HOME > BOOK > 雑誌 > 『障害の地平』 >

『障害の地平』No.83

視覚障害者労働問題協議会 編 19950627 SSK通巻第564号;身体障害者定期刊行物協会,24p.

Tweet
last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 19950627 『障害の地平』第83号,SSK通巻第564号;身体障害者定期刊行物協会,24p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK増刊ー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 ー視労協ー

 障害の地平 No.83
 「やさしい駅」にタッチセンサー式券売機同上
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九五年六月二七日発行SSK増刊通巻五六四号

 目次
 視労協的気分
 市町村障害者計画に視覚障害者の声を 奥山 幸博・・・・1
 第11回視労協大会報告 事務局・・・・・・・・3
 盲学校の現状と将来のあり方について 鳥山 由子・・・・・・4
 視覚に障害を持つ母親の子育て 佐々木 貞子・・・・10
 「働くことの分科会」報告 宮 昭夫・・・・・・・・12
 教育分科会に参加して 中王子 みのり・・14
 JB(ジョイフル・ビギン) Nо4
 緊急特集 障害者と「阪神・淡路大震災」・・・・・・・・・・・15
 点字ブロックはつなわたり?? 森 登美江・・・・・・16
 飛べ、飛べ、視覚障害者(その4) 加藤 けんじ・・・・20
 おわびと訂正・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
 〈資料〉「点字ジャーナル」への抗議文・・・・・・・・・・・・・・23
 カンパのお願い・編集後記

p1
 視労協的気分
 市町村障害者計画に視覚障害者の声を
 奥山 幸博
 本年5月11日、総理府・障害者対策推進本部は、「市町村障害者計画策定指針」を全国の都道府県に通知した。これは一昨年成立した「障害者基本法」において、市町村の障害者計画策定が努力義務となったことを受けての方策である。推進本部によれば、「基本法においてこうした努力義務が課せられた背景として、@国際障害者年、国連障害者の10年を通じて、ノーマライゼーションの理念が定着し、障害者が地域社会の中で暮らしていく事が課題となり、そのための市町村の役割が増大した。A高齢者施策として老人保健福祉計画の策定が市町村において義務付けられ、とりくみが進められてきた。」などとしている。さらに「法では努力義務となっているが、それは作っても作らなくてもいいという事ではなく、都道府県、市町村が自発的に作ってもらいたいというのが立法の趣旨である。調査によれば、1割程度の自治体しか策定しておらず、国としてガイドラインを示すなど支援策を講ずるべきだとの声があり、関係省庁の協力を得て指針をとりまとめた」とも述べている。
 この指針は次の3つから構成されている。(1)、計画策定の意義。(2)、策定にあたって検討する事および留意点。(3)、計画に盛り込むことが望ましい事項及び留意点。計画策定の際に重要になる、(3)では次の5つの柱建てが示されている。
 第1 基本的考え方。第2 現状と問題点の把握。第3 施策の体系化と相互連携。第4 各種施策の課題・目標と具体的な方策。第5 計画の実施状況のフォロー体制。
 第4 施策の課題・目標と具体的方策を雇用・就業分野を例にとると、次

p2
の様な項目になっている。
 (1)職業的自立の促進として、@職安が実施する特別相談への積極的参加。A福祉部門と雇用部門のネットワーク化。授産施設入所者の一般雇用促進。(2)雇用機会の拡大として、@市町村職員の採用について、特別枠の障害者雇用、雇用率の目標値設定。A民間企業の活力とノウハウを生かし・重度や精神薄弱者の雇用拡大。(3)雇用促進の支援として障害者雇用支援センターへの自主的な協力。(4)職安などへの紹介の促進。
 こうした内容を含んだ「指針」について、5月30日、DPI日本会議、全国自立生活センター協議会、障害者総合情報ネットワークの3者で推進本部担当者より説明を受け、その際以下の意見書を提出した。
 1.「既に計画を策定している自治体は改めて作成する必要はない」とされているが、これらの計画策定には当事者の声が反映されておらず、その参加の下に作成すべきである。
 2.計画の期間を10年としているが、状況の変化の著しい現代においては5年程度で見直しを重ねていく事が必要。
 3.「平成8年度中の策定が望ましい」としているが、ニーズの把握等十分に行う必要があり、徹底した準備と検討を明確にすべきである。
 4.全体として新鮮味がなく不十分な点が多い。「教育」や「精神障害者施策」では現状から後退しかねない問題もある。
また、当日の意見として、「相変らず障害者は被保護者・対象者としての位置付けとなっており、自立や主体性といった方向が示されていない」、「早期発見・早期療育、特殊教育の充実等、共に生き、共に学ぶ方向性が全く示されていない。」などが述べられた。
 自分の住んでいる市や町に「計画」があるのかどうかを確認し、当事者として計画策定に積極的に関わる必要がある。雇用拡大やガイドヘルパーの充実、点字等情報提供サービスの充実、安心して歩けるまちづくりなど、視覚障害者の課題を全国の計画の中に盛り込ませていくとりくみが必要である。知らないうちに計画ができてしまったというようなことがないように、地域のネットワークを広げ私達の声を行政にあげていこう。

p3
 第11回視労協大会報告
 事務局
 少々時間が経過してしまいましたが、去る3月4日、5日の2日間、東京都障害者総合スポーツセンターにおいて、第11回交流大会を開催しました。大雪になるかもしれないとの予報があり心配していましたが、何とか雨になり予定通りの進行ができました。大阪、兵庫、福島、静岡、京都からの参加も含めて70名を超える人達が集まり、学生を中心に若い人が多かったこともあって、にぎやかで熱心な討論が繰広げられました。今回は施設の改修工事の関係で宿泊が分散になったり、会議室の確保ができず、「生活分科会」はレストランの一角で行うといった具合で、参加された皆さんには不便とご迷惑をおかけしました。
 4日午後の「どうなる視覚障害者の21世紀」と題するフリートーキングの中では、「地域の中でソフトな隔離が進行しているのではないか」という発言が印象に残りました。
 5日の総会では、活動方針、予算等の確認の後、込山代表をはじめ全役員が再任されました。また、堀利和参議員議員も引き続き顧問に就任し、挨拶の中で間近に迫った2期目の挑戦に向けて決意を表明しました。
 全障連、障教連、障害連、ネットワーク、都職労民生局支部からの連帯の挨拶ありがとうございました。また、弱問研、国リハあはきの会、東京ユニオン、大谷強先生からメッセージを頂きました。
 障害者総合情報ネットワーク事務局の大賀重太郎さんによる記念講演では、震災直後からの現地の状況を冷静かつ客観的に、そして行政やマスコミヘの怒りも込めた思いが語られ、参加者の胸を打ちました。
 分科会は「生活」、「教育」、「労働」の3つを行いましたが、これについては、それぞれの問題提起や感想を掲載しましたので、そちらを読んで下さい。
 テーマであった、「20年目に問う、差別・人権・自立」を今後も検証しながら、運動を進めていきます。

