HOME > BOOK > 雑誌 > 『障害の地平』 >

『障害の地平』No.84

視覚障害者労働問題協議会 編 19950922 SSK通巻第593号;身体障害者定期刊行物協会,24p.

Tweet
last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 19950922 『障害の地平』第84号,SSK通巻第593号;身体障害者定期刊行物協会,24p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK増刊ー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!

 ー視労協ー
 障害の地平 No.84
 
 参加、待ってるよ20周年イベント(10/22)
 視覚障害者労働問題協議会

 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九五年九月二二日発行SSK増刊通巻五九三号

目次
 視労協的気分
 見えない明日―身の回り総点検 的野 碩郎・・・・1
 筑波技術短大は今 有宗 義輝・・・・5
 視労協の20年を振り返って 込山 光広・・10
 視覚障害者のアクセス権の確立に向けて 事務局・・12
 盲人教師を盲学校に 吉沢 昌江・・16
 飛べ、飛べ、視覚障害者 (その5) 加藤 けんじ・・17
 情報交換ポケット(2)何故点字の市民権なのか 森 登美江・・21
 お知らせ「第1回障害者政策研究全国集会」・・・・・・22
 視労協活動日誌・・・・・・・・・・23
 視労協20周年式典と祝宴への御案内・・・・・・・・・・・・・・24
 会費・定期購読費納入のお願い
 編集後記

p1
 視労協的気分「見えない明日・・・・身の回りの総点検」
 的野 碩郎

 1
 身の回りの点検というと小学部時代、盲学校でもチリガミ、ハンカチ、耳あかという担任からの作業があったのを思いだしてしまう。チリガミはもちろんポケットティッシュではない。「国民の紙 クロチリ」であったし、ハンカチも柄はなく白いハンカチであったことを思いだす。今、盲学校は統廃合というなかで生徒の重複化、生徒数の激少化現象に見舞われているという。僕の時代には、つまり1950年代には役場の職員や福祉事務所の職員が村を歩いて「盲学校のすすめ」をしていて、僕もその一人となったわけである。三療の資格試験が国家試験になってから、盲学校は変ったようだ。いままでの都道府県の知事免許取得の時のように、比較的障害者に有利といわれた実技試験も、他の府県へのいくつかの受験ということもなくなって、視覚障害者は「不合格」者を抱えはじめてしまった。先生も生徒も夏休みを返上して補習授業にあけくれているのだそうだ。授業も課外授業もそのための方向性をもって動いていくということらしい。はっきり言って、一回落ちてしまうと合格するのもそれなりに難しいだろうし、未だ盲学校で国家試験不合格者に対しての進路指導の決定打を打ち出していないようだ。もう3年になる。就職にしろ、もう一度のチャレンジにしてもどこかで学校側が決断をするときがくるのだ。そのとき、つまり不合格者に対して責任を放棄するとき、誰が学校に代わって責任を取るのだろうか。切り捨てられる障害者を親や施設といったところだけに押し込んでいく在り方だけは避けて欲しいものだ。ましてや以前、晴眼者のもぐりの三療批判をしたことを棚上げにして、視覚障害者のもぐりの三療師を黙認なんてことは、絶対避けてほしい。いずれにし

p2
ても、今、真剣に取り組まれているだろう不合格者に対しての救済が、時の流れのなかでなれっこになって風化されて、忘れられるようなことのないようにみんなが監視し続ける必要があると思う。片方で専攻課過程の大学化への転換が進もうとしているなか、視労協をはじめとする心ある人達の粘り強い三療を守る闘いが必要とされる。
 2
 最近ある障害者団体(視労協ではないが)の内紛に巻き込まれてしまった。巻き込まれたというより、僕はそこの役員もしていた訳だから当事者に近いと言えるかもしれない。その内紛とは、今までの執行部の動き方やとらえ方が甘いというものであった。確かに今の障害者運動は全体的にそうかもしれない。理屈や理論だけを振り回している古いリーダーに対して、若者たちは大分嫌気がさしていて、生活に直結した、あるいは社会のなかで自立して、あるいは地域で生きるといった生活・・生き方・・自立を模索しはじめたように見える。しかし、僕には未だそのことが分かっていないのかもしれない。
 僕も三療という形で開業して、地域との接点を治療という形だけでなく、障害者としての視点、自立した形での視点をもってこの10ヶ月、さまざまな呼び掛けを展開したがかんばしくない。やっぱり内紛のなかでクローズアップしたとらえ方や動き方が甘いのかもしれない。ビラをまいたりスペースを提供するだけでは人は集まってこなかった。価値観が多様化しているようでは尚更のことかもしれない。では、真の自立・障害者の主体的な行動とはなんなのだろうか。今、僕は金とエネルギーが欲しいと素直にいえる。障害者の自立とは二重にも三重にも困難がつきまとっている。社会つまり地域のなかの今ある差別意識との闘い、障害者自身が内なる部分に同時にもっているだろう差別性、そして、生まれてから今まで生きてきたところの教育や生育歴や環境が生み出した差別観。手をつけていない内外の多くの差別をなくす為の闘い。自立とはとらえ方や動き方が甘くないようにすることも含んでいる筈で、地域で上手に生きるということは結構遠いところにあるのかもしれない。最近出くわした内紛のなかから、そんなことを僕なりに感じ、真の自立を考えた。
 障害者の政策立案への参加がここのところ話題になっている。議員を巻き込んだり、多くの価値観の異なった人達を一定の幅で取り込んで行こうとする試み等、訳の分からないぐらい動きが出てきている。政治の世界でも与党

