HOME > 全文掲載 > 全国「精神病」者集団 >

全国「精神病」者集団ニュース 2000.6


last update:20101204


全国「精神病」者集団ニュース 2000年6月
  ごあいさつ
 梅雨の季節となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか? 体調の乱れがちな季節をなんとかやり過ごし、無事に梅雨を迎えられていることをお祈りいたします。
 この間保安処分攻撃が一段と本格化しております。保安処分とは単に刑法に保安処分に関する条項ができることを指しているのではありません。「精神病」者に対する保安処分とはわれわれを「危険性」を要件として予防拘禁し、強制医療をもって個人の人格、行動を改造しようとする行為すべてを指します。その意味で強制入院体制である精神保健福祉法体制はすでに保安処分体制です。こうした強制入院制度の強化からさらに刑法そのものの改悪まで色合いの違いはあれ、さまざまな形で保安処分体制強化策動がなされています。
 一つは厚生省の動きで、今回の精神保健福祉法「見直し」における強制移送制度新設がその一つ、そして厚生科学研究班「精神医療事故の法政策的研究」班は「触法精神障害者」の刑事処分のあり方を検討中で、この3月に欧州数カ国を視察、「触法精神障害者」の処遇のあり方を提言する報告書を今年度中に提出するとのこと。すでに次回法「改正」への準備作業に入っていると見てよいでしょう。
 日本精神病院協会は「触法精神障害者対策プロジェクト」を発足させ、1月20日に刑事局法務省と共に1回目の会議を行いました。今後この会議は月1回定例化していくとのこと。
 またこのプロジェクトチームは、日本弁護士連合会刑事法制委員会の精神保健福祉小委員会での「触法精神障害者に対する施策のあり方についての意見交換会(2月12日)」に講師を派遣しています。
 弁護士会の中には刑法上の保安処分新設阻止のためには、今ある強制入院制度の強化が必要という意見もあり、そうした意見の中心人物野田正影医師のおかげでかつて刑法保安処分新設は阻止できたという意見まであります(窓口入手資料Bーア参照)。
 「人権屋云々」などというキャンペーンに見られるように、人権を主張すること自体が悪とまでいわれるような状況下で、私たち「精神病」者の人権はじわじわと締め付けられているといって過言ではありません。これ以上仲間を殺されないためにそして私たちが生き延びるために、さまざまな問題意識の共有化を図り、反保安処分の闘いを強化しなければなりません。
★お手紙、各地のニュース、住所変更、ニュース申し込みはすべて
〒923ー8691 石川県小松郵便局 私書箱28号 絆社ニュース発行
Eーmail address futen@mai17.dddd.ne.jp
電話 090ー8091ー5131(月から金 午後1時から4時まで)
ファックス 0761ー24ー1332
★会員の運営している私設ホームページ
http://members.tripod.com/?ssko/index.htm
★ニュース購読料カンパはすべて
郵便振替番号:00130ー8ー409131 名義:絆社ニュース発行
北から 南から 東から 西から
お手紙から
  福岡 I
 その一
 八王子福祉事務所の差別事件はひどいと思いました。
 私も二一のときに発病して大学を中退、その后職に暫くついていましたが、二六歳のときから生活保護を受けて働かなくても病気の治療に専念することができています。何度かケースワーカーが変わりました。八王子福祉事務所のような人権を無視した態度をとられたことはありませんが、近くに住んでいる同じ病院の男性患者と知り合いで、その人がよく遊びに来るのですが、その人から金銭的救助を受けていないかとしつこく問われることはありました。しかし全くそのようなことがないという事実が認められると、私の代わりに福祉事務所に行ってもらうこともあります。代理人のようにもなっています。
 さて投稿の呼びかけで一人暮らしの問題提起がありましたので、先述の友人は近くにいるものの実質的には一人暮らしをしている私の場合について思うことを述べたいと思います。
 家事労働は女ですから、毎食少しずつ作ったり、きついときはまとめ作りをして小分けして冷凍庫に入れてチンして食べます。貧血の持病があるので食べることはおろそかにはできませんが、病気の症状で家から出るのが恐いときに何も食べるものがなくなってしまって出前で済ませたこともありましたが、家を出るのが平気なときにまとめ買いをしています。
 精神病以外の病気にかかったときは悲惨です。自分で自分の面倒を見なければなりません。近くに同病者の友人がいますのでよっぽどのときは助けてもらいますが、たいがいは一人で耐えています。あんまり苦しいときは救急車で病院に搬送してもらいます。付き添いがいないので病状を説明して処置してもらって、一人で帰るときは涙が出ます。ああー一人ってつらいなと思います。
 ・ ・・・・中略・・・・・・
 追伸
 また電気ショック療法が復活しつつありますが、先生から「電気ショック治療をしてみましょう」と言われたら必ず断って下さい。私は二七年前初めて入院した病院で数回にわたり電気ショックを受けましたが、その前後の記憶がなくなっています。
 写真を見てかろうじて記憶をつないでいます。
 母が見舞いに来手折り、たまたま電気ショックを受けているところを見たそうですが、その話によると、一、二メートル高く宙に浮いたかと思うとまた沈みまた宙に浮いて・・・・・と、その後の私はまるで別人のようにだらしなくボーッとして、母が私であるとは認めがたい形相になっていたそうです。ちなみに私はその時母親が面会に来たことすら記憶にありません。
 その電気ショックを行った病院はその当時先端のスタッフと技術を持った新しいできたての病院でした。そんなところでも電気ショックをするのですから、おそらく古い旧態依然とした病院ではひんぱんに行われていたものと思われます。病状の改善が見られるかどうかは分かりませんが、本人は確かにそのショックで記憶を失います。二七年前ならいざ知らず、これだけ新薬も研究されている現在、今さら電気ショックなどという旧式の方法を採るのはどうかと思われます。電気ショックは受けなければ受けないで方策が別にあります。記憶を失いたくなかったらきっぱりと断って下さいお願いします。
 その二
 新録の美しい候となりました。先日は『赤い鳥を見たか』のご送付ありがとうございました。一気に読んでしまいました。あんな哀しい人生があるでしょうか。
 ひたむきに生きる飯田博久氏に精神病院は何とも無責任すぎます。多くの人が精神病院とそうした拘りしか持てないようになっている劣悪病院は枚拳に暇がないようにも思います。改めて自分の病院との拘りが考えさせられてしまいます。
 さて前回お話ししておりました脱走の話しにペンを執りました。
 アパートから近いというだけの理由で私が選んだ三度目の病院は、住宅街の中にある外観はよいのですが、一度はいるととんでもない劣悪病院でした。検温もないのに作られる検温表、何という行事、療法もなく、ただタバコ一〇本を吸わせて薬を飲ませるだけでナースステーションで私語ばっかりの看護婦、面会のときにはくっついてきてすぐ横で会話を聞いて余計なことは言わせない話の内容は制限される。
 八〇名近い患者を詰め込み閉鎖されているフロアー。
