『全障連』bT
◇『全障連』(全国機関誌)目次
全障連bT(1978・4・30)
第二回文部省交渉・全国総決起集会の報告と総括の視点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教育小委員会 (p2〜)
1978・1月、22日、23日 文部省交渉とそれに向けての全国総決起集会
22日、東京オリンピックセンターに800名が集結し全体会を開催→その後、(一)行政闘争の進め方、(二)各地の養護学校の実態、(三)保育所及び施設労働者の義務化阻止に向けての戦いの方向と、その実態という内容の分科会に分かれる。
※内容、準備ともに不徹底であったと指摘されている。
23日、日比谷公園に300名が集結、決意表明後、交渉へ
第二回交渉での要求項目(p2〜3)
1 これまでの障害児教育の実情について具体的に質問します
(1)養護学校7ヵ年計画および特殊学級10ヵ年計画の進行情況はどうなっていますか
(2)就学猶予・免除の実態はどうなっていますか
(3)就学時健康診断、就学指導委員会の方針の及びその内容について明らかにしてください
2 54年度養護学校義務化以降の諸施策について質問します
(1)就学猶予・免除制度はどうなりますか
(2)就学時健康診断および就学指導委員会をどのようにされますか
(3)障害児(者)および親が校区の普通学級に就学を希望する場合どのようにされますか
(4)罰則規定についてどの世婦にお考えですか
(5)過年児の保障についてどうされますか
(6)施設内学級および訪問教育制度をどのように位置づけられますか
質問に対する文部省の回答
1
(1)現在、計画のほとんど実施できており、養護学校設置もあと14校を残すだけである。「特殊学級」も児童の数に対応し、設置が行われている。
(2)現在は減る傾向にあるが、医療を必要としなければならないような子供については、「免除」もやむをえない。またこれは原則として親からの願いによってであるが、子供のために判断しなければならない。
(3)「就学前検診」は、あくまで健康維持のために行われているもので、例えば、伝染病の発見、虫歯等の発見を行い早期治療を行って、学校教育に支障のないようにするためである。その他の意味ははない。また、指導委員会は設置者がおくもので学識経験者、現場職員、医療関係者が組織し、児童の就学における相談にのる。
2
(1)医療の必要な子供については残る
(2)もっと充実させていきたい。
(3)できるだけ、その児童にあった学級へ入る方向で説得する。
(4)罰則規定はある
(5)現在義務教育年齢がきまっているので、どうしようもない。ただし、過年児が学校へ行ってはならないとは法律の上では禁止されていない。従って設置(設置者の脱字―作成者補注)の判断にゆだねられる。
(6)数を増し、充実していきたい。
双方の一致した点
(1)「就学猶予・免除」は「障害」を(「が」の誤字か?―作成者補注)理由にならない。
(2)「入学前検診」だけで学校が決定されてはならない
(3)過年児が学校へ行くことは、法律上は禁止されていない
(4)罰則規定はあるが、その対応に関しては慎重に検討する
(5)これ以降、この問題について全障連と話し合いをする
※ただし、確認の文章は書こうとせず
3/20全交運との第二回交渉の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・交通小委員会(p4〜)
全交運への公開質問状(作成者による抜粋)(1978・1・7)
(1)全国各地でおこっている乗車拒否という事態を全交運はどう把えておれらますか、またいままでの事態に対し全交運としては当局とどう対応されてこられましたか
(2)6月の中央バス共闘会議の通達や8月の私鉄総連の大会決議を全交運としてはどう総括されますか
(3)先頃、横浜の交通局などはほとんど全面的に車イスの乗車を認めるような姿勢をうちだしています。そのことに関し全交運として今後どう対応されますか
(4)労働者に対する合理化攻撃と、障害者は排除するという攻撃とは密接に結びついていると私達は考えていますが、あなたがた全交運はどのように考えておられますか
(5)今後、車イスで乗車を希望する障害者に対して、具体的にどのように対処される考えですか
全交運の回答
全体について
「全交運の前回の定期大会で障害者も当然、交通機関を利用すべきで、これを実現するために共に闘っていくということは確認されている。この方針に基づいてどう実現化していくのかという時に考えることは、いかにして安全に輸送できるのかということである。今まで乗ることは事故の原因である。私共は運輸省、経営者に対して改造要求もやってきているが、困難である。運輸省と交渉して基本的に一致点を得るまでは遠慮してほしい、このことを理解して欲しい。
職員の意識に関して
「現場労働者・乗務員が障害者を乗せて2、3分おくれてもいいのだと思うようにしていくのが大切である。」
(全障連からみた)現状の問題点
(1)労働者にねぶかい差別意識をどう取り除いていくか
(2)車イスは危険だという固定観念をどう取り除いていくか
(3)労働過重の問題
(4)車体改善
(5)交通法規
赤堀闘争と障害者解放運動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤堀小委委員会(p7〜8)
「24年間の獄中生活のなかで『かわいそうな無実の死刑囚・赤堀政夫』としかいいきれない、赤堀さんのたたかう質の弱さを、どのように克服していくのか、我々全障連にとっては何よりも大きな課題である(p7)