p3
も野党も違いがだんだん分からなくなっている。
 そんなこんなの話題のなかからも、僕自身の生き方そのものを見直す機会を得たいということと、障害者や運動そのものの在り方がほんの少しだが見えてきた。錯覚に陥ったことも事実である。なお、このところの文章が舌足らずのところはあしからず。
 3
 見えない明日と言えば、僕の開業は未だに見えないが、手の打ちようもないのも確かだ。開業そのものにも見えないことがある。家賃・・金・生活費・・金・体力・・エネルギー・拘束時間・・エネルギーという問題から治療費と生き方、医療に対する考え方、職業としての三療のもつ意味などなど限りなくある諸問題。もう片方にある障害者問題としての三療とこれまた重い難題がある。
 多くの仲間はさっさとこれらを素通りするか、気楽にまたいで行ってしまったのか、それさえも感じないで行ってしまったのか、声も動きもほとんど聞こえてこない。
 障害者運動としても商売としても手に負えない。両立も不可能。「按摩だけが人生だ」には僕はなりたくない。
 学生時代、アルバイトで温泉場に出かけたことがある。生活は昼に起きて、夜中まで仕事して夜食という名の夕飯を食べて、疲れをとる為の酒を飲む。この繰り返しのようだった。少なくとも僕の行った業者では読書を含んで趣味を時間外に取り込んでいる人はいなかった。みんなラジオを聞くか、ゴロゴロするか、パンツを洗うかだった気がする。ほんの少し形が変わったかも知れないが、今の僕もその延長線にいるような気もする。ということは「按摩ばかりの人生だ」ということになる。やっぱり僕は自立していないことにもなる。「按摩ばかりというのがなぜ悪い?」と言われるのも覚悟はできているが、障害者運動を趣味としてきた僕としては遠のいたことが、とても寂しいし苦しい(いつも似たことを書いているが、さらにしつっこく「点字ジャーナル」9月号にのせたのでそちらを一読してほしい)。
 4
 やっぱり総点検の締めくくりは酒である。僕は酒飲みで、妻は酒嫌い人間である。わが家のトラブルはすべてこれに尽きる。もはや僕は酒を友と呼んでいる。かって妻は「愛する人」であったが、今は酒同様友である。だがし

p4
かし、酒と妻は最悪の関係である。酒は僕の目の視力を落とし、身体をだるくもし、家族に迷惑もかける。断酒会をすすめる視労協の仲間もいる。だが、僕の生き方の最も中心にある酒という友を裏切ることはできない。過去1ヶ月間、裏切って禁酒をした。そのことで僕はなにも変わりはなかったし、これからもない。
 ある一部の人が視労協は酒を飲む為に運動しているといった。それは外れている。一般的に飲んだり、食べたり、聞いたりすることに視覚障害者は強いからだと思っている。
 いずれにせよおいしい酒、楽しい酒が飲めるようにしたいものだ。僕は未だに安い酒にこだわり、早く酔えることにこだわって喧嘩し、鉄柱にぶつかり、お巡りに説教をくってしまう。そんな人生が好きなのだが、考え方によれば見えない明日を飲んでいるとも言えそうだ。
 なんにしても、また一つのぬかるみから、なんとか抜け出す努力――エネルギーを使わなければならないところにきたようだ。
 (校正者注:挿絵省略)

p5
 筑波技術短大は今
 筑波大学付属盲学校
 有宗 義輝
 はじめに
 1978年以来の約10年間は、いわゆる「国立身体障害者短期大学(現筑波技術短期大学)」の創設反対に明け暮れした日々であった。なぜにそれほど情熱を込めて反対をしなければならなかったのか。その反対が意味を持っていたのか。はたしてこの運動は、視覚障害者教育や理療教育にとって、正しいものであったのか。筑波技短開学後、10年が近づきつつある今、これらの点について考えてみたいと思う。
 1. 短大反対運動の経過
 1972年に、理教連が当時の専攻科生を対象に「今後の専攻科のあり方」をめぐって、アンケート調査を行った。その結果、72%の者が「短大になるべきだ」と回答したのである。それを受けて理教連は、専攻科の短大昇格の方針を打ち出した。一方、筑波大学付属ろう学校のPTAから始まった、聴覚障害者向けの短大作りは、筑波大学及び文部省を動かす事となり、付属盲学校も巻き込まれていく事となった。これがボタンのかけちがいの始まりだったのである。即ち、専攻科の生徒や付属盲学校が求めていたのは、「専攻科の短大昇格」であり、付属ろう学校や文部省が考えたのは、1校だけの障害者短大作りであった。
 1978年に短大創設の基本方針が発表されるに至り、付属盲学校の教官会議は、これに多くの疑念を抱くようになった。また、その疑念は、付属盲学校卒業生を中心に学校外へも広がっていったのである。
 疑念の最初はごく単純なものであった。1校だけの短大を作る事は、他の専攻科の昇格を妨げる事にならないか。まして、従来より

p6
専攻科の短大昇格を計画していた付属盲学校にとっては、別の短大が作られる事は、同じ国立の短大と付属盲学校の専攻科が併存する事となり、そこに競合状態が生じるのではないか。そして、既存の専攻科卒業生と短大卒業生との間に、新たな差別を生み出す事になるのではないかというものであった。
 ところがこの疑念は、短大関係者にとっては最も面倒で触れたくない問題であった。なぜなら文部省にとってみれば、「新たな短大作りか、専攻科昇格か」のテーマは、そのまま教育大学の筑波移転問題が抱えていた疑念と同じだったのである。また、筑波大学関係者にとっては、「新たな短大作り」は、従来より何かとうるさい付属盲学校組合を、この話題から排除するのに恰好な手段であった。
 その後、我々が教官会議を通して筑波大学へ向けた短大に関するあらゆる質問は、ほぼ無視される事となった。ただ、しつこく迫る付属盲学校側の主張によって、やむなく創設計画は次の2点で修正されたのである。
 (1)針灸学科においても、あんまの免許取得可能とする。
 (2)視覚障害部に音楽科は設置しない事とする。
 これは結果的に、現在曲がりなりにも短大が存続しえている事実の手助けを、我々がしてしまった事になるのではあるが。
 そして、付属盲学校内には「短大問題検討委員会」が組織され、校外には視労協を始めとする「短大反対連絡会」が結成されて、手を結んでの反対運動が展開されたのである。
 2. 反対派の主張と短大の現状
 反対派の主張はおよそ以下の4項目に集約される。その主張と短大の現状を比較、検討してみたい。
 主張の1は、障害者短大などを作ると、一般大学からそれを口実に視覚障害者が閉め出されてしまうのではないか、という事であった。
 この疑念は短大創設計画の初期において、「将来は短大に文学部など一般学部も創設したい」という計画があったため、より切実に心配された事であった。しかし、この文学部創設計画は、我々の主