 私が入院していた三ヶ月間たった一度の診察。診察といってもぶらーっと院長が来て眺めて帰るだけ。通信の自由は保障されず、手紙は葉書で内容チェック、外から届いた手紙は開封して内容チェック、渡さないで処分することもある(私宛に主人が出した手紙二通受け取っていない)。
 旧態依然としたシステムに何も言わない飼い慣らされた患者たち。その中で私は羨望の的であった。主人の面会の回数も多く、そのたびに紙袋一杯のおかし。外出、外泊も主人が積極的に迎えに来てくれた。それはうれしかったが、反面つらかった。何しろ面会人もなく、一〇年二〇年入りっぱなしの患者が大半。そんな中だから妬まれシカトされた。トイレ掃除は二日に一度なぜか当番となる。灰皿当番は洗ってもすぐ灰を落とされ、冬の寒い中洗わされる。ヤクザの世界のようにカシラやアネサンがいて外泊で買ってきたタバコやお菓子をあげなければいじめられる。退院したくても診察がない。
 そんな中三ヶ月も過ぎた頃、主人が院長に会い「明日退院にしましょう」と話がまとまり、書類上兄が来て主人はアパートで待機することとなった。
 さてその当日、荷物をまとめ用意しているのに、一向に退院と言ってこず、面会と言って下に降ろされた。
おかしいと思いつつ、兄、院長、婦長がいたので「退院じゃないんですか」とつめよるととぼけ顔で視線をはずす。どうやら退院の雲行きは怪しくなってきた。おそらく兄が入院の継続を求めたのであろう。病気に偏見のある兄はこれ幸いに一生入れておくつもりだったのだろうといま思う。
 このままではまたあの三回の閉鎖されたフロアーに閉じこめられたまま一歩も外に出られないという堪え難い苦痛が脳裏を掠め、「脱走」が本能的に閃いた。不意をついて突然扉に向かって走り出す。カーディガンをつかまれる。さらりと脱ぎ捨て、住宅街の舗装された道へ出る。走る、走る。スリッパが邪魔で走りにくい。脱ぎ捨てる。死んでもいいからと石ころをけって走る。アパートは坂の下。病院から五〇〇メートル。走って走ってガラス戸をドンドン叩いて、待機していた主人もピンときたのかさっとあけさっとしめる。
 家の中に転がり込んでみると一五名近くの看護人が白い制服のまま降りてきてみるみる私のアパートを取り囲む。後一〇秒でも遅ければ捕まるところだった。捕まれば地下の保護室に閉じこめられることは明白。私のアパートを取り囲んだ看護人を主人が一喝して、病院に抗議の電話して引き取らせ、荷物は兄が車で運んできた。
 足の裏はすりむけて傷だらけ、必死で走った足はこわばる。主人が一週間あんまさせられたと笑う。かくして脱走は成功。あんな劣悪病院脱走して正解だったとつくづく思う。次はいい病院に恵まれいまの私がある。
 だがいまもなお閉じこめられて面会人も外出も外泊もなく過ごしている患者さんのことを思うと胸が痛む。
 結果的には近い病院を選んだからこそ脱走も成功したわけですけれど、あれが捕まっていたらと思うと背中に冷たいものが走ります。以上が私の脱走話です。
窓口から
☆電話窓口を新設いたしました。

 〇九〇ー八〇九一ー五一三一
 携帯電話で、受付時間は原則として月曜日から金曜日までの午後一時から午後四時の間および例会の時。
 この時間帯でも都合により対応不能の場合もあります。
 ファックスもどうぞ 〇七六一ー二四ー一三三二
☆四月例会報告
参加者 P、窓口係の二名
・Pさんから家族会支配の作業所で家族会ボスからいじめられ追い出された話の報告をうかがいました。
・Pさんは交通事故で重傷を負いましたが、その入院体験より、他科に特に緊急で入院したとき、今受けている精神医療の内容を書いたものが必要である。何かカードのようなものはどうだろうか? 入院中精神医療の保障がなかった。精神科の主治医は薬と手紙を送ってきただけで会いにもこなかった。
・窓口係からは学会のビラ案を紹介しました。人格障害概念に関連して、警察経由で精神病院に入院した方の例が報告されました。一ヶ月で退院してきたら主治医は「もう出てきたのか。五年ぐらい入っていればよかった」と暴言を吐き、かつ「異常人格」のラベリングをされたとの例です。
例会日程
六月例会
 六月二四日(土)夕食をしながら交流
   二五日(日)例会
八月例会
 八月二六日(土)夕食をしながら交流
   二七日(日)例会
 いずれも場所は京都事務所です。事務所に宿泊できます。宿泊費は無料です。会議資料コピー代と食事代は自己負担となります。
 全国「精神病」者集団ニュースの読者の「精神病」者はどなたでも参加できます。「精神病」者以外は参加できません。介護者の必要な方は介護者は同席できますが参加はできません。
 夕食の準備もありますし、担当者の都合で流会となることもありますので、参加希望の方は必ずご連絡の上ご参加下さいませ。私書箱にご連絡下さるかあるいは電話窓口にお電話下さい。お手紙の場合は必ずお電話番号を明記して下さいませ。
 折り返し場所の案内等をお送りいたします。
☆日本精神神経学会闘争報告
 仙台で五月九日(理事会、評議会)、一〇日から一二日まで日本精神神経学会総会が開催されました。全国「精神病」者集団からは事務局員は全員体調不調および経済的理由で参加できず、窓口係の山本が参加しました。そのほか九州から会員の方一名も参加されました。全国「精神病」者集団としては理事会評議会、総会、および人格障害のシンポにおいて同封のビラ撒きをしました。全国「精神病」者集団としての要求についてはほとんど入れられませんでしたが、死刑問題については次期理事会に引き継ぐこと。電気ショックの問題についてはシンポを開くのもあるのではという理事長の個人的意見は聞けました。移送制度に関しては各地での混乱を理由に実施延期の決議が理事会より提案されましたが、警官の出動要請に関しては、「やむを得ない場合はある」ということでかつ森山公夫理事によると「精神病者だから危険といっているのではなく、この対象者は追いつめられた人であり、健常者であろうと追いつめられた人は危険だ」そうです。
 以下山本の個人的感想です。学会そのものがこの十数年間で大きく変質してきました。二〇〇二年には世界精神医学会大会を日本で行うことになっており、そのため主催者たる日本の学会は今まで拒否していた製薬会社からの寄付を公に受け取ることになりました。
 また世界大会には皇族が出席することになっています。
 初めて参加された「精神病」者仲間が「ユーザーの参加費を作ってユーザーも参加させると言っているけど建前ではないか? 議論をさせようというのではなく、時間がなく議論は一切できない。総会はいわゆるシャンシャン総会だ」と感想を述べておられましたが、その通りでこの十数年の間に理事会評議会、総会の時間が極端に短縮され議論が実質できない状態になっています。
 「患者家族市民に開かれた学会」というのは画に描いた餅になっているのが現状です。
 人格障害について、ある発表ではうつ病でかかっている患者の三七%が人格障害であった、としていましたが、それに対して三七%は少し多すぎるのではという質問がありました。いろいろな論文でもその程度の率であるしテストでそうなっている、職業持ってまともに生活している方が人格障害というのはどうかなという気もするが、時期によっては七〇%ぐらいの例もある、と回答していました。人格障害というラベリングがいかにいい加減かという好例を示す質問と回答だと思います。
