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障害学研究会

2010 ・ 201120122013
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2010年度の活動

◆研究課題:2010年9月21日〜24日に立命館大学でコリン・バーンズ先生の集中講義が開催されます。また、障害学会でご講演なさいます。これにあわせて、バーンズ先生の論文に目を通して、議論の準備をしたいと思います。

◆プロジェクト研究メンバー 計15名 *所属などは2010年度当時
氏名 所属
有松 玲 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
李 旭 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
植村 要 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
牛若 孝治 応用人間科学研究科 
片山 知哉 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
岸田 典子 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
竹林 義宏 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
利光 恵子 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
徳山 貴子 応用人間科学研究科 
西浦 秀通 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
八木 慎一 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
安田 真之 先端総合学術研究科 一貫制博士課程
野崎 泰伸 生存学研究センター RA
箱田 徹 生存学研究センター PD
青木 千帆子 生存学研究センター PD

*プロジェクト研究代表者

■研究会

◆4月23日(金)12:00〜14:00 Disability & Societyにおけるバーンズ先生の論文3本
What a difference a decade makes: reflections on doing 'emancipatory' disability research. 2003 Disability & Society 18(1). 3-17.
担当 野崎
Qualitative Research: valuable or irrelevant? 1992 Disability & Society 7(2) 115-124.
'Talking about us without us?'. a response to Neil Crowther. 2008 Disability & Society 23(4) 397-399
担当 青木

◆5月21日(金)12:00〜14:00 Disabling Barriers - Enabling Environments PartI
1 If I had a hammer: the social model in action by Mike Oliver
担当 利光
3 Disability and impairment by Carol Thomas
担当 箱田

◆6月18日(金)12:00〜14:00 Disabling Barriers - Enabling Environments PartI
◇Chapter 2 Representing disability by Vic Finkelstein
担当 牛若
◇Chapter 4 Disability, disability studies and the academy by Colin Barnes
担当 有松

◆7月2日(金)12:00〜14:00 Disabling Barriers - Enabling Environments PartI
◇Chapter 4 Disability, disability studies and the academy by Colin Barnes の残り
担当 有松
◇Chapter 5 Whose tragedy? Towards a personal non-tragedy view of disability by Sally French & John Swain
担当 青木
◇Chapter 6 Dependence, independence and normality by Colin Barnes
担当 野崎

◆7月12日(月)14:30〜16:00 Exploring Disability (2nd Edition)
Chapter 2. Competing Models and Approaches
担当 青木

◆8月25日(水)10:00〜16:00 Exploring Disability (2nd Edition)
Chapter 3. Sociological Approaches to Chronic Illness and Disability
担当 青木
Chapter 4. Theories of Disability
担当 利光さん
Chapter 5. Social Exclusion and Disabling Barriers
担当 大塚さん、藤本さん

◆8月30日(月)10:00〜16:00 Exploring Disability (2nd Edition)
Chapter 6. Routes to Independent Living
担当 徳山さん+箱田さん
Chapter 7. Politics and Disability Politics
担当 有松さん+青木
Chapter 8. Culture, the Media and Identity
担当 八木(慎)さん

◆9月3日(金)10:00〜16:00 Exploring Disability (2nd Edition)
Chapter 9. Disability and the Right to Life
担当 片山さん
Chapter 10. Disability and Development: Global Perspectives
担当 箱田さん


◆お問い合わせ
青木 千帆子 生存学研究センター ポストドクトラル フェロー
gr014996(at)yahoo.co.jp (at)を@に変えてください


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◆Colin Barnes 2003 What a difference a decade makes: reflections on doing 'emancipatory' disability research Disability & Society 18(1). 3-17.

障害学研究会 20100423 野崎 泰伸

この10年を振り返って――障害者解放を目指す研究に関する反省的思考
コリン・バーンズ

要約:この論文は1992年にはじまったイギリスにおける障害者解放に向けた研究の進展についての概観を提示する。個人的な経験を描くことで、論争的な見 解をとろうとする前に述べられる必要のあるいくつかの重要な考えを答えてきた。この論文では2つの主題が述べられる。1つは障害者解放に向けた研究という 考えを実証するための思考への簡潔な導入である。もう1つは、説明責任、障害の社会モデル、方法の選択、そしてエンパワメント、普及、結果という問題を含 んだ、こうしたアプローチの核心的要素について論じることである。この10年間の目を見張る進展と同時に、障害者解放に向けた研究の将来はまだ不安定であ ることをも示唆してこの論文を締めくくる。

【イントロダクション】
◇マイケル・オリバーが1992年の論文で「解放」という語を使い、新たな障害の問題への研究アプローチが始まった。
◇障害研究において「解放」の語は重要な問題を提起してきたが、それゆえその望ましさ、実用性、効率性に関する疑問が付されることになる。
◇「解放」の原理を擁護するために、個人的な反省に基づいて、とくに誰と宛てることなく、この種の問題を議論するときに起きる核心的な主題について論じ る。
◇この論文は、障害者解放に向けた研究の簡明な導入と、こうした見解を特徴づける概念について論じるものである。

【障害/非障害研究?】
◇20世紀になされた、社会学者による「障害」関連の研究
・パーソンズの「医者―患者」関係
・ゴフマンらの「スティグマ」「制度化された生活」
・イリイチの「専門家役割」
・タウンゼントの「障害と貧困」
・ハリスら「障害という語の人口への膾炙に関する大規模な疫学的調査」
・1960年代、サスらによる精神障害、精神遅滞(知的障害)研究
◇1960年代後半〜1970年代前半にかけて、全世界的に障害者運動が高まった。
・イギリス…「分離に反対する身体的損傷者のイギリス連合」による障害の再定義→障害の社会モデルを志向:社会=政治的文脈での障害、障害者解放のパラダ イム
・マイケル・オリバー(1983)…身体的・文化的・社会的環境が障害者と名付けられる人々を排除することによる不利を指摘→障害者解放という別のアプ ローチ法
・そうした指摘は障害者運動を担う活動家たちが、主流の障害研究に対して、異議申し立てとしてしてきたことに端を発する。
◇これは、多数派世界のなかで「開発途上」の国々において仕事をする研究者や、黒人作家や、フェミニストや、教育家たちの手によってなされる、月並みな社 会研究の戦略への幻滅の増大化になぞらえられる。
◇1991年「身体障害研究」セミナー、1992年『Disability, Handicap, and Society』(1993年『Disability & Society』に改名)が障害者解放に関する研究の先鞭をつける。内容は、経済的、政治的、文化的、環境的要因を加味しながら、肉体と社会との関係の研 究成果の組み換えによって障害者へのエンパワメントを図ることにある。
◇ここ10年間で、状況は少し変化した。障害研究からくる増えつつある批判は、障害者運動由来のものが疑いなく重要であるけれども、他の要因もからんでき た。そのうち最も重要な点は、大学や研究機関のなかに市場の力がより強調されるようになったことであり、他の点は量的・質的研究ともに数値データの利用 (あるいは誤用)頻度が高くなってきたことである。
◇イギリスでは、障害やその関連領域以外の最近の研究は、その多くがチャリティー団体の基金によって運営されている。
◇サービス利用当事者の参加は、研究機関のさまざまな研究プログラムで強調されてきている→保守的な立場の運動では目立っている。
◇1992年以来、障害者解放研究のモデルのなかでの重要な概念構築が企てられてきた。

【解放研究モデルにおけるいくつかの重要概念】
◇説明責任の問題
・学者が障害者や障害者団体に対して負うべき義務
・しかし、すべての障害者(団体)に責任を果たすのは不可能→「問題」
・障害者のための非障害者による団体と、障害当事者団体との違いは明白だったが、こんにちあまり明瞭ではなくなってきた。後者による障害の政治化が成功し たため、前者の多くは最初から権利の言葉に馴染んでいたり、非障害者より障害者をより多く招き入れる団体を制御できるという確信を修正したからである。→ このことを積極的に評価してよいかどうか、についての学者の説明責任。
・障害者問題を非障害の研究者によって解決しようとする可能性の問題はまだ残る。
◇障害の社会モデル
・教育、情報とコミュニケーション体系、労働環境へのアクセスが困難であること、障害があることで益を享受できなかったり、差別的な保健サービスに甘んじ ていたりすることを問題にするのが社会モデル。
・社会モデルは個人的な損傷の問題や医学的治療を無視しているのかという問題→「障害の経験」の語りを社会的文脈で読み込む。
◇方法の選択
・解放研究は当初から量的研究より質的研究によって進められてきた。抑圧の広がりや複層性は量的研究では十分に分析しきれない。ただ、そのような研究の科 学性は問題化している。社会科学的アプローチの限界、価値判断と個人の主観との絡み合いの問題。
・解放研究と実証主義/ポスト実証主義との共通性。初期の実証主義は「実存主義的存在論」、すなわち、「そこに存在する現実」が、「自然の(本性的 な)」(人間社会の)規則によってコントロールされるという信念である。ポスト実証主義においては、「本質的」世界と「社会的」世界との違いは、本質性を 統治するような規則は、普遍的であると見なされているというところにある。それに対して、社会的現実は、時間、場所、文化、そして文脈によって変わり得 る。
・障害者が抑圧されてきた「社会的現実」も、歴史的、環境的、文化的、文脈的なものである(つまり、障害者は本質的に抑圧されるべき存在であるというわけ ではない)。
◇エンパワメント、普及、結果
・障害者解放研究をなぜするのかといえば、それが障害者にとってエンパワメントになるから。基本的には、そうした情報の蓄積と普及とが障害者のエンパワメ ントにつながるが、学習障害、聴覚障害、高齢の障害者、教育を不十分にしか受けられていない障害者については別途考える必要がある。
・たとえばダイレクト・ペイメントやパーソナル・アシスタンスという政策に代表されるように、イギリスではこのような政策研究の普及が、政策という形で結 実した。

【結論】
◇この10年間、社会モデルという理解と解放研究というパラダイムが障害研究に衝撃を与えたのは疑いの余地がほとんどない。
◇障害者たちが社会変革を目指して不断に努力してきたからこそ、障害者解放研究が存在し、それは障害者のエンパワメントに役立っていると言える。

==========
解説
・存在論…個々の存在(存在者)の固有の性質ではなく、存在者を存在せしめているもの、あるいは、存在者を規定する存在そのものとは何か、を問う
・認識論…人間の認識について問う(認識とは何か、認識の限界とは何か、真理を認識するとはどういうことか、など)

疑問点
・誰が障害者を差別する社会を告発する主体になるべきなのか? バーンズ(あるいはイギリス障害学)のいう「説明責任」のこととも関わるが、一般的に言っ て差別されている側が差別を糾弾すべきであるとは言えないはず。
・バーンズの実存主義理解はわかりにくい。通常、実存主義といえばサルトルに代表されるような「実存は本質に先立つ」という思想のこと。また、こうした考 え方は、社会構築主義とも相通ずるものがある。また、実証主義と実存主義が並列して出てくるが、これらは別物であり、英米系の学者の大陸系哲学理解には ちょっと首肯しかねる部分がある(「実存主義」というよりは、「リアリズム」のほうが近い)。
・障害学と社会学/社会政策学/文化人類学との関連性は深いことはわかる。しかし、生命倫理学や宗教学、神学からの障害へのアプローチもある。これについ てはどのように評価しているのか?



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◆Colin Barnes 1992 Qualitative Research: valuable or irrelevant? Disability & Society 7(2) 115-124.

障害学研究会 20100423 青木 千帆子

  Introduction

  Aims in this paper:

(a) to evaluate qualitative research techniques in relation to the emancipattry research paradigm
(b) to contribute to the formulation of an appropriate methodology.

  Why Qualitative Research?

 There are three main reasons
1) Analytically, they acknowledge that they are unable to put their own knowledge of the social world on one side in the vain hope of achieving objectivity.
2) Methodologically, statistical logic and experimental approach are no longer considered appropriate for studying the meanings of the everyday life world in which we all live.
3) Practically, because researchers are dealing with an inter-subjective world of different meanings, policy interventions based on the perceptions of ‘objective experts’ are neither analytically nor politically acceptable (Silverman, 1985; Hammersley, 1990).

  Participant Observation

 There are four principal research roles
1) The ‘complete participant’, is where researchers conceal their true purpose
2) The ‘participant as observer’, differs from the above in that both the researcher and the researched are aware of the field work relationship.
3) The ’observer as participant’ relates to the researcher role during the interviewing process.
4) The ‘complete observer’, refers to the situation where the researcher is insulated from any social contact with the people being studied.

  General Problems Associated with Participant Observation
1) Logic dictates that if a researcher is to empathise with those being researched then it follows that their life history must be as near as possible to that of the people being studied.
2) Although doing research in secret may provide researchers with opportunities for a more intimate involvement with research subjects, the very act of hiding their true identity can seriously inhibit their ability for data collection.
3) The tendency to focus on the present may preclude awareness to events which occurred before research began.
4) The researcher may change the situation just by their presence because it is difficult for people to act naturally when they know research is taking place.
5) Some people are less willing to talk than others and informants may be entirely unrepresentative of other less open participants.
6) The researcher’s interpretations may not correspond with those of the research subjects.
7) The researcher may ‘go native’ identifying with the participants so closely that any claim to ‘objectivity’ is lost and the value of the research is diminished (Silverman, 1985).

  My Experience of Participant Observation

 Author
- born with a hereditary visual impairment
- spent the first 7 of my statutory school years in special education
- attend an ‘ordinary’ school, it is likely that I would have stayed there until 15
- several years in the hotel and catering industry
- decided to become a teacher in further education.
At teacher training college: 1981--the International Year of Disabled People.
- struck by the general lack of literature dealing with the meaning and experience of disability. >>This was particularly disturbing
 Since 1981
- worked on a regular basis as voluntary worker with a group of disabled young people (16-30) in three day centres run by the local authority.
- decided to do an empirically based study of the role of day centres with regard to disabled people in the younger age range, with particular emphasis on the interactions between users and staff within the day centre environment.

* Most of the empirical data was collected by means of participant observation over a year (from July 1986 to July 1987). --note taking and a hand held Dictaphone + research diary
* This was supplemented by semi-structured interviews with 33 users and 30 staff during the second half of the study period.-- in one of the ‘quiet’ rooms in the centres. For user was 1 hour and 20 minutes, and for staff was 2 hours. All the interviews were tape recorded.
* This ensured that participants’ interpretations would be incorporated into the research and also helped to guard against accusations of researcher bias.-- between January 1988 and March 1989.

  Discussion, Implications for Emancipatory Research

* I am not convinced that it is necessary to have an impairment to produce good qualitative research within the emancipatory model.
* To gain a comprehensive understanding of the meaning of disability it is essential that they interact with disabled people on a regular basis.
* Within the emancipatory model the principles which underlie qualitative research could be utilised for interviewing in larger studies where protracted interaction between researcher and all the potential participants is not possible
* When this preliminary interview comes to an end the disabled person would be placed under no obligation to participate in the second interview and allowed a suitable period of time to consider whether they wish to do so. …If they do take part, at the second interview a third meeting should be arranged to discuss findings.

Although qualitative research techniques are central to the emancipatory model their usefulness depends ultimately on the integrity of the researcher and their willingness to challenge the institutions which control disability research.



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◆Mike Oliver and Colin Barnes 2008 Talking about us without us?, A response to Neil Crowther Disability & Society Vol. 23, No. 4, June 2008, 397-399

障害学研究会 20100423 青木 千帆子

 近年創設された平等・人権委員会のニール・クラウザーは、Disability & Society 22巻7号に掲載された論文で英国における障害(無力化)の政治状況に関する彼の解釈を提供した。
 彼は、障害のある人々によってコントロールされ実行された組織が、社会的障壁を根絶するための努力の中で果たした先駆的な役割を認める一方で、障害のあ る人々が直面する困難が1990年代の初めのものとは異なってきていると指摘している。また、彼は、障害のある人々の権利を重要な政策課題として政府の公 式なメカニズムの中へ組み込んだにも関わらず、多くの障害者は経済的にも社会的にも最も不利な状況に残されていると指摘した。そして彼は、この状況こそが 障害者運動の頑ななイデオロギーによるものであり、他の障害者組織との協力関係構築の失敗によるものと結論した。
 そこで私たちは、このようなニール・クラウザーの主張が、意味が不明瞭であったり、初期の成功の結果障害者運動が遭遇した困難や、彼が推奨する運動の方 向に関するに関する偏った見方に基づくものであると主張する。
 
○ニール・クラウザーの指摘
☆コリン・バーンズの応答

○1‘Disability movement’: Vacillating between organizations led by disabled people and user-led organizations. Traditional organizations.
☆1 ‘The disabled people’s movement’: Organizations that are effectively controlled and run by disabled people.

○2 The disabled people's movement's 'ideological purity' and failure to engage in productive partnerships with other disability organizations
☆2 What is the ideological purity? ‘Nothing without us or nothing about us?’
 It is not ideological purity but the activities of successive governments and organizations not controlled and run by disabled people that are the real cause of the problem.

○3 The legal and organizational infrastructure has changed radically
☆3 The only changes were the replacement of the Disability Rights Commission with a 'pan equality' body, the Equality and Human Rights Commission, and the formation of the Office of Disability Issues.

○4 He suggests that we must recognize the interconnection between disabled people's disadvantage and that faced by others in society.
☆4 This is not new. There are countless studies dating back to the 1970s

○5 He suggests that the disabled people's movement should join with other individuals and groups in order to contribute to wider debates.
☆5 He failed to note wider debates around war and peace, life and death and poverty and exclusion that disabled people have engaged in for many years.

○6 He concluded by advising the disabled people's movement to make compelling new arguments about economic and social investment in disabled people, the promotion of active citizenship and the acceptance of responsibilities as well as rights.
☆6 Disabled people have been in the forefront of promoting these arguments for many years and many of the organizations he suggested collaborating with have been active agents in keeping disabled people out of society, begging on their behalf without consent and portraying them as burdens.

  Conclusion
 Those who wish to get involved need to engage fully with the disabled people's movement's history and achievements and to demonstrate respect for its ideas before they consider doing so.



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◆Mike Oliver  If I Had a Hammer: The Social Model in Action  in John Swain, Sally French, Colin Barnes, Carol Thomas , 2004, Disabling Barriers, Enabling Environments,
  (ハンマーを持つとしたら:実践のなかの社会モデル)

障害学勉強会 2010.5.21 利光恵子

本章では、次のことについて述べる。過去20年間に、我々は社会モデルについて、その有効性や限界について語ることに多くの時間を費やしてきたが、それを 実際に実行すること、あるいは実践に移そうと試みる十分な時間をとることができなかった。このような批判は、障害者運動のなかで活動している障害者と、障 害学を発展させようとしている研究者の両者に当てはまる。
本稿では、まず最初に、社会モデルの簡略な歴史について述べ、次に、障害者運動と障害学の中から発せられた社会モデルに対する主な批判について述べる。私 は、運動の外部や他の学問領域からの批判に煩わされたくない。最後に、更なる行動のための申し立てで終わる。

Origins of the social model(社会モデルの起源)

社会モデルは、「 障害の基本原理(Fundamental Principles of Disability)」(UPIAS 隔離に反対する身体障害者連盟、1976)に起源がある。これは、私たちの障害についての理解を完全に覆し、障害 者の困難の主たる原因は、インペアメントではなく、社会が私たちを抑圧されたマイノリティとして扱っている、その方法にあると述べている。このアイデアを 発展させて、障害の社会モデルと呼ばれるものになった。
それは、私が、Kent大学(カンタベリー)大学院のソーシャルワーカーをめざすためのコースで教鞭をとっていた時に生まれた。私がやろうとしたことは、 彼らの専門的な介入や専門的な実践がターゲットとすべきなのは、私たち障害者ではなく社会なのだという考えに基づいた研究を提示することだった。

What happened next (次に起きたこと)

これらの出来事や1980年代の障害者組織の出現の結果として、障害平等研修(Disability Equality Training Movement)の運動が始まった。社会モデルは、研修や組織の全体を横断する障害平等(disability equality)の考えを進める主要なideaになった。次の段階では、社会モデルは、Disability Movementに、特に British Council of Disabled People(英国障害者協議会)によって採用された。Cambellと私の本(Disability Politics, 1996)を読めば、社会モデルが、障害運動を立ち上げようとしていた障害をもつ人々の集団意識を高めるのに大きな役割を果たしたことがはっきり分かる。
1990年代までに、社会モデルは、組織や利害関係者や人々の間に広まった。

Criticisms(批判)

障害者運動と障害学から、5つの主な批判が出された。
第一のものは、社会モデルはインペアメントのリアリティを無視しているか、あるいは、これを適切に論じることができないということである。これは、概念的 な無理解からくるものである。なぜなら、社会モデルはインペアメントの個人的な経験についてではなく、障害(disablement)の集合的な経験につ いてものだからだ。この批判は、時に個人攻撃となり、社会モデルはインペアメントを無視できる車いすの白人男性だけに適合するのだろうと述べた。

第二の批判は、社会モデルでは、痛みの主観的な経験が無視されているということである。社会モデルが障害者の経験に基礎をおいていないという批判は甘受で きない。実際、これは、1970年代の多くの障害者運動のアクティビストの経験から出てきたものなのだから。

第三の批判は、他の社会分野、例えば、人種、ジェンダー、エイジングなどに、incorporate(合体)させることができない(適用できない?)とい う点である。
社会モデルがこれらの領域の問題にうまく適用できないということが、それが不可能だということを意味するわけではない。私は、時々、これらの領域で社会モ デルを批判する人々は、まさに、人種やジェンダーやセクシュアリティやエイジングの問題に関するアクションの中で、社会モデルを実際に鍛えるべき人だと考 える。私の考えでは、それは、社会モデルがこれらをうまく扱えないということではなく、それを実際に適用してみるというよりも、その失敗を認めるために、 社会モデルを批判するのに彼らの時間を使っている。

四番目の批判は、社会モデルは「otherness(他者性)」の問題についてである。我々が直面しているのは、物理的あるいは環境的バリアーではなく、 我々の文化的価値が障害をもつ人々を「other」として位置づけていることにあると述べる。この批判は、最近のポストモダニズム理論によって支持されて おり、ideas about representationが障害者にとって重要だとする。だが、社会モデルが文化的価値(cultural values)を無視しているというのは間違っている。さらに重要なことは、世界のほとんどの障害者は貧困の中で暮らしており、十分な食料ももたず、イン ペアメントをもたらす主な二つの原因が戦争と貧困だということを指摘したい。障害の政治(disability politics)を、もっぱら、politics of representation の領域に移動させようというのは、多くの障害をもつ人々が生命を脅かされるほど物質的な欠乏状態におかれて続けているときに、見当違いである。

第五の批判は、障害の社会化理論として不適切だというものである。だが、社会モデルを支持する大多数が、社会モデルはtheory of disabilityではないと明言している。

The battle for the social model (社会モデルのための闘い)

もちろん、disability equality trainer が、社会モデルを強調するあまり、障害をもたない人たちに対して、罪悪感をもたすようにしむけているということについては、その通りであ る。しかしながら、それは、適用上の問題であって、社会モデル自体の問題ではない。

さらに、Disability Movement自体が、時々、そのbig idea に過敏すぎるということにも、疑いはない。我々の歴史を通して、われわれのbig idea は他の人たちによって採用され、使用され、彼ら自身によって要求されているというふうにみるべきである。私たちは、社会モデルに関して、そのよ うなことを経験してきた。1994年のTrafalgar Square デモストレーションンでは、発言者たちは彼ら自身のものとして、社会モデルを主張した。1997年に政府によって設立された障害者の権利委員会 (Disability Rights Commission)は、すべてのことが障害の社会モデルに従って導かれるようにと主張した。

最近、Disability Movementの一部が、社会モデルを再び主張しようとしている。だが、私の主張は、そのようなことが可能だしても、それを主張するために時間、エネル ギー、資源を用いないということだ。そうすることで、disability activismを、アカデミズムがしばしば没頭するような思考上のマスターベーションのようなものに変えてしまう。私たちは社会モデルに基づいた政治的 戦略を進行させる必要がある。もはや、われわれが社会モデルをどのように主張するかについてさらに述べるのではなく、それを手に入れ使おう。1970年代 の社会の外部に障害者を配置してきた抑圧的な枠組みに対して闘ってきた障害者アクティビストによって、我々に授けられたgiftを無駄にしないようにしよ う。

The social model in action (行動の中での社会モデル)

私が過去20年以上の間携わってきた、社会モデルを実際に使うための三つのプロジェクトについて述べる。

第一のプロジェクトは、障害をもつ人へのソーシャルワークを、社会モデルに従って再構築する試みである。それは、現在広く行われていて、専門的治療の介入 の必要から、障害者を悲劇的な犠牲者(tragic victim)にとどまらせている個人主義的ケースワーク(individualised casework)に打撃を与えようとする試みである。私の著書(Oliver, 1983)は、ソーシャルワークの介入のターゲットを、インペアメントをもつ個人(impaired individual)からディスアビリティを形成する社会(disabling society)へと変えさせようとする試みだった。
英国ソーシャルワーカー協会が、1986年に、障害者とソーシャルワーカーの間の関係をすすめるものとして社会モデルを採用したが、現実には実現しなかっ た。障害者問題は、ソーシャルワークの中で大きな位置を占めず、障害者からの要望も弱かったから。ソーシャルワークに中に、他の専門職同様に、個人モデル (individual model)の優位性が存在したのは疑いない。

第二として、障害の社会モデルはDisability Movementの最初のbig ideaになった。その理由は、社会モデルは、非常に異なったインペアメントをもつ人々の様々の経験をつなげる最短の筋道を提供するからである。社会モデ ルは、私たち全てが、直面するバリアーを持っているということに気付かせた。社会モデルは、それらの経験をつなぎ、集団的な意識(気づき)を喚起した。 1980年代を通じて、障害者運動は急速に広がっていった。
1990年代になって、社会モデルと並んで、権利と自立生活(right and independent living)というbig ideaが出てきた。これは、幾人かのアクティビスト達(とりわけFinkelstein)に、Disability Movementは道を違えたので、もとにもどれる必要があると主張させた。明確なことは、障害の社会モデルは、もはや、1980年代のように、 Disability Movementを結集する接着剤ではないということである。社会モデルは、Movementの中でradical potentialは残したまま、いくぶん後方に退いた。一方、Disability Movementの指導者たちは、私たちの権利の拡大と、自立生活に必要なサービスを供給するよう求める議会用のキャンペーン (parliamentary campaign)を行うようになった。

第三のプロジェクトは、バーミンガム市議会で私が最近携わった仕事である(Oliver and Bailey, 2002)。
2001年に、私は提案書を出すよう委任され、その中で市議会が新しい委託を社会モデルの方向にすすめるように提案した。我々のレポートが、バーミンガム の障害者たちの生活を改善するかどうか(improve the lives)は分からない。それでも、それが唯一の判断基準である。社会モデルがバーミンガムの障害者サービスを改善するのに適切な枠組み (framework)であるかどうか、あるいは、社会モデルの原則を行動のための提言として正確に翻訳するかどうか、どちらかということは全く意味がな い。本当のテストは、5年、10年、15年の間に、バーミンガムの障害者の生に、影響(impact)を及ぼすか、及ぼさないかである。聞かれるべき主要 な質問は、社会モデルが障害者の生活を改善する(improving the lives of disabled people)のに適切な道具(adequate tool)であるかどうかである。

Conclusion (結論)

本稿を通して、私は障害の社会モデルは、実践的な(実際的な)道具であって、理論でも、考え方(idea)でもコンセプトでもないと述べた。さらに、私た ちは、社会的、政治的な変革をつくりだすために、それを使おうと試みるよりも、あまりにも多くの議論に時間を費やしていると述べた。もしも、人類の歴史を 通して、世界中の大工や建築家が、そのハンマーが家を建設するのに適切な道具かどうかを議論するのに時間を使っていたら、我々はいまだに洞穴にすみ平原を 彷徨っていただろう。最後に、我々はDisability Movementの中でハンマーを握ろうと主張する。もし、うまく使えれば、障害の社会モデルは、地上の障害者のための正義と自由のハンマーになりうるだ ろう。



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◆キャロル・トマス「3 ディスアビリティとインペアメント」

障害学研究会(第2回)
2010年5月21日
箱田徹

21頁
◇要旨部分の要約
・障害学ではディスアビリティとインペアメントという2つの鍵概念がある。両者の内容や関係をめぐっては議論が絶えない。だがこの事実は障害学の学問的な弱さではなく、強さや豊かさと捉えるべき。障害学には様々な理論的なパースペクティブや経験に基づく知が持ち込まれている。
・本章ではディスアビリティとインペアメントに関する概念把握を行った上で、障害学にとって有意義と思われる方向性について議論する。両概念をそれぞれ項目を立てて議論しているが、時々指摘される不毛な二項対立に陥らないことに注意したい。ディスアビリティとインペアメントを別々に分析することは有効だが、両者の関係性を明らかにするというより大きな問題関心に基づいて行われるべきだ。

◆ディスアビリティ

◇ディスアビリティの社会モデル
・1970年代の英国。盛り上がり始めた障害者運動は、「ディスアビリティ」の語を医者やソーシャル・ワーカー(医学や社会医療の専門家集団)から取り戻す動きを背後から支えた。
・専門家のディスアビリティ観(医学・福祉モデル)は次の2つのどちらか。
(1) ディスアビリティ=インペアメント(身体損傷)それ自体
(2) ディスアビリティ=インペアメントを原因とする活動制限
・つまり「インペアメント=原因、ディスアビリティ=結果」という因果論
◇ 障害学によるラディカルな転回
a) フィンケルシュタイン(Vic Finkelstein)らの功績:ディスアビリティの意味を、自らが生きていく中で経験してきた社会的排除という観点に基づき、一から再構成したこと。
b) ディスアビリティの捉え方の変化
(1) 社会が全面的な原因として発生する現象
(2) インペアメントを持つ人々が、生活のあらゆる場面で出会う社会的不利益や社会的排除(雇用、住居、教育、市民的権利、移動、建物)
c) 「個人の悲劇モデル」(医学・福祉モデル)から「ディスアビリティの社会モデル」(オリバー)へ。これが障害学研究と英国の障害者運動の標準となる。
d) 「ディスアビリティの社会モデル」は社会的・政治的変革を求める大きな流れに火をつけた。
e) ディスアビリティは社会的抑圧、社会的排除の一形態として許容されるべきでないものに。先だった認知されている他の抑圧状況とのアナロジー

22頁

◇ディスアビリティの社会モデルのもたらした転換
・障害者差別(disablism)の様々な現れが指摘される(例×3)
1) 公共交通機関が利用できない
2) 質の高い教育からの排除により、労働市場で高賃金職に応募することができない
3) 映画などのメディアの表象。劣った人間として描かれる
・インペアメントを持つ人々が生活の中で出会う、ディスアビリティを生み出す(できなくさせる)「社会的障壁(バリア)」(disabling 'social barriers')がきちんと特定され、問題化される。というのは、社会的に構築された障壁である以上、取り除くことが可能だから。
・社会モデルは個人にも転回点となる。以下、(Crow, 1996: 207)の引用
「これ[=ディスアビリティの社会モデル]によって、自分自身をディスアビリティ(抑圧)に起因する様々な制約から解放された存在として捉えることができるようになり、自分たちが社会変革にどのように関わるかについての道筋も得られた。社会モデルによって、障害者が自分自身を価値ある存在と認める流れが強まり、障害者の集団としてのアイデンティティの確立や政治的な組織化も促進された。社会モデルによって人々の命が救われたと言っても過言ではないと私は考える。」
・社会モデルは研究と活動両面で、比較的短期間のうちに大きな成果を生む。

◇では、どのようにしてディスアビリティは生じるのか

(A) 社会モデル
・基本的立場:ディスアビリティは、基本的に社会的に構築された障壁に存在する。そうした障壁がインペアメントを持つ人々の不利益や排除の原因。
・代表的な議論:Finkelstein (1980), Oliver (1990), Barnes (1991, Barnes et al., 2002) and Barton (1996)
・特徴:マルクス主義的、唯物論的な世界観に基づく。
1) 産業資本主義下での社会的生産関係が、インペアメントを持たない人々によるインペアメントを持つ人々への社会的排除の根幹にあるという理解
2) 産業革命期の英国の例。生産手段を持たない人間を労働力として、高速で疲れる労働過程に投入。「ノーマル」かつ「平均的な」形で労働力を売ることのできない人々が、生計を立てる手段を自力で得る(=自立して)機会から排除される。この意味で「自立していること」が、近代社会の社会的立場や長所、個人のアイデンティティの基礎として理解された。
3) こうした経済的基盤に基づき、また制度化された強力な医学、つまり「不具者」や「痴愚者」が体現する「貶められた差異」に関するイデオロギーの力によって「障害者」が社会の各所に根を下ろした。
4) 歴史的に言うと以下のようなもの。貧民収容施設、強制的依存状態、「特別」教育、「介護付」作業所、コミュニティ・ケア、支援つき雇用。つまり、慈善に基づいた管理、または専門家による管理の具体化として制度化されたケアの様々な形。

23頁

(B) ポストモダン、またはポスト構造主義モデル
・社会モデルへの批判:社会構造的要因を重視しすぎ、定義が狭すぎ、あるいは全面的に誤り
・代表的な論者:マリアン・コーカー、トム・シェイクスピア (Shakespeare, 1997; Corker, 1998; Corker and French, 1999; Corker and Shakespeare, 2002)
・理論的立場
a) 社会モデル批判:社会モデルはマルクス的な「メタ歴史的語り」と結びつき、ディスアビリティを、不変の「現実的」かつ「本質的」資質を持つものとして規定する点で誤り
b) ディスアビリティの起源は言語や言説、文化による実践内にのみ存在
c) フーコーやデリダの議論を障害学に応用。応用した側の主張:障害者であることや障害者になることとは、様々な知の形を通して権力を用いることが出来る人々によって、社会的に構築され、そのように位置づけられる。
d) このプロセスは「健常者(able-bodied)」や「ノーマル」といった社会的アイデンティティも形成
・ディスアビリティの構成主義モデル=本質主義批判
a) 個人の身体や性格、行動には、ある人を障害者にする「本質的な」要素はない。
b) 医者、役人、議員といった人々が自らの知の置かれる地位や正当性を用いて、〈ディスアビリティ〉というカテゴリーを個人に課す。
c) 「ディスアビリティ」があると社会的に構築された人は、自らのアイデンティティを「障害者」のイメージの中に見出す。
d) 抵抗の余地はほとんどないが、あるとすれば、それは自らが囚われている言説の拘束を取り払うこと。それは、今あるものとは別の肯定的な自己の語りを構築することで行われる。

◇2つのモデルの対立
・両者は障害学が「ディスアビリティ」を概念化する上での2つの有力なフレーム
・他にも、論者によっては、現象学的、相互作用的、フェミニズム的、批判的リアリズム的といった呼び名が採用されるが、どちらかのモデルのヴァリアントと見なすことが出来る。
・社会モデルが存続していることが今日の議論の対象になる。一部のポストモダン・モデル論者は社会モデルが役目をすでに終えたと主張する。
・以下、(Shakespeare and Watson, 2001: 44)の引用
「〔前略〕英国型の社会モデルは政治運動にとって素晴らしい基礎を提供してきた。しかし今日では社会理論を基礎付けるには不十分だ。こうした社会モデルはモダニズムの(=近代主義的)プロジェクトであって、マルクス主義に基づいていた。世界も、また社会理論も今日ではこれを乗り越えているのであり、私たちは他の社会運動や、新しい理論的パースペクティブ、特にポストモダニズムやポスト構造主義のパースペクティブから学ぶ必要がある。」

◆インペアメント

・社会モデル派はインペアメントを、理論的考察の対象としてほとんど扱ってこなかった。例えばオリバーは「ディスアビリティのある状態は身体とは何の関係もない」と主張する。
・インペアメントを考えることはかつて、身体を重視する医療モデルを信認することになりかねないとして、障害学と運動の両方にとって危ういと捉えられてきた。

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◇ 初期の批判
a) 興味深いことに、社会モデルがインペアメントを等閑視していることの批判は、唯物論的な立場から生じた。例えばPaul Abberley (Abberley, 1987)は、インペアメントは社会的に生産されていると考えるべきと論じた。
・1990年代には別の領域からの批判が加速した。
a) Jenny Morris (Morris, 1991, 1996):フェミニズムからの批判。身体の経験を障害学とディスアビリティの政治に位置づけるべきであり、そうした経験の排除は「個人的経験」の家父長制による拒絶と同じではないか。
b) Sally French (French, 1993):行動制限は自身のディスアビリティに起因する部分があり、社会モデルではすべて説明できないと批判。自らの視覚ディスアビリティ経験を踏まえる。
c) Bill Hughes and Kevin Paterson: 構築主義からの批判。社会モデルがインペアメントを説明しようしないことは、医学化された考え方と実質的に共謀している。インペアメント=固定された、前社会的、「生物学的異常(アブノーマル)」という考え方。(Hughes and Paterson, 1997: 329)
◇ ポスト構造主義派の批判
a) インペアメントとディスアビリティというペアの定義が分裂していること(つまりインペアメント=生物学的、ディスアビリティ=社会的)が、社会モデルの大きな問題
b) これは言語や言説による構築と分類のプロセスに対する無理解から生じる二元論 (Corker and Shakespeare, 2002)
c) 両者が社会的に構築されたカテゴリーであること、また障害者を分断、支配、管理する作用を持つことを社会モデルはきちんと理解できない。「『インペアメント化された身体』の物質性こそが、問題とされるべき当のもの」(Tremain, 2002: 34)
◇ 社会モデル派からの反批判
a) 社会モデル派は、インペアメントを説明できていない点と、自然主義的で生物学的な現象として扱っている点とで批判の対象
b) Oliver (1996b: 49): 「インペアメントの社会モデル」を構築可能かもしれないとする。しかし障害学と障害者運動で、ディスアビリティがインペアメントより優先されるべき理由は提出できていない。
c) インペアメントの概念化だけでなく、この概念と関わろうという意志自体もまたいまだに争点となっている。

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◆今後の展開

◇著者の見解
a) ディスアビリティの社会モデルは政治闘争の強力なツールであり、ディスアビリティの理論化の出発点として評価されるべき。なお著者本人は唯物論的立場をとる。
b) しかし今日では障害学が必要とするのは、ディスアビリティとインペアメント、そして両者の関係のあり方を、社会学的に概念化し、理論化することだ。
◇この目的に向けた3つの提案 (see Thomas, 1999, 2002, 2003).