赤堀闘争の課題
(1)赤堀さん自身のたたかいの質をどうたかめていくか
(2)裁判闘争の質をどう高めていくか
(3)赤堀さんのたたかいを支援し、共にたたかう大衆的拡がりをどうつくっていくか
特集/障害者にとっての生活自立を考える・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(p9〜14)
「自立障害者の実態」 石川青い芝の会・高
「本来障害者の自立とは、今まで介護してもらっていた親(又は施設職員)の関係に、それでは生きていないのだ、ということを言っていくことだと思います。」(p9)
「家(実家―作成者補注)に居れば、自分というものに責任を持たなくてもいいし、時間になれば起こされ、また時間が来れば寝かされる生活であったことを実感する必要がある」(p9)
「精神病者にとって自立とは・・・・・」東京・T・I
「かんたんな事から一緒に運動、勉強、その他いろいろあると思うが、その病者がしたい事を自分も一緒に行動して、一つ一つ自信をつけることだと思います」(p10)
「障害者の自立生活に向けての介護料要求の闘い」・在宅障害者の保障を考える会 新田勲
「施設の中に隔離するなら50万円以上出して、在宅生活を行うと七万円しか出ない、こんな不公平な行政の制度があっていいのでしょうか?」(p11)
「その命の手の保障(介護の保障―作成者補注)国が保障していくのが当然と言えましょう。」(p11)
「家族が働かなくても、重度障害者の世話をしながら食べていけるような障害者自身の介護の保障、又、障害者自身の意志によって介護及び生きる場を選べる保障制度のたてかた(@介護によって両親が、障害者の世話をしながらくらしていく。A介護料によって自分自身で生きる場を決めていく。たとえば、そのお金で、自分で施設をえらぶか、それとも家政婦さん、または知人を雇い社会のなかで生活していくか。)を行っていくべきです。」(p11)
「介護する側も、電車賃、食事代も何ひとつ保障のないところでは長くつづきません。」(p12)
1973年11に都の民生局と交渉し、緊急予算を組ませる→一回の介護料1750円で月4回分を認めさせる(※家族も介護料を認めるという回答を引き出す)。さらに、その後拡大を約束するが、四年間で介護回数は5回、金額は、2750円となる→「今の物価の上昇からみても到底低い額です」
「ここでも明らかに問題なのは、重度障害者は家族がみることが当然とされている行政の意識、制度のたてかたです。」(p12)
国との交渉→1日4時間、1時間400円の介護料が認められる(ただし、生活保護他人介護加算の16000円を含む)。→その後、金額は6000円アップ。
「いま、これを受けてくらしているのは、東京都で二人しかいません」(p13)
「『介護料がないと生活できないなら施設に入って下さい。施設に入るならおせわしますし、施設経費も出します』と言うのです」(p12)
「私達の運動は、同じ痛さをしれと言うのではなく、痛さを理解してくださいと言うことです。一人でも私達を理解する人、力になってくれる人を増してこそ、重度障害者が在宅で住めるような社会的背景がつくられていくのです。」(p13)
※東京青い芝から、介護料は健全者の保障だからという理由で、介護料要求運動に対する批判あり(むしろ年金を主張すべきだとする批判)
新田によると、介護料は多額であり年金では無理がある。
2/25 第二回生活小委員会の報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 生活小委員会(p14)
第三回大会(八月)の前(六月頃)に、全国「生活」討論集会を計画
全障連第三回京都大会を成功させよう!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全国事務局(p15)
予定 8月12日〜13日(土、日) 場所 京都大学
全国各地のさまざまな闘いの紹介と提起
「ともに生きる」を原点に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福田会労働組合(p16〜18)
「障害児」の施設と隣接する養護施設の保母・指導員によって結成。「障害児」の学校への就学運動を行う。また、混合教育を行う。→行政側は、混合教育を違法とし、これを受けて法人運営主は17人の組合員のうち、7人の組合員の解雇を強行してきた。組合に対する支援を求める。→全障連は7名の解雇撤回のために支援することを決議した。
川口に「障害者」の生きる場を!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・川口に「障害者」の生きる場を作る会(p18〜19)1974年結成、川口市に対して「障害者」が地域で生きる場をつくれと要求してきた。
※要求内容
市街地に、定員10名のくらしの場で、重度者には1人に3名の介護者、間接介護者を3名つけること
※経過
75年9月 重度者はコロニーへ、中軽度者は授産施設へという方針→座り込み抗議による撤回
76年2月 民間委託の認可基準施設をもちかける→座り込み抗議による撤回
76年12月 「重度者」5名、「中軽度者」5名に直接介護職員12名、間接職員3名を確約
77年12月 「しらゆりの家」開所(運動側との約束を一部反故にし、社会福祉法人「まりも会」委託)
※問題点
・病院と同様の規格化された日課
・職員の労働条件
※私達は闘う!
