表紙 SSKA増刊 障教連だより ひとずじの白い道 第9号1996年1月発行 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 編 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日発行 SSKA増刊通巻第2464号 1996年1月29日発行 p.1 目次 巻頭記 「転換期を迎えた障教連」…斎藤昌久 2ページ 第1部軌跡 1.軌跡(1995年1月〜12月)…宮城道雄 5ページ 2.都教委交渉報告(95年・2・4・11月)坂西ひとみ 荘田美智子 10ページ 3.当該者の経過報告…井上充 松本康宗 18ページ 4.資料 @都教委との協議事項 32ページ 95年4月25日 95年11月7日 A要望書 36ページ 京都府教育委員長 都立小金井北高等学校長 埼玉県教育委員会 (東京)日野市立日野第三小学校分会長 (東京)私立城北高等学校英語科 第2部特集 @第4回大会のまとめ 斎藤孝良 48ページ A参加者の感想 松山千草 50ページ 第3部スクランブル @新会員の報告 井上充 53ページ A「障・教・連」活動に参加して 佐瀬順一 54ページ B障害を持って 松本康宗 55ページ 編集後記 斎藤孝良 56ページ p.2 巻頭記 転換期を迎えた障教連 私立・城北高校 斉藤 昌久(視覚・聴覚障碍) 「その時代の姿は、同時代人には見えないものだ」(ゲーテ)  昨年95年は、障教連は、激震に見舞われた。大葉前代表休養状態のままスター トし、閉会提言、第4会大会での事務局総辞職、大葉氏の2度目の脱会(8月8 日)、再建委員会発足と役員選挙、辻事務局の発足(10月1日)で障教連は分 裂した。大会直前の脱会とその後の脱会と、1ヶ月の内に2度の脱会とを見るだ けで、その異常な行動は、誰にも理解できるものではない。大葉氏は先の通信で 7点の旧事務局の問題点をあげているが、これらの観点を閉会提言に事務局に 提起できていれば、今日のような混乱と分裂はなかったはずです。  障教連事務局の中で、いろいろ論議を重ねるにつけ、私たち障碍者は、その障 碍の種別によって個々に切り離され、孤立していることを痛感する。現在ある障 害者ネットワークも障碍の種別を越えてネットされてはいない。昨年の12月9 日に障害者政策研究全国集会が、あらゆる種別の障害者自らが創る研究集会とし て、初めての試みではあったが、障害者施策が多岐に渡り、提起すべき施策プラ ンのどれ一つ取っても、行政各省庁への交渉と現実は、障害者にとっては切実な ものばかりである。  障教連も「要配慮教員制度」撤廃と障害保障制度の実現を行政側に強く迫っ ていく力を付けなければならない。日常的には、当該者問題への取り組みを通じ て、障碍を抱える自分自身をさらけ出す勇気と自身の意識の変革をコツコツと積 み上げていく以外にはない。自身が変わらずに、職場や周囲の父母や生徒の障害 者を排除する差別的な考え方を変えていくことは出来ない、障碍者差別のない 平等で一人一人の人間の尊厳が尊重される学校づくり、社会づくりの果てしない 戦いもそこから始まるのだと思っている。  障教連には、1年間に数人の新入会員がいる。その人たちの置かれている状況 は主観的にも、客観的にも孤立していることが多い。その背景には、日本の社会 p.3 特有のタテ線社会が見える。障害者は、学校の中で、生徒と同様に、もう一つの 管理監督しなければならない対象になっているのである。決して同等には、扱う 対象ではない。しかし、私自身もそうだったのだが、これを問題点として訴えて もまともに対応をしてくれる人は数少ない。また、障害者自身が訴えることすら しない。運営会議で論議が重複することが多いのは、障害者間の障碍意識のズレ が微妙に絡み、頭では理解できても、生活では、それを基に行動できない。職場 に戻ると、運営会議で納得できたことも、実行に移せないことが多いのである。 その原因は、私は自分自身にあるのではないかと考えるようになった。  今年は、7月の障教連大会までに、3月の春合宿を学習会として、特別企画を 立てて、障害者基本法成立後の障害者の状況はどうなっているのか、また、組合 の中の障害者運動の組立はどうすればよいか、などを学習していきたいと思って いる。そのための講演も計画中である。もう一つの重要課題は、規約の修正であ る。特に、役員の選出や任期などを含めて規約を提起して、大会で提案していき たい。今までのような代表にすべての当該問題が集中するような形では身体的に も、経済的にも運動を総合的に進めることは出来ないからです。また、代表の頂 点があっても協調がなければ運動が前進しませんし、障害者自身が変わらないと 思うからです。当該自身が中心となって生き生きと活動する場を創りたいと念願 しています。 (1996年1月) p.4 第1部 軌跡 1.軌跡(95年1月〜12月)・・・宮城道雄 2.都教委交渉報告(95年2・4・11月)坂西ひとみ 荘田美智子 3.当該者経過報告・・・東京・井上 充 北海道・松本康宗 4.資料 p.5 軌跡―95年1月〜95年12月の動き 宮城 道雄 今回は95年1月から95年12月までの活動を報告します。 1.前進 (1)大里教諭定数内に戻る  要配慮教員に適用されて3年目を迎えていた大里教諭が、定数内に戻 り、心障学級の担任を担当することになり、嘱託14時間、講師9時間 の人的配置がなされました。このことは、視覚障害と人口透析のダブル ハンディを抱えていても、会として要配慮教員制度の適用に反対し、障 碍保障を要望し続けて粘り強く運動を展開してきたことが、今度の定数 復帰という成果を導いたものと言えます。 (2)障碍を持つ教員として異動の実現  視覚障害を持つ大葉教諭は、永年異動希望を出し続けたかいがあっ て、東村山高校から小金井北高校に異動が実現しました。持ち時間の軽 減や音声ワープロの設置という障碍保障が継続して行われることにな り、画期的な前進といえます。また、心臓障害を持つ辻教諭(京都市立 中勤務)は、休職中ですが、現任校よりも交通の便のよい柳池中に異動 が決り、持ち時間も5時間軽減されて15時間が実現されました。これ も京都市教育委員会との2度の直接の話合い、府及び市教委への要望書 の提出や議員を介しての働きかけが実ったものです。  また函館教組に署名協力をお願いしたところ、5千人以上集まりま した。 (3)松本教諭(北海道湯の川中学)の復職実現  緑内障と弱視を抱える松本教諭(北海道湯の川中勤務)は、94年7 月から休職していて、95年4月復職希望を出していましたが、道教委 から拒否されました。本会は函館教組に協力を依頼すると共に、道会議 員にも連絡をとり、道教委に対して働きかけを行ったところ、6月1日 付けで元の心障学級に戻ることに決定しました。 p.6 (4)埼玉県教育委員会に要望書提出  宮城問題に係わって、埼玉県教委に対して、採点の為のアシスタント の配置や音声ワープロの公費による設置を求める要望書を提出しまし た。 (5)都教委交渉継続  2月、4月、11月と3回の都教委交渉を持つことが出来ました。井 上問題や大里問題中心に、11月の臨時合宿をやる中で取組ました。 2.課題 (1)当該者支援をやりきることが、会則の精神の実現になることを確 認しよう。  運営部がやらなければならない最重要課題は、現在、抱えている当該 だけでなく、職場から排除されようとしている沢山の当該者にも、本会 の運動を知らせて、それぞれの苦しみを共有して、個々の障碍に応じた 労働条件の改善をかち取ることです。それが、障碍保障の制度化につ ながることは行政も認めています。しかし、障害者基本法が成立して共 に働く社会が叫ばれていても、現実には障害者を排除しようとする構造 は少しも無くなっていません。私達はこの事を肝に銘じて、緊急の当該 者の支援活動に力を集結していく必要があります。 (2)運営部活動を正常化しよう。  ご承知のように、95年7月の第4回大会前後から運営部は混乱状態 に入り、2つの事務局の存在にそれぞれが象徴されています。(1)で述べ た課題を実現するためには、このような現状を克服して、運営部は勿論 全会員一丸となって、全力で取り組まなければなりません。  混乱の中で問われている問題を整理すると、(1)自らが当該であり ながら、どこまで緊急の当該の立場になりきって運動を担いきれるの か。(2)障碍者差別をなくすという観点に立ちきれているかどうか。 (3)運動の全国化を進める段階で、どこまで組織的に動けるか、の3 点です。(1)については、自分の切迫した時の事を忘れないこと。 (2)については、障碍の軽重によらずに、障碍に応じた労働を見つけ 出し、職場と行政に迫って行くこと。当該自身も障碍があっても教師と p.7 して、生徒と共に生きるという強い意思を固めて、共に生きる社会を作 るという立場に立つことが大切です。  上記、3点の重要性を確認し、運動を推進しなければなりません。新 会員が加入したくなるような会を作らなければなりません。 (3)孤立する当該者の加入を訴えよう。  昨年は4月以降新当該者の加入はありませんでした。これは会の混乱 の結果としか言えません。早急にこれを克服し、会の運動を広く宣伝し 新当該者の力になれる活動にして行きましょう。 (4)しっかりした教育観を持ち、職場で仲間の輪を広げよう。  障碍を持つ教師が障碍保障を実現するとき、教育実践がどうしても注 目されてきます。障碍を持つ教師としての教育観を固め、仲間と話合い 理解を深め、運動を広げて行く必要があります。 3.