表紙 SSKA 障教連だより ひとずじの白い道 創刊第2号1993年5月 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 編 p.1 目次 ☆「ひとすじの白い道」その2・・・宮城道雄 P2 ☆軌跡・・・主な動き92.12~93,4・・・大葉利夫 P10 ☆要望書(1月22日付)・・・資料1 P13 ☆「障碍」を抱えつつの移動・・・荘田美智子 P19 ☆荘田美智子異動に関する事情・・・資料2 P21 ☆要望書(2月17日付)・・・資料3 P23 ☆「大里問題」の経過報告その2…大里暁子 P25 ☆3・25都教育委員会交渉のまとめ・・・資料4 P38 ☆つぶやき2 その後・・・関幸子 P40 ☆私に関する校内人事の報告・・・宮城道雄 P42 ☆職場新聞「てんてこまい」・・・資料5 P43 ☆宮城教諭の目の「障碍」に対する配慮のお願い・・・資料6 P45 ☆春風・・・黒木美春 P46 ☆校長あての手紙・・・資料7 P48 ☆生徒への責任こそ、人生の生きがい・・・作花育雄 P53 ☆東京私教連への申し人れ…斎藤昌久 P55 ☆共に・会員からのメッセージ・・・的野碵郎 P57 ☆新しい会員からの手紙・・・P59 ☆編集後記・・・宮城道雄 P60 p.2 「ひとすじの白い道」―その2 私と「障」教・連 宮城 道雄 1、障害者との出合い  91年7月の時点で、私は大変な視力の衰えを自覚して、仕事の上で 限界を感じ悩み始めていた。生徒の顔がよく見えないのは慣れていても 試験の答案用紙が良く見えない、ノートが良く見えない、事務作業が思 うように出来ないとなると教師の仕事はもう続けられないなと思い込ん でいた。小さい頃から強度の近視で普通に良く見えるとはどういう事か 理解できない私にとって予想された時が来たような気がした。盲学校に でも転勤できるだろうか、点字でも勉強しておく方が良いかなどと思い 悩んでいた。とにかく、この夏休みに何か探ろうという訳でリハビリ テーションセンターとか点字図書館とか渡り歩き、たまたま盲人福祉 ホームに立ち寄り相談したところ視覚障害教師の会を紹介してくれた。 さっそく夏の合宿に参加したところ大葉先生との出合いが有り、視覚障 害の先生達が普通の学校で教師として仕事を続けている事を知り大変驚 いたものだ。また、視労協の人達とも初めて出合い知合いなった。白い 杖を持って悠々と歩く姿を目の当たりにして驚いたり、面食らったりし たものであった。私は未知の世界に入り込んでしまったなと愕然とした ものだ。今、思うと、自分が全くの無知で盲人の人達と接するのが初め ての経験で困惑したのも無理からぬことであったと思う。  現在、そのとき以来1年余になるが「障」教・連を結成し活動を続け る中で視覚障害者だけでなく内部障害者等多くの障害者の人達と知合い になりその生きざまに直に触れて障害を抱えながらも力強く明るく生き 抜いている姿にいつも励まされ勇気付けられて来たものである。また、 彼らが大変すばらしい個性と能力の持主であることを知らされ同じ仲間 だと感じる様になった。常に身近かで親しくつき合っていると気心が通 じあい同じ人間として自然に生活できる。背の高い人がいれば低い人も いる。同様に、目の良く見える人もいれば目が見えない人もいる。ご く、当り前のことではないか。互いに協力し支えあっていけば良いこと p.3 である。更に驚かされた事は全障連大会に参加した時などに障害を持つ 人達を手助けする人達が沢山いて甲斐甲斐しく活動している事そし て、手話通訳をする人、手引をする人、対面朗読をする人達の姿は実に 清々しく本当に感動的である。 2、迷いからの脱出  見えなくなっても盲学校に移れば何とか教師でいられるかも知れない と思い盲学校の見学を思い付き、休暇を取って一日見学に行った。高等 部には二人の全盲の先生がいて教壇に立っていた。数学と音楽を担当さ れていた。音楽の授業は先生の弾くピアノにあわせて歌を歌ったり、聴 音の練習をしていた。数学は5人の生徒を相手に文字式の計算をやって いた所で先生が静かに問題を読みあげると生徒は点字器を使って計算を していた。普通に授業をやっておられた。テストの採点や成績処理の事 務作業は同僚が手伝ってやっているとのこと。その先生方には事務作業 ではない別の仕事があるのである。  盲学校ではクラスの定員が少ないことと同僚の理解ある雰囲気の中に いて、障害に応じた仕事分担がおたがいの配慮で自然に行われているの である。障害を持った先生もいなくてはならない。先生として普通に勤 務できる訳である。しかし県教育委員会の規定では健康な者しか採用し ないとなっているのだ。  私は盲学校に異動すれば勤めを継続できるかもしれないが自分にとっ ては厳しさからの逃避行動になってしまうと思われた。自分の事務的な 仕事自体は楽になるだろうが盲学校の教育は全くの素人だし、沢山の問 題点がありそうだった。それは盲学校の進路指導の問題として端的に示 されている 高等部卒業後の進路は就職については受入先があまり無い そうだ。毎年、進路指導の先生が会社捜しで大変苦労している。進学で は盲人を受け入れている大学はまだまだ数少ない。仮に大学に進学でき たとしても卒業後就職口は限られている。教師にさえなれない。ノーマ ライゼーシヨンが叫ばれて久しいが障害者はまだまだ社会に受け入れら れているとは言えないのである。 p.4 視覚障害児に進路を保障し未来に生きる展望を与えるのが盲学校教育 のねらいだが盲学校教師になってしまうとそれがやりにくくなってしま うような気がする。中途の視覚障害の教師が自らの長年の経験を生かし て現場で仕事をやり続けることこそ盲人が教師という職業につける為の 糸口に成る。盲大学生が教師として採用される可能性も出てくるであろ う。中途障害者が頑張って教師をやり続ける事には大きな意味があるの だ。また、 例え、教師を辞めてほかの職につこうとしても相当な困難 が待ちかまえているだろう。三療の道に進むとしても健康な者の進出に より侵食されており障害者の立場はどんどん悪くなっている。  以上のようなことを考えるとき、私は現在のままで教師を続けること が最良の道で意味のある事だとの結論に到った。たとえ、どんな困難が あろうがなんらかの方法を探し出し乗り越えて行く以外に道はない。誰 かが開拓しなければ道は通じないのである。  この様な強い気持ちに私を導いたものは一体なんなのか。一年前の迷 いと不安に悩まされていた姿を振り返えるとき、自分ながら驚くばかり だ。この一年程の障害を持つ仲間と交流する中に自分は成長させられ た。身体の一部機能を失った障害者が能率第一の世間の強い風当りの中 で残された多くの能力をひたすら研き上げて、けなげに生き抜こうとす る人の姿を目の当りにして感動しない人がいるだろうか。ひたすら努力 する姿は人の心を揺り動かし力づけてくれる。それを実感した1年間 だった。  今の子供達は義務教育12年を通してこのような経験を奪い取られて いるのだと思う。障害を持つ教師が教壇に立つことの積極的意味はここ に存在する。障害を持つ教師や子供が同じ教室の中で共に学ぶこと、互 いに理解しあい励ましあって生きていくことを学ぶ大切な教育だと思 う。このことは現代の教育が陥っている能力主義一辺倒の受験教育、偏 差値第一主義の病根から抜け出す為の契機を与えることにつながる筈で ある。 3、「障」教・連の運動について p.5 昨年の10月に「障」教・連が結成されてはや1年余になる。大葉先 生の呼びかけ、障害を持った教師が働き続けれために仲間を集めてこの 目的を達成する為の運動を進めて行こう、この主旨に賛同してずっと一 緒に活動を続けてきた訳である。この間に会員は100人に達し、ブ リッジ、定例会は毎月確実に開かれ、会員間の交流だけでなく、何人か の当該者の問題について真剣に話合い、教育委員会に直接働きかけ交渉 を持ったり、所属組合に働きかけて現場で働き続ける為の条件作りを 行ってきた。臨時の会議もかなり頻繁に開かれた。NHK全国放送モー ニングワイドに5分番組だが「障」教・連が登場して会の主旨を訴え た。振り返れはこれらの活動は実に目ざましいばかりのものである。更 に私達の大きな目標としての障害保障制度確立に向けた要望書をまとめ て都教育委員会に提出した。これまでは教師が中途障害者になると職場 から排除されざるを得なかった。健康で仕事が100パーセント出来な いと資格がないという考え方の下では障害者を受け入れる様な制度は全 くなかったといえる程だった。仕方無く特別措置教員制度の中に押し込 めていた。いずれ自主的に退職するのを待っている様な制度である。こ れに対して障害者が働ける条件を整えた制度が障害保障制度なのであ る。私達の組織はまだ小さいが全力で取り組んできたのだ。この1年余 の運動としてはかなり目まぐるしく中身の濃いものだ。それだけ当該者 の切実な課題が沢山有ったと言えるし、国際障害者年の最終年という チャンスを生かしいて運動を進めようとしたためである。情熱的かつ精力 的な活動であったが恒に新しい人材の出現が望まれていた。  しかし、このような精力的な活動をする中で、ノーマライゼーショ ンという理念の下に完全参加と平等のテーマはかなり広まりゆきとどい ている様に見えるが、それは単なる理念であり建前に過ぎない。障害者 の前に立ちはだかる現実の壁はきびしく無知と偏見に凝り固まっている 事を痛感させられた1年だった。目が見えなくなったら教師は辞めるし かないよ、という校長の言葉。障害が有っても残った能力を活用して仕 事をしてもらいたい、そういいながら現場では制度がないからと言い冷 たく切り捨てる教育者と名のる役人達。現場の管理職や、教育委員会は p.6 所詮行政の末端組織であり現行制度と前例に縛られているだけなのであ る。それを取り巻く世間の人達に意識もそれを支えているに過ぎない。 かく言う私もずっと以前は同じような意識だった。充分反省しなければ ならない。 このような現実の社会意識が遅れているときただ手をこまねいていて は障害を持つ教師が働き続けられる社会はやってこない。資本主義経済 下においては経済的弱者が再生産され常に差別され社会の安全弁として の役割を担わされてきたのだ。障害者も例外ではない。このように考え るとき、また多くの権利と言うものが長く厳しい命がけの闘いによって 獲得されてきた事を思うとき、当該者が自覚して立上り運動を広げてい くしかないのである。従って私達は「障」教・連の運動をこの1年余の 活動の成果の上に立ってもっと大きく発展させていく必要があるのだ。 自分の周りの人達に働きかけて友人に訴えて理解を求め、組合を動か し、マスコミを利用して大きな世論のうねりを作り出してこそ障害保障 制度確立への道が見えてくるのである。千里の道も一歩からと言うが 「障」教・連の担う使命は途方もなく大きい。