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全国「精神病」者集団ニュース 1980.11(2)



全国「精神病」者集団ニュース  1980.11

皆さんお元気でしょうか。赤堀さん、お元気ですか。
 秋から冬へと冷たい風にのって散りゆく枯葉が冬のおとずれを感じさせ、町ゆく人々の後姿にも冬の気配を感じさせる季節になりました。
 今回の連絡会議は十一月二三日、東大の赤レンガで行われました。十一月二日の赤堀氏奪還全国集会の後、東京のSさんの呼びかけで赤レンガにあつまり、関東の仲間の連絡を緊密にしてゆくこと、又、保安処分新設→刑法改悪攻撃の中で関東の仲間が団結して闘いぬくためにはどうしたらよいのかなど激烈な討論がかわされました。この会議をひきつぎ今回は、東京の仲間を中心に連絡会議が行われました。
 様々な活動や個人の活動があるなかで、仲間どうしのつながりやどう患者会をつくってゆくのか、又、何を基軸にして会活動を展開してゆくのか、七〇年代初めから様々な苦しい「精神障害者」解放の闘いを担いぬいてきた関東の仲間と共に私達は全国の連絡網のセンターとしての役割を十分になえるようにがんばりぬいてゆきたいと思います。
 赤堀さんを生きて奪い返すために!私達に対する差別と偏見を打ち破り自らの解放をこの手で握りしめるために!八一年にむけて力強い一歩一歩を踏みだしてゆこうではありませんか 
 
地域活動報告
<会議参加者>

□ 東京(Sさん)
反差別・「病者」解放、反権力を基軸に活動をやり始めた。今やりたいことは東京にリブセンター的なものを作ってゆきたいと思っている。
 地域で「病者」「障害者」があたり前に一人の人間として生きて生けるセンター的なものが今ないのでその必要性を感じている。そのために又、地域に根ざした「病者」「障害者」への「健常者」の日常的支援を要請してゆくことが必要だと思うし、そのための運動体としてセンターをつくってゆきたい。最初は情報センターのようなものから出発していってもよいと思う。
□ 神奈川(Мさん)
関東赤堀さんと共に闘う会で
活動している。
関東にはまとまった患者会がない。保安処分の問題がでてきている時一人一人ばらばらになっているのは非常に危険だと思う。
「病者」同士の横の連絡をつくってゆくためにもこれを機会にして関東、神奈川の交流をはかりたい。
とにかく一人でいるのは危険なので、地域でなんとかして日常的な介護体制をつくってゆく必要があると思う。
□ 千葉(Iさん)
 地域での交流が非常に必要だと思う。障害者の会、仲良くやっていく地域のボランティアがあるけれども、保安処分などがでてきているなかで一定の政治性をもったセンターが必要だと思う。
どこからがノーマルでどこからがアブノーマルかわからなくなって混乱することがあるが、信頼している健常者が近くにいることが必要だと思う。
□(Iさん)
 Sさんと五〜六年前からのつきあいで、日曜日によくでかけてゆき、集会や講演をききにゆきます。
 最初にでかけはじめるその前はずっと家に一人でとじこもっていた。
 時々刑事が家にきたり、街をあるいていても職質問される時がある。
(ここで皆んなからそんな時の緊急の連絡、防衛体制などが討論される。又、病気の問題や会のあり方、孤立している人の介護、支援などが討論されました。)
□ 0の会(愛知)
 最近0の会三人が入院しました。孤立して0の会に出入りできない人が入院していることを考えると、この日常的なつくあいのない孤立している人をどう支えてゆくのか考えていかなければならないと思います。
 現在の会員は七〇名近くおり、政治色はあまりだしていませんが活動としては、
十一月十六日 赤堀さんのビラまきを金山橋でやりました。0の会五名、ワッパから六名、全電通から四名、医者一名、支援者一名でやり、カンパ、署名、東京高裁への再審を開始せよというハガキを出してもらいました。
十一月 九日 0の会ミカン狩り
十一月二二日 百人委員会主催の刑法―保安処分反対の全国集会に代表が参加、アピールしました。
十一月二三日 反弾圧集会(名古屋)愛知救援センター主催に参加しました。
       0の会をつくり、皆でみれるようにし、活動は地域の交流が主体でゆるやかな運動を目指しています。今年中にもう一回赤堀さんのことを訴えるビラまきをやり、十一月二九日の日弁連主催のシンポジウム反対にむけて名古屋弁護士会にビラいれをやり、百人委員会の活動を弁護士会にオルグしてゆきたい。
十一月十六日 監獄法―刑法集会に参加(東京)
□ 虹の会(大坂)
 今年の九月で結成二周年をむかえ、会の活動も徐々に軌道にのってきました。
 最初からの課題である仲間どうしの支えあいを中心に赤堀闘争、鈴木君虐殺糾弾闘争も
たたかってきた。
 大阪にはいろいろな患者会がありますが、再度横のつながりを追求してゆくと同時に大
阪の患者運動の中心的役割をになってゆきたい。例会も着実に毎週やることを積み重ねて
ゆくとともに会のニュース六号もだしてゆきたい。
十一月 二日 赤堀全国集会に参加
十一月十三日 鈴木君虐殺糾弾国賠第七回公判に参加
十一月十六日 監獄法―刑法全国集会に鈴木実を代表して参加
十一月十六日 同時に家族、医者と共に九人で秋の紅葉が深い嵐山にレクリエーションにゆく。
同時に仲間同士の横のつながり、連絡を通じて苦しい人を支えてゆく体制をつくること
を追求してゆくこと。
 そして、重大な局面をむかえた赤堀闘争と保安処分―刑法の攻撃に対して全力で闘い
ぬいてゆきたい。
また体制的な危機を朝鮮・アジアへの侵略戦争でのりきろうとし、戦争にむけて国民を動員し、その中で「障害者」差別をテコに人民を分断し、「障害者」抹殺をたくらむ国家権力に対して八一年ジェット燃料貨車輸送延長、三里塚二期工事阻止の闘いを侵略戦争とかいから対決する闘いとして闘いぬき、その中に闘う人々に赤堀闘争への決起も訴えかけてゆきたい。
 来年予定されている全国集会の準備についても中心になってやってゆきたい。
□ 京都(Kさん)
 前進友の会にかかわっています。
十一月十三日 鈴木君虐殺糾弾国賠第七回公判を闘う。
十一月十六日 京都希望の会に参加し監獄法改悪反対の署名をあつめる。
十一月二二日 百人委員会主催の刑法―保安処分の全国集会に参加。