p4
 盲学校の現状と将来のあり方について
 鳥山 由子
 (筑波大学附属盲学校教員)
 〈自己紹介〉
 筑波大学附属盲学校の理科の教員です。普連協(全国盲学校普通教育連絡協議会)の事務局長をしています。盲学校の生徒の大学受験についてはそれぞれの学校の進路指導部が担当していますが、全国的な状況のとりまとめや、入試センターとの交渉などは、盲学校長会という形で行う必要があり、私は、全国盲学校長会大学進学対策委員会の事務局長として、その仕事をしています。また筑波大学の中で附属学校間のプロジェクト研究があり、その一つである統合教育のプロジェクト研究に参加しています。
 〈盲学校の現状〉
 盲学校全体の状況としては、まず子どもの数が非常に減っています。高等部普通科の卒業生が一つの学校で一人とか二人とかいう学校が(例えば茨城や青森など)沢山あります。7〜8人以上の卒業生があるのは大都市のわずかな学校だけです。高等部がこういう状況だということは、下にいけばいくほど子どもの数は減っており、今年度山梨盲学校はついに小学部の子供がゼロになったと聞いています。
 附属盲学校ではそれほど減っていませんが、これは各盲学校で重複障害の子が増えてきて、単純障害の人達が以前にも増して附属に集中してきているということです。言いかえると視覚障害だけの子どもは一般の盲学校の中で益々減っているという事です。このような状況をふまえて、つい最近、附属盲学校では教官会議で「本校の将来計画」として、普通教育の部門の将来像としての「視覚障害教育センターの基本構想」をまとめました。普通科では長い間話し合ってきた事ですが、改めてこの1月に学校全体のとりくみとして確認したわけです。

p5
 〈視覚障害教育センターとは〉
 一つの役割は統合教育を支援する事です。また、付属学校を併設していくことになっています。ただし、附属学校の形態や規模については具体的には話し合っていません。その他に図書館や博物館の機能と教材センターを含んだものを構想しています。
 なぜこうした構想が出てきたかと言うと、附属盲学校の生徒のほとんどが統合教育を一度はやってきています。幼稚園も含めると90%を越していると思われます。弱視の場合は小学校段階まではほとんど統合教育を受けてきています。ここ最近、中学1年の担任を2度やりましたが、1度目は11人中6人が(1人は弱視学級)、2度目では10人中5人が一般の学校から来ていました。附属盲学校ではこういう実状にあります。統合教育というのは、私個人の考え方としては、「基本的人権」みたいなものではないかと思っています。つまり近所の友達と一緒の学校に行きたいと思うのは当然の願いであり、「なぜそう思うのか」と言う方がおかしいと思います。しかし、一方では「見えない」、「見えにくい」ということに対して、それなりにある年齢でやっておかなければならない色々な事がありますし、現在の普通校ではそれほど配慮がないことに危機感を感じて盲学校を選んできているという事だと思います。
 こうした現状をみますと、あるいは現在「通級」というものがあり、統合教育を受けている子が週に1〜2回盲学校に通ってきて指導を受けるという制度がありますがその生徒をみますと、やはり統合教育の中に何らかの形で盲学校の教師のような経験のある人達が関わっていく事が必要だと思います。「見えなくてもこういう事ができる」ということがわかっている人達・できないとされている事を、「こうすればできるんだ」というノウハウがわかっている人達が関わっていかないと、「見えないからできないだろう」と大事な時期を逸していることがあります。ともすれば同じ事をやらせようとして、できないからやらせないということが多くあります。このように、統合教育に盲学校が関わることが大切だと思っていましたが、附属盲学校ではこれまでも個々に統合教育の方々の依頼を受けながらできる範囲でのことはやってきました。しかし、統合教育の側が、盲学校のノウハウを知ることをどれだけ大切だと思っているかは疑問です。たとえば東京都教育委員会からの依頼で都立高校の入試点訳を行い、入学後についても、いつでもいろいろな形で応援するからという事を校長を通じて公式に都教委に申し入れましたが何も

p6
相談がありませんでした。そのうち、高校から「教材をつくるボランティアを紹介して欲しい」との電話がありました。こちらが「紹介するのはいいが、どういう教材を用意していくかという事が大事だから一回話し合いをしましょう」と言ったら連絡が絶えてしまいました。その後校長も含めて高校に行き具体的にどのような状況になっているかを聞き、「盲学校に、来て頂ければいろいろなノウハウをアドバイスできます」と言ったら、高校の管理職の方から「先生方も大変なので、盲学校の授業を見に行けとは言えない」との返事がありました。このような状況では、統合教育がうまくいくわけがありません。私達は盲児がどこの学校に行ってもそれなりにやれなければいけないと思っていますし、盲学校在籍児だけでなく統合教育を受けている子についてもできるかぎり援助をしなければいけないと考えています。これは個人の考え方でなく本校の普通科としての合意でもあります。けれども、現在のシステムでは、統合教育の学校から具体的な相談がないまま、こちらが出ていってあれこれ言う訳にもいきません。そこで正式に「センター」というシステムを作り、統合教育への支援ができればと考えたわけです。この構想は、現時点では教官会議のレベルで確認しただけで、実現のためには大学へ上げていって認めてもらわなければいけません。
 〈巡回教師〉
 統合教育を支援する方法として、具体的な内容はまだこれからという段階ですが、一つは巡回教師という制度があると思います。盲学校の教員が巡回教師として統合教育の学校を訪問し、授業を見たり先生と相談したりして、教材作りなど具体的な対応をする制度です。一昨年アメリカのオハイオ州で巡回教師とともにいくつかの学校を回り、昨年はカルフォルニアの一般の高校で、統合教育の高校生に会ってたまたま巡回教師が一緒に居たので話しを聞く機会がありました。オハイオとカルフォルニアしか見ていませんがアメリカの巡回教師のシステムは、私が思っていた巡回教師とは随分ちがっていました。たとえば日本では週1〜2回巡回教師が学校をまわるというイメージがあるのですが、アメリカの巡回教師は一人の子供に対して一時間程度ですが、毎日全部の学校を回ります。オハイオで会った巡回教師は、5人の子供を担当して、それぞれの小学校を午前中車で回る、そして午後教材についての色々な事をやるという方法です。資格はおそらく指導主事級というか普通の学校の先生を指導できるという人だと思います。ただし、小学校でした

