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全国「精神病」者集団ニュース 1999.12


last update:20101204


全国「精神病」者集団ニュース 1999年12月
 ごあいさつ
 今年最後のニュースとなりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか? 新しい年を迎える年末の慌ただしさ、そうした街の風景から取り残されたような思いをされている仲間が多いことと思います。一人暮らしのアパートで、外泊者に取り残されて精神病院で、年末年始を耐えるしかない仲間もたくさんおられることでしょう。魔の季節の年末年始を身に寄せあって過ごせる場所を、と切に祈ります。
 国家が死刑という形で、「生きていてはいけない命」を殺す国では、私たち「精神病」者も精神保健福祉法第2条の国民の義務違反をしている「生きていてはいけない命」となりかねません。脳死臓器移植の動きを見ても、子供をドナーとすることあるいは家族の同意のみで臓器提供することを認めるなどの法改悪が予想されています。石原都知事の差別発言に見られるように、障害者は人間でないとした優生思想は今だに人々の中に根強く広がっています。そうした中で私たち「精神病」者の生存権も危ういものとなっています。臓器狩りの対象の一つが私たち「精神病」者です。
 精神保健福祉改悪案は成立し、来年4月からホームヘルパーなど福祉に関する部分以外が施行されます。強制移送制度は都道府県の権限で行われますが、今のところ財政的裏付けが必要なため、この不況下では即座に私たちがおびえなければならないほど乱用されるおそれはなさそうです。しかしいったん法の条文になったものは、今後の風向き次第でどのように乱用されるか予断を許しません。「違法行為を行った精神障害者対策」という大合唱の中でこの条文がどう運用されていくのか、そして「精神科救急」、措置入院がどうなるか、各地域での監視活動が必要であると考えます。
 強制入院させた上でいかなる「治療」が行われているのか、そうした問いかけのないままに、「急性期治療」あるいは「精神科救急」の整備なるものが語られています。「急性期治療」あるいは「精神科救急」というものが果たして私たち「精神病」者の利益となったか否か、今点検されなければなりません。強制入院とその精神医療について多くの仲間の訴えを募集いたします。葉書一枚のご投稿でもかまいません。多くの方の体験談を求めます。
 担当者の不調のため今年は年6回発行のニュースが4回しか発行できませんでした。読者の皆さまにはご迷惑をおかけいたしました。「精神病」者の活動のゆえお許し下さいませ。
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北から 南から 東から 西から
抗議文
 法務省は九月一〇日福岡・東京・仙台に収監されていた死刑囚三名を抹殺した。
 この抹殺は小渕内閣で二回目の死刑執行であるが、世論を無視し、世界の動向に真っ向から対立する暴挙であり、私たちはこれを断じて許すことはできない。
 今回抹殺対象になったそれぞれの方たちはすでに還暦を超えているが、こうした問題を検討するみとなく、死刑制度の温存と国家の「威嚇」力のみに終始した抹殺と判断される。
 そして死刑の持つさまざまな問題に関して検討する日本弁護士会は、その組織総体で当面の死刑執行停止を訴えているが、これも無視されている。
 権力の威嚇力が最も示される死刑制度は、市民の同意が問われる問題である。市民感情や弁護士会の意向に徹底した無視が示されることは、この国の市民不在を最も端的に示すことで暴挙以外にない。
 私たちは今回の死刑執行に対して再度の抗議を行うと共に、死刑制度の撤廃を要求する。
 小渕総理大臣
 一九九九年九月一一日
 元無実の死刑囚赤堀政夫 同介護者大野萌子
訂正とおわび
 全国「精神病」者集団ニュース前号掲載の「警察と法務省裁判所による陰謀」という岩間勧さんの原稿に、重要な入力ミスがありました。
 文章の趣旨が全く違ってしまうミスで、岩間さんおよび読者の皆さまには大変ご迷惑をおかけしました。以下訂正の上おわびいたします。
 八ページ上段最後の行
 誤「麻原彰晃の機構はよく報道されていますが」
 正「麻原彰晃の奇行はよく報道されていますが」
 一二ページ上段初めから二行目
 誤「精神鑑定を受けると、中谷陽二医師はその最終日、鑑定次第では心神喪失だといい、」
 正「精神鑑定を受けると、中谷陽二医師はその最終日、鑑定結果は心神喪失だといい、」
連載
分裂病自己免疫疾患論 二

  宮崎 E
☆脳と免疫系との関係
 ここで少し視点を転換してみたい。
 現代医学の中で精神神経免疫学(PNI)と呼ばれる分野がある。医学の主流からすれば、
 「補完的な乃至(ないし)は対抗的な新たな医学的潮流・・・・」(岩派講座現代思想一二『生命とシステムの思想』1現代医学の思想 一、病院医療の確立の軌跡(3)病因論医学の確立と治療積極主義の登場 二一ページ)
 であり、あえて言うならば「心身医学」(=オールタナティブ)の分野に属する。
 しかしそれは地域ケア中心の医療への転換が図られる現在
