表紙 「障碍保障制度」の確立を!! SSKA増刊 障教連だより ひとずじの白い道 第8号1995年2月発行 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 編 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日発行 SSKA増刊通巻第2361号 1994年12月28日発行 p.1 障教連便り 白いひとすじの道 第8号 目次 巻頭記「寛容の心」を教育の場にー障害を持つ教師も共に働きたい 斎藤昌久 2ページ 軌跡 1994年9月〜12月 5ページ 都教委交渉経過報告 10ページ 資料(資料の目次はとびらに記載しました。) 13ページ 焦点「障教連にとっての学習会」的野碵郎 36ページ スクランブル 33ページ ◎細い道その1  1989年4月から1994年6月18日まで 斎藤孝良 34ページ ◎会員になって 宮澤梅二 43ページ ◎目の黄斑部変性症になり気持ちが落ち込んだ私 大林昇 44ページ ◎日溜まり 若松皓輝 45ページ ◎私と障教連 桑原崇 46ページ 編集後記 宮城道雄 48ページ 巻頭記 「寛容の心」を教育の場に―障害を持つ教師も共に働きたい 城北学園 斎藤 昌久  昨年12月25日の障・教・連の「忘年旅行会」で熱海に行ったときに、しばら くぶりに大葉先生も元気な顔を見せて、夕食をとる前の開いている時間を利用して、 自己紹介を兼ねて現在の状態をそれぞれ思いつくままに話をしたときのことです。 それぞれに障害を抱えて、職場のなかで闘っている人が多いので、やはり苦しい状 況が吐露されるのが自然の成り行きだと思っていたが、そのあたりは、旅行で気心を ほぐしにきた人達の前であまり悩みをぶちまけて雰囲気を悪くしたくないという気配 りを、それぞれがで働かせたせいか、楽しい話に花が咲いた。私はこんな話をした。 「自己を解放する場や時間を必ず一週間に一度は持つことにしているが、それが、 『障・教・連』の都教委交渉の日と重なることが多く、この頃は思うようにストレス を解消できないこともあるのだが、『嘘も方便』とばかりに、何とかこじつけて用事 を作りだして自分の時間を確保する。」私の「方便」の宛て先は宮城先生(事務局 長)である。話しながら宮城先生の顔色を伺うと、何とも言えないというような顔つ きをされていた。しかし、いつもというわけにはいかない。その節度はわきまえてい なければならないが、ストレスの時代と言われる現在、障害者は特に独自のストレス 解消法を身につけておきたいものだ。  今年度は、本会の大葉代表をはじめとして数人の会員が職場異動のカードを提出 していて、その実現が強く望まれるが、都教委に交渉の度に、障害者の通勤の危険性 や持ち時間軽減、学校事務の適正配慮を優先するように申し入れているが、公平原則 が崩れるという理由で、なかなか首を縦には振ってくれない。都教委の権限の範囲内 で適切な措置が取れるはずだと思うのだが、現場の校長がこの人事に関してはかなり 強い発言力を持っていて、障害を持つ教師を受け入れようとはしない。障害保障の観 点が教育現場に定着する日は一体何時のことになるのかと気が遠くなるような思いで ある。だから、余計に障害者の自立を促し援助する制度が必要なのだ。欧米では障害 者が生活していく上で、支障がないように、街の道路なども一定の配慮がなされ、教 育の中でも、子供たちが弱者に対する思いやりを自然に持つようにカリキュラムが組 まれている。例えば、普通の子供が何日かに一回は車椅子に乗って学校に通学して、 p.3 車椅子の生活を体験することによって、障害者の目の高さでものを見ることができる ように指導している。  自立することを障害者に要求する前に、日本では、障害者を普通のものとは違う もの、劣っているものという見方で、排除していく方向を取るか、過保護にして、自 立を妨げるかのいずれかの場合が多い。私自身、視覚障害(4級)と聴覚障害(4 級)で職場復帰して5年になるが、未だに授業を持たせてはもらえない。理由はミ生 徒とのコミュニケーションができないから、というのだが、どうしても納得できない のだ。そこで、来年度は補装具だけでも、学校側に保障してくれないかと要求して、 教科主任に依頼しても、「自分で買ったら?」「自分で用意したら授業をさせてくれ るのか?」と聞くと「それは分からない」という答えしか返ってこない。これでは、 耳が悪いから授業は出来ない、と初めから排除していると考えられる。また、一方で は、「うちの生徒は、功利的だから、先生が生徒の質問を正確に溜まなければ無視し て、まじめに授業を受けない」と生徒のせいにして、排除をする。どこで、誰か教育 書しているのかを疑いたくなるものの見方を恥ずかしげもなく言うのだ。  障害者だから今の職場に生き残れるという考え方が、障害者の側にあるとすれは、 あるいは、そのように思われるとすれは、それは、私たちも大いに反省しなければな らないが、今の教育現場(公立、私立を問わず)が、知識教育最優先で、生徒が社会 で何を必要とし、どの様にものを見、考えていくか、そしてそのノウハウ(KNOW-HOW) を省みない教育が行われているために、生徒が教室の掃除ひとつ満足に協力してやる ことができないような、高校生になっても幼児並の生活精神発達度に甘んじているの ではないのか。今年(1995)は「国連寛容年」でもある。民族紛争、部族対立、飢餓 と貧困など諸問題を解決するための基本的視座として提起されている「寛容」は決し て、ただ「やさしい心」でこれらの諸問題に対処することを要求しているものではな い。むしろ、「厳しい姿勢で対処し、言うべきは言う」を基本姿勢にして、世界で話 し合って合意が図られたことは、誠意を持って実行し、自立を促す姿勢である。  障害者に対する姿勢もこうあつてほしいものだ。人間は平等であることを教室で教 えながら、職員室では障害を持つ教員に対して排除の論理を振り回すのでは、教育が 実り多いものとはなるまい。  障害者自身も、この寛容の心で交流を図らないといけないのだが、職場であれこれ の嫌な経験をすると、心穏やかではいられないことが多い。障害者同志の間でも、お p.4 互いに相手の弱点を見て、個性や特性を見ようとすることかできない。私たち障害者 も、アメリカの学校の車椅子体験学習のように、それぞれの障害者の困難を学習する ことが必要なのではないだろうか。先日、視労協の的野さん、宮城さんと私で話す機 会があった時に、手話をみんなで学習することが必要ではないか、ということになっ た。最近、『障・教・連』に聴覚障害者の会員も加わるようになってきて、視覚障害 者とどのように交流したらよいか戸惑いを感じることもあって、宮城さんも、点字だ けでなく、手話も習得しておく必要を感じていると話していた。 「ノーマライゼイション(完全参加と平等)は教育現場から」を合言葉に結成され た「障・教・連」の会員が職場の困難を乗り越えるためには、会員がお互いに寛容に 心で、お互いに深く理解し合って交流し、しっかり支え合っていくことが、何よりも 大切であると思う。その手段として、視覚障害者の言語とも言うべき点字や聴覚障害 者の手話などを学習して、「障・教・連」のネットワークを広げ、充実していぎたい と思うのだが、会員の皆さんは如何お考えでしょうか。 p.5 軌跡 □1994年9月〜12月 □都教委交渉経過報告 p.6 軌跡―94年9月〜94年12月の動き 宮城道雄 今回は94年9月から94年12月までの活動の報告をします。 1.前進 (1)署名、都議会と文部省へ提出 7月に障碍保障制度確立に向けた6万6千の署名を添えて都議会議長 に請願を提出したのに続いて、9月には、岡崎文部政務次官に11万6 千の署名を提出した。これらは朝日新聞やNHKに取り上げられて世論 を喚起して、問題提起が出来た点は一定の成果といえる。さらに、都議 会においては、厚生文教委員全員に対して請願の審議促進の要望書を送 付したり、3日に渡って各会派の議員に面会して署名に関する理解を求 めたことで、議員に「障碍保障」についての認識を深めることが出来 た。 (2)都教委交渉継続する  10月25日、12月13日の2度の交渉と電話での話合いにおい て、次の2点が確認された。 第1は、大里問題に係わって、榎本管理主事の話では、来年度は要配 慮教員制度の適用から外し、教員定数の中に入れるということだ。二重 障碍であっても定数内に戻れることが確認された。このことの意義は大 変大きい。一昨年、障害者基本法が成立するなど、この3年間の障害者 を取り巻く情勢の変化と、会の署名提出や粘り強い都教委交渉の結果と して、都教委は障碍者を排除できない状況が生じて来ていることを示し ていると言えるだろう。  第2には、文部省は雇用促進法の公立学校への適用を「特別規定」を 設けて除外していたが、94年度からそれを撤廃した。そして今後5年 間の雇用計画を作って労働省に提出したことが交渉の中で明白になっ た。この事実は大変重要なことなので、大々的に宣伝をする必要があ る。 p.7 (3)辻問題で京都市教委交渉 辻さん(京都市立滋野中勤務)問題に係わって、京都市教委と初めて の交渉を持ち、京都府教委に対しても要望書を提出した。これらの取り 組は教育委員会交渉を含めた会の活動範囲が関東から関西にも拡大した ことを示している。