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『全障連』37・38


last update:20110406

 ◇『全障連』(全国機関誌)目次

全障連37・38(1984・4・10)

第一回全障連幹事・活動か組織強化合宿の総括と提起・・・・・・・・・・・・(1-5)

1984年1月15日 16日第一回、全障連幹事・活動家組織強化合宿(大阪、40名参加、全国大会を補うという位置付け)

@全障連運動の情勢(楠)

一般情勢についての厳しさは言うまでもないことですが、闘う側の主体も総体的に弱体化しており、労働戦線における右翼的再編など極めて厳しい状況にあることが確認されました(p1)。

客観的情勢の厳しさについてはほぼ確認されつつも、それを打ち破るべき主体的状況の方はあまり論議が深まらず、日常活動の行き詰まりや問題点ばかりが報告され、それがなぜ、どこからきているのかという積極的な討論に発展しませんでした(3-4)。


A全障連運動の総括(平井・中川)
「(全障連が一定の社会的地位を得た―記録者補注)一方で個人としての自分の想いとのギャップも同時に語りましたつまり、養護学校義務化阻止闘争などの大きな節目を経て確かに運動そのものは発展してきたが、一方で一人一人の障害者がどれだけ闘う主体を確立し得たのかということです(2)。」


私たち全障連に加盟する多くの団体は、個別闘争や個別課題を中心に障害者解放運動を担ってきたため、障害者全体の利害に関わる闘いや、障害者差別総体と対決する闘いをどうやってつくっていくかその道すじをなかなか見出せていませんでした(4)。


B全障連の方針について(西岡)

「昨年度(1983年度―記録者補注)『障害者解放基本要鋼(第一次案)』の総論から「障害者差別を構成する要因」「障害者差別をなくす闘いの方向」を抜粋し、その内容を再確認しました。その上で、「差別をなくす闘い」の要として行政闘争を位置付け、社会変革と行政闘争の課題を述べました(2)。」

この点についてはほとんど獲得できなかったといわざるを得ません。討論のかみ合わせがうまくいかなかったことと、論議自体が深まらなかったこともあり、とりわけ新しい活動家にとっては、「消化不良」をおこしやすいものとなってしまったのではないかと思われます(5)。


C共闘関係について(楠)
(1)障害者間共闘
(2)反差別共闘
(3)反戦・反核・反権力の共闘
(4)一般共闘

「我々の共闘は実に幅広い範囲にわたり、多くの矛盾もはらんでいるが、それを観念的に整理してしまうのではなく、基本路線と戦術の違いを一人一人がきっちりと理解していくことが、重要なのだと提起がありました(2-3)。


ヴァンサンカン(婦人画報社)差別記事「よい血を残したい」糾弾闘争 二月二六日第一回確認会開く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(6-10)

(主催)
全国障害者海保運動連絡会議(全障連)
障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)
視覚障害者労働問題協議会(視労協)

(協力)
82優生保護法改悪阻止連絡会

集会基調
@差別記事の社会的背景
・競争原理による障害者の排除・隔離・抹殺
・マスコミの差別キャンペーン
・他の差別問題として「ビッグコミック」、渡部昇一の週刊文春

A差別記事の問題点と批判
・機関誌33号参照
「その本質として、現実に社会に浸透している女性・職業・人種・出身などありとあらゆる差別意識を動員しつつ優生思想を前面に出していると提起された。まさにこれでもかと障害名を列挙し、「障害児を生むな」「障害者はあってはならない」と抹殺宣言を繰り返しているのである。(6-7)」

B闘争の意義と獲得目標
「この闘いを通し差別社会そのものの変革をもめざし、障害者抹殺と同時に進められている国家主義的「統合」との対決を打ち出した。(7)」


※確認会
婦人画報社 代表取締役
戸田ヴァンサンカン編集長
婦人画報発刊雑誌五種の各編集長 合計7名
(イラストレーターなどは出席せず)

@現在の心境
戸田編集長
抗議文を最初受け取った時は意味が分からなかったが何度か話を聞く中で、優生思想への認識が不十分だったと感じている。今後も話を聞きながら実感していきたい・・・戸田編集長

