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全国「精神病」者集団ニュース(連絡会議報告)1980年2月



全国「精神病」者集団ニュース 1980.2

名古屋市南区呼続町7−76(〒457)
健幸荘(A301)大野方
全国「精神病」者集団事務局 書記教宣部
TEL 052-(821)-1313(午後10時迄)


 皆さんお元気でしょうか。今回の連絡会議は、2月23日〜24日東京大学病院、精神科(通称赤レンガ)で行いました。
 2月23日は、東京で身体障害者実態調査強行実施糾弾、全国集会が行われ、この集会に参加した東京の仲間もまじえ連絡会議を持ちました。
 私達は 本年より新しく開設された事務局センターの維持、運営、そして2月中の斗い、3月の斗いの準備の中で多くの課題をかかえ奮闘しています。しかし去年の5月下旬よりの事務局への弾圧と同胞の死など多くの重圧が残っているためか、私達の組織活動もままなりません。
 連絡会議への東京の患者仲間の結集の状況と事務局員の参加は、困難な現状を反映したものとなったと思います。
 しかし 私達は必ず この困難な現状を突破して進んで行かねばなりません。
 今後、次回の大会に向けた準備さらに全国的な組織体制の確立をめざしがんばって行きたいと思います。
 連絡会議のあと、赤レンガ病棟入院中の患者仲間と交流をしました。入院中の同胞を忘れることなく ともに歩んでく決意をあらたにした事を報告しておきたいと思います。

連絡会議で提起された事
 東京のAさんより 自分が「放火犯」として裁かれ、その中で 精神鑑定医・中田修がAさんに対して不当な人格の決めつけを行ったことに非常な憤りをもっているという発言を受けました。
 差別的精神鑑定医・中田修と、その門下生は「『精神障害者』には、保安処分をしなければならない。」「全ての『精神障害者』は社会的に危険な存在である。」という考えにもとづいて同胞の抹殺に積極的に加担している。今まで中田修が行った精神鑑定は「病」と障害に苦しんでいる「精神障害者」に対し、その病をいやし 障害をやわらげるどころか、その苦しみを加重し、終身隔離しさらには、肉体的な抹殺をも 裁判所に要請するという内容である。このような事は断じて許しえない中田修をはじめとしてその門下生と徹底弾劾すべきである。
 私達は、学会を通じてそして 精神鑑定が悪用されている事件を徹底糾弾・弾劾する事を確認しました。

地域活動報告
<会議参加者>
○いばらの会(阪神)
 精神的な落ち込みと多忙の中で定例会のお知らせを発送できなかったが3名の患者仲間が3月2日の会合(定例会)に参加しました又文集いばらの会「いばらの華」の発行計画も少しずつ進み、3月末から4月初旬には発行し、「精神障害者」の意識を表出する場を作り出す事を完遂したいと思います。
 他の患者会からの寄稿者もあり変化に富んだものになる事と思っています。
 寄稿して下さった方々ありがとうございます。
 又、3月2日の会合で、会の仲間より今回事務局へ3000円のカンパを送ることを確認しました。
 対外的な活動としては
@.2月2日「大阪赤堀さんと共に斗う会へ(準)」の交流会への参加。
A.2月16日、鈴木君虐殺糾弾4周年斗争への参加。
B.2月28日、「監獄法改悪と斗う講演集会」への参加。
C.3月8日、奈良「赤堀斗争をめぐる交流会」への参加。
D.3月9日、島田現地調査への参加を行いました。今後、内部的な固めを中心としながら 対外的な活動にできるだけ多くの患者の参加をかちとるよう努力したいと思っています。

