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『障害の地平』No.100-1

視覚障害者労働問題協議会 編 20000112 SSK通巻第1503号;身体障害者定期刊行物協会,40p.

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last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 20000112 『障害の地平』第100-1号,SSK通巻第1503号;身体障害者定期刊行物協会,40p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK
 ー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 ー視労協ー
 障害の地平増刊
 No.100ー1
 「視覚障害者の21世紀を望む」
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日、0の日発行)
 二〇〇〇年一月十二日発行SSK通巻一五〇三号

目次
 はじめに 視労協事務局 1
 視覚障害者の未来を考える 笹川吉彦…2
 21世紀の技術革新に期待 田中徹二…5
 数字から見た20世紀の我々
 21世紀に放り出されるか我々 堀利和…9
 21世紀の視覚障害者の夢 有宗義輝…18
 小さな運動が変えたもの 阿部美恵子…21
 白熊的気分 東郷進…23
 運動をとおして思ったこと、そして 橋本宗明…25
 21世紀の視覚障害者運動を展望する 楠敏雄…29
 女性・視覚障害者として
 21世紀に何をつくるか 森登美江…33
 21世紀におくるアンダーライン 的野碩郎…37
 編集後記

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 はじめに
 視労協事務局
 1975年10月26日、視労協は産声をあげました。この25年という歩みの中で、ある時は意気盛んに、ある時はゲリラ的に、ある時はもんもんと、ある時は口角泡を飛ばし、と、さまざまな顔色を見せてきました。
 機関誌「障害の地平」NO100を記念して、「盲界」から「視覚障害者の21世紀を望む」をテーマに原稿をいただくことができました。視労協運動がどうあるかではなく、視覚障害者の未来がどうあるべきかという事が真剣に問われていると思います。
 私たち視覚障害者を取りまく現状は、まだまだ厳しいものがあります。特に三療業(按摩マッサージ指圧・はり・きゅう)は前途多難といわざるを得ません。少子高齢化が視覚障害者に与える問題も大きなものがあります。「盲界」で思いをひとつにする課題も本当はあるのでしょう。
 お忙しい中、原稿をお寄せいただいた皆さん、ありがとうございました。
 さて、21世紀に向かって先ずは1ページを開いてみましょう!!
 なお原稿は順不同ですのでご了承ください。

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 視覚障害者の未来を考える
 笹川吉彦
 視労協結成25周年そして機関誌「障害の地平」第100号の発行、誠におめでとうございます。心からお慶び申し上げますとともに、今日までのご尽力ご努力に対し深く敬意を表します。
 この記念すべき第100号に投稿させて頂くことに対し感謝致します。ただ、私のように経験と惰性だけで運動を続けてきた者の記述が、読者の皆様にご満足頂けるか否かが、はなはだ疑問です。理論の展開は、その道の専門家におまかせすることにして、思いつくまま感ずるままを記すことに致します。
 10.4%この数字は、さる平成8年に実施された全国の身体障害者実態調査の結果、身体障害者全体に占める視覚障害者の比率です。前回の調査に比べ視覚障害者は2.6%減少しています。視覚障害者が減少すること自体は歓迎すべきことですが、少数派になるということは、よほど声を大きくしなければ、総合化合理化が進む中で視覚障害者の特性を生かした施策を引き出すことは困難だと思います。このことは、さる1996年にカナダのトロントで開かれた、第4回世界盲人連合の総会でも各国の代表から強調されていました。特性が配慮されない障害者施策は、無意味だと思います。
 29.1% 23.1% 22.5% この数字は先に発表された「衛生行政業務報告」で明らかになった、あんまマッサージ指圧師はり師きゅう師免許所持者のうち視覚障害業者の占める割合です。あんまマッサージ指圧師を前回の調査に比較してみると、なんと2年間の間に5%も比率が下がっています。はり師きゅう師についても同様のことがいえます。三療業にこだわるつもりはありませんが他の職種に進出することがきわめて困難なわが国では、現実の問題として最も可能性のある三療業を守りぬいていく必要があります。
 630人 これは現在厚生省に提出されている、はり師きゅう師養成施設申請定員数です。聞くところによると、この数字は1年間に盲学校

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のはりきゅう科を卒業する生徒数と同じとのことです。厚生省が柔道整復師養成施設問題で、福岡地裁で敗訴し、これがきっかけとなって、すでに5校もの新設申請が認可される見込みです。そしてその他に数校が新設申請を準備しているとのことです。なんとか歯止めをかけない限り続々と新設されるものと思われます。
 私たちは、あんま師等法に、はりきゅうを加え法的規制ができるよう国会誓願を行いましたが、他団体の反対で不採択となってしまいました。厚生省では法的規制以外に規制する方法はないと明言しており今後とも1日も早くあんま師等法第19条に、はりきゅうを加えるべく全力をあげることにしています。
 以上の数字からみる限り視覚障害者の未来は、決して明るく豊かなものとは言えません。むしろ暗い影を投げかけるものとなっています。
 さらに、2千年4月からスタートする介護保険制度や社会福祉基礎構造改革に基づく新たな社会福祉は、その内容において極めて不明確な面が多く、これまで積み上げられてきた福祉施策が大きく後退する結果になるのではないかと懸念されています。
 まず介護保険については、強力な運動の結果、マッサージ師が機能訓練指導員として参入できたことは、いいとして、この業務に従事するものについては、新たな柔道整復師が加わったほか、医療的知識や相当の技術を有するものも従事できることになっています。そうなると特別養護老人ホームなどの場合、必ずしもマッサージ師を雇用しなくても、他の医療関係者が機能訓練指導を行うことになりかねません。いま都内の特別養護老人ホームでは、136人の視覚障害マッサージ師が働いていますが、その前途が極めて不安定なものとなってきますし、これまで重要な職場として確保してきたこの職域も失ってしまうことになります。
 また、戦後50年間積み上げられてきた社会福祉は措置制度から個人の選択契約制度に改められようとしています。その方向そのものは、改悪ではありませんが行政の責任がどうなるのか、はたして選択できるだけのサービスが提供できるのか、どのような方法で契約を交わせばいいのかなど多くの問題があります。

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 このなかで私たち視覚障害者にとって最も大きな問題は、契約書の確認です。残念ながら視力がなければ誰かの目を借りて契約内容を確認する必要があります。この点については、知的障害者や痴呆老人の場合成年後見法などによって保障されることになっていますが、私たち視覚障害者にとっては、何の方策も講じられていません。一部の自治体では、社会福祉協議会がその役割を果たす体制をとっているとのことですが、果たして大丈夫かどうか極めて不安です。幸いさる10月22日に東京弁護士会館内に高齢者障害者総合支援センター(愛称「オアシス」)が開設され、財産管理や各種契約などの相談に応じてもらえることになりました。それにしてもあまりにも大きな改革で、それになじむまでには、かなりの紆余曲折が予想されます。特に今後問題となるのは、確実な情報提供と周知徹底で、ただでさえ情報不足に陥りがちな視覚障害者に、どう対応してもらるのか、大いに気がかりです。肝心の関係法の改正がまだなされていない現状では、その詳細について知ることもできませんが、少なくともこの時代の大きな変化に乗り遅れることのないよう万全を期さなければなりません。
 その他交通問題、特に公共交通機関における視覚障害者の安全確保の問題、新しい職域の開発と就労の保障、統合教育の推進、人権問題、法令上の欠格条項の削除、福祉のまちづくり等々未解決の問題を2千年に持ち越してしまいました。どの問題をとってもこれまでの経過からみて容易に解決できる問題ではありませんが、解決しない限り私たちの前途は開かれません。そのためには、少数派である視覚障害者が大同団結して事にあたるしか道はありません。21世紀を希望の持てる生きがいのある世紀にするため、言い古された言葉ではありますが、小異を捨てて大同につくべきです。
 最後に視労協が今後ますます活動を活発化し発展されることを祈念致します。