 「例えばPNI(精神神経免疫学)は先端医学(療)と癒しの思想の統合」(『生命とシステムの思想』1現代医学の思想 二病院医療から地域医療へ医療の場の変化と癒しの思想(3)バイオエシックスの登場)「先端医療」と「癒し」の思想 三三ページ)
 をめざした医療として期待されているものである。
 この精神神経免疫学(PNI)の眼目は何かというと、癒し、つまり人体に備わる「自然治癒力」の解明にある。
 ここでその精神神経免疫学(PNI)に関連した一冊の本を紹介したい。それは『内なる治癒力ーー心と免疫をめぐる新しい医学ーー』。この本の中には驚くべき事実が悟られているので引用すると、
 「・・・・脳神経系が免疫系に影響を及ぼすという考えは、脳が免疫系の働きを感知できると仮定したときに、初めて意味をなすものである。もしそうであるならば、神経系と免疫系の間には何らかの情報の交換が行われているに違いない」(『内なる治癒力ーー心と免疫をめぐる新しい医学ーー』スティーヴンロック、ダグラスユリガン著池見酉次郎監修 創元社 第三章脳と免疫系のハーモニー脳神経系と免疫系のとの語らい 七八ページ)
 つまりこのことは脳と免疫系が相互に作用し合っていることを意味する。
 しかしそれは一方的な関係ではなく、双方向性を持った関係であり、「自己」の全体性の維持という立場からするなら、脳さえ否定して守ろうとする「自己」、それは脳の指令を拒否し、時には攻撃してさえも守ろうとする「自己」が存在するということである。
 この点は臓器移植の際などに顕著であろう。
☆第六感としての免疫系
 もう一冊だけ精神神経免疫学(PNI)関係の書籍から引用したいと思う。少し長くなるがお許し願いたい。
「・・・・脳と免疫系との間には、双方向のコニュニケーションー真の対話ーがあるということにはいささかの疑いもない。それはあたかも免疫系が、血流にのってさまよい流れている科学的な脳の延長であるかのようなイメージを私たちに与える。
 しかし、私たちの体が、どのように機能するかを支配している生理的システムの内、なぜ免疫系と脳だけが互いの言語を話し、理解できるのだろうか?
 甲状腺や種々生殖器官のような神経内分泌ホルモンの種々の標的は、明らかに脳からのメッセージを受け取りそれを解釈することはできる。
 しかし、それらは口答えしない。すなわちそれらの器官は、脳に関連した神経ペプチドを自分では産生したりはしない。
 脳自体も、これらの標的器官によって産生されるいかなる科学物質も作らない。
 そしてなぜ体の生理システムのすべてのうちで神経系と免疫系だけが、その機能を果たすにあたって記憶という特徴を共有しているのだろうか?
 脳と免疫系だけが、過去の経験に基づいた情報を蓄え、将来の出来事に対する反応を変えるためにその情報を使うことができる。
 脳と免疫系は、それら共通の役割を持っているからこそ、お互いの言語を話す必要があったのかもしれない。
 すなわち、私たちが生きているこの世界を常に監視する、という役割である。
 私たちの体の外側の世界に関する知識は、私たちの五感ー視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚ーによって脳へ運ばれる。
 私たちは、これらの感覚を食物と隠れ場所を見つけるため、私たちと同じ種を識別するため、そして私たちが世界と呼ぶこの三次元迷路を通り抜けるために使う。
 また同時に私たちはこれらの感覚を使って危険を察知し私たちの肉体の安全に対する脅威を感知したりもする(傍線筆者)。
 そして私たちの感覚は、この情報を脳に伝え、脳波その情報を察知した危険を克服したり、回避したりするための化学メッセージや電気メッセージに変換するのである。
 ブロックが指摘したように免疫系の機能は第六感に非常によく似ている(傍線筆者)。
 しかしそれは特別な使命を持った感覚である。五感はすべて外界に向けられたものであり、私たちの生存に重要な情報を求めて周囲の世界を探る。
 一方免疫系は、私たちの内なる世界を監視する。それは最近やウィルスのような潜在的に脅威となりうる侵入者や新しく生じた腫瘍の存在を感じ取ることができるが、そのいずれも五感によっては感知できない。
 さらに免疫系はそれが感じ取ったものを脳が理解できる情報にーー脳自体が体の機能を調節するのに用いる言語にーーすみやかに翻訳しなくてはならない。
 こうして長い時間のうちに心と免疫系とはお互いが理解できる言葉で、お互いに会話することを覚えたのである。
 これらの新しい発見が、生物学と医学とに意味するところは評価され始めたばかりであるが、しかしそれは医学自身と同じくらい古い疑問に対する回答を約束しているものなのである。」(『免疫の返逆ーー進化した生体防御の危機ーー』三田出版界 ウィリアム・R・クラーク著 反町洋之・反町典子訳 三二三から三二五ページ ーー論を尽くすーー)
 少々長くなったが、筆者が傍線を引いた部分に注目していただきたい。
 本文では「危機を察知し、私たちの肉体の安全に対する脅威を感知したりする」感覚器官として、私たちの五感を挙げているが、また「免疫系の機能は第六感に非常によく似ている」としながらも、その作用を私たちの人体内部に限定しているが、はたして免疫系の機能とはそれだけなのだろうか?
