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全国「精神病」者集団ニュース 1980.4



全国「精神病」者集団ニュース 1980.4

〒457 名古屋市南区呼続町7-76
健幸荘A301大野方 全国「精神病」者集団事務局・書記教宣部
TEL052-821-1313(午後10時迄)

今回の連絡会議は、4月26日〜27日と大阪の部落開放センターで行われました。
今回は座談会「患者にとって精神医療とは何か」(絆4号に掲載)を、連絡会議とは別に、多くの仲間の参加を得て行うことができました。
新潟・愛知・奈良・京都・大阪・兵庫・広島と全国から集まり、活発に精神医療の問題点とこれからの闘いについての討論をおこなうことができました。なお、この他にも参加の予定されていた仲間が都合で来れなかったことは非常に残念です。
又、赤堀差別裁判闘争における足跡鑑定の提出という状況の中での赤掘闘争の新たな局面、監獄法改悪にむけての新たな動き(法制審議会監獄法部会の総会が5月19日に決定)、刑法改悪―保安処分新設の立法化にむけての急激な動きが強まるなかで、私たちはこの「精神障害者」にかけられてくる社会からの隔離、収容、抹殺の攻撃に対してどう反撃し、この攻撃を打ち破ってゆくかが決定的に問われています。
とりわけ主体的に決起した各地の仲間との緊密な連絡をとり、「病」者集団の事務局の結束を軸に、運動の強化と大きな広がりを勝ち取らねばなりません。

苦しい「病状」と闘いつつ、薬を飲みながらのなかで、私たちはこれらの攻撃と必死になって闘い、打ち勝っていかねばなりません。

事務局からの報告

地域の「病」者との関係をどう作り、事務局をどう運営してゆくのか
全国「病」者集団事務局と地域の「病」者・患者会との関係をどう作ってゆくのか、は「病」者集団結成の時からの最も中心的な問題でしたが、特に「精神障害者」に対する社会からの抹殺の攻撃が前面的に激化している状況のなかで、今ほどこのことが問われている時はありません。「病状」の違い、運動のやり方の違い、連絡体制の不十分さ、事務局体制の危機(常駐しているのは2名であり、各地の闘う会の支援者の支援があってはじめてぎりぎりのところで運営されている)をどう解決してゆくのかは、そしてどう力量をつけていくのかは今まで何回も討論されてきましたが、今後も討論をより以上深めていき、具体的に解決していく方法を打ち出す時期にきています。
郵送料値上げ、また公共料金の軒並み値上げのなかでニュースの印刷・発行・郵送等できるだけ安価にできるようにすること、また印刷等について、労力があまりかからない方法を検討中です。
5月1日 野田事件についての学習会がありました。
5月6日 青森県弘前市でSさんのロボトミー糾弾裁判闘争がありました。
諸物価の値上げ、公共料金の値上げのなかで「病」者集団の財政はきわめて苦しい状態にあり、また事務局運営についてもきびしい状況にあります。
ニュース読者の皆さん、「病」者の運動を経済的な面で停滞させないために圧倒的なカンパを! また、事務局運営の維持・強化にむけて支援者を要請します。

地域活動報告

会議参加者

広島(H)
12月から毎月1回、テーマを決めて赤掘さんのことについて学習会をもっています。
テーマは精神衛生法等や「精神障害者」の問題などです。また、この間のパネルヒーターの署名やカンパ活動も全障連の中で行っています。共に闘う会はあまり例会が開かれず、活動が停滞しています。その原因は、共に闘う会のメンバーと全障連のメンバーが同一でやりにくいためではないかと思います。

虹の会(大阪)
中心に活動していた仲間が非常にしんどい状態ですが、他の会員ががんばって、例会の連絡や、ニュース発行のための原稿集めなどやりきり、会としては活動がかえって活発になりつつあります。
また三重県の赤目の滝にみんなでハイキングに行き、久しぶりに念願のレクリエーションを虹の会としてやることができました。
4月24日 鈴木第5回公判闘争に3名参加

