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『障害の地平』No.81

視覚障害者労働問題協議会 編 19941122 SSK通巻第478号;身体障害者定期刊行物協会,24p.

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last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 19941122 『障害の地平』第81号,SSK通巻第478号;身体障害者定期刊行物協会,24p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK増刊ー障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のためにー
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 ー視労協ー
 障害の地平 No.81
 飛べ、飛べ、視覚障害者
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九四年十一月二二日発行SSK 増刊通巻四七八号

目次
 視労協的気分「自由」と「民主」の間 梅林和夫…1
 東京都の視覚障害者の採用のあり方を考える「福祉指導C」をめぐって 込山光広…4
 視労協、今年も駅点検!…8
 新しい職場 上薗和隆…11
 三療日記「開業への道」 的野碩郎…13
 飛べ、飛べ、視覚障害者(その2) 加藤けんじ…17
 文字と差別ー初級実践コーナーー 宮昭夫…20
 ひとりごと 森登実江…22
 情報交換ポケット(1) 東京都点字電話帳・NTT利用料金点字案内…24
 季刊「ジョイフル・ビギン」発行
 年末カンパのお願い
 編集後記

p1
 視労協的気分
 「自由」と「民主」の間 梅林和夫
  ーはじめにー
 「この頃の政治はよく分からない」という会話があちこちで交わされている。まあ、私のような「普通の人々」にとって「政治」という対象は新聞記事の上でのことであることが多く、どうしてもあの批判されるべき「評論家」的な態度をとってしまう。その「評論家」的態度で以下の雑文を綴ってみたい。
 ー政治または政党とはー
 「政治」とは何かと問われても、なかなか答えられない。まあ身近な所では一般の新聞に「政治面」というスペースがあり、そこには主に国政レベルでの政党やそれに所属する人達(主に議員)の活動が書かれている。だから、政治というものを評論家的イメージで捉えると「政党やそれに所属する議員達の活動」というふうになってしまう。
 昔は(あるいは今でもそうかも知れないが)、「党」という概念なり実体があった。しかし、それは「政治」を行うための組織ではない。それは根源的社会変革(革命?)を行うための組織(前衛)であり、「党」とは呼んでも「政党」とは呼ばなかった。
 確かに、自由民主党の長期政権下で万年野党であった「政党」にはその中に「党」的イメージが多少とはいえあった様に思える。しかし、この一年、与党(政権の一部だけを構成するとはいえ)を経

p2
験した党は、議会主義における「政党」としてより純化したように思える。
 ー政党との接触ー
 いままで、私たちは「政党」に接触するというと、それは行政交渉をする場合の介添え人、または口利き人として登場する議員であった。もちろん「介添え人」であるので、どこの政党でもよかったのであろうが、結果として「野党」である場合が多かった。なぜなら、行政に対しての交渉主体は我々「視労協」等の障害者団体にあり、交渉の進め方や、交渉に伴う示威行動にあまり口をはさまない政党がよかったからである。
 もちろん、障害者団体の中には時の政権党たる与党と接触を持っていた団体も多い。特に国政レベルでは自由民主党が予算や法策定に大きな影響力を持っていた。自由民主党の政務調査会の一部である社会労働部会には、予算策定期に障害者や家族の団体の代表が自分たちに関係する福祉等の予算増額を勝ち取るために訪れる。そして、それらの団体の代表が予算獲得のために大蔵省を訪れる時、同党の国会議員が同行するのである。また、厚生省等が新たな法律や施策を考える時に真先に了解を取るところが自民党の社会労働部会であり、そことの関係が強いほど有利に事は運ぶ。そして、その「見返り?」として、大口の政治献金はしないにしても、参議院の比例代表候補等の後援会活動に協力する。
 確かに、この様なシステムに乗ることはある程度の要求は勝ち取られる。しかし、そのためには関係省庁の考えやそれまでの政策体系を無視するわけにはいかず、時には要求団体は関係省庁の応援団的役割になることも多い。

p3
 ー政策決定システムの変化はあるかー
 障害者に関する施策決定には色々な既成団体(政党や行政機構を含めて)の作ってきたシステムが強固に存在した。しかし、この間の自民党単独政権の終焉により、このシステムに若干の変化が起こっている。変化といっても自民党の力が若干弱まり、相対的に行政(官僚機構)サイドの力が少々強まってきたというのが実情であろう。
 今後の小選挙区制の下で今後どのような政権が出来るのかはわからない。そして、ぞれぞれの政党グループがどの様な具体的社会保障施策(費用負担の問題も含め)を考えているかは判然としない。ただ、それぞれの政党なりグループが当面の政権担当を目的と考えている以上、政策の継続性を重視するであろうし、政策執行システム(補助金交付、関連団体への事業委託等)の大幅な変更は当面行われないだろう。
 ー自由競争原理に対する「民主」的規制と隔離・別枠・「保護」体制からの「自由」ー
 今後の政治状況がどう動いていくのかは現時点ではわからないところが多い。しかし、一部では「公平・平等に重点を置く民主グループ」と「社会的規制緩和に重点を置く自由主義グループ」の2大グループに収束されるようなことが言われている。世の中はそう簡単に分けられないと思う。が、私たちが今後、政党に関わる時、いまでの様な安易な接触(利用)は危険だろうと思う。自分たちの視点の確立が求められている。

