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『全障連』8



 ◇『全障連』(全国機関誌)目次

全障連bW(1979・8・27)
全障連第4回大会に結集しよう・・・・・・全障連全国事務局 関東実行委員会(p1-3)
※1979年8月11〜12日の全障連第四回大会(於・明治大学和泉校舎)の情報

養護学校阻止闘争の成果
@戦いを通しての各障害者の団結
A戦いの方向の明確化
B障害者差別を許さない運動が広がったこと

運動の課題
@障害者の多様な要求に応えられていない
A教育労働者の組織化の遅れ
B活動を(全障連として)自覚的に行う人を充分に増やせていない

※状況の認識
「養護学校義務制をテコとした差別・選別体制の強化、赤堀さんへの死刑策動の強まりを始め、佐山差別裁判における再審棄却の策動や三里塚農民に対する第二期工事開始のたくらみなど戦う労働者人民・被差別大衆への差別・抑圧攻撃は日に日に強まる一方です.「福祉政策」も「福祉見直し」から政府―各地行政による「地域福祉の時代」と積極的姿勢をもって新たな管理と隔離・抹殺の後期が行われてきました。したがってこのような情勢の中で開かれる第四回大会には極めて重要な課題が課せられていると言えるでしょう。」(p2)


分科会
@交通
A自立
B教育
C労働権
その1能力主義に基づく差別との戦い
その2共同作業所の実践の検証
D施設
その1福祉施設の障害者を地域へ
その2施設における労働者との連携
その3福祉施設の労働者との連携

E(第四分科会となっているが明らかに6との誤り―作成者)赤堀闘争
F医療交流会
「医療については今年度全障連のとりくみがほとんどなく、独自の方向が出せていないため、医療交流会都市討論の中で今後の課題を考えていきたいと考えます(p3)」

6.24 関東実行委員会が結成される―障害者差別を許さない運動理論の構築を・・・・・・・関東実行委員会

※全障連第四回大会実行委員会の結成
1979・6・24 三田福祉会館 20数団体、70名で結成
「また健全者は『障害者と共に生き、共に闘う』と百万遍さけんだとしても具体的な障害者との関係「介護の問題、手話、点字)の問題をぬきにした障害者解放運動などは存在しないし、あったとしてもウソッパチでしかないでしょう」(p4)→具体的な問題への傾斜
※今回の実行委員は当事者から手話と点字を習うことにしている

「多くの障害者は、他の障害者に対して理解を持っていないのが残念ながら現実です。」(p4)

6・5明大学内実行委員会を結成―全障連第4回大会に向けたとりくみ・・・・明大学内実行委員会

※明大三地区(和泉・生田・御茶の水)において「養護学校はあかんねん」の映画上映と講演会

6・21和泉地区 参加90名 八木下さんの講演
7・3駿河台 参加約100名 村田さんの講演
7・6生田 約100名 須田さんの講演

※7・1金井康治君の花畑東小転校を実現する総決起集会に実行委員会として参加

5・24 不当逮捕25年目・赤堀闘争の総括・・・・・全障連赤堀小委員会(p6-7)
1979・5・24で赤堀さんが逮捕されて25年たつ
「赤堀さんは不当逮捕移行二六年目を迎え、ますます権力への怒りを強め、同時にシャバの『障害者』の仲間に対しては『皆で仲良く助け合ってがんばりなさい」と共に斗う決意を送ってきています。」(p6)

「五・二四不当逮捕二六ヶ年糾弾の斗いは全国各地、三者共斗を軸として様々な斗いが展開されました。情宣、カンパ活動、各地集会等、我々全障連も『病者』『健全者』の斗う仲間と共に展開しました。」(p6)

「昨年一一・二六中闘委を全障連、『病者』集団が軸となって結成し、『病者』『障害者』を軸とした『障害者』解放斗争の主体的発展そしてその事を通じて三者共斗の内実、斗う隊列そのものを強化していくことを確認してきました。そして、それ以降初めて中斗委主催による三・一一差別決定糾弾中央斗争、そして中斗委よびかけによる五・二四各地統一行動を取り組みました。」(p6)

赤堀氏不当逮捕25周年糾弾―宮刑包囲糾弾闘争の報告・・・・全障連東北ブロック(p7-8)
5月24日〜27日、仙台 仙台赤堀さんと共に闘う会を中心に行動(全障連東北ブロックも参加)

5月24日 該当、宮刑周辺に情宣、赤堀さんに集中面会、医療の改善を要求する申し入れ書を渡す→受け取り拒否→後日、当局へ送付

5月26日 街頭情宣、交流検討集会(約40名参加)

