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『障害の地平』No.99

視覚障害者労働問題協議会 編 19990826 SSK通巻第1435号;身体障害者定期刊行物協会,28p.

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last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 19990826 『障害の地平』第99号,SSK通巻第1435号;身体障害者定期刊行物協会,28p. ds. v01

■全文

表紙
 SSKー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 ー視労協ー
 障害の地平 No.99
 視労協らしくあと一歩
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九九年八月二十六日発行SSK増巻通巻一四三五号

もくじ
 100号記念企画
 視労協25年の歩み (2) 込山光広  1
 100号記念企画
 「ちょっとひとこと」       7
 100号記念企画
 視労協いろはかるた        13
 視労協が視労協で
 あるためにV   宮昭夫   17
 あんなこんな視労協  的野碩郎  21
 〜視労協らしくを取り戻すために〜
 夏期カンパ・会費納入のお願い   28
 編集後記

p1
 視労協25年の歩み (2)
 込山光広
 1.公務員への採用
 視労協結成のきっかけになったのが、視覚障害者(以下視障者と略す)の東京都への職員採用運動である。東京特別区につづき行われたこの運動で、都当局の点字受験拒否姿勢を打ち砕くために、私達は要求の正当性を主張し、普通の市民に理解してもらえる論理とそれ以上に「本当は働けるのに、働かせてもらえない不当性」を強く訴えねばならなかった。私達の言い分は「視障者にも当然に公務員として働く権利があるのだからまず採用せよ。その上で働ける労働環境を整えよ。」であった。当局との厳しいやりとりのなかで、(1)視障者にも公務員として働く権利がある事。 (2)普通文字は視覚による文字であり、点字は皮膚感覚による文字であるが、文字であることにはまったくかわりはないこと。(3)したがって、視障者の需要(働ける職場)があれば、当然に点字試験を行うこと。などを確認させることができた。そして、私達は労働組合の協力を得ながら、視障者が働ける職場を具体的に示すことができた。このことで当局は点字試験の実施を決断せざるをえなくなった。
 この流れは順調に品川区の視覚障害職員採用(福祉と電話交換)にもつながった。しかし国や他の自治体はもとより東京都においてさえ、視障者の職員としての採用は職種としてきわめて限定的かつめったに見られないことであった。「完全参加と平等」をテーマとし、ノーマライゼーションを理念とする1981年の国際障害者年から十年を経過して、1990年代になってようやく国や自治体で点字試験が実施されはじめた。だが、まだまだほんの一部でしかなく職種も限られている。すべての公的試験が点字で(本来的には障害の状況に応じた方法で)実施されることを求めるとともに、私達

p2
もどのようにしたら「普通」の職場で十全に働けるか、視障者の労働環境の整備について具体的に提起していかなければならないところに来ている。人が得る情報の80パーセントは視覚によるものだそうだ。労働現場ではことに視覚障害によるハンディキャップは大きい。
 2.教員への採用
 視労協誕生前から普通学校への採用を求めて必死に働きかけていた数人の仲間がいた。しかし都教育委員会はほとんど「問答無用」式の対応に終始していた。私達は都教委や埼玉県教委などに対して「視障者はなぜ普通学校で教員として働いてはいけないのか?」の問いをなげかけつづけた。どの教委も「生徒の健康管理(顔色が見えない)ができない」「緊急時に対応(生徒の安全確保)できない」「市民のニーズがない=生徒の保護者は視障者の先生を望んでいない」「板書や教室内巡回ができない」「生徒が授業を抜け出してもわからない」「先生が見えないと生徒が非行にはしる」など「見えないからだめ」を結論づけるためにありとあらゆる「理由」=むちゃくちゃなことを言い立てた。私達は「見えない教師が盲学校では立派に働けて、普通学校ではなぜ働けない」を武器として教委の差別的な考え方を厳しく追及した。それとともに実際に普通学校で教師として仕事をしている例を示したり、普通学校で実習したり音楽や英語で教育研究所の人達を生徒としてマイクロティーチング(模擬授業)をも行い、視覚に障害があっても教師としての資質やその教科の能力があれば十分教員として普通学校で働けることを示してきた。
 にもかかわらず教委は「見えないからだめ」の「はじめに結論ありき」だった。マイクロティーチングや実践で視障者がいくら創意工夫しようと、授業が完全に成立していようと、「見えないことが

p3
いけない」のであって、そのほかには理由がないのだった。私達の運動におされて東京、埼玉、神奈川、千葉などでは1975年前後から教員採用試験での点字受験が認められるようになったものの視障者を真面目に採用する気のない試験であって、形式的でいい加減なことがしばしばあった。たとえば不合格になった者が「試験ができていたのにおかしい」と抗議したら、一転して合格となり、二次の面接で落とされたこと、点字試験の時間延長を要望したら「好きなだけしろ」と回答されたこと、テレビの音がガンガン聞こえる食堂の隣の部屋で受験させられたことなどである。
 このような教委の姿勢からすると裏で何か工作が行われて視障者が採用されないと考えたとしても理由のないことではない。全国的に見ると最近は普通学校に採用され働く人達もチラホラ出て来た。だが東京近辺で中途視障者は別として公立の普通学校で教職についている者はほとんどいない。あらためて視障者が教師として働く意義を確認し、今現場で奮闘している人達を守り支えるとともに視障者の新採用を勝ち取る必要がある。
 3、統合教育
 地域で教育を受け地域で働き地域で生活することー地域から施設などに隔離されないことーを私達は大切に考えてきた。また盲学校に行くか地域の学校に行くかは保護者(本来的には本人)の選択権に属するものと考えてきた。それゆえ普通学校での統合教育を希望する視覚障害児の運動に視労協はかかわり支援してきた。埼玉県浦和市では「障害者の教育権を実現する会」に協力し千葉県松戸市では視労協が主体的に教委との交渉の主要部分を担った。何度も交渉して親の願いや本人の希望視障者の実態をつたえても市教委はがんとして普通学校への入学を認めようとしなかった。ついに市教委はあらかじめ警備用の職員を多数配置しておき、交渉中に一方的に打ち