p4
 東京都の視覚障害者の採用のあり方を考える
 ー福祉指導Cをめぐってー
 込山光広
  1.はじめに
 都には多くの職種がありますが、事務職の一つに福祉指導職があります。児童指導員の資格がなけれは、この福祉指導を受験することは出来ません。福祉指導は更にA.B.C.(D)に分類されます。Aは相談・研究機関でケースワーカーなど、主に相談業霧に携わる者。Bは障害者施設、介護施設などで主に介護、介助、指導などに従事する者。Cは点字で受験し主に相談業務に従事する者となっています。(D)は児童館で児童厚生にあたる者であるが現在、都では採用していません。
 2.福祉指導Cの沿革
 1973年、都は日本盲人福祉研究会や盲大学生会、それに受験を希望する視覚障害者(以下視障者と略)たちの強い希望を受け、また2年後には障害者福祉会館をオープンするということもあって始めて点字試験を実施しました。福祉指導Cの始まりです。この時点字受験したのは2名で「成績優秀なため」として2名とも採用され、障害者福祉会館と中央図書館にそれぞれ配置されました。都はこれでもう点字試験を行うつもりがありませんでした。
 視労協は1975年に都に視障者の採用を求め、点字受験を認めるよう果敢な闘いを組織しました。民生局支部組合の協力を得ながら「視障者の需要がない」という都に対し、具体的に職場を探し、

p5
その職場から「需要はあること、視障者が働けること」を明らかにしてもらいました。これにより都としても私たちの要求を拒みきれず、点字受験を認めざるを得ませんでした。これ以後制度としての福祉指導Cが確立し、毎年点字受験が認められ、視障者が確実に1名ずつ採用されるようになりました
 1974年度から今年度までに福祉指導Cとして21名が合格し、本人辞退の2名(大学院進学と神奈川に就職)を除く19名が採用されました。そして退職した2名を除いて、現在17名の視障者が働き続けています。
 福祉指導の場合、教育庁配属の1名を除いて普通、採用されると福祉局、衛生局、養育院のいずれかに配属されます。そして視障者にも働けそうな新しい施設が出来るなど、特別に事情がない限り、前期の三局に3年ごとのローテーションで視障者の配置が義務付けられています。最近各局は、その職場探しに四苦八苦という状態です。
 3、問題点はどこか?
 視労協の運動によって福祉指導Cを制度として都に認めさせ、毎年確実に視障者を採用させてきたことは、他の自治体に類例をみない画期的な事でした。しかし、この制度にも数多くの問題点が存在します。
 (1)高卒者は受けられないこと。
 (2)児童指導員が受験資格であり、単に大学、短大を卒業しただけでは受けられず、きわめて制限的であること。
 (3)福祉指導という制約から福祉関連の相談業務に限られ、配置局が限定されること。
 (4)採用者数が1であるため、1をめぐっての視障者間の競争となり「どんなに成績が良くても」1名しか採用されない

p6
こと。
 (5)職場が福祉の直接処遇的な場が多くかならずしも視障者に向いているとは言えないこと。
 などがあげられます。更に視障者に対してハード、ソフト面で適切な援助をしていこうとする姿勢が都に見られないことも問題です。
 4.今後の課題はなにか
 都は1992年の試験から一般事務のT類(大卒程度)、U類(短大卒程度)で点字試験を導入しました。この事は永年にわたる私たちの悲願であり、多いに歓迎されます。しかし、多数ある職種の中で、一般事務に限られていること。しかもV類(高卒程度)が除外されていること。障害者を採用することを目的とした「障害者別枠採用試験」が行われていないこと。更に経験者採用(民間企業からの中途採用)においても、点字受験が認められていないなど私たちから見ればきわめて不当な状態が依然として改善されないままです。
 さらに今年はいままで必ず合格者をだして来た福祉指導Cで合格者0という辞退が生じました。受験者が3名いて一次試験に1名が合格しましたが面接試験で落とされたのです。都の人事委員会によれば「一次と二次(面接)の試験の総合点が合格ラインに達しなかった」という説明になります。しかしその合格規準は私たちには明らかにされていません。いずれにしても来年度、都への重度視障者(点字使用者)の採用はありません。極めて遺憾なことです。
 私たち視労協は、この問題で9月19日、都人事部及び人事委員会と交渉を持ちました。「点字使用者の採用を予定していたのだから2次(追加)募集をせよ」との私たちの要求に「最近は2次募集はしていない」というばかりで議論は平行線でした。都は「次年度

p7
の必要人員はそのつど判断して決める。福祉指導Cの廃止は今のところ考えていない」といっていますが、一般試験への点字試験導入の絡みで福祉指導Cがなくなるのではという私たちの危惧は未だにぬぐわれないでいます。

 5.求められるあり方
 障害者の社会への「完全参加と平等」を実現するためにも当然都における全ての試験が視障者に開放されなければなりません。試験は障害に応じた(点字試験はもとより点字・墨字同時出題や拡大印刷、人によっては録音したりなど)ものでなければなりません。適切な時間延長は勿論、さまざまな社会的ハンデを埋めるための配慮が必要です。一般試験の開放とともに障害者雇用を推進するための別枠採用においても点字試験を実施し、視障者の受験を保障すべきです。一般試験が開放され別枠採用試験でも視障者の試験が認められる場合に始めて福祉指導Cの役割は終わります。なぜならば現に福祉指導Cを受験したいと思っている視障者は福祉指導Aを受験すれば良いからです。
 このように受験において「完全参加と平等」を達成するためには、一方では「資格を有する」一人の市民として平等な機会の保障を求めるとともに、他方では別枠採用のような形(アファーマティブ・アクション)で障害者を優先的に採用させることが必要です。この両者が相まって、始めてその目的がかなうのです。
 とにかく息の長いたたかいになることは間違いありません。理論を磨き、ノーマライゼーションの理念に照らして具体的に矛盾を明らかにし、現実的な解決を探さなければならないでしょう。

