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『関西青い芝連合』No.1
関西青い芝の会連合会常任委員会 1975 発行:障害者問題資料センター・リボン社
再録:
定藤 邦子
[発行にあたって]
個々に、関西における、脳性マヒ者、否、全障害者を代表しうる組織としての、関西青い芝の会連合の闘いの記録を、関西青い芝の機関誌として発行出来ることを、少なからぬ自負と共によろこびとしています。
私たちの差別と闘う実践は、まだまだ至らぬ所があり、その事をもってして、ますますがんばらねばならないと決意しています。
ご意見、ご批判の多いことをねがい、今後のすべての人々の闘いのカテとしたいと考えます。
関西青い芝連合会 常任委員会
代表 鎌谷正代
目次
T 人間の未来へ自由へ −各県、連合会方針− ………1
大阪青い芝の会 1974年定期大会 ………1
兵庫青い芝の会活動の方向 結成大会 ………12
奈良青い芝の会結成大会 ………17
関西青い芝の会連合会 結成大会 ………22
1975年、関西青い芝連合の活動の基調 ………27
U 第8養護学校設置を許さない −12・15集会− ………29
V 仲間と共に −様々な集会− ………50
映画「カニは横に歩く」5.5大阪上映集会 ………57
「施設、養護学校を考える」青い芝の会連続集会 ………69
W 全てのみなさんへ −配布されたビラ類− ………78
D 我々は要求する −行政への闘い− ………95
(1頁) T.人間の未来へ自由へ!
−各県・連合会方針−
日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会
1974年(第2回)定期大会
議案書〜 1.年間活動総括
2.組織、オルグ報告
3.財政報告
4.74年度活動方針案
5.財政方針案
6.規約改正案
7.役員改選
とき、1974年4月28日午後1児
ところ、日の出解放会館
(1)年間活動総括
昭和48年4月29日結成以来、大阪青い芝の会は、障害者差別を許さない、を基調として、多面的な運動を展開してきました。私たちは、障害者の現状が運動という言葉をなかなか生み出さない、という事を認識した上で、学習を続けてきました。今までの与えられてきた価値観や、社会と障害者の関係をとらえなおすために、青い芝の会資料(CPとして生きる)を活用誌、定期的に学習会を開きました。そして私たちは、次のような認識をかちとりました。
CP者の存在は、現在の社会のなかでは、あってはならない存在としてしかあつかわれていない、そして健全者と、障害者との関係について言うならば、相互に、相いれない価値観をもっており、これを、あいまいな形で考える事は、障害者自身を否定することになる。今、障害者の持たなければならない(2頁)ベースと思想は、否定され、健全者=絶対価値が全ての社会情況を構築し、障害者=劣悪者として、本来、障害者が持たなければならない諸権利を奪われている。作られた社会構造が私たちへの差別をより今日か誌、優生保護法にみられる様に、私たちの生存権すらおびやかしている。この現実を知れば知る程、私たちCP者が生きていくためには、この諸関係を根底からくつがえさなければならない事がわかる。現在の社会を認める事は、障害者が死ぬ事と同じであるという認識を私たちは持ちます。私たち、障害者は、社会に向かって、個々の闘いの中で、障害者自身の思考性と文明を創り出す、そして、それを武器として社会に切り込む事、それが私たち。戦う障害者の歴史的使命です。この使命感こそが、過去1年間の私たちの原動力であったのです。この様な基本的な認識の上に立って、私たちは、次のような活動を続けてきました。
◎障害者の住み良い街づくり、という視点と、障害者の人権を守る立場から、障害者手帳の不当な取りあつかいに関して堺市役所、福祉センターへ、また、大阪市交通局への抗議を行いました。
◎兵庫県内の施設で起こった障害者去勢手術をハッキリと差別ととらえ、兵庫県民生部への抗議行動を起こし、5日間のすわりこみ闘争を展開し、民生部長の謝罪書を勝ちとりました。
◎次々と起こる障害者殺しには、関係機関への抗議書を送付し、障害者を殺す事は、健全者の一方的なエゴ行為である事を明らかにしてきました。