いばらの会(阪神)
4月6日の例会は雨が降って花見はできませんでしたが、みんなで語り合いました。
4月20日 監獄法改悪を許さない全国総決起集会に鈴木実行委代表として参加。
4月24日 鈴木第5回公判闘争に参加。
4月に入り生活形態が変わったので、長期に活動を続けてゆくため、家庭のこと、家事のこと、子どものことについて考えていかなければならなくなった。長期間家をあけることができなくなり、全国的に動けなくなったので、それを補う方法を考えていきたい。相変わらず個人相談が多いので、個人的なつながりを補い、会としてのつながりをつくっていきたい。
文集発行を予定していますが、なかなか原稿が集まりません。しかし、会としてのあり方、つながり方を対外的に示し、会の存在を示していきたい。

京都(K)
4月11日に退院しました。気分はあまりすぐれませんが、家事の手伝いをしています。
また、この間前進友の会の会合に参加しています。

まどの会(奈良)
3月26日 梅谷尚司君の富中入学に向けて、市の教育委員会交渉に参加、「障害児」学級との交流が約束されました。
4月1日 元まどの会の院内会員のリーダーであったT氏が病死したという知らせがありました。4月7日主治医にTELをし、事情を聞きました。このことを教訓として、入院患者が身体の不調を訴えたとき、すみやかに対応し、また定期検診をやるよう病院に要求してゆくつもりです。
4月10日 信貴山病院に面会
買い物については原則として制限しないこと、手紙は封をして出すことが徹底していないこと等、看護長を追及すると、許せないことに110番すると言い、病院を追い出した。このことについては精神神経学会理事会で調査することになった。
4月20日 まどの会、支援者を含めて8名で信貴山病院へ行き、20名位と面会し討論しました。その中でまどの会だけでは限界があるので県・国などに交渉していけばよいのではないか等意見がでた。
信貴山病院の問題についてはどういうところへ働きかけていくか考えていきたい。また、院内の仲間にあって、細かな要請をも含めて9点くらいにわたって病院側に突きつけていきたい。
4月10日・22日・24日と奈良赤掘の活動をどう進めていくかについて集まりをもちました。4月24日鈴木第5回公判闘争に参加。

0の会(愛知)A
この1ヶ月間も状態が悪い。0の会の花見、中闘委にも参加できなかった。食事もとることができず、事務局をあずかるもう一人も同じように症状が悪化してしまった。このような場合の防衛を考える必要に迫られている。
3月30日 豊橋でタンポポ主催のフォークコンサートに参加しました。このフォークコンサートで歌っていたSさんというフォークシンガーと0の会とかかわりをもっていきたいし、またフォークコンサートなども企画してやったらどうかと考えています。

0の会(愛知)B
花見は室内でごちそうを食べ、花を見て歩きました。全員で9名が参加しました。
4月15日 監獄法改悪を許さない全国集会に赤掘中闘委を代表して参加。
事務局員の両方(二人とも)倒れてしまった場合のことを考えていかなければならないと思います。病状の悪化を防ぐこと、生活面で無理がいっていないかどうか検討していくことも必要だと思います。「病」者集団、赤掘中闘委、0の会と手一杯でこの仕事の負担をどう解決していくのか、依然として問われています。0の会として動ける人間を増やしていきたい。

新潟(S)
新潟赤掘結成から2年間、赤掘闘争と新潟大学糾弾闘争のニ大闘争を闘ってきた。
事務局として動ける人が少ない現状ですが、新たに「障害者」が参加してきています。
また、新大糾弾闘争のため、当時の新潟大学の差別的な医療について、当時入院中の患者さんと接触しています。そして新潟アムネスティとの関係も作られつつあります。
地域での問題、家庭での問題も考えていかなければならないし、また二人の「病」者とのかかわり、話し合いをもっていますが、カウンセリング(医療)の中での分断、患者の中での分断が行われていて、それをどう打ち破っていくのかが問われています。

まどの会(奈良)B
運動をあまり知らないので手伝う程度にしている。近所との付き合いも徐々にうまくいっています。
赤掘さんのことで友人に話をしています。
そして署名などをしてもらっています。できるだけ多くの人に赤掘さんのことを知らせていきたい。
「罪も犯していない人が死刑にされようとしている。このことを許すのかどうかは良心の問題である。」ということを中心に話をしています。

