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『週刊/ALS患者のひとりごと』2010

佐々木 公一

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last update: 20180130


◆2010/01/25 『週刊/ALS患者のひとりごと』239
 わの会新年おめでとうございます
◆2010/03/08 『週刊/ALS患者のひとりごと』240
 ALS患者70人のメッセージ(1)
◆2010/03/16 『週刊/ALS患者のひとりごと』241(復刊6号)
 ALS患者70人のメッセージ(2)
◆2010/03/23 『週刊/ALS患者のひとりごと』242(復刊7号)
 照川さんのこと/「命の対話(NHK)」
◆2010/08/31 『週刊/ALS患者のひとりごと』243(復刊8号)
 当事者研究をして感じたこと
◆2010/09/07 『週刊/ALS患者のひとりごと』244(復刊9号)
 呼吸器のこと
◆2010/09/30 『週刊/ALS患者のひとりごと』245(復刊10号)
 南多摩看護学校のみなさん、今日は
◆2010/10/18 『週刊/ALS患者のひとりごと』247
 看護学生からの質問に答えて/1回
◆2010/10/25 『週刊/ALS患者のひとりごと』247号訂正
 看護学生からの質問に答えて/2回
◆2010/10/26 『週刊/ALS患者のひとりごと』248
 18才の結一郎へ
◆2010/11/01 『週刊/ALS患者のひとりごと』249
 看護学生からの質問に答えて/3回
◆2010/11/10 『週刊/ALS患者のひとりごと』250
 看護学生からの質問に答えて/4回
◆2010/11/16 『週刊/ALS患者のひとりごと』251
 看護学生からの質問に答えて/連載4回
◆2010/11/25 『週刊/ALS患者のひとりごと』252
 看護学生からの質問に答えて/連載5回
◆2010/12/06 『週刊/ALS患者のひとりごと』253
 ALS患者多摩交流会感想から
◆2010/12/10 『週刊/ALS患者のひとりごと』254
 私の自己実現/明治学院大学でのご挨拶 
◆2010/12/18 『週刊/ALS患者のひとりごと』255
 看護学生からの質問に答えて/連載7回


 

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   第239号                         2010年1月25日
           週刊/ALS患者のひとりごと
 
 
    今日は/お世話になります
 発行 佐々木公一 ブログ http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームページ http://www.arsvi.com/w/sk13.htm  メールアドレスhamu-s@jcom.home.ne.jp

わの会新年おめでとうございます

みなさん、昨年わの会には花丸のうれしいことがたくさんありました。中でも視覚障害者森尾さんの4年かけてわの会の仲間に口述筆記してもらい完成させた長篇小説『愛』をはじめ『市川さん、伴さんの100才』『津田さんの銀メダル』ついでに私の『大学院卒業』など昨年はうれしいことがたくさんありました。工夫して頑張れば何でもできる感じです。

それから今年の私の年賀状の一部です。「患者の人生そのものが多様で、病気もその受け止めもまた多様であるなら、ケアのかたちも多様でなければならない。必要なケアが必要な人に、必要な質と量のケアが届けられなければならない。そして、難病患者に対する時、『あなたはこれから、どんな新しい人生をつくりますか。そこにはつらいこと、苦しいこともあるけれど、無限の可能性に満ちています』と 言ってあげられる、こんなケアの理論をめざしてがんばります」

この部分に予期せぬ同じ大きな反響がありました。「心に滲みます」と大学の先生から講議に使わせてほしい、「同感です」「私の気持ちを代弁してくれた」と患者仲間からブログやホームページまた講演に使わせてほしい、「その通りです」などの感想をたくさんいただきました。とてもうれしい新年でした。

けれどもそれは現実がそうなっていないことへの怒り、また切実な願いではないでしょうか。「ケアのかたちも多様」でない現実(介護保険はその反対をめざすかのようです)があり、「必要な質と量のケアが届けられ」てはいないところに私たちの生活の不便や苦しみの原因があります。ですから「無限の可能性に満ち」た「新しい人生をつく」ることが困難になっています。

なにやら政治の世界に激震が走りそうですが、私たちは国の社会保障や福祉にしっかり目を向け、福祉の受け手としてまた担い手として、新しい年、お互いにたくさん語り合い、意見も出し合い、またよく聴きあい、助け合って頑張っていきましょう。
2010年1月17日 NPO法人わの会 理事長佐々木公一


あとがき 1月10日新潟大隅田先生来訪、16日(土)JALSA支部運営委員会 17日(日)わの会新年会、21日(木)ケアマネ来訪があった。年末にJALSA近畿ブロックの水町事務局長から私の論文を機関誌に載せたい、さらに今年東京家政大学の田中先生らの「呼吸器をつけずに亡くなった9人のALS患者の遺族への調査」を同時に掲載とのこと。私の研究はALS患者の「私にできること」、この研究ではいわば「できなかったことまたはやらなかったこと」が明らかにされる。今年「呼吸器差し控え、呼吸器はずし」論がALS患者に重く被さって来そうだ。仲間たちとあせらず語り合えたらと思う。なお私の修士論文ご希望の方メールを。迎春。よいお年に。

 

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第240号(復刊5号)                   2010 年3月8日
週刊/ALS患者のひとりごと


今日は/お世話になります
発行 佐々木公一  ブログ http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームペー ジ http://www.arsvi.com/0w1/sskkuic.htm  メールアドレス hamu-s@jcom.home.ne.jp

ALS患者70人のメッセージ(1)
修士論文のアンケートの中で以下のことを質問した。それぞれに心あたたまる回 答があった。要点のみを報告します。1) もっとも大切に思っていること,2) ALSへ 立ち向かうきっかけになったこと3) これまでにやれなかったこと4) どんな支援が あればできたと思うか5) これからやりたいこと
6) 療養者仲間や家族へのアドバイス
1)もっとも大切に思っていること
「同病の仲間との交流」「患者交流会・患者宅の訪問」「日本ALS協会福島県支部活 動」「地元でのALSの患者の会」「患者会活動」「最初に初外出した近畿B総会参加 」「患者訪問」「患者・家族会の立ち上げ」「仲間に協会の存在を知らせること」 「ALSの交流会」「ALS協会への加入」「ピアカウンセリング。当事者参加授業」「 難病患者・ALS患者への支援団体活動」「介護事業所をはじめ同病者と共に運営」「 介護・福祉・保健・医療関係者にALSについての知識を持ってもらう」「ホームペー ジ作成」「外出」「リハビリ専門学校での年一回の講義」「看護、介護、PT等の研 修の受け入れ」「家族と旅行」「子供たちの成長」「短歌作り」「「病院だより」 の発行」「信仰クリスチャン」「発明展へ応募、文字盤教室の普及」「趣味」「放 送大学の受講」「自作作品の展覧会への出品」「健常者とのコミュニケーション」 「発信」「ALSの脳と心はいつまでも正常である事。知ってもらいたい」「人と人の つながり」「自分らしさ」「自分らしく生きていける体制の整備」「生きたいと言 う気持ち」
2) もっとも大切に思っていることができたきっかけになったこと
? 協力者、理解者との出会い/「ブログを通じて」「支部総会」「ALS協会地域役 員の訪問」「家族が介護に前向き)」「妻の勧め」「家族の希望と看護師さん達か らの助言と協力」「訪問看護、訪問介護、訪問入浴、訪問リハビリ」「訪問介護事 業所の支援」「看護師さんの訪問を受けて」「紹介」「保健所で相談」「難病連の 紹介」「友人の協力」「ボランティアの協力(医業従事者含む)」「頼まれて」「保 健師達に相談をされ、頼まれて伝の心で講演をした」
? 同病者との交流/「ALS患者とのメール、入院先の看護師さんたちとお花見」「 ALS患者のHP」「先輩の患者に家まで励ましに来て頂き元気が出ましたので、自分も できるだけ患者同士の交流をして行こう」「先輩患者さん達の行動」「患者会を立 ち上げた時の患者家族の喜びと安心の笑顔が忘れえない原点」「患者会に入って3年 目、いきなり重要な役目を押し付けられた」
? 自分自身に目をむけた自分の意志/「気切後話ができた。PCが使えた」「伝え る事が出来た」」「いろいろな人に会い情報交換する新鮮さがあった」「生きてい こうとする気持ち」「幼い子供達が堂々と生きていけるように父として夫として出 来る事をしたい」「自分に出来る事は体験していることを発信することしかないの ではないかと考えた」「なにくそ負けてなるか」「患者は孤立してはだめだとの思 い」「ヤル気!」