それぞれ自分の力に応じ て一歩一歩気張らずに確実に前進するしかない。出来ることを少しずつ やれば良いのだ。 自分は、最近5級の視覚障害者と認定された。今、私はこの現実を受 け入れて生きて行くしか道ばないのだ。自分は偏見に満ちあふれた社会 の片隅で小さくなって隠れて生きるのはまっぴら御免である。それなら ば、偏見と立ち向かって力強く立ち上がるしか無いのだ。私のようなか 弱い一人の人間にそのような大それた事ができる筈がない。同じ立場の 多くの仲間がいて欲しい。私の立場を理解して協力し支援してくれる仲 間が必要である。私はこのような条件を満たしてくれるものこそ「障」 教・連にほかならないと考える。従って、「障」教・連は偏見をなく そうとして前向きに生きようとする人の集まりなのだ。皆で考えよりよ い方法を見つけ出して運動を展開して行かなければならない。 従って、会を生き生きとした活発な組織として運営しなければ良く機 能しなくなる。各自が自覚的に会と関わる事が大切なのだ。会がだんだ p.7 ん大きくなると、後から入会する人はどうしても自分で抱えている問題 を会の力で解決してもらおうと期待するだけで自らは何もしないで受身 の態度をとる傾向に陥りやすい。このような態度がはびこってくると会 の活動は停滞してしまう。常に自分が会のために何ができるかを念頭に おいてできることは何でも良いから会のために仕事をする心がけが大切 である。どうしても自分の問題にとらわれてしまい他の人の問題を忘れ がちになりやすいが他人の痛みを思いやり、自然に共有して具体的活動 に結びつけていきたい。人任せだと後退してしまう。現在、会を運営し ていく上での大きな課題である。  全国的に見れば三宅先生が視覚障害者となってからも中学校教師を やり通して視覚障害教師の会を作り、10年程の経過の中で何人かの仲 間が教育実践を積み重ねるという実續の有る関西地方に対して閧東地 方は障害者に対して非常に無理解であった。このような状況の下で「 障」教・連の誕生はじつに意義深いものが有る。また、今後の幅広い活 動が要請されていると言えるだろう。まだまだ孤立したまま退職に追い 込まれて行く人がいるかもしれない。「障」教・連の存在を知らせて仲 間に入って共に活動してもらう必要がある。 4、職場での課題  私は最近5級視覚障害者に認定された。 だが職場でのあり方は未だ模索中であり、気持ちの切り変えはまだまだ 不十分である。自分の将来の夢と希望とどうしようもない現実と直面し て、それに対処するのは大変な事である。しかし、世の中にはもっと もっと過酷な通命にもて遊ばれている人がいるし、より重い障害を抱え ながら生き抜いている人は沢山いる。それぞれの人が現実を受け入れて 自分の生き方を見いだしているのである 視力は安定してはいるが良く はならない。現実を受け入れて開き直って行くしかないのだ。できるこ とは徹底してやり通して、できないことはどうやっても出来るはずがな い。この現実を同僚と生徒達に明らかにして充分理解して貰わなければ ならない。自分の現状を周囲の人達に思い切って明らかにしなければな p.8 らない段階になったのだ。事実を知らないでいると変な誤解や摩擦の原 因になりかねない。私の姿はテレビにも写ってしまって少しは調子がよ くない様だと思っているし、幸にも職場の理解者も多いので恵まれてい るようである。 5、「障」教・連の課題  現在、会はいくつかの当該者の問題を抱えている。それぞれの問題は 障害の種類や程度に応じた労働条件を認めさせる運動として当該者のい る職場、及び教育委員会に対する問題提起と要望として行われている。 これらの障害に応じた労働条件を確保するものとして総合的にまとめ上 げたものが都教育委員会に提出した障害保障制度要求の要望書である。 各現場での問題が解決されないときは「障」教・連と都教委の間で話合 いが持たれることが約束された。これらの運動とスタイルが完成した ことは視労協の運動と強力な支援体制なしには考えられないし、各教組 の心ある人達や障害者団体の人達の支えのお蔭である。  さて、このように運動の大枠がほぼ決定した段階の次の第2段階の課 題としては支持者を量的に拡大する運動にもかなりの力を入れなければ ならないという事である。障害保障制度の内容を出来るだけ沢山の人達 に広め、宣伝して理解者を増やして「障」教・連の支持者になってもらう ことである。そのためには新聞、テレビ等のマスコミを利用したり、署 名活動などいろいろな方法で運動を幅広く進める必要がある。会員一人 一人が自分の周りの人に署名を呼びかけ記名して貰い支持者を一人でも 増やすことが第一歩である。教職員組合の人達の支持者を募って教組 全体を巻き込んだ運動にまで高められれば実現の可能性も出てくるに違 いない。自分達の周りを取り巻く大部分の人の意識を理解者、支持者に 変える運動なしで頭越しに教育委員会交渉だけやっても事態の打開には ならない。  もう一方の課題は、各当該者の問題をそれぞれの具体的状況に応じて 闘いきることである。担当チームを決めてそれぞれ取組を進めて行ク事 が大切であり、それが最終敵には障害保障制度に結び付いていくだろ p.9 う。更に、まだたった一人で泣き寝入りしている当該者を結集してそれ ぞれの障害の種類と程度に応じた労働条件を認めさせて行く運動の地道 な積み重ねをすることである。勿論、障害を持っていても教育者として の仕事が充分に出来るという事実を明白に示して行く事も必要である。 視覚障害者の場合、目が見えなくても様々な工夫と補助機材の利用とで 授業は充分に出来ること、それを公開するとか、テレビで放映するとか して、これなら大丈夫、安心していられるんだ、そんな実感を持たせる 事が出来れば一般の意識もだいぶ変化するだろう。このようなしっかり した実践は視覚障害教師の会の10年の歩みの実績として残っている。 これを公にすればよいのだ。このような実績が周囲に広まり一般化すれ ばしめたものである。現段階の運動ではこの点が重要ポイントになって いる。もちろん障害ゆえに出来ないことがあるのは当然だが自分の得意 な事を示す事も必要である。 p.10 軌跡-92年12月~93年4月の動き 大葉利夫  創刊号では、「諸問題を抱える少数教師と共に・連絡協議会」として 発足した本会の目指す目的と、92年12月までの経過をまとめた。本 号では、その後の動きの報告集となっている。  92年11月迄の内部討議を具体化する為に、第一弾として都教委へ 『「障碍保障制度』確立の為の要綱提出と、交渉に至った経緯を述べ た。この事は、障教連の目標の一部に過ぎない内容である。 Ⅰ.前進  荘田問題・大里問題・黒木問題の前進的取り組みは自ら評価してよい と思う。特に、荘田については「全面的」目的達成と言ってよいで あろう。都教委・組合も動き「異動」が「通院・通勤・職務内容」を含 めて実現した。  この間、今日行く委員会と直接のパイプが確立出来たことや、都教委内部 で第一回目の「雇用確立委員会」(仮称)を開かせるに至ったこと。日 教組では、93年度の運動方針案に本会と連携していく事を載せたり、 プロジェクトチームの準備を始めたこと。その他、東京、埼玉、宮崎の 組合とパイプを持てた事も大きい。さらに、私教連では本会の要望を受 け、実態調査に乗り出した事など大きな成果と言っていいだろう。  次号で本人からの報告が予定されているが、新潟では視覚障碍者であ る栗かわさんが、普通校転任に際して常勤講師が配属され、二人で一人 分の持ちし時間とし、残りの時間は彼のワークアシスタントに当たる事が 実現。 Ⅱ.課題 ①当該教師にとっては早急な対応が必要であるが、行政側は現行制度を 楯にして対応が先延ばしになり、制度が出来ればという原則を今だに 変えていない。 今回の成果も現行制度下でのギリギリの対応を迫り、実現にこぎ着け たに過ぎない。 組合によっては、新しい理念の提起とあって、なかなか慎重で早急な P.11 動きが不足がちな事は事実である。 ②マスコミや国連障害者の10年のうねりの中で、我々の主張が通りや すかったことは揚げられるが、時流に流されない「運動心」を持ってい ないとこれからの継続は難しい。 ③会員が所属している組合は、イデオロギー的にも多様化しており、い かにして全組合に対して働きがけをしていけるのか、また必ずしなけ ればならない。更に、組合に加入していない会員がいる事も忘れては ならない。 要するに、依存心を持つことなく「我々の力」で問題を解決する意識 がなければならない。 ④大里問題で残された「特別措置教員制度」の存在と、「障碍」を持つ教師が 働く制度とのケジメをつけなければならない。 ⑤東京中心の運営形態であるが、今後どのようにして全国的な運営形態 にしていくのか。 ⑥93年度は92年度の厳しい経験を踏まえて、足腰の強い障教連の確 立を目指さなければならない。 皆で動こう!! Ⅲ.主な日程と動き ◆92年12月 02日(水)「「障碍」保障制度要綱都教委へ提出交渉 05日(土)ブリッジ、都障福 19日(土)定例会、都障福 27・28日(日・月)忘年旅行、熱海 29日(火)故林弘子さん弔問、三重 ◆93年1月 09日(土)ブリッジ、都障福 16日(土)定例会、飯田橋セントラル 24日(日)視労協・都同協と交流集会、都障福 25日(月)都教委への要望書発送 28日(木)「組合回り」、①都高教 ②東京教組 P.12 31日(日)京和啓子さん逝去 ◆2月 04日(木)「組合回り」、①日教組 ②都教組 06日(土)ブリッジ会議、都障福 10日(水)「荘田問題」で都教委交渉、都庁 16日(火)「大里問題」で都教委と電話交渉 17日(水)「荘田問題」で都教委に要望書提出 18日(木)「大里問題」で品川教組と話し合い 20日(土)定例会、中野区民集会室、 21日(日)「荒馬祭」でビラ配り、浦和 24日(水)日教組より今後の連携とプロジェクトチーム結成への意 欲的構想が明らかにされ、懇親会も実施。 その他 「黒木問題」で校長への手紙 ◆3月 05日(金)「三多摩反処分交流集会」でアピール、国分寺 06日(土)ブリッジ、飯田橋富士見集会室 09日(火)「組合回り」、東京私教連 13日(土)「大里問題」で東京教組・障教・連・視労協合同会議 17日(水)「関問題」で組合と話合い、朝霞台 25日(木)「荘田・大里問題」で都教委交渉、都庁 27・28日(土・日)定例会+ミニ合宿、国分寺 その他 「宮城問題」で分会への手紙 ◆4月 01日(木)「大里問題」で視労協と合同会議。