会の動き ■1月 06(金)担当会議 07(土)運営会議 18(木)全教訪問 20〜23(金〜月)全国教研 21(土)定例会 ■2月 04(土)運営会議 07(火)担当会議 18(土)定例会 都障福和室B 14:30 24(金)都教委榎本管理主事との話合い ■3月 p.8 04、05(土、日)第11回視労協交流大会 11(土)運営会議都障福 23(木)担当会議 25、26(土、日)春のミニ合宿 ■4月 08(土)運営会議、都障福 15(土)定例会 中野区民集会室B 25(火)都教委交渉 ■5月 06(土)運営会議 都障福 16(火)合宿実行委員会 27日(土)定例会 都障福 ■6月 10(土)運営会議 都障福 17(土)定例会 都障福 ■7月 01(土)運営会議 都障福 08(土)臨時運営会議 都障福 20(木)臨時運営会議 都障福 22、23(土、日)第4回大会 多摩障害者スポーツセンター 29土(日)話し合い 国立福祉会館 ■8月 12(土)再建委員会 都障福 19(土)城南第2小二平さんと話し合い、たい (校正者注:一部字がかすれて判読不能) ■9月 24(日)再建委員会 p.9 30(土)再建委員会 ■10月 06(土)日野第3都教組分会長と話合い 10(火)ボーリング大会、井上問題担当会議 14(土)運営会議 16(月)作業 20(金)柏市労組田辺委員長と話し合い 21(土)定例会、都障副和室Bにて15:00より 22(日)視労協20周年記念式典     筑波大学付属盲学校にて ■11月 04、05(土、日)合宿(学習会)運営会議 07(火)都教委交渉 25(土)定例会、都障福 ■12月 09(土)運営会議 12(火)日野第3小組合と話合い 16(土)定例会、忘年会 26(火)井上問題担当会議 p.10 都教委交渉の経過報告 【2月24日】 出席:榎本管理主事 宮城・尾崎・丸山・斎藤(昌)・大里・益田・奥山(視労協) 一、大里さんの来年度の勤務について。 (1)要配慮教員制度の適用からはずし、心障学級の担任として定数の中に入れる。 (2)嘱託を1名(4日間)、その他に時間講師を配置する。 (3)それぞれの仕事の分担(持ち時間の軽減も含めて)は、4月以降、現場で話し 合って決めてもらいたい。 【4月25日】 出席:越村・榎本・今成管理主事、勤労課・井上、職員課・奥村 荘田・宮城・斎藤(孝)・的野・井上・小針・大里・大葉・辻・坂西 一、井上さん(日野市立第三小学校勤務。脳梗塞の後遺症による機能障碍。復職後 の三年間は理科専科を掩当していたが、95年度になって要配慮教員制度の適用を受 けている。)の件  都教委:要配慮教員の申請は市教委を通して上がって来るが、本人の了解を得るよ うに指導している。井上さんの場合も、了解があることを三回ほど確認している。ま た、適用は最長三年ということで退職を前提とはしていない。研修の成果が上がれば 一年でも解除して行きたい。適用の理由については、機能障碍だけでなく指導力の問 題も上げられているので、指導力を高めるような気力や意欲を持って欲しい。障碍の ために出来ないことをやれとは言えない。  障教連:1月に.来年度は要配慮教員か担任か休職しかないと言われ、担任を希望 したが認められなかった。理由も機能障碍が主であり、言われたような指導力不足に ついての話はなかった。適用に際して本人への説明と申請内容に食い違いがあるのは 問題だ。井上さんは担任を希望しており、障碍ゆえに困難な体育の授業等については 講師の配置を要望する。  都教委:担任を希望するのであれば、他の教科も含めた全般的な研修をしてもらい たい。市教委とも相談しながら、それぞれの課題に柔軟に対応して行きたい。 二、大里さんの件 (1)音声ワープロの購入について 都教委:要望が出されていることは区教委に伝えてあるので、直接もしくは校長を 通じて話してもらいたい。 (2)対面朗読等のアシスタントについて 障教連:嘱託と講師は配置されたが、あくまでも学級運営のためであり、大里個人 p.11 のためではないと校長から言われている。配置の目的は何か。  都教委:何のためということではなく、トータルで考えて配置を区教委にお願いし た。それ以上のことは現在の人員の中で、現場で話し合ってもらいたい。 三、小針さん(葛飾盲学校勤務。難聴と左半身マヒの瞳碍)の件 障教連:昨年度は家庭科を12時間受け持っていたが、今年になって授業からはず された。代替の講師も配置されているが理由は何か。 都教委:事情を把握していないので、校長と連絡をとって話を聞いてみたい。 四、大葉さんの件 (1)採点のためのアシスタントを公的に保障することについて 都教委:現在の制度の中で、当面どういう対応が可能かを検討して行きたい。 (2)音声ワープロを公費で設置することについて 都教委:学校を通じて担当課に要望を出してもらいたい。 五、障碍保障制度について  障教連:具体的な取り組みや今後の見通しについて伺いたい。 都教委:6月1日現在の障害者の雇用状況を労働省に報告しなければならない。実 態把握のために調査を行う必要があると考えており、調査結果を制度構築の基礎的デ ータにして行きたい。  障教連:昨年、中・高教員に対する特例措置が撤廃されて、2%の雇用率や雇用計 画の作成が求められるようになったことを現場の校長は知らない。そのことが、障碍 者を要配慮教員にあてはめるというような対応にもつながってしまうのではないか。  部教委:実態調査をする際に、経過説明や雇用促進法の基本的精神も含めてきちん と説明して行きたい。 六、要配慮教員に障碍者を適用している問題について 都教委:障碍を持っている教員で適用されているのは井上さんだけと聞いている。 障教連:盲学校に勤務する視覚障碍者が適用されているとの情報があるが。 都教委:そういう事実はない。本人にもきちんと話した上でのことだから、間違っ て受け取ることもないはずだ。 (文責 坂西) p.12 都教委交渉 1995.11/7 p.m4〜5:10 出席者 斎藤昌.斎藤孝・宮城・丸山・井上・大里・佐瀬・荘田・要約筆記者2名 都教委―井上・コシ村・奥村 1自己紹介 本部お忙しい所、会合を持てた事ありがとうございます・早速ですが自己紹介 をします。(略) 2全体 障 障害者雇用計画が95年1月より実施され、2%を5年で達成するよう目標が   掲げられたが進行状況はどうなっているのか。 都 昨年度の雇用率は1,08%であった。短期的に2%を達成するには困難がある 井上 今年度6月調査では1.13%に上昇した。これは行政系全体の数字であって教   員だけの数字では無い。雇用者側からみた全体の数字で良いとの事だ。    新規採用については選考の合格ラインに達する者がいなかったので、教員   の採用は0です。 障 新規採用ばかりが雇用率を上げる方法ではない。中途障害者の雇用維持につ   いてはどのような努力をしたのか。例えばアシスタントの検討など。 都 もちろん雇用維持については充分、承知している。現在の中途障害者を無視 井上 しているわけでは無い。しかし、今の所、具体的な進展は無い。  検討している物としては ・補助機器の導入―学務課で検討 人的導入については現段階では厳しい。ただ、校長からの申請で対応できる 部分はしている。(例 大葉・大里) 障 これからも早急に検討して結果をだして欲しい。 2要配慮教員制度について p.13 障 要配慮教員制度に障害者はあてはめないと前回、明言されたが実際にはいる。   現場と都教委の間で食い違いがあるのではないか。都教委ではどのように現   場におろしているのか。 都 要項・文書で地教委一校長とおろしている。   障害を理由にだけで要配慮教員にはあてはめていない。大里さんのケースを   みれば分かるでしょう。井上さんの場合は改めて室長に話すが、判定は都教   委でする。その為に授業参観などもしている。 障 障碍保障制度があれば要配慮教員制度にあてはめなくても済む。一刻も早く   制度の確立を進めて欲しい。 井上 校長は要配慮教員にした理由として ・機能の問題 ・資質の向上の為の一般研修 (機能の問題は資質の問題、できないことが指導力不足と説明 障 障害を持った後、3年の理科専科の実績があるのにどうして今年度からあて   はめたのか。 奥村 自分も授業参観をして実感した。(算数3年) ・全員に本時の目標が行き渡っていない。 ・授業が平板で子どもの集中力が持続しない。 ・子どもの理解度の見極めができていない。把握できていない。 井上 6/1参観であったがこの日は運動会の関係で落ち着かなかったことは事実だ    この時期の参観は自分としては不本意である。 宮城 7年間、5・6年の担任。3年間、理科専科。この期間は問題が無くやって    きた実績がある。今は担任でないハンディもある。病気から来る偏見であら    探しをしているのでは無いか。 斎藤昌 脳こうそくのリハビリは現場でできるだけのおおくの授業をする事だ。不足     の分は障碍保障制度でカバーして欲しい。 p.14 宮城 指導力不足の中味がはっきりしない。 丸山 井上さんは要配慮教員制度にあてはめられた時、どんな意味を持つか知らな    かった。それで校長に「お願いします。」と言ってしまった経過がある。 宮城 井上さんもこの間、自信を持ってきたので定数に戻して欲しい。 コシ村 年3回校長から要配慮教員についての報告がある。     (校長→地教委→都教委)これで判定する。     校長からの井上さんの報告は     ・リハビリに対しての意欲に欠ける。     ・担任を持ちたい熱意の不足を感じる。 (校正者注:「コシ村〜感じる。」四角囲み) 井上 リハビリもしているし、意欲もある。ただ、リハビリに対しては横山記念病     院でかなり良くなっているので、当分は様子をみる。来なくて良いと言われ    た。 大里 都教委ではかなり考えて対応してくれるが、現場では考えてくれない。    障害者に対しての観点の違いから報告がされる。このずれを認識しないと    一方的な報告では当該が不利になる。 宮城 偏見から来るイメージでみないでくれ。井上さんの場合も講師や嘱託を配置    すれば、問題はない。 斎藤孝 要配慮に当てはめられた理由は良く分かった。しかし、この観点をクリアー     できる教師はあまりいない。レベルが高い。     なんで経験10年を過ぎた中堅になった今になって指導力不足と言われ、な     ければならないのか。 佐瀬 この観点でいえば何百という教師が要配慮にならなければならない。やはり    障害が理由になっていると考えざるを得ない。 奥村 参観の感想をいっただけなので取り違えなでくれ。(ムッとして) p.15 宮城 指導力不足と言うのは障害が原因としかとれない。障碍保障をする事によっ    て解決できる。偏見からくる一方的見方をしないでくれ。 奥村 校内でのことはこちらも掌握できない。