表紙 SSKA増刊・障教連だより ※(仮称)「障」教・連便り 1993年1月創刊 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 編 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日発行 SSKA増刊通巻第2045号 1992年12月23日発行 p.1 目次 ☆「ひとすじの白い道がある」 巻頭と基調…大葉利夫 P2 ☆教員にかかわる人事上の配慮に関する要項…資料1 P10 ☆会発足時の呼び掛け…資料2 P12 ☆障害保障制度がなぜ必要か…大葉利夫 P13 ☆障害保障に関する要望書…資料3 P14 ☆東京都教育委員会交渉のまとめ…坂西ひとみ  P17 ☆雇用促進法―教員の場合―…坂西ひとみ  P19 ☆障害抱えつつ教壇に(朝日新聞の記事から)…資料4 P20 ☆「大里問題」の経過報告…大里暁子 P22 ☆この一年を振り返って…荘田美智子 P26 ☆「障」教連の賛同者と会員を増やそう…尾崎裕子 P28 (会員から読者への手紙) ☆障碍を持っても働ける社会を…小山峰広 P31 ☆つぶやき…関幸子 P32 ☆弱視者問題研究会に参加して…丸山隆 P34 ☆春風…黒木美春 P36 ☆会則…P38 ☆編集後記…宮城道雄 P40 p.2 「身体障害者定期刊行物」取扱い記念・創刊号巻頭記 「ひとすじの白い道がある」 我々の目の前には、我々の目的に向う白い道がある。我々の歩む足跡 がそのまま白い道に残される。我々の歩むすべてが残される。 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉利夫 (都立東村山高等学校数学科教諭) 【T】創刊にあたって いよいよここに記念すべき創刊号の発行となりました。前身である 「全国視覚障害教師の会・東日本ブロック便り」を90年11月発刊してか ら早くも2年余の月日が経過しました。その間に様々な展開がありまし た。視覚障害以外の、「障碍」 (身体障害及び慢性疾患等)を持つ教師と の強烈な出会いでした。その結果、「障」教・連の結成を見る事になり ました。関東で一人砂漠地帯を歩いていた私に多くの仲間が出来まし た。新たなる覚悟で「障」教・連の名の下に、「障碍」を持つ教師の真 の存在意義と可能性を確立する運動が、確実にしかも厳しい現状の中で 歩み出しました。この運動の成功の為、新しい機関誌「障教連だより」 が大いに活躍してくれる事を願わずにはいられません。会員相互の交流 ・社会への啓発・支援理解者の拡大等、書き上げればきりがない目的と 役割が本機関誌の使命と言えましょう。 どうか会員の皆さん。それぞれの目的に思いをはせさせて育て上げて 行きましょう。 中途であろうが新規であろうが、「障碍」を持つ教師が安心して教壇 に立てる日が来る事を願っています。 尚、この巻頭記は、92年夏季合宿の基調報告に手を加えて完成した p.3 ものです。 【U】「障」教・連の過去・現在・未来 1.発足までの軌跡 @1989年=新しき出会い= 私は、89年1月に視覚障害認定を受ける。当然の苦難が待ち受けて いた。親しい同僚の励ましを受けつつも、それだけではどうにも解決出 来ない「障碍」があった。生徒が見えない、教科書・書類が見えない、 眼精疲労が激しい。 「普通に出来ないなら休職だ」、「早く転職の道を考えよ」、「障害 が知れたら都教委が何と言うかわからないぞ」、「医者を利用して本人に 退職させる動きがある」、「生徒に障害が判らないように授業をやれ 」、「親や生徒からクレームがついたらどうする」、 「所詮障害者が普 通校で教職を続けるのは無理だ」等々、数え上げられない壁が次々に現 れてくる。 一つだけハッキリしていた事は、私は全盲になっても教師をやめない という事であった。その信念がどこから生じたのかは、別の機会に譲り たい。しかし、その一念を貫き通すことは先述のように容易では無かっ た。 私としては当初より次の四つの点について職場に要望を出している。 ア.持ち時間の軽減。 イ.拡大読書機や音声ワープロ等の公費購入。 ウ.ワークアシスタントの校内導入。 エ.通勤時間の短縮。 以上の要望を組合に相談していくのが道理であろう。しかし、相談は 遅々として進まず、個人的に管理職と直談判するしかなかった。その結 果は、都教委の管理下にある我々の身分的立場と、現行制度の壁を知る ことになった。また、「障害」を持つ者が勤務を継続する為の制度が無 p.4 い。 89年の秋になりようやく様々な動きを取る中で、視労協・全国視覚 障害教師の会・都高教有志との出会いができた。それらの支援を受けつ つも、管理サイドの対応は前述の立場を崩さず「職務継続」に困難が続 いた。しかし、制度に無い「持ち時間の軽減」が継続的に実現されるこ とが可能になった。「一人では実現出来ない事実」である。また、この 頃多くのボランティアの方々との出会いも出来た。 A90年=他の障害教員と出会う= 自らの可能性を求めて各地を歩くうちに「他の障害を持つ教員」と知 り合うことになる。内部疾患・外部疾患と簡単には区別出来ない「障 碍」が有ることを痛感する。視覚障害者を支援する運動団体は確かに多 いが、教師問題となると難しい。他の障害教師は支援団体となると、ほ とんど無いことを知る。共に、教師として共闘していきたいと考えたが 力不足で無理と判断(夏)。 取り合えず、視覚障害教師の結束をしていく事になる。そこで「全国 視覚障害教師の会・東日本ブロック便り」を発行して、仲間への呼びか け支援理解者の拡大に踏み切る(秋)。 その効果が徐々に現れ視覚障害教師の仲間が関東で増えてくる。 B91年=本会の発足へ= そんな折、例の「特別措置教員制度」(資料参照)に適用され、「授 業ゼロ・分掌ゼロ」の問題が発生(春)。さらに、全国視覚障害教師の 会、夏の合宿及び公開シンポジウム東京開催と重なり仲間が増加。しか し、ここで他の仲間には具体的支援も無ければ、問題解決の場も無い事 を改めて痛感した。幸い私には支援者が多くできたが、その力を拡大発 展させる事はできないだろうか。 1年間視覚障害に限定して運動して来たが、「視覚障害に特定しな い」会を作る以外無いと判断。自らの力は弱くても支援の力を合わせれ ば可能性は出て来ると信じた。自らの苦しみが有れば、それ以上の苦し p.5 みを持っている仲間がいる事実を無視することは出来ない。 視労協・全国視覚障害教師の会・都高教有志その他の方々の温かい理 解を得て、10月19 日に会発足に向けて「呼びかけ第1弾」のビラの 発送に着手。無論、資金源は全くない、ともかく無理はあるとしても実 行に移す。 2.結成から今日まで ○91年9月 「仮称:諸問題を抱える少数教師と共に・連絡協議会」として呼びか け開始。(資料参照) ○91年10月 第1回の呼びかけで当該会員8名、共に会員12名を会員として得る ことが出来た。一人への支援の力が8名に拡大されたのである。しか も、現実問題を定期的に話し合う場所が出来たのである。会の組織など は、白紙状態であった。取り合えず、呼びかけ人となった私が会の代表 を命じられた。取り合えず書記と会計を決める。会費92年3月迄千円 とする。ちょうどこのとき、大里さんの復職時期に当り具体的意見がか わされたり、特別措置教員の問題が話し合われた。高円寺社会教育会館 にて。 ○91年11月 第2回定例会高円寺社会福祉会館。このとき、呼びかけビラが朝日新 聞社Sさんの目にとまり取材が入る。「特別措置教員制度原文入手」 この時あり、議論は熱気を帯びた。会員も数名加わる。2時からの定例 会は、7時すぎまで続くロングランであった。朝日のSさんには会場作 りまで手伝ってもらう会の素朴なあつかましさも出て楽しかった。大里 チームを作る。二次会が懇親会として定着し、当該・共に会員の遠慮の ない親しさが生まれてくるのを感じる。本会の正式名称決定。会場費 p.6 が、会費を侵食する事に危機感。会場を探すのに苦労。 ○91年12月  第3回定例会。日本点字図書館。忘れもしない忠臣蔵12月14日、 その日であった。定例会の会場に向う以前に、私の家の電話は鳴り響 く。研修日で家で対面朗読を受ける日であったが、朗読そっちのけの朝 であった。「朝日新聞朝刊」に本会の掲載があったからである。(資料 参照)当日は、第一回「学習会」として「労安法」について中川さんに 講師を勤めてもらう。17時の時間制限に不満。もっと時間を。 