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『障害の地平』No.90

視覚障害者労働問題協議会 編 19970325 SSK通巻第1018号;身体障害者定期刊行物協会,24p.

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視覚障害者労働問題協議会 編 19970325 『障害の地平』第90号,SSK通巻第1018号;身体障害者定期刊行物協会,24p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK通巻ー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 −視労協―
 障害の地平 No.90
 夢・挑戦・連帯
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九七年三月二五日発行SSK通巻一〇一八号

目次
 視労協的気分 焦点・「NPO法案」 奥山 幸博…1
 第13回視労協交流大会 報告 宮 昭夫…4
 点字ブロックと音響式信号機の敷設のための運動について 内田 信一・多美子…7
 点字ブロックと音響式信号機の敷設について その2 飯田 旭…8
 バリアフリーのまちづくりに向けて 榎本 光子…10
 視覚障害者のまちづくり 森 登美江…12
 2月27日、水戸地裁をとりまくヒューマンチェーンに参加して 込山 三和子…16
 郵便局のATMから点字ディスプレイが消える 上薗 和隆…18
 田舎の大往生 的野 碩郎…21
 書評「家族シネマ」 梅林 和夫…24
 年末カンパのお礼
 編集後記

p1
 視労協的気分
 焦点・『NPO法案』
 奥山 幸博

 NPO法案をめぐる論議が活発になってきた。私たち障害者運動に関わる者にとっても、今後の運動のあり方を左右する重要な問題であり、現在出されている法案の内容と問題点を紹介してみたい。
 NPOとは何か。新聞の解説によると次の様に説明されている。「Non Profit Organizationの略。主にアメリカで使われる言葉で、営利目的でなく、民間が作った組織の意味で『民間非営利組織』と訳される。NGO(非政府組織)は国連などで民間を指す用語として使われたことから、日本でも海外協力や支援に取り組む団体によく使われるが、NPOとの区別があるわけではない。」
 市民活動を促進することを目的とした法案作りのきっかけとなったのは、阪神・淡路大震災における100万人を超えるボランティアの目を見張るような活動であった。彼らの受け皿となった団体の多くは法人格を持たない民間の「任意団体」であった。そして、その活動の社会への貢献度や有効性に比べて、法人格を持たないが故の運営基盤(特に財政面での)の不安定さが浮き彫りになってきたのである。そこでこうした団体に法人格を付与し、安定した運営基盤を確立し、活動を維持していこうとするのが今回のNPO法案である。
 現在、与党(自民、社民、さきがけ)合意によるものと、新進党からの

p2
2つの法案が国会に提出されているが、特に与党案に対して市民活動を担い法制定に取り組んできた多くの団体から、厳しい反発の声があがっている。

 ー与党案(市民活動促進法案)の主な内容ー
 〔対象団体〕活動分野は11項目に限定。@保健福祉の増進。A社会教育の推進。Bまちづくりの推進。C文化・芸術・スポーツの振興。D地球環境の保全。E災害時の救援。F地域安全活動。G人権の擁護、平和の推進。H国際協力。I男女共同参画社会の形成の促進。J子どもの健全育成活動。
 〔要件〕非営利。会員10人以上。報酬を受ける役員、会員は、それぞれ総数の3分の1以下。布教活動や政治上の主義の推進などを主たる目的としない。特定の公職の候補者、政党の推薦、支持を行わない。
 〔所轄庁〕都道府県知事。2つ以上の都道府県にまたがる場合は、経済企画庁長官。
 〔設立時の提出書類〕申請書、定款、役員名簿、役員の就任承諾書、住民票、会員名簿、契約書、財産目録、2年分の事業計画書、収支予算書など。
 〔設立の方法〕所轄庁の認証。要件が満たされていれば、4ヵ月以内に認証が決定。
 〔行政による管理・監督〕所轄庁は、法令などに違反している疑いがあるときは、会計報告をさせたり、立ち入り検査をすることができる。さらに、運営が著しく適正を欠くと認めたときなどは、改善命令を出し、設立認証の取り消しもできる。

p3
 この法案に対して「市民活動監視法案」と評する声が多く聞かれる。行政の監督の下に、もっぱら無償ボランティアを想定し、安上がりな下請け下を狙っているのではないかという指摘である。市民活動団体は次の様な要望を行っている。@活動内容を限定しない(消費者問題、エネルギーに関する提言活動、官々接待など行政監視活動は対象外となる可能性がある)。A会員名簿の報告や閲覧を義務づけない(プライバシー保護の観点から)。B報酬を受けるのを会員総数の3分の1以下とした規定を改める(子育てや介護を有償で支援する事業型の活動が除外されるおそれがある)。C認証の手続きや書類を簡便にする。D政治上の主義主張を掲げて行う活動を制限しない(選挙活動の制限にとどめるべき)。E認証の取消は裁判所で決定されるよう改める(認証した所轄庁自身が取消を行えば公平な判断ができない。市民活動は行政と利害が対立する場合がある)。F所轄庁に対する申し出条項の削除(密告、告発を進めるような内容である)。G寄附金を免税にする制度の創設(与党案では実質的には何も触れていない。新進党は法人税法の一部改正を併せて提出)。
 視労協が法人格を取得する(しようとする)ことは考えられないが、DPI日本会議や障害者総合情報ネットワーク、さらに各地の自立生活センターなどにとっては、検討に値するものと考えられる。行政と企業中心の社会構造、そして一部のの法人が独占的に事業を展開している現状は、やはり変革していく必要があるだろう。運動と事業をどう整理するのかという課題は残るにしても、幅広い当事者活動の拠点が法人格を取ることによって、新たな雇用の創出や、運営の安定化が図られてこよう。障害者団体の中では、NPO法案について十分にとりくまれていないが、自らの課題として積極的に関わっていかなければならないだろう。