p4
切りを宣言し交渉責任者の市教委指導部長が職員に守られながら秘密の通路から逃げ出すという暴挙にでた。幸いにも市役所のホールでつかまえることができ激しい揉み合いがあったりしたが交渉は継続された。最終的には親の断固とした意志とねばりが勝ちを制し地域の学校への入学を実現した。けれども市教委は点字教科書や職員配置など視覚障害児の教育を保障するための必要な措置を一切とらなかった。そのため親や支援者は大分苦労したようだ。私達にも点字教科書保障のための支援が求められたが力量不足で要望にそえなった。運動では強力に支援できたがやむをえなかったこととは言いながらそれ以上踏み込めなかったことについては運動の限界を感じ心の痛みとして残った。
 文部省は依然として統合教育を認めず特殊教育を押し進めようとしている。だが視覚障害児数の減少、障害の重度化重複化によって盲学校が「特殊な場」になっていることもあってか地域の学校への就学を認める教委も徐々に増えてきた。ただ「地域の学校に行ければいい」ではことはすまない。地域の学校で差別されることなく十分な教育が受けられる状況をつくり出していくのが私達の今後の課題である。
 4.マッサージ師の不当解雇撤回
 三療業は視障者の生活をささえる唯一の職業とされてきた。しかしこの業界にも晴眼者の進出が目ざましく病院など労働条件のいいところから順次視障者は排除されてきた。視労協では「職業選択の自由」と「視覚障害者の利益に則して三療業を発展させる」ことを目指して運動を進めてきた。そのなかでも栃木県宇都宮市の病院マッサージ師と東京渋谷のサウナマッサージ師の不当解雇撤回の闘いはとくに大きな意味があった。
 病院マッサージ師解雇はまったく理由のないものであった。忘年

p5
会でマッサージ師が病院で多用されているブロック注射を多少皮肉って歌ったことを病院長が病院の診療方針を批判したとして解雇したものである。普段の活動の場からは遠地であったが視労協は地元の支援者とも協力し現地での集会、デモ、ビラまきをおこない現場での直接行動直接交渉を重視した闘いをすすめた。またその一方裁判でも仮処分を勝ち取り、職場復帰(就労闘争)しながら病院側を追い詰め完全勝利をおさめることができた。
 渋谷のサウナでは組合結成に恐怖した経営者が活動家たちを悪徳労務管理者と結託し不当に解雇などの処分攻撃を連発し、また暴力的に運動をつぶそうとしてきたものである。この長い厳しい闘いの初期の段階で視労協は「視障者マッサージ師の働く職場を奪うな」の立場でかかわってきた。
 病院では視障者の解雇が相次いでいる。サウナではますます働きにくくなっている。視障者の適職と言われる三療業で生活をどのように守り業をいかに発展させるか、私達に課せられた任務は重い。
 5.はりマッサージユニオン
 理学療法師の増加により病院からマッサージ師が排除され晴眼者の進出で視障者の経営する治療院はおおきな圧迫を受けている。しかし私達は働いて食べていかねばならない。視障者の生活を支え三療業の未来を切り開くと言う大きな夢と希望をもって障害者生産協同組合はりマッサージユニオンは発足した。理想は大きくユニオンに携わる人達は大変な努力をしているがまだ目的を達成しているとは言いがたい。
 医療健康の問題は公的機関や病院だけにまかせておくわけにはいかない。三療業を中心として民間療法が見直されてもいる。今総合的な治療者のネットワークづくりが求められておりマッサージユニオンはその主軸になりえるのではないだろうか?

p6
 6、まちづくり
 視労協は雇用や教育の問題では活発に運動を進めたが生活の問題まではなかなか手がまわらなかった。1990年代に入ると視障者をめぐる社会的状況の大きな変化と視労協で活動する者の交代や意識の変化があり生活の問題とりわけまちづくりに運動の重点が移っている。バリアフリーなまちづくりは単に障害者や高齢者の問題にとどまらない市民的な課題である。まちづくりでのバリアフリー化は根本的なところ(思想)で社会のバリアフリー化すなわち障害をもっていてもあたりまえに活動できる社会の建設につながっている。そのことを見据えてまちづくりの運動をすすめなければならない。
 7, はみだした運動
 この四半世紀の間に視労協は多種多用な闘いをし労働組合や他の障害者団体と関係を結び共闘をしてきた。いわゆる「盲界」からは視労協は権利を主張しはみだした運動をする迷惑な困った存在と思われていたに相違ない。しかし私達は今「時代を先取りした運動をしていた」と胸をはって言える。問題は蓄積してきた宝をいかに次の時代に継承していくか、それに今後も時代の半歩さきを歩む「はみだした運動」をいかに創っていけるかである。
 最後に視労協の歩みのほんの一部しかたどれなかったことが残念である。記さねばならないたくさんのことをはぶいている。エピソードふうに、活動した人物を中心にあるいは編年体ふうに視労協の運動をふりかえれば、かなり面白いものができあがるかもしれない。機会があればまた書きたい。