 電気ショックについては、電気ショックと記憶障害を調べた発表がありました。電気ショックを受けた後のさかのぼった記憶障害についてはたしかにあるということ、それは四週間たっても回復しないことが説明されたあと、どういうわけか今後も症例を集めて研究したい、さらに修正電気ショックが普及していないがもっとどこでもやれるようにしたい、と発表していました。
 「適正手続き」および同意はとった人体実験とはいえ、記憶を失ってもなお電気ショックをやろうというこの発表全く理解できません。電気ショックに関しては何があろうと効くからドンドンやる、という動きがあることがよく分かりました。学会で仮に電気ショックについてのシンポが開かれたとしても、電気ショック廃絶に向けというより、よりよい電気ショック、あるいは電気ショックをやるための適正手続き問題にすり替えられたシンポになる危険性は非常に強いといわなければなりません。今後も監視が必要です。
 精神科医への絶望だけが残った学会闘争でした。北陽病院事件の患者さん本人に対して、彼の防衛と医療は私が責任を持つと宣言した医師は一人もいませんでした。
 医者は患者の利益のために働くというのはやはり私の妄想でした。適正手続きと本人の「同意」さえあれば何をやってもいいという発表もたくさんあり、「何をするか分からない危険な精神科医たち」に対抗する強力な闘いが必要です。
☆窓口入手資料
@精神保健福祉法「改正」関連通知一式
A四版一九六枚
 四月から施行の精福法の運用について詳しく決めたものです。
A『赤堀さんは無実だ差別裁判糾弾!完全無罪を』
 仙台赤堀さんと共に闘う会発行
 島田事件の元無実の死刑囚赤堀政夫さんのことについて新しい仲間の中にはご存じない方が多いかと思います。
この事件は国家が「精神病」者差別に基づき「精神病」者を殺そうとした事件であり、私たち「精神病」者が日頃受けている差別の空極にあります。それゆえこの事件を知ることで「精神病」者差別の本質がとてもよく分かります。このパンフはB五判一四ページの小冊子ながら赤堀さんの事件がよく分かるものです。仙台赤堀さんと共に闘う会の方からのご厚意で若干部の寄贈を受けました。郵送料九〇円のみでお送りいたします。九〇円分の切手を同封して私書箱にお申し込み下さいませ。
B日本精神神経学会関係
Bーア昨年の学会総会でのシンポ「司法精神医学の現代的課題ーー日本の触法精神障害者対策のあり方をめぐってーー」の記録
Bーイ「『精神科領域における他害と処遇困難性に関する研究』に対する見解」日本精神神経学会・研究と人権問題委員会 二〇〇〇年三月一八日
 「処遇困難者専門病棟」新設策動の根拠となった道下研究への批判的見解で、研究の名に値しないばかりではなく人権上多大な問題があるとしている。
C『精神科医療における行動制限の最小化に関する研究ーー精神障害者の行動制限と人権確保のあり方』平成一一年度厚生科学研究費補助金
 保護室へ入れること身体をしばることをいかに合理的に行うかという研究。精神障害者の人権といいながら、しばる側医療従事者にだけアンケートしているこの研究は一体なんでしょう。しかしこの内容でも「身体拘束等への規制が厳しすぎる」という意見が医者たちから出るというのですから、この国の精神医療のレベルは?
 以上の資料は私書箱にお手紙でお申し込みください。
あるいはA以外は電話あるいはファックスでのお申し込みでもかまいません。資料発送時にコピー代送料をご請求いたします。
夏期カンパ要請
 日頃の会員の皆さまのご協力および支援の皆さまのご支援に感謝いたします。
 ニュースに書きましたように、今保安処分攻撃は一層拍車がかかっております。厚生省側の動き、そして法務省の動きも決して無視することはできませんが、それを下からあおっていくマスコミによる保安処分新設への扇動は目を覆うばかりです。日本精神病院協会の動きに象徴的なように、精神科医たちも「精神病」者を分断し保安処分攻撃を強化しています。「嫌な患者」「厄介な患者」と決めつけた「精神病」者を目の前から追い払おう、そしてそれを合理化していこう、というなりふり構わぬ精神科医の姿に絶望を感じる仲間も多いことと思います。
 そして地域精神保健体制のかけ声は、私たち「精神病」者の日常すべてを精神医療の傘の下で管理していこうという動きに他なりません。そしてその傘の下から少しでもはみ出るものは「厄介者」として保安処分施設に追放していこうという「精神病」者分断の動きが並行してあります。
 この現状の中で私たち全国「精神病」者集団は、今後も反保安処分、もっとも排除された仲間とこそ結びつくことをめざし日常的な活動を継続していかなければなりません。一人一人の会員の命を守る活動を基本に据え、今後もさまざまな形の救援の闘いを進めていかなければなりません。
 同時に圧倒的な保安処分攻撃に対する闘いにも立ち上がっていかなければなりません。
 しかしながら全国「精神病」者集団は会計報告にありますように、慢性的な赤字に苦しんでおり、このままではニュース発行もままならない状態にあります。ニュースは仲間の絆であり命綱です。ニュース発行や手紙電話の交流をとぎれさせるわけには参りません。
 全国「精神病」者集団の事務局員はもちろん無給、交通費その他活動費は全て手弁当です。経済的逼迫の中で現在事務局員は全員倒れています。会計の赤字分は「精神病」者の一会員からの借金です。
 介護保険導入あるいは消費税増税の動きの中で皆さまもご多用のことと存じますが、どうか全国「精神病」者集団にカンパをいただけますようお願いいたします。
 なおニュース購読料や資料代の請求書(郵便振替用紙は請求書ではありません。カンパを下さる方への便宜のために全員の同封しております)が入っていた方はどうかニュース購読の継続をして下さるようお願いいたします。
 全国「精神病」者集団の財政はニュース購読料とカンパのみに頼っております。皆さまの中で余裕のおありの方はどうか健常者の有料購読者をご紹介いただけますようお願いいたします。窓口に申し出ていただければ、ニュース呼びかけビラと見本誌をお送りいたします。なにとぞよろしくお願いいたします。あと40名の有料購読者が増えれば、全国「精神病」者集団の赤字は解消いたします。
 2000年6月
カンパ振込先 郵便振替口座 00130ー8ー409131
       口座名義   絆社ニュース発行所
(経費節減のため領収書は8月号ニュース発送時に同封させていただきますのであしからず)
会計報告
1999年4月1日から2000年3月31日まで
     収入                 支出
ニュース代       165,000円  印刷費    6,380円
カンパ         140,357円  家賃   720,000円
夏カンパ        198,600円  水道代   17,580円
資料代その他       44,955円  光熱費電話代43,834円
冬カンパ        188,210円  通信費   86,532円
分会分担金        30,000円  文具     2,093円
利子               16円  その他    4,890円
                      障定協分担金11,053円
計          767,138円  計    892,362円
今年度の収支     ?125,224円
繰り越し       ?270,345円

 学会は患者本人の利益に奉仕しろ
学会は北陽病院に関する報告書を撤回しろ