あとがき 呼吸器はずしが無気味に広がる。日本のALS患者8285人のうち29 %しかつけていない呼吸器をはずして殺そうとする医者が増えているらしい。番組 案内は別途。修士論文未受領の方連絡を


 

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第241号(復刊6号)                   2010 年3月16日
週刊/ALS患者のひとりごと


今日は/お世話になります
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ALS患者70人のメッセージ(2)
3) これまでにやれなかったこと
「外泊・外出」「旅行」「公共交通機関を使っての旅行」「旅行、子供の学校行 事の参加」「自由に出歩く事)」「散歩、外泊、買物」「介護費用を残そうと思っ て家の改築ができなかった」「難病ALS患者の救済制度の確立。つまり重障者の福祉 の保障制度の確立」「遠隔地に住む患者へのサポート、必要なタイミングでのサポ ート」「24時間他人介護の構築」「患者会の会員を増やすことが出来なかった」「 社会奉仕」「ホームページ、インターネット」「仕事を続けられなかったこと」「 発病初期からの病状変化による療養方法の記録を書かなかったこと」「子どもを抱 けなかったこと。手料理を食べさせてあげられなかったこと」「子供たちを賞めた り叱ったりする肉声を残すこと。『よくやったな〜』『こらー!』等を録音してお きたかった。下の子供をほとんどダッコしてやれなかった」

4) どんな支援があればできたと思うか
「お金、人、援助、理解など」「経済支援制度」「身体的援助、移動に係る身体的 援助や金銭的援助」「経済力、ボランティア」「支援費の確保とマンパワーの確保 」「長期入院、ナーシングホームなど、24時間介護支援制度(在宅)」「医療、看 護、介護関係者と県の応援」「現状を把握した資料の提供」「自分に合ったスイッ チやページめくり機の貸与(又は購入補助)」「福祉車両を購入」「社協のリフト カー使用許可を町が認可してくれたら」

5) これからやりたいこと
「外泊」「家族旅行」「旅行」「絵手紙」「ベトナム旅行」「オーストラリアの親 友に会いに行きたい」「自然観賞、季節を感じたい」「阪神タイガースを応援」「 お相撲鑑賞、文字盤教室の継続」「子供の学校行事)」「もう一度歩きたい」「も う一度外に出たい」「教会のミサへの参加」「意思伝達装置を有効利用し、チャッ トで交流を広めたい」「ホームページを充実させる」「パソコンで絵を描きたい」 「水彩画を描く」「毎年続けている街頭キヤンペーンに参加し続けたい」「在宅療 養の見本となるべき体制作り」「患者訪問、治験への参加」「近辺の患者、ご家族 へお便りを発行すること」「24時間他人介護の構築」「ケアネットワークの構築」 「自立支援制度の見直し」「大学での講演」「残された機能は聞くことと考える事 、出来る事がある限り、ALSが生きることを伝え続ける」「今を前向きに生きALSを 伝えます。試行錯誤しながら、頑張ります!」

あとがき 240号で1) もっとも大切に思っていること,2) ALSへ立ち向かうき っかけになったこと、今号で3) これまでにやれなかったこと4) どんな支援があれ ばできたと思うか5) これからやりたいこと、を紹介した。ここには前を向いて生き る方法が記されている。「呼吸器はずし」を考える前にやれることはたくさんある 。3/22に首都大学東京でITパラリンピックという所に参加、パソコン利用につ いてお話し予定。次号に、6) 療養者仲間や家族へのアドバイス掲載します。


 

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第242号(復刊7号)                   2010 年3月23日
週刊/ALS患者のひとりごと


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照川さんのこと/「命の対話(NHK)」
「生きてほしい。家族のために生きてほしい」と柳田邦男さん。「それは無理。 意思疎通ができなければそれは精神の死だ。私には無理(呼吸器をはずして死ぬ) 」と照川さん。だが妻は生きる、生きたい気持ちを強く感じとっていた。「本当に 死にたいなら医者は呼ばないでしょ」妻が言う。柳田さんの色紙を2度めに妻に読 んでと照川さん、最後の行「照川さんは生きている」を2度読んで応える妻。勝浦 の海に向かい「いいとこだ」の照川さんのつぶやきにつながっている、と私は思う 。
ではもし照川さんが「生きる。生きたい」というとしたら対応する言葉、状況は どんなだろうと考えた。ずっと考えた。鴨下家の風景が浮かんだ。「お父さんがい てくれるから私たちもやさしく楽しくいられる」と妻。「お父さんと新しい思い出 ができてうれしい」と息子。ALS27年、呼吸器23年の松本さんは、「松本さんが いてくるから希望がもてた。勇気をもてた」ALS患者は全国に無数いる。私もその一 人だ。命のつながりの深さ、豊かさ、多さに圧倒される。またそれ故重い。恐らく これ等の関係性の中に先の疑問の答えがあるのだと思う。
私の研究で、ALS療養者の日常生活を直接的に支援するのが家族であり仲間であり 、また介護・医療関係者である。そしてこれらの直接的支援を背景からサポートす るものが制度的・経済的支援であったが、これらへの言及がないのは残念であった 。映像へ一言。通常社会生活は立つ座るで行う。寝姿は休と眠。寝姿はさけたい。 最後に関係のみなさんのご努力に心より感謝申し上げる。