 ここでもう一度全景の『内なる治癒力』(前掲 六番目の感覚器ーー免疫系八三ページ)から引用したい。
 「第三章脳と免疫系のハーモニー 六番目の感覚器ーー免疫系 ・・・脳神経系と免疫系についての情報が蓄積されてくるにつれて、この二つの系を結ぶ機構の複雑さが、一層明らかになってきた。
 とはいえ、免疫系と脳のどちらかが、優位な働きを持つのか、という疑問は、まだ解決されていない。
 直感的には、脳が支配しているようにも見えるが、この相互関係は、それほど単純なものでもなさそうだ。
 免疫系は、とても複雑であり、われわれはまだ理解の入口にたどりついたばかりである、と指摘する研究者さえいる。
 免疫系は、他の感覚では、とらえられないような環境の変化も感知し、体内で「第六感」的な働きを行っているのかもしれない(傍線筆者)。
 ウーゴ・ベセドウスキーは「免疫系は、脳が拡張していったものであり、からだへの新たな脅威に対して注意を喚起する、『抹消の受容器官』ではないか」とさえ述べている。
 また、ルイスヴィル大学の精神科医ジェル・エルクスは免疫系を「液性神経系」と名づけている。
☆分裂病親和者の「兆候優位性」
 傍線部分は抽象的で具体性を欠くかに見えるが、仮に「他の感覚(=五感)ではとらえられない、環境の変化を感知する」機能として免疫系を考えた場合、私には先に紹介した中井久夫氏が分裂病に関して提起した命題が不思議と蘇ってくる。
 それは『分裂病と人類』(東京大学出版会 中井久夫著三二ページ第一章分裂病と人類ーー予感・不安・願望思考4近代と分裂病親和者)と題された労作に示された仮説で、
 「もっとも遠く、もっともかすかな兆候を、もっとも強烈に感じ、あたかも事態が現前するごとく恐怖し、憧憬する」
 ことが分裂病の本質であるとする分裂病乃至(ないし)は分裂病者観であり、分裂病親和者の「兆候空間優位性」ゆえの重い失調状態が、分裂病と呼ばれるとする概念である。
 さらに言うなら、
 「この強迫的な世界では、分裂病親和者は、絶えず分裂病という重い失調状態へと落ち込む危険にさらされている。
 分裂病になりやすい人は、人生の早期における母親の表情認知という兆候性に圧倒されるほど過敏なのかもしれない。
 彼らの多くが、手のかからない良い子である、という事実はそのことを暗示している。
 そして、この過敏性は麻痺的に作用し、彼を絶え間ない不安の中におくことになる」(別冊宝島五三 「精神病を知る本」四八ページ「狂気をめぐるあなたのまなざしが変わる」ーー人類史の中の分裂病ーー赤坂憲雄)
 いささか極論めかしていえば、私はそのような「兆候優位性」、『内なる治癒力』の中で「第六感」と示されたものは、生理学上の機能を免疫系が担っているものと考える。
 この分裂病親和者の「兆候優位性」なるがゆえの重い失調状態が、「精神分裂病」であるなら、その生理学的機能を担う免疫系にも当然のことながら「狂い」が生じているはずである。
 その生理学的「狂い」の実態は現在までのところ明らかにされていない。
 では現段階で、分裂病に効果があるとされ、症状の改善に使用されている抗精神病薬の生科学的メカニズムはどのようになっているのだろうか?
 抗精神病薬の代表であるクロルプロマジンは神経伝達物質どーパミンの脳内における過剰を緩和することによって奏効するとされる。
 具体的にはシナプス間隙の受容体に鍵穴にあう鍵のようにあたかも入り込み、受容体にドーパミンが入り込むのを遮断(ブロック)することによってドーパミンの働きを阻害する。(『脳のメッセンジャー』医学書院A・カールソン、L・カールソン著 楢林博太郎、飯塚禮二訳二三から三三ページ 3精神病に対する薬物)
 それによって分裂病の症状が改善されるので、分裂病の原因、分裂病を発現させるのはドーパミン乃至(ないし)は他の神経伝達物資の過剰によって起こるとされるのが通説である。
☆免疫系を抑制するクロールプロマジン
 しかし、はたして抗精神病薬は、ドーパミンの過剰を抑制するだけに留まるのだろうか?
