昨年は人生最悪の幕開け。前年末の胆嚢炎から十二指腸潰瘍で46日の入院、連日の輸血と手術、幻覚とストレスに悩まされる。ある日ベットの周りに親戚一同が並んでいてドラマのシーンのよう。妻の手配と知るのですが命の危険を思い知らされました。統合失調症のような幻覚でしたが、その中に「NHK臨時ニュース」があり市民と野党の共闘の発展に「安部総理、菅官房長官以下6人の政府高官国外逃亡」世界各国の報道に続き、NHKから籾井会長以下4名逃亡、各部署でNHK革命がすすむと報道。私は必死で?パソコンに打とうとするも。
年開けて1月の福島応援 on songから徐々に復帰、4月からの15の学校講演も妻とチーム佐々木の協力で頑張りました。念願の中大同窓有志の会結成に事務局として参加、国会前集会など参加の中で現在80人、夜間部、教員、学生とも連絡がとれ、さあこれからです。いま私の発症の年に結成した「わの会の20周年行事」に集中、1月28日18時30分府中駅前ルミエールで美空ひばりを三多摩青年合唱団が4部合唱で歌う「いのちかがやけコンサート」に頑張っています。
もし日本の降伏が4日早ければ広島長崎原爆投下はなかった。2か月早ければ沖縄23万人の戦死餓死はなかった。5か月と5日早ければ東京大空襲はなかった。悲惨なシベリア抑留もなかった。普通に暮らすアジア諸国民を侵略した罪は果てしなく重い。アメリカに従属ながら太平洋戦争を正しいとする安倍内閣。戦争は、防衛を名目に始まる。戦争は、兵器産業に富をもたらす。戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
安倍政権による沖縄 いじめ が苛烈を極めた昨年、高江ヘリパッド建設に反対する市民に対し、大阪府警から 派遣 された機動隊員が「触るな、土人が」「黙れコラ、シナ人」と差別発言を行った。だが、鶴保庸介・沖縄担当相が「土人」発言を「差別と断定できるものではない」などと擁護するなど、安倍政権は沖縄への差別的弾圧を正当化している。
そんななか、あの黒柳徹子が沖縄の基地問題について発言し、話題になっている。沖縄の地元紙「琉球新報」が3日付で黒柳の インタビュー を掲載。そこで黒柳は、戦争と平和について語るとともに、沖縄の基地建設問題について、言葉を選びながらも率直にこう語っている。
「沖縄の方はみんな嫌だって言っているのよね。住んでいる人たちの意見を尊重すべきだと思います」
「 選挙 の結果も知っています。(知事も名護市長も)反対だというのは知ってます。私は住んでいる人たちの意見を尊重すべきだと思いますよ。どんなことがあってもね」(琉球新報より、以下同)
沖縄の人が基地に反対している以上、その意見を尊重すべき──。極めてまっとうだ。事実、沖縄県内の世論調査では、沖縄に在日米軍専用施設が集中(70%)している現状を差別的だと感じている県民が約8割、翁長知事による辺野古埋め立て承認の取り消しを支持する県民が同じく約8割と、多数が辺野古新基地建設に反対しながら基地負担の軽減を望んでいる。一方、周知のように安倍政権は 警察 や司法を駆使し、自治体や市民の反対を強引に押さえこんでいる。
だからこそ、黒柳は「沖縄の声」を聞くべきと語る。それは、“政府による沖縄弾圧は戦争へとつながる”という危機感の表れだろう。
「この間の戦争だって、知らないうちに始まっちゃったでしょ。気が付いたら真珠湾を攻撃していた。
子ども の感覚でしたが、勝ってる勝ってると言いながらどんどん物がなくなっていくんですよ。食べる物が。私たちの年代はお菓子なんて食べたことがない」
1933年生まれの黒柳徹子は、戦争を体験した 世代 だ。食べるものがなく、栄養失調だった 子ども 時代、ほうびのスルメほしさに兵士の出征を見送りに行き、日章旗を振ったことが、苦い記憶として残っている。
「 戦後 、戦争責任を考えたときに、私はスルメがほしくて兵隊さんを見送ったけど、行くべきではなかったと後悔しました。でも国の教育がそうでした。必ず勝つと思っていました。戦争は怖い、どんな希望も失われる、愛している人もどっかへ行って死んじゃうんだって、子どもたちに教えないといけない」 (続く)
ニュースで横浜市の消防の出初め式に、自衛隊とアメリカ軍が参加していてびっくりしました。この内閣はどこまでアメリカに売り渡すのだろうか?未亡人製造機と呼ばれるオスプレイが、横田基地に10機配属され、関東と山梨、静岡上空を飛ぶと報道された。日本人としてなにをなすべきか、かんがえ行動したい
実際、黒柳は戦争の記憶を マスメディア で語り継ぎ、テレビのなかでも大事に扱ってきた。『ザ・ベストテン』( TBS )では広島への原爆投下日に原爆ドームが見える場所から中継を行い、『徹子の部屋』( テレビ朝日 )では毎年、終戦記念日前後に「必ず戦争を体験された方のお話を伺っています」と言う。それは「平和だったらできるいろいろなことが、平和でなかったらできない」からだ。
そんな黒柳は、琉球新報からいまの日本の状況をどう思うか聞かれ、戦争の記憶の風化と、安倍政権による 憲法 改正への危惧を吐露している。
「あんまり戦争を知らない人がどんどん増えてくると、怖いと思います。戦争って考えもつかないことが起こるんですものね。だって 沖縄 だってそうでしょう。米軍が上陸するなんて考えてなかったでしょう。そういうところで日本の軍隊が死ねってね、自害するものを渡したり。戦争がなければこんなことは起こりませんよ」
「絶対戦争はしない国だし、それを誇りとしているという憲法を変えようという動きには心配しています。平和憲法は絶対に変えてはいけないです。絶対に戦争はいけないんです。どれだけの人が死んだか。300万人ですよ。将来のある若い人たちも」
黒柳が示唆するように、実は、戦争体験の風化と憲法改正は合わせ鏡のようになっている。