手紙による地域活動報告

闘う蟻の会 Y
闘う蟻の会の4月の活動報告をします。
4月第一日曜は桜見だったんだけど雨のため会員の家で「レク」を催す。焼酎とジュースで歌を歌って楽しく過ごす。
新入会員とともに談笑しているうちに新入会員との間に親密度が大きくなる。
第一例会、主に日本帝国主義の軍事大国化攻撃の激化を新聞の切り抜きなどを使って学習。それとともに「障害者」抹殺攻撃が強まることを認識する。
新入会員の会報への原稿を含めた編集会議では「精神障害者」の“生きる”意味についての論議がなされる。それは会報4号に展開される。
第二例会は会報作成の作業と5.25三里塚闘争に向けた闘う蟻の会の「檄」の原稿をもとにしての討論をする。
三里塚闘争になぜ関わるのか、その闘いの中で闘いとられる「障害者」の自己解放とは何か、について討論が深まる。
5月の予定は例会に八王子・赤掘さんとともに闘う会のS氏を呼んで講演と討論。
「髪の花」後半の読書会
5.11 砂川闘争への参加
5.25 三里塚闘争への参加
最近の新聞を読んでいると、世界がイランをめぐって戦争に突入せんとする情勢をひしひしと感じる。また、日本の軍備増強、徴兵制の復活や武器輸出問題など日本の戦争準備がますます進んでいる。
この中で「障害者」は真っ先に抹殺されることを考えれば、もういても立ってもいられない気持ちにさせられ、危機感を強く感ぜざるを得ない。
赤掘闘争をその意味でも大高揚させ、「障害者」抹殺攻撃と真っ向から対決していかなくてはならない。三里塚闘争はその意味で、闘う民衆にとって戦力的価値をもったたたかいでる。共に5.25三里塚に決起しよう。

監獄法改悪阻止にむけて

法制審議会の総会(5月19日)−最終答申−国会上程を目前にして赤掘闘争においては面会・文通の制限(剥奪)による再審闘争の破壊・獄中における劣悪な医療の固定化と強制医療―そして獄死攻撃としてある監獄法改悪を私たちは断じて許すことができない。
これに対して赤掘中闘委・鈴木実委・監獄法改悪阻止実・救援連絡センターにより「監獄法改悪を許さない全国連絡会議」を結成し、各地域における小集会・学習会・パンフレット作成を中心にして活動を進めてきました。

4月20日の全国集会報告

東京の明治大学で全国から130名が集まりおこなわれた。基調報告、そして弁護士の古瀬氏による講演、獄中体験報告、三里塚反対同盟、日本精神神経学会、理事からの連帯アピールと続き、赤掘中闘委・鈴木実行委、関西監獄法阻止実行委からの決意表明がおこなわれました。
最後に方針提起があり、監獄法改悪阻止にむけて闘いぬいてゆくことを全員で確認して集会を終えました。私たちは日本弁護士連合会、精神神経学会、国会議員等について監獄法改悪の問題をオルグし、運動の一層のひろがりと、5月19日に始まる法制審議会の総会に向けて抗議行動をやると同時に最終答申―国会上程阻止にむけて闘いぬいてゆかなければなりません。
古瀬弁護士の講演要旨――――
・秘密公聴会であるゆえんは、発言者が誰だかわからないようにAとかBのように記号で記されている。
・監獄法改悪はすでに先取り的に実質化されており、それを法的に追認し、又権力によって都合のよいように獄中者を管理してゆくことをめざしている。
・強制医療については、獄中者がハンスト等をもって生命をもかけて闘うことの自由すらも許さないものとしてある。

刑法改悪―保安処分立法化の動きについて

4月7日の読売新聞によれば刑法改悪―保安処分新設について「日弁連との話し合いの気運の盛りあがり」ということをうけて法務省は「改正刑法草案」の第二次修正案づくりに乗り出し一挙に刑法改悪―保安処分の立法化にむけて全面的な攻撃をかけてきています。
私たちはこの動きに対して鋭い危機意識をもって捉えなければなりません。第二次修正案のペテン性、基本的にはより一層「精神障害者」―重罪を引き起こすもの(殺人・放火・強盗)として「精神障害者」を社会から抹殺していこうとするこの第二次修正案に対する批判と権力の動向等を見据え、情報の入手、学会との対応、監獄法改悪との動きと共に早急に反撃し、立法化を阻止してゆくことが問われています。(同封のコピーを参照して下さい)