◎兵庫県衛生部の行っている、不幸な子供の生まれない運動に対して、障害者の生きる権利をうばうものであり、優生保護法の改悪の先どりであるとする立場から、度々の抗議行動、交渉を重ね、ついに、名称変更をかちとりましたが、県側の差別姿勢はまだ改まっていません。現在、百年戦争として、戦いを続けています。
◎優生保護法改悪阻止の戦いでは、関西ではじめての障害者団体としての集会を持ちました。集会を用意する時から、集会の討論の内容に至るまで、青い芝のヘゲモニーをつらぬき、大阪青い芝の会の力量を内外に示しました。
◎全国大会がひらかれ、大阪青い芝の会も主体的に参加市、障害者の権利は、障害者の手でかちとろう、との意志一致がなされました。優生保護法問題では全国動員の一翼を十分になっています。(3頁)
◎会員の生活を守るための行政交渉は日常的に行っています。
1年間をふりかえってみれば、私たちの力は、活動を通じて強化されているけれども、まだまだ私たち、障害者のおそまつな現状と、社会性のかけた組織力に気付かざるをえない。100名〜200名を結集したキャンプや、特別試写会でも健全者の力を越える事ができていない。この現実こそ、私たちの戦いがこの1年間の成果の上にたって、これから始まることを指ししめしている。
活動日誌
4月29日 結成大会
6月14日 交通局抗議
7月2日 堺福祉センター抗議
7月15日 第1回総会
7月26日〜27日 書き大交流キャンプ
8月9日 去勢手術抗議
8月30日 障害者殺しへの抗議書送付
9月10日 堺市役所抗議
9月30日 同対審共闘会議に加盟
10月13〜14日 全国大会参加
11月25日 優生保護法全関西討論集会
1月17日〜19日 機能改善センター都庁闘争参加
2月4日 弱者中央集会参加
2月25日 兵庫県衛生部公開質問状提出
3月9〜10日 特別試写会
3月18日 厚生省交渉
3月23日 弱者決起集会
4月17日 兵庫権衛生部部長交渉
(2) 組織、オルグ報告(4頁)
結成当時、会員は○○名であったけれども、歌もうたえないCP者が、その困難性の中で、障害者差別は、障害者の手によって解体しなければならない。を合言葉に闘い続けた結果、現在、会員は××名ふえて来ました。
しかし、その中で、2名の役員がその任務を全うする事なく交代した事実があります。また、会員でありながら、音信を断つ人や会費の納入のまったくないひともあります。もっとも残念なのは、ある会員の行動に対して、見解書を発表しなければならなかった事は、私たちCP者をとりまくヤミがことさら深く私達の戦いが、まだ始まったばかりであるのを痛感させるものです。
役員権の停止となった役員は、役員会に出席する責任があるにもかかわらず、出席せず、役員会に対する誹謗中傷を他の個人、団体に流し、役員会全体の責任ある事を一人の役員押しつけたことなどで、除名となりましたが、本人から反省書が提出されたので役員権停止としました。
ある会員は、青い芝の働きかけによって、自前の生活を始めたのですが、障害者特有のあまえをたち切る事ができず、失敗してしまいました。このような、様々な事柄は、困難な条件と共に、障害者自身の社会性のなさ、先にも述べたような、団結しにくい要素のあらわれだと考えられます。
しかし、全国に30万以上いると言われるCP者のためにも、この事を経験として生かし、戦い続けなければならない。たとい、どの様な条件であっても生存権すら否定されようとするCP者が力を一つにしなければ生きていくことは出来ない。
今大会に当っては、今まで困難とされて来た会員の自宅訪問を役員会は行った。私たちのやってきた事これからやろうとする事を話史合う中で、すでに家庭を持ち、家事に追われている会員、軽度ではあるけれども、家から一度も出た事のない会員、ある施設の中で、自分が役員になった事もしらず、青い芝の文書を一度も受け取っていない会員、そんな事が明かになりました。まわれば、まわる程そのCP者の現実におどろかされ、活動への意欲がわいてきました。
なお、過去一年間、一度も音信のない会員、会費の納入がなされず、納入する意志がみとめられない会員については今大会の名によって除籍処分とします。なお、復帰市、青い芝で共に活動する意志のある人については、十分話しあって、今後共同を保障したいと考えています。(5頁)
1974年度活動方針案
(情勢)