校長の報告を待つ立場にある。次回    の報告は12月の予定だ。 大里問題 大里 人工透析と視覚障害のW障害だ。人工透析に対しては時間内通院の保障があ るが視覚障害に対しては保障されていない. 奥村 大里さんのために講師・嘱託を配置しているのではないか。 大里 現場の捕らえ方としては大里のためについたのでは無く、子どもの障害が    重くなったためについた。 奥村 指導室長には大里さんのためと言う事で確認してある。(校正者注:「指導室長〜確認してある。」下線) 大里 視覚障害者にアシスタントは絶対必要。一人ではできない教材研究を手伝っ    てもらいたい。    自分が授業を抜けた穴埋めをしてくれる人間と教材研究をアシストしてく    れる人間の二人が必要。 宮城 大里さんはWハンディで目一杯授業にでるのは無理。視覚に対するアシスト    が必要。 大里 校内運用では無く、校長が変わってもできるようにワークアシスタントの制    度につなげて欲しい。    何時間分の講師というはっきりした形で配置して欲しい。今の講師や嘱託    はアシストすることには抵抗が有るようだ。    大葉さんに講師が配置され、軽減されたように障害者なら誰でも要請が    あれば配置する事になっていた筈だ。視覚障害者の軽減を検討して欲しい. p.16    品川図書館に行けば点訳者がいる。ただ、往復30分は掛かるので時間のロ    スが大きい。 奥村 品川図書館は隣で近いと聞いている。30分とは思わなかった。 丸山 できれば校内に来て貰ったほうが能率的。 宮城 ぜひ、お願いしたい。校長に指示してもらえばできる。 奥村 すぐ、できるとは確約できない。図書館の勤務体制を良く調べてうまく行く    かの問題もあるので。 大里 校内に入る事についてはどうか。 奥村 調べないと即答はできない。    大里 最後に別の問題で。特昇問題です。年間12日以上は欠格事項に当てはめられ    て対象からはずされる。透析通院していると病欠扱いに必ずなる。また、定    期昇給まで響いて来る。(こちらはやりくりして、しのいでいるが)    健康な人はその年限りと言う事もあるが透析通院はずっと続く。永久に不    利になる。検討して欲しい。 ホシ村 不利益のできないように担当に検討するように伝える。 (勤労課計画係り) 大野問題 荘田 本日は術後で来ていないが品川・伊藤小学校の図工専科・大野喜美子さんの    異動の問題です。    前回に校内で障害が原因でいじめにあっていると言う人です。都教委から    に指導が校長にあったが実質的効果が無く、本人もストレスが高じて    この9月、10時間にも及ぶ人工弁置換の手術に至った。本来ならば通勤に    便利で有り、強制異動にも引っ掛かっていなく、術後と言う事を考えれば    異動しない方が良い訳であるが多くのリスクを覚悟しても現任校にいる事は p.17    心身の健康上、耐えられない。校長も異動を進める。品川区内のできるだけ    近い所へ是非、異動したいとの本人の希望です。この文書が調査書と定期大    会のレポートです。切羽詰まった気持ちが良く分かると思います。 (文書を渡す。) 井上 いつも言っている事だが異動の事については担当が違うし、この会では話せ    ない。どうしてもと言うのなら    職員課の管理主事に話しなさい。基本は校長を通して区の    教育委員会に言いなさい。(校正者注:「職員課の〜言いなさい。」四角囲み) 斎藤孝 前回でも出たけれど障害者の雇用については小学校の人数が一番多いので     小学校の教員についても検討・考慮してください。 p.18 病状と近況報告 (東京)日野第三小学校 井上充 ★脳梗塞の一般的な症状 麻痺 言語障害・・・言葉そのものを忘れる「失語症」 発音のための筋肉の動かし方がわからない「構音障害」 失調(力の入れ方やぬき方がわからなくなる)〔部位による〕 等があり。 ★私の脳梗塞の症状 やられたところは小脳 小脳には運動神経がある。 ・人間はふつうに歩くにしても、緊張の弛緩(力を入れたり抜いたり) を無意織のうちにしている。  人間は力を入れるよりも力を抜く方が難しい(誘入院時のリハビリの 先生) ・小脳がやられる事でそのことができなくなる 麻痺よりは失調が強く出た ・長い距離歩けないのは力がないのではなく、緊張の弛緩ができず、いわば力が入 りっばなしの状態になるから。 ・運動というものはすべて緊張の弛緩にかかわっている。 ・いちばん分かりやすいのは「走る」という動作。 走るためには、足の筋肉の緊張をすばやくONOFFしなければならない そのための司令塔である小脳をやられているため走る事かできない。 走るだけに限らず、筋肉の弛緩を伴っ事(足に限らず書く事でも)は 苦手。 p.19 ★脳卒中の発症メカニズム 脳にある血管  いろいろな原因 ・血管が破け、脳の内部に出血 ・クモ幕下の血管が破け、脳の内部に出血 ・血管がつまる ↓ 血が送られない ・酸素欠乏 ・栄養欠乏 ↓ 細胞の死 ・脳出血 ・クモ幕下出血 ・脳梗塞  要配慮をはずす上での自分の考えみたいなものをまとめてみました。まだまだ荒削りな ところがあると思います。次回の会合の時、適切なアドバイスをお願いします。 1回で送りきれないので、2回にわけて送信します。 要求  要配慮教員としての処遇をはずすべきだ 理由 ・校長は3/25の会話の中で研修の中身について「教員の資質向上・教員の一 般的な意味での研修」といっている。現在しているような研修会に出席し たり、指導計画についての考え方や具体的計画の立案などはわざわざ要配 慮にする必要のないもの(研修が必要ないという事ではない)であるから、 要配慮にする必要はない。 p.20 ・校長は4/26の会話の中で「機能の問題は資質の問題にかかわってくる。で きないことが指導力不足につながる。」と発言したが、この論をいえば教 員でできない事がある人は指導力不足につながる、ということになる。誰 だってできる事できない事はあるはずだし、ゴ障害を理由に要配慮にする 事はない」との発言にも矛盾する。 ・4月5月に校長が何回か「校内事情があるから確約はできないけど、来年 井上さんの希望する学年にするからがんばるんだよ。」との発言があった。 これはとりもなおさずその段階で校長が担任にしてもいいと思っている証 左ではないのか。 ・理科の授業については1学期間問題なくやってきた。 担任のいないときには1日担任をかわって、問題なくやっている。 ・社会科見学や小金井公園などの遠足や立川の昭和記念公園などに他の先生 と同じように行動している。 ・校務分掌については 学芸的行事委員会委員長として 2学期には学芸会の責任者 視聴覚主任として 6/4の運動会に放送関係にたずさわる。 はっきりいって自分がいなけれほ運動会は スムーズには運ばなかった。 理科主任 科学センター推当の指導員として 3学期には他校の5年生を対象に 科学教室の責任者 生活指導部 など他の先生と同じように担当している、 ・プールについては担当学年については1学期にする機会がなかったが 夏休み最初の学校プールの時間、指導者4人のうち・自分・産休代替の 先生・川崎市の講師の先生・父母と.いう正規の教員が自分しかいないと いう悪条件の中、校長は1日学校にいたにも関わらず、自分が指導すると いう事を知っているにも関わらず、1回も見に来なかった。これはとりも なおさず、井上さんは指導ができるという事を校長が認識している証拠で はないのか。 p.21 ★体育的体力面について 校長からできることできないことをまとめて出してくれ、と言われて2月10日に出した 文章です。【】内は現在の状態 走る  教室2っ分くらい(ただし足を引きずる)←足の緊張がうまく抜けないため 歩く 階段 ふつうの速度で歩く 早く歩くことはできない 両手に荷物を持ち階段を上がる ふつうの速さでできる 両手に荷物を持ち階段を下がる 遅くならできる 歩くことはできる 昭和記念公園入場口〜みんなの広場 子どもたちに後ろから押されることはかなりつらいけど 押されても大丈夫 子どもをおんぶする できる 子どもをおんぶして走る できない 子どもをだっこする できる 子どもをだっこして走る。 できない いすかなにかに障害物があると 高さ20cm未満 またいで歩く 30cm 避けて歩く 走っている電車の中で立つ すこしできる【かなりできる】 ビーカーに水を入れて歩く 内容量2/3ならできる→地面からの伝わる衝撃を膝で充分吸収できていないため ジャンプ 教室のスケリーンの紐に飛びつくことはできない 【できる】 なわとび まったくできない ケンケン(左足) 何かにっかまってできる ケンケン(右足) 同上 前にジャンプすることはできる 後ろにジャンプすることはできない 【すこしできる】 横にジャンプすることはできない 鉄棒に飛ぴっくことはできる 教室の教卓などに飛び上がることはできる プールの中からプールサイドヘのジャンプ(未定) p.22 書く 机に向かって書く 苦もなくできる 速く書く できない←手の緊張の弛緩も 字はきれいに書けない うまくできていないため 黒板の字はきれいに書けない 横に移動しながら黒板に字を書く 一度立ち止まるようにして書く 体操 鉄棒 さかあがり 1回できる (注)1回しかというべきか。1回まわると頭がクラクラする。 走り高跳び できない 走り幅跳び できない 前転 プール 泳ぐ できない 【すこしできる】 プールサイドにつかまり、波に身を任せるできる できる 水中で歩く できる 水中にもぐる できる  これらの文章の中で、体力行動的なものの、はしるとぶなどはいまもってできない。 これは障害のためである。できない事はいくつかあるけれども、同じような事ができない 先生が先生をしていられないかと言うとまったくそうではない。その辺は都の方で何らか の措置を考えればいい事です。  ただ何らかの措置によって自分が指導をしないという壌ではなく、年輩の先生で自分と 同じように児童の前で模範を示せない人もいるのだから、自分で教える事に関わって行き たいと思っている。それがベター。ただ体力面では不安が残る。そのばあい補助をつける とか講師にかわってもらうとかのほうがベスト、ということ。 