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日本尊厳死協会

http://www.songenshi-kyokai.com
last update: 20140223

 ◆日本安楽死協会
 ◆安楽死・尊厳死
 ◆井形 昭弘(元理事長)
 ◆日本尊厳死協会と「痴呆」(↓)



◆2014/03/15 「協会発行のリビング・ウイルに関する検討会」の第1回会合が開かれる
 日本尊厳死協会トピックス
 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/topics/115.html

 日本尊厳死協会がつくる尊厳死の宣言書の文言を見直していくための「協会発行のリビング・ウイルに関する検討会」が13日、外部の有識者を招いて協会本部(本郷三丁目)で開かれた。 検討会は、協会の岩尾總一郎理事長や、鈴木裕也副理事長のほか、東京大学大学院医学系研究科医学教育国際研究センターの北村聖教授、東京医科歯科大学大学院非常勤講師で看護師の伊勢田暁子氏、衆院議員の政策秘書で看護師の資格を持つ友納理緒弁護士、岡山大学客員教授で前厚生労働省老健局長の宮島俊彦氏の外部委員4人を含めた計11人で構成される。
 検討会の冒頭、岩尾理事長は「法制化が実現すれば協会が発行しているリビング・ウイル(LW)が参考になるはず。現在のLWの書きぶりでよいのかどうかを検討したい」と説明した。 今後は@厚労省令で定める意思表示の書面と協会発行のLWとの整合性A医学の進歩に伴う不治の概念変化と、書面で不治を規定する必要性B認知症患者の増加に伴う意思の確認方法C自己決定権の行使による代理人・代諾者設置の必要性などについて議論していく。」

◆2014/03/14 「尊厳死法案 「「自分の最期は自分が」「周囲の空気で…危険」岩尾総一郎、平川克美 両氏が激論」(金曜討論)
 MSN Japan 産経ニュース 2014.3.14 13:00
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/140314/bdy14031412160002-n1.htm


 写真:岩尾総一郎氏(伴龍二撮影)

 本人の意思で延命措置を受けずに最期を迎える尊厳死について、法制化の動きが進んでいる。超党派の議員連盟が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」(通称・尊厳死法案)を用意、今国会にも提出する方針だ。法案では本人意思に基づく尊厳死では医師の責任を問わない内容となる見通し。法制化の是非について、「日本尊厳死協会」の岩尾総一郎理事長と、 「尊厳死の法制化を認めない市民の会」 呼びかけ人の平川克美氏に見解を聞いた。(溝上健良)

≪岩尾総一郎氏≫
死ぬ権利に裏付け必要

 −−法制化への動きが進んでいる
 「われわれは人生の最期は自分で決める、不治かつ末期の状態になったら無駄な延命治療はしないでほしい、という運動を進めてきた団体で、チューブにつながれて不本意な終末期を送る人がいる中で、終末期についての立法をお願いしてきた。ここへきて法案提出の機運が出てきたことは感慨深い。早く決めてほしいが、今国会での成立は難しいかもしれない。まずは広く国民の前で議論をしてほしい」
 −−不本意な終末期とは
 「昔は枯れるように人が亡くなっていたものだが、今は栄養をチューブで補給され、水ぶくれするように亡くなっている人が多くみられる。ロウソクの火が消えるように人が亡くなるところに、あえて医療が介入する傾向があるのではないか。本来、自分の最期は自分で決めるべきだが『先生、お任せします』となりがちで、任された医師の側としては延命治療をせざるをえない。救急の現場でよくあることだが、本人と同居の親族が『もういいよ』と言っても、遠くに住んでいる親類が延命を求める傾向がある。いまの法案では本人の意思について規定されているが、もし家族の意思も尊重するということであれば、そこに優先順位を付けておく必要があるだろう」
 −−現状では尊厳死はできないのか
 「約12万5千人が日本尊厳死協会に入り、死期が迫ったときに延命治療を断る宣言書を書いている。亡くなった会員の遺族アンケートの結果、会員の92%が尊厳死しており、活動の成果はある程度出ている。しかし『法律がないから』と断られるなど尊厳死を選べなかった方も少数いる。それは私たちとしては立つ瀬がないところだ」
 −−法制化することの意味は
 「私たちは『死ぬ権利』を持っているはずだが、それが法律では明記されていない。自分の意思で自分の人生を閉じられないとしたら、基本的人権が侵されていると思う。自己決定をすることに法的な裏付けが必要だろう。また、本人の意思に従って延命措置をしない、あるいは延命措置を中止した医師が刑事責任を問われないよう免責規定を設けることは重要で、医師は安心して本人の望む方針を採ることができるようになる」
 −−障害者団体などでは法制化への反対意見が根強い
 「私たちは常に『不治かつ末期』になったときに、と主張している。まだ十分生きられる、末期でない人に何かするなどということは毛頭、考えていない。なお、安楽死が認められている米オレゴン州では14年に及ぶ調査が行われ、安楽死が貧困層などに広がっていないことが実証されている。『尊厳死を認めることで、弱者にどんどん適用されていく』との考えは杞憂(きゆう)だ」

≪平川克美氏≫
法でなく個別の判断で −−法制化の動きをどうみるか

 「個人の死の問題に法律で枠をはめることに、ものすごく違和感がある。死はとても個人的な問題であり、個々の死はすべて違う。父親を介護した経験から言えば、本人と介護者と医師とがきちんとコミュニケーションをとっていれば、その人の死についてどうすべきかという方針は自然と出てくる。私の父親は日本尊厳死協会の会員だったが、死生観は年をとると変わるものだ。父の介護をしていて、意識障害がありながらも会話する中で『生きたい』と思っていることがよくわかった。介護者である私と医師とで何度も話し合って治療方針を探っていったが、このプロセスは絶対に必要だ。死のあり方は法律ではなく、個別に決めるのが大原則であるべきだ」
 −−尊厳死法案のどこが問題か
 「医療費を削減するという経済的な理由が背景にあり、そんな理由で決めてもらいたくはない。医療、介護はできる限りのことをするのが原則だろう。それがどこまでできるか、というのは人によって異なる。それを線を引いて一律で決めると、そこで止めてしまうことになりかねない。私の父親の場合は胃瘻(いろう)もした。その判断が正しかったか今でも迷っているが、他人に判断を委ねるのではなく、自分で迷うことは大事なことだと思う。子供が親の面倒をみる、ということは法律には書かれていないが、これは義務であるはず。その前提がこの法律ができることで崩れてしまうのではないか」
 −−延命治療をしないで、と事前に書面で意思表示することについて
 「そんなことをする必要はないだろう。周りの人に言っておけばいい話でしかない。若いころには誰しも『寝たきりになってまで生きたくない』とは思うだろうが、いざ自分がそうなったらどうか。基本的に人間は、もっと生きたいと思うものだ。延命治療を中止するといっても、どこが法案でいわれる『終末期』なのか、分からない。ただ延命治療の中止で医師が訴えられたりしないよう、免責の問題は別途考える必要があるが、それは尊厳死法とは別の話になってくる」
 −−「死ぬ権利」は認めるべきか
 「本人が死にたいのに死ねない、というのは不幸な状態で、私はいわゆる安楽死というものを認めないわけではない。しかし、終末期をどうするかは法律で決めるものではなく、当事者が引き受けるしかない問題だ。法制化で一番恐れているのは『そんなに長生きしたいのか』という空気が出てくること。個人の死に方が周囲の空気で決められるのは危険だ。なお『尊厳死』という言葉はよくない。延命措置をしたからといって、尊厳死でない死などあるのか。これが尊厳ある死に方だ、などと法律で決められたらたまらない」