□ 東京(Wさん)
 個人的接触を保っている段階ですが赤堀闘争、三里塚闘争については個人的に闘っています。
 生活が苦しい中で、なんとかやっているが離人症がきつくて昼間の生活時間が苦痛です。
働こうと思うが恐くてできない。生活面の不安、これからどうやってゆくのか不安です。(その他、遅れて参加してきたOさんの自宅紹介とOさんのかかえている問題をみんなで討論したり、七〇年初めから戦闘的に闘っていた関東の仲間の苦闘からひきだされてきた教訓等も含めて患者会をどう作り、どう運営してゆくのか活発な意見がかわされました。この必死になって仲間の団結をかちとろうしている関東の仲間に対してこの課題を全国の仲間のものとして考えてゆきたいと思います。)

"手紙による地域活動報告"
□ 大阪(Мさん)
前略 御元気の事と思います。
 紀泉病院を退院した人々に依り、ケースワーカー参加のもと毎月レクリエーションが計画されて居ます。機関紙が毎月一回発行され、参加を呼びかけています。
またケースワーカー管理のもとで、病院から毎月助成金が支払われ、友の会にとって大きな財政資金となっています。
 十一月八日、準備会が持たれ、機関紙が作成発行され、とりあえず私としては鈴木問題を訴えました。

□ まどの会(A)
 近況としては、しばらく前まで比較的体調がよかったのですが、最近になって胸が息苦しく頭が痛く困っています。
 身体的原因によるのか心理的原因によるのかはわかりません。いずれにしても、年令的、体力的な限界を感じており、今後は最低限の責任を果すことを目標としていきたい。
十一月 一日 信貴山病院へA、Bが行き、二二人の患者さんに面会を求めましたが、病院側は、他の面会者の邪魔になるという理由で面会は一対一に決った。といい結局四人の患者さんに面会するにとどまりました。
十一月 三日 信貴山病院院長宛に、まどの会会合のために、面会室とは別の部屋を設けるよう要請書を送りました。
十一月 七日 赤堀事務局会議。来る二八日の赤堀さん奪還奈良県集会についてうちあわせをしました。
十一月 九日 前進友の会の飛鳥ハイキングに合流しました。
十一月十四日 奈良赤堀実行委。二八日の集会内容について討論し、天皇植樹祭について学習しました。
十一月二〇日 信貴山病院より先の要請書に対して電話で回答がありました。
まどの会会合に使う適当な部屋がないとのこと。
十一月二一日 奈良赤堀事務局会議。集会についての最終的うちあわせをしました。
個人的なことですが、吉田おさみ著「"狂気"からの反撃」新泉社(予価一五〇〇円)が近々出版される予定です。