学校の活動の中で体力行動的なものが必要になってくると思われる p.23 A 体育の授業については自分でやって行きたい。 B 校外に出るときなどは同じ遠足でも小金井公園などの平地ならば自分で行けるけど  山登りなら他の人が必要。 遠足や校外学習の場合、これらのようにケースバイケースであるので一人いてもらえれば、 まったく心配はない。 また以下の文章は7/29に提出させられた研修報告の中身です。 7月末の状況報告 1 リハビリの状況.(治療の状況)  3月始めよリ順天堂病院に月2回平均で通っています。力を入れる訓練と云うよ リ、力を抜きたいときに抜くという箏に主眼をおいて、訓練をしています。  泳ぐためには力を抜く必要がある訳です。前は泳ぐ事はできなかったわけですが、 このごろでは必要な場面で力を抜くという車がときどきできるようになったので、 惟拙ながらも横泳ぎで泳ぐ事ができます。ただこれは4月に八王子福祉センターの プールに行った時点でできています。ただばた足をしょうとすると一気に足に緊張 が入り、力が入り抜けなくなってしまっている状況です。 走っている電車の中も前は何かにっかまらないと不安で立っていられない状態で したが、このごろは不安ではありません。また時間的には10分も20分もという わけにはいってませんが、何もつかまらないで立っていたり、走行中の車内を歩く 事もできます。 2 健康状態  公務災害の口頭意見陳述資料作成のため、昨年11月に2週間入院し、詳しい検 査を受けましたが、脳梗塞を起こすような身体的原因はありませんでした。また現 在の生活でも、病院に行くのは内科検診の時だけで、しかも行って血圧を測るだけ です。そのときも125〜135前後で正常の範囲内です。今からだが悪く見える p.24 のは、平成2年3月24日に発症している脳梗塞の後遺症であり、健康状況は至っ て良好です。 3 研修の状況と成果・今後の課題  第1にしている事は、子供と多くの場面で関わるという事です。3年生くらいの 児童では、身体を動かすのが大好きです。休み時間になると校庭に一目散に行く子 もいます。種々の場面でできることもありますが、そうではない場面もあるので、 校庭に出るときは3年生では中庭に出るようにしています。というのもこのごろやっ と大校庭に出る児童も出てきましたが、児童の生活の中心は中庭だからです。  当初、校長の方から「校庭で〜云々」という話もありました。決して出ていない わけではなく、中庭に出ています。というのも来年を見越して3年と多くのかかわ りを持とうと考えたからです。また出ていないときでも、教室で児童と関わってい ます。  関わりを持つ事が、児童理解につながり、指導の手だてを考える上で必要になっ てくるからです。担任ならば児童理解と指導の手だてについて1学期中に済むので しょうが、どうしても子どもと関わりを持つペースが遅いので、2学期は児童理解 に立った上での、指導の面にも関わって行くようにしたいと思う。  4月いっぱいくらいは、子どももこちらに遠慮をしてあまり話しかけないという 場面もありました。こちらが中庭に出たり、休み時間や放課後、あるいは給食や清 掃などをして、子どもと関わりを持つ場面が多くなってくると、遠慮もなくなって きて、自然に接するようになってきています。その度合いが行き過ぎて、このごろ では実際に呼ぶときに、ふざけて「いの先」とか「みつちゃん先生」とか、生活指 導上問題のある呼び方も出できたので、2学期以降はその点についてはきびしく指 導をして行きたいと思っています。  授業指導については、授業の目的として知識の伝授だけではなく、いかに子ども 達が学びたいと思うか知りたいと思うか、の点について立脚した上での指導の大切 さについて再度だんだん分かってきたように思,います。専科をしているとどうして も時間が制限されがちなのでかなりの部分について教師の側で準備をしてしまいま したが、準備をする事から子どもが取り組んだ方がいい影響を与える(学習指導の 上でも生活指導の上でも)ということについて再認識してきました。 いろいろな意味でこういうものは一種経験と関係してくるので、このごろ判ってきた ので、よリ多くの授業を手がけて行きたいと思います。  校外に出る研修については、多摩研の理科研修と視聴覚研修また日野市の研修会 p.25 などたびたびあります。知らない事なども多くあり、以前校長が言った教員として の資質の向上としての研修に寄与していると思います。    2学期以降の課題として、学年・学級事務について5年も離れていると忘れてい る部分も多いので、いろいろ目を配りながら3年の先生の事務処理についてはすべ て自分がするつもりで取り組んで行きたいと思っています。また先ほど言いました が授業についても、1学期は完ぺきさを求められていると思い回数もそれほど多く はありませんでしたが、こういうものは経験が大切なので3年の先生と相談して数 多く取り組んで行きたいと思います, 4 来年度3年生担任としての自分の意見  子どもとのコミュニケーションについては慣れ合いが出てくるほどなのだから 問題はない。  教科指導については考え方は分かっておりあとは経験の部分が多いのでおいお い慣れると思う・体育の指導については担任の先生が休んでいるときにはきちん とできており、またプールの指導もしている。 校外学習については遠足社会科見学など4月から3年生について行動できている ので、心配ない。  体育の授業については不安が残る。がこれも講師等つける制度があるというの で、これについても問題はないと思う。 以上が7月に出した文章です。 従って要配慮教員としての処遇を解除する事を要求する。 今後考える事  はずす上での要求を「4月にさかのぼり」とした方がいいか。 「ばずすのなら過員扱い」と言われた場合、要配慮をはずす事がまず第 1に問題なのだから、「将来の学級担任の為の経過措置」ということを 確認させて、とにかく今年ははずす事に専念した方がいいか(現在の所 自分としてはその意識が強い)=あくまで学級担任を希望するが、その ために要配慮がはずれなかったらあぶはちとらず。 p.26 一応今までの経過 (1)10月下旬 OR 11月初旬 ・今後の方向性についての打診 校長:教員以外の道、例えば社会教育への道 なども将来を考える上で入れて もいいのではないか? (2)11月中旬(入院前) ・要配慮の申請について 校長:井上さんのために要配慮の申請をしてはどうかと室長が言っている。 井上:要配慮とは何ですか? 校長:わからない。腰配慮だから配慮してくれる事だ 井上:配慮してくれると言うのなら、お願いしたい。 (3)1995(校正者注:5に斜線し4と訂正されている)/12月下旬 要配慮という事の確認 井上:と云うのは、この学校にいた成松教諭が受けていた特別措置の事    ですか 校長:井上さんの場合は精神疾患ではないのでこの措置には入らない (4)1995/01/09 15:00過ぎ 来年度の進路の3つの具体的な方向について 校長:10日までに3つの選択をしてほしい T 1年を単位とし2回まで更新でき、籍は三小にあるけれども一切校   務分掌などもせず、研修に専念する方法。但しこれは3回目の更   新はなく、退職を前提としている。 U 担任をする。体育講師などはつく可能性は高いがまだ分からない V 1年間休職をし、リハビリ・研修に専念する。   その後は担任に復帰するが、そのときの条件については全く未定 その後 室長に直に言いにいった1月29(校正者注:9に斜線し7と訂正されている)日の席上で、要配慮教員としての都の決定通知 を読まれる。そして現在にいたる。 p.27 10月末に校長に出した所見 10月末の状況報告 1 リハビリの状況(治療の状況)  リハビリ通院の件は前に報告した通りです。運動状況の変化に関して言えば 順天堂医院のリハビリテーションの新保先生が @両上肢の振りがスムーズになってさている。 A方向転換が少し安定してきている。 B右足部の過緊張が軽減したため内反が減少してきた。 Cゆっくり動けるようになってきた. と、以上の4点をあげて「全体的に動作に安定感を本人が感じるようになった。」 としています。  日常生活の中でも、前は階段を登るとき足もとを見ないと登る事ができませんで したが、このごろは学校の階段ならば平気になりました。下るときは足を下ろすだ けですので、以前からできています。 また板書をするときも、前は字を書ける範囲が小さかったですが、今はだいぶ広 がりました。少ない授業時間でも、自分でも意識できるほどの広がりを見せたので すから、担任を持てばもっと広がるであろう事は想像できます。 2 健康状態 前回同様 良好 後遺症のみ 3 勤務(含授業)の状況と成果・今後の課題  今月は全日の授業の日は2日しかありませんでした。7日の3-1と21日の3-2です。 4月から今まで数回にわたり各々のクラスの1日担任をしてきましたが、すればす るほと今まで忘れていた学級担任としてのこつというか、指導方法を思い出してき ています。  特に1日担任ではありませんでしたが、担任の先生が風邪で早退し残りの授業を 受け持った26日。学級会で席替え。本来の担任の仕事としても学級経営の根幹をな すものを大過なくできたことは私自身にとって大きなプラスになりました。  前後しますが、5日には全校遠足があり昭和記念公園へ他の人と全く同じ行程で 行ってきました.確か去年も同じに行ってきたと思います。  今月数回、指導主事の先生による授業の参観や、その講評などがありました。話 そのものについては益するところはありますが、要配慮の中での措置ならば、参観 の結果や講評に対する対応の方法について(ここはこうした方法もあるよ、といわ p.28 れて私がどのように対応したか、ということ等)どのように使われるのか心配です。 今後の課題(今年だけの問題ではなく教師として勤務する以上永遠の課題)とし ての授業技術の向上は、永遠に続けたいと思っています。  11月の17日19日と学芸会があり、学芸的行事委員会の長であり放送係でもあるの で、それまでは授業に於いても校務分掌に於いても忙しくなる事が予想される。 