〇92年1月  点字毎日より原稿の依頼があり、新年号に本会の紹介記事が掲載され る。  「朝日新聞」からの会員急増。今後の会の運営方向を含めて11日に 臨時定例会。多摩障害者スポーツセンター。「当面の確認事項」をまと めとりあえず「会則」とする。  18日、新しき会員と初の定例会。お互いの情報交換で時間の足りぬ 定例会どなる。飯田橋セントラルプラザ。 ○92年2月  再び、定例会を高円寺社会福祉会館にて開く。夜7時を過ぎても新旧 会員の情報交換が終わらない。途中で倒れる会員も発生。改めて「障 害」の範囲の拡大の中での会の運営に一考を迫られる。  組織的運営の為の基盤を考え出す。また、大里さん次年度の身分的問 題で、ほとんど毎週の様に本会と視労協と合同会議を持つ。 ○92年3月  定例会、中野区民センター。春のミニ合宿開催、東京都勤労福祉会 館。大里さん問題では視労協を含めた都教委との交渉が入る。都教組に も協力を依頼。荘田さんの異動間題では、品川区教委にも出向く。事務 p.7 局体制の整備に走る。 ○92年4月  新体制発表。  定例会にて、現行の組織と係分担の原案と修正。第2回学習会、雇用 促進法について、講師奥山さん。港区勤福。ようやく事務局体制が作ら れる。しかし、有機的動きはまだ取れない。また、ブリッジ(事務局) 会議もスタート。 ○92年5月  定例会で初めて障害ブロック別会議を実施。時間の短縮と「障害保障 制度」確立への具体的討議に入る。日点。当該会員に「基礎データ作成 アンケート」実施。また、NHKよりTV番組作りへの正式なプランが 提起される。無論番組へのGOは局内での会議で決められる事になり流 動的。「突然カラオケ大会」。 ○92年6月  定例会を都障福で開催。さらに「障害保障」についての全体討議を進 める。NHKの下取材が入る。 ○92年7月  視労協との「障害保障制度へ向けて」の合同会議が開かれ制度の大枠 を確認。「夏の合宿」でさらに肉付けし、8月には都教委に交渉を求め プロジェクトチームを作らせる予定で作業を続ける。 夏季合宿及び総会。NHKTV番組9月〜12月制作開始に向けて検 討作業。 ○92年8月  ブリッジ2回、合宿の反省と今後当該者のアンケート集計と障害別 ブロック担当に当該者の割り振りを明確にする。 p.8 定例会、飯田橋セントラルプラザ内千代田区市民集会室初登場、主に 今後の取組方を中心に話合い、NHK取材。  都教委に「人工透析者の立場から」を前面に都教委に2回出向く、透 析者勤務時間内通院の保障を求める。  有志カンパにより山口県の会員に会い、今後の連携について話し合 う。  レク:残暑払い会 ○92年9月 ブリッジ2回、視労協と「障」教・連と、それぞれ別々に「障害保 障」制度化の要望書を提出する事に決定。取り急ぎ草案をまとめる。  定例会、飯田橋。「透析患者の立場から」集中討議。NHK取材。 「透析患者からの訴えビラ」の作成と配布開始。 ○92年10月 「障害保障要綱」完成。定例会、飯田橋セントラル。 ○92年11月  NHKモーニングワイド全国放送(19日)  JBS(日本有線福祉放送)放送  ブリッジ、定例会 ○92年12月  都教委へ「障碍保障要項」提出及び話合い  間・Kさん問題の取り組み開始  ブリッジ、定例会、忘年会、忘年旅行 3.主な流れ @91.10〜91.12 視覚障害者を中心とした創世記。 p. 9 A92. 01〜92. 03 「障害」の拡大。会員の拡大。 B92. 04〜92. 07 会の基盤作りと今後の取組方のまとめ。 C92. 07〜具体的動き。 4.主な取り組み @「特別措置教員制度」からの脱却 A人工透析の通院保障の実現 B都教委、組合、マスコミへの交渉及び働きかけ C「障害保障制度」具体化 D会員相互及び他団体との交流 E定例会(毎月1回)、ブリッジ会議(毎月1回以上)、ブロック会  議、学習会(2回)、合宿(春、夏)。個別問題会議 F会員通信発行。黒板版、点字版、テープ(準備中)、91年度は、7  号。92年度は、現在までで15号。 G懇親会。レクレーション(5月カラオケ大会、残暑払い)。音楽劇 (予定)。忘年会、忘年旅行 5.今後の課題 「障害保障制度化」への取り組みと平行して、「直面している当該 者」の問題解決に力をそそいでいる。その為には、本会が当該者の集ま りであり、各自の力の発揮と仲間での分担による負担が多く有ることを 意識しつつ、末永く辛抱強く会の目的に向う事が必要である。他の団体 支援グループとの連携も忘れずにいきたい。ただし、会全体が膨張して いるだけに、「会員結束」 の大切さをどこまで維持していけるかが、む しろ問題解決への大きな鍵となるであろう。 p.10 「障」教・連資料No. 1 ●これが「特別措置教員制度」の原文● 1991. 11. 03. SUN.(10. 28. MON. 入手) 教員に係わる人事上の配慮に関する要綱 (目的) 第1 要綱は、東京都公立学校において、本人自身の原因により児童・ 生徒を適切に、指導できない教員に係わる人事上の配慮について、必 要な事項を定めることを目的とする。 (用語の定義) 第2 この要綱において要配慮教員とは、東京都公立学校において、指 導力不足及び精神・神経系疾患等により児童・生徒を適切に指導でき ないため、特に人事上の配慮を要すると決定された教員をいう。 (人事上の配慮の内容) 第3 第4に規定する申請者は、要配慮教員に対して、学校等において 適切な指導者を付け、指導計画を作成し、そのもとに指導を行うもの とする。なお、精神・神経系疾患等による要配慮教員については、健 康管理及病気の治療についての指導を併せて行うものとする。 2 要配慮教員は配当定数外とし、他の教員を配置する。 (人事上の配慮の申請) 第4 人事上の配慮を要すると思科される教員については、区市町村立 学校の教員にあっては、当該教育委員会委員長が校長からの調査をも とに様式1により、都立学校の教員にあっては校長が様式2により、 東京都教育庁人事部長(以下「人事部長」という。)あて申請 するものとする。 p. 11 第5 人事部長は、第4の申請に基づき、人事部長及び関係課長で構成 する判定会の審議を経て要配慮教員を決定し、申請者に通知する。判 定会の設置については、別に、定める。 2 要配慮教員の決定は、原則として教員の定期異動の時期に合わせて 行う。ただし、緊急を要する場合はこの限りではない。 3 決定の期間は、原則として1年を単位とし、2回まで更新すること ができる。 (要配慮教員の現状報告) 第6 申請者は、要配慮教員に関する状況を、様式3により人事部長あ て報告するものとする。 (決定の解除) 第7 人事上の配慮が必要でなくなったと思科される場合は、申請者は 第4の手続きに準じて要配慮教員の決定の解除を申請するものとする。 2 決定の解除については、第5の1の規定を準用する。 (その他) 第8 この要綱の実施に関し、必要な事項は人事部長が定める。 附 則 この要綱は、平成3年4月1日から実施する。 p. 12 「障」教・連資料No. 2 (仮称) 「諸問題を抱える 少数教師と共に 連絡協議会」発足のお知らせ 呼掛け人:都立東村山高等学校 教諭 大葉利夫 他  私の様に、例えば視覚障害者であれば、教師として職場の中では本当 に希少な存在であります。職場の壁を超えた多くの方々の御協力によ り、何とか障害発生後3年間を乗り越える事が出来そうであります。し かし、やはり職場では少数、いや一人の存在であります。従って、色々 な困難が常に襲って参ります。しかも、見聞を広げていけばいくほど そのような各職場で一人孤立、無支援状態にある仲間がいることがわ かって参りました。一人、つまり点のままで無く、点と点を線で結び ネット化するとこにより力づけ合うことが必要です。しかも、当該者以 外の理解ある人々と共に、困難な問題を考え解決に向けて共に力を合わ せる事は、ネットとネットにさらに強い絆を付ける事に他なら無い事だ と信じます。特に、私自らの経験がその実感を得ています。  今、教師の職場では視覚障害に限らず、生活することをも含めて一人 の問題を抱えて孤立している教師が沢山いると聞きます。是非、当該者 だけでなく、教師だけでなく、この現状に共に考えて行動する人で語り 合える場を作りましょう。今のところ、全国視覚障害教師の会の当該教 師の中からも積極的に参加したいとの声を聞いています。是非、多くの 方々の参加をお待ちしています。参加者が「会員」となって会を作って 行きましょう。 ○発足日時  91年10月19日(土) 午後2時〜5時 高円寺社会教育会館 ○毎月、第3土曜日定期的に開催予定。 連絡先:〒183 府中市朝日町1-15-26 大葉利夫 TEL:0423-62-7776 p. 13 『「障碍」保障制度』が何故必要か 大葉利夫 1.1992年12月2日 私達は、『「障害保障」に関する要望書』を都教委に正式に提出。約1時間 に渡り交渉を持った。本要望書の実現、すなわち「制度」確立は当該教師に とって非常に大切であり、かつ急がれます。取り合えず今回は都教委というこ とですが、今後公立・私立を問わず全国の教育現場に「制度」を実現していく 運動をしていかなければならない。 尚、「障碍」を身体障害・慢性疾患等と広義的に本会は使用していますが、 今回の要望書提出に当っては混乱を避ける為に「障害」を用いる事にした。 2.何故『「障碍」保障制度』なのか 「障碍」を持つ者は、「障碍」を持たない者とは一部の例外を除いて「障碍 保障」がなされて、初めて対等な立場で共に生きられ働けるのである。 現行制度ではあくまでも病気・怪我が回復し、「障碍」が無い立場で働ける 様になるまでの内容であり、回復しない「障碍」に対しては何一つ対応できる 制度は無い。そればかりか、91年度から都教委は、本人の意志・了解も無く (少なくとも今までは、いかなる時も本人の「診断書」をもとにした申告制で あった)管理職側が一方的に適用できる「教員に係わる配慮(排除?)に関す る要綱」、いわゆる「特別措置教員制度」を施行し、我々に不当に適用し、身 分的危機と人権を無視した行動に出た。私達は、自らの立場で自らの為に自ら の「制度」を作る為に立ち上がったのである。 当該者を取り巻く「障碍」には、大まかに大別して2つあると思われる。 @「障碍」に応じた労働環境が無い。 A「障碍」を持つと差別される。 すなわち、あるのは「障碍」を持たない者を100とした基準のみであり、 実際には出来る事と出来ない事があるが、その事を主張も実行もする事が出来 ず、100パーセントのノルマをこなさなければ止めざるをえない。しかし 制度的に保障されるならば、その人の実態に合った無理のない職務の遂行が可 能になる。また、『「障碍」があって出来るのか、「障碍」があったら不安 だ。』と決めつけられ、本人が「障碍」を持つ中で職務を遂行したいと願って も、その努力をする機会を与えられる事無く、職場を追われてしまう。 『「障碍」保障制度』は物理的な面と精神的な面を根本的に改善させ、教職 の継続とノーマライゼーシヨンの徹底を実現する為に欠かせないものである。 p.14 「障」教・連資料 No.3 1992年12月2日 東京都教育委員会委員長 石川忠雄殿 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代表 大葉利夫 「障碍保障」に関する要望書 本会は,「障碍(しょうがい)」 (身体障害及び慢性疾患等)を持つ者が教育 現場で働き続ける条件を確立することをめざして結成され、その目標達成のため に活動を始めているところである。 1981年の「国際障害者年」を契機として、世界各国でその理念の実現をめ ざした具体的な施策が進められていることは周知のとおりである。一方、わが国 における具体的な施策はまだまだ不十分であり、一部を除いて具体的な成果はほ とんど見られていない。特に,教育現場における「働く障害者」の立場は、この 10年間職務内容が多様化された上、行政の具体的施策が全くないために、より 厳しい状況となっている。このままでは、働き続けることは限界にきていると言 わざるを得ない。 ノーマライゼーシヨンの意義と実現が世界的に叫ばれている今日、日本の教育 現場においては、障害を持つ者と持たない者が共に働き共に学び会うこと(共 生)・障害者の完全参加と平等、等々の理念の実現に向けてどのような取り組み が行われているであろうか。残念ながら、そのための施策はほとんど見られない というのが現状である。 私たちは、ノーマライゼーシヨンの理念の実現のためには、明日の社会を創る 基となる教育現場が真に共生の場となることが大切であると考える。そのひとつ の具現化が障害を持つ者が教育現場で働くことに他ならない。 しかしながら、障害を持つ者が持たない者と対等に働くためには、労働の量や 配置等に関して何らか施策が必要であり、障害を持たない者と同様の基準を設 けることはできない。 p.15 以上の観点から、私たちは、障害等を持つ教員(身体障害及び慢性疾患等)に 対して、その障害に応じた労働条件の改善(障害保障)がなされるよう、下記の 「障害保障制度要綱」の早急な具体化を貴東京都教育委員会に要望する。 1.「障害保障」の基本理念 @当該者がその障害に応じて働けるようにすることをめざす。 A当該者の意思が十分に生かされる保障内容にし、一方的な判断を行わない。 B保障を受けることが当然の権利として位置付けられること。 C保障を受けることによる賃金上・身分上の不利益を一切与えない。 D現行制度にとらわれない。 2.保障内容 A.人的保障 @ワークアシスタント 職務の遂行をスムーズにするために必要な、障害に応じた補助者の配置 (例)視覚障害:対面朗読者/聴覚障害:手話通訳者/肢体障害:代筆者等 A障害に応じた労働(持ち時間の軽減、体育の免除等)を保障するための講 師その他の人的配置 B職員定数の増加 B.物的保障 @補助機材の導入を積極的に行う。 (例)視覚障害:音声ワープロ、拡大読書器/その他、障害に応じて補装具、 ワイヤレス・マイク等 A職場施設の改善 (例)トイレの改造、手すりの設置、スロープの設置等 B補助機材・施設環境等に関する研究・開発の推進 p.16 C.人事に関する保障 異動(校内人事を含む)については、体力・通勤路の環境等、当該者の実 情に適切に対応する措置をとること。 D.医療面での保障 @主治医の診断の下に、職務内容の適正化を図ること。 A定期通院の保障 (例)人工透析の勤務時間内通院/定期通院日の保障 B「障害特別休暇」の設置 障害等を持つ教員が、その障害等のために必要となる休暇を従来の休暇と は別枠で設けること。 3. 「障害等を持つ教員の雇用確立委員会」(仮称)の設置 障害等を持つ教員(中途障害者・新規採用者等)の要望に直接対応し、以 下の目的を達成するため、当該者と協議する委員会を設置すること。その構 成については、行政代表と当該者代表が公平になるよう図ること。 @障害等を持つ教員の労働権確立及び障害者の雇用推進 A障害者差別の撤廃と、教育におけるノーマライゼーションの実現 以上 p.17 12. 2 都教委 との話し合いのまとめ 日時 1992年12月2日11:00〜12:00 出席 都教委:坂本職員課長 障教連:大葉 壮田 栗原 宮城 坂西 佐々木都議(社会党)  障害保障」に関する要望書を提出したあと、おおよそ以下のような内容で話 し合いが持たれました。 障 障害や慢性疾患を持つ教員は、制度的な保障がまったくないために、働き   続けるのが非常に困難な状況に置かれている。都教委は、障害者が働くとい   うことをどのように考え、取り組んでいるのか。今日は、@制度を確立して   いくためには継続した話し合いが必要であるが、どういうかたちで持つか、   A現に起こっている具体的な問題への対応、等について話し合いをして行き   たい。 都 要望書の取り扱いは、まず総務部の教育情報課に行き、そこから関係の部   課に回される仕組みになっている。    教員を続けたい意欲はわかるが、定数以上の配置はできない。障害を持つ   教員の問題については人事院とも話し合っているところだが、職務軽減をす   るなら給与体系の見直しが必要となる。職場の理解により仕事を軽減するこ   とはできるだろう。中学校ならそれも可だが、小学校は全科なので、専科担   当となるか中学校に行く以外は難しい。理科の場合を言えば、講義も実験も   こなしてもらわなければならない。 障 小学校の家庭科専科は14学級に1人となっていて、学級減が進んでいる   現状では担当したくてもなれない。内部疾患があると、体育の授業は体力的   に困難だ。「職場の理解」と言うが、皆が自分の仕事で手一杯である。 障 人工透析を受けているが、家庭科専科から担任に回されたため、透析のな   い日に残業して仕事をこなさなければならず、負担が大きい。 都 最近は夜間透折が充実していると聞いている。 4時前後に退勤して透析を p.18  受けているようだ。 障 夜間透析は減っているとデータに出ている。