HOME > BOOK > 雑誌 >

『全障連』bS



『全障連』bS(19780120)

 ◇『全障連』(全国機関誌)目次

『全障連』bS(19780120)

全障連第二回大会の報告と総括の視点(p2-p5)

1977年 8月13日〜14日 於 明治大学 参加者 2000名(前年比+500名)

13日
荒木副幹事による開会宣言
司会に北陸ブロックの平井氏
病気療養中の横塚によるメッセージ

大会におけるコミュニケーション保障の問題(前年度からの検討課題)
(一)コミュニケーションは原則として当人同士が直接行うように努める
(二)不明な点は率直に聞き返す
(三)どうしてもわからない時は本人の意思に従う
(四)手話についいても上と同様であるが、現状においては手話通訳をおき発言のペースや内容にもそれぞれが考慮を払う。

「精神病者」集団・赤堀闘争全活からのアピール

日本社会党 目黒議員からアピール

全交運バス共闘会議からのアピール

議長団に関東ブロックの福田、村田、関西ブロックの福永を選出

事務局長より基調提起

午後から分科会

交通分科会「交通運輸行政の障害者差別を糾弾し、交通機関の自由で安全利用をかちとろう」(参加者約250名)
→相次ぐ乗車拒否についての報告がなされる

生活分科会「障害者の自立生活理念を確立し、地域社会で生きるために行政闘争を拡大しよう」(参加者約200名)
・在宅訪問の報告
・生活保護の収入認定
・優生思想との戦い

教育分科会「五四年度養護学校義務化を阻止し、すべての障害児が地区鉱区の普通学級へ就学する闘いを通して、差別選別教育体制を変革しよう」
参加者約800名

労働分科会「重度障害者にとっての労働の意味を問い直しつつ、障害者に対する就職差別との闘いを組織しよう」
・就労闘争の位置づけについて
・統一スローガンを上げられず

施設分科会「施設における障害者の生活の自由をかちとりつつ、地域での自立生活の闘いと結合させよう」(参加者約200名)

※残された課題
・全障連の性格があいまい
「地域の自立生活」や「解放」があいまいだという指摘が再三なされてきた
教条主義やセクト主義は批判されなければならない

・障害者と健常者の関係
健常者に対する2つの立場
@「健全者が障害者に対して差別者と存在し、障害者を殺しかねない彼らの意識を糾弾していくことが必要だ」
A「今、より重要な事は、障害者と労働者の共通の利害を認識し、共通の敵に向かって闘いを進めることだ」

・軽度障害者の位置づけ
「(軽度障害者も差別されているのに―記録者)健全者と同様に位置づけることには、納得できない」

・身体障害者と精神障害者の関係について
内部からも消極的な議論が出てきたことは、自己批判されるべき点、今後も議論が必要

・幹事会の評決権について
大会後、青い芝の会から青い芝思想を基調とした行動綱領案が提出された→討議中

・分科会の持ち方や内容に対する不満

1/22〜23 54年度養護学校義務化阻止!全国総決起集会ならびに文部省闘争へのよびかけ 教育小委員会(p5-p6)

1月22日 青少年オリンピック記念センター
1月23日 第二弾文部省闘争

就学時健診反対! 地域からの闘いの報告(p7-10)

就学時健診反対の六年間の経緯 教育を考える会(がっこの会事務局)連絡会

72年→就学健診を受ける義務はないこと、拒否しよう、受けてしまっても普通学校に入れるようにがんばろう、と訴える

73年→上記内容のビラをまく、二次健診(個人への精密検査)にも抗議。

74年→教職組合にもビラをまく

75年→ビラをまく件数減少

76年→保育園や幼稚園にも訴える


私たちのなかまはどのようにして「普通学級」に入り、どのように闘ってきたか ある親の報告(豊島福祉研究会)

養護学校・特殊学級・普通学級の3つの選択肢を念頭に置く

養護学校→見に行って養護学校だけは行かせたくないと思った

特殊学級と普通学級で迷うが、担任の先生と近所の特殊学級に子どもを通わせている母親のすすめで普通学級に決める。

入学通知が来ない→豊島福祉研のメンバーと教委に押しかける

「付き添い」の条件付き

夏のプールからの除外、級友からのからかいなどに泣き寝入りしない努力

普通学級のよい点 健常児が障害児に違和感を感じにくくさせる
普通学級の悪い点 お荷物扱いされやすい


特集/生活現場からみた養護学校とは(p11-13)

猪野千代子「私は学校へ行けなかった」
就学年齢に達した時に戦火が激しくなる。敗戦後もやはり学校どころではなかった。戦乱のおさまったころ先生が尋ねてきて、学校側の配慮により、就学免除となった。
13か14の頃、妹の教科書を使って文字を覚えだす。その後施設に入る。

「職員は学校に行っていた障害者を上に見ていたのだ。また、学校に行っていない障害者に対してはごまかすような態度をとる。・・・・(中略)・・・学校へ行った人の間にもできる子とできない子の区別をつけている」(p12)



須田雅之 「生活現場から養護学校とは」
1976年から自立生活を始めた。18年間、養護学校と施設で「障害者」だけの生活を強いられてきた。
その中でしてきたことは、より重度の人をからかってよろこんだり、仲間に対していきがったりしていた。また、障害者が勉強をしてもしょうがないと思っていた。
養護学校では、「頑張ればできるのだから頑張りなさい」とか「周囲の人たちに迷惑をかけないように」というようなことがいわれる。障害者同士の重度や軽度といった差別が出てくる。

