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『障害の地平』No.87

視覚障害者労働問題協議会 編 19960610 SSK通巻第697号;身体障害者定期刊行物協会,24p.

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last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 19960610 『障害の地平』第87号,SSK通巻第697号;身体障害者定期刊行物協会,24p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK−障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のために−
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 ー視労協ー 障害の地平 No.87
 私達はビジョンを持った事があるだろうか
 視覚障害者労働問題協議会
 1971年6月17日第3種郵便物許可(毎月6回 5の日・0の日発行)
 1996年6月10日発行SSK通巻697号

目次
 視労協的気分 もう一人の私との対話  宮 昭夫……1
 飛べ、飛べ、視覚障害者 とりあえずの最終回 加藤 けんじ……4 
 みんなにやさしい点字ブロックを考えよう 森 富美江……7
 屁理屈点字ブロック 的野 碩郎……10
 カイロ問題について 視労協事務局……12
 はじめての職場で 江見 英一……14
 過去から未来え 中村 隆……16
 書評「日本医療の経済学」 梅林 和夫……18
 〈資料1〉ヘルスキーパー連絡会 準備会の呼びかけ……19
 〈資料2〉障害者の雇用・就業に関する 行政監察結果(要旨)……20
 ジョイフル・ビギンNO6の紹介……24
 会費・定期購読費納入のお願い
 編集後記

p1
 視労協的気分 もう一人の私との対話 
 宮 昭夫

 (1)
 「俺達はよく、『能力主義粉砕』とか言うけど、そういう時どこか後ろめたい気がしないか?」
 「だって、そういう立場に立たなければ、障害者の完全参加と平等なんて実現できないだろう。雇用の問題ひとつとっても、それは明らかじゃないか」
 「それはそうだけど、自分自身の朝起きてから寝るまでの行動を考えてみろよ。お前だって飯を食う時には、できるだけ安くて味のいいラーメン屋を選ぶだろう。飲み屋に行く時だって、値段と味を考えるだろう。もし値段と味が同じ程度でも、結局、サービスと言うのか雰囲気のいい方を選ぶじゃないか。そういうのはみんな、能力主義的評価とはちがうのか?」
 「消費者としての権利を行使していると言う事はできるよ」
 「そんな事を言うんだったら、企業だって労働力という商品を選ぶにあたっての消費者としての権利を行使しているだけだと言えるよ」
 「と言うと思った。その点は君の言う通りだ。だけど、私だっていつも能力主義的評価に屈服しているわけじゃない。たとえ値段が高くても見てくれは悪くても、有機栽培の野菜を買う事もある。洗濯物の落ちが少々悪くても、合成洗剤をやめて粉石けんを買うとかね」
 「そりゃあその方が体にいいと思っているからだろう。少なくとも能力主義の否定とは言えない気がするね」
 「体にいいからという事もあるけど、地球環境を守る事とか農業という労働の質の問題、つまり、働き方の問題でもあるんじゃないか。それにもうひとつ、そこが仲間のやっている店だったら、たとえ味や腕が今いちでも私達はその店を育てていこうとするだろう」
 「企業にも地球環境や労働の質に注意をはらえと言うんだな。障害者をし

p2
め出すような社会(経済社会)は、もろくて弱い社会だと言ってやるわけだ。もろくて弱い社会じゃ安心して経済活動もできないだろうからね。一種のおためごかしだね」
 「それだけじゃなくて、障害者を、社会を構成する同じ仲間として認めれば、発想も対応も変るはずだと言っているんだ」
 「そんな事で我々の日常的な能力主義が克服できるのかね」
 「たぶん、うまいラーメン屋をうまいと言う事がいけないわけじゃないと思うよ」
 「うまいってほめるだけで、特にひいきにしなければいいのか?」
 「ちゃちゃを入れるなよ。大切な事は、ラーメン屋で自分を発揮できなかった人にも、常に新たな挑戦の機会を与える事だと思う」
 「また失敗したら?」
 「何度でも何にでもトライする機会を与えるような社会を作る事じゃないか」
 「平凡で優等生的な答えだけどね。所詮、俺とお前は同じ人間だから画期的な答えなんか出ない。あとは皆なの意見に素直に耳を傾けるだけだね」

 (2)
 「自分の子供が五体満足ですこやかに生まれてくる事を望むのは、やっぱり差別的なのかね」
 「たぶんね」
 「でもそれは人間としてごく自然な感情じゃないか?」
 「それはそうだけど、自然な感情であるという事は、そのまま正しいという事じゃないし、差別的でないという事でもない。たとえば、人よりできるだけ楽をしてうまい物を食いたいと思ったり、人をけ落しても競争で一番になりたいと思うのも自然な感情だと言えば言えるだろう」
 「どこかちがうんじゃないか?、俺はたとえ子供がどんな状態で生まれてきても、それを引き受けて一緒に生きていこうと覚悟した。それでもやっぱり生まれる時にはすこやかであってくれと思った。正直の所ね。その事で俺は他者をけ落したり傷つけたりしているか?」
 「五体満足で生まれてくれという願いをきく事は、障害者には嬉しくないとは思わないか?。自分が否定されている、少くとも肯定されていないと感じる」

p3
 「俺も障害者だけど、俺はそんな風に思わないな」
 「君は世間一般の親の立場に立つ事によって、障害者の立場をあいまいにしたんじゃないか?。それにそもそも君は自分自身の障害を受け入れてない所がある」
 「そうかも知れん。だが、障害から逃げ出そうとはしていないつもりだ」
 「プライドのためだろう。自分を肯定しているわけじゃない」
 「それじゃ俺達は子供を持つに際しては、障害者が生まれる事を望めばいいのか?」
 「私はそんな事を言っていない。我が子が五体満足であってほしいと安易に願う事は、障害者差別や優生保護法に取り込まれる危険があると言っているだけだ」
 「自然な感情が即正しいわけじゃないという事はわかる。しかし、自然な感情を無理矢理おさえつけたり、そこからかけ離れた理想を振りかざしたりすると、新たな偽善者を増やすだけじゃないか」
 「その通りだと私も思う。だからこそ障害者差別を許さないというのが自然な感情になるように、自分自身と社会を作り変えていかなければならないだろ」

