嶋崎理佐子さんへの手紙
last update: 20161029
19980308
感謝
嶋崎 理佐子 様
★ 立岩です。修士論文送っていだたきました。ありがとうございました。お礼が
遅くなってすみません。
「問題意識」,わかるように思います。以下,ひとまず,とりとめなく。
述べられていること(の一つ)は,「組織形態」をめぐるものでしょう。
1)論文で「制度変革」と呼ばれる目標を達成するためには,「集中型」がよい。
2)しかし,論文で「自己変革」と呼ばれているものにとっては,そういう組織形
態はふさわしくない(場合がある)。
そこのところをどうしたらよいか…。
たしかに,自分達が集まって,その中から自分の思っていることをはっきりさせ
たり,あるいは思い直したりしてみる。その集まりはあんまり大きくては困る。
ただ,それだけであれば,組織を分ければよいという言い方はありうるような気
がする。
「政治をする組織」と,「セルフ・ヘルプ・グループ」というように。
ただ,まず一つ。2)において想定されているのは,「自己変革」というだけで
なく,「状況定義(の変更)」「目標設定(あるいは目標の変更)」ということも
含まれているような気がします。
そして1)については,「制度変革」に限らず(目標が既に定まっており)その
目標を達成するためには,「集中型」がよいということも言えると思います。
そしてこのような場合に,組織形態を巡る「ジレンマ」は顕在化する。
すなわち,目標そのものを変更しないとならない(変更すべきである)場合があ
って,その時に,今ある目的をうまく達成するための組織というものは,「反動的」
に作用すること,効果的に作用しないことがある。(+「目標を見つけること」は
しばしば分散型の集まりの中での「自己変革」的要素を必要とし,そうした要素は
「目標が決まった上で」うまく作動する組織の中にはなかなかない)
こういうことかなと思います。
ごちゃごちゃ言ってしまいましたが,「自己」「制度」という軸と関連しつつ
ある程度独立に「問題発見」「ルーティン遂行」とでもいうような軸があると
いうことでしょうか。
そして「関連しつつ」と述べたのは,「問題発見〜目標発見」のためには,一
度,「自己」を通らないと…ということがあるということ。…
そうすると,二つあって,
一つは,外部に,そういう「目標変更型」が,既存の組織と別に現われるという
方向。例えば,身体障害の方の運動にある程度そういうことが言えるかもしれない。
「日身連」といったものとは別に,新しいタイプの主張,主張する組織が出てくる
といったように。うまくいけば新陳代謝が起こる(それが繰り返されていく)。
一つは,内部が変わっていく。(ほんとに変わったかどうかは別として)「手を
つなぐ育成会」の場合…? もし変わったと「すれば」,それはどのように可能で
あったのか,等といった問いが立つ。
ただ,実際には,いろいろなことが複雑にからむ。
「社会運動論」を一般的に展開するというのであれば別ですけれども,そうでな
いなら,個別に即して考えていっていい。
例えば,目標自体を明確に,一つにすることが難しい場合。
「出生前診断に対する見解」みたいなものを「育成会」なりが出すことは,それ
が望ましいにしても,なかなか難しい。(この辺のことについては,私の同僚の玉
井真理子さんがよくぼやいています。)
そうすると結局,網羅的な組織ではなくて,いわゆる「有志」的なグループが,
いくつかぼこぼこ出てきて,それが場合によってはある程度連合して,何らかのア
ピールをしていくというようなこと…。その主張がある程度受け入れられた時に,
大きな組織もそれを無視できず,少し変わっていくとか(「育成会」に「本人参加」
の部分がいくらかでも出てきたことにもそういうことがあったんではないでしょう
か。)
だから,私としては,例えば,「このままのある組織なら組織,ある目標なら目
標じゃちょっとまずい,なんとかならなくっちゃ」と思った時に,「じゃあそれは
どういうふうになったら,議論されたり,主張されたり,組織に取り入れられたり
するんだろう」みたいなことを考える,あるいは調べる,というやり方があるかな
と思います。
さらに論文で「事業」と呼ばれる部分をどう評価するかという問題もあるでしょ
う。
これにもいろいろ考えるべきことがあって,
一つは,これは当事者・利用者に対する「サービスの提供」であって,それを,
「当事者」がやるということの意味
一つは「依託」というものをどう考えるかということ。
私は「自立生活センター」のことしか知らないのですが。
自立生活センターは,基本的には「サービス提供組織」であって,ある種,機能
的に作動する組織を志向している。(そして「依託」には積極的である。)
ただ,その内部に(例えば「自立生活プログラム」のクラスの中に),あるいは
その周辺,外部に小さな集まりがある(それは「自己変革」に結ばれる場合もある
でしょう)。それはそれなりに機能する。
そして「制度変革」の方は,(基本的には)別組織が対応する。「DPI日本会
議」とか。実際に,参加している人は同じだったりするのですが。
そして,それでまあまあうまくいっているところはある。
こんなものがどの程度参考になるかということも含めて考えてみるのもよいかも
しれません。
(御参考までに,別便で,昨年『ノーマライゼーション研究年報』に書いた文章
の一部を送らせていだたきます。)
以上,とりとめがありませんでした。また何か思いついたら。
…略…
★ ひとまずこんなところで,失礼いたします。
立岩