p7
ので子供の障害はいろいろでした。5人の子供のうち1人は視覚障害でしたが巡回教師は視覚障害の専門家ではありませんでした。カルフォルニアで会ったのは高校だったので盲教育の専門の人でした。いくつかの高校に点在する、視覚障害の生徒数名を担当しているそうです。やはり一つの学校を毎日一時間訪問するという事でした。一時間の訪問の有効性は検討しなければなりませんし、日本ではどうなのかという事も考えなければなりませんが、巡回教師は基本的に毎日学校を訪問するという事は認識しておく必要があります。
 〈特別教師〉
 統合教育のもう一つの支援の形は、学級担任の他に教師が一人付くという「特別教師」の方法で、とくに小学校の低学年などでは必要だと思います。日本でも弱視学級の先生が弱視学級で指導すると同時に一般の教室で授業を受ける場合にはその先生が付き添っていくこともしています。昨年、イタリアの統合教育を見る機会がありました。イタリアでは全面的に統合教育で、特殊学校はないのですが、この「特別教師」という制度を採用していました。一学級の人数は元々25人ですが、障害児がいると学級の人数は20人になり、担当教師以外にもう一人つくという形です。ただ、日本ではこの制度を入れる時の問題は、一つは教員の質の問題があります。「特別教師」が特別の役割を果たせる人でないとだめです。盲学校の経験があるような人なら多分いいだろうと思います。現状では東京都内で統合教育を受けている小学校の子供達には介助員や補助員がついている場合がありますが、資質にばらつきがあり十分に機能しているとは言えません。もう一つは日本の学校の閉鎖性というか、授業の中に他の人が入ってくることを嫌がる雰囲気が一般的にはあります。盲児を抱えることによって、例えば巡回教師が毎日授業を見にくるということになると、かなりの抵抗があると思います。イタリアの統合教育は全体の教育改革の一つとして出ており、もう一つの柱はチーム・ティーチングです。そのことを重要な事として打ち出し、一般の小学校でも体育、美術、理科などで低学年のうちから専科の先生が入っています。専科に任せるのではなく、専任と学級担任が一緒に授業をするという形をとっています。イタリアは先進諸国の中では貧しい国だと思いますが、教育に関しては先進的で人の配置の厚い国だと思いました。二人で25人を見るという形を障害児がいる、いないに関わらずあちこちでやっています。チーム・ティーチン

p8
グという土台のない日本では現場教師の強い反発が予想されます。
 〈統合教育に盲教育のノウハウを〉
 現在、文部省としては統合教育について暗黙の了解をしていますが、制度上は、統合教育はないことになっています。特殊教育の資料を見ても、何人が統合教育を受けているということは一切出していません。公式な統計は一切ありません。法律に反しているものはあるはずがないという立場です。その中でいつ何時、「盲学校の子供が少なくなりましたから一般の小学校、中学校に併設しましょう」という話がでてこないとも限りません。出て来る時は突然ではないかと思います・それに備えて、自分達の側から、どこにいても必要なケアが保障される体制作りをしておかなければならないと思います。これはかなりの努力を要すると思います。
 筑波大学の附属学校間で統合教育についてのプロジェクト研究があり、私はそれに参加しています。筑波大学は普通付属と障害児学校と全部持っているので、意味のある研究だと思っています。附属高校や中学の先生方とお互いの授業参観をしようと呼び掛けているのですが、中には「非常にいい事だからやりましょう」と言ってくれる先生もいますが、逆に「こんな忙しい時に余分なことはやれない」という人もいるような状況です。盲学校からは、本人も望み親も了解しているなら、盲学校側が支援しながら附属高校や中学に一定期間授業に通わせてみるといった試みをしたいと申し出ていますが、先程の閉鎖性といったこともあって、まだ実現していません。
 統合教育はいいとか悪いとかの問題ではなく、歴史的にみてもそういう方向に進むものと思います。近所の子供達と同じ学校に行きたいというのは当然のことです。ただ、それが不十分なので力をつける時期に、相当な決心をして盲学校に来ているというのが実情だと思います。統合教育の内容が保障されたり、入ることに抵抗がなくなってくれば必然的に統合教育になると思います。ただ、その場合盲学校という形でなくともいいが、視覚に障害のある子供達同志が一緒に学ぶ場も必要だと思います。例えばサマースクールといった方法です。アメリカでは育児のためのサマースクールがあって、そこでパソコンなどを身につけたという話を聞いています。歩行訓練や点字などを習得するために普通校に籍を置きながら、盲学校で一定期間教育を受けるという制度も必要だと思います。何等かの形での盲教育のスクーリングが必要に思えます。目の見えない人が見える世界に無理矢理適応させられるとい

p9
う現状もあるので、一方では、環境を整えて思う存分やってみる場所も必要です。少数者としての辛い立場をざっくばらんに話し合える仲間、自分達の環境を共に改善していく仲間を持つ事も必要です。盲学校は過渡期には盲学校と統合教育の支援とを併立的に進められると思いますが、しだいに盲学校としての役割が小さくなってきた時には、統合教育に籍を置きながら盲学校でのスクーリングを受けるといったようなシステムを具体的に考えていく必要があると思っています。私は化学の教師で、目が見えなくても化学実験をやれると思っているし、やっていますが、そういうノウハウは全部生徒とのフィードバックで作ってきたものです。それがなければ具体的な援助はできないと思います。教師の側の質の向上のためにもそうしたスクーリングの場は必要です。これまで積み上げてきた盲教育のノウハウを何とかひきついでいかないと統合教育での弱点になると思います。
 附属盲学校ではそういう将来計画について中身を議論したり、実践しようとしていますが、全国の盲学校の状況は大変きびしいものがあります。教員がくるくる変っている現状であり、点字の能力やその他色々考えても、附属も含めてプロとしてのしっかりした研修を行っていかないと、「支援する」と言ってもその主体が変っていかなければ現実には困難だということになりかねません。相当の努力が必要だと思います。

