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『障害の地平』No.80

視覚障害者労働問題協議会 編 19940831 SSK通巻第444号;身体障害者定期刊行物協会,24p.

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last update: 20210528



視覚障害者労働問題協議会 編 19940831 『障害の地平』第80号,SSK通巻第444号;身体障害者定期刊行物協会,24p. ds. v01

■全文

表紙
 SSK増刊-障害者開放運動の理論的・実践的飛躍のために−
 子宮から墓場までノーマライゼーション!
 −視労協ー
 障害の地平 No.80
 届いてますか?80回目のメッセージ
 視覚障害者労働問題協議会
 一九七一年六月十七日第三種郵便物許可(毎月六回 五の日・0の日発行)
 一九九四年八月三一日発行SSK増刊通巻四四四号

目次
 視労協的気分
 飛べ、飛べ、視覚障害者 加藤けんじ…1
 病院マサージ師隘路 的野碩郎…4
 カイロ・整体はあはき法に組み込めるか? 福井宏郷…8
 わたしたちののぞむものは 宮昭夫…10
 視覚障害者労働フォーラム結成にあたって 服部敦司…12
 「障害者における大学問題を考える会」とは? 障害者における大学問題を考える会…15
 実の母親は当然親権者? 森登実江…16
 〈資料〉福祉のまちづくり条例の対象の拡大を…20
 本の紹介…24
 定期購読費納入のお願い・編集後記

p1
 視労協的気分
 飛べ、飛べ、視覚障害者
 加藤けんじ(視労協会員)
 〈はじめに〉
 大きすぎる耳という「障害」を持って生まれたダンポ。だが、その「障害」であるはずの耳が、彼に「空を飛ぶ」ことを可能にしてくれる。
 これは、最近読んだ「LSDと仏陀とビートルズ」{おきひかる著、第三書館}の書き出しである。この本には、LSD体験や、瞑想体験と言った、「飛ぶ」ことに関する体験が盛り沢山なのだ。僕は、まだドラッグは、体験していないが、瞑想で「飛ぶ」ことは、体験している。その体験を交えて、「障害」について、「見えること/見えないこと」について、書いてみたいと思う。

 〈脳自体の活動〉
 眼を閉じると、光が失われると言うのが、一般的な人の見解だろう。しかし、僕にとっては、それは、誤りである。僕は瞑想や気功のトレーニングで、それに気付いた。眼を閉じた方がまぶしいのだ。これは単なる条件付けかも知れないが、僕にとっては、とても楽しい発見だった。脳の後頭葉視覚中枢、あるいは視神経は、眼からインプットされる光刺激だけによって、活動しているわけではない。
 これは夢見を考えてもらえば分かりやすい。別に眼から情報をインプットしたわけではないのに、ちゃんと映像が浮かぶ。瞑想状態では、それが睡眠中でなくても起こる。そして、今、僕は眼を閉じさえすれば、まぶしさを体

p2
験できるようになってしまったのだ。
 失明と言うが、眼からの情報入手が失われただけの場合が多いはずだ。全く明るさが失われるのは、脳に損傷がある場合だけだろう。だから、失明した人も、光を見ることはできる。脳自体の活動による光、これは瞑想では「内なる光」と呼んでいる。
 「雰囲気を色で表現する」というトレーニングをやったことがある。全ての対象を色で表現していく。例えば、電車の中で、たまたま眼の前にいたスーツのサラリーマン、彼から受け取る雰囲気を色に置き換えてみる。黄色い雰囲気とか赤いイメージと言うように表現するのだ。洋服の色や、肌や髪の色に影響されることなく、その人の人柄や性格を読むつもりでやる。こんな遊びを繰り返していると、段々その色が実際にぼんやりと、霧のように見え始めることがある。現実に見えないはずの雰囲気が、視界を彩り始める。眼からの情報と、脳内の光がクロスオーバーするのだ。
 「恋をすると、世の中がバラ色に見える」と言うのは、嘘ではない。視覚を注意深く観察すれば、精神状態によって、微妙にトーンや視野範囲が変化することが解るだろう。もし恋をすれば、バラ色の内なる光に出会えるはずだ。

〈顔色〉
 あるとき、光が丘治療院の新人小野岡君に、僕は、患者さんへの対応についてアドバイスしたことがある。「もっと、患者さんの顔色を見るようにしなさい。」すると、小野岡君は困った顔で、「顔色って、いったって見えません」と答えた。顔色と言うのは、別に視覚的に見るだけではない。その人の雰囲気を感じ取るとか、そのひとの態度を気遣うとか。そう言う意味合いを、顔色も見たり、伺ったりすると、表現しているのだ。「見る」と言う言葉の意味する範囲は、眼でものを見るという意味よりは、はるかに広い。視覚障害者や、視覚障害者に関わる人々の中には、この「見る」と言う言葉に、過剰反応する人が多い。「見る」の範囲が「見えない」と言う障害に直面して狭められるのだ。そう言う人を、「見る」と言う言葉に関する使用障害者と呼んでもいいだろう。

〈まとめに〉
 「見える」人も、「見えない」人も、[見える/見えない」と言うことに

p3
ついて、もう一度、考えてみると、新しい発見がたくさん出来るはずだ。
 よく障害の受容などと言うが、僕も長年の、障害者生活で、自分を殺して障害を受容する「こつ」を、随分学んだものだ。もし、自分の感情を殺して障害だけを受容したら、その反動は、からだに、不定愁訴などの形となって現れるものだ。自分を活かすために、障害を受容するにはどうしたらいいのかを、試行錯誤すべきではないだろうか。そうしたらきっとダンポのように「飛べる」かも知れない。スローガンは「飛べ、飛べ、視覚障害者」