□ 三重(Т)
 津での療養生活も二ケ月余になります。先生から毎日通院して診療をうけ院内作業のハンガーづくりをするよう指示されています。しかし、かなり状態が悪くて思うようにいっていません。でも友達の心強い励ましもあり、入院だけはさけようとつとめています。
 赤堀さんにも大変心配をかけて心苦しいしだいです。赤堀さんから一日も早く病気を完全に治して名古屋へ帰ってくるようにいわれています。
 苦しいですが一日も早く復帰できるようにがんばり続けたいと思います。
□ 闘う蟻の会(東京)
 九月・十月・十一月の活動の報告をします。
九月 八日 赤堀中闘委主催の新橋大情宣活動に参加
九月十五日 三里塚現地闘争に参加
九月二三日 リクレーション。麻雀大会をする。
九月二八日 例会。三里塚九・一五闘争の終括と十月の活動にむけての討論。その後麻雀大会をする。
十月 四日 八王子、赤堀さんと共に闘う会結成五周年集会に参加する。
十月一〇日 東京実行委主催の光州蜂起に連帯する三里塚集会に参加。
十月一九日 三里塚首都総決起集会に参加。
十月二一日 東京実行委、三里塚反対同盟、動労千葉の呼びかけによる国際反戦闘争に参加
十月二六日 砂川基地拡張反対同盟宮岡さん宅への援農(いも堀り)に参加。
十一月二日 赤堀氏奪還全国総決起集会に参加。その後「病者」の交流会に参加。
十一月三日 レク。宮岡さん宅への援農(いも堀り)
十一月一六日 この日は一日皆でゴロ寝ですごす。料理の好きなN氏が今回はお好み焼きをたくさん作って腹いっぱいになる。夜は十一・二闘争とその後の交流会についての感想をのべあう。
★十一月の活動予定は・・・・・
十一月二二日の百人委主催の刑法改悪・保安処分新設阻止集会に参加。
十一月二三日 日米陸軍共同演習阻止北富士闘争に参加
十一月二四日 レク。映画鑑賞
十一月三〇日 精神医療セミナーへ参加。その後例会。
闘う蟻の会がつくられて一年がたちました。一年目を迎えて皆それぞれに強くなり、結束もしてきました。当初は集会や闘争に参加した日にはその反動で「ウツ」の状態になっていたS氏。今ではもうそのようなことはない。気分の波があっても巾が小さくなったそうだ。
自殺未遂を一度はやりながらも、それを克服し、会と共に生きんとするYさん。
 会の運動の進め方が性急になる(能力主義的傾向)のをその存在そのものと、彼の発言で痛感させてきたТ氏。(彼の存在の大きさを彼の入院という事態で、僕らは再度認識している。)
 この一年の中で退院をかちとり、職も維持し、「孤独」な一人暮しを、共に闘うという中でなんとしても克服し、共同性をかち得んと努力しているKさん。
 そして、「障害者」が日常の差別、抹殺攻撃に対して革命を対置し、その主体として形成してゆく運動は全く可能であり、当然そうあらねばならないという確信を強く抱き、この会の運動の中に行きぬくことの展望みたいなものを強く感じているN氏、S氏、K氏。
 これは全員にとっていえることだが「障害者」解放ということが三里塚反対同盟農民のような闘いを担いうる強靭な自己をねばり強く形成していくこと。
 そしてなによりも二七年間差別と死刑攻撃と不屈に闘う赤堀さんの存在のように自らをきたえていくこと、その運動のなかで「病者」相互及び「健常者」との共同性をかちとっていくこと、だという確信が実感として持ててきた。
 さらに次の一年へと全国の「病者」と共に緊迫する赤堀情勢に真向うから「赤堀奪還、『障害者』解放・日帝打倒」をかかげて着実に堅実に前進していくつもりです。
 少し長くなりましたが、闘う蟻の会一年目をむかえての感想として報告します。
□ この他、大阪の旅立ちグループから機関紙が毎号送られてきています。