ALS患者70人のメッセージ(3)
6) 療養者仲間や家族へのアドバイス
「焦らずゆったりした気持ち」「焦らず出来ることをコツコツと」「趣味(生きが い)を探そう」「頑張りすぎず諦めず」「難病だからこそ、やりたい事見たい事を 実現すべき」「涙は全く一人の時で良いよ」「出来る事を見つけてゆっくりチャレ ンジ」「別の人生が開ける」「意思伝達方法⇒『伝の心』、文字盤」「分からない 事は先輩に聞きましょう」「仲間をいっぱい作って、自分にこだわって」「患者、 家族の交流会が近くでありましたなら、無理のない程度で参加してください。参加 が無理の方はその様子を相談員さんから聞く等して一緒に歩んでください」「強い 意志を持つ、孤立しない、仲間との交流。コミュニケーションを大切に」「プラス 思考で」「患者の方は我慢せずに我がままを言って下さい。介護者は病気が言わせ ていると思い、我慢して下さい」「閉じ込まないで積極的に外に出ていくこと、病 気を周りの人々に知ってもらうこと」」「周囲とのコミュニケーションを十分にと って詰まらぬ摩擦や食い違いにエネルギーを使わないようにしましょう」「自分の したいこと、してほしいことを遠慮せずに伝達すること」「一緒にいる家族がいた ら何でも耐えられます。一緒に生きる仲間のパワーも力になります。一生懸命生き てたら、必ず誰かがみつけて応援してくれます」
あとがき 「命の対話」が波紋。ご意見を。22日ITパラリンピックに参加。篠 沢教授も同席。


 

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第243号(復刊8号)                   2010 年8月31日
週刊/ALS患者のひとりごと


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当事者研究をして感じたこと

感謝/週2回登校(往復約3時間半)、3日連続5回の集中講座(1年生の時) 、そして約2年に及ぶ修士論文での悪戦苦闘。終始支えていただいた数えきれない たくさんの皆様への感謝の思いを馳せながら、振り返ってみる。
発見/当事者研究にとりくんで、たくさんの教訓をえた。予想を超える困難やト ラブルも数多くあった。、アンケート結果の整理のような複雑な作業では、がんば ってはいけないこともわかった。何時間もかけてもできなかったことをパソコンボ ランティアが数分でやり終える、ということもよくあった。
判断/最後まで問われたのは、作業が自分にできるかどうか、時間に間に合うか どうか、誰に何をどのように頼むかの判断であった。それからあきらめないことで あった。発見に胸踊らせ、心ときめかしながらも、まさに死闘であった。重度障害 者の研究支援のありかたは、検討を要する大切な課題だと考える。当事者研究こそ が、問題解決の近道と考えるからである。
オンとオフだけで/作業内容は、パソコンでひとつの言葉や文章を別のページに コピーする時、1)コピーして、2)移動して、3)所定の場所に貼り付けるまで24回 、「本」と書くのに12回、「出版」と書くのに25回スイッチを押す。このようにし てオンとオフだけで画面を動かし文字を書く。文章を作る。発信する。
ちょっと/それから、ちょっと計算する、ちょっと図に書いてみることができず困 った。修士論文のアンケート集約のための統計の勉強の中でよく感じた。ちょっと 振り返って読む、ちょっとほかの本をみる、ちょっと参考資料にあたってみるなど ができたらどんなにいいだろう、関係項目があの本のあのあたりに書いてあるはず だ、とうらめしく思いながら、約50冊の本と約120の論文を読んできた。苦しんでい た問題の解決案や時に名案が浮かんだ時、メモができたらいいなとよく思った。
命の叫び/このような作業の繰り返しの中での約2年かけた約8万字の修士論文 の作成であった。それは70名のALS療養者の最高10時間、平均4.14時間(アンケート の書き込み時間)かけて凝縮された命の叫びであった。こうして綴られた調査結果 は、魂の叫びのまとめであった。
ALSを生きる/ALSを生きるということ。それは、たくさんの人に助けられて生き るということ。自分がやることと人にやってもらうことが、同じ価値をもつという こと。自分がやることと機械にやってもらうことが、同じ価値をもつということ。 そして、目的と目標をもち、そのために努力して生きるということ。人にまじわり 人に学び、人の役に立って生きるということ。からだのどこも動かなくても、工夫 してがんばればなんでもできるということ。私は、ALS療養者70人の生きるための物 語からこれらを学んだ。
あとがき 242号は3月、またまた長期のご無沙汰。これまで原稿や発表の締 切に追われ続け。だが締切が物事を完成させると妙に感心。28まで難病看護学会 /山形に参加。発表と別に配布の文章。修士論文の裏話、苦労話。これらを知って もらうことも大切な役割と自覚して。


 

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第244号(復刊9号)                   2010 年9月7日
週刊/ALS患者のひとりごと


今日は/お世話になります
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予想どおり7例目の家族のみの承諾による脳死による臓器提供だ。先頃ALSの世界 に「呼吸器はずし(つまり尊厳死)」の声が吹き荒れた頃(いまも!)この2つの 論者たちは密接に連携していた節がある。8285人の呼吸器をつけない7割の ALS患者のみならず呼吸器をつけた3割の患者にも尊厳死をせまる。心しなければと 思う。自らに言い聞かせるつもりで4月のことを書く。

呼吸器のこと/神奈川のみなさん、今日は
府中市の佐々木です。発症15年、呼吸器11年です。相模原市の鈴木さんとは 格別懇意にさせていただいております。姉沓掛がいつもお世話になっております。

ALSになると呼吸器を付けるかどうかで決断を迫らられ、いままた呼吸器をはずす はずさないでさわがれています。呼吸器のことを少し調べて来ました。日本のALS患 者は8285人(09年厚生労働省)、そのうち40%の患者が鼻マスクをふくむ 呼吸器をつけうち29%が気管切開して呼吸器をつけそのうち13%がロックドイ ンになるとされています。
【呼吸器療法の簡単な歴史】
1、様々な試行錯誤を乗り越えて、1950年代、オランダでポリオの子どもたちへの 呼吸器(陽圧式で現在のものの原型)が発明された。この発明はALS治療の可能性を 広げ、70〜80年代、多様に実用化され、治療有効性が証明された。だがそのすべて に数百万円の自費を要した。
2、1990年、日本では呼吸器療法への医療保険の適用が法律により認められ、「呼 吸器療法」は国民の権利となった。他の多くの難病同様、等しくすべての人がALSに 罹患する可能性があるが、この未来の患者まで含めて、呼吸器療法はすべての人び とに等しく開かれた権利となった。
3、つまり、呼吸器療法は1990年に対症療法として確立したのであり、いわば風邪 薬や松葉杖と同じ位置づけになった。ただし呼吸器療法はあくまでも、ALSの根治療 法が確立するまでの代替療法である。患者は呼吸器をつけて日常生活を送りながら 、根治療法が確立する日を待ち望んでいる。
【ALS患者の願い】
1、われわれは以下の点を願い求める。第一に、当事者こそが病気や障害の、その 痛みや苦しみの専門家であること、したがって第二に、治す力も乗り越える力も唯 一当事者の中にあることを理解すること、そして第三に、患者に寄り添う心、やさ しさのまなざしを医療、看護、介護従事者にもってほしいこと。
2、ひとりひとりの患者がになってきた8285とおりの人生の物語があり、8285とお りのALSがある。罹患後のALS患者の人生が、それまでの人生を凝縮した形での再ス タートになるように、そして、近いうちに登場するであろう根治療法を受けられる 日を迎えられるように、ひとりひとりの患者の人生の物語をやさしく読み解いてほ しいと心より願う(2010年4月10日)。