p7
 100号記念企画
 「ちょっとひとこと」
 会員そして活動の中で出会った仲間たちの中からひとことずつ頂いたものです。
 (順不同)
 近況報告
 佐藤光子
 ー障害者差別?女性差別?ー
 結婚して以来、私は内なる偏見と闘っている。夫が料理や洗濯や皿洗いをすると賞賛の念を感じるのに、自分がやっていても何も感じないのは何故?夫が私の散らかした物を時たま片づけていると「申し訳ない」と感じるのに、夫の散らかした物を私が片づけるのはまるで義務ででもあるかの様に感じてしまうのは何故?散らかっている家に客が来ると、それが夫の客で、散らかしたのが夫であっても、何か罪悪感の様なものを感じるのは何故?夫が全盲だから?それとも男性だから?
 「障害を持った教師が教壇に立って働き続けられるように」こうした運動に参加してから早くも7年が過ぎました。その間私は色々なことを学びました。職場の同僚は障害についてなかなか理解してくれないことなどです。きっと明日の世界はノーマライゼーションが進んでいるだろうけど、私達は一日も早く実現するように手に手をとり合ってその日がくるまで前向きに運動していきたいと思います。
 森谷良悦
 視覚障害者労働問題協議会。という、どことなく理屈っぽそうな名前に、気難しい御姿を想像していた。ところが、さもありなん。とても良い意味で期待を裏切られたのでした。それから親しくお付き合いさせて頂いている。でも、この方々、やるときゃあ、びしっと、やる。
 私が会議に出席する様は豪華な大皿料理の隅に、ひっそりと、詫しく添え

p8
られたパセリーつまり、いてもいなくてもいい人ーと化す訳ですが、これを寛容な心で許して下さる皆様に多謝。だって皆様、頭いいもんなあ。ああ、うらやまし。
 鈴木美智代
 「視労協」を知ってからの時間が知らなかった時間をこえました。
 「障害の地平」、新世紀200号まで続きますように。
 込山三和子
 視労協一年生
 野口由紀子
 生まれてこのかた40数年、いろいろなことに疑問や矛盾を感じながらも障害者運動とはおよそ縁の無い世界で生活して来た私が、視労協に入ったのは去年のことです。
 この数ヶ月足らずのうちにあれこれ欲張って、いろいろな会議の場に顔を出し、いろいろなことを吸収していますが、他人はおろか身内とさえ本音でぶつかり合ったことのなかった私にとって、すべての場でおたおたするばかりです。
 身近にいる代表、副代表にいろいろなことを教わりながら、叱られながら、自分の中にある疑問や矛盾を自ら発信し、運動に結び付けていけるよう日々学び続けています。
 機関誌はその会の「顔」と言われます。「障害の地平」は視労協のその時々の有り様を映す、まさしく「顔」として存在し続けています。
 活気溢れる若き時代から、主義主張を内外共に表現する時代を経て、紆余曲折、多種多様の今に至っていると思います。その中にあって担い手の一人として、私は精一杯のこれからをー最後の闘いに入っていこうとしています。障害者運動を一緒に創りましょう
 森登美江

p9
 視労協の歴史の中でまさか僕自身が会の代表となり、しかも25年100号という記念すべき1ページを企画できるとは夢にも思いませんでした。未だ会そのものは不安定な時期を脱したとは言えませんが、これを期に少しでもその方向に前進することができれば、そしてその一翼を僕が担えればと思います。それぞれの主体性が充分見える活動の展開を今は強く願っているところです。
 的野碩郎
 ただいま図書館司書教諭免許取得に挑戦しています!
 城北学園 齋藤 昌久(視覚・聴覚障害)
 学校図書館法の改定で、「司書教諭」がすべての学校図書館(もちろん盲学校・聾学校も含めて)に配置されます。司書教諭は平成15年度までに42,000人も必要になる。学校図書館を情報メディアセンターとして、学校教育を高度情報化社会に対応させるためです。この夏、そのための図書館講座に出ながら、高度情報化社会が障害者に「何を与え、何を奪うのか」を考えています。視労協でも学習会を開いていきましょう。

p10
 メッセージ
 *だいぶ長い間、遠ざかっているので書く事もない。都会は住みやすいし、大好きだ。だから離れられない。でもコンクリートに詰め込まれている毎日、息苦しいのも事実。夏は海で、春秋は山で遊びまくりだ。せめて体の動かせるうちは。周りの人々には受け入れてもらえないのが不思議、不思議?変わっているのかな?おおいに結構!それを大事にしていくぞ。以前は印刷ロボット、今はちょっと楽になって一歩、人間に近づいて来たのかな?だんだん高じてきて点字ざんまいの日々。ーーー上薗 和隆
 *「なせばなる。なさねばならぬ何事も。なさぬはおのがなさぬなりけり。」という諺があります。でも視労協で活動したり、日々の生活のなかで「ならぬ」ことばっかり。やっぱり努力がちょっと足りないのでしょうか…。ーーー大里 暁子
 *視労協がもっと大きな会になる方法を考えた方がいいと思います。いっしょになれるように、話合いをしたらどうかと思います。ーーー沢良木 正雄 
 *地平100号おめでとう。みんなの思いが、積み重なってここまで来たのですね。この先もきっと、みんないっしょに頑張れますように。ーーー沢良木 栄美子