刑法改悪=保安処分新設阻止へむけて
 11月22日、東京社会文化会館で行なわれた百人委員会の集会に事務局から参加しました。関東の多くの仲間が参加している中で「病」者集団事務員から刑法―保安処分攻撃に対して闘いぬくアピールをしました。百人委員会の今後の方針としては、
@来年4月25日、日比谷野音での大集会
A刑法改悪―保安処分新設反対の署名活動
B街頭での情宣活動
C法務省への抗議行動
などが明らかにされています。「病」者集団も独自的な取り組みを強化し、あらゆる人々に刑法―保安処分の問題を訴えかけ、百人委員会と共に行動を起こしてゆき、絶対に阻止するためにたたかいぬく決意です。
 11月29日、日弁連主催の「刑法「改正」を考えるパネルディスカッション」については、日弁連が法務省に屈服し、この間の法務省の「秘密公聴会」の実質的肩がわりをやるということに対して、私達は批判してきました。そして、当事者である私達の意見を聞くでもなく、法務省からのこの間の総括報告をやらせ、又、「障害者」差別、抹殺の張本人である植松正、小田晋などをパネラーとして登場させ「精神障害と犯罪」というテーマで討論をやるなど、どうしてだまってみすごすことができるでしょうか。
 当日は、会場前で全国救援連絡会議に結集する仲間、又、赤堀中斗委に結集する関東、八王子、神奈川の闘う仲間、又多くの「障害者」「病」者の結果で弾劾行動が行なわれました。日弁連を刑法「改正」絶対反対の立場にたたせ、2度とこのような集会をやらせることなく、本来の反対の立場からの運動をより積極的にやらせるよう私達は強く日弁連に要請していかなければなりません。
□ I氏を支援し、保安処分に反対する連絡会議よりビラが寄せられました。(以下抜すい)
━静岡県富士宮市に住むI氏は去る6月16日、不当きわまりない闇うち的精神鑑定によって、"精神病質者"なる診断を下された。そして現在、富士宮警察署、県衛生部、鑑定医師を相手どって白紙撤回を要求する闘いと共に国家賠償訴訟を準備している━
●連絡先
静岡南部郵便局BOX64号
「I氏を支援し、保安処分に反対する連絡会議」

赤堀闘争
━赤堀さんを生きて奪い返すために━
 赤堀差別裁判糾弾闘争はこの7月10日の検察意見書提出とそれをうけて一挙に抗告棄却を狙う東京高裁・小松裁判長による赤堀さんへの「抗告棄却―死刑」攻撃が切迫しています。
 同時に、この間の刑法―保安処分攻撃の決定的な環として「社会生活に適応できない」「危険な人間」として赤堀さんをみせしめ的に殺してしまおうとする「抗告棄却―死刑」攻撃があります。
11月25日、監獄法改悪―法務大臣への答申をも含めて、赤堀さんへの獄死を含めた再審闘争の圧殺の攻撃も強まり、赤堀さんをめぐる情勢は緊迫の度を加えています。厳しく冷たい冬、リューマチや痔にもかかわらず、不屈に闘う赤堀さんの闘いにこたえ、力の限りをつくしておう。
 事態の緊急性をみすえ、「赤堀さんを殺してしまうのか」「生きて奪いかえすのか」のぎりぎりの局面で私達の総力をあげて闘いぬいていこう。
 具体的課題として
 @裁判の緊迫化を訴え全人民に赤堀闘争への決起を訴える大情宣活動
A裁判の緊迫性のなかで高裁へむけて再審開始要請ハガキの集中を
B監獄法改悪阻止にむけて闘いのより一層の強化
C刑法―保安処分粉砕闘争への決起
 (学習会・署名・集会など)
以上、全力をあげて闘いぬくことを訴えます。
               