 (3)
 「お前は人間には自殺する権利があると思うか?」
 「権利はあるかも知れないが賛成はしない」
 「安楽死とか尊厳死については反対なんだろ?」
 「個人的な決断の問題と、法律として国家によって強制されたり、奨励されたりする事とは別だよ。子供を生むかどうかとか死を選ぶかどうかなんて事は個人の問題としてはそれぞれの決断には重みがある。しかし、法律で強制される事は別だ。断固反対すべきだ」
 「それはよくわかる。だけど自分で死ぬ事のできる人間の権利は認めるが、死を選ぶのに、言わば介護を必要とする人間の権利は認めないというのは一種の障害者差別じゃないか?。お前の立場からすれば、自殺した人間は自分勝手で差別的な奴だと言って、糾弾すべきじゃないのか?」
 「そういう言い方をするのなら、私は自殺しようとする人も、尊厳死を望む人も糾弾するつもりはない。彼らにそういう決断をさせてしまう社会を糾弾すべきだ」

p4
 飛べ、飛べ、視覚障害者その8 
 とりあえずの最終回 加藤けんじ

 はじめに
 とうとう、最終回だ。最近、私のお気に入りのビデオソフトは「ピーターパン」である。ダンボで始まったこの連載を、ピーターパンで終わらせたい。ウェンディは「大人になりたくない。」と言ってネバーランドに旅に出る。私たちの心は余りに大人になりすぎていると共に、ウェンディの気持ちをも引きずっているのかも知れない。それが依存を生み出すのだ。多分私たちは「ネバーランド」のすばらしさを、知らないままに大人になったんじゃないかと思う。「ネバーランド」は子供時代に別れを告げるためのものじゃ決してない。それは、子供時代を決して忘れない為のものなのだ。ピーターパンはウェンディに空の飛び方を教える。「楽しいことを考えるんだ。そうすれば空が飛べる。」これは、私たちが飛ぶ為の、とても大切な教えだ。

 1、いままでのまとめ
 これまで書いて来たこと、又書ききれなかったことを、まとめるとだいたいこんな形になるだろう。以下の6項目にまとめてみた。

 ア、曖昧性の受容
 私たちの概念と言うのは、非常に曖昧なものである「見る/見えない」「健常/障害」「理性/狂気」「自由/不自由」「知識/体験」その他もろもろの概念が、曖昧さの中で使用されている。
 又、私たちの存在自体も、非常に曖昧なものである。そう言う曖昧を認めていくことで、新たな地平が開けるのではないだろうか?

 イ、優劣比較思考から離れる
 私たちは対立する概念{二項対立}に優劣をつけて比較すると言う思考を好んで来たがこの優劣を付けることこそ、障害者差別を生み出す思考である。この優劣比較思考から離れて思考することで新たな地平が開けるのでは、ないだろうか?
 {現代思想家たちは、この観点からヒューマニズムと言う人間中心主義をも批判している。}

p5
 ウ、ヒーリングとしての障害者運動
 優劣比較思考によって、抑圧されたものを浮上ざぜることは有意義なことである。この点、差別撤廃闘争とカタルシス{感情の解放}は、同一線上に位置する。このことから、障害者運動は社会的ヒーリングであると言うことが言える。
 {エイズに関わる権利獲得の闘いは、時代を変革するような可能性に満ちている。この点において、私たちの闘いも地味ではあるが同じ可能性を含んだものである。}

 エ、鍼治療批判
「鍼優位、マッサージ劣位の思考」「治療者優位、患者劣位の治療」は、障害者差別を生み出す思考である。このような鍼治療は、批判されるべきであり、それを乗り越えた治療を目指すべきである。

 オ、被害者意識
 障害者が被害者意識に甘えている限り、障害者と共に生きる社会は実現されない。被害者意識を抹殺するのではなく、それをみつめつつ乗り越える姿勢を持つべきである。
 {トランスパーソナル心理学を中心とした、新派の心理療法の考え方がこの意見を支援している。}

 カ、プラス思考の障害者運動
 これからの障害者運動には、障害者の困難性、問題性にばかり目を向けるのではなく、障害者の特性や有利性に目を向けていくプラス思考、プラス感覚が必要である。

 2、新しい障害者像
 この連載をはじめる前から私には、一つのテーマがあった。それは、障害者と言う言葉に変わる何か新しい言葉をみつけたいと言うことだった。私が目指すべき新しい障害者像にふさわしい呼び名を与えたいと思っていたのだ。私は、とりあえずの最終回にこれを発表したいと思う。
 障害と言う言葉は余りに悲惨だ。「害にさわる者」なんて悲しすぎるんじゃないか。私は新しい障害(校正者注:改行は本文ママ)
者像を「差異顕現者」と呼ぶことにしたいと思う。これからの時代は個性化の時代とか、多様性の時代と言われている。いままで同じであることによってくくられていた社会から、違いを認めあうことによって発展して行こうとする社会が期待されているのだ。

p6
 これまで私たち障害者は、健常者との「差異」によって差別されて来たが、その差異を認めあう社会に時代が進もうとしているのなら、21世紀は障害者にとって明るい未来になるはずだ。是非ともそう言う時代を築いて行きたいものだ。今までの障害者像からすれば、時代は築いてもらうものだった。しかし、差異顕現者としての障害者は自らの手で時代を切り開くのだ。

 3、ラーニングオーガニゼーション
 最近、読んだ雑誌の中に、ラーニングオーガニゼーション{学習する組織}なる言葉をみつけたのでごこに紹介しよう。それによると、この言葉は「環境の変動に対応し・個人だけでなく組織全体が過去のやり方を捨て去り、新しい知識、情報を摂取しながら新しいノウハウを開発して、それを全体で共有し、自ら変化していくと言う特質を持った自己組織体。」のことを言うのだそうだ。これは、これからの時代の経営や組織運営に生かされるべき考え方と言える。私たちの所属する、いや構成する組織{家族、職場・その他の活動体、国家など}もこう在りたいものだし、これからの時代を築いていくには、是非とも取り入れたい組織のあり方だろう。ラーニングオーガニゼーションが当り前となる社会はきっと差異顕現者の大いに活躍する社会になるだろう。
 又、治療師/患者関係においても、この考え方は適応される。こうすれば治ると言う理念を押し付けるのではなく、治療と言う目標に向かって共に進み行きつつ、臨機応変に対応し新たな治療方針を打ち立てていくような治療を目指したいものだ。