あとがき 卒業後仕事が増え結構忙しい毎日です。先週は難病看護学会のほかわの 会の当事者(視覚障害者4人)と語り合う会に参加、見えない苦労を「まっいっか 」と乗り越える仲間の姿、「流れに身をまかせながらもあきらめず自分らしく生き る」仲間の姿があった。神奈川のみなさん、驚かせてすみません。お花見にお邪魔 した時の挨拶です。残暑まだ酷暑の折、皆様御身大切に。


 

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第245号(復刊10号)                   201 0年9月30日
週刊/ALS患者のひとりごと


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南多摩看護学校のみなさん、今日は

在宅看護学の貴重な授業にお招きいただきましてありがとうございました。在宅 について「佐々木さんパジャマじゃないんだ」初めて我が家を訪問された府中看護 の先生の最初の一言でした。私は「在宅とは毎晩好きなお酒が飲める所」だと思っ ています。神経病院の先生に次の入院のためにお酒を飲めru部屋をお願いしたら厳 しく叱られました。病院から在宅へ何が変わるでしょうか。みなさんの教科書に「 患者→療養者」「医学モデル→生活モデル・人間モデル」と書いてありました。「 自宅は、その人に慣れ親しんだ世界であり、その人の生き方や価値観が満ち溢れて いる」とも書いてありました。ぜひみなさん、いつか訪問看護に来て下さい。先日 鈴木先生から「在宅看護学」の教科書をいただきヘルパーさんの協力をもらいなが ら2度読みました。不思議なご縁も感じました。「在宅看護学」のはじまりは19 96年、私のALS発症も同じ年です。この「在宅看護学」からたくさんのことを学び ました。私の在宅療養生活の振り返りのよい機会になりました。心より感謝です。

この中で感動したことを書きます。「危機はそこにとどまり続けるものではなく 、適応への過程の出発点」という危機理論です。どんなに重い障害でもそれは新し い人生の出発点なのですね。
バンデューラは成功体験を強調しています。成功をたくさん経験することですね 。
トラベルビーの看護理論特に人間観は素敵ですね。トラベルビーは患者と看護師 を立場の異なるひとりの「人間」としてとらえ、その「人間」を「独自的でかけが えのない個人であり、世界においてその時、その場所にたった一人だけの、誰とも 同じでない存在」として定義している。「世界に一つだけの花」の作者もこの文章 を読んだのでしょうか。
みなさんが「専門職としての役割を果たそうとする時、さまざまな葛藤が生じる 。しかし、トラベルビーの理論を知っていると、ひとつひとつの出会いの時間や相 手の今の気持ちを大事にして、先を考えながら、待つ時間も大切にしながら関係性 を作っていくことができるに違いない」著者は述べています。
「達人ナース」の定義をしたベナーによると、看護師の「経験」は単なる時間の 長さではなく、看護の実践の中で遭遇した出来事に対して考えたり感じたりしなが ら、その出来事の意味について知覚していくことであるとしている。

事前学習から約40項目もの質問をいただきました。お答えを必死でがんばりま した。後ほどご報告します。本日ご一緒に勉強できることがとても楽しみです。

あとがき 答えに発熱の中3日約20時間激闘した。「ふとした瞬間考えたこと 」「ALSになり思いがけないこと」「子供の発達と病気」等初めて聞かれることも。 顧みるよい機会に。感謝。


 

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第247号                        2010年 10月18日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/1回
■様々なご活躍、発症後の当事者ならではの介護の研究など、精力的な活躍に心か ら敬服しております。「治す力も乗り越える力も唯一当事者の中にある」という言 葉から看護のあるべき姿を考えさせられます。そんな佐々木さんの元気の源は何で すか?諦めそうになった時に、くじけないで続けられる強さの秘訣を教えてほしい です。
1、それほど強くはないですが、ひとつは流れに身をまかすこと。もう一つはけれ どもあきらめないことです。言い換えるととりあえず現状を認め現状を肯定し、そ の上で自分らしく生きようとしております。

■可能性とは何でしょうか?
2、修士論文では、ALSの「私のできること」としました。後でもう一度考えてみま す。

■病気になって得たものは何か?
3、一言で言えばやさしさです。以下の文章をご覧ください。
人類の祖先と身体障害者 人類の祖先のひとつネアンデルタール人のシャニダー ル(イラク)で発掘された第一号は身体障害者でした。この遺体の上には、弔意を 示す供え物がおかれていました。そして第三号もまた身体障害者でした。当時障害 者の存在は普通であり、第一号は、約四〇歳(現在なら約八〇歳)まで命を全うし ました。かれらは、障害者や高齢者を排除するのでなく、集団みんなで助け合い、 ともに生きたのでした。
約五〇〇万年前に現れた人類は、「協力(助け合い)」「分配(みんな平等)」 なしでは生存できませんでした。「協力」と「分配」は人類の深い習慣となり、数 百万年にわたりつちかわれ、人類の心としていまも息づいています。「奪う」「排 除する」「差別する」などという思想や感情は、貧富の差が生まれ、国家がつくら れた六〇〇〜三〇〇〇年前からにすぎないのです。
人間のやさしさの発見 病気になり、障害者になって、改めて気づくことがある 。それは人間のやさしさの発見です。道をゆずってくれる人、助け起こしてくれる 人、様々に手伝ってくれる人、たくさんの励ましや援助……。なかでも同病者や障 害者の集まりの中での助け合いの場面には、深い感動をおぼえる。古代社会では、 多数の障害者が存在し、差別がなく、集団みんなの助け合いが普通であったという 事実とあわせて、助け合いや平等が、人間の本来の姿なのだと実感している。障害 者にやさしい町は、疑いもなく住民みんなにやさしい町なのだ。(1999年) やさしさの連鎖 一定以上の重い障害者は日常生活の一部またはすべてを人の介 護、介助に頼らなければ生きて行けない。その理由はどのようであれ、多くの人び とが障害者の生活にかかわるようになる。そしてそれぞれの道筋から人間のいたみ に対する協力者となっていく。介護、介助の世界では強さや競争でなく/やさしさ /の価値感が優先する。やさしさにはやさしさが対応し、新たなやさしさ、より深 い豊かなやさしさを広げていく。つまりやさしさの連鎖が生まれ広がる。(200 6年)

あとがき 南多摩看護学校2年生のみなさんから約40の質問をいただいた。頑 張って答えていく内たくさんの発見があった。新しいたくさんの目で見てもらうと 新鮮な驚きと感動がある。


 

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第247号訂正                      2010年 10月25日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/2回

■ストレスの解消法を教えてください。
  4、テレビの将棋を見ることとお酒をのむことなどです。

■なかなか理解してもらえないとき、自分の無力さを感じた時、何かに当り散らす ことは無いのですか? ストレスの解消法は何ですか?
5、当り散らすことはほとんどありません。がんばりすぎずあきらめずをモットー にしています。ですからそんな時はさっさとベットへです。