 挿絵省略

p4
 『病院マッサージ師隘路(めいろ)』
 的野 碩郎

 〈経過〉
 1994年4月28日、突然「相談したいことがあるから」とH病院責任者に呼び出される。その内容は、物療科の閉鎖に対する意見を求めるということであった。
 僕の所属部署はもう一人の全盲男子と二人。1992年10月、病院丸ごと買ってしまったこのグループは、千葉、埼玉、東京と病院を持ち、その他貴金属や医療器具のリース会社などすさまじい勢いで、あちこち食い荒らしているような会社で、総責任者の理事長はいつの間にか医者を忘れてしまった人間のようである。
 ちなみにこの新経営陣の猛進撃を披露しておこう。
 まずはグループからスタッフが準備され乗り込んでくる。使える者はボロボロになるまで使い、だめな者はさっさと切り捨てるという手法がまかり通る。最初はなんと一ヶ月ぐらいの早さである。職員の仕事とは無関係に高さの低いベッドが登場。経理を追い出して責任者の部屋を作る。新しい婦長に新しい主任。旧い人間を居辛らさの中で次々と退職。横のつながりを失っていく職員達に新しい職員が入ってくる。おまけに「縦のつながりを重視すべし」命令までが飛び出し、他の部署への出入りのチェックや郵便物のチェック、電話取りつぎの制限とすさまじい勢いで、「改革」が進む。それとは裏腹に職員の笑い声や口数が少なくなっていく。そしてついに解雇者が登場。
 ざーっとこんな調子である。そしていよいよ物療科の閉鎖というところへとやってくる。責任者に言わせれば、「理事長が、金を使うばかりでなく、あかを落とせるところは落とせ」とのことだ。この場合あかとはぼく達のことである。病院の内装、外装が進む中での一言であった。
 結局、視覚障害者だけの職場を一人体制で継続することで一件落着した。いや、落着というよりそれしか選ぶ道がなかったのである。

〈もう一つの伏線としての経過〉
 新経営陣の進撃が続く中、職員達の不安感がピークに達していた。ぼくは

p5
旧経営陣との中で、労働者代表という労使間での就労規則等のハンコを押していて(組合ではなく、労働監督署か何かの提出義務のため)、職員からのグチをよく耳にしていた。少くとも働いている者に説明をする義務があると思い、苦労のあげく理事長の住所を手に入れ年賀状と称して要望書を出したのである。これに対してもさすがすばらしいスピードで対応してきた。二人目の責任者が根ほり葉ほりと聞いてくる。「なぜ出したのか」、「なぜあなたが出したのか」、「どういうことか」。結果、代表者会議なるものが持たれた。しかし、この会議、全く逆らうことのできない吊し上げの場と、次の責任者に変ると一層エスカレートしていくのである。
 物療科に出入りする者はことごとくチェックされ、呼び出され、どなりつけられということが続く中、ついにそれを表向きの理由として解雇者が出る。再三ぼくも呼び出され物療科としてのき然とした態度が要求され、それに対する誠意のなさが解雇者を生み出したようにも言われてくる。物療科への出入りした時間を一週間にわたり記録した結果、解雇に踏み切ったと言うのである。
 物療科への手紙は必ず開封されてきたが、何せ点字では彼等もどうにもならなかったのであろう。電話は伝言(物療科だけに院内電話がない)のみというあり様。くつろぎのテレビもだめになってしまった。
 そして、4月の職員旅行がやってくる。集合時間15分前に観光バスはぼく達二人だけを置いて行ってしまう。ぼく達は新幹線でということになったのだが、後日責任者は職員を前に「わざと置いて行ったんだ」と、笑いながら話したということが伝わってきた。勿論、怒り心頭であるが、これには触れずに旅行中の出来事の方へ移ろう。
 二次会の席で理事長と向かい合わせになった時のことである。「君は患者さんに評判がいいそうだね」。「ああどうも」。「何か病院の中で困った事があるかい」。「はっきり言ってみんな不安がっています」。ぼくは酒を飲んでいたせいもあって誘導尋問にスラリと答えていってのである。この後、責任者と理事長は朝方まで話をしたとのこと。あくる日の観光バスの中は、だらけて妙な雰囲気になったのは言うまでもない。ましてや責任者は、往きのバスの中で職員を膝にのせてにやついていた時とは、まるっきりちがっていたのである。
 業務に戻ってからは、彼の人を罵倒する声が消えた。気持ちの悪いくらい消えた。そして、「相談」と称する4月28日がやって来るのである。

