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全国「精神病」者集団ニュース 1983号外


last update:20100626

全国「精神病」者集団ニュース 1983年号外

鈴木君虐殺糾弾!国賠訴訟勝利す!
 一九七六年二月十六日 斗う「精神障害者」であり、寄せば解放を斗いぬいていた鈴木国男君は、権力ー大阪拘置所の徹底した「精神障害者」差別によって「保護房」の中で虐殺された。私たちは、この国家権力のかつてない獄中での「精神障害者」の虐殺というすさまじい攻撃に対して、虐殺した国ー大阪拘置所、検事田中、看守、医師臼井を実力糾弾し、国賠訴訟の中で徹底的に、追求してゆく斗いと同時に、鈴木君虐殺を許してしまった。斗いの弱さ、鈴木君を死へと追いやってしまった斗いの点検と総括を深め、第2、第3の鈴木君を出さない!という斗いを大きな軸に斗いぬいてきました。
 5月20日、4年余りにわたる国賠斗争に、私たちは勝利しました。
 第一に、何よりも原告であるお母さんが、権力の「死んだものはおがんでおればよいのだ」「過激派と一緒にやれば殺される」というどうかつと弾圧、いやがらせをはねのけ、敢然と提訴に踏みきる決断をし、先頭で斗いぬかれてきたことにある。
 第二に、全国「精神病」者集団を軸に、鈴木実行委に結集する「精神障害者」、友人精神科医、労働者の団結した力と斗い、「精神障害者」差別による虐殺を許さないという怒りの決起によって勝利したのである。
 第三に、なによりもこの鈴木君虐殺が、獄中弾圧の極限的な攻撃という側面だけでなく、国家権力による徹底した「精神障害者」差別による目的意識的虐殺であることを鮮明にさせ、徹底した「精神障害者」差別による虐殺糾弾斗争として斗いぬいたことに決定的な意義と勝利性があることを、しっかりと確認してゆきたい。
 国賠斗争においては、虐殺直後に証拠保全をかちとり、権力の虐殺の記録を全面的に暴露しきい、逮捕されてから虐殺に至る過程を事実に即して、明らかにし、大阪拘置所、所長、検事田中、看守、精神科医臼井の虐殺の責任を徹底的に追求と斗いました。
(1) 訴訟の中では、虐殺の全過程を暴露しきい、権力の非人間性「精神障害者」差別を糾弾し、事実認定において全面的に裁判所に認めさせた。
(2) そして、権力がデッチあげた「急性致死性緊張病」なるものを粉砕。食べれず、眠れず、衰弱し、厳寒の中で、自己防衛機能もなくしていた鈴木君を「凍死」という最も残虐な形で殺していった事実をも認めさせた。
(3) 国側 最終準備書面における保安処分・拘禁二法のむき出しの攻撃の中で「重態の精神障害者」を「専門の医療機関に転送し治療を受けさせるべき」との判決を勝ちとり、同時に獄中医療とその体制のデタラメさを明らかにし、精神科医臼井のとった措置のあやまりと、「専門の医療機関に移す」ことをしなかった責任を認めさせた。
(4) 大阪拘置所長、看守、医師臼井の公権力の行使者の責任を明確にし、国に賠償を命じたものである。
(5) そして鈴木君、母親に責任があるから「過失を相殺すべきである」という国側の主張についてもこれを粉砕した。
 私たちは、ひのように、保安処分、拘禁二法攻撃の中で「精神障害者を拘置中の国の責任」を明確にし、獄中医療のデタラメさ、非人間性を明らかにし、国に賠償を命じるという重代な勝利判決をかちとったということを、まず、断固として確認しよう。
判決文の問題点
 その上で、判決文の問題点、差別的内容についてしっかりと批判し、切迫する刑法改悪―保安処分新設、拘禁二法攻撃と斗いぬくための内容を深化させてゆかなければならない。
(1) まず、病状が悪化していた鈴木君を、それを承知の上で勾留延長をした検事田中の責任について一切ふれていないこと。
(2) 重態の「精神障害者」は「専門の医療機関で治療すべき」とした上で、なおかつ「被擬事実の重大性等諸般の事情により、専門の医療機関に転送できない場合、拘禁を継続するのがやむをえない場合・・・臨機適切な治療を受けさせるよう格別の配慮をすべき」と、拘禁下での強制医療を規定した監獄法改悪に道を開いていることは断じて許せない。「精神障害者」の拘禁の継続と強制医療については、絶対に反対であることを、あらためて明らかにしてゆかなければならない。
