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全障連 12


last update: 20120814

 ◇『全障連』(全国機関誌)目次

全障連 12(1980・6・17)

全障連第5回大会を成功させよう!
政府・厚生省の「地域福祉」政策=地域管理攻撃と対決し、80年代を自らの手で切り開こう
8月2〜3日 東北大学(仙台)

第五回仙台交流大会の準備状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全障連第五回大会準備実行委員会(1-2)
五回目の大会(結成,大阪,2東京,3京都,4東京,5,東北)
・第4回大会は、2000名近く結集
・これまでの闘争は、赤堀闘争、養護学校義務化反対闘争

「また、本年四月の金井、梅谷、千葉、の就学闘争の勝利と養護学校義務化体制をつきくずすたたかいの前進を背景に五回大会はかちとられようとしている」(1)

・初めての都市部以外での開会に課題も多い。

「全障連第五回仙台交流大会準備実行委員会は、一月二七日、宮城労働福祉会館において楠事務局長を迎え、『養護学校はあかんねん!』上映をもって、約15団体、100名の結集で結成された」

※活動方針
@個人、団体加盟の拡大と障害者解放運動の取り組みの提起
A会場、宿泊体制の準備
B手話点字学習会の定期的開講
C東北―北海道への大会オルグ
D自治体、労組、親、障害者団体への大会参加協力等要請

⇒全障研側でも対抗するような動きがある。

・大会に向けて手話や点字の学習会をしている。
・各労組で「あかんねん!」上映

・会場の東北大学に関して、@休日中の教室使用禁止の規則を廃止させた、A8-9年前にエレベーター設置要求の障害者運動があり、その成果もあって他の施設よりは一定整っている。
・宿泊については大勢で泊まれるところはなく分泊となる。


寄稿論文 80年代の政治情勢と「障害者」解放運動の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉沢徹(2-5)
・梅谷,金井の就学闘争は歴史的な戦いである。
・この影響で千葉をはじめとするいくつかの地域で闘争の勝利がもたらされている。
・この戦いを戦い抜く喜びは「健常者」より「障害者」である自分の方が大きい。
・これまで政治闘争や大衆運動からもせいぜい利用の対象としてしか見られなかった障害者の運動が大きく取り上げられていることは、高く評価されるべき。

「『障害者』解放運動はもはや、かっての孤立からの出発や告発を唯一の武器とした運動ではなく、自らが主人公となり、責任をもって差別社会の根本的変革にたずさわる事が求められている」(3)

1.混迷する政治情勢

・命がけでたたかう南朝鮮人民に学ぶべき
・「元号法制化」の強行、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由とした軍事強化は政治の反動化を示している。
・一方の革新勢力も私たちの期待に応えていない。例えば 日本共産党の部落解放同盟への敵視。日本社会党もそのあいまいさを払しょくできていない。
・希望としては、三里塚農民とそれと連帯している労働者人民。しかし、全障連を含め圧倒的少数派

「支配者階級と対決している人々をリードする立場にあるはずの新左翼諸党派は依然として離合、集散、対立抗争を繰り返し、『我々のみが絶対』といったセクト主義から抜け出そうとせず、このことが闘う人々pの統一と鮮烈の拡大を妨げる要因にさえなっているように思われる」(4)

・政府の福祉切り捨て、義務化をテコとする差別、選別の強化、戦争体制の進行により、障害者は危機的状況に置かれている。

2.「障害者」解放運動の到達点
・全障連の結成は、それまでのサークル的、個別的な運動に理論的進化と力の結集をもたらし、飛躍的前進のきっかけを与えた。
・これからの課題として様々な限界をもつ個別的な障害者運動への働きかけ、総評や社会党への提起、そして、これまで以上にわかりやすく、闘う障害者だけでなく、障害者全体の利害に基づく方針が必要。
・健常者との関係がいまだに明確にできていない。

「『健常者』への強い不信感から自らの立場を絶対視し、ついには運動からさえ遠ざかってしまう『障害者』がいる反面、『健常者』との不断の緊張関係を回避し、無原則な連帯を求める『障害者』もかなり存在する現状は極めて問題といえよう」(5)

・健常者への協力を求めないのは問題。

3.八十年代「障害者」解放運動の展望と当面の課題
・特にこれまで取り組みが弱かった生活部門での取り組みがカギである。
・運動の大衆化とともに解放理論の深化(シンポジウムの積み重ね等)


2/4 第一回・厚生省交渉の議事録メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全障連全国出版部(7-13)

厚生省側 年金局年金課(武田)
     社会局保護課(北川・小林)
     同更生課(河野・丸山・北村)

全障連側 代表幹事(八木下)
     副幹事(荒木)
     司会(西岡)
     以下、40名

※厚生省側の説明(作成者要約)
・補装具に昨年(1979年)電動車いすを追加
・更生医療は約200の機関を指定
・在宅サービスについては1979年4月より重視している。
@障害者福祉都市推進事業で20市(人口10万人以上)を指定し、ホームヘルパー制度、公共建造物の改善、福祉電話などの取り組みを進めている。
A各県に17の事業の中から選択して取り組みを進めてもらい、それに補助金を出している(結婚相談事業、相談員指導事業など)
B在宅の重度障害者のデイサービスを今後やっていく。また、そのために福祉センター(A型、B型)を設ける。