我々、大阪青い芝の会は、過去一年間いかなる障害者差別も、許さないという観点に立って運動を展開してきた。しかし、その間我々を取り巻く情況は、まさしく我々を社会の片すみへ、そして抹殺へと一直線のルートがしかれようとしている。それは、優生保護法改悪に見られる「障害者は悪」「不幸なんだ」という社会概念と結びついた所の国家権力の策謀=剰余価値を産み出さない者(障害者)をこの世から消していこうとするものである。その先陣として兵庫、和歌山、静岡、神奈川で実際に行われている羊水チェックによって障害者を発見し抹殺への回路を作り、こともあろうに、それを「善政」かのような形で住民をも巻き込み実施している。事実特に我々の身近にある兵庫県の「母子保健」=不幸な子供を生まない運動、では我々の度々の糾弾と抗議の行動に対して、わい小な解答と、運動の名称を変えるという形で我々をごまかしている。これは、明日に我々をないがしろにした行為であると言わねばならない。その一方で、教育の面では養護学校義務化の動きがある。大阪でも、「第八養護学校の設置をすすめる会」の中心となっている、親、教師、全障研は「重度障害者を養護学校へ!」をスローガンとして、大々的に運動を展開している。これは今までの障害者教育のパターンの拡大強化であり、現在の教育体制における根本的なあやまちに気づく事もなく、障害者即、養護学校へ、施設へ、という考え方は、健全者社会を維持していく上での優生保護法と同じような思想的背景に基づいている、と我々は考える。このように、我々にかけられる差別、抑圧は、より強固に、より緻密にわれわれにおそいかかろうとしている、その中で、障害者運動が様々あるが、大半は、健全者ヘゲモニーとペースによって障害者をふり切り、あるいは、一部の障害者をまつり上げた形で、障害者の解放とうそぶいている。その論理を見ると、単純な階級闘争の勝利が障害者解放と結びつくという考え方であるが我々の考え方として、障害者解放は、障害者の戦いと団結から形づくられ、戦いの中で階級闘争と結合していくものである。これが我々の情況認識である。
(組織)(6頁)
我々は、障害者自身の問題を個別的な段階にとどめる事なく、障害者全体の問題としてとらえ、組織的な運動の中でかちとっていかなければならないと考える。つまり、本年の組織方針は、単なる水ぶくれ的組織拡大ではなく障害者の自立と解放を目指す、思想と内容を実現するための組織拡大でなければならない。具体的には現在○○名の会員を○○名にまで高めたい、そのための学習運動も展開する。
(活動方針)
我々の本年度における重点的な活動方針を次に提案する。
1. 兵庫県の母子保健の解体と優生保護法改悪阻止の戦い
兵庫県に対して、我々は百年戦争を宣言している。いかなる手段をとっても、母子保健の差別罪状を暴き、その根底にある優生思想をつくる中心とした健全者エゴの考え方を解体する事こそが、我々をして、あってはならないとする歴史的、社会的位置づけを解体する道である。我々の命を奪おうとするものに対しては、我々の命をかけて戦わねばならぬ、その決意が全体社会を動かすのである。
具体的には、全国常任委員会と共同して、地方、中央での戦いを広める。
2. 養護学校義務化阻止の戦い
障害者を一方的に養護学校へというのは、いかにも障害者を公教育にうけいれたかのように見えるが、本来の障害者と健常者のかかわりにおける教育面での重要性を忘れ障害者だけを全面発達させるというものに外ならない。やはり、CP者は、地区の学校に入り、健全者とのかかわりにおいて成長し、CP者としての考えを確立すべきである。その事を保障する重要な部分として、障害者教育のための教師集団、(大障研)を障害者運動の側から作り出す。教育運動のための障害者ではなく、障害者運動のための教師集団を、また、CP者の教師を教育現場におくる運動も行う。
3.障害者自身の経営する施設づくり運動
CP者の思想の確立と、それを元にした組織化をかちとる事は、現代社会における苛酷なCP者の現実を突破する方法であると考え、(7頁)その一環として、CP者自らの経営する施設づくり運動をすすめ、その中で、CP者の社会教育をし、地区〜施設〜地区の回路をつくりあげる。これは、健全者社会への切り込むための(とりで)である。
4.CP者の諸要求をかちとる
人間としての生活を!社会の構成引としての保障を!行政との戦いを!
A.親の所得に関係なく、生活を!社会の構成引としての保障を!行政との戦いを!
