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『そぞろ通信』2002

山口平明



【そぞろ通信】6月号*第9号[+85]===================2002-6-17
【そぞろ通信】9月号*第12号[+85]=================2002-9-15
あなたへ【電子チラシ020927】パレスチナ人間の楯
【そぞろ通信】10月号*第13号[+85]=================2002-10-16
【そぞろ通信】11月号*第14号[+85]=================2002-11-16
【そぞろ通信】12月号*第15号[+85]================2002-12-16



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Date: Sun, 16 Jun 2002 23:54:38 +0900
Subject: 「そぞろ通信」第9号 スロウメルマガをあなたに

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■【そぞろ通信】6月号*第9号[+85]===================2002-6-17

       □「あまね通信」改題通巻94号□創刊2001年10月16日
       □発行/直接配信<BCC>□編輯発行人/山口平明
       [1行32字で改行-等幅]転載転送は一言お願えします
          ★感想宛先/amanetant81@hotmail.com

□もくじ□
(1)漫歩系--------------------------------------------山口平明
(2)FYI/ミツル・カメリアーノ色鉛筆画展@奈良室生6/21〜30
(3)二十年ぶりの小学校教師--------------------------山口ヒロミ
(4)編輯後記あっさり--------------------------------<へ>の字

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■1■漫歩系/Man呆け

 尽くしてのち終息せず・・・・・・・・・・・・・・・・・山○平明

 ラジオで内藤陳さんが、午後二時から八時まで読書にふける、と話し
ていた。恐ろしい人だ。朝4時まで起きてるというから原稿書きは夜中
なんだろう。舞台や映画に出演するときはまた違う時間帯に本を読んで
いるのだろうか。本代は月に六万円ぐらいとか。贈られる本の半分は駄
目だそうな。わたしはいま本は買わないしほとんど読まない。

 陳さんはテレビには出ないそうだ。小屋へわざわざ金を払って見にき
てくれている目の前のお客をなんとかして喜ばせたい、笑わせたいと思
う。笑うってことはこちらを認めてくれているということ。演者にじか
に伝わる反応。笑い声と拍手は「ありがとう」の合図。この関係はミニ
コミに似ている。手紙のやりとりにも。
 
 ふいに天音の顔がうかんで涙がこみあげてくるときがある。台所で食
事のあとかたづけをしているときなんか、うつむくと眼鏡に涙の滴がこ
ぼれる。いけないと思い顔を上げると、滴が顎まで伝いおちる。いくら
泣いても昇華されない。

 僕の舞台はどこにもない。拍手喝采とか「面白いよ」とか「ありがと
う」などという言葉を得られる場をもたぬ。天音は「ありがとう」とひ
と言も言わなかったのに、わたしに不満はなかった。むしろ歓びがあっ
た。尽くしの心髄か。今年六月十七日は、生きていたら二十一歳。思い
出もうすらぐ。あの抱っこの感じ、あの匂いも再現は至難のことだ。

 鉄人のヒロミ画伯が、とうとう五月下旬の日曜日に熱発。かつて彼女
の職業病であった咽喉をやられての発病だ。二十年ぶりの現場復帰、し
かも三年生担任。学年初めはそれでなくとも繁忙期で、五月初旬には家
庭訪問と奈良への遠足、地域図書館の見学総合学習への取組み準備など
がつづいた。いかに元気なヒロミさんといえど天音を介護していたとき
のような若さはもはや無いから、二十年職業として使ってなかった咽喉
をやられたわけだ。

 二足の草鞋の画業のほうでは、岡山牛窓の展示空間の下見、大阪豊中
の画展の会場への搬入、ここでの講演、注文のある冊子に絵を描くなど、
また草の根通信の原稿書きと五月は多忙をきわめた。二年前、天音をか
かえて京都・大阪・神戸と画展ができたのは、この世にありながらこの
世ではないような場にいたのかもしれない。天音と生き暮らす不思議。
天音を通じての加護があったにちがいない。

 散歩をすると、自分ののろさ加減がよく解る。わが身体で誇れる能力
はゆっくり歩けること。心臓の不整脈のせいばかりでなく、歩く速度の
遅さのろま具合はどんなお年寄りをつれてきても大丈夫。町に出ると小
生以外はだれもみな下り坂を歩いているようだ。わたしはふらつきなが
らのろくさ歩く。自分なりの急ぎ足は一分ももたない。地面を蹴る力が
欠けている。だからかえって昇り階段は調子よい。二段上がりだって平
気。もちろん心臓は常に服用のクスリでもたせているわけだが。

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■2■For your information
 ミツル・カメリアーノ色鉛筆画展「三拍子のメロディ」@奈良室生村

★6月21日(金)〜30日(日)無休 11〜18時
★ギャラリー夢雲moon 奈良県宇陀郡室生村向淵415
 大阪から近鉄特急八木乗換、名古屋から同名張乗換 「室生口大野」
 近鉄室生口大野駅より車で10分/車なら名阪国道「針IC」より15分
 Tel0745-92-3960 Fax0745-92-3961

 ☆ミツル・カメリアーノ 色鉛筆画家。本名は椿野充、1950年生まれ。
阪神淡路大震災のあと、兵庫県西宮市から岡山県牛窓町に移住。瀬戸内
の島々をのぞむオリーブの丘や虫、野菜などを色鉛筆で描き、絵本制作
や個展活動、色鉛筆教室や出前ワークショップをつづけている。
 「2001年、夢雲でアフリカの木琴に出会った。……木琴と色鉛筆
は似ている。三原色のハッチングと三連符のリズムにのせて。……時間
を忘れて時を刻む。期間中、夢雲にいて、六月の室生村の風景を描いた
り、木琴をたたいたりしながら、皆様のお越しをお待ちしております」

 ☆カメリアーノお絵描き教室/6月22日(土)午後2〜4時ごろ 参
加費2千円(お茶お菓子付)要予約 こどもから大人まで楽しく描きま
しょう。

【若干の忠告】カメリアーノ画伯と面談を望む向きは、必ず夢雲に電話
してから行かれるようにお勧めする。平明に聞いてきたといえば、便宜
を得られることは、…ない。おそらく室生は山の中、くれぐれも電話で
確かめてから行かれますように。地図つき美麗の案内絵葉書を希望者に
はお送りします。メールで請求してくだされ。

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■3■

 二十年ぶりの小学校教師・・・・・・・・・・・・・・山口ヒロミ

 天音が亡くなって二年目を迎えました。私と平明は天音のいない寂し
さにほんの少し慣れてきました。しかし、何をしていてもどこか頼りな
く、気持ちの中にいつも冷たい風が吹いているような感じを抱えていま
す。

 それでも、ふたりの毎日は続いていきます。「天音と一緒に僕たちも
消えてしまえたらよかったね…」、深いため息とともに平明のくりごと
は続きます。いつまでもこんなことではいけない、天音の一周忌も終わ
ったのだから、新しい私たちの生き方を見つけなければと、私は口にだ
して強がってみたりしました。

 四月四日のことです。ふたりで散歩に出かけようとしていた午後、電
話がなりました。「ヒロミさん、仕事決まった」、教師をしている友人
からでした。「なあんにも決まってないよ」「じゃあ、教頭さんと電話
代わるね」「えっ、なに」、びっくりする私におかまいなく男の人の声
がしました。
「K小学校の教頭です。わが校へ来てもらえませんか」
「えーっ」

 こうして私は突然にK小学校の3年生の担任になったのでした。
 どうなっているのと驚かれたでしょう。実は、私は二月の初めに大阪
市教育委員会に臨時講師登録をしていたのです。教員免許状を持ってい
る人は誰でも登録ができます。

 何か仕事をしようと考えて新聞の求人広告を捜しても、五十六歳とい
う私の年齢ではほとんど絶望的でした。絵を描いて暮らしていけば、と
親しい友人がいいました。とんでもない、絵を描き続けるにはむしろお
金がかかります。絵を描くためにも、もちろん暮らしのためにも、何か
仕事をしなければなりません。

 いろいろ考えた末に「昔とったきねづか」しかないかと決心をしまし
た。天音を出産するまでの十四年間、私は小学校の教師をしていました。
子どもを出産してもずっと教師を続けるつもりでした。育児と仕事を両
立させている女の人に憧れていましたから。

 教師を辞めてもう二十年が過ぎています。いくらなんでも担任は無理
でしょう。それに、できれば障害児教育のおてつだいをしたいと考えま
した。講師登録の希望欄に、非常勤講師、障害児教育を希望しますと書
きました。週に十時間か十五時間も働ければいいと思っていました。

 昔の同僚たちがまだたくさん現役で働いています。校長や教頭になっ
ている人もいます。校長や教頭に仕事のことを頼めば早く決まるかもし
れないよと、アドバイスをくれる友人もいました。しかし、私は講師登
録をしただけで、誰にも頼みませんでした。

 三月中ずっとちょっと緊張して過ごしました。また教育界に戻るかも
しれないと思うと、新聞記事の教育という文字に目が吸い寄せられまし
た。四月の新学期から学校は完全週五日制が実施され、それに対応して
新学習指導要領で授業が始まるとか。新聞には教育の文字があふれてい
ました。

 三月下旬、春休みに入ったある日、やはり教師を続けている別の友人
が心配して電話をくれました。彼女の学校では、新学期に向けて新しい
講師が派遣されてきたというのです。「だから、どこかの学校に決まっ
ていたら、今時の学校の状況を教えてあげようと思ったのに。大丈夫、
若い先生なんてほとんどいないから。みんな年取った、あなたと同じぐ
らいの人ばかりよ。だから、年齢なんて気にしなくてもいいよ。でもね、
子どもは大変な変わり様。髪は茶髪で携帯電話を持って学校へくるのよ。
きっとあなた、びっくりすると思う。そのうち要請がくるからきっと先
生にもどってね」、と慰めのような励ましをうけました。

 四月に入ってもなしのつぶて。教師をしている弟がいいました。
「考えてみたら姉ちゃんより若い校長や教頭が多いんやで。姉ちゃんみ
たいに年いった先生は使いにくやろう。やっぱり大学出たすぐの、教師
になりたい若い人が採用されるよ。まあ無理やね」、そう言われてみる
とその通りだと思い、急に熱が覚めて緊張がほどけました。
「僕もほっとしたよ。貧しくてもこのままのんびり暮らしていくほうが
楽しいよ」と平明らしいお言葉。
     *
 ふたりがそんな思いでいたところへあの電話でした。それも教育委員
会からではなく、直接友人の勤務校から。なにがなんだかわからないう
ちに、私は四日後の四月八日、K小学校の運動場の朝礼台の上から子ど
もたちに挨拶をしていたのです。

 K小学校は大阪市の南東のはずれ、隣は八尾市と東大阪市に接した場
所にあります。教室の窓からは畑が見え、むぎわら帽子をかぶったおじ
さんが野菜の世話をしているという牧歌的な雰囲気、しかし、一方では
中小企業の工場が工場団地として一帯を占めています。学校は一年から
六年までそれぞれ二クラス、一クラスがどの学年も二十五人から三十人
までのこじんまりとした大きさ。先生は二十人、その中で講師は、私と
今年教育大学を出た男先生それに民族教育担当の在日の女性。

 さて、二十年ぶりの学校の印象はただただ忙しい。子どもに勉強を教
える以外にこんなにたくさんの事務的な仕事があったのと目をまわしま
した。職員会議のたびに書類の紙が束になって目の前に積まれ、私は途
中からわかろうとすることをあきらめました。

 三年生は全ての教科を全部担任が教えます。当然に国語、算数、社会、
理科、などすべての教科の研究担当をふたりで分けなければなりません。
教科以外にもいろいろな研究部会がいっぱい。私はいまだにどこの部会
に所属したのか、恥ずかしながらほとんど覚えられないのです。

 何かの書類を書かねばならない時、私はひとつひとつ教えてもらいな
がらなんとかやっています。特に学年会計は大変。ここでは昔とったき
ねづかも役に立ちません。三十代半ばまで教師をしていたのに、一度も
学年会計をやったことがなかったのです。あの頃、私は若くて頼りなか
ったので、きっと年配の先生が引き受けてくれていたのでしょう。なに
も知らずに生意気なことをいっていたなあと、今さらながらむかしの同
僚だった年配の先生の顔を思い浮かべました。

 あちこちに頭を下げ失敗を繰り返しながら、くたくたに疲れて毎日通
っています。
「担任なんて無理に決まってたのよ。引き受けなきゃよかった。あ〜大
失敗だわ」、平明にぐだぐだと愚痴をいう毎日でした。ところが、ある
日、他の学年の先生に言われました。「山口先生、毎日楽しそうに通っ
てられますね」