週3日、帰宅が11時頃にな   るというのは、健康な人でも大変なのではないか。 都 確かに大変だと思う。しかし、制度化となるとオール都庁の問題になって   くる。学校の場合は再雇用の職員が配置されており、その人たちの能力をど   う生かして行くかが課題になるだろう。再雇用の枠を決めるのは人事計画課   である。 障 理科の例が出されたが、視覚障害があっても、実験助手が付けば「実験」    はできる。 都 それはわかる。 障 異動にあたって病気や障害に対する配慮がなされていない。 都 病気加療中の場合、校長や区教委の具申があれば配慮する必要はある。た   だし、欠員との関係で異動の必要が生じたことはありうる。 障 現場では、「制度がないから」という理由で、こちらの要望など一切受け   入れてくれないのが実態だ。現場で聞き入れられない場合、職員課長に直接   話を持って行ってもよいか。 都 順序(校長・区教委への具申)を踏んだ上でなら話を聞いてもよい。 佐々木 事務職員との交流はできないか。 都 採用局が違うので難しい。障害者は事務職員へというのも問題がある。 佐々木 教員の場合、雇用や身分に関しては教委と一体になってやれるのでは ないか。中央突破も大切だが、教祖を通じて運動を盛り上げていくことが重   要だ。 障 司書教諭の制度があれば、障害があっても続けられる。 都 そういう制度にはなっていない。 障 今後も、障害者の雇用に関して都教委と話し合いを継続して行きたい。 障 先ほど言われた人事院と話し合っている点については、ぜひ経過報告を聞   かせてもらいたい。 都 わかった。 p.19 障害者雇用促進法 ―教員の場合はどうなっているか  常用労働者の総数に対して公立は2%、私立は1.6%以上、障害者を雇わな ければならないことになっており、中学・高校の場合はこの数字がそのまま当て はまります。ところが、大学・短大などの高等教育機関や小学校・幼稚園などは 別に規定があり、公立の場合は除外職種にされているため、雇用が義務づけられ ていません。私立の場合は、小学校を例にとると職員総数の75%(高等教育機 関は50%、幼稚園は80%)があらかじぬ控除され、残りの25%の中で雇用 率を達成すればよいことになるので、実質雇用率は0.4%程度に卞がリます。  労働省の担当官によれば、全教科を教えなければならない小学校は「障害者に は無理」という判断があったためとのこと―100%の仕事をこなす教師が要 求されるのは、32年前の法律制定当時から現在に至るまで変わっていません。 まず障害者の働ける条件を整えていくことが大切であリ、そのために、私たちが 要求している「障害保障」の制度化をぜひ実現させて行きたいものです。 雇用率の低い教育委員会に、労働省も再三の申し入れ!!(校正者注:「雇用率〜申し入れ!!」太字)  労働省の担当官との話の中で、教育委員会の障害者雇用率がかなり低く、労働 省から文部省へ再三申し入れをしていることがわかリました。中央官庁や、自治 体でも他の局はほとんど達成しているのに対して、教育委員会の落ち込みは相当 目立っているようです(都教委交渉でも追究してみなくては)。  確かに、障害を持つ教員は採用せず、中途で障害者になれば辞めざるを得ない ような状況に追い込んでしまう今の教委の姿勢では、雇用率は一向に上がらない でしょう。であればこそ、現場にいる教員が、障害があっても働き続けるんだと いう意思をはっきりと示し、改善を要求していく運動を進めていく意義は大きい と言えます。(坂西) p.20-21 「障」教・連資料No.4 1991年(平成3年)12月14日土曜日 朝日新聞 教育‘91 「障害抱えつつ教壇に」 首都圏に連絡協議会 急に視力落ち、授業外された 復帰へさまざまな壁 「努力する姿、生徒は見る」 視覚障害や人工透析など障害や病気を抱えながら、学校で働き続けたいという教師や支援する人たちが集まって、「『障碍(障碍』を持つ教師と共に・連絡協議会)が発足した。同僚の前ですら悩みを口にできず、孤立無援で苦しんでいる先生たちに、少しでも働きやすい環境ができるよう考えていこうという。  十月に発足し、現在会員は首都圏を中心に約二十人。うち八人が障害などを持った先生だ。毎月一回集会をもつことにしており、先月、二回目の定例会が、東京都杉並区で開かれた。  代表の大葉利夫(四一)は都立高校の数学の先生だ。三年前、急速に視力が落ち、治療困難な病気とわかった。現在二級の視覚障害者。動くものがようやくわかる程度だ。  字も読めないし、生徒の顔もわからない。特に生徒の安全面での不安がどうしてもある。職場の管理職や同僚からは「教師は辞めて方向転換した方がいい」といわれた。さらには「続けたいなら、同僚や生徒に障害がわからないように」とも。  しかし、どうしても続けたかった。点字や音声ワープロを覚え、ボランティアに教材をテープや拡大写本にしてもらった。授業時間数も軽減してもらって、この春までは何とかやってきた。  ところが今年三月、突然「職員定数外として授業から外す」といわれた。都が今年度から導入した「特別措置教員」制度を適用されたのだった。制度はもともと精神・神経系疾患を対象にしたもので、話し合いの結果、週三時間だけ授業を持たせてもらっている。  会には同じように視覚障害で定数外とされた先生もいる。また視力がだんだん低下している埼玉県の高校の物理の先生は、「座席表が見えず、生徒に出席をとってもらっているが、これ以上悪化すると実験の時に心配」と悩みを打ち明けた。  人工透析を受けながら復職したが、休職中に代わりの教師が配置されていて、校長から「移動希望を出せ」といわれた神奈川県の先生。腸の手術のあと人工こう門をつけて職場に戻ったが、横になって休息する場所もない東京の高校の先生らの実態も報告された。  「障害を持って学校に戻ることがどれほど大変かわかった」  「労働組合もあまり助けにはならなかった」  「ほかにも障害を隠して一人で悩み、最後は辞めていった先生がたくさんいるのではないか」  そんな意見が次々に出た。中でも深刻な人工透析の先生については、チームをつくって具体的な対策を講じていくことにした。  障害を持って働く教師がどのくらいいるのか、文部省も正確なデータは持っていない。  視覚障害に限れば、十年前に関西を中心とした「全国視覚障害教師の会」ができていて、普通校の教壇に立つ先生もわずかながら増えている。  今のところ連絡協議会にも視覚障害が多いが、障害の種類にかかわらず、同じような悩みを持つ教師に一緒に考えていくことを呼びかけたいという。  「同僚の協力も必要だが、工夫と努力次第で教師は続けられる。精いっぱい努力する姿を生徒は見てくれると思う教育現場こそ、障害を持つものも持たないものも共に生きる社会であるべきではないでしょうか」と大葉さんは話している。  会の連絡先は、〒183東京都府中市朝日町1の15の26、大葉利夫さん(電話0423・62・7776) 写真省略「障害を抱え働く悩みを話し合う教師たち =東京都杉並区高円寺社会教育会館で」 p.22 「大里問題」の経過報告 1 障害について  9歳から若年性糖尿病があったが、東京都の採用の時に3つの病院で 診断書をもらい、この時点では糖尿病があってもそのほかには健康上な んら問題がないことが証明されていた。  それから3年後右目の眼底出血が起こり、中心静脈肢閉塞から出血性 緑内障になり併発性白内障へと進行し、手術を繰り返すうちに全く見え 無くなってしまった。現在光も感じない状態である。  左目は糖尿性網膜症で、腎臓の機能が低下してタンパクが多量に尿中 に出るようになった頃{1988年冬}から急に視力が落ちて現在中心 部では測定不能だが、周辺部で近くにあるものはぼんやり見える。従っ て日中ならば一人で歩き回れるし、学校では近くにいる子供達の様子が だいたいわかる。しかし子達の表情はわからないし墨字による文書処 理はできない。以上の状態で1990年5月視覚障害で1種1級の身体 障害者手帳を受ける。  私にはもう一つ障害がある。それは慢性腎不全のため人工透析を週に 3回{月・水・金}、1回に4時間受けていることである。これもまた 身体障害者手帳1種1級である。  2 休職から復職まで  1989年5月から病欠に入り、8月に一度仕事に戻り、また9月か ら病欠に入る。そして その年の12月から休職に入った。  体調が回復してくると何か仕事がしたくなり、とりあえず点字を習う ことにした。