■今、佐々木さんの生きる活力(源)となるものってなんですか?
6、ひとつだけといわれたら「あきらめない気持ち」と答えます。「成功者とは成 功するまであきらめなかった者の称号である」マズローの言葉に出会ってうれしく なりました。それから応援の力です。苦しい時応援してくれているたくさんの人び との顔がつぎつぎに浮かびます。

■看護者にはALS患者対してどのようにあってほしいですか?
7、私にとってよい看護・介護とは
第一は、残された機能を発見し、それを認めて、生かしてくれる。例えば私の場 合、ほんの少しの時間だが立っていられる。この力は移動(ベッドから車椅子、車 椅子からベッド、座り直し、トイレで座る、立つなど)に決定的に大切です。 第 二は、ALSの特徴をつかみ手足を中心にできるだけ体を動かしてくれる。それは 一センチでもよいのです。それでも気持ちがよくなるのは、多少とも静脈の流れを 促すからでしょうか。 第三は、よく聞いてくれる。なにかをする時必ず聞いてく れる。この場合かならずしも言葉を必要としない。目と目、いわば心の会話がきっ とできる。 第四は、いつでもみていてくれる。ほかのことをしていても、頻繁( ひんぱん)に振り向いてくれる。いわば心の目でみていてくれる。 第五は、コミ ュニケーションについて。文字盤の操作はもちろんだが、口の動きから言葉を読み 取る、目線をみて読み取るなどが通じると楽でうれしい。

2、可能性とは何ですか?への追加分の答え
人間は自分のもつ能力の数%しか使っていないというびっくりするようなことが 証明されています。アインシュタインが「自分は能力の10%も使っていない」と 嘆いたと言います。だから誰でもどんな障害があっても工夫して頑張ればなんでも できます。ですから可能性とはこの能力を実際にに使ってみることだと思います。 みなさんおなじみのマズローは「自己実現とは、才能・能力・可能性の使用と開発 である」と言っていますよ。

あとがき 号数をお詫びして訂正247→246。この種の間違いは初めて。1 9日国立看護大学校で文字盤教室。90人の学生の目は輝いていた。17日息子1 8、4才の時発症。早い。


 

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第248号                        2010年 10月26日
週刊/ALS患者のひとりごと


今日は/お世話になります
発行 佐々木公一  ブログ http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームペー ジ http://www.arsvi.com/0w1/sskkuic.htm  メールアドレス hamu-s@jcom.home.ne.jp

18才の結一郎へ
4打席3打数2安打1四球1得点(チーム唯一)」公式高校野球最後の試合での 君の記録です。父は君の躍動する姿に、ここ一番のがんばりに感動したよ。家族全 員と沓掛さん、ヘルパーさんたちと横断幕の「大応援団」の前だから余計すごかっ た。直前の肘のけがをみんな心配していました。高校受験見事合格の時の晴れ晴れ とした顔を思い出したよ。今大学受験、野球終了とともに生活を一変させ受験に邁 進、寸暇を惜しんでの激闘の鼓動が伝わってくるよ。後数カ月、最後のがんばりを いつでもどこでも応援しています。

君の受験科目「国際経済」を見て大学5年の時チリ大学へ留学をめざして勉強し たことを思い出したよ。世界と世界の人びとの生活を知ることは大切だと思ってい ます。

「たとえばキミが傷ついて挫けそうになったときは、黙ってボクが側にいて支え てあげるよその肩を」ふと卒業式で聴いたこの歌を思い出した。とてもよい歌だと 思った。父はこのようでありたいと思っていた。
ところが今反対に持ち上げられたり抱えられたりしている。それから体の傾き、 パソコンのトラブル等への気づき、素早い対応もうれしい。毎晩の「立つ」は自分 の体重を自分で(自分の足で踵/かかとで)支える貴重な30秒です。疲れた母に 代わって持ち上げてくれてありがとう。全身の血液が一気に流れ出す感じがしてた まらなく気持ちがよくうれしい。心より感謝しています。

この機会に君の父の病気のお手伝いを感謝をこめて振り返ってみます。
君が4才の時父は発症、その年の秋1か月の入院、ALSと診断される。この頃よく 「病気なの」「なおるの」「お母さんのように元気に歩けるようになるの」とつめ 寄られて父と母はうろたえていたよ。君が小学校2年の時父は気管切開して呼吸器 をつけるため入院、手術失敗もあり父は生まれてから一番苦しい3か月をほとんど ベットの上で過ごした。君は母と一緒に毎日のように見舞いにきてくれた。時には 姉たちと家族全員で見舞いにきてくれた。
翌年呼吸器をつけて退院家で療養するようになった。この年の終り頃から「オラ も吸引ができるぞ」ととてもよく介護を手伝ってくれた。「うちのお父さんはよそ のお父さんと違うけどそれでいい」5年の時作文に君は書いてくれた。父の記憶に いつまでも残っているよ。「病気がALSとわかったころ、お父さんはバイクや車 の運転をしている時、お前とキャッチボールもジョギングもできなくなるのか、と 思うと、涙が止まらないことが何回もありました。いつでもいまでも心の中で侘( わ)びています。やってもらうだけで何もやってやれないことを。2000年の長 い入院から帰ってから一番うれしかったことは、お前の吸引だったよ」15才の時 の手紙だけれどいまでもそのままの気持ちだよ。

この頃から君は野球ひとすじだった。そして最後までやり遂げた君を心より感心 しています。受験に突入してからの緊張感あふれるがんばりがうれしい。「黙って ボクが側にいて支えてあげるよその肩を」いつまでもどこまでもこのようでいたい と父は思っています。178?の青春を眩しく感じながら。18才おめでとう。( 2010年10月17日 父より)

あとがき おかげさまで結一郎も受験生。激闘中です。この間親子ともどもお世 話になり応援をいただいた人は数えきれません。改めて心より感謝申し上げます。 皆様にひとつお願いがあります。先日アドレスを整理したところ着信がまだら模様 で困惑しています。届いたら空メールをお願いしたいのですが。もちろん個人メー ルの方だけです。

 

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第249号                        2010年 11月1日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/3回

■コミュニケーションについて
・文字盤に慣れるのに時間はかかりましたか?
8、相手があるからしかも多いから大変でした。ただ先輩患者の経験の蓄積があり がたかったです。不思議なことに声が出なくなるまで練習する気になりませんでし た。だめですね。

■・文字盤以外に、言葉を1つづつ言っていく方法がありましたが、他にも何かコ ミュニケーションに用いられる技法はありますか?
9、それを口文字盤といいます。2とおりあります。あいうえおからはじめる橋本 さんや北谷さんのやりかたとあかさたなからはじめる私のやりかたがあります。別 に報告します。他のコミュニケーションには必要な言葉(吸引、お茶、トイレなど の)や文章を使う、パソコンなどの方法があります。
けれども実は目線で伝えたいことの半分ちかくは伝えられています。呼吸器をみ たら吸引、テレビをみたらつける、消すなどです。野球のサインのようなものです 。一目(一発)で決まれば(わかれば)気持ちがよいです。

