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『臨床透析』1998年7月号(Vol.14 No.9) 特集 透析の導入・継続・中止



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『臨床透析』1998年7月号(Vol.14 No.9)
■特集 透析の導入・継続・中止


T.透析の導入
(1)「インフォームド・コンセント――医師と患者の人間関係」(p.7-12)
  星野一正(京都大学名誉教授/京都女子大学国際バイオエシックス研究センター)

 インフォームド・コンセントのconsentの法的意味
 「医師は、医学的侵襲を含む医療を行う際には、事前に、病状や医療の内容を選択肢をつけて、患者によくわかるように説明して、 納得してもらったうえで、患者がしてほしい医療を自分で自由に選んでもらい、選んだ医療行為を医師が実施することに同意してもらわなければ、 医学的侵襲を伴う医療行為の違法性が阻却されて、合法的に医療を行うことができるようになるのである。それゆえ、患者が医師の医療行為に同意を 与えるのは患者の権利であるが、一方、患者が合法的な医療を医師から受けるためには、患者は進んで医師に同意を与える責務があるのである。」<0009<

 インフォームド・チョイスの法的意味
 「医師の提案したいくつかの選択肢の内容を十分に理解して納得した後で、患者は、自主的に判断して選択肢を一つ選びだし、 その医療をしてほしいという意思表示をしなければならない。つまり、患者は、事実を知る権利に基づいて、十分な情報を提供してもらい、自主的判断権(autonomy)に基づいて、> 一つの選択肢を選らぶ権利がある。この一連の権利をインフォームド・チョイス(informed choice)といい、患者の重要な権利である。
  しかし、選択権を満足させたからといって、患者が医師から合法的にその医療を受けることができないことは、患者の同意(コンセント)が必須であるという上記の説明から自明のことと思われる。」<0009<
 「医師が提示したいくつかの選択肢のいずれも選択しないという患者の権利もある。その場合には、医師は患者に、@今後、何の治療もしない場合に起こりうるであろう症状や  危険性などについて、わかりやすく説明する義務があり、さらに、A患者の好む医療をしてくれる医師あるいは病院がある場合<0009< には、そこに転院をしたらと転院の勧めを最後の選択肢として提示することも許されている。転院の勧めをしても、  医師による診療の拒否には当たらない。」<0010<

 インフォームド・ディシジョンの法的意味
「患者が、真実を知る権利、自主的判断権と選択権を行使して、一つの選択肢を選択しただけでは、その医療を医師から受けられない。
  自分が選んだ選択肢の医療を受けたいという意思決定をしなければならないが、そのように自己決定することがインフォームド・ディシジョン(informed decision)なのである。
  …患者から意思表示を受けても、患者の同意がなければ、医師は合法的に医療を行えない。…患者の同意(コンセント)が必須なのである。」<0010<

 日本に馴染むインフォームド・コンセント
 「…わが国においては、医師のみならず官界にも政界にもパターナリズムは脈々と存続しながらも気がついていないようである。<0010<
  …これが日本なのであることを考えて、筆者は、次の六つの提言を試みている。
  @「患者が何をどれほど知りたいか、自分では知りたくないか、では誰に聞いておいてもらいたいのか」について、   入院時の新患手続きのときからアンケートを始めること。
  A癌などの重大な場合にしている病名告知を止めて、外来の新患のときから「病状説明」を毎回し続けること。
  B肩の張らないインフォームド・コンセントを、患者を診察したときには毎回わかりやすく説明し続けておくこと。
  C「診療パスポート」と「薬ノート」に毎回簡潔に記入して患者に持たせること。
  D手術前とか、重要な治療方針の決定の際には、患者が同席を希望する医師・看護婦・家族・友人等に同席してもらって、
   医師が説明し皆で相談しながら、患者の意思を尊重した結論に導く「患者中心のインフォームド・コンセントの集い」をすること。
  E患者がよく理解して自分が受けたいと思う医療を医師が実施することに対する同意書を患者が中心になって書いて、医師に提出すること。」<0011<


(2)「導入期患者の心理状態」(p.13-19)
  橋本誠(秋田赤十字病院精神科)

 透析導入期を、透析導入から12カ月間(春木の分類の第U相)としたうえで、
 「心理状態を考えるうえで診わける必要のある器質性精神症状群として、軽い意識障害と通過障害<0013<」について述べたあと 「透析導入期の患者の心理が、透析導入によって生じた「喪失体験」と、それを受容する過程としての「悲哀の仕事」<0013<」にわけ、 それぞれに対する援助について記述された内容。