 「北陽病院問題に関する報告書(以下報告書とする)」を一読し私たちは怒りを禁じ得ない。
何でこんなくだらない報告書のために、一人の患者が個人情報を公開され一方的に切り刻まれなければならないのか!という怒りである。私たちはこのように同胞をさらし者にされることを許すことはできない。
〈なぜ北陽病院事件が問題となるのか〉
 北陽病院に措置入院中の患者の起こした事件につき被害者側が県を訴え、1億2千万円の民事賠償の判決が出た。県側の一方的敗訴また高額な賠償金は精神医療業界に衝撃を与えた。「入院患者の事件の責任を負わせられてはたまらない」というのが精神医療業界の本音である。それゆえ「危険な入院患者は自分の病院ではなくどこか特別なところへ行ってほしい」、「違法行為を行った精神障害者に対しては特別な強制入院制度を、特別な施設を」という主張が盛んにされるようになった。また一貫して保安処分導入を主張している精神科医にとってはこの民事判決は保安処分導入を図る絶好のチャンスであった。
 だからこそ日精協はこの問題を即取り上げ、従来からの保安処分導入へのキャンペーンを強化していった。95年には日精協はマスコミへのアンケート調査という名目でマスコミへのオルグ(例えば質問項目には「殺人を犯した患者と一緒の病棟に入れられるのは不安だという訴えを他の入院患者から聞くことがありますが、このことを知っていますか」というものまで言った)を開始し、それ以降も積極的にマスコミオルグを行ってきた。それは一定程度成功し、マスコミの違法行為を行った「精神障害者」の実名報道や保安処分扇動キャンペーン(例えば98年の週刊朝日)として結実している。
 また今年4月から施行される精神保健福祉法の見直しにおいても、日精協だけでなく様々な団体が措置入院制度の強化や違法行為を行った「精神障害者」への特別な施策、施設が必要という主張をしてきた。こうした主張は民主党の海野徹議員の参院予算委員会での保安処分新設要求質問、衆参両院委員会の「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方については、幅広い観点から検討を行うこと」という全会一致の決議に反映し、自民党では「精神保健問題小委員会」が作られ「触法精神障害者」問題につき2001年までに結論を出すというところまで来ている。そして日本精神神経学会においても昨年の保安処分推進シンポジウム(司法精神医学の現代的課題ー日本の触法精神障害者対策の在り方を巡ってー)が行われた。
 北陽病院事件はその当の本人である脱院した入院患者個人の問題から離れ、保安処分をめぐる政治的課題の(ママ)となったのだ。
〈なぜ学会は北陽病院の民事訴訟に関する報告書を出すのか〉
 報告書はこの調査を行う経緯および目的として以下述べている。「この判決は病院側の管理責任を全面的に認めたものであり、精神分裂病の医療を拘束性の高い施設内収容下で行うことを促し、開放的な精神医療を著しく後退させるものである」という理由で北陽病院院長から東北精神神経学会に日本精神神経学会で取り上げるよう要請があり、東北精神神経学会はこの要請を受け日本精神神経学会理事会に対しこの民事判決に対する学会としての声明をあげるよう要請をした。理事会は事実経過の調査が必要であるとして精神医療と法に関する委員会に調査を命じた。そして委員会は「(脱院した患者の)強盗殺人に関し、北陽病院に責任があるか否か、特に日本精神神経学会として、精神医学・医療に従事しているものの立場から検討することを目的」として調査し、この報告書が出された。
 したがって報告書は北陽病院問題の民事訴訟判決を個別事例として検討し、民事判決批判をすることになる。それゆえ患者本人の生活歴や病歴、北陽病院入院中の医療従事者による観察記録、などがつぶさに検討されることとなる。
 報告書の結論は必ずしも明確ではないが、本人に対して行われた刑務所の処遇および精神保健福祉法上の処遇も適切であり、とりわけ北陽病院の処遇および治療も適切であるとした上で、この事件に関し病院の責任を重く認定した民事判決に疑問を投げかけている。
 この報告書のきっかけとなった北陽病院院長の要請でも分かるように、入院患者が違法行為を行った場合に、病院がその責任を問われ多額の賠償金を求められるようになれば、精神病院としては自己防衛上入院患者を厳重に監禁せざるを得なくなる、という判断がこの報告書作成の動機である。そこには、医療とは何か、精神科医の任務とは何か、医者は誰のために働くのか、といった哲学は一切ない。あるのは保身とソロバン勘定だけだ。
 だからこそこの報告書は「北陽病院問題」を「北陽病院対被害者の民事訴訟問題」に矮小化し、民事訴訟の範囲内で北陽病院に責任があったか否か、を問うことしかしないのだ。
〈「北陽病院問題に関する報告書」はその目的を達成できない〉
 この報告書は二つの側面から批判することができる。一つはこの報告書の中身がその作成動機にある「この判決は病院側の管理責任を全面的に認めたものであり、精神分裂病の医療を拘束性の高い施設内収容下で行うことを促し、開放的な精神医療を著しく後退させる」ことを防ぐのに役に立つか否か、今一つはこの報告書が脱院し事件を起こした患者当人にとってどういう意味があるか、である。
 前者について報告書は、北陽病院に落ち度がなかったことを主張し、それによりこの民事判決を批判することでその目的を達成しようとしている。しかし学会が報告書を出したり声明を出すことが有効か否かの問題はさておき、報告書はその内容からいってこの目的を達成することができるとは考えられない。北陽病院は適切な医療と処遇をとっており、この事件に一切責任はない、と主張しこの賠償金は不当であると主張し、仮にそれが受け入れられたとしてどうなるだろうか(もっとも報告書自体あいまいであり明確な結論を出していないが)? 前述したように北陽病院事件は保安処分があるいは「精神障害者」の分断と厳重な監禁が必要であるという主張の根拠として利用されている現実がある。したがって保安処分を推進する者たち、あるいは入院患者のより厳重な拘禁を求める者たちの論理はこうなる。「北陽病院に落ち度がないとしたら、現行の精神病院の実態そして制度の下ではいかに適切な処遇、治療をしても事件は起こることになる。必要なのはこうした事件を防ぐ新たな制度、施設である」。
 保安処分をめぐる政治課題となった北陽病院問題は、いくら個別の民事訴訟を分析調査しても、理解し何らかの方針が出る問題ではない。事件を予測できたか否か、回避できたか否か、北陽病院に責任があるか否か、は問題の本質と一切関係ない。北陽病院問題の本質は精神医療の目的とは何か、言い換えれば、精神医療は本人の利益のためにあるのか、それとも社会防衛のため治安に奉仕するため、犯罪を防止するためにあるのか、である。そしてさらにいうなら、「精神障害者」を犯罪予備軍と想定する「精神障害者」観、報告書も触れているように「精神障害者の行為一つ一つにつき、監督すべき主体が想定され、監督が不十分であったということになれば責を問われるのである」という現状を支えている「精神障害者」観である。健常者の成人が個人として殺人事件を起こしたとき、誰も監督責任を追及されないし、本人に支払い能力がなければ被害者は民事訴訟を起こしても何ら賠償されることはないではないか。なぜ「精神障害者」だけが監督され、監督責任のあるとされるものの責任が追及されなければならないのか?