署名活動を通して、会の活動が各地に浸透しつつあ り、孤立して点在する当該者が、会を知って加入してくる事を考える と、行政交渉が今後各地に拡大して行く端緒であろう。 (4)様々な障碍を持つ教員が会に加入 9、10、11月の定例会は心臓疾患、リュウマチ、難聴、視覚障碍 等、様々な障碍を持つ教員が集まり、熱心に自らを語り、情報交換が行 なわれた。あらゆる種類の障碍を持つ教員の運動をやるという会の主旨 が広まった結果である。 2.課題 (1)一人一人の当該者が各教委へ要望を提出して行こう。  個別問題の解決の為の行政の対応策の蓄積こそが「障碍保障」の制度 化につながるという原点に立って、各教委交渉を行なおう。  新会員を含めて、当該者の問題点をまとめて要望として各教委へ提出 して、交渉を粘り強く行なわなければならない。東京都の今後5年間の 雇用計画に「障碍保障」を実質的に盛り込んで行く必要がある。都教委 としては明確に拒否しにくい有利な状況を生かして行こう。 (2)連携出来る組織と協力関係を深めよう。 署名は提出はしたが、採択されるまでになっていない。今後も一層の 主旨の浸透をはかることが必要である。あらゆる機会を通して、連携出 来る組織に働きかけて協力関係を深めて行こう。 (3)様々な障碍を共有化して運動を進めて行こう。 p.8  署名による運動の広がりと共に、視覚障碍の他に聴覚障碍や内部障碍 等、様々な障碍を持つ者が会に集まってきている。視覚においてもその 障碍の段階は色々で、お互いの障碍をしつがりと理解することが重要な 課題である。常に相手を思いやり、充分な障碍理解と意志疎通を図らな ければならない。定例会における点字や手話の学習や、それぞれの障碍 における授業方法の交流等をやる事も必要だ。教師としては授業方法を きちんと確立した上で、自信を持って運動を進めなければならない。 (4)組織的に動ける会にして行こう。  会の広がりにともない、これまでの成果の上に立って、東京における 行政交渉をさらに積み重ねると共に、京都や埼玉等各地において、個別 の問題解決と障碍保障実現の為に各教委交渉を行なう必要がある。会は 個別問題をしっかりと担いきる力量を持たなければならない。そのため に運営部の活動を活性化して行こう。 3.会の動きと日程 ■9月 03(土)運営会議 04(日)辻問題担当会議 07(水)文部省、岡崎政務次官へ署名提出 09(金)京都市教委交渉 17(土)定例会 ■10月 01日(土)運営会議、都障福 08日(土)臨時運営会議、都障福 09日(日)担当会議 10日(月)担当会議 12日(水)京都府教委へ要望書(辻問題)送付 15日(土)定例会、飯田橋セントラルプラザ3F p.9 18日(火)都議会厚生文教委員への署名審議促進依頼文送付 25日(火)都教委交渉 29日(土)まとの治療室開業祝賀パーティー ■11月 05日(土)運営会議、都障福 06日(日)94東京「障害」児教育研究集会 07(月)京都市議河上氏に辻問題支援依頼(電話及び書簡) 15日(火)榎本管理主事から電話連絡 19日(土)定例会、中野区民集会室 21日(月)都議会回り 24日(木)都議会回り 29日(火)都議会回り ■12月 03日(土)運営会議、都障福、 13日(火)都教委交渉、都庁28F 17日(土)忘年会、大宮公園、ぼんさい亭にて 23日(金)聴覚障害教職員懇談会参加 25、26日(日、月)熱海忘年旅行 p.10 都教委交渉の経過報告(94・10-12) 【10月25日】 出席:井上人事計画課係長・奥村職員課係長 障教連6名 (1)労働省から障害者の雇用促進に向けて採用計画を出すよう要請があり・文部省 では11月9日に全国の担当者を集めて会議を持つ予定になっていることが明らかに された。具体的には雇用率を2%に近づけるための方策を都教委としても新たに検討 し始めていること.新規採用が中心にはなるが、中途障害者の問題も不可分であり、 検討の中身には私たちが求めている「障碍保障制度要綱」の内容も含まれるとのこと だった。 (2)次年度の予算要求の中に「障碍保障」に係わる予算を含めることについては、 別枠で要求はしていない、全体の予算枠の中で、個別の必要性に応じて増額申請があ れば、別途措置することになるという回答だった。 (3)異動要綱の中に「障碍がある場合」は優先して異動ができるように盛り込んで 貰いたいという要望については、「保育」等と同様に「配慮事項」には当然なり得る ことなので、所属長を通じて個々の事情をきちんと上げるようにという。これまで通 りの回答だった。異動担当者に直接会うことについても、現在のルールでは認められ ていないというものだった。 (4)大葉さんの要望について  現在、採点は自費でアルバイトを頼んでおり、教具の作成等もボランティアに協力 して貰一、ているが、それらを公要で保障するよう要望した。都教委の回答は、公費で の支出は現状では困難であり、制度として人的配置を検討していく中で問題解決に当 たりたいとのことだった。補助機材の購入、異動に関する要望については上記(2) (3)の回答に同じ。 (5)大里さんの来年度の配置について  担当の榎本管理主事が出席していなかったため、後日、事務局長の宮城宛に電話で 連絡して貰うことになった。 (6)栗原さんの来年度の異動問題について 慢性関節リウマチの障碍により担任を受け持つことは困難なので、家庭科専科での 異動と、異動先については自転車で通勤可能な地区を要望した。都教委からは、個別 の事情を記した書類を添付するなりして、校長を通じて都教委に上げて貰いたいと話 があった。 (7)大野さんの要望について 品川区立伊藤小学校で図工科専科担当・心臓弁膜症のため遠足等の学校行事に参加 出来なくなったことに対して一部の同僚から嫌味を言われたり、障碍の状況を校長か ら他の教員に説明してくれるよう要望してもなかなか理解が得られないことなど、周 囲の意識の遅れが障碍者を精神的に苦しめている実態を訴えた・障碍を持つ教員への 配慮に関して、管理職への指導、ガイドラインの作成など都教委としての対応を要望 p.11 【12月13日】 出席:小田原職員課長・井上人計課係長・奥村職員課係長障教連10名 (1)公立中学・高校の教員は、これまで障害者雇用促進法で定められている採用計 画を作成する対象職員から特例として除外されていたが、94年度から撤廃されるこ とになったため、95年1月1日を始期とした5年間の採用計画を作成して労働省に 提出したと説明があった。公務員の場合に法律で定められている2%を目標にすると のことだが、94年6月1日現在の雇用率は中学校で0.41%、高校は0.77% と、現状は目標と程遠い実態であることが明らかにされた。また、計画を裏付けるた めに必要となる、障碍を持つ教員に対する人的措置、補助機材導入のための経費措置 の基準、施設設備の改善、一般職員に対する啓発等、私たちが「障碍保障」としてい る内容について、都教委内で案をまとめている段階であるとのことだった。 (2)異動に関する要望については、「異動要綱」に盛り込むことは要綱の性格上出 来ない、校長の具申(裏書き)の中に個別の事情が正確に伝わるようにして貰いたい とのこと。また、異動が難しくなるからと、校長が裏書きに「障碍」の状況を書かな かったため異動カードが戻された実例を上げたところ、事実をきちんと書くように指 導するとのことだった。 p.12 (3)大里さんの要望について  要配慮教員の「出口」について結果が出るのは1月中旬から下句になるとのこと。 担当の榎本管理主事は「来年度は定数に入れる。心障学級の担任もあり得る」と11 月の段階で言っていたが、正式には1月の審査会を経て決定するとのことである。来 年度、心障を受け持つことになった場合の持ち時間の軽減や、ワークアシスタントの 配置に関する要望書を渡し、1月中に榎本氏と直接話し合いの場が持てるよう要請し た。 (4)大葉さんの要望について  異動希望については、校長の具申を待って決定することになるという、これまでと 同じ回答.来年は必異動の年であり、希望する地域に数学の異動希望者もあるという ことなので、実現を強く要望した。また、コンピュータ関係の視覚障碍者用機器の一 覧を示し、公費での購入を要望した。 (5)栗原さんの異動に関する要望について  慢性関節リウマチによる膝関節障碍のため、異動先は通勤に負担のかからない地域 の学校で家庭科専科の担当を希望し、これらの条件が満たされない場合は現任校に残 ることを改めて要望した。 (6)大野さんの要望について  障碍の状況と職場内で配慮して貰いたい事柄を再度校長に話し、校長から職員にき ちんと伝えて理解を得ることが必要であると確認された。また、障碍のある教員に対 する配慮について、一般論にはなるが、地教委との会議の場で話したいと小田原課長 が答えた。 (文責坂西) p.12 資料 1 京都府教育委員会への要望書 14 2 東京都文教委員会への「お願い」 16 3 参議院議員 八代英太氏への要請書 18 4 都教委交渉 10月25日協議事項 19 5 都教委交渉 12月13日の話し合いについて 21 6 大里教諭の95年度配置に関する要望 23 7 大葉教諭の移動に関する(都教委職員課長への)要望書 25 8 榎本管理主事への手紙 26 9 大葉利夫教諭の障害保障の実現に向けてのお願い(都高教委員長宛) 27 10 大葉教諭移動実現へのご尽力の要請(都立東村山高校長宛) 29 p.14 1994年10月12日 京都府教育委員長 森田嘉一殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 要望書  本会は、障碍(身体障碍および慢性疾患等)があっても教師として働き続ける こと、そのために必要な労働条件を「障碍保障」というかたちで制度化して行く ことを目指して、1991年10月に結成されました。  その後、東京都教育委員会に「障碍保障制度要綱」(添付資料)として要望書 を提出するとともに、現実に障碍を抱えながら勤務している当該教師の具体的な 要望についても話し合いを重ねて来ました。その結果、視覚障碍教師に対する持 ち時間の軽減、人工透析を受けている教師に対する勤務時間内通院の保障など、 制度が整備される以前においても、緊急に必要とされる対応に関しては都教委の 理解を得て要望が認められて来ました。  また、文部省に対しても、「障碍保障」の制度化を求める10万を超える署名 (添付資料)を本年9月7日に提出しています。 さて、今回、突然ではありますが貴教委にこのようなかたちで申し入れをさせ て頂いたのは、本会の会員でもある京都市立滋野中学校国語科教諭辻範子さんに ついて、緊急に要望したい事情が生じたことによります。  辻さんは、1989年10月に心房中隔損傷の手術後、その後遺症によって休 職し、去る8月1日に復職しました。しかし、現在でも心室性期外収縮の後遺症 が残っており、そのため疲労が続くと不整脈の発作が起きるなどの症状が出てい ます。現在、辻さんは週20時間の授業を受け持っていますが、健康な人なら問 題なくこなせる時間数であっても、心臓に障碍のある辻さんにとっては非常に負 担が大きく、現実に不整脈の発作が起き薬で抑えている状態です。  私たちは辻さんの緊急な要請に応えて京都市教育委員会に要望書を提出し、9 月9日に話し合いの場を持って頂きました。具体的には持ち時間の軽減(15時 p.15 間程度にする)をお願いしたわけですが、市教委としては「制度がない」との理 由で要望は受け入れられませんでした。また、その際、「府教委に行って話をし てくれ」と、問題のたらい回し的発言もありました。辻さんの現在の状態は.制 度ができるまで待っていられる余裕はなく、このままでは教師を辞めざるを得な い状況に追い込まれることは明らかです。  辻さんのように中途で障碍を持った教師は。働き続けたいと言う意欲があって も、健康な頃と同様の仕事量を要求されるため無理をして身体をこわし、多くは やむなく退職せざるを得ませんでした。障碍者が働くことのできる環境が、学校 現場では全くと言っていいほど整備されていません。法律で定められている障害 者雇用率も守られていないのが実態です。  そのような中でも、東京都においては本会との話し合いにより上記のような具 体的対応がなされ、大阪府や新潟県などでも常勤講師の配置等の措置が行われて います。障碍があっても教師を続けられるかどうかは教育委員会の姿勢いかんに 関わってくるのです。  辻さんが心臓に障碍を抱えながらも教師を続けて行くために、本会として下記 の2点を貴教委に要望致します。辻さんが置かれている状況に、ぜひ、ご理解と ご配慮をお願い申し上げます。 (1)持ち時間を15時間程度に軽減して頂きたい。 (2)来年は強制異動の対象となるが、通勤の負担を避けるため、現任校に残 すか、異動する場合でも通勤時間が30分以内の学校にして頂きたい。 なお、以上の2点については文書による回答をお願い致します。 〈連絡先> 〒183東京都府中市朝日町1-15-26大葉方 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 専用電話・FAX:0423-36-7012 p.16 1994年10月 東京都厚生文教委員会 委員長 下村博文様 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表大葉利夫 お願い  突然のお手紙、ご無礼をお許しください。  私達は在職中、不運にも病気や事故で障碍や難病を持ってしまっ た教師とその支援者の集まりです。会員は全国にまたがり、幼稚園 から大学まで幅広くおります。  去る7月12日、奥山東京都議会議長に「障碍保障制度」確立要 求の署名6万6千人分を添えて請願致しました。 (NHKを始め、朝日・読売新聞などで既報済み) 私達の職場である教育現場では障碍を持ちながら教師を続けていく ことは大変な困難を伴います。健常者と同じように100%の仕事 をこなす事を要求され・無理を重ね限界まで働くか・生活への不安 を持ちながらも退職せざるを得ない状況に追い込まれるかのどちら かです。  慢性的な忙しさ故、同僚間で支え合う気持ちは有っても殆ど不可 能です。 特に教育現場では障害者の雇用率も低く、新規採用は殆ど有りませ ん。又、中途障害者に対しても特別の配慮は有りません。  国連障害者年10年でいわれた障害者の「完全参加と平等」の実 現とは程遠いのが現実です。 p.17 ―私達は障碍があっても教師として働き続けたい―  しかしながら働き続けるためには障碍に応じた何等かの対応が成 されない限り困難です。行政側では制度がないため、障碍に応じた 有効な手立てを取ることができません。 そこで私達は「障碍保障制度の確立」に向けて署名を全国的に展 開しました。仕事と障碍を抱えながら友人・知人を頼り、街頭に立 ち1年以上を費やしました。まず、首都東京からということで全国 の仲間も応援してくれました。 夢の実現の為に皆、歯をくいしばり頑張って来ました。  9月には10万5000人分の署名を文部省にも提出しました。 「障碍」を持つ教師が当たり前に存在するような学校―ノーマ ライゼーション―の理念を学校現場で実現していく事が私達の 目標です。その事は又、子ども達の教育にも大きな意味を持つ事に なると思います。  しかし、この請願が採択されるためにはまず、貴委員会で検討さ れなければなりません。全国的に署名を展開する運動は私達のとっ て最初で最後の機会かと思います。  私達の夢実現の1歩が少しでも前進しますようにご検討いただき たく、心よりお願い申し上げる次第です。  尚、別添の文書は趣意書と署名用紙の見本です。 p.18 1994年10月11日 参議院議員 八代 英太 殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉利夫 日頃より本会に対する御理解・御支援を頂き誠に有難う御座います。 さっそくではありますが、本日次の二点にっきお願い致したく思い筆を 取りました。急ぎのためFAXでお送りする事をお許し下さい。 1.本会の都議会への「請願」について  去る7月12日に、都議会議長宛に、六万六千余名の署名簿を添えて 「請願」提出致しました。請願の主旨が達成される為には、「自由民 主党」都議会議員の力を得なければならないと常に考えて参りました。 残念ながら直接のつながりも無く、ご協力のお願いを出来ず、月日だけ が経過してしまいました。誠に勝ってなお願いではありますが、本会に 厚いご理解のある先生のご協力を頂く事により、議員の方との直接のコ ンタクトを取れる状況をお作り頂ければと願う次第です。 2・京都府教育委員会への働きかけについて  本会の目的達成の為には、全国の都道府県全てに対して働きかけが必 要な事は明らかであります。本会の力量としましては、現在の所東京都 に対してが精いっぱいであす。しかし今回9月に入って入会した、心臓 に障碍を持つ「京都市立滋野中学校国語科教諭、辻範子(45歳)」 は、この8月に5年間の闘病の後復職にこぎ着けましたが、復職即健常 者勤務の困難な状態にあります。本会としましては、9月7日に「要望 書」を持って市教委の花嶋課長・薮田係長と協議を行ないました。しか しながら、「対応制度はない」「暫定措置も出来ない」の繰り返しで、 らちが明きませんでした。  本会の主旨と当面の当該に対する対応を、京都府教育委員会に求める 場が早急に必要でありますが、その場を設定する為には是非とも八代先 生のお力がなければあり得ないと考えております。  以上二点とも誠に勝手で一方的なお願いとは存じますが、是非ともお 聞き届け頂きお返事を頂ければ幸いと存じます。 p.19 1994年10月25日 東京都教育長 人事部職員課長 小田原 栄 殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉利夫 10月25日協議事項  日頃より本会に対する、貴教委の御理解御協力に深く感謝しております。 今回も、貴重な時間を本会の為に共有頂けることは大きな喜びにたえません。 T全体 1 「障碍保障制度要綱』について貴教委での進行状況 2 「障碍者基本法」(1993年12月3日施行)をどのように受け止め、今後具 体的にしていく日程的予定と、「障碍保障制度確立」をリンクさせ進めていく 時期に来たことで「雇用確立委員会(仮称)」設立についてお答え頂きたい。 3 1995年度に向けて「障碍保障」に関わる「具体的予算要求」の内容を掲げ いただきたい。 4 前回申し入れた教育長の「障碍保障制度』に対する考えをお聞かせ頂きた い。 