 なんということでしょう、私は教室の中で子どもと一緒にいるのが楽
しくてしかたがなかったのです。三年のわんぱくたち、それもいたずら
をする子ほど、いうことを聞かない子ほど可愛くて、可愛くて。三年生
だから、まだまだ腕力ではまけません。離せ、離せ、ともがく悪ガキを、
なんかい注意したらわかるの、と叱りながら胸に抱きしめます。すると、
その子の両頬がぽっと赤くなり、「先生やからがまんしてんねん」と捨
てぜりふをいって私の胸から離れていきます。

 泣き虫の、髪の長い女の子。勉強はとてもにがてですが、給食当番の
仕事をひとりでもくもくとやり終え黙って席につきます。私は目が離せ
ません。ひとりで頑張ったこと、先生はちゃんと見ているよ。

 けんかを叱ると、口をとがらせて泪をぽとぽと落とし、僕だけなんで
注意すんねんと抗議する男の子がいます。ふたりを怒っているのに、僕
だけ、と悔し涙を流すこの子のこころには何があるのだろう。笑顔が可
愛くて、もうそれだけでこの子は生きていけると思わせる女の子。歩く
後ろ姿が頼もしく私を見とれさす男の子。

 この中に障害を持つ子がいたら、その子が天音のような女の子だった
らどんなに楽しかったか、そう思った瞬間私はもう泪が溢れそうになり
ました。こんな顔を子どもに見られたら教室中が大騒ぎ、先生が泣いて
るって喜ぶんだから。

 私が担任になれたのは、このクラスを受け持つはずの先生が精神的な
病気で突然休まれたからです。あまりに突然だったので、教育委員会の
手配も間に合わなかったらしいのです。私はとってもラッキーでした。

 勤め始めて二か月、教室以外の事務的な仕事にも少し慣れてきました。
これからやっとまがりなりにも教師としてやっていけるかな、という時
期なのに、実は身体が疲れてくたくた、壊れそうです。それに、私の代
わりに家事全般をまかなってくれている平明もくたくた。どちらが先に
音をあげるでしょう。(二〇〇二年五月十八日執筆)

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■4■編輯後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<へ>

 今月号は「あまね通信」みたいにわたしたち二人の文章のみの構成で
す。わたしのほうは四百字三枚ですが、ヒロミ画伯のほうは十枚の長編。
これは松下竜一氏発行の「草の根通信」6月号に掲載されたものを転載
しました。通信に載せたペン描きの挿絵を見たいかたはメールをくださ
い。ファックスか郵便で送ります。

 山口ヒロミの銅版画をカラー印刷で絵葉書にしました。画展に来られ
たかたはご存じのもの。画文集『天amane音』の12点(もともと「母の
友」誌に連載)と、『不思議の天音』から4点をあわせて16点セットに
して、「そぞろ通信」読者特別頒布として、1枚120円16枚1920
円のところ、送料込み、消費税なしの1500円にて申し受けます。(テレ
ビショッピングかい) メールかファックスでご注文ください。6月25
日まで。支払いは品物に同封の郵便振替票でお願いします。
★Fax06・6543・0135(受話器あげずに送信して下さい)

 「そぞろ通信」の読者様でまだ一度もお便りメールをくださってない
かた、6月末までにぜひメールくださいませ。本文を書くのが面倒でし
たら、タイトル・件名欄に【読んでるよ】とだけお願いします。本文は
なしでいいですよ。もちろん配信が迷惑なお方は同じく【不要】とくだ
さいませ。わたしは事務能力なく、直接配信なので名簿管理が煩瑣です。
ご協力たまわれば助かります。よろしくお願いします。

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手紙文芸【そぞろ通信】6月号はここまで。itigyoudemoiikaraotayori
kudasai m(__)m tayorinainohagenkigasibomu.fuyounokatahaiutene
お便り近況はここからクリックですよ→ amanetant81@hotmail.com
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■【そぞろ通信】9月号*第12号[+85]=================2002-9-15

      □「あまね通信」改題通巻97号□創刊2001年10月16日
      □発行/直接配信<BCC>□編輯発行人/山口平明
      [1行32字で改行-等幅]転載転送ひと言がうれしい!
        ★督励先/ amanetant81@hotmail.com
        ★志納郵便振替先/00980-2-87322 アマネタント
□もくじ□
(1)ヒロシマ[引用の織物]----------------------------山口平明
(2)家事細見帖・お掃除の巻--------------------------岡本尚子
(3)山口ヒロミの作品案内----------------------------Haymay
(4)編輯後記そこそこ--------------------------------へいめい


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■1■ヒロシマ[引用の織物]----------------------------山口平明

  人種差別に根ざす大量虐殺[genocide]を個から考える

 アメリカの無差別爆撃で大量虐殺されたヒロシマの死者につながる人
びととして、ナチにホロコーストされたユダヤの人びとをあげねばなる
まい。また、いまも米軍の「誤爆」によって、アフガンの子どもたちが
殺されている。3月末の大侵攻から現在にいたるまで、イスラエルはパ
レスチナそのものを壊滅するべく殺戮と破壊をやめようとしない。わた
しはヒロシマの死者の遺族の一人として、伝えておきたい言葉を書き抜
いて読者のお力を得ながら記録にとどめておこうと考えている。
ともに考えていきたい。《 》内が引用部分です。

〜〜〜
1>中村哲さん [ペシャワール会医療サービス院長]
 《タリバン政権の崩壊は、取り返しのつかぬ無秩序と、人びとの苦境
を生み出したといえる。「解放」されたのは、麻薬栽培の自由、餓死の
自由、アフガン人が誇りを失う自由である。今後「アフガン問題」への
関心は急速に薄れるが、国際社会は一連の出来事の根底から読み取れる
地球規模の破局に気づいているとはいえない。将来、再び「アフガニス
タン」が話題になるとき、自らの足許に及ぶ厄災を知ることになるだろ
う。》 ☆出典「ペシャワール会報」71号(2002年4月26日)より

[★へいめい沈思] わが身を捨てて他者の役に立つ人にも家族がいる。
中村さんにも妻子がおられる。………。愚かな平明よ、連綿たるいのち
のことを感じ考えよ。とにかく生きておれ、と。

〜〜〜
2>栗田禎子さんyoshiko [中東現代史]
《…ホロコーストの記憶を利用して、二度とホロコーストがおきないた
めにユダヤ人は自分を守らなければならない、ユダヤ人国家が必要だと
言っている人達は、結局、ホロコーストで死ななかった人達なんだ、ホ
ロコーストで死んだ人は死んでしまったのだということ。イスラエルの
シオニズムの指導者たちというのは結局、死ななかった人々、ナチのア
イヒマンなんかと適当に取り引きしていた人々であって、うまく生き延
びたこの人達こそがまさにホロコーストの記憶を尊重しているかに見え
て、実はイスラエルの支配層こそホロコーストの記憶を最も冒涜してい
る人達なんだと思い至ったんです。》 ☆「現代思想 思想としてのパ
レスチナ」6月臨時増刊号(青土社2002年6月10日)の巻頭討議、
鵜飼哲・臼杵陽・栗田禎子のうち栗田禎子の発言

★父が死んだ年齢をこえたころ広島にでかけた。
 なあんだ生き残った人たちで普通の都会をつくってる、と思った。
 小泉首相も福田某も「先の」戦争で生き残ったエライサンの息子だ。
 広島の町でであった身内を喪った中年の男にいわれた。
 被爆して生き残るのもむごいですよ、と。

〜〜〜
3>広河隆一さん [フォトジャーナリスト・作家]
 《子供たちが被害にあった兵器の一つは、クラスター爆弾である。こ
れはベトナム戦争で改良されたアメリカ製兵器で、飛行機から2メート
ルほどの大きさの爆弾が投下され、上空で二つに割れ、中から数百のこ
ぶし大の爆弾が飛び散る。下におちたときに爆発するものもあるが、多
くは手足にふれたときに爆発する。これはまったくの対人兵器である。
兵士はこの恐ろしさを知っているから手にふれない。しかし子供は何か
わからずに手に取る。そして爆発し、中から小さな鋼球が猛烈な速度で
飛び出し、体をずたずたにする。ちょうどそれは至近距離から何百丁も
のピストルを一度に発射したようなもので、皮膚は残るが、体の中の骨
も肉もペースト状になるため、被害者は歯磨きのチューブにたとえられ
る。》 ☆広河隆一『パレスチナ 瓦礫の中のこどもたち』徳間書店
(1991年6月30日)

★一九八二年のイスラエルによるレバノン侵攻、レバノン戦争。
 シャロンが国防相だったときで、
 ベイルート市内のパレスチナ難民キャンプで虐殺があった。
 二十年前のレバノン戦争でクラスター爆弾が投下されていた。
 アメリカ製のそれがアフガンで使用された。
 武器と軍需品の消費、在庫一掃の場が戦争である。
 もうこれは人種差別としかいいようがない。
 かつてのユダヤの身代わりにパレスチナを捧げる。
 白人キリスト教徒の権力者や持てる者たちにとって
 アラブもアジアもアフリカも先住民のいた米大陸も
 植民地でしかなく、そこでは大量殺戮があった。
 イスラエルはアメリカの武器消費を請け負う。
 
 アメリカではベトナム戦争のときのような事件が起きている。
 アフガン派遣の「特殊部隊」の兵士が帰国後、おかしくなって…。
 六月十一日、第三特殊部隊のリゴベルト・ニエベス一等軍曹[32]が妻
 を口論の末に射殺し自殺した。
 六月二十九日、第96民生部大隊のウィリアム・ライト曹長[36]が妻を
 殺害、殺人罪で起訴されている。
 七月十九日、隠密行動で知られるデルタフォースのブランドン・フロ
 イド一等軍曹[30]が妻を射殺し自殺。
 三人は、アルカイダ掃討作戦に従事していた帰還兵士たちだという。
 [帰還兵のことは「毎日新聞」九月十日の<9・11テロ1年 米国の
 「正義」>佐藤由紀記者の「米兵むしばむ戦時重圧」によった]

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■2■家事細見帖/お掃除の巻・・・・・・・・・・・・・岡本尚子

  夏休み 箒持つ子の けだるさう

 平明さま。仕事や学校の休みの日、私どもの子どもたちは、分担して
掃除をすることになっております。昔は長屋だった家を二階建てにした
家で、間口の狭い奥行きの長い土地ゆえ、廊下なし、通り道が飯食う所、
寝る所。

 部屋はアコーディオンカーテンで仕切るようになっているだけで、戸
は便所の戸と風呂の戸、玄関の戸ぐらいしかありませぬ。家具といえば、
近所からもらった学習机五台とタンス三本。食事はちゃぶ台。少なくし
ないと寝る場所がナイ。

 そんな家でも、七人が暮らせば、ゴミ、ホコリの出ること出ること。
掃除も洗濯と同じく、明日やればいいなんて生やさしくはありません。
食べこぼし、消しゴムのかすから髪の毛、チリ、散らかされたチラシ、
新聞、マンガ、衣類…。それを片づけ、そうじ機をかけるプラス、朝の
食事の食器洗い、玄関、トイレそうじが子どもに課せられた仕事なので
す。

 が、子どもがすると、すみっこにホコリがたまったりする。それを文
句をいってやり直しさせるのもエネルギーがいります。夏休みもあと二
日という今日は下の子三人(中三、小五、小二)でやっておりましたが、
一時間はかかってました。私が一人でする時には、二時間近くかかるの
も無理はないなと笑ってしまいます。

 ただし、この掃除をしたからといって家中ピカピカとかそんな事は全
然ありません。本や雑誌が部屋の角に積み上げられ、タンスにしまわれ
なかった衣類がカゴに無造作にいれられ、棚やカーテンレールの上はほ
こりがたまりきっており、床に物がないのは一瞬であり、夜ともなれば
また、ゴミの山となるのでございます。堂々めぐりの中、夏休みが終わ
るということは、掃除をするものが私だけ、ということ。ものの哀れを
感じます。
 では、また。暑い中にも日差しに秋を感じるこのごろ。お元気で。

[へいめいコメント]いくら編集作業を省きたいと思っても、筆者とのや
りとりはかかせない。最終確認に校正をメイルで送ったら、ファックス
で返事がきた。この中に添えられていた句をここに拾っておく。
 土器の肌からセミの声聞こえをり
 真っ赤は秋の色だといふ人とゐて
 白秋や一瞬を永遠に止めてをり

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■3■山口ヒロミの作品案内-------------------------------Haymay

