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『障害の地平』No.94、95合併号

視覚障害者労働問題協議会 編 1998?? SSK通巻第1241号;身体障害者定期刊行物協会,28p.

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last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 1998?? 『障害の地平』第94、95合併号,SSK通巻第1241号;身体障害者定期刊行物協会,28p. ds. v01

■全文

表紙
 SSKー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 ー視労協ー
 障害の地平 No.94・95
 特集 町づくり
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九 年 月五日発行SSK通巻一二四一号

障害の地平94/95合併号
 もくじ
 視労協再びの出会い‥‥‥親労協事務局ご挨拶…1
 視覚障害者と晴眼者が協力できるまちづくり…2
 東京・女学館短期大学 麦倉 哲
 プラットホーム転落防止柵について思う   
 加藤 茂樹…6
 視覚に障害を持つ人をすべての部署に 江見 英一…8
 「福祉のまちづくり」〜新しい試み  江見 英一…10
 まち 自由と安全の交差点      宮  昭夫…13
 わたしと視労協のまちづくりは今…  森 登美江…17
 解散から存続へ、そして生きる   的野 碩郎…21
 編集後記

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 視労協再びのご案内
 視労協事務局
 夏本番、会員並びに定期購読者の皆さん、そして友好団体の皆さん、益々ご活躍のことと推察致します。
 さて、この度5月10目の臨時総会におきまして視労協の再出発を決意し、新事務局体制のもと、歩みを再開致しました。皆さん方には多大なご迷惑、ご心配をおかけ致しましたこと大変申し訳けありません。この紙面を借りて深くお詫び致します。どのような形で生まれ変わるにせよ、皆さん方のご協力並びにご指導なしでは再生はありません。今後共、今まで同様、ご支援を頂きますよう心よりお願い申しあげます。
 尚、再出発のごあいさつが遅れましたこと、大変申し訳なく思います。また、再出発の折、事務局が下記の場所に移りましたのであわせてご連絡させていただきます。
 1998年7月12日
 事務局 東京都練馬区東大泉6ー34ー28
 陵雲閣マンション105
 的野気付
 03ー3925ー3522

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 視覚障害者と晴眼者とが協同で提案できるまちづくりを
 東京女学館短期大学 麦倉 哲
 ◆まちづくり過程を見直そう
 障害者と健常者とが、現状をみつめ、たえず改善提案していくスタイルのまちづくりを、今後さらに強力に推し進めていく必要がある。視覚障害者に限定してみれば、視覚障害者と晴眼者とが協力し、感性を交換し叡智を高めて、よりベターな社会を構築していく必要がある。
 しかしそのためには、今あるまちづくりのしくみを根本的に転換していかなければならないというのも、理念で語られるほどには、障害者の政策参加は進んでおらず、健常者との連携もうまく機能していない。
 ◆社会参加と移動
 障害をもつことが社会参加の制約になることではなく、むしろそのことで不利が生じないように社会が保障していかなければならない。教育の場や職業の場など参加の保障も当然であるが、自由に外出行動をとるための移動する自由がすべての人に保障されているとはいえないことが根本的問題のひとつである。そこで、移動の問題点を中心に考える。
 移動の権利を保障するためには、それを阻害する現状の問題点を・取り除かれるべきバリアとして絶えず把握し、打開策を検討していく必要がある。
 ◆情報障害とは
 視覚障害は情報障害に入るとされる。これは、情報を摂取する方法や形態が限定されているということではなく、障害をもった人が、社会参加するうえで、必要な情報をえられないということである。例えば、視覚障害者が移動する時には、環境を認知しつつ行動をとるのであり、この原理は晴眼者と変わらない。しかしながら、この環境を認知するための情報を摂取することにおいて、晴眼者と比べ社会的に不利に扱われている。
 たとえば、駅での切符購入や、自動改札口、さらには、駅ホーム場で

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の移動である。晴眼者が視力でボタンを選択し、視力で確認し切符を流し込み受け取る。しかしながら、視覚障害者にはそうした動作をとるための情報が提供されることがないか、ごくわずかしか提供されていない。また、晴眼者がホームの縁を危険空間と認知し移動するのに比べて、視覚障害者が危険空間を認知するための情報がきわめて限定されている。視覚障害者が駅で立ち往生したり、ホームから転落したりするのは、こうした情報提供の制約を、社会の側が視覚障害者の側に強いているからである。こうした事態こそが情報障害なのである。
 ◆移動の権利の保障
 移動の権利を保障し、バリアをなくすための基本要素は4つあげられる。@利用可能性、A安全性、B快適性、C連続性である、各要素の質を高めるためには、それを実現するための基準の設定が不可欠である。そして、こうした基準づくりのための政策参加がなされなければならない。じっさい、この政策過程への当事者参加は、国連の完全参加と平等の理念のなかに含まれているから、当然のことなのである。
 ◆中途半端な当事者参加ではだめ
 そういうこともあってか、福祉のまちづくりを検討する審議会等のメンバーの中に、障害者枠を設けるということも一部では進められている。しかしながら、これにもまだまだ問題がある。当事者参加とうたわれる場合でもその内実は、障害種別の代表者がそれぞれ一人はいるという形が多い。しかしながら、障害当事者の特定の一人が障害種別の代表をつとめるのは難しい。他の種の障害者もそうだろうが、おそらく、視覚障害者の場合とくに難しいだろう。というのも、視覚障害者の歩行方法は多様であり、誰彼の個人的な歩行方法から要求できる内容が、他の多くの人に当てはまるとは容易に言えないからだ。
 だから、現在取り組むべきことは、歩行方法の多様性をつかみ、そのすべてに当てはまる共通基準を検討することであり、また、より望ましい歩行方法や技術が打ち出されたならば、その方法や技術を普及することである。
 ◆視覚障害者と晴眼者との連携