「八木下:そんなことを聞きたいんじゃない。施設政策をやっていくのか、やめるのかを聞いている。板山課長はやめると言っているじゃないか」(8)

⇒厚生省側は、施設を全て間違いとしたわけではないと抗弁。では、「施設政策の誤りという確認は何だ!」という全障連側と平行線。
・厚生省側は「施設か在宅かは選択の問題」と主張
・これに対して全障連は選択権は与えられていないと主張

「関東ブロックS:誰も、社会に出ることとか、こうやって生保をもらえますよなんて教えてくれなかった、いつも『ここしかないんですよ、行き場は』としか教えてくれず、社会のことは判らず、自分では何も知りえなかった。そりゃ施設の中は設備も整っててなんとかできても、外へ出ると何もできない」(9)
⇒「選択制」とする厚生省と「地域で生きることを是とするならば、選択制は誤りで、これまでの施設政策を総括せよ」とする全障連側で応酬。

・結局厚生省側としては全障連が主張する収容施設が差別を助長する面が結果的には存在したことを認める発言を一部でしているが、それは意図したものではないこと、療護施設は必要とする障害者の声もあって設置されたものであること等を主張。最終的に全障連が求めた「施設政策が隔離、収容としてあり、障害者差別を助長するものとしてあった」を確認するには至らなかった(13)。

・全障連側は、各セクションを総括して話せる人間が交渉に参加することを要求。次回の交渉へとつなげる。


身体障害者全国実態調査強行実施と政府―厚生省の政策批判、81年「精薄児者」全国実態調査阻止の闘いにむけて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全障連全国出版部(14-15)


・身体障害者全国実態調査は全障連を初めとする団体の反対にもかかわらず、2月15日に大半が強行され、6月中に第一次集計が発表される。
・それでも埼玉、東京の1部、愛知、岡山、福岡などで取りやめや延期があり、60-70%しか実効性をもたないであろう。
・調査方法はずさんで、本人の意向は尊重されていないために、差別の実態が明らかになることは決してない。

・この実態調査では、厚生省は当初「各自治体福祉事務所でつかんでいるリストからアトランダムに選び全国一万人とする」としていたが、78年の「厚生行政基礎調査」を利用していたことがわかった。「厚生行政基礎調査」は、世帯主が記入し、質問項目には「障害をもっているかどうか」があった。これを利用したのである。「厚生行政基礎調査」の問題点としては、「障害」に対する考え方がきちんと示されていないために、恣意的なものになることである。

※全障連から見た調査の問題点
@今回の調査は国際障害者年を前にこれまでのあまりに露骨な差別政策をとりつくろうために行われようとしている。国際障害者年も国に利用されている。
Aこれまで政策の対象になっていない人を調査の対象にし、既存の政策に目をひきつけ、障害者政策の課題を隠ぺいしている。
B阻止闘争を予測し、何年も前から計画を立て、「厚生行政基礎調査」をも利用していた。
Cこの調査は、障害者の差別行政の強化につながっている。

「厚生省は、『施設収容政策から在宅地域福祉への転換』ではな『収容と地域福祉福祉の政策』と宣言している(『精薄児者』へは巨大コロニーの隔離収容主義)のであり日本型福祉=安上がり総隔離政策を貫こうとしているしていることがより鮮明になっている」(15)。


金井・梅谷就学闘争の前進をふまえた義務制粉砕闘争の方向と課題
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全障連教育小委員会


1.はじめに
・1980年3月金井闘争(10日連続闘争)を戦い抜く。
・教委や日共は「共に学びたい」というねがいを押しつぶすのに躍起になっている。

2.障害児をもつ親の組織化に向けて
・各教委の目標は親の切りくずし
・これに対抗して、親の組織化が必要とされている。
・これまでは「精神薄弱者育成会」のような融和的な組織か(ただし、これらの団体の親の中にも普通学校に通わせたいという親は多い)、全障研的な組織しか存在しなかった。
・障害者の立場からこれらの親を説得し、親同士の話し合い、団結できる場が必要。

3.障害者解放保育・教育研究会の具体化に向けて
・昨年以来提起してきた「研究会」の具体化が課題。
・大阪の「しよう会」「学者、研究者の会」、「15単組」、東京の義務化阻止共闘と共闘を密にしながら1年をメドに開始を目指す。

4.文部省、各地教委の隔離・選別教育を打ち破ろう
・政府―文部省や各地教委への直接的な糾弾闘争も継続
・各地で起きている「トラブル」を突出し、責任の一切が行政側にあることを暴露する。
・各地教委に対しては、特に学習保障の問題を中心に具体的要求を突き付ける。

闘いの主人公 金井邦次氏(康治君のお父さん)
全国各地連続決起集会をめぐってその記録と感想
・徳島(1980年2月9日)
・広島(1980年2月10日)
岡山の中川一二三さんのところに宿泊。
・米子(2月11日)
・奈良(2月16日)
梅谷さんの話を聞く(残念ながら話の内容はこの会報からはわからない)。



*作成:廣野 俊輔
UP: 20120814 REV:
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