p7
張を受けてあえなく消えてしまい、音楽科も共になくなったのである。と同時に、高等部進路指導の教員をはじめとした努力により、現在、一般大学の門戸はさらに開放されつつある。
 主張の2は、短大を1校だけ作る事は、既存の盲学校専攻科の昇格を妨げる事にならないかという事であった。これは全くその通りであり、筑波大学にとってはもちろん、文部省とっても、障害者のための高等教育機関創設などは、すでに完成しているのであり、今後、盲学校の生徒減に伴う統廃合問題とからんで、専攻科の将来像を考える事は、更に重大なテーマとなってくるであろう。
 主張の3は、同じ国立でありながら、短大と付属盲学校専攻科が、競合してしまうではないかという事であった。これは短大関係者にとっては、何ら心配のいらない事であった。短大に学生が集まるために付属盲学校専攻科は生徒不足となる。そうなれば専攻科を自然消滅の形でおさめればよい。短大人事に絡めて、組合消滅を図るよい機会なるわけである。ところがこのもくろみは大きく外れてしまった。集まるはずの短大に学生が集まらないのである。付属盲の専攻科の消滅もおこりそうにはない。(この理由については後述するが)現状として細々とお互いが、競合しつつ併存しているといったところであろうか。
 主張の4は、1校だけの短大創設では、昇格を求めた専攻科の卒業生達に何らのメリットがなく、かえって短大の存在のゆえに、専攻科卒業生が新たな差別を受ける事にならないかというものであった。この懸念は今でも消えたわけではない。ただし、まだ卒業生を2期しか出していない現状では、評価しきれないところである。が、1994年11月に関東地区進路指導協議会において、短大関係者から出た発言に注目しておきたい。それは「あはきの免許を段階別免許とし、短大及び大学の卒業生には特級免許とでも言うべきものを与えたい」というのである。
 3. 短大の問題点
 当初、1982年開設をめざした短大創設も、反対運動の盛り上がりなどから、ようやく5年遅れの1987年になって開学となっ

p8
た。
 現在までに短大は2期の卒業生を送り出しているわけであるが、種々の問題点を抱えている。それを次にあげてみよう。
 (1)定員
 視覚障害部においては、理学療法科を除いて、ほぼ入学定員を満たせないでいる。ある程度普通学校からの弱視者掘り起こしには成功しているものの、盲学校出身者、特に重度視覚障害者の入学が少ない事が目立つ。
 (2)所在地
 視覚障害者にとって、どのような学習環境が適当かなど全く論議されぬまま構想された短大であるために筑波地区を嫌う学生達が多く、さらに入学定員を満たせない状況に拍車をかけている。この地域的問題は、都会での就職先を探し得ないという現状の遠因ともなっているであろう。
 (3)学習環境
 盲学校とはけた外れの国費を使っているだけに、短大の施設、設備は整っている。ところが、点字のレポートを受け付けない講座があったり、就学奨励費が適用されないため学生の経済的負担が大きいなど、学習環境は決して恵まれているとは言えないのである。
 (4)あんま課程
 鍼灸学科であんまの国家試験受験資格は得られる。これは先にも書いた通り、我々の主張(鍼、灸だけで視覚障害者が自立していけるか)によったものであった。しかし、鍼灸学科はあくまでもその目的が異なり、あんまは単に選択科目にすぎない。そこでカリキュラムには当然無理があり、この面の指導不足は顕著である。
 (5)国家試験
 では、あはきの国家試験合格率はどうか。2年にわたって送りだした卒業生のうち、2年とも不合格者を出すに至っている。医学の専門家や研究熱心な指導層はそろっているかもしれないが、真に教育現場で体当たりで学生に対処する教員は、ほぼいないと言ってよいであろう。
 (6)就職

p9
 鍼灸学科の1期生は13名であった。入学時は17名が卒業時にはこの数字である。そのうち就職できた者5名、うち1名が事務職、2名が地元盲学校での紹介。情報処理学科にあっては、今後更にきびしい状況となるであろう。
 (7)進学
 ここで進学と言えば、鍼灸学科から理学科教員養成課程施設への進学という事になる。今までのところ11名が受験し、1名のみの合格である。
 これらの問題点は一言でいえば、付属盲学校との競合を恐れず、我が世の天下を夢見た短大関係者の甘さからきた結果であると言えよう。
 4. 今後の課題
 短大反対派の立場の私として書いてきたから、こうなるのかもしれないが短大は当初からの問題点を抱えたまま存続を続けている。かと言って、今更文部省はこれをつぶす事もできないであろう。では、どうずればよいか。
 私の立場から言えば、短大はどうなってもよい。そこに行った学生が気の毒だという事を除くならである。しかし、専攻科をどうするかという問題は、依然として解決していない。それどころか、生徒減等からいよいよ専攻科の限界は見えてきている。大学を出れば学士号、短大を出れば準学士、更に今は専門学校卒業生が専門士の称号を得られる事となった。そして、晴眼養成学校及び視障センターはいずれも専門学校である。あはきの場合、専門学校を出ると、「専門士(医療分野)」を名乗る事ができる事となった。一方、専攻科を出た者には何も与えられない。これがまた将来新たな差別へとつながっていかないだろうか。盲学校専攻科は、もはや今の数ほど必要はない。数は減らされても、少なくとも大学、短大、専門学校、いずれかの高等教育機関として生き残っていかなければならないのではないだろうか。存在も含めて、この事を切実に考えなければならない時が来ていると考えるこの頃である。