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 こうした検討の際には、健常者と視覚障害者との連携が必要である。どちらも特定の感性に優れ、それぞれの特性をもとに叡智を磨いてきたわけだから、交換し高め合う意義は大きい。例えば、バリアの認知を視覚障害者の感性で認知し、それをもとに晴眼者がその問題特性を分析する、さらに視覚障害者が自分の認知と晴眼者の分析結果を総合する。両者のやりとりの中で、解決策を編み出していくというものである。
 これまでの問題点の一つは、健常者が主導権をもって障害者の歩行体験調査をしたり、ヒアリングを実施する方法である。こうした方法では、検討が一定の段階に進むと、検討の主体から障害者が除かれてしまうことがしばしばである。
 検討のただなかでも、視覚障害者と晴眼者とは、感覚や知恵を補い合う必要がある。視覚障害者の歩行の安全を実現するための基準づくりにおいても、両者相互の検討が不可欠である。
 ◆3段階の参加が不可欠
 他方で、参加の範囲は、@福祉のまちづくりにおける基準づくりの段階だけでなく、A基準をもとにまちづくりを計画立案する過程における政策参加も必要であり、さらには、B現状の問題点(バリア)を発見する日常的検討過程における参加もとても重要である。
 東京都の福祉のまちづくり条例に関しては、整備基準づくりの検討過程において、ごく一部の当事者のみを参加させた。問題は、一部の者しか参加できなかったこと、そして検討の3段階のうち、最初の基準づくりの過程にのみ、参加させたことである。これは、私が提案している、障害者と健常者が感性と叡智を交換し高め合うという水準には程遠いし、しかも単発に終わってしまっている。計画立案過程や問題発見調査過程では、参加機会・検討機会そのものが見られないし、とりわけ、現状の問題点把握の調査に至っては、まったく取り組まれていない。
 ◆障害者と健常者とがともに参加できるしくみをつくろう
 かくして、障害者福祉の理念が普及しても理念倒れ、基準をつくっても履行されてない、基準倒れ、資本投資下しても有効性のない資本投下倒れになりかねない現状がある。多様な視覚障害者が政策参加できる方法を、

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 そして健常者が障害者と協同して検討できる方法を今こそ構築する必要がある。
 東京都の福祉のまちづくり整備基準では、視覚障害者を念頭においた基準そのものが少なくしかも適応範囲が限定的である。他方で、阪神大震災の被災地の復興駅で、ホームにおける安全対策が質的に向上していない、端的にいえば、ホーム柵対策が抜け落ちているのは、視覚障害者はじめ障害者の政策参加が非常に弱くかつ限定的な証拠であり、健常者・晴眼者との連携のかたちが整っていない現状の反映である。

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 プラットホーム転落防止柵について思う
 加藤茂樹
 この頃JR山手線をはじめ中央線などでの事故の話を耳にする。中でも人身事故によるものが目立っているように思う。
 ひとたび事故が発生すればその及ぼす影響は大変なものである。事情によっては、高額な損害賠償まで本人や家族に対して請求されることもあると聞いている。
 このような大事故につながる、ホームからの転落や電車との接触などを防ぐ一つの手段として、プラットホーム上の転落防止柵について書きたいと思う。
 去る1月25日の午前中に、都下、国立にあるJRの研究所で行われた転落防止柵に関する実験に参加した。実験場所には、板のプラットホームと扉を開けて停車中の列車を模した小屋が設置され、プラットホームには誘導ブロックが敷かれ、縁から20センチメートル内側に手すりが設けられていた。柵は高さ120センチメートル、扉の位置には220センチメートルと250センチメートル、300センチメートルの間隔があけられている。
 実験は、プラットホームを横断して扉から乗り込む、一つの扉から指定された他の扉に移る、プラットホームを縦断して歩行する、などの項目がなされた。最後に全員で感想や意見などが話し合われた。
 話し合いでは、細かいことから書いていくと、まず、扉部分に当たる柵の間隔について質問があり、列車によって停車位置にずれが生じることと、一つの路線の中でも必ずしも車両が統一されておらず扉の位置にずれがあるため最低280センチメートルが必要であるとのこと。また、取り付け位置が縁ぎわではなく縁から20センチメートルというのは、この程度は最低さげないと、手すり代わりに寄り掛かっていると走行して来た列車に接触してしまうのを防ぐためであるとのこと。列車が入線していないさいに閉じるようにできないかとの意見に対しては、経費の問題と、故障などのことから現状では無理であるとのことでした。

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防止柵の是非についても意見が出された。
 理想を言えばやはりプラットホームを壁で囲み、扉はエレベーターのような物がよいと思うが、前述の理由などから開閉式の柵の設置は難しいので、扉の部分の切れた物にならざるをえない。このような中途半端な柵を設置する事については、不要という意見では、たとえ一部に柵が設置されても開いている部分がかなりある以上そこから出てしまう危険性が多分にあり、注意力に関する負担は変わりがなく、かえって無い方が負担が少ないとか。また、プラットホームを縦断歩行する際、混雑したりしている場合、誘導ブロックの外側歩行する時があり、柵が設置されるとこの部分にも人が居たりでやりにくく成るのではないか、などが出された。
 私はたとえ転落防止柵が中途半端な物であっても設置した方がよいと思う。プラットホームで歩行する場合は、基本的には誘導ブロックを利用するのであり、縁に沿って行くのはできるだけ避けるのが安全である。ブロックを利用するのが基本であるから柵が切れていてもさほど問題にはならないと思う。むしろブロックからはずれて縁を歩いていて、ちょっとそれ、柵の間から転落してしまう危険の方が多い。あくまでも誘導ブロックを利用し、それをわかりやすく、安全に敷くということが第一である。不完全な柵はあくまでも補助手段として考えた方がよい。
 しかし、例え間のあいている柵であっても、あると無いではやはり大きく違う。危険性があるなら精神的負担は同じで、むしろ無い方がよいという人もいるが、ほんの僅かでも危険が軽減するならば設置すべきである。10回に1回でも転落が防げればそれだけでかなりの成功である。とはいえ、1日も速くより安全安心な手段がこうじられ、もっと容易に外出できるようになるように、我々からの努力も必要であり、その日が到来するのを切に願っている。