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 21世紀の技術革新に期待
 日本点字図書館 田中徹二
 点字図書館の関係者として、視覚障害者の情報バリアの解消、特に図書や雑誌の提供に関して、21世紀への夢を書いてみたい。
 〔光ファイバーに期待〕
 郵政省は、かねてから情報流通のインフラ整備を重点項目に掲げている。2010年までに、各家庭レベルで光ファイバーを敷設しようというのがそれである。高速・大量通信網を全国に張り巡らして、テレビ電話をはじめとする技術革新に備えようというのである。
 これが実現すると、視覚障害者に点字・録音図書を提供している点字図書館にとっても、また利用者にとっても、大きな福音をもたらすと私は期待している。大きな容量をもつ音声データの電送が可能になるからである。
 〔電子点字図書館構想〕
 1994年、東京で全国点字図書館大会(現、全国視覚障害者情報提供施設大会)を開いたとき、私はソニーの中央研究所に頼んで、電子点字図書館構想について講演してもらった。
 それは、現在のようにボランティアが点訳したり録音したりした素材を、図書の形式にして全国に郵送するというものとは基本的に異なる。活字データを合成音声化し、利用者の手元にある端末機に電送しようという構想である。
 つまり、点字図書館には、点字書やカセットは一つもなく、サーバーに蓄積された視覚障害者用図書データが存在するのみである。
 〔図書館が介在する必要性〕
 今、インターネットに「青空文庫」というホームページがある。著作権の

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権利がなくなった図書がデータ化されていて、だれでも好きな本を、その中から選んで読むことができる。ボランティアが墨字の図書を、そのまま写して入力し、文庫を作っているという。
 しかし、そこにある図書は、いずれも漢字かな混りである、視覚障害者がアクセスして読もうと思っても、現段階のかな変換技術では、とても正確な読みは期待できない。漢字かな混り文を合成音声で聞いたり、自動点訳して読んだ人ならおわかりになると思う。
 そこでソニーの技術者が考えたのは、自動変換したかなデータを、点字図書館か抱えているボランティアを活用して校正するというものである。自動変換したデータを見ながら誤った読みを正しい読みに直す。また、図や表など理解しにくいものは、説明文を加えていく、という作業である。これを何十人もの優秀なボランティアでこなせば、1冊の本は1週間で視覚障害者用図書になるというのである。
 〔合成音声ソフトウェアのバージョンアップ〕
 ソニーでは、人間の発声、発音に極めて近い合成音声の開発に力を注いでいる。アクセント、イントネーション、間合いなど、人間の読みに近いものを目指している。それが実現すれば、人に読んでもらっているようなごく自然な読み方で、視覚障害者は読書を楽しむことができるのである。
 アメリカでは極めて優秀な合成音声が、すでに開発されている。アルファベットなので漢字の読みのような複雑な解読は必要ないが、外国語の単語なども入ってくるので、相当大きな辞書を持っているはずである。視覚障害者や学習障害者などに、録音図書を提供している施設では、そうした合成音声で読ませたものをデイジー編集し、CDにしてサービスしようと計画中である。図表の解説を加えても、注文があってから1週間で、視覚障害者の手元に本が届くという体制が目前に迫っているのである。
 〔端末機の構造〕
 視覚障害者の手元に置く端末機は、図書館と光ファイバーで結ばれている。図書館から送られてきたデータを、合成音声で聴くこともできるし、ピンデ

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ィスプレイやプリンタを接続すれば、点字で読むこともできる。デイジー編集のCDのように、検索も容易で早い。
 また、図書館とのやり取りも、21世紀には音声認識技術が格段に進歩をみせているだろうから、内蔵マイクに向かって話しかけるだけでよい。人を介さずに、視覚障害者自身で読みたい本を選び、手元の端末機に取り寄せることができるのである。
 端末機の大きさは、せいぜい小形のカセットレコーダーぐらいであろう。
 〔システムの全体像〕
 さまざまな角度から書いてきたので、ここで全体像を整理してみたい。
 視覚障害者が何か本や雑誌を読みたいと思ったとき、まず端末機に話しかけて図書館のホームページを呼びだす。その中から書誌目録を選んで、読みたい本を探す。本が見つかったら、そのデータを端末機に電送するように命令する。
 数秒でデータが転送されてくるので、あとは合成音声で聴こうが、点字で読もうが視覚障害者の好みである。電話をかけて本を探してもらい、大量の点字書やカセットを送ってもらう煩わしさはない。ヤングアダルトを読もうが、ポルノを読もうが、プライバシーを侵されることなく、読書ができるのである。
 しかも、墨字図書が書店の店頭に並ぶころには、視覚障害者用のデータも完成しているので、晴眼者とほとんど同時に読めるという夢のような話なのである。
 〔著作権処理問題〕
 点字図書館が関わらなければならないのは、ボランティアの存在だけではない。もう一つは、著作権法との関係である。
 今、国会で審議されている著作権法改正で、やっと点字データの公衆送信権の制限が実現しようとしている。録音図書を作成する施設の規定は残っているし、対象はあくまで視覚障害者に限定されている。それが大幅に開放される可能性は、21世紀になってもあまり期待できない。

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端末機は視覚障害者しか渡さない、図書データをダウンロードできるのは、点字図書館に登録した視覚障害者しかできないようなシステムを組む。そうした保証を著作権者に与えないと、なかなか了解は得られないであろう。
 また、元になる出版データを出版社からもらうにしても、そのデータを視覚障害者用図書以外には使わないという保証が必要である。そのためにも点字図書館が核にならなければ、現実面から実現性の高いシステムにはならないだろうと考えている。
 〔消えてほしくない夢〕
 漢字かな交じり文を自動かな変換する制度が100%に近くなれば、音声認識技術の進歩と同じように、一般社会での応用範囲は広い。ソニーの技術開発がどの水準に達しているのかは聞いていないが、聞こえてこないということは、たぶん満足できる状況ではないことを意味しているに違いない。
 日点がこのような電子図書館になるのかならないのかは、今のところ私にもよくわからない。とてつもない技術革新があれば、全く違った構想が新たに生まれてくるかもしれない。現段階では、期待しながらもやはり夢としておきたいと思う。

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 数字から見た20世紀の我々 21世紀に放り出されるか我々
 堀利和
 「21世紀」という言葉を耳にして久しい。「ミレニアム(千年紀)」と「いう目新しい言葉も最近良く耳にする。何やら私たちは時代の大転換期を身をもって経験することとなる。
 ミレニアムを体験するのは偶然に過ぎない。産業革命が始まってから今日まで産業を基礎にしてきた文明社会が地球的規模で行き詰まり、このままでは21世紀はとんでもない時代になりそうだと実感している。
 目を転じて私たちの日々の生活を見ても一言で困難と言わざるを得ない状況にある。視覚障害者の将来はどうなるのか。地球も大切だが視覚障害者1人1人の生き方も極めて重要だ。
 四半世紀、視労協が積み重ねてきた運動の検証、視覚障害者の実態をここで総括するも良し。そこで私はまずみなさんに数字から見た視覚障害者の実態を知っていただきたいと思う。そもそも私の主観的選択による数字の取り上げ方であり、またこれらの数字が高いのか低いのか絶対的に判断ずる基準はない。しかしこの数字をみなさんがどう判断し、感想を持たれるか大変興味深いところでもある。それが今回私にとっての本誌における問題提起としたい。
 1.身体障害者の中の視覚障害者
 視覚障害者数は昭和30年の17万9千人から、昭和40年23万4千人、昭和55年には33万6千人とピーク、その後は減少、平成8年では30万5千人となっている。