(3) 逸失利益について、鈴木君は「精神病」であり通常人と同じ働きができないから就労可能日数を通常人より短かく計算するという点についても、働らくところもなく職場から排除され、病気との苦悩を通して必死に生きぬいている現状をみない。差別的内容であることをみておかなければならない。
(4) 国側の過失相殺の主張をしりぞけた判断の中で、「その死亡が客観的には、自己の招いたものである面のあることを否定しえないけれども・・・」とのべ権力による虐殺に免罪符を与え、鈴木君個人の責任で、あるかのように言っている点については、断じて認めるわけにはいかない。
 以上、私たちは、大阪拘置所所長、看守、精神科臼井の責任を認めさせ、国に賠償をやらせるという。重大な勝利判決を勝とったことを大胆に確認すると同時に、判決の問題点、差別的内容の批判も含めてより多くの人々に、この事実を明らかにし、保安処分、拘禁二法攻撃等、「精神障害者」差別、抹殺の攻撃と全力をあげて斗いぬいてゆこう。
斗いはこれからだ!
 今回の鈴木国賠斗争における。重大な勝利判決を徹底的に明らかにしたうえで、勝利判決はあくまでも斗いの一つのふし目であり、本当の斗いはこれからだということについてもはっきりと確認しなければならない。
そして2・1事件以前と、2・1事件から、2・16鈴木君虐殺にいたる斗いの総括が、いま一歩深化されなければならない。
特に、@斗う内部からの排除・追放の問題
   A運動内部における医師・患者関係
   B虐殺を許してしまった当時の運動の問題と精神医療そのものについてのとらえかえし。
   C「精神障害者」の獄中からの奪還救援
 以上を大きな軸にすえ、第二、第三の鈴木君を出さない斗いを、あくまで「精神障害者」解放の立場に立ち切ったところから、より総括をふかめ、斗いの強化をなしとげていかなければなりません。鈴木君虐殺糾弾!「「精神障害者」解放にむけて共に、鈴木君の無念に対する復讐の斗いを全力をあげて斗いぬこう!
5月21日 朝日
未決囚の死 国が賠償を
母親に2000万支払え
拘置所の医療に不備
拘置所の医療に不備

 大阪拘置所内で、精神障害を起こした未決囚が死亡したことをめぐり、その母親が「死因は拘置所側が適切な医療措置をとらなかったから」と国を相手どって四千二百三十四万余円の損害賠償を求めていた訴訟の判決が二十日、大阪地裁民事三部であった。芦根住夫裁判長は、母親側の主張をほぼ全面的に認め「この男性の死亡は、拘置所長、看守、それに拘置所の非常勤医らの過失に基づく医療体制の不信が原因」としたうえ、逸失利益などを請求額より低く算定したものの、国に二千六十五万余円を支払うよう命じた。拘置所の医療責任を問われた訴訟はこれまでに四件あるが、認められたのはこれが初めて、という。
訴えていたのは、広島県呉市朝目町、清掃従業員鈴木花子さん(六一)。
 判決によると、鈴木さんの次男、国男さん(当時三三)は、ゴルフ練習場で得意ながら大阪市西成区のあいりん島区(釜々崎一量)で、精神障害者の解放運動をしていたが、五十一年二月一日、友人にバットや包丁で重傷を負わせ、殺人未遂容疑で逮捕された。
 同三日から大阪拘置所に拘置されたが、暴れるなどしたため保護房に収容された。以来、衣服を脱ぎ捨てたうえ、房内で大声を上げたり、とびらをたたいたりの興奮状態が続き、ほとんど眠らないだけでなく、食事もとらなかった。同十三日に、非常勤精神科医が診断し「精神分裂病の疑いがある」と、看守に三日間の向精神薬の注射と投薬を指示した。しかし、国男さんは、十六日未明に死んだ。
 鈴木さん側は「国男さん精神障害を起こしていたものの死因は凍死であり、拘置所の非常勤医師、看守、拘置所長らが、それぞれ国男さんを精神病院に入院させるなど適切な措置をとらなかった」と過失責任を追及した。
 これに対し、国側は「死因は、精神障害が極度に悪化した時に起こる急性致死性緊張病。
また効果的な治療法はないといわれ、専門病院に入院させていても救えたかどうかわからない。まして、医学知識がない看守や拘置所長に、国男さんが死ぬかもしれないとの危険を予知することはできず、過失はなかった」と反論していた。
 原告弁護団は「拘置所の医療体制の不備がこれほど明確に指摘されたのは画期的。同時に、刑事施設内での精神障害者の処遇をめぐる判例として、保安処分や、国会で審議中のいわゆる拘禁二法案の論議に一貫を投じるのは間違いない」と、判決の意義を強調している。
赤堀さんの奪還必ず勝ちとるぞ!