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 視覚に障害を持つすべての部署に配属を
 自治労都職労バリアフリーへの取組
 江見英一
 (自治労都庁職病院支部)
 自治労都職労と我々障害者団体は去る3月29日(日)に「バリアフリーチェック」として都営12号線と練馬区役所などを点検した。
 当日は初夏を思わせる陽気となり、総勢80名が参加した。私は病院支部の障害者と友に参加した。
 始め都庁第1庁舎に集まって班分けをし、それから出発。まずは都営12号線の点検からである。点字ブロックを目印に都庁前駅へ向かう。まだ地下へおりる階段を見つける前に、点字ブロックに不備が見つかる。ブロック上にものが置いてあり通れなくなっている。その他階段の手すりにとりつけられている点字の案内が間違っているなど本当に利用する視覚障害者の立場を考慮して作っているとは思えない。
 やっとの思いで改札までたどり着くが切符売り場の点字表示も間違っている。また都庁前駅のホームは複雑で二つに分かれている。だからどちらに電車が入って来るか分からない。晴眼者であればホームへおりる前に電光掲示板で確認すれば良い。しかしそれが視覚障害者にとってはできない。
 これら総ての解決方法は簡単である。視覚障害を持った職員が一人いればすぐにチェックできるのだ。
 都営12号線は「バリアフリー宣言」を行っており、障害者や高齢者に優しい交通機関を目指している。しかしこの点検の結果バリアフリーへの努力は認められるものの今一歩のところで新たな「障害」を作っている。
 次に練馬駅をおりて練馬区庁舎へ向かう。駅を出てすぐ自転車の駐輪

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場がある。ここには点字ブロックのような視覚障害者に対する誘導システムなどは全くない。普通公共機関までには点字ブロックなり音声による誘導なりがあるはずだが練馬にはなかった。
 練馬区役所に着いて感じた事は都庁舎に似て大きく広いようだが、障害者に取ってはすごく使いにくいものになっている。つまり自分がどこにいて目的場所がどちらにあるのか全く知るすべが無い。
 この点検を通じて視覚に障害を持つ職員がそれぞれの部署に配置されていて、設計の段階から加わっていればこのようなミスはなかったはずだ。さらに言えばその設計の段階から障害者当事者が関わっていなければ真の「バリアフリー」ではない。できあがったものを障害者に与えるのではない。障害者とともに作り上げてこそ本当の意味での「バリアフリー」が実現する。
 現在行政は来る21世紀の高齢者人口の増大を受け、その大作として「介護保険」や「バリアフリーのまちづくり」を進めている。しかしどれもこれも後追いの製作であわてて整備を始めている。しかしあわてて作ったものには不備が多い。以前から障害者政策を「施設・分離主義」ではなく、「地域・強制主義」へ転換し、その製作を着実に実行していれば今更制度整備を慌てて取りかからなくても良かったはずだ。私達はこのような行政の過ちに習っては成らない。
 私達障害者と自治労都職労が行った「バリアフリー」への取組は今のまちづくりを点検するという事はもちろん、近い未来の町づくりを想像する活動でもある。もっといえばこれらの取り組みは労働運動の新しい分野の構築につながるものである。そして私たち行政よりももっと中身のある「バリアフリーの社会づくり」ができうる。なぜならそれは多くの障害当事者が自治労に加わり、生の声を聞かせてくれるからだ。

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 「福祉の町づくり」新しい試み
 江見英一
 私が入部して2年目に入った。生まれながら視覚に障害を持っている私に取って、現在の社会にはバリアがまだ多く存在している。ただ通勤に関して言うと、毎日通勤している経路には、最近ずいぶん慣れて来た気がする。そのせいか自分の頭の中で通勤経路がイメージ化され、約2時間と言う長い通勤時間をのぞけば、その他は安心して通勤できるようになってきた。
 さて障害ものにとっての「バリアフリー」や「福祉の町づくり」が叫ばれている昨今、大変興味あるイベントが行われたので個々で紹介したい。そのイベントと言うのは「都立公園におけるバリアフリーの実現に向けて」と言うものである。初夏の1日、都立日比谷公園を会場に視覚障害ものと晴眼もの(健常もの)がいっしょに公園内を散策する事によって、視覚障害ものが公園を利用する際どのような不便があるのか、それを改善して行く施策を障害当事ものから提案してもらおうというものである。
 公園と言うものは、一番身近に感じられる緑のオアシスでありながら、私達視覚障害ものに取って遠い存在であった。そのような場所が本当に使いやすくなるのかは、まだ未知数であるが是非とも改善して欲しい。
 それでは日比谷公園の散策に移ろう。参加者は約60名。それぞれ視覚障害ものと晴眼者が何人かで一つの班を作り園内を歩く。私の班は7人で構成され、私は手に立体コピー(日比谷公園内の地図を触れるように立体化したもの)を持ち、現在地を確認してから出発。まずは貸す未聞から音楽堂へ向かう。今日は何かコンサートがあるのだろうか、中からはバンドの演奏する音が聞こえてくる。その音楽堂のすぐ正面には数件の屋台が出ている。打っているものは、焼きそば、たこ焼きやら、以下焼き、飲み物は、ビールにウーロン茶、大きな声で呼び込みしている

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ので視覚障害ものに取っては大変便利である。
 この公園の道は、舗装されているところが多く歩きやすい。ただ排水などの関係で勾配がつけられており、真ん中は高く、両端の方にはくぼみができていて危険地帯になっている。視覚障害者は方向を確かめるため、杖(白状)で道の端を探って歩く事が多い。そのため、探る部分のくぼみは、歩くのに支障を来す事になる。 
 進んで行く内、だんだん花壇に近づいて来ている事が分かる。なぜなら、初夏の風に乗って端の甘い香りが運ばれて来るからである。そのにおいから察するにはバラに違いない。
 次に訪れたのが、公園内唯一のレストラン「末も徒労」である。個々にはオープンテラス席もあって、ちょうど私達のそばでは家族連れと思われる一組がランチを楽しんでいる。ここで一休み。近くにいる家族連れの音が耳から情報として入って来る。母親らしい人がまだ幼い子ども達に食事をさせている。子ども達はどうも落ちつかない様子でなかなか食事が進まない。父親はというと、こちらはそんな事におかまいなしで何か飲んでいる。コップをテーブルに置く音からそのコップは分厚くやや大きいジョッキのようである。それらから想像するに、飲んでいるものはビールであろう。なぜなら一口飲んでジョッキをテーブルに置いた時、さわやかな泡の音がした。やはりそうだ。
 あまり余談が多いので少し点検活動に関連した事を書くことにしよう。このレストランには点字ブロックや点字メニューなどは全くなかった。視覚障害ものの皆さんご注意を。
 最後に公園内にある会議室に総ての班が集まって、それぞれの報告と点検の結果について討論をして終了となった。その内容についてはまた機会があれば報告して見たい。
 ここで私が点検の様子を書いて来たように、視覚障害ものであっても音や感触で公園の散策を楽しむ事ができる。私達障害ものは、今まで役所や病院など本当に必要な部分に付いてのみ使いやすく成るように運動を展開して来た。しかし、私達にだって余暇時間を楽しむ権利がある。いやもっと言うなら、この町のどこへでも出かけて、どんな施設だって