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 身体障害者全体に占める割合で見ると、昭和30年22.8%、昭和35年に24.4%とピーク、その後は減少して平成8年では10.4%となっている。
 年齢別で見ると視覚障害者の62.7%が60歳以上、70歳以上が45.2%となっている。身体障害者全体では、60歳以上の者が67%、70歳以上が40.2%を占め、前回平成3年調査と比較しても60歳以上で4.3%増、70歳以上で6.5%増と高齢社会の実態(障害者の高齢化と加齢に起因する障害者の増加)を端的に示している。
 2.盲学校の状況について
 盲学校の数と在学者の推移を見ると、昭和30年度では77校・9090人、35年度に76校・1万261人で在学者のピーク、その後は昭和50年77校・9015人、昭和60年72校・6780人と減少をたどり、平成11年度速報値では71校・4172人と在学者はピーク時の約40%となっている。
 盲・聾・養護学校、特殊学級の全体でみると、昭和30年度盲学校77校・9090人、聾学校99校・1万8694人、養護学校5校・358人、特殊学級1172学級・2万4480人であった。昭和60年度には盲学校72校・6780人、聾学校107校・9404人、養護学校733校・7万9217人、特殊学級2万2033学級・10万3992人。現在では平成11年度速報値で盲学校71校・4172人、聾学校107校・6824人、養護学校810校・7万7818人、特殊学級2万1061学級・7万89人となっている。
 一方、統合教育に関しては、1970年代に比べると行政・地方教育委員会の意識変化(対応の柔軟化)も見られるようだ。統合教育の事例については分離教育の建前から公的機関による全

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国的な調査は行われていない。手元にある「実現する会」の資料によると、1971年から1994年までの間で112例、80年代以降は増加の傾向にある。
 大学進学状況は平成11年度で35名(男子22名、女子13名)、大学院進学者が7名(男子5名、女子2名)となっている。(視覚障害者支援総合センター調べ)ともに公的機関による調査が望まれるところだ。
 3.視覚障害者と点字
 視覚障害者で「点字ができる」と答えた割合は全体で9.2%。等級別では1級が最も高く17.5%、年齢階級別では40〜49歳で34.6%、20〜29歳で28.6%となっている。視覚障害者の67.2%を占める60歳以上で点字ができるのは3.9%にすぎない。同様に手話では聴覚障害者で14.1%となっている。
 日頃の情報の入手方法の状況では、視覚障害者の場合、上位から@テレビ(一般放送)66.9%、A家族・友人61%、Bラジオ52.1%の順となっている。録音・点字図書は7.9%という回答だ。
 4.視覚障害者と就業
 就業・不就業の状況を見ると、就業者が26.2%、不就業者が69.5%となっている。就業者の割合は他の身体障害に比べて視覚障害者が最も低い。障害者全体では28.8%、聴覚・言語障害は32%、肢体不自由28.3%、内部障害29.6%。
 職業別従事で見ると、@農業・林業・漁業従事者30%、Aあはき業25%で視覚障害者就業者の半数。
 一方、就業しない・できない理由を見ると、@重度障害のため

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33%、A高齢のため24.1%、B病気のため14.2%となっている。全体でみた高齢化の影響もあり個人的な理由が上位を占めている。このため就業していない視覚障害者で求職活動をした者は6.1%に過ぎず、求職活動していない者が61.8%となっている。
 生活保護受給の状況では、視覚障害者の3.9%が受給しており、身体障害者全体の受給率3%を上回っている。
 5.あはき師数の推移
 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師それぞれの総数と視覚障害者数及び視覚障害者の占める割合は、昭和36年にはあん摩マッサージ指圧師では総数5万1342人うち視覚障害者3万1140人、割合で60.7%、はり師では総数3万2131人うち視覚障害者1万4789人、46%、きゅう師で総数3万651人うち視覚障害者1万3214人、割合で43.1%であった。昭和47年にはあん摩マッサージ指圧師で総数6万8133人のうち3万5533人(52・2%、8.5%減)、はり師で3万7602人のうち1万6747人(44.5%、1.5%減、)きゅう師で3万6244人のうち1万5530人(42.8%、0.3%減)となった。その後調査空白期間を経て、調査の再開された昭和61年ではあん摩マッサージ指圧師が総数8万6806人で視覚障害者3万6564人(42.1%、10.1%減)、はり師総数が5万5086人で1万9017人(34.5%、10%減)、きゅう師で5万3696人中1万8015人(33.5%、9.3%減)となっており、この間にそれぞれ10%近いシェアを落としたことになる。
 これ以降隔年調査が行われており、平成8年ではあん摩マッサージ指圧師が9万8070人中3万3430人(34.1%)、

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はり師が6万9231人中1万8488人(26.7%)、きゅう師が6万8214人中1万7787人(26.1%)となっている。
 昭和36年から平成8年で、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の総数の増加、晴眼者数増加及び視覚障害者数増加を比較してみると、あん摩マッサージ指圧師は総数5万1342入から9万8070人で1.9倍、晴眼者は3.2倍、視覚障害者は1.7倍、はり師では総数3万2131人が6万9231人と2.15倍、晴眼者は2.93倍で視覚障害者は1.25倍、きゅう師では総数3万651人が6万8214人と2.23倍、晴眼者2.89倍で視覚障害者1.35倍となっている。
 6.視覚障害者と社会参加、ホーム転落事故について  
 外出するうえで困ることでは、@車などに危険を感じる44.8%、A交通機関の利用が不便37.7%、B道路や駅が利用しにくい・利用する建物の設備が不備26.9%の順となっている。
 トラブルの生じた外出先の状況では、@駅14.9%、Aバス13.8%、B医療機関8.2%、C金融機関6.7%、D市町村役場6%となっている。
 社会活動の状況や社会活動の希望者も視覚障害者の場合では障害者全体の数値より低くなっている。ちなみに政治参加という分野では、全国6万人余の地方議員のうち現職の視覚障害者議員は13名(OBは2名)、752人の国会議員では現職1名である。
 視覚障害者の社会参加とインフラストラクチャーとのギャップの一例として視覚障害者のホーム転落事故は新間記事検索(新聞記事になる重大事故)でも以下の通り。
 89年1月、大阪・南海高野線で死亡事故
 89年6月、埼玉JR蓮田駅、全盲男性、即死

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 89年6月、東京、地下鉄・西巣鴨駅、線路に降り死亡
 90年3月、点字ブロック無い赤穂駅で盲女性転落死
 91年6月、全盲、転落死
 91年5月、東京都、京王・井の頭駅、全盲男性(62歳)、 元国立リハセン研究所研究部長、転落死亡事故
 92年6月、盲学校教諭(弱視)、下校指導中にホームから転落、軽傷
 94年12月、三重県、近鉄・中川原駅、全盲女性、降車後、点字ブロックに沿って歩行中、発車車両と接触、転落死
 95年1月、大阪府、市地下鉄・深江橋駅、全盲男性、ホーム移動中点字ブロックから外れ転落、靭帯切断
 95年10月、大阪府、市地下鉄・天王寺駅、全盲男性、ホーム端から転落、電車に巻き込まれ重傷
 95年11月、神奈川県、JR東海道線・小田原駅、全盲男性、車両連結部に転落、ホームとの間にはさまれ即死
 95年12月、東京都、JR青梅線・東中神駅、男性(34)、ホームから転落、進入列車と接触、死亡
 96年2月、滋賀県、JR東海道線・篠原駅、全盲男性、ホーム移動中点字ブロックから外れ転落、通過電車と接触、死亡
 96年6月、大阪府、市地下鉄・天王寺駅、全盲聲男性、点字ブロック終端を直進し転落、進入してきた電車に接触、死亡
 96年7月、大阪府、阪急・豊中駅、視覚障害女性、転落、電車と接触、死亡
 96年8月、大阪府、阪急・蛍池駅、女性(61)、誤って車両連結部に乗車、発車した電車に接触、死亡
 97年3月、東京都、JR山手線・池袋駅、男性(43)、ホームから転落、全治1ヶ月
 97年8月、神奈川県、相鉄・二俣川駅、女性(51)、ホームか