たとえば先月、安倍首相は真珠湾を訪問したが、そのスピーチで「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました」と言いながら、国家が戦争に駆り出した兵士を「勇者」ともち上げ、その死を「祖国を守る崇高な任務」と称えた。安倍首相はこの真珠湾訪問によって「日米では『戦後』が完全に終わったことになる」( 朝日新聞 12月24日付)と息巻いていたというが、ようするに、終わらせたいのは改憲の障壁となる「戦争の記録」なのである。なにより、新安保法によって日本がアメリカの戦争に直接加担できるように作り変えた事実、そして改憲の野望を完全にネグったことが、その証左である。
戦後日本復興の人びとの心の支えとなった昭和の歌姫美空ひばりのことは、誰もが知っていて数え切れないエピソード、物語があります。父増吉が徴兵され、横浜大空襲を体験し、戦後の闇市で育ったひばり。「ひばりは大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院した翌年であり、歩くのがやっとで段差を1人で上ることさえ困難な状況」をこらえて笑顔で一本の鉛筆を歌うひばり。なんという偶然か私はそこにいたのです。暑い体育館でした。美空ひばりの「一本の鉛筆」の演奏が始まりました。
1.あなたに 聞いてもらいたい あなたに 読んでもらいたいひばりは出番以外の時は音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという[3]。翌1989年6月に、ひばりは死去した。
他の予定楽曲は 早春賦 私の回転木馬 見上げてごらん夜の星を 花笠音頭 秋田音頭 おきなわのおどりほか
以上の歌は「わの20周年記念コンサート」で歌われます。
わの会は私のALS発症の1996年生に結成、以後NPO法人わの会となり、デイサービス、訪問介護、自立支援など6事業に懸命に取り組んでいます。いまいのちの価値が問われています。「弱い命」の価値を問う勢力の台頭があります。そんな中すべてのいのちへの讃歌「いのちかがやけコンサート」へどうぞお出で下さい。
府中グリーンプラザけやきホール(府中駅前) 1月28日(土)午後18時30分開演 2000円 当日多くのボランティアが必要です。障害者のみなさんも大勢来られます。ぜひぜひ応援下さい。なおコンサートの内容はチラシをご覧下さい。
わの会ホームページhttp://www.wanokai.com/わの会の利用者のみなさん、ご家族のみなさん、応援いただいているみなさん、スタッフのみなさん!お元気ですか?お変わりありませんか。
「世間はいやなことばかりでしたが、私には素敵な年でした。……りんりんは私の安住の地です。みなさんの笑顔が待っています。良い年をとって何かに取り組み熱中したいと思います。すべてのものがしっかり頑張れと云って居るように聞こえます」デイサービスりんりんの利用者Oさんの再びはじまった物語です。
呼吸器をつけてとじこもるALS患者の心のひだを解きほぐし、連日笑顔を引き出している介護、生きる希望をつかみきれない患者といっしょにただただ泣いて、心に溶け込んだ介護、このようなヘルパーさんたちの汗と涙の物語に支えられ、ヘルパーステーションあいあいも、多くの障害者の生活を支え頑張ってきました。
ネットワークわの会の日帰り旅行は、「津波」を思わせるf海への恐怖と感動の房総への旅となりました。ほかにもバーベキュー、ハイキングや各種講座など、ネットワークわの会もみなさんの声にもとづいて様々な活動にとりくみました。
このような活動を繰り返しながら発展させながら、20周年を迎えることが出来ました。すべての皆様に心より感謝申し上げます。
いまいのちの価値が問われています。「弱い命」の価値を問う勢力の台頭があります。そんな中すべてのいのちへの讃歌「いのちかがやけコンサート」へどうぞお出で下さい。
府中グリーンプラザけやきホール(府中駅前) 1月28日(土)午後18時30分開演 2000円 当日多くのボランティアが必要です。障害者のみなさんも大勢来られます。ぜひぜひ応援下さい。なお詳しくはわの会のホームページをご覧下さい。
戦後日本復興の人びとの心の支えとなった昭和の歌姫美空ひばり。父増吉が徴兵され、横浜大空襲を体験し、戦後の闇市で育ったひばり。「ひばりは大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院した翌年であり、歩くのがやっとで段差を1人で上ることさえ困難な状況」をこらえて笑顔で一本の鉛筆を歌うひばり。なんという偶然か私はそこにいたのです。暑い体育館でした。美空ひばりの「一本の鉛筆」の演奏が始まりました。
1.あなたに 聞いてもらいたい あなたに 読んでもらいたいひばりは出番以外の時は音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという。翌1989年6月に、ひばりは死去した。
他の予定楽曲は 早春賦 私の回転木馬 見上げてごらん夜の星を 花笠音頭 秋田音頭 おきなわのおどりほか
以上の歌は「わの20周年記念コンサート・1月28日」で歌われます。
皆様にお願いします。コンサートに皆様のご家族、お友だちをお誘い下さい。友だちの友だちを7つたどると地球のすべての人にいきつくそうです。4つのお願いです。
1,皆様のお知り合いを出来るだけ書き出しましょう。
2,連絡方法を電話、メール、郵便、手渡しなどを書き足しましょう。
3,参加の約束が出来た、チケットが売れた。の人数をりんりん、あいあい、ネットワークにお知らせ下さい。
4,それぞれの人数をネットにお知らせ下さい。
皆様あと13日です。急ぎましょう。力を合わせて頑張りましょう!
