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『全障連』39


last update:20110909

『全障連』(全国機関誌)目次

全障連39(1984・5・4)

全障連代9回大会を成功させよう!―第一次要綱案発表される・・・・・・(p.1〜2)
大会準備は進んでいる
※全障連第九9大会は、1984年8月3日、4日、5日。場所は富山市。3月18日に実行委員会を結成。委員長は北陸ブロックの村上千津子(記録者要約)。

富山差別行政糾弾闘争の成果で北陸ブロックの強化にむけ
「皆さんもご存知の通り、一昨年、富山市から障害者の主体性、障害者の運動を真っ向から否定する差別照会文書以来、3回の確認会、2回の糾弾会を行い、今も続けられていますが、行政は理解したかのようにみえ、中味的な具体的なものについてはまだまだ障害者を”思うまま”にしようという姿勢は変わってはいません。そして更に国T行政の施策は、年金の一本化医療費の自己負担、生活保護の見直し、また身体障害者の福祉法の改「正」とより一層の福祉切り捨ての姿勢が強まり国の責任の放棄が強まってきています。(1-2)」

共闘連帯の輪とともに地域の仲間に向けた広がりを
・実行委員は障害者と関係のある市民、労働者の約60名で結成。
・これまでの活動として渡辺鋭気(季刊『福祉労働』編集長)の講演、国会議員安田修二氏などから支援のアピールを受ける。
・部落解放運動、「精神障害者」患者会、学生から共闘の内実を徐々に創り出している。(記録者要約)

能力主義強化の教育臨調路線と対決しますます広がる実力就学闘争に全力支援を・・・・・・・・・・・・・・・(pp.3-6)
「一方、国会の中曽根発言では、『できる限り親の希望を尊重』とこれまでの総理発言を続けていますが、文部省官僚は「@措置権は市町村教委にあるA教委と親の見解が違う場合、文部省として介入できないし措置できず就学できなくても仕方ない」と、教委とけんかしてあくまで普通学校を要求した場合は教育権が奪われてもしかたないとしています。(3、出版部執筆部分)」

@兵庫県 林裕孝君が五月から保育所入所を実現する 障害者の生活と教育を創り出す会1月22日 重度切り捨てを許さない障害児保育を考える集い
2月1日 10日の実現する会(準)と福祉事務所長・児童相談所長・保育課長の交渉
2月7日 石川憲彦・金井律子から申し入れ
2月8日 兵庫県臨床医会からの抗議文

2月12日 実現する会結成 全障連、全国親の交流会、障害者問題を考える兵庫県連絡会議など校正団体14団体、賛同団体・個人26に及ぶ。

2月23日 実現する会と市当局との第一回交渉
3月6日 実現する会と市当局との交渉
「『重度障害児を受け入れたことがないので、当面したい不自由児通園施設に通園してもらい、その間に5月から通所できるよう準備をすすめる』を引き出し一応勝利した。(4-5)」→約束の履行を見守る。

A静岡県 石川重朗君の飯田東小転校闘争の現段階
3月20日 静岡県社会福祉会館 石川重朗君の飯田東小実現勝利全国総決起集会開催
全国から百名を超える人が集結。
楠氏(全障連)、北村氏(大田区教師)、石川氏、池田氏、(愛知の親)、二日市氏(障害児を普通学校へ全国連絡会)によるパネルディスカッションが行われる。

「それ以降の情勢としては、新年度一学期には何としても交流教育に移し、普通学級への学習参加を強く要求しているが、県教委はいまだ態度を明らかにせず、とりあえず「学校行事への参加」という線で合意している。この五月にも再び交渉をもつ予定で、私たちは闘いの勝利まで全力を結集して重朗君とともに闘い、生きていこう。(6)」

B愛知県
平松千春ちゃんの大樹寺小入学の闘いに支援を!
3月26日 千春ちゃんの両親、「千春ちゃんの大樹寺小入学を実現する会」の仲間と共に、市役所内にテントを張り、座り込みを開始。