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ら転落、進入列車と接触、死亡
 98年2月、東京都、JR山手線・日暮里駅、男性(53)、ホーム上で進入電車と接触、横転、頭部強打で死亡
 98年9月、愛知県、市地下鉄・栄駅、男性(73)、ホームから転落、電車と接触、死亡
 さて気分はどうだろうか。明るい21世紀が描き出されただろうか。どんな具合だろう?
 紙面の都合で話はいきなり個別課題に入るが、近い将来どうなるかすこし推測をしてみたい。
 まず職業問題。公務員関係や民間企業への就職はあいかわらず厳しいだろう。爆発的に改善されるという予想は極めて立てにくいからだ。あはき業関係はどうか。「あはき法第19条改正」に失敗すれば、晴眼者の参入を規制することは困難となり恐らく数年後には晴眼者のはり師・きゅう師が予想以上に増え鍼灸はかなり絶望的状況に追いこまれる。この中からあんま・マッサージ・指圧だけは守ろうという機運が盛り上がり、憲法上不可能かつての「あんま専業論」に代り「あんま優先論」の声が高まることであろう。しかしながらその先の時代を考えると現在年齢階層別では多数を占める50代前後の視覚障害を持つあはき師は20年後にはリタイアする、次の世代では少子化の影響もあり視覚障害を持つあはき師も絶対数が減じることは必至だ。大きな時代や人ロ構成の変化の中にあっては、あはきと視覚障害者との歴史を踏まえた関わりも変わることを余儀なくされるであろう。逆にそうであるからこそ私はこの20年そこにこだわって行きたいのではあるが…
 かろうじて明るい話題といえば、ヘルスキーパー・介護分野におけるマッサージ師の増加が考えられることだ。しかしここでも

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晴眼者との厳しいつばぜり合いが予想される。
 教育はどうなって行くか。盲学校の機能は統合教育への支援も含めてかなり大きな変化をもたらして行くだろう。私としては不本意な数字の取り上げ方になるが、東大生1人当り500万円、その他大学生300万円、盲学校生徒1000万円の年間経費。しかも現在ですら小学部に児童が7〜8名。少子化が一層進めばさらにこの数字はかさんで行く。いよいよ効率的な教育運営が問われることになっていくだろう。
 生活分野では、中途・高齢の視覚障害者問題がさらに深刻となる。たとえば介護問題一つ取り上げても高齢視覚障害者の場合、視覚障害自体は介護保険給付の対象とはならない。引き続き障害福祉サービスの対象となって行く限りでは決め細やかな十分なサービスは期待できないだろう。増加傾向にある壮年期の中途視覚障害者の場合、職業リハビリテーションや生活支援施策が現状では極めて不充分であり、経済的自立や生活維持が苦しい状況にある。中途・高齢の視覚障害者を対象とした施策体系の再構築は緊急の課題だ。社会参加のためのガイドヘルプサービスも全国市町村の半数は実施していないし、実施しているところでも視覚障害者のニーズに応える内容とはなっていないのが実態だ。
 なお、情報障害者といわれる視覚障害者にとって基本的にはその困難は将来とも変わらない。ただ全盲が活字を読み書きできるようになったことは人類が月に行った以上に革命的な出来事である。この分野では技術革新に基づきかなり改善されることが予想される。
 しかし晴眼者のほうがその高度な技術を獲得して行くスピードが速く情報格差は決して縮小しないこと忘れてはならない。
 私は障害者にとっての20世紀は2002年まで、21世紀は2003年からと考えている。現在わが国で進められている主要

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な障害者施策や計画、つまり新長期計画、障害者プラン、アジア・太平洋障害者の10年、これらのスパンが2002年を一つの区切りとしているからだ。また現在厚生省が進めようとしている福祉サービスの措置制度から利用制度への転換も2003年4月1日からを目指している。さらに2002年にはDPlとRNNの世界大会も日本での開催が予定されている。
 この2002年での成果・到達点が次の2003年からの21世紀を指し示すこととなる。20世紀の残された期間にどこまで障害者施策を推進できるか、しかも高齢者や他の障害者の施策の中に視覚障害者固有の問題を埋もれさせることなく推進できるか。視覚障害者が21世紀に放り出されるか否か。残された時間は少なく私たちに課せられた課題は大きい。

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 21世紀の視覚障害者の夢
 有宗義輝
 「障害の地平」100号発行おめでとうございます。時は連続的な流れですが今年は20世紀の終わりの年であり、また視労協にとっては結成25周年という記念すべき大きな区切り目の年にあたります。いつもながら視覚障害者にとって、あはき問題だとか町づくり運動とか日常的な活動に追われている我々ですが、こんな区切り目の機会に少し時間的に長い視点で考えてみたいと思います。
 我々にとって20世紀とは、どんな100年だったでしょう。機械文明の発達はめざましく、なかでも我々を取りまく文字環境は大きく変わりました。特にここ20年ほどのパソコンの発達はすばらしいものです。これについていけていない私ではありますが。便利になっていることは確かです。
 機械文明が我々をより積極的に社会参加させてくれたり、かえって大きなハンディを背負わせてくれたりしています。
 一方、障害者問題に対する考え方はどうなっているでしょう。まわりを考えると厳しい情勢ばかりのようにも見えますがふとこんな例を思いつきました。よく昔の盲学校は「特別な施設や設備を用意してはならない」と言われました。町じゅうが視覚障害者用に変えられるはずはないのだから、盲学校も特別であってはならないと言うのです。視覚障害者のために町を変えるなどということは、その発想さえありえませんでした。この点、今は大変な変化の時期だと思います。「高齢者や障害者にとってやさしい町づくり」などと、わりあい一般に言われるようになったのですから。こういった発想の転換も運動の力なくしてはあり得なかったでしょう。

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では、21世紀はどうなっていくのでしょうか。我々にとって何よりも不便なのが情報と行動のハンディです。墨字の読み書きはパソコンのおかげでだいぶ容易になりました。これはますます発展していくでしょう。行動のハンディは問題です。言ってみれば駅のホームを我々は命がけで歩いているのですから。いまだに白杖1本を頼りに歩いているのは、江戸時代以来変わっていません。盲導犬の使用が、その一解決手段でしょうがこれにも生き物を利用するといった限界があると思います。なによりも急がれるのが誘導用ロボットの実用化ではないでしょうか。まわりの様子をすべて探知してそれを視覚障害者に伝える。信号の色も見極めてくれる。そしてそのロボットがだんだんと小型化され、ついには視覚障害者が眼鏡程度の大きさのものを身につければ目に代わる情報が与えられる。こんな技術が実用化されないはずは、ないように思うのです。羅針盤ができミサイルができ、月にまで人が行ける時代なのですから。しかしそれは誰によってなされるのでしょうか。戦争のための軍備は開発されても、ごく少数の視覚障害者が使う機械を開発する努力を命がけでする人がいるでしょうか。またこれを経済的効率から考えてもどうなのでしょう。ここにまた運動の必要性が出てくると思います。アメリカにはADA法という障害者法が制定されています。日本でも「バリアフリー法」などという法律を作って、障害者や高齢者の機能回復のための機械器具の研究開発を公的機関に義務づけることはできないでしょうか。
 一方我々は今、あはきの業権養護に苦しんでいます。晴眼者の進出がすさまじい状況にあって、あはき法19条でなんとか規制をかけようと主張していますが、これさえどうにもならない状況にあります。これはこれでさらに主張を強めていきたいのですが、あはきの需要をもっと爆発的に増やす夢も持てないでしょうか。アメリカの国立衛生研究所が鍼の有用性を認めたように、日本でももっと大々的に公の機関が、あはき

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の科学的解明と有用性の証明をしたらどうでしょう。医療関係受領者の2%程度が、あはきにかかっている現状ではなく、各病院や診療所には鍼師が専従するのが当然のような状況にするのです。医師の治療を受けながらも鍼治療を併用すれば、かえって医療費の削減になるということが明らかになれば良いわけです。
 あはきがプライマリーケア(初期医療)の分野で絶大な効果をあらわせることは確かです。それどころか、ターミナルケア(末期医療)の段階で、その有効性を発揮することもできるのではないでしょうか。ホスピスにおいて、モルヒネの代わりにあはきで少しでも患者の苦痛を取ることができれば副作用がないだけに大変なことだと思います。私のごく限られた経験ではありますが難病とされる自己免疫疾患にも、あはきは有効です。ただこれらのことが証明されていないのです。この辺を国レベルで解明するべきだと思うのです。こういった主張は決して障害者エゴではないと思います。国民のためになることが障害者にとっての夢の実現であれば良いわけです。
 点字の公務員採用試験実施運動から始まった25年前の視労協運動を思い出します。団体としての規模は小さいながら早稲田鍼灸専門学校のあんま鍼灸科設置反対運動に取り組んだり、いまや町づくり運動へと地道な活動を続けている視労協が21世紀に向かって、さらに大きく羽ばたくことを期待します。
 21世紀に向かっての以上のような夢を抱きつつ「障害の地平」100号を記念して、こんな記事を書かせてもらいました。