【プロフィル】岩尾総一郎
 いわお・そういちろう 昭和22年、東京都生まれ。66歳。慶応大大学院博士課程修了。慶応大講師、産業医科大助教授、厚労省医政局長などを経て慶応大客員教授。平成24年から日本尊厳死協会理事長。

【プロフィル】平川克美
 ひらかわ・かつみ 昭和25年、東京都生まれ。63歳。早稲田大理工学部卒。IT関連企業・リナックスカフェ社長、立教大大学院特任教授。父親の介護体験を描いた「俺に似たひと」など著書多数。」

 ※岩尾氏「私たちは常に『不治かつ末期』になったときに、と主張している。まだ十分生きられる、末期でない人に何かするなどということは毛頭、考えていない。」について
 立岩真也2012/08/24「私には「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」はわからない」,『SYNODOS JOURNAL』→立岩・有馬[2012]
◇立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

 「第一に、「回復の可能性がな」い場合はたくさんある。障害者という人たちは、すくなくとも制度上はその身体の状態が固定された人たちを言うから、その限りでは、すべて「回復の可能性がない」。法律上の障害者の定義――それがよいものだと言っているのではない、よくないと私は考えている――などもってくる必要もない。回復の可能性のない障害・病を抱えている人はたくさんいる。すると、一つに、「当該」の――この法案では――「傷病」の治療という意味では手だてがないということであれば、それはしても無益であり、かつ治療は多く侵襲的であるから、加害的であさえありうる。それは行なう必要がない、あるいはすべきでない。だからそれはよい。もちろん法律的にも問題はない。
 すると、「かつ」の次、つまり「死期が間近」という文言が問題になる。もちろん、誰が何をもって判定するのかという疑問もある。複数の医療者が、というのがいちおうの回答のようだが、その複数の人とはほぼ同僚だろうから、どこまで有効かという疑問も当然出されている。その上で、医療者の「経験知」による「見立て」が「あと何時間」というレベルではかなり当たることは否定しない。そして「死期が間近」とはそのぐらいの時間を指すと考えるのが普通ではないか。
 となると、停止するにせよ、開始するにせよ、その短い時間のあいだに何を新たにする必要があるのだろうかと思う。できるだけその人が楽であることに気を使いながら、維持し、看守ればよい。こうした時点で、新たに手術などしないことは、現行の法律からも、別に法律論にもっていかなくても、問題にされないだろう。とすると、なぜ新たな法律がいるのかということになる。
 長く同様の法律の制定を主張し活動してきた日本尊厳死協会の(いまは前)理事長という方と、2人の副理事長という方と直接に話をさせていただく機会がこの数年の間にあった。いずれも率直なところ――しかし様々に私にはよくわからないところが残ったこと――を語ってくださった。最近では、7月3日に東京弁護士主催のシンポジウムで副理事長の長尾和宏氏(医師)のお話をうかがったが、氏は「死期が間近」な「終末期」がどのぐらいの状態・時期のことを指すのか、決めることはできない、わからないととおっしゃった。それは正直な発言ではあるが、たいへん困る。「末期」と言われて今も生きている、あるいは長く生きた人をたくさん知っているが、そういう「誤診」の可能性のこと(だけ)を言いたいのではない。そもそも「わからない」のである。そして他方、繰り返すが、私のように(たぶん)普通な言葉の受け取り方をする人にとっての「間近」なのであれば、あらためて新しいきまりを作ることもない。
 かつて、やはり尊厳死協会の人々は――これも人によって言うことが違うので困ってしまうのだが――「認知症」「植物状態」「(神経性)難病」等様々な状態について「尊厳死」の妥当性を言い、認知症を対象とすると言った時には認知症の人たちの家族の会から抗議を受けた(それでいったん引っ込めた)ということがあった。これらの人々が「間近」であることはない。そうして「間近」でない人を抜いていくと、さきほど私が述べた「正しい」意味での「間近」な人だけが残り、そこに新しいきまりは不要である。とすれば、この法律がなにか実際的な効果をもたらすのは、文案に書いてあるのと違い、「末期」でない人に対してなされる場合だということになる。これは、もう説明の用はないと思うが、よくない。」
 *最低もう一つ論点がありますがそれはまた。

◆立岩 真也 2014/02/24 「『生死の語り行い・1』がまた入り用になってしまっている・1――連載:予告&補遺・34」
 生活書院のHP:http://www.seikatsushoin.com/web/tateiwa34.html

◆日本尊厳死協会 2014.02.14 「朝日新聞社に対する要請文」
 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/topics/102.html

 朝日新聞2月12日付朝刊で、「安楽死 18歳未満も ベルギー合法化へ 7割賛成」の記事のなかで、「法制化議論 進まぬ日本」という記事が掲載されました。安楽死と尊厳死に関わる「治療行為の中止」とを混同していたため、朝日新聞社に対して、以下のような「要請文」を送りました。訂正を求めるものではなく、あくまで今後、混同しないようにお願いをしたものです。おそらく専門以外の記者がまとめたものだと思いますが、まだまだ新聞社内でも誤解があるようです。

2014年2月14日
朝日新聞社 広報部御中

一般社団法人 日本尊厳死協会
理事長  岩尾總一郎

要  請  文

 2月12日付朝刊 7ページ 「法制化議論 進まぬ日本」について、お願いがあり
ます。
 この記事は、「安楽死」と尊厳死にかかわる「延命治療の中止」とを混同しており、国民の誤解を招くと同時に、これから行われる尊厳死をめぐる法制化の議論にも大きな影響を与えることになり、ひと言、お願いをすべく、この文書を送付させていただきます。
 記事の冒頭に書かれているように、安楽死を求める法律は日本にはありません。安楽死事件をめぐる裁判の判例として、安楽死が容認される要件が示されているに留まっています。記事に例示されている、末期がんの父親を息子が中毒死させた事件も、東海大病院で患者に薬物を注射して死なせた事件も、安楽死の要件を満たしていないと医師が起訴され、有罪判決を受けました。
 ところが、東海大病院の横浜地裁判決から記事に引用されているのは、「安楽死」の要件ではなく、尊厳死に関わる「治療行為の中止」の要件です。
 さらに、今回の記事では、前記ふたつの安楽死事件と同列に06年の富山県射水市で患者の人工呼吸器をはずしてしなせたケースに言及したうえで「法整備を求める声が根強いが、安楽死の法制化に向けた具体的な議論は進んでいない」とあります。しかし射水市ケースは、安楽死ではなく、「延命治療の中止」に当たり、医師は不起訴になっています。「法整備を求める声が根強い」というのは、あくまで安楽死の法制化ではなく、「患者の意思に基づく延命治療の不開始、中止」を求める声であり、安楽死を求めているわけではありません。
 ご存知かと思いますが、死期が迫っている患者に耐え難い肉体的苦痛があり、患者が「早く逝かせてほしい」との意思を持っていることが明らかな場合でも、医師が医療行為で患者を死なせることを安楽死と呼びます。95年の東海大病院の安楽死事件判決でも、「治療行為の中止」と「安楽死」とを分けて判決理由を述べており、同列に語るべきものではありません。私たち日本尊厳死協会も、安楽死は認めていませんし、反対しております。
 いま国会では、終末期における患者の意思を尊重するための法律案が上程されようとしています。記事のように安楽死と延命治療の中止を混同されることは、法制化の議論に水をさすことになりかねません。
 本来ならば、記事全体を後半の8行(「回復の見込みがなく〜)を削除していただくのが望ましいのですが、そうなると記事として成立しなくなってしまうのは理解できます。せめて、今後、安楽死と延命治療の中止を混同なさらないよう、本社内並びに他本社・支社・総局で周知徹底されることをお願いできませんでしょうか。
 なお、この要請文は、当協会のホームページに掲載させていただくことをお断りしておきます。御社担当部署から回答をいただけた場合、その回答書について、掲載可能か不可かをお知らせいただければ、それに従います。
 この要請文の目的は、あくまで、今後、「安楽死」と「尊厳死」とを混同していただきたくないためのものであることを申し添えさせていただきます。

