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『週刊/ALS患者のひとりごと』2008

佐々木 公一

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last update: 20190219


◆2008/01/18 『週刊/ALS患者のひとりごと』224
 おわりに/東海大学社会福祉学部でのお話の後のご挨拶
◆2008/03/16 『週刊/ALS患者のひとりごと』225
 6年生のみなさん、ありがとう
◆2008/04/06 『週刊/ALS患者のひとりごと』226
 それぞれの旅立ち
◆2008/04/13 『週刊/ALS患者のひとりごと』227
 青い山脈 のこと
◆2008/06/05 『週刊/ALS患者のひとりごと』228
 大切な忘れもの
◆2008/10/17 『週刊/ALS患者のひとりごと』229
 南多摩看護学校のみなさん、今日は


 
 
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   第224号                         2008年1月18日
           週刊/ALS患者のひとりごと
 
 
    今日は/お世話になります
 発行 佐々木公一 ブログ http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームページ http://www.arsvi.com/w/sk13.htm  メールアドレスhamu-s@jcom.home.ne.jp

おわりに/東海大学社会福祉学部でのお話の後のご挨拶
 本日は私たちの拙い経験をお聞きいただきましてありがとうございました。おかげさまで東海大学入学後無事1年がすぎそうです。予定の単位も取れそうでなによりです。ただ現在は修士論文と悪戦苦闘中です。この機会に私の勉強のやりかた、通学と授業の様子などをご報告します。

 まず本を読む時です。ベットの上の2本のカーテンレールからひもでボードをつるします。本をボードに洗濯ばさみでとりつけ準備完了、読書開始です。ヘルパーさんにめくってもらい、大切なところに折り目をつけたり赤線を引いたりしてもらいます。その赤線のところをヘルパーさんにパソコンに打ってもらい、それをもとに文章やレポートを作ったりします。ちょっと前のページにもどるとか注にもどりながら読むとか、ほかの本や資料と見比べるとかができないのが残念です。ですから一度で理解できるように努力しています。続けて5〜6回同じ本を読んだり、ヘルパーさんに大事だと思うところを声を出して読んでもらったり電子辞書を引いてもらったりします。

 つぎは通学です。火曜日と木曜日、往復3時間(約105キロ)を通います。春に休んだのは1日だけでした。7時起床、パソコン、9時半荷物の準備とあわせて私は食事、洗面、トイレ、着替える。最後に電動車椅子に乗せてもらって完了となる。車椅子でリフトで1階へ降り、玄関のせまいホ−ルを妻が大きな車椅子を器用に操作して、玄関の小型のリフトに後ろ向きに乗り、約30センチほどの段差を越える。このようにして晴れて、そしてやっと外に出る。すぐにハンディキャブに乗り込む。車椅子の位置取りが決まれば、それっと荷物の積み込み、11時半出発です。いつもは妻とヘルパーさんと運転手さん。私はすぐに爆睡、目覚めたら到着がいつものパターン。

 そのつぎは授業です。ここから普通と違います。そのまま2階の教授の研究室へ。その一番奥が/2年間特別に私たち「チーム佐々木」に貸与された控え室(研究室)/、そこに教授が来室されて、全員でテーブル、椅子、黒板、DVDやビデオ用のテレビなどの配置を確認してから授業のはじまりです。この授業の生徒はふたり。質問や意見はヘルパーさんが文字盤で通訳してくれる。早い時は5時起きの夏と年末に4つの集中講議(1日5限×3日連続)も大きな自信になりました。なお『障害をもつ学生支援委員会』をはじめ東海大学の多大なご支援に深く深く感謝です。

 これからですが。「呼吸器をつけても楽しく生きられます。旅行もできます。飛行機にも乗れます。外国にも行けます。大学にも大学院にも行けます。工夫してがんばれば何でもできます」そんな新しいALSの風が作れたらいいなと思いを馳せています。 

