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第2回ケア研究会報告(2011年度)


last update: 20111115

■目次

開催日時・参加人数・内容
議論に関連する第一部の概要
議論の主な内容


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■開催日時・参加人数・内容

【第2回ケア研 報告】
 日時:10月22日(土)
 参加人数:14名

 内容:上野千鶴子著「ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ」第T部 ケアの主題化 をまとめ議論した。


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■〈議論に関連する第1部の概要〉

上野が提唱しているケアの社会学にとって前提となる規範的アプローチは・・・
(1)ケアの人権アプローチと(2)当事者主権のふたつである(59、上段)。

(1)ケアの人権アプローチに以下の四元モデルを提唱している(60、下段)。
@ケアする権利
Aケアされる権利
Bケアすることを強制されない権利
Cケアされることを強制されない権利

(2)当事者主権について
「当事者主権」とは「当事者能力」を奪われてきた社会的弱者(障害者・女性・高齢者・患者・子どもなど)が「自己決定権」を主張するための権利主体として定位する概念である(67、上段・下段)。ケアの当事者とは第一次的なニーズの帰属(を自覚的に引き受ける)する主体であり(79、上段・下段)、「ケアの権利」は「当事者主権」にもとづいていなければならない(65、下段)。


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■〈議論の主な内容〉

□人権アプローチについて……
 理論的には、「ケアを強制されない権利」と「ケアされる権利」が対立する場面がありうる。「ケアしたい」と思う人が誰もいない場合である。その場合、「ケアされる権利」は実現されない。
 ここで、もし「ケアされる権利」の実現が優先されるとすれば※、その実現のために、誰かに「ケアする義務」が課され、やりたくなくても強制されるべきだ、ということになるだろう。
 逆に、この状況が想定されていないとすれば、「誰かが自発的に担うだろう」という想定を前提にしていることになるだろう。とすれば、それを明示する必要があるのではないか。

※「ケアされる権利」の優先性について、ケアされる側は一次的ニーズの主体であり、その一次的ニーズが「最優先されるべきだ」とされている(78、上段)。

ケアは、ケアされる者・ケアする者の相互行為であるが、その関係には決定的な非対称性があると強調する。それはケアする側はケア関係から退出する選択肢を持っているのに対し、ケアの受け手は、そのケア関係から退出することができないからだとしている。(63、下段)。

□退出可能性について……
 ケアを受ける側も、ケアを拒否して、生理的ニーズを我慢したり死んだりすることによって「退出可能である」とは言えないのだろうか。「死ぬ」ことが権利実現と言えないという立場は、たしかに一定の説得力はある(参照:一ノ瀬正樹。ただ、クーゼはケア行為として積極的安楽死を擁護しているが)。
 安楽死文脈ではケアを受ける状態からの退出が動機になる場合は多い(それをどう考えるかはもちろん別だが)。
 仮に「死」はやはり別だ、としたとしても、その上で、ケアを受ける状態から退出して、生理的なニーズを満たされない状態を本人が望んでいるとして、その人について「退出可能性」がある、と言えないのかどうか。
 もし、「そうは言えない」と言うとすれば、退出可能性とも当人の主観的評価とも別の基準、たとえば生理的ニーズなどが採用されているということになるだろう。

□一次的ニーズ……
 一次的ニーズとは生理的ニーズを中核とするニーズのことであるとして、生理的ニーズについて(本質主義的な)リストを作り、「それは十分条件ではなくあくまで必要条件である」と付記すれば、上記の論点も、おおむね常識に沿った形でスッキリとするのではないか。

□人権アプローチ
 上野の「ケアの人権アプローチ」の特徴の一つは、「超越論的アプローチ」ではなく、「歴史・文脈的アプローチ」を採用することにある。したがって上野は人権やケアされるべきニーズを明確なリストで示さない。第1部では上野の「理論」自体がセンの「理論」と親和的(整合的)になるように企図されている。上野の議論とセンの議論がどこまで親和性(整合性)があるか、こうした議論が今後の展開に効いてくるのか、はもちろん、『ケアの社会学』第2部以降の展開次第であり、今後の研究会における論点である。

□一次的ニーズ
 当事者自身が抱える一次的ニーズが、支援者(ケア提供者)などの派生的ニーズに優先する。ただしこれは、当事者の生理的ニーズが、支援者が抱える問題に必然的に優先する、ということまでは言っていない。あくまで、政策・支援が最優先的に考慮にいれるべき対象者を絞り込み、派生的ニーズと切り離すため道具的装置である。ここでの政策や支援が対象にいれるべきニーズ(すなわち一次的ニーズ)や、支援されるべき当事者とは誰かについては具体的には列挙されていないが、その対象を絞り込むための装置として「ケイパビリティ」がある。

□ケイパビリティ
 一次的ニーズのリスト化はされていない。(ナスバウムではなく)セン・後藤のように、一次ニーズや基礎的ケイパビリティを発見・特定するための「公共的討議」「相互行為」を重視しているからである※。ただし「公共的討議」を重視しているとはいえ、完全に相対主義的・主観主義的立場をとるわけではない。なぜならケイパビリティとは、効用でも財そのものでもなく、「本人が実際に選択した状態、あるいは本人の評価に基づいて最大とみなされるような状態のみならず、本人の評価から離れて、本人が達成可能である状態の集まり」(上野本p74=セン・後藤『福祉と正義』p20)であるからである。

※「ある個人に対してどんな潜在能力を保障すべきかは、本人の意思だけでは決められないとしても、本人の意思からまったく離れて定められる事項でもないはずだ。それは、人々の主観的評価に還元されはしないが、人々の認識や評価を超越した客観的事実として理論的先験的に与えられるものでもない。それは、最終的には社会を構成する人々の社会的選択によって決められなくてはならないだろう」(上野本p76=セン・後藤『福祉と正義』p22)


*作成:谷村 ひとみ
UP: 20111115 REV:
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