B.不当な現在の等級制度を変えさせ、CP者の医療保障と無料化
C.重度CP者の慰労医療保障と無料化
以上の戦いを全国レベルですすめる
5.各戦線との連帯した運動
我々の敵は体制や、権力ではあるけれど、その権力にくみこまれ、我々を差別する人々も、もちろん許しておく事はできない。運動体の中でも、障害者と健全者は同じ人間なのだからという所があるが、これこそ、原則を踏みにじった差別運動体だと言わねばならない。我々の原則は普遍敵であり、虚構はない。その意味では、今展開されようとしている被差別統一戦線に積極的かつ主体的に参加し、我々の主体と運動を生かす方向で各戦線との連帯を実現し、総体としての解放を目指す。
以上
(8頁) 大阪青い芝の会、規約改正案
第二種社会事業福祉団体、日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会、会則
第一条 本会は、第二種社会福祉団体、日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会と称する。以下、会と呼ぶ。
第二条 会の事務所を大阪市東淀川区南方町三〇六 大広荘内におく。
第三条 この会の目的は、「本来あってはならない存在」としてあつかわれている脳性マヒ者の実情を十分ふまえて、非人間的な差別と偏見と闘い、生活と権利、社会的地位の向上をはかるために必要なあらゆる問題と要求をとり上げ、社会全体の問題と結合の中で運動をすすめる。
第四条 この会の目的達成のために次の活動を行う。
1.障害者の問題を社会に訴え、啓発する運動
2.重度障害者の社会活動の保障
3.潜在脳性マヒ者の顕在化
4.機関誌、誌の発行に関する活動
5.各種団体との相互協力
6.その他、会の目的達成のための活動
第五条 会員は、脳性マヒ者ならびに、障害者で、会の目的に賛同する者
第六条 会の目的以外に会を利用使用とする者は会員になれない。特に政治的に宗教的に
第七条 この会の会員で、この会の名誉をけがし、または会則に反する行為があった時は、除名、除籍処分することができる。
第八条 会員は、平等の権利と義務を有し、宗教、性別、能力、身分等によって差別される事はない。会員は、全ての活動に参加し、意見を述べ、決議に参加し均等の利益をうける事が出来る、会員は、全ての占拠研と被選挙権をもち、会則に定める手続きをへずに賞罰を受けない。会員は、会費を納め、会の秘密を守り、会議、活動に参加し、会則、機関決定をまもらなければならない。
第九条 入会は規定の要旨を提出誌、退会はその理由を会長にとどけなければならない。
第十条 会に次の機関をおく。大会 役員会(9頁)
大会、大会は会の再考決議機関であり、年一回定期的に開く、会員からの要求があれば臨時に開く事ができる。役員会、役員会は会の執行機関であり、大会で選ばれた役員、会長一名 副会長一名 事務局一名 財政一名で構成し、役員会が必要と認めた場合、担当役員を置くことが出来る。役員の任期は、一年とする。
第十一条 財政は、会費(年額600円)、かんぱ、事業収入でまかなう。
第十二条 以上の他、監査、査問、統制、賞罰、専門部、役員の権限、選挙法等の細則については、全国常任委員会規約に準ずる。なお、この会則は、昭和四九年四月二八日より発効する。
1974年度役員会:会長、副会長、事務局、財政、担当、担当、全国常任委員
(10頁) 日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会:昭和49年度臨時大会(議案)
10月27日 PM1〜4、日の出解放会館
昭和49年度大阪青い芝の会定期大会は、CP者の戦う組織をCP者自らの手で作り上げる事を、その第一に歌い上げていました。そして、私たちの活動と戦いの中で6ヶ月の時間がながれ、その時間の中で私たちは、関西各地でいろいろな差別を受け、困難な社会状況にある障害者に働きかけ、CP者をして本当の人間としての生き方を追求しなければならないとする私たちの考えを伝える事によって、関西各地のCP者の兄弟を組織化する事をすすめてきました。そして私たちの呼びかけに自主的に答えたCP者、すでに、和歌山、兵庫に青い芝の会を結成し、日常的な活動を中心に、組織活動を始めています。また、兵庫県でも準備委員会が作られていますし、京都でも結成の動きがあります。これらは、私たちの運動が、独自の思想形成をすすめ、差別をうちやぶり、新しい人間へ、障害者解放へとすすんでいる事の証明です。
しかしながら問題がない訳ではありません。それは、関西各地の青い芝の会組織化に当って、従来、大阪青い芝の会の中心になってきた人や、組織がないために大阪青い芝の会役員会機能や、組織機能が若干、変則的になりつつある事は否めない事です。新しく創り出した状況には、新しい組織対応が必要です。関西各県の青い芝の会と連絡を持ち、障害者の生活と権利を拡大し、自立と解放の統一した戦いをおしすすめるためには、今まで、大阪青い芝の会が代行してきた関西的機能をはっきり別なもの(関西青い芝の会連合会)に移行させねばなりません。そして、その準備はずんずんすすんでいます。大阪青い芝の会は、関西青い芝連合会結成の中心となって討論をすすめています。
今回の大阪青い芝の会臨時大会は、以上のような情況をうけて開かれたものです。したがって、本臨時大会のかくとく目標は、次の3点です。
(1)会員の組織移動の確認 (2)役員会の改選 (3)関西青い芝連合結成促進の決議
以上の事柄を、全会員の意志一致のもとに完了する様に役員会は提案します。(11頁)
私たちは、新しい役員会のもと、新しい機関(関西青い芝連合)を手にし、新しい出発をしようではありませんか。
和歌山では、黒潮の子供を生む運動、兵庫では、母子保健運動と障害者をあってはならない存在とする、優生思想にいろどられた行政政策にたいする戦いが展開していますし、大阪では、隔離教育の花である第八養護学校建設をめぐって全障研運動との対決の中で、大阪青い芝の会の力量と問われています。いまこそ、より一層、日常活動を強化し、CP者の成熟を抱負かしようではありませんか。関西青い芝連合の中心組織として、全大阪の障害者のよりどころとして、私たちは、私たちに課せられた歴史的責任を誇りをもってはたそう。
全てのCP者を結集しよう。障害者差別を許さないぞ。すべての差別を許さないぞ。
私たちの、人間の、未来と、青い芝の会に幸いあれ!〜〜自由へ!!