 大学院にきて新鮮な驚きの連続でした。少し後悔もしました。もっと早く社会福祉の勉強をしておけばよかった、と。なにしろ宇宙よりも天体よりも複雑系の人間、60兆個の細胞をもち、そのうち3000億個が毎日死にまた生まれるという人間。その人間の生と老化と途上で傷ついた人びと、ひとりでは生きられない人びとによりそう学問/社会福祉を学ぶみなさんを尊敬します。約3万年前の人類の祖先のひとつクロマニヨン人の時代から細胞の数など人間の基本は変わらないのに人口で千倍、消費エネルギーで10万倍になった(こんな報告もあります)ことへなどの対応から様々なひずみが生まれて、人間の幸福のありかたが問われており、それらに対応するのが社会福祉学であることに小さな気負いを感じております。今後ともどうぞよろしくお願いします。
   2008年1月17日 東海大学大学院健康科学研究科保健福祉学専攻 佐々木公一

あとがき 謹賀新年。壊れる地球、だがいち早く日本が壊れそうです。今こそ社会福祉の心をです


 
 
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   第225号                         2008年3月16日
           週刊/ALS患者のひとりごと

    今日は/お世話になります
 発行 佐々木公一 ブログ http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームページ http://www.arsvi.com/w/sk13.htm  メールアドレスhamu-s@jcom.home.ne.jp

6年生のみなさん、ありがとう

 みなさん、ありがとうございました。3月4日は忘れられない日になりそうです。本当にありがとうございました。みなさんの大歓迎に大感激しました。全員の大演奏にも大感激です。それからあたたかいたくさんのお見送りありがとう。帰りたくなかったです。

 そして貴重な質問もありがとう。はっとしたもの(これまで聞かれたことがないもの)がいくつも、ありました。会えてよかった人の質問に感謝です。命と人生の恩人を再確認させていただきました。好きな食べ物もはじめて聞かれました。お酒と大福です。むかしはたくさんあったのですが。いまはおいしそうに食べるテレビの画面にため息が出たりしますよ。楽しい時 の質問も振り返るよい機会になりました。かやはえの話しは意外なことで障害者は困っているから、そっと助けてほしい、という意味でした。

 その場面にいる一番弱い人の目でものごとをみて考えて下さい という言葉を受けめてくれてありがとう。とてもうれしいです。少しお話をします。みなさん、健康ってどんなことだと思いますか。病気になっておじさんは考えが少しかわりました。ひとつは体が健康なこと、もう一つは心が健康なこと。けれどもみっめがあります。それはよりよい状態(じょうたい)をめざして努力していることです。ですからどんな重い病気や障害をかかえていても健康な人はたくさんいます。ぜひそういうふうにがんばっている人たちを応援して下さい。そしてこの言葉を卒業にあたっての/贈る言葉/とします。

 校長先生、北井先生の素敵なお話、やさしいお心づかいに感動です。相原小学校のみなさんの行き届いたご配慮に心より感謝申し上げます。 2008年3月6日 佐々木公一・節子

 追伸 昨年3月からの歩みを整理してみました。読み返すと時々涙が出ます。感動の連続でした。一部同封します。年賀状は間に合いませんでした。

 手紙、届きました!E子さん
 すごい、何枚もあって、打つのに大変だったと思います。私たち6年は、昨日から卒業式の練習が始まりました。歌や言葉、いろいろあって大変だけど、佐々木さんの大変さにはかなわないと思うので、精一杯がんばります!
 スッゴク楽しかったです S子さん
 また佐々木さんに会いたいです。いつかまたあえるかもしれませんね。会えると良いです。あとこね。の返事はいりません。佐々木さんが大変になるだけですから。それと節子さんとこれからも仲良くやっていって下さいね。それではさようなら。
 手紙を読んで、涙が出そうになりました F子さん
 私は、佐々木さんが言ってくれた「一番弱い人の目でものごとを見て下さい。」と言ってくれた時、佐々木さんは病気を持っているのに、周りの人の事も考えていて、なんてスゴイ人なんだろう!と大感激していました。これからは、困っている人がいたら、佐々木さんが手紙に書いてくれたように、そっと手を伸ばし、助けてあげたいと改めて思いました。

 あとがき 3/4は100人の6年生との交流。その後こんなメールを。さらに100人から感想文、私は看護師になる。佐々木さんのところに行くからそれまで元気で。障害をもつ弟に対する見方が変わった、等。上の手紙を全校朝会で読み上げられたそうです。振り返ると昨年3月からのおつきあい。感動の1年でした。いま呼吸器をつけてできることさがしです。


 
 
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   第226号                         2008
年4月7日
           週刊/ALS患者のひとりごと
 