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利用する権利がある。そしてそれを実現させようとしているのが「福祉の町づくり」なのだ。
 視労協会員募集中!!
 会費は、4,800円(年間)です。
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 点字 800円 (年間)
 墨字(活字) 880円(年間)

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 街=自由と安全の交差点
 宮昭夫
 1
 ゴールデンウイーク後半の5月4日と5日、私は、大阪、神戸、京都、尾張一宮を廻るハードな点検ツアーに参加させてもらった。この旅行スケジュールがハードだったということもあるが、参加したメンバーというのが、視覚障害者の誘導に関しては独特のクールなスタンスを持っておられる、福祉ウオッチングの会のm氏以外全員が白杖ないしは盲導犬の使用者という何やら危険で疲れそうな5人組だったのだ。もっとも、私はと言えば、交通費が出るというので二つ返事で引き受けたのが正直なところで、羽田に着くまで正確に何処に行くのをよく知らなかったくらいだから、どうこう言える筋合いではないのだ。
 2
 自慢じゃないが、私は飛行機に乗るのは今回でやっと2度目だ。カウンターから機内までの案内や機内での気の配り方など、さすがに高いお金を払うと違うもんだと関心したりする。しかし、そのうちどうもこの気の配り方はちょっとおおげさに言うと戒厳令の中でのもてなしといった雰囲気があることに気づかされる。そう言えば、飛行機に乗る前にはお決まりのボディーチェックがあり、それでも皆文句も言わないではないか。飛行機の中というのはまさしく戒厳令が発令されている区域なのだ。視覚障害者が勝手に機内で動き回って不測の事態が勃発するようなことがあってはならないのだ。
 しかし、ひとつ盲点があったことを注意しておこう。それは、トイレだ。あそこは、一人で入る所だし、どうやって水を流したらいいかわからなくて、やたらと押したり引っ張ったりしそうになる。せっかく点字の機内案内まで用意されているのだからガイドの付かない唯一の部分のことも忘れずに。
 我々は、無事関西空港に着陸した。どうやら戒厳令は、着陸して乗客が飛行機の外に出たところで解除されるものらしい。カウンターから飛行機に乗り込むまでの気の配り方と、飛行機を一歩出てからの気の配り方には差があるように思えたのは偶然だったのだろうか。
 ちょっと話はそれるが、最近の点字毎日にどこか私の印象に通じるような記事が出ていた。4歳と1歳の子供を連れた全盲の母親が離陸直前になって搭乗を拒否された。関西空港から高松へ向かうエアーニッポンでのこと。障害者は二人以上の幼児を同伴しては乗れないという規則だと言われたらしい。かなりがんばったそうだけれど、「乗客の中に子供の面倒をみてもいいという人が見つからないかぎりだめだ」と最終的につっぱねられ乗れなかった。
 「飛行機に乗る楽しみを、母親の目が見えないからというだけで奪われてしまった息子

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は、私に縋って号泣しました。幼な子を連れ地上の交通機関を利用することがいかに危険性の高いことなのか考慮した上での結果だろうか。形式的にでも乗務員の名前を借りて娘の世話をしたことにして乗せてもらえないかと頼んでも「緊急時を考えてのことですから」と受け入れてはもらえませんでした。」(点字毎日3895号)
 3
 話を我々の点検ツアーに戻そう。まず、最初に点検したのは、関西空港の対岸にある臨空公園だ。視覚障害者に配慮した模範的公園ということなのだが、さて実際は…。
 臨空公園は、岩や砂浜をあしらった人口の海辺と野外イベント用のスポット。ハーブや草花で覆われた緑のゾーンを組み合わせた、まあ最近の都会のウォーターフロントに流行りの公園といった感じ。主な見どころをつなぐ順路には、視覚障害者の誘導のためのラインが敷設されている。いわゆる点字ブロックではなくて直径3センチ程度の (かな?)の金属製のパイプである。予備知識なしに来た視覚障害者は多分最初のうちこれが誘導の為のものだと気がつかないかもしれない。もちろん、幅が狭いから若干探しにくいということもある。主な「見どころ」の前には、点字による案内板があり、ボタンを押すと音声による案内も流れる。順路の誘導ラインに沿って歩いていれば一応そこにたどり着くようにはなっている。
 そうした案内板のそばで我々がわいわいやっていると(いや、点検調査にいそしんでいると)久しぶりにまとまった数の視覚障害者の来園にうれしくなったのか、(それとも心配になったのか)公園の職員の方が駆けつけて下さり、熱心にガイド役を引き受けてくださった。彼は、この公園が視覚障害者のために用意していう新たなアイテムをたずさえておられた。それが、CDウォークマンのようなもので、各見どころの音声、案内をまとめてあり、ワンタッチでプレイバックしたり、先へ進めたり出来るようになっている。
 実際問題としては、我々は、両方の耳にイヤホンをつけて歩くことは余りやらないし、それほど役に立つかどうかは疑わしいが、全体を把握するための頭の整理には、役に立つかもしれない。それより彼には植物の名前を色々教えてもらったのが嬉しかった。
 誘導ブロックではなくて、誘導ラインを採用した理由については、いまいちよく分からない気がした。多分ここが公園だからだろう。
 4
 その日は神戸に一泊。次の日は、まず京都に向かった。神戸でも京都でも歩道に敷かれた点字ブロックについて問題点をチェックしたが、私は、どうもホーム以外の点字ブロックについて、なかなか関心が深まらないのと、もう2ヵ月も前のことなので記憶があやふやになりかけているので、かつあいさせてもらう。京都では、哲学の道と銀閣寺を中心に「点検」した。なぜ?(だかは、よくわからない)哲学の道というのは、流れに沿った細