p4
 第13回視労協交流大会 報告
 ー個人的感想を中心にー
 宮 昭夫

 〈夢・挑戦・連帯をめぐって〉
 第13回視労協交流大会は、「夢・挑戦・連帯」をテーマに、3月2日、三鷹市福祉会館で開催された。(昨年とちがって暖かい環境の中で)
 今回は、分科会方式をとらなかったことや、前日にいわばプレイベントとも言える企画を何も組まなかったことなど、いくつか新しい試みを取り入れた。そのことに積極的な意味があったか、単に準備不足を補う手段にすぎなかったかは、みんなの感想や事務局での検討に委ねよう。
 3月1日には公式の企画は何も組まなかったと書いたが、そこは視労協のこと、関西やいわきからかけつけた仲間を交え、一部飛び入りも交えながら、夜のふけるまで交流の機会を広げた。個人的には、例年ほとんど徹夜状態で大会本番に気力、体力ともにきびしい状況におかれていたのが、今回は3時間は確実に眠れたので、余力を残して当日を迎えることができた。やっぱり最低3時間は寝なくては。
 2日10時から開始された視労協の総会では、一人ひとりが夢・挑戦・連帯を自らの中に問い直し、原点に立ちかえって、小さくても確実な一歩を踏み出していくことを提起した今年度の運動方針や、奥山代表、的野事務局長を中心とした新役員体制が承認された。夢・挑戦・連帯というテーマは、視労協の平均年齢を考えれば、ちょっと無理していると言われそうな気もするが(何よりも私自身ちょっと恥ずかしい気はするが)、考えてみれば、運動なんてちょっと無理しなければ続けていけないような気がするし(少なくても私のような人間にとっては)、いずれにしても視労協にも若者はいる。胸に残るわずかの残り火をかきたてている年寄りたちを、しらけた眼でみているような若者ばかりではないことを心から信じよう。(この暗さがいけない?)

 〈共に生きる社会の根拠を探して〉
 総会終了後の第1企画は、カトリック点字図書館館長、橋本宗明氏による「連帯をめぐって」〜人生論の切り口から〜と題する講演。橋本氏は全視協

p5
(共産党系)会長、「巷のあんま論」の筆者としての治療家・そして・ローマ法皇に直接謁見した数少ない視覚障害者といった多彩な側面を持つ方で、テーマの重さにも関わらず、分かりやすく内容豊かな講演であったと思う。彼の話の魅力はその独特の語り口を抜きには伝えにくいので、適確に内容を要約することはむずかしいが、あえてそれを試みるとすれば、障害者と健常者、弱者と強者、ボランティアとその援助を受ける側などの問題を通して、人間の連帯の可能性を探るものだったと言える。その過程で重要な要素を占めるのが、自立と依存の相互作用であり、共通の目標を持つことである。
 今、障害者運動をめぐって、「共に生きる社会」について語られることは多いけれど、その社会を実現するための「連帯の根拠」について語られることは意外に少ない。私個人としては、宗教的確信も、マルクス流の階級的連帯観も持ちきれない者の、いわば「意地」と不安定さを持ち続けながら、それを探していければと思う。そして、その答えは他のどこでよりも、障害者運動の実践の中でこそ見つかるものだと思う。

 〈ホームドア実現の一歩に向けて〉
 昼食後の連帯のあいさつでは、全障連、障害連、ノーマライゼーション教育・ネットワーク、東京ユニオン、自治労の建設支部、民生局支部などからあいさつを受けたが、今回は水戸事件の支える会の平島氏が水戸からかけつけてくれたことを特に報告しておきたい。できれば初めての人のために、水戸事件について基本的な説明をする場があればよかったように感じた。
 連帯のあいさつに続く企画2では、パネルディスカッション「作ろう、安全な駅ホーム」。それぞれまちづくりや駅の安全を求めて活動している三上、熊谷、森の3氏と、視覚障害者のホーム転落事故の調査をまとめられた前島氏の4人をパネラーに進められた。当事者3人からは、それぞれの転落経験について、なぜ落ちたか、落ちた時にどうしたかといった点を中心に報告があった。それらの報告を聞いて、改めて感じたことは、視覚障害者にとって思いちがいや錯覚がいかに日常的なものかということである。前島氏からは、最近の転落事故の事例を通して、手すりやホーム両端の柵の問題、点字ブロックの敷設の問題点などが具体的に指摘された。それらの問題を通して導かれる結論は、ホームドアないしそれに相当するような転落防止柵を作ることが、真の解決だということだと思う。同時に、当面の課題としては、点字ブロックやその敷設方法の統一をめざして、各団体間で討論や協力を重ねて統

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一した要求を作りあげることである。私達はこのパネルディスカッションを、それに向かう第1歩としなければならない。最後に、心の狭いセクト主義的な感想を一言言わせてもらえば、視労協からの報告がその実績や豊かな経験を必ずしも十分に発揮できていなかったように思われて悔しい気がした。
(心が狭い)