2017年1月15日 NPO法人わの会理事長佐々木公一
黒柳徹子さん3は次号。ご都合のつく方ぜひ。心よりお待ちしております。
さらに、安倍首相が真珠湾でもう一つ、意図的に無視したことがある。それが、 沖縄 の基地問題に他ならない。安倍首相は「和解」と「寛容」を繰り返したこのスピーチで、太平洋戦争での沖縄戦についても、占領体制の継続と言える在沖米軍基地についても、一ミリも触れることはなかった。まるで、安倍首相がいう「日米の和解」「日米の 戦後 」のなかには、沖縄の悲劇の歴史も現在も、まるっきり存在しないかのごとく。
安倍首相が任命した鶴保沖縄相もそうだ。「土人発言を差別と断言することはできない」との理解は、安倍政権が戦争の歴史を省みていないことの証明。戦中、日本軍は欧米によるアジアの植民地解放を謳ったが、実際には、東南アジアなどの現地の人々を「土人」と呼んで侮蔑し、支配と搾取を正当化した。つまり、鶴保大臣の「土人」発言擁護は、沖縄差別の肯定であるとともに、 歴史修正 主義の発露だったのである。
であるからこそ、黒柳徹子のいうように、わたしたちは戦争体験者からのバトンを受け、戦争の悲劇を語り継ぐことをやめてはならないのだ。そして、戦争の記憶を勝手に「清算」し、ましてや反戦教育を取り締まろうとまでしている政治権力の動きに、もっと敏感にならなくてはならない。黒柳は、琉球新報でこのように語っている。
「守るべきは平和と自由しかないと植え付けないといけない。だって今、いろんなことを決めている人たちは兵隊に行かないんだから。お母さんたちは今、自分の 子ども が兵隊に行くんじゃないかと心配しているが、子どもたちの中には戦争ってかっこいいと思っている子もいるかもしれない。でもかっこよくも何でもない、平和が大事だと教えることが大事だわね。何としてでも」
政府の沖縄 いじめ は、先の戦争の記録を清算し、新たな戦争へ向かおうとする安倍首相の思惑と、ぴたりと重なっている。本土メディアはその事実にどれだけ気がついているのだろうか。 ( 宮島みつや )
わの会は、私のALS発症の1996年に支えあう「わ」、共に作りあげる「わ」、みんなの想いをつなぐ「わ」という思いをこめた「わの会」、府中地域福祉を考えるわの会は、地域の障害者の福祉の向上と自立支援をめざして結成され、以後NPO法人わの会となり、デイサービス、訪問介護、自立支援など6事業に懸命に取り組んでいます。おかげさまで今年21年目に入ります。
「世間はいやなことばかりでしたが、私には素敵な年でした。……りんりんは私の安住の地です。みなさんの笑顔が待っています。良い年をとって何かに取り組み熱中したいと思います。すべてのものがしっかり頑張れと云って居るように聞こえます」デイサービスりんりんの利用者Oさんの再びはじまった物語です。このようにわの会は人が生きる意味、とりわけ重い障害を抱えて生きる意味を誰もが共有できる社会をめざして今後とも努力してまいりたいと思っています。
いま世界は分断と格差拡大がすすみ、8人の大富豪の資産が36億人の総資産と同じ、日本でも上位40人の資産と全人口の半分の資産合計が同じという異常さです。そんな中移民、難民攻撃が広がり、日本でも相模原やまゆり園の障害者を狙った凄惨な殺人事件に象徴される「弱い命」『役に立たない命』の価値を問う勢力の台頭があります。「やさしさ」の言葉が急速に減っています。
そんな中すべての命への讃歌「いのちかがやけコンサート」を企画しました。話し合いの中で、戦後日本復興の人びとの心の支えとなった昭和の歌姫美空ひばりが話題になりました。ひばりの歌で命の応援しようとなりました。快く引き受けていただいた多摩地域を拠点に52年の伝統を誇る三多摩青年合唱団のみなさんありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。
「私は弱者のため、差別とたたかうためにこの世に生まれてきた」(歌手マドンナさん)の言葉に勇気を貰いました。
「衆議院議長大島理森様 この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。?私は障害者総勢470名を抹殺することができます。?常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。?理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。」(犯人の手記全文)
ここから読みとれること、ひとつは社会の役に立たたない命は無意味,無意味な命なら死なせてあげよう、もうひとつは無意味な命は生まれないように(優生思想へ発展)、さらに現実の人びとを作り直そうと徴兵制など軍国教育への論究が多くみられる。
かって渡辺元大蔵大臣は「率直に言うと年寄りは早く死んでくれたら国は助かる」と福岡での応援演説で述べた。高齢者の番組を見ていた麻生副総理は「いつまで生きるつもりだ」と言った。府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)を視察した後の記者会見で、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と発言。(石原慎太郎 1999年9月、当時東京都知事)息子伸晃大臣は人工呼吸器をつけた患者の部屋を見て「わあっ宇宙人みたいだ」と言った。この男難病の6歳の我が子を延命治療せずと死なせている。安倍晋三首相はアスペルガー症候群などの発達障害について、親の子育てに原因があるとした親学推進議員連盟の会長の時話している。さらに「真のエリートの条件は、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。(稲田朋美 2006年8月29日、シンポジウム「新政権に何を期待するか?」)満州事変と日中戦争を「自衛のための戦争だった」「セキュリティーの戦争だった」と発言。(高市早苗 2002年8月18日放送サンデープロジェクト)
明るく世話好きで、洗濯物を畳むのが大の得意だった65歳の女性。囲碁が大好きで人懐こかった49歳の男性。かわいらしい笑顔で人気者だった19歳の女性、と思い出がかたられている。一人ひとりに個性があり、彩りのある生を周りの温かな手のなかで享受していた19人のいのち。無残にもそれが理不尽な凶刃によって奪われた、相模原の障害者殺傷事件から半年が過ぎた。
「遅くなりましたが大盛況で本当に良かったです。プログラムをはじめすべてがよかった感じです。裏方もみなさん立派でした。会場いっぱいの一体感に感動しました。同時にどこから生まれてきたのか今でも不思議です。これからみなさんの感想を読みながら聴きながら考えます。わの会合唱団の10回の練習ありがとうございました。私は最後の瞬間に成功を確信しました。本番の雰囲気に似ていました。」このように1月28日大成功させることができました。すべてのみなさんに心より感謝申し上げます。
いったんは支える側に身を置いた青年がねじれた考えにとらわれ、狂気に満ちた犯行に走ったのはなぜか。問い続けられています。時々話し合いましょう。トランプの大統領令が世界を揺るがしています。「迫害、テロ、戦争からから逃がれようとしている人たちへ。カナダ人はあなたたちを温かく迎えます。あなたの信仰に関係なく。多様性こそ私たちの強さです」カナダのトルドー首相です。「就任直後から精力的に行動され、トランプ新時代の幕開けを強烈に印象付けた」日本の安倍首相です。
近畿財務局財務局の当初の予定販売価格が15億円だった。売却予定額15億を7億〜8億円に、賃料を3500万円を2500万円に森友学園が値下げ要求。結果は売却予定額が9億5600万円(後に8億1900万円の値引きとなる)に、賃料は2730万円となった。 この時土壌汚染除去等費用(1億3176万円)返還合意書むすぶ。この上に
売買価格は 鑑定評価額9億5600万円から、地下埋設物除去費用8億1900万円(地下3メートルまでのゴミ処理費用1億3176万円とは別に地下9メートルまでのゴミ処理費用として)を差し引いた、1億3400万円になる。ここから1億3176万円を差し引くと224万円となる。つまり224万円で当初15億円と国が見込んだ広大な国有地を手に入れたのだ。背景に改憲右翼の日本会議がある。戦前回帰ととりわけ戦前の教育実現を目指している。籠池、松井知事、安倍夫妻、麻生、稲田も皆仲間だ。森友学園の闇はまだまだ深い。
財務省は国有地の処分について「未利用国有地等の管理処分方針について」という通達を定めています。通達は、学校法人などから国有地の購入や賃借の要請があった場合、各財務局は「資金計画(予算措置、資金調達等)の確実性」を審査するとしています。この審査をへて財務局は国有地処分の是非を審議会にかけます。
本紙が入手した森友学園が新設する小学校の「収支計画・借入金返済計画概要」(2月20日付)よると、2014年度に同学園の資金は約2億2400万円。学校建設につかう「第二号基本金」も積み立てておらず、学校建設は寄付金に頼る状況でした。同年度は同学園が運営する幼稚園も、約1億5千万円の赤字でした。資金の確保が「確実」な状況ではないのに、近畿財務局は審査を通していました。(資料「しんぶん赤旗」より)
安倍首相の親しい友人が経営する加計学園に愛媛県で37億円の学校用地をを無償提供。またしても昭恵夫人が系列の加計学園が運営する「御影インターナショナルこども園」という神戸市の認可外保育施設の名誉園長である。昭恵夫人は30以上の団体の名誉職にある。今日記者会見予定の籠池氏に「身を隠せ」と財務省が指示。
「今日はね、立川に行って来たの。たくさん買い物したの。」とのお婆さん患者の話しかけに「行けません。ここは病院であなたは入院しています。」看護師が冷たく答えます。続いて男の看護師にも同じように話しかけ、「何を言ってるんですか?ここは病院ですよ。行けるはずがありません。」と突き放されていました。あと2人に話しかけ、同じように突き放されていました。一昨年のICU(intensive care unit 医療設備を駆使して連続看護・処置を行う治療室)入院時の体験です。
私は「そう良かったですね。ほかに何を見たの?」など楽しい会話を期待していました。ほかに聞こえてくる会話も医療側の説得、説明ばかりでした。
私がケアで理想とするのは、傾聴と共感です。そして共感とは相手の目で見、耳で聞き、心で感じること、です。ですがみなさんがむかう新しい職場は、傾聴と共感ケアの余地は少なそうです。私は患者に関心を持つこと、患者を知ることが大切と思っています。そのためには、まず自分を知って貰うことがとても大切だと思っています。ぜひ微笑み返しを呼ぶ笑顔を絶やさず頑張りましょう!