p6
 〈さて、これからは?〉
 視労協やマッサージユニオン、そして「障」教連と、病院あてに要望書を出してくれた。責任者は、「痛いほどわかる」と言った。病院は月3〜4百万の黒字であるのにも関わらず、一人体制の物療科に踏み切った。そして一ヶ月遅れでぼくも同僚もここを退職。うわさでは理学療法士を雇っていく方向との事。仕組まれていたわなにはまったという感想である。なぜ物療科閉鎖に関して、ぼくだけに「相談」をしたのだろうか。様々な思いが怒りをもってわいてくる。
 さてこれからはと見渡せば、ぼく達視覚障害者にはやっぱり三療(あんま・マッサージ・指圧、はり、きゅう)しかない。選ぶことのできない選択が待っている。別の病院を探そうか。それとも開業しようか。前者はほとんど就職できそうもない。全国でマッサージ師解雇はまだまだ続いている中、とても無理な話である。厚生省の打ち出した医療改革は病院統廃合を生み、縮小転換の中で解雇者を生んでいく。そして、マッサージそのものの保険点数がとれない状況では、マッサージ師はいらない。利潤につながらないマッサージ師、医療の枠からはみ出したマッサージ、一体何がこんなはめにしたのだ。
 そしてもう一つの道開業。この不況の中、本当に大丈夫だろうか。20数年病院勤めをしてきたぼくでも大丈夫だろうか。開業する場所を不動産屋は貸してくれるだろうか。そして淡々と働き続ける肉体と精神力がもつだろうか。障害者運動もしたい。今ぼくの中では47才の春の47才の不安がかけめぐっている。
 視覚障害者はなぜ三療しか選べないのだろうか。金や能力があれば新天地を切り開くことができるのだろうか。勇気や努力や決断力があれば、職域は拡大できるのだろうか。決められたレールを各駅停車か、急行か、新幹線に乗って生きていく。そういった宿命。決して視覚障害者であることを悔やんでいるのではなく、限られた枠だけの職業選び。もっと広範な職域がないのだろうか。国や地方自治体はどんな責任を持っているのだろうか。わかっていたはずの基本的な考えが、ぐるぐると頭の中をめぐる。これから先をどうすればいいか。低い給料とはいえ、決ってもらっていたものも不安定になる。家族に対するぼくの責任は…。

p7
 〈おわりに〉
 病院都合でやめることになったぼく、そして居辛くなって居たくなくなって一ヶ月後に辞める同僚。確かに視覚障害者の職場が一つ消えてしまった残念さは強く残る。「争議」という形で踏み止どまればよかったのだろうか。しかし、ぼく達はあの職場には絶対帰りたくない。確かに働く場所やそれなりの人間関係にもなれたが、もう気持ちはそんな次元からとっくり離れて、拒否反応に近いものになっていることに気付く。戦わずして去ることの悔しさはあるが、障害者の職場がどんなに孤立しているかは衆知の通りである。
 これから二人がそれぞれの道を生きていくわけだが、後ろ向きではないことだけは言っておこう。次の仕事をさがす、あるいは持つには様々な困難が待ち構えているだろうが、やっぱりあっけらかんとして進むことこそ困難に直面し、足踏み状態の人達にとって、どんなに元気づけとなるのだろうと思うと、「隘路」ではなく「元気ロード」、「戦場」として生きていきたいものである。とは言うものの、自分の中にうずくまるうつうつとしたものは間違いなくまだ残っていることも正直に言っておこう。

p8
 カイロ・整体はあはき法に組み込めるか?
 福井 宏郷
 (青森市 視労協会員)

 最近、カイロプラクティックや整体術を業とする無資格者をあはき法の中に取り込んでしまえという声を聞いたことがないだろうか。それはあはきに関する種々の団体の幹部の発言であったり、「会員」の声として様々な情報誌にのせられている。集約すると次のようになる。
 「あはき法を4たび改正して、現在無資格で営業しているカイロや整体術業者を、手技療法士(仮称)として身分を与える。その時点以後は、あはき国家試験に合格しない者はカイロ・整体を業としてはならない。」
 上の意見に対し賛否両論あるだろうが、ここではこの問題を考える際のいくつかのポイントについて書いてみたいと思う。

 1.あはきの定義
 現在定められている義肢装具士法、救急救命士法、理学療法士・作業療法士法、保健婦・助産婦・看護婦法、柔道整復師法では、みな第1条「目的」、第2条「定義」となっている。理学療法士法で例をあげると、
 第2条「定義」この法律で「理学療法」とは、身体に障害のある者に対し、主として基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行わせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他物理的手段を加えることをいう。
 法律で定義のないものはあはき法だけである。昨年、ある団体があはき法に定義を入れるよう厚生省に陳情したところ、
 「あはきの定義は国民の間に常識的に定まっており、それは法律・制度が確立する前から存在していたものであるから、あえて定義を必要としないのである」と回答があったと聞く。一方、カイロ・整体など無資格業者撲滅運動派の陳情に対して厚生省は、
 「カイロ・整体などは加持祈とうのようなものであり、これはあんま・

p9
マッサージ・指圧とは異質なものである」と答え、これは参議院厚生委員会でも、堀議員との間で水かけ論になっている。
 上の2つの厚生省見解を組み合わせてみると、カイロ・整体をあはき法に組み込むということは、「定義のない業種に加持祈とうのようなものを入れること」ということになるのである。

 2.時代の流れとして
 昭和23年、あはき法施行の際は、それまで無資格であった療術師を取り込み、さらに昭和39年の改定の時には、無資格であった指圧師に特例で免許を与え、今日またカイロ・整体を取り込むか否かの局面に立たされている。仮に今回カイロ・整体をあはきの中に取り込んだとした上で考えてみよう。次のようなことが予想される。
 (イ)恐らく10年後に足圧や手かざしのような団体がはびこり、無資格で営業し、仰々しく大きな看板をかけて、既存の三療業者を圧迫しているであろう
 (ロ)厚生省や医師会サイドでは、あはき法に抵触しようがしまいが現在の国民医療とはまるで関係なく、言わば「ゴミ同士の問題」でどうでもよいこと。
 (ハ)あはきの医療的効果は若干認められるかもしれないが、視覚障害者が関与している限り、福祉政策の問題であって医療の問題ではないこと(厚生省、医師会側からの結論はそうとしか思われない)
 (ニ)視覚障害者側にも西洋医学的発想に偏り過ぎ、触察による職人的あんま術を軽視する傾向にあること。
 以上のように私が考える結論として、厚生省、医師会が発想の転換をして、法治国家の原点に帰り、法律に違反した者は厳格にとりしまるという明確な視点がない限り、あはきとカイロ・整体について様々意見を出し合っても、井戸端会議の域を出ないと言う事がはっきりしていると考える。