5「異動」に対する優先義務を「異動要綱」に是非盛り込んで頂きたいと改 めて提案します。  上記1〜3に対して統括者である教育長の考えをお聞きしたい。 p.20 U個別 1 大葉利夫教諭(校正者注:大葉利夫教諭に下線)(都立東村山高校、視覚) ア 研究開発や資料収集による勤務内容の変更  小田原職員課長も既に承知であったこの件が、現校長により「中止された」 問題はどう取り組まれたか。6月30日現在では留目校長の態度は変わって いない。 イ 補助機器の別枠公費購入 ウ ワークアシスタントの公費化 エ 通勤の負担と危険に対しての考え オ 異動について  最重点項目である。本人の「異動に関する事情」を参照されたい。 2 大里暁子教諭(校正者注:大里暁子教諭に下線)(品川区立城南第二小学校、人工透析および視覚)  来年に関しては、前回8月23日に一応の見解を頂き、今後の展望へ一定の前 進を感じています。しかし、障碍を持つ教師が働く為の基本的対応は先送りに なっており、誠に遺憾である。  9月の「区教委」の校内における「授業視察」はいかに「差別的」意味を持 っているか、榎本管理主事および貴教委は理解していないと判断する。「理由」 はあるでしょうが、これは明らかに「差別的」行為であることに気がついて頂 きたい。その上で、今後の「障碍保障」を進めて頂きたい。 ア 定数外とするのではなく「定数をプラス」する事を検討して頂きたい。 イ ワークアシスタントや研究開発の保障 3 栗原昌子教諭(校正者注:栗原昌子教諭に下線)(足立区宮城小、慢性関節リュウマチ) ア 勤務軽減(勤務時間・内容、持ち時間) イ 勤務校(必異動と通勤) 4 大野貴美子教諭(校正者注:大野貴美子教諭に下線)(品川区伊藤小、心臓弁膜症) ア 障碍の状況 イ 職場での理解 Vその他 p.21 1994年12月10日 東京都教育庁 人事部職員課長 小田原栄殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉利夫 12月13日の話合いについて 日頃より本会に対してご理解ご協力頂き、有難うございます。さ て、12月13日の話合いの内容を下記のようにまとめました。双方 で、事前検討を加えて、当日の会議が有意義なものとなることを希望し ます。 [1]全体 1.前回質問した次の事項について、教育長(教育委員会の統括者)の 考え方を聞いて頂けたか。 ア.「障碍保障制度要綱」の進行状況一 イ.昨年12月に成立した障害者基本法をどのように受け止めるの か。また、それと「障碍保障制度化」をリンクさせて取り組む時期に来 ていると思うが、どのような見通しをお持ちですか。 ウ.来年度に向けた「障碍保障」に関する予算化はどうなっている か。具体的内容を提示して頂きたい。 2.去る11月9日に、文部省が各教育委員会を集めて、どのような話 合いが行なわれたのか。また、その時提示された障害者雇用に関する基 礎的な資料などあれば、ご開示願いたい。 3.障碍がある場合の異動に関しては、優先的に扱うことを「異動要 綱」の中に盛り込んで頂くことを改めて提案します。 [2]個別 p.22 1.大里 暁子教諭(品川区立城南第二小)  ア.来年度は定数の中に入ると聞いているが、具体的にはどこに配置 になるのか  イ.城南二小の心障学級に異動が在ると言う事情から、心障学級に配 置される可能性が高いので、その場合における、要望事項をまとめて提 出したい。必ず、実現して頂きたい。 2.大葉利夫教諭(都立東村山高校)  ア.異動について、本人の異動に関する事情を参照されたい。  (1)昨年坂本職員課長が、強制異動の年に当たる94年度は異動を 実現しやすいとの発言を得たが、具体的な対応としてどのように進めて いるのか。  (2)組合リストによれば、本一人の希望している武蔵高校の数学に2 名の転出があるということなので、優先的な異動の実現を要望する。  イ.補助機器の別枠公費購入  ウ.ワークアシスタントの公費化 3.栗原 昌子(足立区立宮城小)  ア.強制異動に際して、慢性関節リュウマチであることを配慮して、 担任外で、通える範囲の近くの学校を希望する。  イ、上記の条件を満たす学校が無いときは、現任校において、家庭科 専科を継続したい。  3.大野 喜美子教諭(品川区立伊藤小)  職場での障碍理解が欠けている状況なので、同僚の障碍理解を深の、 軽減措置を取ることと、それを認めて支える職場の体制作りを意識的に 進めることを要望する。 p.23 1994年1.2月13日 大里教諭の95年度配置に関する要望 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉利夫 (一)これまでの経過 ◆94年8月23日の話し合いで下記の点を要望した。 @95年度も、現任校で現在研修している中学年の音楽専科の勤務を続け たい。 A授業の充実や事務処理等のため、視覚障碍を補うワークアシスタントが 必要。 これに対し.榎本管理主事より以下の内容の返答があった。 @「要配慮教員制度」の適用は3年が限度なので、来年度は適用を外す。 A普通校で働きたいという本人の希望を尊重する。 B何らかの人的対応措置は考えたい。 ◆10月25日の話し合いには管理主事が出席出来なかったため、後日、事務局 長の宮城まで連絡を貰えることになった。 ◆11月15日に管理主事から宮城に電話で以下の回答があった。 @94年度で「要配慮教員制度」から外す。 A95年度は、加配ではなく教員定数内とする。 Bただし、現場のやり易いかたちをとりたい。 C心障学級の担任もあり得る。 (二)障碍保障について  以上の経過を踏まえて、もし心障学級の担任として勤務することになった場合 には、以下の人的・物的配慮を要望します。 p.24 A.人的保障 (一)障碍があるため、持ち時間数の軽減を要望します。 @体育(運動会、プール指導等を含む)や校外学習(遠足、社会科見学、歩行 訓練等を含む)の時間軽減。 A月・水・金曜日の午後は人工透析のために通院している。 B視覚障碍のため、授業準備にかなりの時間を要する(対面朗読、点訳、テー プ起こし等を含む)。 C現在の持ち時間は4時間であり、担任として29〜30時間を一気に受け持 つのは難しい。 (二)授業中および空き時間の授業準備等に、目の代わりをしてくれる人の配置 を要望します。 (三)上記(二)の人的配置にあたっては、可能な限り教員資格を持つ方の配置 を要望します。 B.物的保随 視覚障碍者が文書処理をする際に最低限必要な音声ワープロおよび点字プリン ターの公費による購入を要望します。 p.25 1994年12月13日 東京都教育長 小田原 栄 殿 「障害」を持つ教師と共に・連絡協議会 事務局長 宮城道雄 大葉教諭の異動に関する要望書  都立東村山高校大葉利夫教諭は1989年1月に視覚障害の認定を受けてから職場やそ の他周囲の理解と協力を得ながら今年度まで教壇に立ち、働きつづけてきました。  この間にも「調光機能」の悪化が進み,眼性疲労に悩まされ,一句よりも通勤途上の危 険を覚えながら,貴緻育委員会に「授業時間の軽減」や視覚障害教師として生徒指導上必 須の教材,教具の「研究開発のための時間保障」を訴えその要求の一部を認めて漬きまし た。しかし,大葉教諭の最も強い願いである,通勤途上の危険を回避したいという希望, 即ちもっと危険の少ない,近い所にある高校に異動したいという希望は,申請7回を数え た現在も実現されていません。  本年は「必異動」の年にあたります。昨年,異動希望に関する要望書の中で,「調光機 能」悪化の事情と眠性疲労からくる慢性的頭痛などの体調低下のため,異動の実現を特に 強く貴教育委員会に要請しました。「特に」と申しますのは,通勤距離の非常に近い北小 金井高校に数学科の異動希望があるのを確認したからです。しかし残念ながらその希望 は実現しませんでした。  本会では,大葉教諭が来年度が「必異動」の年でることと,現在の通勤途上の危険性が 限界に達している事を重要視して,貴教育委員会に本年も大葉教諭の異動実現をさらに強 く訴えます。武蔵高校で異動希望が2名出されていることも情報として掴んでいます。 障害者が働き続けられる「障害保障」の観点に立って,貴教育委員会が大葉教諭の意の あるところをご理解いただき,校長会などへの働きかけなど,施策を尽くしていただき, 是非近距離の高校への異動を実現させていただきたいと望むものです。 敬具 p.26 東京都教育委員会 榎本人事部管理主事殿 「障害」を持つ教師と共に・連絡協議会 事務局長 宮城道雄 謹啓  12月13日,私たちの連絡協議会は人事部職員課のご配慮によって,大里教諭(品 川城南第二小学校)の来年度配置について話し合う予定ですが,11月15日に電話にて 一自ら本会にご連絡を頂いた榎本管理主事が出席できないとおききしましたので,大里教諭 の配置に関して,どの程度具体的な対策が出てくるのか,・一抹の不安を覚えています.年 末にあたっていろいろご多忙中とは思いますが,ぜひ一度直接お目にかかって,お話をい ただく機会を持ちたいと希望しています,私たちとしては,万障を繰り合わせても時間を 割いていく所存でおりますので,この段,何とぞご勘案下さいますようにお願い致します 平成6年12月13日 p.27 1994年10月20日 東京都高等学校教職員組合 執行委員長 清水泰岳 殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 事務局長 宮城道雄 大葉利夫教諭の障碍保障実現に向け てのお願い  日頃より本会の活動に御理解と御支援を頂き感謝しております。