みなさんこれまで長い間私たちのケアありがとうございました。昨年まではお一人づつお礼を書いていたのですが、今年は過去最高に多いので、いくつかの思い出を報告して感謝とお礼に代えます。
都立府中看護学校の副校長でおられた雑賀先生が帝京平成大学に赴任され合計10人の学生を送ってくださったこと。近くの公園でみなさんが2年生の時バーベキュー誕生会をみんなで楽しんだこと。帝京平成大学の学園祭で楽しんだこと。「新しく彼氏ができた」とうれしい報告も何人もありうれしい気持ちになりました。
最後ですが、昨年は前年の生死をさまよう大手術の時たくさんの励ましをいただきました。改めて心より感謝申し上げます。
2017年3月23日 佐々木公一多分と思い計算して見ました。
財務省提示月賃料は227万円でした。籠池(かごいけ)泰典理事長が昭恵夫人に求めた半額が実現しました。その数字113万5千円をあてはめて計算してみました。
9億5600万円__−__113万5千円・籠池氏が昭恵夫人に求めた賃料__×__12・か月__×__10・年間=8億1980万円
驚くべき金額が出てきました。値引き額そのものです。森友学園問題で「適正に処理している」安倍、麻生、菅などの政府答弁は何だったのか?答弁とはごまかすためのものなのか?佐川理財局長のうそにうそを重ねた国民を馬鹿にしたあんな答弁許してはならない。巨悪は逃がさない。
あとがき 20年前ごく普通の幼稚園だった。10年前「教育勅語」の幼稚園に様変わりしていた。森友学園塚本幼稚園である。この時期日本会議の方針が、改憲を超えて戦前回帰へ、「教育勅語」の道へとりわけ教育を変えようとしていた。塚本幼稚園は日本会議のめざすそのものだった。安倍内閣の7割の閣僚、大半の自民党議員がめざすものであった。だが今森友学園を1人悪者にして、安倍夫妻はじめ逃げる姿は誠に見苦しい。引き続き森友学園問題追撃します。
このあやしげな法案を名前を聞くと、自身の不思議な体験を思い出す。
10日間府中警察の2人の刑事が後をつけてきた。実に仕事をしているときも食事をしているときもずーっと見張っていた。時々私が覗くとさっと2人の刑事は物陰に身を隠す。こんなことが10日続いた。当時私は府中地区労の役員。当然関係先に「聞き込み」があった。仲間に守られ、無事終わった。容疑は「個別訪問」。けれど組合役員である私にとって組合員訪問活動は、私の日常の仕事。「共謀罪」をあてはめるとどうなるか?金田大臣に聞いてみたい。
ウソにまみれた「共謀罪」
東京オリンピック・パラリンピック開催のための「テロ対策」を内容とするものではない。政府が「共謀罪」法案を「テロ等組織犯罪処罰法」と呼んでいることについて、「TOC(国際組織犯罪防止条約)では『共謀罪』と訳している」。つまり政府が「共謀罪」法案を「テロ等組織犯罪処罰法」と呼んでいることについて、「TOC(国際組織犯罪防止条約)では『共謀罪』と訳している」。これを通さないとオリンピックが開けない、との国会冒頭の安倍首相の発言は真っ赤なウソだと分かる。
こんな投書がありました。80歳の女性からです。
孫が7歳の誕生日を迎え、小学二年生になりました。会うたびにしなやかに成長する姿は私の元気のもとですが、74年前の自分を思い出してしまいました。
当時、日本はアメリカと戦争をしていました。一年生の時の宿題は朝夕、神棚に手を合わせて「武運長久」を祈ることでした。両親がクリスチャンで家に神棚はなく、私は先生から「非国民の子」と名指しされました。父に神棚を買ってと泣いて頼みましたが、かないませんでした。
毎月8日は、町の氏神様に戦争の勝利のために参拝する行事です。非国民が鳥居をくぐると汚れると言われ、一人で鳥居の外を歩きました。音楽では軍歌をうたい、ある日好きな歌もいいよと言われて、うれしくてチューリップを歌ったら、「日本人なら菊の花を歌え」と先生に叱られ、教育勅語の暗記もできず終身の成績は最低でした。
心の自由を認められなかった時代を過ごした私にとって、「共謀罪」は一般の市民に及ぶおそれはない、という政府の言葉を信ずることはできません。
連休明け森友学園問題が急展開することを信じています。「20年前ごく普通の幼稚園だった。10年前「教育勅語」の幼稚園に様変わりしていた。森友学園塚本幼稚園である。この時期日本会議の方針が、改憲を超えて戦前回帰へ、「教育勅語」の道へとりわけ教育を変えようとしていた。塚本幼稚園は日本会議のめざすそのものだった。安倍内閣の7割の閣僚、大半の自民党議員がめざすものであった。」このように日本会議と安倍集団は動いている。「共謀罪」は国民の運動の芽を根こそぎ奪おうとするものと私は理解している。
憲法ともに生まれ育った私にとって、安倍首相の「2020年改憲宣言」の深く悲しい報道に、怒りがこみ上げて来ました。異常な日本の政治状況の原因の大きな原因の1つに、マスコミ報道があると思いいたりました。。連休前2週間NHKの国会報道がまったくありませんでした。法務委員会はじめ大激論が交わされていたのに、です。
私は運動の力を何より信頼します。実は「森友学園籠池泰典理事長証人喚問」がNHKの放送予定にないとの知らせを受け、直ちにツイッターやFacebookやメールなどで必死の取り組みを始めました。名前も顔も知らない全国の無数の人々との暑い連帯を感じる取り組みでした。
明日、明後日(8,9日)は衆参予算委員会が開かれます。多分放送されると思います。問題はその後です。いつも「国会を報道して下さい。」とNHKに声かけしましょう。NHKが国会を報道すると民放の政治報道が増えます。ご一緒にいかがでしょうか。ぜひ御意見下さい。
多分と思い計算して見ました。
財務省提示月賃料は227万円でした。籠池(かごいけ)泰典理事長が昭恵夫人に求めた半額が実現しました。その数字113万5千円をあてはめて計算してみました。
9億5600万円−113万5千円・籠池氏が昭恵夫人に求めた賃料×12・か月×10・年間=8億1980万円
