愛と奉仕の日々−リデル・ライトの足跡』リデル・ライト両女子顕
彰会、1995年
 『はじめに差別があった 「らい予防法」と在日コリアン』清瀬・教
育ってなんだろう会編、現代企画室、1995年

  (2) 概説書、歴史

 『隔絶の里程』長島愛生園入園者自治会編、日本文教出版、1982

 『全患協斗争史』森田竹次遺稿集刊行委員会、1987年

……

※以上は,NIFTY-Serve:GO FMEDSOC(<医と社会のフォーラム>)→3:電子会議→
2:「交差点(イベント情報・ネット医療情報)」より転載したものです。



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