指導員の先生から「全国視覚障害教師の会」の三宅先生を 知り、三宅先生から大葉先生を紹介された。三宅先生や大葉先生の話を 聞くうちに私にもできるかなと言うぐらいの軽い気持ちでこの運動に参 加した。 p.23  復職に際してはいろいろ心配したが、休職に入るときに出した診断書 が腎臓に関する物だけだったので、戻るときも幸いにそれですんだ。し かしこの事は後で問題になる。都教委は私の復職に関しては手続き上の 間違いであって、「分限休職」が妥当と言っている。 3 復職してから「特別措置教員」に至るまで  1991年10月、私は品川区の小学校に復職した。休職するまでは 心障学級の担任をしていたが、戻る際の条件としてその任から外され た。そして校長から「職員室にいて、陰で仕事をしてくれる先生」と子 供達に紹介された。実際は何も仕事がなく、印刷機にタックペーパーを 付けたりして「印刷できます。」と言っても、「テスト・プリントを誰 かに確かめてもらうようでは一人でできるとは言えない。」と言われる 有様。  それからまもなく(10月の末)のこと、移動調査の時期になり、校 長から盲学校への移動を勧められたが、通勤時間がかかること、新しい 職場(通勤や人間関係などを含めて)より、慣れた職場で仕事に専念し たいこと、そして普通校で仕事を続けたいことを理由に移動希望のない ことを告げた。そして9 2年度は「過員」(職員数の定数外)で自分に できる仕事を見つけたいと申し出るが、都教委は眼の診断書を提出さ せ、「現在の制度の中では、担任もしくは専科の仕事を一人でできない 者は小学校の教師とは言えない」として、「休職」か「特別措置教員」 の二者選択を迫った。そのどちらも受け入れられないと言うと、「分限 免職」もありうると脅かされる始末。度重なる交渉にもかかわらず、9 2年度は「特別措置教員」にされてしまった。しかしこれは従来の「特 別措置教員」ではなく(「特別措置教員」に障害者は入れないと、大葉 先生の件で断言している)仕方なくの措置という話しである。また障害 者が働くことに前向きに考えてくれることを約束してくれたそうでもあ る。 p.24 4 仕事(研修)の内容について  92年度の1学期は病欠で終わってしまった。人工透析で必要な血管 (シャンテと言って、静脈と動脈を1本に繋いだもの)が詰まってしま い、再手術となり、その後肝機能の低下から急性肝炎で再入院してしま う。 7月下句に職場に戻り仕事を再開する。しかし仕事の内容は乏し く、都教委は「一人でできなければだめ」と言うのに対して、現場の校 長は「一人で子供に関わり合ってはいけない。誰かが居れば何をしても かまわない。」と言う。私の仕事の中身は研修と言うことだが、先の見 通しの付かないまま、とにかく今の仕事の中でできるものを探してみ た。現在の私の仕事は、授業のない時は職員室で点訳してもらった童話 などを写したりすることである。そして1年から3年までの「図書の時 間」にこの童話などの読み聞かせ(5分から10分)と点字を少しずつ 教えている。また1年の「音楽」でオルガンの伴奏の手伝いもしてい る。仕事はこれだけのことだから相変わらず「仕事を下さい。」を連発 しているが周りの人は「触らぬ神にたたりなし」という風情である。し かし、職員室の居心地は去年よりいいように思う。きっと職場に慣れた のと自分の心に少しゆとりができたのかもしれない。 5 透析通院について  91年10月から9 2年3月まで夜間透析をしていたが、これはその 期間が休職開けということで仕事が軽減され、1日4時間勤務となり、 なんとか務められたが、9 3年4月からは通常勤務になるため、時間内 通院を申請した。この事は、「人工透析のための病気欠勤」という形で 89年に交渉が成立しているのにその時の交渉内容は文書に残さないと いうことだったらしく東京教組には覚え書が残っているのに、都教委で は「今年から認めない」と言われた。また都労連を仲介とした話による と、私の場合は、  1.復職自体間違いであった。  2.91年度は夜間透析をしていた。  3.93年度は「分限休職」と決っていて本人も納得している。 p.25 という3つの理由で認められないとのことだった。勿論私は納得してい ない。 6 93年度に向けて 以上のような経過があり、これからの問題点(課題)をまとめてみる と次のようなことがあげられる。  1.二重の障害があっても小学校の教師を続けるために「特別措置 教員」ではなく通級学級(ことばの教室など)への移動並びに 研修を希望する。  2.人工透析のための病気欠勤(時間内通院)の確保。 この他にも問題は山積みされているが取り敢えず多くの人に障害者が働 くという事に対して理解を示して貰えるように頑張りたい。 p.26 この一年を振りかえって 内部障害者担当 荘田 美智子  入会してそろそろ一年になろうとしています。朝日新聞に記事が連載された のを養護の先生が切り抜いてきて 「こんな会があるけど。」 と、持ってきてくれたのがきっかけでした。復職して間もなくの頃です。  私の病気は、新卒後すぐにかかり、進行性のものと判定されていたので、人 工透析になったら退職しようと心に決めていたのですが、いざ透析が導入され ると、もう一度職場に復帰したい。このままやめてしまっては、何か自分に負 けたようで割り切れない物が残るのではないだろうか。又、医師の進めもあり 一年間の休職後、自宅も学校近くに引っ越し、私の思いも遂げられたのです。 しかし、透析後の疲労、腹痛、頭痛などに悩まされ、「やはり、ダメなんだ。」 と思い始めた頃でした。会には視覚、外部、内部障害、慢性疾患の方々がいて、 もちろん人工透析の方もいました。  皆、職場で様々な問題を抱えながら頑張っているようでした。  三月の終わり頃、会員が増えたのを機に組織化され、私が都内在住という関 係で内部障害の担当になりました。  実際、活動を始めてみると、電話にビラ、集会など非常に忙しく、ほとんど 毎週の様に会があり、一週間の最も疲労の蓄積されている時の長時間の会議に はつらいものがありました。次の日曜日は背中が痛くて寝てばかりいます。  今まで、電車で移動する生活をほとんどしたことがなかったのですが、この 会に参加してから、いろいろな所へも出掛けるようになりました。会の方々に 会うとホッとして、仲間がいると顔を見て少し元気になります。 内部障害は、外からはほとんど普通の人と変わりなく見えるのですが、内部 疾患のため、食事、飲水、運動など様々な制限があり、常に死や再入院と直面 しているのです。  ですから、会に出て来られる方も少なく、又、問題も多いのです。 p.27  この一年間を振りかえると、急激な展開で少し忙しすぎたかなと思う時もあ りますが、それなりに成果は上がってきています。  ただ、皆、仕事を持ちながら、障害者同志の会ですので、手がまわらない面 もあります。  しかし、自分たちの問題だから、まず当該者が動かなくては、人まかせにで きないという事で、少しでも力になれたらと参加しています。  この十月、大阪で会員の女性が亡くなりました。私の担当の方でした。お目 にかかったことはことは(校正者注:「ことは」手書き二重線にて修正)無く、突然の訃報でした。会の中で初めて亡くなった 方が出たのは、私にとって、大ショックでした。  心よりご冥福をお祈りします。 合掌 p.28 「障」教連の賛同者と会員を増やそう ―会員から読者への手紙― 尾崎 裕子  私は、この「障」教連の誕生前からこの会に関わり、そして誕生を見守って きた一人として、今一番望んでいることは、障害をもっていても教師として働 けるということを世間の人に理解してもらい、その主旨に賛同してくれる会員 を増やしたいということです。  そのために、私がとりあえず出来ることは何かを考えて、友人や知人、同僚 等にあてて手紙を出すことにしました。その下書きをまとめてみましたので御 一読ください。  お気づきの点は教えてください。  日頃のご無沙汰をお許しください。  突然のお便りで失礼とは存じますが、私が現在関わっている運動とその会に ついて知っていただきたくてペンをとりました。  私は1986年春に低眼圧緑内障と診断されて以来、徐々にではありますが 視力低下が続き、現在では右眼は白い光の中のところどころにはっきりしない 何かが見える程度になってしまいました。幸いにも左眼は矯正して0.3位の 視力が殘っていますので、遠近感、段差などに不便を感じながらも、日常の生 活や仕事はどうにかやっております。