 いま学会に求められているのは、精神科医は患者本人の利益に奉仕するために精神医療を実践する、精神医療は犯罪の防止のためあるいは社会防衛のために使われてはならない、という宣言であり、明確な反保安処分の宣言である。そうでなければいかなる事件が起きいかなる民事判決が出ても、医療目的を貫徹するためには開放的処遇が必要であるという主張はできないし、入院患者の厳重な監禁をという主張に対抗することはできない。
〈「北陽病院事件に関する報告書」は撤回を〉
 報告書は脱院した患者本人にとってはどういう意味があるだろうか? まず許せないのは個人情報の開示である。たしかにこれらの個人情報(生活歴、入院歴その他)はすでに公判において開示されているものであろうし、法的には公開したところで問題ない情報かもしれない。
しかしながら精神科医が医者としてこうした個人情報を再び三度公開することには倫理的な問題がある。学会も少なくともその点を考慮したからこそ患者名を匿名にしたのだろうが、病院名事件内容が明らかな以上、誰でもこの患者名を特定できる。精神医療が患者個々人の利益のためにあり、精神科医は個々の患者の利益に奉仕するものであるなら、この脱院した患者本人にとって個人情報の開示がどういう意味を持つかが問題にされなければならない。患者本人にとっては、自分個人の利益には一切ならない調査において、自分の利益に奉仕すべき精神科医によって、さらには自分の入院していた精神病院の医者によって、自分の個人情報が再々度公にされたということになる。しかも民事訴訟の分析という性格上、自分自身の言い分は一切含まれていない個人情報であり、分析である。なぜ本人の同意も要請もなく一方的な調査をされなければならないのか? 患者本人の精神医療に対する絶望はこれによりさらに深められたといって過言でない。
 そもそも事件の時、北陽病院の主治医および医師たちは彼の救援活動を一切行わなかった。
 されには刑事法廷において主治医は彼の悪口を証言している。その証言に彼はどれだけ傷ついたことだろうか? さらに加えてこの報告書である。精神医療従事者、精神病院経営者・管理者の保身とソロバン勘定のために、なぜ「精神障害者」はこれほどなぶりものにされなければならないのか!
 私たちはもとより本人の代理人でも代弁者でもないが、私たちはこのように同胞をさらし者にされなぶりものにされることを許すことはできない。私たちは、報告書について学会が自己批判することそしてこの報告書を撤回することを求める。
2000年5月9日
全国「精神病」者集団
連絡先 923ー8691
    小松郵便局私書箱28号 絆社ニュース発行所
    EーMAIL futen@mai17.dddd.ne.jp
本人の同意なしの電気ショックをやめろ
学会は電気ショック廃絶決議をあげろ
〈よみがえる電気ショック〉
 この数年来日本精神神経学会始め各学会で電気ショックを肯定した研究発表が相次いでいる。
 また私たち自身電気ショックについて相談を受ける件数が増えている。
 電気ショックを体験した仲間たちは口々のその恐怖を語り、そしてそれは精神医療への不信精神病院への恐怖の大きな原因となっている。しかし問題はこうした心的外傷だけではない。
肉体的後遺症に苦しむ仲間も存在する。大きなものは記憶障害である。数年前の学会でうつ病への電気ショック療法の発表があったときに、電気ショックのインフォームド・コンセントにおいては「一時的記憶障害がある」と説明していると発表していた医師は回答していた。しかし電気ショックにおける記憶障害は一時的なものでないことは電気ショック被害者は口々に証言している。
 例えばこの総会会場ロビーで販売している『赤い鳥を見たかーある「殺し屋」の半生』を読んでも分かるように、この作者飯田博久氏は電気ショックによるさかのぼった記憶障害に苦しみ続けている。記憶を失うことは人生の一部を失うことであり、その打撃の大きさは計り知れない。あるいは全国「精神病」者集団への手紙である電気ショック被害者はこう述べている。
「私は27年前始めて入院した病院で数回にわたり電気ショックを受けましたが、その前後の記憶がなくなっています。写真を見てかろうじて記憶をつないでいます。・・・・・・中略・・・・・・電気ショックの後の私はまるで別人のようにだらしなくぼーっとして母が私であるとは認めがたい形相になっていたそうです。ちなみに私はその時母親が面会に来たことすら記憶にありません。
・・・・・・中略・・・・・電気ショックを受けなければ受けないで方策は別にあります。記憶を失いなくなかったらきっぱり断って下さいお願いします」。
 電気ショックのメーカー(ソマティックス)の作った電気ショック宣伝ビデオの中ですら、電気ショックを推進しているマックス・フィンク(Max Fink)医師は「仮に記憶を失うことがあったとしても入院中の記憶をなくすだけである。入院中の記憶をなくすことは喜ぶべきことで、いずれにしろ入院期間というのは楽しい記憶ではないのだから、その記憶をなくすのはむしろ歓迎すべきことだ」と発言している。そして記憶障害が一時的でないのにも関わらず、電気ショックの「効果」は一時的なものである。
〈学会は電気ショックの強制を禁止しろ〉
 電気ショックの発祥の地イタリアでは、電気ショックに関する利益のみならず不利益そして代替手段も含めた説明を受けた上での、本人の明白で自由な同意なしの電気ショックの原則的な禁止、子ども高齢者への電気ショックの全面的禁止、妊婦への原則的な電気ショック禁止が定められた条例がピエモント州で可決された。この条例ではロボトミーも全面的に禁止されている。
 こうした電気ショックへの批判があるにもかかわらず、現在日本では精神医療の現場とりわけ精神科救急の現場では、電気ショックが本人の同意なしにあるいは保護者の同意のみで強制されている。これを正当化する法的倫理的根拠は一切ない。私たちはこうした電気ショックの強制を断じて認めるわけにはいかない。直ちに学会は本人の同意なしの電気ショックを禁止する決議をあげるべきだ。
 そして電気ショックの廃絶をめざし、学会は電気ショックの是非をめぐる討論をすぐ開始すべきである。いままでそうした討論が一切されず、電気ショックは野放しとなり私たちに強制されている。また同意のもとと言っても極めて一方的な説明がされるだけで電気ショックが強制されている。もちろん強制入院中の患者、獄中の患者に自由な同意の条件があるとは私たちは一切考えない。強制入院中、獄中にいる患者ヘの電気ショックは直ちに禁止されるべきである。
 私たちは学会に以下を要請する。
@本人の同意なしの電気ショック強制禁止を決議すること
A強制入院中、獄中の患者ヘの電気ショックを禁止する決議をあげること
B電気ショック廃絶に向け、電気ショックをめぐる議論を開始すること
2000年5月9日
       全国「精神病」者集団
  強制移送粉砕
学会は移送制度への警官出動要請を撤回しろ
〈警察の協力を要請する精神医療従事者〉
 私たちの反対にも関わらず精神保健福祉法は改悪され、強制移送制度が4月から始まった。この移送制度に対して学会は見逃すことのできない要請を行っている。
 精神保健福祉法見直しに際してもうけられた専門委員会において、全国精神保健相談員会長天野宗和氏は以下のように述べている。「行政権力の発動なので吏員の立会い、付き添い、告知は必ず必要です。また、状況によっては『警察官の協力』は不可欠なため、法施行前に厚生省は警察庁と消防庁の調整を行いどこかに文言化してほしい。といいますのは『都道府県知事は』となっていても、警察は県ではないかということがあるのですけれども、全然県知事の方を向いていません。そういうことで、今までスムーズに警察と連携できていた保健庁が、34条の成立で協力してもらえないこと、それは県の仕事だろうということで、連携がうまくいっているところが実際あるわけですけれども、協力してもらえなくなるのではということを会員は非常に危惧しています。救急車の所管も市町村などで(ママ)同じ心配をしています。」
 また当学会副理事長森山公夫医師も以下述べている。「4番目に、これが特に強調されたことなんですが、現場では当然職員の身体的危険ということもあるわけで、そういうことに配慮を含めて、その状況に応じて、この場合は特に警察官との協力体制をきちんとできるよう、もちろん地域での協力体制もさることながら、本庁でぜひその協力体制をつくるように合意形成をぜひお願いしたい。こういうことがないと現場は恐らく不安で動けない、あるいは混乱することになると思います。」(議事録より)
 精神医療従事者の見事なまでの本音である。「精神障害者への偏見をなくそう」と言っている私たち自身がもっとも「精神障害者」を危険だと主張しているのだ。この議事録を読んだ人々はこう考えるだろうか? 「専門家ですら、患者の家を訪ねるのに、警官付きでなければ身の危険を感じると言っている。やはり精神障害者は危険なのだ」と考えるだろう。
 これほどの裏切りがあろうか? こういう発言をする精神科医を信じろと言われても私たちは一切信じることはできない。1987年に全国の精神科医は一方的に「困った患者=嫌な患者」と決めつけた仲間を道下アンケートに売り渡した。この売り渡し行為を自己批判した精神科医は一人もいない。そして今さらに「患者が恐いから警官が来てくれなければ移送制度はできない」と宣言したのだ。私たち「精神病」者に対しこうした裏切りを重ねて一体どうやって精神医療が成り立つというのか?