0の会(名古屋)
@ 0の会は、「身体障害者」の実態調査を「障害者」差別・養護学校の正当化と強化につながるとして、2/13より連続して県、市などの自治体に対し、阻止斗争を行っています。
 実態調査の内容は「障害者」のプライバシーをあばき、国民総背番号制の整備につながるおそれのあるもの、又、「障害者」の隔離収容のための基属資料の作成をその目的としているため反対をしています。
 「障害者」の実態調査は、一九五一年第1回調査にはじまり、今回の調査は7回目にあたります。一九五一年は精神衛生法施行の年であり 身体障害者福祉法も制定された年として、「障害者」の国家的管理が始まった憎むべき年でもあります。今回は「身体障害者」の実態調査ですが「障害者」の立場において実態調査は徹底的に阻止しなければならないものだと考えています。
 実態調査は、「精神薄弱児・者」が80年度そして「精神障害者」は83年度に調査が行われる可能性が強いので各地それに構え、対決し、「障害者」解放の視点で反対しなければならない内容と考えます。
 厚生省は、現在の精神病院収容者29万5千名から五年後35万収容を精神障害者対策として目論んでおり、私たちはこのことも充分意識して斗っています。
A 昨年5月天皇参加の植樹祭で弾圧された「病」者集団事務局および0の会の名古屋弁護士会・人権委員会提訴は、最終段階に入っています。
B 2月16日は、4年前「障害者」差別によって大拘で虐殺された鈴木国男君の4周年斗争が大阪において行われましたがそれへの参加をし「障害者」差別への怒りをあらたにしました。
C 2月23日、東京において行われた身体障害者実態調査強行実施糾弾斗争に参加しました。
D 2月26日は、獄中の赤堀さんの獄中処遇改善の一つとしてパネルヒーター(暖房器具)設置のための要求行動に参加しました。
 0の会の一員は、それをはさんで、連続5日間の面会を勝ちとり「病」者集団、0の会への赤堀さんの期待と激励がありました。
 ますます、赤堀さんの斗いの発展をさせなければならないと痛感しています。
E 3月11日は、赤堀さんが第4次再審を棄却され「『障害者』は殺してしまえ。」と国家権力に全く不当な断罪をされた日として、東京で集会がもたれましたが、それへ参加しました。
 この間、以上のような多忙さ 0の会のニュース発行、例会をもつことができていません。しかし、全国「病」者集団事務局が開設されたこともあり、場所的に集まりやすい要件が整ったためか、会員の出入りが多く、個別交流は相変わらず高まっているようです。

<手紙による地域活動報告>

○まどの会(奈良)
 2月10日、まどの会をひらき 支援の医師を含めて、信貴山病院問題の今後の役割分担を決めました。
 2月14日には、信貴山病院へ行き院内の状況を院内 者からききました。
 2月16日は、Oが鈴木4周年斗争に参加、同日、Mが奈良で行われた金井、梅谷就学斗争集会に参加しました。
 3月中旬に信貴山病院院長と個別的に話し合う予定です。

○がんばろう会(大阪)Sさんから
 拝啓、お元気になさって居ますか、貴会の御連絡ありがとう御座居ます。ますますいろいろの面に御留意なされ御活動され、御発展になられる事をいのっています。
 さて、今月初の御手紙にて御要請のあったカンパにつきまして、会で賛同される人が居ましたのでそれをまとめまして一時金カンパとして同封して送ります。
 がんばろう会も人数が増えまして今のところ80名となりました。全員が顔を合わせる機会がなかなか作れませんので一度そういう機会をつくってもいいのではなかろうかと考えています。
 2月24日には、有馬温泉へ行きます。日帰りで楽しみ、かつ、効果のある一日をつくることを計画しています。周辺のアパート暮しの人々は今、一〇〇世帯を越えています。
 では、お身体にお気をつけて健康第一にお過ごし下さい。

○京都希望の会、「京大病院患者のつどい」から、「精神病者」として生きてゆくための苦しさや、つらさを社会に訴えるビラが寄せられました。
 一人の仲間が、3・11を前にして、多忙さをきわめる「病」者集団事務局へ2日間の支援を行いました。

○東京のTさんから
 陽和患者会は幸にTさんが代行してくれ、外勤者の20%のピンハネの問題、全病棟カラーテレビ設置と精力的にやってくれ、労組も支援してくれまして今は新経営者側の出方を見守っているところです。

○虹の会(大阪)
 この正月あけからどっと疲れがでて非常に苦しい状態です。今度の連絡会議には参加できませんでした。しかし、その苦しい状態の中でなんとかこつこつと活動をしています。
 そして、会員3人が入院している現状と定例会がなかなか開けない状態の中で、できることをしてきました。
 (イ)入院中の仲間に面会して話をすること。
 (ロ)できる限りの仲間どうしの連絡をすること。
の最低をやってきました。
 しかし、入院中の仲間が赤堀さんに手紙をだして返事が返ってきたり、又なんとか、仕事をみつけて自立してゆける中で苦しんでいた仲間が がんばり始めていること等、苦しい状況の中ででも、こつこつ活動しています。
 活動としては、
@2月2日「大阪赤堀さんと共に斗う会」の交流会に参加しました。多くの「病者」「身体障害者」の仲間が集まりました。
A2月16日鈴木君虐殺糾弾4周年斗争を斗う。
B2月17日金井康治君、梅谷尚司君の就学斗争の集会に参加。
C2月28日「監獄法改悪と斗う講演集会」への参加。
Dそして3月の定例会には3人の仲間が集まり虹の会の活動のあり方、運営、連絡体制等を中心に話し合いを始めています。

○新潟のSさんから
 立春を迎えても なお大雪 降り続く毎日ですが私の方は、ようやく年末年始の疲労がとれ元気に活きています。今は、3月2日の赤堀集会に向けて準備におわれています。
 先日は大変お世話になりまして、感謝しております。同胞の暖かさ、優しさに接することができ、又生きる中 まだ斗いの中の遊びの大切さを痛感しました。
 これからも ひまを見つけて行きたいと思います。
 遅れましたが著名人署名と新潟赤堀のニュースを同封します。