p10
 わたしたちののぞむものは
 〜あはきをめぐって〜
 宮 昭夫

 〈三療分科会はなぜ暗い?〉
 前回の「地平」79号に貴重な提言を寄せて下さった与那嶺さんにまで、「うちの分科会は暗いんだよね」という情ない本音を、うっかり聞かれてしまったらしいけれど、視覚障害者にとってまだまだほとんど唯一の職業とも言うべき、あんま・はり・きゅうをとりまく状況はどうみてもやっぱり暗い。あんま・はり・きゅう(あはき)の免許が、知事免許から厚生大臣免許に「格上げ」された事により、多くの盲学校卒業生が(学科によっては半数以上が)、卒業しても免許のとれない状況に追い込まれているし、保険の点数からマッサージが削られた事によって、病院で働くマッサージ師があちこちで解雇に追い込まれていたり、カイロプラクティックをはじめとする様々な新手の、そして無免許の「医業類似行為」が、日々私達の営業をおびやかしている。これらの問題は、どれ一つをとってみてもなかなか厄介な課題ばかりだ。それだけでも十分に私達を意気沮喪させるにたりるものだ。しかし、あはきをめぐる問題の暗さは、単に課題が手強いいうだけの事ではないように思える。それは何だろうか?。
 もし私達視覚障害者が一致団結して、さっきあげたような課題に立ち向かったとして(実際には与那嶺さんが指摘しているように、それさえも怪しいのだが)、私達が手にする「勝利」は、いわば「現状維持」に近いものであろう。もっと厳密に言えば、状況が悪化する速度を少しは鈍らせることができたといった程度のものであるかもしれない。「負けてもともと」という言葉があるが、私達の闘いは、言ってみれば「勝ってもともと」、いや「勝ってもジリ貧」という闘いなのだ。これはいささか悲観的にすぎる見方かもしれない。しかし、あはきをめぐる問題の「暗さ」の原因の一端がそこにあることだけは間違いない。

 〈やっぱり攻撃は最大の防御〉
 誤解されては困るけれど、私は視覚障害者の「既得権」を守る闘いが無意味だなどと言っているわけではない。多くの先輩達が(そして微力ながら私

p11
達自身も)、その闘いに関わってきた。好むと好まざるとに関わらず、これからもそうせざるを得ないだろう。多くの仲間が真剣に闘っている姿に触れれば触れるほど、「勝ったら新しく何かを勝ち取れるような闘いをみんなでやりたい」と、心の底から思うだけである。みんなの思いを一つにして、厚生省や国会にぶつけるための具体的な要求をどう創っていくか?、それが問題だ。今それを具体的に提起するだけの創造力と見識とが、私に不足していることを歯がゆく思うばかりだが、みんなで知恵を絞り、討論を重ねていけばきっと何か具体的な形が見えてくると思う。
 あはき治療を仕事としている視覚障害者の生活は苦しい。が、あはきの治療を受けたいと思っている人は多い。但し「もっと安ければ」という条件がつく。この二つの事実を結び付ける事さえできれば……。今の私の素朴な実感では、その辺に問題のカギがあるような気がする。どんな形ででもいいから、あはき治療を健康保険に組み入れさせる事。少くとも、国民の健康増進のために公的補助のシステムの中に組み入れさせる事。ひとつ本腰を入れて、みんなでそれにチャレンジしてみてはどうだろう。少しくらい無理なようにみえても、いささか身勝手なように思われようと、「負けてもともと」(本当はそんな事を言っていられるような状況ではないが)。

 〈今、マッサージユニオンが……〉
 7年前私達が設立した、「障害者生産協同組合はり・マッサージユニオン」は間違いなく新しい何かを勝ち取るための試みだった。「協同組合」という新しい枠組の中に、治療師同士の、あるいは治療師と患者の新たな「人の輪」を創り出し、それを核として患者の輪を広げていく。協同化によるメリットを最大限に生かして、雇用促進法関連の助成金をみんなで有効に活用する。しかし、正直のところ、今私達はその「マッサージユニオン」を守るのに懸命といったあり様である。「状況認識が甘い」、「工夫が足りない」、「意欲が足りない」。個人的にはどれひとつをとっても私自身の責任が大きいと思うが、理事会としても今みんなで真剣に再出発のためのプランを練っている。私にこう言う資格があるかどうかは別として、大筋において発想は間違っていないと思う。行動力と工夫があれば、そしてみんなが心をひとつにすれば、マッサージユニオンにはまだ何かがあるはずだ。治療師同士のネットワーク、治療師と患者のネットワーク。その重要性は今も変らない。

p12
 視覚障害者労働フォーラム結成にあたって
 代表 服部敦司
 視覚障害者労働フォーラム(以下、フォーラム)は、昨年(1993年)5月に「視覚障害者労働問題懇話会(仮称)」として活動を開始しました。長年にわたって関西には視覚障害者の労働問題について話し合える場がなく、かねてから雇用や就職後の問題について取り組む会の結成が望まれていました。こうした要求に応えて発足したのがフォーラムです。
 会員は、公務員や企業で働く視覚障害者、3療関係者、学生など40名が参加しています。また、活動内容は、後述するように、自治体や企業に対する雇用の働きかけや3療業の新たな展開への模索、それに就職後多くの人が直面している悩み、問題に関する情報交換などです。以下に、フォーラム結成の背景と具体的な方針についてまとめます。