=5・24第四次再審請求即時抗告審、静岡地裁へ差し戻し決定する!=
赤堀差別裁判5/24差し戻し決定に対する
 声 明
 5月24日、東京高裁は、第四次再審棄却を行なった静岡地裁に疑義があるとし、それを取り消し、差し戻しを決定した。
 この決定書を手にした。赤堀さんは感涙と嗚咽の中で、最後まで通読できなかったと聞く。
 私たちはこれを、胸ゆさぶられる想いで聞き、同じように涙の中に、一条の光を見た。
 この決定は、「精神障害者」差別され、死の渕に30日たたされた赤堀さんの血の叫びがようやく、厚い壁をつき破り、再審開始にむけて第一歩を刻んだものと認識し、私たちはこれを評価する。
 こうした局面を今日勝ちとった力は、赤堀さんの不屈の斗いを中心に「精神障害者」差別を許さない人々の決起と高い人権意識に支えられ再審にむけたゆまぬ努力をつみ重ねてきた多くの人々の斗い成果であると考える。
 決定書の内容は、デッチあげ自白の崩壊、唯一の物証「石」の発見経過への疑問と「石」=凶器説の否定など、刑事裁判の根幹をなす様々な争点がツチあげの虚構の上にたつことを示唆し、一層赤堀さんの無実を明らかにしたものである。であるがゆえに新規性、明白性など再審開始要件は充分に満たされているものと判断されるべきであろう。それをいたずらに延し、再審開始決定を、回避した今回の決定は、赤堀さんに過酷な長期拘禁を強いるものであり、私たちは不当として抗議を表明する。そして、今回の決定で私たちが激怒するのは、拷問と誘導でデッチあげた強制自白「赤堀の性格と知能程度を考えると誘導されやすく、捜査官の想定した状況に迎合する自白をした」と、精神鑑定を口実とした詭弁で逃げきる差別的展開を示した点である。私たちは一切の差別を否定し、真実を追求する立場でこれを容認しえない。
 今後は、差し戻しの静岡地裁の審理にきびしい監視を行ない、高裁の決定の内容を遵守させ、すみやかに再審開始決定を下すよう強く迫ることを明らかにしたい。
 加えて、私たちは、獄中の赤堀さんの身体保全を目的とした処遇、医療の改善を仙台拘置所にむけて、追求するとともに、赤堀さんを差別なく迎えられる社会の構築をめざし、さらに斗いを拡大推進してゆくものとする。
                      一九八三年五月二四日
各地からのゲキデン!