■・DVDのなかで橋本さんは文字盤を使っていなかったのはなぜですか?
10、口文字盤を使っていたからです。8をご覧ください。

■・最初の頃、言いたいことが伝わらなくて困った事は何ですか?
■相手に自分の気持ちが伝わらず、辛かったことはありますか?
11、語尾がはっきりせずいらいらしました。最後は「あー、うー、おー」だけで した。

■一番好きな本は何ですか?(影響を受けた本など)
12、人生をとおしてでは「実践のための哲学」、30回以上読み、人生や運動に つまづいた時にいつも相談しました。発症の後は「はだかの命」、いまアドラー心 理学、マズロー心理学、元気になります。「成長し続ける人はいつも自己へ挑戦し ている」マズローの言葉です。その通りと納得しながら新しい仕事にむかっていま す。来年大学のゼミに参加できるかもしれません。

あとがき 前号にとりわけたくさんの感想、讃辞をいただいた。実は息子との関 係では3回くらい転機がありました。振り返ると失敗ばかりです。「難病の親を持 つ子供の研究」をケア学の一部に入れて欲しいと思っている。これから東京家政大 学、明治学院大学、東海大学と続く。介護だけでなくこんな風に若者との触れ合い も楽しい。当事者参加授業の貴重さも実感です。ALS患者をたくさん授業や交流に呼 んで欲しい。募集ボランティア!! 11月21日(日)午後於国立ALS患者多摩交 流会。10人以上参加予定です。ぜひご連絡よろしくお願いします。


 

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第250号                        2010年 11月10日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/4回
■介護者・看護者について
■・介護を受けるとき、ヘルパーや看護師の言動について気になることはあります か?
13、あります。いろいろありますが中でも「食事にしましょう」「そろそろ寝て 下さい」などの指示的(命令的)言葉です。むっとして無視します。気持ちも離れ ます。

■ ヘルパーや看護師が佐々木さんに対してくだけた言葉づかいをするときがあり ますか? いやな気持ちになりますか? 逆に顔なじみのヘルパーさんにずっと敬 語を使われると、他人行儀でいただと、感じるのでしょうか?教えてください。
14、看護・介護はまず同意(にもとづくケア)の積み重ねに寄る信頼関係を得る ことが不可欠です。信頼関係の度合いに寄り感じかたも違ってきます。少くとも最 初は礼儀正しくお願いします。

■・佐々木さんが看護師にもっとも必要だと思うものは何ですか?
■・ケアをする側に対して、望むことはありますか?
15、7をご覧ください。その上で下の文章をご覧ください。私が尊敬する看護師 さんです。
うれしい気持ちになり優しい気持ちになる時/私は訪問看護を始めて、障害を持 った方やそのご家族と時間をかけて1対1でかかわる事が出来るようになり、初め てご本人やご家族の気持ちに近づけた気がしています。気持ちに近づけると、もっ と『その人の力になってあげたい』と思うようになります。その結果、信頼された り必要とされたり喜ばれたりすると、自分が認められたようでとてもうれしい気持 ちになり優しい気持ちになります。でもそれは一方通行の関係ではありません。看 護、介護する側が優位な事ではありません。何故なら、その輪の中にいられる自分 がとても幸せだからです。それが分かったのはここ数年の話で、私は今も看護を勉 強中です!自分がいつも優しい気持ちでいられる世界。それが在宅介護、訪問看護 の世界だと思っています。でも優しさが連鎖するには色々な要素が必要だとも思い ます。だけど、佐々木さんにお会いできて訪問看護を続けていかれる私はとても幸 せ者です♪/(訪問看護師Sさん)

弱者はみんなやさしさの伝道師
私たち弱者の存在が、ただ存在するだけが、人と人との架け橋になること。それ は人を助け、人に助けられる人びとをつなぐ架け橋。それはやさしさの連鎖をつく ること。具体的には医療、看護、介護そしてボランティアの人びとをつなぐ架け橋 。もう一つは患者の存在、生きることが家族の生きる力をつくり、とてつもない困 難に立ち向かうその姿が人びとを励していることを知ること。ですからいわばやさ しさの伝道師です。ただ自分では気恥ずかしくて言えません。まわりのみなさん、 どうぞよろしくお願いします。
あとがき 相模原での患者交流会が台風で中止。残念。多摩は21日。必要な方 はチラシ(地図入り)送信します。7日4年ぶりの赤旗まつり(夢の島)へ。本誌 はALS、佐々木公一を検索を。


 

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第251号                        2010年 11月16日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/連載4回
■大学院で学びたいと思ったきっかけが「介護を受ける側からの視点で障害者福祉 を学びたい」とありました。そのことについて、佐々木さんは自分らしい生き方、 自分にしかできない考え方、視点をもっていらっしゃる方なんだなと思いました。 “自分”を見つけるまでには、計り知れない葛藤や辛い思いもたくさんあったと思 います。佐々木さんの“今”考えている「看護師ができる精神的支えはどうあるべ きか」を聞きたいです。■看護師に望むことは何ですか?■現在、看護師になるた め勉強をしていますが、看護師に求めることは何ですか?
16、7と15をご覧ください。その上で、こんな風にご一緒に。
「受験勉強の中で、おじさんは、何人もの患者、家族を思い浮かべながら本を読 みました。ALS以外の病気の勉強もしました。その中で『生きることのつらさ』を生 きている人たちが、こんなにもたくさんいること、デイサービスで会うあの人たち の声、ヘルパー会議で聞く利用者の苦しみのなかみは、こんなことかもしれない、 と少し思い描(えが)けるようになりました。そして『この時、この場面で自分な らどうする』から『この時、この場面であの人たちの悲しみや苦しみは、どんなだ ろう』と考えながら、本を読むことができました。少し成長しました」入学の頃、 小学生の応援にこんな風に手紙を書いた。
「患者の人生そのものが多様で、病気もその受け止めもまた多様であるなら、ケ アのかたちも多様でなければならない。必要なケアが必要な人に、必要な質と量の ケアが届けられなければならない。そして、難病患者に対する時、「あなたはこれ から、どんな新しい人生をつくりますか。そこにはつらいこと、苦しいこともある けれど、無限の可能性に満ちています」、と言ってあげられる。こんなケアの理論 の確立をめざすという初心に立ち返りながら、引き続き頑張っていきたい」。(2 009年)

■ALS発症から現在まで数々の医療者と関わってこられたと思います。医療者の対応 (行動、言動など)で、よかったこと、悪かったことを教えていただけないでしょ うか?当事者や近くにおられるご家族にしかわからないお気持ち、考え方があると 思うので、それを知り、ふさわしい関わり方ができるように精進したいと思います 。
17、いろいろありました。
よかったこと/ALSは少し老化が早くなったようなものです。呼吸器は眼鏡や松葉杖 のようなものです。気管切開の最も苦しい時にそばにいて何度も一緒に泣いてくれ た看護師。
いつでも呼んで下さいと笑顔の看護師。
悪かったこと/私なら呼吸器をつけない(主治医)。(私の熱心な新薬の記事の説 明に)でもね、だめなのよ(主治医)。私は佐々木さんのために規則通りやります 。怨むなら私を(看護師)。