○大阪のAさんから近況を知らせる便りが寄せられました。


赤堀問題
■仙台拘置所とのパネルヒーター(暖房器具)設置要求行動の報告■2・26

 これまでも仙台斗う会が宮城刑務所と独自の交渉をもったり 赤堀さんの兄さん・一雄さんを中心にして法務省への要請をしてはきましたが 赤堀中斗委としては初めてです。
 これまでの交渉・要請行動ではだんだんと宮刑−法務省を追い込み 昨年の冬は「60才以上で生命にかかわる重病者が設置基準」という回答を引き出してきました。
又、医師の面会や日本臨床心理学会に加えて日本精神神経学会・赤堀委員会の面会が開始される中で 獄中医療の実態の追求が進み 昨年秋には、宮刑所長が「60才、重病というのは固定したものではない」というにいたりました。
 帝銀事件の平沢貞通氏にパネルヒーターが入いった経過をみれば、医療上の必要性が認められれば、パネルヒーターをいれざるをえない、ということです。
 「獄中医療は国の決定事項」として実態をかくすことが最後の防波堤になっていたのです。そして2月26日の交渉は「強制する医療ではなく本人の求める医療」を原則として、赤堀さんとの協力の下に医療の実態を一段と暴露追求し、「医療上必要」ということを一段強く追いつめ交渉として設定されました。
 この交渉にあたり中斗委は、全障連、「病」者集団の、代表三名ずつを中心として10名での交渉を予定し、事前の折衝で支所長の、「わかった」という回答を得て当日のぞみました。
 この際、医師、弁護士、文化人等約五百名の「パネルヒーター設置要請書」を手渡すための準備しました。
 ところが当日、交渉団が拘置所におもむくと、受付の段階から「2名にしぼれ!」という対応で、この約束違反と不当な人数制限に強く抗議し、責任者の説明を求めるや、多数の刑務官を動員し、私たちを構外に排除したのです。この中で「障害者」の仲間が突き倒されたのです。
 そして、鉄柵をはさんで「10名という約束をした覚えはない。2名以上とは会わない」と一方的に通告してきたのです。交渉団は約束違反と不当な人数制限暴行まで及ぶ宮刑の対応に対して所長との会見−交渉、要請署名の提出はできないと判断して、当日の事態について抗議を明らかにした上で、宮刑前での行動を終えました。
 その後、記者会見をもち 当日の事態と経過 明らかにし、抗議声明を発表しました。
 宮刑の暴挙を断じて許すな! 私たちは再度体制をたてなおし、痔やリューマチで苦しむ赤堀さんの独房になんとしてもパネルヒーターを設置させるため、より一層の著名人署名、抗議ハガキ等の行動をねばりずよくおこなってゆきたいと思います。


3・11差別棄却決定弾劾全国総決起集会報告

 3・11全国斗争は3月11日、午前10時から東京都勤労福祉会館大ホールでおこなわれました。
 私たちは、2月7日の狭山再審請求差別棄却決定の中にみられる国家権力−東京高裁のなみなみならぬ攻撃の中で赤堀さんの再審請求の裁判で異例とも言える検事一名の増強と検事側の意見書提出策動の中で、かたくなに事実調べ拒否しいっきょに抗告棄却をねらう東京高裁・小松裁判長の動きが急激に激化している状況をきびしくみすえなくてはなりません。
 同時にこの間の日本の動きは、社会の矛盾の激化とその中で社会体制そのものが危機にひんするなかで、リムパック80(環太平洋軍事合同演習)への自衛隊の参加それをも突破口にする自衛隊増強の動き、有事立法制定策動、徴兵制復活発言等、侵略戦争にむけて、具体的に進行しています。
 その中で、国家権力は「障害者」差別やあらゆる差別をテコに、人民の腐敗した意識(無能力者、何をするかわからない者、社会にあってはならない者)を徹底的にあおり、人民を分断して「日本の国を守り、自らの生命と財産を守るためにはどうするのか」という愛国主義と国益の中に人民を動員し、侵略戦争にむけての体制を着々と作り上げようとしている。
 一九三〇年代ナチスが侵略戦争に突入すると同時に「障害者」を真先に虐殺していった敗北の歴史を二度とくりかえさないためにも戦争に反対し「障害者」が生命と生活を守り生きてゆくために、生命をかけて斗かわなければならない状況にきています。
 このような状況のなかでとりわけ静岡地裁伊東が下した第4次再審請求棄却の攻撃「精神障害者」だからやったに違いない、という憎むべき決定を弾劾し 77年3・11の差別棄却を許してしまった私たちの斗いの不充分性をきびしくみつめ 新たに提出された足跡鑑定を「真犯人の足跡と赤堀さんの足跡が絶対に一致せず、同一人物のものではない」という事実を武器に、すべての証拠・証人の採用事実調べを開始させてゆく為に斗いぬいてゆかねばなりません。