新役員:会長、副会長、事務局、渉外、調査、財政
(12頁)
兵庫青い芝の会の活動方向
日本脳性マヒ者協会、兵庫青い芝の会結成大会(準備委員会)
昭和49年10月6日 PM1時、姫路、カトリック教会
1.開会も挨拶
2.各団体アピール
3.方針と規約の提案
4.討論〜まとめ
5.役員選挙
6.新役員あいさつ〜閉会
すでに、兵庫県における私たちCP者の自立と解放をめざす運動は、大阪青い芝の会の関西規模の運動と、友好団体である、自立障害者集団グループ、リボン連合会の運動によって先行的にすすんでいます。本日の結成大会にあつまった私達も、すでに兵庫県に居住しながら、大阪青い芝の会に所属していた、そこで活動を共にしていた兄弟ばかりです。CP者の権利と団結、自由を全うするための全国組織としての青い芝の会は、この関西の地に、CP者の確固としたよりどころ、差別と抑圧に対するトリデとしての関西青い芝連合を形成しようとしています。このCP者のかたい意志は、障害者に対する差別が日々強くなる中で、その事を理由として、すでに、大阪青い芝の会、和歌山青い芝の会として結実し、本日の、兵庫青い芝の会へとひきつがれているのです。私達のあとには、奈良、京都の兄弟がひきつづくべく準備がすすめられています。
関西青い芝連合の結成は、私達の活動に支えられて、49年度内にかならず達成されるでしょう。
そういった意味で、従来、関西青い芝的機能をはたしてきた、大阪青い芝の会に属していた私達の意志は完全に一致しています。結成にあたって、あえて経過の報告や、私達障害者をとりまく情況を報告しないのは、そこに原因があります。大阪青い芝の会の活動の中から、兵庫青い芝の会は、当然の方向として自然に生まれ出てきたのです。
(13頁) しかも、多くのCP者のすすんだ活動の中で、新しい歴史をかたちづくる祝福をうけて……
私達は、兵庫青い芝の会を結成する事によって、兵庫県内の独自的情況を十分ふまえ、大阪青い芝の会、関西青い芝の会連合準備委員会の情況、経過報告に準じながら、多くいる兄弟が切り開いてくれた運動をよりふかめ、多様化し、自らのものとして高めていかなければなりません。
私達は、結成以後ただちに次の事柄にとりくみ、時期大会としたいと考えます。
(組織活動) 1週間に1度の役員会、1ヶ月1回の全員総会をきっちり行い、意見の交流、意志一致を図り、組織的活動を行います。また、CP者の団結を拡大するために、障害者の自立と解放を目指す、思想と内容を持ったオルグ活動を行い、運動の中で共に活動する中で、結びつきを強化します。
また、重度者の行動を保障するために、友人組織の兵庫ゴリラの強化をすすめ、教育現場との結びつきをはかるため、兵庫大障研づくりを援助します。
(全体的な活動) 兵庫県の障害者に対する差別的な政策を変更させる運動を行います。とりわけ、母子保健課に対する百年戦争を引き継ぎ優生保護法解体の戦いとつなげ、世間のある優生思想と対決する運動を広げます。養護学校義務化に反対する運動を行います。53年度全員就学の名で障害者は養護学校へとの動きがありますが、姫路にも新しい養護学校がつくられようとしています。また、授産所や各施設でも多くの問題をかかえています。これらにたいして、多くの面から検討を加え、差別を許さない立場から運動をします。特に行政レベルでの運動が中心になるでしょう。
関西各地の青い芝と共に、障害者自身の経営する施設づくりにとりくみます。
(生活を自らのものにする活動) 人間としての生活をかちとる活動を行います。(14頁)障害者の生活できる、住宅、街づくりをすすめ、障害者自身が生活できる年金制度を獲得し、CP者にあった等級制を実現する活動、重度障害者への生活手当、医療保障と無料化への活動を行います。
(その他の運動) いろいろな差別と闘う人々から学ぶために、いろいろな団体との交流をすすめます。また、当面、活動の拠点としての事務所の開設、動く足を保障するために車の確保、電話の確保に力をそそぎます。
以上
(15頁)
日本脳性マヒ者協会、兵庫青い芝の会 規約
(1)本会は日本脳性マヒ者協会、兵庫青い芝の会と称する。以下、会とよぶ。
(2)会の事務所を当面、兵庫県姫路市白浜町甲349、沢田たかし宅におき、連絡電話を
06- 323-5523とする。
(3)この会の目的は、「本来あってはならない存在」としてあつかわれている脳性マヒ者の実情を十分ふまえ、非人間的な差別と偏見と闘い、生活と権利、社会的地位の向上を図るために必要ならあらゆる問題と要求との結合の中で運動する事である。