 4、おわりに
 私は、読者の皆さんとのキャッチボールを、楽しみつつ、自分を成長させたいと思っている。感想や批判をお待ちしております。
 平塚盲学校の学生だったころに、「白い翼」と言う演劇のスクリプトを書いたことがある。「白状は白い翼だ。」と言う意味を込めて書いた作品だった。白状を惨めさの象徴にするか、白い翼として自分がはばたくためのものとして受け入れるかは、その人の意識にかかっているのだろう。
 ピーターパンはウェンディに空の飛び方を教える。「楽しいことを考えるんだ。そうすれば空が飛べる。」これは、私たちが飛ぶ為の、はばたく為のとても大切な教えである。
 スローガンは、飛べ、飛べ、視覚障害者。
 そして、飛べ、飛べ、差異顕現者!

p7
 みんなに優しい点字ブロックを考えよう
 (第12回視労協交流大会まちづくり分科会報告)
 森登美江

 今年も例年どおり3月に交流大会が開催されました。2日目の午後の分科会では「労働」「教育」「三療」という大きい課題に加えて、条例化から整備規準へと、超スピードで動きはじめた「まちづくり」なるものを視覚障害者の立場から取り上げました。
 参加者は視覚障害と車椅子使用者そして、健常者では建築関係の専門家や点字表示・音声案内板など研究開発に力を入れている業者の人、さらには、障害者の交通アクセスを初めとする移動や「まちづくり」に専門的に携わっている方々など14名で進められました。
 まず、視労協からこの数年の駅やまちづくりへの取り組みについての報告と「東視協」と協力しての「まちづくり整備指針・要望書」について説明を行いました。また、視覚障害者にとって「命綱」ともいわれる点字ブロックを車椅子使用者はどのように見ているのか、そして、2cm段差とスロープについて互いにどのように考えるかという2点について話し合う事を提起しました。
 次に関西地区から参加された視覚障害者労働フォーラムの取り組みの報告がありました。昨年、市営地下鉄で重軽傷者3名と死亡1名を出した事について、点字ブロックと誤認しやすいタイルばりをやめる事とホームドア方式を取り入れる事を要望。ホーム全体がタイルばりになっているそうです。また、阪急電鉄では社長がヨーロッパ視察の際に鉄道駅が大変静かだったという感想を持ち帰った所から、構内および車内アナウンスを取りやめるという方針を打ち出したとの情報を得て他の鉄道会社への波及も当然懸念されるので阪急労組とも話し合いを持った上で早急に交渉を予定。さらに、JR西日本でもタッチパネル券売機の2・30%導入という動きもあり早急な対応が求められているようです。

p8
 タッチパネル券売機についてはJR東日本でも導入が進んでおり、点キー式(電話機プッシュボタン方式)対応策を考慮中との報告がコスモ21の方からありました。
 続いて、障害の種別を超えて、まちづくりに取り組んでいる東京清瀬市の団体から報告がありました。車椅子使用者からの問題提起が取り組みのきっかけだったようですが、今回は主に視覚障害者関係について話していただきました。子供の小学校入学に伴っての全盲夫婦の要求に答えて自宅から学校までの道を点検する事から、視覚障害者の立場にたっての問題への取り組みが始められたとの事。点字ブロックの敷設と音声信号の設置を求めて運動を展開。また、清瀬駅北口再開発に対して具体的な要望を検討。
 脊損連の方から車椅子使用者の立場で段差や点字ブロックについての意見をいただきました。スロープの勾配の方が大きな問題で、2cmでなければならないという声は少なく3cmの段差でも対応している。点字ブロックについては脊損のばあい痙攣症状を引き起こす誘因となりやすい事と、集尿袋が振動によって外れてしまう不安があるとの事でした。そして、視覚障害者が横断ほどうを渡る時どのようにして方向を確認するのか、また、点字ブロックをどのように利用しているのかという2点の質問が出されました。
 報告の最後は福祉ウオッチングの会から臨海新交通「ゆりかもめ」の点検結果でした。無人駅であり券売機も操作が複雑で障害者が単独利用する事など全く念頭にないシステムばかりの最も悪い見本だといえそうです。みんなで点検する必要があると思います。
 全体の話し合いの中心になったのは不統一の点字ブロックの現状と、よりよい敷設方法を探る事だったと思います。そして、肝心な事は視覚障害者が現実に点字ブロックや点字表示などをどのように、どれだけ利用し活用しているのかを知る必要があるのではないかという意見も出されました。
 以上は、まちづくり分科会に参加した私なりの報告でした。

 ここからは、私の意見と感想などをかってながら少しばかり書かせていただきます。
 まずタッチパネル券売機の事ですが、点キー方式を採用させてしまう事に、

p9
あまり賛成できません。それなりの工夫で世の中に対応していく生きかたもあるとは思いますが、断固反対していかないと次々に高度化が進み、人間が壊されてしまうような気がしてなりません。いつのまにか自動改札があたりまえになってしまったように、3%の消費税をなにげなく計算に入れてしまうように、ほんとうはとんでもない事のはずなのに慣れてしまっている。見直さなければならない事がいっぱいあるような気がするのです。高齢者や障害者や子供達にとって嫌な事や使いにくいものは、みんなにとっても望ましいものでないのは確かです。まちづくりもそういう視点を忘れずに進めて行きたいものです。
 工事現場やホームからの転落、柱や放置自転車などとの衝突、道路を横断しなければならない時の恐怖、日々様々な危険の中を生きているのは、私達視覚障害者だけではないと思います、全ての障害者はもちろんいわゆる健常者にとっても他人事ではない時代です。みんなでぶつけあって思いあって生きられる世の中を作れないものでしょうか。
 健常者はどうしてもボランティアになりたがりますね。だから、つい、点字ブロックの整備や点字表示、正確な音声案内に思いが向いてしまう。対等でない関係性など避けて通りたいのはだれも同じだと思います。
 「まちづくり」という言葉がまるで流行語のようにあちこちで使われはじめている今、私は点字ブロックや階段・てすりの点字表示にしがみつくようにその事ばかりに注目しているような気がします。誘導ブロックは4本線、位置ブロックは25点が分かりやすい、点字表示は…、音声案内は…。ところが、ほんとうはどうしたらいいのか分からなくなっているというのが実情なのです。
 私自身がどんな状況にあろうが、規準づくりは刻々進められて行きます。安全で快適な移動を確保しなければならないのは確かだし、多くの人達と出会って、いっしょに作って行きたいと考えています。
 ホームに駅員を二人以上配置する事。信号は音響式とする事。点字ブロック上に自転車や物を置かないよう取り締まる事。「点字ブロックの色形状・材質の分析をいっそう深めて、車椅子、自転車、どういう種類の靴にもだれにとっても安全なものを実現して提起する事」。