 〈夢を託す場所はどこに〉
 企画3は、「新たな働く場」についての報告と討論ー「視覚障害者の作業所をめぐって」である。ワークアイ・船橋の阿部さんと、サポート湘南の市川さんの方から、ちがったタイプの作業所の実践について報告を受けた。阿部さんの報告から、ワープロを使ってのテープ起こしや、各自治体の広報誌の点字化や、テープ版の作成などの分野では、視覚障害者の作業所の可能性は十分にあることがわかった。一方、市川さんの報告からは、三療(あんま、はり・きゅう)の治療を中心とした作業所設立の困難さが報告された。他に聞き取りや資料によって、川崎の点字情報センターと、農業を中心とする我孫子の小規模福祉作業所「むつぼし」の実践を紹介した。いずれにしても、今後視覚障害者にとっても一つの働く場としての作業所は、それなりに重要な意味をもってくると思われる。同時に市町村レベルにおける視覚障害者運動の拠点としての意味も追及していけるような気がする。紙数の都合で企画3について十分な報告ができなくなったのは、ひとえに私の責任である。
 参加者約70名。初めて地元の三鷹視協の山之内さんの協力を得られたことなど、大会はまずまず成功といえたのではないか。視労協は組織は小さいが心は広い。特に意識したわけではないが、講演者やレポーターの中に全視協の元会長や、現会長も含まれていた。もちろん、私達はコーディネーターになることではなく、独自の運動を発展させることをめざしている。しかし、それぞれの現場や局面で出会った人々との交流を大事にしながら、一人ひとりが精一杯進んでいく中で、運動が発展していけばと願っている。
 大会に協力して下さったみなさん、ありがとう。

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 点字ブロックと音響式信号機の敷設のための運動について
 内田信一・多美子

 私たち家族は夫婦ともに全盲であり、6歳の娘が一人いて3人暮らしです。
 現在の住まいに移ってきたのは、娘が生まれて4ヶ月の時でしたから、六年前ということになります。近所に知り合いもなく不安だったのですが、幸いにも保育園が隣にあり、娘を預かってもらうことができました。そして私たちがまずしなくてはならないことは、道を覚えることでした。何といっても自宅から最寄り駅までの道をはじめに覚え、そのほか店・病院・銀行・郵便局などを一つひとつ覚えていきました。
 娘が3歳になった頃だったと思いますが、子育てにも少し余裕ができた頃、小学校は何処にあるのだろうという気持ちであって、ボランティアの方と歩いてみたことがありました。距離は1kmほど、約20分ぐらいのところに学校はありました。途中、志木街道という交通量の多い道路を横断しなくてはなりません。目が見えていれば何ということのない道だと思いますが、点字ブロックや音響式信号も何もなく、そのうえ日中の人通りは少なく、初めて歩いたせいか、とても恐く感じた私は、まだ娘の入学までには随分と間があるにも関わらず、通学路だけでも視覚障害者用の設備を設けてもらえたらと思ったのと、ボランティアの方から地域に「街づくりネットワーク・清瀬」という団体があることを教えてくださったのをきっかけに、ネットワークの協力でこの運動を展開することになりました。
 1994年12月18日のことでした。
 その後、1995年に入ってから、ネットワークのメンバーと何度も実踏を行い、関係部署に送るための要望書と添付写真をまとめ、2月10日点字ブロックについては市役所(建設部長・総務部長)へ、音響式信号機については東村山警察署(交通課)へと直接持っていき面談のうえ提出しました。どちらも前向きに取り組むという言葉をいただいてほっとして帰ってきたのを覚えています。しかし、半年後に問い合わせたところ、まったく進展していないことがわかり、改めて黙って見ていては駄目だと感じ、更に強く要望

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を続けていきました。この時点で信号機については近くに公共施設がないこと、利用者が少ないことという理由から、かなり難しいという回答がありました。その後、警察署側の実踏の結果、学校へ向かって右側の歩道よりも左側の歩道のほうが安全であるとの意見があり、通学路を変更して欲しいということで要望書の一部を変更しました。その後(11月24日付)点字ブロックについて、東京都(都道)と清瀬市(市道)の両方で予算がとれたことの知らせがありました。
 おかげさまで、現在点字ブロックは完成しております。そして音響式信号機についてもこの3月までには1カ所付けてもらえることになりました。この運動を通して私たちは、皆の力の大きさとこのような団体の必要性をあわせて強く感じています。決して私たちだけではできないことでした。
 ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

 点字ブロックと音響式信号機の敷設について その2
 街づくりネットワーク・清瀬 飯田 旭

 清瀬市の北西野塩に在住の内田さんの要望はご本人の書かれたとおりです。
 延長1.20km、さっそく仲間たちと点検をしました。道中、幹線に対して直行してくる道が10ヶ所余り、信号が5ヶ所あって、歩道幅員は広いところで2.70m、狭いところで1.20m〜1.30m。しかもその歩道の中に電柱・電々柱・信号柱、街灯、道路標識等数えていくと大変な数の邪魔物が立っています。
 信号柱は操作盤が目の高さ以下にあり、出張っているので車いすがやっと通過できるくらいの狭さです。改めて車いすに乗ったり、視覚障害者の気持ちで歩いてみると何と歩きにくい歩道だろうか。信号柱一つにしても、横断歩道に対して設置されている場所が全部違います。十字路の場合やT字路の場合等、基準がないようです。
 点検の結果.音響式信号機への改造が3ヶ所、横断歩道での点字ブロック

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の敷設16ヶ所ということで、市と所轄の警察署に要望書を提出しました。
 道路管理者は都と清瀬市とに分かれています。市道は比較的簡単にOKしてもらえましたが、都道では北部建築事務所の、信号は東村山警察署の所管ということですが、市の防災安全課が窓口になってくれました。
 私たちネットワークの立会いで市防災安全課、都建設事務所とで現地調査を行った結果、点字ブロックは要望通り年度内の敷設を約束してくれましたが、信号機の改善は後回しとなりました。
 敷設を完了したので見て欲しいということでしたが、最初に気が付いたことは、歩道縁及び横断(進行)方向に対する点字ブロックの敷き方の不味さでした。点字ブロックは警告ブロックと誘導ブロックの組合わせで成立っているわけですが、歩車道境の線に沿って直角に敷設されていたので、その通り進行すると車道の真ん中に出てしまうという敷設状態でした。
 全盲の方が街に出て行くためには多分ガイドヘルパー同伴による学習から始まるのではないか、角度の感覚は直角方向しか分からないとすると、靴底で感じる点字ブロックの突起も進行方向に向いていなければならないのではないかということを検討した結果、進行方向に沿って糸を引きそれに平行に点字ブロックを並べ変えてもらうということにしました。
 昨年の9月、視労協の15人のメンバーが清瀬を訪問してくださいました。私が宣伝をし過ぎたためでしょうか、特に点字ブロックの方向性については興味をもってくださったようです。私たちとしては「最初に学習ありき」だったのですが、いくら点字ブロック対応をしてもやはり非常に危険な場所であることは間違いなく、音声誘導が必要であるとの結論を得ました。
 その後、学校前の信号機に音声装置を設置できるという連絡が入りました。当初お願いした最優先の場所ではありませんでしたが、まず一カ所でも設置してもらうことが大事だからということで了承しました。試行錯誤の連続でしたが、第一段階は90点というところ。自画自賛でしょうか!