ご参考 御社記事

法制化議論、進まぬ日本

 日本には現在、安楽死を認める法律はないが、司法判断などをきっかけに議論が繰り返されてきた。
 1962年、末期がんの父親を息子が中毒死させた刑事事件の判決で、名古屋高裁が安楽死を適法とする要件として、「苦痛緩和が目的」「本人の依頼、承諾」など六つを示した。95年には、医師が患者に薬物を注射した事件で、横浜地裁が延命治療中止の要件として、「回復の見込みがなく死が避けられない」「患者の意思表示か、家族から患者の意思が推定できる」などを示した。その後も、2006年に富山県の病院で、人工呼吸器を外された末期がん患者ら7人が死亡した問題が発覚。法整備を求める声は根強いが、安楽死の法制化に向けた具体的な議論は進んでいない。

◆日本尊厳死協会 2014.02.14 「困ります。尊厳死も、安楽死もごっちゃでは」(コラム・ひとりごと)
 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/column/101.html

 「わが国の尊厳死法制化の動きはマスメディアでたびたび取り上げられるが、安楽死法制化の動向を伝える記事はまず見かけない。国内には安楽死を求める動きがほとんどないからである。
 だから、朝日新聞朝刊(2月12日)の国際面には、わが目をこらした。18歳以上の安楽死を合法化したベルギーで対象年齢の制限をなくす動きがあり、そのベルギー事情を伝えている。その関連で「法制化議論、進まぬ日本」という囲み記事をあった。
 「日本には現在、安楽死を認める法律はないが…」と書き出し、「法整備を求める声は根強いが、安楽死の法制化に向けた具体的な議論は進んでいない」で結ばれていた。目をこらしたのは、書き出しと結びをつなぐ説明である。
 説明材料に、横浜地裁判決(1995年)が判示した「延命治療中止要件」と、富山県の病院で人工呼吸器外し発覚(2006年)が記されている。(だから)「法整備を求める声は根強いが」と受け、「安楽死の法制化に向けた…」と展開している。
 ちょっと待ってくれよ! 紙面に向かって思わず叫んだ。延命治療中止要件も、富山の病院(射水市民病院のこと)の件もいわば「尊厳死」にかかわることだった。それを材料に安楽死を語るとは筋違い≠セし、論理展開がおかしい。
 「尊厳死」も「命を絶つ安楽死」とひとくくりにされる誤解が世に生じているが、きっとこんな記事もそれに一役買っているのではないか。すぐ朝日新聞社に電話をかけ、読者応答係にその旨の意見を申し上げた。「担当部署には必ず伝えます」と丁寧な応答があったが、さて、さて。 (し)」(全文)

■言及

◆立岩真也 2012/08/24 「私には「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」はわからない」,『SYNODOS JOURNAL』→立岩・有馬[2012]*
*立岩真也・有馬斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [電子書籍][amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

  「[…]長く[…]法律の制定を主張し活動してきた日本尊厳死協会の(いまは前)理事長という方と、2人の副理事長という方と直接に話をさせていただく機会がこの数年の間にあった。いずれも率直なところ――しかし様々に私にはよくわからないところが残ったこと――を語ってくださった。最近では、7月3日に東京弁護士主催のシンポジウムで副理事長の長尾和宏氏(医師)のお話をうかがったが、氏は「死期が間近」な「終末期」がどのぐらいの状態・時期のことを指すのか、決めることはできない、わからないととおっしゃった。それは正直な発言ではあるが、たいへん困る。「末期」と言われて今も生きている、あるいは長く生きた人をたくさん知っているが、そういう「誤診」の可能性のこと(だけ)を言いたいのではない。そもそも「わからない」のである。そして他方、繰り返すが、私のように(たぶん)普通な言葉の受け取り方をする人にとっての「間近」なのであれば、あらためて新しいきまりを作ることもない。
  かつて、やはり尊厳死協会の人々は――これも人によって言うことが違うので困ってしまうのだが――「認知症」「植物状態」「(神経性)難病」等様々な状態について「尊厳死」の妥当性を言い、認知症を対象とすると言った時には認知症の人たちの家族の会から抗議を受けた(それでいったん引っ込めた)ということがあった。これらの人々が「間近」であることはない。そうして「間近」でない人を抜いていくと、さきほど私が述べた「正しい」意味での「間近」な人だけが残り、そこに新しいきまりは不要である。とすれば、この法律がなにか実際的な効果をもたらすのは、文案に書いてあるのと違い、「末期」でない人に対してなされる場合だということになる。これは、もう説明の用はないと思うが、よくない。」

◆立岩 真也 2010/03/00 「良い死?/唯の生!」,(財)日本宗教連盟シンポジウム実行委員会編『「尊厳死法制化」の問題点を考える』,日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポジウム報告書, pp.21-43*
 *井形昭弘(当時理事長)も参加されました。

◆斎藤 義彦 20021225 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』,ミネルヴァ書房,240p. ISBN:4-623-03658-8 2000 ※ [amazon][kinokuniya]
 cf.
 立岩 真也 2003/08/25「その後の本たち・1」(医療と社会ブックガイド・30),『看護教育』44-08(2003-08):(医学書院)

◆山口研一郎(大阪府高槻市・脳神経外科医、「現代医療を考える会」代表・49歳)
 「人命軽視政策を支える日本尊厳死協会の主張」
 http://www.geocities.com/usoda_inchiki/tousho/239.html


■催し等

◆2013/11/23 第2回リビングウィル研究会・案内
 http://www.songenshi-kyokai.com/LW-2nd-flier.pdf

◆2013/06/09 第1回リビングウィル研究会
 http://www.songenshi-kyokai.com/

◇開催日: 2013年6月9日(日)
◇主 催: 一般社団法人 日本尊厳死協会
◇会 場: 政策研究大学院大学 想海樓ホール

総 合 司 会 丹澤 太良 (日本尊厳死協会 理事)
第1部・座長 岩尾 總一郎 (日本リビングウイル研究会 代表幹事)
第2部・座長 長尾 和宏 (日本リビングウイル研究会 副代表幹事)

ビデオ報告(1)
「第1回 日本リビングウイル研究会」開会のご挨拶
当代表幹事 岩尾總一郎より研究会の設立趣旨のご説明と発足のご挨拶です。

ビデオ報告(2)
第1部 講演者ご紹介
第1部座長の岩尾總一郎より、講演者の松尾幸郎さんをご紹介します。

ビデオ報告(3)
第1部 講演「リビングウイルの必要性-日米での生活体験から-」
2007年に交通事故で全身不随になりながら一命を取り留めた妻の巻子さんと、支える幸郎さんの、いのちに向き合う日々。
米国に20年滞在した松尾さんが実感する日本と欧米諸国の間にある、「リビングウイル」や「医療代理人制度」、「患者の権利」に対する考え方の大きな隔たり。松尾さんが考えた尊厳死とは。

