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全国「精神病」者集団ニュース 1984.11


last update:20100626


全国「精神病」者集団ニュース 1984年11月23日

 暖かい陽射しの中でもくもくと歩いていると思わず背中が熱くなる。身体が凍てついてしまっているのだろうか。
 陽のあたらないうす暗い部屋に随分閉じこもっていたからだろうか。時々郵便受けには友人からの手紙やダイレクトメール・電話・ガスなどの領収証がほうりこまれる。
もう三ヶ月も前から友人の手紙すら開封していない。返事を出そうと思っても言葉が出てこない。失語症に陥ったのだろうか。
 世界は私達全てのものだ≠ニ確信していたあの頃の世界は、六畳一間の小さい世界の中に埋れてしまったのだろうか!
 外に出れない。真白なスクリーンのような世界で、今日も人々は音も立てずに黙々と動いている。
 その世界から友人が訪ねてきた。ああ!しかし、彼との間には刑務所の面会室のようなプラスチックの壁があって、私と彼とは別世界に居ることをいやという程思い知らされる。
 体のことや、友人のことや、赤堀さんのことを話そうと思っても言葉にならない。ただ黙ってプラスチックの目の前の友の瞳を見つめる。思わず涙があふれ、こみあげてくる悲しさにおえつする。
 そこぞ夢は途切れる。
 一瞬、寝床から起きあがるがすぐ頭から倒れ込む。起きあがり倒れ込み、またもんどりうって頭を強打する。
寝苦しい真暗な世界がやっと白みはじめ、現実の世界に呼び戻される。
 今、戦争が始まろうとしている。≠ニかすかにつぶやきながら、赤堀さんは、友達は大丈夫か!精神病院の中の仲間は大丈夫か!と叫びにならない怒りがこみあげてくる。
 今こそ私達は叫びを力に、権力に真向から挑戦して、私達への差別抹殺攻撃を粉々に打ち砕こう。「病」状を抱えながらの苦しくつらい斗いですが、各地の皆さんの御協力、御支援を一層よろしくお願いします。
事務局報告
@飯田博久氏から「消すな われらの表現を」が送られてきました。
A救援センター縮刷版 五千円で購入
B「ロボトミー殺人事件」(佐藤友之著、ローレル出版 千円)贈呈さる。
Cダスキン・モップ(掃除道具)を使用することになりました。
D前進友の会(京都)みんなの部屋できる事務局から祝電
E日本収容所列島(亜紀書房刑 千五百円)
 10部原稿料として送られてきました。
(解放歌のメロディーで)
1979、精神「病」者の名のもとに
  無実の罪で囚われて
  獄中生活30年
  どうして殺してなるもので
  生きて奪還赤堀を!
  友よ仲間よ たちあがれ
  赤堀奪還、我らはやるぞ
1980、精神「病」者にかけられた
  保安処分の攻撃を
  粉砕せずに明日はなし
  不屈不倒の斗いに
  「病」者解放 未来かけ
  格子を乗り越え立ち上がれ
  我らの明日を切りひらけ
1981、人間解放旗かかげ
  解放医療を押しすすめ
  差別・偏見なくすまで
  共に生きよう斗おう
  今ひと粒の麦なれと
  やがて「病」者に光ある
  共に生きよう斗おう
  (くりかえす)
ハミング(黒人霊歌)
  つぶせ、つぶせ、ぶっつぶせ
  保安処分をぶっつぶせ!
  ぶっつぶせー、-、-、
  (くり返す)
  うばい返せ、うばい返せ、赤堀さんを
  うばい返せ!