p10
 屁理屈点字ブロック
 的野碩郎

 点字ブロック上を歩く事は、つなわたりをするよりも難しいという人がいる。また、ある人は「視覚障害者ならホームから転落するのはあたりまえ、勲章のようなものだ」という。僕は徐々にゼロに近付いていく元弱視である。過去1回だけホームと電車の聞に片足をつっこんだ事があるくらいで、まだ勲章は持っていない。
 ところで、なぜホームから落ちるのかと聞くと「錯覚」という答えが返ってくる。ホームという構造は風の流れや音の吸収を正しく伝えてくれないのだろうか、あるいは、つなわたりという点字ブロックは靴を覆いた足には厳しいものがあるのだろうか。ホームから落ちるという事は点字ブロックというホームとの平行線とは直角に歩く事になる。いつのまにか点字ブロックの道筋とは関係なくなっている事になる。だとすれば、点字ブロックは視覚障害者にとってどんな意味があるというのだ。だれでもが足で分かる点字ブロック、どんな靴でも大丈夫となるとある程度の高さや点でも線でも刻みの深いものにするしかない。ところが、車椅子使用者や歩行障害者にとっては、そうなると危険が付きまとう。痙攣をおこしやすい人や集尿袋に負担をかける事になる。互いにどの線で妥協するかという事に次はなってくる。話に聞けば今の点字ブロックでは転落する人もけっこういるようだし、車椅子使用者からも引っ掛かるとか、振動が悪い結果をうみだすとかいわれてしまう。いってみれば双方の妥協点にまちがいがあるか、双方の推測で状況を判断しているのかもしれない。たとえば、車椅子使用者が点字ブロック上を走り続けるという事がほんとにあるのだろうか。確かにむやみやたらに敷かれた点字ブロックは視覚障害者の方向をまよわすだけでなく、乗り越える度に車椅子に振動を与えているともいえる。
 また、歩道における2cmの段差を視覚障害者と車椅子使用者の間でとりざたされているとの事だが、ほんとに2cmが互いの妥協点であったのだろうか。どこかの市区町村では段差をなくした視覚障害者もいるという。また、2cmという妥協点はなぜか垂直に切った2cmの断面がイメージされてい

p11
て、小さなスロープで段差を作るとすれば、なんcmが双方にとってよりよい数字となるのだろうか。
 要は、点字ブロックにしろ段差にしろ命にかかわりあいがあるというのなら、極めて重要な事として討論し、制作決定や法律化の場面にはなにがなんでも障害者が登場すべきであると思う。
 僕達は、以前JRが国鉄と呼ばれていた頃、駅員の配置や増員に力をいれて訴えてきたと思う。なぜか最も重要な叫びは2のつぎとなって、整備規準という名の下で建て前だけの飾り言葉となってしまった。
 国際障害者年の「おかげ」で声を掛けてくる「ボランティア」が増えた。電車の席の「座れ」「座らない」の駆け引きも凄まじいものがある。点字ブロック上の自転車の将棋倒しを楽しむ人もいる。「つなわたり」となる点字ブロックはいつのまにかテレビゲーム的要素を持って遍ってくる。ラッシュ時の点字ブロックは健常者の便利な1本道にもなり、視覚障害者にぶつかってくる。階段の登り下りもラッシュ時は、全員弱視となって足を擦って最初の段を捜す。なにかぎくしゃくとした社会がそこには在るような気がする。
 さて、いったいなにがいいたいのだろうか。結論は、点字ブロックじゃない!人間社会である。もう一度時代に逆らってもそこに戻るべきである。切符は窓口で買い、駅員に案内をさせる。人に道を尋ね、自転車を倒しては喧嘩をするべきである。
 最後に、車椅子使用者に対して分かっていないような事を書いてしまったのかもしれないが、やっぱりお互いを思いやったり推測するだけの事ではなく、きっちりと話し合える関係性を作るべきだと思う。実は、それは弱視にも当て嵌まる。杖を持たずに健常者ぶる。道を直ぐ聞けばいいのに拘る。
 あちこちで、まちづくりやその為の条例づくりが進んでいる。車椅子使用者よりもおいてきぼりを食う視覚障害者たち。自分たちの住んでいる町ぐらいなんとかしようよ。やっぱりまた戻ってくる所は「駅員を増やせ」「義務教育の中に障害者と共に生きる考え方を入れろ」という事になる。「予算が無いから、ボランティアが少ないから視覚障害者は転落するのが勲章」じゃ困ってしまう。

p12
 「カイロ問題について」
 視労協事務局(文責・的野)