p10
 視労協の20年を振り返って
 込山 光広

 視労協が結成されたのは1975年10月26日である。その日、都障害者福祉会館に集まったのは20数人。東京都や特別区に対して、私を支援して、視覚障害者の採用を求めて運動している仲間達だった。日曜日の午前中とて、会館内は深閑としていた。結成集会とは言うものの、麗々しいプログラム(お祝いや連帯のあいさつ)はなく、運動の基本的考え方を確認し、代表と会費を決め、当時交渉していた都への対応について話し合い、正午には閉会した。昼からは交流会となり、これが視労協の「良き伝統=大いに交流を深める事」の原点になったと言える。
 視労協の歴史は、活動の活発な前期10年、停滞した中期、そして「原点からの出発」を誓い、「着実に」運動している後期に3区分できる。この20年の中で運動を共有し、触れ合いを感じた多くの仲間がいたが、思想的な差異による感情的なわだかまりにより、あるいはとくにこれという理由もなく、自然消滅的に去っていった者も数多い。誠に残念な事である。私はそういう人達との新たな出会いを期待するとともに、新しい仲間を求めて活動した。
 さて視労協運動を振り返って、活動が盛んな頃のエピソードをいくつか挙げて、私が古き良き懐かしき日々の想い出に浸る事をしばしの間許してもらいたい。
 会議は月に2回の定例会の他、臨時会もよく開いたものだ。場所が決まっておらず、「コーヒー館」、「ルノアール」など喫茶店を渡り歩き、大学や公営の施設を利用した「宿かり会議」であった。参加者は大体20名前後。会議のたびに新しい顔があり、自己紹介は必須であった。社事大の25番教室を使っていた頃、40人程度集まり教室に入りきれず、伝達者をおいて会議をすすめた事もある。

p11
 会議と言えば、運動を効果的に推進するために、具体的な戦術をめぐって大いに議論された。従来の視覚障害者の運動が、お願い調であったのに反し、私達は働く権利をきちんと主張した。従って交渉は要求交渉であり、行政を追及する場となった。それを有利にするために、ビラまき、街頭署名、座り込みなどをした。「盲界」では当時、それは非常に過激とみられた。会員に非常に温和で慎重なTさんがいた。彼はインテリで、「良識派の市民」であった。私達は戦術を決める際、市民運動として誰にも納得してもらえるものにしたいと思っていた。そのバロメーターがTさんである。彼が納得する戦術なら「我に理あり」で、それは過激でなく市民に十分受け入れられるものと考えられた。「Tさんを納得させろ」が一つの標語だった。都との交渉で民生局の身障部長が、点字受験を認めない理由として、「都の職員20数万全部が視覚障害者になったら、行政が円滑に運営できなくなるので困る」と珍発言。人事委員会の事務局長が、私達の「点字受験を認めないのは差別である」との主張と追及に対し、業を煮やし「差別、差別と言うな。不愉快だ」とプリプリ怒っていたのも滑稽だった。
 教育委員会との交渉でも話題に尽きない。埼玉県教委では、「視覚障害者が教師になると生徒が非行に走る」などと言い、その彼を写真に撮ったら烈火の如く怒った。千葉県教委では、指導部長が一方的に交渉を打ち切り、アコーディオンカーテンを開いて、あらかじめ待機させておいた職員に守られて逃げ出した。市民ホールで追いついた私達は部長を捕まえ、中には職員や警備員と相撲をとる人もいた。市民ホールにも関わらず、「ここはお前達の来る所ではない」と暴言。部長は、混乱で破れた背広の袖を記念(証拠)に取っておくと言っていたが、今でも大切に保存しているのだろうか?。
 都教委の誠意のない対応に、教員採用試験をボイコットしょうとした事もある。受験者5人全員が視労協会員で、事前に点字試験の時間延長を申し入れていた。前年に習って当然時間延長があるものとして、当日試験に臨んだが、都教委は時間延長を認めなかった。「話が違う」と都教委に迫ったが、らちがあかない。私達は「要求がいれられなければ試験をボイコットする。教委の不当性を社会に訴える」と宣言。あわてた都教委は「あなた達が好きなだけ、いくらでも延長を認める」と、またまた不真面目な態度。最終的に適切な延長(1.5倍)を認めさせて受験した。
 エピソードはまだまだある。その一つひとつを思い出すたびに視労協運動の20年が私にとって意味深いものである事を実感させられる。