p8
 視労協、今年も駅点検!
 点字案内表示が増えて来ました。
 今年の交通アクセス全国大行動は10月9日日曜日。私達は集合時間前1時間程を利用して、駅点検を実施しました。2班に分かれて昨年と同様点字案内表示、点字ブロック、危険な箇所の3点を主に調べてみました。以下その結果をまとめて報告します。
 □点検した駅(JR東日本・中央線)
 お茶ノ水、飯田橋、西国分寺、立川
 1 点字案内表示
 [券売機]
 @お茶ノ水駅 運賃ボタン、呼び出しボタン、取り消しボタンにあり。他の路線乗換え、大人・子供・きっぷ枚数ボタン、カード専用、回数券、精算機など全くなし。なお、運賃一覧表が誘導ブロックを辿って行った位置にあり。
 A飯田橋駅 運賃ボタン、呼び出しボタン、取り消しボタンにあり。その他なし。なお、誘導ブロックを辿って行った位置に運賃一覧表、その下に時刻表あり。
 B西国分寺駅 未確認。
 C立川駅 運賃ボタン、呼び出しボタン、取り消しボタンにあり。他の路線乗換えあり。その他なし。
 [階段・てすり]
 @お茶ノ水駅 案内表示あり。ただし、時間によって使われていないらしい箇所の階段・てすりに以前あったと思われる表示の上にテープがまきつけられており、確認できない。(何らかの対応を予定しているのかも)
 A飯田橋駅 案内表示あり。
 B西国分寺駅 全くなし。
 C立川駅 比較的分かり易い案内表示あり。

p9
 2 点字ブロック
 @お茶ノ水駅 ホームあり。階段、改札内および改札外誘導ブロックあり。
 A飯田橋駅 ホームあり。誘導ブロックあり。ただし、ホームから直接改札への通路にはなし。
 B西国分寺駅 ホームあり。階段上・下および改札内通路には全くなし。
 C立川駅 ホームあり。改札外通路、きっぷ発売窓口および、改札内通路、乗換え通路、電話、トイレなど誘導ブロックあり。
 3 危険な箇所
 @お茶ノ水駅
 (ア)ホームが非常に狭くブロックに接している柱が多い。
 (イ)ホーム先端に柵なし。
 (ウ)中央線・東京方面と総武線・千葉方面が停車する島形ホームの総武線の線路が秋葉原よりに向かうにつれて徐々に上り坂になっているため、中央線側よりも5・6段高い位置にホームガあり、つまり、2段形になっている。狭いホームがさらに狭くなる上に2段式になっている事を事前に知っていないと非常に危険。
 A飯田橋駅
 (ア)ホームからそのまま、やや傾斜した通路を経て改札に行く所があり、特に危険ではないが何か手掛かりがあってもよい。
 (イ)ホームの先端には柵があり、比較的安全。
 B西国分寺駅
 (ア)階段の下、上ともに全くブロックがなく転落のおそれあり。
 (イ)ホーム先端柵なし。
 (ウ)ホームと直角の階段がありそのホームには位置ブロックはあるものの直進すると一気に線路に転落する。
 C立川駅
 (ア)ホーム先端やや手前で線路と直角の位置ブロックが終りを示しているが、その直角の線の幅を2倍にするなどの対応が必要。
 (イ)ブロックの終った所からの両脇に柵なし。

p10
 日曜日、おまけに連休という事もあってかなり混雑した中を歩いてみました。
 感想としては
 @立川駅などの様に番線や行き先、方向の案内など比較的分かり易い階段・てすりの点字表示が色々な路線で見られるようになったと思う。
 Aお茶ノ水駅の様に昨年点検した山の手線の古い駅舎と同様、狭くて衝突や転落の危険にさらされている駅が放置されたままになっている。
 B西国分寺の様に昨年点検した山の手線・秋葉原駅と同様、点字案内表示も誘導ブロックもなく、構造の複雑な駅が放置されている。(因みに、先日秋葉原駅を利用する機会があり、階段・てすりの点字案内表示と誘導ブロックが整備されつつあるのを発見!)
 などが挙げられると思います。
 点字表示、点字ブロック、誘導チャイム、音声案内等々本来どのような在り方が私達にとって望ましいのか、そして、誰もが利用しやすいというのはどんな環境なのかという事について、利用者が主体性を持って考え、話し合い、それを行政や事業者に対して具体的に示して行く事が今最も重要な課題だと思います。
 (報告と感想、森)