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 小さな運動が変えたもの
 阿部美恵子
 106ページ。「わたしが点字を学び始めたころ、点字は、世の中で、公式な文字としてはあまりみとめられていませんでした。しかし今では、選挙のときに点字で投票ができたり、一部の大学や公務員の試験を点字で受けられるようになったり(校正者注:「公務員の試験を点字で受けられるようになったり」下線)して、だんだんに理解されてきています。」
 これは、光村図書 国語4上「手と心で読む」の一部分です。日本全国の小学4年生が二学期に当たり前に習う、国語の教科書からの引用です。
 その一節をつくったのが、視労協でした。たった10人や20人の、小さな小さな団体が繰り返し、くりかえし交渉した成果でした。
 「都交渉やるんだけど、来てみない?」と学生だった堀からかけられたこの一言が、私が視労協に出会った始まりでした。といっても、みんなのあとからついていくだけ、墨訳するだけ、ただいるだけの、でも必ず顔を出すまじめな会員でした。
 何を思い出すか、覚えているか・・・。あの場面、この場面が蘇ってきます。もちろん、都交渉、都・埼玉教委交渉がトップです。それから、おもしろいおじさんがいた池袋の清瀧、社事大部室、原宿の駅近くの喫茶店。田町の福祉会館、大盛や。五反田の薄暗い事務所、川っぷちの赤のれん。最初の頃のビラは謄写版で印刷したものでした。
 たくさんの顔や声も浮かんできます。当事者発起人の込山さん、いつもまじめな大先輩田辺さん、口元に掌を丸めて「実はねー」と話し始める高田剛さん(故人)、解説の宮さん、にっこり望月さ

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ん、石川さん、上園さん、佐藤さん。社事大グループ落合さん、長い間かかわり続けた梅林さん、鋭い一言できれいな大村さん、きちんと書類の隅がそろったファイルを残して逝ってしまった岩原英治さん、西尾さん、田巻さん、下がるスボンをよくずりあげていた浅井さん、機関誌「障害の地平」を軌道にのせた達筆なあさりさん・坂西さん。酒井さん、すぐすもうをとる鷹林さん、白男川さん、上村さん、揚々と「ちょうちょ」を唄う的野さん、盲学校の塩谷・岩崎・有宗先生方。おっと、かの有名な紙袋と白ごはんの益田さんを忘れちゃいけない。他、書ききれぬたくさんの人たち。視労協は問い続けている。
 「手と心で読む」を学んだ四年一組のみんなから我が家に届いた手紙より
 野原さんがもってきたつえを使ってみました/20分休み、よく、ぼうで、あるかせてもらいました。「わー」と思いました。/なぜかというとまっくらで白いつえだけがたよりだからです。/野原さんのお父さんの気持ちが少しわかりました。/わたしは白いつえがすきになりました。
 娘、野原も書いています。
 目の不自由な人へ
 目がみえないからって、ふこうでは、ありません。目がみえなくても目のみえない人だって、目のみえる人よりすごいことができるんじゃないかな。
 毎年毎年、たくさんの四年生がこうして点字に出会っていきます。
 視労協が問うていることが、生き続けるのです。

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 白熊的気分
 全日本視覚障害者協議会総務局長 東郷進
 視労協のみなさんとは、1981年の早稲田闘争以来の友人です。また、1984年9月30日、自治労会館で行なわれた第1回「手をつなごうすべての視覚障害者全国集会」から20年間、同集会を運営する共同の主催者として、視労協の25年記念にあたり、心からお祝いのご挨拶を申し上げます。
 冒頭で紹介した第1回「手をつなごう集会」では、本間一夫さん(日本点字図書館)、松井新二郎さん(日本盲人職能開発センター)、伊藤武男さん(全日本鍼灸マッサージ師会)の特別あいさつの後、14人が各界を代表して意見発表をおこないました。国鉄転落事故裁判の原告・大原隆さん(故人)も発言されています。
 当日の視労協の意見発表は宮昭夫さんで、論旨は、「完全参加と平等を言葉だけに終わらせないために」というようなものだったと記憶しています。宮さんは、当時の中曽根内閣の臨調路線の「経済効率」主義が「完全参加と平等」の理念と相いれないこと。「臨調行革」は福祉の分野に民営化を持ち込もうとするものであることをこの中で指摘しました。まさに政府が2003年4月から持ち込もうとしている「社会福祉基礎構造改革」の原型を示し、警鐘をならしているのです。2000年6月25日には、「21世紀の視覚障害者の運動への提言」として、手をつなごう記念行事を計画しております。これまで同様、お力添えいただきますようお願いいたします。
 全視協の会員は1500数十人ですが、30万人の視覚障害者

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の中では芥子粒程の存在であり、無気力になることがあります。しかも昨年の大会では、初めて会員を減らして大会を迎えざるをえませんでした。視労協も、解散が懸念された時期もあったとお聞きし、影ながら心配しておりましたが、見事再生の道を選択されたということを知り、拍手を送らせていただきました。
 視労協のすばらしさは、そのラジカルさにあると信じています。ここでいうラジカルとは、根本性であり、急進性ではありません。言いにくいことを、誰はばからず直言できる視労協も魅力です。一人一人の会員に味がある、そして毒がある。視労協の存在意義です。
 人権とは、「権利が奪われた歴史」と「これを許さず不当として世に問うたたかい」が存在したことを物語るものです。20世紀の視覚障害者運動は、歩行権とか、読書権とかいう新しい言葉で、人類史を裏打ちすることができました。普通の視覚障害者が見落としている、人間社会の不条理を告発し、世に問い、権利として認めさせるたたかいを、ともにすすめましょう。
 「試験管から墓場までノーマライゼーション」
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 「運動をとおして思ったこと、そして」
 橋本宗明
 1:どんな「要求書」をもっているかでその団体の実力がわかる、私はまえからそう思っている。すこし運動経験のある人なら、「当面の要求書」などかんたんにつくれる。ほどほどでだれでも納得できそうな項目を並べればよいのだから。しかしそれがどれだけの具体性をもっているかとなれば、話しは別だが。相手の官僚に「これはどういうことですか?」と問われたとき、具体的に事例をあげて説明できなければならない。もっというなら何区何町何番地のだれだれさんがこういう風に困っているのだ、といい返せなければ、ドスはきかない。相手はプロなのだから、頭の中でつくった観念的な項目(当面の要求)などたちまち見ぬかれてしまう。そして、ばかにされるだけだ。つまり、箇条書きされた要求項目が具体的に翻訳できなければパンチにはならない。要求項目には、実態に裏付けられた息吹とかオーラのようなものが、にじみ出ていなければならない。それゆえ、運動体はエネルギーの半分を使って「要求書」をつくるべきである。具体的に翻訳できる要求項目をもっていれば、だれに対しても、いつでもどこでも説得力のある説明ができるはずである。有能な官僚はその要求書の背景にある分厚い実態を敏感に見ぬく力をもっている。そして「彼ら(団体)は、わたしたち(官僚)の到達しにくい実態を把握している」として、信用するにいたるのだ。
 2:交渉のとき(もっとも、役人はこれを「陳情」というが)、役人が最もいやがるのは、具体的な事例だ。だから交渉のときには、絶対に制度論とか法理論とか理念論に踏み込んではいけない。