ビデオ報告(4)
第1部 座長コメントと質疑応答
松尾さんの講演に対する協会としての見解と、会場の皆様・講演者・座長間で交わされた質疑応答です。
ターミナル患者の精神的苦痛・社会的苦痛に対する救済は。在宅医師、透析医師の現場における苦悩とは。

ビデオ報告(5)
第2部 シンポジウム「新・私が決める尊厳死」開会のご挨拶
第2部座長の長尾和宏より、開会のご挨拶です。

ビデオ報告(6)
第2部 講演「救急救命処置に続く救命処置」
藤田保健衛生大学総合救急内科・岩田充永准教授
救急の現場で考える「尊厳死」を本音でお話し頂きました。一度始まった救急措置を止めることは出来るのか、ご本人の意思と家族の意向はどちらが尊重されるのか。

ビデオ報告(7)
第2部 講演「回復不能な遷延性意識障害」
鈴鹿医療科学大学・葛原茂樹教授
遷延性意識障害の段階的病態と尊厳死。自分がそうなるかもしれないことを想定してリビングウイルを作成しておくことの必要性をお話し頂きました。

ビデオ報告(8)
第2部 講演「認知症」
国立長寿医療研究センター在宅連携医療部・三浦久幸部長
2人に1人がなると言われる「認知症」。認知症に末期という定義はあるのか、胃ろうなど経管栄養の差し控えについてなど具体的にお話し頂きました。

ビデオ報告(9)
第2部 講演「腎不全における不治かつ末期とは」
春日井市民病院・渡邊有三院長
我が国の人口411人に1人が透析患者という現状で、継続中止・不開始の基準を作ることの重要性を指摘。患者が意志決定するまでのプロセスが大事であり、十分な医療情報を提供した上での自己決定は尊重されるべき。揺れている医療現場をお話し頂きました。

ビデオ報告(10)
第2部 講演「筋委縮性側索硬化症(ALS)など神経性難病」
神経内科クリニックなんば・難波玲子院長
神経性難病の分野で延命処置を希望しない場合の留意点などを具体的にお話し頂きました。人工呼吸器などを緊急装着された後の患者の意思はどう尊重出来るのか、進行した病態での急変は自然経過と捉えるこべきなのか。
医師と在宅支援者間で情報を共有し、コミュニケーションを密にし、特に事前指示を明確にしておくことが大事です。

ビデオ報告(11)
第2部 会場オーディエンスと執筆者によるディスカッション
終末期の周辺には様々な心配事や問題点があります。死をタブーとせず、家庭の中で、あるいは教育現場では初等教育から、医学生においては卒業要件に組み入れたり、卒後教育として導入する必要があるのではないか。
海外ではリビングウイルを尊重しないのは人権無視であると言われるのに、なぜ日本では違うのか。弁護士も含めて多角的に真剣に話し合いました。

井形 昭弘 2009/12/18 報告,日本宗教連盟第4回宗教と生命倫理シンポジウム・「尊厳死法制化」の問題点を考える 於:東京・ホテルグランドヒル市ヶ谷,

小松 美彦・荒川 迪生 20080201 「尊厳死をめぐる闘争――医療危機の時代に」(対談)
 『現代思想』36-2(2008-2):62-87(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)
 荒川 迪生:あらかわ みちお・医師/日本尊厳死協会

◆2007/03/07 「延命中止に判断基準 尊厳死協会試案 病態ごとに明示」
 『中日新聞』2007-03-07
 http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070307/mng_____sya_____000.shtml

◆2005/06/07 「尊厳死法制化求め請願書提出」
 NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/2005/06/07/k20050607000085.html

……

 
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■日本尊厳死協会会則

 第1条(名称)
 本会は日本尊厳死協会(旧称・日本安楽死協会)と称する。

 第2条(事務所)
 本会は本部事務所を東京都に置く。必要に応じて支部を設けることができる。

 第3条(目的)
 本会は尊厳死についての調査、研究ならびにその思想の普及をはかることを目的とする。

 第4条(事業)
 本会は前項の目的達成のため次の事業を行う。
   「尊厳死の宣言書」(リビングウィル)の登録、保管、証明。
   講演会、研究会の開催。
   会報の発行。
   尊厳死に関する論説、資料の出版。
   尊厳死の法制化運動の推進。
   国際尊厳死運動及び人権運動との連繋。
   其の他目的達成に必要な事業。

 第5条(会員)
  本会の趣旨に賛成し、その目的に協力するものを会員とする。
  会員は次の2種とする。
   正会員 年会費 3千円〔夫婦で入会する場合<年会費4千円(2人分)〕
   終身会員 会費 10万円〔夫婦で入会する場合 15万円〕
  会員は会員カードの交付を受け「尊厳死の宣言書」を本会に登録することができる。又,会報(年4回)配布を受け、研究会に出席できる。

 第6条(役員)
  本会に次の役員を置く。任期は2年とし重任を妨げない。
  会長1名、理事長1名、理事若干名、監事2名。
  会長は本会を代表し会務を総括する。
  会長事故ある時は、理事長がその職務を代行する。
  理事は理事会を組織し会務を議決する。
  理事会は会長の承認を得て、理事長が招集する。
  理事会の議長は会長とし、会長に差し支えのある場合は理事長がこれに当たる。
  会長は理事の中から常任理事若干名を委嘱する。 
  常任理事は理事会の議決に基づき会務を執行する。
  監事は会計を監査する。

 第7条(評議員)
  本会に評議員若干名をおく。任期は2年とし、重任を妨げない。評議員は評議員会に出席して議案の議決、役員の選挙を行う。評議員会は総会に代わる議決機関として、年一回以上開催する。評議員は会員の中から理事会が推せんする。評議員会は会長が招集する。

 第8条(顧問)
  本会に顧問をおくことができる。顧問は理事会の承認を得て会長が委嘱する。顧問は理事会の相談に応じ、意見を述べることができる。

 第9条(経理)
  本会の経理は、会費、事業収入、寄付金を以てこれに充てる。会計年度は毎年4月1日に始まり翌年3月31日に終わる。

 第10条(内規)
  会長は理事会にはかり、会の運営のため必要な細則を定めることができる。
  この会則は昭和61年2月10日より施行する。

 
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■尊厳死の宣言書(リビング・ウィル Living Will)

                            協会記入欄

                      登録番号          

                      年月日    年  月  日


 私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。

 この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。

 従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

(1)私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。

(2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。

(3)私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。

      年  月  日

   自署
  フリガナ
   印    明治 大正 昭和 年 月 日生

   氏名
   住所   □□□−□□ 

 「尊厳死の宣言書」の登録について
 この書類は一通つくって協会に送る。協会は登録番号を附して其の一通を保管し、コピーの二通を返送する。一通は本人が所持し、一通は最近親者(配偶者、親、子、後見人)が所持する。尊厳死の宣言書は、必要が生じたときに医師に提示して下さい。
 万一、主治医が理解されない場合は、あなたの会員登録番号と主治医の住所氏名をお知らせ下さい。当協会から主治医にご理解をお願いいたします。