優生思想や優生保護法すら知らなかった。障害者があってはならないとする立場は許されるものではなく、記事には問題が多かったと反省しているとした。・・・西田代表

A企画・編集作業の手続き
ヴァンサンカンは戸田編集長が全体を把握する形になっており、他の編集スタッフは一切関与せず、チェックもしていなかった。

B監修者の関与と責任
監修は医学的誤りがないかをチェックさせ、礼金を払った。何の提起もなかった。今後確認会への参加を求める。

C企画の目的・女性への見方
・「よい血を残したい」のタイトルは何となく浮かんだ
・障害児のことは思いもよらなかった
・女性観については、「良い男性と結婚しよい子を出産する」と考えていたが男尊女卑の考え方だと今思う。

D「よい血」は何を意味するか
・「いい大学を出て、いい会社に勤め、立身出世をする人と考えていた。
・「悪い血―障害者」の考え方があったと思う。

Eマスコミの責任
・約7万部読まれている。
・この記事を契機に他のマスコミが安易に差別記事を書く傾向が生まれることを危惧している。

F「結婚して女は一人前」とは
・女性を男の道具として見ていたがやめる。
・結婚しない、できない女性のことは全く頭になかった。


G障害者の差別実態の認識
・これまで障害者を避けてきた。
・実態は知らない。

H差別イラスト(家系)の女性
・「酒場の女」は一人前としてみておらず、人権意識ももっていなかった。

以上を確認し、
@この記事を差別と認める
A当誌の回収
B自己批判文の提出
C批判文を同誌及び五大新聞に掲載
D社内研修

を確認した。

※営利主義が生み出した差別事件に怒りが爆発

参加した女性の障害者が言う。「施設に入所させられる時子宮を切り取られた私は、この記事を読んだ時胸に刃をつきつけられたと思った。切実な思いが判るか」、また別の仲間が言う。「おまえらが障害者が火鬱しに生きているこの差別の現実を知らず、金もうけのために雑誌を作った。そのことによって生まれてくるはずの障害児が殺され、おれたちまで殺されていく。勉強するで済むのか。7万の読者の意識、社会的影響にどう責任をとるのだ。」(8-9)

実際に彼らの人間の概念の中に障害者が入っていないどころか、社会的底辺におかれている人々を対等な人間とは見ていない。彼にとって人間の姿は、上流・中流の人々で、それ以外は「つきあう人々」ではないのだ。だからこそいやとういう程にも障害の名を列挙し、障害者をイラスト付きで「ってはならない」存在と決めつけ「障害者のことは何も知らない」と言えるのだ(9)。


闘いの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(11-18)
東京 第二回 都労連シンポジウム開かれる
・1984年3月7日都労連シンポジウム(総評会館)
・都労連は、都職労、都教組、東交労組、都水労、都高教組、都立大職組の6労組で構成される。
・国際障害者年を契機に障害者が持つ要求や課題・生活実態などについての認識の進化を図りたいとして昨年シンポジウムを開く、今回が二回目。
・参加団体は全障連、障害連、障都連、全障研。
・テーマは「障害者と仕事―雇用拡大と労働環境の改善」

・障害連から
「現在の生産性第一主義の中では、就労は単に社会的参加の一手段とみなすべきであり、経済活動への参加を第一義と考えることは、社会適応への強制だと批判した。(11-12)」

・全障連から
「まず障害者の置かれている現状を報告し、この困難の中でこそ、能力主義、生産第一主義との闘いを通して社会変革の担い手として登場し、自己実現として『労働』を勝ちとっていく、障害者として労働闘争の意義を明らかにした。そして、第八回全国大会の要求要綱(案)にあった雇用における制度要求、すなわち「a共労、b、差別撤廃、c障害者に仕事を合わせる」等の原則を提案した。さらに具体的な取組みの課題として、東京都の別枠採用試験の視覚障碍者・重度障害者の切り捨てに対して問題提起をおこなった。(12)」

「各分散会で積極的に発言し、別枠採用の欺まん性、労働現場での差別性などを提起した。更に、視覚障碍者への解雇攻撃との闘い、ろうあ者栗田さんへの解雇撤回の闘い、大久保製ビンでの差別実態と組合の闘いの報告などが次々となされた。(12)」

⇒大久保製ビン労組の支援を都労連として取り組む方向を引き出す。


兵庫 第二回人権シンポジウム開かれる
・1984年1月21日(神戸市内の県立中央センター、180名参加)
・テーマは「在日外国人差別・部落差別・障害者差別・婦人差別の実態をあきらかにし、人権を守ろう」
・参加団体は
全障連
障害者問題を考える連絡会
部落解放同盟
朝鮮関係連絡会議
県民人権センター
総評
自治労