〈まず害する精神医療〉
 ヒポクラテスの誓いは言う、「まず害すなかれ」。しかし「まず害している」のが精神医療である。天野氏の発言にあるように、すでに警官によって精神病院に連行された経験を持つ仲間は存在する。彼らにとって精神医療とは何であったか。こうした仲間にとっては精神医療とは医療ではなく「権力による弾圧」である。「誘拐と監禁」でしかない。警官に連行され、監禁されて精神医療に出会い、どうして精神医療を医療と認識することができようか? この心的外傷の深さを癒やすことができるのか? 一体どうやって精神医療に対する信頼をもてというのか?
 その上強制的に連れ込まれた精神病院でのいわゆる「精神科救急」は何をしているのか。そこにあるのは本人の同意なしの電気ショックの強制であり、大量の薬漬けであり、身体拘束である。
 長い闘病と養生に立ち向かうにはまず患者が主人公となれる患者自身の力が必要であり、医療は患者のこの力を強め支えるものでなければならない。しかしこうした精神科救急による医療への導入では患者は自覚的に養生に立ち向かう力を持つことはできず、無力な受け身の立場に追い込まれ、その後の養生に決定的な妨害となる。まさに反医療的なことが精神科救急では行われているのだ。
 病苦にあえぐ私たちをまず傷つけることで医療に導入するいまの強制入院制度を私たちは一切認めることはできない。その上強制移送制度の新設はいままでの強制入院をより強化するものであり、警官出動の全国化は全国各地で今まで以上に傷つけられる「精神病」者仲間を生み出すものでしかない。
 本来の病苦に加え、警官付きの強制移送、強制入院によって心的外傷による後遺障害を私たちは押しつけられるのだ。苦痛を加え新たな障害を加えて医療などと言えるのか! これはかでに医療ではなく、まさに「権力による弾圧」である。
 この強制移送制度の対象となる仲間は、おそらくそれまでの精神医療によって痛めつけられ心的外傷に苦しんでいる仲間であり、それゆえにこそ精神医療を拒否している仲間である。こうした私たち「精神病」者をさらに再々度傷つけ害する移送制度を私たちは一切認めるわけにはいかない。ましてや警官付きの移送制度は断じて許せない。
 私たち全国「精神病」者集団は日本精神神経学会に対して以下を要請する。
@精神保健福祉法上の強制移送制度の撤廃を国に要請すること
A移送制度に関し警官出動要請で撤回すること
2000年5月9日
  全国「精神病」者集団
 人格障害は排除の烙印だ
学会は人格障害概念を破棄しろ
〈人格障害概念はいかに機能しているか〉
 人格障害とは何だろうか? 人格のゆがみとか偏りとかいわれているものであり、その定義からいって客観性はなく歴史的政治的概念であり、精神病質概念同様に排除の烙印として機能している。
日常語でいえば「嫌な奴」「付き合いたくない奴」「厄介者」となるが、これに「科学的」粉飾を付け加えたのが人格障害概念である。
 この概念は社会的問題を、個人の人格、資質の問題にすり替え、その個人の排除を合理化したり、個人の人格矯正によって問題解決しようとする概念である。
 たとえばDSMにおいて、家庭内暴力の被害者女性に対してマゾヒズム人格障害のラベリングがされ、被害者は無意識のうちの暴行を楽しんでいる人格であり、家庭内暴力を男にさせているのは被害者本人であるとされた。フェミニストの激しい抗議の中でようやくこの概念はDSMから撤回されたが、その後代わって自己敗北型人格障害という概念が持ち出されDSMの付録として生き残っている。これらの概念がむき出しの性差別から導かれた概念であることは明らかである。
 あるいは境界例人格障害という概念がある。この概念は一言でいえば精神科医が「嫌な奴」「付き合いきれない奴」という言葉の代わりに使うものであり、いったんこのラベリングをされると、患者の言葉は全て嘘ということになる。アメリカでは精神科医によって強姦されたと訴える女性患者がいれば、境界例人格障害とされる。そして彼女の言葉は全て嘘ということになる。精神科医によれば、精神科医を訴えること自体が境界例人格障害である証拠であり、そして境界例人格障害である以上患者のいうことはすべて嘘なのだ。仮に性的関係が両者にあったとしても、それは境界例人格障害の患者が、人格障害ゆえに精神科医を誘惑したのだ、ということになる。見事な循環論理であり精神科医を防衛するには何と便利な概念であろう。
 人格障害概念がいかに主観的であり、社会的差別を反映した概念であるかこれらの例だけでも明白である。診断とはそれを付けられた患者本人の症状を理解し苦痛をいやすために正しい治療方針を出すことを目的としているはずである。ところが人格障害という診断名は、本人の利益には一切ならず、むしろその診断名を付けられた人間を非難し、人としての一切の信用を奪い、社会生活を不可能にする烙印として機能している。
〈保安処分と人格障害概念〉
 人格障害概念が排除の合理化や問題のすり替えのための概念として機能していることは、単に概念を誤って拡大したり、誤って適応しているのであり、概念自体の問題点ではないと主張する精神科医もいるかもしれない。しかし当学会総会の人格障害に関するシンポジウムのシンポジストである牛島定信医師は、週刊誌において事件の犯人とされた人たちに対し、人格障害概念を適用しコメントしている(裏面コピー参照)。京都の小学生殺害事件、新潟の少女監禁事件の容疑者について牛島定信医師は以下のようにコメントする「共通するのは、悪性自己愛人格障害という重症型の人格障害だったこと」。「現在、こうした悪性自己愛人格障害が、かなりの勢いで増えています。昨年の池袋の通り魔事件の容疑者も、下関の刺殺事件も、共通の人格障害と考えられています」。牛島の論理で、容疑者は人格障害であり、これらの犯罪は人格障害が原因である、ということになる。さらには人格障害(この場合は悪性自己愛人格障害)とされた人間は非常に危険で何をするか分からない犯罪予備軍ということになる。牛島医師の患者で人格障害とされている人たちはこの記事を読んでどう思うだろうか? そして自己愛人格障害とラベリングされた人たちは今後どうこの社会で生きていけるというのか? 明らかに牛島医師の論理の下では人格障害というラベリングは排除の烙印として機能している。この牛島医師の論理こそが人格障害概念の本質なのだ。現実に刑事法廷では、人格障害のラベリングは健常者に比べ「危険で再犯しやすい」人間である、という烙印として機能し、重罰の根拠となる。
 保安処分とは何か? 犯罪行為違法行為の原因をひたすら個人の資質、病状に求め、それゆえ「危険性」を要件として予防拘禁し、強制医療をもって個人の人格を矯正しようとするものである。牛島医師の論理に見られるように、人格障害概念はかつての精神病質概念同様、この保安処分の中核となる概念であり、保安処分という予防拘禁と強制医療を正当化合理化する概念である。しかもこの概念は前述したように客観性は一切なく政治的社会的概念であり、誰にでもラベリングできる概念である。事件を起こしたとされた人間誰にでも人格障害のレッテルを貼ることが可能である。
〈人格障害概念の廃棄を〉
 人格とは何か? 人格の障害とは何か? これらの質問に科学的客観的な答えはあり得ない。こうしたことに精神医療は手を出してはならない。しかも本人の利益に一切ならないラベリングを患者にすることは医療のすることではない。医療は本人の苦痛をいやし、本人は生き延びることに奉仕するべきである。犯罪の防止と治安に奉仕するために、人を排除し予防拘禁するための概念である人格障害概念を精神医学・精神医療は放逐しなければならない。
 私たちは日本精神神経学会に対し人格障害の概念否定に向け討論を開始することを要請する。
2000年5月9日
  全国「精神病」者集団
少女監禁  小2殺害
新潟・京都異常事件容疑者は
悪性自己愛人格障害だ!