 〒113 東京都文京区本郷2-29-1 渡辺ビル202 電話 03-3818-6563

       日本尊厳死協会

 入会申込書

  フリガナ
 男・女      職業    (現・元)

           生年  月  日 明治・大正・昭和  年  月  日生

氏名
住所 □□□−□□
TEL  −  −

入会したく○をつけた種類に会費をそえて申し込みます。

1.正会員  年会費3千円(ご夫婦で入会される場合 年会費 2人分4千円)

2.終身会員 会 費10万円(ご夫婦の場合15万円)

  会員カードの交付、「尊厳死の宣言書」登録、会報(年4回)配布、研究会出
  席自由。

  日本尊厳死協会 会長殿

※ご夫婦で入会される場合は、各自別用紙で署名願います。

 ご入会手続きは、本部(〒113 東京都文京区本郷2丁目29-1 渡辺ビル202) 
                   電話 03(3818)6563 宛ご提出下さい。

 送金は 郵便振替口座 東京 3-16468番で郵便局からお送り下さい。

 
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■文献

◆日本尊厳死協会編, 19840430, 『安楽死論集第8集』人間の科学社
◆日本尊厳死協会 編 19850510 『安楽死論集 第9集』
 人間の科学社,191p 1000 d
◆日本尊厳死協会 編 19860930 『「脳死」をめぐって――科学技術社会における生と死』人間の科学社,,安楽死論集10,206p 1400 d
◆日本尊厳死協会 編 19881031 『誰もが知っておきたいリビング・ウィル』,人間の科学社,安楽死論集11,233p. ISBN:4-8226-0107-2 1200 [amazon][boople] ※
◆日本尊厳死協会 発行 19881031 『リビング・ウィルQ&A』,日本尊厳死協会編[1988:201-233]
◆佐羽 城治・沖 種郎・藤田 真一 編 19891020 『尊厳死へのパスポート』,人間の科学社,226p. 1236 ※ d et **
◆日本尊厳死協会 編 19900320 『尊厳死――充実した生を生きるために』,講談社,264p. ISBN: 4062046555 1733 [amazon][boople] ※ d01.et
◆沖 種郎 1991 『尊厳ある死』,二見書房 ※
◆日本尊厳死協会 編 19920210 『シニアのための尊厳死読本』,三省堂,WACシニア・シリーズ2,209p. 1500 *
成田 薫 編 1996 『年表が語る協会20年の歩み』,日本尊厳死協会
 http://www.songenshi-kyokai.com/syuppanbutsu.htm
成田 薫 編 1996 『そこが聞きたい知りたい尊厳死問答集』,日本尊厳死協会
 http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/songensi.html
 http://www.songenshi-kyokai.com/syuppanbutsu.htm
◆日本尊厳死協会 監修 19981224 『自分らしい終末「尊厳死」――尊厳死を受け入れる医師ガイド・付』,法研,391p. ISBN: 4879542725 1890 [amazon] ※ b d01 et
◆成田 薫(日本尊厳死協会会長) 19980110 「尊厳死思想とその根底にあるもの」,日本ホスピス・在宅ケア研究会編[1998:41-51]*
*日本ホスピス・在宅ケア研究会 編 19980110 『徹底討論 安楽死 尊厳死 リビング・ウイル――豊かな生を求めて』,岐阜新聞社出版局,198p. ISBN-10: 4905958547 ISBN-13: 978-4905958543 952+ [amazon] ※ b d01 et

 
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◆1993
 「日本尊厳死協会
  故太田典礼氏が提唱した日本尊厳死協会は1976年に設立され、十数年の苦難の時期を経て死ぬ権利運動がようやく社会に容認されるようになりました。会員は1990年8月に1万人に達しましたが、その後尊厳死に対する社会的動きと相まって、その数はうなぎ登りに増えています。1991年末に3万人に達した会員は、1992年末には5万人の大台に乗りました。
 当協会のアンケート調査では、 93.54%の医師が尊厳死(個人の意志)を認める医療行為を施してくれています。
 宣言書(リビング・ウィル)、入会申込書を求める手紙や電話の問い合わせも多く、1992年の3月には1万人分以上の資料をお送りするほどでした。
 リビング・ウィルの文面と入会申込書等のお問ん合わせは下記の通りです。」
 (p.254)
 細郷 秀雄 19930208 『わたしは尊厳死を選んだ――ガンに生きた900日』,講談社、253p. 1700(日本尊厳死協会推薦)より

◆2002/12/16 尊厳死協会の会員10万人に 末期医療に自己決定の流れ
 共同通信ニュース速報

 「回復の見込みがない病気で死期が迫ったと診断されたら、無理な延命治療はしないでほしい―との意向を記した「尊厳死の宣言書」(リビングウイル)を医師に示す運動を続けている日本尊厳死協会(東京都文京区、北山六郎会長)の会員が、十六日までに十万人を超えた。
 一九七六年一月の発足からほぼ二十七年。尊厳死を望む人がここまで増えたことについて同協会は「社会の高齢化が急速に進み、末期医療における自己決定に対する関心が高まったことなどが背景にあるのではないか」(高井正文事務局長)と分析している。
 同協会は当初「安楽死協会」との名称でスタートしたが、積極的な安楽死を進める団体と誤解される恐れがあるとして八三年、現在の名称に改めた。
 会員の急増が目立ち始めたのは九〇年。日本医師会の生命倫理懇談会が初めて尊厳死容認姿勢を示し、ライシャワー元駐日米大使が米国で尊厳死を選んだことが大きく報道された年だ。
 東海大病院で、いわゆる「安楽死」事件が起きた九一年には、一万人台だった会員数が一挙に約三万人に。その後も会員数は伸び続け、今月十三日現在で十万三百七十一人に達した。
 会員は十六歳から百四歳までいるが、四人中三人が六十五歳以上。身内の介護経験などを反映し、全体の七割近くを女性が占めるという。
 九八年に厚生省(当時)が実施した調査では、痛みを伴う末期状態で単なる延命治療を続けることに、一般国民の約七割、医療従事者の約八割が否定的だった。厚生労働省は来年、あらためて意識調査を実施する予定だ。(了)」
[2002-12-16-07:53]

 
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山口 研一郎(大阪府高槻市・脳神経外科医、「現代医療を考える会」代表・49歳) 19981016 「人命軽視政策を支える日本尊厳死協会の主張」,『週刊金曜日』第239号
 http://www.kinyobi.co.jp/old/mokuji_oldf/239
 http://www.geocities.com/usoda_inchiki/tousho/239.html(接続できず 2008.3.27)

 *しばしばHP上の文章が消えてなくなってしまうことがあるので、以下、上記のファイルの文章そのままです。ですから、以下の引用でなく上記のHPの方に直接あたっていただきますようお願いいたします。