 カイロプラクティック(カイロ)とは、背骨や骨盤のずれを手の力を使って強制的に整えて痛みや凝りを取ろうとする方法で、統一された免許もなければ三療業のように国家試験でもない、だれでもが、かってに看板を掲げる事もできるという代物である事はご承知のとおりである。およそ1万人ぐらいだろうとその人数は推測され、その内アメリカでのカイロの6年制大学を出てカイロのドクターを名乗っている人が60人程度といわれている。3日や1週間や1箇月ぐらいの講習会を経て看板を上げる人達に対して、三療業者は昨年「カイロ撲滅」を掲げて2500人の集会を打ったのはまだ記憶に新しいが、マスコミをはじめ世の中的には幻の集会とデモであった事も付け加えておこう。
 さて、このカイロに対して反対側の意見はおよそ大きく三つに分かれる。一つは、按摩マッサージ指圧の枠内で手技療法という見直した形で包含する考え方である。これには日盲連や全鍼師会、理教連などが賛成に回り手技療法の定義づくりや条件整備の議論を続けているようだ。二つ目は、単独立法化の考えである。これに賛成している人は少ないようであるが、先程述べた60人を含めてもう少し広げた所で線引きをしたらどうかという意見もある。三つ目は、野放しのカイロを取り締まれと言い続けるという考えである。これには終始「国リハ・あはきの会」が賛成の表明をしているようだ。
 一言に簡単にいうとこの三つである。視労協でもなん度となくカイロ問題の学習会や意見交換はなされたが、結論にはいまだ到っていない。視労協は従来より視覚障害者の利益に立ちきってという目的を掲げて運動を展開してきた経緯がある。特定の盲界のリーダーたちによって「弱い」立場の視覚障害者が切られていかないように配慮すべきであるという考え方を持ち続けている。今回の5月12日のカイロ問題の意見交換にも当然その立場の人の意見も出た事は確かである。国家試験で不合格者がけっこう存在する事や開業で手いっぱいである事や三療業がいまだ視覚障害者の唯一といっていい程の職業である事などなどがその立場の人達からはあげられ、先程述べた三つ目

p13
の取り締まりの強化と反対を言い続けるという意見であった。
 また、別の立場の人達からは包含を進める中で条件を付けていくべきであるという意見が出された。視覚障害者の三療業者にはなんらかの得点を与えるという事でたとえば、煙草屋のように何百メートル範囲には認めないとか、家賃補助をするとか、保険が取り扱えるようにするとかという考えであった。
 また、包含も単独立法も反対ではあるが、どんな定義づけをしてもそれからはみ出した「無害」な療法なるものは生まれてくるという考えも飛び出して、かつて議論の中心であった専業論も浮上してきた。確かに論議の的であったころとは状況も変わってきている。特に視覚障害者にとっての三療業は晴眼者との比率も全く逆転し、同じ視覚障害者でも三療業に携わるという事がかなり難しいものとなったいま、視覚障害者の生活や人生そのものをどう創造するのかという大問題にもつながってくるようにも思える。いまの社会は以前のように全ての障害者を切り捨てるという事はなくなってきたが、いまの社会に必要なあるいは利用価値のあるものは認められるとしたら、視覚障害者の三療業への参加も同じ事にならないだろうか。三療そのものを医療の中に位置付けよう・高めようとする動きをみればはっきりとしてくる。A免許・B免許という形で格差を付けようとする動きや準PT制度をという動きもあったが、どこかその影が見え隠れしているように思えてならない。
 カイロはたたかなければならない。絶対たたかなければならない。しかし、保険適用可能の接骨院も絶対に忘れてはならない。はりやマッサージをサービスに保険適用で患者を獲得する接骨院への怒りも忘れてはならない。
 視労協としてはきっちりとした結論は出なかったが、安易な形で結論を急ぐ事はないし、この一連の流れの中で視覚障害者の利益をそぐわないように、言葉だけではなく具体的な動きをみいだしたいものである。引き続き分析、討論を重ねていく事と視労協の三療への関心を高めていければと思う。

p14
 はじめての職場で 
 江見英一
 
 私はこの4月より東京都衛生局に配属されています。そして現在、東京都多摩市にある「多摩総合精神保健福祉センター」に勤めています。私の自宅からバスと電車を乗り継ぎ、約1時間半かけて通っています。通い始めて1ヶ月余りが過ぎたのですが、まだまだ生活のリズムがつかめず、朝は時間ぎりぎりに自宅を出て早足でバスに乗り込むという始末。帰りはと言うと、8時、9時をどうしても回ってしまい、部屋に帰ってくるとぐったりと寝るだけの生活を送っています。
 さて、私のあわただしい通勤はこれぐらいにして、次に私の職場の事を書きます。多摩総合精神保健福祉センターは、精神障害者(病者)の社会復帰の支援事業を行っています。
 その中で私が所属しているのは、「地域保健部生活訓練課デイケア」であります。ここでは、地域に住んでおられる精神障害者(病者)の方々を通所で受入れ、様々なグループワークプログラムを行い、社会適応をめざしています。私は福祉のワーカーとしてこれらプログラムに参加し、利用者の方と一緒に取り組んでいるのです。その他、デイケアの職員は利用者(メンバー)をそれぞれ何人か担当し、随時面接を行ったり、病院との連絡、調整をしています。しかし、私はまだ新人のためメンバーを持ってはいません。
 このセンターにはなぜか私が行く前から、点字プリンターや点訳ソフトがそろえられており、私が来るのを予想してい

p15
たようにさえ思えました。しかし、理由を聞けばこれもひとつのプログラムで、パソコンで点字を打つというプログラムを行っていたそうです。その他の設備に関してはまだそろっておらず、現在私が働く上でどのような物が必要か、機種を選定中です。ただ、機種の選定・研修も含めて、なかなか自分の思っているようには進まず、歯がゆい思いをしているのは事実です。役所というのは動きが遅いというか、手続きがややこしいというか…。
 このセンターには約70名ほどの職員が働いています。その全員の方すべての事はわかりませんが、私のまわりにいる方々は皆な親切で、沢山の事を私に教えてくれます。それは所内のシステムであったり、精神病の事であったり、プログラムの目的であったり、労働組合の事であったりと様々です。皆な私が視覚障害であるという事もあって、一般の新人職員より多くの事を教えてくれるのですが、何しろこちらはとにかく生活のリズムをつかみ、仕事の手順を把握し、それらに自分の体を慣れさせるので精一杯で、それらをしっかり理解する余裕がないのです。だから親切は本当に嬉しいんだけど、もう少しゆっくりとして頂ければなあと思う事があります。まあこんな悩みはぜいたくなものかも知れませんが…。
 私は大学で専攻していた身体障害者福祉とはちがう精神障害者福祉の職場に配属になりました。大学の時の福祉の勉強を生かしながらも、それだけでは物足りないものをひしひしと感じています。またゼロから新しい分野を勉強し、早く仕事に慣れるようにしたいと思います。

p16
 「過去から未来へ」
 中村隆(視労協会員)