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◎震災にも耐えた市場迷宮で個展<イノチの天音>
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 一昨年九月、大阪ミナミのNGK[吉本興業の劇場]前にあるジュンク
堂書店のギャラリーで、『不思議の天音』刊行記念として「山口ヒロミ
銅版画展」を開催していたころ、自宅で天音は調子悪くなったのだった。
母・ヒロミの付き添いで入院三日間。
 展示が終わり、小生[平明]は二人の女性に手伝ってもらい絵を搬出し
た。クルマでジュンク堂からそのまま病院へまわってもらい、母子を乗
せ退院した。でもほっとする間もなく、この夜おそく天音は危篤におち
いった。
 二〇〇〇年九月二十二日未明、再入院。なんども呼吸が停まった。で
も不思議の天音は、このあと四週間も闘いつづけ、そして十月十六日、
ふっと亡くなった。わたしたちはあの子が「長いお別れ」をさせてくれ
たと思っている。十九年四か月、ありがとう、ほんとうにありがとう、
不思議の天音ちゃん。
 去年一月でた母・ヒロミの画文集『天 amane音』の出版を記念して二
月、ジュンク堂書店大阪本店のギャラリーで、また、天音の誕生月の六
月には東京三鷹「のびらか」で銅版画展を開いた。「あまね通信」のな
がらくの読者で一度も逢ったことのない方々が会場に来てくださり、絵
のなかの天音に逢ってもらった。
 こうして、母・ヒロミが描いた「天音の絵」をもって、遺された父と
母は追悼の旅をした。八月、ヒロミだけで北海道旭川のこども富貴堂書
店へ展示とお話に出かけた。九月には、東京一ツ橋の教育会館の画廊、
それから、一周忌にあたる十月、『イノチの天音』刊行記念として東京
池袋のジュンク堂書店池袋店へは二人で出かけ、かけあい漫才のように
お話をさせてもらった。天音がいたら二人そろって外出なんてありえな
い。もうこのころには夫婦ふたりが泊まりがけで出かけるのに少し慣れ
てきたのだった。
 今年二〇〇二年、五月には大阪豊中の「ひまわり」で、六月は岡山牛
窓の「青空」で「イノチの天音展」を開いた。四月、ヒロミ画伯は急に
きまった臨時講師で小学校へ勤めだして、前から決まっていたこれらの
個展の搬入や講演で大変だった。三年生の担任に天音も驚いているだろ
うね。お母さんは頑張りやさんだから大丈夫かなあ、とあの子は思った
はず。でもね、一学期を無事勤めて、九月の新学期、小学校へ離任の挨
拶に出かけた母さんは、いま体調を整え、ふたたび銅版画制作に楽しそ
うに打ちこんでいるよ。
「描きたいのはやはり天音と生きたこと。あの子はどこにもいないけれ
ど、天音がもたらした<いのち>を描いていくつもり。絵そのものはど
う変化するか、まだ判らない。抽象的になっていくのでは、と予測する
人もいるけれど…」
「天音と暮らしていた二十年ものあいだ、ずっと思い続けていた外国へ
の旅を果たしたい。今、このとき、天音に時間をもらったんだからどん
どん出かけて行きたい」
 ヒロミさんの「第三の人生」は、闇の中に光を探りあてた人[闇が燃
える、というた人がいる]だけが持たされる、あるいは持ちうる名状し
がたい耀きにつつまれて、ひたすらな一本の道を歩んでいくにちがいな
い。
 今回の展示では、二人の共著『イノチの天音』の原画を中心に、新作
も出品の予定です。この本は、ジャパンマシニスト発行の「ちいさい・
おおきい・よわい・つよい」誌に連載のかけあいエッセーをまとめて同
社から出版したもの。山田太一さんの推薦の言葉、表紙と口絵を合わせ
て五点のカラー銅版画を収録、また連載時のドライポイント技法による
モノクロの銅版画も本文中に入っていて楽しめます。
 みなさまのお越しをお待ちしております。

      【山口ヒロミ銅版画展のご案内】

 ☆場所/神戸・平野市場「侑香」yuka 078−361−5055
 ☆期間/2002年10月12日[土]〜26日[土]、日曜日お休み
   連日11:00am〜6:00pm
 ☆作家在廊日/金曜日・土曜日・14日の午後2時以降です。
 ☆画廊/いちばぎゃらりぃ「侑香」平野市場の布団屋さんの2階
  神戸市兵庫区下祇園町26-5 ふかみ商店2階 078-361-5055
 ☆交通/○三宮そごう前から市バス7系統
     ○JR神戸駅から市バス7・9・11系統
      ◎それぞれ「平野]停留所下車、平野市場内
  ※銅版画はもちろんサイン本や好評の絵葉書も販売いたします。

  ●【「そぞろ通信」読者オフ会および追悼絵】について
   平明とじかに逢って歓談をしてみようというかたは、お気軽にご
   連絡ください。06-6543-0135まで。
   市場のなかのうどん屋さんとかお寿司屋さんでいかがですか。ま
   たコーベの夜、どこかで一寸いっぱいもいいですね。

///////////////////////////////////////////
◎山口ヒロミの雑誌掲載作品紹介[真田山公園]
///////////////////////////////////////////

 ヒロミさんが描いた絵が今年七月に発行された「しごと情報ひろば」
第1号の裏表紙をかざっています。これは大阪市市民局が発行している
A4判16ページの冊子。
 銅版画ですが一色で刷ったあと手描きで色づけしています。大阪市の
ホームページにカラーで出ています。よければ下記サイトをご覧になっ
てください。拙文八〇〇字もくっついてます。(~_~;)
http://www.city.osaka.jp/shimin/shigoto/jyouhou/jyouhou_12.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■4■編輯後記----------------------------------------へいめい

 「そぞろ通信」を創刊して一年がたつ。月刊ペースはどうにか維持でき
た。いま何をしてるか、と問われて、メルマガをやってる、と答える。
そうすると、それは趣味でしょ? といわれる。趣味なんかじゃない。
小生は本気で電子出版の仕事をしている。お金にならないから、職業と
か事業ではないけれど。

 松下竜一さんの「草の根通信」という月刊ミニコミに、天音との暮ら
しをおよそ七年にわたり書かせてもらった。もちろん原稿料はない。こ
れらをまとめて『娘天音 妻ヒロミ』と『不思議の天音』の二冊を公刊
できた。読者の存在があればこそ、毎月書きつづけられた。ときに「読
んでますよ」という読者の声が届くと、大いに励まされた。これはもう
日々の仕事というほかあるまい。

 喰えなんだら喰うな。うーむ。まだそこまではいたってない。いける
とこまでいくべし。書く意欲があるうちはまだ生きていけるだろう。天
音が居ない家で、やっとここまでやってきた。脳梗塞後遺症のリハビリ
も難業であったが、天音喪失のリハビリはもっと難行である。いのちの
こと、死のことをかなうなら死ぬまで思惟しつづけていきたい。

 今年三月半ば、彦根へ出かけた。このすぐあと大阪であった小さな集
まりで出逢った人に「そぞろ通信」を送ったら、彦根へ三十五年も前に
行ったことを思い出した、とメイルがきた。たった一度しか逢ったこと
のない彼の篤実な二通の返事メイルが嬉しかった。これからも送ってほ
しい旨も記されていた。妙に懐かしさを感じさせる彼の人柄は、メイル
の言葉だけでなく一度きりの出逢いでの印象も作用している。
 三月三十日、この人は東京日比谷公園で自死を遂げた。今号はこの人
[檜森孝雄himorikoyu**]のことを思い浮かべながら書いた。彼のアドレ
スは削除せずそのままにしている。来月は天音の三回忌。
 [**註]水田ふうさんの個人紙「風」34号にこの人のことが出ている。
 http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/kaze34.htm

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
月に一度の手紙文芸/メルマガ【そぞろ通信】9月号はココマデであり
ます。全部で四百字換算ざっと22枚、お忙しいなか読んでくださりあり
がとうございます。夏はお休みとれましたか。近況をお便りくだされば
欣喜雀躍であります。では、みなさまごきげんよう。
 amanetant81@hotmail.com

 ="0927">
 

Date: Fri, 27 Sep 2002 14:06:22 +0900
Subject: あなたへ【電子チラシ020927】パレスチナ人間の楯

●「そぞろ通信」読者のあなたへ電子チラシ020927版を、山口平明からBCCで
直接配信します。本文の重複ご寛容に願います。

 9/26夜十時、NHK教育テレビの「ETV2002/あらわれた世界新秩序】
を見た。イタリアの思想家、アントニオ・ネグリが911以前に書いた『帝国』
が、現在のテロ後の世界状況を予測していた。小生は未読。

 この<帝国>の思想を読み解くのが番組の狙いという。西谷修が聞き役で[同書の訳者]が解説した。原著は二〇〇〇年に出版。冷戦終結後の植民
地をもたない帝国の存在をつかみだし、その現代の帝国が、かつての市民でも
人民でもない、疎外されまつろわぬ群集である【マルチチュード多数性】を生
みだしたとした。

 プロレタリアではないマルチチュード。テロ後ではアメリカが頂点に位置し、
国民国家群がその下に、そのまた下に国際企業、最下層と見える部分にメディ
アやNGOなどの組織があるピラミッド。これらで世界の三分の一を占める。
だがこれらに入らない多数者のなかで、右でも左でもなく、冷戦構造の東西ど
ちらにもノンといった人びとがいた。

 いまなら自爆攻撃におもむくパレスチナ人が、おそらくイスラエルだけでな
くパレスチナ自治政府へも難詰抵抗の意志を示しているはず。もっといえば、
パレスチナをかつての欧州におけるユダヤにしてしまった欧米キリスト教徒
[他者に正義はないと決めつける人たちとでもいおうか]をも見透かしているに
ちがいない。

 酒井は、画期となったのは一九六八年だという。パリ、プラハ、東京、既成
左翼ではないまさにマルチチュードの叛乱。これらは権力奪取をしない人びと
であり、従来の政治回路にとりこまれない。いまや、いやいやずっと昔からメ
ディアは権力と距離をおかない。メディアは権力の広報宣伝をずるずるべった
にやった過去をもつ。真実を探ろうとも知ろうともしない。

 小生のような量にも入らない個が、マルチチュードとして真実[恥ずかしい
のう]に言及しお節介メディアをやっている所以である。お節介や世話焼きは、
当今ボランティアとも呼ばれる。せいぜい十字軍にならぬよう自戒せねば。

 ネグリの『帝国』を読みもせず、テレビというメディアの読み解きに依拠し
てかくのごとく書くちゅうのは矛盾しておる。先刻承知。じゃが、画面にあら
われインタビュウに答えるネグリの元気さと陽気さとに惹かれてしまった。虚
無と悲観に親しんでいる小生をして、書いてみようと思わせるネグリの真実探
求の表情があったといっておきたい。

 また番組の終わりのほうで酒井が、現在の希望としてパレスチナにおける人
間の楯の運動をあげていたことが印象に残った。規範化されない無秩序なマル
チチュードを、帝国に入っている世界の三分の一が統制管理しようとする。そ
の頂点にいるのが今はアメリカなのだ。あなたは希望をもてますか。
 長い前ふりで御免。本文も長いです。では。

━━━━━━━━━━━━━━━━
★パレスティナ〈人間の楯〉News
━━━━━━━━━━━━━━━━
    ◎情報提供:黒 La Nigreco Tokyo(2002/09)転送/水田ふう

 【Jenからのリポート Tulkaram&Nablus 2002.9.5-1】

みんな元気?
 Tulkaram郊外で、市長と小さな村々からやって来た農夫たちとミーティング
をしてきたところです。イスラエルは、軍事力にものをいわせて、パレスティ
ナ人たちの大地を遮蔽する道路、フェンス、壁、溝をつくっています。人びと
の土地を不法に没収しているのです。その結果、彼らの家族は、どうしようも
ないほど荒廃した経済状態に陥っています。

 イスラエルの兵士たちは、もし作物の世話をしようとすれば、撃つことを確
約してきました。ある兵士は「狙いやすいからな」といっていた。威嚇射撃で
はありません。私たちはいま、アメリカの農場労動者組合に公開のアピールを
送っています。もう、何も失うものをもたなくなったパレスティナの農夫への
連帯を呼び掛けて。

 しかし、いま私たちは荒廃を停止させる望みをあまり持てないでいます。都
市部では、イスラエル軍の暴力はますます強化されています。
 下に続けるのは、私たちの仲間が送って来たナブルスからのノートです。も
しこのまま兵士たちが街の包囲を維持するなら、私たちもまた、ナブルスで活
動している他のインターナショナルズに合流してくれと頼まれるかもしれませ
ん。
 あなたにお伝えします。愛をこめて 、Jenより 。 2002.9.5
   *
 【ナブルスから 2002.9.5-2】

 イスラエル軍は、今年はじめF16で爆撃したパレスティナ刑務所周辺で道路
を掘り起こし、通行を閉鎖するブロックをつくった。向い側にあるモスクの外
側を走る、Askarキャンプ、バラタ・キャンプとナブルス旧市内への道路が交
差する十字路では、戦車、装甲車と警察のジープが臨時のチェックポイントを
設置した。

 今朝のミーティングで、私たちはこのニュースを聞いた。そして、数人で何
が起きているのかを見に行くことにしたのだ。旧市街とキャンプの間を通過す
る人びとがひとくおびえているという。私たちがそこに着いたとき、人びとは
群がって、障害物の両側に立っていた。そして、この問題をなんとか解決しよ
うとしていた。数人が、障害物を越えた。地元の老人たちと子どもたちだった。
彼らは、通りをとり囲むバリケードを組んで、道ばたでたき火をしていた。モ
スクのそばに停まっていた戦車は、数分間銃砲を私たちへ向けていたが、その
後移動していった。

 私たちはブロックを越える人たちを護衛しはじめた。1人が、平坦な通り道
を作ることに従事した。そのうちに、子どもたちが落ち着きをなくして来た。
石を拾い、チェックポイントが見える場所まで行きと、軍が報復する前に逃げ
ていった。彼らの石は、兵士の近くにさえ届かなかったのだ。

 2、3時間の間、私たちはそこで人びとに付き添っていた。パレスティナ医療
救急センター(UPMRC)の救急車ドライバーが、兵士に車から連れ出され、殴
打されているという知らせをきくまでは。私たちは、チェックポイントまで行
き、何が起こっているのか自分の目で確かめることにした。通過できるかどう
か様子をうかがっていたパレスティナ人のトラック運転手たちと一緒に、木の
下に座りこんでいる救急車ドライバーを私たちは見つけた。

 Mosheという、22才のイスラエル軍兵士は、メモをとっていた仲間に近づい
てきた。「ジャーナリストか?」彼は、尋ねた。「イエス」彼は彼女にプレス
・カードを見せるように要求した。彼女はカードを差し出したが、カードを手
から放すことを拒否した。「どうしてよこさない? おれがナチだとでもいう
のか?」驚くべき言いようだ。イスラエル兵は、私たちが彼らに対して、決し
て口に出そうとは思わないことをことばにしてみせるのだ!