 今一度前掲の『内なる治癒力』から見て載きたい。
 「第三章 脳と免疫のハーモニー 脳神経系と免疫系の語らい ・・・・脳神経系の異常である精神分裂病の研究によって、この二つの系に、ある種の生物学的な共通点が存在することが明らかになってきた。
 アラン・ゴールドスタイン博士が、精神分裂病患者の血液には明らかな免疫学的欠陥があることを発見したのである。
 つまり精神分裂病患者の血液の中から、慢性関節リウマチなどのような自己免疫疾患の患者に認められる化学物資に類似した物質を見つけたのである。
 ゴールドスタインは、精神分裂病患者に鎮静剤のクロールプロマジンを投与すると、病気の症状のいくつかが消失するばかりではなく、
 その免疫系の細胞の異常の一部の消失することに気付いた。
 (クロールプロマジンは鎮静効果以外に免疫抑制効果も持っている)。
 クロールプロマジンは、免疫系を抑制し自己免疫疾患の症状を軽減する作用を持つと同時に、神経系に働いて精神病を改善するのである。
 結局、この相関関係は、免疫系に異常をもたらす生化学物質は、脳にも影響を与えることを示していた。
 ある意味では、脳も免疫系も同じ生科学的な情報を共有していることになるのである。」(傍線筆者)(前掲七八から七九ページ)
 文章から明らかなようにクロールプロマジンは脳の受容体をブロックするばかりでなく、と同時に免疫細胞にも影響を与えていることが分かる。
 さらに前半部分では、分裂病患者の血清中から、自己免疫疾患患者に認められる化学物質に類似した物質が発見された、と書かれている。
 本文にはその化学物質の正体が何であるかについては詳細に記されていないが、同じく訳書であり、脳なる小宇宙について全く一女性ジャーナリストの立場から科学し、その知的好奇心の赴くまま、多面的な角度からレポートし大部に仕上げた『脳と心の迷路ーー心の科学から魂のニューフロンティアまでーー』(旧題『三ポンドの宇宙』)から興味深い事実を例として参考までに挙げておくと・・・・・、
 「四狂気その他・・・・・脳のいろいろな窓ーー分裂病の自己免疫説ーー・・・一九五〇年代半ばのことだが、ニューオリンズのチューレン医学センター精神科長のロバート・ヒースは、分裂病患者の血清から謎めいた蚕白質を発見し(ギリシャ語の「狂気」にちなんで)タラクセインと命名した。
 ーー中略ーー
 人間を狂気にする力を備えた、このタンパク質は何物なのか?
 一九六〇年代半ばになって、ヒースはタラクセインは、実は免疫グロブリン、つまり脳の組織に対する抗体であることを公表した。
 彼は次のようにしてこの結論にたどりついたのだった。
 彼は、脳の各部分から取った組織を羊に注射し、脳に対する抗体が、その体内に産生するのを待って抗体を採集し、それをサルに系統的に注射した。中隔組織に対する抗体を注射されると、サルは「精神病的」になったが、これはヒースにとって特別に意味のある事実だった。
 一五年物間、何ナノという慢性分裂病患者の脳内の異常発作電気活動に測定装置を向け続けてきた彼は、分裂病患者の免疫系は、自己の脳組織(とくに中隔領域)を外部からの侵入者と見間違えて攻撃を加えていたのだ、と示唆したのである。
 ヒースは主張する。分裂病が紅斑性狼瘡(ヒリテマトーデス)、重度筋無力症(アリストテレス・オナシス病)、あるいは橋本甲状腺炎に似た自己免疫過程だと考えるのは、大変意味のあることです。
 橋本病では、甲状腺組織を攻撃する抗体を体が作ります。
 分裂病では、抗体が脳組織に向かうのでしょう。
 しかし、一九六七年の精神医学の主流は依然、ドーパミン仮説の暖かい光の中でぬくぬくしており、ヒースの方法論はつじつまがあっているという判断を下されなかった。
 他の科学者がヒースの結果の再現に失敗すると、ハーヴァードのセーマー・ケティというこれ以上は望めない有名人(彼を「ミスター分裂病」と呼んだ科学者もいる)が、ヒースの研究に対して痛烈は論評を書いた。
 ヒースは、自分の発見を再現したチームが一つあったと抗弁したが(これについてはだれも言及しなかった)、タラクセインは生物的精神医学の書物のやや奇妙な脚注という位置に押し込められる運命にあるらしかった(『脳と心の迷路ーー心の科学から魂のニューフロンティアまでーー』ジュディ・スターバー、ディック・テレシー著 木村一訳 自揚社 四狂気その他・・・・脳のいろいろな窓 分裂病の自己免疫説 一三三から一三四ページ)
☆分裂病は自己免疫疾患か?
 この化学物質の正体が、脳組織に対する抗体であるか否かの真偽のほどは、ひとまずおくとして、ここで現在の分裂病の治療の実際にも触れておきたい。
 分裂病の治療には、クロルプロマジンを初めとする抗精神病薬が用いられるが、その薬物治療の実際としてあまり知られていない事実があるので、さらにそのことを紹介しておきたいと思う。
 その点に触れて、再三引用する中井久夫氏は次のように述べている。
 「・・・・では、薬物療法とは、どういう役割をしているのか?という問題があるでしょう。
 大きく眺めれば、抗精神病薬は『生(なま)の精神病』Psychose bruteをいったん『薬物精神病』PharmacoPsychoseに変えて、治療しやすくしていると考えてみることができます『薬物精神病』は器質性精神病の一種です。
 そして器質性精神病は心理療法も薬物療法も、一般に生の分裂病よりずっとやさしいのです。」(中井久夫『最終講義』四九ページ)
 つまり私たちの「生の精神病」はそれ自体を治療しているのではなく、いったん「薬物精神病」に変えられ、実際には「薬物精神病」に対する治療が行われているのである。
 では後段にある「生の分裂病」とはいったい何なのか?
 あえて異論を恐れず言わせてもらうならば、抗精神病薬がドーパミンの抑制と共に行っている免疫抑制効果にそのヒントが隠されているように思える。
 生の分裂病とは、まさに自己免疫疾患としての分裂病のことなのではあるまいか?