ま た、本会の代表である大葉教諭(東村山高等学校分会)の持ち時間軽減 の実現、並びに94年度の異動に向けて取り組んで頂いた事に対して御 礼申し上げます。  さて、具体的なお願いをさせて頂きます。視覚に障碍を持つ大葉教諭 が勤務を続ける為には、下記の様な「障碍保障」の対応措置が実現する 事が必要であると考えます。既に6月30日、本人作成の同種の要望書 を携えて、分会で校長交渉が行なわれております。貴組合執行部におか れましても、この件について取り組んで頂き、都教委{こ対して働きかけ て頂きます様に改めてお願い申し上げます。 記 要望事項 1.アシスタントの公費化  ア、採点料等を私的対応から公的対応ヘ  イ.ボランティアによる朗読や授業準備を公的に保障 2.障碍機器の別枠公費による購入  例)パソコン、点字プリンター、タイプライター  パソコンに関しては常時使用する必要があるので、早急に購入出来る 様にして欲しい。 p.28 3.独自開発の保障 ア.点字図書館等への資料収集を含めた出張 イ.障碍機器やソフトの開発 障碍故に既成の施設や機器を使用する事は不可能であり、新規に開発 する事情があります。通常の研修日だけでは処理しきれない量的内容 であります。 4.異動について ア.毎日交通事故等の人命の危険や乗り換えも多く、所用80分の通 勤問題があり、広島高教祖に見られる様なタクシー配備等の具体 的な改善策が必要であります。 イ.95年度異動の実現  上記の問題点の解消には、自宅から近くへの勤務校の異動が是非  とも必要であります。「異動が困難な時代」と言われております  が、最優先課題として取り上げて頂きたいと考えております。 p.29 1994年10月31日 東京都立東村山高等学校長 留目 祐光 殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 副代表 尾崎 裕子 大葉教諭の異動実現のための御尽力の要請  日頃より本会の活動に御理解と御協力を頂いておりますことに対して 御礼申し上げます。  さて、昨年の12月にも同様の要請を送らせていただきましたが、結局 大葉教諭の異動は実現できず、毎日大変な緊張を強い られながらの通勤が続いております。これで6回目の異動 希望提出ですし、強制異動の対象者にも該当しておりますので、 今度こそは、大葉教諭の希望している地域への異動を 何としても実現させて頂きたく、都教委へも、最優先に配慮 して頂くように具申をして頂けましたら幸甚です。  通勤の事情からJR武蔵境駅より下りで、乗り換えのない高校 (具体的には小金井北高校か武蔵高校)への異動を希望して おります。いろいろと困難な事情もありましょうが、この希望が 叶いますよう、格段のお力添えを切にお願い申し上げます。 p.30 焦点 「障教連にとっての学習会」 的野 碩郎 p.31 (焦点) 「障教連にとっての学習会」 ともに会員 的野碩郎(視覚障害者)  「学習会やっぱり必要」なんて、一言口ばしったおかげで、事いテーマの原積書き となってしまった。もともと机上の作業より、表に飛び出して動いている方か好きな 僕ではあるが、逆に知識の重要性や学習会。)必要性という部分か、きっと僕に欠けて いるに違いない。  さて、障教連か学習会を持つようになったのは・'自分たちの世界だけしか見えてい ない」というところからの提起ではなかったろうか。・'経書をもって二この会に参加 しているわりには「障害者差別」や「難病や慢性疾患」の実態をあまりにも知らなさ すぎる。なかなか知ろうとしない。それだけ教師たちは忙しいのだろうか。なぜ他の 世界を知ろうとしないのか。長年培った価値感に変化が起きることを恐れているのだ ろうか。しかし、「豊かな教育」「障害をもって教える」という前提のなかには、自 ら体験することの重要性は絶対含まれていると、思う。  いくつかの学習会を確かに組んだ。だが、結果は血や肉になるというりっぱなもの でなく「時間がとおり過ぎる」だけのものになっていたことも事実である。基本的な メモをとることを「障害を持つ」ゆえににがてとする。あるいは面倒くさがる。  障教連という会にとって、最も必要なことは「当該のほりだしと、その立場の一刻 も早い解決、そして長期的トータル的な会の位置ずけと展開」ということにつきると 僕は思う。このテーマを担うには、あるいは参加するには、その当該のもつ現実的な 立場や状況把握が大事。そこに学習会の位置ずけがあり、自信をもって立ち向かうこ とのできる自分を生み出せると思う。 p.32  よく障教連のなかで、担うことや参加することの限界がささやかれる。それぞれに 職場があり、生活かあり、家族があり、趣味もあれば・ほかに関わった活動もある。 なによりも身体か心がしんどい。こう言い尽くしてしまうと障教連は動かないし、人 まかせになづてしまう。もちろんスーパーマンやスーパーウーマンになって障教連で 行こうなんて、いってはいない。ほんの少し「差別」とたたかう姿勢と行動を打ち出 すべきだと、僕はどんなときにも思う。  そこでわけのわからない学習会はやめよう。みんながわかる学習会をやろう。勇気 や自信の沸く学習会づくりをやろうではないか。肝心なことは会員それぞれにとって 楽しさが感じられなければならない。レポーターだけが疲れる学習会、義理で参加す る学習会、それはなんとむなしいものであろうか。「世の中は変わって、学習会なん て」という声があちこちで聞こえてくる。確かにかたぐるしい学習会や集会には、参加 者が激減しているのも事実である。それはそれで問題があると思うが、少なくとも障 教連か作ろうとしている方向には、僕は学習会は不可欠なものであると言いたい。  では何をテーマにすればいいか、である。みんなが今、興味を持っているものは何 か。そんな余裕も興味もないのだろうか。  とにかく、陸教連の学習会を充実させていくには、いくつかのポイントがあるわけ で、思いつくまま羅列しておこう。そして、学習会の必要性を強く訴え、障教連の発 展の一翼になれば、思う。 1、なぜ、学習会をするのか 2、水当に必要なのか 3、みんなが興味をもつテーマか 4、「今」必要なテーマか 5、分かりやすい内容か 6、そのあとの行動の支えになるのか 7、行動を起こすにあたって勇気をふるい起こすものになるか p.33 スクランブル SCRANBLE (校正者注:写真が掲載されている。写真の下には手書きで「故 浜道先生の御家庭を訪問(1994.8.19)の際、遺影の前で、前列左から二人目が浜道婦人」と記載あり) p.34 細い道その1 ー1989年4月から1994年6月18日までー 斎藤孝良  1989年4月に今の職場である寒川町立寒川小学校に赴任する。6年生を 担任した。朝自習はできない。学習訓練は出来ていない。子供どうしの関係も 集団としてではなく群れとしての行動であった。これらの実態が、生活をとも にしていくうちに、だんだんみえてきた。  この子たちとは、1年間だけの勝負である。そこで、私は、次のような目標 を自分自身に課した。「この子たちを、気持ち良く卒業させてあげよう。」 ただこの一点である。授業を充実させる、子供のいたらない言動には、「心で 泣いて、顔で笑う。」ということに努めた。6月には、生まれて初めて補聴器 を購入して右耳につけた。2学期までクラスの集団を維持できれば、残りの 3学期は惰性で流れていく。そして、気持ち良く卒業させてあげることができ るのである。子供たちの様子も、1学期よりは2学期と、だんだんに良くなっ てきた。やれやれ一安心と思っていた12月16日に予期せぬ出来事が私を 待っていた。私の居なくなった職員室で級外を含めた6年担任が、「斎藤は耳 が悪いのではないか。」と言っていたという。この日から、私の悩みの多い 無念の年月が始まった。  3学期になってからは、背後からわざと声をかけられたりして、耳の聞こえ を確かめられたりした。職員室に入るのが、ためらわれる気持ちになったこと もあった。3月に行なわれた学習発表会では、自分たちの持っている能力を力 いっぱいだして歌を歌い、笛の合奏をした。私の個人的な問題とは別に、この 子たちは、気持ち良く卒業していった。  199O年度は、3年生を担任した。新採用からこの年度までの受け持ち学 年は、3.3.2.6.5.6.1.2.5.3.4.1.2.6.3年生で ある。3年生を受け持つと、新採用の頃の純粋な気持ちに、教師の原点にたち もどるのである。新鮮な気持ちで受け持ったのであるが、家庭訪問の時に、子 p.35 供の顔が浮かばないのである。親と子供のことで話しているのだが本人である 子供の顔が思い浮かんでこない。教育をしに学校に行っているのだが、自分自 身の耳の聞こえのことで頭がいっぱいだったのである。教師生活15年である が、こんなことは初めてのことである。それでも、この年の1学期までは自分 の教育信念に基づいての発言は職員会議でも言っていた方である。運動会も終 わり、10月になって私は校長のもとを訪ねた.「耳が悪いので、配置換をし てほしい。」と言った。