(4)この大会の目的達成のために、次の活動を行う。
イ.障害者の問題を社会に訴え、告発する運動
ロ.重度障害者の社会活動の保障
ハ.潜在CP者の顕在化
ニ.機関誌、紙の発行に関する活動
ホ.各種団体との相互協力
ヘ.その他、会の目的達成のための活動
(5)会員は、CP者ならびに、障害者で、会の目的に賛同するもの。
(6)会の目的以外に会を利用しようとする者は会員になれない。特に、政治的に、宗教的に。
(7)会の会員で、会の名誉を汚し、または規約に反する行為があった場合、除名、除籍処分にすることができる。
(8)会員は、平等の権利と義務を有し、宗教、性別、能力、身分等によって差別される事はない。会員は、すべての活動に参加し、意見を述べ、決議に参加し均等の利益を受ける事ができる。会員は、すべての選挙権と被選挙権を持ち、規約に定める手続きを経ず、に賞罰を受けない。会員は、会計の公開を求め、機関および、役員の不信任を要求する事ができる。会員は、会費をおさめ、会の秘密をまもり、会議、活動に参加し、規約、機関決定をまもらねばならない。
(9)入会は所定の用紙に記入提出し、大会はその理由を会長に届けねばならない。(16頁)
(10)会に次の機関をおく(大会 役員会)
大会〜大会は、会の再考機関であり、年1回定期的に開く、会員からの要求がある場合、臨時に開く事ができる。
役員会〜役員会は、会の執行機関であり、大会で選ばれた、会長1名、副会長1名、事務局1名、財政1名で構成し、役員会が必要と認めた場合、担当役員をおく事ができる。いずれも任期は、大会から大会までとする。
(11)財政は、会費(1名年額 1,200円)、カンパ、事業収入でまかなう。
(12)以上の他、監査、査問、統制、賞罰、専門部、役員の権限、選挙法などの細則については、関西青い芝連合、全国青い芝の規約に準ずる。なお、この規約は、昭和49年10月6日より発効する。
昭和49年度役員会:会長、副会長、事務局、財政、関西常任委員、全国常任委員
(17頁)
日本脳性マヒ者協会、奈良青い芝の会結成大会 議案書
昭和49年12月26日午後1時
奈良文化会館
1. 開会あいさつ
2.各県代表アピール
3.大会議案、規約提案
4.役員選挙
5.新役員のあいさつ
6.閉会の挨拶
(いままでの事)
すでに、会員のみなさんが知っておられるように、青い芝の会全国常任委員会の組織拡充方針のもと、関西青い芝の指導によって、CP者の社会的権利と障害者の自立、解放を獲得するための団結形態(青い芝の会)をこの奈良県にも設立するために、準備委員会が結成され、今日まで、関西青い芝の○○君を中心に、養護学校卒業生、在宅障害者の兄弟達への勢力的なオルグ活動が続けられてきました。いまだ十分な組織体制ではありませんが大阪、和歌山、兵庫、の兄弟に続くかたちで本日の結成大会をむかえたのです。
(奈良県では)
すさまじいインフレと近代化、生活不安は、私達、障害者の生活をようしゃなくおそい続けて、混乱の社会情況は、障害者に対する差別を強化しています。これは一人、奈良県の障害者だけではありません。関西各府県の、いや、全国の兄弟のおかれている情況とまったく同じです。差別され、抑圧され、人間としてのあらゆる諸権利をうばわれ続けて私達は、今こそ、手をつなぎ、障害者の力によって、人間としての障害者の自由と解放をもとめて胸をはって果敢に生き続ける事を、CP者の強い団結の中で実現しなければなりません。
私達、障害者を「あってはならない存在」とする優生思想は、この奈良県の中にもみちています。そして、障害者福祉も他府県と同じように、一人の人格としての生活を充足させるものではなく、(18頁)生産性を基準として、隔離と切り捨てを旨として施設政策が展開しています。つまり、(安上がり体系圧殺福祉)であるわけであう。障害者は、しせつか、在宅としてひっそりといきる事を強要されています。そして、もっとも残念な事は、このような差別的風潮に対して、障害者は、すっかりあきらめだまっているか、あるいは、健全者に遠慮しながら、行政のお情けをいただこうとしている事です。自分達の権利を主張することができなくなっているのです。多くの兄弟達は、障害者年金のとり方も知りません。かくほどまでに差別は厳しく、教育や社会生活を拒否されています。
奈良でも今まで障害者の団体がなかったわけではありません。しかし、いずれの団体も障害者自身の利益を代表して積極的な役割を果たすものではなく、お茶のみ会か、せいぜい親睦会の域をでるものではありませんでした。私達は、はっきりと、奈良青い芝の会を結成することによって、あるがままのかわいそうな障害者である事をやめ、たった一回のいとおしい私達の生を大切にし、私達を差別し続ける社会に鋭く切り込む生き方(この行為によって、始めて本当の人間の社会をめざす事ができるのです。) をすべての兄弟達に伝え、強大な障害者の力を創り出さずにはおきません。
