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『全障連』創刊号



『全障連』創刊号(19770330)

 ◇『全障連』(全国機関誌)目次

「全障連機関誌発行にあたって」(全国代表幹事 横塚晃一) 
 昨年8月に結成された全障連は、その後全国各地において活発な組織づくりとともに、各地ごと、また団体ごとに活発な運動を展開しつつあります。
そして、今や、障害者差別を許さない新しい運動の流れは、全国を巻き込む大きなうずとなって動き出さんとしており、この全障連の動きに対する内外の期待や畏怖の念は、日増しに高まる一方であります。このような状況の中で全障連は、昭和54年度養護学校義務化阻止及び赤堀差別裁判糾弾への斗いを中心として、その内実をよりいっそう豊かなものとしてかなければなりません。なかでも昭和54年養護学校義務化阻止の斗いは、障害者・親・教師等々、それぞれの立場からの斗いを必要としています。つまり、障害者も健全者も自らの立場をいかに主張し、この差別や抑圧といかに斗っていくのかが迫られているのだと思います。
 私たち障害者の歴史は、古代においては神話・伝説・民話などから推測するほかありませんが、蛭子=えびす様としての扱いに見られる神としての位置付け、あるいは、あるいは原始の運動共同体の中での生きるも死ぬも運命を共にするという位置づけがなされてきた。そして、中世から近世になってくるに連れ階級的分化が進行し、さらにそれらに合致して生産構造・経済機構が資本主義へと移行していく中で、ある時はまびきによって、またある時はお国のために役に立たない者として殺され、そして戦後、経済復興・福祉国家のイメージ作りのために養護学校・施設・コロニーへと隔離・収容される立場におかれてきました。
 しかし、それらの歴史は障害者自らの手で作ってきた歴史ではなく、常に健全者の都合によって与えられた受け身の歴史でありました。
 そして今、このような健全者社会による抑圧・抹殺に抗するすべを知らなかった障害者がそのことに気づき、障害者差別を糾弾し、差別にぬりかためられた現代社会を変えていくために、自らの手で歴史を作っていこうと、立ちあがったのです。
 現在、なお私たち障害者の多くがまだまだこの社会の差別構造、あるいは障害者差別があることすら気づかないまヽに、養護学校・コロニー等に隔離され、また在宅のまヽ個別隔離の状況におかれております。
 しかしこのことこそ、つまり差別を気づかせないことこそ、徹底された差別であることに、私たちは気づかなければなりません。潜在的障害者のほりおこしから仲間づくり、そして、組織活動へというサイクルをくり返しながら、私たちの運動は進展してきたのですが、そこにおいて私たちが見たものは、地域社会の、またそれを構成している健全者ひとりひとりの中に培われた障害者に対する差別・偏見であります。
そして、障害者に対する差別・偏見の常識を基盤として、またこれをたくみに利用して権力の作り上げた法律や規則、さらにこれを柱として構成されている社会機構であります。私たちは自らにかけられた差別と抑圧に対し、命の続く限り、障害者解放をめざして斗っていかなければなりません。
 このたびの機関誌発行を期に、新たなる団体・会員のオルグに、また各ブロック間の情報連絡にこれを最大限に利用し、より大きな障害者解放にむかううずを巻き起こしていこうではありませんか。

赤堀差別裁判糾弾闘争
A=赤堀さんと共に、全障連・全国「精神病」者集団・全活の共同闘争として闘いきろう!
 全障連に結成されるすべての障害者の皆さん!23年前、障害者差別を基にデッチあげられ、死刑を宣告されて以来、16年、宮城拘置所において、日夜死刑執行の恐怖と獄中病で心身ともにむしばまれ、孤独の中にありながら、決して負ける事なく、司法権力の暴挙に対し、無実を叫び、糾弾し、獄外の全ての人々に、闘いかけ続けている赤堀政夫さん(47才)の斗いを、全障連結成大会において、病者集団・全活よりより報告し、赤堀さんを奪い返す斗いへの決起を要請してから、6ヵ月が経過しました(p5)。