p11
 出会い
 小林順子
 視労協「障害の地平」100号の発刊、大変におめでとうございます。
 私はまだまだ、皆さんのお役に立っていないので、記念すべき100号に原稿を載せて頂くのは気が引けますが、これからの決意を込めて書いていきたいと思います。
 私が視労協のことを知ったのは3年前、同じ職場 (品川区立の小学校)で働いていらした大里先生から、ご自身の職場等の問題を聞いた事がきっかけでした。
 「障害児のお世話がしたい」との思いでOLから転職した私は、特に障害児(者)について勉強したことも無く何の資格も持っていませんでした。けれど、大里先生の子どもに対する温かさと、強さ、そして真剣な姿が、私自身への教科書になっていったのです。また、私が失敗した時なども大きな心で包み、励まして下さいました。そんな時に、大里先生から「私にも辛い時に励ましてくれる仲間がいるのよ。」と視労協のことを教えて下さいました。それから「視労協のみんなと海水浴に行かないか」と声を掛けて頂き、参加することになったのです。
 初めて参加した時は、一緒に歩くのも上手に出来なくて、段差や曲がり角の手前で声を掛けるタイミングもなかなかつかめず、みなさんにご迷惑をおかけしたと、思います。が夜の宴会ではそのような事も忘れて、飲めや歌えの大騒ぎ・・・。こんなにも笑ったことはないと言うほど楽しい一日だったのです。そして、感動したのは最初から最後まで、参加した皆さんが一体だった事です。黙っている人がいると、誰かしらが必ず、声を掛けているのです。皆さんにとっては、ごく自然な事かも知れませんが、人として大切な事を教わった様な気がします。
 更に昨年は、海に流されそうになる・・・という貴重な?体験もさせて頂きました。今年の夏は残念ながら、参加できませんでしたが、来年は必ず参加できるように、今から?準備したいと思っています。
 視労協の皆さんとの出会いは、私にとって、とても大きく大切なものになっています。そして、海水浴だけでなくこれからは、大したことは出来ませんが、視労協の皆さんのお役に立てる様に努力したいと思っています。
 険しい道が続くかも知れませんが、最高のメンバーが最強の団結で、これからも前進出来るよう、お体を大切に頑張っていって下さい。

p12
 メッセージ
 *だいぶ長い間、遠ざかっているので書く事もない。都会は住みやすいし、大好きだ。だから離れられない。でもコンクリートに詰め込まれている毎日、息苦しいのも事実。夏は海で、春秋は山で遊びまくりだ。せめて体の動かせるうちは。周りの人々には受け入れてもらえないのが不思議、不思議?変わっているのかな?おおいに結構!それを大事にしていくぞ。以前は印刷ロボット、今はちょっと楽になって一歩、人間に近づいて来たのかな?!だんだん高じてきて点字ざんまいの日々。――――上薗 和隆
 *「なせばなる。なさねばならぬ何事も。なさぬはおのがなさぬなりけり。」という諺があります。でも視労協で活動したり、日々の生活のなかで「ならぬ」ことばっかり。やっぱり努力がちょっと足りないのでしょうか…。―――大里 暁子
 *視労協がもっと大きな会になる方法を考えた方がいいと思います。いっしょになれるように、話合いをしたらどうかと思います。――――沢良木 正雄
 *地平100号おめでとう。みんなの思いが、積み重なってここまで来たのですね。この先もきっと、みんないっしょに頑張れますように。――――沢良木栄美子
 *地平100号おめでとう。あと25年で200号。それまで、みんな元気で頑張ろう―――白男川久夫
 挿絵省略

p13
 100号記念企画
 視労協いろはかるた(校正者注:「視労協いろはかるた」太字)
 ハレンチ・差別・逆差別・主張・ナンセンスなどなど様々な世紀末がいろはがるたを飾る。読者の皆さんはどう解釈しどう受け止めますか?!
 いれ歯 義眼・補聴器・白い杖の視覚障害者
 ろじょう駐車 そこのけそこのけあんまが通る
 はり・きゅうを 医療といってあんまで稼ぎ
 にんげんの 仮面をください障害者にも
 ほ一むれす 昼寝の顔に白い杖
 へいわの鐘 鳴らすのはもはや2世
 とおくの障害者より 近くの健常者
 とおくの家族より 近くの青い芝

p14
 ちきゅうの ごみ箱・月の核燃料処理場
 りっちだと 年金おろし赤ぢょうちん
 ぬすっとに 盗聴法案
 るーるだと!? 1人通勤1人勤務
 われら自身の声をいう 自信のない声
 かいてんの すしを食べる視覚障害者
 よる10時 音響信号機の眠る時
 たまりません 差別語の雨と年金預金
 れつを 乱す障害児が通う普通学校
 そくばくと 自由の間の不自由な鎖
 つないでも すぐに切れるヒューマンチェーン
 ねたっきり 障害者・老人介護保険
 なんでもない 障害者 

p15
 らいせんす 奪われてしまったあはき免許
 むかし革命 いま恥かくめい
 うまれても 障害者人口1人
 のんでも のれる車椅子
 おおどおり 渡る世間は鬼ばかり
 くずれおちる 地震の後の施設送り
 やまとんちゅう いわれるほどの痛みうす
 まえむきに 歩こうとする障害を持つカニ
 まてば青 歩けば赤の音なし信号
 けっかくじょうこう 無くしてしまって健常者?
 ふじゆうを 自由に使う視覚障害者
 こうのとり 障害児だけはわざと抜き
 えりくびを 掴めぬいらだちみぎのてひだり