日本精神神経学会闘争について

5月22日・23日・24日・25日と浜松市民会館で行われる日本精神神経学会の浜松学会に「病」者集団は全力で取り組むことを決定しています。赤掘・鈴木・監獄法改悪問題等を中心に学会をゆり動かし、同時に「精神障害者」を闘う主体として認めないばかりか、「精神障害者」の闘いを妨害し、赤掘闘争に敵対する精神医療研究会(精医研)と対決して闘いぬく決意です。

参加希望者は5月20日までに事務局まで事前に連絡して下さい。

赤掘問題

私たちは1977年3月11日、静岡地裁、伊東正七郎が下した第四次再審請求棄却の攻撃、「精神障害者」だからやったに違いないとする憎むべき3.11差別棄却を弾劾し、何としても再審を開始させ、生きて赤掘さんを奪い返すために3月11日全国闘争を闘いぬきました。そして以下の4点にわたって活動を継続し、闘いぬこうとしています。
赤掘さんとの文通、面会闘争を強化し、赤掘中闘委の再審を行え! 死刑執行をするな! の署名をあくまで多く勝ち取ってゆくこと。
パネルヒーター設置署名を各地で医師、弁護士、作家等の著名人を中心に取り組み、このことを契機に赤掘さんの問題をオルグしてゆく。
5月24日、不当逮捕糾弾26周年闘争にむけて各地で学習会、ビラまき情宣を中心に5.24闘争にとりくむ
同時に赤掘さんを絶対に死刑にさせないためにもこの時期にアムネスティ・インターナショナルの死刑制度廃止の署名運動に取り組む。(5月24日までに事務局必着。なお署名用紙の入っていない人はまわっていると思いますので入れていません)

※ アムネスティ・インターナショナル(人権を守る国際救援機構)のビラより

死刑はいかなる方法によるにせよこの上もなく残虐で非人道的かつ屈辱的な刑罰です。統計の上からも死刑が犯罪を防止するという証明は未だ何らなされておらず現代社会においては「刑罰」の名に値しないものといえるでしょう。その一方、誤った裁判で無実の人間が、取り返しのつかない死刑によって殺されてしまった例は裁判史上決して少なくありません。
アムネスティの調査でも、この10年間に知られているだけでも5000人以上の人々が処刑されました。しかもそのうち明らかに政治的理由で死刑を宣告されたケースが2000件以上もあるのです。
このように復習と新たな遺族という2つの暗い結果を生み出し「囚人」が更生してこの社会の中で生きてゆく機会を永遠に奪ってしまうことが死刑にほかならないのです。この「人類最後の野蛮」といわれる死刑を地上からなくすため、アムネスティはいま全世界の人々に訴えているのです。