(1) ディスアビリティの心理的・感情的側面
・マルクス主義・唯物論型モデルの「社会的障壁がディスアビリティの原因」という考え方は狭すぎる。対象は、個人の外部世界=社会に存在する物的障害にほぼ限定(雇用、教育、交通、居住、建築など)
・実際には、ディスアビリティをもたらす排除は内面、つまり心理的・感情的にも構成される。これを筆者は「ディスアビリティの心理的・感情的側面」と命名 (see Thomas, 1999)。
・主な関心:相対的に権力のない「インペアメントを持つ人々」と、相対的に権力のある「インペアメントのない人々」との間で生じる社会行動の影響と効果(例えば、家族関係、コミュニティ内部の交わり、ヘルスケアや福祉、教育サービスを利用する時の関係)。つまりインペアメントを持つ人々が自己評価を下げてしまう場面。
・障害者差別のこうした側面を含めるために、UPIAS (1976) によるディスアビリティの定義自体は次のように変更されるべき。「ディスアビリティとは社会的抑圧の一形態であり、インペアメントを持つ人々に対して社会が行動制限を加えること、またそうした人々の心理的・感情的福祉を社会的に脅かす形で害することなどが含まれる。」

(2) インペアメントの唯物論的存在論に向けて
・マルクス主義・唯物論によってインペアメントを価値の劣った「他者」として位置づけることはまったく役に立たない。しかしポスト構造主義派の議論の効果も限定的
・インペアメントとインペアメントの効果に関する唯物論的存在論の必要性。生物学的還元論と文化決定論の両方を回避すべき
・その意図
1) 生物医学者にインペアメントを決定する排他的な権利を与えないこと
2) 現実に身体が「平均」とは異なっているという事実を「完全に言語的に構築された差異」の領域へと格下げして、インペアメントを消去してしまわないこと
3) つまり、科学としての生物学の社会への影響を認識し、かつ社会的なものの基礎づけが生物学には還元できないことを認める理論的枠組みの必要

(3) インペアメントとインペアメントが生む効果
・オリバーによれば、UPIAS (1976) は、ディスアビリティをインペアメントを根拠とする社会的排除として定義する。 (Oliver, 1996a, 1996b) しかしこれでは、彼がUPIASのディスアビリティの定義に関して述べることと、彼自身のディスアビリティの定義――つまりディスアビリティは完全に社会的に構成されており、ディスアビリティのあることは身体とは何の関係もない、という定義(Oliver, 1996b: 41-2)――との矛盾は放置
・UPIASの立場とは、実際にはディスアビリティとインペアメントが不可分であり、相互に作用しあっているという考え方ではないのか。
a) インペアメントはディスアビリティの原因ではないが、ディスアビリティが作用する素材だという考え方。
b) インペアメントは、身体に現れた社会・生物学的な実体、許容不能な身体的逸脱として社会的にマーキングされた実体であり、これによってインペアメントをマーキングしている当の社会的な関係性が媒介される。
・ インペアメントはどのようなタイプの差別をどの程度受けるかを決定する上で、重要な役割を果たす。(Thomas, 2001)
・ つまり、ディスアビリティの理論化はインペアメントの理論化を必要とする。(Thomas, 2002, 2003)したがってインペアメントは等閑視されてよいカテゴリーではない。

◆文献表
Abberley, P. (1987) 'The concept of oppression and the development of a social theory of disability', Disability, Handicap and Society, 2 (1): 5-20.
Barnes, C. (1991) Disabled People in Britain and Discrimination. London: Hurst.
Barnes, C. and Mercer, G. (eds) (1996) Exploring the Divide: Illness and Disability. Leeds: The Disability Press.
Barnes, C., Oliver, M. and Barton, L. (eds) (2002) Disability Studies Today. Cambridge: Polity Press.
Barton, L. (ed.) (1996) Disability and Society: Emerging Issues and Insights. Harlow: Longman.
Barton, L. and Oliver, M. (eds) (1997) Disability Studies: Past, Present and Future. Leeds: The Disability Press.
Campbell, J. and Oliver, M. (1996) Disability Politics: Understanding Our Past, Changing Our Future. London: Routledge.
Corker, M. (1998) Deaf and Disabled, or Deafness Disabled? Buckingham: Open University.
Corker, M. and French, S. (eds) (1999) Disability Discourse. Buckingham: Open University.
Corker, M. and Shakespeare, T. (eds) (2002) Disability/Postmodernity: Embodying Disability Theory. London: Continuum.
Crow, L. (1996) 'Including all of our lives: renewing the social model of disability', in C. Barnes and G. Mercer (eds), Exploring the Divide: Illness and Disability. Leeds: The Disability Press.
Derrida, J. (1978) Writing and Difference. Chicago: University of Chicago Press.
Derrida, J. (1993) Memoirs of the Blind: The Self-Portrait and other Ruins. Chicago: University of Chicago Press.
Finkelstein, V. (1980) Attitudes and Disabled People: Issues for Discussion. New York, NY: World Rehabilitation Fund.
Finkelstein, V. (1996) 'Outside, "inside out". Coalition, April, 30-6.
Foucault, M. (1980) Power/Knowledge: Selected Interviews and Other Writings, 1972-1977. Brighton: Harvester.
French, S. (1993) 'Disability, impairment or something in between?', in J. Swain, V. Finkelstein, S. French and M. Oliver (eds), Disabling Barriers - Enabling Environments. London: Sage.
Gleeson, B.J. (1999) Geographies of Disability. London: Routledge.
Hughes, B. and Paterson, K. (1997) 'The social model of disability and the disappearing body: towards a sociology of impairment', Disability and Society, 12 (3): 325-40.
Morris, J. (1991) Pride Against Prejudice: Transforming Attitudes to Disability. London: The Women's Press.
Morris, J. (ed.) (1996) Encounters With Strangers: Feminism and Disability. London: The Women's Press.
Oliver, M. (1990) The Politics of Disablement. London: Macmillan.
Oliver, M. (1996a) Understanding Disability. London: Macmillan.
Oliver, M. (1996b) 'Defining impairment and disability: issues at stake', in C. Barnes and G. Mercer (eds), Exploring the Divide: Illness and Disability. Leeds: The Disability Press.
Shakespeare, T. (1997) 'Cultural Representation of Disabled People: dustbins of disavowal?', in L. Barton and M. Oliver (eds), Disability Studies: Past, Present and Future. Leeds: The Disability Press.
Shakespeare, T. and Watson, N. (2001) 'The Social Model of Disability: An Outdated Ideology?', in S.N. Barnartt and B.M. Altman (eds), Exploring Theories and Expanding Methodologies: Where We are and Where We Need to Go. Research in Social Science and Disability, Vol. 2. Amsterdam, London, New York: JAI. Disability and Impairment
Thomas, C. (1999) Female Forms: Experiencing and Understanding Disability. Buckingham: Open University Press.
Thomas, C. (2001) 'Feminism and Disability: The Theoretical and Political Significance of the Personal and the Experiential', in L. Barton (ed.) Disability, Politics and the Struggle for Change. London: David Fulton.
Thomas, C. (2002) 'Disability Theory: Key Ideas, Issues and Thinkers', in C. Barnes, M. Oliver and L. Barton (eds), Disability Studies Today. Cambridge: Polity Press.
Thomas, C. (2003) 'Developing the Social Relational in the Social Model of Disability: A Theoretical Agenda', in C. Barnes (ed.), The Social Model of Disability: Theory and Practice. Leeds: The Disability Press.
Tremain, S. (2002) 'On the Subject of impairment', in M. Corker and T. Shakespeare (eds), Disability/Postmodernity: Embodying Disability Theory. London: Continuum.
UPIAS (1976) Fundamental Principles of Disability. London: UPIAS.


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◆Whose tragedy? Towards a personal non-tragedy view of disability by Sally French & John Swain

2010/07/02 障害学研究会 青木

 本稿の目的は、オリバー(1990)が指摘する障害に関する定説である「個人的悲劇論」を否定すること。このことによって、障害の経験をネガティブにではなくポジティブに語るための基礎を築く。
 障害の個人的悲劇論においては、インペアメントとディスアビリティは混同され、それらが人生に辛苦をもたらすものとされている。障害者は幸福になれないという誤解の根底にはこの考え方がある。ここでは障害者の問題は、適切な介助、アクセシビリティ、インクルージョンといった物事を準備できない社会の問題とは考えずに、インペアメントによるものと考えられている。
 障害の個人的悲劇論に関してはさまざまな解釈が可能である。死に対する恐怖、異常や依存に対する社会の価値観、そして差別的社会での経験からくる認知的恐怖など。日常的に健常者や専門家、親やメディアによってその価値を落とされているのであるから、障害者自身が個人的悲劇モデルに忠実に行動することにも、合理的根拠がある。
 このような状況で、障害者自身による悲劇的ではない視点を伝えていくことこそが、一般的価値観やイデオロギーに対抗しているといえるだろう。障害があることは必ずしも悲劇ではなく、他と同様に価値があり満足のいく生活を送れるし、そうであるようにすべきだという点を、次節で述べる。

◇Who needs cure and normality?
だれが治療や正常さを求めているのか?
 インペアメントやディスアビリティに関する個人的悲劇論ではない説明も、個人的悲劇論と同じくらい多様にある。障害者自身による経験の記述は、悲劇どころか障害者であることによるメリットが述べられている。
 必要以上にディスアビリティやインペアメントが障害者にとって有益なものであると捉えることは社会からの要請でもあり、(逆に)主張がしにくくなるので回避されるが、たとえば、障害があることで分類による抑圧や暴力、軽視から逃れることができる場合もある。多くの若者(特に女性)は結婚し子どもを生むように圧力がかかっているが、障害者の場合無性に見られる分、この抑圧からは解放される。一方で、それは障害者にとって性的な関係を結ぶことに対する困難も意味するが、さらに逆にそれがより愛情豊かにすることもある。
 無力化の経験を持つことは、抑圧される他者の痛みをより深く理解することも可能にする。障害者による書き物の多くは、先天的であろうと後天的であろうと、人生を肯定し楽しもうとする視点を与え、ポジティブに作用することを伝える。

◇From tragedy to identity
悲劇からアイデンティティへ
 障害に関してポジティブな視点をもつとき、それらが社会モデルの文脈で理解されていること、抑圧や差別に対抗していることが必須である。このようなインペアメントに関する視点は、今日の障害者だけに限定されるわけでも、身体障害者に限定されるわけでもない。
 障害者は、今ある姿ではない別のものになりたいだろうという前提は、その人のアイデンティティを拒否することにもつながる。アイデンティティという観点は、私の問題を私たちの問題とし、個人的な問題を政治的な問題にする。障害者運動により力を得た障害者は自らに対するポジティブなイメージを創造し、ありのままの姿でいる、異なりのままに対等に存在する権利を要求する。
 いったい誰の悲劇なのか。悲劇的観点そのものによって多くの障害者は無力化されている。社会が無力化していること、日常生活の楽しさ、そして障害者であるという認識自体まで否定しているのだ。肯定的なアイデンティティを獲得することは、個人的なことであると同時に集合的(な現象)だ。無力化されているアイデンティティもそうでないものも、他者との関わりにおいて決まり、それがまた他者のアイデンティティを形作る。無料化されているということは、他とは違うということだ。ポジティブなアイデンティティを獲得していくことは、障害の個人的悲劇論による暴力に対抗することなのである。


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◆2 Competing Models and Approaches in Exploring Disability (2nd Edition)

20100712 青木千帆子

 本章は通説として確立されている社会歴史的起源をたどることから始まる。それはつまり、障害の個人的あるいは医学的アプローチである。その主な特徴は何か。また、なぜ障害理論家がそれを「個人の悲劇」アプローチとよぶのか。
 続いて本章では、障害のある人々による障害の個人モデルに代わる理論の展開を追う。アメリカでは、自立生活運動の興隆が新しい「障害のパラダイム」を生成した。その一方で、包摂を阻む社会的障壁に関する論点は英国で発生した点を確認する。その後、障害の社会モデルのより詳細な議論を続ける。
 最後に本章では、世界保健機構(WHO)によって提唱された「生物心理学的な」モデルに例証されるような、医学的観点と社会的観点を統合する試みについて考察する。このような「環境論(へ)の転回」は、障害への関係論的アプローチ(relational approach)を強調する北欧で提言されている。

□ 社会的歴史観

 障害に関する初期の歴史的研究を否定することが、今日一般的になった。多くの批判は、近代の産業社会の興隆と共に発生した、自由主義的、人道主義的政策および社会福祉サービスの増進が、理論的な分析や適切かつ経験的な基盤に欠けることを強調している。
 記録されている歴史の多くが、疾病、虚弱、死、蔓延する貧困、そして暴力は、一般に日常生活に厳しい現実をもたらしていたことを伝える。それでも宗教的概念が中心であった古典社会では、インペアメントに関する対応はかなりの多様性を示していたのである。自給自足するために、病者や虚弱を含む障害者も誰もが、家事や地域経済にできるだけ多く寄与することが期待されていた。
 障害に関する考え方や慣習のより広い社会歴史的傾向は、「市民化のプロセス」と呼ばれる、人々が嫌悪と恥と社会関係の制限に関する認識を変化させていく過程を描いたエリアスの詳細な分析に見出すことができる。

◇ 産業化社会
 18世紀を通じて、土地と農業の商業化の激化、および産業化と都市化が際立って進んだ。まだ当時は、障害者と認識される個別の社会集団は存在しなかった。ただそこには、疾病、病気、インペアメントに関する基本的知識や治療法を競って明らかにしようとする宇宙観?があるのみであった。
 当時英国は、救貧法が援助の需要増に対処し切れない現実のただ中にあり、また提供される内容に相当な地域格差があった。1834年の新救貧法では国家統一規格が強調され、施設外での支援を否認し、また支援要求を思いとどまらせる程低いレベルの支援システムを設けた。そして、労役所の新しい中心的カテゴリーが「高齢者と虚弱者」を含むようになった。
 障害に関する概念に顕著な影響が見られるようになったのは、医療専門家を法で認定することが一般化されたこと、そして科学的知識や実践が、病院や収容所といった住居施設に統合され、基礎付けられたことから始まった。19世紀を通じて医療専門家は、診断から治療まで科学知識に基づいたルールと監視の包括的システムを供給することにより、率先してインペアメントを支配した。20世紀の前半の間、隔離的な入所施設は急速に増設され続けた。

◇ 障害の個人モデル・医学的モデル
 19世紀後半、医学知識に基づく障害の個人的アプローチは、産業化された西欧社会の中で広く受け入れられた。「障害」という総称が法律で使用されることは20世紀中盤まではなかったが、1948年の国家扶助法において初めてこの言葉が定義づけられた。「障害」とはつまり、盲、弱視、聾、難聴、その他身体的な障害がある人々の総称である。このことが、人々の日常生活における作業の機能的制限を測定するための、より明示的なアセスメントや測定法へ重きをおくようになるきっかけとなった。
 最初の全国調査は、1960年代の終わりに人口調査局(OPCS)によって試みられた。このような調査で最も国際的な影響力があるものは、世界保健機構(WHO)による「機能的損傷、障害およびハンディキャップの国際分類(ICIDH:日本語正式名称は国際障害分類)」である。この分類は、「疾病の国際分類」においてカバーしている急性疾患の範囲を補足すること、そして「病因→病理学→症状(この最終段階は、医学的治療によって回復する見込みを表している)」と続く単純な因果関係を補足することを目的としていた。インペアメントは適切に働かない身体組織や部位を示し、ディスアビリティは個人が遂行することのできない(機能的)活動を主に表す言葉とされていた。
 このような観点に対しICIDHは、社会的「ハンディキャップ」を含むことによって従来の医学的モデルからの脱却を示そうとした。OPCSによる最初の調査は、インペアメントやディスアビリティが社会的役割や関係におよぼす影響への、社会科学研究者による注目の高さを示した。これはたとえば、社会経済的な損失や「経済的自給自足」といった概念を含む方向でICIDHの分類を実質的に拡張した。従って、ICIDHの提唱者は「社会―医学的モデル」としてその妥当性を主張した。ここで障害のプロセスは、個別的各要素を直線的に連結した連鎖関係によって表わされている(図2.1)。
 ICIDHに関する議論は、1980年代に英国で実施された2回目の障害に関するOPCS全国調査に影響を及ぼした。1980年代のOPCS調査は、「公的機関」あるいは個別世帯のいずれかに暮らしている、障害のある大人および子どもを対象に実施された。その結果、イギリス(英国、スコットランドおよびウェールズ)における障害のある大人の概数は2倍になり、620万人、総人口の14.2パーセントと示された。1960年代、80年代の調査は一貫して、障害人口の大多数が60歳以上であると報告し、男性より女性の高い割合を示した。異なる手段(「長期にわたる制限」に関する自己申告に基づく人口調査)に基づいた、近年の一般家庭を対象とした調査報告では、ほぼ1200万人、総人口の19%に及ぶ増加を示している。
 しかしながら、このようにさまざまな方法に基づいて実施された調査のデータを使用して、時系列的傾向や身体障害者人口や構成に関するデータを比較する場合、相当な注意を必要とする。個人的/医学的モデルを実際に操作しようとするならば、その理論的前提や政策的含意に多くの問題があることが明らかになるだろう。
 医学的モデルの中心的な概念は次のものを含んでいる
 (1) 正常な生物学的機能からの偏差としての疾病の定義
 (2) 病因に関する特定の学説
 (3) 総括的な疾病概念、つまり疾病分類学の一般性
 (4) 医学の科学的中立性
 しかし、これら特徴は社会科学者によって次のように議論された。例えば、「正常な」生物学的状態からの偏差としての疾病(やインペアメント)の定義は、疑問を提起する。一体正常とは、理想的な標準を意味するのか、あるいは人口特性の平均値を意味するのか?例えば、眼鏡は多くの視力障害を持つ人々のために必要な支援機器である。しかし、それらは広く使用されるために、ほとんどはそれらを「異常」の印とは見なさない。更に、ある個人の客観的な呼称として「正常でない」という際、そこには「精神病」や「知的障害」といったことに対する社会的な価値観が含まれている可能性もある。さらに、インペアメントや病気の社会的起源や経緯に、医学が及ぼす影響について認識が高まってきている。
 個人主義的アプローチは、インペアメントへの受容および調節に関する心理学研究によってさらに例証されてきた。批評家はこのような欠損の受容に関する分析が「安易すぎる」「理想化されている」と批判している。あまりにも頻繁に、心理学的アプローチは障害を個人的なものとして扱うため、標準的・医学的アプローチと区別がつかないものになっている。障害理論家はこのようなアプローチを次のように嘲笑した。「心理学的想像」の産物はインペアメントの経験を通して「健常」に関する基盤的概念を構築した、と。つまり、個人モデルの中心的推進力は、インペアメントを持った人々の悲劇論、つまり防ぐか、治療するか、癒されるべき、健康的社会的問題の根源として、インペアメントを措定することにある。この仮定は、障害を病理学的に扱う用語、および障害を社会的問題的に扱う福祉用語からも読み取ることができる。障害を持っていることは「何か悪いもの」を持つということを意味しているのである。

□ 個人的解決の先に

 アメリカとヨーロッパにおいて興隆した障害者のキャンペーンは、共通する要素を含んでいた。社会的・経済的排除に挑戦すること、医学的リハビリテーションや社会福祉専門家が機能的、その他の「できないこと」を強調する方法や、入所施設をはじめとするさまざまな場面で依存性を強める方法を暴露すること、などである。
 アメリカでは、ベトナム戦争から戻った多数の傷病兵が市民権と雇用機会均等を要求した政治的文脈が、障害者の抗議運動を励ました。これとは対照的に、西欧・スカンジナビア諸国では、市民権の保障よりは、福祉的権利および福祉サービスの充実を促進するための、政党や政策決定者に対するキャンペーンにより重点がおかれた。
 
◇ 自立生活運動(ILM)
 アメリカのILMを扱うほんのわずかな研究が、障害のある人々の主張の斬新さを強調している。最も顕著な点は、新しい「障害のパラダイム」である。医学的リハビリテーションに依存することの拒否は、さまざまな分野から相当な批判をよんだ。一方でILMの革新的プログラムは、ヨーロッパの障害活動家だけでなく世界中の障害のある人々に強い印象を与えた。しかしながら、アメリカにおいてILMが目指した、個人主義的文化的背景から導き出された経済・社会的不公正を解消する国家厚生制度を求める哲学や論点は、必ずしも他の国々の不利益をこうむる集団に容易に共有されたわけではなかった。さらに、デジョングが進歩的な動きとして、制度化された介助者市場確立というILMのゴールを認める一方で、他の者は、C.ライト・ミルズの訴えるような資本主義社会における経済的な機会への自由で等しいアクセスを望むことは「おとぎ話」であると繰り返し訴えた。
 ILMパラダイムに関するヨーロッパの批判者は、社会生活におけるリスクから人々を守る「行動生態学」的な主張を「文化的な罠」と表現した。しかし、障害に関する問題を扱う政治家は、「損害を与えられた」グループと「少数派」グループとを、アメリカにおける政治的主張として確立された黒人問題や少数民族問題とおなじ文脈に流し込んだ。
 「障害」の医学的定義は、産業化された社会において(救済すべき)貧者として「相当する」か「相当しない」かという区別をつける。インペアメントの影響に関する医学的論点は、個に帰属されていた欠損を強調し、専門的に作り上げられた「リハビリテーション」プログラムを正当化するために使用されている「文化的捏造」であると指摘されるようになった。これらの指摘は、障害のある人々が経験した社会的不平等を克服するような根本的な政治変革を、少数派集団が促進したことを意味する。
 しかしながら、少数派集団が社会におけるステータスを回復している間、障害者はまだ「医学の概念の残留効果」を経験していた。少数派アプローチに対する批判は、障害のある人々が多元論的政治交渉において、注目を争う権利要求団体のひとつになってしまう危険を冒しているという懸念を示した。また、障害を生み出す社会の主な構造を変革するまでに、それらのキャンペーンがたどり着くかどうかを疑問視する声もあった。
 ハーンは「基本的には、障害のある市民が直面する問題の究極的な起源は、経済体制の性質まで辿ることができる」と主張した。産業的資本的社会において横断的にみると多様な形で差異化されている障害を詳細に分析しようとするならば、あるいは障害と社会分離の相互関係を分析しようとするならば、少数派アプローチは、不利に作用する可能性がある。

□ 「無力化する社会」への挑戦―英国の展望

 アメリカのように、英国の障害に関する新しい思考様式は、1960年代に出現した社会・政治的な抗議運動の気運の中にそれらの根を持っていた。それはつまり、障害のある人々による入所施設や所得保障や日常生活における自律・コントロールを求めるキャンペーンである。
 英国において最初の「健常」信仰に挑戦する著書の1つは、「スティグマ」であった。これはポール・ハントが障害の経験を記し編集したものである。ハントは次のことを主張した。障害の問題は、機能的インペアメントによる個人的な問題だけによるものではなく、「正常な」人々との私たちの関係の中で生じるより重要な問題である、と。障害のある人々を「不運な」ものとして認識することは、近代の生活において社会的・物理的利点を「享受することができない」存在とみることから発生する。障害のある人々を「役立たない」ものとして記述することは、彼/彼女らが「コミュニティーの経済的利益」に寄与することができないと考えることから発生する。ハントは、「病気の」身体や心が「悪」の概念と意識的・無意識的に結び付けられている点で、障害のある人々と他の「抑圧された」グループの間には「大きな違い」があると指摘する。ハントによる著書の序文においてタウンゼンドが指摘するように、障害のある人々によって経験された不平等は、「社会の構造および価値システムのひずみにある、とても根深い問題を反映している」のである。
 「無能」であり「非生産的である」という認識により、障害のある人々は非社交的なヒエラレルキーの最低層に放逐されている。英国では、障害のある人々の多くのグループが、このようなあり方に代わるアプローチを模索しようと結成された。
 
◇ 障害の社会モデル
 1970年代と1980年代、ヨーロッパと北アメリカにおける障害者組織の活動家は、障害の個人モデルや医学モデル、およびその心理学・社会福祉的含意を放棄するよう提言するようになった。UPIASは、インペアメントとディスアビリティの基本的区別を明らかにした。この社会モデルアプローチは、インペアメントとディスアビリティの間の従来の因果関係を否定する。インペアメントの「現実」は否定されない、しかし、それはディスアビリティの必要十分条件でもない。代わって、どれくらい、そしてどのように、社会は経済的・社会的活動に従事する機会を制限し、依存せざるを得ない状況を与えるのかという点が注目を集めるようになった。
 インペアメントとディスアビリティの間で指摘された明瞭な区別は、生物的・社会的領域の区分を反映している。社会モデルの創始者は、ディスアビリティについての理解を深めない、個人的悲劇の方向を強化する可能性がある研究に抵抗した。このような研究は、革新的な障害(無力化)の政治を弱体化させるからだ。UPIASは、障害者ではない専門家が、障害のある人々の日常生活に対する有害な影響力を及ぼす方法に対抗し、最も痛烈な発言を用いて理論武装した。
 UPIASによる障害に関する声明において、マイク・オリヴァーが「個人的悲劇」と「社会圧迫」理論を区別し、社会モデルアプローチと個人的医療的アプローチとの区別を明らかにした。社会モデルアプローチが個人モデルのそれと異なる点は、マイク・オリヴァーによって例証されている。社会モデル論者は、さらに理論と障害に関する研究との関連に重点を置き、政治的運動へとつなげていった。
 このような野心的なとりくみにもかかわらず、社会モデルは、基本的には複雑な社会的現実をインペアメントとディスアビリティを分離して考えるという、非常にシンプルな理論である。障害のある人々によって経験された家庭、教育、収入および財政的援助、雇用、住宅、交通、建築環境における社会的・物理的構造を分析することに集中した社会モデルの分析に、初期の障害研究は多くの影響をうけた。社会モデルアプローチが発展するために重要な寄与をしたのは、文化的価値観や表象に注目する「唯物論的」あるいは観念論者による「社会生成」アプローチである。社会モデルは、UPIASによって練り上げられると同時に、英国で身体障害者運動における「大目標」として宣言されている。それは、サービス提供者、政策決定者および社会科学者、さらに新しい障害政治を支持する障害のある人々による一連の批判を主題としている。
 根本原理としてインペアメントとディスアビリティを区別することの重要性は、様々な論争を引き起こした。それは、障害を理論付ける上で、あるいは障害のある人々の日常生活を描く上で、インペアメントの重要性を縮小するかのように思われたからだ。キャロル・トマスの議論によると、これはUPIASの宣言にある「インペアメントを持った人々によって経験された活動の制限はすべて社会的障壁によって引き起こされる」という主張の誤読であるが、社会モデルは還元主義であると批判されている。とりわけフェミニスト障害者は、障害のある人々が常にインペアメントとディスアビリティを区別して扱うべきではないという理由から、障害の理論化に「インペアメントを取り戻す」という要求を主張した。加えて「個人的な問題は、政治的問題である」という社会モデルに浸透する一般的な仮定とは対照的な主張を展開した。さらに、インペアメントを持った個人によって経験された活動制限のすべてが社会基礎を持っていて、社会変動によって根絶することができると考えることが誤りであるとも主張されている。
 社会モデルは、インペアメントに関する医学的解釈を信頼する人々からも強い反対を受けた。このように、障害についての討論は、今日社会モデル的思考の影響を日常的に受けているのである。
 
◇ 障害の生物心理社会的モデル
 ICIDHは、主流派の研究者、政策決定者および障害者団体から、概念的・実践的観点から継続的な批判を受け、WHOはその修正を計画することになった。1993年から議論が始まり、ICIDH2が提案され、最終的には2001年にICF(国際生活機能分類)が承認された(図2.3)。ここでWHOの開発チームは、西欧科学的な医学モデルを生物心理社会的な条件へと再分類し、測定し、治療するための基礎としている。
 ICIDHは、障害を「疾病の結果」とみる方向性、インペアメントからディスアビリティ、そして社会的「ハンディキャップ」へ線形的に(原因が)連続しているという観点に対する異議を受け入れたのである。WHOは障害者団体の批判に同意し、「環境」の及ぼす影響そして「社会的障壁」を検討する方向に視点を変更した。しかし同時に、社会モデルは「操作的」ではなく、実証的研究および批准?に従順であるものとして批判もされた。そして、チームにおける議論は、医学的および社会アプローチを「生物精神社会的モデル」に統合するという試みに結びついたのである。
 ICIDHと同様、ICFは、人間の機能を3段階に分けて識別している。また、ICFは「個人の要因」の範囲に特徴をもつ。一方で用語が変化したにもかかわらず、ICFは、ICIDHとの明白な類似点を保持している。それは、偏差を病気であるとすることであり、ディスアビリティが社会集団と社会が時間をかけて変革すべき問題である点を無視している。ICFは、身体の制限レベル(インペアメント)から社会参加の制限までを障害のとても広い定義として使用している。
 WHOのチームは、障害とは個人の健康状態および個人の要因と、個人の生活環境における外部要因との複雑な関係の結果であると捉える点において、障害のICF定義は斬新であると強調している。ICFは、ディスアビリティ(そしてインペアメント)が社会的文脈ごとに異なっているとする形で社会モデルの提案を要約している。しかしそれは、活動と参加の間の相互作用、そして個人的要因と環境的要因の相互作用を無視している。総合的に見てICFは、各段階のそして、段階相互関係の特徴に関する議論に欠けているといえよう。
 ICFでは「科学的な」アプローチに力点が置かれている。また、その分類は西欧的概念および理論に硬く根付いている。ICFは、データ収集のための詳細な分類を提供するだろう。しかし、障害を理解するための新しい論点として、社会活動に関する首尾一貫した理論を提示することができない。
 個人モデルそして社会モデルに代わる説明概念を生み出そうというICFチームの計画は、社会科学を横断して展開されている議論を反映しているといえる。まず障害は、人と環境の、あるいは個人の能力とより広い社会環境からの要請間の誤った組合せによるものである。制限や、疾病あるいは損傷(インペアメント)によって、彼または彼女が日常生活において著しい社会的障壁を経験する場合、個人が無力化されていると定義される。
 次に障害は、状況あるいは文脈に依存するものである。また、障害は相対的である。このような観点は「強い」から「弱い」が(二項対立ではなく)連続する一連の尺度であるとみる、リレーショナル・アプローチに根拠をおく。「より弱い」という形式は、「人間生態学モデル」上の度合いを含む。一方で英国の活動家によって促進された社会モデルは、「強い」アプローチと評されている。このようなディスアビリティに関する社会理論のための重要な論争は、北欧人の書物によって引き起こされている。
 初期のこのような影響は、マーティンによる「実在論的」理論的アプローチに基づく2つの主な要素への分類から発生した。これは相互作用論に対する主要な論点として北欧におけるリレーショナル・アプローチを補強する「環境上の回転」の影響である。それは4つの異なるサブタイプを含んでいる
 一つ目は、ICIDH、そしてさらにはICFにみられるような、障害に対する現実主義的展望を採用しているグループである。二つ目は「相対的相互作用論者」グループであり、「弱い」形式の構築主義と同類である批判的な現実主義を模倣している。三つ目のアプローチは、現象学的観点から相互作用を理解しようとし、WHOの描くスキームにおける「単純な現実主義」から距離を置く。四つ目の「批判的解釈」アプローチは「人が生命世界を展望し意味づけること」に力点を置いて、異なる分析的なレベルから障害を分析しようと試みる。これらの説明は、障害を理論付け研究しようとする社会科学における論点を有効に識別している。
 インペアメントをもつ個人と、物理的環境の正確な影響に関するより綿密な分析、具体的な個人、心理学的、政治的、法律的、文化的、社会的要因、それぞれの間の相互作用に関する分析は障害を理論付ける研究のための重要な要素である。

□ まとめ

 19世紀に西洋社会において、正統かつ合法的であるとされた医療専門家の登場は、障害の個人的悲劇アプローチや医学的アプローチを確立した。それらは、個人の機能的損傷と社会制限とがどのように結びついているのかという点に注目した。従って、初期の政治的対応は、個人的な医学的治療やリハビリテーションに基づいていた。このアプローチは、障害の国際分類(ICIDH)の導入において社会的「ハンディキャップ」を考慮に入れる形で検討されたが、インペアメントに基づく因果関係は疑われないままであった。
 障害のある人々が主流社会からの排除に対する団結したキャンペーンを展開すると、社会的包摂へ向けた社会的障壁に注目する新たな社会・政治的なアプローチが展開されるようになる。英国では、障害の社会モデルが個人的アプローチに痛烈な代案を提示した。それは、その多くが医学用語によって定義されているインペアメントと、インペアメントを持つ人々に対する社会の排他的な関係を表すディスアビリティとの間の、基本的な区別を提唱した。今日WHOは、個人および社会モデルの合成である、生理心理社会的なアプローチを生み出している。
 競合するモデルに関する以上のリビューでは、インペアメントとディスアビリティの社会学的分析における主要な問題や論点を示した。このような論点に関しては、医療社会学者が「慢性病および障害」と呼ぶエリアに相当な量の研究が既に存在している。この点に関して次章において、より詳細に検討する。


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◆3 慢性病とディスアビリティへの社会学的アプローチ in Exploring Disability (2nd Edition)

