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青い芝の会・歴史(結成から横塚晃一死去まで)

作成:立岩真也定藤邦子


 *横塚晃一『母よ!殺すな』再刊(生活書院刊)にあたって付す予定のもの。
 →すこしの訂正等の後、掲載→『母よ!殺すな』
 *付加すべき情報、間違いの訂正を求めます。採用分については『母よ!殺すな』を立岩から1冊贈呈。
  →立岩TAE01303@nifty.ne.jp

  青い芝の会の頁の方で増補することにしようと。整理したらお知らせします。

1957 11 3 結成 太田区の矢口保育園に約40名が集まり発会式 発起人:山北厚・金沢英児・高山久子 会長:山北
(札幌、福岡に相次いで支部誕生)
12 『青い芝』発刊
1958 4 5 未就学脳性マヒ児のための塾を開設 子供7人
 この塾は5年ほど継続されたが、養護学校の増加とともに自然消滅する
初のレクリエーションとして、バス旅行を行う 以後毎年1・2回のバス旅行を行う
7 6 第2回例会(高山宅)20名 希望・意見・体験談、レクリエーション
9 米国の脳性マヒ者たちとの連絡を図っていたが、その結果、米国身障者更生委員会から手紙と資料が届く
8 ? 正会員132、 賛助会員20
1959 1 産経会館にて「六輪会」による青い芝のための慈善公演が催される
4 毛糸編物、アケビ細工の講習、授産を開始
8 生活訓練のためのキャンプを行う 以後毎年開催
9 東京はじめ全国に支部結成 支部制を確立する
10 NHK教育テレビ「日本の課題(身体障害者)」にとりあげられる
12 NHK歳末助け合い運動による義援金が交付される 以後毎年
1960 大会で生活保障要求決議
4 米国より送られた「脳性マヒ児教育の手助け」を翻訳出版する
9 初の会員同士の結婚がテレビ結婚式であげられる
   ? ? 東京久留米園、田中豊(元・国立身障センター・和田医師のもとにいた)により設立
1961 千葉・茨城支部発足
久留米園の障害者が青い芝に加入(磯部・寺田・秋山・吉田)横塚も'63〜'64 からしばしば訪れる
3 郵便料金値上げ反対の署名運動を行い、それを国会に提出
12 森春子(故人)の尽力により後援グループが作られる
1962 本部・支部の関係を整備し、会員数500 (社会活動部も設置される)
従来からの更正相談や親睦に加え、対政府・対東京都交渉を行う態勢を整える
2 脳性マヒ者の福祉向上のため関係機関への積極的働きかけを開始し、12項目要求を作成
5 17 初めての厚生省交渉(機関紙では「陳情」) 12 項目要求
障害福祉年金の増額を要求のひとつに
政治活動に対する不安があり、激論に ↓ 親睦活動と並行することに
7 慈善公演
自民党、社会党に要求項目を伝達
7 29 第2種福祉事業団体として認可される
8 国立収容授産施設設立要求の署名運動を開始
夏 身体障害者団体連絡協議会(身連協)の結成を各団体に呼び掛ける
12 慈善公演
1963 1 事務所を大田区から世田谷に移転
4 27 機関紙「身連協」創刊号発行
5 川崎支部チャリティショー開催
6 会員40名厚生省に陳情
10 6 更生会、加入を決議
11 24 発会式、第1回総会を兼ねて開かれる
12 31 全国青い芝の会結成 
1964 マハラバ村コロニー 〜1969
5 身障者の福祉問題について厚生省、自民党との三者会談が行われる
8 脳性マヒ者団体の全国統一組織化を計るため、名古屋いずみ会、広島ひかりの会との話し合いがもたれる
この年、脳性マヒ者センターの構想が生まれる
1965 会報が毎月発行に
障害年金の給付水準改正運動展開
10 身体障害者福祉法改正について、重症身障者の保護規定の付加、及び障害等級の判定基準の問題等を陳情
1966 1966年度基本方針 「脳性マヒ者に生活の保証を」
 @身障者福祉法改正問題 A国立身障センター B障害者年金法給付水準改正郵便料金
1 土地を提供するから施設をやらないかという話があり、実地調査に役員数名が行ってみるが、
 その結果、会としてやるには不適と判断
5 郵便料金なんらかの措置がとられることになる
7 社会活動部、国立身障センターの座り込みに参加
この年、会員同士の結婚が50組以上になり、それにともない機関誌誌上で
 「結婚」、「脳性マヒ者の社会性」の問題が活発に議論された
1967 1 社会活動部、センターの田中豊の転勤に反対する運動に加わる