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われわれのききっかじりの制度論などプロの彼らから見れば、児戯に類する。負けるに決まっている。こちらの武器は、具体例だ。「法的にはあなたのいう通りかもしれない。しかし、このAさんは、現にこれが受けられないのだ。これは、どうしてくれますか?」役人は必ず絶句するはずだ。経験を持ったすこし太っ腹な役人なら「例外」として、これをみとめるかもしれない。それは成果である。「例外」は三つ集まれば新たな規則のなるというぐらいだから。また制度的な原則にこだわって、われわれの具体的な事例を受け入れようとしない相手がいたとしても(たいていはそうなのだが)、それでも恐れることはない。おたがいに一方的なことを話し、かみあわずに不毛の論争に見えていても、それでもかまわない。こちらが苦しいときは、向こう側も苦しいのだ。人間の尊厳にかなった正論を吐くかぎり、相手はまいっているのだ。こちらから見ると、鉄壁に論議のように見えるが、相手の中側はいまにも壊れそうなのだ。だから、正論を吐きっづけていれば、いつか必ず窓があくものだ。「真理は我にあり」。
 3:東視協運動にかかわっていたころ、わたしたちは、たびたび、要求吸い上げの懇談会を催した。そうした席で口火を切ってまくし立てるのは、だいたい手馴れた活動家だ。要求とは、こういうものだ、という見本のようなもので、見事なアジテーションである。こ.れをやられたら、誘われてはじめて参加した運動経験のないごくふつうの盲人は、もう何もいえない。しかし、こうした人々から、まだ本人さえ気づいていない、隠れた要求を引き出すことが、運動体のエネルギーを高めることにぜひ必要なのだが。
 そもそも、ふつうの人の生活感覚では、自分の要求、などと称して、そうすぐにべらべらしゃべれるものではない。人は不満があれば、それを爆発させる前に、何とか我慢して、心の安定を求

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めるものだ。年がら年中心の不満があれば、ハリネズミのようにとんがらがっていれば、心は騒がしくって暮らしにくくて仕方がない。人は自分の不満をおさえ、心の安らぎをたもとうと、努力するものである。だから、経験豊かな活動家のみなさんのお話しを聞きながら、消化不良のまま帰宅するのだ。運動経験のない人が発言するときは、及び腰である。穴倉から恐る恐る顔を出すといった形で発言する。自分の発言が、社会的に意味をもったものなのか、それとも、具にもつかない個人的なたわごとなのか、自分では判断つかない。
 こうした人々に対しては、まず自由に発言できる空気をつくることである。そこには忍耐とやさしさが必要である。それは懇談会の場、だけとは限らない。帰り道、喫茶店にはいったとき、さらに電車のつり革にぶら下がって雑談をしているときなどに、案外本音が出るものである。「ああ、そうですが。そういわれれば、実は私もそう思っていたのですよ」ということになる。出てきた意見については、明確な判断基準をもつ必要がある。
 4:私の信念によれば、それは、「人間の尊厳」である。それは、「人格の不可侵性」である。人格には、認識と意志の力が備わっているから、その決定は不可侵性をもっている。したがって、人格の尊厳性、その不可侵性を脅かすもの(エゴイズム)を拒否し、これを高めるものを支持するいう基準ができてくることになる。
 5:われわれは、大衆運動をしている。運動は歴史をつくる。大衆は歴史を動かしている。こうしたフレーズはわれわれの確信である。これをもう少しきれいに言うと、「真理は、歴史の展開の中で徐々にその相貌を明らかにする」ということになる。われわれは歴史をつくり、心理をあきらかにする仕事に、たしかに貢献している。

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 たとえば、こういえる。「人は自分の好みと能力に応じて、仕事につけるべきである」これは人間の尊厳にかなった真理である。それゆえ視覚障害者の雇用運動には真理にかなった正当性がある。
 数十年前「産業マッサージ」など、企業社会では一笑に付されたいた。「利潤にかかわらないやつを雇うほど企業社会は甘くない」と怒鳴られたものだ。しかし、当今、「ヘルスキーパー」を頭ごなしに否定する労務担当者はまずいない。「お仕事の有用性はよくわかっています。わたしたちも採用したいと思いますが、何しろリストラの時代で……」ということになる。たかだか数十年で常識はこれだけかわったのだ。なぜここまでかわったか、もちろん運動の成果だ。つまり運動は常識をかえる。常識がかわれば、その次にはかならず社会がかわる。社会がかわるということは、やがて歴史が転がり出すことをいう。
 おわりに:そのときどきの民衆のなかに潜むニーズをつかむこと、これこそ大衆運動のリーダーのもっとも大切な任務である。それをつかんだ団体は時代ニーズにこたえられる。日本の視覚障害者がいま真に望んでいるものは何か?複雑で不透明な現代社会でそれを見極めるためには、何が必要か?「明確な人間観」こそ、と思うのですが……
 (書きなぐり 多謝)

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 「21世紀の視障者運動を展望する」
 楠敏雄
 1:「福祉改革」は私たちに何をもたらすか
 今、日本の福祉システムは、戦後最大の転換期を迎えている。 そのひとつは、旧来の行政主導の措置制度から、利用者の主体的判断に基づく「契約方式」へのいこうという、いわゆる「福祉の構造改革」である。他のひとつは、少子高齢化社会の進行のもとでの財源確保の方策として、これまでの税に基づく社会保障制度を抜本的に改め、相互扶助を基礎とする保険方式へ移行させるものであり、その先駆けが、いうまでもなく「介護保険制度」である。
 しかしながら、これら一連の「改革」が、障害者や高齢者にとって、プラスに作用するか否かは、おおいに疑問の残るところであろう。たとえば、利用者の選択による契約方式にかわった場合、実際に私たちに利用しやすい多様な選択肢が用意されているとは、到底期待できない。また、介護保険に関しても、支払った保険料に見合った必要な量と質のサービスが提供されるという保障はまったくといっていいほど整えられていない。
 たしかに、だれもがr共に生きられる社会」や「バリアフリー」は、いたるところで叫ばれ、着実なひろがりを見せていることは確かである。しかし、そうした輝かしい理念と私たちの実際の生活の間には、途方もないギャップが存在することも否定できないのである。
 2:視障者のノーマライゼーション度
 たしかに、他の障害者とくらべて、視障者の社会進出の歴史は早く、著名な人物もかなり出ている。しかし、こうした事例は、

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ノーマライゼーションの観点というよりは、むしろ一部の「エリート視障者」に限られていたものであり、大部分の視障者は「盲界」に閉じこもり、そのせまい世界の中での活動にとどまっているように思われる。
 職業を例にとってみても、プログラマーやヘルスキーパー、電話交換手などで、一般企業や行政職に就く視障者も、以前よりは増えていることは間違いないが、その数は、毎年10本の指に数えられる程度に過ぎず・就労者の多くは・やはり・好むと好まざるとにかかわらず、三療業に従事しているのが実態といえる。一般の大学へ進学する障害者の数は着実に増えてはいるものの、彼らのうち、卒業後も健常者の中で働いている仲間はそれほど多くない。いうまでもなく、ノーマライゼーションとは、大部分の障害者が、一般社会の中で、普通に生活し、普通に教育を受け、働いていける状態であって、そうした観点からみれば、視障者の社会参加の現状は、決してノーマライズされているとは言い難い。
 また、移動の自由、歩行の安全の面でも、点字ブロックの敷設は相当進んでいるにもかかわらず、の転落事故は毎年あとをたたない。つまり、点ブロだけでは、視障者の安全を保障することにならず、我々が安心して行動する権利は守られないことになる。このほか、情報面でのバリアも依然として大きい。我々が一般の書店に出かけても、自由に本を選ぶことはできないし、新聞を読もうとしても、能力や条件面で制限があり、「だれでも自由に」というわけにはいかない。人工のATMシステムも、視障者がひとりで利用しにくい状況にある。このように、ノーマライゼーションが叫ばれて久しいにもかかわらず、視障者に限ってみると、はなはだ残念ながら、我々の社会参加は、十分に進んでいるとは言えない。
 3:「21世紀の展望」を切りひらこう。