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 バリアフリーのまちづくりに向けて
 東京マイコープ多摩南地域福祉活動委員会 榎本光子

 私たちの委員会は超高齢化社会に向けて、どうしたらもっと「住みやすいまち」が出来るか考えていました。まず最寄りの駅やその周辺が整備されれば高齢者や障害者はもっと気楽に外出でき、公共交通機関を利用することで行動範囲が広がり、介助者や介護者も助かるに違いないと考えました。
 「エレベーターが欲しいね」とか「エスカレーターの有無を調べてみようか」等と話し合っている時、福祉ウオッチングの会合が新宿であることを知りました。
 昨年はじめてその会合に出席し、視覚障害者が毎日命がけで駅を利用している話を聞き衝撃を受けました。高齢者よりも視覚障害者の方が問題は深刻だと思うようになりました。そして私たちの委員会も視覚障害者の皆さんと一緒の福祉ウオッチングをとうして「安全で安心なまちづくり」に向けて努力したいと思うようになりました。
 昨年私たちは京王線の多摩センター、稲城、小田急線の町田駅の3駅と、その周辺をウオッチングしました。多摩、稲城、町田の3市の秋の消費者展では、「駅とその周辺のやさしさ度調査」を展示発表しました。今年度の東京マイコープの活動発表会の場では多摩南地域の代表的活動として取り上げられ、ウオッチングの模様をドラマ仕立てで報告したりしました。
 点字ブロックの意味さえ分からなかった私たちも、近ごろ

p11
は駅に着くと点字表示は有るだろうか、音声案内は適切だろうかとついウオッチングしたくなります。
 私たちの調査は専門的にみればとてもお粗末なものだったと思いますが、視覚障害者の視点から考える事が、高齢者やすべての他の障害者にとってのバリアフリーのまちづくりを考えるきっかけになれば幸いだと思っています。
 昨年の一番の収穫は、視覚障害者の方や福祉ウオッチングの会の方と親しくなれたことです。今後ともお仲間として是非よろしくお願いいたします。

 挿絵省略

p12
 視覚障害者のまちづくり
 森登美江
 1 府中まちづくりみんなの会の活動
 私が学校を卒業して病院にマッサージ師として就職するため東京府中市に移り住んでから23年が過ぎました。当時はまだ畑やたんぼがたくさんあって家も平屋がけっこうありました。今では市役所をはじめ公的きかんはもちろんのこと公営住宅も次々高層化しマンションや貸しビル・など高い建物が林立しています。京王線府中駅も数年前に3階だてとなりそれに続く駅周辺の再開発に伴って小売りの商店が潰されたり新しく建設されたビルの中に押し込められたり、最近増えつつあるペデストリアンデっキ(駅に隣接され階段が蛸足式になっていて様々な方角に下りられる)も登場しました。なにもかも見た目には美しかったり使いやすそうであったりするのかもしれませんがほとんどの人達がうろうろきょろきょろ、目的を果たすまでには困難さを強いられているようです。計画した人、図面を引いた人、資材を作った人、建物を立てた人様々な立場で多くの人達が働いた結果出来上がったものが、ほんとうの意味で利用しやすいものになっていない事は残念な事です。
 私も府中駅やその周辺で立往生しどうしです。誘導チャイムが券売機と音声および触知案内板の2箇所で鳴っている事、「かっこう」の鳥の声が公衆電話の位置を知らせている事、水音がトイレである事などなど知るまでには長い時間が必要でした。縦横無尽に敷かれている点字ブロック(視覚障害者誘導用ブロック)にも戸惑うといった状況です。
 数年来視労協で点検活動に取り組んでいながら自分の住む町のこんな状態を放置しておく訳にはいかないというのが府中駅点検のきっかけでした。私自身利用者として実際に非常に不便を感じていましたし詳細に点検してみなければと、ウオッチングで知り合った府中在住の友人を中心に視労協の仲間たちなどに声を掛けて昨年の6月に第1回目の点検活動を行ないました。その結果を得てまずデッキから駅通路に続くドアの問題やデッキの階段のてすりの点字案内プレートの取り付けの要求など市と話し合いを持ちそれなりの結果を得た事は「障害の地平」前号でお知らせした通りです。