 それが私のここに到る迄に得られた結論である。
 それがいささか希望的観測に属するたぐいのことであれ、そう仮定することで新たな原因、生理学的解明の道も開かれるのではないかとの、秘かな願いも含まれている。
 参考までにこの問題を考えるにあたって多くの示唆を受けた多田富雄氏の直弟子で同じく免疫学者の谷口克氏によれば、免疫学研究を通して、自己免疫疾患解明への新たな展開が見られたという。それを以下に紹介したい。
 「・・・・免疫統禦に関して、最近全く新しい概念に発展すると思われる発見があった。
 免疫統禦、なかでも自己、非自己を識別し自己に対する反応性を抑えるいわゆる自己寛容を起こす仕組みを理解することは、免疫系の異常で起こるさまざまな疾病の病態・病因を明らかにすることになる。
 この研究の結果、免疫系を構成する第四のリンパ球を同定した。
 ご存じのように免疫系は、T細胞、B細胞、NK(ナチュラルキラー)細胞の三種類が知られていたが、第四のリンパ球はNKT(ナチュラルキラーティー)細胞と呼ばれる。
 それはT細胞とNK細胞の両方の目印を同時に持っているからこのように便宣的に名づけられているのである。
 ーー中略ーー
 この細胞の機能は、免疫制禦に深くかかわっていて、いわゆる免疫寛容の維持、自己反応性の抑止に関係している。
 全身性エリテマトーデス、間接リウマチ、強皮症といった自己免疫疾患の発症前にNKT細胞が消失し、疾病の悪化に伴って再び出現することはない。
 これは自己免疫疾病を惹起する自己反応性リンパ球の働きをNKT細胞が抑止しているためである。」(アエラMOOK『生命科学がわかる』二〇から二三ページ一五人の生命科学者B免疫学 谷口克 傍線部分筆者)
 本文の傍線部分に注目していただきたい。お気づきのように、分裂病が自己免疫疾患であるなら当然分裂病発症前後にNKT細胞の消失が見られるはずである。
 逆に言うなら、その事実が確認されたなら、それは何よりも分裂病が自己免疫疾患であることの何よりの証左ともなろう。
 関心を持たれる方はぜひとも検証していただきたい。
                    (つづく)
私は入れないの
  愛知 大野萌子
 車の中でホームレスのI様と交流とレクの話しに夢中だった私は、同乗していた仲間のN様に「私は入れないの」と問いかけられた。精神病のN様の参加は当然射程に入れていたので「いいえ」と反射的に応える私。
 だが、その一瞬私に強い襲撃が走った。過敏な反応といえばそうである。
 言葉は不思議なものでその瞬間の心理状態でいかようにも響くものらしく、私をとらえ驚くほど心的にゆさぶっていた。「私は入れないの」は、ごく普通の会話の一つに違いないが「差別しないで」と聞こえての衝撃である。
 「うーむ」と絶句したのは、「差別をしないで」の構えで生き、闘う姿勢を貫く私とは異質の「私は入れないの」でありながら、本質的には同じで、むしろその訴えは強いイントネーションでせまるものがあったからである。
 私は精神病だから「グループに入れないの」
 私は精神病だから「家庭には入れないの」
 私は精神病だから「社会の一員として入れないの」
 私は精神病だから「企業や会社には入れないの」
 私は精神病だから「学校には入れないの」
 私は精神病だから「レクにも入れないの」
 これら精神病者の主張が頭の中を駆けめぐる。少なくとも私たちの闘いは「差別の拒否」であり、「差別者への追求」であり、「差別者の差別意識」への自覚をうながす闘いである。
 これまでの精神病者の闘いは常に「差別しないで」のワンパターンであるが、「私は入れないの」と訴える「主体を保持した」訴えを私は知らなかったといえる。
 それは「私は精神病者であるが人間として認めるか」の主体性のある訴えであるが、私にはこの追求はなかったと気づかされた。
 「差別しないで」は相手に対して戦闘的ではあるが「お願いする」響きでしかない。「私は入れないの」は差別者の相手に対して「認めるか」「認めないか」をせまる物言いで直接で洗練されている。相手が「ノウ」であれば即「差別者」である。
 何ということか?