校長は「耳が悪ければ指導主事はだめ。教育相談員も だめ。」と言った。ろう学校への思いも強くなりはじめた私は、ろう学校への 見学を校長に許してもらったりもした。また、町教委の好意もあって、私は、 このまま寒川小学校でやっていくことを決めた。今にして思うと、この時の校 長はいい人であった。「文明機器を使って、やっていきなさい。」と言ってく れたのである。    1991年度は、5年生を担任した。新レい校長が赴任してきた。この校長 が指導主事だった時、1年生担任の私は、「花いっぱいになあれ」の研究授業 をした。この人の授業記録をもとにして、私は実践記録を書くことができ、一 冊の本の中にこの実践を発表することができた。ありがたい人であり、今、校 長として赴任してくることに喜びを感じた。受け持ちの5年生の子供の前でも 「斎藤先生は、いい先生だよ。」と言ったりしてくれた。味方になってくれる いい校長がきてくれたと本当にうれしかった。結局、この校長とは、まる4年 現在まで一緒毒こやることになる(1〜)94年度現在〉。  しかし、自分の思いとは裏腹に、この校長とはうまくいっていない。  授業中に教室の床にねている男生がいたり、女生どうしのいじめがあったり で学級経営がうまくいかなかった。それでも、この年度の3月に、ある男生が 「先生は6年生でも受け持ちになるのか。俺達のことが嫌いなら、受け持たな くてもよいけど。」また、ある女生は「Aさんは先生のいない所で、Bさんに 対してすごいことをしているんだよ。それを先生に言うと、あとですごい仕返 しがくるから、誰もいわないんだ。」と言った。Aさんに対しては、そのこと をうすうす感じて、本人にも注意をしたりしていたのであるが、決定的な証拠 p.36 がなかった。どうして、はやくそれを教えてくれなかったのだと思ったりした が、これらのこと言ってくれただけでも、私にとっては、せめてものなぐさ めであった。  話は前後するが、9月に、校長に対して、次のように言った。「僕、やっぱ し、ろう学校に行きます。」その理由として該のように言った。  @耳の聞こえが悪い。  A子供のこと親と対立した時に、「やっぱり、耳が悪いとダメなんだ ね。」と、親に言われる心配がある。  B臨場の先生方も理解を示してくれない_ それに対して、校長は、「昨年度の校長から、先生の耳の状態を聞いて、寝耳 に水の話でどうしたらよいか判断に困った。」「将来は、しかるべきポストを と考えていたのだが、しかたがない。」「不本意な教師生活を送ることになる ので、ろう学校へ転任希望を出すのもいいでしょう。」と言った。ろう学校へ の希望を出し、面接をし、結果は、不採用になった。  1992年度は、3年生を担任した。この頃から、イビキがなくなった。過 去2年間、すごいイビキを夜中にかいていたと、妻が言っていた。やや気持ち の落ち着きが出はじめてきた。1学期のころはクラスのある女生に「さいて い先生」と言われていたらしい。同じ3年生のちがうクラスの男生がそのこと を教えてくれた。先生が元気なく教育をしていくのだから、こう言われても しょうがないと思いつつ、自分がなさけなく思った。しかし、教育実践は、充 実させていった。  2学期になり、運動会も終わり、また人事異動の希望の季節になった。校 長室によばれた私は、「ろう学校への希望は出しません」と校長に言った。 しかし、校長は、 「それは、だめです。出しなさい。」と言う。理由をきくと、次のように校長 は言った。  @将来に心配がある.(耳のきこえの進み具合)  A将来、職場のみんなと一緒にやっていけますか。 p.37 ろう学校へ行ってもやっていける自信はあるし、このまま公立学校でもやって いける自信が交互しながら、詰局、ろう学校への希望を提出した。結果は不採 用になった。  2学期の半ばころ、私は給食の時間、椅子にすわりしままに窓ガラス越しに 外の景色をみていた。ある男生が、「先生は何を考えているんだ。」と、悲し げな表情でささやいた。はっと我にかえった私は、やはり、教育は教師が明る く、元気に子供に接していかなければいけないのだと思った。 3学期早々、寒川町教育委員会教育長のかかれた「教育実践から学ぶ」の本 を、校長が私に手渡した。教育長が私にとのことである。読後の感想を送った ら教育長からの返事がきたので、私は、自分の実践記録がのっている本を5冊 送った。教育長からはそれに対する丁重な感想をしたためられていた。うれし く思った。  3学期の通信簿にはさまっていた校長のコメントは次のようであった。 1年間ご苦労様でした。先生のきめ細かいご指導により、 子ども達は生き生きとすごしていたように思います。 来年度もよろしくお願いいたします。()(校正者注:「1年間〜()」四角囲み)  1993年度、持ち上がって、4年生を担任した。寒川小学校に赴任して初 めての持ち上がりである。新採用は、厚木市であるが、3.3.2年生と持ち 上がりはさせてもらえなかった.相模川から西の方面に位置する厚木市は、 校長の校内人事に対する発言力は、強かった。教師として、どのような実践を していったらよいのか阿もわからない私は、ある時、校長に「3年間が勝負で すよ。」と言われた。それでも何をしたらよいかわからない。教師2年目の時 に、同学年の先輩の先生に教えられて、NHKで放映された「教育行脚」をみ た。斎藤喜博先生との出会いである。これを境に私の教育人生は、まったく変 わっていった。実践こそすべてであると思った。「今までできないものを、で かすようにするのが教育である。」「子供には無限の可能性がある。」すかっ p.38 とした言葉が次々にでてくる。斎藤先生の書かれた木を、むさぼるように読ん だ.教授学研究の会にも参加した。また、この会と関係のある学校の公開研究 にも参加した。「子供には無限の可能性がある。」ということを、この目で、 この耳で、はっきりと教えてもらった。 厚木市に3年いた私は、4年目に寒川町に赴任した。寒川町は、職員会議で 校内人事を決めていた。余程のことがない限り、本人の希望はかなえられる。 寒川町に異動しての初めての学校は、一之宮小学校である。ここに10年間在 職した。6.5.6.1.2.5.3.4.1.2年生と受け持った。ほとん ど持ち上がりである。2年間かけないと自分の教育実践はできない。しかし、 今の赴任校である寒川小学校では、次のような受け持ち学年をもった。6.3. 5.3.4.3年生。持ち上がりが、今回が初めてである。見方を変えれば、 以前の私の状態に今年度はもどったと行っていいであろう。この子供達は、4 年生になっても、私によくついてきてくれた。私の言っていることもわかって くれた。子供にとっては、先生が両耳に変なもめをつけていても、一人の教師 として認めてくれた。子供は、何の偏見も差別もなく人間を人間として受け入 れてくれる気持ちを持っているのだと思った。この学期の通信簿にはさまって いた校長のコメントは次のようであった。 一学期間おつかれさまでした。一人ひとりに的確なご指導をいただき 読ませていただき嬉しく思いました。 「はてな帳」のとり組み、個性や作文力の向上に大きな力となり ますね。( ) (校正者注:「一学期〜()」四角囲み) 2学期の授業参観後の懇談会で、ある親が次のようなことを言った。「子供 達の学力が落ちているのではないか。他のクラスは、宿題が毎日あったり、 お残り勉強もあるときいています。」 p.39 「学力が落ちているのでは」という言葉は、教師生活18年で初めてきいた 言葉である。この親が何を考え、何を根拠にこう言っているのか、私にはわか りかねた。ただ、私に言えることは、学力は授業を充実させてつけるものであ るということである。今日の授業でも、子供の考えを出させ、これをもとにし て投業を組み立てた授業である。教師の一方的な教え込みの授業とはちがうと いうことを親にわかってもらった。そのうえで、宿題を出すことは教師にとっ ては、意図も簡単なことであることをわかってもらうことに努めた。どうして も宿題を出さなくてはならないと考える時は、授業をやっていくうえで、どう しても必要な時に出しますと答えた。各教科を例にとり、具体的に宿題の出し 方をのべた。この親も、他の親も理解を示してくれた。 10月になり、人事異動の季節になった。私は、ろう学校への異動書類をも らったが、出さなかった。私は、「このまま、寒川町の教育のために定年まで やっていきます。」と、校長に言った。校長は「出来れば、その方がいいんで す。補聴器をつければやっていけると、委員会に言っておきます。」と言った。 この日より、少し前に、同僚のC先生と居酒屋で飲んでいたら、あとからきた らしいのだが、他の同僚のD先生と委員会に入っているE先生もそこにいた。 席を同じくして飲みなおして話をした。D先生はこの席で次のように言った。 「斎藤さんも人がいいなあ。校長はあんたのことなんか、なんにも心配してい ないよ。コケにされているんだよ。」「2年間、ろう学校へ希望を出していて、 それで通らないなんておかしいじゃないか。県の教育委員会の障害児担当の先 生を知っているけど、斎藤さんのことなんか知っていなかったよ。校長に異動 させようとする気があれぽ、当然、話は伝わっているはずだ。」「今、ここで 話しているのが聞こえているんだろう。耳が悪いからろう学校へというのがお かしい。男だったら、あと2年ぐらいはこのままやっていったらどうだ。」 