 1.関西における労働問題への取り組み

 関西における視覚障害者の労働運動、とりわけ雇用運動は大阪市、豊中市、高槻市などの労働組合や京都市、枚方市の市民グループの活動など一部の団体で僅かな動きは見られたものの、全般的には低調といわざるをえませんでした。高槻市では81年に1名の視覚障害者が採用され、豊中市でも85年にやはり1名の全盲者が図書館職員として採用されました。大阪市では、80年代前半から電話交換手を中心とした採用が行なわれ、91年からは福祉職や図書館司書の採用も行なわれるにいたりました。また、枚方市では、「枚方視覚障害者の労働を考える会」が87年から市の職員採用試験における点字受験の実施を求めて運動を展開し、90年に1名を図書館職員として採用させる成果を上げました。
 このようにこの10年余りの間に視覚障害者の自治体への採用は単発的に行なわれてはきましたが、就労後の問題や民間企業における採用状況についてはほとんど組織的な取り組みは行なわれませんでした。
 91年に国家公務員試験の一部で点字受験が認められたのを期に、近畿圏でも大阪府、京都府、京都市の一般採用試験で点字受験が認められました。全国的にも北海道、東京都、神奈川県などの自治体の一般採用で点字試験が

p13
実施されるにいたりました。
 こうした状況の中、それではほんとうに私達視覚障害者の職業選択の幅は広がり、労働環境は改善されたといえるでしょうか。少なくとも私達が実感できるほどの変化は生じていません。そこで、私達は会の結成にあたり、まず働く視覚障害者の実体の把握から始めることにしました。
 
 2.働く視覚障害者の現状とフォーラムヘの期待

 私達はこの1年間に4回の集会を開き、働く視覚障害者の生の声を聞いてきました。そこで明らかになったことは、職場や社会において私達視覚障害者が依然として理解されておらず、それぞれに深刻な問題や悩みをかかえつつ日々を過ごしているということでした。具体的には、次のような問題が上げられます。
 ・職場における人間関係がうまくいかない。
 ・与えられた仕事が自分にあっていない。
 ・弱視者の場合、とくに自分の障害が理解されず、過度な業務がかせられる。
 ・中途失明で職場復帰したが、十分な量の仕事が与えられない。そのために職場の中で一人孤立してしまう。
 ・ヘルスキーパーとして採用されたが、労働条件がわるく経済的に不安定である。
 ・機器やアシスタント体制の不備で文字情報のやりとりや同僚とのコミュニケーションがうまくいかず、十分な仕事ができない。
などでした。
 また、昨年11月にそれまでの参加者を対照に実施した会の運獣関するアンケートでは、行政や企業に対する雇用の働きかけ(運動)を行なうと共に、障害者としての立場から政策提起や商品開発の企画を行い、私達障害者の存在をアピールしていきたいという要求の高いことがわかりました。おりしもトミーや音響、ソニーなどの企業が、自社の商品開発に障害者の意見を取り入れるために、視覚障害者を雇用するという新たな動きもおきています。さらに、「福祉の町づくり条令」や「障害者基本法」の制定という要素も加え、私達の運動はこれまで以上に「参加」と「提案」を前面に押出し活動することが求められているといえます。

p14
 3.具体的活動方針
 以上のような状況を踏まえ、フォーラムは初年度以下の7点の方針をもとに活動します。
 @フォーラムは、「視覚障害」を社会的キャリアとしてとらえ、私達障害者の知識や経験をいかした政策提起や商品開発を提唱しつつ行政や企業に雇用を働きかける。
 Aフォーラムは、視覚障害者の伝統的職種である3療業においてこれまで視覚障害者が有してきた権利をると共に、ヘルスキーパーなど新たな展開を模索する。
 Bフォーラムは、職場の無理解、機器・アシスタント等の障害保障の不備、業務の不適合等々、就職後多くの人が直面している問題について情報交換を行なうと共に、その解決に向けた取り組みを行なう
 Cフォーラムは、全盲者、弱視者盲聾者など、それぞれの立場を尊重しつつ固有の課題を明らかにし、その解決のために取り組みを実践する。
 Dフォーラムは、学生や就労を希望する人達と情報交換を行ないながら共に活動する。
 Eフォーラムは、目的を同じくし、または主旨に賛同しうる友好団体(障害者団体、労働組合等)と情報交換を行い、目的達成のため、必要に応じて連係する。
 Fフォーラムは、方針にもとづくさまざまなテーマで研修会を開催し、情報収集に努める。また、会員相互の交流を図ることを目的に各種レクリエーション活動を行なう。
 このように生まれたばかりのフォーラムですが、会員の中には視労協とは縁の浅からぬ人も多く、今後関西と関東で連係を深め、私達視覚障害者の労働環境の改善を目指して共に活動できればと考えています。末長いお付き合いをよろしくおねがいいたします。

p15
 『障害者における大学問題を考える会』とは?
 障害者における大学問題を考える会

 近頃では多くの障害者が大学で学ぶようになりました。そのため障害者関係のサークルも増え、活動の幅もどんどん広がっています。
 このような活動を通じて知り合った仲間達がお互いの大学の状況を話す中で、障害学生の学内生活の環境について、様々な問題があるということに気付き、「お互いに情報交換をしながら考えていこう」ということで集まったのが、私達「障害者における大学問題を考える会」です。
 障害者を積極的に受け入れる大学は、年々増えています。しかし、入学後の生活環境についての理解は、各大学によって大きく異なっています。そのため講義をはじめとする学生生活の中で、不便を感じている障害学生は沢山いるのです。
 現在、私達は大学側の状況を知るために、視覚障害者、聴覚障害者について大学側にアンケート調査を行っています。主な内容としては、点訳の保障、ノートテイクシステムの確立、受験等に関する配慮などです。今後は肢体不自由についてもアンケートを行い、大学側とよりよい環境を作るために話し合い、理解を深めていこうと考えています。
 そのためには多くの人と一緒に、この問題を考えていきたいと、私達は思っています。みなさんの積極的な参加をお待ちしています。