「私達は既存の施設を10名に減少させただけの『重度障害者』隔離収容施設『しらゆりの家』を断じて許すことはできません。」(p19)
・まりも会委託反対
・収容施設化反対
「行動綱領問題について」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集局(p19〜20)
第2回大会で行動綱領が全国事務局から提起、一部の団体の反対で、全体的確認が取れず。前例としない確認のもとに参加者全員の採決で決まる
一、全障連は、障害者に対するいかなる差別をも糾弾し、障害者の存在を否定する優生思想と対決することを通して、自らの自覚をうながす。
一、全障連は、障害者自身の絶対的自己主張と不屈の闘いを通して、自らの主体性を強化しつつ障害者の自立と会報を自らの手で実現する。
一、全障連は、あわれみに裏づけられた愛とそこから発するいっさいの人間観を否定すると共にごまかしに満ちた福祉政策を拒否し、さらに健全者に近ず(原文―作成 者)き健全者社会に適応することを良しとするいっさいの融和主義と対決する。
一、全障連は、あらゆる地域・学校・職場に無数の自立した障害者を送り出すことを通して、障害者が地域社会の中で健全者と共に生きることのできる社会をつくりだ す。
一、全障連は、徹底した相互批判の原則に基ず(原文―作成者)きながら、差別と闘う健全者(労働者・学生。市民)及び被差別人民との共闘のあり方を明らかにし、 運動の拡大と発展をはかる。
「行動綱領の提起について」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全国青い芝の会総連合会(p20〜p21)
・全障連の組織としての性格、体制が曖昧である
「現実的な運動の展開をみても、障害者の自立と解放の方向性と思想性の欠如は、全障連に結集している障害者と健全者の関係性をあいまいにし、障害者と健全者の「敵」に対する認識の違いを確認し得ないままの状況が続くのではないだろうか。」(p21〜22)
行動綱領(案)
一、我らは、自ら障害者(健全者)であることを自覚する
一、我らは、強固な自己主張を行う。
一、我らは、愛と正義を否定する。
一、我らは現代思想を否定する。
一、われらは、問題解決の路を選ばない。
「全障連『行動綱領』をめぐる討論について」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・関東障害者解放闘争連絡会議(関障連)(p23〜25)
・青い芝案に対する主張
組織の統一性が必要なことには同意するが、
「多分に抽象的な立場性を強調した文章を確認することによって『統一した方向性』が出るでしょうか。」
「従って、今、必要なことは抽象的な立場を書いた文章を認めるか否かではなく、具体的な生活や教育などでの運動のとりくみ、方向をめぐる討論を題材にして、より深いところでの『統一した思想性と方向性』をつくり出していくための努力だろう」(ともにp23)
「ある団体にとっては、当たり前のことでも、他の団体、別の経験をもつ人にとっては必ずしも当たり前でないのだ。こういう『運動の総括をつうじて共同の方針、立場をつくる」というやり方を放棄してしまえば、空中戦にしかならないだろう。(p25)
「意見のちがいを採決で切りすてていってしまうようなやり方は『大きな障害者解放の流れ』をめざす全障連の自殺行為である。」(p25)
*作成:廣野 俊輔