 
    今日は/お世話になります
 発行 佐々木公一   ブログ http://blog.livedoor.jp/alsinfo/ ホームページ http://www.arsvi.com/0w1/sskkuic.htm  メールアドレスhamu-s@jcom.home.ne.jp

それぞれの旅立ち
贈る言葉/お礼とお祝にかえて 呼吸器をつけて生きるということ

それは 喉(のど)と気管に穴を開け、管をつないで生きるということ。
呼吸器から外の自然な空気を送ってもらって生きるということ。
腹と胃に穴を開けて、食事を入れてもらって生きるということ。

それは 呼吸器を車椅子に乗せてもらい息をして、行動して生きるということ。
車椅子を押してもらい、家の中も外も「自由に」歩いて生きるということ。
24時間人の介助や介護を受けて生きるということ。

それは たくさんの人に助けられて生きるということ。
自分がやることと人にやってもらうことが、同じ価値をもつということ。
たくさんの機械に助けられて生きるということ。
自分がやることと機械にやってもらうことが、同じ価値をもつということ。

それは 目的と目標をもち、そのために努力して生きるということ。
人にまじわり人に学び、人の役に立って生きるということ。
からだのどこも動かなくても、工夫してがんばればなんでもできる、ということ。

ALSとは 過去を否定し(または消し去り、または断ち切り)、現在を粉々に破壊し、未来を丸ごと奪う という苛酷なものです。が。 
多くのALS患者はそれらをたくましく乗り越えて、自分らしく人生を再構築し、それぞれに新しい役割を獲得しつつ頑張っているから、ぜひALSのことを心の片隅にメモして下さい。 時々思い出して下さい。
 
家族一同お世話になりました。長い間ありがとうございました。白衣の天使の活躍を、心より願っております。 2008年3月28日 佐々木公一・節子・結一郎

 ご卒業おめでとうございます 「医者も驚く海くんの生命力」に感動です。まだ幼少の頃あなたが我が家に来られた頃あなたには不思議な輝きがありました。それは振り返ると「父、母、きょうだいたち」から「生きてほしい」「いっしょにがんばるからね」と必要とされていることに思い付きます。西原家で、地域で、さらに社会でその役割を確かなものにされているのだ、と思います。 私たちALS患者も、必要とされる、役割がある、ことが、生きること、活動することの原動力です。たくさんの困難もあるけど、乗り越えて、新しい可能性に挑戦して下さい。キラウエア火山にはびっくりしました。30年前に行ったことがあります。

 ご卒業おめでとうございます みなさんの1人ひとりの笑顔がうかびます。いつも一番弱い人の目で見て、考えてもらえるとうれしいです。それからたくさん、たくさんありがとう。
 卒業式の朝。府中から町田、相原小学校の方向に向かって拍手を送っております。

あとがき 上から我が家のボランティア看護学生、広島の海くんの高校卒業、相原小学校…祝出発


 
 
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   第227号                         2008年4月13日
           週刊/ALS患者のひとりごと
 
 
    今日は/お世話になります
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青い山脈  のこと 【作詞】西條 八十 【作曲】服部 良一
1.若くあかるい 歌声に  雪崩は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜  空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ
2.古い上衣よ さようなら  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く
3.雨にぬれてる 焼けあとの  名も無い花も ふり仰ぐ
  青い山脈 かがやく嶺の  なつかしさ 見れば涙が またにじむ
4.父も夢見た 母も見た  旅路のはての その涯の
  青い山脈 みどりの谷へ 旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る

 誰もが知っている名曲の歌詞です。ある時この歌の歌手藤山一郎の発言から、3番の「雨にぬれてる焼け跡」が東京大空襲の焼け跡であったことを知り、うれしくなり、調べてみました。

 この曲が出たのは戦後の「焼け跡」の時代でした。長い苦しい戦争が終わり、国土は焼け人々は闇市を徘徊(「飢えていま頃妹はどこに ひと目逢いたいお母さん…」と歌う『星の流れに』が同じ年に出ている/この歌詞は毎日新聞への当時人びとがパンパンガールと呼んだ女性たちのひとりからの投書から作られた。)しながらも、新しい時代の幕開けに切ない希望を持っていたのです。