p16
 てでてにふれる 全てを揉みだすあんまさん
 あんまさんと 今は呼ばれる正眼者
 あいた目に 義眼
 さする彫刻 拭く友人の袖
 きつい差別より 気付かない差別
 ゆうめいじん 障害者は健常者
 めずらしい 誘導用ブロック転落死
 みんなでわたる 障害者一本橋
 しぬこと 生きること法の手の中
 ひもじさも 措置から契約
 もうがっこう 正眼者も生徒数
 せいくらべ 知恵くらべ障害くらべ
 すぐさわる 視覚障害者肩揉みあいさつ (ま)

p17
 視労協が視労協であるために(三)
 宮 昭夫
 (1)
 視労協は21世紀に何をするのだろうか? 何ができるのだろうか?そして私自身は何ができるのだろうか?
 視労協は98年の解散提起を乗り越えて再生した。そして、視労協存続を強く望んだ人たちの頑張りと努力で、今新たな一歩を踏み出そうとしている。
 私自身は正直のところ、解散提起があったときそれならそれでいいと思った。視労協は確かに一つの時代を開き、一定の役割を果たした。自治体職員や教員採用試験の点字受験への道を開いた。障害者解放運動の中に視覚障害者の立場で参加し続けた。そしていろんな意見や思いはあるとしても、一人の視覚障害者を参議院議員に送り出した。
 そして今、時代が変わり、人が替わり、それぞれの立場が変わって行く中、一区切りをつけた新しい出発も、それはそれでいいと思っていた。しかし、視労協の存続を真剣に願う人がいる以上、その思いを生かせるものなら生かしたいと思った。私の視労協に対する態度は、そんな寛容とあいまいの間のあやふやなものだった。
 (2)
 おそらく、21世紀になったからといって私たちを取り巻く状況に目立った変化はないだろう。視覚障害者の多くが孤立した狭い範囲の中での暮らしを強いられ、読んだり書いたりする方法で日々苦労しているだろう。車の洪水や危険な駅のホームなどで、命の危険にさらされているだろう。買い物や旅行や病院への通院など、生活のあらゆる場面で様々なかたちのバリアにぶつかっていることだろう。
 (3)
 そうしたバリアの中でも、労働問題は特に解決が困難な課題の一つにちがいない。視労協は、確かに視覚障害者の働く機会を大きく拡げる第一歩に貢献した。自治体職員や教員採用試験の点字受験を認めさせたことは紛れもない前進だった。だがそれは、労働問題というより人権問題と言ったほうがいい課題だったかもしれない。 

p18
 障害者が社会のあらゆる場面で健常者と共に働いていくためには、どんな働き方が可能なのか?また一歩進んで、どんな働き方を提起していくべきなのか?たぶん21世紀の、いやそれよりさらに先の人間にとっての労働というものを考えるとき、障害者にとっての労働の意味を考えることは大いに示唆に富むものかもしれない。もちろんもっと現実的な場面に即して言えば、常に出来るだけ多くの視覚障害者に、働く機会と場を勝ち取っていかなければならない。
 (4)
 多くの視覚障害者の働く機会ということになれば、現在でも(そしておそらく21世紀に入っても) 、あんま・はり・灸師(以下、あはき師と略す)の問題が最も重要な問題である。幼い頃からの視覚障害者にとっては、今でもこの仕事はほとんど唯一の職業だと言ってもいい。
 20世紀に入った頃、そろそろ状況が厳しくなりつつあったとはいえ、なおこの業界において視覚障害者は7、80%を占めていた。あはきを好むと好まざるとを問わず、「盲人の職業」だった。ところが戦後になると、この職業は急速に変化する。あれよあれよという間に視覚障害者は50%を割り、40%を割り込み、今ややっと30%を維持している状況である。特に首都圏などでは、実質的には10%前後にまで追いつめられ、明らかに少数派に転落してしまった。職業選択の自由が拡大して、いわば唯一の職業たるあはきから解放されてそうなったのならともかく、職業選択のほうは相変わらずのお預けのままでこうした状況に追いつめられているのだ。
 (5)
 そうした状況に追い打ちをかけるように、今年になって新たに9校ものはり灸師の養成学校が新設の申請をした。9校もの学校が一挙に申請を出すなどということは、かつて一度もなかった。そもそも、1964年あんま師等法に視覚障害者の生活を守るため19条の規定が設けられて以来、若干の例外を除いてあはき師養成学校の新設は原則として認めない方向にあった。19条の規定というのは、要約すれば「視覚障害者の生活に著しい困難をもたらすおそれのある場合はあんまマッサージ指圧師の養成学校の新設を承認しないことができる」というものである。はり灸師の学校については法律で触れてはいないが、実際にははり灸についても19条の精神を生かすかたちで学校の新設は押さえられてきた。
 ところが昨年、福岡で柔道整復師の養成学校を新設しようとしたケース