4 来年度3年生担任としての自分の意見 まず第上に体力的な事でいえば、小金井公園の遠足にもついていうた、昭和記 念公園の全校遠足にもついていったということで、3年担任としての体力面から はクリアできていると思います。  教科指導の面などで、自分の授業に欠点があるのは認めるところです。が誰で も多かれ少なかれ、そういうものは持ち合わせているものだし、これからの長い 教師生活の中で改善していくべきことです。今年は要配慮という特殊な環境であ り、また採用以来ずっと5・6年と関わってきて、はじめて3年生という幼い子 供たちと常時接して、今までのやり方では通用しないことがわかり、一種の戸惑 いみたいなものを感じています。でもこれも高学年から低学年に降りた人なら誰 でも経験することであり、1日中一緒にいるという時間的な長さが解決してくれ るものと、思っています。  生活指導的な面では、担任の先生と私と、二人の先生の考え方の違い(ここま では許せるけどここからは絶対許せないという事など)が微妙に違っている部分 があります。担任の先生はどんどんやっていっていいよといいますが、その面に 関しては連っていると迷惑するのは子供であり、多少遠慮みたいなものはあるの は事実です。ちなみに生活指導とは少し違ってくるかもしれませんが、今給食の 時間3-1の時は担任の先生がいても、児童の指導などをやっています。 以上教科指導についての現在の状況の中での若干の欠点はありますが、総合的 に考えれば、来年からの3年生学級担任としてはやっていけると思います。 p.29 【要配慮をいかにはずしていくか】 要配慮申請の理由について校長に3/25に聞いた事がある。その中で校長は 「今の現状ではいますぐ学級担任を持つのはむずかしい」。井上は「持つ自身はないといっ た事はある」それは去年10月頃。今年になってからは「もたしてくれ。」としか言って いない」 現状の意味を聞いてみると機能的な面―走る事ができない、避難誘導ができない、体育指 導が一人ではできない、校外学習も一人では難しい─という答が返ってきた。 ひるがえって4/25の都教委交渉で榎本管理指導主事は「障害からくる指導力不足」という 表現をしている。 同じ言葉で校長の言葉を探してみると、「できない事が指導力不足につながる」という言 い方を4/26にしている。詳しく言うと「教員をやっていく上で、機能を回復する事、それ は資質の問題。」としていて「できない事が指導力不足につながる、機能と資質が区別で きない。」といっている。  障害を理由に要配慮に入れる事はないとした、都教委の見解に矛盾しはしないか。なぜ なら指導力不足の根拠を都は障害に置いているからである。  教員になって今まで、6年5年6年5年6年 異動 5年6年 脳梗塞発症 専科とし て5・6年担当5・6年担当5・6年担当、そして今年の要配慮。今まで高学年専門だっ たものが、すぐに低学年に毛の生えたような子供たちにすぐ対応できるわけがない。 もう始まってから半年経っているという意見もあるが、始業前の教室へ行ったり、休み 時間や給食、はたまた放課後、交流をがんばってしてみても時間的な不足は担任に及ぶべ きもない。  また四六時中授業の参観(担任にしても校長教頭等の)があり、緊張してしまい、十全 の指導ができない中で「あの人は指導力に不足している」といわれることには納得できな い。  また学級をまとめあげていく力にしても、いかにがんばってもあの年代の子供たちにとっ ては担任の先生の言葉の方が重い。担任の先生が休んだ場合、一日担任をするときがある が、ある事の指導で担任の先生と違うと「○○先生はそうは言わなかったよ。」とくる。 これでは満足にできるはずがない。  今まで担任や専科をしてきてそれほど問題があっただろうか。 あまり前の事を言っても限りがなくなるから、とりあえず発症後の状態の話をすると 日野市の室長は「理科専科なら理科専科というかたちでやって構わない」「井上先生の場 合は専科はできるが学級担任はむり」と2/02にいっている。とりもなおさず去年までの授 業については問題はないという認識をしている。なにがかわったか。学年と身分上の不安 定さである。今年になって要配慮になって環境の全く違う中でうまくできる方が珍しい。 p.30 復職までの経過について 北海道函館市立湯川中学校 教諭 松本康宗  平成六年五月に,緑内障で入院手術し退 院しました。  七月に一度復帰しましたが,角膜の状態 が悪いことと,視力が十分に回復せず,ま た,近くの細かいものが十分によく見えな いため八月から十一月まで角膜びらん等 の病名で再度病傷欠勤し 通院治療しまし た。  しかし,期間が過ぎても視力は十分に回 復せず,また,近くの細かいものが十分に よく見えないため,引き続き休職に入りま した。  休職期間中に,国立リハビリテーション センターのロービジョン・クリニックに入 院し復職の訓練を三週間授けました。  そして,今年の四月から復職しようと三 月の健康審査を受けました。結果は勤務 不可でした。理由についてはなく,学校長 にそのことを調べてもらったところ,「診断 書が悪かった。」ということだけでした。 そこで,組合(北教組)に依頼したところ p.31 勤務不可の理由がわかりました。理由の内 容については略します。  それで,校長と相談して次回は七月に健 康審査を受けようと決めていました。  数日後,校長から呼び出されました。校 長は組合を使って,教育委員会に不可の理 由の探りを入れたことを憤慨してました。  ところが,校長は急に七月から五月に健 康審査を早く受けるように言いました。そ れで,五月に診断書を提出しました.内 容は前回とあまり変わりません。結果は, 6月1日から復職となりました。  また,この審査の前に障教連を挙げ組合 (北教組)が函館市教委と道教委に復職の 交渉をしてくれました。さらに.道議会議 員の平出陽子氏(社会党)と前北海道知事 の横路孝弘氏の働きかけがありました。  復職に際し,たくさんの人達のお力添え によって,復職することができました。皆 様方に,深く感謝しお礼申し上げます。今 後より一層努力し精一杯仕事に打ち込んで いきたいと思います。今後とも宜しくお願 いします。 p.32 1995年4月25日 東京都教育庁 人事部職員課長 小田原栄殿 「障碍」を持つ教師と共に連絡協議会 代表大葉利夫 4月25日の話合いについて 日頃より本会に対してご理解ご協力頂き、有難うございます。さ て、4月25日の話合いの内容を下記のようにまとめました。双方で、 事前検討を加えて、当日の会議が有意義なものとなることを希望しま す。 [1]個別 1.井上(日野第3小勤務) 90年度に脳梗塞で倒れて休職し、91年度に復職して、92年度か ら理科専科として3年間勤務していた井上教諭について ア・95年度になるにあたり、要配慮教員にされてしまったのはなぜ か。 イ.直ちに、要配慮教員への適用を撤回して頂きたい。 ウ.今後、障碍の後遺症のために運動機能に支障をきたしているの で、体育や課外行事に講師を配置する等の措置をして、担任をやること を要望する。 2.小針(バリ)(葛飾盲学校勤務)  左半身麻痺と左難聴の障碍を持っているが、昨年度は、家庭科を12 時間担当して問題無くやって、いた。  ア.小針教諭の障碍を補うために講師を配置したということだが、現 場では授業担当から外されたのはなぜか。 p.33  イ.直ちに、授業担当として戻すことを要望する。 3.大里暁子(城南第2小勤務)  ア.資料の朗読等を行なうアシスタントを保障して頂きたい。  イ.音声ワープロを別枠公費で設置することを要望する。 4.大葉利夫(小金井北高教諭)  ア.今まで私的に頼んでいた採点者を、5月の中間テストから公的に 採点の為のアシスタントとして配置することを要望する。 イ.音声パソコンを別枠公費で設置することを要望する。 [2]全体 1.昨年の11月に、都教委が労働省に障碍者の雇用計画を提出して以 後、障碍保障の実現に向けた取り組みの経過と今後の見通しはどうなっ ているのか。 2、95年度になるにあたって、障碍を持つ教員が、障碍者を当てはめ るものでない要配慮教員に適用されている事実を、上記の他にも把握し ているが、どのように考えるのか。 p.34 1995年11月6日 東京都教育庁人事部職員課長 小田原栄殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表斉藤昌久 11月7日の話合いについて  日頃より本会に対してご理解ご協力頂き、有難うございます。さて、 11月7日の話合いの内容を下記のようにまとめました。双方で、事前 検討を加えて、当日の会議が有意義なものとなることを希望します。 [1]全体 1、昨年11月、都教委が労働省に出した障碍者雇用計画が、95年1 月から実施されているが、その実状はどうなっているか。 ア.障碍保障としての、予算措置やワークアシスタントの配置、音声 ワープロの公的導入等はどのようになっているのか。 イ.採用計画の内容を明らかにして頂きたい。 2.要配慮教員制度は障碍者に適用すべきものでは無いと明言された が、現実には、障碍を持つ教員が適用されている。このような都教委の 発言と学校現場の実情とのくいちがいをどう説明するのか。 [個別] 1.井上(日野第3小勤務) 90年度(校正者注:90年度の上に手書きで90年3月と書き込みあり)に脳梗塞で倒れて休職し、91年度に復職して、92年度か ら理科専科として3年間勤務していた井上教諭について  ア.95年度になり、障碍を持つ井上教諭が要配慮教員にされてし まったことは不当なことである。直ちに、要配慮教員への適用から外し て頂きたい。 p.35 ウ.来年度、障碍の後遺症のために若干の運動機能に支障はあるが、 次の2点の措置をし、担任をやることを要望する。 (1)体育については、講師を配置して頂きたい。 (2)校外行事に際しては、嘱託等の引率者の配置をして頂きたい。 2.大里 暁子 ア.ダブル障碍のある大里教諭に対し、勤務時間内透析通院は認めら れているが、視覚障碍に対する保障はあまり行われていないので、持 ち時間を軽減して、授業準備をする為の時間を保証して頂きたい。 イ.授業準備のためのアシスタントの配置をして頂きたい。 3.