p11
 『新しい職場』
 上薗和隆(視労協会員)
 もう少しで43才になろうという私がなぜ「新しい職場なのか」は、「障害の地平」80号で的野さんが書いていた、残された全盲マッサージ師がこの私だからである。慣れた職場を捨てるに迷いもあった。この年になって新しい職場を探せるか?、探せたにしろ適応できるのか?、不安はあったがどうしても続ける気にはなれなかった。
 病院を電話で探したり、面接にまで行き、ある程度の感触までは掴んだのだが、条件面で折り合いがつかず、不安なまま7月20日をもって無職になった。
 いよいよ職安通い。病院マッサージ(年齢制限もやや気になるが)、治療院と2,3リストには上がっていたが、4回目くらいの訪問で「障害者総合情報ネットワーク」でコンピューター点訳による出版、あるいは他の団体との渉外のできる者との募集が見つかった。前からコンピューターを利用した視障者情報集め、または、視障者への提供に興味をもっていたし、そのひとつとして点訳者を育てる活動もしている。不安を抱えて面接へ、そして、採用となってしまった。
 この「ネットワーク」は誕生やっと1年であり、会員制をとっていて、障害者に関する行政政策情報を収集し、これらを会員の求めに応じコピーサービスを行うのが主な活動である。
 「情報化社会」と言われながら、私達障害者は情報からも遠ざけられ、そして、それゆえ、障害者政策に何ら関わる事ができず、知らない所で敷かれたレールの上を仕方なくトコトコと歩いているのが実情である。「自分達の事」は自分達で決めよう。発言していくには、もっと情報を、さらに勉強を、研究をしていかなければならない。こういった趣旨で結成された団体である。
 これまでは専従事務局員の健常者一人で、てんてこまいで働いていたようである。ここで全盲の私が事務職として入ってきたのである。障害者の仕事が無ければ自ら作っていこうと、視障者を雇ったとの事。飛びこんではみたものの、全く未経験の私に何がどこまでやっていけるだろうか。彼の仕事内容の幾分かでもとってこられるのだろうか。

p12
 「月刊ビギン」、季刊の「ジョイフルビギン」を発行しているのだが、これまではすみ字だけの発行。視障者向けにも同価格で点字やテープでの提供をしよう。まずは、これらの製作を。点訳の依頼、朗読者探し、そして、実際それらのでき具合をチェックし、やっと発送という段取り。まあこのあたりの作業は、初めてのご対面の機械、そのトラブルにも何とか対処しながらも合格点をあげよう。
 次は電話の応対。日常会話ならともかく、まずは言葉づかい。他人のまずさはマスコミなどでもよく聞くし、自分なりに解っているつもりではいた。しかし、実際やってみるとさあ大変。最初は「障害者総合情報ネットワーク」という長い名前で受話器を取るのがこうも難しい事かと。最近はさすがにそれには慣れてきたようだが、肝心な中身である。電話での問い合わせにどれだけ答えられるか?、ずっと以前は視労協ですこしは活動していたのだが、このところサボッテいたし、視障者だけの事なら何とか答えられそうな気もするのだが、要するにネットワークの事やそれを取りまく事情を全く知らないし、果たして何から覚えていけばいいものかと惑うばかりである。先輩同僚の受け答えやデータ化されている物を読んだりして、一時でも早く手の内に入れていかなければならない。
 事務所といえば紙の山。活字の氾濫。私達を寄せ付けない。まっさらの紙に単に文章を書くのならどうにかなりそうだが、書式への記入、あるいは書類の読みになると本当にお手上げ状態である。今のところ、たとえコピーをとるだけにしろ、作業準備として彼の手を借りなければ何も始まらないのである。今後活字読み取り機(まだかなり不完全な物のようだが)など導入できれば、可能な仕事の範囲はもっと広がっていくようではある。
 また、支援協力してくださる大勢の方々に会い、私やネットワークの事をアピールしていくのも課せられた重要な仕事のひとつである。
 まだ必要な機器類も確保できていないし、それらを使いこなす勉強も雑務に平行してやっていく。このような多様性にけっして柔らかいとはいえない体、頭で続けていけるのだろうか。考えているより日々の事務に追われながら「ああ今日も仕事は残ったままなのに夕方だ」。
 せっかく始めた仕事、成功させなければならない。同僚の親切に甘える事のないよう、物品や名簿の管理など含め、分担を決め、より仕事のしやすい職場にしていければと思っている。みなさんの御支援、御協力をよろしくお願いします。

p13
 三療日記 開業への道 的野碩労
 前号80号の「障害の地平」に、僕が病院の職場を追われたいきさつを書いた事は周知のとおりと思うが、その後どうしょうかと悩んだ事からいよいよ三療の開業へ踏み切る所を実体験をとおして書きとめておきたいと思い、機関誌のスペースを割いてもらう事にした。
 (病院を退職して)
 今年の6月20日づけで自主退職というなさけない結果となってしまった。23年勤めた病院の退職金はなんと310何万というお粗末さ。それに自主的にやめるにあたって「開業準備金」と称してなみだ金が特別にだされた。裏話は前号で書いたとおりだが、今もあの経営人には合いたくない。
 同僚もその1箇月後にやめ、障害者関係の事務員として再びスタートした。僕はくちコミで病院の時から渓がっていた患者さんをアルバイトという事で出張治療をし、半年間の失業期間を経てしかたなく11月1日三療の開業へと踏み切る事にした。踏み切るといっても様々な経験とすさんだ日々を繰り返してきた事は読者にはすぐにばれるきがする。
 アルバイトにしてはけっこう数が増えてきて、電話の置けるアパートをとりあえず欲しいという事で病院近くの不動産屋をかたっぱしから回った。あいているのはけっこうあるのだが、とにかくうさんくさい物には絶対貸さない。ましてや視覚障害者で男一人となると、「大家さんがうるさいので」とどこも同じ答えが返ってきた。そして、このアパート、マンションの余り現象のなかで「隣を障害者グループが借りているからだいじょうぶ」という理由で家賃の高い賃貸マンションに落ち着いたのである。成功すれば駅から近いという事もあって良い場所ではあるが、これから何年かは厳しい状況になる事は明らかであろう。
 治療室確保の次は電話の確保となる。確か何10ねんか前は電話債券を買