驚くべき金額が出てきました。値引き額そのものです。森友学園問題で「適正に処理している」安倍、麻生、菅などの政府答弁は何だったのか?答弁とはごまかすためのものなのか?佐川理財局長のうそにうそを重ねた国民を馬鹿にしたあんな答弁許してはならない。巨悪は逃がさない。
あとがき 20年前ごく普通の幼稚園だった。10年前「教育勅語」の幼稚園に様変わりしていた。森友学園塚本幼稚園である。この時期日本会議の方針が、改憲を超えて戦前回帰へ、「教育勅語」の道へとりわけ教育を変えようとしていた。塚本幼稚園は日本会議のめざすそのものだった。安倍内閣の7割の閣僚、大半の自民党議員がめざすものであった。だが今森友学園を1人悪者にして、安倍夫妻はじめ逃げる姿は誠に見苦しい。引き続き森友学園問題追撃します。
上は安倍首相が腹心の友が経営する加計学園につぎ込む税金の額。森友学園の比ではない。下は今日本で一番有名な写真。出所は安倍昭恵夫人のFacebook。題名は『男たちの悪だくみ』。明日福島応援 on songです。府中駅伊勢丹フォーリス前でお待ちしております。
小学4年の時に終戦を迎え、教科書に墨を塗った話も。うれしかったのは男女平等と。「男の子と野球をして遊びました。おとなは(敗戦で)呆然(ぼうぜん)としてますから何をしても怒られなかった。自由ってすばらしいと実感しました」「社会のこと、地球のこと、われわれの生き方…。ちゃんと考えなければ、人間が生き残れない時代です。一緒に考え、また歩いていきましょう」
前文部科学省事務次官前川さん記者会見23日日本記者クラブで会見した前川氏は「一部の者のために権力が使われるなら国民の手で正されないといけない。そのために(国民が)事実を知らないといけない」。また読売新聞が前川氏の私的な行為を報じたことについて、「官邸の関与があったのではないか」と感じていることを紹介。「私以外にも同じことが起きていれば大変。監視社会化が進み、権力が私物化され、メディアまで私物化される社会の入り口に(日本が)たっているのではないかと危機感を持っている」
私は前川さんの記者会見を2時間近くしっかり見ました。素晴らしい民主主義感覚に感動しました。「一部の人たちに使われる権力」は極めて危険な段階にあります。明日の日本に極めて重要な加計学園問題の解明に大きな影響をもつこの前川会見を、ほとんどのマスコミが報道されなかったことに深い危惧を感じています。ところでこの間不思議なことがありました。前川会見をニュースから閉め出した「小林麻央死去報道」の麻央さん司会のニュースゼロで5分間報道してもらったこと、前川会見の最後に質問した東京新聞望月記者に取材を受けたことをおもいだしました.
安倍首相の「獣医学部全国展開!」を聞いて、私は思わず「安倍発狂!獣医学部全国展開!」とツイッターに書いた。稲田大臣の応援演説(「小生意気な中学3年生」地元の自民党の稲田評。)といい、下村元文部科学大臣の加計学園献金疑惑といい、荻生田副官房長官の加計学園まみれ疑惑といい、樋田由美子議員など安倍チルドレンの醜態といい、人間の集団がこれほど腐敗堕落するものかと驚くばかりだ。振り返ると2012年12月第2次安倍内閣から日本は滅茶苦茶にされてきた。何故か?安倍内閣は日本会議が総力をあげて作り上げたものだからだ。「神輿は馬鹿で軽いのがいい」日本会議で公然と囁かれている。平たく言えば「馬鹿の安倍のうちに日本会議の課題を全部やらせよう」というのだ。
政治のしくみ壊された 慶応大名誉教授の小林節氏のコラムでの発言。「首相と親しい者が、法律に反してまで不当に利益を得る。それに協力した役人が出世して、それに逆らった役人は処分を受ける。まるで、時代劇で将軍と御用人と代官と御用商人の関係を見せられているようである」。まったくその通りである。
あとがき 不思議に思いヘルパーさんに手伝ってもらい計算して見た。「森友学園8億値引きの真相ーゴミ調査何もやっていない!財務省提示月賃料は227万円。籠池(かごいけ)泰典理事長が昭恵夫人に求めた半額が実現。その113万5千円をあてはめて計算。9億5600万円−113万5千円・籠池氏が昭恵夫人に求めた賃料×12か月×10年間=8億1980万円」。ここから始まりゴミ探し、47%の混入率などすべて嘘だった。上をご覧下さい。安倍日本会議内閣の闇は信じられなく深い。
今回、ALS患者の佐々木公一さんが主催されている「わの会」で、重度訪問介護従業者養成研修を受講しました。
介護関係に従事しているわけではない私が今回の研修を受けるきっかけになったのは、親族が佐々木さんと同じ難病であるALSを患ったことです。徐々に進行していく親族の病を、身近で介護する身としては、病状が重度障害の状態にまで進んだときに、「適切な介護が出来るようになっておこう」、と考え研修の受講にいたりました。
佐々木さんを最初に見たときは、大変に深刻な印象を受けました。人工呼吸器につながれている状態は、私にとっては非日常的な光景だったからです。
しかし、佐々木さんの介護の現場に携わっている内にすぐに慣れてきました。そして介護のスタッフの方々のテキパキとしたきめ細かな行動に、佐々木さんが安心して介護を受けられる体制が整っていることを実感しました。
興味深かったのは、四肢が全く動かない佐々木さんが、わずかに動く首を使ってインターネットを何時間も行っていたことです。今は科学技術の力を使って、誰でも社会に向かって情報発信が出来る時代なのです。また文字盤を使ったコミュニケーションの有効さは意外な驚きでした。インターネットと違い文字盤はアナログですが、何かの意思を伝えるときに大変便利なことが佐々木さんと介護スタッフの方々の会話を見ることでわかりました。デジタルとアナログを使いこなすことで、声もだせず指も動かせなくても不自由のない意思表示が可能なのだと感動しました。