 (編集部註ーこの文章は3月5日の視労協大会「教育分科会」での問題提起をまとめたものに鳥山さんから加筆、修正していただいたものです)
 (校正者注:挿絵省略)

p10
 『視覚に障害を持つ母親の子育て』
 佐々木 貞子(かるがもの会)
 私は生活分科会で、視覚に障害を持つ母親の子育てに関わる問題について発言しました。勿論、子育ては母親だけがするものではありませんが、現状の子育ての中心的な担い手は母親が大半であることをふまえ、視覚にハンディを持つ母親が子供を育てていく時にぶつかる問題と、解決の糸口を求めようとする自発的な動きについて紹介したいと思います。
 私は今、“かるがもの会"の代表をしています。“かるがもの会”とは、1991年に結成された視覚障害を持つ親と家族の会です。視覚障害の母親ならではの悩みや育児の工夫を、当事者同士で話し合い、孤独な母親をなくそうと情報交換と交流を目的にしてスタートしました。友人同士のネットワークやマスコミの紹介の結果、結成当初7家族であった会は、現在東北から九州まで約80の会員を有するまでの急成長を遂げることになりました。これはこのような会がいかに多くの人達に求められていたかという証であると、私たちは考えています。
 会の主な活動は、隔月の会報の発行(点字、墨字、テープ)、学習会・交流会の開催、レクリエーション及び旅行など、2〜3ケ月に1度は会員が集える場を設けています。また昨年10月には肢体障害の母親が中心となっている、“ラブリーペアレント"と交流会を持ち、ハンディを持ちながらの子育ての問題について共通理解を深めました。
 広い地域に分布している会員達が、小さい子を抱え集まる事も容易ではありません。が、子育てに多忙だからこそ仲間で集まり語り合うことによって、リフレッシュして家庭に戻り、日々の生活を充実させたいというのがみんなの願いです。
 しかし、会として課題もあります。会合は東京近辺で開かれる事が多いため、地方の会員の参加をどうしていくのか、また旅行や会合の時、ガイドヘルパーや子守をしてもらうマンパワーをどう確保し、どのように協力していってもらうかは、直面している問題です。みんなの思いが結び合いようやく生まれた“かるがもの会"です。

p11
発達の課題は焦らずたゆまず、話し合いながら少しづつ解決しながら成長していくものと考えています。
 以上、“かるがもの会”の紹介でしたが、次に会員の声や私自身の経験から、視覚障害を持つ母親の問題と解決への方向を私見としてお話しします。
 全盲であっても家庭内の育児は、工夫や努力でそれほど大変な事ではありません。ただ、育児の折々の場面で見える人の援助は必要になります。視力による健康チェック、つめ切りや耳のそうじなどはその例です。また、病院通いや外遊びの付きそいなどは中々大変です。そして、精神的な負担と言っているのは、障害者への無知から派生する近隣との人間関係です。
 私はこれらの解決のためには、(1)地域福祉のシステムの充実。(2)障害を持つ親についての啓発。(3)当事者同士の連帯が必要だと考えています。
 (1)はガイドヘルプやホームヘルプサービスの充実と、一般的に行われている保健所の母性指導での対応の強化があげられます。ヘルパーについては、居住する行政の福祉の先進度によって差異があり、保健指導では担当した保健婦の熱意によって母親の受けるサービスはかなり違っています。また、公的福祉より融通性、即応性のある近隣のボランティアや頼りになる友人関係のネットワークを広げる事も大事です。この場合、当事者の人間性や積極性も大きく関わってくることでしょう。
 (2)について言えば、障害者が親になる事に対し、一般の理解が不十分で、その反応に親自身が傷つき、自分なりの子育てに自信を持てなくなってしまうという面があります。しかし、親の障害は決して子育ての上でマイナスにはなりません。親自身が誇りを持ち、必要な援助がサポートされていれば、子供は親を通して多様な価値を学び、自立的に成長してゆきます。障害にたいする啓発は障害者の内と外、両面で必要な事だと思っています。
 (1)と(2)を進める運動のためにも、当事者同士の交流と連帯は必須です。かるがもの会は来年5歳になります。子育てについての現状や、“会”に対しての意見をアンケート調査しようという動きも出ています。有効なセルフヘルプグループとして、大切に育ててゆきたいと思っています。

p12
 『働くことの分科会』報告
 宮 昭夫
 視覚障害者にとっての労働問題というのは、大きく言って二つに分けられる。伝統的な視覚障害者の職業である“あんま・はり・きゅう(あはき)”に関する問題と、それ以外の「一般雇用(あるいは新職業)」に関する問題とである。視労協交流大会でも、いつもはこの二つの分野はそれぞれ別の分科会で議論されてきたが、今回は部屋の都合その他もあって、「働くこと」という一つの分科会として討議する事となった。
 分科会参加者は17名とまずまず予想通りだったが、そのうち実際にあはきの仕事に関わっている人が9名と半数を越え、それに理療科の教員と学生を加えると、何らかの形であはきに関わっている人が17名中11人を占めるという比率で、これはある意味で、予想外の結果だった。あはき関係以外では、一般教科の教員3人、自治体公務員ふたり、民間障害者施設の職員・大学生各々ひとりということだった。若干、司会者にとってはむずかしい状況だったと言えるかも知れない。
 最初の問題提起は品川区立城南第二小学校の大里先生の方から、視覚障害と人工透析というきびしい状況の中、休職、復帰・その後、の3年間に及ぶ「要配慮教員」という不安定で(差別的でもある)身分の中で様々な試みや、闘いのレポートがあった。この3年間、退職や盲学校への転任を陰に陽にちらっかせる当局に対し、大里先生は図書の読み聞かせや通級学級での研修、音楽専科への移行など迷いや試行錯誤を伴いつつも、あくまで現職に踏みとどまろうとする気持ちで頑張り続けてきた。大里先生のそうしたがんばりと、視労協を含めてそれを支えてきた多くの仲間たちの努力によって、95年度から大里先生は定数内に戻り、通常の勤務に復帰することになった。しかし実際には問題はこれからだと言える。同僚との関係や大里先生の復帰をサポートするために(実際には管理するために)派遣される非常勤職員との関係、ボランティアの校内への導入