 この間、「伊東裁判長は、10・21事実審理打ち切りの決定を取消し、事実審理を続行せよ!」のスローガンの下、76・11・14宮城拘置所糾弾行動・集会、76・11・21〜22赤堀斗争第三回全国行動・集会、76・11・24〜28ハンスト(関東)、77・1・11弁護団補充意見陳述―最終弁論化阻止行動・集会に全国から集結された、全障連、病者集団の部隊は”赤堀さんを殺して我々の明日はない”という、赤堀さん奪還に向けた、激しい闘志と熱気が各行動、集会を領導し、地裁の反動的・差別的対応を糾弾しきった。(p5)

1 B=二月・三月、全国からの決起で赤堀さんとの結合を深め、最新理由補充書(8)をつきつけ、地裁を糾弾の渦で包囲しきり、審理を続行させ再審をかち取ろう!

(1)77年2月・3月―再審査請求最終局面の位置
このような全活・弁護団の活動(再審を求める活動―記録者補注)に対し、伊東裁判長は74年、2月以降反撃を行って来、再審請求における攻守所を変える事態となった。つまり、審理を促進させるという名目の求意見書攻撃により、先手をうって赤堀斗争に、その最終局面突入を計画してきた。
 4月10日、6月30日、11月30日とその提出期限を切った意見書の提出を求めてきたのである(p6)。

(2)全国行動スケジュール
@補充書(8)の作成
A弁護団との方針討論
B静岡地裁を包囲、糾弾し切る体制として、全ての差別を斗う人々に対し、”10・21決定取消し、審理続行要求書””1・11不当弾圧に対する抗議書””再審開始要求書””死刑執行を許さない要望書”の署名を軸に学習会や呼びかけ
C赤堀さんとの結合をさらに深める

C=これまでの闘争の経過と報告
(1)76・10・16ヤナセ証人尋問に111名結集
「事件当日、赤堀さんを島田でみた」と偽証する松浦証言をくずすための島田の天候を最もよく記録している、茶業試験場の証言であり、2年ぶりに行われた証人尋問に集結し、公開要求、赤堀氏無実、再審開始を要求した(p21)。

(2)10・25〜30赤堀さんへの集中面会行動で赤堀さんとの討論・相互激励深める
そしてこの面接行動の中で、赤堀さんから伊東裁判長よりの「10・21付審理打ち切り決定」が郵送されている事を知らされたのであった。(p21)

(3)11・14宮城糾弾・10・21決定糾弾/東北総決起集会 250名で斗い抜かれる!
「仙台の赤堀さんと共に斗う会」と「全障連東北ブロック」の共催で宮城拘置所を包囲

(4)11・21〜22赤堀斗争第三回全国行動集会400名の対立で地裁を抗議・糾弾し切る!
全障連・病者集団・全活などが静岡地裁でデモ
実質的な司法権力糾弾の共同行動が開始された事として、画期的な行動集会であった(p22)。

(5)11・24〜28 東京における2名のハンスト全国支援で斗い抜く!

(6)11・30補充および意見書提出緊急行動/40名の集結で地裁庁内にて/署名・抗議つきつける!
10・21決定と同時に要求された意見書提出の期限日であったが、赤堀さんの足どりの全確認・上田教授第2法医鑑定(井上鑑定全面否定)を含む補充書(7)として、審議打ち切りを実質的にくつがえしてゆく審理続行を要求する行動として、弁護団に呼応して斗った。(p23)
(7)77・1・11弁護団口頭補足意見陳述/緊急全国行動、150名結集し、反動的差別的大弾圧の中、10・21決定取消し、1・11最終弁論化阻止、審理続行、決廷公開を要求し、5名の不当逮捕を徹底糾弾斗い抜く!