p13
 その後「府中まちづくりみんなの会」として京王線全駅の点検を昨年の秋に実施し、その結果を要望書にまとめ京王電鉄との交渉を予定している事までは同じく「障害の地平」の誌面で報告させていただきました。
 昨年の暮れから今年の1月に掛けて再再点検や要望書作成会議を経て、1月30日木曜日に交渉の場を持ちました。参加者は京王線を日頃利用している3名を含む視覚障害者4名と組合関係者、福祉ウオッチングの会、府中在住の方など5名の併せて9名でした。電鉄からは組合の方1名のみの対応となり、会社側の出席がなかった事は非常に残念でした。要望書の提出が前日になってしまった事もあって、こちら側の準備にも問題はなかったとはいえません。今後、さらに要望書への回答を求めるとともに交渉の場の実現を目指していきたいと考えています。当日の話し合いは終始「和気藹々」といった感じで私個人としてはなにか怪しげで手応えの非常に少ないものでした。担当者は常に「私個人の意見ですが」を強調し要望書の中の半分以上の具体的要望に対して「やってやれない事じゃないですよね」を繰り返すばかりのように聞こえました。結局「これだけは!」というポイントも曖昧になってしまった事は残念でしたが、これで終らせずに粘り強く進めていく中で取り返していきたいと思っています。
 車両の停車位置を外れた部分(ホーム両端)の転落防止柵の設置、点字ブロックの内の線ブロック(誘導用)を4本線に(京王線は全て現在小判形)、点ブロック(警告用)を25点の平がたあるいは36点の半球形に京王線は全て現在41点半球形)(点の数と形については今後当事者による検討の余地あり)、などは早急に取り組んで欲しい所です。また複雑な誘導ブロックの敷設箇所やホーム淵の磨耗した触知しにくい警告ブロックや接触すると大怪我しかねない柱(防御カバーの検討)など点検をすればするほど危険箇所が増えていきます。私達はこれからも一人でも多くの人達に呼び掛けて点検活動を強化し、安全性の追求を押し進めていかなければならないと思っています。それと並行して今年は駅周辺から町の中の道路や建物の点検も実施していく事になります。府中在住の視覚障害者や市民にこの活動を広げていけるよう計画を立てていきます。さらに将来的には各地域での活動のつながりを作って生ければと考えています。

p14
 2 視覚障害者の課題
 私達視覚障害者が団体、個人を問わず思想を超えて早急に取り組まなければならない課題がいくつかあると考えられます。たとえば点字ブロックです。ほんとうに必要なのか実は必要ではないのかもしれないという所から始まって、必要だとしたらどのようなものがどの程度あれば有効なのか、さらに、色・材質・形は?…という具合に当事者どうしが原点に帰って話し合っていかなければならない時ではないでしょうか。1つの課題を話し合う中で、誘導チャイムをはじめとする様々な音声案内や駅の階段てすりの点字案内プレートなどの現状にも触れざるをえなくなると思われます。より必要なものを追求していく事になるはずです。駅ホームについていえば当然ホームドア方式の要求をしていく力となるのだと思います。私達視覚障害者が一定の共通認識を持つ事によって他の障害を持って生きている仲間たちとの課題(たとえばスロープや段差について、移動しやすい歩道のありかたについてなど)に対していっしょに取り組んでいく事ができると思います。
 まちづくりをきっかけにして障害者が暮らしやすい、だれもが暮らしやすい世の中を目指していくために人の輪を広げていきたいものです。それぞれがかかえている固有の問題もよく考えてみればみんなにとっても重要な問題なのではないでしょうか?仕事や介護をはじめとする生活面での困難など実は人の心が今の世の中の混乱によって傷ついている事が一番の原因のように思えてならないのです。
 先日私はひさしぶりにとても辛い体験をしました。電車に乗るため急いで券売機に向かって駅通路を歩いていた時でした。杖がふと軟らかいものに触れました。その前からきゃんきゃんと犬が鳴いているような声がしていたので最初その犬にぶつかったのかなと思いました。ところがそれは小さな子供でした。そして、犬の声に聞こえていたのはその子といっしょにいる母親(たぶん)が子供を叱っている声だったのです。私の杖がぶつかるとそのひとは「あぶない!こっちへきなさい!きたないんだから!」と叫んで子供をぱたぱたたたいていました。服をはらうというよりたたくという感じなのでその子は声をたてずに鳴いていました。私は「すみません」といってそのまま券売機できっぷを買い改札へ行くため歩きはじめました。するとずっと子供

p15
の服をふうふう吹いたりぱたぱたたたいたりしていた母親が「ほら!またぶつかられるよ。きたない!きたない!そんな所にぼんやり立っているからでしょ!」とその子を引きずるようにして駅前の通りを歩きながら叫び続けていました。「ああいうのがいるんだから!きたない!きたない!」と。子供は3・4歳くらいで声をださずに鳴いているのが伝わってきました。私は改札を入って階段方向に歩きながら胸がどきどきしていました。混雑している駅通路や車内でちょっと触れた時に不愉快そうにはらわれたりする事など日常茶飯事ですが、あれほど「きたないやつら」と面と向かっていわれたのはずいぶんひさしぶりの事でした。「完全参加と平等」とか「ノーマライゼーション」とかう言葉に慣れてしまっていたせいかそういうきつい対応への免疫が切れていたのでしょう。正直ショックでした。それから、声をたてずに鳴いている小さな心も悲しいと思いました。それよりなにより、あの女性が一番辛いだろうなと思わずにはいられませんでした。私とその子とその母親の3人以外の大勢の人達の横目でみていったり知らぬ顔をしたり顔を背けたり心配したりしながら表面上平静な通行人の流れも不思議に感じられました。
 これはどこにいってもみられる現象なのでしょう。そしてそれは優しい暖かい心でいられる世の中にみんなでしていく事で変わっていくのでしょう。視覚障害者の立場でその一翼を担うためにも一人でも多く力を合わせて取り組んでいきましょう。
 ※京王線全駅の点検結果をまとめた冊子をぜひ参考に読んでみてください。墨字(活字)は300円でお分けしています。点字もありますので事務局までお問い合わせください。
 また、まちづくりについてのご意見や生活体験などお寄せください。ぜひいっしょに作っていきましょう。