p13
など様々な不安を抱えてのスタートであることが率直に報告された。
 続いての問題提起は、横浜市立盲学校の神崎先生の方から入学と進路という、いわば「入口と出口」からみた盲学校生徒の雇用問題について、報告と提起があった。具体的には、1.あはき国家試験の合格がむずかしいと思われるような生徒の入学を受け入れるかどうか?(働くことと自立することを直接結びつけることへの問いかけも含んで)。2.免許がとれた生徒の就職や研修について、学校や卒業生との関係の強化の必要性。3.視覚障害者全体の中で、益々中途失明者の割合が高くなっていることに対応し、「働きつづける」ことを保障するための制度や、人間関係の必要性。4.めまぐるしく変わる社会の要求に合わせて次々と登場する新しい職種の中から、視覚障害者に適した文字通りの「新職業」を見つけ出す必要性などが、具体的な実例を交えて提起された。
 その他、大橋氏から、視覚障害者雇用問題研究会が行ったアンケートについても報告され、視覚障害者が働く上でのアシスタントの意味や重要性について提起があった。
 最初にも触れたように、あはき関係者と教員、自治体職員といった参加者の構成から討論がかみ合うことは簡単ではなかったが、ワークアシスタントの問題が何とか問題を結びつける鍵となったと言えるかも知れない。ともかく現在、民間企業で事務的な職種に働く視覚障害者だけ認められている、いわゆる「ワークアシスタント」を公務員やあはき関係ではたらく視覚障害者にも認めさせていくことが必要だという点で意見は一致した。
 私自身の感想を言えば、同僚やアシスタントやボランティアなどと、「共に働く」と言うことの意味を改めて考えさせられた。もっと言えば、働くことそのものの意味を久しぶりに考えさせられた気がする。例えば、「働くこと」と「自立」の関係、「自己実現としての労働」と社会的に有用な労働や、商品価値を生み出す「雇用労働」の関係など。私たちが働くためには、地域で、職場で、仲間同士でいろんな形、いろんなネットワークが必要な事等。

p14
 教育分科会に参加して
 中王子みのり
 昨年に引き続き、教育分科会に参加しました。3人の方のお話は、今私が最も興味を持っている事に関係したものだったので、たいへん興味深く聞かせていただきました。ただ、分科会そのものがパネリストの発表だけに終わってしまったことが、残念でなりません。それぞれの発表に対して、他の人たちの持った感想や意見等を交換出来たら、もっと有意義な会になったのではないでしょうか。2時間ほどでは、あれ以上の事は出来なくてもしかたがないのかなあとも思うのですが、「分科会」という名にふさわしくするために、なにか工夫する手だてはないものでしょうか。
 ところで、私は「障害を持つ子どもの教育」について興味を持っています。とくに、障害を持っている子どもが、障害を持っていない子どもと共に学ぶという教育システム(統合教育)に関心があり、それに関する新聞記事や文献を読んでいます。
 私は浪人生活を含めて13年間、盲学校で教育を受けて来ました。13年間同じ学校にいたのではありませんが、大学に入るまでは健常者とのつきあいはほとんどありませんでした。健常者とのつきあいが「全く無かった」と書かないのは、高校生の頃に通学途中で健常者の高校生と知り合っているからです。しかしその関係は、登下校の時に会話を交わす程度のもので、それ以上親しい関係にはいたりませんでした。片道2時間あまりの通学時間をふりかえると、楽しさや嬉しさより、悔しさや悲しみを感じた事のほうが多かったように思います。しかしそれらの経験はかけがえのないものだったと思っています。あの体験が無いことのほうが、私にとってはマイナスだったと思います。なぜならだいがくに行くまでに、すこしではあっても、健常者への働きかけを身につけることが出来たからです。
 障害の種類を問わず障害者が自立した生活を営むには、周りの人々(多くは健常者)との関わりは不可欠です。昨年の視労協の交流会の時も、盲学校外の場で健常者に対してどう声をかけたら良いか分からなくて苦労しているというような、話が出ました。長年盲学校にいた視覚障害者が盲学校卒業後にぶつかる最初のハードルは、対人関係です。多くの盲学校は生徒数の減少傾向にあり、盲学校生活は社会生活と異なる点がたくさん有ります。そのひとつに、生徒数の減少による人との関わり方があげられるでしょう。学校時代とは、周りにいる人の数も立場も、あまりに異なってきます。そのために、なかなかなじめなくて、程度の差と性格の違いはあれ、悩んでしまうのではないでしょうか。
 このような理由から、障害児(者)が社会に出た時に速やかに適応出来る

p15
ための学校教育はどうあることが望ましいかを、考え始めています。

 阪神・淡路大震災(校正者注:「阪神・淡路〜大震災」白文字、背景黒、四角囲み)
 障害者自身による立ち上がりと支え合いに注目・支援を
 障害当事者からの情報発信・研究誌
 JB[ジョイフル・ビギン]No.4
 緊急特集
 障害者と「阪神・淡路大震災」(校正者注:「障害者〜大震災」」大文字)
 定価 1,500円(送料込1,600円)

 目次から
 なんでこんなに涙もろく、なんでこんなに腹立たしい!/“福祉”や“行政”が見えてきた/阪神大震災のあの日から/何があったんや…/いいこともたくさんあった/ゆすられてもこわれない地域生活の確立を/草の根パソコン通信網の役割/障害別の取り組み/シンポジウム「阪神・淡路大震災」と障害者(堀利和・富岡悟・杉本章・福永年久・楠敏雄)/阪神大震災実物大体験記(樋口恵子)/裸にされた“貧しい福祉”(泰洋一)/情報共有のネットワーク(金子郁容)/草の根の救援活動を支えた情報ネットワーク(尾上浩二)/「阪神大震災」と障害者の生活づくり(大谷強)他