p12
 視覚障害者のアクセス権の確立に向けて
 ―「福祉のまちづくり条例」への要望―
 視労協事務局
 大阪、兵庫における「福祉のまちづくり条例」制定を契機として、現在、47都道府県の過半数以上の自治体で既に制定あるいはそのための検討に入っている。
 東京都においても、本年4月、条例の一部が施行されたがその概要は以下の通りである。
 1. 前文「(前略)福祉のまちづくりの目標は、そこで生活するすべての人が基本的人権を尊重され、自由に行動し、社会参加のできるやさしいまち東京の実現である。われわれ都民の願いは、高齢者も若者も、障害をもつ人も、もたない人も、また、大人も子どもも多様な個性を有する一人ひとりが自らの人生を選びとり、それぞれの生活を尊重しながら、心優しく、相互に支え合っていける社会の構築である。(後略)」
 2. 福祉のまちづくりに関する基本的施策――@推進計画の策定。A高齢者、障害者等の福祉に関する教育及び学習の振興、広報活動の充実。B都民や事業者に対する情報の提供。C円滑な利用や移動に関する調査、福祉用具等の研究開発・普及。D事業者等に対する支援としての助成。
 3. 一般都市施設の整備――@整備基準への適合努力義務。A整備事項(出人口・廊下・階段の構造、エレベーターの設置、車いすで利用できる便所及び駐車場、案内表示・点字ブロックの設置、歩道及び公園の園路の構造、その他)※施設の種類・規模によって定められる。
 4. 特定施設(一般都市施設で規則で定める種類及び規模のもの)の整備――@届出(新設、改修等)。A指導及び助言。B既存特定施設の状況の把握。C勧告(届出のない場合、整備基準に適合していない場合)。D公表(勧告に従わない場合)。E立入調査。
 5. 一般都市施設以外の整備――@車両等。A住宅の供給。B福祉用具等の品質の向上。
 6. 福祉のまちづくり推進協議会の設置――@推進計画の検討。A委員30

p13
人以内で組織。B2年任期。C臨時委員及び専門委員の配置、部会の設置。
 7. 条例の施行期日――1995年4月1日。ただし、前記3、4については1年6月を超えない範囲で規則で定める日から施行。
 今回の条例制定にあたっては、視労協として他の障害者団体と共に積極的にとりくんできた。その立場からみた時、制定過程や条例そのものにいくつかの問題点がある事を指摘せざるを得ない。しかし、条例の実質的な内容となる整備基準等、規則の検討が開始されようとしている現在、そこへの早急な対応が求められている。大阪、兵庫をはじめ、先進的な内容を持っていると言われる町田市などを例にみても、視覚障害者に関わる項目は、点字ブロック、点字表示、音声案内の極めて限定的な整備にとどまっている。こうした状況をふまえ、「条例での明確な位置付け」をさせるための要望事項をまとめてみた。内容的に不十分な点、また、必ずしも「条例」に該当しない項目もあるかもしれないが、広い意味での「まちづくり」の観点から、とりあえず提起してみたい。さらに、今後は他の障害者との間での十分な討論も必要であろう。
 1. 基本的な視点
 (1)視覚障害者の立場に即した総合的、体系的な情報提供システムの確立。
 (2)人的対応の必要性と有効性を認識し、制度化を図るとともに、障害者に対する市民一人ひとりの意識変革を進める。
 (3)当面する整備課題と、中・長期的課題とを明確にし、目標年次、費用負担(公的補助も含めて)のあり方などについても明らかにする。
 (4)視覚障害者誘導システム、各種福祉機器、バリアフリー商品等の開発、実施のための研究機関を当事者中心の構成で設置する。
 2. 具体的な整備対象とその内容
 (1)鉄道駅 
 @総合的な音声案内――駅の位置(駅名)を知らせる。券売機、改札口の方向を知らせる。ホームにおける入線、行先、急行・特急などの種別を知らせるアナウンス。車内における正確で適切な音量によるアナウンス。トイレの位置と男女の区別を知らせる。
 A点字表示――すべての券売機のすべてのボタン。階段手すり(両端及

p14
び中央)に線名、番線、出口へつながる場合はその出口の名称など。点字及び拡大文字による運賃表、構内全体の点字マップを作成するとともに、設置の場所、方法を統一化する。トイレ内部の触地図。
 B点字ブロック――駅入口から券売機、改札口、通路、ホームヘの連続性の確保。形状、長さ、突起、色調、誘導・警告の意味の明確化等、当事者が最も使いやすいものに統一する。
 C安全対策――転落防止用の柵の整備。ホームドア方式の拡充。柱などの撤去。駅員による対応。
 D有人改札を2ヶ所とする。又、現状においても必ず駅員を配置する。
 E障害者対応マニュアルの作成(通常時及び非常時)
 (2)バス
 @停留所への誘導(音声など)。
 A外に向けての行先を告げるアナウンス(適切な音量で)。
 B正確、適切な音量による車内アナウンス。
 (3)タクシー
 @タクシー乗り場への誘導(音声など)。
 A車内の点字表示(会社名、車番号など)
 (4)建物
 @出入口への誘導(チャイムと建物の名称の併用。点字ブロック)。
 A建物全体の触地図及び説明書の作成。
 Bエスカレーター、エレベー夕ーヘの誘導(音声。点字ブロック)。
 Cエレベーター外及び内部のボタンヘの点字表示、音声案内、ボタンはタッチパネル式でなく凹凸のはっきりしたもの。
 D部屋の名称及びホテルなどでの番号の点字表示。
 E非常口への音声による誘導。
 (5)道路等
 @自治体などによる駅周辺、バスターミナル、地下街、商店街などの点字マップの作成。
 A音響式信号機の拡充。
 B各種「工事中」の際の安全対策マニュアルの作成。
 C点字ブロック上の物を撤去させるために罰則規定を設ける。(駐車場、駐輪場の設置が前提)

p15
 D主な交差点や路地の入口等に「通りの名称、町名、番地、方向」などを点字表示できる案内板の設置。
 E地下鉄入口への誘導(音声で)
 F公衆電話への誘導。
 (6)金融機関
 @視覚障害者も使えるATMの設置。
 (7)店舗
 @店内の触地図の作成。
 A買物などについての人的対応の制度化。
 Bレストランなどでの点字メニューの作成。
 (8)その他
 @バリアフリー商品の開発を当事者の意見を尊重して進める。商品への点字表示やカタログ作成を制度化する。
 A映画館、劇場、列車などの座席への点字表示。入口に触地図の設置。
 B公共料金等の点字による通知。点字による申請等が可能になる体制の整備。
 Cガイドヘルパー制度の充実。
 D盲導犬を伴っての移動と利用を保障するため、違反した場合の罰則規定を設ける。
 (校正者注:挿絵省略)

p16
 盲人教師を盲学校に
 吉沢 昌江
 (筑波大学付属盲学校音楽科教論)
 