◎「アカホリサイシンケツテイオメデトウゴザイマス。
スベテ0サンノオカゲデス。ウレシクテナリマセン」
サクラバ
◎「サシモドシオメデトウ、サイシンムザイマデガンバロウ」
ハチオウジタタカウカイ
◎「サシモドシケッテイオメデトウゴザイマス、トモニサイシンカイシマデガンバリマショウ」ナラアカボリ
◎「トウキョウコウサイノサシモドシケッテイバンザイ、フクツノアカボリサンバンザイ、ナニガナンデモサイシンカイシカチトロウ」カントウ・カンサイ・ヒロシマシヨウカイイ。
その他多くのおはがき、お手紙をいただきました。
1984、5、25、朝日
島田事件差し戻し
「再審必ず勝ちとる」
赤堀 喜びの涙とともに
 「島田事件」の赤堀政夫(五四)に、再審の道が開けた。東京高裁が破棄差し戻しの決定を下した二十四日は、くしくも赤堀が二十九年前、二十五歳のときに別件の窃盗容疑で逮捕された日だった。この日午後、仙台拘置支所で支援者と面会した赤堀は、喜びに涙を流しながらも「手放しで喜べない。必ず再審を勝ちとる」とキッパリ。弁護団、支援グループも、この日の決定で「再審まであと一歩」と活気づいた。
 午後二時すぎ、仙台市上杉六丁目、元代議士西宮弘さん(七〇)と同市元条期、「仙台赤堀さんと共に闘う会」事務局員の東北大生石田雅之さん(二二)ら支援者二人が、仙台市古城の仙台拘置支所にかけつけ、赤堀に面会した。
 赤堀は、正午すぎに刑務官から決定書の写しを手渡され、すでに内容は知っていた。赤いボロシャツにトレパン姿の服装で面会室に現れた赤堀は、最初、泣いて塲が出来なかった。付き添いの刑務官に促されてやっと話し始め、「また棄却かと思ったら、棄却決定が間違いという自分の主張が認められていた。
本当にこんなにうれしいことはありません。みんなに感謝しています。これからは、第二、第三の赤堀が出ないようにしたい」と笑顔をみせ、「私は無実。自白が客観確証と合わないのは当然だ。必ず再審を勝ちとる」と話した。
お兄さんのよろこびの声
「大きな一歩」に喜び
1983、5、25 朝日
「トンネル抜けた」
兄の一雄さん 支援の人々にも涙
島田事件差し戻し
 再審に、確実で大きな一歩ー二十九年前に島田市で起きた幼女暴行・殺人事件の犯人として死刑が確定した赤堀政夫(五四)が再審開始を求めている「島田事件」の、第四次再審請求即時抗告審で、東京高裁は二十四日、死刑判決の決め手となった自白に大きな疑問を投げかけ、静岡地裁に審理のやり直しを命じた。弟の無実を信じてアリバイ立証に檄走した兄、仙台拘置支所の赤堀に何度も手紙を出して励ましてきた支援グループ・・・。一審の死刑判決から四半世紀も経てのこの日の決定に、関係者は手を取り合って泣き、そして叫んだ。静岡地裁での審理は秋ごろから始まると見られているが、「一日も早く再審開始決定を勝ち取りたい」と、弁護団・支援者らは力強く語っている。
 「本当に長かった。苦労したけど、ようやくトンネルを抜けたような気がします」。赤堀の兄、一雄さん(五三)は、やや顔を赤らめ、喜びをかみしめるようにうなずいた。
 この日、勤めを休んでいた一雄さんは「地裁差し戻し決定」の知らせを聞いて、長年島田事件にかかわってきた島対協事務局長、同市横井三丁目の森涼さん(七一)方に駆けつけた。
 「うれしい。その一言です」。
森さんの手をがっちりと握る一雄さんの目にキラリと光るものが浮かぶ。「これまで三回も再審を退げられ、またか、という気持ちだった。だから今度こそ正しい裁判を受けさせてほしい」。一雄さんは、すでに真っ白になった髪を時々なで上げながら、とつとつと語った。