p14
うという話だったように思ったが、今は7万5千円程度の加入料がそれに変わっている。
 次は治療に使うベッドやはりといったとりあえず必要なものである。どこが一番安いのか、どこが一番負けるのか、それらを電話で確認していく作業を行なう。
 さて、その治療器具や必需品を最低限整えるには金が必要である。社会福祉協議会という所が400万円まで3%の利子で貸してくれるというので早速地元へでかけたが、この手続きは下りるまでに2・3箇月かかるし、調査員や民生委員、保証人という人達を中にはさむと同時に書類もけっこう揃えなければならない。僕は話を受けたまわるだけでくたびれてしまった。言ってみれば、視覚障害者は書類を書く事や書類を整える事を自分の力で出来なかったり、出来ないと決め込んで晴眼者に任せきりという事なのかもしれない。結局、なさけない事に金を借りるのを僕は断念してしまった。
 他にも厚生年金保険から国民年金保険への切り換え手続きや三療免許証の紛失に伴う再発行、そして、何よりも重要な失業保険の手続きと、ほんとにうんざりするほどの手続き攻めであった。とどめは保健所に出す開業のための手続きとなるわけである。僕の諸先輩たちはこういった手続きの山をどうこなしたというのだろうか。家族やボランティアとしても嫌になるにちがいない。それを一人で役所の窓口相手に奮闘した人はたいしたものだ。
 (三療しか、ない事)
 開業しようと思うまでに自分が何故それを選ばなければならないのかほんとに考えさせられた。23年間の病院でのマッサージ師を選んだ時も僕は大学で演劇の勉強をしていた自分から挫折した道を通り病院へ就職した。他の仕事として公務員関係の三療を捜したりもしたがどれも外れて、しかたなく電話作戦で病院を当てたのだが、またもや、その病院からほおりだされて、またまた仕事捜しとなってしまった。区報に載っていた準公務員的な特別養護老人ホームにチャンスを賭けたがアウト。病院就職もアウト。こんな状況の時にどうしても自分の性格が前へしゃしゃりでてくる。

p15
 治療をして直すには学習、経験、技術といったものが必要にちがいない。もう一回医学書を開いても覚える力が見事に衰えている。しかも、嫌な事にこの年になるとけっこう世間への顔向けの体裁や理屈を持っていて、「医の道は安い、丁寧、親身があたりまえ」と平気で言って退ける始末。治療費は安く、時間は長く、相談にはしっかり乗ってという具合だ。
 だが、実際に安くすれば家賃に追われて生活費どころではない。仕事時間を長くすればそれだけ疲れが見えてくる。そして、余暇の時間も無くなってくる。病院で仕事をしながら一つのパターン、つまり、仕事を終えてから障害者運動に加わっていく事も難しくなる。それだけではなく友人に遭う事も、家庭の家事の割当をこなす事も、子供といっしょに遊ぶ事も少なくなったり無くなったりする。もちろん、仕事の時間を短くしたり、定休日を増やしたり、治療費を上げれば解決するのかもしれない。しかし、当分あるいはずうっとかもしれないが生活費は生まれてこない。そういえば、こんな時の年金はほんとに有り難い。たしか、前に年金問題の話のなかで、年金を単なる補助金ではなく十分生活できるものに位置付けるべぎだという考え方があったが、全く今そんな気持ちだ。
 三療を好むと好まざるとにかかわらず仕事として行かなければならない現実と、患者さんを治療し直して行かなければならない現実。この二つの現実を僕は自分のなかで強引に結び付け頷かせ、しかも、何もなかったように前向きに生かせようと思っている。
 いっしょうけんめいだけでは患者さんは直らない事がやっと分かりかけてきたのかもしれない。幾つ目かの人生の岐路に立って、あいかわらず夢みたいな事を描きながら現実を見つめてしまう性格が、こんな時にはほんとに重い。
 開業をしながら生活をたやすく出来るためにたとえば、按摩・はり・きゅうの保険適用をたやすくしかも、病院並にするとか、患者さんの収入におおじて、三療を受けた時の国や自治体からの補助金をもっともっと多くするとか、視覚障害者三療師の開業収入におおじて補助をして生活を助けるとかなんらかの形で視覚障害者の生活を安定させる事を考えていくべきだと思う。勢いよく開業しても家賃に追われたりするのは本来の、患者さんを直す事か

p16
ら離れていきそうだし、たとえ、年金暮らしがあるとしてもそれさえも医業類似行為からは程遠い生活の組かたになってしまうにちがいない。
 開業を前にいかに自分らしい治療あるいは味が出せるか、体力はどこまで続くだろうか、慰安的なもの・予防的なものはどうすれば良いのか、治療形態はどんな形にといった様々な不安が次からつぎへと回ってくる。それでも結局開業への道を選びそのための準備に突入してしまった。後悔とそれを振り切って突き進もうとする自分。世間からは優しい言葉で「アルコールは控え目に」という声が聞こえてくる。
 今、楽しみな事は現実に患者さんたちが直っていく事だ。こんなすばらしい事はほんとうは無いのかもしれないから…。
 (終りに)
 今回は、何を書いたか分からない所もあるけれど、退屈な文章も必要な時もあると自分自身を慰めて置こうと思う。
 アルバイトをやる中で、マッサージをやる事そのものにたいして幾つかの思い、たとえば、暇な時の孤独感や直せるかあるいは、直せないかもしれないという不安感。それに今までの生活環境を変えなければならない事など幾つかの、いてもたってもいられない感情のもつれが細く長く続く事に気がついて、さらりと過ぎていった人や、そんな事に見向きもしなかった人達のいる事も併せて思った。「だから何だ」といわないで欲しい。少なくともいま、向かい合っている僕がいるのだから。今後ともよろしく。