p16
 “実の母親は当然親権者?"
 ―離婚と同時に親権を放棄した私は今―
 森登美江
 私には4人の子供がいる。私がその子供たちを出産したことはまぎれもない事実であり、長男が13歳になった夏まで、名実共に母親として一緒に暮らしていた。
 今から丁度5年前の8月、私は家を出た。その頃相手側が夫婦関係調整の申し立てを行い、数回にわたって調停が開かれたが不調に終わった。翌年の7月、私は弁護士を立てて離婚調停をおこし、家を出てから1年8か月後の1991年4月に、最終的には協議離婚という形で終止符を打った。
 相手側が申し立てた数回の調停では「美男子でやさしそうな御主人のどこに不満があるのか」、「夜の夫婦生活は、妻にとってはお勤めのようなものだから我慢すべき」(女性の調停委員)。「直接しなくても満足させられる方法はいくらでもあるのだから工夫しなさい」(男性の調停委員)など、そのことについてばかり聞く、聞くに耐えない差別そのものといった発言が繰り返され、また、私が視覚障害によって何もできず、経済面のみならず日常生活のほとんどを弱視の夫に頼っているのだから、4人の子供を引き取るなど論外だと一方的に耐えるようにという説得が続けられた。離婚調停に移ってからは、お互いの弁護士をはさんで月に1度程のペースで話し合いが持たれ、その結果を調停の場で更に確認しあうといった形であった。
 子供たちとは一緒に暮らしていきたいと思っていた私は、裁判に持ち込むかどうか随分考えた。相手は離婚に応じるつもりはないし4人とも手離さないと、ぎりぎりまで主張していた。悩み抜いたあげく、私は離婚一つを主張し、子供たちに対しては法的にも生活面においても、親であり続けることを放棄したのである。  

p17
 離婚にあたって相手側は、「どうしても離婚と言うのならば、請求することになるがいいか」と、半分おどしめいた言い方で質問した。慰謝料、養育費については請求しないということとともに、私の面接、交渉権の取り決めを積極的に提案してきた。内容は、
 1.父親は子供が母親に会いたいと申し出た場合には、それを妨げてはならない。
 2.母親は父親に事前に連絡をとり、日時、場所を協議する。
 3.何かの事情で、父親の了解なく面会した場合には、すみやかに文書などで詳しい内容を報告する。
 そういうものだったと記憶している。しかし、この合意に関しては、正直なところ、私も子供たちも全く無視してしまった。それ以前から了解なく会っていたし、当然報告もしていなかった。本来ならば、「お母さんに会いに行ってくるよ」と元気に出かけられるような環境を私も相手側も作る責任があったのだか、私はその人と会話できる状態には全くなかったし、子供にはすまないと思いながらどうにもならなかった。父親としても、子供が私のことを言えば、つい面白くない顔になってしまったのだろうから、子供達にしてみれば言いたくても言えない状況だった。次男は「はじめて内緒で会った時は落ち着かなかったけど、そのうち慣れちゃった」と話していた。昨年の暮れまでそんな状態のまま続いた。
 その父親が今年の1月急死した。それによって私と子供達はどういう生き方を選んでいくのかという、大きな問題にまたしても直面することになったのである。
 長男は今年3月で18歳になった。そして現在、彼が世帯主となって、4人はこれまで通り市営住宅で暮らしている。私は気まぐれな通いお母さんという立場をとりながら、またもや恐ろしい家庭裁判所の調停を覚悟したのである。
 子供達は住み慣れた地域で生活することを望んでいる。私も5年前子供たちと必死で話し合い、考え合って別れて選んだ一人暮らしを変えようとは思っていない。

p18
 私は離婚の時の弁護士に相談に行った。親権者でなく後見人という形もあり得るというアドバイスを受けた。数日考えた末、「後見人選任の申し立てをしたい」と依頼した。母親である私が、この非常時に子供たちのところへかけつけて一緒に暮らさないことが腑に落ちない、その人には私の思いが十分に伝わらなかったことから、様々なすれ違いが生じて、私は今、望んでいなかった「親権者」という立場にある。
 親権者である父親が死亡し、実の母親が存在すれば、その母親の親権回復はそう珍しいことではないはずである。現に、家裁の指導も「そういう場合には親権をとるように勧めている」という答えだった。初めから親権を望むのであれば弁護士に相談には行かなかった。私の給料から言えば弁護士費用12万円の出費は厳しいものである。
 なぜ、親権者でなく後見人になろうと考えたのか。まず、ひとつは、前にも書いたように裁判に持ち込むと、つまり子供たちとの生活を獲得するための闘いをあきらめて、ひたすら離婚ひとつを選んだことによって、親であり続けることを放棄した事実。ふたつめは、言葉に尽くせない侮辱を与え、障害者ゆえの子供たちと生活する資格がないと言い切った調停が、当時と全く状況の変わらない私を、当然のように親権者として認める矛盾が納得できない。親権者どころか、後見人さえ当然むずかしいと言われることも覚悟して、調停に臨む構えだったのである。子供たちは父親の親族とのつながりも持っていない。複雑な事情の中でどんな立場をとっていくべきなのか、と必死だった。とにかく後見人というところから先をつくっていこうと考えたのである。これから子供たちの最も近しい人間として、彼らが望むなら出来るだけ力になりたいし、彼等の生き様をみつめていこうと思っている。
 弁護士は、親権者も後見人も同じ事だと言う。同じならなぜ後見人でもなく親権者なのか、親権者ではなく後見人ではいけないのか。戸籍上、あるいは書類上の事だけで、現状には全く影響はないのだ