 一雄さんにとって、弟の逮捕は全く突然だった。世間のだれもが、久子ちゃん殺しの犯人を弟だ、と決めつけた。しかし、一雄さんには信じられなかった。「弟にあんなことはできない。あまりにも人が良すぎる」「弟は無実だ」。一雄さんの孤立無援ともいえる闘いが始まった。同市内のパルプ工場に勤める一雄さんの勤務は三交代。
その厳しい労働のなかで、休みのほとんどをつぶしての酷資の日々が続いた。弟が歩いたという東海沿いを。弟のアリバイを求め、何度となく歩いた。
「どこへ行っても、後ろ指さされる、いやな時代」だった。だが、弟の言葉を、兄は信じた。
 二十九年九月、ついに一雄さんの■■(読み取れず)が実った。弟が鉄格子の向こうから送り続けた封筒をもとに、久子ちゃんの遺体発見前日の三月十二日の夜、弟が取調べを受けていた神奈川県内の警察署を見つけた。弟の無実を証明する有力な証拠に、一雄さんの確信は深まった。
 しかし、一雄さんの執念も裁判所には通じなかった。一審死刑。「裁判所も信用できないのか・・・・」。一雄さんは深い絶望にも似た気持ちに襲われた。高裁、最高裁、そして、三度の再審。すべてが一雄さんの期待を裏切るものだった。
 無理がたたり、心臓を悪くした。しかし、一雄さんはあきらめなかった。面会で会う弟は必ず「やっていない」という。「弟は絶対私にウソはいわない」。
その確信が一雄さんを支えた。
 一雄さんは来月、三十数年にわたり勤めた会社を定年退職する。「女房や友達といっしょに。来月は仙台まで弟に会いに行こうと話していたところです」。逮捕が突然であったように、この日の決定も突然だった。
  一雄、甥のことはおれたちに任せろよ、と(弟)言ってきた。とにかく、がんばったな、といってやりたい」。一雄さんの三十年近くに及ぶ執念に、ようやく裁判所が実のあるこたえを示した。「とにかくよかった。でも、またこれからも長いぞ」。赤堀さんの無実に一雄さんはまたうなずいた。
今こそ読もう!!
大阪拘置所による
  鈴木君虐殺糾弾
    国賠訴訟の全記録

虐殺糾弾!
原価900円(〒240円)
裁判記録は、鈴木君虐殺にいたる経過、凍死を確定した司法鑑定の内容、凍死を致死性緊張病といいくるめようとする国側証言、反治療性を暴きだした原告側証言、凍死の現場=保護房の検証等をすべて明らかにしたものである。実態的保安処分としての障害者抹殺攻撃を粉砕する闘いをすすめるために必読の記録。
申込先
大阪府高槻市奈佐原701ー4
光愛病院医局渡辺哲雄方
赤堀中闘委発行!!
赤堀さんは無実だ!(第一号)一〇〇円 送料別
赤堀さんと保安処分(第二号)二〇〇円 送料別
申込先
仙台市小田原二の二の四三
 佐幸ビル403号
赤堀中央闘争委員会教宣部気付
5・24 差し戻し決定 直後の
赤堀政夫さんからの手紙
 大野モエ子サマ ナカマノ人タチニハ ヨイオシラセゥシマス。吉報デス
東京高等サイバン所カラ私アテニ サイバンモンダイノコトゥ ツキマシテ
マエノシラベガマチガッテイルカラ アタラシクゥ 正シイヂョウシラベゥ チャントゥ スルヨウニ 地方サイバン所ノ方ニ サシモドゥ コトゥニナリマシタノデス。サシモドゥシニナリマシタノデス。ウレシイデス。ヨロゥコンデイマス。ゲンハンケツゥハ トリケスメイレイガ デタノデス。ケッテイショルイハ スグニ仙台共ニ斗カウ会ノ Aクンアテニ 宅下ゲヲシタノデス オシラセゥ コピーニトリマシタラバ ケッテイ書ハ 大野サンノトコロゥニハジメ 各地ニオクゥレルノデス。タノシミニマツテイ下サイ。マサオゥヨロコンデイマス。
 大ツカ弁ゴ士サンガ メンカイニキテクレマシタ。オシラセゥシマス。5月23日メンカイニ キテクレタノデス。オシラセゥシマス 吉報シマス。サイシンケツティノ ツウチガ 今年中カ ライ年ニハデマス。ライ年中ニハ マチガイハナクゥテ アカホリマサオハ 無罪ハンケツゥガ 言度サレルノデス。ムザイニゥナレルノデス。