都教委と電話交渉 03日(土)運営会議、編集会議、都障福 06日(火)「大葉問題」で都高教本部委員会アピール 12日(月)「大葉問題」で分会への手紙発送 17日(土)定例会、日本点字図書館 ◆7月24日・25日(土・日)夏季合宿及び総会 p.13 「障」教・連資料No1 1993年1月22日 東京都教育委員会職員課課長 坂 本 清 治 殿 障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代 表  大 葉 利 夫 要 望 書 12月2日、佐々木ひろゆき都議会議員同席の下で、貴教委と本会とが初めて 話し合いの場を持つことができたのは、たいへん有意義であったと思います。 当日は本会より「障害保障に関する要望書」を提出し、主旨の説明、当該教師 が抱えている問題点、今後の展望と多岐にわたる話し合いができましたが(貴教 委と本会との間で確認できたことを〈別紙1〉 に記載しました)、「障害保障制 度」の捉え方においては双方の認識に大きな隔たりが残ったまま、時間の制約も あり十分な話し合いができませんでした。 具体的に言えば、私たちは障害に応じた労働内容および労働量(校正者注:「障害に~労働量」下線)を求めており、 身分上・賃金上の不利益(差別)を受けない(校正者注:「身分上~受けない」下線)ことを主張していますが、貴教委の 見解では、「理科の教師は講義も実験もできなければならない」という発言にも 表れているように、従来の労働内容を全部消化できることを教師を統ける前提と している点です。 <別紙2> は、現在、早急な対応を必要としている当該教師の要望および具申 事項の一覧です。当該教師に対し迅速かつ適切な配慮がなされるために、上記の 相違点に関して、近日中に再度話し合いの場を持つことを強く要望します。具体 的な日時については1月2 9日までに本会にご連絡下さるようお願い致します。 なお、先に提出した「障害保障」に関する要望書の内容には、「全国視覚障害 教師の会」も賛同していることを申し添えます。 以上 p.14 ①大里暁子 ②品川区立城南第二小学校、休職前は障害児学級を担当 ③人工透析(週3回)、視覚障害、ともに1種1級 ④ア)人工透析の勤務時間内通院 夜間透析は午前中の勤務に支障があるため、現在は、やむを得ず年休を取 って午後から通院しているが、今後もこの状態を続けるとなると年休が足り なくなる。また、本来の意味での年休の使い方とは言えない。都労連との合 意事項になっている、「人工透析のための病気欠勤」の適用を求める。 イ)加配を希望。「特別措置教員制度」の一方的かつ「便宜上の適用」には 反対  障害を抱えつつ職務を遂行するためには、職場の現状を考えた場合、加配 を希望する。「障害者の枠がない」という理由での「制度」の適用は、障害 者にとって人権問題であり、93年度も「便宜上の適用」を繰り返すことは 認められない。 ウ)通級学級への異動を希望  重複障害があるなかで、働きやすく、かつ本人の力が発揮できる職場とし て、「通級学級(こどばの学級)」のある学校への異動を希望する。なお、 93年3月までは、現任校に在職したままで「通級学級」への勤務を希望す る。 エ)ワークアシスタントを希望  文書処理等、視覚障害を補ってもらうことにより、より充実した職務の遂 行が可能となる。 ①栗原昌子 ②足立区立宮城小学校 ③膠原病(慢性関節リウマチ)、特定疾病、93年8月まで休職予定 ④ア)家庭科専科での復職を希望  難病を抱えての復職にあたっては、医学的見地からも体育等の教科を受け 持つのは無理である。イ)に記したように、異動ではなく現任校での専科担 p.15 当を希望する。 イ)異動について  復職後、必異動の対象となるが(C地区)、現任校での継続勤務を希望す る。駅まで歩くのも電車に乗るのも困難で自転車通勤をしているため、C地 区は無理である。長時間の通勤は、寒・風・湿を避けなければならないリウ マチの悪化にもつながる。以上の理由から、異勤の場合も通勤可能な範囲の 学校であることと、専科としての復職を要望する。 ①大葉利夫 ②都立東村山高校、数学担当 ③視覚障害、1種2級 ④ア)異動を希望  現任校への通勤路は非常に危険が多く、生命に関わるような事故も起こり かねない。また、朝夕とも日光を真正面に受ける方角のため、「光に弱い」 目の障害にとっては一層危険が大きい。その上、勤務校と最寄り駅の間は代 替交通がなく、タクシーも呼べない。万一事故が起きた場合の補償問題が生 じないためにも、93年度の異動を希望する。 具体的には、中央線の武蔵境~立川間にある武蔵・小金井北・小平南高校 のうちのいずれかを希望する。 イ)持ち時間の軽減  障害教師として5年目を迎えたが、授業レベルを維持するためには相当の 事前準備が必要である。また、授業中の労働密度は高く、見えにくいことか らくる疲労も大きい。以上の点については、学校長も認めるところである。 92年度は年休を使ってカバーしてきたが、校務分掌等の職務にも関わる立 場からは好ましくないので、「持ち時間の軽減(同僚に負担のかからないか たちでの)」を要望する。 ウ)補助機材の購入について  視覚障害を補う機材は多くあるが、いずれもコストが高い。92年度は音 声ワープロソフトと音声装置を購入して貰ったが、毎年、校内予算の中でま p.16 かなうのは無理がある。  93年度は、研究開発された「音声成績簿」をスムーズに活用していくた めの「ノートパソコン」の公費購入と、授業に用いる教具の開発費と材料費 の保障をしていただきたい。 エ)ワークアシスタントについて  92年4月より、週2回各2時間、ボランティアによる校内での対面朗読 が実現し、職務の遂行に大いに役立っている。これの継続はもちろんである が、使っている部屋が共用のため同僚にも迷惑をかけており、ぜひ専用に使 える部屋を確保していただきたい。 また、採点業務等のアシスタントは公的に保障していただきたい。 オ)専用教室の確保  対面朗読にも必要であるし、授業の際、教室を移動するたびに教具を持ち 運ばねばならない困難を解消し、事前の準備をスムーズにするためにも、専 用教室を確保していただきたい。 p.17 <別紙1> ※12月2日の話し合いにおいて、貴教委との間で確認されたこと。 1.現行制度の下でも、校内運用で配慮できること  ①中学・高校の場合は教員相互の持ち替えが可能であり、小学校の場合は、  専科担当となるか、体力的に困難な教科は嘱託の活用が考えられる。  ②異動にあたって病気や通院等の事情を配慮する必要はあり、校長や区教委  の具申があれば都教委としても対応する。 2.慢性疾患や障害を持つ教員への対応については人事院とも話し合っている  ところであり、要請があれば、その経過についても報告する。 3.異動に関して、病気や通院等の事情があるにもかかわらず校長や区教委の  具申に反映されない場合は、都教委でも話し合いに応じる。 以上 p.18 <別紙2> 早急な対応を要する当該教師の要望および具申事項 1993年1月 (①氏名 ②勤務校 ③障害名 ④要望する「障害保障」の内容および具申事 項) ①荘田美智子 ②大田区立新宿小学校、学級担任 ③人工透析(週3回)、1種1級 ④ア)異動について  現任校13年目で必異動対象となるが、家庭科専科での異動を希望する。 現任校でも家庭科を担当してきたが、92年度は学級減でやむなく学級担任 となった。透析通院は時間的な拘束があるため、担任だと学校行事や会議と の調整が難しい。結局無理をせざるを得ないので障害は悪化し、職務遂行に も問題が起きる。  異動先については通勤・通院に至便な所が絶対条件であり、医師の指示に より、それぞれに要する時間は30分以内でなければならない(バスは不定 期なので不可)。  病院:東急池上線戸越銀座駅  自宅:東急池上線久が原駅 イ)勤務内容について 專科担当となっても透析による拘束時間は変わらないので、大規模校のよ うに持ち時間数が多くならないための配慮を要望する。 ウ)ワークアシスタントを希望  人工透析による体力の消耗や、時間的に拘束される分を補うために、特に 事務作業をしてくれるアシスタントを要望する。 p.19 障害を抱えつつの異動 荘田 美智子  昨年以来、私が抱える最も大きな問題、それは異動でした。東京都では12年前よ り現在45才未満の教師は全都の教育に責任を持ち、何十年も一校に居すわっている 教師を一掃し、組合潰しもねらって一石三鳥とばかり、全都を三地域に分け、新卒6 年、その他10年を最長として強制異動の対象にして三地域をまわらなければなりま せん。その異動には希望はあっても承諾は無いという制度です。  又、東京都には専科制というものがあって、学級数によって専科の定員が決まって 来ます。児童数が減って学級減になると専科が減らされる仕組みになっています。減 らされるのは5年と6年しか授業が無い家庭科がほとんどです。 前任校には休職の 関係もあり、13年間在職しました。昨年は学級減、強制異動の対象、減らされてい る家庭科での異動、加えて週三回4時間の透析通院のため通勤、通院に便利な学校を 希望したのですが、相手校の校長より、面接の際  「命に関わる異動はしたくない。」「ここから救急車で行っても病院まで40分は かかる。」「バスはめったに来ないし、冬は海風が冷たいし、家から通勤に不便です よ。私がカードを返して上げましょう。」など教頭と共に説得にされ、とうとうカー ドは戻って来てしまいました。  その後、組合、障・教・連など多くの支援を受けて交渉したのですが、内示が出た 段階での再異動は難しく、同じ学校で担任として新学期を迎えました。  組合の分会が校長交渉を持ってくれた結果、体育・音楽図工・クラブ・委員会・遠 足・家庭訪問など運動負荷のかかる仕事は、専科、嘱託の先生でカバーしていくなど 実質的な軽減措置を受けることができました。それでも最も元気な三年生を受け持つ 事には大きな抵抗があり、二日ほど寝込んでしまいました。  この1年間、子どもと遊んでやれないとか、月、水、金の5校時以後に担任がいな いとかいろいろな問題にぶつかりましたが、他の先生方の協力、子ども達の元気さに 支えられて何とか1年を乗り切ることができました。  しかし、一年を終える頃には無理がたたって、極度の貧血、ストレスから来る高血 圧、骨折、眼底出血などの症状に悩まされ、春休みは、異動校への引っ越し、各種検 査のための病院通いに終われ、今、やっと少しほっとしている所です。  今年は結論からいうと90%、満足のいく異動ができました。昨年のような思いは したくないので10月頃より準備を始めました。 障・教・連を通して、都教委に「異動に関する事情」の文書を手渡し、同じ区に家 p.20 庭科専科として異動できるように何回となく話し合いをして貰いました。  障害を持ちながらの異動の大変さを理解して貰うようブリッジのメンバーと共に何 度も都庁に足を運びました。医師の診断書も提出しました。  そのうち都教委の態度も段々と柔軟になり、また組合も二年ががりの異動だから座 り込みをしてでも交渉するという決意でくれたので、その間いろいろ紆余曲折はあっ たのですが、同じ区内に二つしか空きの無かった家庭科のうち自宅から近い矢口小学 校に移ることができました。  