20100825 青木千帆子

 ディスアビリティの社会モデルの初期の解説者は、障害の個別化および医療化に対抗し、社会的抑圧として分析するために、健康および病いの医療社会学的アプローチの欠点を批判した。第3章では、医療社会学における理論的・経験的な論争の多様性、およびディスアビリティの批判的分析のために関連する可能性について検討する。
 私たちは社会状態としての病いを社会的逸脱状態として扱う研究に関して、タルコット・パーソンズによる医療制度および病者役割に関する機能主義的分析を確認することから始める。続いて、ラベリング理論、相互作用論、新しく発生した解釈学的説明における議論を確認し、これらを病いの経験、社会との関係、自己同一性それぞれのつながりという観点から検討し、社会学的に展望する。続いて医療専門家の影響力を含め、健康と疾病の政治経済学に注目し、その矛盾やネオマルクス主義的研究における議論について紹介する。最後に、「身体化される社会」において「慢性病とディスアビリティ」をめぐって、身体的特徴をめぐる社会理論や競合する言説としてのポスト構造主義における議論を振り返る。

  □ 機能主義、パーソンズおよび病者役割

 タルコット・パーソンズの『社会制度(1951)』は近代医療をめぐる解釈の方向転換を象徴している。彼の機能主義的観点からなされた社会構造の分析によると、社会制度の有効な作用は個々が必要とされる社会的役割を遂行することに基づいていると考えられている。パーソンズによると、病者役割とは個人と社会制度双方にとって疾病という脅威を管理するための方法である。それは病気になった個人のために容認された一時的かつ条件付きの社会的逸脱の形式を提供する。患者と医者間の相互の利害そして共有される目標が病者役割を持続させている。
 高い資格をもつ実務家が、健康と病いに関する主要な決定権をもち、専門家としての倫理がさらに医学的権威を合法化する。したがって患者は、「責任、資格および職業的配慮に基づいた制度的に卓越した専門家役割」から利益を得ることになる。
 病者役割に関するこのような記述は、相当な批判を浴びた。その機能主義的観点は、現代医療を過度に美化した表現を生み出した。また、世界中に普遍的に病者役割が存在することが広く議論された。「実際の生活」では意味や実践が社会的文脈ごとに異なり、社会階級、ジェンダー、エスニシティーのような社会的要因、疾病の状況といった個人的要因ごとに、状況や責任の認識が重要な媒介となって影響することを示す研究が発表された。そして多くの社会学者が、パーソンズの病者役割が急性疾患のみに基づいた理念的・典型的な説明になっていると主張した。続いて、慢性疾患にある個人の社会的依存が確立されるに従い、個がある「害された役割(impaired role)」を演じるようになるという指摘がなされた。このようにして社会復帰する際に、より低いレベルの役割遂行が標準化されていくことが指摘されたのである。

  □ ラベリング理論とスティグマ

 固定的な社会的役割へ個人を位置づけていく機能主義的理論に対する不満は、新たな社会学研究を生み出した。新たな研究は、個人の姿勢(意味)と行動とのつながりにアプローチした。そして社会的相互作用、および個人がどのように日常生活の意味をつけるのかという点へ社会学の焦点を移していった。

  ◇ラベリング理論
 ラベリング理論によると、ある個人的属性や振る舞いを、「逸脱したもの」として定義する客観的な根拠は存在しない。ラベルを付ける行為自体が逸脱を分類するのである。第一の逸脱は、最小の社会的影響をもたらすもの。第二の逸脱は、それによって個人が新しい社会的身分やアイデンティティを得るものである。David Rosenhanによる「狂気の場で普通でいること」に関する研究は、「精神医学的評価におけるラベリングのもつ重要な役割」を鮮明に例証した。同様の研究として自身が精神病医であるThomas Szaszによる「反精神医学」もある。これは精神病が、生理学的な原因の存在しない「神話」であることを示したものだ。
 歴史的に見て医療は、医療を提供するだけでなく、人々の異なりや逸脱を示す社会的刻印を提供する点で、中心的な役割を果たすようになっている。行動が逸脱しているかどうかを判断することの曖昧で恣意的な側面は、集団ごとの慣習や文脈の重要性を強調している。

  ◇スティグマ
 アービング・ゴフマンの著名な研究「スティグマ」の主題は、社会的相互作用における受け入れがたい差の意味である。ゴフマンは、「損なわれた同一性」に関して汚名をきせられた個人の反応をじっと眺める。そして彼は、目に見えるスティグマを備えた者に対する「既に辱められた(discredited)」状況と、目に見えないスティグマを備えたものに対する「恥ずべき(discreditable)」状況との違いを区別した。スティグマが社会と個人双方からのコントロールを受けることから、普通とそうでないものの社会的相互作用は、社会学における根源的な題材の一つとして記述されている。彼の関心は、この相互作用をコントロールする個々の試みや「自己の提示の仕方(Goffman, 1959)」にある。目に見えるスティグマを備えたものにとってのジレンマは、初めて会う人との緊張を管理し、自らの地位とアイデンティティをいかに回復するかである。一方「恥ずべき(discreditable)」状況にある個人は、どのような情報が自らを「標準化」するのかをあらかじめ把握し、調整している。スティグマのある状況にいる個人が適切な調節を達成するためには、「正常」な人々から彼らがどのように見えるかを理解しておく必要があるのである。
 同様の研究として、Fred Davis (1961)が、目に見えるインペアメントのある個人と健常者の間の相互作用における「逸脱を否定する」戦略について調査したものがある。これは、社会的な出会いの場で自らが「身体的には異なるが社会的には逸脱していない」ように見せるための障害のある人々による試みを記述している。
 慢性病者がどのように公的にあるいは専門家から期待される役割へと組み込まれるかという点が、ロバート・スコットによる「盲人は作られる(1969)」で描写されている。ここでは、他の全盲の人々の姿勢や振る舞いとは全く異なる、日常の社会的相互作用における「社会的盲者役割」を身に着けるためにリハビリテーション施設に来た人々が、どのように「医学的全盲」と定義されるかを描かれている。
 ゴッフマンはさらに、精神病院や刑務所、僧院のような「全面的な入所施設」へ入所することで、アイデンティティの変容が強制されていく形式について研究している(1961)。社会心理学的領域や個人のステレオタイプ化への着目は、障害のある人々の暮らしに対する価値ある洞察を提供した。様々な入所施設を扱う社会学研究は、「保護管理」体制が入所者を押しつぶしていく様子を、そして「施設生活の重い画一性」を描き出した。
 スティグマに関する研究を含むラベリング理論、および施設での生活の特徴は、慢性病とディスアビリティに関する研究に重要な影響を及ぼした。一方で、スティグマの受動的被害者としてのみ個人を表わすことに対する批判も引きつけた。

  □ 交渉と解釈による説明

 The negotiation approachは、人々の意味づけや意味世界の構築に関する解釈学と現象学的説明をつなげたものである。The negotiation approachに基づく研究では、多様な病いに関して(身体的な)「症状」や、「孤独、隔離、依存、スティグマに関する感覚」双方から個人の「生きた経験」を描き出している。これは、医学知識へのリアリスト(実在論的?)アプローチに相互作用論および解釈学的洞察を組み込んだ「医療社会学」アプローチの根拠を形成した。さらに慢性病を患うことに関し、2つの関連する意味づけをめぐる重要な区別が指摘された。それは「結果」と「意義」である。そこには、長期的な病いに罹り様々な制限に直面することで、それまで当然視していた物理的身体や「正常性」の感覚、自己および社会関係における価値ある存在という観点が覆るという仮定がある。「裏切られた」感覚や「人生が混乱」する感覚は、活発で自立した個人のライフスタイルを評価する社会において特に鋭い問題として現れる。
 医学的治療の形式およびインパクトは、潜在的に人々の日常生活に影響を及ぼす。症状を管理することに対して専心することは、しばしば「普通」の仕事を行ない、他人に「遅れずについていく」ことを困難にする。特に解釈学的な観点からは、「慢性病とディスアビリティ」への適応プロセスが検討されている。公的な場面における「朗らかな禁欲主義」「不平を言ってはならない」といった姿勢は、しばしば、ネガティブな身体経験に対する感受性を示す「私的な」記述とは対照をなす。
 Gareth Williams(1984)は、関節炎の人々が、各自の生い立ちと認識された因果関係に関して「言説の再構築」をしていると指摘している。否定的スティグマを負わされる影響を最小化するために、個人は病いを偽装し「正常性」に及第しようと努力する。今日におけるナラティブは、例えば病状の変遷と死のパターン、疾病やインペアメントに関する膨大な情報、医学的介入のインパクトといった事柄に関する、多様な社会文化的文脈から生み出されている。例えば意味が「有意性」の観点からとらえられる場合、社会集団や文化ごとに異なる病いとインペアメントをめぐる評価に重点が置かれているのである。
 てんかんの経験に関する研究は、否定的な既成概念に関する微妙な点を明らかにする。付与されたスティグマと実際の差別、予想しうる否定的反応に対する恥や心配のすべてをプロセスは包含している。医学的ラベルや経営上のルールは、一般の人々の問題認識や潜在的な支援要求手段や、解決策に影響を及ぼす。このようなことから、精神医療制度ユーザーの多くは自らの経験や苦痛の説明として医学用語を使うことを拒絶している。
 今日の社会構造の下、解釈学的説明はしばしば、ミクロレベルにおける人々の態度と実践へと注目を集め、より広い社会構造や権力関係から注意をそらしてしまう。解釈学的研究は、日常生活における社会的障壁を無視し、「身体の異常」や「個人の問題」といった物語に吸収されるようになってしまった。「日常生活における抑圧的性質は明白である。この抑圧の起源の多くは、政治家、建築家、ソーシャル・ワーカー、医学専門家支配による敵対的社会環境や無力化する社会的障壁にある(G. Williams, 1998, p. 242)」とガレス・ウィリアムズが記述している。

  □ 医学そして専門家の支配

 権力と社会的コンフリクトに注目する社会学的アプローチは、率先して医学支配の程度や特徴について検証した。それらはどれくらいの範囲に影響し、どのように社会的統制の主体として働くのか、あるいは、資本主義や支配的な社会集団、「医学産業」複合体を代表しているのだろうか。
 実例として、Nick Jewson(1974, 1976)は、産業資本主義の発展と、特定の医学的形式、後援者と依頼者との関係、組織や分業によって識別された個別の「医学的生産様式」との相互関係をめぐる歴史社会学的分析を進めている。この確立された「科学的医療」と健康および病いの生物医学的モデルは、専門家や実務家の専門知識、患者に対する権威、健康知識に関する競合する実務家とシステムと協調関係にある。全体として、医学はその実証された(育成)能力によって専門家養成の典型例となった。より最近になって、「後期資本主義」や「ポスト・モダン」社会への変更の結果として、医療専門家支配と医療化およびモダニティの間のリンクが再度引きなおされているという指摘があった。専門家は、健康および社会福祉政策、およびその実行に対するさらに大きな影響を及ぼしている。

  ◇専門家と素人の遭遇
 医学による専門性と倫理性に関する主張は、パーソンズの病者役割に組み入れられた一般人―専門家間の階層的特徴を合法化する。社会的な異なりは、とりわけ少数者やエスニック・グループにおけるといった不利な状況における労働者階級の患者を一般人-専門家関係で束縛します。同様に、男性の実務家は女性の患者に対して性役割や既成概念で対応する。
 1980年代以来、政府の政策はヘルスケア・セクターにおける患者の「消費者」役割を促進し、患者と保健専門家の間の「民主主義的」遭遇を進めてきた。専門家および医学の覇権に対する脅威は、後期資本主義において実施された健康産業の労働プロセスのリストラクチャリング、および健康産業の料金、内容および報酬に管理者が介在し多くの人々が関わるようになることに関連して発生した医療の脱技術化において発生した。
 さらに、「後期モダニティ」の出現は既存の医療支配の形式に対し大きな意味を持っている。これは、特に新しい情報、社会的現実に関する知識の発生、専門的知識の成文化、社会的反省の中心的位置、および解放のライフポリティックスから生じている。
 1990年代の典型的な結論は次の通りである。「生じた変化は、医療専門家の組織化された技術的自治やそれらの社会・文化的権威の衰退よりも不快な調節のようにみえる(Elston, 1991)」

  ◇医療化
 医療支配の主な特徴は、医療専門家は、病いおよびその他の診断を、有効に対処する能力とは関わりなく、それらを管轄する権利を主張する点である。イバン・イリイチは、医療専門家が病人を治す能力を誇張させ、否定的「医原病」(すなわち供給者によって引き起こされた病い)の可能性を無視していると主張した。ネオマルクス主義的からは、私的な、企業的利益を進める資本主義社会を再生し、新たに発生しつつある「医療産業」の主張に結びつく重要な次元として医療化があると指摘されている。このような主題が具体的に適用されることは「日常生活の精神医学化」を示唆する。
 知能測定の統計結果が示す正規分配曲線は、「軽度知的障害」というカテゴリーを定義づける恐らく唯一の最も影響力のある要因として知られている。後期近代社会では自己実現および感情管理が個人のプロジェクトとして促進され、「自己治療の文化」「生活世界の植民地化」といった要素を包含していることが例証されている。
 しかしながら、医学的興味の冷酷な進歩という図にすべての研究が一致するわけではない。さらに、国家、私的法人、ボランティアセクター、素人のセルフヘルプグループを含む、多様な利害関係が及ぼす影響を示す証拠があげられている。企業利益に基づく積極的なマーケティングおよびメディア、インターネットにおいて特別な利害関係をもつ(必ずしも医療専門家ではない)専門家グループはすべて、未知の健康問題の出現に巻き込まれている。1990年代までに、次の利害関係が主な要因として出現した。「医療化へのエンジンは増幅しており、医者や患者といった関係者団体よりも商業と市場の利害によってより強く動かされている。

  □ 医療と病いの政治経済学へ向けて

 1980年代以来、「後期資本主義」に関する研究は、グローバル化および世界経済のリストラクチャリング、および政治における新自由主義の影響を強調している。保健政策に関するマクロ研究への関心が復活したのと同様に、ミクロのレベルの相互作用に対する社会、経済、文化および政治的要因の影響に関する関心も復活した。
 例えば、Richard ParkerとPeter Aggleton(2003)は、HIV-AIDSの事例研究を備えた「社会的排除の政治経済学」という研究を公表した。この研究におけるスティグマを分析する枠組みは、個別の行動と原因属性から「文化、権力、異なりの交差」へと移っていく。ParkerとAggletonは、「伝統的」「現代的」形式の排除の間に「強められた相互作用」があり、ここにアイデンティティの社会構築のための新しい可能性を見出すことができると示唆している。20世紀におけるこの四半期、政策変化として起きた福祉国家の縮小や公共部門における市場競争が増強されるのと同時に、「逸脱やスティグマを正当化する概念の拡張および政治的研磨」が存在している。

  ◇「慢性病とディスアビリティ」の社会起源およびパターン
 病いと健康に関する社会経済的起源は、社会学的議論や社会政策における議論における主な研究課題であった。研究は、貧困層における慢性疾患や高いレベルの制限がある人々の病状と死の社会的パターンを、社会経済的な観点から一貫して分析・報告してきた。
 今日、健康に関する社会的パターンは、ジェンダーやエスニシティーとの関連から捉えられている。例えば女性は、より頻繁に「精神障害」として診断される。精神医療とエスニシティーにもさらに著しい関連がある。同様に、アフリカ系カリブ人人口の分布と精神病のタイプの分布の不均衡に関する、英国における大変評価の高い研究がある。不均衡な分布や、治療、結果に対する説明は多様である。例えば遺伝的要因、社会経済的/環境的要因、信憑性の低い診断や精神医学手法といった人工的要因などである。このような研究は、インペアメントの社会的起源に関する研究と直接的な関連がある。それは、定義と測定の重要性を強調する。例えば、「精神病」のような診断された病名の帰属が、社会集団ごとに異なる社会的要因によってどのように媒介されるのか、どのような専門家によって、あるいは組織によって個人が処理されるのか、といった点に関して詳細に記述することが重要とされる。

  □ 身体化とポスト構造主義

 ポスト構造主義は、医学知識の社会生産および身体の理論化に新しい推進力を与えた。主なインスピレーションは、ミシェル・フーコーによる知と権力の関係をめぐる論考と、その一方で重要性を増してきている自己管理の側面から与えられた。権力の性質は、他者に対して働きかける唯一の権威主体としての君主制から、監視と規制の複合によって統治される自己規律へと、歴史的変遷を遂げた。『狂気の歴史』は多くの決定的な変化の存在を論証している。歴史上、病いとインペアメントは、「運命」や宗教的・神秘的な力、防ぐことのできない自然の力などに帰属される様々なカテゴリーの不幸を包含していた。
 医療化の進行と、健康的な生活や「良く見える」ことをめぐる言説の増幅とは明らかに重複しており、新しく発生した消費者文化の下「オプションと選択」に重点がおかれるようになった。正常性をめぐる医療は、生活上の困難を心理学的問題へと置き換えてしまった。扱いにくい要望や不満が増えたのではなく、特別な操作技術によって治療可能である心理的装置が不調を来していると解釈されるようになったのである。
 社会が特定の形および能力を備えた身体を理想化するに従い、弱く「粗末な」身体は卑下されていった。同様に「身体強健」的な価値を規範化し賞賛することは、障害のある人々の価値を下げた。消費者文化および健康主義の興隆は、老いや障害のある身体を大きな懸案事項へと押し出した。「正常」に機能しない身体、あるいは「正常」に見えるが車椅子やベッドに縛り付けられている身体は、公共施設において障害者や高齢者への配慮が不足していることに証拠づけられるように、視覚的にも概念的にも場違いなのである。
 ポスト構造主義による分析や、それまで視点が欠落し、批判的実在論の再興によって題材として再び浮かび上がった身体は、生物学と文化の間の乖離に橋を架ける。社会構成主義が興隆した1つの成果は、身体をめぐる議論を実在論・認識論に二極化することであった。今後、批判的リアリストが「意識を身体に引き戻し、身体を社会へと、そして社会を身体へと引き戻す」方法を提供すると予想される。

  □ まとめ

 本章では、「慢性病とディスアビリティ」に関する医療社会学における広範な理論的基礎を概観した。医療社会学者は一枚岩ではない。医療社会学の発生段階で最も影響があった議論は、主にパーソンズによる病者役割、ラベリング理論、ゴフマンの「スティグマ」である。最近になって、これらに対し交渉アプローチや解釈学的展望が提示された。今日もなお専門家および医療支配の形式、そして医療化に関して議論が継続されている。新しく発生したポスト構造主義への熱狂は、医学的知識の社会構成主義的分析によるメリットをめぐり激しい議論を生み出した。このことが続いて、批判的リアリストの再起を促したのである。
 理論的観点や研究の多様性を認めつつも、異なるレベルの「分析」いずれにおいても、病いの経験的な語りに今日の有力な社会学の焦点はおかれている。このような展望から、社会的排除の具体的な形式としてディスアビリティを検討する社会モデルは、極度に(社会を)単純化したもの、政治的に動機づけられている、過剰に社会運動めいている、還元主義的である、一元論的である、政治色が強すぎる、マルクス主義の変形であるといったラベルを付けられ、無視されるか却下されるようになってしまった。さらに、傷ついた経験の語りと強い政治色を帯びた概念の間をとる、という中道の提案は、これまでディスアビリティの社会モデル分析にエネルギーを与えてきた政治運動と社会的研究との間を切り離すことを基本的に意味する。
 しかしながら、社会モデルからディスアビリティの社会理論へと重心を移すことは、「慢性病とディスアビリティ」についてのより詳細な社会学的討論を可能にし、ミクロレベルの社会的相互作用論からマクロレベルの配慮の問題、そしてミクロ・マクロ間連鎖までを議論の射程に入れるだろう。あいにく、無力化する社会的障壁や抑圧へアプローチする医療社会学における議論はこれまで希少であった。しかし、スティグマの分析を政治経済学的に分析したGraham Scamblerによる『再構成』、キャロル・トマスの「disablism」といった重要な例外がある。社会理論のディスアビリティに関する強烈な可能性は、社会的障壁、専門家支配、「無力化された身体」の経験に社会学的洞察を適用することにより、これからも検討され続けるだろう。次章で検討するのは、このような、ある重要なテーマを理論付けることによる障害学研究への貢献である。



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◆Chapter 4.  Theories of Disability(ディスアビリティの理論)

  Barnes, Colin and Mercer, Geof 2010 Exploring Disability, 2nd Edition,Polity Press.
  「障害学研究会」2010.8.25.(利光恵子)

・本章では、アメリカの自立生活運動によって活気づけられた、国の福祉政策、ヒューマンサービス産業、障害ビジネスの大局的な分析から始める。次に、唯物論者による社会モデルをめぐる論争と、障害者に対する社会的抑圧を強調する構築主義について述べる。最後に、ディスアビリティ理論におけるpostmodernist による議論について述べる。特に、インペアメントを包含し、医療社会学者によって導かれた考えを含むディスアビリティの関係モデル(relational model of disability)によって活気づけられたディスアビリティの包括的アプローチについての論争について述べる。

  □Welfarism and its discontents(福祉政策とその不満) ... 72

・アメリカとイギリスにおいて、今まで、障害者運動とアカデミーの間で、ともに相互に有益な関係があった(Barns, Oliver and Barton 2002)。Independent Living Movement(ILM 自立生活運動)の起源はアメリカの大学のキャンパス文化の影響を受けた。したがって、アメリカの学者が自立生活の概念と関連した典型的シフトの可能性を探るために社会学的枠組みを初めて使用したことは、驚くにあたらない。彼らは、障害をもつ活動家とその組織の唱道する概念を焦点化させた。

◇Disabled people and the state(障害者と国家)
・1980年代に、障害政策のコストの上昇についての米国と英国の政治家の関心の影響を受けて、アメリカの政治学者、デボラ・ストーン(Deborah A. Stone)は、国の福祉制度によるカテゴリーとしての障害(disability category by state welfare system)という分析を提示した。英国、ドイツとアメリカの社会福祉情勢の歴史の報告を通して、彼女は、政策立案者は、『ニーズに基づく分配』と『労働に基づく分配』を管理しているのだが、障害の公式定義は、その“根本的な分配のジレンマ(fundamental distributive dilemma)”の結果であると主張する。
・全ての社会は、労働に基づくものとニーズに基づくものという二つの分配システムをもつが、重要な問題は、どのようにして労働に基づく分配原理を侵すことなく、ニーズに基づく再分配システムを達成できるかということ。
・先進的な資本主義社会では、福祉国家が、病気や障害といった「労働市場から除外する分類」を特定。障害者と分類された者は、福祉給付を受ける資格と労働義務の免除を受けるが、同時にスティグマを付与されやすくなり、経済的に剥奪される。行政上の目的のために、「障害」を確認するための客観的な方法として、医療が不可欠なものとなる
・ストーンはまた、障害のカテゴリーは、資本主義の初期段階において労働力を発展させるためには必須のものであったし、またそれは今日においても「労働力供給を国が管理する手段として」(Stone, 1985: 179)不可欠なものであると主張している。
・ストーンの議論は、福祉国家の官僚制における分配カテゴリーとしての“障害”についての理解を深めた。障害カテゴリーの存在根拠が、“きわめて政治的な課題”であり、まさに社会的に構築されたものであるということを明らかにした。障害カテゴリーは公的な行政管理カテゴリーへと変形され、そして医療専門家との関わりによって“客観性”が与えられるのである。

◇Growth of the human service industries(ヒューマン・サービス産業の成長)
・ヴォルフ・ヴォルフェンスベルガー(Wolf Wolfensberger)によるディスアビリティについての初期理論における画期的進展
・“ポスト第一次生産経済”post primary production economy(ポスト産業化社会の一種)では、資源の不均等な分配と先例のない高失業率が予期される。が、食品の価格や日用品の価格を人為的に低価格に保つこと、軍備や広告産業のような非生産的雇用をつくりだすこと、巨大なヒューマン・サービス産業を興すことで、産業経済は“ほぼ、無意識に”問題を解決している。ヒューマン・サービス産業の成長は保健や教育や社会福祉といったますます拡大する分野に依存する(障害のある)人々の数が増大することにかかっている。
 ヒューマン・サービス産業の潜在的機能は、依存的で価値を奪われた人々を多数創出して、その数を維持することであり、これはそのような人々以外の人々の雇用を保障するためである。このような潜在的機能は、依存的で価値を奪われた人々を、“治し”または“回復させ”地域に戻すという、表明された機能とはまったく対照的なものである
・また、ヴォルフェンスベルガーは、ソーシャル・ロール・バロリゼーション(価値を奪われる恐れのある人々のために、価値ある社会的役割を創造し、それを支え守ること)に貢献。「社会的に価値ある生活状態」(Wolfensberger & Thomas, 1983: 24)を創造することも含まれる。だが、社会的に価値づけられた障害者の役割や活動を“解釈”するうえで中心的な役割を専門家に与えているため、“ノーマライゼーション”とは、脱施設化や地域を基盤にしたサービスの供給という新しい政策に専門家たちがうまく適応するのを助けただけだという批判がある

◇The disability business(障害関連ビジネス)
・ディスアビリティの社会構築や、それに伴う巨大なリハビリテーション産業の成長について、ヴォルフェンスベルガーよりも詳細な歴史的分析をおこなったのがゲイリー・アルブレヒト(Gary Albrecht)の『障害関連ビジネス――アメリカのリハビリテーション』The Disability Business: Rehabilitation in America(Albrecht, 1992)である。アルブレヒトは、アメリカ社会における「民主主義、社会立法、そして先進的な資本主義」と関連づけて、「身体障害とリハビリテーションの政治経済分析」(p.13)を試みている。それはまた、疾病やインペアメントの「生産、解釈、処遇」(p.39)の生態学的モデルを提示している。
・狩猟採集社会、遊牧社会、園芸社会、農耕社会、産業化社会(ポスト産業化とポストモダン段階)では、社会におけるインペアメントや“障害”の種類や程度が異なり、またそれをもつ人々への社会的反応もさまざまである。
・アルブレヒトはインペアメントとディスアビリティの医療化の重要性を認めているが、アメリカのように私的保険がヘルスケアシステムを支配しているような中で、障害をもつ人々が、いかに、健康サービスと商品、ケア事業や専門家の大きなマーケットになっているかを強調する。これらには、補助具、器具、薬品、保健、トレーニング、リハビリテーションが含まれている。
  障害産業は、障害をもつ人々をあからさまにマテリアルとして扱うとともに、障害やリハビリテーションンに関する商品やサービスを商品化することによって、彼らを消費者にする(Albrecht 1992:68)。

・以上のように、理論的な出発点は異なるが、いずれも伝統的な障害の医学モデルに対する批判を提供した。障害と産業化社会の発展との関係や、医学モデルと社会モデルが描く対照的な障害像の発展に関わる物質的・文化的要因の役割、また、専門家による障害の支配、そして障害者による社会的抗議や政治的闘争の発展といった主要な論点がこれらの研究によって示されている。
・しかし、アメリカでの研究は、イギリスでの研究に比較すると、障害者が経験する不利について、それを社会的・文化的抑圧の一つとして理論的に検討し、ディスアビリティの理論的分析を展開するまでには至っていない。むしろ、アメリカの社会モデル・アプローチは、ジェンダーやエスニシティ、年齢、教育歴など、一連の環境的・社会経済的要因とインペアメントとの間の相互関連から生じる行政的な課題として“ディスアビリティ”に注目している(Zola, 1994)。そうした姿勢は長い間かけて“多数派の地位”と同等の権利や資格を獲得しようとしてきた公民権運動によってかたちづくられてきたのである。

  □Theories of disability and oppression(障害と抑圧の理論) ... 77

・アメリカと同様に、イギリスでのディスアビリティについての理論的分析の根源は、1960年代後半から1970年代の障害者による政治的行動や闘争にある。障害者による政治的闘争には、入所施設での障害者による自律と自主管理を求めるいくつかの運動(Finkelstein, 1991)や、包括的な所得保障や新しい生活の選択肢を求めるいくつかの運動(Oliver & Zarb, 1989)が含まれる。このような社会的・政治的変革の風潮のなかで、前例のない障害者の政治化が、ディスアビリティについての社会的分析の画期的な議論と並行して起きている。北米での研究にみられる矛盾は、それが北米以外の国々での障害者の地位の変化について言及していながら、欧州またはその他の国々での障害の社会モデルの発展についての議論を無視していることである。もう一つ両国の研究で対照的な点は、北米の分析が主に研究者によっておこなわれている一方で、欧州では研究者ではない障害者活動家が理論的発展に対して重要な寄与をしている点である(Barnes, Oliver and Barton 2002:6)。
・さらに、これらの分析は、様々な方法で、産業社会やポスト産業社会の中での無力化されるプロセスについての、経済的・政治的・文化的現象の包括的で分かりやすい例を提供した。だが、これらの研究は、これらの経済的・社会的ファクターが、インペアメントをもつ高齢者や女性といった障害をもつ人々の中でも周辺化されるグループへの影響を十分深く述べなかったことで、批判された。

◇社会的抑圧としてのディスアビリティ
・障害をもつ社会学者、ポール・アバーレイ(Paul Abberley, 1987)は、ディスアビリティを社会的抑圧として分析する枠組みを提起した。彼は、ディスアビリティの経験がもつ歴史的固有性を認識しなければならないと強調した。
・多くの障害者にとって、「生物学的差異それ自体が抑圧の一端である」(Abberley, 1987: 7)。インペアメントはそれ自体が人を機能的に制約。このことによって多くの障害者は、“非障害者”のモデル・イメージに同化できないために、低い自己評価(French, 1994)や、または“内面化された抑圧”(Rieser, 1990b)を経験することになる。それゆえ、ディスアビリティの社会的抑圧理論は、社会的に構築された差異よりも、むしろ実体的な差異、すなわち“能力が劣るという現実”に取り組まなければならないのである。
・産業化社会では多くの障害者が“通常”の生活レベルに達する努力すらできないことにより、インペアメントは“異常”というイメージがつくられるのである。例えば、福祉制度は障害者に不充分な所得しか支給しないし、インペアメントのある人々は職場環境の障壁によって労働から排除されている。障害者は社会生活における完全参加を拒否されているという点において抑圧された存在なのである。
・アバーレイは後に(1995:1996:2002)、抑圧と排除と労働について述べている。というのは、現代社会では、国内的にも国際的にも社会的政治というものは、周辺化された人々を伝統的な労働市場に編入するからだ。社会的構成員のモデルに基づくこの労働は、対症療法の医療の予防的/治療的展望や、遺伝工学や中絶・安楽死の特別なロジックに関係している(Abberley, 2002:135)。他の被抑圧グループとちがって、必然的に、障害をもつ人々のある部分は雇用されず、それゆえ、平等な市民権も持てない。これは、全ての人々の平等性は労働力に包摂されることにより獲得されるという概念に疑問を投げかける。これらを考慮して、アバーレイは、従来の理論に変更を迫り、被抑圧者の立場から立ち上げられた知識にそれを置き換えて、抑圧というものを理解するような、インペアメントに関する議論を含む新しい無力化の社会学(sociology of disablement)の発展を求めた。

・1990年代初め、社会的抑圧としてのディスアビリティの研究は、ネオ・マルクス主義の影響を受けた人々や唯物論的説明をする人たちに主導されていた。変化は、フェミニストとポスト構造主義者が障害学に大きな影響をもちはじめたときに始まった。障害をもつ女性、少数民族の障害者、高年齢の障害者、レスビアンやゲイの障害者、学習障害者、メンタルヘルス使用者やそのサバイバー、聾者といった特殊性にもとづいて疑問は出てきた。

・アメリカの政治理論家アイリス・ヤング(Iria Marian Young)は、『正義と差異の政治』Social Justice and the Politics of Difference (1990)で、他の周辺化された人々と同様に、全ての障害をもつ人々の社会的抑圧を比較考察できる分析的な枠組みを提供した。
・抑圧には、搾取、周辺化、無力化(powerlessness)、文化的帝国主義、暴力という五つの次元がある
“周辺化”に伴う孤立や排除こそが、障害者の経験の中心的な要素であり、“最も危険な”抑圧の型である。特別な施設のなかでの教育や入所。障害児殺しや中絶、女性知的障害者への強制不妊手術、ナチスの障害者大量虐殺計画といった、“完全撲滅”という考えがひそんでいる。
・国からの援助はしばしば、障害者にとって両刃の剣にもなる。つまり「われわれの社会で福祉に頼るということは、社会サービス提供者や政府および民間のサービス管理者の、独断的で介入的な権威に対して従属しなければならないということである。このようなサービス提供者や管理者は、周辺化された人々が従わなければならないような規則を施行し、これらの人々がそれを守らない時は、彼らの生活状態を左右する権力を行使するのである」(Young, 1990: 54)
・専門職に就く者は、その労働において権威や自由を行使する機会(職業上の支配権)が多い。障害者は、その専門家との不平等な出会いに満ちており、無力化される
・文化的帝国主義とは、アントニオ・グラムシ(伊)のいう“ヘゲモニー”(=従属的な立場の人々が自発的に受け入れるような支配)。イデオロギー面での優越性は、支配集団の世界観や価値や制度を,“自然なもの”あるいはあたりまえなものとしてとらえることによって達成されるのであり、ディスアビリティという概念には“健常社会”の規範や価値が吹き込まれている。
・ヤングによって指摘された抑圧の最後の次元は“暴力”である。身体的攻撃、性的暴行、“精神的”嫌がらせ、あるいは脅迫やあざけりといったさまざまなかたちをとる。抑圧を受けている集団は、こうしたさまざまな暴力を受ける。障害者の場合では、特に施設において子どもや女性に対する性的虐待が広くおこなわれている。また、障害のある胎児の中絶という制度的な暴力や、“異質にみえる”人々に対して示されるあざけりや嫌悪がある。
・これらの “抑圧の五つの側面”は実際には識別することは困難かもしれないが、ヤングの研究は、ディスアビリティがその他の社会的差別と同じ点や違う点を探求する枠組みを提供するとともに、障害者の間の多様な経験を分析する基礎をも提供している。

◇資本主義、産業化とディスアビリティ
・1980年に、ヴィク・フィンケルシュタイン(Vic Finkelstein)が、『態度と障害者』Attitudes and Disabled People によって、障害をもつ人々への抑圧の起源について唯物論的に述べた。フィンケルシュタインは、障害者活動家で、社会心理学者であり、Union of the Physically Impaired Against Segregation (UPIAS)や UK’s Disabled Peoples’ Movementの主要なメンバーである。これは、ディスアビリティの最初の史的唯物論である。彼は、ディスアビリティを生産様式(mode of production 分業の所有形式によって定義されるマルクス主義特有の発展段階の概念であり、政治的・イデオロギー的要因も考慮している)の変化に直接結びついた社会問題として分析した。
・第一段階 産業化以前、農業が経済活動の基盤。この時代の生産様式や社会関係は、インペアメントのある人々を経済活動への参加から排除せず
 第二段階 産業資本主義の始まり。インペアメントがある人々を有給雇用から排除(工場を基盤とし機械化された新しい生産システムがもつ“規律という権力”についていけなかったため)
→インペアメントのある個人を入所施設に隔離、障害者を保護と監督が必要な存在であるとみなすことを正当化 →医療の発展、大規模保護施設の建設 →障害者数の増加、介護・リハビリテーションに関わる専門家の増加
第三段階 ポスト産業化社会 新たな科学技術の発展により、インペアメントのある人々も一般の人々とともに働けるようになる→社会への障害者の再統合
・批判:技術決定論に傾きすぎ。科学技術は実際の生活場面に用いられると、障害者をエンパワーするだけではなく、無力化する場合もありうる。情報技術の発展は、一部のインペアメントをもつ人の労働市場への参入を可能にするが、知的障害者や中高年障害者を排除。