p17
 飛べ、飛べ、視覚障害者(その2)
 加藤 けんじ
 〈はじめに〉
 前号で害いた文が好評とのことで続きを書くことになった。楽しく読んで頂ければ私としても大変嬉しい。
 〈ブレスセラピー〉
 私の眼疾は、先天性緑内障である。視力は左0.05、右0.01以下というところだ。しかし、これは、医学的診断というものに過ぎないということに気付かされたのは最近のことだ。
 先天性というのは、救いのない宣告だ。あなたは生まれつきそのように生まれた。だから変えようがない。
 私も20年間以上、この言葉に呪縛されていた。いろんな宗教の信者たちから、「あなたの目も治ります。」という、勧誘を受けたが、信じる気にはならなかった。
 1992年、私はブレスせラピーという新種の治療体系と出会った。ブレスセラピーというのは、呼吸法を用いて精神、身体に滞るエネルギーを解放することによって癒していくセラピーである。
 ボビーというブレスセラピストが私にこう言った。「あなたの目には涙がたくさん詰まっています。それを全部流してしまいなさい。そうすればあなたの目は回復します。泣くととを恥じてはいけません。勇気ある人間はたくさんたくさん泣くものです。」
 私は彼とあって、先天性という言葉を捨てることが出来た。そして、より広い意識を手に入れた。癒しの本質はこれだと想った。
 〈あきらめの安心〉
 先天性と同じく救いようのない言葉がある。変形性とか、老人性という言葉だ。こういう診断名を下された時、あきらめるしかないという気持ちにな

p18
る。こういう言葉の心理的影響は多大なものだろう。しかし、医者はあっさりとそれを宣告するのだ。
 患者さんの中には、「私は、こういう病名で、レントゲンによるとこうで、」と自分の病気を詳しく説明する人がいる。それも、とても楽しそうに話すのだ。また不定愁訴の患者さんの場合、「いくら調べても病名が解らないので不安です。」などと言う。病名が宣告されると安心する。そして、その病名に関する知識が増えると更に安心する。医者の言ったことや、専門書に書かれていることを鵜呑みにして安心するのは危険である。この安心は真の安心ではない。それは、あきらめと共にある安心である。自分の可能性をあきらめることによる安心なのだ。
 〈可能性〉
 私は、私自身の視力を回復させようとしているのではない。又、この世界から視覚障害者を抹殺しようとする気もさらさらない。ただ可能性として、それがどんな障害であろうとも変化不能であるとは限らないという立場にいたいのだ。
 もし人間が空を飛ぶ可能性について、あきらめていたら飛行機は生まれなかっただろう。しかし飛行機は、その存在によって、人間が空を飛ぶ可能性を狭めている。飛行機が人間の可能性を肩代わりしてしまったからだ。西洋医学や、科学技術はみな同じシステムで人間の可能性から生まれ、生まれ落ちた途端に人間の可能性を狭めてしまっている。視覚障害者も当然このシステムの中で生きているのだ。文明と言うシステムの中で生きているからだ。
 もし、飛ぶことを文明に肩代わりされたまま、生きていけば、人が飛ぶという可能性は失われる。文明が主役で、人がわき役にまわることになる。もし、医学的診断によって、治ることをあきらめて人生を送る患者さんがいたとすると、その人は、医者や医学に主役の座を奪われ、わき役の人生を生きることになる。もし一人の視覚障害者が、その社会的レッテルに屈し、彼自身の可能性にピリオドを打ったなら、彼は視覚障害者一般としての人生を生きることになるのではないだろうか。
 だから、私は、空を飛ぶという可能性を、又、どんな難病も治るという可能性を、また視力が回復するという可能性をあきらめはしない。そして、そこにこそ真の安心があると想うのだ。

p19
 〈まとめ〉
 健常者たちが、アイマスクをして、誘導されながら道を歩く。昔は、視覚障害者の立場にたって、その不便さを理解するために用いられた手法である。しかし、最近では、新たな感覚に気付いていくための手法として、「気付きのワークショップ」などで、プログラムの中に組み込まれている。視覚の虜になった自己からの解放、自由を求めて、健常者たちがアイマスクをかけ始めたのだ。私たちはそういう時代を生きている。もっと目を見開いて、この時代を見ていこうではないか。スローガンは「飛べ、飛べ、視覚障害者」。
 (校正者注:挿絵省略)