 「闇路に闇路をふみそえて、遠く求むるはかなさよ」
 日頃、私が何らかの、人の言葉のみでは容易に表現しきれないような障壁にぶつかり、暗中模索しながら「自分の本来の人生像」について考える時に、ふとこの「白隠禅師座禅和讃のフレーズの一角」が私の心によぎる事が多々あります。
 この教典を実際に書いた白隠禅師が生きていた時代(江戸時代中期頃)背景がいかなるものか、また、禅師自身が生れ、育ち、亡くなるまでの「内なる人間観」がいかなるものであったかは、今日の社会の中で生きている私などの凡人からはほとんど想像するゆとりもありません。但し、このフレーズの中の「闇路」という言葉のひびきが、何とも言えない、今日までの私の人生のあり様とどこか親近感とも類似した部分があるようにもとれるのです。
 人は誰でも自然の摂理のままに親から順番を経て、時には複数で誕生する事もあるだろうし、そして、死ぬ時においても一人でか、人と一緒にかのいずれかのさだめのもとに変化し続けてきて、「人間の歴史・文化」というものが古来より受け継がれてきています。その時代、その時の、その人の自分自身による「自己の人生への開拓意欲の度合い、出会った人への信頼の可能性」によって、「闇路のふみそえ方」がいかようにも変わっていくように思うのです。

p17
 それから、人で生まれたならば、極力悔いのない一生を送りたいというのが誰もの願いであります。その人の人生、人間の長い歴史の営みからみれば、ほんの何十年にすぎない期間であろうとも、その間に対しては、たとえいかなる境遇・立場におかれていようとも必ず真剣に取り組まなければならない時期もあるのです。しかし、大部分の人達の考える一般的な俗世間でいう物の見方とは、「絶対に人に迷惑をかけないで人生を送るようにしろ!」とか「一度この人間は世渡りが非常に下手で、できる事ならそいつとの縁を切りたい」とか、何とも人間の歴史における短所の繰り返しを「今後とも続けるのか!」と、非常に腹立たしく思うのです。
 人は、やはり一人では楽しく生きてゆく事ができないから「社会」という営みの中で、何とか各自が微力ながらでも共に生き、すべての人達にとって「納得できる一生」が送れる社会の実現に向けて日々励んでいると思うのです。
 私自身も現在、あんま・はり・きゅうの技術を生かしたスペシャリストになるための勉強に日々精進(少しづつでも)しています。これからの社会の体制がいかなる方向に転びそうになろうとも、「ほんの少数の単位でもいいから」地域の民間レベルにおいての、「子供達の自発的趣味」についてのとりくみについて、私を含めた仲間との関係から、できる部分から動いていきたいと思っています。

p18
 書評『日本医療の経済学』
 川上武・二木 立編著
 
 昨今、高齢者医療についての関心が高まっている。それは、医療機関での高齢者処遇の問題(薬漬け、病院間の老人のたらい回し)を批判して終わりというだけではなく、なぜそのような状況がおこっているのかを医療システムや医療保険における診療報酬点数の問題まで踏み込んで論議されている。その中で「医療については医師を中心とした医療従事者にまかせる」という雰囲気は、大きく変化し、医療システムや費用の問題についても国民の関心事になっている。
 また、「介護保険」はどうあるべきかという論議は国政上の重要な問題となっている。
 身近なところでは、視覚障害者の三療業の危機的問題を語る時、一部に「三療業がせめて柔整なみに保険が取り扱えたら」という意見も聞かれる。
 しかし、私たちは医療システムや医療経済学に関しての正確な知識を持っていなかった。しかし、一部の特殊な問題を除けば、医療保険や費用問題を抜きに医療技術の問題は語れないだろう。
 この『日本医療の経済学』一人である川上武氏は、医療従事者の側から今まで日本の医療システムを分析し続けた人としてその世界では御大であり、もう一人の二木立氏は医師ではあるが現在は日本福祉大学の教授として、「介護保険」問題で活発に意見を述べている人として有名である。とりわけ二木氏はこの本以降、様々な著書を世に送り出している。
 確かに、立場上の問題からこの人達への意見は様々あるとは思うが、基本的知識抜きに医療問題が語れない状況にある以上、一つの「参考文献」として読んで損はないと思う。(梅林和夫)

p19
 〈資料1〉ヘルスキーパーの制度化を求める連絡会 
 設立準備会への参加の呼び掛け
 1996年5月1日設立準備会呼び掛け人 神崎好喜(神奈川県視覚障害者の雇用を進める会会長)  藤井亮輔(日本理療科教員連盟法制部長) 堀利和(前参議院議員)

 ヘルスキーパーは、1990年代初め、視覚障害あはき師の新たな職域として急増しました。その背景には、労働省が行った視覚障害者の雇用促進の取り組みや、多くの関係者の並々ならぬ努力がありました。
 中でも、1992年に設立された「日本視覚障害ヘルスキーパー協会」は、自らの研鑚により、労働衛生の向上に貢献し、結果としてヘルスキーパーの地位の確立を目指す先駆的な事業を展開し、多くの成果をとげてきました。
 しかし、その後の低迷する景気の下、ヘルスキーパーの新規雇用は急減し、雇用形態も嘱託など賃金や身分の面で正社員より不利なケースも増えています。また、以前から指摘のある東京・大阪と他の地域との格差も解消されず、労働省の提唱する「健康づくり運動」(THP=トータル・ヘルス・プロモーションプラン)への位置付けも難しい状況です。
 こうした問題は、ヘルスキーパーが労働衛生分野で正当な評価を受けていないこと、同じ労働行政でありながら視覚障害者の雇用促進の取り組み(職業安定行政)はなされていても労働衛生上の取り組み(労働基準行政)はなされていないことなど、ヘルスキーパーの制度化が未整備なためと考えられます。
 私たち呼び掛け人は、労働省や労使双方の団体、更には産業医の団体などにヘルスキーパーの身分や業務、社会的・職業的地位の確立を働きかけ、ヘルスキーパーの制度化を実現することが急務であると痛感し、ここに関係団体・個人の結集を呼び掛ける次第です。この呼び掛けは、ヘルスキーパーを育てていきたいと願う方々の目的とも合致するものと信じます。
 大変ご多忙のことと存じますが、是非私たちの呼び掛けの主旨をお汲み取りいただき、下記準備会に多数の団体・個人が参加されますことを切望いたします。
 (事務局註ー視労協もこの連絡会に参加する事にしました。準備会は5月19日に開催され、正式発足は6月12日となりました)