・マイケル・オリバー(Mike Oliver)の『無力化の政治』The Politics of Disablement(Oliver, 1990)は、これまでのディスアビリティ理論のなかでは最も注目すべきディスアビリティの史的唯物論的研究である。
・資本の機能上の必要、特に身体面でも知能の面でも産業化による要請に応えられる労働力の必要性によって、障害への個人主義的で医療化されたアプローチが出現。しかし、障害の個人的悲劇理論を発達させたきっかけとしては、生産様式だけではなく、“思考の様式”、およびそれと生産様式との関係も重要である。資本主義によって、ディスアビリティは個人的悲劇モデルという形をとるようになり、社会的抑圧がより深刻になった。
・封建社会では、障害者の大多数は生産過程に部分的でも参加。障害者は不幸な者とみなされていたが、社会から隔離されるということはなかった。産業資本主義の登場以来、隔離施設がつくられ、障害者は社会のメインストリームから隔離され孤立化することになった
・ディスアビリティの社会的生成には、個人主義イデオロギーと医療化イデオロギーが関係する。個人化イデオロギーは、自由主義経済の発展や賃金労働の普及によって発達した。医療化イデオロギーは、社会統制の装置。病者や障害者の施設において医療専門家の存在感が大きくなるにつれて、「健常な者」という規範概念が発展した。医療専門家が、急性/慢性の症状に“規範のまなざし”を向けることを可能にし、その結果、医療専門家の影響力はリハビリテーションの領域まで広がった。この障害の“医療化”は、障害者の生活を変質させた。
・19世紀には、障害者を“人間以下”の存在として捉える見方が台頭。この障害者に対する絶対的な否定イメージは、医療専門家たちが障害を、悲惨な運命やスティグマへの適応過程として概念づけることにより生じた。
・オリバーの議論では、ディスアビリティの生成は、産業資本主義の出現に付随して起こった物質的・イデオロギー的変化の文脈のなかに確固として位置づけられており、依存とディスアビリティの社会的生成についての洗練された論考と言える。オリバーの議論に対しては、文化的要因をあまりにも重視していると批判するマルクス主義者もいる(Gleeson, 1997)。また、非資本主義社会、あるいは資本主義以前の社会でのディスアビリティの分析がほとんど欠落しているという難点もある。

・経験に裏付けられた研究が、オーストラリアの学者、ブレンダン・グリーソン(Brendan Gleeson)によって行われた。『障害の地理学』(Geographies of Disability)の中で、彼は封建制度のイギリスとオーストラリアとイギリスの産業都市における、身体障害者の日常的な経験に注目して、ディスアビリティの社会的様相に関する地理学的史的唯物論による研究を行った。彼の分析は、障害をもつ小作人が、同じ不正義と健常な身体をもつ仲間による搾取を経験していたことを示した。彼らは、インペアメントゆえに、構造的に抑圧されたわけではない。彼の産業都市(19世紀の植民地時代のメルボルン)に関する主要なデータの詳細な分析は、商品市場の進展が、障害をもつ人々が自分自身や家族のために提供する能力をいかに低下させたかを示している。国は、生産に貢献できないと考えられる人々の広範な拘束でもって対処した。すなわち、20世紀に継続した政治方針によってである。その結果、障害をもつ人々に対する抑圧は、

広範囲に、制度的にも、物質的にも、深く刻み込まれた。抑圧の領域は、アクセスが困難な建物、依存の風景(すなわち、国や個人及びボランティア団体によって提供される社会的サポートの枠組み)、消費や生産からの除外、価値を貶めるような文化イメージや公共政策に及んでいる(Gleeson 1999:11)

・グリーソンの分析の更に進んだところは、abnormality(異常)の社会的構築に関する論考である。自然と政治的経済のマルクス理論を採用して、彼は、無力化の社会的起源に関して、身体(the body)の分析を行った。障害をもつ人々への抑圧―ディスアビリティ―は、身体化されたあるフォームの複雑かつ歴史的な抑圧や資本主義の発展、あるいは労働力を売ることができないインペアメントをもつ人々の中に埋め込まれている。資本主義においては、abnormality(異常)の社会的構築性は合法的である(妥当である)とされているので、ある個人の身体化された特徴ゆえに、彼らの主張を社会的に妥当だと認めない。インペアメントの不自然さは認められているが、無力化(disablement)の自然さは拒否されている。これは、インペアメントに伴う機能的限定を否定するということではなく、「インペアメントは、具体的に―歴史的文化的にと言われるが―ディスアビリティとしての社会化をとおして、あるいはある個性(抑圧的ではない)として理解されるだけであると断言することである」(Gleeson 1999:52)。

  □Disability and social divisions (障害と社会的分割)... 85

・障害者による排除の経験は同一だとされていたが、ジェンダー、人種やエスニシティ(ethnicity)、セクシュアリティ、年齢、社会的階級と障害の関係を取り入れようとする研究によって反撃を受けた。
・Nasa Begun は、障害女性の「二重の抑圧」あるいは「黒人障害女性の三重の抑圧」(人種主義、セクシズム、ハンディキャップ)について述べた。実際に、これらは別々の抑圧というより、同時に起こる複合的な経験である。分裂していたフェミニストの理論化作業の協同作業によって、エスニシティ、階級、年齢についての女性たちの異なった経験がかみ合い始めた時、障害について記述する女性たちは、「障害女性をひとつの未分化の社会的グループとしてカッコに入れること」を避けるよう努力しはじめた。

◇ディスアビリティとジェンダー(Disability and Gender)
・ジョ・キャンプリング(Jo Campling)は、『女性障害者のよりよい人生』Better Lives for Disabled Women(Campling, 1979)、『私たち自身のイメージ――障害のある女性たちの語り』Images of Our-selves: Women with Disabilities Talking(Campling, 1981)で、障害をもつ女性が、セクシュアリティ、母性、教育、雇用、メディアによるステレオタイプなど、個人的領域で直面する問題に注目させた。

・障害をもつ女性のジェンダーについての経験の理論化は、ミッシェル・ファイン(Michelle Fine)とエイドリアン・アッシュ(Adrianne Asch)によってなされた。彼女らのアメリカの研究の中で、障害をもつ男性はインペアメントによるスティグマに対抗する比較的多くの機会があり、それによって、典型的な男性役割を獲得するが、障害をもつ女性は、「男性が担うとされる生産役割と、女性が担うとされる養育役割の両方から除外される。障害女性は、おそらく、二重に抑圧された(Asch and Fin 1988:13)と述べている。
・最近の研究では、障害女性の間の差異について広く認識しようという試みがなされている。
・米英の経験的証明は、労働市場での障害女性の経験する社会的排除を明らかにした(Fine and Asch 1988, Lonsdale 1990)。このように、障害女性は、障害をもつ男性や障害をもたない女性に比べても、経済的、社会的、心理的に不利を経験する。結果として、障害女性は、フェミニストの分析に無視され、受動的な犠牲者として描かれた。「障害女性は、子どもっぽく、頼りなく、犠牲的で受動的だからとして、障害をもたないフェミニスト達は、よりパワフルで、有能で、アピールできる女性像を創造しようとする努力の中で、障害女性に対して批判的だった」(Asch and Fine 1988:4)。

・ジェニー・モリス(Jenny Morris)も、『偏見に対して誇りを』Pride Against Prejudice(Morris, 1991)
の中で、フェミニズムに対して批判的である。フェミニズムは、社会の厳格なジェンダー役割に対して長い間激しく闘ってきたが、障害女性については、ノーマルな女性役割を果たせない個人的悲劇として描いてきた。障害女性の立場から、「私たちは受動的で依存的な命であると規定されてきた。私たちの中性化されたセクシュアリティ、否定的な身体イメージ、制限された性役割は女性たちの生をかたちづくる過程と手順の直接的な結果である」(Begum 1992:81)

・また、障害女性は、様々な理由から、母親になるのを思いとどまされてきた。しばしば誇張されるリスク、自分自身の健康への脅威とか子どもにインペアメントを遺伝させるというな選択の否定、あるいは「良い母親」になるという彼らの能力の否定によって(Finger 1991, Thomas 1997, Wates and Jade 1999)。

・それにもかかわらず、「個人的なことは政治的なことである」というフェミニストのスローガンは、障害女性の書物に熱狂的に組み入れられた。これは、「女性の日々のリアリティは、政治によって伝えられ形づくられるのであり、政治的である必要がある」ということを強調する。これをきっかけに、インペアメントをもって生活している障害女性についての論文が多く出された(Campling, 1981; Deegan and Brooks, 1985; Morris, 1989, 1996; Driedger and Gray, 1992; Abu-Habib, 1997; Thomas, 1999)。これは、女性のセクシュアリティやリプロダクションや子育てが無視されてきた一方で、障害男性の経験―仕事や性的なこと―に圧倒的な関心が集まっていたことを意識的に克服しようと試みられた。個人の領域を政治化することは、「ネガティブな部分も経験に含むよう」コントロールことである(Morris 1993a:69)。特に、少数ではあるが広範な文献が、障害をもつ男性のジェンダー化された経験について明らかにされた(Gerschick and Miller, 1995; Robertson, 2004; Smith and Sparks, 2004)。

◇ディスアビリティ、人種、エスニシティ(Disability,‘race’ and ethnicity)
・「黒人障害者のアイデンティティは、「制度化された人種差別」(Confederation of Indian Organizations インド系イギリス人組織連盟, 1987)と言われる、黒人に対する深く埋め込まれた社会的排外の文脈の中でのみでとらえることができる。このことは、黒人障害者が「あるマイノリティのなかでもさらにまた別のマイノリティ」を形成し、「障害者のコミュニティや障害当事者運動のなかでさえ排除と周辺化」(Hill, 1994: 74)にしばしば直面するということを意味する。
・異なる社会領域の関係についての研究は、「二重抑圧」あるいは「複合抑圧(multiple oppression)」という概念を提示している。オジー・ステュアート(Ossie Stuart 1993)は「黒人障害者であるということは、二重の経験ではなく、イギリスのレイシズムに基礎をおくsingle oneの経験であると述べる。彼は、黒人障害者の受ける抑圧の違いについて、次のように述べる。第一に個性やアイデンティティが限定され、あるいは、ないものとされること、第二に差別の資源(resource discrimination)、最後に黒人社会や家族の中への隔離である。
・イギリスでは、レイシズムはcolourにのみとどまらず、文化や宗教の違いにまで拡大しているので、黒人障害者はレイシズムに反対する人々とも障害者団体からも引き離されている。これは、障害者団体の少数民族グループに黒人がいないことからも明らかであり、「別個の黒人のアイデンティティ(distinct and separate identity)」を確立する必要性を示唆している。また、黒人障害者は、雇用や余暇の活動からも排除されているために、黒人社会の中でも周辺化されている。これは、黒人障害者社会の中のマイノリティは、更なるユニークな同時に起こる抑圧を経験していることを示している。
・人種や少数民族の人たちがどのように扱われるかは、教育や労働や健康、社会的サポートサービスの中で障害者がどのように遇されるかに関係している。このことは、Nasa Begumによれば、複合的な生存のストラテジーと黒人障害者と他の抑圧された人々との間の同盟関係を導く。時に、黒人障害者はディスアビリティに挑戦する障害者と同盟を結び、一方で他の機会には、レイシズムと闘う黒人と共闘する。「同時的な抑圧の意味するところは、障害をもつ黒人男女、レスビアンやゲイの黒人障害者である私たちは、自分たちの生のリアリティを映しだすものとして単一の抑圧でもってアイデンティファイすることはできない」(Begum 1994:35)。
・つまり、「私たちの抑圧のひとつの局面を単純に優先すること」はできないということである。「複合抑圧」という概念は、日々の経験の中でそれらを分けることができて、一つの抑圧が他の抑圧に付け加えられるというように、抑圧が不平等な多くの異なった領域に分割できるかのような誤解を招く。
・要するに、これらの研究は抑圧の複雑な相互作用の分析の際に重要なのは、単純に抑圧・被抑圧を分割したり、行為体(agency)あるいはそれへの抵抗というような見方をしないということだ。「このようなモデルの重要さは、第一に、それは個々の力と構造のダイナミックな関係の中にあること、その多様性は、社会的分割(social division)は個人、あるいはグループに、違った方法、異なる時間、異なる状況で影響を与えているということである。ひとつ、あるいは多くの機会に、ひとつ、あるいは多くの場所で、ディスアビリティは注目を浴びる。つまり、他の機会には、階級の不平等性が同じような人やグループとして優位を占めるということだ」(F Williams 1992:214-15)。

・異なった(同時に起こる)抑圧の内部関係に焦点を当てることは、内部のfaultを明らかにしたが、まだ、いかにして排除のプロセスが社会的文脈を横断して作動するのかは残された問題である。Barbara Fawcett(2000:52-53)が述べるように、ミドルクラスの、白人障害者がレストランのアクセシビリティを改善させることは、黒人の健常なウェイトレスには非常にパワフルに見える。逆に、同じウェイトレスが、学習障害をもつ白人の障害者に対して、彼のマナーが他の非障害者の客を動転させるからという理由でレストランから出て行くように要求するかもしれない。「挑戦すべきは、複雑さや内部関係を理解しながら、抑圧を認識しチャレンジすることである」(Fawcett 2000:53)。別の言葉でいえば、「ディスエイブルメント(無力化)の政治は、障害者だけに関するものではなく、全ての形の抑圧へのチャレンジである。セクシズム、レイシズム、ヘテロセクシストや他の抑圧の形のように、それは人間の創造物である。それゆえ、全ての抑圧に立ち向かうことなしに、一つの抑圧にのみ立ち向かうのは不可能である。もちろん、それらをつくりだし継続させる文化的価値に対しても」(Barnes 1996)。

◇ディスアビリティとライフ・コース(Disability and the life course)
・最近、標準的なライフ・コース(子ども時代、青年期、成人期、老年期)について、社会学の中で論争点になっている。従来、スタイタスやライフ・コースの変遷は制度的文化的に作られていた。家族、経済、教育といった中心的な制度は、役割を定めていた。産業化社会では、伝統的に、社会階級は人々の生を定義する力をもっていたが、その力は失われ、個人や家族の生活史に確かなものを作りださなくなった。リスクや失敗への恐れが大きくなるにつれて、ライフ・プランニングとセルフ・モニタリングが行われ、制度的な要求とコンフリクトを起こすようになった(Beck 1992)。
・ディスアビリティとライフ・コースについて考える時、重要なことは、インペアメントを経験として知ったのは人生のいつの時点であり、ディスアビリティに対する社会の反応が年齢とともに大きく変化したのはいつかを知ることである。研究者は、主な三つの主なコースあるいは「ディスアビリティ経歴」を見つけている。第一に、インペアメントが生まれた時、あるいは幼少のころに診断された人々、第二に、青年期に病気やけがによりインペアメントをもった人々、第三に、年をとる過程でインペアメントをもつ老人である(Barnes, 1990; Jenkins, 1991; Zarb and Oliver, 1993; Bury, 1997)。
・唯物論的視点から、Mark Priestley (2003)は、世代間あるいは「ライフ・コース」の視点から、無力化(disablement)の過程の構造的文化的分析を行った。人生の様々な段階でインペアメントをもった人々への無力化させる環境と文化の異なる影響に焦点をあてることによって、彼は、ディスエイブリング(無力化)と社会のgenerational systemは両方とも、現代の産物であり「産業化資本主義経済の中での、生産物の社会的関係」であると述べている(Priestely 2003:196)。
・さらに、彼は、後期資本主義あるいはポストモダニティによる個人化(individuation)のプロセスの拡大が、徐々に、階級、ジェンダー、世代的な予想による伝統的なライフ・コースを掘り崩していると述べる。消費のパターンやライフスタイルの面から社会的階級をみるという傾向とも相まって、このことはこれは、障害者や、子どもや老人といった歴史的に周辺化されてきた人々が、インクルージョンや平等を主張しやすい社会的文化的環境が作られた。しかしながら、彼は、消費主義とライフスタイルの選択の重要性を強調する同世代のシステムと結託することによって、特に若い子どもたちや人生の終わりに近い高齢障害者のグループが、ディスアビリティの観念や大人としての位置から退去させられるかもしれない。「障害をもつ人々全てをincludingすることは、同様に、社会の中のとても若い人や非常に年とった人をincludingすることである。同時に、より関係的な方法で、われわれの能力やオートノミー(autonomy)に関する個人主義的で成人中心の概念に再定義をせまる」(Priestley 2003:198)。


  □Postmodernism: back to the future? (ポストモダニズム:未来への帰還?)... 90

・1990年代、無力化(ディスエイブルメント)への唯物論アプローチが支配的な状況に対し、ポストモダニスト型、あるいはポスト構造主義型パースペクティブの支持者から一斉に批判があった。
・これらは米国や北欧の文献に主に見られる (Wendell, 1989, 1996, 2006; Davis, 1995: Garland-Thomson, 1996, 1997, 2006; Linton, 1998a; Mitchell and Snyder, 1997, 2000, 2001)
・主張:ディスアビリティが形成される上での物的諸要素の優位性を強調する議論から、文化や言語、ディスクールに細かい注意を払う議論への転換の必要性

・ディスアビリティが生じる過程で言語が重要な位置を占めることは、1970年代から主要な関心事ではあった(Oliver, 1990; Barnes, 1992; Linton, 1998a; Swain et al. 2004: Haller, Dorries and Rahn, 2003)。
・しかしこんにちでは、一般に認知されているインペアメントを持つ人々を規定し、分類する際に用いられる、非専門家的で「科学的な」語彙に関して、デリダやフーコーの著作に影響を受けた書き手が多くの研究を著している。
・ポストモダニスト的な論者は、単一の理論カテゴリしかないとする思い込みを否定し、折衷的なアプローチをよしとする傾向がある。(Thomas, 2007)
・社会モデルや唯物論が支配的な状況への拒否反応を別とすれば、ポストモダニズムの中には考えるべき多くの論点がある。


◇ディスアビリティ、正常、差異(Disability normality and difference)

・ポストモダニスト派は、デリダなどに依拠しながら「デカルト的二元論」と言われる二項対立図式、つまり「あれかこれか」という思考パターンこそが障害者の社会的抑圧に中心的な役割を果たしていると主張する。「デリダ流の観点に立てば、正常(ノルム)中心主義とディスアビリティの二つは対立概念であるにも関わらず、前者は自らを定義する際に後者を必要とする。つまり、インペアメントを持たない人が自分を『正常(ノーマル)』と規定することは、正常でない人、つまりインペアメントを持つ人と自らを対比させることによってのみ可能なのだということになる。」(Corker and Shakespeare, 2002,p. 7).

・正常性(ノルマリティnormality、ノルマルシーnormalcy)概念の脱構築と、インペアメントに対する社会からの反応に対してそれが言説面で与える影響については、Lennard Davis (1995)の論考がある。

・デリダやフーコーに依拠しつつ行われる、インペアメントへの文化的反応の変化に関する分析は、ディスアビリティというカテゴリの出現に関する唯物論的説明を良い意味で補う。

・「ディスアビリティを持つ」個人や集団の形成は、統計学の利用によって医学的な知と実践が促進されたことも手伝って、「理念」が「正常/異常」の二元論に置き換ったことの必然的な結果
・またこれによって、一部の身体や精神のあり方を、見かけや動きの点で、異常かつ劣っていると表現することのできる階層秩序が成立した。また「欠陥のある身体や精神状態が『退化』と結びついた」 (Young, 1990)。

ポスト構造主義派の議論は「インペアメント」と「ディスアビリティ」というカテゴリが、より大きな身体の政治学の一部としてつねに書き改められている事実を分析しようとする。

・Rosemarie Garland Thomsonは「健常者性(できる身体を持つこと)」と「ディスアビリティ(できないこと)」を「自明な物理的条件」とする一般的な考え方に疑問を呈している。
・この議論の目的は、障害者の(できない)身体から医学の言説を取り除き、障害者を米文学の伝統で不利な立場に置かれているマイノリティとして描き直すこと。
正常を頂点とする、身体に関するヒエラルキーあるいは差異を考えるためには、逸脱と見なされるものについての観念だけでなく、正常と見なされるものについての観念も脱構築の対象とするべきである。この点で女性の身体と障害者の身体に与えられた社会的意味には、マイナス評価という点で多くの類似点がある。
・Thomsonは「フリークス化」‘enfreakment’ (Hevey, 1992) には、身体的な差異を型に押し込み、沈黙させ、差異化させ、遠ざける点で文化上の重要性があるとする。


◇インペアメント/ディスアビリティに関する議論(The impairment/disability debate)


・Shelley Tremain (2005a)は、フーコーの「生権力」や「生政治」という議論はディスアビリティを分析する上で非常に重要だと主張する。これらの概念は個人と人口を統治し、管理するために18世紀後半に出現した医療技術とそれに関わる言説を指す。

・ポスト構造主義派のディスアビリティの社会モデルへの攻撃は、Tremain (2002, 2005)、Shakespeare and Watson (2001) 、hakespeare (2006)に見られる。大まかに言えば、運動と研究の両面でもはや有効性を持たないという批判だ。これは以下のような主張である。
・批判のポイントは、社会モデルが依拠するインペアメントとディスアビリティという区分自体にある。ポスト構造主義派によれば、この区分自体がもはや有効性を失ったのは、それがモダニスト型の世界観と同義の新しいインペアメントとディスアビリティの二元論を表象しているに他ならないから。
・インペアメントとディスアビリティは、資本主義と工業化の社会的諸力によって構造的に決定され、具現化されているとすれば、ディスアビリティに関する社会モデルと社会的抑圧の理論は還元論と批判されても当然だ。(Shakespeare and Watson, 2001).
・障害者の包括的な経験としての「ディスアビリティ」は込み入ったものであり、単一の理論で説明することはできない。
・生物学的なものと社会的なものとの間の本質主義的な差異を否定する流れが強まることを危険視。インペアメントとディスアビリティの二項対立についても、インペアメントは前社会的、あるいは前文化的・生物学的な概念にはあたらないとの主張を退ける。例えば(Shakespeare, 2006)。

・ポスト構造主義派は「生物学的本質主義」を「言説的本質主義」に置き換えたことは明らかだ。例えば次のような言い方になる。インペアメントとディスアビリティは共に社会的に構築されているので「両者の先行関係は決められない。『ディスアビリティ』は生物学的、文化的、社会政治的諸要素の複合的な弁証法の産物なので、それを分解しようとするとどうしても不正確なものになってしまうからだ。」 (Shakespeare and Watson, 2001, p. 24)

・Disability Rights and WrongsでShakespeare (2006)はディスアビリティの社会モデル、英国の障害者運動と障害学を激しく批判する。
・シェイクスピアは、Simon Williams (1999)が提唱する批判的リアリズム・アプローチを裏付ける形でポストモダニズムの議論を利用し、ここからICFの定義や北欧的なディスアビリティの関係論的理解が正当化される。
・だがシェイクスピアは、ウィリアムス自身が批判的リアリズムはポストモダニスト的な考え方とは対照的だと述べている事実を無視している。
・シェイクスピア本人が、自分の提唱するディスアビリティの関係論モデルは「北欧諸国のディスアビリティ政策に対して、実際的な面で大きな影響を及ぼしていない」ことを認めている。(Shakespeare, 2006, p. 26)
・なお北欧では、福祉と教育に関する政策は依然として医学・心理学的解釈とラベリングに依拠している。また研究には、障害者によるインペアメント毎の集団を同定することに、抑圧や差別よりも、焦点を絞るものが多い。 (Tossebro and Kittelsaa, 2004)
・シェイクスピアにとって差別と抑圧は、「歴史的に寛大な」福祉政策のおかげで他よりは目立たないということになる。 (Shakespeare, 2006, p. 26).

・まとめると、ポスト構造主義派の議論はディスアビリティへの文化的反応の重要性を再確認するが、そうした主張は同時にインペアメントの物的現実を脇に置き、障害差別(ディサビリズム)の問題を政治あるいは政策という観点からどうしたら解決できるかという問いに対して、ほとんど、あるいはまったくヒントを与えない。

・ポスト構造主義派は身体や行為者を否定するが、かれらの論理的な結論にしたがうなら、障害運動やディスアビリティの政治は想像不能になる。つまり「インペアメントを持つ人々は、自分たちの生活にディスアビリティをもたらす差別と排除に屈服した方がまし」となる。(Hughes, 2005, p. 90).


◇インペアメントを再び引き入れること(Bringing impairment back in)

・ディスアビリティへの社会障壁アプローチを唱える側は、インペアメントとディスアビリティという相異なる領域を区分することの意味をよく理解している (UPIAS, 1976; Oliver, 1990, 1996; Finkelstein,1996, 2002) 。
・だがこの戦略を疑問視する障害者も増えている。(Abberley, 1987; Tremain, 2002; Shakespeare and Watson, 2001; Shakespeare 2006).

・Liz Crow (1992) Sally French (1993, 2004) Mairian Scott-Hill (2004), Tom Shakespeare (2006)らは「ディスアビリティの社会モデル」に対し、インペアメントがディスアビリティの経験の一部であること、またさらに、社会的障壁が除かれた後でも、一部のインペアメントは障害者を特定の活動から排除し続けることを認識するよう求める。

・インペアメントとディスアビリティの概念的区別の重要性を擁護する人々は、こうした主張に対して「インペアメントを引き入れる」ことは、因果関係というきわめて重要な問題や、ディスアビリティにかかわる差別と偏見の源をぼかしてしまい、政治活動の最も適切な目的を曖昧にしてしまうと反論する。(Finkelstein, 1996; Oliver, 1996a, 2004)

・インペアメントとディスアビリティの区別にこだわることとは、インペアメントの「リアリティ」と障害者の生活への影響とを否定することなどではまったくない。医学あるいはその他の専門家による治療ではなく、集団的な運動が変革しうる問題を特定し、それに対処するための実践的な取り組みなのだ。

・オリバーによれば、社会モデルとはディスアビリティの包括的な理論でも、インペアメントを個人の枠にとどめてしまう試みでもなく、かつてそうであったこともない。そうではなくUPIASが定義するディスアビリティの構成要因としての環境的・社会的障壁にはっきりと焦点を当てることだ。(Oliver, 1996a, 2004)

・唯物論フェミニストの立場からCarol Thomasは、個人的経験に焦点をあてることの意味とは[…]日常生活の「私的領域」での「インペアメントの影響」と「障害差別(ディサビリズム)」によって生じる結果とを探求する可能性を開くことにあると主張する(Thomas, 2007, p. 72)

・インペアメントを実際に経験すること、ならびにインペアメントとディスアビリティの両方と折り合いをつけることから来る心理面と感情面での影響に関する研究は、ディスアビリティの「実体験」の研究とディスアビリティの意味の再評価に対して、より包括的で「関係論的」あるいは「全方位的な」アプローチを支持する側に説得力を与える[…]。 (Thomas, 2007, p. 177)

・しかしこうした主張は必然的に、ディスアビリティを主にインペアメントや「慢性疾患」を原因とする制約された活動とする、伝統的な医療社会学型の見解を支持し「身体化された原理」を推進する人々の見解を補強してしまう。こうしてディスアビリティの政治と政策に対する「啓蒙的な後見人型」アプローチが強く支持されることになり、政治家や政策立案者、そして官僚がディスアビリティを生じさせるプロセスへの医学による解決と政治による解決との間で揺れ動くことが可能になる。

  □Review (まとめ)... 97

 本章は、ディスアビリティ理論の出現について述べた。ディスアビリティの社会的政治的理解が生み出されたこと、特に自立生活(independent living)のコンセプトとディスアビリティの社会モデル(social model of disability)のコンセプトは、無力化(disablement)の複雑なプロセスを概念化する新しい道筋を生みだした。実際に、社会的障壁(social barrier)に注目することは、障害者コミュニティにも学問的コミュニティにもインパクトを与えたことは疑問の余地はない。しかしながら、理論的・政治的に強調点の異なるものが提起されてきた。唯物論的アプローチを行う人達は、ディスアビリティと依存の社会的構築の構造的ファクターに焦点をあてたし、他の人達は、個人的な経験に特権を与えるような理論を擁護した。特筆すべきは、最近のポスト・モダニストは、ディスアビリティの理論化に際して、医療社会学者による慢性疾患についてのディスアビリティ理論に関する研究や洞察を、再評価し統合しようとしていることである。このような多様性は、期待され歓迎されることであり、近年、社会学や社会科学一般の領域に、障害学への関心を引き起しているけれども、インペアメントをもつ人々が意味ある自立生活を獲得できるように、バリアーを取り除くための政治的な含蓄や要求を減じるようなことがあってはならない。


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◆Chap.5 SOCIAL EXCLUSION AND DISABLING BARRIERS

大塚絢子(熊本大学)、藤本 大士(早稲田大学)

  0. Introduction

(大塚さん編)
主流の社会における障害者の参加にたいする多様な構造的、文化的障壁を考察すること。
・1940年代以来の社会福祉国家の起こり、障害者に関する社会政策のレヴュー
・障害者が経験する社会的障壁(教育、経済状況、雇用、建築環境・住宅・交通システム、余暇と社会参加)についての記録

(藤本さん編)
◇Frank Bowe, Handicapping America, 1978:6つの重要領域の提示
 (1)the built environment (2)public attitudes (3)education (4)the labour market
 (5)the law (6)personal relations

◇本章の目的
・1940年来の福祉国家出現と特に障害者に向けられた社会政策のレビュー:第一節
・20世紀半ばからの経済的・社会的・政治的変化と障害者の社会的排除:第一節

日常生活において障害者たちが経験する社会的なバリアーの特徴の記述:第二節〜第六節


  1. Diability Policy and the Wellfare State ディスアビリティ政策と福祉国家

◇産業資本主義の成長につれて、労働市場における地位を安定させることができない人々の状況は、家族を基本とした生産システムや代替的なサポートの手段の減退とともに悪化した。
→中央、地方行政がますます経済的支援や他の支援の重要な資源になった。

◇歴史的にみて、国家は人々の労働市場への不参加を疑問視してきた。
→そのため医療専門職は、産業化の中で、認可された「疾病」と「障害」を基準に「真の」給付請求者かを区別する決定的な役割を持っていた(Stone, 1985, p.21)。障害カテゴリーの医療による管理は「労働供給を統制している国家の道具として」、そして支配階級の利益を手助けする国家の道具として不可欠である(p.179)。
◇イギリスにおける1834年の「新救貧法(the Poor Law Amendment Act)」は、個人的な欠陥や怠慢が労働統制を脅かしているという思い込みによって強化された国家政策の功利主義的基盤の例証である。

◇貧民が公的扶助を求めないようにするために、彼らには労役場(workhouse)における院内救済(indoor relief)だけが与えられ、絶対に必要不可欠とされる期間以上長い間滞在させないような状態に設計されていた。
→この強制的な収容は、国家や民間福祉法人(voluntary organisation)によって啓蒙化された選択肢として正当化されたが、「虚弱な」「能力を奪われた」個人を処遇する都合のよい政策になった。
→社会福祉の受給者に対するスティグマ化(Humphries and Goldon, 1992; Borsay, 2005)

  <残余主義的アプローチ>
◇20世紀初頭、労働者階級の急進主義や貧困、潜在的な軍事徴収兵の間での重度の病気や損傷への関心が高まる中、自由党政府は一連の保健と福祉の政策の改革に着手。
→貧困の「個人主義的」説明を支持し、「残余主義的(resisual)」解決に集中(Titmuss, 1958)。受給者には賃金労働をしたいと思わせるくらいの最低限度の給付しか行わなかった。

◇この残余主義的取り組みは1940年代まで続いたが、資本家と労働側の間の「戦後和解(post-war settlement)」が広範囲の制度的改革を生み出した。
→1942年のベヴァリッジ報告(the Beveridge Report)がその青写真。
平等と社会統合を進めるのに必要なものとして、「五つの巨人悪(five giants)」―窮乏、疾病、無知、不潔、怠惰―の削除をあげた。
⇔公的機関の著しい発達にも関わらず、「民間、慈善、非公式その他の民間の福祉形態」の発展も促した。
◇これらの改革は、政治経済、社会、組織という三つの重なり合う「福祉についての調停welfare settlements」の間の妥協を示す (Clarke and Newman, 1997, pp.1-8)。

  政治経済
◇1945年当時の政府の政策が、完全雇用を目標とするケインズ派のマクロ経済政策であったことが影響
→完全雇用の実現が同時に税金収入を最大化し社会福祉給付の請求も減少させると考えたため、福祉政策を充実させた。
◇支払い能力に関係なく全ての市民の基本的ニーズを保障することによって、文明化された社会であると証明 (Marshall, 1950)。
⇔しかし福祉政策の実施となると、「国家に保障された市民権」と、経済参入に関した経済市場原則の間の妥協が行われた(Clarke and Newman, 1997, p.1)。

  社会
◇「社会的」次元の調停は家族、労働、国家という概念を含んでいる(Williams, 1992, pp.211-12)。
→この場合の「家族」と「労働」は賃金労働者の男性が他の家族を扶養しているという「規範」が前提。これは子ども、高齢者、既婚女性、加えて病気や障害を持った人々を含んだ依存集団をうみだす(Clarke and Langan, 1993, p.28)。エスニックマイノリティも同様に無視された。
→これらの排除的な前提は、ジェンダーや「人種」だけでなく「健常者と『ハンディキャップのある人』の間の違い(Clarke and Newman, 1997, p.4)」もまた「自然なものとする」のに効果的だった。

  組織
◇「組織的」次元は官僚主義的行政と専門家主義という二つの調整形態へのコミットメントを構成している(Clarke and Newman, 1997, pp.4-8)。
・行政における公的サービスの規範や価値は、新システムが全人口の異なる集団や利益を扱う方法としてより公平でさらに届きやすいものであるという主張を強調するものだった。
→その社会福祉政策やプログラムを執行する際の承認されたルールや制限への官僚的な固守は、専門家による見解や中立の立場に対する権利を強め、専門家は社会問題を識別する際や政策への対応を実行する際にさらに国家的支援や権威を得ることになった。
→専門家の日々のサービス業務が職業支配や自治を高めた(例:国民保健サービスNHSにおける専門家の影響)。

  <新自由主義・社会福祉の混合経済>
◇1970年代の世界的経済危機が公的支出や介入削減への要請の引き金となる。
・保守党のマーガレット・サッチャーにより1940年代の政治経済的解決から政策を移行することになる。これは、アメリカのロナルド・レーガンの大統領選挙における「基本的人権(radical right)」の政治的進展と平行していた。
→福祉国家政策は、経済・社会問題の解決にはならずむしろそれの主な原因として認識されるようになった。これによりリストラ、国家の「見直し」、課税の削減への要請が生じ、効率や効果を高める方法として社会福祉サービスの給付に市場の力もしくは疑似市場が導入された。
→中心的な社会政策分野における民間セクターの参加が促進される。
◇市場先導型の市民権へ移行、「新自由主義」へ
・保守党政権は市場競争の効果を主張し、民営化政策に乗り出すのと同様に公的部門に商業部門の経営テクニックを導入し福祉の混合経済を発達させた。
・これと関連して、サービス組織や給付に対する選択やユーザーの参加の増加を促すことによって「消費者」役割が高まった。
→福祉国家政策の状況の変化は、障害者政策や政治の新しい機会や制限を示していた。
◇これへの反応として、国家の福祉対策における脅威的な削減に焦点をあてた新しい政治運動の波がおきた。
・活動家は、社会政策の設計や実施における制度や専門家の権力が、例えば家父長制やレイシズムに根付いている社会的不平等を反映し、悪化させたと議論した(F. Williams, 1993)。
・彼らの要求は、適切なレベルの福祉支援を達成し、技術援助や住居の改造、家族や友人のインフォーマルな支援への強制的な依存を減らすことにまでわたるサービス支援を向上させること(Davis, 1981; De Jong, 1981)であり、彼らは医療専門家や保健社会サービスの職員による不適切で過度の生活の監視や制限に対する行政の適格性や評価に対する批判も行っている(6、7章参照)。