あとがき 松尾芭蕉の『塚(墓の意)も動け我泣き濡れて秋の風』 (畏友を亡く した時の句)を思い出す。わの会の同志鈴木桂子逝く。今年府中地区労時代の戦友 沼田、大島先生逝く。合掌。

 

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第252号                        2010年 11月25日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/連載5回
■自己紹介文のところに、告知後、主治医と担当看護師のやさしい言葉に泣けてし まったとありましたが、どのようなことを言われたのかを知りたいです。
18、言葉は残念ながら覚えていません。やさしいしぐさでも言葉でも涙が出る状 況でした。

■佐々木さん、おくさん、ヘルパーさんがそれぞれ一番困ったことを教えてくださ い。
19、妻より報告(最後に報告します)

■日常のふとした瞬間、どんなことを考えておられますか?
20、歩きたいなあ。まぐろを食べたいなあ。ちょっと喫茶店や本屋にいきたいな 、とか。

■ベースボールマガジン社ではどんなことをされていたのですか?
21、単行本の編集です。いろいろな人に会えて楽しかったです。

■呼吸器をつけるという決定の理由はなんですか?
22、なにがあっても生きる、死ぬということは一度も考えませんでした。以下の 文章をご覧ください。最初のは発症〜告知の頃の心の支えのひとつ。あとは私の主 張です。
「すべて人というものは、第一に、生きられるだけ生きねばならぬものなり。第 二に、出来らるるだけ健康にならねばならぬものなり。第三に、研かれるだけ知恵 を研かねばならぬものなり。身体、精神すべて発達することの出来るだけはなるべ くこれを発達させねばならぬものなり(幕末の思想家植木枝盛[えもり]」の言葉 )です。
すべての命は存在することに価値があります。例え体中どこも動かすことができ ず、目さえ閉じ、ただベットに横たわるだけの体であっても、母であり、父であり 、妻であり、夫であり、わが子なのです。かけがえのない家族であり、欠かすこと のできない社会的存在なのです。私はすべての患者に、だから生きられるだけ生き てほしいと心から願います。(2004年)
それからこんなこともありました。01年4月JALSA東京都支部が開いた患 者交流集会で、/呼吸器をつけて生きることは人間らしくない/と主治医だけでな く東京の大学病院で言われ混迷しているという涙ながらの報告があった。この医者 たちのいうように/人間らしく呼吸器をつけず/に生きるということは、書物にあ るように3年から5年で呼吸筋麻痺で死ぬということになる。希望の会の仲間5人 が昨年立て続けに亡くなった。私と同じ病室で気管切開したSさんもまた呼吸器をつ けることなく、昨年亡くなっている。ところで/呼吸器をつけて生きることは人間 らしくない/とは/患者の病状への評価ー呼吸器をつけてただ生きるだけで人間ら しいといえるか/ということの他に/呼吸器をつけると介護が大変、それでもつけ るのか/という意味をふくんでいる。

あとがき 19日あいあいサービス提供責任者会議、20日葬式、夜わの会三役 会議、21日ALS患者多摩交流会、22日結婚式(横浜ロイヤルパークホテル・70 階高さ277メートルで日本一だとか)、23日わの会理事会と続いた。重度障害 者がこれらの激しい日程を乗り越えるためにどれほどの支援を受けたかと振り返る と溜息が出る。だが出来ていると言う事実も重い。


 

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第253号                        2010年 12月6日
週刊/ALS患者のひとりごと


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ALS患者多摩交流会感想から
ALS患者(日本ALS協会)多摩ブロック交流会が11月21日(日)国立郷土文化 館で行われました。ピアノとバイオリンの生演奏で患者、家族はじめ参加者一同楽 しい癒しの時間をすごしました。一部の司会を勤められた下村さん(患者・八王子 )お疲れ様でした。二部では、患者と家族が、別々に分かれてそれぞれの思いを話 合うという初めてのスタイルでの交流会でした。天候に恵まれ盛況のうちに無事終 了しました。参加人数は61名。内訳は患者10名、家族18名、遺族4名、一般 4名専門職25名(医師2、保健師3、看護師8、PT1、ヘルパー11)でした 。

立ちたい、食べたい、治りたい(看護学生・山下有子さん)
たくさんの療養者さんに会えて、様々な業種の方がこの世界を支えていることを改 めて実感できました☆参加させて頂いてありがとうございます(^_^)。立ちたい、食 べたい、治りたい、そんな希望を胸に過ごしていること。それを念頭におけば、も っと相手の気持ちになれる、優しくなれる(笑)かと感じました。素敵な時間を共 有できたことに感謝しています。

話したいことがたくさん(ボランティア・森山綾乃さん)
発症から同じくらいの年月が経っていてもここまで状態がそれぞれ異なるのかと とても驚きました。飛行機に乗り海外に行かれた方や、公一さんと同じように事業 を行っている方もいらして、驚きの連続でした。同じ病気の仲間たちの活動や知恵 を共有し合うことで「また今日から頑張ろう」と、生きる力をもつことができるの だと思います。患者会は本当に大切なものですね。私自身もとても元気をもらった 1日でした。
ご家族と患者の方々で分けてお話されたのはよいなと感じました。しかし、こん なに同じ空間に多くのALS患者の方々が一緒にいるのになかなか会話ができない 状況を見ていて、少しもどかしい気持ちになりました。話したいことがたくさんお ありだろうなと。

「いつまでも愛する家族を支えるんだ!」(ケアマネ・玉置一夫さん)
ピアノとバイオリンの演奏に併せて歌詞を口ずさんだり、久しぶりに林先生とお 話ししたり・・・。特にALS患者の皆さんが家族を含めた多くの支援者の皆さんと強 く結びついておられることが実感できました。家族の皆さんも専門職の皆さんも真 剣に係わっておられるのに変な緊張感は無く、自然体でありながら率直に悩みを語 り合っておられ、制度の変化に敏感に意見を述べておられましたね。病院でのショ ートステイの期間や回数などの削減は深刻な問題と感じられました。
その中には、一定の期限ではなく、「いつまでも愛する家族を支えるんだ!」と いう叫びのような気持ちが表されていたんでしょうね。 佐々木さんのグループに いたお隣の方(鈴木利一さん・相模原市)は発症後16年とか。事前に原稿を用意 され奥さんが代読されていましたね。その中で語られた、「こうした場所に参加し たいと常々感じていました。」との一文は、「私は病気になってもまだまだ社会参 加が出来るんだ! そしていつも感じていることを皆と共有するんだ!」との強い 意志を感じたのは私だけでしょうか・・・?
佐々木さんも介護通信だけでなく、「よいとこさがし」の意見箱を準備して臨ま れましたね。 「こういう方法もありますよ。」との具体的な手法の提案になった のでは無いでしょうか・・・。車椅子の上の患者さんと文字盤でのやりとり。 周 囲の優しさがその中に感じられました。(意見を吐露する為には不可欠なのですが 、それ以上のものがその中にあったのでは無いでしょうか。)