 赤十字の車がすぐ近くに来ていた。そして、スイス人の女性が、兵士に対し
熱心に交渉した。私たちは、そこに座り、下の方から子どもたちの叫び声がひ
びくのを聞いていた。すると突然、Mosheともう一人の兵士が実弾射撃を開始
したのだ。いちばんいらいらさせられた子どもに向かって。チェックポイント
では誰も脅迫しなかった彼らの銃撃は、霹靂のようなできごとだった。私は、
子どもたちのそばへ行き、どんなふうに軍の報復を防ぐかを考えた。

 仲間の1人は、アラビア語を含む5つの言語を話すことができるのだが、彼女
は兵士がトラックの運転手たちに向かってこういったのを聞いていた。「5分
以内にいなくならないなら、お前らを殺すぜ!」このセリフは、自分が「テロ
との戦い」という任務についていると思っている兵士のものだ。彼らは何度も
子どもに発砲した。救急車と国連の車を捜している間、長い時間をそこで待ち
わびなければならなかった。

 兵士たちは作戦をさらに展開することに決め、そして戦車はエンジンをうな
らせたかと思うと子どもたちの方へつき進んでいった。大きな煙りをそこに残
して、戦車は元の場所へもどっていく。別の場所での襲撃は、警察のジープが
行った。さらに発砲音が続いた。道路の脇へ、駆け出しながら、散り散りにな
って逃げていく子どもたちの姿を見た。再び、戦車はエンジンの回転速度を上
げると、煙の中を丘の下へ向かっていく。私たちはその後を走っていった。さ
っきまで子どもがいたあたりで、壁の後に隠れている2人の兵士に会った。
「あなたは、インターナショナルズがいることを知ってるの?」ある男性が、
APCのドライバーにこう尋ねた。返事は「知ってるぜ」というものだった。

 私はアパートの戸口で住人に会い、屋根に登っていいだろうか、と尋ねた。
「もちろんだよ」8階の屋根に登ると、私は油汗をかいて震えていた。しかし、
ここからなら、私はもっとたくさんのことを目撃できる。インターナショナル
ズの誰かに、電話で自分が何を見えるか伝えることができるのだ。

 子どもたちが近づくと、兵士たちは隠れ場所から飛び出て来て、子どもの方
へ走って行く。彼らを説得しようとした2人のインターナショナルズ(2人とも
女性だ)によって、子どもへの発砲は妨害された。1人は、彼らが残していっ
たM16の銃弾を見せた。もう1人は、背の高い兵士がすでに27人のパレスティナ
の子どもを撃ったことをどんなふうに自慢したかを語った。

 私は、自分自身の目で、子どもに対し、不必要で、致命的な武力が行使され
るの見たのだ。命にかかわる問題である救急車が見つからず、長々と到着が遅
れてしまったこと。国連の車への激しい軽蔑。

 同じく屋根の上にのった男性と私の意見は合致した。これはたんにイスラエ
ル軍の挙動ではない。アメリカに責任があるのだ、と。7才の子どもに向けら
れたのは、アメリカ製の武器なのだ。国際法は無視され、村全体への懲罰が行
われている。

 あたりが暗くなり、私は屋根から去らなければならなくなった。会話は今夜
ナブルスでの軍事作戦がどう行われるか、ということにうつった。帰宅するこ
とができたので、私たちのホストファミリーはとても安心していた。

 私がこの報告を書いている間、他のインターナショナルズはまだチェックポ
イントに残留している。そして、兵士たちの撤退と、いつ起こるかもしれない
救急車ドライバーの悲運に備えている。

 自分自身の制御感覚を欠如させた兵士たち。彼らがなしている、世界から隔
離されたところで起きている出来事を、いちいち挙げていくとどうなるだろう。
しかし、それはこの第2のインティファーダにおける日常茶飯である。いま私
は上から下まで、子どもたちみんなのことを考える。外出禁止令のため、教育
の機会は奪われ、ある者は急進的になっていく。イスラエル兵たち、そして彼
らの新任の鷹のような参謀長は、そうした事実すら見ることができない。その
ことが、私をひどく驚かせるのだ。彼はこうした強硬路線に兵を服させること
で、パレスティナ人たちを打ち負かすことができると確信しているのだろう。
しかし彼は間違っている。子どもたちは、何度でも、ここに戻って来る。

---

 【自爆攻撃者のベッドで眠る】

 Amer Nabulsi(仮名)が死んだ。彼の若い妻は、特別このような方法で、そ
の死に応じたのだった――子供の写真と、ずっと以前に撮ったふたりの写真。
バレンタインのおくりもの。テディベア。そして、ふたりにとってかけがえの
ないイメージで、彼女は彼らの部屋を飾った。

それらは、幸福とときには寂しさを映し出した。そのほとんどが、ふたりの愛
情にみたされていた。いくつかは雑誌の切り抜きである。それから、ポスター、
カード、ステッカー。これらのイメージに、彼女は彼女自身のことばと思いの
丈を託したのだ。

私は彼らの部屋に泊まり込んでいた。彼女のそのアートワークは、朝夕と私を
取り囲んだ。
私はアラビア語を読むことができない。しかしペンで引かれた線は、彼女の涙
と失意を十分に語っていた。それを英語にしていえばこういうことなのだ。
「私は、あなたを愛していて、あなたがいなくて寂しい」。

どうして私がここで眠っているのか? 大部分の家族とともに、彼女がこの家
から身をかくしたからだ。合計10人いた家族のうち、Amerの両親だけが今はこ
こにいる。私とアメリカ、アイルランド、イタリア、イギリスほか出身のInte
rnational solidarity Movement(ISM=国際連帯運動)の活動家と一緒に。
イスラエル当局は、それが戦争犯罪であるという事実があるにもかかわらず、
家屋を破壊すると脅迫してきたのだ。イスラエルも署名している第4回ジュネ
ーブ条約は、家族全員に対する、またはコミュニティに対する総体的な懲罰を
非合法化している。我々は、家屋破壊を防ぎ、あるいは少なくとも彼らの懲罰
行為に非暴力抵抗を対峙させたいのだ。

Amerがなぜistishhad(彼/彼女自身を殉教者とする人)になる方を選んだの
かは、誰もわからない。パレスチナ一般の基準において、彼は、そうするには
及ばないあらゆる理由を持っていた。仕事と自分の家、そして車を持っていた。
愛する妻と娘も。大金持ちではないが、貧窮を心配する必要はなかった。

さらに、彼の母と父は、自爆攻撃は自分たちの道徳にはそぐわないと考えてい
た。彼らは、敬虔なイスラム教徒だった。どのような形式をとろうが、自殺は
イスラム教に反するという多数の人びとと同じ意見をもっているのだ。多くの
時間をコーランを読むことにさき、祈ることに費やしている。

にもかかわらずというべきか、あるいはこれは憶測なのかもしれないが、彼ら
は地域的な基準からすればまったくリベラルで寛容な人びとである。もっとも
年下の娘はジーンズをはき、hijabや従来の頭部を覆うカバーを着けてはいな
い。フィアンセとの関係は決して旧来のものではなく、ふたりのことを両親は
祝福しているのだ。

しかし、Amerの父は、溢れる涙と痛苦で顔を歪めることなしに、亡くなった息
子のことを長く話すことが出来ない。何が、AmerにSemtexのベストを着させた
のだろうか。どうして、彼の身体が、爆弾で飛び散ることになどなったのか?

理由の一端は、彼の父がイスラエル軍に殴打され、脳障害にかかったときに、
彼が感じたにちがいない憤りかもしれない。父の左半身は部分的に麻痺してお
り、さすりながら、彼はかろうじて話すことができるのだ。それは7年前のこ
とだった。

そしてこれはつい最近のことだが、イスラエル軍が車に向けて発砲し、車内に
いたAmerの友人が殺害された。
彼の家族もまた、2002年3月初めのラマラ侵攻と、議長府包囲の報に接し、激
しく動揺したと話す。
しかし、そのような経験は、大部分のパレスティナ人に共通のことだ。必ずし
も彼らすべてを自爆攻撃者にするわけではないのだ。
Amerの場合、何が違ったのだろう?
私はあれこれと思いを馳せることができるだけなのだ。しかし、そこには両親
が彼に教えた、公正と不正、道徳における善と悪の鋭い感受性が関係している
かもしれない。
その感覚は、家族にいきわたっているものだ。彼らが食事を振り分けるとき、
両親と話すとき、そこに招待された私はいつもそれを目のあたりにするからだ。

幼い子どもたちは、たくさんの愛情とともに、忍耐することを学んでいる。寛
大さだけではないのだ。
どんなにささいな叱咤も、両親の道徳にもとづくことばでそれはなされること
になる。とはいえ、それは別段長々としたものではない。
こうした環境があってこそ、Amerは、自分の目に見える不正に対し、目をつむ
ったままではいられなかったのではないか。彼の目に飛び込んできた不正とは
いったい何だろうか。

それはおそらく――自分たちの土地に遍在するチェックポイントにける日常的
な屈辱行為だった。パレスティナ人たちの通行は、兵士が許可するかしないか
だけにかかっているのだ。

それはおそらく――周囲に都市を見下ろす丘にあるイスラエル人入植地が増殖
していく風景――つまり強奪されたパレスチナ人たちの土地に建てられた――
だった。
それはおそらく――イスラエル公安当局による、幾千人もの「容疑者」の任意
の逮捕と暗殺であった――拷問を行いながら。現在、告訴なしの無制限勾留は、
イスラエルでは合法なのである。

それはおそらく――彼をふくむ330万人に対して、ガザとウエストバンクで、
エルサレム(信仰における最も神聖なる都市)への礼拝を禁止したことであっ
た。
そしてそれはおそらく――イスラエル軍による水瓶を標的にした「気晴らし」
であり、チェックポイントにおける救急患者の死であり、オリーブと果樹園に
対するブルドーザーでの破壊行為であり、パレスティナ人は使用も横切ること
も許されない入植用道路の建設だった。

私は、今まで2週間家族とともに家で過ごした。そしてここから出ていかなけ
ればならない時がきてしまった。我々のグループ自体は、現在の状勢判断のう
えで、この家と別の家々での泊まり込みを続けることになった。イスラエル軍
は、国際的な監視者の目から離れた場所で戦争犯罪を起こしたがる。

私は、あるいはここの家族たちが怒りに目を燃やし、熱狂的な人間嫌いの人び
とであったとしても、私はここに滞在しただろう。なぜなら、戦争犯罪はそれ
以外のなにものでもないからだ。しかし、彼らは親切で、きっぷがよく、勇敢
だった。そして、私はこの滞在期間中ずっと親しくしてもらった。