 曲の原作となった石坂洋二郎の小説「青い山脈」が発表されたのは、昭和22年(1947)の朝日新聞の紙上でした。封建的な因習に支配される田舎町に赴任した、民主的で知性あふれる若い女性英語教師をめぐる話で、当時は考えられなかった男女平等、古い因習を捨て、明るく輝く春への希望があふれたものでした。

 作曲は服部良一。氏が終戦直後、京都大阪を往復している間に、電車の窓から見えた山並に着想を得て作曲したとあるので、モチーフになったのは京都の山並のようです。服部氏は、戦前・戦中、敵勢音楽として、弾圧されながらも、ジャズやタンゴなどの作曲を細々と偽名を使い続けていたようです。「青い山脈」は戦時中生き延びた作者の起死回生の作品だったようです。ほとんど軍歌を作らなかった彼が、青い山脈を「俺の軍歌」と称したとも伝えられているようです。

 さて歌詞についてです。3番の「雨にぬれてる焼け跡」は東京大空襲の焼け跡、2番の「古い上着」は軍国主義、「さみしい夢」は戦争の跡。4番の「 父も夢見た 母も見た 旅路のはての そのはての 青い山脈 みどりの谷へ」・・・悲惨な旅路の果てに父母も夢に描いていた緑の谷とは、誰も殺されない悠久の平和の世界なのです。「若いわれらに 鐘が鳴る」、それは平和の鐘(5月3日日本国憲法公布)民主主義の鐘なのです。そして1番の「雪崩は消える 花も咲く」のように、戦禍や未曽有(みぞう)の苦しみを乗り越え人びとは営(いとな)みをはじめるのです。

 あとがき 雪割り桜「正式和名はツバキカンザクラ(椿寒桜)。「花は径2.5-3.0・で抱え咲き(花先が内側にカールに咲く)。濃いバラ色」。「花季は東京や京都では3月上-中旬、当地では2月下旬から3月上旬」とのことです。5月の反核コンサートの冒頭の歌に私の発言から 青い山脈 が選ばれて、調べた次第。予想以上の内容に感動を深めた。なお日本電波ニュースの上田さんはじめ多くの皆様のご教示をいただきました。感謝です。この1週間熱に悩まされている。とても。


 
 
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   第228号                         2008年6月5日
           週刊/ALS患者のひとりごと
 
 
    今日は/お世話になります
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大切な忘れもの
 5月18日ルミエール府中で混声合唱団「そら」・府中紫金草合唱団「ビィオレッティ」による朗読・合唱とあわせて「生きるとは可能性に挑戦すること」と題する市民向け講演があり、そこで(約250人で満員)ひとつ発見がありました。なお有料で府中市の後援ありでびっくりでした。

 講演の最後に「これまで言えないことがありました。いまは言えるようになりました。『治りたいです。元の元気な体を返してほしいです』」と妻が発言した時、会場に感動が広がったように見えました。いまロックドイン状態のALS患者の奥さんが「私は治すとか治るとこはとっくにあきらめていました。よく言ってくれました」、と駆け寄って語りました。

 きっかけは息子(高1)の発言。「病気で有名になっても少しもうれしくない」、この言葉にしばらく思考停止になりました。そこに看護学校での感想「治りたいと言う気持の強さがその後の生きる力の原動力」が浮かんで来ました。妻はそのまとめを読んで泣けてしかたがなかったそうです。ほめられるのにほろ苦さ、もの悲しさにつつまれるのです。加えて障害受容についての討論のこと(受容について参照)がありました。こんなことを考えました。

1、治りたい、治したいという自然な率直を忘れてはいけないこと。こんな病気を治せないという 理不尽さへの怒り、いまなお治らない不条理に対するやるせなさを飲み込んではいけないこと。
2、難病患者として、重度障害者としての病気の受け入れや病気への寛容さ、ものわかりのよさの 基礎に理不尽さへの怒り、不条理に対するやるせなさを持ち続けることが必要なこと。
3、治療法開発への希望を言い続けること、ほかの難病患者へも思いを馳せながら、難病をとりま く動きとりわけ難病対策に対する関心を持ち続けること。

 発症以来たくさんのことにとりくんで来ました。ここ1年は特にもてはやされて来ました。おかげさまでなんとか頑張って、たくさんの達成感も得て来ました。けれどもなにか違うとずっと感じていました。具体的に言えば喜びの感情が複雑なのです。かつてオルグでかけめぐっていた頃に成功した時、いろいろな交渉で勝利した時の満足感と違うのです。ほろ苦さ、もの悲しさがついてくるのです。