鈴木君虐殺糾弾!
   国賠訴訟第7回公判   
鈴木国賠訴訟第7回公判闘争は11月13日、午前10時から大阪地裁民事3部で闘われた。
 今回は保護房のなかで食べることもできず、眠ることもできず、ほとんど全裸に近い状態で衰弱していた鈴木君の病状をなんら把握せず、あずか3分間の診療でコントミン注射を指示し虐殺していった憎むべき精神科医臼井節哉の証人調べが行なわれた。
 11月25日、法制審議会が最終総会をへて法務大臣に監獄法改「正」の要網案を答申するという監獄法改正の攻撃が急ピッチで進行している。この監獄法改悪攻撃の最大の先取り的攻撃こそ大阪拘置所における鈴木君忙殺というかつてない大攻撃であり、私達はこの監獄法改悪攻撃と徹底的に闘いぬかなければならない。同時に刑法―保安処分攻撃、赤堀さんにかけられている「抗告審棄却―死刑」攻撃を頂点に、この間の「障害者」に対してかけられている社会からの隔離、抹殺の攻撃に真向うから対決し、この攻撃を打ち破る闘いとして鈴木君虐殺糾弾/国賠闘争の重要性はますますとわれててきています。鈴木君虐殺糾弾/国賠闘争の強化、拡大、発展をもって、勝利をもぎりとり、「精神障害者」解放闘争の最重要の闘いの一つとして全力で闘いぬかなければなりません。
 公判は国側の証人臼井の虐殺を居直り、正当化しようとする怒りにみちた公判闘争として闘いぬかれた。
 臼井の証言では、
@2月13日の診察当時、拘置所の簡単なカルテと鈴木の状態に対する簡単な説明をきいただけで、わずか3分間の問診で診察をあきらめ「精神分裂症」ときめつけたことに対して、「(鈴木君は)興奮型の病気であり、緊張型の分裂病で非定型精神病によくにている」と精神分裂と診断したことをあいまいにし、
Aほとんど全裸に近い状態で、衰弱していたにもかかわらず、「スポーツマンのような体格」「栄養状態は普通」とあたかも鈴木くんが衰弱していなかったかのように証言し、低温を引きおこし、副作用に対する対策と同時に保温が必要であるコントミン注射投与中止の注意すらおこたり、「臨床医学的立場からは低体温をひきおこすことはない」とコントミン注射が低体温の保進を早めたことを前面否定
Bそして『意識障害、幻覚、妄想が活発であったから面会にきても誰れもコミュニケーションをもつことは不可能』と差別的に面会の権利を奪ったことを正当化した。これほど病状の悪い鈴木君を保護房の中にとじこめていることをたなあげ、誰が面会にきいても判別は不可能とは全く逆立ちした論理である。
C『精神病の人は夏と比較すると冬は強い』と厳寒の保護房でほとんど全裸に近い状態でいたことは問題がなく、着衣についても指示しなかったと全く許せない差別と偏見にもとづいて居直りを行った。
Dさらに許せないのは拘留そのものが「精神障害」を悪化させ、将来重大な影響を及ぼすことを承知の上で『病院に移しても結果は同じだ。保護房にいれておいて"鎮静剤"でおちつかせる以外にない』と重大な「精神障害者」にもとでく差別的な証言を行い、
E『診断、診療に間違いはなかった』死因は、手当のほどこしようもない『急性到性緊張病』であると責任のがれをするとともに虐殺を正当化する断じて許すことのできない証言を行った。
Fすでに明らかにされている四方教授の法医鑑定に対しても『疑問がある。飢餓状態ではなく、保護房も死に至るほどの寒さでない保温状態であった』と凍死に至る数々の条件から死因を凍死として鑑定した四方鑑定をも真向うから否定し、『死んだのは本人自身のせいだ』と言わんばかりのこの臼井を私達は絶対許しはしない。『診断、治療は間違いなかった』『病院に移送しても結果は同じだ』『誰が面会してもコミュニケーションは不可能』『死因は手当のほどこしようのない急性致死性緊張病』とこの虐殺を正当化し、責任がないとするこの臼井証言を次回公判で徹底的に糾弾し、完全粉砕しつくべく次回公判へへの圧倒的な結集を訴えます。
  次回公判2月20日(金) 午後一時
      大阪地裁民事 808号法廷
      証人 臼井節哉 



*作成:桐原 尚之
UP:20091107 REV:
全国「精神病」者集団  ◇全文掲載
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