 「225号(7月3日)より236号(9月25日)まで12回連載の「尊厳死考」について、企画そのものに疑問を持った読者が多いのではないか。なぜなら、執筆者の足立公一郎氏が事務局長を務める日本尊厳死協会の社会的役割には、不可解な面が多いからである。
 それは、以下のように論理の一貫しない文章が各回ごとに書かれていることにも感じられる。〈私は合法、非合法を問わず、安楽死を第三者の「死なせ方」とする定義に賛成……国の判例を待つまでもなく、安楽死の法的見解を示す必要がある〉(7回)、そのために、〈私たちの協会の前身である安楽死協会が「末期医療の特別措置法」を草案したが、から振りに終わった……立法化の動きもなく、後進性の強い国〉(4回)、しかし、〈(各国で安楽死論争が高まり、安楽死法を認めた国もあるが)私たちの協会は安楽死にはあくまでも反対の立場〉(11回)、一方、〈地域ぐるみの医療体制ができて、望む医療を望む場で受けられる(ようになってほしい)〉(12回)。足立氏が論じる「尊厳ある死」「死の自己決定」の底に潜む基本理念について、同協会の歴史から掘り起こしてみよう。
 1983年に「安楽死」の持つイメージに対する国民感情を考慮し、日本安楽死協会(1976年設立)は現在の名称に変更された。設立者の太田典礼氏は、戦前・戦後を通じ、無産者診療所運動を始めとして労働者・農民のための医療を模索した人であった。1973年『安楽死のすすめ』(三一書房)を世に出し、「無益な老人は社会的に大きな負担である」(125ページ)、「公害など不良環境や劣等遺伝子による障害児がふえている。いま世界の人口過剰が大問題になっており、量より質が重要視され、健康人間・健全社会をめざしている」(158ページ)と論じた。協会設立3年後の1979年には、国会に「末期医療特別措置法案」(いわゆる安楽死法案)が提出された。それに応えるように、1985年厚生省より、“生命と倫理に関する懇談会”報告が出され、「植物状態患者・ターミナルケア」の項では、「臨床の場では長い間、患者の延命が…」として、あたかも患者の存在そのものが家族ひいては社会への負担であるかのように表現された。
 紙面の都合で逐一論争はできないが、特に協会が会員への携帯を奨励し、医師への協力を求めているリビング・ウィル(「尊厳死の宣言書」)について、論評したい。10回目に紹介されている3項目中、Bの「数カ月以上植物状態が続いたときは、いっさいの生命維持措置はやめて下さい」という項についてふれる。「数カ月以上の植物状態」とは曖昧な表現であるが、私はかつて交通事故による頭部外傷で「植物状態」が1年9カ月続いた後、意識を回復し、それから7年後の現在、建設会社で設計の仕事に携わっている20代の青年を担当した。4年前には某週刊誌に「植物状態から生還した26歳青年が訴える尊厳死への疑問」として紹介され、全国の同様な家族を抱える人々に、限りない希望を与えた。「措置」には最低限の栄養補給も含まれるが、意識障害者のための全国で数少ない医療施設「千葉療養センター」の堀江武院長は、十数年の経験から「植物状態とは、周囲のことは理解しながらも自ら意思表示ができないコミュニケーション障害である」として、栄養中止により餓死させることの非人道性を訴えておられる。
 現在進行中の医療制度の改悪(受益者負担の大幅増)、介護保険法を基本とする福祉制度の見直しは、人々が長生きし障害を負っても人間らしく暮らせるための条件にはほど遠い。すでに一部の老人病院や施設では、必要な治療や食事をひかえて死に至らしめる自然死という名の強制死が横行している。協会はこのような現実にこそメスを入れるべきであり、それを放棄し、人々に「死を選ぶ権利」を唱えることは、結局政府の人権・人命軽視政策を支えることになりかねない。」

 
 
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◆日本尊厳死協会 2003/12/01 「尊厳死に関する法律案要綱」

旧URL:http://www.alpha-web.or.jp/songensi/index.htm


 
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■日本尊厳死協会と「痴呆」

198112 日本尊厳死協会「新運動方針」
……
1993  「「日本尊厳死協会」(事務局・東京都)は、一九九三年、協会の発行するリビング・ウィルを変更し、「重度の認知症になったら尊厳死」を行う条項を加えるかどうかの検討を行なった。会員から「生き恥をさらしてまで生きていたくない」「介護で家族が苦しむ」などの声が寄せられたためだ。同年に内部に委員会を設置、リビング・ウィル修正を検討し始めた。」(斎藤[2002])
1995  「一九九五年には会員に対するアンケートも実施。八五%の賛成意見が寄せられた。そこで、リビング・ウィルとは別の紙に「重度老年期痴呆になったら延命措置を拒む」ことを書く試案が作られた。日時や場所を認識で<184<きない/徘徊(ルビ:はいかい)する/夜中騒ぐ/便を食べたりする――などの症状が出て、複数の医師が「重度の老年期痴ほうで回復の見込みがない」と診断したケースで、他の疾患を併発した場合などに延命措置を断るとしている。たとえば、肺炎などの合併症が出ても抗生物質の投与など治療は行なわず、体が衰弱しても栄養補給の措置はとらないこと――などを求めることができるという。」(斎藤[2002])
199607 (社)呆け老人をかかえる家族の会、日本尊厳死協会に申し入れ
(社)呆け老人をかかえる家族の会 19960825 「「ぼけ」と「尊厳死」問題に関する申し入れ書」,『老人をかかえて』(19960825):12-13

◆198112 日本尊厳死協会「新運動方針」

◇立岩 真也 20001010 「死の決定について」,大庭健・鷲田清一編『所有のエチカ』,ナカニシヤ出版:149-171

 「日本尊厳死協会」の「新運動方針」(一九八一年十二月)に次の文章がある★07。
 「三、自殺をすすめたり助けたりしない
 自殺の自由は認める。罪悪視したりしない。健全な精神の持主は見苦しい死を避けたい、ボケてなお生きたいとは思わないのだが、自殺は自ら行うことで、第三者の手による積極的安楽死と混同してはならない。従って『自殺の手引き』は発行しないことに決定した。」  この民間団体が行なっていることを否定しようというのではない。全体としてこの文章の文意の通らないことを問題にしようというのでもない。ただ、こう言うのか、と言うこと、広範な支持を受けつつあるこの団体の、その広範な支持を支えているものを、受け入れながら、しかし、それに対して、なお言うことである。