D先生の裏話をきけたこともあり、また、このクラスがだんだんに良い方向に むかっていることもあって、ろう学校への異動希望をやめたのである。 p.40 2学期の通信簿にはさまつていた校長のコメントは次のようであった。 二学期もあと一日となりました。熱心にご指導こ本当にご苦労 さまました。あゆみ、一人ひとりにあたたかい言葉をかけて下さり 嬉しく思います。どうぞ、よい冬休みをすごされ、三学期でも またよろしくお願いいたします。12/22( ) (校正者注:「二学期〜()」四角囲み) ベトナムから移住してきたチュンという男生がいる。この子は、大和定住促 進センター(1991.6.24〜10,26)、大和市立南林間小学校(10,28〜11.15)、 寒川町立一之宮小学校(11.16〜1992.3、31)、そして、寒川小学校3年に 編入した。そして私と一緒に勉強することになり、4年生でも一緒に勉強する ことになった。3年の時は、クラスの子と、高学年の子と、一よくけんかをした。 肌の色はちがい、顔のつくりもちがい。発音もちがい、年齢もちがう。偏見に 満ちた日本の子供たちの視線にたえられずに、けんかという行動をとっていた と思う。私は「けんかの強さよりも、心の強さを持ちなさい。」と、チュン君 に、4年生になってから良く話すようにした。そして、11月。「この頃、け んかをしなくなったみたいだね。」とチュン君に言ったら、チュン君は「けん かは、ばからしい。」と明るい人なつっこい眼つきで話してくれた。「おまえ、 えちぐなったな。さすがお兄さんだね。」と私は心からほめてあげた。  チュン君を含めてクラスのみんなは、先生が耳が悪いことを知っている。耳 の中に補聴器をつけていることも知っている。しかし、私は、あえて耳の悪い こと、補聴器をつけていることは子供達にいっていない。休み時間にこのこと を尋ねる子がいる時は、「みんなの声がよく聞こえるように、つけているんだ よ。」ど、正直に言えるようになった。先生が耳の聞こえが悪くて補聴器をつ けていても、子供達は素直に先生を受け入れてくれる。 4年生も終わりにちかずいた3月に「斎藤先生」という題で作文を書かせた。 チュン君は次のように書いていた。 p.41 先生のこと ディン・ホアン・タシ・チュン  三年のときは、さい藤先生のことがこわかった。なぜかというと、 20分休みの時キックベースをやっていてチャイムがなっても帰らな いかったので、先生に完全に怒られてなぐられた。とってもこわかっ た。ベトナムでは、だれも頭はぶたない。ぼくのお父さんもおしりは ぶつけど頭はぶたない。だから頭をなぐられたのがいやだった。  三年生の終わりは、四年生になったら斎藤先生がいいなと思いまし た。斎藤先生は授業がおもしろかった。それに、いろんなことをおせ てもらった。将棋をやったり、ちょっと教えてもらったり、給食を いっしょに食べたワしてとてもたのしかった。  五年生になっても先生に会いたい。先生も元気でいってください。 ぼくも五年生になったらがんばります。先生、いろんなことを教えて くれてありがとうございます。 (校正者注:「先生の〜ございます。」四角囲み)  教師は授業を充実させることによって、子供に責任をとっていく。そして、 その次に、子供がかわいいと接していけば、子供は、どんな教師であっても、 受け入れてくる。人周と人間の信頼関係は、心と心のぶつかりあいみたいなも のである。世の中では、今の子供を何だかんだといっているが、私からみると 今の子供は、信用してつきあっていけるに値すると思っている。  1994年度、3年生を担任する。寒川町は、5つ目の小学校として、南小 学校を開校する。南小学校の初代校長は、寒川小学校の校長がなるとの声が校 内で多かった。なにしろ、丸3年もいたし、他の学校の校長は、1年前に異動 したばかりである。校長在職期間からいって、この校長が南小の校長になると 思っている人が多かったはずである。しかし、この校長は、寒川小学校で4年 目をむかえた。私もこの校長と4年目のつき合いをすることになった。 p.42 2年前に3年生を持った時の落ち込んだ気持ちとはちがい、4月当初から、 明るく、爽やかに子供の中にとび込んでいった。  6月5日(日)朝日新聞に「筑波大付属盲学校・教員採用で視力卸限」の記 事が出た。差別と偏見に悩まされ、自分の人生をも見失いかねない状況におい こまれていた私は、わがことのようにこの記事を読み進めた。すると、最後に こんなことが書いてあった。く自ら視覚障害のある都立東村山高校教諭で、 「『障碍(しょうがい)』を持つ教師と共に・連絡協議会」代表の大葉利夫さ んの話>。こんな協議会があるのを初めて知った。さっそく新聞社に電話を し、東村山高校の電話番号を教えてもらった。東村山高校からは、大葉先生の 自宅の電話番号を教えてもらった。そして、大葉先生宅にはじめて電話をした。 電話の声の主は、落ち着きばらった明るくハキハキと論理整然とした話し方の 人であった。障碍を持っている教師の悲運な実態、教員は教壇でしか仕事がで きないことなどを話してくれた、私は、教員が出来なくなれば他の事務職でも させてもらえるだろうと思っていたのであるが、大葉先生の話をきいて、この とても暗い気持ちになった。現実は、こういうわけだったのかと、はじめて 知った。住所、氏名、電話番号、勤務校をおしえて、私は「障」教連に入会し た。しばらくたって「ひとすじの白い道」が送られてきた。「ひとすじの白い 道」には、障害を持って教師としてやり続けていくためには実に厳しい現実が あることを知った。この現実の厳しさ、恐ろしさのために、どうしてもその先 読み進めることができなかった。読み進めることが、とてもこわかった。本当 にこわかった。自分の置かれている立場を考えると、こうした現実を知らない 方が幸せだと思ったりもした。しかし、障害をもってしまった教師に対する、 行政側の考え方、対応のしかたをはっきりと知っておかなくてはいけないと 思った。こわさに目をうぶらずにそのこわさをはっきりと目をみひらいて見 つめなければいけないと思ったりもした。そして、6月18日(土)の「障」 教連の定例会に初めて参加することになった。 p.43 会員になって 富澤梅二  この度、新会員にしていただきました、埼玉県で高校英語教師をしています。 今年のはじめに眼の異常に気ずいて、その結果、低眼圧緑内症の診断をもらい ました。いやなものをもらったなくらいの気持ちでしたが、そのご次第に不安 になってきました。知識もふえ、その他の体の不調もでてきて、そして主観的 ではありますが、見えにくさが徐々に増しているように思ったからです。一人 で気にしていると不安はさらに大きくなっていきます。  新聞で障教連のことを読んで、皆さんはどうされているのか知りたくなって すぐに夏合宿を見学させていただきました。そこで知ったことは、私には、大 変な驚きでした。障害を持った先生方が、屈することなく働き続けられ、他人 の障害に手を貸され、さらに社会的活動として実践されていました。しかも、 皆さん、とても元気で快活に頑張っておられました。気持ちの滅入っていた私 には良い教訓でしだ。  いまの私は灰色ゾーンに居て、今後のことは不明です。いたずらに取り越し 苦労するのも愚かです。かと言って、一度不安の中で過去と未来のことを検証 してしまったからには、前のようにのんびり生きてもいけません。今出来るこ とに真面目になり、仕事に自覚的に打ち込んで、出来れば病気と上手につきあっ ってゆきたいと思います。とても皆さんのようにはいきませんが、試行錯誤し ながら頑張りたいとおもいます。どうぞよろしくご指導ください。 p.44 スクランブル投稿 1994.8.29 目の黄斑部変性症になり気持ちが落ち込んだ私 大林昇    新しく「障」教・連に入会させていただきました者でございます。私は昨年秋、突然左 目の見え方が異常になり(新聞の字が読めない、直線のものが曲がって見える、視野がや や暗くなり、物の輪郭がきらきらする。病気の目に鈍痛があり涙がでる。矯正視力が0. 3〜O.4におちた。)、そして眼科で診てもらったところ、黄斑部変性症(膜が張って しわができる)で治らないと診断されました。これを聞き動転して不眠症にかかり、うつ 病も併発して落ち込んだまま現在に至っています。発症以前はいそがしい毎日で、年齢( 61才)のわりには元気に仕事で東京―福岡を飛んでいましたのに、今は気力がいっぺん になくなり、食欲もなく、立っていることもむづかしいほど弱ってきました。とくに、こ れから仕事(教職)や生活ができるだろうかと、不安でなりません。人様との付き合いも できなくなりました。眼科の先生はrあなたの目はすこし早いが老化現象だから、現代医 学では治らない、世代交代は世の常だから老化を悩むのは無駄である。一目を気にしないで いまできることから生活するのが、最善の策だ。」と言われるのですが―。  目のバランスが狂ってきたので見ることが安定せず苦しいのです。昔の目のよかったときの 楽しい景色が走罵燈のように思い出されて、いまの見え方に涙ぐむのです。そして?がつ いに迫ってきたかというおもいにかられます。あらぬことさえ瞬間的に実行しようと何回 か興奮しました。  神は非情である一私に最も必要な目をとりあげるとは、―この世は非情である―働いて 働いてその末に待っているのは病と老いだけだ―と嘆いています。。'