異動したらしたで、又、皆の理解を得る子とが大変と覚悟はしていたのですが、そ こでは専科一線横並びで18時間受け持つよう昨年の職員会議で決まっている。栄養 士もいないので給食事務をやってもらいたい。――――との話が学校長よりありまし た。体力的に自信がないということで断りましたが、強硬に押し付けられてしまいま した。  その後、また組合にと区教委が話し合いを持ち区教委から学校長に指導すると言う 形で家庭科12時間のみの実質時間軽減を勝ち取ることができました。校長が代わっ たことも幸いしました。  上記のような経過で私の二年がかりの異動問題にもやっと決着がつきました。  これも一重に障・教・連と組合のお陰と感謝しております。何の後ろ盾もなく異動 していたら間違いなく、担任をする羽目になったでしょう。そうなったら、いくら私 が教師の仕事が好きであっても早晩、退職あるいは休職に追い込まれていったことに 間違いなかったでしょう。  新しい職場は何がどこにあるかもわからず、同僚に理解してもらうまでには時間が かかることでしょう。不安はたくさんあるけれど与えられた職場であとは頑張るだけ です。  少ない予算と乏しい人脈と障害をかかえつつ、働きながら運動を続け、仕事が終わ った後にも集まり、夜、遅くまで会合を持ち、大事な有給休暇を使い、運動を続けて きた障・教・連の大きな成果だとご協力いただいた方々には深く感謝するものです。 p.21 「障」教・連資料No.2 荘田 美智子 異動に関する事情 平成5年2月9日 住所 大田区久が原3-14-1 年齢 45才5か月 (平成5年3月現在) 現任校 太田区立新宿小学校(京浜東北線蒲田駅 徒歩8分) 現任校勤務年数 12年(休職1年を除く)B地域 最寄り駅 東急池上線 久が原駅 徒歩15分  平成1年11月より昭和医大旗の台病院にて慢性腎不全から人口透析に入る。現 在東急池上線戸越銀座駅近くで週3回、一回4時間の透析治療を受けている。往復 の時間、止血、着替え、様々な測定なあどで1回5時間半近く掛かる。  前任校も大田区で6年勤務(休職4年を除く)。  現在は3年生の担任をしているが、昨年度までは家庭科専科を長年担当していた 。が、学級減により、また異動がうまくいかなかったため、やあむを得ず、今年度 に限り担任をしている。  (異動先の校長より、面接の際、病院に遠い、通勤時問が長居などの理由で断ら れる。又、次の学校は自宅、病院とも反対方向で、しかも長時間のバス通勤であっ たので異動に不安を感じ、現在校で1年限りということで担任を受ける。  しかし,ここ1年近く担任として様々な困難や学年の先生方にも、迷惑をかけ、 又、保護者も不安を感じているようです。  私としては、自分のペースで働いて、しかも、学年の先生方にも迷惑をかけたり、 気をつかわずに慣れた家庭科に戻りたい。  しかし、4 6才以下で3地区を回らなければならないとか、通勤時間が長居とか 乗り換えがあるとかすると,疲労度が増し、勤務にも支障が出てくる心配がある。 医者より、通勤時間、通院に3 0分以内を目途とするという指示が出ている。(貧 血、高血圧によるめまいなどのため)  そのため、2年前に横浜より現在のところに転居までした。家事労働などは姉妹 に頼んでいるので、再度の転居は不可能です。又、現在通院している透析センター p.22 も体にあっているので転院は考えていません。  いろいろ困難を伴う異動ですが、障害1級の認定も受けているのでできることな ら是非近くで通勤、通院に便利な学校に異動を希望します。同じ大田区でも、池雪 小学校なども家庭科の空きが出ています。都の異動要項の(6項)に該当するかと 思います。学校を辞めてしまえば、家にいて外部との接触もほとんどなく、ただの 廃人同様の生活しかありません。勤めていれば、子供たちの活気で私も元気になれ ます。  どうぞ、いろいろな点を考慮して、障害を持ちながらも、希望を持って働ける ようお取り計らいをお願いします。 (提出は10日) p.23 「障」教・連資料No.3 1993年2月17日 東京都教育委員会職員課課長 坂本清治殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表  大葉利夫 要望書  去る2月10日には、お忙しい中、本会が先に提出した要望事項について話し 合いの時間を作っていただき、ありがとうございました。  さて、当日は「異動問題」に限定して要望の主旨を具体的に説明させてもらい ましたが、小学校の場合は3月上旬には正式な決定が出されることから、当該教 師にとっては緊急を要する問題となっております。その一人である大田区立新宿 小学校の荘田教諭につきましては、週3回の透析治療を受けながら仕事を継続し て行くためには、「家庭科専科」での異動と「通勤・通院に支障のない地域」で あることが不可欠の条件となっています。專科への異動については、12月2日 の話し合いにおいて、職員課長ご自身が障害者への配慮の一方法として上げてお られますし、10日に提出した「荘田美智子・異動に関する事情」の文面にある ように、大田区内に本人の希望に合致する学校が現に存在することが確認されて います。  貴教委は「過員の解消が第一」と言われましたが、障碍を持つ教師にとっては 生命にも関わるため、本人の希望に沿わない異動であれば退職に追い込まれるこ とは明白であリ、人権問題にもなってきます。異動の実務がどのように進んでい るかについて、当日の段階では「把握しきれていない」との説明でしたが、本会 の要望を踏まえて「話は持っていってみる」とのお答えをいただきました。「障 害保障」が制度化されていない現在においても、こと異動に関しては、現行制度 の下で配慮が可能な分野であると思われます。荘田教諭をはじめ、先に提出した 当該教師の異動について、貴教委のご理解とご配慮を改めてここに要望するもの です。 p.24  なお、本会が提出している「『障害保障』に関する要望書」について、関係す る指導部との間で協議しているとの説明がありました。当該教師の意見が反映さ れ、障害があっても働き続けることのできる条件を整えて行くために、今後も継 続して本会との話し合いを持っていただくことを併せて要望致します。 以上 p.25 「大里問題」の経過報告その2 ・受診命令を受けて 大里暁子 1.『特別措置教員』の更新?!  92年11月3日、視労協で臨時の会議が開かれた。話し合いの内容は私 の人工透析の勤務時間内通院の事で都労連を通して都教委に申し入れをした ところ、 3つの理由で認められないとの事だった。3つの理由とは、ひとつ には復職そのものが間違いだった。私が視覚障害の診断所を出さなかった事 を指しているらしい。二つめには91年度は夜間透析をしていた事、しかし これは復職後の時間軽減が取れて10時から2時の勤務だったから出来たこ とである。三つめには93年度は分限体職に決まっていて、本人も組合(都 教組)も納得しているとの事。もちろん納得なんかしていない。この三つめ の理由を確かめるため、早速校長に問い合わせてもらう。しかし都教委は前 日の内容を否定。93年度はまだ決まっていない、私の場合は『特別措置教 員』行進手続きを取るようにとの事だった。もちろん『特別措置教員』は認 めたわけではないから、行進の手続きというのもおかしい話しでこれを拒否。 本人の承諾なしで申請出来る『特別措置教員』の制度だが、幸いなことに校 長は職員との話し合いを大切にしてくれるので、私の了解なしでは書かない との事だった。だからこの後も区教委に数回にわたって行進の手続きを迫ら れ、その度に筋が違う事を校長と話し合った。12月の末には更新をしなけ れば『過員』の数として正式に数えると威かされる。しかしこの時は逆に 「都教委が私にひとりでクラスを持たせてくれるはずが無い」事を校長に話 し、直接区教委に行って話したい事を校長に言うと連絡を取ってくれた。し かし区教委は忙しさを理由に合うことを回避する。しかし本人の希望はその まま都教委に上げるとの事だった。  また、12月8日付けで『都教組』を脱会する。そして25日付けで『東 京教組』に入る。 2、『分限休職』? !  明けて93年。1月24日、東京都障害者福祉会館(田町)で視労協・都 p.26 同協を含む三団体で『都教委をぶっとばせ!』集会が開かれる。そして1月 26日には都教委交渉を視労協で行う。この日は久世管理主事が話を聞くだ けという形だった。93年度は勤務地を通級学級のある学校に代えてもらい たい事。そして人工透析の勤務時間内通院を認めて欲しい事、この二つの点 を申し入れる。 93年度については普通の移動が終わった後で決まるそうで、 難しければ難しいほど3月末になるらしく、私の場合は最も難しい部類に入 ると言われた。しかし、2月に入るとすぐ『受診通知』が言い渡され、追っ て文書が渡された。(資料Aを参照)それは「93年度は『特別措置教員』 から外す、その代わり休職をして正常勤務に耐えられるよう体力を回復する 事に努めてほしい」「健康状態を把握するため指定医で受診をするように」 との事だった。休職するつもりもないし、92年度は病欠が多かったという ものの12月の中頃からは元気に通勤しているので、指定医での受診の必要 性はないと拒否、すると2月の末に再度受診通知がくる。(資料B)しかし 今度のは『受診命令』だったので承諾書(資料C)を出さないで行くことに する。そして現在通っている病院(眼科は※(校正者注:※黒塗り)内科は※(校正者注:※黒塗り)) の診断書(資料D・ E)も合わせて都教委に提出。  指定医である『東京都職員共済組合青山病院』からの診断書(資料F・G) には眼科・内科共に「休職の必要性はなし」との事でこの事は障害は幾ら休 養を取っても良くならない事を物語っている。しかし都教委は「休職は病気 を治す為だけではなく、正常勤務に着く為の期間と考えて、『分限体職』も ありうる」と威かす。組合での話し合いの中で「この5年間の間では『分限 休職』を受けた者はいないが、それは最後には自分から休職願を出す形にな っているから」ということで結局書かされているのが現実である。初めのう ち組合は、「分限休職よりは特別措置教員の方がいいのではないか」「『特 別措置教員』を受け入れる事を都教委に申し入れる事は出来るが、そういう 形でなかったら組合が入る意味がない」との事だった。  この間(2月から3月)、組合(東京教組)との接触を頻繁に持ち、障害 者問題を組合で本格的に取り組んでくれるよう、また障害者運動と組合とで 同じ方向性をもって一緒に進んで行って欲しい事を要請した。 p.27 3、…やっぱり『特別措置教員』!  3月25日の終業式も終わり、最後の職員打ち合わせで来年度の受け持ち が発表される。