驚いたことは、佐々木さんの介護に従事するスタッフの人数の充実ぶりです。24時間介護が必要な佐々木さんには、必ず誰かが側にいます。佐々木さんの奥さんとお話をしていると、このような体制が整うまでには、ものすごい苦労があったとのこと。佐々木さんがALSを発症した20年前にはALS協会の東京支部がなく全て自分たちが手探りで行ってきたということです。やはり、奥さんの献身的な介護と、生活環境の充実に大変な努力をされた結果なのです。
今回の研修を受けて重度障害者の置かれている状況に対する理解と、介護に携わっていく事の必要性、そしてやり甲斐を感じました。
佐々木さんが出版された本の題名「やさしさの連鎖」という言葉が、これからの超高齢化社会を迎える日本には必要です。介護に最も必要とされているのは、他者より抜きんでようとする競争力ではなく、特別な能力でもありません。他者を思いやれる価値観です。それは「個人の尊厳」という、誰もが人格と幸福の追求を認められた日本国憲法と民主主義の基本理念を実現していくことなのです。
全ての運動機能を奪われるALSのような重度障害者の方々が、幸せに不自由なく過ごせる社会を創ることが出来たときに、全ての人々の個人の尊厳が実現された社会になるのでしょう。人類はそのような社会を目指していくべきです。貴重な研修を体験させていただきありがとうございました。この経験を私の親族の介護に活かしていきます。
Aさんありがとうございます。貴重な感想感謝です。一緒に頑張りましょう!なおこれまでのものをまとめました。ご覧下さい。「週刊ALS患者のひとりごとhttp://ameblo.jp/als-ssk(2000年5月より発行現在398号)」。
皆さん、こんにちは。お元気ですか?単刀直入にお聞きしますが、介護は好きですか?私は、介護が大好きです。日常生活のお手伝いをすることはとても大切ですが、それ以上にコミュニケーションをとることに重要視しています。利用者様の思いをくみとれたときにやりがいを感じ嬉しくなります。
まず、この作品は神奈川県藤沢市に実在する「おたがいさん(株式会社あおいけあ)」をはじめとする30ヶ所もの介護福祉施設や専門学校、関連団体に取材をいただき、セリフの1つ1つが全て実際の現場からとった生きた言葉で作られております。
一般的に、メディアからの情報だとマイナスなことが多いですが、この作品では介護の面白味や本質、気づきの大切さを教えてくれました。
そもそも「ケア二ン」とは、介護、看護、医療、リハビリなど人の「ケア」に関わり、自らの仕事に誇りと愛情、情熱を持って働いている全ての人のことです。
介護は“3K(きつい、汚い、危険)”のイメージが先行されます。確かに、介護の仕事は肉体的にも精神的にも厳しいと思います。けれど、これほど人と本音で向き合い、人の温かさを感じられ、感謝の言葉の重みに気づかせてくれる仕事はないと思います。
皆さんは「介護士」といいますか?それとも「介護福祉士」といいますか?もしかしたらどっちもという人がいるかもしれません。介護の現場の職員は「介護福祉士」といいます。なぜなら、社会福祉士及び介護福祉士法第2条第2項により定義がされているからです。つまり、専門的な高い知識と技術をもって、日常生活を営むことができるように、利用者様や利用者様のご家族(介護者)へ適切な支援を提供することと定められています。
この作品で強く印象に残ったことは、利用者様の「死」についてです。登場人物である新人の介護福祉士と同様に自分自身「死」に対してネガティブな印象を持っていました。先輩の介護福祉士は「人はいつか死ぬ」といいました。もっともなことではありますが、それで気持ちを整理することは難しいです。 けれど、続けて「利用者様と最期まで向き合うことが私たちの役目なのよ」といいました。この言葉を聞き、私の中の「死」に対する気持ちが変わり、人は死を含めて、人生なんだと思えるようになりました。
私は「利用者様の最期まで生きるお手伝いに手を抜かない。今までどんな人生を歩まれてきたとしても、愛をもって接していき、自分と関わった一時でも幸せを感じてもらいたい。」と常に考えてケアをさせていただいております。
私の文章を読んで少しでも介護って素敵な職業だなと思っていただけたら幸いです。暑い日々が続いていますが引き続き頑張りましょう!!ありがとうございました。
我が家の学生ボランティアさんの映画*「ケアニン〜あなたでよかった〜」の感想をいただきました。人と最期まで向き合うこととケア、を考えます。なおこれまでのものをまとめました。ご覧下さい。「週刊ALS患者のひとりごと http://ameblo.jp/als-ssk(2000年5月より発行現在399号)」
私から3つのメッセージです。
1、希望を強くもっているか。2、目的・目標をもっているか。3、やりたいことをやっているか。4、結果に責任をもっているか。人のせいにしていないか。5、そのことのために学習しているか。6、人と交わり人の意見を聞いているか。7、必要とされているか。出番があるか。8、社会に役に立っているか。人びとに支持されているか。と自問しながら私は、役割にむかっています。
目的、目標をもつと世界がかわります。人は本来「見えるものでなく、見たいものを見るものです。」エビデンスを示してみます。母親は新生児室の数十人の赤ちゃんの中から、瞬時に我が子を見つけます。みなさんはどんな人混みの中でも、瞬時に恋人を発見するでしょう。その上で目標に期限(節とテンポと私はよびます)をつけると、「あと何日!あと何時間!」という力が湧いてきます。風景が変わります。可能性が広がります。さらに課題などの締め切りより1日でも半日でも早くやり切ると、@振り返るゆとりが生まれます。A別の視点、観点で見直すことで思いがけないものが得られるでしょう。B課題の完成、終了は、新しい課題へ出発を意味します。よりパワーアップして次の課題に向かえるでしょう。みなさん2年後の我が身を思い描いて、頑張りましょう!