(私は子どものと きから強度の近視でしたから、この病気になりやすかったかもしれませんが。)  私の目の現実はいくら悩んでも医学的には改善されない病です。 そこでお願いです。私と同じ病名の方がおられましたら、(校正者注:「私と〜したら、」下線)どうか気の弱い私に体験談 や指針を与えてください。そして黄斑変性の目の養生と生活の仕方をどうか教えてくださ い。(VitaminB12と血管拡張剤Kallikreinを飲んでいますが、気休めです。)字の見えな い恐ろしさと不安に、わらをもつかむ思いです。この病気にならなければ、まだ働けるの にと残念でなりません。  私の目は気持ちをかえるしかないのです。気持ちを変えても見え方の不便はのこります が。気持ちを変えることにより、この目で生活や仕事ができるようになるものなのでしょ うか。皆様から貴重なご経験を教えてくださるよう、どうかお助け下さい。 住所 192八王子市久保山町1-9-3-401 TEL.0426-92-3372 FAX.0426-92-O177 大林昇(天のお声を切望しています。) p.45 日溜り  初日浴びひときわ高き鳥の声(若葉)  今年の元旦は小春日の暖かい晴れた一日であった。今年は気を楽にしてや ろうと思う。それにしても、昨年の中学生のいじめ事件は大変心が痛んだも のだ。大人や教師たちはいじめられる側こも問題があるといって言い訳をす るが、それは自分たちの無力からでたことばだ。いじめの問題は、教育の根 本に関わる。人間としての生きかたを土台にして教育していない証拠である。 再び大河内くんのような悲劇を繰り返さぬように肝に命じて生命を大切にす る教育を定着せていきたいものだ。無力なものや弱いものは強者をいじめ ることはできない。いじめられることは多い。わたしたちも弱さに負けぬよ うに協力しよう。  なぜ、日本人は異質なものや立場の違う意見や様々な個性を認めたがらな いのか。一様なもの、画一的なもの、多数(強者)の集まりを無批判に受け 入れるのか。民主主義とは、健常者も障害者もこどもも病者も年寄りも含め てみんなの意見を生かす工夫にあるはずだ。  障害のあるもの、小さいもの、年老いたもの、弱いもの、発展途上国の人 々、皮膚の黒いものや黄色いものたちへ、差別をもって対する例は多い。  嫡子と非嫡子との差別。住民票や戸籍に書かれている家族の表記。現行で は遺産相続で「子」は嫡子の2分の1というこの差。自分の住民票によっ て結婚が成立しなくなる例は今でもある。やがて法律も少しずつ差別のない、 ような形で改正されていくだろうが。  障害者雇用促進法を国は掲げてはいるが、まだまだ、目標には遠く、巷で は罰金を払ってすませる例も多いと聞く。  わたしたち「障教連」の問題は教育現場における雇用の実現である。障 害をもつ教師のハンディキャップを具体的にどう保障するか、箇々の例(時 間軽減、役割分担上の配慮、情報機器の設備化および研修時間の確保など。) を実現し、それを法制化することが今後の課題であると考える。  道は遠いけれど、おたがいに気楽にやっていこうよ。あまり力まず、いい かげんにせず。今年も手を無でおたがいに語り合おう。人間としての暮らし を求めて。生命に関わる重い障害を背負って頑張っている人々と。(若松) p.46 私と障教連 帝京大学法学部3年 桑原 崇  大学二年の前期も間もなく終わろうかという頃、私は自分の卒業した高校を 訪ねた。用事も済んで、私はそろそろ帰ろうかと思ったとき、社会科のS先生 が一枚の紙を示して署名を集めているから協力してくれと言い出した。何の署 名か聞いたところ、障害を持っても教師として働く事が出来るようにするため だと言う。何でそんなことをするのかと更にたずねると、宮城先生が視覚障害 者の認定を受けて、いろいろ大変だということを聞かされたのだった。  宮城先生の目が元々よくないと言うことは、高校時代に友人から聞かされて 知っていた。だが、障害者になったという事を聞いて、「そんなに悪かったの か」と驚いた。しかしそれ以上に驚いたのは、そういう状況でも教師を続けて いこうという先生の決意だった。私は、「大したものだな」と思う反面、「無 理してるんじゃないか」と思ったのも事実だった(今から思えば恥ずかしいこ とだが…)。  意外な話に戸惑う私に、S先生はさらに、「今度、全国から宮城先生みたい な状況の先生が集まる会があるから、行ってみたらどうだ」とおっしゃる。障 害のある先生たちで創った会があって、そこが年に一度の総会を開くらしかっ た。関心を持った私は、その会一障教連一に行ってみることにした。  その年の総会は中野のサンプラザだった。都教委との交渉が話題の中心で、 ずいぶんと重い雰囲気の会合だったと記憶している。そんな中で、「全ての人 が、当たり前に、共に、生きていく世の中を作ること(ノーマライゼーション)を目指す」 という言葉と、そして、二次会での会員の皆さんの明るさが印象的だった。い ろいろと大変なことも多いはずなのに、笑いを絶やさない人達だな、と思った。  それからしばらくして、私はまた高校へ行く機会があって、その場でS先生 と感想を話し合った。その時私はS先生から入会を勧められた。福祉も、教育 のことも分からない私が、何が出来るのか迷いもあったが、「僕たちは手伝い なんだから」というS先生の言葉を聞いて、入会することにした。  私が障教連の運営に関わるようになって、自分自身学んだことは権利のため に闘う重要さだった。今まで、大学の講義で、権利の重要さについて学んでき たけれど、どこか他人事としてとらえてきた。実際、自分自身権利を侵害され p.47 たとして、それを守るために闘う気になっただろうかと考えると、恐らく闘う ことによって生ずるであろう様々な不利益を考えて、泣き寝入りという道を選 んでしまったのではないかと思う。その意味で、障教連の先生方の態度は立派 だと思う。  とはいえ、今の行政の態度を見る限り、障教連の抱える目標が実現されるま での道のりはまだ遠いと言わざるを得ない。80年代の「行革」の嵐以来の福 祉後退の動きの中で、「障害を持っても働き続ける権利」を認めさせることは 容易ではないだろう。しかし歴史を見れば明らかなように、労働者の権利も. 社会福祉の権利も、かつては否認されていたものも、長い間の運動の力によっ て獲得されたものだ。権利は誰かが認めてくれるのを待つものではない。その 主張を祉会に広ぐアピールし、その正当性を認めさせる闘いを通して勝ち取る ものである以上、困難な状況の中でも,一歩一歩目標に向かって行くしかない であろう。そして学生の私に出来ることは、限られているとは思いますが、で きる限り皆さんのお手伝いをしていきたいと思います。 p.48 編集後記 宮城道雄  障教連便りも今回で第8号です。署名活動を通して多くの新会員が加 入しましたが、その人達の声を集めたスクランブルは読みごたえがある と思われます。会員の学校現場での姿を語る実践報告もこれからは載せ て行ければと考えます。また、中途障碍ゆえの悩みや苦しみには共通の 者があるようです。その解決策としては、自分の心の有り方を変えれば 良いもの、職場環境や労働条件を変えなければならないもの等様々です が、問題点を整理する機会にしたいものです。会員の抱える障害の種類 も多様になり、それぞれに農階の違いがあって、お互いの障害をきちん と解り合う事が重要になり、それが共有化するために欠かせない課題に なっています。各会員の苦しさと困難点を敏感に察知して、会として迅 速な行動を起こさなければなりません。  文部省では公立学校の教員に対して、雇用鵜促進法の適用を「特例規 定」を設けて除外して来ましたが、94年度からは撤廃しました。教育 委員会は、94年度からの障害者の雇用計画を作成して労働省に提出さ せられたという事実が明らかになっています。この計画を具体化するこ とが、今なさねばならないことです。  新会員の課題を各教育委員会に持ち込んで解決するための具体策を出 させて行くことこそ、会が、現在真剣に取り組むべき事です。その対応 措置を各地において積み上げて、障碍保障の制度化へとつなげて行きま しょう、 編集委員会事務局 宮城 道雄宅 〒339埼玉県岩槻市府内1-3-52 tel048-797-1323 裏表紙 すべてのものは、平等にその生きる権利を有する。従って、対等に働 く権利を有する。この観点に立ち私達は、対等に働ける事が当り前の社 会を確立する為に歩む。 「障」教・連だより ひとすじの 白い道 第8号1995年2月 障教連 編集:「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 〒183府中市朝日町1-15-26大葉方 新設専用電話・FAX 0423-36-7012 郵便振替00120-6-707824 ◆連絡先◆ 代表:大葉 利夫 事務局長:宮城 道雄 副代表:尾崎 裕子 荘田 美智子 的野 碩郎 斎藤 昌久 新潟:栗川 治 京都:辻 範子 兵庫:三宅 勝 福岡:古賀 アキ生 定価300円 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日 発行SSKA増刊通巻第2361号 1994年12月28日発行 発行所 東京都世田谷区砧6-26-21 身体障害者定期刊行物協会