  Social exclusion, disability and New Labour 社会的排除、ディスアビリティと新労働党

◇1997年に選出された新労働党政権の政策では、他のヨーロッパや北アメリカ、オセアニアにおける同様の傾向をまねて(Byrne, 2005)、「社会的排除(social exclusion)」という概念が中心になった。
・「社会的排除」=「社会において、人々の社会的統合を決定するいかなる社会的、経済的、政治的あるいは文化的システムからも完全にもしくは部分的に追い出す動的なプロセス(Walker and Walker, 1997, p.8)」であり、「社会が与えなくてはいけない主要な機会から遮断(Giddens, 1988, p.103)」されている個人または集団を含む。
◇ルース・レヴィタス(Ruth Levitas, 1998)によると、社会的排除をめぐる三つの主なディスコースは、伝統的な再分配理論?the traditional redistributionist・依存性を強調するサッチャーの新保守主義・社会的統合だが、新労働党政権は依存性と社会的統合ディスコースの混合であると述べる。
・サッチャリズムによる争いの種になるような「思いやりのない」政策に否定的である一方、新労働党は資本主義を社会的不平等の主な原因として大きく扱うことはなかった(Fairclough, 2000; Byrne, 2005)。
◇新労働党による社会的排除の定義…「個人やある領域が失業や低度な技術、低収入、不十分な居住環境、高犯罪率の環境、悪い健康状態や家族の崩壊によって苦しめられている際に起こりうる何かの別の表現(DSS, 1999, p.23)」
・政策の目的は、特に雇用される人々の割合を増加させることによって貧困と福祉への依存を減らすことだが、一方ではまた個人的責任や、強制的な機会請求を強調している(Giddens,1998; Jordan, 1998)。
・新労働党は反差別的法律を拡大する一方で、公的部門の事業組織や給付の近代化を支持し、ボランティアと民間セクターからの参入と、個人的、社会的、政治的参加を増やした。→「労働」の新しい混合形態を促進
◇貧困と社会的排除の概念型 (Vleminckx and Berghamn, 2001, Table2.1)によると「社会的排除」は多面的で動的であり、労働市場を越えて建築環境、住居、交通システム、余暇、家庭生活や社会的結びつきなどの領域における社会的参加をカバーするまでに拡大しているもの。
↑このことは、新労働党が多様で流動的な参加形態に焦点を当てていることと一致する(Byrne, 2005)。
◇改善されるべきだと認識されている実質的な不平等は消費、生産、社会的交流から成る(Raveaud and Salais, 2001, p.59)。
→これは、どのように社会的-経済的部分が他の社会的部分と相互に関係し合っているのかを考察しながら、調査によって、国家的文化的不公平の存在の可能性や「配分の偏りと誤認(Fraser, 1997a, 2000)」が認識されるべきだという要請に見習っている。

  2. Education

  <隔離システム(特殊教育学校)>
◇西洋社会では、産業化の進展や複雑な分業化とともに子供の公教育が進む中で、19世紀を通して、障害児向けの隔離された学校教育システムが根付いた。
◇「1944年教育法(the 1944 Education Act)」
・最初に隔離(「特別な」)教育政策について概説した法律。
・地方教育局は非障害児を混乱させない限りは、「年齢、適正、能力」にあわせて教育を施すべきとした。
→これは特殊教育学校を増やす口実に使われた(Tomlinson, 1982)。
◇1971年まで特殊教育学校は保健社会保障省(DHSS)に管理されていたため、障害児の教育には、医学的アプローチがとられていた。それは個人的病理、知能の心理学的テストを重要視し、子供たちを「低知能」や「不適応」などの下位カテゴリーに区別した(Apple, 1990; Barton, 1995)。

  <統合 integration>
◇隔離システムが障害児の将来の可能性に有害であるという関心が高まり、政治的、教育的なサポートがなくなり始めた。
→1978年「ワーノック報告」
・ワーノックを委員長とする政府がスポンサーの調査。
・メインストリーム教育の中で特別な対策をとるよう提唱。
・三つの統合教育の形
 空間的統合―「普通の」学校に特別なユニット、もしくは教室を設置
 社会的統合―一般学級との交流が行われる
 機能的統合―「特別なニーズを持つ」子供が部分的もしくは完全に一般学級に参加する
◇「1981年教育法(the 1981 Education Act)」
・地方教育局に、認知されたインペアメントを持つ子供たちを査定し、教育ニーズステートメント(a Statement of Education Needs=SEN)を作るように命じた。

  <インクルージョン inclusionへ>
◇次の教育法は、インクルージョンを促進することについてより矛盾するものであった。
・1988年の国のカリキュラムは、障害児が「コア」教科へのアクセスを拒否されないように提案しているものの、伝統的な個人的(子ども自身の中にある)欠陥という考え方は保持したまま(Florian et al., 2004)。
◇公的基金の分配にまで市場競争が拡大し、試験結果が主な実績の指標
→これは障害児の試験結果が悪いとインクルージョンに対する学校の反対を促すことになる。
◇「特別なニーズ教育に関する1994年のユネスコサラマンカ世界声明(1994 UNESCO Salamanca World Statement on Special Needs Education)」
・一般学校で特別な教育的ニーズを必要とする子どもたちのインクルージョンと、各部門間での密接な連結を奨励
◇特殊教育学校についての一つの注目すべき結果として、教育的成果の違いがあげられる。
・障害者の25%以上が無資格⇔障害者でない人々の2倍以上(Grewal et al., 2002; ONS, 2006) etc.
◇特別な教育ニーズのある障害児にとってのさらなるハードルは、過程より結果を優先し、全ての子どもにとってカリキュラム設計が適当かどうかを考慮しない基準事項と試験評価基準が独占されていること(Hall et al., 2004; Ofsted, 2004; QCA, 2004)。
・その支配的な言説は、アカデミックな成功や「健常者優先主義」の価値観を強調し、セカンダリースクールへの低い入学率によって強化されており、学校外の活動への参加機会を制限していた。
⇔しばしば別のカリキュラムや授業を受けたりはするが、セカンダリースクールに進んだ後は、さらに上の教育を受ける障害のある学生の数は増えていた。
◇この教育実績の大幅な差に対する公式の説明は、インペアメントと特殊教育ニーズ(SEN)にあるとしているが、一連の社会的不利益は社会階級とエスニシティを含め、特殊教育ニーズの方に密接に関わっている(Dockrell et al., 2002; Dewson et al., 2004)。
・批評家の中には、教師を産業社会における主な「ディスエイブリングな専門職」のひとつだと考える人がいる。それは、若者をメインストリーム教育から排除するために発展させてきた複雑な手順の正当性を示す評価プロセスに関わる人々の専門的ステータスである(Tomlinson, 1996, p.175)。
↑このような見方は、「学習のための付加的支援」を行う「特殊教育ニーズ」に重点を置いてきた今までの議論に取って変る議論を活発にしたり、(Scottish Executive, 2004; Miller, Keil and Cobb, 2005)、社会的・環境的障壁に対する政策的配慮を促す。
◇子どもの貧困を克服するため、そして適切なチャイルドケアやプレスクール対策の欠如に取り組むため、新労働党の対策は障害のある子どもたちにとってとりわけ重要。
・2000年「学習と技術協議会?(the Learning and Skills Counsil=LSC)」
平等の機会を目指す。
・「特殊教育ニーズとディスアビリティ法2001?(the Special Education Needs and Disability Act=SENDA 2001)」
学校、カレッジ、大学に対して、効果的な学習に対する障壁に対抗するために、そしてメインストリーム教育への障害児の参加を高めるために「適当な段階」を踏むよう要請した。
・「障害者差別禁止法2005 (the Disability Discrimination Act 2005)」、「障害者平等義務?(the Disability Equality Duty)」
教育機関に対しインクルージョン教育への圧力を強化。その支援は、異なるタイプの学校、共同教室の間でのより緊密で機能的な配置や、特殊・普通学級の子どもたちをつなぐ配置、専門スタッフの臨機応変な有用、普通学校のスタッフのためのディスアビリティ訓練、親とのより親密なパートナーシップを可能にした。

  <特殊教育学校賛成派>
◇特殊教育学校の存在は争いの種になる問題を残している。
・とても多くの親や障害のある子どもたちのいくらかは特殊教育学校を好む。
普通学校における社会的孤立やいじめ、特殊教育学校における協力的なピアカルチャーのため(Saunders, 1994; Hendy and Pascal, 2002)、耳の聞こえない人々の文化のため、利用可能な環境、適切な技術的援助や設備、特殊教育ニーズのある教師、ベターな生徒と教師の比率のため。
◇新労働党による教育の「優れたセンター」を創造しようとする政策は多くの特殊教育学校に「スペシャリスト」という地位を与え、追加的資金提供とともに彼らの役割を強化し、一般学校と高度の専門知識を共有することを制限することになる。

  <インクルーシブ教育賛成派>
◇特殊教育学校反対派は、特殊教育学校が、「世の中の健常者的認識を広め、社会的に未成熟で孤立した卒業者を生み出し続ける主なチャネル(BCODP, 1986, p.6)」であり、障害者の劣位を永続させると述べる。
・インクルーシブ教育
社会的平等や市民権への幅広いコミットメントの一部であり、障害児と非障害児の友情を育て、無知やネガティブなステレオタイプをなくす手助けになり、障害児により幅広いカリキュラムを提供でき、必要とする専門的な教師へのアクセスを増やし、自尊心や自信を発達させる機会を与える(Barton, 1995, p.31)。
→これは特別教育システムの廃止が全ての障害児に有益かどうか、そして一般の学校システムに対する影響について続けられている議論の典型。

  3. Financial Circumstances

◇全国調査は一貫して貧困の境界線上やそれ以下の障害者の割合がかなり高いことを報告してきた(Harris et al., 1971a; Martin and White, 1998; Cabinet Office, 2005)。
◇一般的に、障害者の深刻な貧困の原因は、社会の主要なリソースシステムへのアクセスが整えられておらずに制限されていることにあると説明される。例:労働市場や賃金システム、国民保険や関連したスキーム、富の集積システム、とりわけ家所有権、生命保険、職業の年金スキーム。
◇1980年代半ばからの国勢調査局OPCSによる調査データは、主要もしくは唯一の収入として国家からの給付に頼っている障害者の数が多すぎることを示している。その説明の一部として障害者の比較的多くが退職した年代であったり、三分の一だけしか雇用されていないからだということがあげられる。結局、全人口の42%と比較して、19%の障害者(退職前)しか「平均以上の」収入を得ていない。
◇最近の調査は、働く年代の障害者の30%が貧困状態であり、これは非障害者の2倍に達しており、このギャップは1990年代以来わずかに広がってきたことを示している(Palmer, Maclnnes and Kenway, 2007)。成人した障害者の半分が、インペアメントのための費用を払ったあとの収入が貧困の「公式の」境界以下である。インペアメントを持つ人がいる家庭では14%が貧困線以下であり、これは障害者のいない家庭の2倍の割合にのぼる(Burchardt, 2003a)。
◇既婚の障害者の女性は既婚の非障害者女性に比べて経済的欠乏を経験しがちである。
非障害者女性の21%と比較して、「軽微」なインペアメントを持つ女性の35%、最「重度」のインペアメントを持つ女性の47%が貧困線を下回った(Townsend, 1979, pp.733-4)。最近の研究は、この差が60歳以上の個人の間で著しく増加していると示している。
・障害児を持つ家族の55%や、働く世代の障害者がいる家庭の27%が貧困線やそれ以下にある。
・障害児の養育費が、非障害児のそれより3倍高いのにも関わらず、非障害児の母親の22%と比較して、フルタイムの職を持っている障害児の母親は3%にすぎない(Goldon et al., 2000)。
→このことは家族離散や崩壊、レジデンシャルケアに障害児を行かせる可能性を高めることになり(Lawton, 1998; Morris et al., 2002)、子どもの貧困やとりわけ障害児への支援に対する政策を強化するための圧力となる(Cabinet Office, 2005)。
◇障害者は、経済状況の統計にある「インペアメントコスト」を適切に考慮できていないと批判する。OPCSはインペアメントコストを平均収入の8%だと算出したが、インペアメントの重さやタイプによって大きな格差がある。
◇この調査は、とりわけそのアプローチが前年の購入品だけしか考慮しておらず、また「重度のインペアメント」を持つ人々のデータがほとんどないために低く見積もられているとして、障害者の組織によって異議を唱えられた。(Abberley, 1992)。

  これまでの社会保障政策
◇1946年「国民保険(産業傷害)法」National Insurance (Industrial Injury) Act
戦争障害年金と職場でインペアメントを負った人のため。同じ年齢と性別の非障害者と比較した個人的な機能損失度合いによって決まる。「傷害に対する補償(compensation for injury)」。
・個人的な給付資格や受ける給付額は、障害の重さによってではなく、障害の原因、申請したときの年齢、イギリスでの居住歴、労働能力、国民保険料が要請されている期間支払われているかによる(Walker and Walker, 1991, p.25)。
◇1970年代 幅広い新しい措置
一般的な介助手当(attendance allowance)、移動手当(mobility allowance)、無拠出制の傷病年金(invalidity pension)、傷病介護手当(Invalid Care Allowance :ICA)
↑しかしながら、これらは一貫した、包括的な障害者給付にはならなかった。
◇1979年〜保守党政権下
社会保障政策の大幅な見直し、福祉国家のリストラクチャリング、「人員削減」、「福祉依存」文化の払拭を目指す。
・政府は、「給付のわな」、とりわけ週16時間以下の労働なら働き始めると障害者給付を受給するよりも収入が低くなるので、働く意欲が妨げられることを認識していた(Nobel et al., 1997)。
→そのため、低賃金で働くインペアメントを持つ人々向けに所得調査付きの「障害就労手当(Disability Living Allowance :DLA)」、インペアメントのための特別な支出のいくらかをカバーするための、無拠出制で所得調査なしの「障害生活手当(Disability Living Allowance :DLA)」を導入。
◇新労働党政権下
給付や税額控除システムは「障害」の5つの主なテストを起用するため複雑になっている。
これらの基準は、精神的苦痛や関節炎、多発性硬化症のような、変動する症状やもしくは症状の激しさによって特徴付けられているインペアメントをもつ人々にはとりわけ難解。
◇主な仕事外の障害者給付である「就労不能給付(Incapacity Benefit :IB)」の総額は、1979年以降の25年で3倍に増加したが、障害者が職に就けるように政府のイニシアチブがとられたあとの2007年の2月には268万人に減少した。
◇2008年より厳格な就労能力テストが行われる新雇用支援手当が始まった。それは、できないことではなく、できることを重要視する。例:400メートル以上歩行できないなどのようないくつかのテストを廃止して、ITスキルに重きをおいた。
◇1945年以降の障害者向けの収入扶助給付の導入は、障害者と貧困の間の強いつながりを壊すものではなかった。
→このことは、政府が障害者の雇用政策よりも社会保障給付にほぼ20倍のお金を割り当てたというひとつの評価とともに、障害者に職を与えることがもっとも効果的な方法であるという議論を活発にする(Berthoud et al., 1993)。そのような議論は、障害者向けの対策と社会保障政策を近代化する「新労働党」政策の持続的な発展を下支えする。

  4. Employment

  (大塚さん編)
◇職業というものは、私たちに社会的にも物質的にも、幸福という面においても重大な影響力を持つものであると広く認識されているが、産業資本主義の中で戦時中の労働力不足のときを除いて障害者は歴史的に労働市場から排除されたり周縁に追いやられたりしてきた。
◇1945年以来、障害者の就労率は全人口の就労率を下回ってきた。
2006年 障害者50.4%、非障害者80.2%(1999年の障害者46.7%、非障害者80.0%と比較すると比較的に上昇)。
◇障害者は比較的失業率が高く、失業期間が長い(Martin et al., 1989; ONS, 2006)。経済成長していたときにもその違いは続いており、それは雇用の壁が深いところまで根付いていることを示唆している。
⇔しかしながら、障害者と非障害者の失業率の差はわずかに狭まってきた。
1995/96年 障害者21.2%、非障害者7.6%→2006年 障害者8.8%、非障害者5.0%
(Sly et al., 1995; ONS, 2006)
⇔それにも関わらず、再就職する非障害者の例年の平均的な割合は、障害者のそれより6倍高く、インペアメントをもつ従業員は一年以内に6人に1人がその職を失う(Bardasi et al., 2000; Jenkins and Rigg, 2003)。
◇労働市場では障害者は「縦」と「横」の差別を経験する。
縦→昇進の機会がほとんどない、あまり技術を必要としないパートタイムの仕事を多く担当させる/横→特定の部分やタイプの仕事に集められる傾向がある
⇔しかしながら、その差は1990年代以来狭まってきており、「経営者や政府高官」、「専門職」として分類された非障害者が29%なのに対して、障害者は25%である。
・女性の障害者は就労に関して最も制約を経験する。
・障害者と非障害者との給料の差はほんのわずかだが狭まってきた。
1980年代半ば 男性84%、女性91%→21世紀初め 男性88%、女性96%
◇1944、1958年の「障害者(雇用)法Disabled Persons(Employment) Acts」によって示されているように、20世紀を通して政府は障害者の雇用に対してミニマリストとボランタリストアプローチを主にとってきた。
◇1944年 障害者(雇用)法
障害者雇用登録制度の導入/評価査定・リハビリテーション・職業訓練を行う、全国的な障害再適応サービス(Disablement Resettlement Service: DRS)/障害者に特化した職業紹介サービス/20人以上の従業員を持つ雇い主への登録障害者の3%を雇う義務/指定職種の設置(駐車場管理人とエレベーター操縦者だけに限定された)/National Advisory Council(全国顧問協議会?)、local Advisory Committees(地方顧問協議会?)(Thornton and Lunt, 1995)
◇1950年代、政府は雇用主が障害者を雇う意志がないというような需要側の要因を考慮せず、雇用政策は労働供給に集中した。
・1961年以降障害者の雇用率は、割り当て雇用率である3%を下回り続け、1975年には2%、1993年には0.7%に落ち込んだ。
・雇い主はこれを障害者の就職志願者の少なさ、安全性への考慮とコミュニケーションの困難さ、そして障害者のためにかかる付加的なコストのせいだとするが、非障害者と比較して障害者が採用を拒否される割合はずっと高い(Graham et al., 1990; Honey et al., 1993; Dench et al., 1996)。
◇1995年「障害者差別禁止法 (Disability Discrimination Act :DDA)」
政府の政策は、隔離され、補助金を与え保護された作業場から、一般の労働市場における「supported placement」の促進へと移行した。
◇雇用サービスにおける一連の組織的な変化は、障害者と雇用者にたいする査定評価や助言の改善へ焦点をあてた。それは、半自治的な「職業紹介・評価・カウンセリングチーム(Placing, Assessment and Counselling Teams :PACTs)」という全国的ネットワークに後に発展する、DRSによってなされた。
⇔しかしながら、雇用主の対応に関する調査では、雇用主の態度にほとんど変化がないことが示されている。
◇政府は障害者を雇うために雇用主に対して経済的刺激策を取り続けた。
職場適応計画(Job Introduction Scheme)…6週間の試用期間中の助成金
職業アクセス計画(Access to Work Programme)…障害者が働けるための改変費用を支払う
障害就労手当(Disability Working Allowance)…低賃金に対する補助金
→この政策は、雇用主が「重度の障害」を持った従業員の生産性の低さを埋め合わせようと要求することを認めることになった(Hyde, 1996)。
◇1995年の「障害者差別禁止法DDA」…職場での差別に対抗するための法的な権利を定めた。
⇔ただし性や人種差別の法とは違い、「非合理な」差別の場合にのみ違法
・本来雇用主は実質的に障害者に不利となるような職場環境を改善しなくてはいけないが、この法は他の西洋の国とはちがって雇用主が最低基準を遵守することまでは制定していない(Gooding, 1995)。
◇2005年の「障害者差別禁止法DDA」
機会の平等を促す「Disability Equality Duty(障害者平等義務法?)」により公的機関を設置して法的規制を拡大した。
◇新労働党による福祉国家の近代化改革
・「働くための福祉」、「workfare(就労義務付雇用手当支給?)」の強化
・働かない人や福祉給付を要請する人の数を劇的に減らす
・障害者の労働市場への参加を増やすための方策を多様化
◇2005年DWPは、―労働力人口の減少との相殺を狙って―労働力人口の80%にまで障害者の雇用率を上げるという長期目標を発表した。
→このような政策は、将来の労働市場に予期される緊急事態に立ち向かうため、もしくは賃金需要を制限する手段として障害者の「再商品化」を示唆している(Russell, 2002; Bauman, 2005; Grover, 2003)。
→楽観主義者は、先進資本主義社会における労働の変化が、(高学歴の若い障害者に制限されるかもしれないが)障害者によい機会を与えると述べる。
⇔再重度の障害者は依然として労働市場の外に置かれたまま、おそらくさらに孤立していく(Abberley, 1996; Barnes and Mercer, 2005c)。
◇新労働党の政策は、標準的な新自由主義の要請と同様、大規模な規制緩和ではなく経済の再規制に大きく傾いている。その雇用政策は障害者の権利や社会的障壁へのアプローチに重点をおくようになってきた。
・今後障害者雇用パターンの変化の効果がどのようなものであるのかを示す証拠が待たれる。

  (藤本さん編)
  □ 障害者と雇用
・仕事は私たちの社会的・物質的環境や幸福に対して決定的なインパクトをもっている
→しかし,歴史上,障害者たちは労働市場から排除されてきた(Table 5.3)

  □ 労働市場における垂直的/水平的な障害者隔離
・障害者たちは技能がないと過大表現され,昇進の機会が少ないパートタイムの仕事に就かされ,特定の部門に集められがちであった
・しかし,1990年代より格差は小さくなっていった
例)障害者の25%が経営者や政府高官,専門職に従事するようになった(健常者は29%)
・一方,女性の障害者は職業がもっとも限定されている
例)技能不要あるいは技能があまりいらない職業への就業率が高い,
パートタイム就業率が健常者女性より高い
・障害者と健常者間,男女間の給与格差は少しだけ是正された

  □ 障害者雇用政策
◇Disabled Persons (Employment) Acts [障害者(雇用)法], 1944 & 1958
・障害者の雇用に対してminimalist,voluntaristアプローチの採用
・Disablement Resettlement Services (DRS) [障害再適応サービス]の設置
・企業における障害者の最低雇用人数・割合の義務づけ
◇障害者雇用法からDDAへ
・1950年代は,障害者がより雇われるようにするために労働の供給に力点を置いていた
→需要(雇用主)側への関心が低かったため,最低雇用人数・割合が守られなくなっていく
・雇用主側は,障害者の応募の少なさや,安全問題,コミュニケーション問題,追加コストなどを理由に,障害者の雇用を避けてきた
→しかし,障害者は健常者より不採用となる件数が多く,また,追加コストの問題を裏付ける  具体的なデータも示されていない
・1995年に,Disability Discrimination Act (DDA)が成立し,政策の方針が,職場のシステムを隔離・援助・保護するというものから,労働市場の主流へと職業斡旋をサポートするものへと変わった
◇DRSからPACTsへ
・DRSが,Placing, Assesment and Counselling Teams (PACTs) [職業紹介・評価・カウンセリング・チーム]へと発展し,障害者や雇用主に対する評価・アドバイスの改善を試みられる
→しかし,雇用主側の姿勢の変化は遅々として進まなかった
・政府は障害者の雇用を進めるために,奨励金を出すといった財政上の政策を続けた
例)企業における障害者の試用期間の補助金,アクセシビリティの基礎作りのためのコスト
  負担,障害者の低賃金雇用への補助金
◇DDAと障害者の権利
・DDAは職場における障害者差別に抗する法律上の権利を認める新しい法律であった
・しかし,人種差別や性差別と違って,障害者差別はそれが「妥当でない(unreasonable)」と判断されたときのみにしか不法となることはなかった
・にもかかわらず,法律では企業側に最低限の基準を定めるようには要求していなかった

  □ 福祉国家と労働
◇福祉国家は「福祉から労働へ」というスローガンを強調→障害者の労働への参加促進を目指す
・2005年には,DRPは長期的計画として障害者の就業率を80%にあげると宣言した
・資本主義の発展が,働き方の多様性を生み出し,障害者就業の機会を高めるとも主張された
→しかし,著しい「デジタル・ディバイド」は障害者たちの仕事の進行を逆に妨げている
  さらに,高度なサポートが必要な障害者は労働市場からより疎外させられてしまう
◇ニュー・レイバーの政策
・ネオ・リベラリズムの要求に沿いながら,経済の大規模な規制緩和ではなく再規制を目指す
・同時に,障害者の権利を強調し,雇用政策においては社会バリアーアプローチを容認している

  5. Built Environment, Housing and Transpot
  5.1 Physical Access


◇集団によって人工物に求めるニーズは異なる
例)段差がない歩道:車いす利用者には快適だが,視覚障害者には危険となる可能性がある

  □ アクセス可能性と法・規制

◇The Chronically Sick and Disabled Persons Act (CSDP)[慢性病者および障害者法], 1970
・アクセスを実用的なものとすべく制定された最初の条例
・既存の建物に限定
◇修正CSDP法, 1976
・対象範囲が職場にまで拡大
◇The British Standards Institute[英国標準協会]"Code of Practice for Access of the Disabled to Buildings”, 1979
・建築家やデザイナーにむけたガイダンス
→以上のような法・綱領が発表されたが,それを取り入れようとする者はほとんどいなかった
◇Building Regulation/ Part M [建築規制/パートM], 1987 Dec.
・すべての新しい建物(店,職場,工場,学校などを含む)は身体的なインペアメントをもった人たちがアクセス可能となるよう設計されなければならないことを,政府レベルで強制されることになった
・規制が入り口の段階に留まっており,免除される建物もあった
◇改訂建築規則, 1999
・建物全体が規制の対象となった
・知覚的インペアメントをもった人たちも障害者の定義に入れられた
◇Disability Discrimination Act (DDA), 1995
・障害者が直面する物理的なバリアー(現在計画中のものを含む)を取り除くために,法的に「正当な調整(reasonable adjustments)」がなされた
   →しかし,10年が経過してもアクセシビリティの満足度は低いままである
例)公共の建物の20%以下がアクセシビリティがある/パブ・クラブ・レストランの80%が不満足/トイレのアクセシビリティはレストランの10%から映画館の55%まで広範/5分の1の障害者用駐車場が健常者によって使われている
・2004年以降,DDAの実行と建築規制の改訂に伴い,レジャー・娯楽施設の改善のプレッシャーは高まったが,完全なアクセス可能性のある物理環境の達成は長期的な目標となっている

  5.2 Housing

  □ 障害者のホームレス数の増加→「経済的・心理的余裕(affordability)」が重大問題に

◇ニーズと対策のミスマッチ
例)車いす用住居の1/4だけが車いす利用者に使われており,車いす利用者の半分以上が非-車いす用住居に住んでいる
・障害者へのコンサルタントやアドバイスなどの情報不足
・障害のある子どもをもつ家族の居住環境の悪さ
→建築規制とパートMによる居住環境の改善へ(1999年〜)
・アクセシビリティのある住居への改造にかかる費用の高さ

  □ 包括的な(inclusive)居住環境に向けて

◇Lifetime Homes
・住居改造にかかるコストを削減し,よりアクセシビリティのある住居への転換を訴える
・ウェールズではLifetime Homes基準に従った家の建築の義務化へ(2001年〜)
◇'Smart Homes' Technology
・家庭内の様々な装置・器具を統合し,一括的に家の中をコントロールする
・コストがかかるため,新しい住居に対するインパクトは大きくない

  5.3 Transport

  □ 交通システムにおける問題

・障害者の交通システム(公共バス,電車,飛行機,自家用車)利用の少なさ→障害者はタクシーなどのより高価な交通に依存せざるを得なくなっているため,彼らの予算を逼迫している
・障害者にとっての最大の困難は,バス停や駅に行くことや,バス・電車からの乗り降りである
・都市部では車いす利用者にも十分なドアの広さをもった,ノンステップのバスや電車はあるが,地方での導入率は低い

  □ 交通システムにおけるアクセスビリティ

・バスのデザインのめざましい発展(1990年代頃〜)
 例)乗降口の高さ,ドアの広さ,手すり,座席,押しボタン,記号・標識
 →デジタル技術を使った聴覚的・知覚的インペアメントの人に対する,時刻表・路線・数・目的      
  地などの情報提供技術も発展してきている
・アクセシビリティのある旅行情報の不足
 →スタッフの非協力的な姿勢に一因があるが,最近では障害を意識させる教育が行われている
◇アクセシビリティ向上の支援組織:NPO組織'Motability'
・車を買ったり借りたりする援助をするNPOで,40万人の障害者が参加する機構を運営している

  □ アクセシビリティのある交通のオルタナティブなシステム

◇'Dial a Ride'
・事前予約が必要なドア・トゥ・ドアの送迎サービス
◇'Taxicard' service
・地方から助成されたタクシーサービス
◇'National Federation of Shopmobility'
・チャリティでスクーターや車いすなどを提供する公共計画

  6. Leisure and Social Participation

  □ 障害者と余暇

・自由な時間があることが,余暇(leisure)を活用することを意味するわけではない
障害者は時間はあるが,お金がない場合が多いため,機会を有効活用することが出来ない
一人での活動を余儀なくされる場合も多く,選択肢が狭まり,社会や友人との交流をもてない
健常者の余暇スペースの第一は家の中であり,テレビ・ビデオ・ネットを見たり,友達と交流したり,音楽やラジオを聞いたり,本を読んだりしているが,これらの活動も障害のある人には困難な場合がある
・1990年代からの障害者による異議申し立ては,社会の主流からは歓迎されなかった
社会側は,健常者の同伴を要求したり,来店前に電話を入れるよう求めたりし,さらには忙しい時間帯には車いす利用者の来園を避けてもらうようにいう娯楽施設もあった
建築規制施行後も,ロンドンのパブの17%しか基準を満たしていなかった
 →障害者の自発性や選択を制限し,隔離された活動などにつながっていった
◇DDA(1995)が娯楽施設へのアクセスに適用されるのは,2004年以降のことであった
・障害者の包括に対する人々の姿勢は次第に冷淡なものではなくなっていったが,レジャー施設へのアクセシビリティはなかなか進まなかった
・電気車いすや読み上げソフトなどの利用への理解は広まったが,障害者の社会参加に関しては等閑視された

  □ 障害者と社会参加・市民参加

・障害を持った子どもたちは社会生活に不満足であることが多い
→十代の頃は親や先生によるグループよりも,家庭を離れた仲間同士によるグループへの関心が強いが,実際は家族を伴わなければならないため活動を実現することが難しい
アクセシビリティのなさが仲間との交流を妨げているが,それ以上に,仲間から歓迎されていないと感じることや自分への自信が持てないなどが,交流を妨げる要因となっている
・障害者たちは激しい疎外感を感じている
オランダの障害者たちの余暇の使い方に関する研究では,テレビやビデオを見たり,マッサージを受けたり,ゲームをしたり,本を読んだりしている者が多い
→「質の良い時間(quality time)」というより,時間をつぶしているだけのようである
・市民権の一つとして社会参加への関心が高まり,幸福や自尊心の促進が行われてきている
 →しかし,障害者たちの社会参加・市民参加が高まっていることを示すデータはほとんどない

  7. Review

◇障害者と健常者の間には複合的かつ社会的な不平等が存在している
◇2007年の深刻な経済不況が失業率の悪化や,社会政策への出費削減へとつながるだろう
 →1995年に導入されたDDAによる反差別政策や,障害者と健常者が平等な扱いと機会を得ているか
  どうかを確かめる機会となるだろう
◇1945年以降,障害者の社会的排除に関する政治的な応答として,拒否やインペアメントに由来する避けられない帰結として説明するという姿勢からは徐々に変化しつつある


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◆第6章 自立生活への道のり

Chapter 6. Routes to Independent Living
2010年8月30日 障害学研究会 箱田徹、徳山貴子


イントロ (p. 126)

本章では、福祉政策(特に1945年以後)の全体的な展開を背景としてディスアビリティの政治の軌跡をたどる。障害者にとってこの歴史的コンテキストは、持続的で広範にわたる社会的排除の経験を軸とする(第5章参照)。関連性のある独自の政策によって、専門家のサービス提供者は障害者の生活を管理することのできる地位を占めてきた。このことは強制的な施設入所による隔離という脅しにはっきり表れている。こうした政策の失敗は、障害者の集合的な自己組織化や障害政策の抜本的な変革を求める行動の起爆剤となり、かくして「自立生活」の現実的な見通しが獲得されるに至る。

まず多数の障害者を長期滞在型施設に隔離することを目指す政策と実践を、次に1960年代から続く脱施設化の動きを概観する。「コミュニティでのケア」に関する楽観的な主張と結びついてはいるものの、こうしたケアの実践は「コミュニティ」の性格と依存集団に提供される「ケア」の種類に関する基本的な問いを惹起する。

この数十年間、社会的ケアに関する政府の言説は、新たな優先事項となった市場化と現代化の影響を受けて変化した。だが「ケア」(ケアをする人、ケアという行為)の強調は、「自立生活」や「支援」、「介助(パーソナル・アシスタンス)」という障害者の目標と対立した。多くの領域でこうした「パースペクティブの衝突」がありありとみてとれる。たとえばノーマライゼーションという課題やユーザー(利用者)管理型サービス(一例として、自立/統合型/インクルーシブ型生活センター)、サービス・ユーザーに対し、地元自治体のサービスに頼るのではなく、サポート支援を購入できるようにするダイレクト・ペイメント、またサービスの組織化や提供に対するユーザーの関与といった領域だ。こうした事例をそれぞれ検討すると、政策のレトリックには注目すべき変化があることがよくわかる。とはいえ自立生活という障害者の目的が実践的な意味で前進するにあたっては、実際の過程では様々な壁が存在している。


居住型施設への批判 (pp. 128-133)

 20世紀前半を通して、隔離型居住施設は、障害者の生活の中で支配的な位置を占めていた。最も引用された例は、‘精神的に病気’か‘精神的障害’があると診断された個人のための長期滞在病院施設でした。
ポスト−1945年の福祉国家の出現で、大型の長期滞在病院型施設が新設の国民健康保険(NHS)に組み入れられ、象徴的な影響力を強力に振るった。
病院セクターの外部で、1948年の国民扶助法は、正式に救貧法制度を廃止して、地方自治体に居住型施設の支給の責任を移譲しました。
同法はまた、施設提供の割り当ての担当を、ボランティアセクターに委託を許可し、慈善団体の障害者に対する力がより、強まった。
対照的に、在宅サービス(例えばホームヘルパーと食事宅配サービス)や技術的な支援や器具の供給に限りがありました。
このため、大部分の障害者は、家族と友人に大きく依存していた。(Humphries and Gordon,1992;Drake,1999)法律の規定とは裏腹に施設状況は劣悪で非常に抑圧的であった。
また、施設の評判が悪かった、これは施設自身の問題や専門家の見方だけでなく、一般の人々が精神障害者に対して、差別的な見方をしていたことにも起因するからだ。