私の事だけ「わからない」…。わからないまま春休み。しか しその日の4時から都教委との交渉を持ち、荘田さんの移動の件・大葉さん の時間軽減の件と合わせて私の93年度の措置を申し入れると、希望だけは 聞くという態度を崩さない。その最終決定は今年度中には出すとの事。結局 結論が出たのは3月30日だった。そして93年度はやっぱり『特別措置教 員』だった。都教委は「例外は例外だが、指導力不足と言う点では『特別措 置教員』である」「研修の義務があり、現在ある仕事の中で何を研修するか を話し合いたい」ということで4月2日に、校長・区教委と一緒に来るよう にと命じた。私は大葉さんの同行を求めるが「一緒に来ても構わないが、同 席はさせない」との事で、4月1日に臨時の会議を開いてもらう。この話し 合いで、とにかくやれそうなものとして『音楽専科』・『心障学級』・『通 級学級』の中から『音楽專科』に決まった。しかし『音楽専科』と言っても 大規模校で音楽専科が二人の所へ行けば何とかなるだろうと言う考えだった。 しかし都教委との話し合いでは「93年度は『特別措置教員』2年目と数え ること、3年間の間に健常者の70%までいかなければならない」という制 約が付けられた。そこで問題になるのは2年間でピアノのテクニックがどの 程度身に付くかという事で、それは大変難しい問題である。それともうひと つには児童が減少している中、大規模校がだんだん無くなっているのも現実 である。 4、研修内容をどうする?!  『音楽専科』・『心障学級』・『通級学級』の3つの道があり、それぞれ メリット・デメリットがある。どの道を選ぶか迷っている。どの道を選んで も大変さは同じである。やろうと思えばそれなりに出来そうだ。でも都教委 に納得させる成果をこの2年間で出さなくてはならない。『音楽専科』はピ アノのテクニックに問題があり、『心障学級』の方は視覚障害のハンディが あって子供の反応が正確に掴めない。体力や通勤などの条件から考えると 『通級学級』が一番可能性が高そうだが未経験の為、はたしてどこまでやれ るかわからない。このことをめぐって只今、話題まっさかり!! p.28 資料A 4教人職第658号 平成5年2月10日 品川区立城南第二小学校 教諭 大里 曉子 殿 東京都教育委員会 受信通知  東京都教育委員会は、あなたの健康状態を把握する必要があるので、下記により 診断を受けてください。  記 1 受診医療機関及び指定医師 東京都職員共済組合青山病院(渋谷区神宮町5-53-3) TEL 3400-7211(代)  ※(校正者注:※黒塗り) 2 受信日時 平成5年2月22日(水) 午前9時00分から(※医師)(校正者注:※黒塗り) 午前10時00分から(※医師)(校正者注:※黒塗り) p.29 資料B 4教人職第7 3 0号 平成5年3月2日 品川区立城南第二小学校 教諭 大里 暁子 殿 東京都教育委員会 受診命令  東京都教育委員会は、あなたの健康状態を把握する必要があるので、平成5年2月17 日付け、4教人職第6 5 8号の2をもって指定医師の診断を受けるよう、通知を行ったが あなたは、これを拒否し、指定医師の診断を受けなかった。  このため、ここに、再度下記のとおり指定医師の診断を受けるよう命令する。 なお、この命令に従わないときは、法に基づき、厳正な措置をとることを申し添える。  記 1 受診医療機関及び指定医師 東京都職員共済組合青山病院(渋谷区神宮町5‐5 3‐3 ) 電話3400‐7211(代) ※(眼科)(校正者注:※黒塗り)及び※(内科)(校正者注:※黒塗り) 2 受診日時 平成5年3月8日(月)午前9時30分から p.30 資料C 承諾書 教育庁人事部長 殿  私にかかる指定医師診断の件につき、東京都職員共済組合青山病院 指定医師作成の診断書を徴されることを承諾いたします。  平成5年 月 日 所属 職名 氏名  印 p.31 承諾書 東京都職員共済組合青山病院指定医師 殿  私にかかる指定医師診断の件につき、診断書を東京都教育委員会 で徴することを承諾いたします。 平成5年 月 日 所属 職名 氏名 印 p.32 資料D 診断書 患者氏名 大里暁子 殿 昭和31年10月8日生 病名右) 眼球癆、左)増殖型糖尿病性網膜症 治療 平成3年12月7日から 附記 視力 右0、左手動弁(矯正不能)  左眼の網膜症は初診以来変化はない。  勤務により病状が悪化することは無いと考えられる。 上記の通り診断いたします 平成5年3月6日 ※(校正者注:※病院名黒塗り) 医師※(校正者注:※医師名黒塗り) 第 号 p.33 資料E 診断書 患者 大里暁子 殿 昭和31年10月8日生36歳 病名 慢性腎不全 上記にて週3回血液透析療法を 施行中である。肉体労働は好ましく ないが事務などの軽労働にはさしつ かえない。なお、昨年の入院事由である 肝炎、肺炎、出血性食道炎は完治して おり問題はない。 平成5年3月6日 ※(校正者注:※病院名、黒塗り) 医師※(校正者注:※医師名、黒塗り) p.34-35 資料F 第3号様式 指定医師診断書 (校正者注:以下、表を項目ごとに記述) 所属:品川区立城南第2小学校  職名:教諭  性別:女 氏名:大里暁子  生年月日:昭和31年10月8日生 病名:糖尿病・慢性腎不全(糖尿病性腎症)、高脂質血症 休養の必要性の可否とその期間及び将来の勤務の可能性:否 「勤務可能の場合」職場への希望(勤務内容及び勤務時間等について):高度の腎機能障害とそれに伴う高度の貧血※(校正者注:※には、手書きで貧血の値が書いてあるが判読不能)があるため、軽作業が望ましい。 平成5年3月11日 東京都渋谷区神宮前5丁目53番3号 東京都職員共済組合青山病院 (医師名)(校正者注:医師名および押印、黒塗り) 病歴及び経過:9才で糖尿病の診断をうける。インシュリン治療 平成元年より人工透析 視力障害 右昭和58年 左昭和63年(眼科診、右光覚なし、左50※)(校正者注:※は手書きで値と文字が書いてあるが、判読不能) 現症状:血圧170/110mmHg. 赤血球 260×10の4乗 血色素 8.2g/dl グリコヘモグロビン-A1 13.4% -A1C 10.2% 総コレステロール 247mg/dl HDL 27.2mg/dl ベータ-リボプテイン 853mg/dl 尿素窒素 115.4mg/dl クレアチニン 15.80mg/dl 尿酸9.6mg/dl Na138. K6.4 Cl92 その他本人または家族における問題等:勤務を続けるについては自身の病気の状態を認識すべきである。 p.36-37 資料G 第3号様式 指定医師診断書 (校正者注:以下、表を項目ごとに記述) 所属:品川区城南第2小学校  職名:教諭  性別:女 氏名:大里暁子  生年月日:昭和31年10月8日生 病名:右)眼球癆 左)糖尿病性網膜症(増殖型) 休養の必要性の可否とその期間及び将来の勤務の可能性:休養の必要はないと考える 「勤務可能の場合」職場への希望(勤務内容及び勤務時間等について):n.p 平成5年3月8日 東京都渋谷区神宮前5丁目53番3号 東京都職員共済組合青山病院眼科 (医師名) (校正者注:医師名、黒塗り) 病歴及び経過:9才より糖尿病。 S58(校正者注:昭和58年) 右眼球出血。その後失明 左眼S63(校正者注:昭和63年)頃より徐々に視力低下。 現症状:視力 右 光覚なし 左 50cm指数弁 右 眼球癆 左 増殖性糖尿病性網膜症 その他本人または家族における問題等:n.p. p.38 「障」教・連資料No.4 3.25都教委交渉のまとめ 日時 1993年3月25日16:40~17:50 出席 都教委:久世管理主事 栗本(人事計画課) 角川(職員課) 障教連:大葉 荘田 大里 宮城 坂西 (1)大里さんの問題について 2月の段階で都教委は、「勤務に耐えられるかどか知りたい」という理由で健康 診断の「受診命令」まで出すなど、「分限休職」の危険性も考えられる中での交渉だ った。障教連としては92年度の実績ー後半は図書の時間を8~9時間、他にも 音楽の時間のピアノ伴奏、障害児個別指導などーを強調し、93年度はさらに 内容を充実させ障害者の働く可能性を追求していくことへの理解を都教委に求めた。 都教委は92年度「特別措置教員」となった大里さん(あくまでも例外的適用)に ついて校長から年3回報告を受けていると話し、大里さんから今年度の仕事内容と次 年度に向けた要望を詳しく聞いた上で、検討はするが次年度に関しては現段階ではま だ保留であると答えた。  また,障碍を持つ教員への対処のために「検討する会」が発足して初会合を持った ことを明らかにし、その中で透析通院についても話し合われており、今回の交渉で私 たちが出した要望は会に持って行くとの回答であった。 (2)莊田さんの移動問題に関して  本人が希望していた大田区内の学校への異動が実現したが、「家庭科専科」のはず だったのに,面接に行ったら校長から家庭科12時間のほかに図書6時間と給食関係 の仕事も担当するよう言われたこと、診断書を出してあるにもかかわらず、人工透析 に対する校長の認識が不足していることを説明し、善処を要望した。これに対し都教 委は、担当に話して調べてもらい、これ以上時間数を減らすことができるかどうが検 討することを約束。 p.39 (3)大葉さんの持ち時間軽減について 眼球疲労による体力の消耗、事前準備や対面朗読等で精神的なゆとりがないことを 訴え、持ち時間の軽減を要望した。また、今年1月27日付で都教委から各校長宛 に出された「講師等数の配当方針」等の通知の中に、「その他」として勤務軽減の対 象が拡大されていることを指摘し,該当するのではないかと質問した。都教委は「担 当に聞いてみないとわからないが,障害者は含まれていないのではないか」との見解 を示し、要望は聞いておくという回答に留まった。 p.40 つぶやき2・・・その後・・・   関幸子  2月に入り“この暇な職場で平成5年度もスタートかな”と諦めていた矢先 急に2/23(火)に児童福祉課課長、Tセンター所長とのヒヤリングが入り、 当日までヒヤリングということを知らされていなかった私でしたので、心の準 備もできていませんでした。  1回目は毎月通院のたびに出している通院報告書の説明にとどまりました。 症状が大分落ち着き、何と言づてもステロイドの量が減った事がヒヤリングに つながったようです。(仕事に復帰したときの量はブレドニン毎日3錠、現在 は隔日の1錠)戸惑うと同時に障教連と組合に連絡をとり3/17(水)に対 策を話し合いました。  仕事がない辛さより、負担になる方が恐いという話し合いのもとに私の心は 閉じたまま・・・現状の中にいるのなら、保育園に戻りたいと渦を巻いていた 時期もありましたが・・・長く働くということを冷静な目でみつめてみた時、 保育園の復帰はあきらめることにしました。