D=資料その一:第4次再審請求における既提出内容・事実調べ請求・11・21第三回全国行動集会・1・11静岡集会
@再審請求理由書(69・12・8)
・自白の虚偽性
・各証言の矛盾
・3月10日のアリバイ判明

A再審査請求理由補充書(1)(70・2・10)
現場検証や3月10前後の足取りからアリバイが判明

B補充書(2)(70・9・29)
・二審判決の誤り(妙善寺から稲荷神社の距離)

C補充書(3)(70・12・10)
・赤堀氏が大磯署へ東から西へ向かってきたという証言
・金谷民生寮での生活態度

D補充書(4)(71・10・16)
・誤った裁判の総括
・法医鑑定書提出(自白の証拠価値は全面的に失う)

E補充書(5)
☆新規性・明白性について

F補充書(6)(76・6・30)
・太田・上田両法医鑑定について
・確定判決は「精神薄弱者」に対する差別、偏見を基底としている
・松浦武志の証言の問題点
・本件捜査の経過
・自白の信憑性について

G補充書(7)(76・11・30)
・アリバイが明白である事
・自白に全面的に依拠している事
・目撃証言の問題
・自白の矛盾
・近時の再判例と本件

D資料その二:11・21〜22赤堀闘争第三回全国行動集会
@集会に向けた赤堀さんからのアピール
続きの資料は次号

全関西「共闘会議」事務局「全関西54年度養護学校義務化阻止共闘会議の報告」

全障連結成大会以降、半年にわたる準備会の成果として二月六日結成集会を関西の注目を集めてもとうとしている。まずわれわれは全障連結成大会での全国統一闘争の方針と特別決議に基づき、この闘いを関西ブロックとして障害者自らの自立と解放運動の最も重要な闘闘いの一つとして確認し、呼びかけ文をもって『共闘会議』への結集を各方面に訴えた。このよびかけに、障害者団体を始め、校区への就学運動や保育所入所運動を行っている親や教育労働者の団体、自治体労働者、市民の参加を生み出し、五四年度養護学校義務化阻止の闘いを障害者差別を許さない様々な立場の人々の結集の力として進めていく基礎をつくり出すことに成功した。

「一・三〇全国ブロック幹事会代表者会議の報告 全国統一闘争の報告/その他の闘い/第二回東京大会」

★全国統一闘争の課題
@赤堀差別裁判糾弾闘争
・身体障害者と精神障害者の共闘の充実

これに対し、我々はいまだ精神障害者と身体障害者の共闘の困難さを克服していないことを認識し、また個別の運動の中で充分には位置付けられない不充分性も考えつつ、より積極的な行動と学習を準備しなければならないと考える(p12)。

A五四年度養護学校義務化阻止
・『共闘会議づくりに成功』
・4月25日に集会、26日に文部省交渉

★その他の闘い
@「ピノキオ」差別図書を糾弾する闘い
・「障害者差別出版物を許さない、まず『ピノキオ』を洗う会」、「差別を許さない文化会議」と共闘する。具体的な活動は未決。
A都市交通の車イス乗車拒否問題
・陸運局や運輸省の糾弾を決定

★全障連第二回東京大会の準備はじまる

全障連東北ブロックからの報告
・関東や関西ブロックからみれば、立ち後れている
・赤堀裁判糾弾
集中面会
9月26日学習会
10月14日 全障連・東北ブロック・赤堀さんと共に闘う会共済による「宮(求の誤字?)刑糾弾
11月30-31日 静岡へ