母親の溺愛、引きこもり、独り善がり・・・・。2つの異常な事件の容疑者に共通する点だ。なぜこのような犯罪に走ったのか? そのナゾに至る「暗部」を専門家たちが開明する!
 89年6月、小学4年生の女子を空き地に連れ込もうとして、容疑者は逮捕された。
 「容疑者は、普通の女性にはアプローチできない。女性に対する性的関心も、自分の言うことを聞かせることのできる幼い女の子に向いてしまう。これを『代償性小児性愛』と言います。彼の場合、もともとの性嗜好が幼児のみを対象としているのではありません。風俗にも通っていたそうですし、金を払うことで相手がコントロールできる状態であればいい。そうであれば、大人でも相手にできる」
 と指摘するのは、上智大学の福島章教授だ。
 「2つの事件とも、よく似ています。2人とも仕事をせず、家の中に引きこもって家庭内を占領している。
 家庭内ではワガママの限りをつくし、彼らの行動を止める者がいない。外部の社会と遮断されていて、対人関係がほとんどなく、唯一の対人関係が母親だけ。母と子の密着関係が強くて、父親がいない。彼らはし放題をし、母親はそれを止めることができない」
 国際医療福祉大学の小田晋教授(精神医学)の言葉だ。
 新潟で少女監禁事件を起こした容疑者(37)と京都の小学2年生殺害事件の容疑者(21)には、ゾッとするほどの共通性があった。
 小田教授は、ひと言でこう言いあらわしている。
 「自己愛人格障害。『引きこもり無職男』の犯行とでも言えばいいか・・・・」
 自己愛≠ニいうのが、彼らの「心の闇」を理解するためのキーワードである。
 東京慈恵医大教授の牛島定信氏は、こう分析する。
 「共通するのは、悪性自己愛人格障害という重症型の人格障害だったこと。自己愛人格障害の人間というのは、病的なまでに自分を誇大に考えているが、基本的には自信がない。だから、空想や行動のなかで、自分自身に対する低い自己評価を補おうとする。彼らは、独り善がりで、周りに対する要求が強い。しかし、彼らの要求はやがて社会に潰されていきます。そこでゲームの世界に引きこもるなど、ダメな自分の姿を空想で隠すのです」
 しかし、だいたいの場合は、引きこもりがちの変人という程度で、社会に害をなすようなことはない。ところがー
 「このなかで、人に対して『ぶっ殺す、ぶん殴る』などの言葉を使ったり、暴力によって周りを奴隷化するなど、反社会的行動によって、自分の尊大さを示す行動に出てしまう者がいる。それが、悪性自己愛人格障害。容疑者にしろ、容疑者にしろ、母親に対しては、発言も許さぬほど支配的に振る舞っていました。容疑者にいたっては、被害者の女性をまるで奴隷のように、コントロールしていた」(牛島教授)
 こうした人格障害の要因となるのが、親との関係だといわれる。思考工学研究所の天野一男所長は言う。
 「親と子がお互いに子離れ、親離れができていない。せめて父親が(家庭に)いれば、こうした犯罪の率は減ると思います。(子供を)ひっぱたく手と、撫でる手の両方があってこそ、子供は育つんです」
 少女監禁事件の容疑者の母子関係に、そうした歪みが端的にあらわれている。
 逮捕後の容疑者について、病院関係者はこう証言。
 上智大学の福島教授は、こう分析する。
 「彼は、高校時代に成績が急激に落ちたが、学校のお情けで卒業した。これに対して、学校の判断は間違いだったと彼は一種の逆恨みをする。
 これは妄想追想≠ニいって、過去にあったことを思い出す際に、妄想によって事実とは違ったものに思いこんでしまうんです。これが殺人衝動、そして自殺衝動を引き起こした原因となった」
 立教大学の町沢教授は指摘する。
 「彼の母親は教育熱心で、勉強ができればいいという家庭だったようです。兄が家庭内暴力をふるっていたこともあって、なおさら母親は容疑者を溺愛したのでしょう。
 彼は、自己愛人格障害だといえます。自分は特別な能力を持っていると思いこんでいて、周りからそれに対する尊敬を得られないと怒りだす。
 思いどおりにいかないと相手を恨むというのが、彼の性格なんです」
 町沢教授は、彼の自殺は最初からの筋書きどおりだったと考えている。
 「最初の声明文では、やがて名前も明らかにするから、追わないでくれと書いてありましたね。明らかに最初から自殺するつもりだったんです。任意同行を求められたとき、彼がいちばん恐れたのは、自殺できなくなるということだったと思いますね。だから、任意同行を強硬に拒んだ。公園で話すのであれば、足にも自信があるし、逃げ出せば投身自殺ができると、自分でちゃんと筋書を書いての行動だったんです。警察はそれを見抜けなかった。そうして、計画どおり、思いを遂げた」
 まさに、京都府警の失態である。
 最後に、東京慈恵医大の牛島教授の無気味な観測を聞こう。
 「現在、こうした悪性自己愛人格障害が、かなりの勢いで増えています。昨年の池袋の通り魔事件の容疑者も、下関の刺殺事件も、共通の人格障害と考えられています。表に出ているのは、氷山の一角。
 新しい問題を社会に突きつけていると言っても過言ではないと思います」
 今後も同じような事件が多発するのだろうか・・・・・。
専門家が「心の闇」をズバリ分析する!