脱施設化
 1950〜1960年代アメリカや北欧と同じように、イギリスで「精神疾患」や「精神障害」と診断された人々の隔離施設への収容がピークに達した。それまでに、収容人数削減要求に対する各国の世論は変わっていった。また、薬の開発で施設外でも症状のコントロールが可能になり地域へと戻されて行った。
イギリスの脱施設化は当初の計画よりゆっくりと進みました。それでも精神障医療施設に収容される人の数は1954年の14万8000人から1980年代前半の9万6000人に大きく減少した。その後も在宅ケアやコミュニティベースサービスも利用者増えていった。
しかしながら、大規模な長期滞在施設型の終焉は施設化された生活の終わりの兆項ではありませんでした。1980年代の中頃に行われた障害者の全国調査によれば、施設に入所している42万2000人の成人障害者の80%はすでに退職年齢(男65歳、女60歳)に達していた。
対象的に1980年代、特定集団に属する約4割もの人が、例えば学習困難をもった若年障害者の大多数は在宅しているままでした。
精神病院の病床数に関して言えば、コミュニティで暮らす人が急増し1990年以降下降しました。「あまり重篤でない」精神疾患をもつひとに関しては在宅医療でも構わないとする考え方が精神医学会の中でより受け入れられるようになったことがその一因とされる。その一方で非自発的な精神病院への措置数、特に司法入院の数は増えている。
このことは「再施設化」という傾向を示すものではないのかとする見解も招いた。
またこの傾向は、一種のモラルパニックや政治家のポピュリズムによっても増幅されている。しかし、より小さな、コミュニティベースの居住型ホームに住んでいる障害者の経験を見れば、強制収容型施設への批判はここでも有効であることがわかった。
調査によれば、施設には「人道的」と「リベラル」という二つの対照的な価値観存在しこれらは園芸的と倉庫的という2つの考え方にそれぞれ対応する。
「倉庫」アプローチは収容者が「依存的で人格を失っている」と仮定して、個人のニーズの表明を妨害する。これは社会が収容者に社会な死を宣告し、最終的に収容者が社会的な死から肉体の死へと移行することを助けるのに等しいとの批判されることもあった。
本当に適切なコミュニティサービスがないために、多くの障害者は在宅ケアに移行するほかなかった。政府が委託した調査委員会は、地方自治体社会サービスの大きな再編成を提言しました。1969年にAlf Morrisは、議員立法を行っていた自治体に対して、1948年の国民扶助法のもとで‘可能’とランクされたこうしたサービスを提供することを提言した。その目的というのはコミュニティ生活に対する支援サービスを拡大し向上させることにあった。しかし一方ですばらしいとされた法律ではあったが、1970年に少しランクの落ちた慢性疾患及び障害者法(CSDP)になりました。
しかし、地方では次第に限られた資金しかなかったのでCSDPA法は支援サービスに関して期待されたような進歩を生むことはなかった。家で暮らす障害者は支援に関しては親類や友人に依存し続けた。デイサービスはイングランド、ウェ−ルズでは1976年に1959年のおよそ200から2600に跳ね上がった。このことがはっきり示しているのは‘詰め込み型(warehousing)’がコミュニティサービスの隔離した制度的なムードの中で主流になったことがはっきりと示されている。

自立を促す政策の流れ (pp. 133-138)

1960年代までに大規模隔離型居住施設への批判は一般化した。しかしコミュニティがそれに替わるという広い合意があっても、その形ははっきりしておらず、関係者によってその意味は様々だった。

新保守主義(サッチャー、メージャー保守党政権期)

1979年の選挙でサッチャー率いる新保守主義的な保守党政権が誕生し、保健・社会サービスの提供にも市場や競争という観点が導入された。また、既存のコミュニティ・ケア政策が特に効率と質の面で不十分であると指摘する報告書が複数出された。

政府は1988年にロイ・グリフィス卿に報告書を依頼し、その勧告に応える形で『人々のケア白書』(The White Paper Caring for People, 1989)を刊行した。これによれば「コミュニティ・ケア」の全体的な目標とは、個人に対して「自分がどのような生活を送り、その実現を助けるにはどのようなサービスが必要か」をもっと述べてもらうことで「選択と自立」を促進することだった。公共セクターへの市場原理の導入やサービス提供者間の競争がサービス改善に役立つことが期待された

公共、民間、ボランティアの三つのセクター間に準市場的な競争関係を作る、こうした「混合型福祉経済」アプローチが、1990年の国民保険サービスおよびコミュニティ・ケア法(NHSCCA)で強調された。ここでも政策の実施にあたり消費者のエンパワーメントの重要性が繰り返された。

同時に新たな組織間・社会的パートナーシップが奨励され、他方ではコミュニティ・サービスの拡大により、「ケア」に関する公私の境界が曖昧になり、混ざり合うようになった。

一連の改革で、個人の支援ニーズを判断する地方自治体のマネージャーの役割が強化された。個人のニーズや状況(機能制限、家庭環境、資金)は、ソーシャルワーカーなど専門家による詳しい評価の対象となった。マネージャーや専門家による管理強化には、サービス・ユーザーの意見聴取を目指す初期のイニシアチブの拡大も一役買った。さらに1996年のコミュニティ・ケア(ダイレクト・ペイメント)法によって、ついに「現金によるケア購入」別名ダイレクト・ペイメントの利点が認識された。他方で1995年の障害者差別禁止法により社会的排除に取り組む新たな権限が導入された。

ニュー・レイバー(ブレア&ブラウン労働党政権)

1997年に成立したニュー・レイバー(「新労働党」)政権は、労働党「旧左派(オールド・レフト)」と保守党「新右派(ニュー・ライト)」との間の現代化路線である「第三の道」を主張した。
ニュー・レイバーの政策は、サッチャー主義やそのネオリベラルなプロジェクト(経済、国家、社会の再編成)と重要な連続性がある。その現代化戦略が、民間セクターの新たな経営者主義(マネージャリズム)におおむね忠実であることを認めている。この戦略により「結合政府」が推進され、民間とボランティアの団体が参加する複合的なサービス提供形式が奨励された。また職業的「部族主義」は組織効率や効率性への障壁と見なされた。こうして政治的イデオロギーに勝る美徳として「実際的な意志決定」が重視されるようになった。

政府は1995年の障害者差別禁止法に基づき国家と市民との関係を設計し直そうとした。「生産者」よりも「消費者」に味方し、サービスの開発と提供に際して、ユーザー組織とボランティア、民間、国家各セクターとの「パートナーシップ」と協働を推進した。2004年に拡充された社会ケア調査委員会(CSCI)など、調査や規制を担う複数の組織が新設された。自らの生活のマネジメントをより広く行おうとする積極的で責任ある市民が称えられた。2001年の保健・社会ケア法など一連の法整備によって協議プロセスが拡大・強化された。

ニュー・レイバーはダイレクト・ペイメントの制度に新たな勢いを与え、「自立生活」の原則への広範な承認に沿う形で、この制度を個人予算へと拡大した。こうしたねらいは2005年のグリーンペーパー(議会への政策提案書)「自立、福祉、選択」や、そのフォローアップである2006年の白書「私たちの保健、私たちのケア、私たちの意見」でさらに強調された。これを補足するのが社会モデル型アプローチへの広範なコミットメントであり、このアプローチは差別およびインクルージョンへの社会的障壁とたたかうことで、障害者の機会を大きく拡大する方法とされた。

ノーマライゼーションから『人々に価値を』へ

知的障害を持つ人々の場合について言えば、長期滞在型施設からコミュニティ内のコミュニティ・ベース型生活という政策転換のポイントは、「ノーマライゼーション」の台頭とそれに続くライツ(権利)・ベース型アプローチへの移行で捉えられる。

第4章で触れたように、このアプローチはヴォルフェンスベルガーが提唱し、「北欧的な体制を北米化し、社会学化し、普遍化する」ことが狙いとされた。彼は、福祉システムは知的障害者を支援するのではなく、彼らの「自立と、コミュニティでの非集団的で非施設型の生活に対する差別を行っている」と述べた。

ヴォルフェンスベルガーのノーマライゼーションへのアプローチの出発点にあるのは逸脱理論と、社会は逸脱を管理する4つの選択肢があるとの考え方だ。その後、1983年に彼はノーマライゼーションという用語を再び取り下げて「価値ある社会的役割の付与(ソーシャルロールバロリゼーション=SRV)」を提起し、個人に対して「社会的に価値ある生活条件と社会的に価値ある役割」への支援を行った。これは人々の権利を重視する初期の北欧型アプローチから大きく離れるものだ。

ノーマライゼーションとSRVアプローチについては大きな関心が寄せられ、また批判も厳しかった。批判者からは、このアプローチが周辺化された個人の行動や態度を変えることに集中しており、正常性という通念自体への問題提起がないとの意見があった。また専門家とクライアントとの権力関係ではなくコンセンサスや共有された価値を重視しているとの批判がある。また知的障害者の間の社会的差異がほとんど分析の対象とされていないとの批判がある。ノーマライゼーションを巡る分析では、その歴史的な固有性が対象となることはほぼなく、貧困や従属、社会的排除の経験を促進・維持する経済・文化的な諸力の相互作用にはほとんど目が向けられなかった。

英国では、他国と同様に、政府の考え方が、できるだけ「正常」な生活に近づくという発想から、権利や自立、選択、インクルージョンといった諸原則に基づく新たなビジョンへと転換した。脱施設化の初期の経験は失望を呼ぶものだった。脱施設かそれ自体が社会的統合をもたらすわけでもないし、施設的な体制は小規模な滞在型施設や家庭生活の中でも見られたからだ。

実際にノーマライゼーションが単純化されて「普通の生活」を送ることだと考えられたこともあった。しかし英国保健省が2001年に発表した白書『人々に価値を:21世紀に向けた知的障害者のための戦略』(Valuing people a new strategy for learning disability for the 21st century)が認めるように、サービス支援の優先集団として公的に認知されていることは知的障害者にとってはほとんど意味がなく、社会福祉市場で消費者として再発明されることからも良い効果をほとんど得られなかった。つまり「公的サービスは障害者の社会的排除を克服する上で、着実な前進を作り出すことができなかった」し、仮に何かが生んだとするならば、隔離の強化を生んだ。(DoH, 2001a, p. 19)

こうした状況に対して『人々に価値を』は5年計画の概略を示し、市民権、社会的排除、日常生活での選択と自立の機会に焦点をあて、知的障害者個人と家族の生活を向上させることを目指した。現場での進展はまちまちであるとのフォローアップがあったほか、持続的で、ゆっくりだが価値ある変化を指摘する研究報告もあった。しかし多くの知的障害者について社会的統合は進んでいない。保健省は2007年に政策の名前を改めることにし、個人中心の計画立案と、個人化されたアジェンダを知的障害者向けサービスに統合することに力点を置いた。

知的障害者に対する政策はフーコー的な批判の格好の対象である。またライツ・ベース型アプローチが影響力を増していることについては、サービス提供者や学者の間からインペアメントの影響を無視しているとの批判が行われている。また「反差別的実践と、明確な意思表示を行える人々の選択と機会の振興」が及ぼす影響は、重度の知的障害者の最善の利益に反して作用していると退けられている。保護者団体や障害者団体、それぞれの理由から、政府に対して「自立のアジェンダ」を振興することを止めるように働きかけが行われている。


ケアか自立か (pp. 139-142)

「コミュニティ『での』ケア」の正式な解釈は「コミュニィティ『による』ケア」にだった(DHSS,1981,a)。しかし実際には、1990年のNHSCC法に至る主要な法律や関連する政策指針を見れば、「コミュニティ・ケア」が、多くの場合で際限のない要求を伴う無報酬の女性労働の言い換えであることに疑いの余地はほぼなかった(Finch and Groves,1980;Graham,1983)。この事実は産業資本主義社会での女性の搾取と抑圧に関してフェミニストが行う広範な分析に説得力を与えるものだった。フェミニストは「ケア」を取り巻く父権的な想定事項に異議を申し立てようとした。たとえばJanet Finchは居住型ケアが「ケアの行き止まりから最終的に抜け出せる唯一の方法」だと考えた。同様にGillian Dalleyは居住型ケアのメリットに期待した。

こうした議論は「ケア」アプローチがそもそも抑圧的と強調する障害者の主張と衝突した(Morris,1991,1995)。例えば、1989年の白書『人々のためのケア』は「間違った概念」に基づくとされ「ケア概念とは、障害者の多くにとって、それによって我々の生活を支配し、管理することが可能になるツールのように思える」と批判された(Wood,1991,p,199)。

同時に、有力な言説では不平等な力関係の影響が無視されていた。そのこととは対照的に、障害者は「コミュニィティ・ケア」がもたらすマイナスの結果を絶えず指摘してきた。この点について、「ケア」に関するフェミニストの研究の大半が驚くべきことに、無償の家庭内支援を受け「ケアの対象」とされている障害女性の数には関心を示していない(Morris,1991,1993a;Keith,1992;Keith and Morris,1995)。

これらの問題は、Gillian Parkerが、パートナーの少なくとも片方が障害者である退職前の婚姻カップルについて行った研究にはっきり示されている。こうした個人は、どのように、いつ支援を与え、受け取るのかに関する決定について多くの不確実性に直面していた。このことは、社会福祉サービスがなかなか利用できないこととあいまって、非障害者の側に対しては、必要な支援を行うために障害をもつパートナーのために仕事を辞める圧力となり、結果的に世帯収入に大きな減少をもたらす。女性の方が強い影響を被るケースが多かったが、これは女性の方が所得が低く、社会保障制度から差別される一方で、サービス提供者の間に、女性の支援ニーズへの優先順位を低くする傾向があるからだ。

ただ現実には、社会・歴史的な比較研究によれば、インペアメントを持つ人に関するケアと依存の概念は時間とともに、また社会によっても相当変化することが示されている。

相互依存関係では、インプットとアウトプットがお互いに平等であるとは限らない。相互依存は一つの政治的目標(能力に応じて与え、ニーズに応じて取る[訳注:マルクスのいう共産主義社会の有名なイメージ])として位置づけられているが、資本主義社会下の日常生活に生じる様々な要求と制約とはうまく折り合わない。

フェミニスト的な見地からは、複数次元での交換形態が認められる「ケアの倫理」を探る試みがある。こうした見方は権力関係の観点で「ケアとケアすること(ケアリング)」の重要性を考えることを後押しする。権力の不平等さとその「乱用」の可能性は一つ以上の方向に作用しうる。ケアされる方が支配的になることもあれば、ケアする側とされる側がともに第三者(地元当局やサービス提供者)の行動に制約されることもある

「ケア」に関する古いイデオロギーや言説への反応として、イギリスではCares UKなどの「ケアを行う側」の団体が生まれている。

障害者の依存の更なる例は、ディスアビリティのある母親や、そうした母親たちにありがちな短所、および「ケア」のニーズに関する非専門家と専門職の捉え方に表れている。母親たちは家族と友人に対してだけでなく、医療従事者とソーシャル・ワーカーに対しても「十分に良い母親」としての能力があることを示さなくてならないというプレッシャーを感じていた。ディスアビリティのある母親は、子どもが地元当局に取り上げられて「保護(ケア)」される強い恐れを感じながら、厳しく「監視」されていた。母親たち自身は「よいお母さん」として認められたいと思っているにもかかわらず、専門家からは「ケア提供者」ではなく「ケア対象者」と見なされる傾向があった。

追加的な圧力と支援の欠如は家族関係の崩壊の大きな要因だ。マコ―マックによれば、イギリスの知的障害児の両親の離婚率は全国平均の10倍だ。また、障害児は両親から捨てられる可能性が高く、養子縁組の可能性も低い。障害児を世話し「守る」と決めたために、きょうだいの嫉妬を招く親のケースもある。もちろんそうした例はあるが、親に関する研究によれば、否定的な経験と同時に肯定的な経験もあることが示されており、障害児の親の45%が障害児の出生により夫婦関係に影響があったと答えているが、そのうち夫婦がより親密になった者と、逆に夫婦関係のストレスや緊張が高まったと答えた者の割合はほぼ等しい。

多くの家族が「社会制度から排除され、差別的なプロセスによって締め出された障害者に対する安全地帯であり、支援のベース」をいまだに提供していることはその通りだが、障害者の依存を根底から支える様々な事情は未解決のままである。


ユーザー主導型組織:自立生活センター (pp. 142-146)

今日の障害の政治の根本的な転換点は、「セルフ・エンパワーメント」を強調する米国の自立生活運動(ILM)の発生にあった。最初の自立生活センター(CIL)は1972年にバークレーで障害者自身が運営する自助組織として設置された。彼らの経験は地域社会でのCILの発展に大きな刺激を与え、米国各地で似たような取り組みがなされた。提供するサービスは様々で、政治や立法に関するアドヴォカシーやピア・カウンセリング、介助者の選別とトレーニング、車いす修理やスロープの設置、アクセス可能な住居への引越などだ。

米国議会は1978年のリハビリテーション法を改正し「自立生活のための包括的サービスプログラム」を設置した。資金提供の条件に障害者がCIL運営に参加することが求められた。1980年代末までに全米で300以上のCILが生まれた。CILはサービスを提供するだけでなく、自己発見や政治的組織化の場となった。障害者の運営への関与の度合いは施設によって異なっていた。

英国のユーザー主導型組織は、設立の経緯や組織構造とプロセス、サービス提供の点で米国とは異なる。初期の取り組みとして1974年の脊椎損傷協会(SIA)の設立が挙げられる。個人介助を含む様々な支援サービスを開発した。ダービーシャー障害者連合 (DCODP)の果たした役割も大きく、サットン・イン・アシュフィールドで「グローブ・ロード」統合型住宅と共に自己管理型サービスを開発した。これは居住型施設に住んでいた障害者が考え、開発したものだった。このスキーマが示したのは「重度の」身体障害者でも、時間をかけて、適切な支援を受ければ、コミュニティ・ベースの環境で生活が可能であることだ。この他にハンプシャーの「ル・クール・チェシャー・ホーム」に住む障害者グループが1979年に立ち上げた「プロジェクト81:消費者志向型住宅とケア」があり、施設型サービスの替わりに、地域社会での生活を可能にする介助の購入のための間接支払(インダイレクト・ペイメント)という進んだスキーマに根拠を与えることになった。

ユーザー主導型サービスに関するこうした経験やコミットメントがきっかけとなって、1985年にはダービーシャーとハンプシャーに英国初のCILが設立された。これらは障害者「による」組織であり、ディサビリティの社会モデルに命を吹き込み、障害者が受動的かつ依存的で「慈善の対象」であるとする古くからの通念に対する有効なオルタナティブとなった。

ダービーシャー自立生活センター(DCIL)は、障害者が定式化する7つの主要なニーズと優先事項に基づく、サービス支援のための総合的戦略と「事業体制」を構築した。7分野とは情報、カウンセリングとピアサポート、住居、技術支援と器具、個人介助、交通、アクセスだ。最も重きが置かれたのは、障害者が自立生活を営み、メインストリームの社会で平等に生活するために必要な基盤としての、適切かつ責任ある支援を提供することだった。

DCILは交通や建築環境の改善以外にも、ユーザー主導型組織が個人レベルでのインクルージョン(統合)を促進するために大きな力をつけることを目指した。情報へのアクセスは現代社会にまともに参加する上では不可欠なことだが、障害者支援はこの点について明らかに弱かった。1976年には障害情報助言電話サービス (DIAL)が設置され、地域の取り組みを束ねた全国的なネットワークへ(DIAL UK)と発展した。介助の役割はきわめて重要だ。個人ケア、料理、掃除のほか、広い意味での社会経済的参加について障害者の60%が介助を必要としているからだ。法に基づくサービスとボランティア型のサービスを組み合わせることも可能だが、サービスの提供は不安定で、財政支出の縮小という脅威がつねに存在している。

カウンセリングとピアサポートにも強い需要がある。情報は、使い方を知らなければ「できる」という効果を生まない場合もある。この点でピアサポートには大きな意義がある。しかしこうした支援は情報やアドバイスも含めて不足しており、障害者の中でも民族的少数者やその他の周辺化された集団に属する人々への支援はない。

技術支援と器具について言えば、成人障害者の69%が器具や装具を利用している。しかし器具の提供が受けられる度合いは、インペアメントによってまちまちだ。したがって障害者は必要な器具を得るために慈善団体に連絡したり、中古市場で購入したりする場合がある。

こうした主要な支援ニーズに大きな前進があって初めて、「二次的な」優先事項の出番となる。1989年には、ハンプシャー障害者連合(HCDP)は活動の内容を、雇用、教育、トレーニング、収入、手当とアドヴォカシーへと正式に拡大した。このことをきっかけとして、CIL内部や障害者運動全体の中で更なるサービスにどう関わるとの議論が起きている。英国障害者評議会(BCDP)による全国自立生活センター(NCIL)の設立によって、ユーザー主導型組織への助言と支援を行う一元的なリソースが確保された。

1970年代から1980年代がこうした自主組織の「離陸」期だとすれば、1990年代は組織が一層拡大した時期にあたる。これは1990年の国民保険サービスおよびコミュニティ・ケア法(NHSCSA)と1996年のコミュニティ・ケア法によって促進されたが、運動の側は地域レベルでのユーザー主導型組織支援に関する意欲的な計画を求めていた。しかし英国でのCILの展開のスピードは米国に比べると遅い。大きな原因は、地域のユーザー主導型組織に対して、法的セクターが十分かつ持続的な資金提供を行っていないことにある。なぜなら長期計画の策定が非常に難しくなり、短期のサービス契約からの収入に依存する構造ができてしまうので、組織運営が資金調達によって左右されることになり、他の組織と少額の資金を奪い合うことになるからだ。こうした状況ではニーズを部分的にしかカバーすることができず、どのサービスを提供するかの判断で悩まされる。また経験のあるスタッフを雇うことも難しい。

地方自治体は最も安価な選択肢がより望ましいと考えているようだが、サービス提供者間の競争が平等に行われているわけではない。このため大規模でリソースにも恵まれた慈善団体や、元慈善団体で障害者が管理していない団体が成功を収め、歴史のあるユーザー主導型組織やCILに徐々に置き換わっている。障害者の中の特定集団(知的障害者、精神保険制度ユーザー、老人、黒人や民族的少数者、ケア提供者)はCILメンバーやユーザーの中でも過少に評価されている。

首相戦略顧問団(The Prime Minister's Strategy Unit)は、自立生活の確保にあたってユーザー主導型組織が帯びる重要性に関して、ニュー・レイバーが支援を行うことを明確に示す声明を2005年に発表している。「2010年までに、各地域[……]には、既存のCILをモデルとしたユーザー主導型組織が設立されてしなければならない」。CILとは「障害者が運営管理する草の根団体である」とされ「その目的は障害者が自らの生活をコントロールし、完全な形で社会参加ができるように支援すること」だとされた。しかしそのために必要なインフラとリソースは、CILがその潜在的な力を発揮できるようになるにはいまだ十分とは言えない。


ダイレクト・ペイメント(直接給付) (pp. 146-150)

障害者の自立生活運動の大きな目的は、サービス支援に関して自らの選択とコントロールの幅を広げ、家族や友人への依存の一部を取り除くことであり、個人への援助が主な対象となった。イギリスでは、大きなネックになっていたのが、個人に直接お金を渡して介助者(パーソナル・アシスタント、PA)を雇うことを禁止した1948年の国民扶助法だった。「レオナルド・チェシャー・ル・クール居住型ホーム」で暮らす障害者による運動を受けて、地元州議会は1982年に、ホームという第三者を通した資金提供を可能にすることで合意した

これは全く別に、社会保障制度の変化によって、多数の在宅障害者が在宅支援手当なしの状態になり、居住型施設への入所を強いられる危険性が発生した。このことを受け、1988年には500万ポンドの予算で自立生活基金(ILF)が設立された。この基金によって、支援サービスへの直接資金提供を求める運動が強く後押しされた。応募者数は政府の予測をはるかに追い越し、1990年度のILF予算は3,200万ポンドにまで増大した。計画は1993年4月に新規応募を停止したが、22,000人の支給対象者への支給は継続された。1993年に新しい自立生活基金(ILF)は設立された(受給資格者への規制と支給額の問題はある)。2007年末の時点でILF受給者は21,054人で、このうち79%が旧ILFの受給者だった。

障害者運動は1990年代まで、ケア・パッケージの購入に関する地元当局からのダイレクト・ペイメントを合法化するよう求め続けていた。こうしたスキーマは、市場競争と消費者主義的サービスを促進する保守党政権の方針とマッチし、1996年のコミュニティ・ケア(ダイレクト・ペイメント)法の設立に至った。1997年4月から、地方自治体は65歳未満の障害者に対して、本人の支援サービス購入に関する現金を支給することが可能になった。

このシェーマはまた、責任ある積極的な市民を後押し、民間セクターとボランティアセクターも含めた新しいパートナーシップを形成する新労働党(ニュー・レイバー)の方針とも折り合いが良かった。16歳と17歳の市民も対象となり、障害児に責任を持つケア提供者と両親も適用対象となった。そして2003年には地方自治体が、すべての資格のある成人のサービス・ユーザーに対してダイレクト・ペイメントを行うことが義務化された。イングランドでは、18歳以上48,000人が2007年後半の時点でダイレクト・ペイメントを受給しており、2005年度と比較すると29%の増加だった。しかしながら受給者の総数は障害者人口全体から見ると少ないままであり、特に知的障害児の親、精神保険制度ユーザー、知的障害者のカバー率が低かった。また自治体によって受給率が大きく異なっていた。

詳しい調査が必要だという指摘はあるが、自立生活という選択肢は「従来型のサービス提供よりもはるかに多くのメリットがある」ことを示す「明確な数量的な根拠」が存在する(Hurstfield, Parashar and Schofield, 2007, p. 101)。ダイレクト・ペイメントを受給する障害者側からは、社会福祉に依存する度合いが減り、日常生活面でのメリットがあったとの報告がある。日常生活のコントロールの幅が広がったことで、社会的参加の拡大と自尊心の強化がもたらされた。多数の精神保健制度ユーザーは、個人の責任がこのように拡大されることが回復につながると感じている。

ダイレクト・ペイメントの伸び悩みの主たる要因は以下のようなものだ。潜在的な受給者に情報が提供されていないこと、スタッフの(ダイレクト・ペイメントと自立生活の原則について)理解不足と中央政府のガイドラインの先行きの不透明感、ケアマネージャーや現場スタッフがユーザーに権力を移すのを渋ること、医療サービスと社会福祉サービスに関する専門家間の縄張り争い、潜在的な受給者の能力に関する否定的な見方、ユーザーに対する不十分な支援サービス、過度に官僚的な文書作成作業、介助者を雇用することの困難さ。

政府による一連のガイドラインは、地方自治体と現場専門家に対し、公的資金によるサービスと補助金へのアクセスの決定に関して一定の権限を与えた。専門家による管理は、スタッフによるアセスメントとリスク・マネジメントという条件によって促進された。ダイレクト・ペイメントは、提供者が社会福祉ユーザーに勧めるような主要な選択肢としては見なされていない。

更なる問題は、障害者ユーザー雇用者によって雇用される介助者の募集と労働条件に関わるものが大きい。介助者の雇用は潜在的な争いと矛盾をもたらすのではないかとの指摘が障害者から上がっている。例えば介助者が、障害を持つ結婚相手の役割を奪ってしまうとか、パートナーのいる障害女性が若い健常者の女性を雇うことが家庭内の社会的かつ個人的関係に緊張をもたらすのではないかといったことや、障害者と介助者のイダの「雇用」関係の解釈をめぐる紛争などだ。したがって自立生活センター(CILS)などのユーザー主導型組織が、ダイレクト・ペイメントのユーザーかつ雇用者である当事者を支援するにあたって積極的に関与すること、また他方で全国自立生活センター(NCIL)が全国レベルで「良い実践」を広めていく上で役割を果たすことが求められる。
 
更なる懸念が、フェミニスト研究者やサービス提供者からも当然示されている。ダイレクト・ペイメントによって、地方自治体のサービスと「ケア」スタッフから、障害者ユーザーと介助者との雇用契約へと重点が移ることや、自治体の「ケア」労働者に比べて社会的に弱い立場にある若年女性が介助者として増加することの問題のほか、今まで支援の現場でのある程度の個人的な関係が、現金の受け渡しによってドライな雇用関係に置き換わってしまうことなどが挙げられる。

中央政府によるダイレクト・ペイメントの推進は、その実施状況を地方自治体の格付け要素に含めるといったやり方や、ニュー・レイバーによる「サービスの個人化」という大きな考え方によって弾みがついている。そこには、「パターナリズムと消費者中心主義」とのバランスを変えるという野心的な目標があるとされる。またサービスの「共同生産」を意味し、「依存的なユーザーが」が自分の人生に対する「積極的な参加者」となることであり、「自己組織的解決」への一環としても捉えられている。

ニュー・レイバーによる改革の方向性は強い批判を浴びており、自立生活政策の実施に関する方向性への有力な疑問もある。たとえばニュー・レイバー政権でのソーシャル・ワークはリスクの評価とマネジメントの道具になっており、ユーザー自身が、政府の持つ責任や機能を引き受けてしまっているとの批判がある。障害活動家が「達成(アチーブメント)のナラティブ」の罠にはまっていると批判されることもある。またダイレクト・ペイメントのユーザーは従来型のサービスのユーザーの犠牲の上に成り立っているとの議論もある。

障害者団体側は、ダイレクト・ペイメントの実施は遅遅としてしか進まず、地域差もあり、中央政府からの援助も十分ではないと見ている。計画中の政策はダイレクト・ペイメントから「個人化された予算」への移行をうたっており、サービスの拡大は障害者の日常生活をより広い形で支援すること目的としている。しかしこうした「個人化」の試みを先に導入された先進国ではどこでも、自立生活という障害者側の期待と実際との間にははっきりとした溝がある。


ユーザーのサービスへの関与 (pp. 150-154)
 歴史的に障害者は他のサービスユーザーグループと同様に自己決定のプロセスに於いて、法によって慈善団体の計画・審査・評価に対して、無関係だった。しかし、ユーザー関係への政策措置は、20世紀の後半に、地盤を固めた。これらは、地方ユーザーネットワークの健康と社会医療問題を調査から、ニューレイバーのHealth Social Care法と条例2001及びその計画によって強化された。
ユーザー関係は、2つの非常に異なるイデオロギーを引き起こす:ネオリベラルによる大量消費アプローチ(保守党のおよび労働党政府が後援する)
民主主義のアプローチは、障害者の権利拡大と社会的包括のために、広いプロジェクトの一部と公聴会に参加して、民主主義の自治を再生させるために市民権とユーザーの権利を表した『優れた課題』を強調した
1990年以来の法律でインクルーシブでと共政策のあらゆる領域で、ユーザー参加の支援に関するものをみることができる。
主な目的は、政策決定とサービス計画よりむしろ、組織とローカルレベルのサービスの加え方でした。しかしながら、条例はどう実行されるべきであるのかは地方自治体側に、準備はなかった。

NHSCCAは「ソーシャルケアのための戦略」に関連して標準委任(例えばSocial Care Inspection(CSCI)のための委員会)によって、その後強化された。
中央政府支持にもかかわらず、地元のマネージャーとサービスプロバイダは、彼らの専門知識と権限に対する脅威として、ユーザー参加を嫌がった。このことはあまり表面化しなかった。ユーザーは彼らとの関係がますます『管理される』と感じた。

これらの特徴はユーザー参加(『ユーザー中心の』アプローチよりむしろ)の『管理中心の』形を暗示した。

参加に対する障害者の関心は、2つの相互関係だった。

制定法上の権限は「介護者」、介護者で設立されたボランティアグループ、障害者のための機関、グループ間で取引することで、よりよく見えた。
ユーザーは、しばしば、彼らの関わりにおいて密接に管理されると感じます

参加することで障害者の支持ニーズの認識と明らかに違った。:アクセスしやすい会場、情報と文書の支給、英国のSign Language(BSL)解釈;支払っている関係者に適切に費用を返済すること;ユーザーに農村地域にかかわるということの難しさ;そして、少数派民族のメンバーを統合しないこと。必要性は、複雑なサポートに関わっている運用が異なって作用して、見落とされる学習困難をもつ人々の参加が困難だった。
ユーザーを政策過程に組み込むことは、組織の構造とプロセスにおいてめったになかった。障害者組織は、サービスユーザーとの関係のために適切なトレーニングを支持しました。
長期のユーザー需要はプロバイダー率いる部門からユーザーのニーズ主導の評価まで移行のためのもので、そのため、障害者ユーザーとって、サービスは利用できないか、サービスプロバイダがよくなかった。
条例は、Social Services Inspectorate(SSI)がアセスメントしなければならい、彼らの日常生活(SSI、1991、15ページ)で『ユーザーがアセスメントは参加型でなければならない』ことについて同意した。

それでも多くの開業医は、ソーシャルワーカーにユーザーの関心に合うよう委ねた
伝統の終わりを嘆きます。彼らは、アドボカシーとその実施のために前向きでない人もいます。マネージャーと専門家は政府の財源を守らなければなりませんが、同じくらいサービスユーザーも何ができるか、何が必要か、から話をすすめるべきであると望んでいる。

まとめ (p. 155)
20世紀の中頃から、障害者に向けられる社会政策の遅れがあった。主に、これは障害の『自然化』の批評への反応です、そして、個人そのものの強調は生物学的『欠点』を障害者の日常生活の特徴を反映するサービスプロバイダによる社会的な除外、依存と支配を正当化する理由として認めました。政策は、これらの社会的で経済不平等を減らして、あらゆる州を保証された市民権権利を成し遂げる方向に変換しました。

それでも、社会政策は、障害者の周辺化をひっくり返すことができないために期待外れでした。旗艦プログラム(例えば欺くためにおだてられる地域ケア)。大きなものを閉じる(長い滞在機関)

対照的に、障害者の組織によるキャンペーンは、自立生活のゴールと適切なサポートサービスの利用を強調した。障害者は革新的な実際的なイニシアティブを始めた。そして、インディペンデント/Integrated/Inclusive Livingのために彼ら自身のセンターズを設立すること;割り当てられた資金提供のサービスユーザコントロールを許可した『直接の支払い』の計画を導入するよう地方自治体を説得すること;サービス政策発展と配置への大変な意味がある参加。中央政府が2025(内閣官房、2005)年までに障害者のために平等を成し遂げるというその意向を述べる間、政策のレトリックは簡単に実際的な政策に移されなかった。進歩はむらがあって小刻みでした、そのため、自立生活のゴールは果たされていないままです。これは、次の章のための焦点である政治過程に、障害者のユーザー主導型になったのか、提起します。



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◆Chapter 7 Politics and Disability Politics

  2010年9月3日 障害学研究会 有松令、青木千帆子

 この章では政治についての2つの見方が検証される。第1節では公的な政治構造と過程、および障害者の政治参加を阻む様々な障壁を検討する。これらの制約は、はからずも障害当事者運動の拡大を早めてきた。これが“新しい社会運動”の実例であるという主張はこの章の第2節で探求されることになる。第3節では、とりわけ、意味のある社会変革の触媒としての障害アイデンティティの政治化とその可能性に言及して、これらの議論を評価することとする。メインストリームアプローチのための今の重要なもう一つの手段として障害当事者運動の出現や、政治家や政策立案者、人口の多数の益々増大する影響力について論じる。

  □政治と障害者

  ◇選挙過程からの排除
 投票権の行使から障害者を妨げるいくつかの障害がある。最も基本的なものとして、一部の障害者は選挙人名簿から排除されている。法律の拘束はつい最近、関連する社会と周囲のバリアを減らした。しかしながら、学習障害者(people with learning difficultties)はもし彼らが‘法的能力’という一般的な基準を満たさないと考えられるなら、選挙権はく奪という不利な状態のままである。選挙登録と選挙のインクルージョンは‘ケア’と選挙スタッフの配慮と姿勢によって影響を及ぼしやすい。
 さらに、家族とともに家で暮らす一部の障害者は世帯主により選挙登録に加われない。この問題の請願運動として、障害権利委員(Disability Rights Commission:DRC)、2006年廃止、そして、NHS評価者支援チームが2005年の重要な総選挙で、投票を望む学習障害というレッテルを張られた人々のためのプロジェクトが動き出した。これらは、多くの地方権威ウェブサイトを利用出来たのと、管理する役人を与えられた情報パックを含む。
 それにも関わらず、イギリスの東部において学習障害と定義された人々に関する2005年総選挙の参加調査では他の有権者の51%に匹敵する投票に登録される地方サービスを知っているのはたった34%だと解った。
 たとえ投票のために登録したとしても、ほかの大きな問題はとりわけ物理的障壁を感じることから生じる。これらには、投票所と投票ブースそのものへのアクセス、さらにある種の障害者にとって自力で投票用紙に印をつけられないといった問題が含まれていた。一部の障害者は投票したければ、援助のために他の人に頼ることになり、障害者の参加を思いとどまらせる。
 こうした問題の一部は、障害者が郵便で投票する、あるいは代理人を使って投票する(誰かほかの人が障害者の代わりに投票する)ことで克服できる。したがって「アクセシビリティを最大にすることは郵便投票の情報と助言が短く明快に書かれているPlain English」を推薦する。
 さらに長年続いているにもかかわらず最も有益で最低限度あった最近の選挙の上で障害コミュニティ改良の異なった部分のために点字、テープ、ビデオ、記号のような、利用可能な形で提供するとても少ない政治情報に関係している。
 2006年選挙行政法の立法とともに、関連する情報に沿って用紙は障害者(身体 知覚 impairments)にとって利用しやすく、低い基礎能力技術とともにそれらの投票所を確保し獲得させる‘無理のない効果的な段階’に必要なものがある。この法律はさらに‘精神障害(lunacy)’と‘白痴(idiocy)’の領域に選挙の障害となる共通の法律を取り去る。それにもかかわらず、2007年の選挙のウェールズ議会の研究は投票所の70%が好ましいアクセス基準を満たしていなかった。
  