健全者の愛と正義に充満した奈良県に、今、本当の正義のはたをかざす青い芝の会が、私達自身の手によって建設されるのです。
(これから私達は)
私達の運動の基調は「障害者差別を許さない」であり、その事を通じてすべての差別をなくし、人間の自由を創り出す事です。ですから、その線にそった活動を行います。
イ.役員会を週1回、全体回をたびたび行い、会員の意志一致を強化します。
ロ.従来のオルグ活動を深化拡大し、○○名の会員を○○○名にします。
ハ.全国関西青い芝の会との連帯をつよめ、多面的な運動課題に取り組みます。
ニ.行政レベルの要求を組織するために、早急に行政窓口を開くよう活動します。
ホ.優生思想に基づく、障害者に対するあらゆる作動(行政、教育、地域、生活、施設、差別事象、差別意識)と対決します。(19頁)
ヘ.個々も障害者の生活要求をとり上げ、実現に努力します。(年金、等級、医療、介護、生活保障、住宅、交通等)
ト.在宅障害者の開発、施設、養護学校、学級問題に積極的にとりくみます。
チ.障害者の行動の自由を保障するために自主的な行動と、行政要求を組織します。
リ.事に応じて、志を同じくする団体との共闘を追求します。
ヌ.奈良グループゴリラ、奈良「障害者」教育研究会の組織化に協力します。
ル・その他、会員の要求を深め、交流させ、青い芝思想を確立するために奮闘します。
以上
(20頁)
日本脳性マヒ者協会、奈良青い芝の会 規約
(1)本会は、日本脳性マヒ者協会、奈良青い芝の会と称し、以下、会と呼ぶ。
(2)会に連絡場所を当面(大阪東淀川区南方306、大広荘 関西青い芝内)
電話06-348-9105にお気、近い将来、奈良県内にうつす。
(3)会の目的、「本来あってはならない存在」としてあつかわれている脳性マヒ者の実情を十分ふまえて、非人間的な差別と偏見と闘い、生活と権利、社会的地位の向上をはかるために、全国の、なかんずく関西各県の青い芝の兄弟と協力しつつ、必要な、あらゆる手段を行使し、問題と要求を取り上げ、社会全体の問題との結合の中で運動をすすめる事にある。
(4)会の目的達成のために次の活動を行う。
イ.障害者の問題を社会に訴え、啓発する運動
ロ.重度障害者も社会活動の保障
ハ.潜在脳性マヒ者の顕在化
ニ.機関紙、誌の発行に関する活動
ホ.各種団体との相互協力と、青い芝の会全国常任委員会、関西常任委員会との団結を強化する活動
ヘ.その他、目的達成のための活動
(5)会員は、CP者、障害者で会の目的に賛同するもの。
(6)会の目的以外に会を利用しようとするものは会員になれない。特に、政治的、宗教的に。
(7)会の名誉を汚し、または、会規約に反する行為のある会員は、除名除籍する事ができる。
(8)会員は、平等の権利を有し、宗教、思想、性別、能力、身分等によって差別される事はない。会員は、すべての活動に参加し、意見を述べ、決議を行い均等の利益を受ける事ができる。会員は、全ての選挙権を持ち、会規約に定める手続きをへずに賞罰をうけない。(21頁)会員は、会計の公開をもとめ、機関および役員の不信任を要求する事ができる。会員は、会費をおさめ、会の秘密をまもり、会議、活動に参加し、会規約、機関決定をまもらなければならない。
(9)入会は、所定要旨を提出し、退会は、その理由を会長にとどけなければならない。
(10)会に次の機関をおく。
イ.大会〜大会は、会の最高決議機関であり、年1回開く、会員からの要求のある場合、臨時に開く事ができる。
ロ.役員会〜役員会は、会の執行機関であり、大会で選ばれた役員、会長1名、副会長1名、事務局1名で構成し、役員会が必要と認めた場合、担当役員をおくことができる。いずれも任期は、次大会までとする。
(11)財政は、会費(年額1200円)、カンパ、事業収入でまかなう。
(12)奈良青い芝の会は、関西青い芝の会連合会の構成団体として、積極的役割をはたす。
(13)以上の他、監査、査問、統制、賞罰、専門部、役員権、選挙法等の運営細則については、全国、関西青い芝の規約に準ずる。なお、この規約は昭和49年12月26日より発効する。
以上
(22頁) 日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会 結成大会 議案書