p15
い2本の石畳の(と言うより、とびいし)の道である。流れとは言ったが、足元でサラサラと音をたてる深さ2、30センチの小川といったものを想像してはいけない。そんな長閑で安全なものではない。深さは2メートル位はあって、たいていは音もしない。さすが「哲学」の道だけに危険な深みと隣り合わせなのかなどと関心してはいられない。山道から、ともかく街中の普通の道路からいきなりこういう道に入るのは、ちょっと怖い。京都にはこうした風情のある危険な道が多いのだろうか?
 銀閣寺は太い竹の手すりでさりげなく視覚障害者は締め出してあるので、階段さえ気をつければ危険もないが触りどころもない。
 5
 立ちっぱなしの新幹線と普通列車を乗り継いで尾張一宮に着いたのは、もう夕方だった。(なんと勤勉な)。昨年末から今年の始めにかけて問題になったリーディングラインなるものを、遅ればせながら実地見聞に来たのだ。点字ブロックとは逆に道路に1センチ程度の溝を刻むことによって視覚障害者の誘導に使おうという試みだったらしい。結論からいえば、結局誰も見つけることができなかった。つまり誘導という意味は、全くないものだった。まあ、最初から点字ブロックのないただの歩道だと思えばそれほど腹も立たないというものだ。それくらい完璧に無意味なものだった。(もっとも靴を手に持って裸足で歩くとなんとか分かることは確認した。)私個人としては、ある程度の幅があって歩きやすく整備され、車道と歩道の区別が正確になっていれば、歩道に誘導ブロックは必須条件ではないと思っている。歩道の誘導ブロックが確実に有効なのは、ある具体的な建物にはっきり誘導している場合である。
 最近はゆとりある空間といったイメージが流行るせいか、歩道や建物の入口などに水をあしらう設計が多くなった。たいていごく浅いもので命の危険があるようなものではないが、たとえ15センチ程度でも、いきなり落ちればびっくりするし、靴やズボンがびしょ濡れになるのは嬉しくない。
 私は、あらゆる場所に画一的に点字ブロックを敷けばいいとは思わない。場所によってはさりげなく別な方法で視覚障害者の安全に配慮する方法はあると思う。花壇とか芝生、ガードレールとか生け垣といったものだって、作り方しだいでは邪魔で危険な障害物にもなるし、安全で潤いのある誘導や警告のサインにもなるはずだ。
 6
 歩道の誘導ブロックはいらないなどと書いた天罰か、4、5日前から右の耳が半分ほど聞こえなくなっている。もっと謙虚で人の痛みの分かる人間になるように神だか仏だかが「新たな試練」を与えているのかもしれない。(誰か、最近の子育てでは褒めるのが大事

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なんだと彼らに教えてやってくれ)。会話は、まあ今のところ何とかなるが、歩くのが大変だ。音は聞こえるが距離感と方向がつかめない。目の見える人は、我々は文字通りやみくもに歩いていると思っているかもしれないが、視覚障害者だって何も勇気と度胸のかたまりって訳じゃない。実際かなりのことが分かって歩いているのだ。そのうち詳しい体験を書くつもりだが、(いや、書きたくはないが)歩行に関する私の意見も変わるかもしれない。その節は、どうかあしからず。
 郵便はがき
 東京都千代田区永田町二ー三ー一総理官邸
 内閣総理大臣
 橋本 龍太郎 様
 日本国内閣総理大臣
 橋本龍太郎殿
 拝啓 参議院選挙の予想投票日が近づき日々暖かくなり初夏の訪れを感じ障害者・高齢者の社会参加もしやすくなる季節となりました。
 さてこの度、すべての人々の参政権と生存権を確保するために投票所の福祉環境の改善に向けて、関係機関に働きかけながら投票率の向上を目的として「投票しに行こうよ!キャンペーンの推進を図っていたところ自治省選挙部より5月15日に「参政権はお金次第である」との人権無視発言に対し、強く抗議し監督責任を明確にすることを要求いたします。                                    敬具
 メッセージ
 抗議人
 郵便番号〒
 住所
 氏名  

P17
 私と視労協のまちづくりは今
 視労協まちづくり担当:森 登美江
 1.私達がこれまで関わってきたまちづくりとは、主に鉄道駅の点検である。誰もが暮らしやすいまちづくりとは、安心して歩ける道路、快適に利用できる公共建物や商店、安全が保障されている鉄道駅や、様々な交通機関等、それらの設備面の改善そして最も大事なことは、地域の生活空間や職場内をはじめ、全ての生きる場での心の通い合う人間関係であると言える。その実現の為に自分が生きている場面を客観的に又、実感を持って見つめ表現し誰もが差別されない世の中に、今を変えていく努力を積み重ねることが、私達に求められていると思う。とこんな風に言葉では実感を持って言えるだろうか。障害者や高齢者、子供達や女性、そして世の中に根強く存在している排除意識に、悩まされ続けている人達など、今の社会が作りだした弱い立場の人達が、楽しく元気に心穏やかに生きられる世の中こそが、全ての人にとって生きやすいはずだという立場に立って活動を進めていくことが、視労協のまちづくりだと思っている。
 2.この7、8年鉄道駅のホームを点検してきて得た結論は、ホーム上に転落空間を一切作らないということである。電車が到着していない時には、ホーム全体が柵や壁で囲まれていて、ホームのどの位置にいても安全が、確保されていることである。東京の営団地下鉄・南北線・新都市交通「ゆりかもめ」などに見られるホームドアが、今ある物としては望まし方法だと考えられる。運輸省ではホーム棚に関する実験を、JR総合研究所に委託するなど考える姿勢はみせているものの、実験内容は非常にお粗末なもので、私達自身がしっかりとした共通認識をもって、早急に意見をぶつけていかないと、かえって危険を増すようなホーム棚が、あちこちに