 意識障害について
 「慢性腎不全期、または急性腎不全期には意識障害がほとんど必発といえる。意識障害とは、急性の脳障害に基づくものである。
  意識障害で重要なことは、患者が障害を自覚せず、訴えないことである。…昏睡や痙攣発作を生じるような深い意識障害はわかりやすいが、  せん妄のような軽い意<0014<識障害は、痴呆、抑うつ状態、意欲低下状態、神経衰弱状態と見間違う可能性がある。…要は、意識障害が  あるのではないか、とまず疑ってみることから始まる。
  実際に、上述したような状態との鑑別が難しいときは、診断を保留し、まず意識障害として対応することが望ましい。一般に意識障害  を見逃すことのほうが害が大きいからである。」<0015<


(3)「医師の裁量権と法律」(p.21-30)
  中谷瑾子(第一東京弁護士会(弁護士)/慶応義塾大学名誉教授)


(4)「患者と家族との関わりかた」(p.31-37)
  佐藤喜一郎(北里大学医学部精神科)

 はじめに より
 「医療技術の進歩が急速すぎて、従来の医学倫理では対応できない問題が出始めている。医療スタッフだけでなく、家族も使いたいが使えない、使えるがつかってはならない医療上のジレンマに陥りつつある。
透析療法は単なる救命・延命治療ではなく、患者や家族のQOL(生活の質)をも向上させたり、ホスピス的な役割さえ要請される医療になった。…
 家族が治療の開始・中止に深く関与せざるをえなくなり、家族の苦悩も変わってきた。…」<0031<

 「病気の治療の決定は、この広義の家族全体の問題になっていきた。配偶者や親の承諾・同意だけでは済まなくなり、祖父母や子どもの承諾・同意が必要になった。法的には、未成年では親、既婚yさでは配偶者でよいのだが、実際にはそれだけでは不十分になっている。性腎でも、説明は親か配偶者でよいが、意思決定には広義の家族の納得が必要になっている。いったん意思決定をしておきながら、数日ふぉには覆されることがまれではなくなった。…
 医療スタッフは病状や治療法についての説明後にすぐに決定を強いずに、一定時間を置いた後での同意・意思決定をしてもらうことが望ましい。」<0034<



U.透析の継続
(1)「燃えつき症候群――医療スタッフの抱えるストレスとその対応」(P.39-45)
  福西勇夫・廣瀬寛子(東京都精神医学総合研究所・戸田中央総合病院看護婦)

 透析領域における医療スタッフが陥りやすい心理状態とその対応について解説されている。

 「医療スタッフが陥りやすい心理状態
 医療スタッフよりも透析医療に詳しい患者の存在/患者にコントロールされる/執拗な注意を余儀なくされる/透析患者に無意識にレッテルを貼る/透析患者に巻き込まれる/透析治療が長期化することによる対人関係上の弊害/機械化しやすい医療システム,<0040<
 透析医療の特殊性
 一つの空間に多数の患者がいる/三交代が少ない勤務体制/透析患者とのつきあいが長い/治療しない病をもつ透析患者への看護/透析医療特有の特殊技術の習得/透析患者の医療への積極的参加<0040-0041
 医療スタッフ、透析患者間の転移と逆転移」


(2)「患者の自立/生きがいへの援助」(P.47-52)
  堀川直史・山崎友子(武蔵野赤十字病院精神科)

 「…自立という言葉が医学の領域で用いられるときには、一般に「日常生活動作の自立」や「社会的な自立」を意味することが多い。またこれは、精神医学では、正式の術語としてではないが、自我確立やアイデンティティ確立を意味する言葉としても用いられている。
  一方、生きがいという言葉は医学の術語ではない。…精神科臨床において生きがいという言葉がもちいられることはほとんどないといってよい。」<0048<

 「…自立と生きがいという言葉の意味は、一部、重複してはいるが決して同一ではない。多くの人がさまざまな活動、とくに社会的に有益な活動を行うことによって(すなわち、社会的に自立しているときに)、自らの人生に価値を見出していることは事実である。@なんらかの疾患から回復し、社会復帰したのちに、このような喜びを初めて感じる人もいる。しかし、そのほかにも、Aさまざまな理由によって仕事や家事を行うことができなくなり、社会的な役割を失ってしまった場合にも(すなわち、社会的にはもはや自立しているとはいえなくなったときにも)、一部の人は、たとえば本を読んだり、音楽を聴いたりして得られる感動のなかに、自分が生きていることの価値を見出す。さらに、B終末期の患者のように、それすらできなくなったときにも、自分に与えられた運命を受け止めて生き続けるということのなかに価値を見出す人もいる。
 ここで述べた三つの例はそれぞれ、Frankl★1のいう「創造的価値」、「体験価値」、「態度価値」に相当する。Franklは、人生の価値とそれに対応する各人の責任を重視し、それらを分析して患者と語り合うことを精神療法の形にまとめた、おそらくただ一人の精神科医である」<0048<
★1
 ・Frankl,V.E. :Aerztliche Seelsorge.1952=霜山徳爾訳『死と愛――実存分析入門』1957、みすず書房 