 既刊
 特集テーマ
 1号/まちづくり
 2号/自分でつくる自分の生活
 3号/はたらく
 
 ご注文は…
 障害者総合情報ネットワーク(BIGIN)へ
 東京都新宿区山吹町354番地トライポート101 〒162
 tel 0ー35228ー6916/tel&fax 03ー5228ー3484
 ※点字版・テープ版も提供できます。お問い合わせください。

 p16
 点字ブロックはつなわたり??
 (2.12.視労協シンポジウム)
 事務局員・森登美江

 今年は視労協にとって結成20周年という、大きな節目の年としてスタートしました。結成当初からみれば障害者運動のありかたも大きく変わり、視労協の活動や会員の意識なども様々に変化してきたと思われます。
 この数年視労協においては、他の障害者団体との連係をなおいっそうふかめる意味での活発な活動がなされてきました。それを、さらに押し進めるには、視覚障害者としてかかえている問題をより具体的に明らかにする必要がうまれてきました。私達は自由で安全な移動を求めて交通問題とまちづくりに焦点を絞り、昨年秋のアンケートに続いてこの2月12日シンポジウムを開催しました。
 当日はシンポジストとして笹川吉彦さん(東京都盲人福祉協会「都盲協」副会長、やさしいまち東京構想懇談会委員)と山城完治さん(東京都視力障害者の生活と権利を守る会「東視協」事務局長)のお二人をお招きし、視労協からは事務局員の森がアンケートの結果を発表しました。さらに、特別ゲストとして、有限会社コスモ二一(階段てすりや駅の点字シール、週賃表や案内図など製作)の社員の方々に各種見本をお持ち頂いてご参加をお願いしました。
 以下はその簡単な報告です。

 ●参加者29名(自己紹介段階)
 まず、「東京都福祉のまちづくり条例」制定に向けての「優しい町東京構想懇談会」に視覚障害者の立場でかかわってこられた笹川さんにお話しして頂きました。
 1.懇談会委員30名中障害者が3名(視覚、肢体、車椅子)だけであるのに抗議。多くの障害者、高齢者の声を反映させる為の今後の姿勢を強く要請。また、他の委員の顔触れをみても実態を把握しているかどうか疑問であった。

p17
さらに、学識経験者を中心とした9名で構成される小委員会にも3名で出席し、当事者としての要求を出した。
 2.法律に規定されていないものは条例に盛り込む事ができないため、条例案は、はなはだ不十分なものとなっている。今後検討される施行規則において具体化されていくので、建設省の建築基準を含めてはっきりした要求を出していく必要がある。それには、視覚障害者としての基準を一致した見解として早急にまとめる事が求められる。
 3.中途失明だが我流で単独歩行をしており、ホームからの転落や工事現場や川への転落など危険な目に遭う経験も多い状況である。
 続いて、東視協の山城さんからアンケート調査に踏み切った経過をはじめ画期的な活動報告を頂きました。
 1.東視協の方針 三つの不自由と三つの遅れ
 不自由@移動、歩行の不自由A読み書き(情報入手と発信)の不自由 B就労の不自由、 遅れ@障害をカバーすべくある社会福祉と社会保偉の遅れA視覚障害者啓蒙の遅れB人権と民主主義の遅れ。
 2.小委員会での参考人発言とその後の傍聴などから、急ピッチで進められている条例案作りに疑問。実態調査も研究も行なわれていないのを知り、早急にアンケート実施。その結果を持って小委員会中間報告に併せ記者会見。
 3.また、視覚障害者がかかえている各種の問題について、マスコミや議会を通じて働きかけ、活動を展開している。
 4.快適で自由は安全という保障の上に成り立つもの。アンケート結果から危険は駅ホーム上だけではなく、町のあらゆる所に存在している事が確認された。(たとえば、工事現場や放置自転車など)
 3番目に視労協からアンケート結果を簡単にまとめて報告しました。結果については「障害の地平」82号に掲載してありますので省略します。
 次に、社員7名の方々が参加してくださったコスモの千葉さんと技術指導の小暮さんから発言を頂きました。
 1. 5・6年前から点字表示などについて取り組んでいる。
 2.現在製作されている商品は階段・てすり、エレベーターの表示、総合触知板、トイレ触知板、旅館・ホテルの非常口案内板、新幹線座席案内。

p18
 3.利用者とともに開発していく姿勢を持って進めている。
 4.ステンレス製の破損しにくいものを採用し、JRの各階段・てすりに順次取り付ける予定。既存の表示板の修理も進めていく。さらに、トイレ触知案内板の普及も予定。音声誘導システムも研究中。
 現在作られている製品を直接みせて頂き自由にそれぞれ触りながら意見交換。その後休憩に入りました。

 フロアーからの意見、質問を受ける前にシンポジストからの補足として視労協から、アンケートに対する意見を寄せて欲しい。
 山城さんから、作られてしまったものはしかたがないとあきらめずに「使いにくいからやり直せ」と積極的にいって行くべきだ。
 笹川さんから、都盲協が現在取り組んでいる事として、送信機使用の音声誘導システムの開発が紹介されました。93年度から東京都では送信機を含めた器具を日常生活用具として給付しているとの事です。
 フロアーからの意見、
 1.極論ではあるが、点字ブロックはいらないのではないか。
 2.点字ブロックだらけで、迷ってしまう。
 3.点字表示はその場にいって手に触れないかぎり意味が無いので、音声案内を普及させる方がよい。
 4.いつでも駅員の誘導を求められる環境が望ましい。
 5.事前に電話するなどして利用する駅の予備知識を得る努力も必要。