私の社会の見方です。3つあります。「その場面で一番弱いものの目で見る」「踏まれているものが痛い踏むなと叫ぶとき、差別されているものが差別するなと立ち上がるとき真の歴史がはじまる」「戦争は政治の継続であり政治の基礎は経済である。」
この「週刊ALS患者のひとりごと」は2000年5月気管切開をし、人工呼吸器生活に入り、声が出なくなったことを期に、子供たちやお世話になっているみなさんにその時々に感じること、を綴ってまいりました。私のALS人生のバックボーンとなっています。http://ameblo.jp/als-ssk おかげさまです。ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。
看護学校の講演に行かせていただいたのは初めてだったので、私が感じたことを書きたいと思います。まず文字盤体験ですが、わたしは慣れてきたのと、公一さんがしっかり目を動かしてくださるおかげで以前より文字盤をスムーズに読めるようになってきましたが、初めて文字盤を使用する人にとっては、スラスラ文字盤を読めることがすごいと感じることに驚きました。でも、わたしも初めの頃は、自分もあんな風に文字盤を読めるようになるのかな、、、と不安な気持ちがあったことを思い出し、懐かしくなりました。文字盤というコミュニケーションツールが、ALS患者に関わる人々だけでなく、もっと幅広い年代のたくさんの人に認識され、誰もが当たり前のように使うことができるようになったら、利用者さんがもっと暮らしやすい社会になるのではないかなぁと感じました。
次に講義についてですが、、、公一さんのお話は、聞く度にわたしに様々な新しい感情を教えてくれます。初めて見る息子さんやご家族のみなさんとの写真を見て、当時の公一さんの思いと照らし合わせて切なくなったり、ほっこりあたたかい気持ちになりました。パワーポイントを使っての講義はとてもわかりやすく、心打たれるものでした。お話の中で特にわたしがハッとさせられたのは、「ヘルパーが30センチ先を通っても見てくれないとき、気づいてくれないとき、無視されたような感覚になる」という言葉でした。例えば見守りの時間など、何かあったらコールがなる、と安心して別のことに意識を向けていると、コールがたまたま鳴らなかったとき、公一さんの訴えを見落としてしまうことがあるかもしれません。声を発することができない利用者さんにとって、近くにいるのに気づいてもらえないことがどんなに辛いか、近くにいるのに伝わらないことがどんなにもどかしいか、ということを改めて考えさせられました。わたしの日頃のケアを振り返ってみると、常に公一さんを気にかけるということを意識しているつもりでも、他のことをしていて、公一さんの目や表情のサインを見落としてしまったことがあるかもしれない、、、と反省しました。初心を忘れず、利用者さんに寄り添う気持ちを持って、これからもケアに励んでいきたいなと思います。
最後に、A看護学校の生徒さんや先生の雰囲気についてです。先生方の明るさや面白さ、講演が終わったあとに公一さんの周りを取り囲む勉強熱心な生徒のみなさんの姿がとても素敵でした。わたしは公一さんに出会って、介護や看護のことを知る機会というのを与えていただきましたが、高校生の頃に公一さんに出会えていたら、また、もっと前から介護や看護の世界を知っていたら、青海の生徒さんたちのように、看護学校に進学して看護師になる将来を歩んでみたかったなぁと心から思いました。
私たちの講演&文字盤教室の様子です。引き続き頑張って下さい。なお71回目の福島応援on songを月命日の10月11日14時から15時まで府中駅伊勢丹フォーリス前で行います。ご参加お願いします。なお4,5,6日胃ろう交換で、都立神経病院に入院します。
官邸関係者は「解散日程はこれしかなかった」と言っている。つまり22日総選挙結果報道に、日本中が注目を集めている翌日、ひっそりと粛々と、一気呵成に工事をすすめる作戦。何という国家犯罪!
党首討論で「前川さんはじめ私(安倍首相)から頼まれたものは一人もいない」どの局でも同じ言い訳をしている。笑わせるな!と私は言いたい。「真の悪党は自分の手は汚さない」ものだから。
#加計学園
お財布事情。2015年度の収支を見ると、千葉科学大学は約4億4千万円の赤字。さらに倉敷芸術科学大学も約6億5千万円の赤字。どちらも大学設置にあたり自治体が土地を差し出し、2校合わせて157億円もの補助金を投入したのに、です。赤字で定員割れ続出の加計学園。
「安倍首相ベさんとのつきあいは金がかかる。年1億はかかる。」
あまり報道されない事実をお知らせしようと思います。御意見お願いします。よろしければ拡散お願いします。
2007年政権投げだし以来、日本会議とともに周到に準備を重ねた。改憲どころか、戦前回帰をめざす日本会議の目標と合致した者のであった。籠池泰典前理事長籠池氏は「小学校でも教育勅語の朗誦(ろうしょう)をする。教育勅語的精神は(日本人の)ずっと昔の先祖からの考え方だ」「日本民族のための日本民族の憲法を創出し」「民族性を強く押し出す真性・保守の台頭が急がれます」と改憲の必要性を強調。「安倍政権は歴史のキーポイントを握っている重要な政権」と述べている。蜜月時代の安倍首相と籠池。日本会議関係者は、安倍のうちに全部やらせようといまもやっている。
多分と思い計算して見ました。財務省提示月賃料は227万円でした。籠池(かごいけ)泰典理事長が昭恵夫人に求めた半額が実現しました。その数字113万5千円をあてはめて計算してみました。
9億5600万円−113万5千円 籠池氏が昭恵夫人に求めた賃料×12か月×10年間=8億1980万円。驚くべき金額が出てきました。値引き額そのものです。
【介護経営調査の公表 選挙配慮】介護報酬改定の基礎資料となる介護事業経営実態調査の結果公表を厚生労働省が衆院選後に先送り。同省幹部は「選挙に影響を与えないため、公表を遅らせた」と明かす。毎日新聞です。
投票日翌日は加計学園獣医学部新設認可予定。悪政の嵐。
東京新聞、望月氏。『なぜ臨時国会を開催しないのかと野党から問われた当時の竹下国対委員長は「首相が加計問題の追求を嫌がってる」と返事している。総理が会見で「真摯に丁寧に説明する」と表明した事とかなり矛盾し、相違がある事に政府は?』
安倍首相と神戸製鋼所:不製品出荷500社に。新たに9製品。4製品は主力の鉄鋼製品。神戸製鋼所の川崎博也会長兼社長は12日記者団に謝罪。さて首相動静、6月23日。午後7時、KOBELCO摩耶ゲストハウス着。川崎神戸製鋼所会長兼社長らと会食。この時期奇異な訪問の印象。 あとがき 事件の裏にいつも晋三がいる。日本会議がいる。だまし討ち内閣というべきか。介護報酬引き下げへの賛否などを問う公開質問状を、自民党、公明党、日本共産党、社民党、立憲民主党、希望の党に提出しました。期限は今日17日です。
だが問題はもっと単純で、明快だ。ゴミ問題は、値引きのアリバイつくりだったのだ。森友8億値引きは、昭恵夫人が谷査恵子氏に指示して、籠池氏値引き要求を、各省に交渉させた結果得られた金額である。「神風が吹き始めた」のころである。2015年の出来事を思い出しながら、下の文章をご覧下さい。9月3,4,5日の安倍の行動に注目!すべてはここで決まった、と私は推測している。ここを追及しきれば、安倍夫妻と日本会議の犯罪であることが、暴けるはずだ。マスコミはイタリア支局を通じて谷氏の取材を急ごう。迫田元、佐川前理財局長、安倍昭恵を捕まえよう!