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と言う。しかし、私が親権者となる事によって、この半年間こだわり通してきた一点に、少なからぬ影響があらわれてくると感じている。それは長男の立場である。私は子供たち4人が力を合わせて仲良く生きていってくれる事を何よりも大切に思う。18歳の彼に重荷を背負わせたいとは思わないが、彼を中心にみんながまとまっていけばいいと思う。法的には未成年者であり、とは言え、児童扶養手当の支給や遺族年金対象外。大人とも認められず、もう子供ではない。そんな扱いを受けるこの2年間。厳密に言えば、法的に存在しない世帯である。父親の死亡によっていきなり医療保険から外され、国保を受けるにも簡単にはいかなかった。そんな中で、彼は世帯主としての家族の存在の位置づけを獲得してきた。現実に4人が生きているという事をしっかり確認していくことが大切なのではないだろうか。そのためにも、親権は要らないと考えていた。私が家出をした後に、彼等が寂しさを耐えて元気につくってきた生活を大事にしたい。
 新しい生活がスタートして半年、新たな問題が表面化してきているが、そのことも彼等と十分話し合いながら、よりよい解決方法を見い出していければと思っている。
 書類手続き上の親権者となった私は、これからも後見人という立場で、彼等を見つめていこうと思っている。それほどの力量もあるかどうかわからないし、自分だけで精一杯といった情けない面も十分持っている私である。それでもがんばって生きていくだけである。

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 〈資料〉
 情報・コミュニケーション面の整備も必要
 福祉のまちづくり条例の対象の拡大を

 従来の整備指針や、大阪府、兵庫県などの条例をみても、視覚障害者、聴覚障害者、さらに知的障害者に配慮した情報・コミュニケーションの整備はほとんど盛り込まれていません。利便性の確保はもちろん、生命の危機にも関わる重要な課題として、東京都の条例の中に盛り込んでいく必要があります。
 T視覚障害者
 1.「駅」で設置および配慮すべき事項。
 (1)点字表示  
 @すべての券売機。
 A階段手すり(番線、線名)。
 B点字及び拡大文字による運賃表の作成。
 C構内全体の点字マップの作成。
 (2)点字ブロックの敷設(構内及びホーム上全体)。
 (3)音声案内(ホーム及び車内での適切な音量によるアナウンス)。
 (4)安全対策(転落防止用の柵の整備、地下鉄南北線にあるホームドア方式の拡充、衝突の可能性のある柱などの撤去、又は表面を柔らかな物でカバーするなどの対策)。
 (5)有人改札を2ヶ所とする。

 2.バスについて
 (1)停留所の位置を知らせる何らかのサインを。
 (2)外へ向けての行先を告げるアナウンスを。
 (3)車内アナウンスは適切な音量で。

 3.「建物」について整備すべき事項
 (1)出入口の誘導チャイムの設置。
 (2)建物全体の点字による地図及び説明書の作成。
 (3)エレベーターへの音声装置及び点字表示、操作ボタンはタッチセンサー式でなく凹凸のはっきりしたもの。

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 4、「街なか」で整備すべき事項
 (1)自治体などによる、駅周辺及び商店街などを中心とした点字マップの作成。
 (2)音響式信号機の拡充。
 (3)各種「工事中」の際の安全対策の確立。
 (4)点字ブロック上の商品や自転車等を撤去させる為の対策の確立(道路交通法)。
 (5)主な交差点や路地の入り口等に、「町名、番地」を点字表示出来る案内板の設置。

 5.その他
 (1)点字ブロックの意味の明確化とそれらの規格の統一化(線ブロック、点ブロックなどの形状や長さなど)、弱視者に見やすい色彩の使用。
 (2)利用者、消費者の立場から。
 @現金自動預払い機(ATM)についてタッチパネル式でなく触って区別しやすいものにする。又、家電製品などの操作についても同様の改善が必要。
 A商品開発の際に障害者等の声を十分に聴取する事。
 B商品への点字表示又は分かりやすい印をつける。
 Cカタログ等の点字化。
 (3)公的機関の発行する文書、通知等の点字化。(都や区市町村の発行物や各種公共料金等)。又、点字による申請等を受付けられる体制を整えること。
 (4)ガイドヘルパー制度の弾力的な運用、拡充を図る。
 (5)盲導犬への理解を深めると共に立入りを全面的に認める。

 U聴覚障害者
 1.交通機関において整備すべき事項
 (1)バス
 @次の停留所名を表示できる電子標示板等を車内に一ヶ所以上設置する。
 A各停留所は車内からみて分かりやすい高さと大きさ、明るさで停留所名(及びその前後の停留所名)を表示する。
 B全ての停留所には分かりやすい全路線図を表示する。

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 C料金及び割引料金は分かりやすい形で全停留所及び車内に表示する。
 (2)鉄道
 @各車内に必ず一ヶ所以上、次の駅名等を表示できる電子標示板を設置する。(遅れや一時停車等についても表示する)
 A短距離での割引切符は、自動券売機で買えるようにする。(連絡切符も)
 B駅の「窓口」の窓は手話、身振り、口話、筆談いずれも自由にできるようなスペースにする。
 C駅の主な箇所に駅全体の見取り図を設置する。
 D事故等による遅れや運休を即時表示できる標示板を設置する。
 E同じ方面に、各駅、急行、特急、快速等各種の列車が走っている場合、先発、次発等の表示と共に夫々の停車駅、目的地にどちらが早くつくのか等の表示ができる標示板を設置する。
 F各ホームでの様々な内容のアナウンスを表示できる標示板を全てのホームに設置する。