 私たち精神病者の闘いの原点は「生存権の主張」と「人権の復権」の二本の基本軸からなるが、そのすべての追求は「私は入れないの」の一点で追求できる。その言葉以外にない。
 「私は入れないの」と言った精神病者仲間の一言は、余りにも原則的で私を圧倒していた。
 精神病者解放の理論もなく、「私は入れないの」と素朴に訴えた仲間は、私を洗脳しつつ感性豊かな世界で「幻聴と対峠しながら」今日も何かをつぶやき続ける。
 投稿の呼びかけ
 一人暮らしをしている仲間から、以下の問題提起がありました。
 @一人暮らしの中で食事作りなど家事労働についてどう取り組んでいるか。
 A孤独さについてどう耐えているか
 B精神病以外の病気になったとき、どのように対処しているか(一人で寝込んでしまったときなど)
 全国には一人暮らしをしている仲間が多いことと思います。この三点に限らず一人暮らしで直面している困難な点、あるいは私はこうしたら解決できた、という例などご投稿いただきたいと存じます。
 このテーマは普遍的な問題ですので、継続して投稿を呼びかけたいと思います。
 本の紹介
 長野英子
『精神医療ユーザーのめざすものーー欧米のセルフヘルプ活動』解放出版社 一八〇〇円
メアリー・オーヘイガン著
長野英子訳 中田智恵海監訳

 著者のメアリーはニュージーランドの「精神病」者で、かの地で初めての「精神病」者によるサービスを行うセルフヘルプグループを創設した方です。本書は一九九〇年に彼女がアメリカ、英国、オランダのセルフヘルプグループを訪問した旅の報告書ですが、単に報告に留まらず、「精神病」者の立場からセルフヘルプグループ(日本の患者会と同じと考えていいでしょう)の運動論と運営について論じたものです。といっても堅苦しいものではなく、さまざまな「精神病」者の発言に基づいた読みやすい本です。
 この本の魅力はなんといっても著者の率直さでしょう。
 日本においては「精神病」者運動独自の自覚的な組織論運動論は見られず、無自覚なままで既成の組織論運動論をなぞっている場合が多いのではないでしょうか。
 しかし著者の言うように私たち「精神病」者解放運動には一切お手本がありません。したがって既成の社会運動の組織論や運動論そしてその思想は一切役に立ちません。あらかじめある何らかの思想信条からものを見るのではなく、「精神病」者の現実から出発した実践的な深求こそが求められています。そしてそこにこそ本書の価値があると思います。実践家として日々の活動体験からの疑問、問題意識、そして「精神病」者の解放へのイメージとつながる理念、この二つのはざまで、苦しみ、悩み、そしてある時は混乱する、そうしたことをありのままに告白している著者の姿勢に共感する仲間は多いことと思います。
 著者が問題提起している精神保健体制に取り込まれることは、日本の「精神病」者運動も自覚すべき問題でしょう。幸か不幸か日本においては長年「精神病」者に対しては排除のみが強調され、わたしたちの運動のそれに対する告発闘争でした。しかし欧米に遅れること遙かですが、この一〇年ほどの間に精神保健専門家たちも、そして行政も「当事者の参加」「当事者組織の結成」などと発言するようになってきました。また専門家主導による「セルフヘルプ活動」やら「ピアカウンセリング」やらが流行しています。
 本書にアメリカの「偽のオールタナティブ」をめぐる発言がありますが、専門家が強制医療をふるう権力を隠蔽するために「患者会」を使うことは当然考えられます。いわゆる「悪徳病院」では、病院当局が入院患者の中から患者ボスを選び、その患者ボスたちを使って入院患者を暴力支配をしている実態があります。この構造のよりスマートで「民主的」な形式として、患者会を使い「患者に患者を支配させる」構造を考え出す専門家がいてもおかしくありません。行政も自分たちのやりたいことを正当化するために「委員会に当事者を入れた」という形式を取ることもありえます。さらには精神医療審査会に当事者組織代表を入れて、当事者をほかの仲間の強制入院正当化に利用していくことも考えられます。
 現在日本の「精神病」者運動もこうした危険な段階に来ているのではないでしょうか。その意味でも本書は有益な示唆を与えてくれるものだと思います。
 自分たちの活動を少し醒めた目で見つめるために多くの仲間のご一読をおすすめいたします。
『赤い鳥を見たかーーある「殺し屋」の半生』
飯田博久・飯田裁判を考える会著
現代書館 一五〇〇円

 今から二〇年以上前の事件である。私自身は当時入退院を繰り返しており、この事件のマスコミ報道の記憶はない。しかし本書によると、金銭を受け取った「殺し屋」によるの殺人事件として大きくマスコミ報道された。
 「殺し屋」というレッテルは、私たちの日常生活からかけ離れたおぞましい世界を想像させる。しかし飯田博久氏はどういう人間であったのだろうか?
 本書「はしがき」は以下のように述べる。
 「普通の社会生活を営む人間が、一生の内でめったに経験しないことを、次から次へと青年期までに経験してしまった飯田氏の半生は一体、何なのだろうか。
 貧困の中での両親・妹との別離、再会、両親の離婚、母親の再婚、小学校での窃盗容疑、交通事故、会社の解雇、精神病院への強制措置入院、ロボトミーへの恐怖、度重なる電気ショックによる記憶喪失、社会復帰、自宅の全焼、機を一にしての結婚を約束した恋人が犯され失踪、ありうるはずのない場所で追突され入院・・・・・・・自宅の焼け跡にあった『赤い鳥』がいつも話しかける。
 不安と混乱の中で感情は疎外されたまま犯罪はエスカレートしていった。
 豊穣な社会の内部から自噴するさまざまなできごとの一つとして、教育現場の荒廃や精神病院の治療問題が語られて久しい、飯田氏が、一人の教師・医師・上司に出会っていたならこの犯罪はなかったかもしれない。
 自分の教え子を犯人として追及する教師たち、仕事中の交通事故で入院した社員を解雇する経営者と、それに対して何の処置もとれない労働組合、ただ逃亡予防のためにだけ行われる電気ショックやロボトミー、精神病院の異常な日常。昨日まで元気で、病室という名の糞部屋を抜け出そうとしていた者が、耳の側に傷を残して、下手な操り人形のようにしか動けなくなるロボトミー。この脳を切り取る行為は誰に許されることなのか。
 飯田氏は精神病院で記憶を失った。その記憶を取り戻すために日常生活での不安が増大されていった。あの電気ショック療法という安易な医療行為が人間の一生を破壊した。」
 度重なる交通事故や解雇は「悪の巨大組織」によるものであり、そのトップである人物に絶対服従する中で飯田氏は「殺し屋」となっていく。この説明を精神医学は飯田氏の「関係妄想」であると解説するであろう。
 しかし本書を一読すると、私にはこの社会そのものが「悪の組織」として「精神医療」を使い彼を操り、犯罪を犯させたとしか考えられない。これは「関係妄想」なのか? 意図したものでないにしろ差別と強制医療の精神医療体制はまさに「悪の組織」そのものではないか?