シンポジスト
朝鮮総連 文氏
部落解放同盟 西山氏
障害者の生活と教育を創り出す会 石橋氏


赤堀さんの再審実現!即時釈放!まで闘い抜こう 三・四 全国総決起集会をかちとる

「三・一一差別棄却七ヶ年弾劾・障害者抹殺宣言を絶対許さず、静岡地裁にたたちに再審を開始させる赤堀全国総決起集会」が、三月四日、静岡市駿府後援にて行われる(参加は350名)。
・赤堀さんからのアピール
「私はこの事件には何の関係もないのです。いわれなき罪に問われてから30年目に入りました。(後略)(14、原文は漢字とカタカナ)」

・兄一夫氏からのアピール

・連帯のあいさつ
意見交換会粉砕実行委
監獄法改悪を許さない全国連絡会
八三精神衛生実態調査素子全国共闘会議
部落解放狭山中央闘争本部
三里塚空港反対同盟
など


支援要請 施設における闘いの砦「不二愛育園」存続の闘いに支援を
・不二愛育園は、1966年設立、重症心身障害児だった、子どもの入所を島田療育園に断られた加藤一芳氏が設立
・報告によると、法人は加藤一族が私物化
「そうした一方、園生の生活は毎日一畳ほどのオリ(サークル)に入れられ、手はタオルでしばられ、外に出ることも許されず、食事はごはんにみそしるをかけたもの、熱を出してもバッファリンを飲ませて放っておくだけという悲惨な状態でした。(16)」

・職員は全員女性。障害者の世話は女の仕事、使い捨てにできるという発想。
・こうした状況に抗して、1977年、職員7人で組合結成。
・1980年4月労組の申し入れで予定した花見を急に中止し、抗議した者を解雇する⇒解雇撤回闘争始まる。
・経理は一切公表されない。
・職業病に対しては「なまけ病」などと罵倒するだけ。⇒夜勤の代替要員を雇う要求をし、ストに入る。
・1984年、1月17日、突如3月いっぱいでの廃園を宣言。
・組合は継続の交渉をするが逮捕が出る。衛生課とも交渉。
「個人の思惑で勝手に円を運営し、今また、それを勝手につぶすことなど許されないはずです。(18)」

「身体障害者福祉法改「正」案(厚生省)に出されるまやかしの改正を徹底糾弾し、今始まる本格的闘いを勝利させよう!」・・・・・・(19-26)

@理念規定について
※機会均等主義批判
「例えば、高校入学とか就職の際に、受験の機会が与えられても「能力」によって実際は学校や企業から排除され、参加は実現できません。つまり、参加の機会は与えられていますが、参加できるかどうかは個人の努力と責任にもどってしまいます。(19-20)」

A具体的項目について
「身体障害者の範囲」ですが、国連の言う「障害は障害をもつ個人と環境との関係で把える方がよい」とした立場を拒絶し、相変わらず、身体部位機能の障害を挙げています。今回わずかに「そしゃく機能」を加えていますが、難病者については触れないなど、基本は『障害』観の見直しをしないと宣言したものです(21)。」

・障害の等級に触れていない。

「「福祉ホーム」は「ケア付住宅」に似ているようですが、運営主体は特定福祉法人(社協)で、入所者の自主運営権・運営参加権は認められず、きわめて安上がりな「生活施設」又はせいぜいホームヘルパー事業やガイドヘルパー・訪問サービス(入浴・食事・洗濯など)とセットになった小規模収容施設と考えられます。

・改正の「更生相談所の機能の強化」は@手帳管理強化、A施設の効率的運用、B選別・措置につながる。

※費用徴収
「最後に、一行だけ記されているのが「費用徴収の実施」です。これは更生援護施設の費用について受益者負担を強いることを当面の方針にしています。その際、費用負担は本人の収入だけでなく家族の収入に応じて徴収されるわけですから、更生施設入所の際は家族や本人が金を払わなくてはいけないことになります。

「結局は国は財政をうかし責任を放棄していきます。そして、金が回る間に企業や経営者ももうけていきます(24)」

※批判点まとめ(25)(記録者要約)
@「更生法」ではなく障害者の地域での自立を促す法であるべきだ
A国・地方自治体の責任が「努力義務」に留まっているのは問題である
B障害観を改め、障害の範囲と程度を見直すべき
C施策が世帯単位となっていることは問題である。
Dノーマライゼーションの理念を明確に取り入れるべき
E「機会平等」から「実質的平等」へと変更すべき
F受益者負担は断固許せない。


*作成:廣野 俊輔 
UP:20110406 REV:
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