  (くり返す)
  各地の便り
☆ シリウスの蒼きひかりに億の夢
いつもペンフレットや文書類を送って下さってありがとう御座居まする
 すっかり寒くなってきて、夜の○○のお小るころは、すっかりふるえながら自転車を走らせています。久し振りに上方に参りますがMさんとお会いできるのをたのしみにしています。それでは皆様によろしく。
                   (高知 Aさん)
☆岩倉病院患者自治会ニュースNo.108、10月22号から
先の自治会ニュースでとりあげた暴力事件は、実際にあった事を確認した。一病棟では当の主任が同病棟の患者さんの前で謝罪するとのことで、自治会役員も同席することを申し入れ、十月十四日に出席したが同日の先の会合で主任が謝罪したらしく、私の出席した会合では、はっきりした謝罪の言葉はなかった。
再度の謝罪を要求する事を失念していた事は誠に申し分けなく、全患者さんに心よりおわびする。更に一病棟主治医であるA医師に謝罪の提出を求めていたが、ここにその全文を掲載し、全患者さんに謝罪の言葉をお伝えする。
 謝罪文
1、今回岩倉病院患者自治会発行の自治会ニュースに対して、自治会への投書を見せるよう要求したことは、自治会に対する弾圧的行為であったことについて、自らの非を深く認め謝罪します。
2、この間、自らの病と斗いながら精神障害者差別と斗ってこられた岩倉病院患者会の活動に対して、いかなる立場の人と言えども介入することはできません。
まして、精神医療変革の運動を狙うべき医師としての立場にありながら、今回私のとった一連の行動は患者さんに不信と負担を与えました。このことについて心よりおわびします。今後、今回のことを教訓として、更に自ら反省して努力していきたいと思います。
3、なお、今回自治会ニュースで提起された問題について9月18日、一病棟でのスタッフミーティングで真剣に討論され今後二度とないよう全スタッフが確認しました。
 1984年 10月12日 A ?
 この謝罪文でかなめの暴力問題については、「今後二度とない様確認しました」と述べただけで、暴力をどうなくしてゆくのか具体的な声も謝罪もないが、主任も深く反省しているので、今後の努力を待ち看視していかねばならないと思う。勿論、一病棟に限らず、全病棟総ぐるみで反省し、暴力のないよう心してほしい。なお、院長、総婦長から今度のことについて諸々の謝罪があった。以上。
『9・24赤堀さん奪還、
  刑法・保安処分粉砕
       総決起集会』
 9月24日、芝公園福祉会館において、私達『関東「精神病」者有志の会』は、神奈川の「病」者の檄に応え、今をおいて立ち上る日は無いものと考え、総決起集会を催した。
 今回の決起集会は、全国「精神病」者集団赤堀中斗委を始めとする多くの団体、個人からの賛同を得、「病」者自らの手で主催された集会として、関東における「患者」運動の大きな前進への一歩とできるものであり、事実、集会は多くの「障害」者、「病」者、斗う仲間の結集のもと大成功のうちに終った。
 集会は、開会宣言に続き、主催者アイサツが行れ、その中で獄中で不屈の斗いを続けている赤堀さんからの「イツモ支援シテクレテ有リガトウ、ミナサンモ頑張って下サイ」という力強い獄中での弾圧に抗してのアピールが読み上げられた。
 続いて基調報告が行れ、赤堀さんを生きて奪い返し、刑法改悪・保安処分策動を断固粉砕し、宇都宮で行れた「病」者に対するテロ、リンチ、虐殺を絶対に許さず、精神衛生法を解体し、中曽根政権の「障害者」抹殺攻撃を許さず、狭山、三里塚、反戦、反核斗争と連帯し、「病」者解放を斗い取る決意が述べられた。
 更に、名古屋から講演にかけつけて下さった大野さんから、心暖まるエピソードや「病」者が保安処分と斗う現実について述べられ、又、詳細な資料のもと、過去の「病」者に対する攻撃と戦争への道との密接な関連が設られ、私達は現在の刑法改悪・保安処分攻撃策動の真のねらいを改めて確認した。
 次に「病」者と医療従事者が共に実調阻止斗争を斗い、現在病院全体で斗う態勢を作り上げた、上奏野病院の「病」者が堂々と登場し、「病」者の思いをつづった感動的な詩と、保安処分を許さず、赤堀さんを奪い返す決意をたくした歌が意気高くヒロウされた。
 ひき続き、連帯アピールが「病」者集団、赤堀中斗委、宇都宮病院を告発し解体する会、実調全国共斗等から述べられ、解同からの電文も読み上げられた。
 又、宇都宮病院解体斗争を斗う「病」者から、体全体からほとばしるような熱意を現わに斗いへの決意が述べられた。
 最後に、決論文が読み上げられ、今秋、三者共斗のもと刑法・保安処分粉砕斗争、赤堀さんを奪還する斗い、「障害者」解放斗争を全力で斗い抜き、反戦、反核、狭山、三里塚斗争と連帯し、私達「障害者」の解放の日の出を目ざし、斗うことが確認された。
 今回の総決起集会は、社会の偏見、差別、病院での薬づけ、暴力的管理が満エンする。
 「病」者には何一つ計画し、実行する力などはないのだという偏見を事実によってくつがえした点に、最大の意義があったと思う。
             『関東「精神病」者有志の会』会員(S)
吉田おさみ氏追とう!