大野教諭(伊藤小)の異動希望について 4.その他 p.36 1995年3月20日 京都府教育委員長 森田 嘉一 殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉 利夫 要望書 本会は、障碍があっても働き続けるために必要な労働条件の改善、す なわち障碍保障を制度化することを目指して活動を行なっております。 1991年に障碍保障要綱を東京都教育委員会に提出して以来、定期的 な話合いを継続する中で、視覚障害者に対する持ち時間の軽減と人工透 析をする人に対する勤務時間内の透析通院を認めさせて来ました。昨 年、9月には10万余の署名を集めて文部省に提出するなどの活動を行 なっています。 さて、今回は、昨年にの10月に続いて、京都市立滋野中に勤務する 辻範子教諭の件について再度の要望をさせて頂きます。 辻教諭は、昨年の8月に心臓疾患による4年間の休職を終えて復職し ました。手術の後遺症のため心室性期外収縮により、無理をすれば不整 脈が生じて、放置すれば危険な状態に陥りかねない程です。本会では、 貴教委との話合いを持って、辻教諭の状況を説明して5時間の時間軽減 の対応措置を取ることを申し入れましたが、制度に無いからと全く受け 入れられずに、健康な人と同様な20時間を担当して、勤務に奮闘努力 をしておりました。しかしながら、2月23日、労作性狭心症と急性膵 臓炎を併発して、緊急入院に追い込まれ、2ヶ月間の再度の休職を余儀 なくされしました。  このような事態は、本会が心配していた事であり、そのことが現実と なってしまったことに怒りを禁じ得ません。その責任は貴教委にあるこ とをしっかりと認識して、早急な対応措置を取ることをお願いします。 (校正者注:「その責任〜お願いします。」下線) 心臓に障碍がある辻教諭にとって、健康な人達と同様に持ち時間をこ なすことは、ひじょうに負担であり、不整脈の発作を押えるために薬を p.37 飲みながら勤務をする状況でした。意欲と情熱を持って子供達と接して いる辻教諭は、表面的には元気そうに見えているめですが、日々の疲労 の蓄積が極限に達して今度の事態を招いたのです。復職後の当然在るべ き「軽減」すら無い状況の中で、持ち時間5時間の軽減(持ち時間15 時間)要求を無視してきた貴教委の対応のもたらした結果であり、障碍 を持つ教師を退職に追い込む以外の何物でもありません。 障碍を持つ者が働く為の特別の労働条件の整備は、国連におけるIL O159号条約において明記されており、また、昨年12月に成立した 障害者基本法でも管理者の責任において行なうべきことが示されており ます。昨年11月には、文部省が雇用促進法の雇用率を達成するよう に、各教育委員会を集めて指導していると聞いております。東京におい ては、本会と都教委の話合いの中で、障碍保障の制度が出来るまでの緊 急の対応を要する問題について上記の様な具体的な対応措置を実現させ ております。大阪府や新潟県等においても常勤講師の配置などが行なわ れております。このような流れの中で、障碍があっても働き続けられる かどうかということは貴教委の姿勢いかんにかかっているのです。 去る3月13日の京都市教委の薮田労務係長との話合いの中で、辻教 諭の来年度の異動は考えているが、持ち時間の軽減が制度には無く府教 委の管轄になるとたらい回し的な発言があり・全く誠意の無いものでし た。  本会としては、辻教諭が心臓疾患があっても働き続けられるために、 下記の2点を貴教委に要望致します。ぜひ、ご理解と充分な配慮をお願 い申し上げます (1)現在、休職中ですが、95年度の異動については、通勤の負担の 少ない学校(電車利用のみで可能な所)に異動をさせて頂きたい。 (2)持ち時間を15時間以下に軽減して頂きたい。(特別に、講師の 配置等の対応措置を行って頂きたい) 尚、以上2点について3月27日迄に文書による回答をお願い致しま す。 p.38 1995年6月5日 都立小金井北高等学校長 篠原忠英殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 副代表 的野 碩郎 要望書  私たち、「障碍を持つ教師と共に・連絡協議会」は、障碍(身体障碍および慢 性疾患等)があっても教師として働き続けること・そのために必要な労働条件を 「障碍保障」というかたちで制度化して行くことを目指して、1991年10月 に結成されました。貴校に本年4月より勤務している数学科の大葉利夫教諭は、 会の結成以来、代表として、障碍を抱えながらも働き続けたいという多くの教師 と思いを共有しながら活動して来ました。  御承知のように大葉教諭は強度の眼性疲労を伴う視覚障碍があるため、持ち時 間の軽減や、通勤に負担のない学校への異動を要望して、都教委との間で再三に 渡って話し合いを重ねて来ました。今年になって貴校への異動が決まり、通勤の 負担が軽減されたことで、大葉教諭にとってはこれまでより働きやすい環境が整 いました。今後は教員としての職務遂行に一層の努力を自らに課しながら、障碍 者が働く上で必要な様々な保障に関しても、同僚の先生方の理解を得て実現に努 めようとしていた矢先の去る5月12日、貴職と貴校の教頭が大葉教諭を個人的 に呼び出し、威圧的雰囲気の中で以下のような主旨の発言をされました。 1)上司の頭越しに都教委に要望するのは問題だ。 2)障碍者は人一倍頑張っている姿を他の人たちに見せたほうがよい。  私たちは、このような貴職の発言に対し強く抗議するものです。先にも記した ように、私たちは障碍があっても教師として働き続けられる職場環境を作り出し て行くために活動していますが、その際に、まず私たちが要望を持って行くのは 各学校長であろことは言うまでもありません。しかし、残念ながらほとんどの場 合は「制度がない」ということで否定され、障碍者の立場に立って各教委に対し p.39 て具申して頂けるケースは皆無でした。大葉教諭の場合も貴職宛に2月の段階で 要望の内容を文書で堤出しており、都教委と定期的に話し合いの揚を設けている ことも既に御承知のはずです。制度の壁があって現場では問題の解決が困難なた め、やむを得ず都教委と話し合っている現状への理解こそ貴職に求められている と思います。  また、なぜ障碍者だけが「人一倍頑張る」ことを要求されるのでしょうか。健 常者と同様の仕事をこなそうと無理をして、結局辞めざるを得なくなったのが、 これまで障碍者が置かれていた状況でした。視覚障碍者が働き続けるためには、 まず、障碍ゆえに必要な機器の購入や、授業の準備に要する時間を保障するため の持ち時間の軽減、本人だけでは絶対不可能な採点の公費による保障等が必要で す。私たちが「障碍保障」として要望している以上のような様々な条件整備抜き に、いたずらに精神論だけを持ち出すことは一面的と言わざるを得ません。  以上、5月12日の大葉教諭に対する貴職の発言に抗議し、再びこのような事 態が起こらぬよう申し入れるととともに、障碍者が働くことへの理解を今後深め て頂き、「障碍保障」の実現に向けても御尽力頂くことを要望致します。 以上 p.40 1995年6月7日 埼玉県教育委員会 教育長 荒井 桂 様 埼玉県高等学校教職員組合 中央執行委員長 佐々木 敏雄 岩槻高校に音声ワープロ等の設置を求める要望書  貴職が高校・障害児学校教育の充実・発展と、一人ひとりの教職員が生きいき と働きやすい労働条件の改善のためにご努力されていることに敬意を表します。  さて、岩槻高校の宮城教諭は視力障害を持ちながらも、生徒達の教育に全力を あげて取り組んでいます。しかし、よりスムーズに仕事を行っていくうえで、い くつかの補助具等の設置が求められています。  そこで、次のような対応措置をとっていただくことを要望します。 要望事項  1.音声ワープロ(パソコン、音声装置、ソフト)を公費で設置すること。  2.採点のためのアシスタントを公的に配置すること  3.教科書の拡大写本やテープ化を保障すること。 p.41 1995年6月26日 埼玉県教育委員会 教育長 荒井 桂 殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉 利夫  要望書  私たち、「障碍を持つ教師と共に・連絡協議会」は、障碍(身体障碍および慢 性疾患等)があっても教師として働き続けること、そのために必要な労働条件を 「障碍保障」というかたちで制度化して行くことを目指して、1991年10月 に結成されました。以来、92年に東京都教育委員会に「障碍保障制度要綱」の 制定を求める要望書(添付資料)を提出、昨年には東京都と文部省に対し、同様 の主旨でそれぞれ6万6千、11万6千の署名(添付資料)を添えて請願をし、 現在も継続中です。 また、制度が確立されていない現段階においても、緊急に必要とされる個別の 対応に関しては、都教委に要望を申し入れる中で、視覚障碍教師に対する持ち時 間の軽減や補助機器の設置、人工透析をしている教師への勤務時間内通院の保障 などが認められて来ています。  1981年の国際障害者年を契機として、行政サイドでも障碍者の雇用促進に 向けた様々な対策が講じられて来ました、昨年になって、公立中学・高校の教員 を障害者雇用促進法で定められた雇用率の適用から特例で除外していた規定も撤 廃されました。障碍者の働く権利が社会的にも徐々に認められて来ているとはい え、補助機器等の物的措置や人的対応がなされなければ理念だけの空回りに終わ ってしまいかねません。現に、中途で障碍を持った教師は何等の対応措置もない ために、多くの場合は退職を余儀なくされて来ました。私たちはこのような現状 に歯止めをかけるべく、同僚の先生方の理解を得つつ、各学校長や各教委への働 きかけを主要な活動の一つとして取り組んでいます。  さて、本会の会員でもある岩槻高校の宮城教諭は92年に視覚障碍5級の認 p.42 定を受けていますが、その後視力の低下が進行し、眼性疲労も著しい中で健常者 と同様に週16時間の授業を受け持っています。また、文書処理に必要な音声ワ ープロは個人で購入し、採点等の作業も私費でアルバイトを頼んでこなしていま す。