*この頁は故西尾等さんが遺されたホームページを再録させていただいているものです。→その表紙ALS [2003.7 再録:立岩 真也]



■介護と妻■
//困難との直面ー金銭的不安//
ALSと一口に言っても、その発病年齢でかなり家族の負担や苦悩は変るのではないでしょうか。50代や60代での発病の場合なら、既に子供は成人し、収入も患者本人の障害年金と、子供達の収入でかなり余裕のある生活が確保できます。
しかし、30代や40代での発病の場合には、障害年金の受給額も少なく、反面子供は小学生やせいぜい高校生で、これから教育費/家のローン/生活費にかかる年代です。
夫が患者の場合には年金が12万−20万程度は支給されますが、妻が患者の場合はもっと悲惨です。夫は家のローンと教育費、医療費のために休み無く働き、妻の介護もしなければなりません。ある時期になり、妻が一人だけでは暮らせなくなると、仕事を辞め自宅近くに転職先を探すか、受け入れ施設のある地区に転居を検討しなければなりません。大いなる決心を介護者に要求されます。
 夫が患者の場合には、住宅ローンは症状の進行によっては、団体生命保険による保証で、以降のローン支払いを免除されます。また生命保険の支払いを受ける事が出来ます。しかし、それでも子供達の教育費、交通費、生活費全てを、夫の障害年金/障害基礎年金だけで賄うことは困難な為、妻も働きに出て収入を得なければなりません。
 妻は、母であり妻であり父であり、介護者であらねばならないのです。
これから先どうやってローンを抱え、生活していけばいいのだろう!?と絶望感に、私の妻も悩まされたようです。


//発病からの日々//
ALSの過酷な面は、介護者にとって終わりが癌のように、「あと何年の命です」と告知され、目安がつく病ではなく、endlessのように感じる事です。まるで40歳の人間が、玉手箱を開けて、急に身動きの出来ない70歳の老人に変身してしまったようなものです。
車で朝晩送り迎えし、ズボンやパンツの上げ下ろしをし、歯や頭を洗い、服をぬがし体を洗い、風呂で溺れていないか時々監視し、そんな介護を何カ月も妻はやってきた。

自宅では、呼吸の苦しさと腹筋の減少から、介護用電動ベッドを使用したが、子供には、カッコ悪いから止めてよ、と言われて困った。途中から妻は、電動ベッドの横に布団を敷いて寝てくれた。夜トイレに起きると、布団を自分では被せられないからです。

妻の介護は想像よりも速く、自宅から病院に移った。毎日のように、仕事の帰りに寄っては、ダイコンの葉を煮込んで冷やし、ハチミツを加えたスープを持参してくれた。
個室に移り人工呼吸器を装着する前後1週間は、簡易ベッドに寝泊まりしてくれ、我がままを聞いてくれた。
そんな日々が、もう3年近くにもなる。最近、妻も疲れてイライラしている事が多いし、うまく手抜きする。今迄のように、無理して貴方のために生きるのは止めて、これからは自分と娘達の為に生きるよ。
時にはALSを恨み、私を憎み、自分の不幸にやるせなさと孤独感に苦しんだようです。今でも自分が年老いた時の不安は常に感じ、アッというふうに死にたい!と口癖のように言っています。
しかし、私の為に不幸だった!とだけは思って欲しくはない。だから、私より絶対長生きして、孫を私の分も強く抱きしめて下さい。
そして、私の作った、Mac to Ke:nxの会やホームページを娘達に見せて欲しい。貴女の馬鹿にしていた、ALS全国アンケートも。
私の生きている証だから。そして、これからも沢山の
生きていた証を残したいと思っています。            1998年8月
HOME HEAD