※今後の課題
@「精神障害者」との関わりがほとんどない
A点字や手話などによる「障害者」との日常的な関わりの強化
B労働組合に対する働きかけの強化

富山 赤堀差別裁判糾弾闘争に向けての学習会・・・・河上千鶴子(pp8-9)
※富山大学で赤堀裁判に関する4回の学習会
@5月9日
赤堀さんの生い立ち
「この中で、私たち『身体障害者』と共通しているものが感じられました」(p8)

A5月18日
「精神障害者」に対する地域住民やマスコミの予断と偏見について

B5月24日
「身体障害者」と「精神障害者」の関係について
「『養護学校義務化と赤堀さんとどこで結びつくのかわからない』という質問が出ました。(中略)、今、国の政策によってあらゆる「障害者」に対して地域社会から排除し、隔離するための施設作りが逆人行われてきている。」(p9)。

C「身体障害者」、「精神障害者」「重複障害者」に使われる差別語についての勉強会

五・二四 広島での闘争報告・・・・・・・・・・・・・ 広島協議会・広島赤堀さん共に闘う会(p9)

1979・5・24広島駅前で赤堀裁判に関する情宣
刑法改「正」―保安処分に反対する百人委員会、(広島―作成者)修道大部落解放研、(広島―作成者)女子大学友会などが参加

「5・24の斗いは、77年3・11再審棄却―日帝国家権力の「障害者」皆殺し宣言への全「障害者の運命をかけた反撃の始まりだ」(p9)

富山での上映集会報告・・・・・・・・山形悦子(p10-11)
1979年4月21、22日 富山 「養護学校はあかんねん!」の上映会

出された感想
「今まで養護学校は障害児(者)には良いものだと思っていたkが障害者の人達の意見を聞くとそうでないことが判った」(p10)

「努力したくてもできない障害者(施設・在宅)、そして日常介護が必要な障害者は介護がなければ何もすることができない。どうすれば良いのか」(p11)


厚生省「身体障害者」者実態調査の問題点―「重度障害」者の隔離収容を許すな!―・・・・「心身障害」児・者実態調査阻止実行委員会事務局(p12-13)

※1979年6月8日厚生省は全障連の要望を受けて、10月1日に実施しようとしている実態調査の説明会を開く。「ちょうど苦い薬をオブラートで飲ませようとしているような印象を受けた。」(p12)。

※全障連からみる今回調査の問題点
@「『軽・中障害」者には手直し程度の在宅対策(家族・親族に経済面・介護面での自己負担を強いるもの)を「重度障害」者には施設をというように、「障害」者の分断を計り・・・(後略)」
A調査がプライバシーを侵害する可能性が非常に高い
B地域の障害者を掘り起こそうとしている(管理体制の強化)

※今回の調査の特徴
@養護学校の正当化の資料とする
Aリハビリテーションに関係する設問が多く、リハビリテーション・センターの正当化や体系化に役立てようとしている
B母子保健法の改正と関連して「異常児の出生防止」の基礎資料とするつもりである

今回は障害者の生き甲斐や要望などの項目も含まれている→「障害連」は主観的な設問の排除を要求している。

資料@厚生省からの素案検討要望

資料A全国青い芝の会の態度
先の調査中止を高く評価。今回の調査に対しても表現は軟らかくなっているものの@障害者を施設に追いやろうとしている、A先天性の障害者を予防しようとしている点で変わらない(作成者要約)。「私達はこうした脳性マヒ抹殺、差別の思想に基づいた今回の実態調査を国・厚生省は中止されるよう強く要請致します」(p15)

資料B障害連の態度
@調査の目的は福祉対策の基礎資料となっているが、これまでの私達の訴えをどう考えているのか
A調査対象者を1万人に限定しているのはなぜか
B調査員はどのような資格のものがなるのか。情報漏洩等に対してどう処置するか。
C調査との関連で障害等級の改訂との関連・見通しを明らかにしていただきたい。


各地の運動紹介 下関地下道問題を考える市民の会・・・・・・・(p16-17)

「施設や言えに隔離され、閉じこもりがちな障害者にとって、階段状の地下道は、ますます街へ出にくくさせ、生活権を脅かすものであり、自立を一層困難にしてしまう。」(p16)
「生活保護」と自動車・・・・・・・・・・・・・・・田辺正行(p17)
広島県協議会(全障連の広島支部か―作成者)の活動
「呼吸機能が弱いために車いすが使えず、日常的に自動車を必要としているカリエス障害者に対して、生保支給の条件としてその自動車を(就職・通勤などあり得ないとして)手放すように強要した・・・・(後略)」→これに対する抗議と交渉