p19
に対し厚生省が申請を却下した件について、当事者が裁判に訴え、福岡地裁で勝訴してしまった。19条の規定にもなく、合理的根拠もなく柔道整復師の学校の新設の申請を承認しないのは、憲法に保障された職業選択の自由を侵害するおそれがあるという判決で、厚生省は控訴をあきらめ、この判決が確定した。
 これは、新たにあはき関係の学校を作ろうとしている者には画期的な判決だった。柔道整復師の学校で認められたことは、はり灸師の学校でも認められるはずだからである。なぜなら19条で規制しているのは、あんまマッサージ指圧師の学校についてだけだからである。つまり、書類さえちゃんと揃っていれば、今後厚生省の権限で学校の新設を差し止めることは出来ないはずだからである。
 (6)
 確かにこれは大問題だ。そして、問題解決のためにははり灸も19条の中に入れるしかないという結論で、そのための請願行動が展開されている。視労協もそれに参加している。しかし、業界や盲界の識者の一部に、そうした運動では一般の理解が得られないとか、視覚障害者があはきを独占しようとしているように思われマイナスが大きいという批判がある。正直のところ私も、はり灸も19条に含めるという運動で問題が根本的に解決するとは思わない。むしろ、もっと過激な要求をしてもいいと思っている。
 たとえば、雇用促進法とあんま師等法19条の規定について、どちらがより広く実質的に職業選択の自由を侵害しているか考えてみればいい。現在、年間二千人強のあはき師が新たに誕生している。19条の規制によって多少養成施設の申請が押さえられたからといって、実際にそのことによって職業選択の自由が侵害されている人々がどの程度いるだろうか?多く見積もっても何百人の単位のことだろう。(もちろんそのことが「大問題」なのは私たち視覚障害者にとってなのである)。
 一方、雇用促進法が対象とする範囲はそれとは桁違いである。国・地方自治体・中程度以上の民間企業について、1.8とか2.0とかの雇用率を義務づけている。すなわち、それに見合うだけの健常者の職業選択の自由を実際に侵害していると言える。その雇用促進法が公共の利益のために認められるのなら、あはき業においても19条の規定以上の、もっと具体的で実質的な優先措置が認められても憲法違反とは言い切れないはずではないか。

p20
 (7)
 かつて、あんまマッサージ指圧師については、60%(6%ではない)は視覚障害者を雇わなければならないという労働省告示があった。しかし、これは強力な例外規定によって、実質的には何の意味もなさないものだった。そして、確か10年くらい前に完全に廃止された。今こそ私は、こうした観点に立った新たな労働省告示を勝ち取るべきだと思う。国や地方公共団体は積極的にヘルスキーパーとしての視覚障害者を雇用すべきである。民間の活力に期待するというのなら、現在、障害者の雇用に際して一年半を限って交付されている助成金を、視覚障害者のあはき師についてはせめて5、6年間認めるとか (ヒューマンアシスタントの場合、3年が10年に延長された)、共同経営や協同組合などによる治療師や治療院のネットワーク化を経済的に助成するとか、我々が要求すべきことはたくさんある。そういう意味から言って、はり灸も19条に組み入れろというのは、わがままな要求どころか控えめすぎる要求だと言ってもいいかもしれない。
 視労協がこうした課題にどんなスタンスで、どんな方法で取り組めるか?私自身の怠慢と力不足も含めて、現状は厳しい。しかし、視労協が視労協であるためには、この課題との格闘も避けて通れないものだろう。
 挿絵省略

p21
 あんなこんな視労協
 〜視労協らしくを取り戻すために〜
 的野碩郎
 1
 いま最も中心的課題は3つあります。1つは東京都障害者福祉会館の民営化反対の運動。2つ目は都営三田線のホームゲート設置にかかわる諸問題、また日比谷公園点検に続く第2・第3の公園点検、さらには会員の通勤路における国道の横断歩道に関する緊急的な点検と要望。3つ目は機関紙「障害の地平」100号をむかえる為の特別企画作り、そして25年という結成からの歩みのイベント化です。
 もちろんその他にも柔道整復師養成学校の新設や増設を巡る反対運動や東京都が打ち出してきている障害者公務員の合理化問題。障害を持ちながら教壇に立ち続ける先生たちの保障問題といったようにどれもこれもとてもおろそかに出来るものではありません。しかし相変わらずの担い手が活動を組んでいくにはおのずと限界があります。それぞれの力量も経験も違う中でここまできたということは僕自身それなりの評価をしています。自画自賛ということではまったくありませんが、足下のおぼつかない道をまだ前向きに歩き続けていること、確かに少しずつ変わっていることを僕は感じています。もちろん、それと裏腹に「おぼつかない足下」にどんな悪夢が待ち構えているのか、グシャッと崩れてしまうかもという危険性は常にあると思っています。
 いま取り組んでいる中心的課題を報告する前にどうしてもふれておきたい

p22
ことがあります。それは国会の動きです。視労協は特定な政党を支持しているわけではないのですが(読者の中にはそのことをえらく誤解している人がいるように思いますが!?)自民党・自由党・公明党の三党の結託で次から次へと法案が、とても重大な国民に十分問わなければならないような法案が次から次へと通っていってしまうことにとても腹立たしく思います。「ガイドライン」「盗聴法」「国民総背番号制」「日の丸・君が代」といった法案以外にも想像も出来ないほどの多くの法案がすんなりと通っていってしまっています。確かに僕たちが1票を投じた国民の代表には違いありませんが、僕自身とても納得いきません。そうでなくても国会の閉会時には僕たちにとって大事な法案・自分から調べなければどんな法案が通っているのか分からない大事な法案が数多く通過しているとのことです。この腹立たしさを今どうすればいいのか分かりませんが、数の論理や党利党略という暴力が障害者運動に持ち込まれないようにましてや視労協がそうでないようにそうならないように自分を戒めたいものです。
 報告にいく前にもう1つふれておきたいことは8月15日がこの原稿が載る機関紙印刷日であることから、8月6日の広島・8月9日の長崎、そして8月15日の終戦日(敗戦日)と重なることです。視覚労協の歴史の中には反核の集会や大会決議など一定の行動を展開しました。戦争を許さないことや核廃絶の運動はとぎれてはいけないことだた思います。もう一度学習や行動を取り戻す必要性があるのではないでしょうか。前に述べたように視労協には主義・主張に縛りはありませんが、反差別を掲げている以上、反戦反核との接点は大いにあると僕は思います。この時期にそれぞれの内で考えていただければと敢えて紙面をさきました。
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 さて、視労協の課題の1つ目である東京都障害者福祉会館の民営化反対の運動について報告します。