家から出ていくとき、我々は互いの頬にキスをし、連絡先を交換した。彼らは、
娘の結婚式に来るように、と私を誘った。私は、出席を約束した。
無実の非戦闘員に対する自爆攻撃。これもまた、戦争犯罪なのだろう。そして、
Amerの家族は、それを強く責める権利をもっている。
しかし、「怒りに燃えた宗教的狂信」が、自爆攻撃の理由とみなすことなど、
私にはできることではない。私は会ったのだ。自爆攻撃とは別の抵抗の手段で
回復しようとしている人びとではなく、援助を求める叫び声が無視されたまま、
増々加速する人種根絶の抑圧によって、絶望へと押し流されていく人びとと。
どこにだって誇り高い人びとがいる。自分たちの尊厳を守るため、自爆攻撃と
いう手段にすら自らを駆り立てる人間がいない場所などあるだろうか?
                            Paul Larudee
---

 【90日間包囲されたままのナブルスより――暴力の新しい波】

今日はなんて日だったんだ。どいつもこいつも忙しかった。子どもたちも政治
家たちも。イスラエルに今日もやられた人たちも。活動家も、それからイスラ
エル軍も。
約200人の子どもが集まった。教育を受ける権利と外出禁止令の即時の撤回を
要求して平和的なデモをするために。子どもたちは、世界に訴えるためのプラ
カードと旗を手にしていた。自分の勉強をして、自分自身の人生を送ることが
できるよう、イスラエル国家に圧力をかけさせようとしたのだ。デモは、ナブ
ルスの国連の事務所でアナン事務総長宛にアピールを送って終わった。

パレスチナの人びとは、不当に苦しめられていると感じている。それは、イス
ラエルによる抑圧、暗殺、逮捕、延々と続く外出禁止令、家屋の破壊と耕作物
の悪化だけが原因じゃない。日課の「体操」をするようにしてイスラエル軍が
開始した虐殺から人びとを守るために、世界各国と指導者たちは楯になろうと
はしなかったからだ。

昼、テル・アビブの中心街では、混雑したバスで爆発があった。60人以上のイ
スラエル人が死傷したという。パレスチナ人の都市すべてが厳しい外出禁止令
下にあったときに、その攻撃は行われた。これは、イスラエル人とパレスティ
ナ人双方の保護を名目とする外出禁止令をしく、イスラエル国家に責任がある
ことだろう。

にもかかわらず、イスラエル軍は何をやらかしているんだ? 戦車でアラファ
トの議長府を包囲し、セキュリティの建物を破壊した。アラファトをガードし
ていたある者を殺し、ある者を逮捕した。それを皮切りに、イスラエルは攻撃
を再開しやがった。

水曜日未明には、Umm El Fahem村で別の爆発があった。パレスチナ人活動家が
死に、数人のイスラエル人が負傷したとされている。
3ヶ月の膠着が再び元に戻ったわけだ。しかし、この間どれだけのパレスティ
ナ人が犠牲になっただろう? 世界のマスメディアは、いつでも突然騒ぎ立て、
イスラエル人犠牲者だけにカメラをあてる。犠牲者たちは、休みの日に仕事を
忘れ、彼らの「収穫」を楽しんでいた――という解説つきで。「収穫」とは何
だ? パレスチナ人の土地のことじゃないか。

私もまた憎む。無実の一般人を殺害することに対して。自爆攻撃が起きると、
本当にいたたまれなくなる。しかし、こうしたことが起こることを許すイスラ
エル社会は、世界各国とその指導者と同様に有罪だ。

イスラエルは、何も予想できなかったのか? 世界は、何も予想できなかった
のか? そして、私の友人から、これ以上いったい何が欲しいのか?
自爆攻撃を非難してるのかって? ごあいにくさま。もう攻撃を非難すること
などできない。
いつになったら終わるんだ? パレスティナ人を殺し続け、そして、外出禁止
令はもう90日以上にもなっている。私たちの生活は破壊され、婚礼もできず、
医療もない。家族の団欒、そして人間としての自由一切を奪われたままだ。

パレスティナ人は、イスラエルの暴力を少しでもおさえさせるために、1つの
アピールを発した。そして、パレスティナ人は、この6週間以上、一方的に停
戦し、攻撃を減してきた。

それにしても、イスラエル政府は、パレスティナ人(平和論者も強硬論者も)
をあまりにも長い間「重大局面」に放り込んできた。実際、外出禁止令が90日
とかれていないために、ナブルスの学校は閉鎖されたままだ。病院も工場も市
場も。いや、それだけじゃない……。

ナブルスの住民が子どもに食べさせる物にことかくようになる前は、すべてが
店頭に並んでいた。憤りと不満が、理性と安心にとってかわってしまった。
パレスチナ側では、生命を失い、生活を破壊されるさまを目撃することのない
日など1日だってない。そうした「出来事」のほとんどが、安全だと思われて
いた家々で起こるのだ。

私の友人ナセルは、昨日、テル・アビブで会議に出席する用事があった。彼は
私に話してくれた。イスラエル人が浜辺やレストラン、喫茶店、通りで、陽が
さんさんと降り注ぐ日をどうやって楽しんでいるかを。彼は、パレスティナ人
の苦悩に対比してイスラエル人の無頓着を描写した。会話中には話せなかった
が、私には古いアメリカ映画を見たときのイメージが湧いてきた。アメリカ人
は、アメリカ先住民を奴隷にすることで自分たちの文明を成功に導いたのだ。

私は、イスラエル人をうらやましいとは思わない。
その反対だ。うらやましくはないばかりか、私はさらに激しい憤りを感じる。
パレスチナ人の血とパレスチナへの侵略の上に成り立つ平和と繁栄を、彼らが
享受している? 私たちをこんな状態に縛り付ける権利を、いったい誰が彼ら
に与えているんだ?

今朝、子どもたちのデモが終わったあと、私は彼らの両親たち数人と話した。
Hayaさんは、Yousefのお母さんだ。先月行ったヨルダンでのことを話してくれ
た。Hayaさんはいま6才のYousefにこういったそうだ。叔母さんの家に泊まる
から、叔母さんの子どもと遊ぼうね。Yousefは、Hayaさんに尋ねた。「外出禁
止令は出ていないの? 禁止令がとかれてなかったらどうしよう。つまらない
よね」

私の4才の息子AmidだってYousefと同じことをいうだろう。誰もが外出禁止令
のもとに暮らしていると考えている。彼らは、外出禁止令のない世界を知らな
い。彼らの人生は、軍の存在、軍の砲撃、軍の抑圧と軍の外出禁止令でいっぱ
いだ。

外出禁止令は90日を越えて強制されている。子どもたちから、どんなに楽しい
記憶も消してしまうには十分な時間だろう。
世界は見ている。でも何もしようとはしなかった。
2002年9月19日 包囲下のナブルスより  Amer Abdelhadi記
General Manager Radio
Tariq Al Mahabbeh TMFM 97.7

---

 【イスラエル軍、デモ隊に発砲 負傷者50人以上、死者4人……】
                   [9月22日 午前2:00 ラマラ発]

議長府に向けられた攻撃と、構内に残った最後の建物――アラファト議長の事
務所を爆破するというイスラエル側の脅迫に対し、自然発生したパレスチナ人
たちのデモは、ウエストバンクとガザを席巻した。深夜、数千の人びとが通り
に集まり、それもひとつの都市だけではなく、平和的なデモが行われていた。

そして、デモに集まったあらゆる年代の非武装のパレスチナ人たちは、イスラ
エル軍に発砲された。ヘリコプターはラマラ上空を飛び、イスラエル兵たちは
群集に実弾を発射したのだ。

多数が怪我をしている。この記事を書いている時点でおよそ50人。怪我人は、
ウエストバンクとガザ中で出ているという。そして、すでに4人が殺された!
アルジャジーラTVは、バラタ難民キャンプ、ラマラ、Qalqiliyaそしてガザで4
人の死者が出たと報道している。
       *
Sam Bahourより――
友人たちへ。いま、土曜日の夜10時だ。拡声器を取り付けたイスラエルのジー
プが議長府本部附近の通りを徘徊している。そして、住民に窓を開けさせて、
こう勧告した。彼らが使用する莫大な火薬のために、ブレーカーを落とせ、と。
私たちは彼らが何を計画しているかまったくわからない。しかし、彼らのテロ
・キャンペーンは実行に移されており、私たちの頭上を無人飛行機が舞ってい
る。Al-Birehは、今晩、緊張している。以前もwebの読者に配信したものだが、
できれば下のpageからポスターをダウンロードして、職場、地下鉄の駅、バス、
図書館、スーパーに、そしてほかのどんなとこにでも貼り出してくれないだろ
うか?
http://www.epalestine.com/
動くことすらままならない、外出禁止令の下で  Sam

*****「そぞろ通信」電子チラシ020927版はココマデ。ほな。への字。
なお、読みたくないかたは【購読解除】とメールをください。
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■【そぞろ通信】10月号*第13号[+85]=================2002-10-16

      □「あまね通信」改題通巻98号□創刊2001年10月16日
      □発行/直接配信<BCC>□編輯発行人/山口平明
      [1行32字で改行-等幅]転載転送ひと言がウレチイ
       ★督励先: amanetant81@hotmail.com
        ★連絡先:大阪06-6543-0135[FAX兼用]
□もくじ□
(1)漫歩系/『帝国』をテレビで読む------------------山口平明
(2)去年十月にもらったメイル2通--------------畑佐好見・MH
(3)家事細見帖・お弁当の巻--------------------------岡本尚子
(4)電子文箱☆平明発片道書簡集fubako----------------山口平明
(4)編輯後記みじかく--------------------------------へいめい

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■1■ごぶさた漫歩系/テレビを見る--------------------山○平明

  『帝国』をテレビで読む

 九月二十六日夜十時、NHK教育テレビの「ETV2002/あらわ
れた世界新秩序/『帝国』の思想をめぐる対談」**を見た。いっとくが
わが家のテレビは古い。しかもこの数年、二重音声放送のとき、普通の
モードにできなくなっている。(**は後註参照)

 だいたい「ニュースステーション」は、スポーツ関連で時間をとりニ
ュースがとみに少なくなった。だからこのごろ、そうねえ広島カープが
駄目になってからは見ない。NHKの夜十時もニュースだが、申したよ
うに英語しか聞こえない。テレビ好きの妻君が旅にでて不在のため、自
由になるチャンネル権も生かしようがない。BSはもちろん入らん。し
ゃあないなあ、まっ教育テレビでも見るか。デモシカで見た。

 イタリアの思想家、アントニオ・ネグリが911の前年に書いた『帝
国』(M・ハートとの共著)が、現在のテロ後の世界状況を予測してい
た、というわけで世界中の識者の話題になっている。小生は未読。あと
で知ったのだが、邦訳は未刊。英語版から各国で訳されているらしい。

 この<帝国>の思想を読み解くのが番組の狙いという。西谷修[東京
外国語大学大学院教授]が聞き役、酒井隆史[大阪女子大学講師・同書の
訳者の一人]が解説した。原著は二〇〇〇年に出版。冷戦終結後の植民
地をもたない帝国の存在をつかみだし、その現代の帝国が、かつての市
民でも人民でもない、疎外されまつろわぬ群集である【マルチチュード
多数性】を生みだしたとした。プロレタリアではないマルチチュードと
はなにか。エエ加減な要約であいすまん。

 テロ後ではアメリカが頂点に位置し、G7などの国民国家群がその下
に、そのまた下に国際企業、最下層と見える部分にマスメディアやNG
Oなどの組織/ネットワークで、世界の三分の一を占める。新概念の帝
国である。あのう、ビデオがつぶれてて録画してないから確かめようも
なく、このへん話の内容をかなりアレンジしているから、あんまり受け
売りせんほうがええのやが…。

 だがその帝国から生み出された残り三分の二のなかで、右でも左でも
なく、冷戦構造の東西どちらにもノンといった人びとがいた。いまなら
自爆攻撃[ナチスに対するレジスタンス]におもむくパレスチナ人が、お
そらくイスラエルだけでなくパレスチナ自治政府へも難詰抵抗の意志を
示しているはず。もっといえば、パレスチナをかつての欧州におけるユ
ダヤにしてしまった欧米キリスト教徒[他者に正義はないと決めつける
人たちとでもいおうか]をも見透かしているにちがいない。えーとッ、
ここらへんもチョト怪しい。

 酒井は、画期となったのは一九六八年だという。パリ、プラハ、東京、
既成左翼ではないまさにマルチチュードの叛乱。これらは権力奪取をし
ない人びとであり、従来の政治回路にとりこまれない。いまや、いやい
やずっと昔からメディアは権力と距離をおかない。メディアは権力の広
報宣伝をずるずるべったにやった過去をもつ。真実を探ろうとも知ろう
ともしなかった。おいおい、えらそうに言うてからに、ええのんか。

 小生のような卑小なる個が、マルチチュードとして真実[恥ずかしい
のう]に言及しお節介ミニコミをやっている所以である。言うたったア。
お節介や世話焼きは、当今ボランティアとも呼ばれる。せいぜい正義の
騎士にならぬよう自戒せねば。