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登場してこないとも限らない状況である。東急池上線や浜松町から羽田空港へのモノレールなどに見られるホーム棚では、棚を越えて線路側に入り込んでしまった時、センサーがチェックし、音声やランプなどて注意を促すといった方法をこうじているようだが、非常に不安定きわまりないものである。電車が停車していない時には、ドア位置も棚が閉まることにしない限り安全ではない。そして棚もどのようにするか(棚自体の太さや線路側に体や手が入り込まないようにするなど)慎重に考えて設置しなければ思わぬ危険を招かないとも限らないと思われるのである。
 3.視覚障害者用誘導ブロック (以下点字ブロック)について私達は多くの種類のものが様々な付設方法であちらこちらに付設されているのを点検によって知ってきた。初めのうちは色、形、材質を中心に調べていったが、そのうちにその他の条件によって触知度がかなり異なってくることがわかった。それは周囲の床面とのコントラストやブロックの基盤の高さ、点と点の感覚やそれぞれの点の高さなどである。誘導ブロック(以下線ブロック)においては30cm角に4本線のものが良いという視覚障害者の一定程度の共通認識が得られているようだが警告ブロック(以下点字:ブロック)については、まだ意見がまとまっていない実状である。私達は30cm角に25点、平点のものが触知度が高いという結果を得ているが先にも述べたように、周囲の床面とのコントラストや点の感覚高さによっては他の点字ブロックの中にも触知しやすいものがあるのも確かである。これまでの点検結果をまとめると次のような結果となる。
 (1)周囲の床面はタイルなどのメジのあるものや小石を敷き詰めたようなザラついたものは避ける。
 (2)ブロックの基盤は1ー2mm高くする。
 (3)点の高さは5mm以上。点と点の感覚は35ー40mm程度とする。
 (4)付設方法は溶着式は止め、埋込式とする。

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 (5)材質は滑りにくいもので、ゴム制は避け、特に建物外ではコンクリート製が、比較的望ましい。  
 尚、36点の丸点はワーストワンに挙げておきたい。色については、基本的には、黄色が分かりやすいという声が多いようなので、それも周囲とのコントラストを含め、議論する必要がありそうだ。又、建物内部の点字ブロックについてもさらに意見交換が必要だと思われる。いずれにしても過剰な点字ブロックの付設は、かえって混乱を招くという声も多いのは、確かだ。
 4.私達は街中点検のひとつとして都立公園をいくつか見てきた。関西臨空公園にも行って来た。安全第一の道路とは違って散歩をしたり、森林沿いやバードウォッチングで木や花を楽しむなど、リフレッシュな場としての公園を私達が気軽に自由に訪れるには、どうあればいいのかなかなか難しいものがある。又、通り抜けに使ったり、災害時の避難場所としての役を持つ公園を、どう整備していくか課題がいっぱいである。これは私の思いだが、公園に来てまで点字ブロックに出会いたくない。とすれば、行きたい所に自由に行くにはどうするかだ。池や噴水は大好きだし、深くなければ落ちても構わないと思うけれど、泳げないので、私は浅い所でも溺れるかもしれない。それでも余り安全ばかり考えて、人工的になり過ぎるのも嬉しくない。さあ、皆さんは公園をどう考えるだろうか。
 5.つい最近視労協では、起震車体験や消火器の使い方の実地体験や、煙の中を避難する体験の新しい試みに挑戦した。災害時に関するイベントにも参加した。視労協の仲間の殆どは、地震が来たら運を天に任せて、お手上げを決め込んでいるのではないだろうか。実はそう思っている。阪神淡路大震災を身近に体験した関西方面の仲間達からも、私達にとって向き合う必要のある新たな課題が、増えたわけである。

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 6.横断歩道の音響式信号機・音声触知図案内板・音声誘導システム・エレベーター・エスカレーター・公共建物の点検・ホームドアの具体化等、項目を上げたらまだまだたくさんある。山積みの課題を抱えて、視労協のまちづくりはもっとたくさんの仲間が欲しい。どれひとつをとっても、入り込めば入り込むほど、課題が増えてくる。ひとりひとりが何とか日々をこなしていっている場合が多い視覚障害者に対し、国も市町村もせいぜい点字ブロックの付設箇所を増やすことぐらいの認識しか持っていないようだ。とりあえず、私達自身があれもこれもぶつけていくことからしか始まらない。障害者運動の中でも、私達はついつい声が小さくなる。意識を高めていく必要があるのか、それとももっと視覚障害者独自の運動の組み立て方があるのか・・・・・。誰よりも勉強不足の私が言うのは、気が引ける思いだが、みんなでもっと力を付ける為に、勉強したり実践してみたいものだ。視労協のまちづくりは、これからも続く。どういう形でもいい。ぜひ協力を!!
 ニュース
 1.触知図案内板が、行政等で総合サインより分離され、やっと個別の項目として考えられるようになりました。新聞記事にも、よく使われています。
 2.福祉・防災・環境は、21世紀の産業のキーワード
 東京商工会議所は、7月14日に「生活・福祉環境づくり21」設立総会を開催し、多くの大手企業が参加します。2010年には、福祉関連産業が10兆円市場になると言われています。

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 「解散から存続へ、そして生きる?!」
 的野 碩郎
 昨年夏頃から、視労協はその姿を様々に変えた。ある時は迷い、ある時は迷路に入り、ある時は孤独に立ち向かった。
 5月10日、わずか10数人の臨時総会が開かれ、再出発の幕が切って落とされた。だが落とされた幕は、いつどこで終わりを見るかもしれないという不安定さの中でのものである。会員のそれぞれの"思い"は、前事務局の解散提案が白紙撤回となるには十分なほどあったのかもしれないのだが、"思い"というやつはわがままで、なおかつ無責任なところを同時に兼ね備えている。誰が視労協を動かし、誰が日常的活動を担うのか、"思い"ってやつはけっこう知らん顔するものだ。
 〜1〜
 視労協は1975年10月26日に、産声をあげた。発足時には僕自信はまだ登場していない。当時の代表、つまり初代代表とは飲み友達。もっと言えば同じ盲学校出の先輩と後輩。きっかけとなった東京都の公務員試験を点字で受験させろと言った男は僕の同級生である。話によれば、当時、一般大学の門戸を開かせる、つまり視覚障害を持ちながら、一般大学に入るにはなかなか厳しいものがあって、その門戸がぼちぼちと開放されていくところでもあって、それぞれの大学に入った人達がそれぞれの大学のサークルで、点字関係や福祉関係や部落関係な