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 今年の利用者懇談会(利用者がどんなことに困っているのか、あるいは会館がどんな企画を実行しようとしているのかなどを含めての意見交換の場)は3月に開かれました。その会場で反対ビラが撒かれたり反対の主張がありました。このことが発端となり「視労協」と「グループ・飛躍」(旧視障学生会)と「東京都視力障害者の生活と権利を守る会」(東視協)の3団体が呼びかけとして打ち合わせ会を数回、利用者へ呼びかけて2度集会を持ちました。200以上ある利用者の団体ですが、住所が手に入らず80きょうの団体の呼びかけとなったり、会館利用抽選日を利用してのビラ撒きだったりと四苦八苦の状態もあったり、交渉先の福祉局の窓口が開かなかったり、呼びかけ3団体の打ち合わせに、食い違いがあったりと様々な大変さはありますが、視労協的には今後情報収集や要望書出しや署名といった展開になると思います。会館だけではなく石原都知事のもと数十の福祉施設などが民間に委託される方向のようです。会館は来年4月に向けて引受先や内容の詰めに入っています。有料化はもちろんサービスの低下はもとより様々な問題が生じることはいうまでもありません。読者の皆さんぜひ注目を!!
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 2つ目の課題はやはり「まちづくり」です。日比谷公園の触地図案内板がそれなりの予算でついにつきました。視労協も幾度となく議論もし点検もし立体コピーも修正しと展開してきましたが、何か今一つすっきりしないというのが実感です。誰にも分かる誰にも使える、そして目的地に確かに行けるものとしての職地図案内板とは何かという最も大事なテーマに向かってどんな苦労を重ねなければならないのかが問われます。予算に追われ、納期の日付に追われ、点検や確認する視覚障害者の数に追われ、障害者と健常者が共に生きるまちづくりの本質を見失わないようにしなければと深く思いを刻んだ次第です。定例会やワーキングの中で本音で議論しなければなりません。
 ゆとりを持って!!

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 ホームゲートの交渉もそろそろしなければなりません。行政の計画は予算を見積もり日付を設定し、その枠の中で設計や監修や納期が決まってくるので、どこの業者に依頼されその業者がどんな障害者に相談や監修をしてもらいという力関係やかけひきという上っ面だけが大事にされてしまうような気がします。僕たち障害者側もこのことは頭において取り組まなければと強く思うものです。都営三田線のホームゲートとそれにつながる視覚障害者誘導用ブロック・近々交通局との間で交渉となります。会員には通信をもって取り組みの報告は出来ますが、読者の皆さんも会員になられてよりきめ細かい情報を手に入れてください。
 日比谷公園に続いて都内のいくつかの公園の点検活動が始まりました。楽しみながら活動したいものです。さらに会員の通勤路における国道に音響式信号機を付ける為の点検と要望書を作りました。信号機のある場所は5車線の横断歩道で一気にわたるにも無理があります。このことをきっかけに会員の通勤路にある区道、国道、駅、信号(警察)と所属する教育委員会や学校長宛に危険箇所や訂正箇所の写真を要望書に現段階での提言(視覚障害者用誘導ブロックと音響式信号)を添えてかく関係機関に提出しました。
 まちづくりは公園と駅とまちなかという具合に対象が広がってきましたが、展開におのずと限界があります。基本的なところで考えを定めていかなければなりません。膨大な行政の資料の分析と反論や地道なデータ作りと障害者からの提言を繰り広げなければなりません。その為にも「まちづくり通信」の積極的な発行が大事だと思います。機関紙「障害の地平」と同じようにぜひ読んで大大運動にしましょう。
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 機関紙はこれが99号で次号が100号となります。今号でも100号記念企画を立てました。振り返ってみれば初期の号ではもろ活動報告が中心となっていました。事務局からの基調も毎号載っていました。一丸となって視

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労協が動いていたのがよく分かりましたが、今は読み物という色合いが濃くなっています。主義・主張がぴったりと重なっていたその頃からみれば、考え方や経験数などばらけた今ではどこをターゲットにしているのかよく分からないところがあります。それでもそこに流れる思想は変えたくないという僕がいることだけは確かです。ちょっと偉そうですが。
 10月26日がくると25年目に突入します。機関紙同様その歴史が重くふりかかってきます。
 25年100号イベントを企画しました。当初、発足した10月を考えていましたが、準備が追いついていかないことがはっきりしたので2000年2月を予定しています。組合の皆さん、障害者の皆さん、そして会員の皆さん、2月7日(日)ぜひ参加されるよう御協力お願いします。また、このイベントを成功させる為にカンパのお願いをせざるを得ません。あわせて御協力いただければと思います。
 視労協の役目は視覚障害者仲間での革新的立場をもち続けていることです。今の視労協にそのことが伝えられつながった形で活動がなされているのかといえばやや不安なところもあるように思えます。それでも100号を機に、25年を機に21世紀へと踏み出す覚悟です。
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 視労協の三療問題への取り組みは本当に歩みの遅いものになっています。会員の開業者の中には世間の不況の影響をもろにうけ、常連の患者さんの治療回数が減り1回きりの人も我慢をしてしまうという厳しい実態があるようです。助けとなるはずの地域振興券も意味を成さないものになっているようです。特別養護老人ホームのマッサージの立場の勉強会や正眼者の按摩・はり・きゅう養成学校の新設やはり・きゅう科の増設に対する全国的反対運動への参加とそれなりの動きはありますが、手作りの運動が相変わらず作れずにいます。厳しい実態があるにもかかわらず動けません。問題に立ち向かう