p16
 2月27日、水戸地裁をとりまくヒューマンチェーンに参加して
 込山 三和子

 〔報告〕
 2月27日は赤須正夫に対する論告求刑の日です。視労協は10人で出かけました。午前中は二百数十名のヒューマンチェーンで地裁を囲み、「3年」とういあまりに軽い求刑、怒りも新たに水戸地検に向かいました。地検前で、事件の核心である性的虐待を起訴しないことことに抗議して集会を開きました。
 午後からメインストリートをデモ行進して一日の行動を終わりました。
 「水戸」というと私たちが思うのは、極端な攘夷党天狗党檄派による井伊大老暗殺事件や、一人一殺の血盟団ではないでしょうか。
 城跡に建つ県庁舎を見上げていると、この伝統ある街で、市民の理解を得ながら被害者を守り、闘いを進めている方たちの苦労が思われます。
 「支える会」では駅前のテントを拠点にビラを全戸配付し、当日デモコースとなる商店街へは一軒一軒あいさつに回って理解を求めたそうです。そのためかデモを見る通行人も無関心ではなく、プラカードの文字を静かに読んでくれる人がほとんんどでした。ヒューマンチェーンをしている時、私の隣に、水戸市民という中年の婦人が入ってこられ、「こんなひどいことは許せないと思って仕事を休んで来ました。職場や近所にはなかなか言えないけど、家族には話して判決の日にはおばあちゃんと一緒に来ます。ほんとうに他人ごとではないですよ」と話されました。ルーズソックスの女子高生の姿も見え、幅広く支援を求めてきた支える会の姿勢に頭が下

p17
がりました。この姿勢がこわされない様にと願います。
 一日の行動終了後は大海日出子さんと被害者の女性たちがダンスを披露してくれました。すさまじい虐待にあいながら勇気をもって立ち上がった人達と、命をかけてこの人達を守っている大海さんのダンスは妖精の踊りのような不思議な魅力を持ち、いつまでも見ていた様でした。

 〔感想〕
 小西聖子(こにし たかこ)『犯罪被害者と心の傷』に書いてあったのですが、性暴力の被害者は、被害にあったことを一時的に記憶から消してしまうということさえあるというのです。あまりにひどい記憶から自分を守るための自然の機序だそうです。たとえ記憶を消していなくても本当に安全な場で信頼できる人に受容的に聞いてもらうのでなければ、なかなえその様な体験を証言することはできないとは言います。
 この点から、強姦罪が親告罪であり、告訴できる期間が6ヵ月しかないことは問題で、精神医学の知見をふまえて改正すべき時期に来ているのではないでしょうか。それはともかく水戸地検に熱意があれば、他の強姦も起訴できたのではないか、どうして不起訴にしたのか、被害者への偏見があるとしか思えません。
 もう一つ、水戸で気になることを聞きました。アカス紙器に出入りして被害者に性暴力をふるっていた人間が赤須以外にもいるとういことです。しかし、赤須の行為が明らかにされなければ、これらの事実も闇に葬りされてしまうことになります。
 職安、労基署、福祉事務所、養護学校関係者は、この事件の真相究明に重い責任があると思います。そしてその人達が所属する労働組合も、被害者や家族を支える活動を積極的に行ってほしいと思います。

p18
 郵便局のATMから点字ディスプレイが消える
 上薗 和隆
 
 郵便局のATMやCDに点字で確認ができる機能が付いていることを、どれぐらいの人が知っているだろう。視障者にとっては実に不便な代物ばやりの現代、日本が世界に誇れるサービスだと大いに喜んでいた。ところがこの点字表示機能がなくなると聞いたので郵政省に確認したところ、次のような資料が回答として送られてきた。

 (資料)
 平成9年3月
 郵政省貯金局

 ATMの点字表示について
 1 郵便貯金のATM・CDは、全機種(約23,300台…8年度末予定)について、視覚障害者にとっても利用しやすい、次のような工夫をしている。
 @ タッチパネルは、視覚障害者にとって不便であることからキーボードでの使用も可能なもの
 A キーボード、カード挿入口等の操作部に点字表示
 B 受話器やイヤホーン等による音声操作誘導、金額等の確認等
 2 ご指摘の件は、点字ピンを使用した点字金額確認器に代えて受話器による金額確認としたことと思われるが、新しいATMにおいては、ほとんどの点字表示はそのままで、
 @ 点字の読めない方
 A 高齢者や弱視者の方
 でも操作ができ、より多くの方にも利用しやすくするため、また、

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 @ 点字カードが無い方
 A イヤホーンを持参しない方
 でも備え付けの受話器により金額等の確認ができるよう配意し、点字金額確認器に代え受話器を装備したもの。
 なお、盲ろう者の方は、その多くが介添え者と行動すると考え、組み込まなかったもの。

 3 このATMは、平成7年度から一部に設置しており、平成15年度までに、順次、従来の点字金額確認器付のATMと入れ替えていく予定でいるが、その間、点字金額確認器付のATMを併用していく。

 1997年3月5日に、この資料をもとに当局者からの説明があった。
 
 点字表示機能付きの機械は、1984年から導入を始め、1992年にはほとんどの郵便局に行き渡った。しかし小さな郵便局には広さの制約等があって、導入が難しかった。そこで開発されたのがCDTといわれる薄型のもので、1993年から導入を始め、96年度末までに990台が稼動する。この薄型と言うのが、点字表示機能をとりはずした機械である。
 郵政省としては、「より多くの人が利用しやすい機器の開発」という観点で、日盲連の会長から話しを聞いたようである。
 点字使用者は5万人程度であり、郵便局の点字キャッシュカード保持者が昨年12月現在で1660人ほどであり、あまり増えていない。このようないきさつもあって95年から大型機からも点字表示機能をはずす方向となった。現在すでに、CDTと点字表示機能のないATMとを合わせ3400台が稼動し、2003年までにすべての機械から点字表示機能をはずすとのことである。
 従来型(点字表示付き)は、点字カードを持っている人だけが点字とイヤフォンによる確認ができたが、新しいものは点字ディスプレーがはずされ、