4 都立光明養護学校における関東ブロック障害者教育研究集会に参加
4 16 第10回定期総会(光明養護学校)出席60
1967年度社会活動部部長:磯部 
 @身障者福祉法 A身障者雇用促進法 B障害者年金 C身障者手帳 D障害者 E住宅 
 F在宅投票制度
6 朝日訴訟判決を契機に広報部で、生活保護並びに身障者賃金の問題を取り上げ、
 機関誌誌上で活発な論議がなされる
9 美濃部都知事との対話集会に招かれて出席
11 会創立十周年記念大会を東京市ヶ谷の戦傷病者会館において挙行
12 身障センター闘争終わる
1968 4 28 第11回定期総会(光明養護学校)出席40
社会活動部長:山口豊、組織部長:磯部
 支部:中央・北東・城南・城西・埼玉・神奈川・千葉・茨城・静岡・北海道
4 会員で重症の女性が単身東京から九州へ行く途中、
 列車から降ろされるという事件について国鉄当局等に陳情
6 7 秋山・寺田の住宅問題につき東京都へ請願・陳情
8 全日空職員等の厚意により富士登山
身障者の住宅問題を本格的にとりあげ、都議会に請願書を出し採択される
1969 青い芝 事務局における混乱(事務局長の会計面でのずさんさを追及される)石橋問題、といわれる
前年から引き続いている脳性マヒ者を職員に雇用せよという要求と合わせて、
 府中療育センター、住宅問題を都に対して行う
「青い芝の会」神奈川県連合会発足(山北厚会長、横塚晃一副会長、横田弘編集長) 
1970 4 26 総会で横塚、本部副会長に就任 〜'71・7
5 29 横浜市で2人の障害児の母親、下の子をエプロンで絞殺。地元を中心に減刑嘆願運動起きる
神奈川県での障害児を殺害(5・29)した母親に対する減刑運動に、神奈川県連合会(横塚・横田)反対
  神奈川青い芝の会、母親の障害児殺しに厳正裁判要求
(711008第一審判決懲役2年執行猶予3年) 
10 横浜地方検察庁、横浜地方裁判所などに意見書提出
1971 2 NHK「現代の映像」で「あるCP者集団」放映  
「現代の映像」(NHK)で、彼らのビラまきが放映される。過激集団とも受け取られたが、その
運動の存在を知らせる効果はあった(安積・談)
6 起訴
10 08 横浜地裁で懲役2年、執行猶予3年の判決
総会不成立 やりなおし総会 改革委員会発足
映画『さようならCP』制作 
1972 5 26 政府、優生保護法改定案提出(経済的理由の中絶禁止。2年後審議未了で廃案)↓ 優生保護法改定反対運動
映画『さようならCP』横塚・横田が出演、各地で上映活動
2 『さようならCP』上映運動 関東で始まる(関西は7月から) 
11 立直し総会 100名近く(神奈川から38名) 親睦派後退 会長:横塚 副会長:磯部・山口
 編集担当:小仲井 運動方針として「働けない、あるいは働いても収入の得られない脳性マヒ者が
 地域社会で生きていけるような年金制度の確立の運動」がとりあげられる。
1973 1 16 中断されていた厚生省交渉再開
3 本部、神奈川、茨城、栃木が優生保護法反対署名運動
4 大阪青い芝の会結成、全国的広がりの始まり
4 29 大阪青い芝の会結成大会(代表高橋栄一) 
4 東京支部結成 ↓ 東京青い芝の会
5 11 優生保護法改正案厚生省により国会に提出
5 12 青い芝代表(横塚・磯部・寺田)厚生大臣にあてた抗議文を提出
5 14 神奈川青い芝を主体に東京・茨城・栃木の会員約50名、署名(1万余)をもって国会に本法案反対の請願、
 代表8名、厚生省で精神衛生局長以下数名に詰問
5 24 優生保護法案に対する「青い芝」神奈川県連合会と日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」連名の
 質問状に対する田川誠一(当時自民党・衆議院社会労働委員長)の回答
9 全国青い芝の会総連合結成 
10 13 全国代表者会議 ↓ 第1回全国代表者大会(箱根)
〜 14 日本脳性マヒ者協会・全国青い芝の会総連合会結成 神奈川・大阪・栃木・福島・九州・茨城・静岡・
 名古屋・東京 全国常任委員会 会長:横塚、副会長:小山・磯部
1974 春闘に参加、「優生保護法改訂案を撤回せよ」という項目を入れさせる、制度要求として、
 障害等級制度の改革、生活できる年金の確立、居住の場の保障及び行動の自由の拡大
2 兵庫県「不幸な子どもの産まれない運動」に青い芝の会が抗議 
3 22 単独で厚生省交渉 100名
3 23 春闘共闘主催の統一行動に参加