宮城教諭が障碍を抱えつつ教員として今後も働き続けて行くためには、個人 で負担を抱えるのでなく、公費で保障されるような条件整備が必要不可欠である と思われます。  具体的な要望事項につきましては、先に岩槻高校の柴原校長から貴教委宛に具 申があり、埼玉県高等学校教職員組合からも要望書が出されているとのことで既 に御承知とは存じますが、本会からも重ねてここに要望致します。「障碍があっ ても共に働く」という理念を学校現場においても実現していくために、下記の要 望に対する貴教委の具体的対応措置を是非お願い申し上げます。 要望事項 (1)視覚障碍者が文書処理を行う際に必要な音声ワープロ(パソコン・音声 装置・ソフト)を公費で設置して頂きたい。 (2)採点のためのアシスタントを公的に配置して頂きたい。 (3)教科書をテープ化したり拡大写本にする際の費用を公費で保障して頂き たい。 以上 p.43 1995年9月14日 都教組日野市立日野第三小学校 長澤 範重 分会長殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 事務局長 宮城 道雄 井上教諭の処遇に関する要請書  本会は、障碍を持ちながらも教育現場で働き続けるために必要な労働条件の改 善と障害保障制度の確立を目指して、1991年10月に発足した当該者とそれを支援 する個人・諸団体で構成する組織です。  日野市立日野第三小学校教諭井上先生は本年4月から要配慮教員として定数外 の不本意な処遇を受けていることはご承知の通りですが、井上教諭が学校長より 昨年度末に、詳細を説明されないまま、その障碍を理由に「要配慮教員」を言い 渡されましたが、井上教諭と本会とで、その「要配慮教員」措置を検討した結果、 学校長の取ったこの措置は不当であり、受け入れられないものであるという結論 に達しました。この結論を受けて、井上教諭は本年4月、学校長に対し、「要配 慮教員制度」適用の措置を認められない旨の申し入れを行いました。  しかし、学校長は井上教諭に対して、今年3月25日に「教員としての資質向 上「一般的な意味での研修」の課題を課し、「要配慮としての研修」を求める 方針を変えようとはしていません。井上教諭は不本意ながら「研修」を行って、 機能回復の努力と現場での限定された中での教育活動に取り組んできました。 井上教諭は、同時にリハビリによって機能回復に努力する中で、一部分ではあ るものの機能回復を見てはいますが、脳梗塞の後遺症の障碍は、本人がいかに努 力しても失われた機能を完全に回復されるものではありません。 従って、井上教諭に対する「担任としてのすべての教育活動を行う」という学 校長の要求に全面的に応ずることは不可能であり、機能障害によって、「資質の 低下」「指導力不足」という井上教諭への見方も障碍に対する誤った認識である と考えます。  現在の井上教諭の健康状態は良好であり、機能障害のために、何ができるか、 また何が自分にとって困難かの認識も、リハビリを通じて深く捉えられるように なっています。  その結果、井上教諭は、 1.体育の授業に講師を配置する。 2.遠距離の校外学習の場合の補助(または代行)教員の配置。 p.44 等の障害保障が現場で確立されれば、担任に復帰できる、という確信を持つに至 っています。  昨年8月の本会と都教委閻での協議で「要配慮教員制度」は障害者に適用す る制度ではないことを確認しています。つまり、障碍を理由に要配慮教員制度を 適用しないことを都教委(小田原職員課長〕は言明しています。  しかし、残念ながら、教育現場の管理者の中には、この制度を利用して障碍を 持つ教師を排除し、差別的な処遇を課し、障害者に対する閉鎖的且つ差別的な人 間観を払拭できない管理職も後を断ちません。  日野第三小学校長も、井上教諭に「指導力不足」と「資質の向上が必要」とし ていますが、その根拠は、井上教諭の障碍にあります。  昨年11月8日に文部省は都教委に対しても、障害者雇用率の改善を求め、都 教委も障害者の雇用計画を見直し(障害者の雇用率2%を目標とする)、障害者 雇用除外規定を取り下げています。  以上のことからも、井上教諭の上記の要求は正当なものであると本会では考え ています。しかし、重要なことは、障害を持つ教師が・教壇に立ち続けるために は、教育現場の同僚、管理職の様々な支援と理解が必要であり、周囲の多方面に わたる協力も不可欠です。井上教諭自身の担任復帰への意欲とそれに向けての努 力を貴組合におかれましてもご理解いただき、学校長に対して分会の重要課題と して、井上教諭の要望としての2点の「障害保障」措置を講じた上で、来年度要 配慮を外し、定数内に戻し担任に戻すように強力な働きかけを行っていただきた く、『障碍』を持つ教師と共に・連絡協議会を代表して要望するものです。  尚、障教連といたしましては、日野市立日野第三小学校の職場全体の総意とし て、井上教諭の定数復帰を位置づけて、他組合と貴組合の協同の取り組みができ れば、早期復帰も可能ではないかと考えております。 末筆ながら.貴分会のみなさまのご健勝をお祈りしてやまない次第です。 敬具 連絡先:「障碍」を持つ教師と・共に連絡協議会 〒339 埼玉県岩槻市府内1-3-52 宮城 道雄 電話048-797-1323 p.45 英語科の来年度体制の話し合いに向けて (95.10.24英語科会議資料) 私の要望 斎藤 昌久 T英語科にこの文書を提出することになった経緯  10月6日(金)の朝、英語科主任を通じて、校長先生から呼び出しがあり、概ね次の ような話がありました。 「斎藤さんは高給を取っているのに、それに見合った仕事をしていない。教材作りは、 授業に出ている先生は片手間にやっている。今の斎藤さんに対して、英語科の多くの先生 は不満を持っている。斎藤さんの側に立っている先生も仕事を十分していないと言ってい る。CAIの担当なのに、英語科の中で全然進展がない。CAIは死んでいる。これでは 困る。英語科の先生から文句を言われないようにしてほしい。学年を越えて教材を作るべ きではないか。」  CAIに関しては、以前も同じ話があり、これに対して、「英語科の中で、CAIを使 って授業を勧める体制と意志統一ができていないので、今教材を作っても使う先生がいな い。市販のソフトでテストを作っている先生はいるが、学年によっては使わないところも ある。科として方針が決まらなければ、私としては動けない」と答えてきました。ただ、 今回は、英語科の中で話し合った位置づけに則って現在の仕事をしてきた私としては、非 常に不愉快な思いをいたしました。話の中に、この校長呼び出しが英語科の中の不満とし て語られたこと、会議で了承された位置づけを全く無視して私を批判し、主任の頭越しに 要求してきたことは大きな問題だと思います。  授業に復帰することを全面的に拒否され、主体性を発揮しにくい状況の中で、今出来る ことは、教材作りと補習、それに部活指導だけです。この状況を打開するために、英語の 授業は少人数クラス、LL教室を使い、さらに自らは高度の補聴器などを装着するといっ た方法で実現させたいという希望を校長先生に伝えて帰ってきました。 U今年度の私の仕事 (1}校務分担図書委員会、CAI、職員旅行  英語科内分担図書係  中学囲碁将棋部 (2)英語科としての担当  高10C(現在VTR、テープ教材作成)  ZKAI速読英単語(チェックリスト作成)  不振者指導、補習(9名 2回/週)  宿題テスト、単語テスト、実力テスト採点(2クラス) p.46  第一回実力問題作成 V障害種別を配慮した上での授業の担当を希望  私は、90年4月に職場復帰したときは、視力(矯正視力)0.04、聴力は障害4級でし たが、92年2月白内障手術によって、裸眼で(右眼)0.2まで回復しました。状態は安定 しましたが、これ以上に機能は回復しません。従って病気ではなく、90年復帰以来、長期 の欠勤は92年の手術入院以外はありません。  勤務時間も、5時以前に帰宅することは少なく、その程度の体力は保持しています。従 って、来年度、次の要望を提出したいと考えています。 (1)学年所属希望=高2 (2)校務分担=図書館指導部、CAI (3)少人数クラスの授業  難聴の対策としてLL教室の使用、バナガイドの使用、デジタル補聴器の使用などで対応して 授業を持つ。高2の学年に少人数のクラスがない場合もあり得るので、この点は英語 科で検討していただきたいと思います。 (4)不振者指導(補習)  CAI教室を使って、英語の基礎的な教材を生徒レベルに合わせて作成し、自習用 に作成する。校長先生からは、CAlを中3に使用することが提案されているが、教 科が何かの形で使用する方向を採らなければ、有効な利用は出来ないので、とりあえ ず中学の基礎的な文法のプログラミングを考えてみたいと思っています。 (5)現在行っているZ甑1不振者補習、各種テストの作成と採点は、高2でも続ける。 (6)教材発掘これは私だけの仕事とは言えませんが、今までは所属学年以外には提案し て来ませんでしたが、英語科の6年間のカリキュラムを作るためには、市販の問題集だけに 依存するのではなく、自主教材を開発しないと、国公立の入試問題などの出題傾向に ついていけないと考えています。  英語科のみなさんの支援もいただき、授業復帰以外の仕事は、休職前の状態に戻すこと ができました。残るのは授業復帰への課題です。授業に出なくなって、早くも6年にもな り、この希望は強くなるばかりです。  公立高校では、東京都の場合、障害を理由に「要配慮教員制度」(授業から外して、定 数外として3年間の研修をさせる制度)は適用しない、ことになっています。現場では、 いろいろ障害を配慮して、障害を持つ教師の出来ない部分を講師を配置して(加配と言わ れています)授業につけていく方向になっています。 p.47 第2部 特集 1 第4回大会まとめ・・・(斎藤 孝良) 2 参加者の感想・・・(松山 千春) p.48 第4回大会の総括  実行委員長 斎藤孝良  1995年5月6日(土)の運営会議で、第4回大会へ向けての実務的な愛ごとが始まっ た。そして、私はその実行委員長になった。5月23日(火)には、実行委員会を開き その後、2回の会合を開いた。さらに、4回の定例会・運営会議で話し合いをもって、準 備を進めていった。  