p20
 資料2 障害者の雇用・就業に関する行政監察結果(要旨)
 勧告・平成8年5月20日 報告先・労働省、文部省
 〔調査の実施時期等〕

 1.実地調査時期・平成7年4月〜7月
 2.調査対象機関・労働省、文部省、都道府県、関係団体等

 〔監察の背景事情等〕
 ○障害者のための施策の基本理念である「完全参加と平等」を実現する上で、障害者の職業的自立を図るための雇用・就業の場を確保することが特に重要な課題
 ○民間企業における障害者の実雇用率は徐々に上昇してきているものの、身体障害者雇用率(1.6%以下「法定雇用率」という。)は達成されておらず、かつ、法定雇用率未達成企業数は増加
 ・実雇用率の推移・昭和61年1.26%→平成7年1.45%
 ・法定雇用率未達成企業数(割合)・昭和61年18,371社(46.2%)→平成7年29,958社(49.4%)

 〔調査結果の概要及び勧告の要旨〕
 1.障害者の雇用促進制度の見直し
 (1)精神薄弱者を含む雇用率の設定
 @障害者のうち、身体障害者については、障害者の雇用の促進等に関する法律(昭和35法123。以下「障害者雇用法」という。)に基づき、一般労働者と同じ水準で雇用を確保する等の考え方から法定雇用率が設定され、その雇用が義務づけられているが、精神薄弱者については義務づけられていない。しかし、昭和63年度から、精神薄弱者1人を雇用した場合、身体障害者1人を雇用したとみなすとの特例が設けられ、精神薄弱者の雇用が促進されているが、一方で身体障害者の雇用義務が結果的に緩和されている。
 A安定所に求職登録している精神薄弱者の有効求職者数は増加している。
 ・精神薄弱者. 昭和63年度末5,753人→平成6年度末1万3,377人と2.3倍増
 ・身体障害者. 昭和63年度末4万1,141人→平成6年度末6万3,356人と1.5倍増
 B精神薄弱者の就労を促進するためには職業前教育、職業能力開発体制等の条件整備が必要とされるが、これらは相当進展してきている。
 ・養護学校高等部(精神薄弱)の中等部から高等部への進学率は平成6年度77.3%
 ・精神薄弱者を対象とした公共職業訓練は、昭和63年度の5校・9訓練科(定員150人)から、平成7年度には15校・22訓練科(定員340人)と充実

p21
 ・障害者に対し職業評価、職業相談・指導等を行う地域障害者職業センターが昭和63年度以降各都道府県に1か所ずつ設置され、積極的な精神薄弱者の就職支援を実施
 C精神薄弱者の職域は、従来、製造業中心であったものがサービス業等にも拡大
 
 平成2年→7年(注)常用労働者63人以上の企業
 全体12,266人(100%)→18,729人(100%)
 製造業9,054人(73.8%)→11,948人(63.8%)
 サービス業2,059人(16.8%)→3,925人(21.0%)
 卸売・小売業916人(7.5%)→2,371人(12.7%)

 [勧告]
 精神薄弱者の雇用を促進し、その職業の安定を図る観点から、精神薄弱者を含む雇用率を設定することについて早急に検討し、結論を得ること。(労働省)

 (2)身体障害者雇用給付金制度の見直し
 @身体障害者の雇用に伴う事業主間の経済的負担の調整等を行う身体障害者雇用納付金制度(法定雇用率未達成の企業から不足数一人当たり月額5万円の納付金を徴収し、これを財源として、法定雇用率を超えて雇用する事業主に対してその超える人数に応じて一人当たり月額2万5,000円の調整金を支給する等)において、常用労働者数300人以下の企業については、その経済的負担能力、納付金の徴収コスト等を考慮して、納付金の徴収及び調整金の支給は行わないとの暫定措置が講じられている。
 Aこの暫定措置は、次のような障害者の雇用の実態からみて合理的な措置とは言い難い。
 ・常用労働者数300人以上の企業では政策効果が浸透し実雇用率の改善幅は大きいが、63〜299人の企業では小さい。
 300人規模〜昭和63年1.19%→平成7年1.39%(+0.20%)
 63〜299人 昭和63年1.58%→平成7年1.60%(+0.02%)
 (100〜299人昭和63年1.48%→平成7年1.48%)(+0.02%)
 ・法定雇用率未達成企業の割合は、常用労働者数300人以上の企業では減少してきているのに対し、同じく雇用義務がある63人〜299人の企業では反対に増加しており、実雇用率の改善を遅らせている面があると考えられる。
 300人規模〜昭和63年68.2%→平成7年62.6%(△5.6ポイント)
 63〜299人 昭和63年43.5%→平成7年46.1%(+2.6ポイント)

 [勧告]
 給付金の徴収及び調整金の支給の対象範囲を身体障害者の雇用義務があるすべての事業主(常用労働者数63人以上)に拡大するよう検討すること。(労働省)

 2障害者雇用対策の充実

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 (1)法定雇用率の達成指導
 @民間企業の実雇用率は、平成7年6月現在で1.45%と法定雇用率(1.6%)を未達成。法定雇用率未達成の企業に対して安定所長は雇入れ計画作成命令を発出することができるが、命令発出企業数は、法定雇用率未達成企業が増加する中、平成2年度の428社から6年度は150社へと著しく減少しており、雇入れ計画作成命令の発出対象とする事業主の範囲の見直しが必要
 A国、都道府県、市町村の実雇用率を平成7年6月現在でみると、現業的機関(法定雇用率1.9%)はいずれも法定雇用率を達成しているが、非現業的機関(法定雇用率2.0%)は国が2.06%、都道府県1.64%、市町村が2.27%と、都道府県は未達成。これは、県教委の実雇用率が全国平均で0.98%と法定雇用率を大幅に下回っていることが原因
 労働省は、身体障害者の雇用が義務化された昭和35年から実雇用率の算定上除外することとされていない中学校、高等学校の教員について実質的に採用計画の作成を免除する特例的取扱いを平成6年6月まで実施してきた。このため、文部省においても、障害者の採用に関する具体的な措置は不十分