(週刊宝石, 2000.3.2:178-181)
 
精神科医は死刑への関与を直ちにやめろ
学会は死刑問題小委員会を発足させろ
 1993年3月26日3人の死刑囚の死刑が執行された。
 その内の一人大阪拘置所で処刑されたK氏が「精神病」者と判明している。Kさんは事実関係の誤りを求めて再審準備中であった。彼の代理人である中道弁護士によると、中道弁護士は問い合わせに対して、大阪拘置所当局は1985年11月12日付で以下のように回答している。「Kさんの確定判決前、1982年1月14日に外部の精神科医がKさんを診察し『幻覚妄想状態(分裂病の疑い)』であると診断した」。しかし拘置所はKさんを病院や医療刑務所に移送することはせず、半年に1回専門医の診察を受けさせるだけで、漫然と投薬を続け放置していた。
 そのあげくに政府はKさんを処刑した。
 「死刑に直面している者の権利の保護と保証の履行に関する国連決議(1989年1のD)」では「判決の段階叉は処刑の段階に問わず、精神障害者叉は極度に限定された精神能力者に対する死刑は排除すること」と明記されている。また国内の刑訴法479条には死刑の言い渡しを受けた者が「心神喪失の状態にあるときは法務大臣の命令によって執行を停止する」とある。
 Kさんの処刑は明らかにこれらに違反した不当違法な処刑であった。
 その後も精神障害者を疑われる死刑囚の処刑が続いている。1995年に大阪拘置所で「知的障害」疑われるFさん(1審のみで確定再審準備中)が処刑され、また1996年に福岡拘置所で覚醒剤使用中の事件であると再審請求を繰り返し、処刑直前にも再審請求書を書き続けていたHさん(覚醒剤の後遺症に苦しんでいたと伝えられている)が処刑され、1997年8月1日には精神障害を疑われるNさんが東京拘置所で処刑された。
〈WPAの死刑への関与禁止ガイドラインと日本の精神科医〉
 1996年WPA(世界精神医学会)はマドリッドにおいて精神医療の倫理面における宣言を出し、同時に特別領域におけるそのガイドラインを出した。このマドリッド宣言はWPAに参加する各国学会によって支持されたものであり、「どの国の学会でも尊重されなければいけないものである」(日本精神神経学会とWPA執行委員との合同会議録よりOkasha氏発言、学会誌99巻10号)。このガイドラインは死刑について以下のように述べている。「いかなる場合であろうと精神科医は法の下での死刑執行に関与すべきでない。また処刑できるか否かの囚人の能力評価に精神科医は関与すべきでない」。
 元法相佐藤恵氏によれば死刑執行のサインを求められる際に、添付資料として「精神的に健康」という資料がつけられていたそうである。裏面資料にもあるように、死刑執行の過程においては「執行できる心身の状態にあるか否か」がチェックされることになっている。
 この「執行できる心神の状態にあるか否か」を矯正局が判断するにあたり、精神科医は専門家としての意見を求められているはずである。この段階において明らかに精神科医は「処刑できるか否かの囚人の能力評価」を行っている。日本では精神科医はWPAのガイドラインに反した行動をとっている。
 Kさんについても必ず精神科医が「執行できる」という判断をしているはずである。まさにこの精神科医はKさんの処刑に加担したのである。この処刑に関してはWPAからも「どの医師がいかに関与したか」と当学会は追求されている。
〈今日本精神神経学会がなすべきこと〉
 1998年に当学会会員でありまた全国「精神病」者集団の会員でもある大野萌子と山本真理がKさんの処刑に関連し、学会内に死刑問題小委員会を作るよう要請した際、理事会としては「この(死刑)問題は法制度全体に関わり、大きすぎて一医学会である精神神経学会で扱う範囲をはるかに越えています。したがって死刑制度そのものについて委員会を特に設置するには無理があります。ただし精神障害者の死刑問題に関しては個々に『精神医療と法に関する委員会』で検討いたします」旨の回答があった。この結果精神医療と法に関する委員会および保安処分と司法に関する小委員会において、とりあえず無実の死刑囚袴田さんの処遇問題に取り組むとの方針が出された。
 袴田さんの問題に対する取り組みに関しては一歩前進として評価するが、今一度WPAのガイドラインを見るとき、日本の死刑執行過程における精神科医の果たしている役割につき、学会総体として態度表明が求められていると判断する。例えば日本と同じように死刑制度が存続しているアメリカにおいてはアメリカ精神医学会は1980年に精神科医の死刑への関与を禁止した以下の決議をあげている。「直接的であれ間接的であれ、医師が国家に処刑者として仕えることは、医療倫理の退廃であり、治療者であり癒やし手であるべき医師の役割を腐敗させることである。したがってAPAは精神科医の処刑への関与に強く反対する」。昨年総会において理事長もこの問題につき理事会で改めて検討したい旨発言しているが、今だその検討が理事会で行われていないようである。当学会もWPAガイドラインにそって何らかの意志表示をすべきである。
 もちろん態度表明だけでは何ら実効性がない。アメリカ精神医学会の決議にも関わらず、アメリカにおいても多数の「精神障害者」が処刑されている。精神科医が死刑に関与することがないよう具体的で実効性のある行動が求められている。それゆえ精神科医がいかなる形で死刑に関与しているかその実態、精神障害の獄中処遇の実態とりわけ精神医療の実態等々を調査し、学会として何ができるのか、何をすべきか検討していくためにも死刑問題小委員会の発足が求められている。
 私たちは日本精神神経学会に対し以下を要請する。
 @精神科医の死刑への関与を否定する決議をあげること
 Aその決議を実行すめために死刑問題小委員会を発足させること
2000年5月9日
     全国「精神病」者集団
            連絡先 923ー8691
            小松郵便局私書箱28号 絆社ニュース発行所
            EーMAILfuten@mai17.dddd.ne.jp
資料
死刑執行までの手続き
 一般に知られていない死刑執行までの手続きは、次の通りである。
@裁判までの死刑確定
     判決・裁判記録
A高等検察庁・検事長→法務大臣へ上申書
    判決・裁判記録
B法務省刑事局付け検事の審査
    疑問があれば再調査→刑事局会議
    (1)刑執行を停止する事由はあるか
    (2)非常上告の事由があるか
    (3)恩赦に相当する事由があるか
 死刑執行起案書
  (1)犯罪事実
  (2)証拠関係
  (3)情状
  (4)結論
C刑事局・参事官→総務課長→刑事局長
    各担当者が精読の上決済
D矯正局・参事官→総務課長→矯正局長
   (1)執行していい心身の状態か否か
   (2)恩赦の上申をする事由があるか否かを確認
E保護局・参事官→恩赦課長→保護局長
    恩赦に相当する事由があるか否かを確認
F刑事局
G法務大臣官房・秘書課長→官房長→事務次官(事前に大臣の内諾をとってから提出)
H法務大臣
    執行命令書にサインする
I高等検察局
J拘置所長
    発令されてから5日以内に死刑執行


*作成:桐原 尚之
UP: 20101204 REV:
全文掲載  ◇全国「精神病」者集団 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)