原稿を依頼された人たち、各役割分担の人たちは、積極的に引き受けてくれた。また、 大葉代表も「運動を進める上での差別はないか?―異動に関わる諸問題―」とい う下書きのかきかけの原稿を6月の運営会議の時に配布したりした。さらに、代表は障 教連の運動のあり方・運営のあり方について提案したいということなので、討論集会と 臨時総会を2日目にもつことにした。  そうした意味、大会に向けて十分に盛り上がりを見せていたはずだった。しかし、7月 に入って代表と運営部との間に避けては通れない対立が再燃して、これがそのまま、代表 の障教連脱会という状態での大会になってしまった。  第4回大会は、多摩障害者スポーツセンターで7月22・23日(土・日)に行われた。 大会初日の総会で、会員の中から「大葉代表と運営部との間になにがあったのか?」の質問 が出された。また、この日の参加者が15名(あと要約筆記者が2名)であったので、分 科会を全体会に変更した。「障害を持ちながら勤務を続ける為に」のテーマで栗川さん・ 成松さん・勝原さん・松本さんからの報告があった。職場の中の一人の教員である。障害 にめげずに、自分の仕事を切り拓いて行く。ことを発表してくれた。  全体会の残り30分は、大葉代表のことで会員の意見を聞いた。「大葉代表の生の声を 聞きたい」と言うことになって、2日目に大葉代表にきてもらうことになった。 p.49 2日目は、大葉代表が26名の参加者に対して、上のレベルでの「差 無生」運動推進協議会という会を作り運動して行くことを提起した。そ して、臨時総会で運営部の総辞職が決り、障教連の代表として大葉さ んが残ることになった。  昼食をはさんだ前後の時間で、会員レポートがあった。関さん・大野 さん(代読)・栗原さん(代言)・成松さん・丸山さん・松本さん・久 米さん・栗川さん・早川さん・若松さんからでした。(職場での)近況・ 現在までの遠い道のりなどを報告してくれました。  第4回大会は、当日になってプログラム変更があったり、思わぬ結末 をむかえたりして、混迷をきわめた。しかし、障教連の歴史にその一ペ ージを刻むことになるでしょう。  さいごに、この大会を支えてくれた共に会員の皆さん・岩槻高校の 染谷さん・要約筆記の方々・またボランティアの松山さん本当にお世 話になりました。ありがとうございました。 p.50 松山 千草  みなさん、お久しぶりです。昨年の夏にボ ランティアとして障教連に参加させて頂きま した。障害を持っているということで健常な 先生方より多くの悩みが生じてくるのは当然 ですし、学校の制度や設備等の差別や問題が 依然としてあると障教連でのお話 を聞いて 実感しています。私は障教連を、視覚障害を 持った教師の方々の悩みや問題を障教連とい うまとまりの中で、その会員全員で考え良い 方向へ持っていこうとする団体だと解釈しま した。悩みや問題をただ話し合う、いわゆる なぐさめ合うことが障教連の目的ではなく、 悩みや問題を良い方向へ持っていくこと、現 状を変えていくことを目的としていると感じ たので、みなさん前向きな生き方をしている んだなと 感じました。障害を持つ方々のこ とで今まで自分が気付かなかったこと、又考 えもしなかったことが多くあり、みなさんと 接することで幾分か教えられたことは良い経 験でした。障害を持つ方々の視点に立った物 p.51 事の見方がみなさんと接する中で、少しでも 多くなっていけばと思います。今後もよろし くお願いします。 p.52 第3部 スクランブル 1 新会員の報告・・・(井上 充) 2 「障・教・連」活動に参加して・・・(佐瀬 順一) 3 障害を持って・・・(松本 康宗) p.53 スクランブル 新会員の報告 日野市立第三小学校 教諭 井上充  去年の3月末に障教連を知り、入会しました。入会早々大葉先生をめぐるトラ ブルがあり、何がなんだかわからないうちに1年がすぎようとしています。  障害を持った教師がはたらき続けるためにはどうしたらいいか、など障害補償 の理念はわかったつもりでも、いざ私自身の事で校長など立場が逆の人の話を聞 くと、それも一理あるかな、と思ってしまう。代表の斉藤先生や事務局長の宮城 先生と前の日の深夜に1時間もかけて出した結論に簡単に迷ってしまう。結局  「いかにして要配慮をはずしていくか」あるいは「いかにしたら要配慮がは ずれるか」の間で迷っているわけです。  なんて自分は弱い人間なんだろうと思ったりする。よし、今度こそ信念はかえ ないぞ、と思ってみても「あなた、それをいったら要配慮は絶対はずれないよ」 といったような脅し文句ともとれる言葉を聞くとびびってしまう。  大里先生の言によると、「そういう事を繰り返しながら強くなっていくんだよ。 強くなければやって行けないんだから。」とか。いつになったら『あいつは強い 人だ』といわれるようになるだろうか。 p.54 「障・教・連」活動に参加して 葛飾盲学校教諭 佐瀬順一  私の両親は二人とも一級の視覚障害者です。私は物心が付く前から父の手を引 いて色々な所に出掛けていました。そして、たくさんの障害者の方々と接してき ました。だから私は、障害者と健常者が同じ社会の中で生活することなど至極当 たり前の事と思っていました。しかし・両親の事でいじめにあったり・結婚を反 対されたり…。年を重ねるにつれて・周りの人々は私と違う考えを持っているこ とを思い知らされました。障害者差別が日本人の心の中に深く根付いていること を実感しました。  人は、差別すること、他人を馬鹿にすることによって心の安定を図ろうとする 傾向があります。一種の自己防衛のための本能かも知れません。しかし、それで はあまりに心が貧しすぎます。サルと一緒になってしまいます。人は他の動物に はない知恵を持っています。その知恵をちょっと働かせれば、差別のない社会を 作ることなど簡単なことだと思います。でも・差別をしないで精神的に安定する ためには、ある種の自己否定をしなければなりません。それが辛いから、みんな 無意識的に誰かを差別しながら生きているのです。その方が楽ですから。  差別する人間を作るのも、差別をしない人間を作るのも教育の責任です。だか ら、これからの日本を作る子供たちを教育する学校には絶対に差別があってはな らないと思います。そういう意味で、これからの「障・教・連」活動はとても重 要だと思います。 まだまだ若輩者の私に何ができるか分かりませんが、少しでも皆さんのお手伝 いができたらと思っています。これからも宜しくお願いします。 p.55 障害を持って 北海道函館市立湯川中学校 教諭 松本康宗  平成六年十一月に,視力障害を認定されました。同年一月頃は視力 0.8で自動車の運転もしていました。  ところが緑内障の進行によって徐々に視力0.3まで落ちました。 このままでは失明と医師に言われ,同年五月に入院し手術しました。 退院して,七月に一度復帰しましたが,角膜の状態が悪いことと,視 力が十分に回復せす,また,近くの細かいものが十分によく見えないた め八月から十一月まで再度病傷欠勤し通院治療しました。  しかし,期間が過ぎても視力は十分に回復せず,また,近くの細かい ものが十分によく見えなく,以前よりも徐々に悪くなるばかりでした。 これは白内障が併発し進行したためでした。  同年十一月に,視力障害五級に認定されました。引き続き休職に入り ました。  休職に入って,すぐに函館の国立視力障害センターを訪れました。 そこで、埼玉県所沢市の国立リハビリテーーションセンターのロービジョ ン・クリニックに入院し復職の訓練を勧められました。  一度は教職をあきらめましたが,この勧めで教職に戻るきっかけとな りました。そして国立リハビリテーションセンターでの訓練中に障教連 などの会があることを知りました。  そして,平成七年六月から復職となりました。これも,障教連,北教 組、国立リハビリテーションセンターなど,多くの人達力添えよってな されたものと思っております。障教連においては,宮城氏,大葉氏が はるばる函館まで来られました。  深く深く感謝しております。できる限り,教職の道を続けて行きたい と思っています。 p.56 編集後記 ヤッホー。やっと第9号が出ました。いままで滞っていた1年分の動 きをこの号で総括的にまとめてしまいました。気持ちを新たに、第10 号からは定期的に発行していきたいと考えています。  昨年の11月25日(土)の会議で、障教連だよりの編集を次のよう に決めました。 編集の項目 1 巻頭記 2 軌跡 3 焦点 4 特集(合宿・大会・学習会など) 5 スクランブル(会員・支部から) 6 私の教育実践 7 広場(会員外の方でも自由に投稿) 8 編集後記  2・3・4では、障教連の動きを詳しくのせていきます。  5では、会員・支部の声や動きをどんどん乗せていきます。  6は、今回新しく項目をたてたものです。障害をもっていても、私 にはこれだけの教育実践できるんだ。と言う、教育実践者としての証 の記録を公表していきたい。そして、お互いに影響し合い、また、あ とから続いてくるであろう後輩たちにも勇気をあたいたいと考えてい る。  7も新しくたてた項目です。5とはちがったもっと自由な精神で、 その時々のおもいを書いてください。  また、表紙の装いも新たにしました。表紙の絵は大野喜美子さんが、 題字は斎藤孝良がかきました。  会員の報告からも分かるように、障教連は、今一つの過渡期に入っ ていると思います。あとから続いてくる後輩たちのためにも、私たち は障教連の運動をよく理解し、継承して行かなくてはいけないと考え ています。1996年1月26日斎藤 孝良 裏表紙 「障」教・連だより ひとすじの 白い道 第9号 1996年1月 障教連 ◆連絡先◆ 代 表:斎藤 昌久 03(3959)4656 事務局長 宮城 道雄 048(797)1323 副代表 丸山 隆 0489(42)8578     的野 碵郎 0423(81)2534 定価300円 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日発行 SSKA増刊通巻第2464号 1996年1月29日発行 発行所 東京都世田谷区砧6126-21 身体障害者定期刊行物協会