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どの中心人物となっていた。その人達が視労協の発足の公務員採用点字受験闘争の中心にもなったということである。だから、大学サークルそのものが視労協に入っていたわけなので、視労協の歴史上、最も会員数の多かった時期でもあったと思える。この、大学に入った視覚障害者というイメージはそれからずっと周囲のねたみややっかみや中傷もあって、「エリート集団」と呼ばれるようになる。もう一つの呼び名「トロツキスト集団」は同時期、学生運動の盛り上がりがあった中で当然、大学に入った視覚障害者もその渦の中にいたわけで、ロックアウトストライキに初まり、全学連という毎日を送っていた事やそういう運動の中から学んだ思いを指していわれていたに違いない。この発足の勢いは、サウナや病院で働く視覚障害者解雇反対の運動や視覚障害者教員を誕生させる為の運動と着実な歩みを続けていったのであるが、アジ演説やビラまき・デモあるいは交渉のエスカレートによる揉み合いといった行動もあり、「過激派集団」という3つ目の呼び名をもらうことになる。
 だがこの障害者開放運動はそう長く続くものではない。当時の会員は学生から社会人となり時間的制約や実社会での立場などといったやっかいな変身や年齢や性格の柔軟性などなど加わってペースダウンとなってくる。僕は筑波技術短大の反対運動が筑波現地と文部省という2つに中心において戦われている最中に会員となっていくのだが、僕の仲間の中では裏切り者となっていた。なぜなら既成の組織には入らないという約束事を破ってしまったからである。確かに組織の中に入るとある種の自由は奪われる事もあるようだが、今そんな事を組織が協調したら組織は成り立たない。1970年代〜80年代に生まれた人達にとっては恋愛と交流とほんの少しの冒険があればいいのだから。もちろん一般論である。

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 もう一つ、視労協が低迷している時にささやかれている呼び名がある。活気あふれる視労協の初期もそうだが、中心をなす視覚障害者のほとんどが筑波大の付属盲学校出である事から、「仲良しクラブ」とも呼ばれている。
 という具合に発足の時、そして低迷の時の会員同士の関係が結局、今回の解散白紙撤回、存続という思いを生んだに違いないと思える。
 〜2〜
 1997年の8月、視労協の後期のガイドラインを組み立てる中で、これからの視労協が見えないという主旨の話を僕がきりだした。ところが、この話し合いは思わぬ方向へ向いた。つまり、解散という話である。確かに8年ぐらい前から解散話もあったが、その度にしのいできた。しのいできたと言えば少し体裁がよすぎるが、役員をいれかえたり、方針を実態に合わせるようにしたりレクリエーションの時間を設けたりと目先の変化を試みた事は確かだ。その度にほんの少しほっとして、ほんの少し元気っぽくなった。だがそれは、外側の事でなかみはへたっていて、それぞれの歯車は空回りしていたと思っている。
 学生が社会人になって職場内での一定の位置を確保する。それは組合運動との接点でもそうなっていたし、家庭という単位を抱えて活動への参加が遠のく人も出てくる。そうなると、意識を強く持つ人や、時間に余裕のある人以外は活動に参加しにくくなってくる。もちろん、レクを含む交流で何とかせねばという思いもあって、そっちの方にも力をいれていこうとする。
 すると、踏ん張っている人にとっては、この事がけっこう重荷になってくる。ただでさえ一人何役の人達が、その役を増やしていく。自分の中でストレスとなって溜まっていく。そんな

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図式がいやがおうでも出来てくる。
 解散について通信をもって何回となく問い掛けをしていくが、ほとんど反応がない。後から分かるのだが、解散するよりあった方がましという人が多くて、もちろん担い手になるという人はいなかったと思う。
 どこか離れがたい視労協スタイルのつながりが低迷の時長く存在して、その場しのぎをしてきた。ほんの少しだけ言葉をずらしたら解散になる。分っていたと思う。そこのところの視労協スタイル。いったん解散が飛び出してしまうとけつこうすっきりする人、強くその事を押し出す人、新会を考える人、隠居を考える人それぞれ。解散を強く引っ張る人達によって22年間にわたる視労協の歴史が終わろうとしたのである。ちょっぴり歴史の中の自分に思いを馳せながら終わろうとした。財産目録作りやそれぞれ自分の身の振り方を思いながら。
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 ところが、解散の文書確認の事務局会議で「もう一度、みんなで存続を含めて視労協の今後を話す機会を作ってほしい」という意見が飛び出してしまった。もちろん、その人も解散と存続、視労協と自分の生き方を何回となく問い直し、何人かの会員と意見交換もしたようだが、組織はある時にはきっちりとした動きをしなければならない。この意見が飛び出した事が、またもやぎりぎりのところでそれぞれが選択をして結果を出した事にいくらかの波風を立たせた。ある人は一層強固に解散を主張したし、ある人は折中案のようなもの言い出した。もともと8年も解散という言葉に振り回されてきた人達だから「もう一度話してほしい」は「またか」であり「いいじゃないか」であり「もういいよ」であった。だがこの日の結論は事務局の解散

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提起と並列して存続に向けた提起をのせるという決着となった。
 俗にいう、落としどころだったという事なのだろう。いったん決まった事に再吟味が出た事に対して裏で操るやつがいるのではとか、やってられないという思いがあったとか、なかったとか後々噂が立った。とにかく二つの提起をのせた機関紙が世の中に出た。
 ここでひとつ、矛盾した現象が見られる。解散にしろ存続にしろ、みんなで考えてみませんかと言ったのは、同一人物である。個人の生き方には相反する言動がしばしばあるのは当たり前のところがあるが、組織の中で全く逆の事を一人の人物が言ってのけたのは珍しい限りである。だから、「裏があるのでは」であり「やってられない」でもあったのだろう。僕なりに注釈をつけるなら、視労協運動そのものの不安定さが結局そういう言動に追い込んだのではないだろうか。視労協に限らず、三療 (按摩マッサージ指圧、はり、きゅう)問題にしろ、視覚障害者関連の町づくりにしろ、どこか中途半端でおもいきって突っ込む事も出来ない立場に立っていて、そういった立場と毎日の生活を繰り返す立場とがストレスをうんだり、プレッシャーになったりしていく中の言動ではないのだろうか。組織から言えば実にお粗末な言動と言えるが、多かれ少なかれ誰にもその一端はあるだろう。そこをどうコントロールするか出来るかで組織も個人も変わることができるのだと思ってきた。
 二つのつまり、解散と存続の提起が機関紙にのったが、外部の反応はおおかた事務局提起の解散にあったと思う。
 〜4〜
 定期総会は会員の五分の一程度の出席で行われ、解散提案に関しては、何とか残してほしいという人の意見が飛び交う中、