 今回のシンポジウムとアンケートの結果から次のような課題が明らかになったと思います。
 1.確実、有効な点字ブロックの敷設@カラータイルなどにまどわされない分かりやすい色A床面との判別が容易な材質 B誘導ブロックと位置ブロックが容易に区別出来る形 Cどのような情報を示すブロックなのか目的の明らかな敷設のしかた。
 2.ホームドア方式の検討。
 3.正確な情報内容の点字案内表示。

p19
 4.有効で正確な内容の音声案内。
 5.必要な情報がいつでも必要に応じて得られる音声案内。
 6.音声や振動などによる視覚障害者誘導システムについての検討。
 @技術開発に対する協力 Aチャンスがあれば積極的にそれらを体験し使いやすさを追求する
 [このシステムについて「障害の地平」78号で宮林さんが「ほんとうに安全なのだろうか」と経験からの声を寄せられています。点字ブロックや白杖から一足跳びにもちかえられるものではないような気がします(筆者私見)]
 7.町の各所に点字表示を。読むのがおっくうだったり、読めない人のばあいにはボタンをおせば音声で知らせるという方法ではどうか。
 8.駅係員や公共建物内の職員をはじめ人的援助が受けられる環境作り。
 9.一人でも多くの視覚障害者が集まって意見を出し合って、共通部分から一定の方向を確認して行く。
 この1・2年、点字ブロックや点字表示、音声案内や誘導チャイムなどずいぶん増えてきています。利用者の声を事前に聞いたのだろうかとか、どんな基準で設置されていくのだろうかとか、情報を手に入れて実際に利用しやすい環境にしていきたいものです。中には、あまり意味がないように思われるものや、かえって余計に分かりにくく動きにくい所もあるようです。
 そのような中にあって、視覚障害者としての具体的な行動が作られようとしています。積極的に参加して住みやすいまちづくり、環境作りに取り組んでいきたいものです。
 全く私的な報告になってしまいましたが、読者のみなさまからのご意見をお待ちしています。

p20
 飛べ、飛べ視覚障害者(その4)
 加藤けんじ
 〈視覚障害者はカラオケがお好き〉
 4月2日AM2時、数人の酔っぱらい達がカラオケボックスで、喉をうならせていた。その中の1人、Kが長淵つよしの「とんぼ」を歌いだした。しかし、それは正しい「とんぼ」の歌ではなかった。最後の部分をかえ歌にしているのだ。
 「ああ、不幸せな***よ。どこへ、おまえはどこへ飛んでゆく。ああ、不幸せな***が、ホラ、杖をついて、笑ってら。」
 大爆笑の渦が起こり、みんなが合唱をはじめる。こんなことをしているグループが、もし晴眼者達であれば、問題になるところだろう。ちなみにKとは、もちろん私自身であり、他のメンバーも私の仲間達、即ち視覚障害者の仲間と、それと共に生きようという意志を持った仲間である。こんな歌を歌って喜んでいる私とその仲間は果たして幸せなのか、それとも不幸せなのか。私としては、そういう歌を歌うと楽しいから、歌っているわけだから。きっと幸せなのだろう。幸せな視覚障害者というわけだ。そこで、「じゃあ不幸せな視覚障害者ってどんな視覚障害者なの?」という疑問がわいて来る。
 昔、私たち、視覚障害者の大先輩に、偉いじじいがいて、「まことめあきは不自由じゃのう。」と・言ったそうだが、この言葉は裏返してみれば、「まことに視覚障害者は自由である。」という宣言ではないか。こんなことを大見栄きって言えるのは、きっとこのじじいも、幸せな視覚障害者だったのだろう。
 〈ホーキング青山〉
 去年の話になるが、94年12月、ホーキング青山という素人漫才師のドキュメントがテレビで放映された。彼は車椅子を乗り回す、バリバリの障害者だ。新聞に「ネタは自分の障害」などと書かれることに激怒する彼のスタンスはとても興味深いところだ。実際のネタは自分が車椅子でアダルトビデオを借りに行く時の話しなど、自分の周りで起こる様々な話題を取り上げている。

p21
 「障害がネタなんて言われたら、俺から障害を取ったら何にも残らないみたいじゃないか。ふざけるな。」
 彼の目指すところは、障害者と健常者の枠を取っぱらう事だという。今後の彼の活躍を期待したいものだ。
 彼は、いいところに着目している、もし障害を取り除いたら、何も残らないような人生を生きている障害者がいたら、それは不幸である。そして健常者社会のシステムには、そういう不幸な障害者を生産しようとする方向性があるのではないだろうか。
 これは障害者に限られたことではない。一市民として、一般化された人間、社会の中で働くロボットを生産しようとする作用が社会には働いている。能力主義、点数制の教育は、その一例である。
 
 〈症状肯定技法〉
 ヒーリングテクニックの一つに症状肯定技法がある。赤面恐怖の人に、「もっと、赤くなって見せなさい」と言うと、あがらなくなったり、汗っかきの人に、「もっと、汗をかいてやろうと思いなさい」と言うと余り汗をかきすぎなくなるというものだ。
 社会に対してアプローチしていく必要性は重大だ。そしてもう一つ重要なことがある。それは私達自身にアプローチしていくことだ。ヒーリングは、その方法を教えてくれるものだ。症状肯定技法を使えば「もっと障害を楽しんでごらんなさい。」という処方が導き出されるのである。もし私達障害者が「私達は自由なのだが健常者の多くが不自由な為に摩擦が生じる。」という観点で、運動を構築しはじめたら、あらたな地平が見えるように思えるのだ。

 〈ヒーリングとしての視労協運動〉
 ヒーリングというと、タカツカヒカル氏の超能力手かざしをイメージされる方も多い今日この頃である。しかし、彼のヒーリングは、ヒーリングのほんの一部分に過ぎないのだ。ヒーリングというのは「癒し」に関する技術全般を指す言葉で、鍼治療やマッサージ治療も含まれるのである。そういう観点から、視労協運動を考えれば、視覚障害者の社会的なヒーリングを目指しているとも言える。そして、私は更にそれを一歩進めて考えたいと思っている。視覚障害者の社会的なヒーリングは、現代社会のあるいは人類全体に対

p22
するヒーリングでもあるということだ。これは、私の願いでもあると同時に、この文章を書かせている原動力である。
 自由な視覚障害者と自由な晴眼者が一緒に飛ぶ。そして解放と癒しを味わう。それが私のビジョンである。
 スローガンは「飛べ、飛べ、視覚障害者。」

 〈おわりに〉
 今回私は、この文章の中で差別用語を使用し原稿を書いたのであるが、編集部からの、助言を得て、若干の書き直しを行うことになった。どうしても書き換えられない部分に関しては、ふせ字とさせて頂くことにした。
 今回私が差別用語を用いた理由は、次の3つの理由である。
 1.私の生活の生きた現実を伝えるには、差別用語が適していると判断した。
 2.この文章は視覚障害に、あくまでこだわり、徹底的こだわる為に書いているものであり、その性質から、差別用語を用いてみたということ。
 3.自分自身、あるいは読者の皆さんの、抑圧項である、差別意識に直接働きかけるには、差別用語が適当であると判断したこと。
 尚、私には、決して、差別を助長して、おもしろがるような気持ちはないことを、了解して頂きたい。
 差別用語使用に関しては様々な想いがあると考えられる。私のこれからのテーマの一つとして、今後も深く思索研究を続けていきたいと想う。視覚障害者の皆さんの暖かい眼で見守っていて欲しい。
 
