■戦う社会学者について 19970722
0722着
(略)
**さんに静かに「対象として障害者を見る」ことを批判され、もちろん自分の
意識としてはそうではないのですが、「人」を相手にすることの難しさを感じました(中略)。障害者側に立って制度などなど戦っていく研究者を求めているというようなことも言われました。
・・・というわけで、この夏は(*論に直接関わるかはともかくとして)、彼らの世界につかることになりそうです。
(略)
0722発
★ メイルいただきました。
★ べつに,すくなくともみんなが,「戦う社会学者」である必要はないのだと思います。私自身のスタイルはともかく,そう思います。ただ,何を問題としているのかは,戦おうとする時に,あるいは戦いについて見ようとする時に,はっきりしやすいとは言えるかもしれない。先週末,****の会合の後,院生の人達とひさしぶりに朝まで話していたのですが,そしてそれ自体はなかなかおもしろかったのですが,そういう時に,そして私自身が大学院生の時からよく感じることは,大学(院)生が,紙の上であろうと,そうでなかろうと,何を相手にしているのか,つまりは何と戦っているのかわからないということ。そういうものはだんだんと見えてくるものなのかもしれないわけで,どうこう言うことではないような気もしますが,ちょっともったいない気もします。
★ 「家族愛」(をもってくること)の何が気にいらないか(もちろん,何が気にいっているのか,でもよいのです)。こういうことをできるだけはっきりさせてみようとすること。上記したことはそのようなことです。
★ もちろん**さんが言っていることは**さんとしてはもっともなことで,彼が欲しいと思うような領域で研究者は品薄なのです。だからといって,その要望に応えなければならないというわけではない。ただ,彼らの戦いがおもしろい戦いである時には,そこから得るものは(少し遠回りもしたりしますが)あるはずです。ただ,そういうことは,*論の後考えることということになるでしょうけれど。
(後略)
立岩