 [勧告]
 @雇入れ計画作成命令の発出の対象とする事業主の範囲を拡大すること。(労働省)
 A県教委の法定雇用率の達成を促進する観点から、@)私立を含めた中学校及び高等学校における障害者の採用・勤務環境についての好事例の把握、A)障害者にも配慮した中学校、高等学校の施設・設備の整備、B)教員採用方法の改善等、障害者の採用を促進するための方策を早急に検討し、逐次実施すること。(労働省及び文部省)

 (2)重度障害者の範囲の見直し
 障害者雇用法上の重度身体障害者は、身体障害者福祉法(昭24法283。厚生省所管)上の障害等級表1〜2級に該当する者とされ雇用対策上特別の配慮が行われている。しかし、障害等級表上の障害の程度と就職困難度や職業能力からみた障害の程度とは必ずしも一致しておらず、身体障害者の就業率には障害の種類・程度によって相当の差でみられる状況
 ・身体障害者就業率(求職登録者に占める就業者の者の割合)では、聴覚障害の「重度」は81.8%であるのに対し、内部障害の「中・軽度」(3・4級)は56.1%(平成6年度末)
 ・脳性マヒ等の場合、障害等級は3級であっても職業能力上は重度と同様な者が見られる。

 [勧告]
 重度障害者の範囲について、現行の定義による重度身体障害者に加え、個々の職業能力に応じて重度の認定を行い雇用対策上の支援の充実を図ること。さらに、個別認定の実績をも踏まえ、身体障害者雇用対策上の支援の充実を図ること。さらに、個別認定の実績をも踏まえ、身体障害者雇用対策に用いる職業安定機関独自の重度判定規準の作成を検討すること。

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 3.特殊教育諸学校高等部における職業教育及び就職指導の充実
 @文部省は、平成元年の学習指導要領の改定により職業教育の充実を図ってきているが、特殊教育諸学校高等部卒業者の就職率をみると、平成6年度の卒業者で養護学校は30.6%、盲学校は40.2%とかなり厳しい状況
 A養護学校高等部(精神薄弱)において職業学科を設置しているものは、調査した23校のうち4校のみであり、その設置・普及は今後の検討課題。また、同高等部普通科で実施されている作業学習の種目と実際に就職している業種とは関連が薄い状況
 B盲学校高等部における職業教育は、あん摩マッサージ師、はり師、きゅう師(三療)の資格取得を目的とする教育が中心となっているが、全国共通の国家試験となり試験内容が高度化したこともあってその合格率は低下。一方、三療以外の職業学科を設置している盲学校は60校中4校と少ないが、情報処理科の卒業生は就職率が高いことなどからそのあり方を検討することが必要
 C特殊教育諸学校における現場実習は障害者の社会的自立・就職を促進する上で重要な学習形態の一つであるが、実習先企業の確保あるいは進路指導をする上で学校が安定所又は地域障害者職業センターと連携し効果を上げている例がある。

 [勧告]
 @養護学校高等部(精神薄弱)における職業学科の設置について、調査研究を進めるともに、作業学習については、最近の就職動向にも対応した科目を選択・導入するなどその充実をはかるよう都道府県教育委員会を指導すること。(文部省)
 A盲学校高等部における職業教育については、情報処理関係学科等雇用動向に適合した科目の導入・普及について検討するとともに、三療試験の高度化に対応した学科の編成、教育内容等の在り方を検討すること。(文部省)
 B現場実習及び進路指導の効果を高めるため、学校と安定所等との組織的な連携を確保するための仕組みを確立すること。(文部省)

 4、その他の主要勧告事項
 ・除外率の見直し
 ・障害者職業能力開発校における入所対象者の拡大
 ・障害者職業相談員の有効活用
 ・優遇税制の利用の促進

p24
 JB[われら+障害+情報]発信基地
 ジョイフル・ビギン No.6
 特集/介護
 遠くて近い国ドイツ〜障害者の介護保障〜……編集部
 ヨーロッパのノンステップパス導入の背景……村上博
 全身性障害者登録ヘルパー制度スタートから半年……渡辺正直
 介護制度の現状と課題……益留俊樹
 聴覚障害者が手話通訳者を選ぶ権利……稲葉通太
 これからの盲ろう者福祉通訳介助保障を行政の手で!……門川紳一郎

 世界に問いかけた優生思想
 第4回国連世界女性会議〜NGOフォーラムに参加して……堤愛子
 中国母子保健法の施行に思う……七野敏光
 国はおかしたあやまちを謝罪せよ……松木信
 私が私として生きられるために〜ゲイとして、HIV感染者として〜…大石敏寛

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 J(校正者注:Jは○で囲んである)ジョイフル・ビギンB(校正者注:Bは○で囲んである)

 No.1 まちづくり
 No.2 自分でつくる自分の生活
 No.3 はたらく
 No.4 障害者と阪神・淡路大震災
 No.5 権利擁護
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 編集後記

 公的介護保険制度の法案提出が微妙な情勢になっています。この問題に関して障害者運動の側も、(賛成であれ反対であれ)積極的な議論が必要な気がします。/優生保護法の改正案が自民党から示されました。DPIを中心に厚生省や関係議員にアプローチしています。国会の会期末までわずかの時間ですが注目を。/障害者の雇用・就業に関する行政監察結果とそれに基づく勧告が総務庁から出されました。要旨を掲載したのでじっくり読んで下さい。重要な内容となっています。/梅雨入り間近となってきました。みなさん元気で御活躍下さい。(奥)


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 199「」年(校正者注:「」内空欄)6月10日
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 発行者 身体障害者団体定期刊行物協会
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 視覚障害者労働問題協議会


■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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