「私にとって施設、養護学校の生活は、健全者との関係をしゃ断されたことであり、自分で、責任をもって動くということを奪われてきたこと、そして重度の仲間たちに対して差別的な意識があって、逆に、ノビノビとしてきた所
である」(p13)


全国各地のさまざまな闘いの紹介と提起
1・11差別裁判糾弾闘争に「障害者」解放闘争の力を結集し、勝利しよう! 岡山「障害者」解放委員会
静岡地裁における1978・1・11の赤堀政夫さん分離公判に対する抗議行動の報告

今日の労働者の状態―石坂善新堂における闘いにそって―
東京・神田の製本会社、石坂善新堂の労働組合の解雇撤回闘争について

1975年2月闘争開始
組合員2名に対する不当解雇が発端

組合員の中に2人のろう者

1977年7月1日 勝利(闘争の詳細は、結成大会資料集p139)
「ろう者を働かせていてろう者のことは何も考えず、健聴者以上に危険な状態におかれています」(組合結成をよびかけるビラより)(p15)

ろう者=安い労働者としての扱いに対する抗議

二年五ヶ月の石坂闘争の過程で、4人の組合員が組合をやめ、会社を去っていった。うち二人はろう者だった。・・・(中略)・・・・この事情は、「解雇撤回」の意味をほとんど失わさせる。(p17-18)

支援の労働者や学生はよい。彼らはもともと何かやりたくてうずうずしているのであり、自らの思想の実践の場を求めているのだ。だが当該はそうはいかない。好きで闘うものばかりではない。したかって、ここで大切なことは、学習である(p18)

健聴労働者とろう労働者は、おなじ底辺の労働者として、手話に結ばれて、共通の場に立っている(p18)。


全障研批判 リボン社理論委員会(p19-24)

1。全障研発生過程概観
省略

2。発達保障理論批判
発達保障理論→「人間には無限に発達する可能性があり、その発達への可能性を権利として保障する」
@障害者自身が障害を克服するための手だての保障
Aその手だてとしての物質的な条件を制度的に保障する

「既成の社会領域に於て障害者の一生を通じて障害者としての存在が、否定され抜く中で個別障害者が健全者に近づきたいと願うのは、闘いをとおして団結を為し得ない限り当たり前のことである。・・・個々バラバラに分断された個別障害者即時的要求の集合が社会現象として真理であるなら一切の諸科学は不要であろう。しかも、となり近所の友達と一緒の学校へ行きたい」という障害児の要求はキレイに抹殺されている(p21)。

優生思想の伝統と、民主主義の神話とが「健全者も同じ発達の筋道をたどる」という融和主義の媒介によって、障害者の現実存在を根本的に否定する(p22)。

3。全障研運動の本質
@障害者に関わる人々(教師、親、施設職員、ボランティア)の現場での即時的要求を
A「発達保障理論」の研究によって特権を貪る専門家と集団の理論指導によって組織し
B特定政党の路線にのせた障害者抜きの「国民的合意、要求」に仕立てることによって現場実践←→政治の糸をもつ社会運動であること

そして、

@「見通し論」として特定政党の誤りがにあるがままにひきずられ、現場での障害者差別と全く向き合わない中身と
A「発達保障理論」による障害者の現実存在の根本的否定と、
B差別に対して責任を放棄し、障害者に対して責任を全くとらない研究手段の質とである。(p24)

小委員会からの報告(p25-28)
赤堀小委員会からの報告
赤堀闘争全国活動者会議、全国「精神病者」集団、全障連の三者共催で11・27全国闘争
26日
・10万人の署名→東京高裁刑事三部小松正富、法務大臣戸山光男
・「再審開始」と「死刑執行阻止」を迫る

27日
日比谷公園野外音楽堂に750名集結 赤堀さんの刑務所内での待遇改善などを訴える

交通小委委員会からの報告
全国での乗車拒否が明らかになる
全交運に対する質問の作成
1乗車拒否に対して今までどう捉えてきたか。
2それに対し、どう対応してきたか。これまでもうけていた乗車の条件をどう総括してきたか
3横浜市交通局は、2の条件にこだわらないという回答をしているが、組合は反対していることをどう考えているか
4合理化攻撃と「障害者」が自由にのれないという関係をどう捉えているか

生活小委員会からの報告
1977・12・10第一回小委員会会合

生活担当者
東北ブロック 橋本(福島青い芝)
関東ブロック 荒木 (関障連)
関西ブロック 未定

闘いの基本→まずは、障害者が今、地域で生きている状況、差別を厚生省に知らしめる

「自立に関する我々の見解」
隔離された状態から地域社会に出ること、社会のあらゆる所にどんな障害者でも生きていかれること、生活のすべてに対し障害者が責任をとっていくこと

闘いの基本的な課題
(1)生活できるだけの大幅な年金の増額
(2)自立生活に対し、最低施設にかけるくらいの介護料の増額
(3)収入認定の廃止
(4)羊水チェックなどの優性思想の攻撃との闘い
(5)自立生活のための住居の保障

具体的なとりくみ
(1)第三回大会の前に「生活」討論集会、厚生省交渉
(2)自立生活のための運動をしている団体、個人の連絡誌
(3)生活小委員会の会議


*作成:廣野俊輔


UP:20080228 REV:
全障連  ◇『全障連』(全国機関誌)目次  ◇障害者(運動)史のための年表
TOP HOME (http://www.arsvi.com)