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事務局の決断、寛大な決断で白紙撤回となってしまう。確かに事務局以外にはっきりと解散に賛成という人はいなかった。もし一人でもフロアから解散をプッシュしたとしたら、多分解散は提案どうり通ったと思う。
 はっきり言っていまだに存続してほしい人達の思いが微かにしか見えてこない。冒頭にも書いたが、思いだけでは組織は動かない。リーダーや担い手と呼ばれる人がいてこそ具体的活動となるのである。確かに今回の場合、一人の人が担い手を決意したし、そのことで「一人でもやると言う人がいる限り尊重すべき」という声も多数あった。でもくどい言い方かもしれないが、一人ではなにもできないに等しいと言わざるを得ない。
 僕は5月10日、臨時総会で視労協検討委員会からの推薦で代表となったが、僕個人は最初から新会を考える発言をしたつもりである。しかし、その事を強く自己主張したかと言えばそうではなかった。議事進行役と言う事もあって適当であったと思える。僕だけでなく、それぞれが少なくとも解散を強く主張する人達と存続を強く主張する人達以外の僕を含む人達のしっかりとした主張があれば、外部の人達が言うところのみっともなさは避けられたかもしれない。
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 臨時総会において町づくりを中心とした方針が掲げられた。それと共に他団体や外部とのつながり・つまり共闘・協力・共催関係の重要性もはっきりと掲げられた。
 この一年、視労協はどんな姿になるのだろうか。今までどうりなのか。どちらにしても具体的に活動する人がほしい。
 どこの団体も世代交代できずに足踏み状態のようだ。その中でも「盲界」はなかなかのものである。世代交代する相手もも

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うお年寄り。継承といえばカッコはいいが所詮同じ穴のむじな。
 変わればいいというものでもない事も分っているが、視覚障害者にとって何が必要で、どんな立場を取ればいいのか、視覚障害者全体の利益に即するとはいかなる事か、まずそこからしか始まらない。弱小の視労協がましてや御家騒動の視労協のしかも一個人がなにをか言わんやであるのだろうが、それでも言っておかなければ僕自身の気がすまない。少数でも食いついていた視労協も過去にあった。それをそっくりとは言わないがハングリー精神を失ってはやっぱり解散への坂道となるに違いない。担い手もいないのに世代交代なんてと陰口を叩かれそうだが、少なくともこれから視労協を立て直していくには一定の視野に入れるべき事と思う。
 さて、町づくりに取り組み始めて視労協は5年ぐらいになるのだが、点検から分析から交渉となると時間と労力と頭脳といろんな事が必要となってくる。統一した視覚障害者の見解もない。交渉の場では相変わらずちぐはぐな視覚障害者団体間の意見が露呈してしまう。相変わらず既成の団体がいった事が重要視されていくパターンは変わらない。
 町づくりと並んで再出発の視労協の方針には交流が重要視されている。遊びながら学び、かつ点検もし、かっ仲間を増やしていこうという事だ。一昔前の視労協では、方針としては、考えられないものだったに違いない。
 労働問題、特に三療、教員、公務員の三つの取り扱いはこの一年では問題を知る事と視労協は、どうできるのかという事になる。紙面の都合上この取り組み姿勢は、避けておくが、知らなければ戦えないという最も振出しのところから始め、そのなかから目を背ける事なく力量相応の活動を展開したい。
 方針の三本柱の三つ目は、当然学習会である。

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 再出発にとって必要なもののもう一つに機関紙や通信がある。
 その延長上には、会員の追跡調査や、会員獲得の作業という事になる。会員が誰の知り合いなのか、定期購読者のこの人はどんな人なのかも分からない。顔の見えない組織にしたくはない。できるだけ会員を増やしていく事でそれぞれの持つ参加の仕方が有効打になればいいという事である。はっきり言ってきつい再出発である。力量や担い手は少なくなってきているのに仕事量は増えていく。僕は三療で開業しているのだが、不況もあって稼ぎはパッとしない。治療時間が活動時間に変わっていく。どこかで楽になりたいという叫びも聞こえる。何で代表を引き受けたのかと野次もとぶ。僕がつぶれるのが速いか、視労協の未来が切り開かれるのが速いか競争である。
 どんな形でもどんな参加の仕方でも皆さんの積極的な長続きのする参加協力を!!
 会員をもっともっと増やそう!!
 視労協のやらなければならない事、視労協でしかやれない事を追及しよう!!
 この合併号を読まれた読者の皆さん、一緒に視覚障害者の生き方を共有し、差別のない社会づくりに参加しよう!!

裏表紙の裏
 編集後記
 夏はまだまだ続きます。体調を整えながら乗りきって下さい。視労協の夏もとても暑いものになりそうですが、それでも会員の皆さんや定期購読者の皆さんの何らかの力を再出発の視労協に出していただいて、秋へとつなげていきたいと思います。活動への参加、カンバでの参加等、ぜひとも今まで同様、ご支援、ご協力お願い致します。
 今回は前年度の出しそびれの機関誌を挽回するために合併号にしました。再出発に際して機関誌のあり方も点検すべきところですがまだ余裕がありません。少しずつ話し合いながら創っていきたいと思っています、もっと視覚障害者の日常の中での不安や思いを拾い上げることも機関誌の大事な仕事だと思います。
 読者の皆さんからの声をお待ちしています。(的)

裏表紙(奥付)
 年月日
 定価200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 東京都練馬区東大泉6ー34ー28
 陵雲閣マンション105
 的野碩郎気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6ー26ー21
 視覚障害者労働問題協議会




■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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