p20
 “文字と差別"ー初級実践コーナーー 
 宮 昭夫
 チャイムが鳴った。まだはっきりしない頭を抱えてドアを開くと、一人の男が戸口に立っていた。
 「お休みのところ誠に申し訳ありませんが、ちょっとアンケートに御協力いただけないかと思いまして。」
 男はダスキンのセールスマンと、エホバの証人の伝導者をミックスしたような感じだった。つまり、やさしそうで強情そうで中性的な感じだった。(比喩的表現というのは差別的になりやすいな。)
 「何かのセールス?、それとも宗教の勧誘?」
 「まあ、その両方といったところかも知れません」
 「最悪だね。でもまあ、正直なところは評価するよ」
 「それはどうも。ほんとに今日はアンケートに御協力いただけるだけでいいんです。それは保証いたします。」
 ぼくは時間がある時はこの種の人間をたちまち追い出したりはしない。
 今日は時間があった。ぼくはまた気まぐれをおこした。
 「あなたはギネスブックを御存知ですね?、私共はギネスのやっていることにヒューマニズムと信仰をプラスしょうとしているのです。」
 男はぼくが目が悪いことに気づいてからも、ほとんどひるむ様子はなく、アンケートを読み上げ、ぼくに代わって記入した。
 アンケートというのは、様々な分野にわたっていたが結局のところ何か自慢できることはないか?、特別変ったところはないか?、聞き出すためのものだった。
 「どんなことにも世界一の認定をしていくということは、決して能力主義や競争主義をあおることではありません。そもそも、現代社会の不平等は、価値の基準があまりにも狭く固定化されているところにあるのです。頭のいい人、サッカーや野球のうまい人、顔のきれいな人だけがもてはやされる社会では、決して平等は実現できないでしょう。そう思われませんか?」
 約束通りアンケートを終えて、帰り支度をはじめながら、それでも約束とは裏腹な熱心さで彼が聞く。
 「そうだね。足の小指の長さだけでは誰にも負けないとか、耳たぶを自由に動かせる奴とかが、大学教授やサッカー選手みたいにもてはやされれば、平等な社会になるかも知れませんね。」ぼくは失礼してコーヒーを飲み、ゆ

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で卵を丸ごと口に放り込みながら、そう言った。(ここのところは差別に対する反発と、差別意識とが妙に屈折して共存しているな。危ない、危ない。)
 「よくよく探せば、どんな方の中にも日本一、世界一になり得る可能性があるものなのですね。それを見つけ出すのが私達の仕事です。我々の教祖は、言わばその天才なのです。」彼は身を乗り出して誇らしげにそう言い放った。だが、その後急に力のない声になって、「勿論私自身は日々自分の才能のなさを思い知らされていますかね」と、教団のセールスマンにあるまじき弱音を吐いた。
 「ぼくにも何か世界一になれそうなところはありますかね?」彼を励ましてやりたいような、からかってやりたいような複雑な思いにかられてぼくは聞いてみた。
 「それはもう少しあなたとおつきあいしてみないと具体的には申し上げられませんが……」
 しまった。彼にまたくる口実を与えてしまった。でもまあいいか。日曜の朝はサッカーの練習に行く子供と、それを応援に行く妻を送り出したら、あとはどうせ昼までゴロゴロしているだけなのだから。
 「ところでお宅の教団というのか、会社というのか知らないけど、どうやって成り立っているの?」
 「皆様方一人ひとりが世界でかけがいのない人間であること、つまり、何かの点で世界一であることを認定し、”誰でもダイアモンド”メンバーとして登録していただいた時、その登録料をいただきます。」「なるほど。で、それはどの位?」
 「認定料と登録料を合わせて20万円程でございます。」高い!。
 「だけど何もかも平等な価値を持っているという事は、別な言い方をすれば、何をやっても大した意味はないということになって、結局はニヒリズムになりませんかね?」
 「そうならないために教祖は宗教的実践を取り入れたのです。詳しい事は今度うかがった時にお話しいたします。」
 丁重な捨てゼリフと共に彼は立ち去った。
 日曜のおだやかな団地の空気の中に、この2、3年毎日のように20年に一度の大処分セールをしていると主張するサオ竹屋の声が響く。(アイデアだけで書くなかれ。差別のもと。心を大切に!。さて、この続きは何と書こうかな。)

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 ひとりごと 森登美江
 ◎ 今回もやっぱり欠席しよーっと。
 私の勤めている病院では、毎年暮れか正月に食事会が催される。就職して3年になるが、1年目の1回だけ出席して以来用事を作って逃げている。
 初めは、はりきって参加していったのだが、幾つも悲しい思いを重ねていくと「何故私達だけこんなに無理をしなければならないのか」と疑問になって「パスしようよ」という事になるのである。
 中華の立食パーティーで中央の大きなテーブルに70名ほどの職員が突入していくなかで、私達マッサージ室の女性の晴眼マッサージ師二人が私と、もう一人の男性視覚阻害職員のために食べるものを確保するのは、確かに大変な事であるのは事実だ。視覚障害者二人は他の職員のだれと会話するでもなく、取りざらに何種類もの、味の全くちがう料理が山のように積まれているのをひたすら詰め込む。晴眼マッサージ師二人は周りから「あなたたちだけたいへんね」といわれ「食べた気がしなくって」という会話がくりかえされる。
 視覚障害者二人が参加しない事を決めた大きな出来事が昨年の7月に起きた。それは、病院の創立30周年記念パーティーが新宿の京王プラザで行なわれた時の事である。
 じつは、私は日程を知らされるずっと以前からその日は予定が入っていたので、さっさと欠席した。それで彼一人が、がんばって出席する事になったのである。
 その前日だったか、理事長がマッサージ室にやってきて「あんたのためにコンパニオンを頼んだから」と困ったように告げていった。
 そして、当日。彼が会場に入ると一つの席が当てがわれた。最初の数分は「少し、相手をしてやれ」と仰せつかった一人の男性職員がいやいやそばにいて話をしていた。その内、一人になってコンパニオンが次々運んでくる和、洋、中、様々な料理をもくもくと詰め込んでいった。周囲には何百人という