 精神医療が彼に与えたものは「医療と保護」などでは一切ない。精神医療は「精神分裂病」とラベリングしただけで少年を社会に放り出し、単に差別をおわせただけで、飯田氏に何の利益ももたらさなかった。それどころか、繰り返し行われた電気ショックは彼の記憶を奪った(もちろん電気ショックの被害者全員が記憶を失うわけではない。私自身電気ショックの被害者だが、記憶障害はない。)精神医療は彼に新たな障害をおわせたのだ。電気ショック以前の記憶を奪われた彼は、当時世間を騒がせ多数の被害者を出した爆弾事件の犯人「草加次郎」であるという疑いまで警察にかけられる。
このデッチ上げは免れたものの彼自身記憶がないため、絶対に自分ではないという確信を持つことはできなかった。自分が何者か分からない。自分が何をしたか分からない、こうした記憶を奪われる体験ほど恐ろしいものがあるだろうか?
 現在電気ショックは世界的に再評価されており、その影響で日本でも電気ショックが再評価されしばしば行われるようになってきている。インフォームド・コンセント(説明と同意)と言っても、かなり一方的な説明がなされるだけで、電気ショックの批判点およびそのもたらす障害についてきちんと説明されていない。例えば日本精神神経学会総会で電気ショックの発表があったとき、その点を追求すると、「一時的記憶障害はあると説明している」とされた。しかし飯田氏の体験を見ても、そして多くの被害者の声を聞いても永続的な記憶障害に苦しむ方は数多い。もちろん「自発的な同意」が入院中の患者に実質的に保障されているとはとうてい考えられない。さらに「精神科救急」とか「急性期治療」と名のる現場では、本人の同意なしに保護者の同意のみで電気ショックが強行されている。こうした本人の同意なしの電気ショックは各学会で堂々と発表されている。
 精神科医たちは言うであろう。「飯田氏の受けた精神医療と今の精神医療とは違う。今は改善された」。
 飯田氏の言う「糞部屋(保護室)」は確かにきれいにはなり名前も精神科集中治療病棟(PICU)となったところもある。しかしその本質はやはり独房である。電気ショックも見かけはけいれんしないように薬を使うようになったかもしれないが、脳に対して行っている効果(浸襲)は同じである。それどころか「本人の同意を得た」という名目のもとに、仮に障害をおってもその責任を患者本人(あるいは保護者)におわせる体制まで精神科医は用意しているのだ。
 一体どういう医療が行われるか、一切問うことなく「精神科救急体制の整備」が叫ばれ、強制移送制度まで導入されている。今精神医療は本当に「悪の組織」の一部ではなくなったのか? 再度私はこう問いかけたい。
 違法行為を行った「精神病」者に対して、その責任を「病状」や本人の「資質」におわせ、その「改善」のために強制医療を行う今の精神医療体制、そしてその精神医療体制をより強化したものとしての保安処分。
 この欺瞞的な主張を根底から問い直すものとして本書の一読をおすすめしたい。
 いずれの本も高価ですから、地域の図書館に入れてもらってお読みいただければ幸いです。
窓口からの報告
☆八月例会報告

参加者 大阪Y、S、愛知N、石川P
 初めての参加者を迎えていろいろな話がなされましたが、全国「精神病」者集団としての方針、決定はありませんでした。担当者不調により、議事録を取っていないので正確な報告ができませんが、記憶にあるものだけ報告すると、
 Nさんから、「精神病」者が違法行為を行っても起訴されなかったり罰せられないときがある。その際にやはり主治医は世間に対してどういう病状でどういう経過で事件となったか説明する義務があるのではないか、そうしたことがなされていないから、「精神病」者全体に対する偏見が強化されている、という提起がなされました。これに対する意見としては、主治医は法的に守秘義務があるのでそうした説明をすべきではない。患者本人のプライバシー侵害である。仮に主治医が説明したとしても「精神病」者に対する偏見をなくすことにはならない。やはり「精神病」者は「危険だ」ということになるだけだ。などの意見が出ました。
 また地域の障害者自立センターに参加していたが、ある知的障害者に対して、その主張は妄想だ、医療が必要だ、処置すべきだ、医者を紹介しろといわれ、嫌になった。そのセンターとは縁を切って、個人としてその知的障害者と付き合うことにした。「妄想」といってもその人の受けたことに対してその人なりに納得できる説明をしているだけである、などの体験も報告されました。
☆一〇月例会は担当者不調のため流会としました。
☆窓口入手資料

※ 精神保健法施行のための専門委員会(医療分野)一、二、三回議事録
※精神保健施行のための専門委員会(医療分野)四回配付資料