 「…われわれがこのように述べる理由は、患者の社会的な自立を過度に重視する医療者に出会うことが必ずしもまれではなにと感じるからである。もしもこのような自立を患者の生きがいと同一であると考えるとすれば、それは医療者の一方的な人生観や価値観に基づくものであるといわざるをえないであろう。」<0049<


(3)「社会復帰の現状と問題点」(p.53-59)
  山崎親雄(増子記念病院)

 「…就労年齢と考えられる60歳未満男子の就業率は75%に達している。しかしその収入は、3人に1人が国民1人当りの平均所得医家であり、過去5年間に就労経験したうちの1/3が、主として病気を理由に、解雇または退職の経験を有している。より良い条件での就労の確保は、透析導入後では困難で、透析導入以前からの(あるいは保存療法開始以前からの)職業を継続することが望ましい。また、より良質な職場復帰を考えるなら、在宅血液透析の普及が必要と考える。」(要旨より)<0053<



V.透析の中止
(1)「日本人の宗教観、尊厳死、高齢者の死生観」(p.61-70)
  前田貞亮(前田記念腎研究所)

 「透析の中止については、本人の意思。家族の願いとともに客観的妥当性(これはなかなか困難だが)を真に求めるときに成り立つ医学的、倫理的(法理的)客観性が求められる。次のような条件が必要である。
 1.医学的条件:@患者の状態が血液透析の実施により危険があり、他の方法(腹膜透析など)も行いえない場合、A不治の合併症のため死期が近い患者で透析療法を行うことにより、かえって患者の苦痛(医学的、客観的)が増加する場合 2.倫理的(法理的)条件:患者の予めの意思を含め家族、医療スタッフ、弁護士および経験のある医師の合意ができた場合」(要旨より)<0061<

 「最近発表された名古屋大学老年科井口明久教授の意見はまさに我が意を得たりと満腔の敬意を払うものであるから、その一部を紹介させて戴く。
  …医師に備わった本能的な行動の背景にある理論、すなわち「患者にとっての最良の選択を提供する」という考え方は、「生命尊重」というきわめて根源的な社会倫理を基盤とすることを軽視してはならない。
この視点を失い単に「患者の自己決定権」の拡大を無条件に認めることは、「自殺の容認」にもつながりかねない。
 
  …「尊厳死」に関する議論においても、延命措置の中止を要求する権利に関してしばしば語られるようになっているが、あらゆる措置によってできる限りの生命の伸長を望む権利については議論が希薄なように思われる。
「自己決定権」の尊重という観点に立てば、後者のような「死に方」も等しく「尊厳」あるものとみなされなければならない。特定の「死に方」にのみ「尊厳」と名づけるのは不遜であろう。(Geriatric Medicine 1997:35:1469-1471)」<0066<


(2)「「死を看取る」うえでのケア」(p.71-78)
  吉梅乃扶子(東京女子医科大学腎臓病総合医療センター内科病棟看護婦)

 「透析患者が悪性腫瘍を合併し、死を迎えた。それを看取った家族の心の動きを通して、死に至るまでの危機が「癌による患者の死」、「透析中止の決断」と二つの異なる危機としておとずれることに注目した。…この二つの危機に直面することを想定し、患者および家族に対し、このタブーに対する介入も含めた関わりを行うことが死を受容するうえで望ましいのではないか」(要旨より)<0071<


(3)「事前指示書/透析の中止――日米独の比較」(p.79-86)
  三浦靖彦(国立佐倉病院内科)・川口良人・細谷龍男(東京慈恵会医科大学内科学講座第2)

 「事前指示(advance dorective:以下、AD)とは、「事故や重症疾患によって判断能力が失われた際にどのような医療を希望、または拒否するのかを、意識が清明なうちに表明しておく」ことを意味するものであり、文書として残すもの(一般にliving willと呼ばれている)だけでなく、口頭で、誰かに伝えておくだけでも有効であり、代理人を指定しておく制度(durable power of attorney for health care)も含まれる広い概念である。」<0079<