◆(社)呆け老人をかかえる家族の会 19960825 「「ぼけ」と「尊厳死」問題に関する申し入れ書」,『老人をかかえて』(19960825):12-13

石井 暎禧 19980501 「みなし末期という現実――広井氏への回答」,『社会保険旬報』1983(1998.5.1):14-19,1984(1998.5.11):36-29,1985(1998.5.21):32-35 http://www.sekishinkai.or.jp/ishii/opinion_tc02.htm(不通)
 第二章 「現状認識について」 − みなし末期という現実 −
 「4.呆け老人と尊厳死協会(みなし末期の諸相1)
 「老人に対する医療の否定」の最たるものは、対応能力の低下した、立場の弱い痴呆老人に向けられている。近年、尊厳死協会には、呆けを尊厳死の要件にしようとする動きがあり、「(社)呆け老人をかかえる家族の会」<0038<が、「これは呆けに対する偏見・誤解に基づくものであり、このような議論がいっそうの偏見・誤解を広める」と抗議している。
 「申し入れ書」の要旨を紹介しよう。『まず「ぼけ」の人は「死に直面」していません。体の元気な状態のぼけの人をどうして「尊厳死」させるのですか』「痴呆の症状と身体的重篤とは必ずしも一致しません」『どんな疾病にも共通する最末期の状態以外に、「ぼけ」を「尊厳死」の対象とすることは、やがて「ぼけ」以外の知的・身体的・精神的な障害をもその対象に加え兼ねない危険性をはらむと危惧します」『貴協会の会員が「痴呆は非尊厳の最たるものである」などと述べられていますが、これは重大な「ぼけ」に対する偏見と誤解です』「本人自身は、そのような状態の中でも、懸命に生きていこうとしているのです」と述べ、『貴協会が「ぼけ」を対象にしないという立場を明確にされる』ことを求めている。これに対する尊厳死協会の回答はない。
 伝えられる老人性痴呆の「異常行動」「迷惑行動」などが、尊厳死協会員をふくむ多くの人は、痴呆状態を「非尊厳的」と受けとめたり、医療や介護が困難であると理解されている。このため功利的判断により、死ぬのはやむを得ないと考えられがちである。だが「異常」な反応と他人からはみなされる行動は、本人からすれば、「正常」な反応にすぎないことがほとんどである。アルツハイマー型の痴呆の中核的な症状は、「新しく記憶ができない、逆行的な健忘が進む」ということである。このような病態を前提にして、老人の行動をみれば、全てまともな反応なのだ。突然10年さかのぼって、見知らぬ人と場所にいることを発見した老人、その瞬間だけを生きる老人を、どう理解し、どのような関係を作るか、介護の根本はここにある。ケアされていることを忘れるため老人から感謝は示されず、介護する人は報われないと感じるかもしれない、しかし良い関係ができることが感謝の表れであり、成果である。痴呆老人の行動を「異常」とみないことから介護は始まり、良い関係がつくられ、「異常行動」は消える。「非尊厳状況」を作り出しているのはケアなのだ。このような生活環境づくりが、痴呆老人へのケアである、これを生活ケアといってもよい。ところでこの老人が病気にかかった時、どうすべきか、たしかにこの老人を病院に移し治療しようとすれば、きわめて困難な事態が生ずる。まず環境の変化に対応できない、病院に居る理由が分からない(正確にいえば、すぐ忘れる)。治療の意義もすぐ忘れる。医療を可能にするためには、完全な信頼関係が前提となる、そのため、もっとも「適切な医療」は生活の場・介護環境のなかで、提供される医療である。現代医療技術はこれを可能にしてきた。どうしても入院でなければ不可能な手術でさえもデイサージャリーや腹腔鏡下手術の拡大・普及によって変わってきている。医療の困難性は減少している。そのため緩和ケアや制限医療を前もって一律に決めるべきとは思われない。
 麻酔技術の進歩による疼痛の緩和や、このような医療技術の変化によって、功利的判断以外には、安楽死の必要性が低下しつつあるにもかかわらず、むしろそうであるがゆえに、尊厳死協会や「報告書」は痴呆状況を末期とみなして、「消極的安楽死」を認めようとしているのではないか。
 医療経済学者の西村周三氏の場合は、功利主義の立場(?)から、2010年になれば、老人医療費が大きな問題になるので、末期であるかどうかは関係なく、アルツハイマー病になれば、医療を行わない選択があって良いし、入院はさせないと言う考えがあっても良いという、尊厳死協会以上にすっきりした考えを明らかにしている(「医療98」5月号)。」

横内 正利 19980721 「高齢者の自己決定権とみなし末期――自己決定権の落とし穴」,『社会保険旬報』1991(1998-7-21):12-16,1992(1998-8-1):30-34

 「日本尊厳死協会は、一九七六年に設立され、リビングウィルにいち早く取り組んだ先進的な民間団体として、一定の評価を受けている。筆者自身もこれまではそのように考えていたが、最近になって、首を傾げるような動きが見られるようになった。それは、同協会が痴呆をも尊厳死の対象にしようと試みたからである。
 従来から、同協会の体質については疑問視する声もあった。前述の市野川氏は、日本尊厳死協会について、次のようにコメントしている。
 […『イマーゴ』論文から引用…]
 しかし、日本尊厳死協会にそのようなことが果たしてできるであろうか。同協会が、痴呆をも尊厳死の対象にしようとしたことはある意味で必然かも知れないからである。この試みに対しては、「呆け老人をかかえる家族の会」<0013<から強い抗議があったため、その後撤回された。しかし、その理由は、時期尚早ということであり、痴呆を尊厳死の対象にしないことを確約するものではなかった。このような日本尊厳死協会の体質には、「自己決定権」を表看板にしてはいるものの、弱いものを差別し切り捨てようという、太田典礼の優生思想が脈々と受け継がれているのではないかという疑念を筆者はぬぐい去れない。
 もし、そうでないというのなら、「呆け老人をかかえる老人の会」の抗議に対して、同協会は誠意を持って答え、そして、痴呆や弱い人たちを理解し保護しようという姿勢を示すべきである。
 ちなみに、「呆け老人をかかえる家族の会」の申し入れ書のなかでは、痴呆性の高齢者の姿が実によく捉えられており、感服する。詳細は石井氏の論文を参照されたい。それにひきかえ、一部医師の痴呆に対する無理解と偏見は目を覆うばかりである。この点については、次号で詳述したい。」(横内[1998:13-14])

斎藤 義彦 20021225 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』,ミネルヴァ書房,240p. ISBN:4-623-03658-8 2000 ※ [amazon][boople][bk1] ※ b d01 et t02

 第7章 「末期」「尊厳死」概念の混乱 (の冒頭部分からの引用)
 「「痴呆症にも尊厳死」
 「重度痴呆になったら延命措置はやめて――。リビング・ウィル(延命措置に関する事前指示書)で末期状態の延命措置を拒否する「尊厳死」を、日本で広めようと運動している「日本尊厳死協会」(事務局・東京都)は、一九九三年、協会の発行するリビング・ウィルを変更し、「重度の認知症になったら尊厳死」を行う条項を加えるかどうかの検討を行なった。会員から「生き恥をさらしてまで生きていたくない」「介護で家族が苦しむ」などの声が寄せられたためだ。同年に内部に委員会を設置、リビング・ウィル修正を検討し始めた。一九九五年には会員に対するアンケートも実施。八五%の賛成意見が寄せられた。そこで、リビング・ウィルとは別の紙に「重度老年期痴呆になったら延命措置を拒む」ことを書く試案が作られた。日時や場所を認識で<184<きない/徘徊(ルビ:はいかい)する/夜中騒ぐ/便を食べたりする――などの症状が出て、複数の医師が「重度の老年期痴ほうで回復の見込みがない」と診断したケースで、他の疾患を併発した場合などに延命措置を断るとしている。たとえば、肺炎などの合併症が出ても抗生物質の投与など治療は行なわず、体が衰弱しても栄養補給の措置はとらないこと――などを求めることができるという。
 一見、リビング・ウィルは痴呆症にも有効のように見える。しかし「痴呆症の尊厳死」は、「延命措置中止」の基準から大きく逸脱している。前章でみた東海大病院事件の判決にある通り、消極的安楽死を含めた「治療行為の中止」が社会的に許されるためには、@治療を中止する時点で患者の意思表示がある、A患者が回復不可能で、死が避けられない末期状態にあること――が最低条件だ。しかし、痴呆症は「死が避けられない」状態でも「末期状態」でもない。死が迫っていない人が肺炎などを起こした時、故意に治療しなければ、それは間違いなく「殺人」だ。本人からの要請があるといっても、自殺ほう助や嘱託殺人罪に問われる可能性が高い。
 この修正案は痴呆老人を支える家族に強い衝撃を与えた。この問題がマスコミで取り上げられたことをきっかけに、一九九六年七月、市民団体「呆け老人をかかえる家族の会」が「『ぼけ』への偏見、誤解がある」として「ぼけ」を「尊厳死」の対象としないように求め、尊厳死協会に申し入れを行なった。申し入れは@ぼけは死に直面していない、Aぼけの人が重篤になれば、症状は他の病気と共通で、わざわざ「ぼけ」をうたう必要はない、B「ぼけ」は、周囲の対応の仕方や福祉の充実で人間らしく生きていくことができる、Cぼけに対する保健・医療・福祉の充実が<149<先決――と訴えた。