 ーおわびと訂正ー
『障害の地平』82号の中の、「盲人教師を盲学校へ」の文中、社会科の人事に関して、「点字使用者を採用する方針」とありますが、これは「採る方向で人事が進んでいる」ということを報告者(佐藤)が聞きまちがえたもので、社会科ではそのような「方針」を出していないということですので、ここに訂正いたします。

p23
 〈資料〉
 『点字ジャーナル』編集長殿
 1995年4月5日
 視覚障害者労働問題協議会
 代表 込山 光広

 抗議文
 『点字ジャーナル』3月号に掲載された「新バズーカー評論堀参議院議員とは何だったのか?」の記事中、見過しにできない事実無根の視労協(視覚障害者労働問題協議会)を誹謗、中傷したとしか思えない箇所がありますので、私達はこれに対し強く抗議します。貴編集部に対し、『点字ジャーナル』誌上で謝罪するとともに訂正記事を掲げる事を求めるものです。
 私達視労協は、視覚障害者の労働権を保障(職業選択の自由)する事、視覚障害者の利益に即して三療業を発展させる事、すべての障害者が差別と隔離から解放されたノーマライゼーションの社会を実現する事、などを目的に運動を進めています。これまでに、東京都をはじめとする各自治体における職員並びに教員採用点字試験の実施、視覚障害者の職場の確保、サウナや病院マッサージ師の解雇撤回の闘い、他の障害者団体と共闘しての交通アクセス行動や、福祉のまちづくり運動などで一定の成果を獲得してきました。これらの成果は、本年10月、20年を迎える視労協の地道にして粘り強い運動の結果であると自負しています。
 さて、「新バズーカ評論」で小久保氏は、堀氏の議員活動について「全く成果がなかった」という結論を導きだすために、彼が視覚障害者として果たしてきた役割や成果(例えば障害者基本法の成立、障害基礎年金の改善、国家公務員の点字採用試験の実施、あはき関連の国会質問など)を意識的に無視しています。筆者の独断と主観に基づく極めて公平を欠く悪らつな記事となっています。筆者は自らの勉強不足を棚上げにしており、私達はこれを「為にする」評論と断ぜざるを得ません。そのうち、私達視労協に関する部分について指摘し、貴編集部がどのような編集方針で、いかなる意図を持って、このような評論を載せたのかについておたずねします。
 1.視労協を、「口の悪い者はトロツキスト集団などと言う」として、あた

p24
かも視労協が「トロツキスト」集団類似の組織であり、過激で何でもゴリ押しするような印象を与えようとしています。私達は、「言うべき事は言う。要求すべき事はきちんと要求する」という筋を通しながら、障害者の「完全参加と平等」に向けて、問題を現実的に解決する運動を行っています。全くの誹謗・中傷と言えます。
 2.堀議員との関係について、「視労協とトラブルが生じ、以後関係を絶っている」としていますが、視労協と堀議員との間にトラブルが生じたという事実はなく、今でも良好な関係を保っています。現に今年度の総会においても、堀議員は視労協の顧問として選任されています。事実無根です。
 以上の事につき、4月15日までに誠意を持って回答される事を要求します。

 視労協代表
 込山 光広殿
 1995年4月13日
 点字ジャーナル編集長 阿佐 博
 
 拝復
 平素より「点字ジャーナル」を御愛読いただきありがとうございます。
 貴組織からの「抗議文」、確かに受領致しました。御指摘の通り、本誌3月号においては不正確、不穏当な記述によって、貴組織並びに堀議員に対し多大な御迷惑をおかけ致しました。ここに深くおわび申し上げます。
 問題のバズーカ評論は、本誌が読者有志に執筆を依頼して掲載していたものです。筆者の筆を尊重する余り、前編集長が無修正のまま掲載したものと思われますが、発行後、部内においても批判が相次ぎ、4月号の編集長交替の記事中、発行人の井口 淳が謝罪の意を表明しました。
 尚、本誌5月号にも謝罪文を掲載致します。
 深くおわびするとともに、今後とも本誌の発展に御協力、御支援下さいます事をお願いし、簡単ながらお返事とさせていただきます。

 (事務局註ー「点字ジャーナル」3月、4月、5月号を読んで頂ければ、全体の経過がわかると思います。尚、この問題について視労協としては、一定の決着が図られたものと考えています。)

裏表紙の裏
 〈夏期一時金カンパのお願い〉
 視労協は、全盲、弱視を問わず、また雇用・就労に限らず視覚障害者に関わる様々な課題にとりくんでいます。さらにDPI(障害者インターナショナル)日本会議や障害者総合情報ネットワークを通じて、多くの障害者団体との連携を作り上げてきています。こうした幅広い活動を推進するためには、事務局の努力と熱意は当然の事として、それを支える財政上の裏付けが不可欠です。視覚障害者をはじめ障害者連動のネットワーク作りに向けたとりくみを、一層強化していきたいと考えています。皆様方の絶大なる御支援をお願い致します。
 郵便振替口座 00180ー6ー92981
 加入者名 視覚障害者労働問題協議会
 (郵便局にある用紙を御利用下さい)

 <被災障害者への支援も継続>
 郵便振替 00900ー7ー39055
 加入者 障害者救援本部
 ※現地では、住む所、介護問題など多くの困難さを抱えています。長期的な御支援をよろしく。
 ―編集後記―
 被災した障害者達のきびしい状況が伝えられる中、世の巾は何かと騒がしく、空しい出来事の連続である。「共生のための政治」は闇の中、街を歩けば同じ様な口調でじゃれ合う人々の群。こんな「時代」をチャンス到来と言うにはいささかエネルギー不足かな。 (奥)

裏表紙(奥付)
 1995年6月27日
 定価 200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 〒239 横須賀市長沢115グリーンハイツ2ー7ー405
 奥山 幸博気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6〜26〜21
 視覚障害者労働問題協議会


■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)