             島根 Sさんより
 前略、お手紙を今月いただきました。驚きました。あの吉田おさみ氏が逝去なされたとのことO様や回りの皆様の胸中を察し、言葉もありません。本当に惜しい方を亡くされました。
 『「精神障害者」の解放と連帯』という本を書店で9月頃買い、読むのを楽しみにしておりました。新聞や資料などを読むのでせいいっぱいでなかなかページを開くことができませんでした。一生懸命読ませていただきます。
 「狂気からの反撃」もまた買って読みたいです。まだまだこれから大事な仕事をされる方だったと思うと惜しんで余りある思いがします。
 O様、又回りの皆様、悲しく力を落しておられることと思いますが、早く元気になられて、故吉田おさみ様も元気になられるのを天国から願っておられると思います。
 空の上からきっと見守っていて下さることと思います。O様、御多忙で大事な体なので、心労、疲労、重なり、倒れられないように案じております。くれぐれも御自愛なさって下さいませ。
拘禁二法案国会再上程阻止!
緊急抗議を集中しよう!
 東京都千代田区霞ヶ関
   1の1の1法務省内
 法務大臣 島崎 均 殿
 獄中者の人権を圧殺し、弁護士との接見交通権を妨害する拘禁二法案国会再上程を断念するよう要請する。
        全国「精神病」者集団
84、11、20 朝日
拘禁二法案
次期国会に再提出方針
法務省
 法務省は十九日、監獄法を全面改正する拘禁二法案(刑事施設法案、留置施設法案)をめぐる日本弁護士連合会(石井成一会長)との意見交換会で「これまでの話し合いで論点は出尽くした」として、昨年二月以来純いた意見交換会を打ち切ることを通告した。法務省はこれまでの意見交換会の論議も踏まえて拘禁二法案を手直しし、次期通常国会に再提出する考えだ。
 これに対し日弁連は「法務省が次期通常国会への再提出にこだわり、日弁連との論議を十分に尽くしていないのは遺憾だ」とする石井会長談話を発表、二法案の国会提出阻止に向けて反対運動を強める方針を決めた。
 監獄法の改正をめぐっては、五十七年四月、法務省が刑事施設法案、警察庁が留置施設法案をそれぞれ国会に提出したが、実調調整に入らないまま昨年十一月の衆院解散で廃案となっていた。法務省と日弁連との意見交換会では。日弁連が十年以内に代用監獄を全廃することを萠子とした対案を発表したのに対し、法務省は、効率的に捜査を進めるために代用監獄措置は必要、との考え方を示していた。
赤堀氏奪還に向けて
☆ 赤堀さんは仙台拘置支所の不当な獄中弾圧、そして赤堀さんと私達の絆である文通、面会の制限、面会禁止の乱発と裁判が検察官の再審棄却策動と一体となった強まりのなかで、極めて苦しい状況におかれています。
 「冬は寒く、冷たい雨が降るのです。つらい冬がやってきます。みなさんも体には気をつけてガンバッテ下さい」と31年度の冬をむかえています。
 仙台拘置支所の暴力的な支援者との分断、面会禁止攻撃のなかで、いつも赤堀さんが楽しみにしているのが年賀状です。
皆さん、昨年を数倍上回る年賀状は、自分はもちろん、友人、仲間に呼びかけて年賀状を多く出しましょう。
年賀状のあて先
仙台市古城二の二の一
 無実の「死刑囚」
   赤 堀 政 夫 様
11月12日 朝日
島田事件支援決起集会開く
県内外の四百人参加
 島田事件の赤堀政夫・元被告(五四)=仙台拘置支所在監、再審請求中=を支援する赤堀中央闘争委員会(大野萠子委員長)は十一日、静岡市の常磐公園で「11・11赤堀さんを生きて奪い返そう全国決起集会」を開き、県内外から約四百人が参加した。今年三月から、同拘置支所で、死刑囚への新規面会禁止措置がとられたことへの抗議など六項目を決議した。
☆ 裁判の動き
〈第一回公判〉
 当時、静岡民報記者、石沢岩吉氏が「遺体発見の当日に現場で石をみた。警察署でもそれが凶器だと聞いた」と証言。
凶器とされた「石」は、赤堀氏の「自白」にもとづいて「発見」され、「犯人のみしか知りえない秘密の暴露」(77年3・11静岡地裁の再審棄却決定)とされてきた。石沢証言は、この「石」が警察によってねつ造された「物証」であることを明らかにした。