5 16・22・23日、 国会に全国動員
5 24 優生保護法改正案審議未了廃案
8 24 全国青い芝の会第1回全国拡大常任委で養護学校義務化反対の方針を決定 
8 27 全国拡大常任委員会(東京久留米園)
〜 29 優生思想反対、制度改革要求(等級制度)・養護学校義務化反対
1975 実態調査反対の運動
奈良、京都創設 計13
3 6 全国常任委員会 
〜 7 春闘共闘のうち、介護手当と養護学校義務化には反対を確認
3 7 厚生省交渉 74夏決議された9項目を再度要求
3 15 青い芝、生きるとは何かを考える集会(清水市)
〜 17 静岡・神奈川中心 15・16日は「生きる」集会実行委員会主催 17日は静岡主催
3 17 静岡(寺尾勝志会長 会員50)県知事に要望書を提出
 @社会生活訓練の施設(青い芝が管理) A羊水チェック中止 B普通校へ C医療無料化
 D県営、市営への住宅優先 E在宅重度児者(1・2級とCP)に県独自の在宅障害者手当
 Fバス・電車無料化 G重度者に電話設置の7割 H要請に対する窓口 など9項目
6 17 厚生省(身障審議会)交渉・等級改定に関する協議
7 24 山形青い芝創立、神奈川からは小山が代表として出席
9 3 役員会で実態調査について協議、各自治体に要望書提出を決議
9 10 役員会、各自治体あての要望書を発送
9 12 東京都中止を表明、大阪、神戸、奈良、静岡、埼玉、長崎、横浜、川崎で凍結
10 27 全国阻止委主催の厚生省交渉
10 30 常任委員会主催の厚生省交渉
11 7 常任委員会主催の第2回厚生省交渉
11 24 第2回全国代表者大会で磯部、執行部を追われる。東京青い芝の対案否決・磯部らは
 告発型の運動からの脱却を求めた。東京青い芝、全国本部と離れて活動
青い芝の会主導の下に健全者組織を作り育てていく活動方針採択、決議事項として
 潜在脳性マヒ者の堀り起こし運動、家庭、施設にいる人々を街の中に連れ出し、
 健全者と共に生きる社会を構築しようとする意図。健全者と一体になって障害者差別と闘う態勢
1976 8 全障連結成、関西青い芝連合会、関西「障害者」解放委員会、八木下の呼びかけ。
全国代表幹事に横塚。結成大会、関西・福島
12 川崎市で、市交通局と東急バスが車椅子のままのバス乗車拒否
1977 4 12 神奈川青い芝、等抗議行動
8 13 全障連第2回大会、代表幹事横塚病気のため欠席
〜 14 大会終了後の幹事会に全国連合から綱領案が提案され、討議が始まる
8 15 全国常任委員会による79年度養護学校義務化についての文部省交渉
9 28 「障害者の自立についての青い芝の見解」(横塚)↓ 厚生大臣。
 経済的自立ではない 地域社会で生活すること。交通・住居等の障害の除去。すべての健全者が
介護者であるべき・家族・施設職員・ボランティアではなく
11 7 自立障害者集団友人組織関西グループ・ゴリラ連合会役員会
 「緊急アピール 関西ゴリラ連合会に集うすべての兄弟・姉妹へ」
11 19 第3回全国大会(大阪)
〜 20 18組織代表130以上参加。会長:横塚(神奈川)副会長:白石(秋田)横田(神奈川)
 事務局長:鎌谷正代(兵庫)会計:古賀稔章(福岡)(東京からは磯部・若林・山本勉)
 優生思想との対決。埼玉は脱会。埼玉は再建準備会に。東北連合会から脱会した山形は、全国組織
 から除籍されたことに激しく抗議 ↓ 全国常任委員会と東北連合会と話し合いをすることを確認。
 千葉県「青い芝」準備会。神奈川県連合会は16名参加。日本家族協会遺伝相談センター
 ('77・10 厚生省の予算による)に抗議、廃棄を闘いとることを決議
1978 3 全国常任委員会 関西グループゴリラの問題、友人組織として認めない、
全健協、ゴリラを除名の方向で検討、全健協解散の方向へ
3 関西青い芝の会、鎌谷正代会長関西ゴリラを解散させる(大阪青い芝の会は反対)
4 23 関西連合会(会長:鎌谷) 臨時総会 ゴリラ解散に反対していた大阪・奈良は出席せず。
横塚出席(前日は鎌谷宅に泊まる)
4 24 横塚 河野に会う
5 関西青い芝の会解散
5 18 全国常任委員会
〜 19 横塚出席
7 6 横塚「健全者集団に対する見解」↓ 8・30 の全国常任委員会で確認される
7 20 横塚死去


UP:20070628
青い芝の会  ◇障害者運動・政策関連年表  ◇組織
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