3月27日県教委から盲学校へ入学通知が届く。

4月3日 大樹寺小入学式では「入学式のご案内を差し上げた方以外は校内に入らないで下さい」という看板が出される。

※厳しい状況の中で千春ちゃんは「自主登校」を続けている。
5月17日に石川憲彦の講演会を予定。


全国精神衛生実態調査阻止の闘いで確かな勝利をかちとる・・・編集部(7)
中止の決定
東京都
神奈川県
滋賀県
埼玉県
大阪府
兵庫県
奈良県
徳島県
福岡県
長崎県

回収率の低い件
群馬県(4割以下)
三重県(5割以下)
愛知県(2割前後)

厚生省発表でも回収率は51.7%→実際には半数にも満たない調査結果になった。

東京都から
2回の座り込み、5回の交渉で中止を勝ちとる・・・・関東ブロック村田実
1983年10月実行委員会結成
10月19日 第一回交渉と座り込み(のべ数百人)
この間計5回の交渉、「東京精協」から反対の声上がる。

1984年1月30日 中止決定
「こんな実態調査をやるよりも、病院の中身について調査をやるべきだと言い続けてきたのです。(8)」

福岡県から
広範な共闘を実現し、県行政を追い込む・・・・・・・・・・・「刑法改正・保安処分新設を阻止する会(8)

2月27日 福岡県精神病院協会、調査の「保留声明」
※この事典では県衛生部は実施する予定

3月17日ついに口頭ではあるが次の三点を認める。

@福精協の協力が得られないかぎり調査票は発送しない
A県衛生部と反対団体の合意はあり得ない
B現状では調査実施は困難である


岡山県から
「精神障害者」との更なる連帯を目指して・・・中四国ブロック 中川・・・(10)
※9月以降延べ70時間にわたる対県交渉→調査阻止ならず

「赤堀さんと共に闘う会を軸に、急遽結成した「八三年精神衛生実態調査に反対する岡山県連絡会」は、障害者・労働者・市民を一定巻き込みながら闘いを進めてきましたが、今回の調査の客体とされた「精神障害者」や医師の結集をほとんどかちとれなかったことが問題としてあります。(10)」

「しかし、抗議ハガキ700枚が県に集中したことにも見られるように、それなりの広がりを見せています。(10)」

兵庫県から 
闘いの戦線統一と粘り強い監視体制の成果 関西ブロック O

「兵庫県での精神衛生実態調査阻止闘争は、昨年十月に自治労兵庫県本部が開いた「精神衛生医療研究集会」に全障連をはじめ障害者団体も参加し、障害者の立場に立った医療のあり方を討論する中で、精神衛生実態調査阻止声明を採択したことから始まった。(10)」
※1983年末県下40団体(全障連、障問連、障害者諸団体、労組、解放同盟等)が結集し阻止共闘会議が作られる。

愛媛県から
保安処分新設阻止闘争、「病」者の病院闘争と結びつけた闘い・・・・愛媛百人委員会

構成団体
「愛をむさぼる会」
「ごかい」など
「この闘いの中で、松山精神病院医師・盛次君(百人委員会の会員)が解雇され、これに対してまた新しい闘う仲間が組織されている。また、一「病」者が松山精神病院に対して、連日の「面会・通信を求める闘争」を闘い抜き、彼の「病」者としての怒り、闘争のエネルギーに多くの人々が共感・感動を覚え、『松精問題』を自分自身のものとしてとらえ直す動きが高まってきている。(11)」

徳島県から
「83年精神衛生実態調査阻止実行委員会」により、調査は実質的に中止

「そのような矢先、今度は徳島市社会福祉協議会、徳島市民生委員協議会が中心となった、「福祉の向上」を目的とした「要援護者名簿」の作成調査が行われていたのです。この中には恐るべき保安処分の先取り的な、「5・精神病は、保健所が緊急に措置を要する場合は、直ちに警察へ。相談は新蔵町県精神衛生センターへ」なる『差別的引き」が書かれてあったのです。(12)」


*作成:廣野 俊輔
UP:20110909 REV:
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