 大ノゥサンハジメ カゾクゥノ人タチャ シエンゥシテクレル人タチニハ シャバノ 外トウニ 出マシマテ マサオハ ハレテ ハレテ 出所ガデキルノデス タノシミニ シテイマス。オシラセウシマス。
 島田事件サイバンガ 高才カラ地才ヘ サシモドゥニナリマシタ。アタラシクゥ シラベゥ スルコトウニ ナリマシタノデス。ヨカッタデス。ヨロコンデ イマス。大ノゥサンノ ウチヘ マサオハ タズネテイキマス。イツゥシヨウニ 母子仲ヨクゥ タスケアッテ 住ミマショウ。アエル日ヲ タノシミニ マッテイマス。オシラセゥシマス。ガンバリマス。政夫カラデス
 大野モエ子オカアサマヘ。ビヨウ者会ノミナサマヘ。Tサマ。Iサマヘ。カイゴゥスルミナサマヘ。ミナサンハ カラダノォ 大切ニシテ下サイ。ビョウキハ シナイヨウニ ゲンキデ カンバッテ生キテ イキナサイ。タスケアッテ 生キテイキマショウ。オオエンゥシテ下サイ。
 ムジツノ死刑囚デス 赤堀政夫 54才デス。
5/25 朝日
島田事件差し戻し
「再審必ず勝ちとる」
赤堀 喜びの涙とともに
 「島田事件」の赤堀政夫(五四)に、再審の道が開けた。東京高裁が破棄差し戻しの決定を下した二十四日は、くしくも赤堀が二十九年前、二十五歳のときに別件の窃盗容疑で逮捕された日だった。この日午後、仙台拘置支所で支援者と面会した赤堀は、喜びに涙を流しながらも「手渡しで喜べない。必ず再審を勝ちとる」とキッパリ。弁護団、支援グループも、この日の決定で「再審まであと一歩」と活気づいた。
 午後5児すぎ、仙台市上杉六丁目、元代議士西宮弘さん(七〇)と岡山元医師、「仙台赤堀さんと共に闘う会」事務局員の東北大生石田雅之さん(二二)、支援者二人が、仙台市古城の仙台拘置支所にかけつけ、赤堀に面会した。
 赤堀は、正午すぎに刑務官から決定書の写しを手渡され、すでに内容は知っていた。赤いボロシャツにトレパン姿の軽装で面会室に現れた赤堀は、軽率、泣いて話が出来なかった。付き添いの刑務官に促されてやっと話し始め、「また棄却かと思ったら、棄却決定が間違いという自分の主張が認められていた。本当にこんなうれしいことはありません。みんなに感謝しています。これからは、第二、第三の赤堀が出ないようにしたい」と笑顔をみせ、「私は無実。自白が客観社会と合わないのは当然だ。必ず再審を勝ちとる」と話した。
《お母さんの喜びのことば》
息子の面影しのび感慨
 「息子がうれしそうに天をかけ昇っていく様子が見えるようです」。原告の鈴木花子さん(六七)は大阪地裁で記者会見し、息子の面影を思い起こしながら、勝訴の喜びを語った。
 花子さんは、国男さんが小学校一年のとき、夫を失い、女手ひとつで四人の子どもを育てた。国男さんも中学校卒業後、造船所で働きながら定時制高校に通い、広島大学政経学部に進んだ。同大学卒業後、東京・山谷や大阪・釜々崎で底辺労働者や精神障害者の解放運動に関心をもち、参加していった。
五十一年二月十六日、花子さんは国男さんに面会のため、着替えや食べ物を持って大阪拘置所を訪ねた。ところが、応対に出た所長はこういった。「けさ、お亡くなりになりました」。
国男さんは身長一七六a、体重八五`。造船所時代柔道をしていたほど。「全く信じられなかった。殺されたんでは、と直感した」という。無念を晴らすため、訴訟に踏み切った。
 この日の勝訴判決に花子さんは「あの子が大学に合格し、跳び上がって喜んでいた時の姿が目に浮かびます。夢のようで本当にうれしい。息子のようなことが二度と起こらないよう祈ります」と言葉を詰まらせた。


*作成:桐原 尚之
UP: 20100626 REV:
全文掲載  ◇全国「精神病」者集団 
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