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人達が賑やかにパーティーを楽しんでいる。その中で彼は一つの椅子から動く事もなくひたすら食べ続ける。職員は全員立食で椅子席は来賓のために用意されたものだった。職員の彼がその一角に押し込められたのである
 そうしているうちに、たまたま隣席の人と話すチャンスをみつけた。数年前までこの病院でボイラーマンをしていた人だった。会話がはずみ、帰る方向も同じなのでいっしょに帰る事に話が決まった。それで、いっしょに出口までいくと、来賓に挨拶をするためにそこにいた理事長に捕まった。いっしょに帰る事をしってあわてて「お客さまにそんなご迷惑をかける訳にはいかない」と、むりやり彼を引きとめ年輩の看護婦に駅までつれていくように言いつけた。
 次の朝、彼がまだ出勤してくる前に、毎朝マッサージ室に牽引にくるその彼女が「頼まれてしかたないから付き合ったけどたいへんだったわよ」と私がどんな思いできいているかも知らずに晴眼マッサージ師に訴えていた。彼にいわせれば一人で帰った方がよほど気楽なのである。
 こんな事、どこにでもある出来事かもしれない。私達の方から積極的にアプローチするなかで切り開けという意見もあると思う。しかし、職場のだれも全く私達を認めていないなかで、どう積極的になれというのか。それは、相手にこちらから近付いていけばむこうも近付くという事かもしれない。だからといって何故私達がわだけがそんな苦労をしょい込まなければ世の中で生きていられないのだろうか。障害は責任を負わなければならない事ではない。私は幼い頃から父親に「人の何倍もがんばらなければだめだ」といわれ続けた。何故私だけみんなよりたくさんがんばらなければならないのか疑問だった。
 がんばる事は大事だし私もそうしたいと思う。だけどがんばれない時だってあるしがんばりたくない事だってある。障害者だからといっていつもいつもしゃんとして、ぴりぴりして、周囲に気を使って…なんてとてもじゃないけどやってられない。のんびり、だらっとしていたい時がある。
 そんな訳で日々大変な職場にあって時間外まで苦労したくないという事で!
 ◎ 今回もやっぱり欠席しよーっと。

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 情報交換ポケット(1)
 東京都点字電話帳とNTT利用料金点字案内
 私は昨年の春ごろから、使った電話料金を点字案内で確認しています。これはNTTが「ゆいの会」(NTTの女性退職者有志によるボランティアグループ。電話で新聞などのリーディングサービスも行なっている)に依託して1986年7月1日から実施しているものです。対象は一人暮らしの視覚障害者となっており、現在都内で250名ほどが利用しているそうです。
 利用者として私が残念に思うのは、「領収のお知らせ」の最後に「(ご注意)正規の領収書が無いばあいはこのお知らせば無効です」という1行が書き添えられている事です。私達視覚障害者が私達の唯一の文字である点字の、請求書や領収書を要求するのは、晴眼者が幼い時から慣れ親しんでいる活字のそれを特別な手続きなしに当然として受け取る事ができるのと同じに自然な事なのです。NTT料金担当者が確認できないから入金していても点字の領収書は無効だというのであれば、点字案内書とは全く別の日にポストに配達されてくる活字の請求書は私達にとっては無効であるといえるのです。点字による領収書が1日も早く認められるよう運動していきたいと思っています。
 次に、東京都点字電話帳について触れておきます。一番新しい物は今年の9月に、NTT首都圏電話帳事業推進部が都福祉局の協力を得て東京ヘレンケラー協会の印刷によって発行されています。(第5版)
内容は区市町村別に各公共機関が記載されているほか、都庁、各種相談、国の機関、テレホンサービス、視覚障害者関係施設などの項目に分けられています。住所は無く電話番号だけですが便利だと思います。
 みなさんの地域では公共料金その他について視覚障害者への対応はいかがでしょうか。情報をお寄せください。
 次回は東京電力の点字対応についてできるだけ調査して報告する予定です。
 (東京都府中市、森)

裏表紙の裏
 障害者発の楽しい情報誌ができました!
 「障害者総合情報ネットワーク」から、季刊「ジョイフル・ビギン」が発行されました。創刊号の特集は「まちづくり」。今後「自立生活」、「はたらく」、「権利擁護」を予定。定価1,545円(1,500円+税45円)点字版、テープ版、フロッピーディスクも同価格で扱っています。
 申し込みはネットワーク事務局(03ー5228ー3484)、又は近くの書店へ(発売元「現代書館」と言って下さい)。
 ネットワークヘの会員加入も合わせてよろしくお願いします。
 〈年末カンパのお願い〉
 口座番号 00180-6-92981
 加入者名 視覚障害者労働問題協議会
 ー編集後記一
 「福祉のまちづくり条例」についての動き。東京、埼玉、神奈川、京都などで、来年の2月議会で条例策定の見通し。検討過程への当事者参加、運動の交流もまだまだ不十分。視覚障害者の課題をきちんと盛り込ませるよう各地で声を上げよう。 (奥)

裏表紙(奥付)
 1994年11月22日
 定価200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 〒239 横須賀市長沢115グリーンハイツ2-7-405
 奥山幸博気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6 〜26〜21
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九四年十一月二二日発行SSK 増刊通巻四七八号


■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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