あとがき 同病者が出会うと「あっ仲間だ」「私はひとりぼっちじゃない」と思 う。説明は要らない。真似をすれば「あり得ないことがありふれたことになる」。 違いは可能性!つくづく思う。


 

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第254号                        2010年 12月10日
週刊/ALS患者のひとりごと


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私の自己実現/明治学院大学でのご挨拶 
4年振りに訪問できてとてもうれしいです。ありがとうございました。ここ白金 は私の元職場東京土建一般労働組合が戦後の雑踏の中生まれた所で感慨深いです。 なおいま新宿に10階建の自社ビル、組合員は13万人です。おかげさまです。最 近「自分らしさ」とはなんだろう、とりわけ私のような最も重い障害者が「自分ら しさ」を取り戻すとは、自己実現するとはどういうことだろうと考えて来ました。 多くの心理学者は幼少の頃に確立した自己に注目しています。その後の人生で輝い た時の自己を加えながら(もちろん自己肯定も自己否定もあります)再構成された 自己(アイデンティティ)実現であるという理解にいま立っています。自分の場合 を振り返ってみました。

私の人生スタイル(ライフスタイル)/昭和25年12月23日四国香川の田舎 町の農家の玄関に胸をどきどきさせながら、メモを手に出かけようとする3才半の 私がいました。この日弟を出産した母に頼まれ約800メートル離れた篠原商店へ 生まれて初めてひとりで買い物に行くのだ。何かとても大きな仕事をする感じで胸 を高鳴らせて家を出た。途中近所のおじさんにつかまり「子供は一人で出歩いたら いかん。帰れ」と説教されたがなんとかくぐりぬけ店にたどり着きメモとお金を渡 した時「まあー」と驚かれた記憶がある。(たぶん風呂敷に包んだ)荷物とお釣を しっかり握りしめた帰り道はたまらなくうれしいき持ちであった。以来買い物によ く行く(行かされる)ようになり、いつからかお釣を計算するようになった。よく 褒められるようになった。あのまま伸びていたら数学博士になっていたに違いない 。この時から「諸事前向き、好奇心大」という人生スタイルが身についた気がして います。

自己実現私の場合/あれから60年、自己実現ということについて振り返ると、 発症して3年半苦しみの末辿り着いたのが病気をあるがままに認めできることをさ がす(価値観の転換と私は呼ぶ。受容などありえないと私は思っている)こと。そ の後10年の療養の後に、多くの曲折をへなががらも大学院で勉強していろいろ発 表して大学や看護学校によばれたりしても今ひとつ『物足りなさ、手持ちぶたさ』 を感じていました。ふと自分が最も輝いた時は?という妻の問い掛けに迷わず「オ ルぐで成功した時」と答え、以後わの会のデイサービスやヘルパーステーションの 会議に出かけたくさん聴いて少し意見を述べます。後日総括メモを提出します。こ れが自分だとの実感です。発症後15年の歳月を要したことになります。

わかりにくいご挨拶で申し訳ありません。人生スタイルは私の一番古い記憶、自 己実現は私の一番輝いた頃の意味について書きました。本当は報告に入れるべき内 容でしたが間に合いませんでした。重ねて申し訳ありません。私はみなさんがケア に向かう時、その人のこだわり(その人らしさがいっぱいつまっているところ)に 着目し第一に、その人のライフスタイルを知り、第二に、その人の人生で輝いた頃 に傾聴し、第三に、再構成された自己(アイデンティティ)を理解し、寄り添い、 その人らしい自己実現にとりくまれることを心より期待しております。(代読松本 真澄)
あとがき 自分らしさとは何か、一度失った自己を取り戻すとは? 自己実現と はどういうことか、にとりくんできました。自分らしさについて少しわかりかけて きました。


 

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第255号                        2010年 12月18日
週刊/ALS患者のひとりごと


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看護学生からの質問に答えて/連載7回
■ALSと診断されたとき、どのようなことを考えましたか?
23、こんなことを考えていました。99年の文章です。
告知 11月、筋萎縮性側索硬化症との告知をうける。神経病院10階、小さな 会議室。主治医、看護婦、看護婦長、ソーシャルワーカー、リハビリ担当者、それ に妻と私。この時点では、事前に医学書などを読んでいたこと、とはいえALSの進行 性をリアルには思い描けなかったこと、学生運動の中でだが、/死に直面/という ような経験があったこと、などの理由から、あまり大きな動揺はなかった。しかし その直後の主治医と担当看護婦のやさしい言葉には、つい泣けてしまった。車やバ イクで走っている時、長男とジョギングもキャッチボールもしてやれなくなるのか 、と思った時、涙が止まらなくてこまったことが何回もあった。

■呼吸器をつけようと決めたときの気持ちはどのようなものでしたか?
24、22をご覧ください。

■ALSとなり辛いと感じたことはありますか?どんなことが辛かったですか?
25、あまりたくさんありすぎて。例えばこんなこと。
入院 相変わらず検査につぐ検査。ただしそれ以外にやることがないから、ただ ただ懸命にリハビリにとりくんだ。病院のリハビリのほか10階までの階段の昇り 降り、壁投げキャッチボール、病院を出て数キロの散歩など。/直る病いと直らぬ 病い、直す(直る)入院、ただただ結果を待つ入院/、ほかの患者の顔を見るたび についこんなことを考えていた。
障害者手帳交付 この時期とにかく人に会いたくなかった。前歯を2本折る、顔 を5針縫う、後頭部負傷など10くらい連続してけがをした。みじめだった。杖を 持ちはじめた時、車椅子に乗りはじめた時極めて強い抵抗を感じた。まったく眠れ ない夜も続いた。ALS拒否とみじめな体をみせたくないそれだけだった。人生2 番めの苦難の時期だった。

明治学院大学で車椅子の私をみんなで持ち上げて演壇へ
あの場面、目に見える弱者(私)の存在があり、大衆(400人)そして多くの気付 きがあった。そして下西先生の大きな声かけがあった。なにより見守るたくさんの みまもりのまなざしがあった。弱者がいて、それに気がつき声かけする人がいれば 必ずそこにはやさしさの応援団が生まれる。持ち上げられながらこんなことを考え ていた。思うに気付きと声かけは介護の基本だった。
弱者はみんなやさしさの伝道師
私たち弱者の存在が、ただ存在するだけが、人と人との架け橋になること。それ は人を助け、人に助けられる人びとをつなぐ架け橋。それはやさしさの連鎖をつく ること。具体的には医療、看護、介護そしてボランティアの人びとをつなぐ架け橋 。もう一つは患者の存在、生きることが家族の生きる力をつくり、とてつもない困 難に立ち向かうその姿が人びとを励していることを知ること。ですからいわばやさ しさの伝道師です。明治学院大学で改めて実感しました。

あとがき 3日は港区の明治学院大学では400人の学生にややたじろいだ。
東京家政大学での文字盤教室は底抜けに楽しかった。ALS患者にできることは無限だ 。年内の大仕事終了にほっ。



UP: REV: 20180130
佐々木 公一  ◇ALS 2010  ◇ALS
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