寄稿@ がんばれ息子達・・・・・・・・・・・・・・ 金井律子(20-21)

「(1)機能訓練は無理矢理するからいや(2)友達ともっと一緒にいたいから三時過ぎの下校話しかけ、又、私自身も(1)整備が整っているという事、(2)訓練は何のためにするのか、(3)友達ともっと一緒にいたい、(4)教科書が配布されない、(5)父母への給食指導への介助、等々の疑問につきあたりました。(中略)康チャンの要求と、私達の考えの一致点を見つけ、地域の花畑東小学校へ、弟と一緒に通学させなければならないとの考えに達し、七七年七月に転校希望届けを出したわけです。はや二年が過ぎます。(中略)地域では、皆さんと同じ子供なんだ、学校へ通わせたいといいだしたとたん「気が違ってんじゃないの」「あんたが生んだんだから自分で責任を持てばいい」「歩けないし、一人で何も出来ないのに、子供の迷惑を考えなさいよ」と、以前とのつき合とは、全く違う言葉が返えされてくる」(p21)

寄稿A「〈村田実〉学校へ入る会からのアピール」・・・・・・・・(p20)
※久留米市長からこれまでの対応が間違いであり、話し合いをしたいという知らせがあった。1回目の交渉は4月にあり、7月に第2回目の交渉がある(作成者要約)。

五四年度養護学校義務化阻止兵庫県共闘会議からの総括報告・・・・同事務局(22-23)

※1977年5月結成
青い芝の会・学生などで阻止共闘の準備会
市教委に交渉を求めるも文部省は徹底拒否
1978年部落解放同盟および童話保育を進める保育所との話し合いによって普通学校への2名の進学の成果があった(尼崎)。
※障害者、部落解放、在日朝鮮人などの共闘

「個々の斗いの成果はあったものの、県下全域では完敗に等しい七九年度の斗いであった。それは全国的にもいえる。」(p23)

※兵庫での問題点
「れは、普通学級に入った障害児が充分な教育保障が備えられるどころか、ある親は、連日通学のみでなく、教室の中でもすべての生活を共に過ごさざるをえずy、教師も学校もそれを放置しているという事実があるということです」(p23)

寄稿C福島障害者解放研究会からの報告・・・・・・・・・(p22)
5月20日「障害者との”共生””共育”を考える講演検討集会」
主催:「福島大学に障害者の入学を実現する会」

寄稿D「県教委特殊教育課交渉報告」・・・・・・・・・山形障害者問題公開講座
6月18日 第三回交渉(3月7日の交渉から交渉要求を「忙しい」と延期されてきた)
米沢障害者の在宅保障を考える会と公開講座の障害者13名参加

※延期により「担当者が違うのでわからない」といわれる→次回の交渉は確認させる
「最後に前回の交渉で確認した親の選択権を認めるという点を再度追求し、同様の確認を得た。しかし確約できる責任にないとのことで確約を拒み。次回には課長の出席を確認して交渉を終えた」(p24)

7月1日 義務化反対集会報告
山形大学学館
神奈川の教員 川瀬さんを迎え集会
@教育をめぐって何があらそわれているのか
イ 教育荒廃とは何か
ロ教育荒廃に対する政府 文部省の対応
ハ教育荒廃に対する日教組の対応

A教育再編と義務化阻止闘争
B義務化阻止闘争の今後の斗いの方向

寄稿E 徳島79年度養護学校義務化阻止共闘会議の現況報告
昨年12月22日の結成大会
これまで県教委と3回交渉
「第2回交渉で教育長自らが『養護学校に入るような「障害者」はゼロになればいい、ゼロになる方が望ましい』と決して許すことの出来ない「障害者」に対する差別、抹殺発言を行ったのである」(25)

さらに3月に交渉を一方的に打ち切り

抗議により5月30日、4回目の交渉
「共同教育は認めない。養護学校で考慮していく」
→第4回の交渉を確約
6月21日 交渉の場に相手が出てこず

「障害者差別・でっち上げを許すな!」・・・・岐阜「厚見中放火事件」を考える会(p25-26)
「ろう者である小笠原定雄さんは77年2月23日、窃盗の容疑で府南署に逮捕されました。そして取り調べの課程で南署は小笠原さんが窃盗に入った岐阜市立厚見中学校が同じ日(77年2月21日早朝)に焼失していたため、その原因を窃盗をゴマかすために行った「放火」であると余断(予断?―作成者)に基づき障害者差別を巧みに利用し、デタラメな調書犯行手段を作り上げ小笠原さんを「放火犯」にデッチあげていったのです。」(p25)


*作成:廣野 俊輔 
UP:20090606 REV:
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