 先日A盲学校にBさん(A盲学校中学部出身、音大卒)について、大学卒業後もう少し色々な経験を積んでもらうため、A校に対し、ボランティアのような形で音楽のクラブの指導という形で少し通わせてもらえないかという話をもちかけた。
 ところがこの話がとんでもなく発展して、現職の音楽の先生が数年で定年退職となるから、その後任としてBさんを推薦してもよいとの返事をいただいた。
 A校に就職する為には勿論教員採用試験に合格しなければならない。その県の教育委員会に問い合わせたところ採用試験の点字受験は認められているということだった(ある方から聞いたところによれば点字受験者は受けさせるが、積極的な意味では合格させたくないようだ)。
 とりあえず、Bさんには今年度の採用試験を受験してもらった。結果は思惑どおり不合格であったが、毎年受験することで誠意を示して貰うつもりである。
 他の教科でもそうであろうが、特殊点字の問題やその他学習面、精神面で盲人の様々な便宜をはかること・或いは一生この仕事というような盲教育への熱意など、盲学校ではある一定数の盲人教師が必要である。
 筑波大学教員養成施設の音楽課程が廃止され、同課程出身の盲学校音楽教師が次々と定年退職されたため、盲学校に盲人音楽教師がいなくなった。
 現職の盲学校音楽教師も人事移動が多く、生徒の中で点字音譜の指導を受けたことがない者もいる。
 ところで、本校の人事採用に卒業生をという御意見は大変もっともなことではあるが、音楽科は各ジャンル(楽器、声楽、音楽理論など)が、それぞれ独立した分野としてある意味では分断したシス

p17
テムとなっており、それぞれの生徒に対して職業音楽家となるべく教育する使命にある。その為、人事に際してはそれなりの経験や実力を伴ったエキスパートを採用するように心がけている。盲人音楽家達も実力はあるが、それを生かす経験が乏しい場合が多い。
 これらを解消するためにも、各盲学校での一般音楽の教師経験は大変有効なことと考える。
 Bさんの件を参考に、各教科委員会や盲学校への理解を深めるべく、是非この件を成功させたいと考えている。

 飛べ、飛べ、視覚障害者 
 (その5)
 加藤 けんじ

 〔はじめに〕
 何年か前に、某鍼灸学会のセミナー参加したことがある。そこでは、他の団体への批判が声高に唱えられ、会長の自慢話が畏敬の念を込めて語られていた。私は「まるで宗教だな」とがっかりしたのはよく覚えているが、習った内容は余り覚えていない。
 今回は、少し鍼治療について、書きたいと思う。
 〔ちょっと変わった治療〕
 レーリーという若い男がシェーザー博士のサイコセラピーを受けに来た。彼の主訴は、インポであった。シェーザー博士はレーリーの話から、彼がソフトボールチームのメンバーであることを知った。以前は首位打者だったが、最近は調子が悪く、不調の自分のビデオを見てフォームのどこが悪いのかを分析しているそうだ。博士は「それは良い方法ではありません。ヒットを飛ばしたところを見なければね」と言った。しかし、首位打者だったころの映像は、保存されていなかった。
 シェーザー博士は、インポの治療をせずに、首位打者復活の為に、

p18
治療時間を使った。レーリーにヒットを打つ様子をイメージさせた。そして彼の打率は復活した。間もなく、インポの治療もうまくいった。もうおわかりとは思うが、インポの治療と首位打者復活とは、微妙な共通点がある。それは、バットを自由に使いこなせるようにするということだ。博士は別に回り道をしたわけではない。
 お固い鍼灸の大先生には、こんなに面白い治療法があるということが理解できないだろう。ましてシェーザー博士の素晴らしい治療を、自分の治療に応用しようと思わないかも知れない。
 私は軟弱な頭の鍼灸師なのでこういう話には、すぐ飛びついてしまうほうだ。

 〔鍼とエンドルフィン〕
 なぜ、鍼が効くのかという問題は、未だ謎のベールに包まれている。一応、エンドルフィンと言われる、脳内麻薬物質が鍼刺激によって分泌され、痛みを消すという説が一般的である。しかし、それで納得してしまうのは、早合点というものだ。
 なぜ鍼刺激で、エンドルフィンが分泌されるのかが問題になるのだ。鍼というのは、もともと異物である。生体からしてみれば、外敵が体内に侵入してくるのだから大変だ。そこで防御機能が働く、その一つが、エンドルフィンの分泌なのだ。
 実はこのエンドルフィンは、鍼刺激以外にも、分泌する方法がいくつかある。エンドルフィンは幸福感を生み出す物質とも言われている。この物質が分泌されるのは、幸福を感じるような状況に直面している時と、苦痛や危険状態が極度に増加あるいは持続した場合なのである。
 はり治療の面白さは、実際には危険性が無いのに、私たちの脳は、それを危険であると判断し、それに反応するということだ。つまり鍼治療とは、脳を騙してエンドルフィンを出させる技術なのだ。更に、この考えを進めれば、別に鍼を使わなくても、脳を騙してエンドルフィンを出させれば、いいわけだから、鍼治療の優位性は無くなる。
 シェーザー博士の例を考えれば、博士は患者にイメージさせるだ

p19
けで、エンドルフィンを分泌させることに成功しているのだ。

 〔広い視野〕
 私は、鍼治療は、ヒーリングのほんの一部分に過ぎないと考えている。前回も書いたが、障害者運動というのも、ヒーリングの一部であると考えている。そういう広い視野から、鍼治療なり、マッサージ治療なりを見直していかなければ、発展しないと考えているわけだ。是非とも、治療師の皆さんには、広い視野を持って欲しいものだ。肉体的な視野の欠如や狭さに精神までつき合う必要はどこにもないのだ。