 参考人(東京精神医療人権センターコーディネーター小林信子、全国精神保健福祉相談員会会長天野宗和、日本精神神経学会森山公夫、大阪精神医療人権センター山本深雪)意見書、およびその添付資料
※精神保健福祉法施行のための専門委員会(医療分野)第五回配付資料
◎精神科救急や急性期治療に関するものとして以下のものがあります。
※緊急措置入院を精神科救急として位置づける精神科医による論文
※精神科医による現在の急性期医療に対する疑問
※日本病院・地域精神医学会、長岡総会(一九九八年)における電気ショックをめぐる議論
※日本精神神経学会における精神科救急についての議論(身体拘束をめぐり東京精神医療人権センターの小林信子氏と仙波医師との討論)
 いずれもコピー代送料実費でお送りいたします。私書箱までご連絡いただければ送付しますので、送付後同封振替用紙で代金をお振り込み下さい。ただし担当者の体調もありますので、少しお時間を戴きます。
☆例会日程
一二月二五日(土)夕食を食べながら交流
   二六日(日)会議
二月二六日(土)夕食を食べながら交流
  二七日(日)会議
 いずれも場所は京都事務所の予定です。詳しい場所その他はお手紙下さればご連絡いたします。担当者の都合で流会となることもあり、また夕食の準備の都合もありますので、参加なさりたい方はご連絡の上ご参加下さい。よろしくお願いいたします。
年末カンパアピール
 日頃の会員の皆さまおよびニュース購読者の皆さまのご支援に感謝いたします。
 1999年は全国「精神病」者集団結成から4半世紀の年でした。まがりなりにも25年間全国「精神病」者集団を維持し続けてこられたのは会員の仲間の努力、そして支援の皆さまのご協力のたまものと思います。
 しかしながら私たち「精神病」者をめぐる状況はますますその厳しさを増しております。「危険な精神障害者に街を歩いてもらっては困る」「違法行為を行った精神障害者は特別な施設に隔離しろ」こうした保安処分思想が猛威を振るっています。地域精神保健体制という名の下に地域での「精神病」者の暮らしはますます精神医療体制に管理されていこうとしています。そして「社会復帰」や「ノーマライゼーション」の合唱は「違法行為を行った精神障害者」の排除に向けて動いています。
 こうした反保安処分を掲げてきた全国「精神病」者集団の闘いもその正念場を迎えています。反保安処分の声をより広く、より強く上げていく必要があります。
 全国「精神病」者集団の会員は増加の一方であり、地域で孤立した「精神病」者の絆としてのニュース発行はまさに生命の問題と言えます。私たち「精神病」者の大部分は「発病」以来家族と医療関係者以外誰とも口をきかない生活を何年もおくっております。そして手紙や電話などするあてのない、そして誰からも電話も手紙も来ない生活を強いられています。全国「精神病」者集団の手紙や電話は命綱として機能しています。ニュース発行をとぎれさせることはできません。
 全国「精神病」者集団事務局員は専従費が出るどころか、全ての活動費を自弁で活動しております。集会への参加費、交通費、例会への参加交通費、精神病院への面会交通費、獄中支援、全て手弁当で活動しています。個々の経済的逼迫ゆえ、事務局員が例会にも参加できない状態が続き、経済的圧迫と消耗で各事務局員の病状悪化も著しい状態です。
 それでもなお全国「精神病」者集団は財政危機にあります。有料購読者の増加を目指しさまざまな場所での宣伝活動も行っております。経費はこれ以上は不可能というところまで節減しています。全国「精神病」者集団の財政は皆さまからのカンパと「精神病」者以外の方のニュース購読料のみに頼っています。
 現在赤字は約37万円でこれは一会員「精神病」者からの借金でしのいでいます。
 このままではニュース発行もままならない事態となります。今後も助成金申請や有料ニュース購読者の拡大などの自助努力を重ねていく決意でおりますが、なにとぞカンパ要請にお応えいただけますようお願いいたします。
 また今回ニュース購読料請求の用紙の入っている方は、あるいは資料代請求書の入っている方は、ニュース購読料または資料代をお振り込みいただけますようお願いいたします(「精神病」者は原則としてニュース購読料無料ですのでご心配なく)。
 なお経費節減のため領収書はニュース発送時に同封させていただきますのであしからずご了承下さいませ。
1999年12月
  全国「精神病」者集団
振込先 郵便振替口座 00130ー8ー409131
    口座名義   絆社ニュース発行所
現金書留
〒923ー8691 小松郵便局 私書箱28号 絆社ニュース発行所


*作成:桐原 尚之
UP: 20101204 REV:
全文掲載  ◇全国「精神病」者集団 
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