 多くの病(やまい)の本や受容の物語を読んで、時にもうひとつぴったり来ないものがあったのですがその原因を知るきっかけにできれば、と思っています。大切な忘れ物を息子と妻から教わりました。

受容について
1、受容への経過が単純でないこと。行ったり来たりもどったりであること。患者として正直な感情を持ち続けること。
2、受容しきるということはありえないこと。どこかで自分との折り合いをつけている、いわば前  向きの開き直りのような状態であること。
3、受容の主語は「私」。2、3人称での使用は強制をともなう。だれのための受容かが、常に問い返されなければならない。
4、受容は本人がどう思うか、という主観的問題であるから、外から持ち込むことは不可能であること。だからケアは、患者自身が造り出すようにする必要があること。

あとがき 引き続き元気に通学しています。しかし修士論文に悪戦苦闘しております。




 
 
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   第229号                         2008年10月17日
           週刊/ALS患者のひとりごと
 
 
    今日は/お世話になります
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南多摩看護学校のみなさん、今日は
 お招きいただきありがとうございました。拙い報告ですがよろしくお願いします。
 最初にみなさんにALS体験を2つしていただきます。ひとつです。椅子に座る時、10〜15度傾いて30分動かない。いまは1分にします。もう一つです。倒れる時、肘、膝、腰、首を曲げないで倒れる。動ける人は2人1組でためしてみましょう。私はこれで10回くらいけがをしました。突然申し訳ありませんでしたが、どうでしたか。

 つぎです。みなさんはすでにALS(筋萎縮性側索硬化症)の勉強をされていると思いますが、そこに1ページ加えて下さい。先月母の法事で香川県に帰省した時、2人のALS患者をお見舞いしまして、感動的な出会いをしました。その一人徳島県の患者を連載(14回)した徳島新聞の記事の一節です。とてもわかりやすいので引用しました。

 「蚊が体に止まった。刺すのも分かる。それでも振り払うことはできない。病状が進めば動くのはまぶたぐらい。かゆい。手助けを求めようとしても声を出す能力が失われている。気ずいてもらおうとまばたきを繰り返すが、すぐそばにいる人にすら訴えが伝わらない。すべてが分かりながら、どうすることもできないのがこの病気の特殊性」(2000年9月25日)とありました。
ほぼ全部のALS患者が毎日のように体験しています。

 私の体験は後から詳しく報告しますが、いまいえるみなさんへ体験的助言2つです。
 ひとつは目線を合わせる看護、ケアをお願いしたいことです。ALSを知り、病(やまい)を知り、その人を知ってほしいと思います。共感をもって傾聴することによりその人の現在を知り、過去をたずね、ともに未来(希望)を語りましょう。その人らしさとは何かを感じとって下さい。
 もう一つは患者が同病者と会えるようにしてほしいことです。上の徳島新聞の同じ記事に「病は他人と共有したり、代わってもらうことはできない。絶対的な個別性に直面し、患者は孤独にさいなまれる。「だれにも理解してもらえない」との思いが病気による肉体的な苦しみに加え、精神的な苦痛を患者に与える」とありますが、その通りです。

 そんな中で同病者に会うことは第一に、会った瞬間の視覚情報から一人じゃないと感じます。この人にはわかってもらえると感じます。第二に、ALSという苛酷さにつまづきつつも乗り越えてきた先輩患者の経験や知恵は、その時点での最良(効果抜群かつ無料)のケアになるはずです。第三に、ALS人生の先輩の体験・生き方や情報はそれが命懸けのものであるが故に胸をうちます。人生の道標(みちしるべ)になっていきます。

 第41回看護学生看護研究学会報告集を読ませていただきました。素晴らしいです。みなさんの看護師人生が豊かで素晴らしいものになることを心より希望して、私も大学院卒業と修士論文をやりきる決意を申し上げご挨拶とします。ありがとうございました。(2008年10月7日)

あとがき 5月以来の発信に。いまALSのMLでは/呼吸器をはずせるか/で激論。次号で。


UP:20080121 REV: 随時...20100308, 20180130, 20190219
佐々木 公一  ◇ALS 2008  ◇ALS
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