くすぶる危うい議論
 同協会は理事会で対応を検討。一九九六年七月、リビング・ウィル修正を「時期尚早」と見送った。この問題はそこで終了しているはずだった。しかし、議論はその後もくすぶり続ける。協会の理事長は当時、成田薫弁護士がつとめていた。成田弁護士は一九六二年、寝たきりの父親に殺虫剤入りの牛乳を飲ませ、死なせた男性に、嘱託殺人の有罪判決を下した名古屋高裁の裁判官の一人だった。元々、より刑の重い尊属殺人で起訴された事件だったが、裁判所の主導で、訴因が嘱託殺人に変更された。この判決は安楽死が許される六つの要件を示し、それは、東海大病院事件の判決で出された積極的安楽死を認める四要件の基礎になった。
 成田理事長は、同年九月、「家族の会」に申し入れの回答を送った。回答は議論の打ち切りを知らせてはいたが、「痴呆症の尊厳死」への強いこだわりを示していた。「議論の中心は、助かる見込みのない重度老年期痴呆に限られており、しかもその人の人生最後の、唯一の願(事前の自己決定)を容れて、延命措置だけをやめるなら、法的にも人道的にも、それがむしろ当然の措置でなんら問題はないはず。どうしてこれが世間の一部の人が言うように、弱者の切り捨てになるのか、どうして福祉の充実に逆行するというのか全く理解しがたく、誤解も甚だしいと評する外ない」。「家族の会」との認識のズレは一向に埋まっていないことを示す内容だった。<150<
 成田弁護士は一九九七年、毎日新聞のインタビューに応じ、「重度老年期痴呆は尊厳があるとは言えない。理性も知性も失われた動物に近い状態で生き恥をさらしたくない、という会員の願い強い。痴呆条項について、時期尚早として議論を打ち切ったが、否決したわけではない。数年後に、議論する時期がくる」と、協会が議論を蒸し返す可能性を示唆した。
 (中略)<152<
 重度の認知症は立派に生きている人間だ。そして医療の「自己決定権」は「死ぬ権利」ではない。末期でも、死が迫っているわけでもない人間に「痴呆症はみじめでいや」「介護の負担が大きい」など、一方的な価値観や社会制度の貧困を理由に「死」をもたらしてもよいとする論理は、「生きる価値がない」と障害者を大量に安楽死させたナチスと変わりがない。」(齋藤[2002:148-152])

◇立岩 真也 2003 「その後の本たち・1」

 「この本はこの種の文章に時にみられる両論併記(をもって「客観報道」とする)に止まろうとはしていない。
 一つに主張の中にある矛盾や問題を指摘する。例えば「日本尊厳死協会」で1993年から「痴呆症の尊厳死」を協会のリビング・ウィルの条項に加えようという議論が始まった。それが報道され、96年には「呆け老人をかかえる家族の会」から申し入れもあり、結局「時期尚早」としたものの、協会とその役員はあくまで自分たちの主張が正しいとした。筆者はこの経緯を簡単にではあるが辿り、その上で、協会の主張が延命措置停止についての判例の規準からも、協会の尊厳死の定義からも逸脱していることを記している(第7章)。」

◇立岩 真也 2005-2006 「他者を思う自然で私の一存の死」,『思想』『思想』976(2005-08):023-044,982(2006-01):80-100,982(2006-02):96-122 目次・文献表 

 「日本尊厳死協会の「痴呆」の否定は、意味不明なしかしその箇所の意味だけははっきりとわかる「新運動方針」(一九八一年)に現われている([2005-(2)]で言及)。
 「三、自殺をすすめたり助けたりしない/自殺の自由は認める。罪悪視したりしない。健全な精神の持主は見苦しい死を避けたい、ボケてなお生きたいとは思わないのだが、自殺は自ら行うことで、第三者の手による積極的安楽死と混同してはならない。従って『自殺の手引き』は発行しないことに決定した。」
 そして斎藤義彦([2002])によれば、日本尊厳死協会では一九九三年から「痴呆症の尊厳死」を協会のリビング・ウィルの条項に加えようという議論が始まった。それが報道され、九八年には「呆け老人をかかえる家族の会」から抗議もあり、結局「時期尚早」としたものの、協会とその役員はあくまで自分たちの主張が正しいとした。斎藤はこの経緯を簡単に辿り、その上で、協会の主張が延命措置停止についての判例の規準からも、協会の尊厳死の定義からも逸脱していることを記している([2001−(30)]で紹介。)この協会の創始者である太田典礼の高齢者その他についての言説については大谷[2005b]。」

■言及

◆立岩 真也 2012 『……』 文献表

◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360 [amazon][kinokuniya] ※ et. English

◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,

◆立岩 真也 2005/06/25 「死/生の本・6」(医療と社会ブックガイド・50)
 『看護教育』46-06:(医学書院)[了:20050427]

  「このところいつも同じ始まり方になってしまっているが、「尊厳死法」を巡って、4月16日に「尊厳死っ、てなに?」という集会が東京であった。250人余が集まった。報道関係の人たちも多かった。前後の取材も幾つかあって、世の関心事(だとすべき)とされているようでもある。私の方ではこの集会に合わせ冊子を作った。当日配付の資料集と合わせA4約150頁。お頒けできる(郵送)。詳細はHPに掲載してある。
  私も集会のよびかけ人の一人ということにはなっていて、自分でまとまった話をすることはなかった。後半、コメントと司会のようなことを少し。前半の講演者の話は盛りだくさんで、それを短い時間に収めていただいたから、話をする方も聞く方もたいへんだっただろう。私は、後半各10分ほどでしていただいた「日本尊厳死協会」の理事長の方の話、そして以前(第6回、2001年6月号)著作をとりあげた清水照美の話が、ことの是非を巡る論点をはっきりさせる意味でよかったと感じた。
  尊厳死協会の理事長は、私の記憶では、次のようなことを述べられた。まず尊厳死は安楽死ではないこと。そして、尊厳死は一人ひとりの自らの価値観に基づく決定としてなされるもので、それを人に押しつけるものではないこと。そして、協会の運動、今回の法案提出は、社会保障費の削減といった財政・経済の問題を背景としたものではけっしてないこと。
  それに対して、清水は、今の協会の前身である「日本安楽死協会」の中心人物たちの主張を簡単に紹介し、遷延性意識障害からの回復の例が数多くあることを述べ、家族など周囲の負担を心配してなされる決定が自己決定と呼ばれているのだと指摘した。
  過去の主張(との連続性)については私も『Webちくま』の方の連載等ですこしふれた。また遷延性意識障害からの回復については、第41回(2004年8月号)で紹介した小松美彦の本などでも強調されていた。以下では、「あくまで自分のこととして決めるのであって、違う価値観の人に押し付けようというのではない」という主張について。」


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日本安楽死協会  ◇太田典礼  ◇安楽死・尊厳死  ◇2012
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