財務省提示月賃料は227万円でした。籠池(かごいけ)泰典理事長が昭恵夫人に求めた半額が実現しました。その数字113万5千円をあてはめて計算してみました。
9億5600万円−113万5千円・籠池氏が昭恵夫人に求めた賃料×12・か月×10・年間=8億1980万円
驚くべき金額が出てきました。値引き額そのものです。
この国と日本会議の犯罪、見逃せば日本が滅びる。
財務省の財政制度等審議会が2018年度の政府予算編成についての建議を先週まとめました。「財政健全化」のためとして、医療、介護など社会保障費の削減・抑制を中心項目に据えています。現政権の発足から5年、これまでも社会保障費には大ナタがふるわれ、国民は大きな苦難を強いられています。その予算がさらに削り込まれては、国民の暮らしはとても立ち行きません。
財政審の建議は、医療、介護、障害者福祉、子育て、生活保護、年金などの各分野で「適正化」「効率化」の名で予算削減を迫っています。18年度予算案の焦点である医療の診療報酬や介護報酬ではマイナス改定を重ねて求めています。人口構成の高齢化などで避けられない「自然増」を無理やり1300億円カットをもとめています。
みなさん2000年に介護保険が出来てから、3年ごとに見直されて来ました。来年が6回目の見直しの年にあたります。振り返ると2009年の3%引き上げ以外はすべて引き下げです。中でも2012年の4・8%大幅引き下げの時は、事業所閉鎖が相次ぎました。
私たちは再び悲惨な歴史を繰り返さないために、実際の生活で困っていることを、生の声を政府に伝えて行こうと思います。ぜひこの場にみなさんの声を、下の内容にそってお寄せ下さい。
1行メッセージにお名前と県名をお書き下さい。もちろん長くても大丈夫です。このコーナーに送信よろしくお願いします。あわせて賛同者も大募集続けます。力を合わせて、頑張りましょう!メールの方はhamu-s@スパム対策jcom.home.ne.jpまでお知らせ下さい。
政府は、18日の閣僚折衝をへて22日にも閣議決定する18年度予算案で内定率を正式に決める予定で、来年2月までに個別項目ごとの報酬を決めます。
人件費や設備関係費に充てる診療報酬「本体部分」のうち、最大の改定項目が入院ベッドの再編・統合です。
厚労省は人口減少で急性期の患者(救急・重傷者など)が減るとして、7対1病床の入院基本料(患者1日あたり現在1万5910円)を「10対1病床」(同1万3320円)と同額に引き下げて統合するとしています。その差額分は段階的に評価して10対1への転換を促すと言いつつ、指標となる重症患者の入院割合(7対1は25%以上)を引き下げて、入院患者を絞り込ませる狙いです。
さらに、「13対1病床」の入院基本料(同1万1210円)も引き下げて「15対1病床」(同9600円)と統合し、差額分は重症者の受け入れ実績などで評価。医療療養病床の重症者への絞り込みも狙っています。
評価指標の「在宅復帰率」は、厳格化したうえで、急性期後の患者を受け入れる地域包括ケア病棟などでの割合(70%以上)を「早期退院」の名で引き下げる考えです。
「医療機関の経営悪化は明らかなのに、医療費抑制を優先したもので許せない。政府の社会保証制度解体路線の大きな一里塚と言える。」ー。こう話すのは全日本民主医療機関連合会の内村幸一事務局次長(経済部)です。
事実、一般病院の収支差率は10年度がまいなす4.2%で過去3番目に大きな赤字幅でした(厚生労働省)。7対1から10対1に転換すると年約1.2億の減収(200床の病院)になる同省試算も示されています。
内村氏は「このうえ重症者の割合や在宅復帰率を厳しくすれば、医療機関が要件に合う患者を選ぶようになり、受診機会が抑制されかねない」と批判します。報酬改定を協議する中央社会保険医療協議会でも「7対1は危機的状況だ。現場が大混乱する」(日本医師会)、「医療の安全が保てなくなる。拙速な導入は避けるべきだ」(日本看護協会)と反発が相次いでいます。
今回改定では、入院設備がある診療所の経営難を逆手にとって、介護サービスに参入すれば報酬上評価することや、質の低下につながりかねない「遠隔診療」の推進も打ち出しています。
「医療から介護へ」「施設から住宅へ」の医療費抑制に利用する狙いです。
紹介状なしの大病院受診時に追加負担を求める対象病院の数は、1.5倍以上に広げます。
一方診療報酬の一部をなす薬価部分は、高額薬の値下げで社会保障費の圧縮に利用する考えですが、新たな評価を設けるなど製薬企業の過剰な利益の温存を図っています。
改悪への反発に押された政府は本体部分を0.55%微増する考えですが、不十分すぎます。医療機関の経営悪化の打開には、社会保障抑制政策をやめ、高額薬の値下げ分などを使った本体部分の抜本的引き下げこそが必要です。
長くなりました。年末年始は国の予算に注目です。いま「現場の声を国会へ!!」の運動中です。12月26,27日いわき市と楢葉町に行って来ます。
2日目の楢葉町で見た光景は、この先も一生忘れられません。放射物質を集めた黒い袋の山、原子力発電所、仮設住宅、お店がない殺風景な街並み、、、今までテレビでしか見たことがなかった光景を目の当たりにして衝撃を受けました。と同時に、いつになったらこの黒い袋はなくなるんだろう、何年経ったら震災前の楢葉町に戻れるんだろうと思いました。復興は少しずつ前に進んでいるのかもしれませんが震災の爪痕は今もなお確実に残っています。わたしがそうであったように、それはきっと自分の目で確かめてその空気を感じなければ気づくことができません。それはマイナスなことだけではなく、あんなに綺麗な海があること、おいしい魚が食べられることなど、福島にはたくさん良いところがあるということも同じです。今までわかっているつもりでいたけど、被災地には実際は自分が思っているよりももっともっと深刻な問題があること、一人一人が真剣に学び考えていかなければいけないということを感じました。天神岬に立ったとき、たくさんの家が津波にのまれて流されていたあの信じがたい7年前の光景を思い出し、胸が締め付けられました。楢葉町で見た景色も、感じた思いも一生忘れたくないです。(学生の感想です。私も新たな怒りが、こみ上げて来ました)