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怒りや差別を追及する意識が薄れたとは思いたくありませんが、力量は力量として認めた中から形ある動きを摸索したいと思います。僕自身の中にある思いが呻き声を上げているように思います。
 少なくとも、国家試験からはみ出した人や開業しても悲鳴を上げている人、病院に勤め続けられない人・リストラにあった人など三療を取り巻く技術論や法改正論や教育課程の見直し論からはじかれはみ出し置いてきぼりをくった人達に度のような生活の道があるのでしょうか。必ず底辺の部分に境界線が引かれ、捨ててしまったり押し込んだりすることは視労協はいや僕はしたくありません。間違いなく、三療に従事する視覚障害者は正眼者が増え続けるに対して反比例しているようです。重複化する障害や少子科、三療離れといっそう拍車をかけています。いつか視覚障害者による三療業は貴重なものになるのかもしれませんが、だからといってい今を大事にしないというわけにはいきません。
 実態を知る通信作りやネットワーク、行政の姿勢の分析(医療体系を含め)などなど広範囲なつながりが急務と思います。
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 障害を持つ教員問題では文部省との話し合いをもちましたが、相変わらず30分の交渉時間や年間1、2回の交渉回数という姿勢は変わっていませんし、解答も「任命賢者としての教育委員会」という逃げ場も変わっていませんでした。研修という形で各都道府県の係長などを集めた中で障害を持つ教員の実状紹介はしているとのことでそれなりの指導は行っているという含みのあった回答もあり、都道府県レベルの交渉の中でどのように使うかが大事なところです。
 全障連大会の教育分科会の中で盲聾養護学校義務化20年というテーマにも上がりましたが、障害を持つ教員同様、障害児も一定普通校へ入っている事実はありますが文部省の姿勢としてはいまだ分離教育の推進となっていま

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す。現場教師を含め、日教組を巻き込むネットワーク作りとして展開出来ればと強く思いました。
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 視労協らしさを取り戻す為に反戦反核・民営化反対の旗印を掲げることや障害者自身によるまちづくり・三療問題・教育問題という難題に真正面から取り組んでいかなければなりません。それには迷わず現段階における視労協の立場をはっきりさせることだと思います。現に「まちづくり通信」が視労協や視覚障害者の立場にたちきって書かれていることでそれなりの興味を持っていただいていますし、通勤路の安全確保のために所属の教育委員会に呼びかけをしたり提言をしたりということも意義深いものと思います。
 視覚や聴覚障害者の情報はなかなか肢体や精神や知的障害者の仲間には入りずらくなっているように見えます。今、我ら自身の声を我らの仲間を含む全ての差別とたたかう人達に送り込みましょう。それにはデータの蓄積や分析、資料収集から討論の場へ、そして提起・提言と進みたいと思います。読者の御支援御協力をお願い致します。

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 夏期カンパ会費納入のお願い(校正者注:「夏期カンパ会費納入のお願い」太字)
 再三お知らせしていますが、機関紙「障害の地平」100号、結成25年という二重の節目を視労協としてどう位置付けていくのかが強く問われているときです。もちろんこれをバネとしてさらなる飛躍へという思いはありますが、それとともに視覚障害者の一翼をどう担うのかが問われているところだと思います。
 来年は2000年。DPIの日本での世界会議は2002年と、ある種気合いを入れて取り組むべき時期とも重なります。
 記念のイベントや視労協年表作りなども企画され、いま着々と準備が重ねられているところです。皆さま方にもぜひご出席いただきますようお願い致します。
 あわせて会費4800円・定期購読費880円もよろしくお願い致します。
 同封の振り込み用紙に会費・定期購読費・カンパなど明記のうえ御協力お願い致します。
 挿絵省略

裏表紙の裏
 編集後記
 あつ〜い夏、99号を出すことが出来ました。住所が分からずに事務局に戻ってくるものも少なくありません。読者の皆さんのお力をお借りして、確かな名簿作りをしたいと思っています。ぜひ御協力ください!!
 また、25年100号記念を機に新会員の登場もお待ちしています。
 さて、100号どんなものが出来ますかお楽しみに…。(ま)(校正者注:「お楽しみに」太字)

 訂正とお詫び
 前号98号の「はり・きゅう科新設反対運動に参加して」という文章の中に一部事実関係に誤りのある記述がありました。
 その文は次のとうりです。「福岡の柔道整復師養成学校がはり・きゅう科新設の申請を出し、行政は不指定処分としました。それに対し福岡地裁は法に規定されていない拡大解釈であるとして取り消しを命じました。」実際に福岡地裁で争われたのははり・きゅう科の問題ではなく、柔整師の養成学校の新設に関する問題でした。はり・きゅう科の新設はその後、いわばその裁判での勝利を利用する形で申請されたものです。裁判の結果からみてはり・きゅう科についても厚生省は認めざるを得ないだろうというのが大方のみかたですが、7月21日現在、まだ正式に書任されていないということです。明らかに誤りのある記述をそのままのせてしまったことについて今後、編集方法を考える必要があると思います。以上訂正してお詫び致します。

裏表紙(奥付)
 1999年8月15日
 定価200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 東京都練馬区東大泉6ー34ー28
 陵雲閣マンション403
 的野碩郎気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6ー26ー21
 視覚障害者労働問題協議会



■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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