白内障、視神経萎縮などの合併症もあり、 眼かすんだり、明かりや光が尾を引いて眩しかったり、肩や首筋がこったり して困っております。  なるべく先のことは考えず、楽観的に生きて行くように心掛けてはいるもの の、いつまで仕事ができるだろうかとずっと不安でした。1991年8月下旬 p.29 に東京都心身障害者福祉センターへ拡大読書機のことで相談に行った折りに初 めて「全国視覚障害教師の会」があることを教えていただきまして、その夜早 速、会の東ブロック代表をなさっていた大葉先生へ電話を入れ、入会を申し込 みました。  普通校にも目の不自由な教師がいること、しっかりと教育実践をしているこ と、そして、「心が見えてくる」という本を出されていることを知って、勇気 がわいてきたのを覚えています。大葉先生のご苦労を知るにつけ、仕事の継続 に困難を感じ悩んでいるのは視覚障害教師だけではないだろう。怪我や病気な どで退職のふちに立っている人や、孤立無援で相談者もないままに涙をのんで やめて行った人も多いにちがいない。そういう当該者を集め、なおかつ理解者 賛同者の広がりを目指して…「障碍」を持つ教師と共に連絡協議会…の構想が 熟成して行ったのでした。  1991年11月にこの会は誕生し、そして12月には朝日新聞にも大きく 報道され、仲間が全国から名乗りを上げてくれました。「何とか助けてくれ」 という悲鳴がたくさん寄せられました。更に1992年11月19日にはNH Kのモーニングワイドでもこの会が紹介され、共感の輪が全国に広がっていま す。  障害をもっていても働きたいし・働ける・しかし働き続けるためには器機の 導入・アシスタント・ボランティアの援助などの条件整備が不可欠です。教育 委員会や文部省などへの働きかけ・・・やらねばならないことが沢山あります。 誰だっていつ障害者になるかもしれません。職場を追われ、生きがいを奪われ 多くの人がやめて行ったのです。  そういうつらい思いをする人がいなくなるようにすることは大切なことです。 の姿を見せて子どもが育っていくことは、子どもにも勇気や感動を与え、ノー マライゼーションの理念の実現のためにも必ずや力になることと思います。 p.30 どうか私たちの運動を支援して下さい(校正者注「どうか〜下さい」大文字) 会員になって、目や耳や手足になって下さい。 時間のない方は、年会費 3000円で資金援助をして下さい。 振込み口座(郵便局) 東京2−207824 身近な人にも働きかけて下さい。 近く署名活動を始める予定ですので、その節にはよろしくお願い致します。 ※会の案内のプリントも同封します。 ※長くなりました。最後まで読んで頂きありがとうございました。 p.31 障害を持っても働ける社会を ―退職せざるをえなかった教師の立場から― 小山 峰弘  この度のNHK取材及び放送を通じて、全国の障害を持った教師たちが目覚 め力を合わせて、社会、世間に対し、われわれの立場を理解していただき、教 師が続けられるように!  われわれの気持ちの一部だけでも理解していただけたと思います。確かに、 障害のある教師が一般の教師と全く同様に仕事をすることは難しいことですが、 周囲の教師の理解を得て、生徒のために、教育に従事することは可能です。  学校というところは皆平等であるということが原則です。とすると教師にお いても同様で、障害が出たからといって除外されるなんてことは許されること ではありません。生徒達は障害を持つ教師と触れ合うことによって、大人になっ ても障害を差別することなく、皆平等に人を見ることになるでしょう。 学校はひとつの社会であるわけですから、教師の中に障害を持つ人がいるの も当然のことなのです。誰もが学校で多くの事を学び経験して実社会へと育っ て行くわけですから、障害者と触れ合うことがとても大切なのです。  現代社会では、病気や交通事故などにより健康な人が障害を持つことになる のは珍しいことではないのです。いつ障害者になるかわからないのです。障害 を持ちながら、教師を続けたいという意欲があれば、そのまま続けられる世の 中にしてゆきたいと思います。  最後に、放送後知人からの電話がたくさん入り、心配していただいたことを 付け加えておきます。 p.32 つぶやき 関 幸子  もともと関節の痛みのあった私は、「こうげん病の疑いがあります」と医師 に言われてもあまり気にしていなかった。診断名がきちんとつき、保育園を休 んでの治療が開始された。治療開始の頃は保育園での職場復帰に可能性をかけ ていたのであるが…どこでどうなったのか…特定疾患の認定を受けた のも影響したようである。復帰にあたっての診断書には軽作業及び事務的仕事 なら可ということであった。けれど、この頃は…現職場にはもどれなくとも… と希望を持ち続けていた。  がしかし、配置転換された職場はただお飾りにすぎない職場であった。何が 仕事かと問いかければ、次の文面にあるような中傷に耐えうること。(次ペー ジに掲載)落ち込んでいたとき、ふと目に止まったのが、朝日新聞であった。 障教連とのつながりの中で精神力を保ってきた私です。そして、私達にあった 職場とは?と疑問を持ち続けています。  100%こなすか0%しか認めてもらえないのでしょうか?これからも自問 自答しながら、皆さんとともに何が理想なのかを考えて行きたいと思っていま す。 p.33 福祉課課長  人事課長 様 学童の先生から関保母について次の指摘を受けました。 @勝手に部屋に入り、ルームの品物を勝手に持ち出し、注意をすると「臨時 のくせに」と恐ろしい。 A児童を連れ出して保育したりするので、学童として責任が持てない。 保育を希望しているようなので、保育園に戻してほしい。元気に飛び回っ ているので、身体の悪いようには見えない。 B二言目には「臨時のくせに」と言うが無能でも職員の方が大切なのか。人 事課を含めて管理者の対応が不適当だ。「自分の立場しか考えていないよ うな管理者は失格だ。k市の行政のずさんなのがよく分かった。 C困ったときには笑顔で雇用しておいて、ゴミのように不要として追い出す のか。そのような考え方なら報道機関に訴えてもよいが。 多数苦言を呈されましたので、至急善処願います。 Tセンター 所長 (校正者注:「福祉課課長〜Tセンター所長」の文書は四角で囲まれている) ∵(校正者注:なぜならばの学術記号)(原文のうつし) ∵(校正者注:なぜならばの学術記号)Tセンターの所長が(児童館)Hセンター(貸し館業務)も兼ねている。 Hセンターは私のいる職場である。…臨時の職員で成り立っていた 職場である。… p.34 弱視問題研究会(弱問研)に参加して 丸山 隆  昨年10月「障教連」の定例会で「弱問研」の研修会が同月に東京都障害者 福祉会館で実施されることと知り参加した。  当日の参加者は約70名程度だったろうか。はじめに参加者の自己紹介があっ たが、勤務先は多岐にわたり、労働省、行員、上場企業をはじめ、一般企業、 教師、そして慶応大学女子学生(約10名)など様々であった。そして当日の 研修会は、パネラー4名がそれぞれ約20分程度視覚障害がありながらも、そ の視覚を克服し、真剣に生きている様子の報告であった。  最初のパネラーは、われわれの「障教連」の代表である大葉先生。数学の模 擬授業。例えば板書をする場合、一行目の頭にマグネットを置きその行を書き 終えたうしろに再びマグネットを置く。二行目以後も同様の方法で、自分の板 書の位置を確認していることや、三角形の面積の計算では針金のような物を折 り曲げて説明することなどの工夫によって、視覚障害者であっても充分に教師 として教壇に立ち続けることが出来ると力強い報告があった。  2人目のパネラーは大学院を卒業したまだ若い女性であったが、数カ月毎に 転職を繰り返し、やっと安住できる職場にめぐり会うことが出来たという報告 であった。  次のパネラーは、ご自分も視力障害者であるが、障害者に職業を斡旋する企 業の課長(あるいは部長)さん。その企業ではごく当然のように拡大読書機や 音声ワープロが何台も設置され、何人もの視覚障害者が不安なく生き生きと働 いているという、いわばノーマライゼーションが実施されている、うらやましい 職場の報告があった。  最後のパネラーは、かつて某社の経理部長であったが色素変性症のため、徐 々に視野や視力が減退し、はじめのうちはそのことを職場の同僚に気づかれな いよう残業等、同僚の帰宅後に仕事をするなどの苦労をしていたが経理の数字 上での計算の間違いを数回繰り返し、視覚障害を隠し通すことも出来なくなり、 p.35 退職せざるを得なくなった経緯の報告があったが。