その点が障教連や組合と一致し、 3/18(木)に通院した日、診断書は前回と同じように保育園への復帰は病 気の性質上好ましくない、一般的事務の仕事なら可と書いてもらいました。日 々体に痛みはあるものの鈍い痛みなため、医師としても保育園に復帰した場合、 仕事量が不安という気持ちもあったようです。  診断書は保育園の復帰を期待されても困るという考えから、2回目のヒヤリ ングが行われる前に提出しました。3/24(水)に、2回目のヒヤリングが 行われました。児童福祉課課長とTセンター所長と私の3名でです。その日私 はカセットテープを課長の前に置いて、緊張のおももちでのぞみました。そし て、結論としての課長の言葉は、「現状の職場ではもったいない」「大切な人 材ですから」「適材適所の場所を考えて行く」「そのために人事課とよく話し 合ってみる」ということでした。そして、3/26(金)内示があり現在の職 場に配置転換になりました。  A近隣センターといって、貸し館業務のほかに児童館活動、図書館も入って います。「児童館活動にこだわらず何でもやってもらいます」というA所長の p.41 言葉に「大丈夫かな」という不安はありますが、しかし、定数からみれば加配 であり、コントロールしながら自分なりの精一杯のことができればと思ってい ます。1年間様子見の段階であり暫定的という言葉がとれず、辞令も下りてい ません。いろいろ問題は残されていますが、頑張ってみたいと思います。難病 であるからという、偏見の目から多少解放されたのではと思っています。 休日は月曜日で(土曜日分)日曜日も祭日も出勤日になっていて、日曜日出 勤した分は平日振替になります。そして、祭日の分は次の日が休みにあたりま す。障教連とのかかわり方として、余り出席できなくなるかも知れませんが出 来るだけ連絡は密にとっていきたいと思っています。  明日への道を信じて。 p.42 私に関する校内人事の報告 宮城 道雄  93年度に向けた校内人事における私の課題は、事務処理のかなり の支障をきたしている状況下では全職員にこの現状の理解求めて、私が 働きやすい所に配置してもらうことです。そのために自分の気持ちを整 理して思い切って現状を公表することです。 管理職や身近かにいる人達には日頃、現状を話し理解を求めてきまし たが、それだけでは不充分な時期になっています。人事面での特別な配 慮をしてもらうためには、充分な理解を求めることが必要です。そのた めに職場ニュース(資料)に現状を書きました。ニュースが発行される とかなり関心を持って読まれていたようです。分会会議でも人事に関す る話合いがあり、「障」教・連からも分会に対して手紙(資料)が送ら れ話題が深まりました。  93年度の私の仕事は学年団には属さない担任外、分掌は進路指導部 に決定しました。この結果は担任を外して事務作業を軽減し、慣れた仕 事である進路に配置して仕事がやりやすくなるように配慮したもので、 分掌調整委員の方々には大変感謝しております。  現状の公表は職場での自分の立場を変化させるものなので勇気のいる ことでした。自分が注目の的になってしまうことを覚悟しなければなり ませんでした。いつも気楽な気持ちでは過ごせなくなりそうです。授業 は工夫をして内容の濃いものにする努力を今まで以上にする必要があり ます。分掌の仕事をやる上ではそのつど、同僚とコミニケーシヨンをと り仕事をやり易い形で出来るように工夫と研究をしていかなければなり ません。自分としてはできないことは諦めて、それに拘らずにできるこ とをできる限りやるしかないわけです。 p.43 「障」教・連資料No.5     てんてこまい    埼高教 岩高分会 93.3.5(金) 分会情宣 眼の状況と仕事 宮城 道雄  先日の担任団の発表の際に、私の例外措置についての理由として眼が 不自由だからと説明されました。これだけでは、良くわからないので詳 しく知りたいとの声もあるようですから、私の眼の障害の現状について 書きます。皆さんに理解して頂き、また、私の気持と考え方を知っても らい誤解が生じることの無い様にしたいと思います。  私の眼は、一昨年の白内障手術により見え方は少しは良く成りました が、左右両眼とも網膜脈絡膜の萎縮により視力が抵下したまま回復しな い状況です。矯正した視力が左眼0.06右眼は遠くを見るためにメガネを 合わせると0.3まで見えますが近くに焦点が合いません。新聞の小さい 文字が読みにくく見出しの大きさの文字が読めるぐらいの状態です。出 席薄の名票は見えにくいので拡大コピーを利用しています。テストの答 案が誌みにくいので白い上質紙で解答用紙を作り、生徒にはH B以上の 濃い鉛筆を使って書かせています。更に、拡大用のレンズを使っていま すが採点等で疲れてくると家族に手伝ってもらいしのいでいます。成績 処理も教務手帳を拡大コピーしてやっています。つまり、事務的な仕事 が自由にできないのです。文字を書くことはできますがノートの罫線が 見えないので定規を当てがって書いています。問題作成については音声 ワープロを使用して画面は見ないで音だけで作業するようにしていま す。教室においては生徒の顔が良く見えないので出来るだけ机間巡視を して近くにいき顔を覚えるように努力しています。座席表で生徒を当て たりしますのでたまに勝手に座席を変わっている者がいると困ります。 日常生活でみれば、道路ですれちがう時、道の向こう側の相手の顔が良 く見えないので声をかけられて初めて相手が誰かがわかるといった具合 です。身近な人で動作や姿形を把握している人はだいたいわかります が、はじめての人は特徴を掴むまで大変です。  総じて見れば、事務的な仕事ができにくいのは様々な工夫と補助機器 の利用によって乗り切れます。授業において顔がよく見えないことにつ いては、教師としては当然のことであるが授業内容の充実により生徒を 引き付けること、物を直接見せたり触れたりする創意工夫によりやって いく、本来の教育をやるしかないのです。  以上が私の障害の大まかな現状です。私はこのような状況に陥り、90 年から91年頃は、もう教員の仕事はできないのではないかとか、盲学校 に転勤でもするしかないか等、悩み苦しみました。そんな中で、91年 の夏に全国視覚障害教師の会を知り合宿に参加して全盲や弱視という 視覚障害を抱えながら教師を続けている人達が20人以上いることを知り、 さらに全盲状態のの数学教師の大葉先生(都立東村山高校)と知り合い 91年の10月に「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会の結成に参加して 以来、私としては普通高校で教師を続けるしか自分の道はないと心が決 p.44 りました。  一般的には、病気や事故により障害を持った教師が働き続けることは かなり困難です。健康な人並に100パーセントの仕事をこなすことが 要求されて、無理をして体力の限界まで働いて体を壊したり、生活に不 安を感じながら退職に追い込まれてしまいます。  世界的にノーマライゼージョンの理念が広まり障害者の完全参加と平 等が叫ばれてから久しいのですが学校現場は遅れています。私達「 障」教・連は障害を持った教師が働けるように視覚障害者には朗読者、 事務補助者のアシスタントの配置、人工透析の人には時間軽減等の障害 に応じた様々な労働条件の整備(障害保障)制度の確立をすることが必 要であり、そのための障害保障要綱をまとめて要望書の形で12月2日に 東京都教育委員会に提出しました。また、障害を持つ教員の具体的問題 に関して教職員組合に働きかけたり、教育委員会と交渉を持って働き続 けるための条件作りに取り組んでいます。会のことについては朝日新聞 やNHKの11月19日モーニングワイドに取り扱われて会員が110人を 越しました。私は会の活動を通して白い杖を持って歩く人や人工透析を している人等の多くの障害者と知り合い、共に活動する中で彼らの個性 と能力の素晴らしさを知り、共に生きることでいかに自分が成長し学ぶ ことが多いのに驚いています。 (一部省略) p.45 「障」教・連資料No.6  1993年3月8日 埼高教岩槻高校分会 分会長 青山文久殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉 利夫 宮城教諭の目の障害に対する配慮のお願い  私たち「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会(略称・障教連)は、「障碍」(身 体障碍および慢性疾患等)を持つ教師が教育現場で働き続けることのできる労働条件 の確立をめざして活動しています。貴分会におかれましては、日頃から本会の活動に 御理解と御協力を頂き、ここに改めて厚く御礼を申し上げます。  さて,本会の会員でもある宮城教諭は、貴分会発行のニュースにも掲載されたこと で御承知かと思いますが、視力の低下により事務的な仕事の処理にかなリ支障をきた しております。しかしながら現在は、様々な工夫と補助機器の利用によって障害を補 っているのも事実であります。先般、次年度の校務分掌を決めるにあたって、宮城教 諭は副担任を希望しておりましたが入れられず、学年外に回ることになりました。今 回の決定にあたっては、宮城教諭の目の障害に対する「配慮」もあったと思われます が、私たちは、本人の希望が入れられなかったことを非常に残念に思っています。  なぜなら、私たちは、障害を持つ教師が働き続けるために、障害に応じた軽減措置 や補助者の配置、補助機器の購入等を要望していますが、あくまでも本人の意思を第 一に考えております。従って、本人が希望する職務であれば、障害ゆえの配慮をお願 いすることはあるにしても、基本的には他の教諭と同様の取り扱いを望んでいるから です。94年度に向けては、宮城教諭の希望が入れられ、またそれに伴って必要な配 慮も得られるよう、貴分会の御助力を本会からも切にお願いするものです。  また、障害を抱えながら教師として働いて行く上では、同僚の方々の理解と協力ほ ど力強いものはありません。今後も宮城教諭に対する御支援をよろしくお願い申し上 げます。 p.46 春風 NO.23 1993.4.12 発信 黒木 美春 春が来た 待つこと 耐えること 花のつぼみ …………みんな似ている みんな明るいほうを向いている(星野富広 あざみ)(校正者注:「待つこと~あざみ)」囲み)  久しぶりに外を歩いてみると、いつの間にかいたる所に春が満ち溢れてい ました。小川のせせらぎ、菜の花、サクラ、草木の緑、稲の苗の列……… とじこもている間に、軟らかい土の間から、やわらかい大気の間から春が しっかり訪れていました。  みなさんのまわりの春はいかがですか?  いよいよ新学期が始まりました。春休み六日間入院生活をしたお陰で、 すっかり元気を取り戻してのスタートです。  