  ◇政党と圧力団体
 障害者はさらに政党に入って積極的に活動するには制約があることを経験する。第1に、多くの地方有権者の集会場や政党の本拠地は移動に障害(impairment)をもつ人にとって物理的に近付きづらいので彼らが集会に出席したり、政党活動家になったりすることは難しい。第2に、地方政党は運動に参加することや戸別調査に完全に関係するためには周囲や社会に障壁があるので、障害のある立候補者を選びたくないだろう(Oliver and Zarb,1989)。第3に、障害者は政党の立候補者として選択を求めるようにめったに励まされない。これは、女性立候補者の数が拡張する主導権と、特に勝利の機会を持つ政党の支持者を対照させる。イギリスにおいて障害(impairment)があるとみなされている議員(MPs)の数は最近の数年の間にわずかに増加したが、これらの少数の議員は障害者や障害者運動と共にある者として認定される。逆説的に言えば、いく人かの障害者は障害権利指針を追い求める彼らがトイレで選ばれない、と指名された。
 障害問題の低い目立ち具合は2005年の普通選挙キャンペーンにおいてほとんど不可視であり、特に主な政党のマニフェストによりさらに強められた。
 さらに障害者による政治活動の手段は圧力団体活動や運動に1つの問題がある。政治参加のこの形は近年、劇的に増加している(McAnulla,2006)。地方と国家のレベルの経営上の、会員資格ではばらつきが大きい、そのような組織が今数百ある。しかし圧力団体は政策立案過程において彼らの接近と影響で著しく変化している。
 その上、参加する重要性とボランティアグループという、より多元的な世界が他にある。より少ない主要な社会経済的な位置を持って以来、より少ない影響を及ぼす影響がある、けれどもこれはキャンペーンを横断して変化する。
 しかしながら、彼らの目的、リーダーシップとメンバーシップに組織の間の重要な違いがある。(表7.1  障害者組織の類型 参照)

表7.1 障害者組織の類型
1.協力・庇護型
  障害者のための組織:サービスの供給を実施。
2.経済・議員
 主として障害者のための組織:ロビー活動と調査
3.消費者保護運動・セルフヘルプ
 障害者自身による組織:自助
4.民衆派・政治活動家
 障害者自身による組織:障害者の政治団体
5.連合・調整
 障害者自身による組織:組織の連合体

 イギリスには多くの他の国のようにチャリティーとして認可された組織のための減税のような経済的優遇がある。つい最近まで、チャリティーはもし彼らが明白な政治活動に没頭したならば、彼らの地位を失う危険を冒した。これは政治家と政策立案者の親密な仕事関係を高めることを可能にした、けれども、いくらかの‘信用できるが比較的小さい力’を彼らに与えた(Barnes,1991,p.218)。
 たとえそうでも、あいまいさの度合いはチャリティーと彼らの政治参加の役割にとどまる。
 政治政策に影響する公の意見を結集するチャリティーによって運動に参加することは力強い影響を受けることができる。
 先頃まで、障害チャリティーは障害者への興味を「表す」と同じくらい「世話をする」べきであるということは重要と考えられていない。
 最近の政府改革の重要な特徴は健康と社会サービス分野の組織と作用の間と、とてもより親密な労働関係と協調という、より多数のユーザー参加、共同と普及促進の強調にあった。
 より多くの協同を容易にする意図は一般に認められる間、どのようにして「協同」にずっと後のこの意義はいくぶんより少なく明白になる。疑いなく、これら政府の打診は伝統的な障害チャリティーにかなりの衝撃を持ったことと、此処10年の障害者運動の成長と並んで検討される時に証拠になる。これらの多くは彼らのマネジメント委員会として活発に障害者を勧誘し、障害者メンバーの重要性の多くの代表者を必要とすることをくわえる。「セルフヘルプ」哲学と現実的な企みは彼らの増える生活上で障害者の制御を高めることを意図する。
 セルフヘルプアプローチはユーザー主導の自主的な組織を広げることに益々関連付けられている。ユーザー主導サービスの圧力は責任の低い基準を示す伝統的な供給者主導モデルのサービス交付に対する不満から簡単には表れない、しかし市民権法の主眼点と民主主義アプローチの成長によりさらに刺激された。

  □市民権と立法

 障害のある人々や団体の政治参加は、市民権と差別禁止法の間にあるギャップの存在を明らかにした。障害のある人々や団体の政治参加は、北アメリカとヨーロッパにおける政治的背景と障害者運動の違いも明らかにした。第6章でみてきたように、市場資本主義、消費者主権、独立独行、経済政治的自由に重きを置くアメリカ社会におけるイデオロギーの基礎は、ILMのアプローチに反映された。つまり、市民権、消費主義、セルフヘルプ、脱医療化、脱施設化といった点である。ILMは福祉サービスの専門化支配と官僚主義的供給、手薄さを批判し、障害者自身による市場の開拓を求めた。
 1972年にカリフォルニア、バークレイでCILが設立された際、この運動を先導したのは大学と病院の姿勢に反対した障害学生だった。そこでは、当事者による選択とコントロールが重視された。
 一方、ヨーロッパ諸国、特にスカンジナビア諸国では、障害のある人々のニーズを満たすために、既存の国家福祉制度を強化する戦略に重点が置かれた。より貧しい障害の者によって経験された市場システムの欠点や高められた障壁を克服するために、福祉国家が必要不可欠であると見なされていた。
 英国では、ケアを必要とする個人的悲劇の受難者という伝統的な分類に対抗することに当初重点が置かれた。ダービシャー連合(後にインクルーシブな生活のためのダービシャー連合と改名した)は障害者にとって重要である7つの点を指摘した。それは、情報、アクセス、家、支援機器、介助、カウセリング、交通、である。このように、障害のある人々の利益拡大のために取られた戦略および優先事項の影響は、「権利」をめぐる闘いとなった。
 1970年代中頃まで、アメリカの障害者運動は草の根グループおよび団体が緩く構造化された混合体だった。例えば、1970年にニューヨークで障害のある人々への差別に反対する政治運動体としてDisabled in Actionが作られた。このような運動の結果、障害者への差別を禁止した初の法律であるリハビリテーション法が1973年に施行された。
 しかしながら、市、州と連邦政府はリハビリテーション法の504条(これが障害を持つ人に対する差別を禁止している条項)を施行するのには前向きでなく、その実施に必要な関係制度が整うには、障害者団体による活発なキャンペーンを含む数年を要した。重要な役割はアメリカ障害者市民連合(ACCD)によって果たされた。アメリカ障害者市民連合(ACCD)は、1974年に60以上の地方・全国にある既存のセルフヘルプグループネットワークが合併し形成された。運動の高まりの中、1990年にADA法が成立する。
 ADA法の公式目的は、障害のあるアメリカ人を実際にメインストリーム化することであった。ADA法は、州および地方自治体、通信、雇用、交通、建築環境での障害のある人々への差別を違法とした。そして、建築環境のアクセシビリティにおいて顕著な改善を生み出した。しかし、その他に関する影響は予想されたよりはるかに少なかった。それは監視体制と施行条件の弱さ、および少数民族である障害者への影響の少なさがとりわけ目立った。さらに、「合理的な設備」を求める障害者側に多く責任が課された。実際、訴訟となった事件の圧倒的多数は示談によって問題を解決し、それ以外の95%が雇用者に有利な判決を下している。
 国際的にみると、ADA法のたどった経路は1990年代を通じて他の国々における差別禁止法における指針として働いた。オーストラリアの差別禁止法(1992)、1993年ニュージーランドの人権とインクルージョンへ向けた差別禁止法、英国の差別禁止法(1995)である。このように差別禁止法に醸成される中で、カナダが1985年に権利と自由のカナダ人憲章として差別禁止法を制定していることは、一般に見落とされている。同様の法的措置は貧しい発展途上国においても施行されている。
 1970年代以来、イギリスのUPIAS、解放ネットワーク、SADといった当事者団体は、障害者の権利の追求において脚光を浴び、差別と闘う準備を整えつつあったアメリカにおける障害者団体とゴールを共有し、差別禁止法のためのキャンペーンを展開した。1985年には、差別禁止法委員会(VOADL)(1992年にRights Nowと改名)が設立された。これは、障害当事者によって運営される団体と伝統的な障害者団体(市民権立法に関しては生ぬるい対応を示していた)との不安な同盟を生み出した。同時に、これは障害当事者の政治化を成長させる期間となった。
 ADAのように、英国の差別禁止法も個人的・医学的アプローチに基づいている。権利を主張する個人は、告発する前に自らにインペアメントがあることを証明しなければならない。2001年には、差別禁止法の対象が、特別支援教育?法(SENDA)の導入で拡張された。2005年には、さらにDDAの修正が加えられ、障害平等義務(DED)へと変わった。しかしながら、このDEDのインパクトは制限されたものである。35の公共団体に対して実施された、住宅、教育、健康、環境、交通、文化および刑事事件という7つの政策分野に関する、障害問題事務所(ODI)によって委任された研究によると、「障害者の問題を中心的課題とするには、一部達成されているものの、他はまだ長い道のりを要する(Ferrie, 2008:p14)」と報告されている。更に、2009年4月27日に、もし可決されるならば、ディスアビリティ、性別、人種、年代、宗教、所属集団、すべてが共通の一つの差別禁止法によって規制される、政府は単一の平等法を公表した。DDAは、施行状況をモニターするための担当省庁がないままに運用が始められた。これは、機会均等委員会(EOC)によって監視される1975年施行の性差別防止法(SDA)、人種間の機会均等委員会(CRE)によって監視される1976年の人種関係法(RRA)のような他の英国の差別禁止法やADAと比べて、大きく異なる点である。このような法律は、差別と闘うための影響をほとんど及ぼさない。
 新労働党政権は、1997年の選挙の後、障害者権利特別対策本部を立ち上げ、それに続く忠告と、激しいロビー活動により「障害のある人々に対する差別の除去」を促進するため2000年4月に障害人権委員会(DRC)を設立した。しかしながら、「差別」を構成する行為のほんの一部のみが、法律で制定されている資格に適合している。2004年〜2005年の間に申し立てられたクレーム4,437件のうちの大多数が法廷で敗訴するか、取り下げることになった。また、DDAは、それがどれほど重篤なものであっても、法令による定義で「障害者」であると認められない場合は、差別を受ける人すべて(具体的な被害のあるもの以外)への賠償を提供しない。これは、雇用差別を禁じ、期待される行動を強める実践においてDDAのインパクトを相当弱めてしまった。更に、2005年にはDRCはそのケースワーク部門を閉鎖し、OECとCREは2007年に廃止された。それらは、2007年10月に運営を始めた人権平等委員会(EHRC)と入れ替えられた。関連する展開としては、平等法(2006)は、差別的なケースでの法的な援助を求める個人の権利を弱めている。
 欧州連合(EU)では、1996年に障害のある人の雇用機会均等に関する通達を採用した。これは、統合(mainstreaming)を支持し障害者に対する分離施設を放棄するよう加盟国を奨励したが、しかし義務化はしなかった。さらに、1997年に修正されたアムステルダム条約第13条は「ディスアビリティ(性別、人種、出身種族、宗教、信念、年代、性的嗜好を理由とする差別)に対する処置を講ずる」委員会に権限を与えたが、障害のある人々への新しい権利を譲渡しなかった。2003年10月に、ディスアビリティを含む多くの分野で差別禁止法を導入することを加盟国に要求する勧告に欧州委員会は同意し、2003年は、障害のあるヨーロッパ市民の年と宣言された。段階的行動計画が2010年の導入されたことによって強化され、障害のある人々のインクルージョンを強調した、ヨーロッパにおける障害のある人々のための政治行動計画が続いて実施された。EUが主権国家共同体で、権限配分の原理が社会政策の実行において本質的な制限をもつ点を確認することは重要だ。ヨーロッパ共同体法の衝撃と同様、人権法(1998年)の可決も、ディスアビリティの政治へのさらなる影響を約束している。1つの可能性は、本質的な社会変動と同時に興隆した市民権運動と同様、オーストラリアとニュージーランドで同じように採用された側面により接近するように、英国で障害者運動を促進するであろうという点である。
 障害者の権利に関する国連の選択議定書が、2006年12月に採用されている。それは2002年から2006年までに開催された国連総会特別委員会の8つのセッションで障害者団体の代表を含めて協議され、21世紀の最初の人権条約を特徴づけるものとなった。それは国際法の中で設計されたものではあるが、条約は国家の人権を保護する義務を定めている。
 大西洋の両側をまたぐ障害者団体の相当な熱狂的高まりの一方、法的手段に基づいた経験から、それが長期に渡り高額な費用を要する訴訟行為を生みだすという懸念および批判がある。これらはまた、集合的な政治闘争を格下げし、法制度における社会・政治的な位置づけを無視するものである。
 さらに、法律の進化を目指す権利に基づいたアプローチは、多くの現代的な法学者によって批判されている。それらは、次に挙げる権利に対する多くの懸念を投げかけている。懸念とは、「権利」という概念の誤用および乱用、権利の自由意志論、権利が固定的ではなく文脈依存的であるという事実、権利が結果を決定することができないという事実、また権利が人々の関係を形式化し、そのために相互が分離されるという事実を含んでいる。
 全体として、既存の法的なフレームワークを用いて人権、市民権を要求することに重点を置くことは、障害のある人々の平等を達成してはいない。これは、法的保護を追求するだけでは全面的な政治・経済システムの変革にはいたらず、したがって、今後も構造的不平等(Hahn、2002)を根絶するために根本的な変更を達成するための努力が要されるからである。

  □新しい社会運動?

 従来の政治形態は、障害のある人々や団体による政治運動の中心課題として残されたままであるが、圧力団体および選挙政治における政治改革を勝ち取れなかったことは、根本的な点で無力化の政治を推進してしまった。社会に対する抗議運動の「新しい」形式と「古い」形式の二極化は、20世紀後半の社会秩序と経済秩序が連携し、ポスト産業社会、ポスト資本主義社会、ポスト・モダン社会と種々に名付けられたものが出現するであろうと、平行して訴えた。社会的分業、社会・文化の進みつつある崩壊、(福祉)国家の危機、などによる必然の結果である生産から消費への変更は、象徴的な特徴であるとされてきた。
 新しい社会運動理論に関する最初の解説者であるアラン・トゥーレーヌ(1977, 1981)は、西欧の社会の確認にある新しい矛盾を描いた。トゥーレーヌ(1981)よると、「新しい」社会運動にはそれらが「ポスト産業」社会を支配する意味や価値に集中する点で社会を変革する可能性がある。また、「古い」「新しい」と政治運動や抗議運動を分離することを必要とする点に疑問符をつける指摘もあった。
 しかしながらOlliver(1990)は、障害者運動が次の点において、新しい社会運動として分類されると主張している。
i) 従来の政治で周辺化されていた課題である
ii) 社会の批判基準を提供する
iii) 後期唯物論的、あるいはpost-acquisitiveな価値を包含している
iv) 国際的な展望を採用している
 しかしながら、これらの基準は「新中産階級間層」の連携や「差異の賞賛」をめぐる議論を見落としている。

  ◇政治の周縁
 当初は障害者によって運営される組織はほとんどなく、また政治に対する影響もほとんど及ぼさなかった。多くはインペアメントごとに特化された問題やサービスの供給に関心が集まり、政治運動やロビー運動に参加することへの注目は低かった。英国では、新しい急進的な団体は1970年代に出現した。代表例は1974年組織されたUPIASである。そして、障害者間で共有する目標を設定し、政治運動を展開するようになったのである。
 しかしながら、大西洋の両側のディスアビリティ運動家は、このような運動が政治の主流派に取り込まれる危険を持つ点を、時代毎に懸念してきた。

  ◇社会変革への過激な道?
 新しい社会運動は支配に抵抗する用語を用いて自身を定義した。定義される特徴とは、社会的排除と抑圧への焦点であった。障害のある人々を包摂することへの障壁は、ディスアビリティへの個人主義的な医学アプローチに基づいた政策と慣習に埋め込まれていた。社会モデルを主張する人々はその抜本的な論点を強調している。具体的な証拠は、1970年代以前の障害のある人のための伝統的で、ボランタリーで、パターナリスティックな組織と、より新しい20世紀以後最近の数十年間に作られ障害のある人々によって運営される組織との間の明確な対比に見出すことができる。
 「新しい」政治としてのもう一面は、デモンストレーション、直接行動および市民的不服従(civil disobedience)を含む慣例に従わない政治運動の方策を採用する点であった。「直接行動」への取り組みは、「古い」政治的な抗議およびキャンペーンが「新しい」スタイルにバランスが変わってきたことを表わしている。世界中の障害者団体は、政府建物に侵入し、交通機関を麻痺させ、マスコミを混乱させるための直接行動をする際に、互いの戦術およびキャンペーンを模倣しあった。

  ◇ポスト唯物論的価値?
 新しい社会運動特有の機能として、収入、物質的ニーズ、社会保障ニーズの充足といった「ポスト唯物論」あるいは「post-acquisitive」的価値への執着がある。これを受けて、オリバーはディスアビリティの文化(8章を参照)といった「差異にスティグマをつける」ことへの対抗文化へのシフトを含め「ポスト唯物論」を再解釈し、より肯定的な障害者のアイデンティティを提示した。

  ◇グローバルな現象?
 新しい社会運動および障害の政治問題化におけるもう一つの重要な特徴は、それらが国際化された点である。新しい形式の当事者団体へ発展していく経験の共有がさらに重要な点としてあった。障害者運動は革新的・伝統的運動両双方の特徴を帯びているのである。

  □アイデンティティ・ポリティックス

 当初、ディスアビリティ理論家は、共有された抑圧の日常的体験への抵抗として障害のある人々の政治化を捉えていた(フィンケルシュタイン, 1980; オリバー, 1983)。無力化する社会の構造およびプロセスに不満の源があると認識されていたことから、同一の集団アイデンティティと利益が共有されていた。
 障害のある人々の経験は、同化という言葉が健常者の用いる用語であるように、本質的に抑圧的である。従って、差異を賞賛することは解放的でエンパワリングであると映ったのである。このことは、これまでさげすむように教えられてきた事柄を称揚するよう、障害のある人々を激励した。ちょうど「アイデンティティ(self identity)」がディスアビリティ文化(8章を参照)の出現を考える際に重要な問題であるように、差異の賞賛はディスアビリティの政治を考える際の中心にある。障害運動家が集合的な利益や政治を確立しようと努力する一方で、アイデンティティ・ポリティックスや「差異の賞賛」への移行が支持されるようになったのである。
 基本的な障害者であるというアイデンティティに重点を置くことは、今日、本質主義的であると非難され、解放の政治との矛盾に直面するようになった。障害者運動が聴覚障害者に関しては既に存在していたように、障害者としてのアイデンティティは時に問い返され、しかし、より不確かで、流動的で、確固としたものを欠いているが、何かを全体としては共有するとして解釈されるようになった。
 ナンシー・フレイザー(1997a、2000)に代表される「アイデンティティの政治」を批判する人々にとって、再分配をめぐる個別的政治的闘争の中で社会集合体の「承認」を勝ち取ることに重点を置く方針は、「公正な社会秩序」という視点からの退却を示していた。「文化的政治」「アイデンティティー・ポリティクス」を主張したとしても、それらは「公正と平等のソーシャル・ポリティクス」(1997a、p。186)に接続しない。貧困と不平等を経験する世界の何百万もの人々にとって、アイデンティティー・ポリティクスは、何の社会的正義をも提示していない。認識をめぐる政治は進んで行く一方で、再分配をめぐる政治も停滞している。彼女は、社会的抑圧への「二価」的なアプローチをする代わりに「社会、文化、経済を統合して論証すべきである」と主張している。社会、文化、経済の分離は理論と実践において弱点がある。社会、文化、経済的問題を一斉に追求することは、ディスアビリティ政治の革新的潜在力を縮小しないだろう。
 確かに、文化的な違いの受理は、その前提として社会的平等が存在することが求められる。ナンシー・フレーザーは、「脱構築」へつながる「変革的」政治的プロジェクトを論じる。差異とは人間の多様性の表現であり、階層的なものではないという考えを拒否する。なぜならばそれは、「何でもあり」を意味し、どのような差異が受容可能で、どのような差異は受容できないかを判断する規範的基準の共有を不可能にするからである。「アイデンティティ・ポリティックス」の支持者にとって、「違い」に重点を置くことは文化を再評価する第一歩であるが、これを批判する立場から見ると、存在する不平等を弱めるのではなく持続させる可能性があるのだ。
 とはいえ差異の政治は、まだ首尾一貫したかつ有効な政治的プログラムを維持する能力を示していない。

  □まとめ

 障害者及び世界中に存在する障害者団体による政治運動は、障害のある人々に想定されていた受動性が神話であり誤解である点を告発する点において、とりわけ顕著なものであった。この運動は、これまで選挙や政策決定へのより少ないアクセスのみが許されてきたという事実から特に注目すべきである。1990年代まで、西洋社会における多くのディスアビリティの政治は専門家に先導されたインペアメント毎の団体によって支配され、ディスアビリティや障害者についての伝統的温情主義的理解を温存させてきた。草の根運動による障害者運動の高揚は、このような団体、主流政党、政策決定者、一般の人々の重要な影響をおよぼした。このインパクトに関する重要な具体例は、世界の多くの国々で差別禁止法が成立したこと、世界銀行から国連までと多様な国際機関がディスアビリティの問題へ焦点をあてるようになったことから示される。
 国内外の政治的議題としてディスアビリティの問題を据え置く点に著しい進歩があった一方、公正な社会秩序(just society)を成し遂げるために必要な変革を達成していない。確かに、何人かのディスアビリティ運動家が指摘するように、ディスアビリティの政治を主流派政治へと統合することが、社会的正義を達成するために障害者や障害者団体が政治的に闘うことの根本的な目的を無力化してしまう点があるだろう。またそのような傾向は、障害者運動が「新しい社会運動」であるとみなす主張とも矛盾する。激しい論争を生むもう一つの問題は、ディスアビリティ政治がどの程度アイデンティティ・ポリティックスや差異の賞賛を反映すべきなのかという点である。これは、支配と抵抗の形式、そして障害のある人々の間の多様性に注目することの有意性を検討する文化的政治という観点に注目を集めた。問題となるのは、政治経済的再分配の問題に加え、具体的な経済的不平等が脇に置かれるか棚に上げられる点である。これらは、ディスアビリティの文化的表象を理解するために明らかに重要性を帯びているテーマである。この点については次章で議論する。


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◆Chapter 8 Culture, the Media and Identity(pp.185-212)

  Barnes, Colin and Mercer, Geof 2010 Exploring Disability, 2nd Edition,Polity Press.
  100830コリン・バーンズ事前研究会 公共2年 八木慎一

◇前版との違い
削られているところ、薄くなっているところ
余暇、障害者のアート
厚みを増しているところ
文化を社会-政治の抗争の場として扱う。問題化するフレームはカルチュラルスタディーズ、(アイデンティティの)政治理論である。

障害者の支配と解放双方の点で、文化の重要性はディスアビリティスタディーズのなかで関心を呼んできた。

◇この章の目的
文化とメディア(the media)における、障害の位置づけ、そして、どのようにして障害の文化が、より広範な障害の政治の指針の中心部に移行するようになったのか。
1、この問いを文化への社会学的アプローチから始める。
2、メディアや様々な芸術の形態にみられる障害者の表象と、鑑賞者へのその影響。
3、カルチュラルスタディーズの観点から文学の検討を行う
4、どのように障害者が得意な障害のサブカルチャーを、健常者文化に対抗しながら、生産しようとしてきたか。また障害のアイデンティティ同士の関係、ディスアビリティアート。

  □文化への社会学的アプローチ

社会学における文化「文化とは、ある集団がもつ価値観と彼らが従う規範、および彼らが作り出す有形財から構成される。」(Giddens)。価値観は、抽象的理想。規範は社会のなかで受け入れられる/られないルール。そして文化は意味体系であり、これを通じて文化は「伝達され、再生産され、経験され、探索される」(Williams)文化と社会はどう異なるのか。社会の方がより広義である。社会とは「同じような文化を共有する人びとによって共同で保持される相互行為の体系」(Giddens)つまり、社会的相互行為をする上で、文化、すなわち価値観、規範を学んでおく必要があると。とはいえ、文化は社会がなくては存続しない、そういう理解をしている様子。
 文化は境界をもつ。つまり、異なるものも産出する。ディスアビリティにとって重要なのは、いかにインペアメントをもった人びとが「欠陥のある」人間として意味づけられてきたのかを分析することにある。

文化の経済に対する自律性。グラムシとカルチュラルスタディーズから。それによる、文化へのアプローチの変化が生じている。
→どのようにメディアはアイデンティティと他者性Othernessの特定のイメージを産出し、維持しているのか?

  □ディスアビリティの文化的表象

これまでの先行研究を包括的にまとめている箇所。

中世まで障害者は、一般人をおののかす身体性を持っているものとして表象されてきた。また現代でもそれはほとんど変わらない。P190
I→あまりいいイメージで表象されていないとして、その文化的表象が、社会とどう関係してくるのか。あるいは社会的な制度などと。

◇身体障害者(cripple)のメディア表象の研究
癒しの物語への愛着、慈善の表明の役割、テレビにおける障害者の不可視性、映画における偏見にみちた描き方。障害者の非雇用。罪や不正、悪意の隠喩として障害(impairment)が援用されてきた。P189例えば障害、非障害者を含んだメディア関係者へのインタビュー研究。関係者はテレビで障害者が多様な役割で表象され、包摂される原理を高い程度に支持している。その一方で、なにがacceptableなのかは意見が分かれる。障害者が参加することへのほとんどの反対が、彼/彼女らを見たときの不快感に由来していた。こうした理由から、障害者は女性や民族的少数派よりもメディアから排除されることになる。P190
I→ではなぜ障害者が鑑賞者、視聴者の特定の否定的感情を引き起こすのか?それについての説明は後でなされる
 →障害者が喚起する意味、イメージの強さ、それがどこから来ているのか。例えば、映画のエキストラに障害者は全く出てこない。そこに意味が読めてしまうと、メインのところがくすんでしまうからであろう。しかし、その意味はどこから来たのか。

◇ジェンダー・ステレオタイプ
女性障害者はヘレン・ケラーを除いて、とりわけメディアに登場しない。なぜか。
女性障害者は、性的存在そして伝統的な家庭役割すらも与えられない。つまり、ジェンダーとして見られない。さらに、障害者として表象される場合は、女性ではなく、男性の障害者が選択される(Morris 1991)。というのも、女性はもともと「受動的で依存的なものとみなされている」からであり、ギャップが目立たないためである。

女性運動は女性障害者をみてこなかった。性の対象、伝統的な女性役割すら、イメージのうえで彼女たちには与えられていない。女性運動は女性を代表しているはずなのに、その女性イメージから外されている女性について扱ってこなかった。P194
→二つの課題が出てくる。
1、障害のある人びとの多様性を承認することの重要性
2、肯定的、否定的なイメージは、複雑であり、矛盾を抱えている。
→以上のような二つの課題に対応する上で、カルチュラルスタディーズの研究が参考になる。

  □カルチュラルスタディーズのアプローチp195

Iカルチュラルスタディーズの特徴:広範な文化作品を対象にし、大衆的な文学、映画を、それ自体の作品的価値を測るということとは別に、それのもつ政治性の分析を行い、諸作品に見られる歪められた価値観や偏見を浮き彫りにする。

冒頭からカルチュラルスタディーズの障害に対するアプローチの批判がなされる。文学や映画などアートにおける障害の役割の研究をしているが、「社会モデルにおける重要な区別――身体の属性としてのインペアメントと社会関係としてのディスアビリティの区別――をしていない。」p195

カルチュラルスタディーズの諸研究の紹介がなされる。そこでバーンズが指摘するのは、それらが社会的、政治的側面よりも身体への文化的表象を問題にしていることである。バーンズは前者の分析に力点を置きたい様子。(第一版参照)

ディスアビリティを構成する政治的・社会的関係が無視されている。身体に対する注目が問題である理由とは?
→チャリティ広告の例。各団体がインペアメントを売り込む。具体的には、障害者の陰惨なイメージを表現し、見る人に同情や恐怖の念を引き起こす。結果、インペアメントは悲劇とされてしまう。これがディスアビリティの文化的構築の最も影響力のある要素の一つとなる。P198 障害者を援助しようとする人びとのやり方が、障害者の「身体」へと注目させ、ディスアビリティを作り出す要因となる身体のインペアメントを際立たせていく。
 →ポルノグラフィティが女性を抑圧することと共通性がある。イメージの客体化が主体を従属させる。具体的には、身体の特定のパーツへの注目の配分、そしてそれによる感情的な反応の構築。障害者や女性の個々の主体の意志の範囲外で、彼/彼女らの社会的意味付けや権力関係が構築されていってしまう。
  →このような問題から、「表象をいかにして変革するか」という問いが生じる。P199チャリティーをめぐる立場の違い、すなわちイメージによるイメージ変更に対する立場の違いがある。P199

Aディスアビリティーの表象に対するカルチュラルスタディーズのアプローチと
Bディスアビリティー研究によって発展されたディスエイブルな描写のより政治的な分析
との比較
→Aは作品があって、そこから身体の多様性、文化的意味づけ、地位、特権、権力の配分が生まれる。Bディスエイブリングな表象の基盤に具体的な社会関係が存在する。文化は単なるイデオロギーの反映というわけではない。P200
 I→いまひとつ飲み込めず。

◇メディアの影響
ディスアビリティの構築の過程の理論化が必要。というのも、鑑賞者の能動的な解釈実践は十分に存在しうるからである。これはAの立場の批判にあたると考えられる。つまり、単に作品分析だけでなく、人がメディアイメージをどう受容するかについて研究する必要がある。

  □ディスアビリティの文化に向けて? pp. 202-211

支配的な文化がディスアビリティに関する否定的なイメージに満たされているとすれば、「インペアメントとともに生きる肯定的なディスエイブルなアイデンティティ、価値観、表象」を発展させる、それに対抗する対抗文化(alternative culture, or a sub-culture)を作り出すことは可能か。

では、何が中心的な争点となるであろうか。
北アメリカで、ディスアビリティの意識が生じるのは60’s, 70’sである。イギリスにおいてはとりわけ1975年。いずれも、芸術や新聞など、メディアを通じてなされる。90年代初頭欧米では、ディスアビリティの文化運動が、権利の異議申し立てという形で行われる。

ディスアビリティの文化は可能か?
Susan Wendell 1996: 273, Lois Bragg障害の文化は困難である。また「障害者のすべてが独自の文化をもつことは難しい」p203例えば、デフのように。
⇔横断的な、戦略的連帯は可能という立場もある。P203
 →障害の文化を支持する人びとの必要不可欠な特徴。Impairmentに対する肯定的イメージ。例えば、インペアメントをもつ個人の受動性、周縁化を中心とする個人的な悲劇モデルに対して、Affirmation model(Swain and French 2000)がある。これは、障害者と非障害者をインペアメントに対する反応や意味において分類する。P204障害者が文化やアイデンティティ、ライフスタイルを彼ら/彼女ら自身の手によって選択する。
→同じような試みとしてblack is beautiful

隔離された障害の文化の事例としてろう者がとりあげられる。
ろう者とは、手話が第一言語である人、これには両親がろう者という人も含まれる。彼/彼女らは自分たちを言語的マイノリティと主張する。このことから帰結する彼らの要求とディスアビリティ文化の要求には齟齬が生じる。

一般に障害の文化は共有された経験から生じた場合に、安定した基盤を得る。P206例えば、ベトナム帰還兵。だが、それだけで集団が維持されるものではない。年齢や障害の程度なども集団のあり方に影響を与えるという報告がある。P206

ポストモダンのアイデンティティの特徴として、再帰性と柔軟性、流動性があげられ、それは自己アイデンティティの選択の機会を促進する。だが、障害者は社会福祉と教育以外で市場の対象にならない。彼/彼女らは健康な身体と精神に基づく言説によってほとんどの場合周縁化されている。生活スタイルや余暇についての選択も専門家や「ケア」スタッフによって作られている。このような主流派からの排除は障害の文化というアイデンティティ再構築の機会を生産することになるかもしれない。P206

◇ディスアビリティ・アート pp207-211
イギリスにおいて、ディスアビリティの肯定的な文化的構想の主要な場は、ディスアビリティ・アートである。障害者は芸術を通じて感情や価値を表現できないものとされた。それに関わる場合、それはリハビリのためであった。それに対して、ここでいうディスアビリティ・アートはきわめて政治的なものとされる。

・ディスアビリティ運動なくして、その芸術は生まれなかった。
・政治参加と同じくらい、アートなど障害者文化に参加することは重要。
・この芸術形態に特徴的なのは、障害の経験や闘争を文化的意味や集合的表現として発展させたことにある。P207
・ディスアビリティ文化の成熟は、障害者を能動的で創造的な媒体agentsに変えることである。

アート運動は、複数の相互連関した側面をもっている。P207
1、障害者が芸術の生産や消費の流れに参加することに賛成している
2、インペアメントを伴って生きることの経験を吟味する
3、社会的排除や周縁化の経験に対して批判的応答を行う

ディスアビリティアートは教育的で変革的である。ただし非障害者にアートを通じて、障害に向き合わせるか、インペアメントを病理化したり、覗き見趣味を強化させるかの境界は明確でない。どちらにも転びうるという性格をアートは持っている。P208

文化とディスアビリティとの関係は優秀な芸術家と彼らの困難を乗り越える程度に注目を寄せてきた。

文化とアイデンティティは密接に結びついている。文化を通じてアイデンティティも形成される。そのことの目的は、否定的な文化的ステレオタイプを覆し、文化的−評価構造を変革することにある。P209彼ら自身の文化形態を発展させる。

ディスアビリティアートに関するより一般的な問いは、障害の文化とアイデンティティの促進が達成可能かどうか、あるいはひょっとしたら非生産的な多様性と差異に関する現代的注目かどうか(?)p209
→差異への承認の運動。それはアイデンティティポリティクスと呼ばれる。
 →ヤングの分類
「差異の政治」と「アイデンティティティの政治」
社会集団は実体論者の論理よりも関係性の論理で定義される。というのも、個人が社会集団の位置づけを基礎にして、そのアイデンティティを構築するからである。これは文化的、構造的社会集団の分離によって強化される。要するに、集団として把握される社会的、政治的環境によって障害者は縛られている。

現代では単一のアイデンティティという考え方が古くなっている。そこから本質主義批判にいたる。だがバーンズはあくまで障害者の団結をカテゴリー化を越えるような形で計画することを試みようとする。Rose Galvinの楽観主義。

  □まとめ pp211-2

社会理論にとって文化の領域と文化と社会の物質的基礎との関係は中心的な論点である。理念主義/文化主義と唯物論双方の複雑な相互作用に注目すべきである。

コメント
☆芸術運動を過度に政治化している印象をもつ。この章の前後の政治性にもあるのだろうが。障害をもった人が政治的な存在になる動機とはどこにあるのか。抑圧?ではどのような抑圧か。バーンズには/も、障害者が抑圧されているという不動の前提があるように思う。障害者は抑圧されており、何らかの政治的闘争をする、なにも直接的政治行動を通じてというわけではなく、文化、アートを通して。そのような障害者像がここでは描かれている。
 だがしかし、障害と芸術、そしてアイデンティティを論じているバーンズのような人だけが、この芸術運動の主体ではない。例えば重度の自閉症をもって描いている、造っている人びともいる。彼らの行為は、バーンズの視点からは「表現」というよりは「抵抗」として解釈されるだろう。それでいいのか、という問題。つまり、一部の障害者が障害者の行為を解釈することの一面性という問題がここで残っている。
→p210にバーンズも同様の指摘?