私にも身につまされるもの があり、同情を禁じ得なかった。現在は、障害者枠(1.6%)で某旅行会社 に転職したが、身分は嘱託・給料はそれまでの半分以下とのことであり、仕事 内容も必ずしも満足できるものではないとのことであった。  私は昨年4月「障教連」に入会するまで、教師生命の将来に不安を感じるこ ともあったが、入会後、視覚障害労働協議会、視覚障害者教師の会、そして今 回参加した弱問研等 いくつもの障者者団体があることを知ることが出来、ま た、障害を持ちながらその障害を克服し、立派に働いている多くの仲間を知る ことも出来た。拡大読書機の存在をこの会で知ったことも私にとって大きな 自信となった。今、その拡大読書機でこの原稿を書いている。 p.36 ◆個人通信◆ N0.20.1992.12.10. 発信 黒木 美春 春風(校正者注「春風」大文字) 病院は た.の.し.い.(校正者注「病院は〜い.」大文字) あかぎれ  あかぎれが切れた  まだ、夏だというのに………  炊事をするたびに痛む。  茶碗を洗うたびに痛む。  あかぎれがきれた  まだ、秋だというのに………  歩く度に痛む。  慢心した心を、きりきりきざむ。  感謝を忘れるなと…………(校正者注「あかぎれ〜忘れるなと…………」四角囲み)  冷たい風が『あかぎれ』にしみる季節になりました。  皆さん、『お肌、スべスべですか?』  私は、何とDrとあかぎれ論争をやりました。看護婦さんやDr婦人まで 巻き来んで……………。 あかぎれって痛いのですよ!  ご存じですか? 割れているところから血がでるんですよ!それがまた痛いのです。 11月12日に左の中指の動脈を切ったのですが、あかぎれの痛さはそんな ものじゃあない……………。 中指の時は、出血が1時問余り止まらず Drストップ!1日お休みでした。(いい休養だったけどね…)  この方法がいい、いや、この薬が効く、ワイワイやって、ついに高価な 試供品まで持ってくる始末。ついでに『先生 何もしないんでしょう』と 言う始末。あ一、楽しかった。それでも痛さは薄れて行かないのでした。 p.37 病院行き(校正者注「病院行き」大文字) 通院日は心がソワソワしてくる 仕事にも行かなくて良いし 大声も出さなくて良いし 自己嫌悪に陥らなくてもいいし なにより 一人の『黒木美春』になれるし おかしなDrや、やさしいDrにも会える。 気持ちが開放されるし たまーのおしゃれもできるし いい事づくめの病院通いだ、今のところ。 ステロイド剤が減っちゃった。(校正者注「ステロイド剤が減っちゃった。」大文字と四角囲み)  12月5日からメドロール(ステロイド系)が『瓢箪から駒』のように 1錠減りました。一番悪さをする薬で、一番たよりになる薬です。 6年目の朗報です。でも、随分長く 3錠で腎臓の機能が安定していましたの で、少し不安です。それでもとても嬉しくて、帰りの列車の中では、 目の前が明るくなって、『今年の紅葉のきれいなこと』と、行きには あまり気にもとめなかった車窓の景色をウットリ眺める始末です。  メドロールが減る事がなぜ嬉しいかというと、いま一番私を悩ませている 『神経の緊張』が減る可能性があるからです。すぐには無理かも知れないけ れど『希望が見えてきた』のです。自分を取り戻せるかもしれないという…  こんないい話しがあるから 最近は病院に行くのが好なのかも知れません  メソメソしながらでも、粘っているといいことがありますね!  風に吹かれながらも根強く光に向かう草木の様に、私もユラユラしながら 希望という光に向かって歩いていきたいと思います。躓いて倒れたら、 暫く空を眺めて、ボロボロ涙を流して、それからゆっくり起き上がればいい のですよね。私自身の時計をまわしながら……………… p.38 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会会則… (1992.1.11.定例会確認) (1992.7.26.総会承認)(校正者注「「障碍」〜承認)」四角囲み) 【1】本会発足の主旨  「障碍」を持つ教師が職務の継続に困難をきたしている現状の解消の ため、当該の少数の教師が連絡を取り合おう。孤立無援や点の状態をま ず脱し、ネットをつくって結束しよう。事態の解決には、当該の教師の みでなく、多くの仲間を作っていこう。  最終的には、「障碍」を意識することなく働ける職場を作っていこ う。そのことは、全ての人が、共に生きることにつながる。教育の現場 に「共に生きる社会」の実現をもたらすことになる。 【2】本会の目的  「障碍」を持つ教師が、その「障碍」に対する差別から解放されて真 に安心して教職を継続することを目指す。全ての人が、当り前に、共 に、生きていく世の中を作ること(ノーマライゼィション)を目指す。 【3】当面の確認事項 (1)孤立している「障碍」を持つ教師に対して参加を呼びかける。 (2)当該教師以外の仲間を広げる。 (3)ひとりひとりの当該会員の厳しい状況を共有化し、必要かつ有効  な情報交換を図る。 (4)実践を積み重ね、前例を作っていくとともに会の目的の為の情報  収集や学習を行う。 (5)イデオロギーの壁を超え、目的の下に結集する。 (6)会員相互のブライパシーを尊重する。 (7)必要に応じて他の組織と連携を取る。 (8)必要に応じてアピール・交渉をする。(労働組合、団体、教育委  員会、社会、マスコミ等) (9)会の主旨に賛同すること、会の目的を尊重す  ることを持って会員視覚とする。 p.39 会則の追加事項 (10) 会報及び会員通信について (92、9) 1、会の名称 『障碍』を持つ教師と共に・連絡協議会 2、発行者代表 大葉利夫 3、発行事務所 東京都府中市朝日町1-15-26 大葉利夫宅 4、会報について  (1) 名称は障教連たよりとする。  (2) 1年に4回ほど発行する。  (3) 内容 会員紹介 新入会員、会員の状況 諸活動の報告、交渉、行事、会の取り組み 自由投稿の文章 5、会員通信について  (1) 発行は定例会の前後、その他必要に応じて随時  (2) 内容は事務連絡、定例会報告を中心とする。 (11)「障」教・連と当該者との関係(92,10)  (1) 当該者は自分の問題解決に当たり会に任せてしまうのでなく 共に力を出し合って活動する。  (2) 当該者の問題解決に当たっては複数の会員でチームを組んで 取り組む。  (3) 会の名前を使って活動するときは会の承認を受けてから行う。 また会と連絡を保ち結果は報告する。 (12)慶弔規定について(92、12) 会員の死亡の際の弔電、香典は会で負担する。香典は5000円とす る。 p.40 編集後記 宮城道雄 今回、「障」教・連たよりの創刊号を発行が出来て大変うれしい。 「障」教・連運動が新たなる一歩を踏み出した。思えば、大葉さんの呼 び掛けで「障」教・連が結成されて1年余、活動は全て手探りで進んで きたにもかかわらず積極的かつ意欲的なものであった。特に後半の半年 はかなり精力的なものでありブリッジはへとへとであった。私も会の発 足時から加わり、大葉さんの情熱と行動力に圧倒されながら活動を続け てきた。今回は自分の能力以上の編集委員長をやることになりどうなる ことやら不安である。皆さんのご支援ご協力により良いものを作り続け ていきたい。 新年初の編集委員会は編集委員と共に会員の和田さんの8名の出席で 開かれ、細かい編集方針を決めたり原稿の割り振りなどで3時間余りか かり眼性疲労にに(校正者注:「に」二重線)なった私は頭が一時朦朧とした。幸にもあれ程集まら なかった原稿も当日は結構集まりはみ出してしまい、私の原稿は次号に 回さざるをえなかった。また、和田さんが終始熱心に話合いに加わり、 非常に労力のいる印刷、製本、発送を引き受けると言うので大変感謝す る次第である。 今回の創刊号は会の概要の紹介がポイントで会の目的、主な活動 に ついて書いてあり、じっくり読んで理解して欲しい。 「障」教・連運動の組織、活動のスタイルはほぼ定着し、現在、第2 段階として会員の拡大に力点を置かなければならない。そのために役に 立つ武器として「障」教・連たよりを活用して欲しい。会の存在と活動 内容を周囲の人に広く宣伝して理解者、支持者を大いに増やして、新会 員になってもらおう。 障害者を取り巻く社会情勢はまだ冬、白い雪の世界である。私達は冷 たい山道を心に赤赤と火を燃やして雪を踏みしめ一歩一歩前進しなけれ ばならない。