今年度はいろいろな方々のお力添えので、授業時数も、公務分掌も軽減され ましたので、随分負担が軽くなりました。歓迎会にもふたつ、(分会、職場) 何年かぶりで参加できました。一時間半が限界でしたけれど、とても気持ち よい疲れを味わいました。本年度は、少しずつでも何かに参加していけそう なきがしています。楽しみです。  明るい日ざしの中で、わたしの心の中も春の香りでいっぱいに 包まれています。 p.47 六日間の入院  心身ともにストレスが溜まり過ぎて、春休みの間入院生活と相成りました。  入院を進められた時も、決める時も、出発する時までも気乗りがしません でした。病室に入ったその時でさえ、退屈しそうで気が滅入りましたが、 何の事はない、結果はストレスがとれ、楽しく有意義な入院生活でした。  二日はぐっすり眠り、三日目からは六時起床の早朝散歩に参加。一時間歩 いて朝食。その後は花壇の手入れをしたり、花を植えたり、友人たちと話し たり、また散歩へ出かけたり………… すっかり心も体も休ませてもらいま した。人との関わりの楽しさ、一緒に何かをやる楽しさ、ゆとりのない毎日 の中で忘れかけていることを思い出させてもらった六日間でした。  こんな入院もあるのだと、Drのアドバイスにほとほと感心させられるや ら、感謝するやらの六日間でした。 家庭科専科と図書係    毎年一番嫌な時期が過ぎました。  お陰で本年度の仕事内容が決まりました。 教科は家庭科のみで、5・6年全学級の 7クラス×2時間=14時間それに クラブ活動が1時間です。 図書の仕事も主任をはずしてもらいました ので、気が楽になりなした。  『障・教・連』からも学校長へお便りを 出していただきましたし、職場分会も 話し合いに加わってもらえたし、やれる事は やったとは思っていたのですが、家庭科のみ に鳴るとは思っていなかったので、学校長の 決断にとても感謝しています。 (校正者注:「家庭科~ています。」四角囲み) 友、遠方より来る  最近、懐かしい友に 二人も会えました。  中学時代の友とは 昼食を共にし、大学時代 の友は遠路はるばる 訪ねてきてくれました。 胸が詰まるほど嬉しくて いじけて交友関係を 狭めている私は筈かしく なってしまいました。  若い頃の友とは 有り難いなーと感激で 一杯です。 (校正者注:「友、~一杯です。」丸囲み) p.48 「障」教・連資料No.7 (校正者注:全文手書き、縦書き) 前略。ごめんください。  貴校におかれましては、お忙しい時期かと存じます。 面識もないのに誠に失礼の段、お許しください。 私達は「障害を持つ教師と共に連絡協議会」の者です。  当会は全国の教師の中で障害や慢性疾患を持ちなが ら現場で働く教師とそれを支援する人達で構成されて います。  長い人生の中で運悪く、重い病を得てしまった者が働き続 けるために障害保障制度の確立を求め、運動をしています。  朝日新聞、NHKなど多くのマスコミにも取り上げられて いますが、まだ歴史が浅く、残念ながら、制度化には至って おりません。  又、東京では、都教育委員会とも話し合いを重ねて います。それで、制度化されるまで当面、学校運用とし て、労働面、精神面、障害上、必要な機器の導入を認め p.49 る確認を得ています。 私も障害一級の認定を受けている者で、現在、家庭科専 科をしております。五クラス、計十時間、クラブ、校外班 委員会、看護当番、校外学習の引率などは免除されて います。 東京とは状況が異なる面は、あるとは思いますが、貴校の 黒木美春教諭についてのお願いがあります。 黒木教諭の件については既にご承知かと思いますが、同じ 一級の障害認定がされています。多々、ご配慮を戴いて いるかと存じます。深く御礼申し上げます。が定例会 などで聞くところによりますと、家庭科の他に習字、委員 会においては図書を担当とか。  家庭科だけでも領域が広く、しかも準備、後始末は 担任が想像している以上に、時間もかかり、重労働です。  その上、衛生、安全などの神経も使いますし、かなりの専 p.50 門性が要求されます。又、各担任の学級経営に応じての 対策も考慮しなければなりません。  地味な教科の割に時間と手間が掛かります。  更に習字、これも研修なくしては遂行できない実技教 科です。  委員会の図書も子どもの協力を得たとしても本の選 定、購入、修理、借し出しなどの常時活動、加えて重い 本の移動などもあります。  他の専科との持ち時数のバランスを考えても一教科と二 教科の担当では、時数だけでは、比べられない負担があり ます。  私も障害者になる前に三年生の図工を六時間教えて いた経験があります。普通に考えても障害者が担当 するには、重労働であるということから、図工はなくなり ました。 p.51  内部障害者は、外見上は、健常者と何ら変わりなく 見えますが、内臓疾患なので、体の疲労度は、二倍にも 三倍にもなります。しかも多種の薬の服用により、 様々な副作用に苦しんでいます。  この様な状態が続くと精神的にも肉体的にも余裕 が無い状態に陥ります。  障害を持ってしまった教師は無理を承知で命の危険 をも顧みず頑張って働かなければならないのでしょうか。 健康な人にとっても今の職場は、ゆとりが無く、きつい状 態です。  そこで来年度に向けて、黒木教諭の仕事量及び内容 について校内運用という形で、もう少しご配慮いただ けないでしょうか。そうすれば、本人にとって、ゆとりが出 てきて、子ども達にも良い影響が与えられるでしょう。 校内事情も顧みず、勝手なお願いですが、ご検討 p.52 いただければ、本人にとっては勿論のこと会にとっても大きな 励みになります。  尚、当会の会報を一部同封しました。どうぞ、当会の 運動にご理解をいただき、ご協力の程、よろしくお願 い申し上げます。  2/24                    敬具 「障害を持つ教師と共に連絡協議会」 代表 大葉 利夫 内部障害担当 荘田美智子  学校長様 p.53 生徒への責任こそ、人生の生きがい 山口県立小野田工業高校 作花 育雄(さっか いくお)  平成5年度も始動したばかりの4月11日(日)朝、大里様から突然お電話を いただき、西日本ブロックの世話をしていただけないだろうかとの依頼を受 けた。他人様のお世話など苦手な私だが、即座に「O.K.」の回答...  私は生徒数定員が1000名(全日制840名、定時制160名)の山口県立小野田 工業高等学校機械科の教諭である。小野田といえば、セメントの街で有名だ が、人口も少なく私は隣接する宇部市の郊外から自動車やパスを利用して 通動すること21年間にもなる。前任校は下関工業高校だった。下関や小野 田、宇部は瀬戸内海沿岸に位置しており、海から内陸へ5kmも入ると深い山 々におおわれている。こんな環境に育った私は、小さいときから「魚つり」 や「マツタケとり」に精を出し勉強はあまり好きではなかった。自宅から直 線拒離で300mも歩けば瀬戸内海だ。海へ行けば、バケツー杯のアサリ貝を 取ることは簡単だし、500m山間部に入れば川でシジミ貝を沢山取ることも できる。また、私が所有する船はMARCHという名前で、趣味と実益が一 致し、夏にはキスゴ100匹、冬、早春はカレイ・アブラメ(アイナメ)・メ バルがこれまた100匹程度。カレ・アブラメは30cm程度だ。信用していた だけないかな?その他タチ、イイダコ、アジなどが沢山釣れるが、やはり前 述のように100匹以上と申せば天下一級の嘘つきと笑われるかもしれないが それはそれでいいとして、やはり本当の話だから私も職業をあやまったのか もしれない。もともに私は、ファイトに燃え、酒豪でもあった。  こんな私が虫歯の治療が原因で、心臓にウイルスが侵入し、結果として、 大動脈弁、僧房弁の2弁が人工弁となり、一級一種身体障害者となってしま って数年~。あの頃を思い出すと今でも涙が流れ、月夜の海岸で波の音を 聞きながら泣く。気力を失ってしまったなぁと思う。もともと42.195 km走が趣味だったので、世界一のビッグ・マラソン大会ニューヨーク・シテ ィー・マラソン、その他国内のマラソン大会に出場したりして、自暴自棄に なっている自分自身に「カツ」を入れてみた。42.195キロを3時間台で走れて いた私も、今では歩くだけで、このことを考えるととっても悲しくつらい。 やるせない時には、秋芳洞(秋吉台)や明治維新のふるさと山口県萩市など へ一人旅をすることも多い。私の平素の姿を見て、他人様は、私がつらく、 悲しく、るせない気持ちいっぱいで生きていることなど想像もつかないだろ うと思う。  我が人生の終演は、私が完全に生き甲斐を時だろう。これは仕事、遊びひ p.54 とすじに生きてきた男の宿命にちがいないと考えてみたりもする。だから人 生がつらい。逃げだしたい気持ちだが、それを達成するには、死しかない。 そんな逃避の手段としての「酒」。こんな自分を夫、父とする妻子がかわい そうでもある。  出勤すれば、機械科(定時制生徒を含む)13学級のチーフ、スナワチ、 機械科長だ。私は障害者だからといって仕事を免除していただくことは嫌だ。 (このことばは誤解を招く言葉かもしれないかな。)障害ゆえに無理な仕事 をしないことは当然のことだ。私の場合は、健康、すなわち遊び、職務専念 と信じている。  我が居住地域には、国立病院、国立医大、県立病院、民間大病院が点在し、 恵まれているし、海あり、山や川の自然も豊かで変化に富んだ地域でもある。 これから後の人生、障害者ゆえの幾多の苦難があろうかと思うが、それに負 けず、打ち勝って前進したい。私には持ち前のファイトがあるし、機械科9 (定時制4)学級の生徒への責任があるのだから。この責任こそが我が生き 甲斐でもある。体調と相談しながら無理のない範囲で職務に専念しないこと には、生きていることへの価値観さえも見失ってしまいかねない。今では、 毎日般若心経を唱えて人生を模索している。そうしないと生きていけないほ どの悩み、苦しみを解決できない。これもまた我が人生、おもしろいことだ。 この命つづくかぎり、体と相談しながら、精一杯生きたい。充実した毎日を 送ることこそ、今の私にとって最良薬と信じるようになった。 (追伸) ①我が校には3名の障害教員がいます。(A氏一級、B氏三級、私 1級) (表面的にはみんな元気に働いております。内面的にはいろいろと 悩みは多いようですが。) ②夏休みには、お揃いで山口県の海に遊びに来てください。教員海 の家は宿泊料無料です。 ③4月11日に急に原稿依頼がきましたので、妻に手伝ってもらい 書きましたので、不備な点もあるかと思いますが、よろしくお願 いします。 