 2.公共、公益の建物
 (1)各種の案内板
 @出入口だけでなく、各階の主な箇所には必ず案内図及び利用方法の説明等の案内板を設置する。
 A出入口には、利用方法、料金表(割引も含めて)等を分かりやすく表示する。
 B非常時の際には、その内容の説明、避難路の表示等が即時に出来る案内標示板を各階の主な箇所に設置する。
 (2)呼び出し板(電子標示板)
 @病院、診療所、銀行等での「順番待ち」に対応できる「呼び出し板」を設置する。
 A公的な集会場、公会堂、さらに遊技場や百貨店等でのアナウンス(迷子等)を視覚でも分かるための電子標示板を設置する。
 (3)ホテル、旅館などの居室
 @パトライト等を設置する。(持ち運び可能なものもある)
 A外部、フロント等との連絡用のFAXを設置する。(差し込み式、モジュールタイプもあり)

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 (4)トイレ、浴室、更衣室など
 @カギは「使用中」かどうかが視覚的にはっきり分かるものにする。
 Aランプの点滅による方法も併用する。
 (5)音響効果、防音(集会場や劇場など)。
 @補聴器やループの使用が妨げられないような装置とする。
 AループやOHPを設置する。
 (6)エレベーター
 @外部との連絡がとれるような設備を設置する。

 3.街頭、道
 (1)各種の案内板の設置
 @主な交差点や路地の入り口等、各所に「町名、番地」を表示する。
 A地下鉄、地下道等の各所に全体図、各出口等を表示する。
 (2)安全対策
 @鉄道と交わる道には必ず遮断機等を設置する。
 A地下鉄、地下道等では非常用の信号を設置する。
 Bトンネルや高速道路、地下道等には双方向通信可能な、緊急連絡装置を設備する。
 (3)公衆ファックスの設置
 @聴覚障害者用ファックスを設置する。
 A送受信可能な「公衆ファックス」を設置する。

 4.その他
 (1)デコーダー内臓テレビの開発と普及を促進する。
 (2)字幕放送を拡充する。
 (3)手話通訳者は利用する聴覚障害者が自ら選任出来る事が保障されると共に容易に確実に利用できる体制を確立する。
 (4)24時間リレー通信サービスを提供する。

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 《本の紹介》
 第3回ピープルファースト国際会議
 1993年6月25日→30日
 感想 報告 文集
 昨年カナダのトロントで開催された、「第3回ピープルファースト国際会議」に参加した旅行団による報告集。「知的障害」といわれる人達が真に主体となって展開されたこの会議について、詳細な報告とともに、日本から参加した人達の、感動、おどろき、反省などなどが綴られている。漢字にはフリガナがふってあるのも特徴。是非御一読あれ。
 1.200円

 ○この本に関する問い合わせ連絡は視労協事務局又は下記の所まで
 〒670 兵庫県姫路市市之郷町3ー1ー5(大賀)
 TEL/FAX 0792ー88ー5693

 (この本は活字のみです。どなたか点字、テープ版を作ってみませんか)

 裏表紙の裏
 〈定期購読費納入のお願い〉
 日頃より「障害の地平」を愛読いただきありがとうございます。視覚障害者のおかれている状況を直視し、一人ひとりの思いを実現するために多くの問題提起をしてきたつもりであります。今回80号を発行するにあたり、原点を大切にしながら一層紙面の充実を図っていきたいと思っています。
 さて、視労協の活動は会員の会費と購読費によってのみ運営されています。当然の事かもしれませんが日常活動はすべて手弁当でやっています。封筒、印刷用紙、送料なども値上がりしており、財政面でのきびしさは相変わらずです。この点を御理解いただき、購読費の納入をお願い致します。

 ◎年間880円(年4回発行、送料込、活字、点字同額)
 ◎口座番号が変わりました
 旧 東京8ー92981→新00180ー6ー92981
 加入者名は変更なく「視覚障害者労働問題協議会」
 ◎同封の振替用紙を御利用下さい。
 ※余裕のある方はカンパもよろしく!
 ※会費未納の方もよろしくね!(年会費4.800円)

 ―編集後記―
 暑い。とにかく暑い。と、こんな事を言っているうちに世の中いろいろ動いている。安保はこのまま?、自衛隊は合憲?、原発もオーケー?、日の丸・君が代もいいの?、大丈夫かなこの国は。私達は三療のきびしい現実の前に声の出せない息苦しさを感じている。「政策論議」とよく言われているけど、身近に感じられるものがないんだよね。まあ、ぐちはこれくらいにして、「暑い方がビールはうまい」てな気分で、みなさんがんばりましょう。
 (奥)

 裏表紙(奥付)
 1994年8月15日
 定価200円
 編集人 視覚障害者労働問題協議会
 〒239 横須賀市長沢115グリーンハイツ2ー7ー405
 奥山幸博気付
 発行人 身体障害者団体定期刊行物協会
 世田谷区砧6〜26〜21
 視覚障害者労働問題協議会


■引用



■書評・紹介



■言及





*作成:仲尾 謙二
UP: 20210528 REV:
障害学 視覚障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇『障害の地平』  ◇雑誌  ◇BOOK  ◇全文掲載
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