鈴木問題

鈴木君虐殺糾弾! 第5回公判闘争は4月24日、午前10時から大阪地裁民事で行われました。公判には全国「精神病」者集団を始め、広島からこられた原告であるお母さんを先頭に鈴木実行委、広島からの「障害者」、全障連関西ブロック、多くの労働者、学生、友人30名が結集しました。
公判は鈴木君の友人であった橋本和子さんの調人調べにはいり、今までの書面をもとにした審理からいよいよ本格的な実質審理にはいったのです。公判では鈴木国賠弁護団からの主尋問は
鈴木君と知り合いになった時期、交際の内容
鈴木君の職歴
鈴木君の健康状態
鈴木君が2月1日、浪速署に殺人未遂で逮捕されたこと
鈴木君が大阪拘置所に移監されてから橋本さんが面会にいった1976年2月3日、2月5日、2月9日、2月12日の拘置所の対応と2月8日に出した手紙のこと
4回の面会を拒否され、お母さんに電報をうち2月16日に面会に行ったときの拘置所の対応
虐殺された遺体が大阪拘置所から、都島署に移されたその時の都島署の対応
そして2月1日から16日の虐殺に至る経過全体を通しての橋本さんの感想を中心に行われました。
この尋問のなかで橋本さんは
鈴木君の友人として入院中、退院中を通して相談相手になっていたこと
西大阪ゴルフセンターというところで、日給3000円のアルバイトをし、月8万〜9万円を得、貯金をしていたこと。ほとんど皆勤に近い状態で働いていたこと。
人並み以上の頑強な体であったこと。(身長175cm、体重80kg)
2.1事件で浪速署に逮捕され大阪拘置所に移監され面会に行ったとき、面会申し入れ、医者による診療を要求したが「裸になって暴れているから会わせられない」「(気が狂っている)ふりをする人間がいる。実際はどうなのだ」「完全に狂っている」等の差別的対応で面会を拒否し、医者の診療申し入れも拒否したことを怒りをもって証言しました。
そして2月16日当日、お母さんと一緒に大阪拘置所に赴いた時、お母さんと橋本さんを分断し、虐殺の事実を何とかとりつくろい、遺体も既に都島署に移し、「詳しいことは都島署で」と言ったこと。
都島署ではなんとか虐殺の事実を隠ぺいするため、一刻も早く遺体を火葬にしてしまうよう強く迫ったこと。
そしてやっと光愛病院で遺体を引き取り、その遺体に無数のキズあとがあったこと。
そして最後に全体を通しての感想について述べました。「私が見たものは氷山の一角にすぎないと思うのですが、「精神病」だということで面会も手紙も、そして鈴木君が最も必要とした医療も奪われた。そして拘置所はこちらの言うことには一切耳を傾けなかったが、最低限医療の申し出さえ受け付けていたら、少なくともこういう事態は避けられたのではないかと思います。ほんとうに『精神病』ということで全てが正当化されていったようです。このような差別の中で彼が殺されたんだと思います。そして4年たった今も、ほんとうに二度と繰り返させてはならない、このことを絶対に許してはならないと強く思います。」と怒りの中にも涙ぐみながらの証言を終えました。これに対して被告側の国の反対尋問は
入院中の鈴木君の「病状」はどうだったか。橋本さんが病院で面会した時、誰が面会に来たのかわからなかったのではないか。
「精神分裂病」の人は非常にやせるのではないか。
拘置所の医療を不安に思っていたか
ゴルフ場で働いていたというが、どんな仕事か。又鈴木君はデスクワークができる人と思うか。
精神病院が遺体を引き取ることがあるが、どういうことか。
拘置所の職員がなぐったと思うか。
キズはどこにあり、どういう種類か。
このような反対尋問に対して橋本さんは、鈴木君が健康な体であり、病院への面会の時は非常に喜んだこと、又「精神分裂病の人はやせるのではないか」という偏見にみちた尋問に対しては、拘置所の中で衰弱し、やせ衰えてゆき凍死したことを合理化することであるとして、傍聴席と一体となって糾弾しました。又ゴルフセンターで働いていたにもかかわらず、単純労働しかできないのではないかという尋問に対しても怒りをもって答えました。そして拘置所の中でのテロ・リンチについて、別の面会者から聞いた逆さづりという拷問まであったという事実をのべ、拘置所の獄中者に対しての暴力をもって管理していることの非を述べました。この「精神障害者」差別をむき出しにした反対尋問に対しては当然にも傍聴席からも怒りの声があがり、弁護人鈴木弁護団からも「反対尋問に問題がある」と反論をし、被告―国側を追及していった。
それに対してなんと裁判長は傍聴人を退廷させようとしたのですが、それをも打ち破って公判闘争を終えました。
同時に次回主治医の承認申請についても認めさせました。この中で国―被告側は驚くべきことに、前回では「死因は凍死ではない」と言っているにもかかわらず「死因は凍死だから精神科医の証言は必要ない」というペテンを使い、なんとしても「精神障害者」差別による虐殺であることを隠ぺいしたのです。
第5回公判はこのように「精神障害者」ゆえに虐殺された事実を徹底的に明らかにし、偏見に満ちた国―被告側の反論をも粉砕して勝ち取られました。
次回公判では、この虐殺の事実を、「精神障害者」差別による虐殺をより明らかにしてゆく公判です。

第6回公判に圧倒的に結集を!

次回公判 8月14日
大阪地裁民事 午後1時

虐殺糾弾3号発売中です。
(1部・100円)

内容は虐殺糾弾4周年闘争についてです。

申し込み先・阿部野郵便局私書箱118号


*作成:桐原 尚之
UP:20090718 REV:20110806
全国「精神病」者集団  ◇全文掲載
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