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受話器が備え付けられる。
 一般のカード使用者でも受話器を取ることによって、音声誘導と金額確認ができるということである。この新型の受話器は音量調整ができ、いままで使いにくかったお年寄りなどにも喜ばれるだろうと、当局者は自信たっぷりの様子。点字カード使用者は、「受話器の他にイヤフォンでも利用できます」とのこと。
 盲聾重複障害者のプライバシーについて不安はないかという質問に対しては、今後、盲聾障害者との話し合いの機会をもって、できるだけ当事者の意に沿った形にしていきたいとの答であった。
 また、今までできなかった郵便振替の自動支払や、硬貨の出し入れなども機械でできるようになると考えていること、車椅子の人たちも利用しやすいように機械の下に空間を作るということも言っていた。
 一般的には便利になるようだが、「当事者の意に沿った形」と言うことであるならば、視覚障害者が点字表示機能の存続を要望すれば、かなえられるのだろうか?
 ※後日、郵政省はメーカーに対して、「点字表示機能」を持たせることができるか検討するようにとの指示をだしたという連絡が入った。

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 「田舎の大往生」
 的野碩郎
 
 福岡県鞍手郡というかた田舎で父が死んでいった。1997年1月25日の真夜中の事である。
 百姓屋によくある、それだけでは現金収入が乏しいという事で父は教員の道を選んだ。台湾という以前侵略戦争の中で植民地化した所で青年教師を行いそして、敗戦後鞍手郡で小・中学校の平教員・教頭・校長さらには、教育委員会と過ごしたのである。僕は終戦後1947年に視覚障害とメラニン色素欠乏というハンディを背負って生まれてきたが、小学校1年より盲学校寄宿舎生活という事で春夏冬の3つの学校休みと月1回の帰省という形で父との接点を持った事になる。僕の50年の人生の中で父の障害への理解のなさを強く反発した事も多々あるが、今回はその部分にはさほど触れないで田舎での葬儀の有様を書き述べたいと思う。
 僕自身冠婚葬祭に出席した経験は少ない。人前にださない父の考えと人前にでたら恥ずかしいという作られた自分の中の思いがあってそれが手伝って経験不足を生みだしているのかもしれない。身内の葬儀でも祖母だけでそれも火葬場には出掛けていないので最初から終りまで経験したのは父が始めてである。
 あわてて羽田から福岡へ飛行機で1月26日午前中に飛んだ。飛行機は苦手だったがどこか緊張状態があるのか二日酔いも寝不足も飛行機の離着陸もいつもとは違っていた。
 我が家に着いた時には庭から座敷から忙しく葬儀屋がお通夜の準備をしていた。ぼろ隠しにいたる所白い布切れがはられ父の入った棺桶も祭壇の奥にあった。とりあえず一切を母に変わって仕切る兄に挨拶。奥の間に入ると見知らぬおばさんたちがやたらうろうろ。「いったいこれはどうなっているんだ!」と思わずつぶやくと、てもちぶさたのどこかのおっちゃんが「お斎(おとき)の準備をしよったい」と声を掛けてきた。テーブルの上には真っ白な握り飯が積んであって今日がどんな日なのかを語っている。「おときって?」「親父さんを送る最後の食事会の事たい。あんたこっちにおらんけ分からん

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とやろ」と皮肉にも取れる一言が返ってくる。なんでもここらへんは上組と下組というふうに地域地域を班分けにしていて、その組に死んだ人がでればその組の各家から一人ずつ手伝いの女の人が出て「お斎」の準備をするという事である。大鍋や炊飯器、茶碗やお膳テーブルにいたるまで持っているうちから持ち寄ってくるという事で、昔でいう「むらおさ」のような人が若い人達にいちいち丁寧に指図をしていて若い人はメモを取りながら米を研いだり食器類を洗ったり野菜を切ったりと、しかも、その家の台所のスペースも使うのだが狭い家では裏口がたちどころにだいどころと仮す訳である。雨が降ろうが雪が降ろうがそうしてきたという。新参者にはとてもいづらい場所でもあるようだ。
 兄は僕を入れて葬儀屋とお通夜と葬式の細かい打ち合わせを頻繁にしている。喪主の母は風邪を引いて奥で横になっていて僕が顔を合わせたのもお通夜の前だった。
 家ぢゅうが開けっ放しで準備がされているので北風が吹きぬいていくのだがだれ一人として文句もなければ配慮もない。僕も緊張しているのか体は震えているのだがさほど寒くはなかった。
 6時からのお通夜なのに5時過ぎからお悔やみが始まってしまった。にがてな正座の始まりである。和尚さんは着替えを持って我が家へきて着替えをするというなんともうちうちの感じがしてしまう。ここのお通夜は東京で行なわれるそれとは違って別室で飲み物や軽い食事などという事は一切ない。ご焼香をするだけで父の生前を話す事もなくいそいそと帰ってしまう。僕はといえば米つきばったのようにただただ頭を見える人の頭の動かしに合わせて行なうだけで足のしびれとネクタイの窮屈さだけが嫌に気になっているのである。お経も終りお悔やみの人もほぼ終ると列席していた親戚が裏で飲みはじめた。これは別にそう決められていたのではなくただのんべえが飲みはじめただけのようだ。
 次の日早々と上組のおばさんたちがやってきて煮炊きに入って「お斎」の準備が始まった。朝食も7時ごろそこそこに葬儀屋のプロ司会者との打ち合わせや和尚さんへのお礼の金の額の事とかおよそ人を悔やむという事とは程遠い事が裏では会話されている。