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 21世紀における、我々視障者運動の最大のテーマは、「自立と社会参加」から、「当事者主体の確立」と「社会変革」であろう。このテーマは、ノーマライゼーションの確立をめざす障害者解放運動全体のテーマでもあり、これまでの諸要求羅列型や告発型からの脱皮と、飛躍を目指す方向の明確化と、力量のアップが早急に求められよう。そのためには、中央・地方を問わず、行政側に対する我々の発言権を強めることが不可欠で、とりわけ、地方分権の進行のながれの中で、自治体レベルでの協議会などへの積極的な参加、課題ごとの協議が重要である。また、障害種別をこえた連携もこれまで以上に必要とされようし、制度、政策の再編に向けた具体的提案能力も必須の課題といえよう。
 具体的な課題としては、何といっても障害者の就労の権利の確立と、機会と場の拡大があげられる。この点について、この20年あまりの視労協の取り組みは、一定の成果を勝ち取ってきていることは確かであるが、制度的には、やはり、就労アシスタント制度の完全な確立がネックとなるのではなかろうか。この場合、アシスタントの確保は、個々人の力量に任されてきたが、今後は、それぞれの地域のNPO法人などにおいて、アシスタントの人材養成を計画的におこなっていく事業展開も必要となってくる。
 一方、依然として視障者が最も多く従事する三療業に関して、晴眼者の進出を阻止する取り組みも継続されなければならないが、残念ながら、客観的には、運動の展望ははなはだ暗いといわざるおえない。ただ、高齢化の進行の中で、業種自体のニーズは期待されるものと思われるが、問題はむしろ、サービスを提供する側の市場競争を担える戦略にある。ここでも、個々人の力量のみには限界があり、より安定した規模に基づくシステムと、積極的に打って出られる戦略が求められる。
 第2の重要課題は、いわゆる統合教育に向けた法制度の確立で

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ある。欧米ではすでに、障害児をも受けとめ得る学校そのものの改革を目指す「インクルーシブ教育」が進められつつあるにもかかわらず、日本では今なお分離教育体制が維持されつづけている。しかしながら、他方で障害児学校の在り方を問いなおす動きや、新たな法制度を提言する試みもはじまっている。私たちもこうした動きと連動して、「統合教育推進法」(仮称)といった法案を具体的に提起するとともに、政治的働きかけや社会的運動など、5、6年間の計画的な目標を打ち出し、実践するときがきているように思われる。
 このほか、歩行の安全の確保や情報のバリアの除去など、緊急の課題は山積にされているが、21世紀の私たちのうんどうに問われているのは、その手法にある。すなわち、「盲界」の、しかもごく一部のエリートたちや、閉ざされた集団の中で、それらが論議されていては、結局のところ、私たちのノーマライゼーション度は高まらないであろう。障害の枠をこえ、さらには、より多くの視障者が参加できる場や手法を提起し、たくさんの視障者が、社会のさまざまな場に出かけ、活動し、発言しうる条件を確立すること。そのためのも、単に課題別のみではなく、団体やセクトの枠をこえた運動の組み立てを趣向すること、そして何よりもひとりひとりが社会に打って出る行動にチャレンジすることである。
 視障者の高齢化や重複化など、私たちの運動も決して楽観は許されないが、かといって、グチとため息からは何も生まれてこない。長期的な目標とそこにたどりつくための具体的なプロセスを緻密に打ち立て、持続的でエネルギッシュな運動を展開していきたいものである。
 (私ももう少しだけ長生きして、みなさんの一翼に残っていたいものである)

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 女性・視覚障害者として21世紀をどうつくるか!?
 森登美江
 1、はじめに
 視労協が結成25周年の、この時に私自身も当会の一員となって、ちょうど10年。10周年ということになります。そして、この「障害の地平」の100号という節目の特集号に原稿を書くという大きな責任を与えて頂きました。女性・視覚障害者という立場での発信の適任者は他においでのことと思いますが、このように視労協も私も時を同じくして、記念すべき節目を迎えたことに免じて、つたない文章を加えて頂くことを皆様にお許し願いたいと思います。
 2、女性であり視覚障害者であること
 私が視覚障害を社会的に認識したのは、10数年にわたる盲学校生活が終わったときからではなかったかと最近、よく思い返します。家族や学校の寮に逃げ込むことで、町で直面した不愉快なことや危険な体験を封じ込め、生きていました。卒業したとたんに逃げ込む場を失い、知らない世界に投げ込まれたわけです。それと同時に、ぬくぬく逃げ込んできたはずの家族や盲学校そのものに疑問を抱かざるを得なくなり、そこから「なぜ?」「どうして?」が始まったと思います。
 世の中で「女性」という見方の中で、出産と育児と家事をするものという役割が、男性は働くものという一定の認識と共に、根強く引き継がれていると思います。もちろん最近は、独自の生き方がごく一部で選ばれ獲得されつつあり、女性の仕事や生き方が変わってきていることは確かですが、まだまだ、周囲からの批判

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をあびたり、驚異の目で見られたりしているのも事実です。それは長い年月積み上げられた「男性社会」の圧迫に起因するものであると、私は考えています。女性みずからが、どう考えていくのかは、もちろん問わなければなりませんが、一方の男性側が自らの発想を、そして女性をどうみているのかが大きく問われなければならないと思っています。
 そういう中で、女性であることと視覚障害がどう世の中からみられているかという二つの面で私たちは様々な場面に遭遇し、ドキッとするようなことを言われたりもするのです。「目が見えない」ということは、他の人にとって「身動きひとつできない大変な状態」ということになるからです。
 女性であること、障害者であることの二重の差別を受ける立場にいることを自覚したのは、結婚して周囲から「奥さん」「お母さん」と呼ばれるようになってからです。私のまわりには、「すごい」「偉い」「がんばる」といった言葉が飛び交うのです。その言葉の裏には、「信じられない」「大丈夫かしら」が聞こえてきます。
 今も、そして50に近い私が通ってきた昔も、さほどそういった人の思いは、変わっていないと私は思っています。
 3.一緒に考え一緒につくる、これからの時代
 私が長い間の体験を元に話したり文章を書いたりすると、「そんな風に思わなくても」とじゃ「ひがみっぽい」とか言われがちです。私も若いときは結構元気で自由(?)で何があっても(?)気にやまないといった頃もありました。でも生きようとすればするほど障害者が、ありのまま、思うままに生きられる世の中にはとてもほど遠い現実であることに気づかされます。「誰だって思うようになんか生きていけない」という声も返ってきますが、そ

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ういう世の中をつくってきたのが「みんな」であり、それならばみんなで「誰でも元気に自由に生きられる温かい世の中」に変えていこうとすればいいのではないでしょうか。私の、運動に関わるきっかけがそこにあったと思います。女性や障害者や、多くの社会に押しつぶされてきた人たちが必死で立ち上がり、変えようとしつつある世の中が、ほんの少し見えはじめたように思います。新しい発想も少しずつ表現されてきているとも感じています。
 私は、女性障害者の問題を話し合いそこから世の中を変えていけるような集まりを作りたいと長年考えています。それには私自身の考えをしっかりまとめることと同時に、若い人たちとの接点を持つ必要があると思っています。私の子育て(?)時代は一人でしたが、今障害持つ若いお父さんお母さんたちの集まりもできていて一緒に問題を考え合ったり解決方法を相談したり交流をするなどの活動も行われていると聞いています。とても大事な心強いことです。電化製品に点字表示がつくものも出始め、音声体温計も正確な使いやすいものへと研究開発も進むなど私たちにとっても具体的にクリアできる日常も増えつつあります。パソコンの普及もごく一部の視覚障害者にではありますが、便利に使こなされているようです。そういう時代に忘れてはならない「こころ」の部分も含めて、私たちが取り組む姿勢を持ち、元気に日々を生きていけるようになることを目指していきたいものです。
 家事が大好きな人、死ぬほど苦手な人、いろんな人がいます。「私は、家事は苦手なの」「料理、洗濯、掃除、大嫌い」などという女性に対しては、「しょうがないわね。ダメね」くらいの反応でしょう。それが、女性・視覚障害者となると、そうはいきません。「目が見えないんだから、無理はない」という、別の条件がクローズアップされてくるわけです。
 女性・視覚障害者のパターンは、もちろんそれぞれ異なるのは