 ネグリ/ハートの『帝国』(以文社から出版予定)を読みもせず、テ
レビというマスメディアの読み解きに依拠してかくのごとく書くちゅう
のは矛盾しておる。先刻承知。じゃが、画面にあらわれインタビュウに
答えるネグリの元気さと陽気さとに惹かれてしまった。虚無と悲観に親
しんでいる小生をして、書いてみようと思わせるネグリの真実探求の表
情があった。ここらは、小生の正直な感想である。もうけもんやった。

 また、番組の終わりのほうで緊張を抑えながらも熱をもって語る酒井
が、現在の希望としてパレスチナにおける「人間の楯」**の運動をあげ
ていたことが印象に残った。規範化されない無秩序なマルチチュードを、
帝国に入っている世界の三分の一が統制管理しようとする。その頂点に
いるのが今はアメリカなのだ。あなたは希望をもてますか。
   [この文は、「そぞろ通信」電子チラシ020927版に加筆しました]

---ココヨリ註記、【 】内が引用。---

   **NHK教育のETV2002【あらわれた世界新秩序/『帝国』の
思想をめぐる対談】-----NHK INFORMATION「今週の主な番組」というN
HKのサイトを後で検索。つぎのような呼び込み解説がしてあった。こ
れによって小生のエエ加減な解説を修正されたし。<へ>

【2001年9月11日の対米同時多発テロ以来、テロリズム対策をはじめ、
アメリカを軸に、新しい世界秩序が生まれていることが浮き彫りとなっ
た。冷戦体制崩壊後、経済のグローバリゼーションとともに、政治面で
も「世界新秩序」の存在が指摘されてはいたが、今回その具体的な姿が
立ち現れたと世界の識者が指摘している。/この現状の「予言の書」と
して注目を集め、世界的ベストセラーとなっているのが、2000年に出版
されたイタリアの思想家アントニオ・ネグリ氏の『帝国』である(今秋、
日本語訳出版予定)。「9.11」以前に書かれたこの書で、ネグリ氏は、
かつてと異なる植民地を持たない「帝国」の存在を指摘している。「帝
国」は、強大なアメリカ一国では存在せず、現実主義路線をとる各国が
「自発的」に組み込まれて成立する巨大なマシンであるという。この書
の中でアメリカが掲げる「正しい戦争」というスローガンを指摘してい
たことも、9.11以降のブッシュ米大統領の演説と重なり、話題となった。
/番組では、今年3月にローマ市内で撮影したネグリ氏へのインタビュ
ーを織り込みながら、2人の現代思想家が、ネグリ氏の「帝国」論を読
み解く】

   **【人間の楯】----International Solidarity Movement(ISM=
国際連帯運動)としてパレスチナ現地での運動が、「人間の楯」として
広く知られているらしい。この行動を積極的に支持する「黒」刊行同人
[中島雅一・水田ふう・向井孝]の手になるサイトを見たら、ISMの短い
自己紹介文「Who are we?」の抄訳が載っていた。これをまたまたつぎ
に引用しておくので参考にしてほしい。<へ>

【International Solidarity Movement(ISM=国際連帯運動)は、パレ
スティナの解放とイスラエルの占領終結を求める、パレスティナ人と国
境を越えた活動家たちによる現在進展中の運動です。私たちは、不法な
イスラエル軍と警察に対し、非暴力、直接行動という抵抗手段をもって、
立ち向かい、それに挑んでいます。イスラエルの暴力と占領に対し、パ
レスティナの人たちには武装して抵抗する権利があるでしょう。それで
も、私たちはこう思うのです――非暴力は、抑圧と闘う強力な武器とな
り得る、と。私たちは、非暴力抵抗の原則において結束しています。
 わたしたちは--------
◯占領に抵抗するパレスティナの人びとの権利を支援します。
◯即時の占領終結と要求の承諾、そしてパレスティナ難者とパレスティ
ナの首都をエルサレムに帰還させるという内容を含む国連決議の実行を
求めます。
◯パレスティナの人びとを危険から守り、イスラエルの国際法承諾を確
実なものとする即時の国際的な仲介を求めます。
 イスラエル政府とその軍事力によって、パレスティナ人の権利と生命
の尊厳がないがしろにされないようにするためには、世界中から、パレ
スティナの非暴力抵抗を支援する必要があります。パレスティナ人活動
家たちは、イスラエルの重刑に直面しながら、単独で苦心し、あるいは
抗議行動を決行しているのです。重刑とは、鞭うち、長期投獄、重傷を
負わされること、そして時には死さえ含みます。
 占領下にあるパレスティナで現在も進行中の行動に加えて、私たちは、
世界各地から集まった人びとによる非暴力直接行動の2週間キャンペー
ンを、2度実施しています。1回目は、2001年8月でした。2001年8月8〜
19日、私たちの行動要請にこたえて、主としてイギリスとアメリカから
やって来た50人は、パレスティナで起きている出来事の直接の目撃者と
なり、占領の野蛮さとパレスティナの人びとになされている不正に対す
る抗議に参加しました。そして、彼・彼女らは、自分たちの暮すところ
へ戻っていった――その話を、さらに広めていくために。
 第2のキャンペーンは、2001年12月16〜31日だった。今度は、70人以
上が「占領に反対するキャンペーン」に加わることになりました。この
キャンペーンは、非暴力抵抗が活発な主要都市と村々に焦点をあてたも
ので、イスラエル軍によってその間すさまじい攻撃を受けた地域への連
帯としての訪問数回を含むものでした。私たちのキャンペーンの最初の
数日は、オリエンテーションと非暴力トレーニングにあてられます。参
加者は、実践的で、兵站学的な知恵と法律知識を身に付けます。行動の
立案、親和グループの形成、そしてそれぞれに責任が割り当てられ、戦
略と戦術が議論されるのです。パレスティナの占領地域は、大変過敏で
不安定なものです。すでに見通しをたてた目標をより効果的に獲得する
ため、そして非暴力の方法と戦術を通してイスラエルによる占領に終止
符をもたらすというその総合的な任務を扶けるため、活動家には知識と
精神的な準備が不可欠です。
 さらに知りたいことがあれば、あるいは私たちの将来のキャンペーン
に参加するために、連絡を!】
*http://www.palsolidarity.org/about/index.htm

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■2■去年十月にいただいたふみメイル二通紹介shinobigusa

>1.滋賀の畑佐好見さん、2001年10月16日のメイル[前後略]
---
天音ちゃんがお二人の手元を離れ、
空に旅だってからもう一年過ぎたのだなぁと、
あの日の事(お別れの会)を思い出していました。
去年のあの日、私はウールのワンピースを着て
お別れの会にお邪魔しました。
でも、一年過ぎた今日、
まだ半袖ですごしている自分がいます。
わが娘も、今年のクリスマスイブで四歳になります。
自分の子供の成長を見て、
そして、お三人とお会いした最初の日を思いだし、
時の過ぎゆく速度、そして自分の心の成長など
いろんなことを考えてしまいました。
子育てで辛いとき、自分の弱さに涙しそうになった時、
そういえば…私は、何故か無意識に
このPCのデスクの椅子をくるっと回転させて
我が家の本棚にある、天音ちゃんの本の背表紙を見ています。
何故そうするのか? それもわからないままに………。
---

>2.大阪のMHさん、2001年10月16日発信のメイル[後略]
メールマガジンをありがとうございました。
読んですぐに返信しています。一年たった、と思っていました。
だってうちの結婚記念日と同じ日。
うちの結婚記念日は、忘れられてはいるけれど。
(最近、夫は忙しくて週に何時間かしか帰らないという状態で、今日も
朝までに帰るのかどうか)
平明さんファンの療育センターの保母さんが言っていました。
「私は、天音ちゃんにお会いしたことがなくて、本の中でしか知らない
からかもしれないけれど、今でも天音ちゃんはヒロミさんに抱かれてい
るような、そんな思いのままでいる」と。
私も、ふと、山口さんのお宅に行けばまた天音ちゃんに会えるような思
いがするときがあります。
平明さんとヒロミさんの心の中だけではなくて、いろんな人の心の中に
天音ちゃんはいます。
---

[へいめい御託]ただ沈思あるのみ。家から動けない私たちは、「あまね
通信」を通して外とつながりあえた。この通信にヒロミが天音との日々
を絵で表現した。あの子が今も銅版画のなかに生きているように、出会
えた皆さんのなかにも天音が生きているのは、じつに在りがたい不可思
議なことである。悲しみとともにある歓び。

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■3■家事細見帖/お弁当の巻--------------------------岡本尚子

  運動会弁当作りスパートし

 平明さま。私の「家事」に興味を持たれたのは「五時起き」でいった
い何をするのかと思われたのではありませんか?

 朝起きるとまず一番にハッと頭に浮かぶのは、「弁当のおかずには、
何を作るつもりだったのかな?」です。前日の買い物から決めていたメ
ニューを思い浮かべます。「ああ、昨日の晩、肉だんごを丸めておいた
んやったな」とヨロヨロと起き出します 。ネマキの上にエプロンをか
けて、やかんに麦茶をわかす。朝食のみそ汁のなべをかけ、卵をゆで、
にんじんとこんにゃくとさんど豆を煮、フライパンで肉だんごを焼く。
この間、朝一番に出る息子を起こして飯を盛る。うわあ、弁当が時間ま
でに間に合うかなあと不安がよぎる。ワルガキの一番末の息子でも起き
てくれば最悪。ジャマされる。弁当のそばでしゃべるなよ!

 弁当作りがライフサイクルになって十七年。今は、工場で働く息子と
高校生・中学生の三つの弁当である。上の息子が中学生の頃は弁当作り
を手伝わせた。けれど、クラブ活動で早く出て行く高・中学生に手伝わ
せることには挫折した。十七年もやっていても未だに、弁当箱に飯をつ
め、ゴマ塩などをふりかけて、おかずを詰め、はし箱と一緒に包んだ瞬
間、「ヤッタア、弁当ができた!」と万歳してしまう大げさな私なので
す。

 それでね、平明さま、この間小学生二人が運動会で、家族全員で弁当
を広げたのですが、それを作るためには四時起きでした(苦笑)。周り
の弁当をのぞき見するとうちと変わらない人数なのに巻きずし、天ぷら
…、と豪華けんらん。自分の手際の悪いのを自覚しながらも、いったい
何時に起きて、どういう風に作るのかフシギで、作ったらしい人の顔を
じいっと見てしまいました。

[平明寸感]ヨロヨロと起きだす母のゆるさがいい。おまけにネマキにエ
プロンとくるとゆるゆる。眠りにくかった天音の一日はゆるく始まりだ
るく終えた。一日は人生である、といいたい天音との共棲は、今思えば
至福境でありました。

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■4■電子文箱☆平明発片道書簡集(相手の手紙は載せてません)

 1>メイル嬉しく拝見。ありがとうございます。
父上で敗戦時23歳ぐらいでしょうか。
伯父上でもせいぜい30歳前後。
運命ですよねえ。
長男だから国内だったのかも…。
そんなかたがたにつらなる貴方も語り継いでいってください。
母は死ぬ前、ほとんど忘却してました。
悲しいですね。
小生も娘のことを忘れる日がくるのか、その前に死ぬかあ。
◎━━━◎
 2>お大事にね、ゆっくり養生してください。
ヒロミ氏、ガッコ行ってる六月ごろ抵抗力が落ちて大変でした。
扁桃腺炎、結膜炎、紫外線アレルギー[プール指導時]、膀胱炎など。免
疫力が落ちると、ふだん早く治るものもなかなか治らない。
担任やなしに時間講師くらいだったらよかったのかも…。
◎━━━◎
 3>お返事メイルありがとうございます。
じっくり何度もお読みくださり時間とってすみません。
メイルでの文章作成時、焦慮のうちに書く感じがある。
また読み手の焦燥も予想でき、詳しい表現は避けがち。
また狭い範囲の既知の読者でありながら、
愛読者でも支持者でもない人もいて、省き具合が難しい。
いずれ配信システムを利用することになるかも。
ヒロシマと父の死は当然結びついていて、
ヒロシマは父のことを書く助走という意味があります。
でも出来るだけ自由に、とらわれなくアドリブ風にやっています。
ワンマン編集、出たとこ勝負、ちょっぴり笑いも、
これらが一年やってきた電子ミニコミの作法でしょうか。
◎━━━◎
 4>PCをやろうと勉強を始めた矢先、ちょうど五年前に脳梗塞。
去年PCを買おうと思い、雑誌を読んでも過去の知識はほとんど忘却。
いまだビギナー状態ですが、とりあえずPCで文を書き、メルマガを発
行できてるのを、自分ながらようやってると褒めてます。
 昔の言い方だと還暦でして、ぼく自身が老人ビギナーなんですから。
ヒロミ、去年の夏、アメリカ・シアトルとメキシコシティへ友と二人で
二十日足らずの旅に行き、昨日から十日ほど、ひとりでニューヨークへ
行ってます。彼女はぼくより少しPC歴が長く、今回のNY行きの宿も
飛行機もインターネットで調べ予約して敢行。美術館を中心に、街歩き
を楽しむのだそうです。
 イギリスの田園地帯への旅、夏休みにお嬢さん同行で行く、なんてや
り方もあるのでは。ヒロミは今回「小手調べや」と言ってます。まあ年
をとってますから、行ける時には行こうということもあります。
 【日々に流される】のは普通のことですよ。いま目の前のことを片付
けないといけないし、暮らしは大切なものです。その普通の暮らしが、
世界で出来ない人びとがいることを、皆さんと心にとめてめいめい考え
ていきませんか、という小生のお節介からのもの。
 マスコミは去年のアメリカや戦前の日本みたく、為政者に迎合して暮
らしに追われる普通の人びとをミスリードする傾向がありますので、余
生を送る閑人[ぼく]がやれることをミニコミで発信しようというわけで
す。
◎━━━◎
 5>タダで、頼んでもおらんのに送ってくるのはDMや。
誰がDMに感想や近況を書いて返事するかいな、なあ。
そやから電子チラシは自分向けのメモ、日記でんな。
「そぞろ通信」は日記をちょいとまとめた月記ちゅうとこ。
すべてわが記録のためやとようやっと悟ってきた。
読者がおらんと書く気も出んしなあ。ムツカシとこですわ。