そんな時、ふと地公転が冬で止まって しまった様な気に なるが地球の動きは決して止まらない。やがて、雪が一気に融け去り地 面が現れ、草木の芽が萌え出す春がやってくる。 裏表紙 「障」教・連便り 1993年1月 創刊号 初版第1刷1993年1月18日 初版第2刷1993年2月22日 初版第3刷1993年3月16日 編集:「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 〒183府中市朝日町1-15-26大葉方 TEL 0423-62-7776 郵便振替 東京2-707824 定価300円 1971年8月7日第三種郵便物認可 毎月1の日、6の日発行 SSKA増刊通巻第2045号 1992年12月23日発行 発行所 東京都世田谷区砧6-26-21 身体障害者定期刊行物協会 (校正者注:以下、冊子添付資料1.2を記載) 資料1 「障碍(しょうがい)」があっても、教師として働きたい -「障碍保障制度」の確立に向けて 皆さんのご支援をお願いします- (校正者注:「「障碍〜お願いします―」四角囲み)  病気や事故で中途で「障碍」を持った場合、現在の学校現場では、教師を続け て行くためには大変な困難を伴います。皆と同じに100%の仕事をこなすこと を要求され、無理を承知で体力の限界まで働くか,生活への不安を持ちながらも 辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまうのが現状ではないでしようか。 障害者が働くことへの理解が徐々に進みつつあるとはいえ、教師として働くと なると、補助具などの条件整備はもとより、職場の理解もなかなか得られない状 況にあります。教育委員会や校長などの管理職から退職を強要されることも、決 してまれではありません。周囲の無理解と、支援も得られない状況の中で、「障 碍」を持つ教師はこれまで孤立を強いられてきました。 ・仲間作り―障教連の結成へ  障教連(「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会)は、孤立している「障碍」 を持つ教師が、それまでの点の状態を脱して仲間を広げ、力を合わせて「障碍」 があっても働き続けられる条件を確立して行こうという主旨で、1991年10 月に結成されました。  同年12月14日付の朝日新聞に会の活動を紹介する記事が掲載されると、そ の反響は大きく、同じように悩んでいた教師や主旨に賛同する方々の入会が相次 ぎました(昨年11月19日、NHKテレビのモーニングワイドでも取り上げら れました)。視覚障害者が中心になって始まった会ですが、現在では、人工透析 ・腎移植・手術による後遺症・膠原病(リウマチやエリテマトーデス等)・その 他の慢性疾患・肢体不自由など様々な「障碍」を持った教師が加入しています。 構成も小・中・高・大にまたがり、地域的にも広範囲になっています。 ・「障碍保障制度」 の確立で、 障害者も働ける学校現場に!!  私たちは、「障碍」があっても働くことのできる条件作りをめざして、ワーク アシスタントの配置や人工透析の勤務時間内通院など、個々の「障碍」に応じた 様々な保障-「障碍保障」の制度化を要求しています。昨年12月には、まず 東京都教育委員会に対して要望書を提出しました。制度の確立によって障害者も 安心して働ける学校現場に変えて行くことは、今後、障害者の教員採用への道を 開くことにもつながると思います。 「障碍」を持つ教師が当たり前に存在するような学校―ノーマライゼーショ ンの理念を教育現場で実現して行くこと、それが、私たちの大きな目標です。そ のことはまた、子どもたちの教育にも大きな意味を持つことになると思います。 ・入会の呼びかけ  会の主旨に賛同していただける方は、ぜひ入会して私たちと共に活動して下さ い。印刷・郵送等の作業やガイドヘルパーをして下さる方、活動資金のカンパを して下さるという方も大歓迎です。 ◇会費 年間3000円(92年度) 郵便振替口座 東京2-707824 ◇定例会 毎月第3土曜日(ただし、変更もあり) 連絡先:「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会 代 表 大葉利夫 00423-62-7776 事務局 宮城道雄 048-797-1323 内部障碍担当 荘田美智子 03-3751-3136 視覚障碍担当 尾崎裕子 0423-43-8414 (校正者注:「連絡先〜8414」四角囲み」 資料2. 「障」教・連資料No.9211-2 人工透析を受けている教師からの訴え(校正者注:「人工〜訴え」太字、四角囲み)  私達は人工透析を受けながら教師として働いています。本来、体の一部である腎臓 が何等かの原因で機能しなくなったため、人工的に機械によって代わりをしてもら って命を繋いでいます。  普通は週3回、1回に4時間かかります。一般の病院で透析を受けることはでき ません。特殊な機械と専門の技術を持ったスタッフのもとで厳重な管理によって生き 延びることができるのです。もちろん患者にも過酷な制限が課されます。 A.人工透析の問題点  個人によってかなりの差がありますが一般的には次のような事があります。  1.〔時間がかかる〕  透析にかかる時間は1回に付き4〜5時間です。それに往復の通院時 間、着替え、血圧、体重測定、体への返血、止血、消毒などの時間を 加えると約1回に付き6〜7時間を要します。又、終了後少し、休 息を取らないとベットから起き上がれない人もいる。  2.〔血圧の低下〕  血液中に水分や塩分、その他の電解質が溜まるため、日常的に高血圧 状態である。透析を受け、正常な状態に近づく過程で急激な血圧低下 が起こる。正常な人が48時間〜72時間をかけてバランスをとっている ものをたった4時間で済まそうというのだから体への負担は大きく、 疲労、呼吸困難、筋肉の痙攣などという形で私たちを苦しめる。  3.〔貧血〕  腎臓から造血をうながすホルモンが分泌されている。これが出なくな るため高度の貧血状態に陥る。血液の濃さは正常の人の半分あれば良 いほうだ。そのため息切れ、疲れやすい、立ち眩みなどの症状が出る。  4.〔その他〕  人によって、頭痛、腹痛、めまい、嘔吐など様々な症状が現れる。 例)午後2時に学校を出て昼間透析をしているAさんの 帰宅は8時過ぎです。  5時〜6時開始の夜間透析に言っているBさんの帰宅 は11時近くです。 (校正者注:「例)〜近くです」四角囲み)  以上の様に人工透析には様々なマイナス要因があり透析さえ受けていれば、正常な 人と変わりがないというのは大きな間違いである。その為に国でも1級という障害認 定をしているのだ。私達には雨の日も雪の日も盆も正月もない。透析後は皆、タクシ ーや自動車、又は家族が迎えに来なければ帰れないほど具合が悪くなる。     障害を持ちながらでも私達は働き続けたい(校正者注:「障害を〜続けたい」太字、四角囲み)  この様に様々な困難を克服しながら私達は現場で働きたいと強く願っています。 しかし、透析というものは機械にかかっている時だけが透析ではないのです。機械 でできるのは太い血管だけで毛細血管はその後も約半日は体の中で自然透析が続い ています。  そのため夜間透析だと帰宅が11時近くなるだけでなく、次の日の午前中まで 具合が悪い状態が続きます。私達の本務は子供と共に遊び、学び、考えることです。   健康状態良好なでも一日おきの11時帰宅は疲れるものです。(校正者注:「健康〜ものです。」下線)まして、障害を 持つ、私達にとって一生続く、夜間病院通いは辛いものです。  少しでも良い状態で子供達と接するには、午後の早い時間帯に透析を終わらせ、 コンディションを整えて翌日の授業に臨みたい、それがひいては、子供達のためで もあるのです。  大学〜保育所の先生まで大勢の方々が現在、医学の力で社会復帰に懸命の努力を しています。夜間働いている人もいます。  これらの人々が健康な人と共に働けるように環境を整え、条件を整備するために 私達は手をつないで運動を広げていきたいと思っています。  どうぞ、私達の運動にご理解をいただき、ご協力をお願いいします。 又、ボランティアとして、手伝っていただける方、障害、慢性疾患を持って困って いる方は下記の所へ連絡してください。 「障碍」を持つ教師と共に連絡協議会  代表 大葉 利夫 電話0423-62-7776  内部障碍担当 荘田 美智子 電話03-3751-3136 (校正者注:「「障碍」〜3136」四角囲み)