 「欧米諸国においては、透析治療が一つの延命治療であるという概念が成立しているため、透析治療の生命倫理学的研究報告もいくつか存在する★1。Oreopoulos★2は、「透析医は、末期患者に対して、単に透析を継続して生命の延長(死に行く過程の延長)をはかるだけでなく、症例によっては、患者に痛みのない、
尊厳ある死を選ぶ手助けをすべきではないか」と述べている。」<0081<
★1 
 ・Roberts,J.C. and Kjellstrand,C.M. ;Choosing death:withdrawal from chronic dialysis without medical reason. Acta Med. Scand 1988:223:181-186
・Port,F.K.,Wolfe,R.A.,Hawthorne,V.M., et al. ;Discontinuation of dialysis therapy as a cause of death. Am.J.Nephrol. 1989:9:145-149
・Singer,P.A.,Theil,E.C. and Naylor,D. ;Life-sustaining treatment preferences of hemodialysis patient :Implications for advence directives. J.Am.Soc.Nephrol. 1995:6:1410-1417
・Perry,L.,Nicholas,D.,Molzahn,A.,et al. ;Attitude of dialysis patients and caregivers regarding advance directives. ANNA Journal 1995:22:457-481
・Neu.S.and Kjellstrand,C.M. ;Stopping long-term dialysis. N.Engl.J.Med. 1986:314:14-20
★2
 ・Oreopoulos,D.G. ;Withdrawal from dialysis :when letting die is better than helping to live. Lncet 1995:346:3-4
 

(4)「日本における透析中止の現況とあり方」(p.87-93)
  大平整爾(日鋼記念病院外科・腎センター)

 「…透析の中止には、@患者に発生した重篤な合併症が、透析という体外循環や腹腔内洗浄の処置を、主として身体的な理由から不可能にする事態と、Aなんとか透析操作が可能であっても、患者自身がこれを拒絶する事態、さらに、B患者自身には意識がないか判断力に欠けるが、善意の第三者が中止を選択する場合、などの状況が存在する。」<0087<という状況下において、事前指示書が習慣となっていない日本での問題点について考察した内容。

 「自己判断、代理判断と法的・倫理的問題
  1)意識鮮明で判断能力を有すると推測される患者が透析の中止を表明したとしても、医療側、家族側がただちにこれをそのまま受容するというわけにはいかない。患者の考え方や行き着いた結論が、善意の第三者の立場から妥当であるか否かを十二分に考察し患者と話し合う必要があろう。患者の自己決定権はこれを十分に尊重しつつ、患者の納得のうえでの軌道修正に手助けする姿勢が望まれるものと考える。…<0090<
  2)代理判断:患者が判断能力を失った状態における治療中止の決定は、医療側と家族側を中心に善意の第三者に委ねられる。…わが国の現況では、living willまたはadvance directivesを積極的に遺す社会的気運は未だになく、意思表明のない患者の最善の行く末を論じ決定することが過渡期的にあ善意の第三者に容認される事態であると考える。…
    意思決定能力を失った患者に対して、誰が倫理的にかつ法的に「代理判断」を行う妥当性を有するのか。一般的には近親者が医療側の助言を得ながら、患者本人の意向を斟酌し「患者の望むであろう決定を下す」ことにあろう。」<0091<

 「透析導入の適否判定
  いったん開始された透析療法が中止される事態が論じられると同等に重要な問題として、「末期腎不全患者の透析導入の適否判定がある。これは、透析導入に際して行われるインフォームド・コンセントの主要部分を占めるものといえよう。これには、@透析療法を要する患者自身がその導入を拒否する場合(該当する患者が透析導入を受け入れるか<0091<否か)と、A患者の全身的状態を勘案して医療側が透析導入を逡巡する場合(医療側が、その患者の導入を適正であると考えるか否か)とがある★1。
  @Aいずれの事態においても、継続されてきた透析の中止を考慮する場合の諸事項が慎重に検討されなければならない。…Hirschらによる医療者側からの基準は、大いにわれわれの参考になる★2。
  Hirschらはこれらの諸項を満たした時に自動的に透析導入を拒否するというのではなく、(積極的に)導入を勧めない(not offering)という姿勢である。
★1
 ・大平整爾:透析医療各治療段階におけるインフォームド・コンセント――第42回日本透析医学会教育講演より、『透析会誌』1997:30:1347-1362
★2
 ・Hirsch,D.J.,West,M.L.,Cohen,A.D.,et al. :Experience with not offering dialysis to patients with a poor prognosis. Am.J.Kidney Dis. 1994:23:463-466
  きわめて予後不良で重症な腎不全患者に対する透析非導入の基準
  1)非尿毒症性痴呆(dementia)2)治療不能な末期悪性腫瘍 3)心・肺・肝疾患の末期状態 4)運動能力を著しく損なう不可逆性神経性疾患 5)生命の危機を伴う多臓器不全(MOF)6)透析のたびに、薬剤による鎮静か器具による制動をしなければブラッドアクセスを機能できない状態



UP:20100428(有吉 玲子) REV:
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