〈第二・三回公判〉
 石沢証言を否定しようと当時島田署巡査・北条節次・同山田正義がウソの証言。
 「自供前は凶器は石と想定していなかった。目供の翌日現場で発見した。」(北条)「事件当時の現場検証では石の存在に交づかず、押収した事実はない」(山田)
〈第四回公判〉
 東工大教授、平沢弥一朗氏が、大井川堤防に残された犯人のものとされた足跡鑑定で「足跡は赤堀氏のものではない」と証言。
〈第五・六・七回公判〉
 検察側証人として、当時国家地方警察本部鑑識課技官・鈴木宗夫が出廷。「死体の胸の傷は生前にできた」と30年前の自分が作成した鑑定をひるがえす「自白」を支持する証言。
〈第八回公判〉
 西丸与一氏が「石から血液・体液は検出されなかった」と証言。「石」が凶器でないことを明らかにした。裁判所は西丸鑑定が「石」の変色部分を対象にしていることから、それ以外の部分についての補充鑑定も要求。
再度の尋問を行うことを決定。
 この経過の中でとりわけ重大なことは、検察側が鈴木宗夫鑑定人をかつぎだし、30年前の鑑定を自ら否定させたことである。そもそも鈴木鑑定では「@犯行順序は拒殺→陰部加傷→胸部加傷胸の傷は死後に出来た。A「胸の傷の凶器は不明」となっていた。ところが「自白」では「姦法→石による胸部強打→施殺」となっているのだ。
 このくい違いをつめるために、当時一審静岡地裁は結審後に異例の鑑定を常に警察側に立ち、でたらめな鑑定を行ってきた古畑種重に命じ、「自白」を支持する古畑鑑定を有力な証拠に死刑判決を下していった。
 83年5月23日東京高裁は静岡地裁の棄却決定を「審理不尽」として静岡地裁に差し戻しを決定した。5・22決定は「骨膜の表面にも異常が認められなかった」というのであるから、外方の程度は極めて弱かったというべきであり、石で2・3回あるいは数回も力一杯殴りつけたとする請求人の自白は、この点からも性分に疑念がある」と犯行順序のみならず、成傷用器についても古畑鑑定の全面朋案を認めた。
 これらの裁判の全過程において鈴木鑑定は
@死体を直接鑑定した唯一の鑑定であること
A警察によるものとはいえ、死体発見直後の未だ犯人が不明であり、赤堀氏に対する警察のデッチ上げが策動される以前のものであることから、相対的に閉鎖性の高い鑑定として死体鑑定における原点的な位置をもってきた。
検察側は、この鈴木鑑定を「当時はまだまだ未熟で、やるべき措置をとらずに鑑定書を出した」などと鈴木自身に否定させ、古畑鑑定の確実、赤堀犯人説の護持を必死に追求している。
 このような検察側の策動を怒りをもって徹底弾劾し、5・23差し戻し決定をもって赤堀差別裁判糾弾斗争の解体を策す権力と真向から対決して、署名・学習会・情宣のより強化をはかり、再審開始、赤堀氏奪還、「障害者」解放へ向けて全力をあげて斗いぬこう。
中日
静岡で赤堀元被告
支援の総決起集会
          島田事件
 三十年前に島田市で幼女が殺害された「島田事件」の犯人として死刑判決を受けた赤堀政夫・元被告を支援する「11・11赤堀さんを生きて奪い返そう全国総決起集会」が十一日、静岡市の常磐公園で開かれた。
 島田事件はこれまで四次にわたる再審請求が行われた。
五十二年三月に出た静岡地裁の第四次再審棄却判決は、昨年、五月、東京高裁で差し戻し決定を受け、現在、静岡地裁で審理中。一方、宮城刑務所に収監されている赤堀・元被告は、最近、体力的、精神的に消耗、不屈などに悩まされているという。
 集会を主催した赤堀中央闘争委員会(大野萠子代表)は全国障害者解放運動連絡会議を中心に十六団体で構成する組織。この日は全国から四百人余りが参加▽宮城刑務所の面会禁止反対▽再審棄却阻止▽刑法改悪阻止、保安処分新設国会上程阻止―などを決起し、静岡市の中心部をデモ行進した。


*再録:桐原 尚之
UP: 20100626 REV:
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