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前提ですが、大きくふたつ。ひとつは、がむしゃらさん。もうひとつは、あきらめさん、です。負けまいとがむしゃらにがんばる人は、パソコンを使いこなし、裁縫、しつけ、炊事、洗濯、掃除も完壁。あきらめさんは、「私は見えないんだから、できないよ」というのんびりもん。自分を主張していく生き方でいいと思いますが、そこには、他人を尊重するという必須条件があります。何もしようとしないあなたのせいで視覚障害者が判断されたらどうするのか、といった苛立ちをがむしゃらさんはもつかもしれません。わたしたち視労協の最も大事にしているポイントは、「ひとりひとりを尊重すること」です。
 21世紀は、ハード面が進歩する中で、心が置き去りにされたり、忘れられたりしないよう見張っていくのが、わたしたちの大事な役目だと思います。
 挿絵省略

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 「21世紀におくるアンダーライン」
 的野碩郎
 視労協25周年、機関誌100号に僕が原稿を書くということは、いささか厚かましい次第だとは思いますが、西暦2千年のこの記念すべき号に偶然・視労協の代表となっていたがための、ご指名だと思って視労協という団体としてではなく僕個人の立場で身軽に書かせて頂きます。
 視労協結成時の1975年よりも若干何年か前に、僕は僕なりに政治や差別ということに向かい合っていたと思います。そのことは、いわゆる青春時代とも重なっていて、今から思えばなつかしさでいっぱいといったところです。周囲の視覚障害者の仲間も似たり寄ったりの体験をしたのだと思います。あれから35年ぐらいでしょうか。団塊世代と言われる僕を含む視覚障害者は職場の中でも一定の立場を持つ位置にいたり、団体の中でも役員として会を動かしている担い手となっている人も少なくありません。しかしその存在は、「盲界」と呼ばれるある種閉鎖的な枠の中では、どう映っているのでしょうか。つまりそのリーダーたる人は、十分視覚障害者の利益に即して決断を下したのでしょうか。底辺と言われる部分のどこに線引きをして決断をしたのでしょうか。 「盲界」における様々な疑問が、ふつふつといくつもわいてきます。その刃の矛先は、僕自身にも向けられていることも確かです。
 携帯電話の利用の仕方は、僕の想像をはるかに越えて、多機能になっているといいます。僕自身使いこなせませんが、若者族は

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いとも簡単にゲーム感覚で利用しています。コンビニもそれと似たような多機能を持っています。僕には使いこなせません。パソコンも当然それらと同じ、いや、それ以上のすぐれものになっているようです。点字を知らなくても一般活字を知らなくてもパソコンにかかれば、いともたやすく、達人になれる。点字普及や点字の市民権という文字が、涙を流してしまいます。
 僕のふがいなさを悔いて・ぐちをこぼしているのではありません。片方に「盲界」のたぶんそういった現状があって、また片方に若者族がいる。その中間でヒステリックに悲鳴をあげている僕がいるのだろうと思います。
 たとえば、教育はどうでしょうか。僕自身は、盲ろう養護学校解体論者ではありませんが、推進派でもありません。「段階的に形を変えていくべき派」とでもいいましょうか。とにかく現状の盲学校に疑問があるにしても、即解体ではありません。今最も盲学校が僕の時代と様変わりしたところは、ひとつには、三療(あんまマッサージ指圧・はり・きゅう)の免許が都道府県知事から国家試験の厚生大臣免許となって、そのことで盲学校の職業科が顔色を変えているとのことで自分の所属盲学校から一人でも多く国家試験合格者を出すために、夏休み・冬休み・放課後返上のいわゆる受験戦争が繰り広げられているとのこと。落ち続ける生徒、要領の悪い生徒、受験戦争でゆがむ生徒。盲学校はいつまで、こんな生徒につきあってくれるのでしょうか。これからの盲学校に、その責任は重いのかもしれません。教師がサラリーマン化している現状では、いっそう重いのかもしれません。それでも間違いなくそういった生徒が増えてくるのは必至です。盲学校は、

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アンダーラインをどこに引こうとしているのでしょうか。
 盲学校の様変わりの二つ目は、生徒の多様化にあると思います。少子化や重複化もあるでしょう。コンピューターを中心とした情報技術への取り組みもあるでしょう。世間一般でいう若者というくくりもあるでしょう。そして生徒と向かい合う教師の様変わりもあるでしょう。この多様化によって、具体的な対応だけでなく、心の部分にどう教育は関わろうとしているのでしょうか。
 また、たとえば、三療業において、はりやきゅうの免許を持つ人とあんまマッサージ指圧免許を持つ人との関係はいかがなものでしょうか。前者は医療の手助けとして脚光を浴び、後者は慰安としての存在。前者は免許、後者は免許無しで誰にでもという乱暴な考え方の人もいるとのこと。また、前者後者の免許格差をつけるという考え方の人もいます。今や晴眼者(健常者)と視覚障害者の免許取得者の数は、晴眼者が逆転してから徐々に数は開いていっています。このままでは一握りの特定の人だけの三療業となる可能性は大です。視覚障害者の生活は、どういう形で守られるのでしょうか。年金を上げる運動がさらに盛んになるのでしょうか。国が赤字財政で悲鳴を上げている時に間違いなく福祉予算は、切り詰め切り捨てとなっていきます。東京都では、「福祉だけに聖域は持たない」とも言っています。さらには各地で三療の晴眼者の養成校が乱立という現状もあります。晴眼者の無免許での職域あらし。治療院やサウナ、温泉場などでの劣悪な労働条件。あげれば三療をめぐる状況は、厳しいものがあります。21世紀におくるには、とても悲しいものがありますが、様々な垣根をとっぱらって討論や分析や上手な世代交代やニューリーダー

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の発掘は、急務だと思います。もちろん、視覚障害者の利益に即して何人も切り落とさない気合いや勇気や決断が問われるのだと思います。
 また、たとえば、障害者運動は片方に行政との間で福祉政策に関して丁々発止と渡り合う人たちがいます。片方には行政などとつるんで、などと言う人たちがいます。更にもう片方に生活をエンジョイしている人たちがいます。片方に生活に四苦八苦している人たちがいます。二つの矛盾した相対する生き様があります。21世紀におくるには、かなり重要で重いことではありますが、御用団体とか、何々政党推薦団体ではない、グローバルなうねりを作る手だてはないのでしょうか。
 世代交代、ニューリーダーの育成、グローバルなうねりは、障害者の主体性、障害者自身の声からしか生まれてきません。わがままだけの主体性は間違いです。20世紀の清算を誰もがすべきです。大きな平場で討論すべきです。優柔不断の僕が言うには、全く説得力がありませんが、それでもやらなければ、やり続けなければと思います。障害者の諸先輩にとっては、わかっている当然のことなのかもしれませんが、あえて書かせて頂きました。やや舌たらずだとは思いますが、適当に推測下さい。
 アンダーラインという言葉は意に反しますが、適当な言葉が見つかりませんので不本意ですが使わせて頂きました。
 で、僕は少なくともアンダーラインについて、チェックし続ける立場であり続けようと思いますし、その部分と一緒に生きられる手だてを具体化していければと思います。

裏表紙の裏
 編集後記
 視労協編集部
 2000年という大きな区切りでもあり、視労協結成25周年、 そして、機関誌「障害の地平」No.100という心浮き立つようなことが重なっしまいました。
 No100 1'では視覚障害者の各界の皆さんに「視覚障害者の21世紀を望む」をテーマにお忙しい所を寄稿していただきました。そしてNo100 2'では事務局の宮昭夫さんに骨をおってもらい、「視労協年代記」を監修していただきました。この2冊と、この記念する時期とを充分かみしめて、視覚障害者運動の未来が視覚障害者にとって、視覚障害者を充分含んだ社会にとって豊かで優しいものになるように、元気にがんばっていければと思います。
 これを機会に視労協への会員としての参加を強くお願いします。「今」をみんなで、よりよいものにして行こうではありませんか。
 また、No98、99などにも視労協の足跡を振り返った原稿もありますので、併せて購読されることをお奨めします。

裏表紙(奥付)
 2000年2月5日
 定価200円
 編集人視覚障害者労働問題協議会
 東京都練馬区東大泉6ー34ー28
 陵雲閣マンション403
 的野碩郎気付
 発行人身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6ー26ー21
 視覚障害者労働問題協議会



■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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