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■5■編輯後記----------------------------------------へいめい

 現在、ヒロミ銅版画展を神戸で開いていて、小生は店番で毎日出かけ
てます。散歩のつもりだが交通費がかかるのが辛い。神戸は育った町だ
から懐かしい。だから金のことは言うな、と自分に言い聞かせてます。
平日はのんびりしてます。ぜひぜひおいでください。天音色の穏やかな
部屋ができてます。ほんとに和みますよ。追悼号といっても新企画はな
し。普段どおりです。祝日の14日、オフ会兼追悼会はFKさんと二人でビ
ールをはりこみ画廊内で挙行。三十一の天音に、見守られて。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎会社や団体のメールの人で、個人のアドレスをお持ちのかたは、そち
らもぜひお知らせください◎勤め先だと、どうしてもゆっくり読めない
ので、紙に印刷して電車内やおうちでじっくり読む、というお話も聞き
ます◎手紙文芸「そぞろ通信」は、個人同士の交流をめざしてます◎購
読料は無料、あなたのお便りが、なによりのカンパであり心づけであり
ます◎夏でも冬でも温かい交歓を願ってます◎また、本を買ってくださ
ればなによりのサポート、応援よろしくお願いしま〜す。
korenite「そぞろ通信」10月号/第13号bujisyuryodesuご購読に感謝。
  amanetant81@hotmail.com 

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Date: Fri, 15 Nov 2002 11:43:16 +0900
Subject: 【「そぞろ通信」11月号】#14_短くしました

★よくある質問へのお答え&忙しい人向け一行ニュース\(^o^)/
    ------------------------------------------------    
【山口ヒロミは、小学校臨時講師[三年学級担任]を一学期で退職!】

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■【そぞろ通信】11月号*第14号[+85]=================2002-11-16

      □「あまね通信」改題通巻99号□創刊2001年10月16日
      □発行/直接配信<BCC>□編輯発行人/山口平明
      [1行32字で改行-等幅]転載転送ひと言タノミマス
       ★返信先: amanetant81@hotmail.com
       ★連絡先:大阪06-6543-0135[FAX優先]
□もくじ□
(1)漫歩系/手紙文芸の看板を下ろす------------------山口平明
(2)家事細見帖・お買物の巻--------------------------岡本尚子
(3)電子文箱☆平明発片道書簡集fubako----------------山口平明
(4)編輯後記----------------------------------------へいめい


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■1■スローで行こう漫歩系sozoroaruki-----------------山○平明

  手紙文芸の看板を下ろす

画廊の店番で座業が過ぎた。
途中二日の休みを除き十三日間の行はこたえた。
映画館での同じ姿勢もよくなかった。
山田洋次の「たそがれ清兵衛」、泪したぞ。
それやこれやで昨年末にやったぎっくり腰を再び。
受難と思えども自ら招き寄せているともいえる。
メールの返事は「受信から二日以内に」を心がけてきた。
さいわい十月から来信が激減。
昨年十月一周忌、手紙メイルのやりとりを楽しみに本誌を創刊。
なのに刊行後一年、返信来信は細るいっぽう。
愚生の着想が早とちりだったか、然り。
まぐまぐやmelmaでメールマガジンを購読している。
購読(業界用語)といってももちろんメルマガは無料である。
だが小生自身も発行人にメールなど送ったことはない。
「そぞろ通信」は、まぐまぐなどの配信システムを利用していない。
読者へメールソフトのBCC宛先枠を利用して直接配信している。
いつも返事をくれる読者は十人内外、在り難し。
この人数なら個別に手紙をつけてメルマガを送信できる。
数を絞って限定版みたいな「そぞろ通信」もいいかも。
腰をやられて心弱りしているから腰が引けてきたかもね、ハハハ。
版画ミニコミで有名な岩田健三郎さんは日刊版を二十部刷る。
だが、渡して読んでくれる人はいつも特定の五人だという。
そんなものかもねえ。
電脳空間で貧者の一燈に寄ってくださりお互いゆるりとくつろぐ。
また峠の茶屋で渋茶を一杯、よかったら泊まっていきなさいよ。
……………。
ともあれ「手紙文芸」の看板は下ろそう。
ゆっくりしたいと思わない方々の手を引っぱるわけにいかぬ。
天音と生きて燃え尽きた小生なぞ世捨てか落伍の身である。
そんな莫迦につきあえとせがむのは愚の骨頂。
そぞろ歩き、漢字で書けば漫歩、でもねえ、みんな歩かないもの。
死に病にかかるか、親しい人を喪わないとゆっくり歩かないこの世。
いっそ御長寿全共闘でもタチアゲルカ。
小生、来年二〇〇三年、満六十歳になる。

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★今月のあほリズム/悔悟について
 夢というよりささやかな野心が、落魄者たる愚者のつっかい棒である
ようなことは珍しくもない。
 野心は秘してこそ万に一つの花も咲くやもしれぬのに、苦界における
捨心の苦行に音をあげて、愚かにも弱音と背腹に野心を語ってしまった。
 それはカタリ/騙りであったということだ。

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★≫今月の善きコトバ=吉本老のおいしい料理≪
 配達された品物をくるんであった新聞紙を広げた。そこには吉本隆明
[77]へのインタビュー記事が載っていた。シワをのばして読む。吉本さ
んは六年前に伊豆西海岸でおぼれて死にかけた。家から百メートルも歩
けない。漫画家の長女(次女は作家のよしもとばなな)が同居して面倒
をみてくれているという。本は、左手で拡大鏡をもち右手で原稿用紙に
書くのもあり、おしゃべりしたのを編集者に再現してもらうのもある。
 このおしゃべり本がなかなかよい。わたしは気に入っている。昔から
の熱心な読者は「莫迦丁寧だ、中身が薄い」と離れていった。けれど、
それまで読まなかった人が参入、読者層は広がったらしい。

★《昔はわかるやつは勝手に読めという感じで書いていたのが、太宰的
に言えばおいしい料理を読者に提供しようという気持ちになりました。
文体もわかりやすくして。》==「朝日新聞」二〇〇二年七月三十日、
「綺羅星春秋」八田智代の記事から抜書。

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■2■家事細見帖/お買物の巻--------------------------岡本尚子

  秋桜に 買物袋 軽くなり

五時起きで(笑) 、一人で洗濯して、掃除をすると 、終わるのは十一
時半頃である。夕食は何にしようかと考え始める。「昨日は肉ジャガで
あった。ハテ、今日は…」。自分は何を食べたいのか、じっと考える。
肉はいらない、じゃあ魚だ。

 魚屋さんに見に行こう。魚屋さんは有り難い。「今日はブリが安いよ」
とくる。おまけに「その煮たダシでおいもを炊くとおいしいよ」と教え
てくれる、煮方、焼き方ずい分教えてもらった。あとは、酢の物と切り
干し大根でも炊けばよい。

 スーパーへ直行。毎日魚屋ばかり行ってられない。出かけなけれなら
ない日は、カレーやシチュー、バラバラに帰ってくる子どもたちが温め
てすぐ食べられるものを作っておく。メニューに悩んでいて、時間のあ
る日は遠くの商店街まで行く。季節の野菜が並んでいる。スーパーの野
菜とちがって、いかにもおいしそうだ。春はフキ、若ごぼう、たけのこ。
夏はなすび、きゅうり…。八百屋さんもおいしい煮方を教えてくれる。
豆腐屋さんに寄って野菜と炊きあわせるものを買ったりする。

 今から十五年前義母と暮らしていた頃は必ずメニューを決めてから、
スーパーへ走って行っていた。義母は痴呆の症状が出ていて目が離せな
かったのだ。今はずい分のんびりしているが、その代わり人数が増え、
一日の買物の量がスゴイ。なるべく自転車に乗らない変な主義の私は、
七人分の夕食、弁当の材料、おやつをスーパーの袋にして三つ分ぐらい
を持ちヘタヘタと歩く。秋桜は風もないのに揺れる。軽やかだ。

[へいめい漫筆]
 眼が離せない人と同居していると、買物ひとつ大変だ。「今はずい分
のんびりしている」という点ではうちも同じ。岡本さんは義母さんが亡
くなられてからもお子さんが五人、これも大変だが介護ほどではないか
ら、のんびりしていると思えるのであろう。
 小生はもうなすべきことはなし終えて、あとはもう両親やあの子のい
る冥土へ行くだけかと思うことしきり。友人である陶芸家・曽我陋さん
の紙の通信に、俳人・飯島晴子の「気がつけば冥土に水を打ってゐし」
をとりあげた小文があった。大岡信の「折々のうた」(5月13日付「朝
日新聞」)に出ていたから、僕も憶えていた句である。大岡は「とぼけ
た風情だがすごみがある」と解説している。曽我は「この冥土は作者自
らの死の先とうけとめ、自分の冥土に水を打っていた」と書く。
 曽我の言う「自らの生に倦む」傾きを、ことさら日常の家事に従うこ
とで妨げているように思うこのごろだ。岡本さんにはまだまだ教えても
らわねばならないわけである。飯島は七十九歳で自死したらしい。二〇
〇〇年六月だった。天音は同年十月…。埃をしずめて涼を呼ぶ打ち水さ
れた冥土への途を、わが天音もふうわりとあゆんだのであろう。

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■3■電子文箱☆平明発片道書簡集(相手の手紙は載せてません)

その1>栃木YKさん宛て
 メイルいつもありがとうございます。ケータイに返事差し上げてるの
は着いてますか? 返事メイルは出来るだけ短くしてます。
 1996年ごろ、「あまね通信」の読者で年賀状にアドレスを書いてこら
れたのを基本名簿にしてるので、読者側のプロバイダー変更、ウイルス
メールなどトラブルがありまして、名簿の整理をしようと考えていろい
ろやってます。名簿の管理が厄介なんですよ。不快に思われたらお許し
ください。
 返事くださったメイルはできるだけ保存してます。一度もくださらな
い人を無断で外すと、なんで送らないのかとお叱りのメイルが来ること
も…。ヤレヤレ。創刊のときに返事がないと外しますよ、とことわって
るのにね。耳鳴りがします、こんなときは。

その2>大阪FYさん宛て
 お便り嬉しく拝見。おおきにありがとうございます。
 感想など書かなくていいですよ。ただねえ、こっちの様子はそちらに
分かられてばかり。一方通行じゃなく、近況を知らせてもらうとありが
たい。手紙のつもりなんですから。
 メールはビジネスの場ではおおいに活用されてるでしょう。わたくし
/私の場でのやりとりを望んでおります。よろしく。

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■4■編◎輯◎後◎記----------------------------------へいめい