☆バーンズのimpairmentとdisability理解の確認。メディアのところで、身体よりも社会関係に注目すべきと論じているが、一方で彼は身体のimpairmentの存在を強く支持する。


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◆Chapter 9 障害と生への権利

  バーンズ研究会“Exploring Disability 2nd edition”
  2010.09.03. @立命館大学先端研 報告:片山知哉

  0.導入

  ◇ インペアメントへの優生学的「解決」の歴史の存在
・選択的中絶、生命維持治療の差し控え、慈悲殺
・背景には、インペアメントと生物学的・社会的劣位とが関係するという信念
・古代からのものであると同時に、近年の技術発展により駆動されてもいる
  ◇ 障害者による運動は1980年代以降:従来のインペアメントを巡る信念への挑戦

  1.倫理・安楽死・権利

  ◇ 近代社会では、他者がいつどのように死ぬべきかを決定する権力を持つ個人・集団が出現する
・具体的には医師・ヘルスケア専門職、障害の医学モデルに基づいて動く →障害者に重大な影響
  ◇ 多様性を擁する高度技術化社会においては、倫理は一定程度曖昧で解釈の余地のあるものになる
  ◇ 医療倫理の中心的原理は、結論を規定しない
・医療倫理の中心的原理:人間の尊厳、生命の神聖、人々への敬意
・だが異なる形に解釈されたり、全く反対の立場から同じ概念を用いて主張されたりする
・実際の議論:安楽死を巡る議論において、「人間の尊厳」は賛成派も反対派も用いる鍵概念
・生命の神聖、人々への敬意といった概念も同様
  ◇ 背景:インペアメントを巡る社会政治的・文化的環境という文脈
・インペアメントを持つ人間は彼ら自身にとって、家族にとって、社会にとって負担であるとする見方

  2.障害と優生

  ◇ 優生に関して、学が思潮を根拠づけた
・学:ゴルトン→マルサス・スペンサー・ダーウィン
・思潮:人間の能力(理性・道徳性など)は一様ではない(犯罪者・非白人・女性は能力が低い)
種の退化への恐怖 身体的・知的欠損者は社会に対する脅威 IQ測定による選別
  ◇ 優生政策はナチスドイツに限らず、ヨーロッパ・北米のすべての国で展開された
・障害者に対する施設収容、強制的断種、中絶・乳児殺 →身体美の強調、選択的移民制限(アメリカ)
・ドイツ:ビンディング&ホッヘによる障害者を生かすことの負担、と慈悲殺の主張
ヒトラー下での障害者を無用の存在とする喧伝、秘密裏に遂行された障害者の殺戮
・ドイツ以外の(第二次世界大戦後も含めた)諸国での障害者への強制断種政策
  ◇ 障害者への優生政策の責任は政治家・政策立案者だけでなく、科学者・医師にもある
・だが現代の優生学者たちはそのことを否定し、科学者・医師に優生学的議論を利用可能にしている

  3.障害と生命技術

  ◇ 生命技術に関して、素晴らしい未来を招くとする立場と、予測不可能なリスクを持つとする立場がある
  ◇ 生命技術推進者が語る素晴らしい未来とは、障害や疾病が根絶された世界である
・優生学的世界観、障害の個人・医学モデル、障害者の生の価値下げと障害に対する医学のヘゲモニー
・遺伝子治療と、遺伝子マーカーを利用したスクリーニングとで、望ましい特性を持つ人間を作る試み
←技術的反論:たいていの特性はポリジーン遺伝なので、単一遺伝子を標的とする試みは有効か
 実際的反論:障害の多くは後天性で、高齢化が進めばますます「障害とともに」が常態化する
  ◇ 生命技術への期待を増大させているのは、障害と孤独・貧困・無力とを結びつける想定である

  4.生と死の決定

  1)中絶と乳児殺
  ◇ イギリスでは、障害を理由とした中絶は24週以降も合法 ←→性別・人種
・24週以降=適切な医療があれば子宮外でも生存が可能な時期 →障害を理由とした乳児殺と呼べる
・診断技術の改革によって、胎児診断がより容易に、より軽微な障害でも診断可能に →拍車かかる
  ◇ 胎児に障害があると考えられた時の、女性に対する中絶すべきだとする圧力
・障害児の出生→時間的経済的情緒的負担→家庭生活と家族関係の質の顕著な悪化、という想定
・健康・福祉産業の市場化と、メディアによる疾病予防の圧力 →関連:保険業界の遺伝情報への関心
・両親に情報を伝える医師等専門職の持つバイアス
  ◇ 社会に存在する、インペアメントを持つものへの敵意こそが背景

  2)自発的・非自発的安楽死
  ◇ インペアメントや障害を理由とした死の決定は、生の決定以上に障害者の生存に痛切に関与する
・死の決定=自発的・非自発的安楽死、幇助自殺そして治療の差し控え
・西洋諸国における、安楽死および幇助自殺の関心の高まりと、合法化の動き
  ◇ 安楽死・幇助自殺に関して、障害者の立場は二分されている 例:キャンベル対シェイクスピア論争
  ◇ 道徳的には同等であるが、安楽死・幇助自殺よりも治療の差し控えのほうが社会的に受容されやすい
・ダイアン・プリティの幇助自殺訴訟は敗訴したが、ミス・Bの治療差し控え訴訟は勝訴。
・イギリス医師会は幇助自殺に反対。終末期を対象とした幇助自殺法案は不通過。
・レスリー・バークの、治療差し控え拒否訴訟は(治療するかどうかは医師権限だとして)敗訴。

  報告者からのコメント
・根底にある問題意識を要約すれば、Biopolitics批判。フーコー、アガンベンへの参照がないのは何故?
・ネオリベラリズム下の(人種主義ではなく)能力主義を批判する具体的な手立ては?


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◆第10章 ディスアビリティと開発:グローバルな視点

  Chapter 10 Disability and Development: Global Perspective
 2010年9月3日 障害学研究会 箱田徹


イントロ

 これまでの議論は工業化の進んだ、主に先進国社会でのディスアビリティに関わる問題に関するものだった。本章では「発展途上」「貧困」「低開発」(あるいは移行期)諸国へのアプローチを検討する。これらの国々は世界人口の過半数を占めており、そこに住む人々の経験は、産業資本主義のダイナミズムと、加速するグローバル化の経済・技術過程とその構造とを明らかにしてくれる(そしてグローバル化は、20世紀後半から「一つの世界」の創出を早めてきたと広く受け止められている)。こうした背景によって、貧困国のディスアビリティとインペアメントの分析には固有の次元がもたらされる。これらの国々では、ディスアビリティとインペアメントは開発問題の一つとして捉えられる機会が増えている。この事実はまた、ディスアビリティを理論化し、問題化する上で西洋的なアプローチがどの程度有効なのかという重要な問いを惹起する。
 本章はまず、国際的な背景について、産業資本主義とグローバル化のここ数十年間の発展のあり方と貧困国に与える影響を考慮しながら概観する。第二に、インペアメントとディスアビリティへの非西洋諸国でのアプローチの多様性を明らかにする。第三節では、ディスアビリティと貧困、経済開発の関係と同時に、社会的包摂(インクルージョン)に対する広い意味での社会的・環境的障壁(バリア)を、とくに教育を取り上げて検討する。第四にディスアビリティに対する国際的な注目の高まりについて、国連、世界銀行、世界保健機構(WHO)と非政府組織(NGO)政策イニシアチブを含めて検討する。最後に、貧困国での障害者の革新的な政治化の動きと「オルタナティブな」サービスや支援プログラム(とくにコミュニティ・ベース・リハビリテーション=CBR)の登場を取り上げる。

ディスアビリティ、工業化、グローバル化 (pp.239-243)

◇政治経済学に関するグローバルな見方
・ 経済発展(開発)=社会と人間の進歩(先進工業国の基本的な考え方)
・ 経済成長の条件=伝統的価値観の「近代=西洋」的価値観による置換(ネオリベラルな発想)(Hoogvelt, 1976; Hout, 1993)

◇「発展(した)developed」「発展途上developing」という表現の問題
・ 一部の豊かな国による大多数の貧困国の支配・搾取という現実を曖昧にする
・ 「南北」や「中心と周縁」モデルによるマルクス主義的批判(国家関係を階級対立になぞられる)(Frank, 1975; Wallerstein, 1979).
・ 工業化した国民国家の利害の維持は国際資本と巨大多国籍企業の拡大と重複 (Hoogvelt, 1997; Allen and Thomas, 2000).

◇過去20年の傾向
・ 国際産業・金融資本主義のグローバル化は、資本主義世界秩序を急速に押しつける
・ トランスナショナルな(≒グローバル展開する)企業の急激な拡大
・ この拡大の影響を強化するのは、経済、政治、文化的構造およびその過程内部での個人と組織の相互接続性の急拡大(例:情報通信技術の急速な国際化)(Held et al., 1999; Bisley, 2007)

◇グローバル化の影響
・ グローバルな経済システムの登場+国民国家の役割の衰退
・ 国家間の貧富の差の拡大(Giddens, 2001, p. 70)
・ 例:現在10億人以上が一日1ドル以下の生活 (UNDP, 2005)
・ 貧困国が経済成長を遂げるのは困難(先進国中心の経済体制、国際金融機関の存在)

◇グローバル化の負の影響
・ 格差の拡大。一部の指標で改善はあっても相対的には分散(UNDP, 2005)
・ 多国籍企業が貧困国の政策に影響を与える。グローバル化の負の例。

◇豊かな国と貧困国の線引きはあまり有効ではない (Ncube, 2006)
・ 線引きをしたところで、経済発展の度合いに関する対比も「発展途上」国の間の、また一国内での貧困の規模も明らかにはならない(例、インドの経済水準と貧困層の多さ)
・ 途上国の一部は「移行期」にあるが、そうでない国は伝統的で工業化の進んでいない農村の小規模社会のまま

◇グローバル資本主義と貧困国でのインペアメントとディスアビリティの生産・経験の関係
・ 西洋の研究文献できちんとしたものはあまりない
・ 既存のものは、伝統的な態度や価値観を否定に捉え、障害者の利益促進の方法について西洋の介入を正当化する傾向 (Barnes and Mercer, 2005a; Sheldon, 2005)

◇ディスアビリティに関する上とは別の見方
・ ディスアビリティは「南北が共有する開発問題」(Coleridge, 1993, p. 65)
・ 唯物論モデルをそのまま適用する「政治的ナイーブさ」への批判(Gleeson, 1997, p. 197)

◇必要なこと
・ 不均等な経済発展の影響を唯物論的に分析しつつ、特定の社会政治文化的コンテクストのなかにその分析を置くこと
・ ディスアビリティと不均等な経済発展には密接な繋がりがあるとされる

◇まとめ「西洋で進化した生涯に関する言説を非西洋のコンテクストに移植することが、障害者個々人の生活にとって有利になるのか、不利になるのか」(Stone, 1999c, p. 146)はまだはっきりわかっていない。これからの研究テーマ。


インペアメントに関する比較論的視点 (pp.243-251)

◇比較論的視点の意味
・ 身体的「正常」に関する通念と、西洋的な考え方や実践を「普遍化する」試みの問い直し
・ 西洋に存在する生医学的・個人主義的なインペアメント観は、その哲学的・歴史的伝統に固有(Miles, 1995)

◇Benedicte Ingstad and Susan Reynolds Whyte, Disability and Culture (1995)の議論の紹介(邦訳『障害と文化』明石書店)
・ 農村の小規模コミュニティにフォーカス
・ インペアメントへの通念、社会役割と社会参加との関係について広範なデータ収集を実施
・ 知見:
* 「欠陥」は文化によって異なる意味を持つ
* たいていの文化には「正常」あるいは「理想的な」心身という考え方があるが、許容される個人の行動の構成要素は文化によってはっきり異なる。
* 「インペアメント」と見なされるもの、それへの適切な社会的反応に普遍性はまったくない

◇近代的な心身二元論の限界
・ 非西洋諸国の多くでほとんど通用しない。
・ 例えば中国。心身は個人ではなく家族やはては宇宙までつながるものの一部。こうした考え方は、家族やコミュニティの成員がインペアメントを持つ人をどう受容し、扱うかに影響する。(Stone, 1999c)

◇宗教との関係
・ 仏教、ヒンドゥー教、イスラームの間で「正しい」インペアメントの見方に関する合意はない。インペアメントを運命論や輪廻転生的な発想で見ることは多い(Miles, 1995, p. 52)
・ キリスト教は不幸を理解し、それに対処することを求める。(Charlton, 1998).

◇なにがインペアメントとして認知されるか
・ 身体・感覚・認知の差異への反応の奥には「異形」への恐怖。インペアメントを認知することと、非人間的「境界」的地位との間にはつながりがある。cf. Mary Douglas (1966)
・ 「奇形」の赤ん坊は人間と非人間、自然と超自然、正常と異常の象徴的な境界をゆるがす存在 (Scheper-Hughes 1992, p.375).
・ ケニヤのマサイ人は先天的なインペアメントを自然や神のせいにする
・ ザイール(現コンゴ)のソンゲ人は異常な子どもを3つのカテゴリに分類

◇文化的実践とインペアメント受容
・ 望ましくないとされる行動は文化によって範囲が異なる(Miles, 1992; Bazna and Hatab, 2005)
・ 技術が進んでいない社会の方が、認知面でのインペアメントを持つ人々を住民がより統合しているという主張にきちんとした根拠はない。(Edgerton, 1967)
・ ソンゲ、マサイ、プナン・バフ(中央ボルネオ)の文化では、インペアメントを持つ人々を固有の集団とは見なさず、その状況についての説明の仕方と意味合いによって区別する
・ 文化は個人を位置づけるために複雑な階層構造をそれぞれ編み出す。
・ 「人間性humanity」と「人格personhood」の考え方が最も重要なコンセプトであるとの研究 cf. Nicolaison (1995)

◇伝統社会でのインペアメントへの反応
・ 多くの場合、初めの「できなくさせる」条件は子どもを生めないことであり、人格は成人になるための鍵とされている。
・ ソンゲ人の間では、ディスアビリティ女性は結婚できないが、子どもを妊娠し、その子に家事ができるようになるまで、その女性の両親で過ごすことはできる。

◇こうした文化的差異の説明
・ 経済的あるいは物的諸条件の違い cf. Jane Hanks and L. Hanks (1948)
・ 様々な社会で身体的なインペアメントを持つ人の社会的地位は異なる。「パーリア(のけ者)」から「制限付きの参加」または「自由放任」まで。

◇産業資本主義の拡大がインペアメントとディスアビリティへの伝統的アプローチに及ぼす影響
・ 検討が薄かった基本的問題の1つ
・ 中央ボルネオの例:すさまじい影響。自己と世界に関する見方にまで浸透。(Nicolaisen, 1995) 例:マサイ人(Talle, 1995)、南アフリカ(S. Miles, 1996)
・ 「科学的医学」と西洋マスメディアの影響力の拡大と「健常な正常性」に関する新しい理解の浸透。
・ 文化的要因と物的要因の相互依存ははっきりしている。インペアメントとディスアビリティのつながりを変えてしまう結果がもたらされる。


インペアメント:類型と社会的起源 (pp.246-249)

◇データについて
・ 一般的に多国間のデータ収集には難しさがあり注意が必要
・ インペアメントとディスアビリティでは、インペアメントの割合は「ディスアビリティ」(機能制限)よりもかなり低い。
・ 世界の障害者の多くは貧困国に住む(4分の3)。
・ インペアメントとディスアビリティの率は豊かな国の方が高い。理由は平均余命の長さ、医療と支援サービスの充実(先天的、後天的にインペアメントを持つ人の生存率が高い)

◇貧困国での慢性疾患と長期インペアメントの原因
・ 貧困、下水環境の不整備、粗食、居住空間。
・ その他の原因:文化的な実践(例:女性器切除)、自然災害、経済開発の影響(産業事故、汚染)など
・ 負の悪循環:インペアメントとディスアビリティ、貧困が互いにマイナスに作用する
・ その他の原因:内戦(対人地雷、四肢にダメージを与える戦略の存在)

◇貧困
・ 世界のインペアメントの3分の1の直接・間接の原因。
・ 社会・政治的要因の結果。避けがたい「自然な事実」ではない (Abberley, 1987, p. 11)
・ 貧困は人々を様々な不健康で危険な生活条件に追いやる。
・ 政策の強調点の変化
* 貧困、栄養失調、下水や飲料水の欠如といった様々な問題への対処
* 広範な社会環境の改善(社会福祉、サポートなど)
* 政治的安定と治安の確保

◇貧困国の問題
・ 政府の予算不足
・ 世界銀行や国際通貨基金(IMF)など国際金融機関による公共部門への政府支出削減圧力
・ 訓練を積んだ医療スタッフの深刻な不足
・ 途上国の障害者のうちわずか1%だけが、リハビリやインペアメントに関連するサービスにアクセスできる状態

◇豊かな国との比較
・ 豊かな国
* 争点:予防という考え方(優生学、安楽死、選択的中絶、生命権を否定する試み)
* 高額な医学的発明に金銭と資本が大量に投下(ごく少数にしかメリットがない)
・ 貧困国:
* 十分な公衆衛生など医療設備や医療サービスが存在しないことが問題
* 争点は資源の投資対象


貧困、ディスアビリティ、社会的排除 (pp. 249-254)

◇貧困=社会的排除の複合的なシステム
・ 貧困を経験すると、インペアメントを持ち、その結果社会から排除される可能性が高くなる(図10.1)
・ 障害者が不利益を被る原因
* 排除的な態度や偏見
* 構造的な不平等や社会過程
・ 障害者は貧困国の人口の15〜20%を占める。(Elwan, 1999; UNDP, 2005)
・ インドの例
* 世界中の絶対的貧困で生きる人の3分の1が生活
・ 障害者が集中する層
* 職がないか、教育をほとんど受けていない層
* 虐待や社会的排除一般の対象となる率が高い層
・ インペアメントは、障害者に様々な深刻な不利益を生じさせ、日常生活から排除される状態を作り出す

◇様々な障壁(バリア)
・ 移行過程(経済面:農業から工業生産への移行。人口面:都市への集住)も多くの障害者に障壁をもたらす。
* 例:建築、住居、雇用(とくに女性)
・ 教育や資格がないことも要因。賃金の少なさ。
・ ILOの職場差別禁止規定:インフォーマルセクターや自給的農業生産には実際には及ばず
・ 建築、交通システム、住居が大きな問題
・ 社会福祉による適切な支援制度の深刻な不足
・ 用具、援助、技術が不足。例:多くの国で手話通訳者がいない
・ 基本的な支援用具があっても買えない。代替となるものは不十分、質が悪いことが多い。

◇障壁の影響
・ 孤立した地方や都市のスラムの障害者が経験する周辺化や無力さは途上国世界の多くの地域で見られる。
・ 「見捨てられた存在」であるかのように生きることを強いられる。(Rosangela Bieler, quoted by Charlton, 1998, p. 19)

◇政策的支援の欠如
・ ほとんどの国で、もっとも不利益を被る手段への十分な安全網が存在しない。
・ 低・中所得国の障害者のうち、ディスアビリティに関連するサポートにアクセスできるのはわずか2% (Katsui, 2006)
・ 大規模な改善が行われる可能性は薄い

◇貧困国での社会的排除の別の側面
・ 貧困がその他の社会的分割と相互作用する
・ 貧困、ジェンダー、ディスアビリティに基づいて人々は何重にも抑圧される(Boylan, 1991; Driedger et al., 1996; DfID, 2000)
・ 例:ディスアビリティ女性
* 教育、雇用、医療へのアクセスの制限がディスアビリティ男性よりきつい
* 伝統的なジェンダー役割の存在
* 文化的に適切なサービスを受けることが特に難しい
* 障害者団体の中での女性の位置の問題

■教育に関する事例検討 (pp. 252-254)

◇教育をめぐる問題
・ 最近の見方:貧困問題に対処し、社会的包摂(インクルージョン)に至る手段
・ 途上国の問題:ディスアビリティを持った子ども、とくに少女が公教育を受けられない可能性が高い
・ 西洋社会で好まれる授業やスキルを当てはめることの問題点
* 余計に排除が強まること、また障害者のニーズと関係が薄いことも。
* 子どもにマイナスのラベルを貼る(例えば「学習障害」)
* 特定の社会的経済的な競争のスキルを促進する傾向を通して、障害者の周辺化を加速

◇ディスアビリティ児童とインクルーシブ教育
・ インクルーシブ教育への移行(例、UNESCOサマランカ宣言)
・ ディスアビリティ児童の人権の否定は非常に深刻 (UNESCO, 2006, 2007a, 2007b)
・ 学習ディスアビリティとされた児童、就学率、登校率などに顕著
・ 実際にはディスアビリティ児童の費用便益は健常児童よりも高いとする議論が有力
・ インクルーシブ教育の大半が特殊教育の焼き直しになっているという批判
* 中国の例cf. Michael Miles (2003)
・ インクルーシブ教育が進んでいる途上国の事例はあるが、全体としては非常に険しい過程
・ EFA(すべての人に教育を)プログラム:社会正義や平等へのコミットメントである以上、インクルーシブ教育を求める闘いは続けられるべき(Miles and Ahuja, 2007).


ディスアビリティの政治の国際化 (pp. 254-258)

・ 最近30年でディスアビリティの政治は国際的な政治のアジェンダの中で位置を占める
・ 国連の宣言など
* 精神遅滞者の権利に関する宣言(1971)
* 障害者の権利に関する宣言(1975)
* 国際障害者年 (IYDP) (1981)
* 国連障害者の10年 (1983-1992)
* 障害者の機会均等化に関する基準規則(UN, 1993)
* 意識獲得、医療・支援サービス、教育、雇用、余暇、文化活動など日常生活の様々な面について障害者の完全参加と平等を促進するための23の規則が提示されている。

◇開発問題としてのディスアビリティ
・ ディスアビリティは「開発」の問題であるとの合意が広く存在
・ 人権が重点化
・ 世界人権宣言(1948)はディスアビリティが「従属的な状態」を定義。批判を経てインクルージョンの方向へ向かう(1980〜1990年代)。社会の側の不作為=社会的排除を重視(2000年代)

◇ディスアビリティに関する認識の転回
・ 過去:WHOら国際機関は生医学モデル(豊かな国から貧困国に容易に準用可能)に傾斜
・ WHOも「機能、ディスアビリティ、健康に関する国際分類」ICF (WHO, 2001a)でディスアビリティに関する用語と定義を見直し←国際障害政策の「環境論的転回」とも
・ 参加に関する新しい言説は権利アプローチを補い、環境要因を強調するILOの「基準原則」と明確につながるもの

◇国際的なイニシアチブの変化と実際の適用
・ 国際的なイニシアチブの変化は、ローカルレベルでの政策遂行にあたって、ディスアビリティや医療リハビリに関する個人重視の旧来の考え方(現在も影響力がある)と齟齬をきたす
・ 例:ICFを途上国に適用する際の問題 (Baylies, 2002; Kalyanpur, 2008).

◇国際機関の認識の変化
・ 国際機関はディスアビリティと貧困の連関を強調。ただ参加型事業への反映は進まない
・ IMFの貧困削減事業は障害者を「慈善の対象者」と分類し、開発過程への参加を認めない
・ とはいえ全体としては運動の成果もあって認識ははっきり変化
* 例:DfID (2000)、World Bank (2007)、国連の「ミレニアム開発目標」

◇実際の政策遂行の問題
・ 地域・国の実情や資金・リソースの状況に大きく依存
・ 世銀がディスアビリティのインクルージョン型政策をとる途上国への支援増加を行わっていないとして批判の対象に

◇国際的な認識変化と国家レベルでの適用の齟齬
・ 貧困とディスアビリティの連関、ディスアビリティを人権問題と見なす考え方は国際的に定着
・ 問題は障害者が支援する実際の政策にこの見地と分析がどう活かされるか
・ 国家レベルではディスアビリティの定義がなかったり、古かったりする。北欧であっても「人権型アプローチの実際的な中身はあいまい」
・ 国際的なレベルでの政策と、現実の政策がどこまで一致するかは先進国でも疑問


■ボリビアの事例 (pp. 256-258)

・ 国際的な認識とローカルな政策との途上国でのギャップの事例
・ 国際NGOがインクルージョン型政策を進め、障害者の政治闘争を支援する方向にあるかどうか

◇Rebecca Yeo and Andrew Bolton (2008)の研究
・ 上で述べたような障害者の途上国での現状を確認
・ 事例
* 障害者を乗せないバス運転手の事例。健常労働者の側のジレンマ
* 家族が都会に移る際に農村に残される障害者。生存の厳しさ
・ NGOとの関係
* 関係のとり方が難しい
* 優先課題の範囲が狭い
* 障害者のための団体と障害者による団体との違い。後者は少ない。
* NGO自体が障害者を雇わない。
* NGOの労働者が障害者の方を向いていないケースが多い。
・ 収入の問題
* 仕事や収入源の確保は困難だが不可欠。物乞いも多い
* 公的な障害者雇用割合はNGOですら守っていない。雇用されても低収入の仕事。
* ボリビア人障害者より健常者外国人を雇う傾向
・ NGO側への批判
* 貧困削減に取り組んでいるとのNGOの主張も評価判断が難しい
* 貧困の原因ではなく症状への対処に偏るというNGOへの批判
* NGOは障害者運動の強化支援策が蔓延する貧困への答えだと一般に考えていない
* 資金やリソースがあってもNGOは役に立たないと見なされることが多い
・ 展開:障害者が別の方向性を見つける=インクルージョンなど。
* ディスアビリティ問題は孤立した問題ではなく、全体的な差別的状況自体に対処すべきという認識。
* NGOは誰のためにあるのかを考えるべき
* 障害者自身が政策変更、優先順位の設定、政策遂行や成果のモニタリングなどで意見表明を強めるべき

◇ボリビアの事例のまとめ
・ 障害者組織の持つキャパシティ・ビルディングの可能性に対する注目が、途上国で高まっていることの典型例


ディスアビリティ運動:変化を求める行動 (pp.259-265)

◇1980年代の国際交流
・ ディスアビリティ活動家と障害者団体に大きな刺激となる。
・ ディスアビリティの政治の新旧対立(1980年、シンガポール)。反対派が後のDPIを結成

◇ディスアビリティ運動の国際的展開
・ 途上国でのディスアビリティの政治化の度合は、障害者の自己組織化の度合が一つの指標
・ 制約は多いが、独自の可能性が存在
・ 国際機関の関与などが、障害者と障害者団体が国内外のシーンに登場することを後押し
・ 地域・国内・世界で活動する団体が運動に果たす役割、存在感は拡大
* 国際的なネットワークやニュースレターの発行など。
* 例:DPI、Disability Awareness in Action

◇運動の制約要因:激しい貧困とリソースの不足
・ 維持するだけでもすごいこと(例、モザンビーク)
・ ドナー団体や政府への資金依存度も大きな問題
・ 事業の期間が外部決定されるケースが多く、参加や優先順位の点で問題

◇障害者自身が運営する組織の成長は1990年代に大きな飛躍
・ 例:自立生活運動での米国と日本の共同。アジア圏への地域的展開

◇政策への影響
・ 国際障害コーカス(IDC):国連で障害問題を取り上げる上で大きな役割
・ 途上国でも障害者の権利運動が政策に影響を与えるようになっている

◇問題:ディスアビリティに関する国際世論の変化をどう活かすか
・ 国際社会の関与のあり方には議論
* 例:ウガンダ。国際援助団体の直接支援が運動に対して効果的。障害者議席も獲得。
* 例:南アフリカ。反アパルトヘイト運動の経験に学ぶ。ANC政権でディスアビリティ問題を政策的に位置づけさせるなど大きな成果。アフリカ諸国のモデルに。

◇社会的インクルージョン政策
・ 現実レベルでは成功の度合いはまちまち
・ ディスアビリティ政策への資金やリソースは、政府がその他の政策と競合。
・ 障害者による事業(所得創出など)の開始。例:南アフリカのSHAP
・ 全体としての成果はなかなか上がらない。
・ 大半の障害者に生活の向上は見られない。


コミュニティ・ベース・リハビリテーション(CBR) (pp.262-265)

◇CBR:最近大きく政策的に展開
・ 契機:WHOが基本的な「ディスアビリティとリハビリ」サービスの実施目的で奨励
・ ルーツ:1980年代のコミュニティ活動重視の視点
・ 目的は「地域社会、障害者、家族、政府、リハビリ専門家の間のパートナーシップ構築」の創出
・ 当初は西洋の専門家が多く、先進国のリソースが用いられた。

◇CBRの急速な展開と批判
・ 地域社会や障害者との協働が十分でない
・ 経済社会要因の軽視、コミュニティのとらえ方が単純
・ 医学リハビリに過度に依存
・ 批判を受けて教育、職業訓練、社会的リハビリなどを含む、明確に人権指向型(障害者とコミュニティのエンパワーメント)の包括的なアプローチが目指される。

◇WHOとNGOの対応
・ WHO:医学モデルと社会モデルの統合の試み
* こうした動きはCBRの実践と結果に対する意見を軽視する目的
* 厳密な評価の不在。障害者のエンパワーメントがうまく行っていないという不安は払拭できない。
・ NGO:取り組みに変化が見られる。少なくともコミュニティ・ベース型開発を支持する論理の部分では。

◇CBRの性格と有効性:かなりの議論が存在
・ 批判者:植民地主義の一形態として批判
・ CBRを支持するかつての意図:慈善と個人的な寄付を重視する考え方
・ 喜捨的な考え方から、途上国でのサービスの特徴や政府のコミットメントへの躊躇を部分的が説明可能
・ 医学モデルから社会モデルへの移行、ディスアビリティ問題の開発過程への統合は少しずつ、程度の差はあれ生じている。(Jones, 1999; Liton, 2000)

◇CBR事業への主要な批判
・ 地域社会が自らのニーズや優先事項を表明する十分な機会がないままに行われている。
・ 外部から押しつけられる「コミュニティ療法」と変わらない(Thomas and Thomas, 2002)。
・ 障害者は受動的な「受益者」とされる (Wirz and Hartley, 1999)
・ 問題点
* 必要な技能と時間のあるボランティアの不足、フルタイムで訓練を受けた地元の専門家も不足しており、事業の効果が限定されかねない。
* 女性専門家の不足
* 外国人CBRスタッフの大半は職業的専門家として訓練されており、インクルーシブ・サービス支援という公式の考え方と対立し、地元の人々の知識を認識できない。

◇実質的な参加やパートナーシップをもたらすことに成功した例外の存在
・ 参加型地域評価(RPA)法を用いたカンボジアの実践例 cf. Steve Harknett (2006)
* 障害者が地域で「重要な」アクターとして認知された。
* 現地で活動する有力NGOが障害者を初期から参加させるよう様々な努力
* ただしNGOスタッフが地域による計画やパートナーシップという目標をどこまで理解していたのかには疑問も。

◇CBRの実行側の変化
・ 地域社会開発を行う上での社会的・政治的・文化的コンテクストに次第に信頼を寄せるようになっている。(Coleridge, 1999, 2006)

◇文化とCBRの実践
・ 伝統的な文化的価値観・過程・制度は近代化に対立するとされるが、ディスアビリティとインペアメントに対する西洋的なアプローチを貧困国に適用することは、軽率で役に立たない場合が多い。(Coleridge, 2000)
・ 外部から変化を押しつけられば、文化的な抵抗があるのは当然
・ CBRの「紛争地帯」とは「ディスアビリティ、文化、貧困に関する地元の考え方、CBRの性格と地元の社会的価値観が出会う」ところ。(Coleridge, 2000, p. 34)

◇CBRの出資側の変化
・ 1990年代中盤以後、CBR事業の主要なスポンサーは障害者の関与をあらゆるレベルとコンテクストをより重んじるようになった。
・ 障害者の自助組織が優先事項を確定し、CBR事業との付き合い方を決定するよう促す野心的なスキーマの登場
・ 例:世界銀行によるインドのアンドラ・プラデシュ州でのヴェルーガ・プロジェクト
* 特徴:小規模自助組織を重視。一般的なリハビリと内容がはっきり異なる。

◇CBRの新しい傾向と争点
・ 顕著な傾向
* 政府支出の増加(ノルウェー、スウェーデンが主要ドナー)
* こうした関与はCBR事業の短期的な性格を変えることに時には有用
・ 別の傾向
* 障害者、家族、地域社会の主要な代表者がCBR事業の計画策定と実施に初期段階から関与すること
・ 争点
* 障害者に別立てのプログラムがあるべきか、より広いコミュニティ・リハビリテーション・プロセスに統合されるべきか(WHO, 2001b; Werner, 2005)
* CBRが比較的安価な手法か、支援対象を特定集団に限ることでのみCBRは実現できるのか
・ CBRの哲学の方向性は「コミュニティ開発と平等な権利の促進」をより重視する方向にはっきり移行している。(Ingstad, 2001, p. 786)


まとめ

 インペアメントとディスアビリティの生産は、発展途上国に存在する激しい貧困と不平等、また資本主義的工業化とグローバル化という大きな背景と不可分だ。これに関する基本的なパターンは確かに存在するが、インペアメントとディスアビリティのあり方や程度は、社会的・文化的・政治的諸条件やコンテクストに大きく左右される。インペアメントの構成要素に関する人々の理解のあり方や、インペアメントに対する適切な社会文化的な反応は、土地によって大きく異なるものの、広義の社会的要因を用いれば、あらゆるインペアメントのだいたい半分は説明が可能だ。貧困とディスアビリティとのつながりは、教育、雇用、食料、住居、公衆衛生、ヘルスケアへのアクセス制限や、社会的・市民的・政治的権利の制限といった結果をもたらす。貧困とディスアビリティの連鎖は不利益と不平等の蓄積と強化によって定着する。
 最近数十年間、ディスアビリティの政治と政策は国際化が進んでいる。世界各地の政府に対し、障害者の社会的排除と基本的人権の欠如という事態に取り組むよう圧力がかけられている。行動はかつて、ドナー国や国際援助機関や慈善団体からの資金提供やインプットに大きく依存している。その顕著な例がコミュニティ・ベース・リハビリテーション(CBR)事業だった。だが歴史を見ると、障害者の生活も困窮したコミュニティの生活も相対的な意味では改善していない。このことは、リソースが十分にない(しかし物的支援に関しては激しい競争がある)中で行われる、アド・ホックな、つまり短期型の社会改革の実験が持つ落とし穴についての苦い教訓となっている。こうした事業はかなり多くの場合、強化対象とするコミュニティから有機的に生じたものではなく、外部の、職業的「専門家」に大きくコントロールされたままだ。
 「公的な」考えを変える上で強力な刺激となったのは、貧しい人々や障害者が自らの組織を作り、社会正義や平等、セルフ・エンパワーメントを求めて活動し、ディスアビリティの要因となる社会的・環境的障壁が生み出したものを同定する運動だった。こうした政治化と広範な戦略の明確化が、生存のための絶え間ない圧力の中で、あれほど多くの貧しい障害者の間で追求されている。とはいえ障害者が西洋の理論や政策に対して批判的なアプローチを維持することはきわめて重要だ。ある国にとって何がベストかの判断が、外部の非障害者や障害を持つ「専門家」から押し付けられてはならない。ディスアビリティの権利に関するアジェンダは、国家間に存在する巨大な物的差異の影響を無化するにはいまだ至っていない。したがって貧困国と資本主義世界秩序との間の関係をより根本から変革することこそが、障害者の掲げる目的を達成するためには必要なのだ。




*作成:青木 千帆子箱田 徹野崎 泰伸
UP:20100510 REV:20100617, 0621, 0702, 0712, 0826, 0901, 0906, 0907, 0915, 0917, 20110528
組織 ◇障害学 ◇コリン・バーンズ ◇コリン・バーンズ集中講義シラバス
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