 〔エンドルフィンの使い道〕
 エンドルフィンには、中毒症状が無いと言われている。普通の麻薬は分解しにくいため中毒症状を起こすが、エンドルフィンは速やかに分解するからである。脳内麻薬物質と言うのだからハイになるには最適だ。だから「落ち込んだら鍼を打とう」とか、幸福感を感じる為の鍼」とか、「鍼でやる氣が出る」等というコピーがあってもよい筈なのだが、固定観念が邪魔してなかなかそういう話にはならない。「鍼は治療である」という固定観念。又「治療」に対する固定観念などが邪魔なのだ。
 シャーリー・マクレーンという女優がいるが、彼女は鍼による神秘体験を、著書の中で報告している。なんと彼女は鍼によって過去世(前世とも言う)の記憶をよみがえらせたと言うのだ。ここで、過去世の存在の有無について、触れることは避けるが、やはりこのような神秘体験は、エンドルフィンの作用と考えられる。

 〔幸せか不幸か〕
 最近、世間を騒がせている宗教団体(?)の教祖は視覚障害者である。彼は教理では絶対幸福なるものを説くが、その行動を見ると、強い被害者意識と、世界を征服でもしなければ満足出来ない程の幸福への渇望が見て取れるのだ。
 アメリカではヒッピー達が麻薬を愛用するのがはやった時代があ

p20
つた。その中で、麻薬の間違えた使用例(最も麻薬を使用すること自体が間違っていると言うのが一般論である。)に、2つの種類があるとされた、一つはバット・トリップと呼ばれ、とてつもない恐怖を伴う体験で、時にはその恐怖から自殺や殺人という衝動を引き起こすものだ。そしてもう一つは、パワー・トリップと言う。それは、トリップ体験により自分がとてつもないパワーを手に入れたと確信し、その勢いに乗って、あらゆるものを支配しようとする衝動にかられるのだ。エンドルフィンが与える体験は、そこまで強烈に、個人の人格を、壊したりはしないともいわれている。しかし、例え麻薬を使わなくとも、洗脳の技術を駆使して悪用すれば、これらの間違ったトリップ体験を作り出すことことも可能なのだ。彼の場合、どんな修行をしたかは知れないが、パワー・トリップしていることは間違いないだろう。

 〔終わりに〕
 私はバット・トリップも、パワー・トリップもしないつもりでいる。その為にも、それらに関する知識を理解しようと心がけている。皆さんはどうだろうか。いままでの文を読んで「エンドルフィンや麻薬のことを書いていること自体危ないやつだぞ。」と感じる人は、ちょっと注意した方がいい。どちらかに傾く可能性が強いからだ。
 私たちは、普段からエンドルフィンと、つき合っているし、その恩恵を受けているのだ。もっとそれを利用して、飛ぶことが出来たら気分が良いはずだ。もっと、もっと飛んで、鍼、マッサージの未来を考えてみたい。もっと、もっと飛んで、障害者の未来を考えてみたい。そこから新しい道がみつ るかどうかはわからない。でも差別されてむかついているだけよりは、そっちのほうが楽しいと思うのだ。
 スローガンは「飛べ、飛べ、視覚障害者」

p21
 情報交換ポケット(2)
 何故点字の市民権なのか

 今回は東京電力の視覚障害者対応について書かせて頂く予定でしたが、地域によって異なっていたり、必要な資料がまだ得られていなかったりしてまとめられませんでした。次回に報告したいと思います。そこでかってながらこの誌面をお借りして、点字の市民権について私なりに考えてみたいと思います。
 晴眼者には様々な情報が活字や写真などによって、日々与えられています。その中から、生活に必要な事柄や自分にとって興味のあることなど、素早く自由に選択する事ができます。その人間社会で同じに生きている視覚障害者も点字やテープなどによって、それらの様々な情報を得られるのであれば自由に選択する事が可能になる訳です。しかし、現状は役所の書類をはじめ何もかもが自分一人では処理できないつまり、プライバシーも守れないばかりか「すみません」「ありがとうございます」だらけの日常になってしまうのです。周囲の人達との暖かいつながりの中で手を借りる事はとても嬉しい事です。ところが、私達側は助けられるだけ、手を貸す側は助けるだけといった関係つまり、今のボランティア活動といわれているものがそういう対等ではない意識となっていないでしょうか。人と人とが助け合って生きていく社会を目指す時、私達は点字の市民権獲得を粘り強く求めていく必要を感じずにはいられないのです。
 ボランティアに依存するのではなく公的なものとして点訳や朗読をシステム化する。そして、それに携わる働き手として視覚障害者が中心を担う。パソコンやワークアシスタント、点字の読み書き、書面の朗読などなど、仕事はたくさん考えられます。
 このコーナーでは様々な点字対応について、出来る限り広く取り上げ、みんなで具体的に話し合う材料を提供する場として作って行けたらと思います。この「みんなのコーナー」に情報やご意見などお寄せください。
 (府中市、森)

p22
 “お知らせ”
 「第1回障害者政策研究全国集会」
 障害者基本法の成立を受けて、障害者施策に関わる様々な動きが出てきています。しかし、こうした政策立案、決定過程への当事者参加は極めて不十分(ゼロに等しい)な状況です。市町村障害者計画や新たな障害者プランの策定など差し迫った課題について、私達障害者自身の政策提起が求められています。障害の枠を越えて、全国各地からの結集による「研究集会」が行われる事になりました。視労協もこのとりくみに積極的に関わっていきたいと考えています。会員、読者の皆さんも是非予定に入れていただきたいと思います。
 ○日時 1995年12月9日(土) 午前9時30分〜午後5時
 ○場所 東京・総評会館
 ○内容 午前――市町村計画やノーマライゼーション・プランをテーマにしたシンポジウム(予定)
 午後――課題別分科会
 @「福祉のまちづくりと障害者の移動権」
 A「介護保障と自立生活支援」
 B「障害者と人権」
 C「引き継がれる障害者連動」