◎じっと海老のように横になっておればよいのだろうが、軽症なのをよ
いことにPCの前に座る。去年、初めてぎっくり腰をやったときは、く
しゃみをしたら腰が抜けた。ほんとに驚いた。今回はそこまではいかな
い。HPを見ると、習慣で起こしているうちに椎間板ヘルニヤになると
出ていた。脳梗塞で片マヒにならなかった分、腰にきているのだろう。
◎腰のせいもあるが、読んでもらう一工夫として今号はかなり短くして
みました。お手数ですがご意見ください。岡本さんがきっちり原稿をく
れるのでなんとか発行できてるような塩梅です。
◎ケイ・オプティコムとかいう会社の光ファイバー通信によるインター
ネット「eoイオ」の宣伝文句にのせられて取り寄せてみた。カードを
さしこむだけで無線でインターネットできるはずが、電波が安定接続で
きずにキャンセル。機器類は送り返した。損害はないが時間をかなりと
られた。いずれADSLにしないといけなくなるのか。厄介な世界につ
かったものだ。拉致された人までがPCの研修だなんて。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎会社や団体のメールの人で、個人のアドレスをお持ちのかたは、そち
らもぜひお知らせください◎勤め先だと、どうしてもゆっくり読めない
ので、紙に印刷して電車内やおうちでじっくり読む、というお話も聞き
ます◎「そぞろ通信」は、個人同士の交流をめざしてます◎購読料は無
料、あなたのお便りが、なによりのカンパであり心づけであります◎も
ちろん本を買ってくださればなによりのサポート。応援よろしくお願い
しま〜す。大阪ならジュンク堂書店難波店に五点とも揃っています。う
ちへ直接申し込みくだされば、サイン本をすぐお送りします。もちろん
オンライン書店各社でも取り扱ってます。著者名で検索してみてくださ
い。
★「そぞろ通信」11月号/第14号ハココマデ。読んでもらえて嬉しいです。
  amanetant81@hotmail.com

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Date: Mon, 16 Dec 2002 04:02:54 +0900
Subject: 【「そぞろ通信」12月号】謹呈 

★よくある質問へのお答え&忙しい人向け一行ニュース(*^o^*)
    ------------------------------------------------   
【平明はぎっくり腰の安静療養に努めかなり治って来つつあります】

++++○++++10++++○++++20++++○++++30++
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■【そぞろ通信】12月号*第15号[+85]================2002-12-16

      □「あまね通信」改題通巻100号□創刊2001年10月16日
      □発行/直接配信<BCC>□編輯発行人/山口平明
      [1行32字で改行-等幅]転載転送事前に言うてよね
       ★返信先: amanetant81@hotmail.com
       ★連絡先:大阪06-6543-0135[FAX優先]
□もくじ□
(1)漫歩系/自分で自分のことを決める不安-------------山口平明
(2)家事細見帖・晩御飯の巻--------------------------岡本尚子
(3)編輯後記----------------------------------------へいめい


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■1■毎月一回病院通いも漫歩系sozoroaruki--------------山○平明

  自分で自分のことを決める不安

 自分の体のことなんだから、自分の意志決定を大切にしたいと思う。
だがなかなかそうはいかない。脳梗塞になって手術後、五年以上も血を
固まりにくくする薬[抗血小板薬]を毎日飲み続けてきた。

 この薬は副作用による死者をだしていて、もう何度も新聞に書かれて
きた。死にいたるような人は、血液検査を怠った場合がほとんどだとい
う。服用後、二か月以内に合わない人は副作用が出るらしい。

 手術してもらった病院に毎月一回、診察と薬の処方をもらうために出
かけている。脳外科の医師は五年間で四人も替わった。今の人は今春か
らだ。前の医師にも今の医師にも「この薬を外せないか」と言ったのだ
が、もう長く飲んでいるから今ごろ副作用はでない、と言い、薬はずっ
と処方されている。

 去年、副作用で全国の死者何十人と記事にでたころから、ぼくは一日
二回飲むその薬を一回にしてきた。今の医師になった今年もまた死者が
出たと新聞に載ったから、最近はもう飲まないようにしている。薬がも
ったいないしおカネも無駄、でも医師の手を離れて病院にかからないと
いう決心はつかない。

 自分の体なのだが、こうするぞ、と決めがたい。この薬が肝臓に悪い
のは医師も認めるところ。肝臓は眠れる臓器といわれ、よほど悪くなら
ないと疾患は発見しにくいらしい。薬をやめるわけにいかないのは、医
師のほうも同じだろう。他人(患者)の体であっても死んだら責任を問
われるから、薬を外しましょう、とはいかないわけだ。

 娘の天音の抗ケイレン剤でもまったく同じ状態だった。いっこうに発
作はとまらないのに、薬は存命中ずっと二十年ちかく処方された。ひと
つの薬では心配なのか数種類も投薬された。妻は、年をへるにつれだん
だんと薬を適当に減らしていった。だが完全にやめはしなかった。

 最期の入院時、検査で肝臓が悪化しており、主治医ではない医師が
「過去に輸血をしたことはありませんか」と何度も聞いてくるほどだっ
た。天音は輸血どころか入院さえほとんどしていない。肝臓の悪化は、
永年の抗ケイレン剤などの薬の所為seiだと思っている。

 でも死者が出つづけているのに、行政が医師に注意して投薬しろ、血
液検査を二か月に一度しろといっても、こっちは副作用で死ぬよりも脳
梗塞の再発で死ぬほうがいいや、となる。血液検査やMRIをしないと
判らない病気なら、再発予防に努めるほうがよいのではないか。

 なるべく自然にして暮らしたい、これが小生の願いだ。けれども既に
もう脳外科手術は受けたんだから、お前はもう自然に暮らすなんぞは無
理といわれるだろう。急性期では、医師の説明をすべて受け入れざるを
えなかった。今では自己の疾患について患者として勉強した。

 たとえば食べ物。前から注意していたが、現在は偏らない「粗食」を
心がけている。大きなストレスは早めに避けるようにもしている。それ
に日課としての散歩(漫歩)も続行中。

 毎日こわごわ危ない薬を飲むよりも、日々の暮らしを自然に送るほう
が自分でも心から納得できる。薬代は国にも小生にも無駄ではあるが、
医師も免責され、患者の小生ももしものときにかかりつけの病院と医師
がいるという安心感は確保できる。

 もっとも心臓の薬は毎日飲んできたから、これで肝臓がやられたら仕
方がない。これも飲むのをやめようかと思うが、倒れる前のような心臓
の重い不整脈(心房細動)や立ちくらみはなくなったのでやめるのは難
しい。皇室の誰かのように、心室細動で一気に死ねばそれまでだ。

 少なくとも心臓の薬は医師に処方してもらわねばならない。もうひと
つの例の薬も受け取るが、自分の体なんだから自分で判断決定して飲ま
ないことにした。でも気持は揺れている。間違いない判断なんてありえ
ないから、まことにユルイけれどこのへんが体と心の落ち着き先かと自
得している。

 そんなこと言うてるけどオッサン、あんた酒はどうなりまんねん。あ
れは肝臓に悪いのとちゃいまんのか。グゲッ。痛い床屋。

 酒は血流をよくする働きがある。もちろん肝臓には悪い。おたくさん、
酒の副作用にはいたく寛大やないか。病後は人とのつきあいでだけ酒を
飲む。まあ、自然流にたしなむといった程度。もともと晩酌などという
偉そうな振る舞いはしていなかったけれども。病を得て自分の体をほん
の少し解ってきたといえる。

 十一月十三日、ぎっくり腰をやってから三週間、来客時にも酒には手
をださず、話相手だけをつとめた。三人の来客がつづいたとき苦もなく
我慢できた。老化の自覚と「療養息災」が、莫迦なりに身についてきた
わけだ。

     *

 福田定良が死んだ。八十五歳。腎不全と新聞の死亡欄にでていた。近
年、マスコミで文章を見かけないなあと思っていた。略歴にある著作の
うち、『めもらびりあ』は八雲書店から一九四八(昭和二十三)年に発
行された。

 書棚を探したらすぐ見つかった。珍しいことだ。酸化し茶色い紙の束
となっている。奥付を見ると初版本で、「定價八拾五圓」とある。本を
開くと崩れてしまいそう。昭和二十三年はぼく五歳だから、もちろんこ
れは二十代のころ古本屋さんで買ったもの。見返しに鉛筆で「100円」
と記してある。読みたいだけでなしに所蔵したいと思ったから、定価よ
り高いのに買ったのではなかったか。

 この本に《所有するということなしに自由に物に結びつくような生き
方》とあったが、よく解らなかった。かつて付箋をはさんだ頁を眺めな
がら、年をとってもよく解らないもんだ、と思う。

 福田は、お寺の子どもだが父母は養親であった。僧侶になるのを嫌い、
徴用衛生工員としてすすんで戦場に向かった。マラリアの防疫作業が任
務で、班長にならされ兵隊と工員の間に立って右往左往する。敗戦で帰
国するまでを書いている。三十歳ごろの作品だ。

 はまだら蚊のぼうふらを採集していた人は南方から生還、このときか
ら六十年ちかくも経った。《……私の至らなさも、日本に帰ったら、ほ
ろびるところまで自己をほろぼす努力によって、とりかえしがつくだろ
う》という終章の結語を眼の前にして、ぼくは冥福を祈る気持とともに、
これからもう一度あらためて著者に出会いたいと思っている。

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■2■家事細見帖/晩御飯の巻--------------------------岡本尚子

  ゴミ袋 提げて仰ぎぬ 冬銀河

 平明さま、私の夕食の支度は午後三時に始まります。朝食と弁当作り
の時は立って調理してますが、夕食はちゃぶ台にまな板を置いて座って
大根を切ったり、じゃがいもをむいたり…。その途中で洗濯物を取り入
れたり、風呂を掃除して湯を張ったりしますが、夕食の準備は五時半ご
ろに終わります。風呂に小学生をドボンと放り込み、私も入ります。上
がってから、酢の物などを小鉢に分けて、魚を焼き始め、今、家にいる
すぐ食卓につけそうな人数だけご飯を盛り、煮物を盛ったり。これが意
外にメンドーなのですよ。

 「ご飯やでえー。風呂入ってない子は入りやー」入浴を終わったメン
バーからハシを持ち食べ始める。私も食べ始めるが、風呂から上がって
くる子のおかずを温めたり、皿に盛ったりそのうち、大きい子も時間差
攻撃のように帰ってくる。夫も帰ってくる。

 自分が食べ終わると、少しずつ食器を洗い始める。子どもたちが小さ
い頃は、各自で食器を洗わせていたのだが、バラバラに帰ってくるよう
になってからは挫折した(よくザセツするヤッチャ)。

 食器洗いをしながら、ちゃぶ台の空いている所で宿題を始める小学生
に「かあちゃん、これ分からん」と尋ねられ、手を止め答える。小さい
子の歯も磨く。

「かあちゃん、連絡帳にサインして」「かあちゃん、本読みの宿題聞い
て」。大きい子は「お母さん、明日は○○があるから○○出しといて」
「今日は英語の試験ミスったわ」「お母さんしょうゆ取って」茶ワン洗
いながら聞いている私。「かあちゃん話聞いてくれへん」と泣いている
子もいる。

 次々と食べさせて、食器を洗い終わり、なべを洗い、生ゴミを袋に入
れて他のゴミも一緒に外のゴミ箱に入れにいく。時刻はもう九時を過ぎ
た。冬の星は澄んでいる。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3■編・輯・後・記----------------------------------へいめい

・今月も前号につづき短い。前号の感想では、短いのは読みやすい、物
足らないの二つに別れた。今回はもっと短くしてみました。これ以上短
くすると、発行間隔も短くしないといけなくなりそうです。それは無理
だから、まあそのときの気分で気ままにやっていきます。また感想をも
らえると嬉しいです。
・人気HPの「ほぼ日刊イトイ新聞」を紙の単行本(講談社)で読んだ。
著者はもちろん糸井重里。ウエブという新しい器に古い日刊新聞を盛り
つけたのが面白い。実際にのぞいてみると、その中身は笑いに充ちてい
る。内容の更新が日刊だからいつも「NEW」なのだ。メルマガもHP
の最新版を読者に届けるのが受けたともいえる。「そぞろ通信」は、H
Pをもってない。そろそろ考えないといけない。楽しいからやれている
のは、一日50万アクセスの「ほぼ日」もわが「そぞろ通信」も同じだ、な
〜んちゃって。十四日の土曜日に大阪難波高島屋のあたりで、糸井氏を
見かけた。こういうのを共時性っていうのかしら。
・本年最後の「そぞろ通信」です。今年も読んでくださりありがとうござ
います。来年もお送りしますので、ご愛読よろしくお願いします。

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【お願いとPR】◎会社や団体のメールの人で、個人のアドレスをお持
ちのかたは、そちらもぜひお知らせください。「そぞろ通信」は、個人
同士の交流をめざしてます◎購読料は無料です。もちろん本を買ってく
ださればなによりのサポート。応援よろしくお願いします。大阪ならジ
ュンク堂書店難波店に五点とも揃っています。うちへ直接申し込みくだ
されば、サイン本をすぐお送りします。もちろんオンライン書店各社で
も取り扱ってます。著者名で検索してみてください。
★「そぞろ通信」12月号/第15号ハココマデ。次号ハ1月16日頃の予定。
  amanetant81@hotmail.com



UP:20030220 REV:20030221,0810
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