自宅 (郵便番号)755-02 山口県宇部市東岐波(ひがしきわ)区岐波(きわ) TEL 0836-58-2889 作花育雄(さっかいくお) 勤務校:(郵便番号)756 山口県小野田市中央2-6-1 TEL 0836-83-2153 県立 小野田工業高等学校 p.55 東京私教連へ申し入れ「私学で障害をもちつつ 働く教師よ、 共に頑張ろう!」 城北学園 斎藤 昌久 ◇ 3月9日(火)大葉、宮城、丸山先生と私の4名で、竹橋の日本教育会館内 にある東京私教連(=東京私立学校教職員労働組合連合会)に内藤書記長 を訪ね、申し入れを行いました。申し入れの内容は、現在 「障害」 をもち ながら働く教師は、様々な困難を抱えながら教壇に立ち続けたいと願い、 それぞれの職場で、闘っている。私達「障」・教・連の仲間たちは、こう した教師が結集して、健常者、ボランティアの協力、理解を得ながら、「 心が見える」教育をめざしたいと思っている。しかし、私達の思いとは裏 腹に、思い半ばにして退職や休職に追い込まれる教師が多いのが現状だ、 特に、私立学校で働く教師で「障」教連に参加しているのは、数名にすぎ ない。これは、私立の場合、障害が起きた時点で、退職するか、せざるを えない状況に追い込まれるからではないのか?もし、いまそのような状況 に立たされている先生がいたとしたら、情報を流して、退職しなくてもや っていけることを報せなければならない。私教連加盟の組合に照会して障 害をもつ教師をさがしてほしい。」 ◇ 内藤書記長に面会して申し入れた概要は以上のとおりです。申し入れ書 は別枠を見てください。内藤書記長は4月の中央執行委員会で諮ることを 約束してくれましたが、私立学校の場合は、当該教師が外に名前が出るこ とを憂慮することもあって、私教連の中央から照会があっても、なかなか 見えにくいところもあると思いますが、今のような少ない状況は、労働条 件や職場の民主化の進み具合などを勘案すると、やはり、孤立した状況の 中で教壇を去ってしまう事例が多いのではないかと思う。 ◇「障」教連や視労協が、今まで都の教育委員会と行なった交渉の中で明 らかになったことは、障害をもった教師を、個々の事例に応じて援助をす るのではなく、画一的に「特別措置教員」か休職、転職、強制的配転の処 置をとっており、労働省が指摘するところによれば、障害者の雇用率がも っとも低いところである。公立学校の現状がこんな状態であるところを見 れば、私立学校は推して然るべしだろう。 ◇ 現在は、「私立学校ブーム」である。東京にある私立学校は、生徒数の 急減期に突入して、その乗切に全力を投入している。そのための設備投資 (新校舎の建設、0A設備の充実など)に拍車がかかっている。当然、そ のしわよせを受けるのは、教員である。進学率にノルマがかかり、労働条 件も悪くなる、健康管理も並大抵ではない。教員の高齢化も顕著で、校務 p.56 の分担が若い先生方に重くのしかかる。文部省の「ゆとリ」ある教育は、 なかなか望める状況ではない。教員間の協力も捗捗しくない。そういう状 況の中で私達障害をもつ教師が、同僚教師の援助や労働の適正な軽減を要 求しながら教壇に立つ事は困難かも知れない。しかし、別の見方をすれば 、そういう障害教師を中心に労働条件を改善していかなければ、私立学校 の教育労働条件の改善への展望は開けないのではないか。生徒の立場から 見ても、多忙で劣悪な教育環境の中で、若い生き生きとした、明るい未来 の道が閉ざされていくことにもなりかねない。 ◇ 私はこの4月から、丸山先生から発破をかけられて、ブリッヂ員になり  ましたが、 自分自身、職場復帰したものの、まだ教壇に立つことを認めら れていない。なにが出来るか心許ないのですが、一歩踏みださなければ何 も前進しないのだと、心に言聞かせて、自分の環境の改善と当該教師の皆 さんのお手伝いをしていきたいと思います、 (校正者注:以下、手書きの文書が掲載されている) 教職員組合委員長殿 東京私立教委員組合連合 障害を持つ教職員の件について 拝啓 組合員の方々には、御健勝にお過ごしのこととお喜び申し上げます。 さて昨年までの10年間は「国際障害者年」でしたが未だに障害者をとり 巻く状況は決して良好なものではありません。私達の教育現場にお いても(校正者注:「いても」に二重線) いても、障害を持つ教職員にとっては、必ずしも働き易い職場とはな っていないのではないでしょうか。そこで皆さんの職員に障害を持つ教 職員の方がおられては「障害を持つ教師と共に連絡協議会」(代表大葉利夫(校正者注:「大葉利夫」に二重線) 大葉利夫 東京都府中市 0423-62-7776) の会員の方々とも力を結集し、身体保障、働き易い職場づくりのための運 動をして行きたいと考えております。  これからの※(校正者注:※判読不能)を御理解の上、下記事項に御記入戴き東京私教連本部まで 御返送下さい。敬具 キリトリ線 学校名 障害を持つ方の氏名 住所 電話 障害の内容 p.57 共に・会員からのメッセージ 的野 碵郎 前略  早いもので「障」教連が出来て1年と7力月となりましたね。発足時のみん なの生き生きとした顔が、目に浮かびます。職場で孤立無援を強いられる中、 それぞれの抱える悩みやきつさを訴えて、どうにかして欲しいと思ったのです よね。「要配慮教員」の問題は、未だにどうにもなっていませんが、会はそれ なりに、代表を中心に動いて来ましたね。でも、あの発足の時「みんなでやれ る」と思ったのですが、いつのまにか限られた人達だけになったみたいですね。 会員数はとっくに100を越えているのに「みんなが、いなくなってしまった」 ような気がします。  定例会や、事務局会議や、合宿に参加できにくい会員のみなさん、今、どん な問題を抱えて、苦闘されているのでしょうか?「障害保障制度」の原案も、 東京都の教育委員会に出しましたよ。来年度は、署名活動を展開するという話 も出ています。みんなで一緒に署名を集め、障害をもつ教師の現状を訴え ましょう。そして働き続けられるよう1日も早く制度化させましょう。  代表もあっちこっちと走り回り、電話をかけ、ほんとうに粘り強く会を動か しているのが、ようく分かります。でも代表1人ではとてもとても賄いきれま せん。それぞれが先ずは痛みを共有化し、差別を許さない立場に立って、頑張 るしかないと思います。僕は共に・会員ですが、決して奉仕だけするボランティ アでもありませんし、ごりごりの活動家でもありません。単なる酒好きの視覚 障害者です。でも差別される人の痛みは100パーセントとは言いませんが共 有化できると思っています。  会員の中には正直言って、死と背中合わせに働き続けている人もいるようで す。「みんなで」頑張るしかないと思います。それぞれの体力や健康状態に合 わせ、出来ることをやるしか、当たり前に働くことを勝ち取ることは出来ませ ん、誰かがやってくれる会でも、仕方がないでもありません。僕は生意気なこ とを書いているのかも知れませんが、今この局面を切り開くのは、障害をもっ p.58 た教師自身しかいません。ほんのちょと無理をしてほしいと思います。やっば り生意気をいっていますね。 「要配慮教員制度」問題、「障害保障制度」の実現に向けた署名と交渉、直 面する個別踝題の交渉と、当該の日々の闘いと、どれを取っても逃げ出したく なるようなことだらけです。歯を食いしばりましょう。歴史をつくるのは我々 なのですから。  時々息抜きもしましょう。どんな方法で息抜きするかも???これまた課題 かも知れませんね。  地方で孤立している人、「障」教連にも入りにくい人、是非声をかけてくだ さい。そこから始めましょう。  やたらとかっこ付けて偉そうに書きましたが、共に生きようとする僕からの メッセージです。  会える日を楽しみに、乱文乱筆にて。 p.59 新しい会員からの手紙 この度、大里暁子先生の紹介で「障」教・連に入会致したく申し込みます。 私自身も内部障害者として、共通の悩みを抱えながら幾つもの厚い壁を乗り越 えていかねばなりません。皆様の仲間入りをさせて頂く機会に、さらにこの出 会いを通じて多くの事を学ぶことが出来れば幸いに思います。宜しく御教導下 さいますようお願いいたします。  堤信二 いよいよ新しい年の始まりです。 会費だけの参加で、御苦労を共にされてる会貝の皆々様には、大変心苦しく申 し訳なく思って居ります。 この度のSSKA增刊「障」教・連だより。 93年1月創刊の中より、 「自らの苦しみが有れば、それ以上の苦しみを持っている仲間がいる事実を無 視することは出来ない」 この言葉が代表の会を発足させたすべてではなかったかと思い、大変感動致しました。 特に、当該会員の皆様には健康が何寄りと思いますので、呉々もお体を大切に 目的に向かって頑張って下さい。  M・M p.60 編集後記 宮城道雄  「障」教・連便り第2号が発行の運びとなりました。60ページにも なる厚いものです。これも、年度末で各取組の区切り目に当たり、報告 しなければならないことが沢山あったからです。かなりの努力の後や成 果も見られますが、問題点や不充分な点も残され、これからの「障」教 ・連の力強い活動が要請されているようです。  さて、会も徐々に大きくなっていますので、できるだけ会貝の声を機 関紙に載せたいと思います。編集委員会では各地方からの会員の声を必 ず載せることにしました。九州、中国地区の声めまとめ役担当を作花さ んに引き受けて頂き、今回は作花さん自身に書いてもらいました。これ からは、皆の手で機関紙を作り上げましょう。  機関紙の名称が「ひとすじの白い道」と決定しました。大葉さんの巻 頭記に書かれていた言葉です。「障」教・連のあらゆる活動のすべてが 白い一本の道すじとなって残されて行きます。なかなか素晴らしい名前 がついたと思います。会の活動も徐々に充実してきて、掲載しなければ ならない記事も沢山出てきそうです。自分の書いた記事を載せたいとい う意欲的な人も出てきています。皆さん、「障」教・連便り「ひとすじ の白い道」をいつまでもどこまでも大切に、大切に育てて行きましょ う。  尚、「障」教・連便りにはテープ版、点字版もあります。 編集委員会 編集委員  坂西 ひとみ       丸山 隆       宮城 道雄       森谷 良悦 印刷、製本 鈴木 恒代       和田 安里子 (校正者注:「編集委~安里子」四角囲み) 裏表紙 「障」教・連だより ひとすじの白い道(校正者注:「白い道」大文字) 1993年5月 創刊第2号 編集:「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 〒183 府中市朝日町1-15-26大葉方 TEL 0423-62-7776 郵便振替 東京2-707824 定価 300円 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日発行 SSKA通巻第2096号 1993年4月26日発行 発行所 東京都世田谷区砧6-26-21 身体障害者定期刊行物協会