 ○呼びかけ団体
 ・DPI日本会議
 ・障害者総合情報ネットワーク
 ・全国自立生活センター協議会
 ・全国公的介護保障要求者組合

p23
 視労協活動日誌
 (1995年3月〜8月の主な活動)

 ○3月11日 被災地会議に出席(神戸)
 ○3月19日 DPI常任委員会
 ○3月24日 「盲人からあはきを奪うな連絡会」厚生省交渉
 ○4月13日 被災障害者問題で厚生省交渉
 ○4月16日 定例会
 ○4月23日 「手をつなごう集会」代表者会議
 ○5月7日 文部省交渉打ち合わせ(全障連呼びかけ)
 ○5月14日 定例会
 ○5月20日 障害者総合情報ネットワーク世話人会(大阪)
 ○5月21日 DPI常任委員会(大阪)
 ○5月30日 「市町村障害者計画策定指針」総理府ヒアリング
 ○6月3日 はり、マッサージユニオン総会
 ○6月9日 「まちづくり都民の会」運営委員会
 ○6月17日 「安心して歩ける東京を作る会」結成集会
 ○6月18日 定例会、機関誌83号印刷
 ○6月19日 「手をつなごう集会」各省交渉
 ○7月8日〜9日 DPI日本会議総会(札幌)
 ○7月13日 介護保険問題学習会(自治労呼びかけ)
 ○7月16日 定例会
 ○7月23日 文部省交渉打ち合わせ
 ○7月29日〜30日 全障連大会(大阪)
 ○8月3日〜6日 ねぶたツアー
 ○8月19日 「障害者政策研究集会」実行委員会
 ○8月20日 定例会


p24
 視労協20周年式典と祝宴への御案内
 視労協事務局

 一人の視覚障害者の公務員への道を開く事から始まった視労協も、10月26日でまる20年を迎える事となりました。日頃より私達視労協に対して御理解、御協力いただき、本当にありがとうございます。20年という節目を機会に更なる障害者運動に向けて、それぞれがんばっていこうと心新たに決意をしているところです。
 つきましては、ささやかではございますが、20年の闘いを振り返るとともに、今後の一層の発展を祈念し、式典ならびに祝宴を行いたいと思います。万障お繰り合わせの上御参加頂ければ幸いです。
 
 ○日時 10月22日(日) 12時半受付、5時終了
 ○場所 筑波大学附属盲学校
 ○内容 式典。ミニコンサート(中里 聡さんのハーモニカ演奏)。
 祝宴(いろいろなパフォーマンスも計画中)。
 ○参加費 3000円
 ○待ち合わせ 地下鉄有楽町線 護国寺駅改札外。12時10分。
 ※詳細は後日改めて御案内申し上げます。
 問い合わせ、連絡は下記へお願いします。
 〈事務局〉 〒239 横須賀市長沢115 グリーンハイツ2ー7ー405
 奥山気付 視労協
 〈連絡先電話〉(いずれも昼間のみ)
 的野 03ー3925ー3522(午前中)
 宮  03ー3780ー0585(木曜を除く)
 奥山 0468ー22ー6711 

裏表紙の裏
 会費・定期購読費納入のお願い
 財政が少々ピンチです。みなさんよろしくお願いします。
 「視労協行動日誌」で、この半年間の活動状況は概ね御理解いただけるものと思いますが、私達の活動領域は大変多岐に渡っています。(正直な所、無理をしているなあという実感もありますが…)。しかし、視覚障害者をはじめ障害者による当事者運動が非常に重要な意味を持つ今日の状況のもと、動きをとめるわけにはいきません。みなさんの御協力によって、視労協の運動をより発展させていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。

 ○年会費     4800円(機関誌代を含む)
 ○定期購読費   年4回発行 880円(送料込み)
 ○郵便振替口座  00180ー6ー92981
 加入者名  視覚障害者労働問題協議会
 (同封の振替用紙を御利用ください。
 カンパもよろしく!!)

 ―編集後記―
 10月22日には20周年イベントも計画されています。この「障害の地平」も84号となりました。20年間の歩みの中で私達の顔である機関誌が、どんな風に変ってきたのかを確かめてみる事も、ひとつの新しいステップかも知れません。そして、これからの機関誌作りには、チェックというのではなく、「ちょっと気になるよ」という声があったら、それをきっかけに討論を膨らませ、みんなの思いをより近づけられたらいいなあと思います。そういう機関誌として更に号を重ねていけたらと思ったりしています。
 記録的な猛暑をこえて、それでも季節の流れは変る事なく秋を着実に準備してくれています。各地でのみなさんのとりくみや楽しいひと時の様子など聞かせて下さい。事務局からもエネルギーが送れるように、何とか力をたくわえたいものです。  (森)

裏表紙(奥付)
 1995年9月22日
 定価 200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 〒239 横須賀市長沢115グリーンハイツ
 2ー7ー405
 奥山 幸博気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6〜26〜21
 視覚障害者労働問題協議会
 


■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)