3・11全国集会
 集会は 赤堀政夫さんのアピール、基調報告につづいてお兄さんの一雄さん、部落解放同盟狭山中央斗争本部、日本精神神経学会赤堀委員会、監獄法改悪を許さない全国連絡会議、三里塚反対同盟から連帯のアピールが寄せられました。
 また、特別アピールが金井康治君、花畑東小学校を支援する会からあり、養護学校義務制実施以後、しかし、全国的な斗争体制を組み なんとしても就学を勝ちとる決意がのべられました。
 そして 法務省・東京高裁に4000名の赤堀署名をたずさえ 抗議と要請におもむく代表団を送りだしました。
 午後からは、獄中支援センターからの報告と要請、法斗委からのカンパアピールをはさんで法廷斗争委員会からの報告があり各地の斗う会からは、この間中斗委が提起してきた「障害者」実態調査阻止斗争とパネルヒーター設置、要求ハガキと著名人署名、監獄法改悪阻止にむけての取り組み「病」者集団事務局支援の報告と斗う決意表明がなされました。
 その後、2月26日の宮刑のパネルヒーター設置交渉における宮刑側の暴挙を弾劾する集会決議と赤堀奪還にむけ最後まで斗いぬく決議を採択し、スローガンの採択をもって集会を終えました。
 憎むべき3・11差別棄却を徹底的に弾劾しなんとしても赤堀さんの再審をかちとろう。
 そして獄死攻撃の強まりのなかで、監獄法改悪阻止にむけてねばり強い斗いを展開しよう。
 更に、赤堀さんとの文通・面会を強化しよう!


鈴木問題
2・16虐殺4周年全国統一行動

 4年前の2月16日、鈴木国男君は、憎むべき国家権力−大阪拘置所により虐殺された。
 私たちは、この憎みてもあまりある2月16日に早朝から、大阪拘置所声紋前に結集し、怒りの門前集会、デモ、ビラまきを行い、大阪拘置所を徹底的に糾弾し斗いぬきました。
 早朝から大阪拘置所は厳戒態勢の中におかれ結集してくる仲間に対する不当ないやがらせ、又私服の排回、拘置所屋上からは、望遠鏡を手にした警備隊の監視と、数々の弾圧を打ち破り斗いぬきました。
 山谷、名古屋、釜ヶ崎の寄せ場労働者そして、東京からの友人、鈴木実行委員会に結集する諸団体から怒りの発言がなされました。
 大拘は、面会にくる人々に対してまくビラを、受付のところですべてとりあげ、所長に対する抗議文を受けとることを拒否した。そして、門前集会中は、大スピーカーをもち出し、ボリュームいっぱいにあげ、歌謡曲を流し、何としても私たちの怒りの声を、獄中者に聞かれまいとして必死に防衛せざるを得なかった。
 同時に大拘突入を恐れた大拘は、次々と正門前に人数をふやし、グリーンのヘルメット、乱斗服、警棒で武装した警備隊が突然正門をあけ、我々におそいかかり、門前から、排除しようとしたが しかし、それに屈せず門前の抗議集会を最後まで貫徹しました。
 午後一時からは、部落開放センターで集会をもちました。
 そして広島から来られた鈴木君のお母さんを中心に全国「精神病」者集団、鈴木実行委、山谷、名古屋、釜ヶ崎の寄せば労働者をはじめ80名をこす結集を得、国家権力−大阪拘置所を徹底的に糾弾してゆく斗い、そして重要な斗いとしてある国賠斗争勝利に向けて斗いぬくこと、同時に、監獄の中で、文通面会を奪い、獄中の中で放置し、病状を悪化させ、虐殺していった問題を徹底的に問題にし、獄中における「病者」の防衛を中心にして監獄法改悪攻撃と斗いぬいてゆかねばならないことを確認しました。
 虐殺糾弾!国賠斗争勝利にむけ、第5回公判に全力で結集しよう。
 次回から最も重要な局面に突入します。
 何回も拘置所に足を運び、面会申し入れや差し入れ、主治医による治療を要請したことや、その時の拘置所側の対応、お母さんと、2・16当日拘置所に行った時の拘置所側の卑劣な対応と、なんとしても虐殺をかくそうとしたことなどについての友人の証言があります。


第5回公判
 80年4月24日 午前10時
 大阪地裁 民事3部 808号法廷

あらゆる人々の公判斗争への参加をお願いします。


*作成:桐原 尚之
UP:20100302 REV:20110806
全国「精神病」者集団  ◇全文掲載
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