・養護学校義務化阻止
まだ統一性を生み出していない

・福島青い芝
訪問活動
アンケート調査
オルグ

・その他
福島の集団介助料獲得
宮城の施設民間委託阻止
秋田の福祉団地にバスを通す運動

全障連関東ブロックからの報告
★赤堀闘争
1月11日の全国統一闘争に向けて学習会、情宣活動、オルグ

★養護学校
「54義務化」阻止共闘会議に参加

★その他
川口に障害者の生きる場を作る闘い
東急バスの乗車拒否に対して徹底的に闘っている川崎の青い芝全国事務局の闘い
村田実さん、岩楯美恵子さんの闘い

全障連関西ブロックからの報告
※全障研による妨害の報告

@月一回のブロック会議
A全国統一闘争について
・赤堀闘争に積極的に参加
・精神障害者との共闘が課題
・「五四年度養護学校義務化阻止共闘会議」に参加

全国各地の様々な闘いの紹介と提起
@厚生省の「重度障害者」に対する生活破壊・施設収容攻撃と闘おう!!
・厚生省は重度手当の収入認定を撤回しろ!
・厚生省の重度障害者に対する生活破壊}}=施設収容攻撃を許さないぞ!
・国・自治体は在宅障害者の生活を保証しろ!
・厚生省の差別行政糾弾!
昨年(一九七六年)一二月二五日、シュプレヒコールのあと、荒木・大倉の両氏を先頭に板橋区在宅障害者の生活保障を考える会と練馬地区実行委員会を軸に我々は厚生省と連続二度目の交渉をもちました(p17)。

確認書
一、重度手当は「障害者」本人が何に使ってもよい性格のものであること。
二、都が厚生省の収入認定に屈服して代行受領方式にしたことによって、それが介護人手当(介護人にわたる)になってしまった事。
三、これを遺憾として、来年度へ向け重度手当を復活してゆくこと。
四、代行受領で問題が起ったら直ちに話し合いを持ち即解決すること。(p17)

しかし、厚生省は金を出す福祉の現場に生活保護の実施上の心得として次のような主旨で通達を出した。すなわち「生活保護で保護すべき対象になるのは四時間=半日の介護で足りるものに限るべきであり、この反意を越えるような介護を要する場合(『重度障害者』)は施設に収容すべきである。在宅での保護はこれを除外した上で考えるべきで、その上で介護の必要性に対し特別基準(四時間以内)を設定しろ」と(p17)。

「施設か、死ぬか」
国はそう言ってきた(p18)

A車イスの小学校教師を創り出そう!! 車イスの教師を創る会 中東頼子
障害者の教師を、普通学校の現場に送り出すために、そして、現在の差別・選別・能力第一主義の教育に対し、とりわけその教育の中で犠牲にされてきた障害児者の解放をめざし、差別のない教育、真の教育をつくり出すために「車イスの教師をつくる会」を去年の2月に結成し、闘っています。(p18)

1976年の教育採用試験に合格した車イスの私を採用しない大阪市教育委員会に対し「中東頼子さんを採用せよ!」「障害者差別にぬりかためられた教育を変えよ」という要求のもと、数回の交渉をもちました。しかし、その中で市教委は「より優秀な教員を採用していくために総合的に判定しているが、中東さんは筆記テストの上位には入っていなかったから採用されなかった」「原稿の採用テストは完璧とはいないが、そのルールを変えることはできない」「大阪市の障害児教育に誤りはない箱づくりは必要だ」とひらきなおり、障害者差別として真剣に考えることなく、又、忙しいことを理由に九月以降話し合う市政すらありませんでした(p18)。

B都市交通の車イス乗車拒否に対する闘い―何が市民の足か!!―  大原闘争を支援する会

これらを(都市化を―記録者補注)、もし人々が「あたりまえ」の現象として把えているならば、この「あたりまえ」のリズムに常に乗りきれない部分の存在を一体どう認識しているのであろうか。「障害者」は、この都市化がどんどん進む中で現象のみを取ってみても「恩恵」のおの字も浴するどころか、差別以外の何ものでもない対応しか受けていない。(p20)

尼崎市の例
介護者は常時一名から二名

・「警察の前で留めてやる」等の暴言
・ラッシュ時は乗せないとして置いていく

抗議と団交の中で
@車イスは折りたため
A介護人は二人つけ
Bラッシュ時には乗るな
と言う原則を出してきた。さらに、降車口だけを使って乗降することはルール違反だと言ってきた。

その他、川崎でも同様の問題。また大阪環状線の利用のしにくさ、地下鉄の割引きは手帳がないといって断られる例など。

*作成:廣野俊輔


UP:20080126 REV:
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