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 「お斎」は午前11時より兄弟親戚の人達だけで精進料理が一人一人のお膳に並び挨拶をする訳でもなく三々五々食べていくだけである。もちろん祭壇の前での事である。お膳の中には煮染めや白和えなどに添えて小さい箱入りのマッチが2つ半紙の上に載っている。話によるとこれは形式的なてみやげとの事。早い昼食を取った後は1時からの葬儀へと移る。裏方のおばさんたちと上組の男達(受け付けや案内の人達)は裏でばたばたと精進を食べてそれぞれの持ち場へと散っていき僕はといえば弔辞の順番をむらおさと話込んでまるでここに住んでいるような顔をして座り込んでいるのである。
 またもや苦痛の正座修業が始まった。今度は縁側に座り外で寒空の中ご焼香を待っている人達が順番にやってくるのに対して米つきばったを始めた。昨日のお通夜同様隣の人に合わせて頭を下げる下げる下げるの連続である。
 今度は父と最後の別れをして火葬場へと行くのであるが、昔は棺桶に釘を打ったり座敷をなん回か回したりした事や玄関で茶碗を割ったりしたような気がする。
 初めて霊柩車に乗って火葬場へと行く事になる。火葬場に行ったのも始めての事である。寝台に棺桶を載せ竈(かまど)へ。扉を閉め喪主が電気のスイッチを入れ焼いている間鍵を預かる。およそ1時間半。その間待っている人達は前もって用意してあるつまみと酒やビールを飲みながら控え室で待機している。僕はその時間を使って我が家に戻り「お斎」や裏方をやっていたおばさん連中のいわゆる「ごくろうさん会」をやっている席で労をねぎらう立派な挨拶をしにいきまた直ぐに火葬場の控え室へととんぼがえりしてやっとビールにありついたのである。
 誌面の都合でここまでで話を切る事にして機会があれば骨拾いから初七日精進落としそして香典数えと台帳付けの話を書きたい。
 こうして父は大往生した訳だが入院する事も苦しむ事もなく死んでいった。「孝行したい時には親はなし」という言葉が僕の頭の中を駆け巡っている。

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 書評
 『家族シネマ』柳 美里(Yu Miri)講談社
 今まで、書評を書いてきたものは、ほとんど社会問題に焦点を当てたものだったし、私自身、「文芸書」で読むのは推理小説だけであるのが現状なので、芥川賞受賞の純文学作品を読むのは久しぶりのことである。
 話の筋は、すでに崩壊している家族が、家族の映画を撮ることによってその崩壊がよりあきらかになるというものである。父親の浪費と暴力、母親の男性との出奔、姉妹・弟もそれぞれアブナイ精神構造の上に生きている。いや、家族それぞれがアブナイ精神構造の上に生きている。家族としてのつながりは、憎しみや無関心、そして自己のみへの撞着。
 まあ、これが一時期前なら、「特別」な家族関係を背景にしたいわゆる「私小説」なのだが。ところが、現在では特別なものとして感じられない状況としてある。
 ちょっと、話は飛躍するが、「国家は家族という仕組みを通して、個人を体制のなかに組み入れる」ということが語られたことがある。そこでは父や母は国家と摩擦しない道徳的存在であり、いわゆるアブナクナイ建前上の精神構造の上に生きていた。そしてそこからの解放は破壊か逃亡でよかったのだ。
 しかし、現在は個々人が本音で生きつつある。長期的に安定している関係性(家族、男女関係)は、建前や保守的惰性としてしか存在しえないことが当たり前のものになっている。
 内的崩壊や逃亡は当然事としてある。そこには何らの積極的意味はない。通常の事として語られるし、そうあらねばならない。
 しかし、既存の家族関係を虚無的に惰性的に維持し、社会を語ることへ逃亡し、新たな関係を夢見るのは化石的でマンガチックでしかない。
 われわれは何を基盤とし、何をめざしていこうとしているのか。この家族という厄介なものは存在し続けている。
 〔梅林 和夫〕

裏表紙の裏
 年末カンパのお礼
 カンパを送っていただいたみなさんに、誌面を借りてお礼を申し上げます。
 本当にありがとうございました。
 しかし、会費や機関誌の定期購読費未納の方も多く、そのことが視労協の財政を苦しくしているという状況に変わりはありません。是非、私達の運動の趣旨を御理解の上、納入していただくよう重ねてお願い致します。
 〈年会費〉 4.800円(学生は半額)
 〈定期購読〉 880円(年4回発行)
 〈送金先〉
 ○郵便振替口座 00180ー6ー92981
 加入者名 視覚障害者労働問題協議会
 (郵便局の用紙を御利用下さい)
 ー編集後記ー
 「致死的障害胎児」。日本母性保護産婦人科医会は、不治で致死的な障害の胎児の中絶を認める改革案をまとめたとされている。同会は、「医師側が障害を知らせた上で出産の選択を親に委ねるもので障害児排除ではない」と言っているようだ。昨年6月、旧優生保護法の「不良な子孫の出生防止」という優生思想に基づく条項が削除されて間もないこの時期の動きである。「受精卵の遺伝子診断臨床応用」を推進しようとする日本産婦人科学会の動きに対しては、女性団体、障害者団体の強い抗議によって一応のストップがかけられたが、今回の「胎児条項」の登場は、「優生思想」の根深さを改めて感じさせられるものである。私達としても学習、討論の場を作っていきたい。(奥)

裏表紙(奥付)
 1997年3月25日
 定価 200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 〒239 横須賀市長沢115グリーンハイツ2ー7ー405
 奥山 幸博気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6〜26〜21
 視覚障害者労働問題協議会


■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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