とき、昭和49年11月30日 結成準備会
(経過報告)
昭和46年4月29日、CP者の戦いと、団結をたからかにうたい上げた、大阪青い芝の会が、この関西の地に、初めて結成された。現在にいたる、1年半の戦いの中で、大阪青い芝の会会員は、兵庫、和歌山、奈良、京都にふくれあがり、単に、大阪における運動だけでなく、たとえば、兵庫県との行政交渉のように「不幸な子供の生まれない運動」に対して、障害者の立場から、打撃をあたえてきた。近い所では、京都における、CP者の居住変更の交渉でも勝利してきた。このように、大阪青い芝の会は、関西的な機能を果たしてきたが、昨年開かれた、全国大会決定にもみられるように、組織を再編し、もっと友好な、関西における、CP者の組織形態が望まれていた。私達の運動も、すでに一行政区内にとどまっては、発展しにくくなっている事も事実です。その例が、優生保護法の問題に見られるように、障害者差別が国家的なレベルにまで広がり、それが羊水チェックのような形で、各行政レベルにおしよせてくる。また、障害児を隔離する、養護学校の義務化のように統一した戦いを要求するものもある。そして、現在、青い芝の会員が急激にふえているのは、もちろん、全国青い芝の会の協力もあるが、また、各県青い芝の会の努力もあるが、その基本的な要因は、個別障害者がきわめて苛酷な差別の中で生きており、兄弟を呼び求めている事にある。つまり、関西青い芝の会連合会を求めているのである。私達は、この兄弟達のさし出している手をしっかりと握り返すべく、関西青い芝へとすすむものです。
兄弟をもとめ、自立し、自らの新しい発言を主張するために、新しい障害者となろうとする動きは、激流となってほとばしっている。これは、歴史の流れでもある。すでに、関西各府県青い芝の会会員は、○○○名となり、(23頁)自らの権利を創り出すため戦う、CP者集団として、関西に不動の地位を築きつつある。しかしながら、ここで手をゆるめてはならない。私達の禅とは、私達が強くなる程きびしくなる。関西青い芝の組織建設を大切な武器として、私達の自由のために、すすまねばならない。
(運動の方向)
関西青い芝の重要な任務は、全国常任委員会を中軸とする、全国の兄弟達との意見を交流し、団結し、CP者の権利と自由を形成する事にある。全国の事柄は、各県へ、各県の事柄を全国へ、このパイプの指導軸として、関西青い芝は、位置する。各県の戦いは各県へとかみくだいていかなければならない。そして、そうする事によって、青い芝の会は、新しいCP者集団として、差別を許さない、強い力を持つ事になるだろう。まだまだ、健全者思考型の兄弟は多く、社会には優生思想がみちあふれています。こちらに対する戦いは私達が、新しい、自立する障害者として生きていくために絶対に必要な事です。健全者幻想は、はっきりとうちくだこう。また、差別によって奪われてきた私達自信の言葉や文字、そしてスペース、発想を戦いの中で奪いかえすために、学習を深め、私達のやってきた事を理論化し、強力な武器として武装していかなければならない。ありのままのCP者ではなく、自分を解放するCP者として、世の中に、切り込んでいかなければなりません。社会は、ますます私達を圧殺する方向に動いている。この現実をつきやぶるのは、他ならぬ私達自身の力だけです。だれの力もかりる事はできません。それがすべてです。歴史は、その事を私達に教えています。その上に立って。多くの差別と戦う人々と、共同をはたしていこう。思い込みやあきらめこそ、内なる敵である。たとい不十分であっても。自らの手で、自己主張する者に、天は味方するのである。関西青い芝は、文字通り、その天となる事を欲するのである。
当面、私達は次の事柄を追求する。
イ.優生思想との対決
ロ.CP者の生活を獲得するために、各県行政との窓口を開く事
ハ.被差別統一戦線をふくむ、他の組織との共闘
ニ.障害者解放センターを各府県で建設する事
ホ.全障研などのように、私達を否定するやつらに対する戦い(24頁)
(役員人事)
規約通りに。
(組織方向)
すでに、関西青い芝準備会の努力によって、和歌山、兵庫に、青い芝の会が結成されましたが、引き続き、これらの組織を強化しつつ、準備がすすんでいる。奈良、京都での組織建設をかちとる。この他にも、山口、滋賀、鳥取での組織化が、映画「カニは横に歩く」の上映運動の中で始まっている。現在、関西青い芝準備会からは、奈良に、○○君、京都に○○君を専従オルグ員として派遣している。各県の個別の戦いを掘り起こし、連合化する努力もつづけている。連合会は、各県の組織を拡大、今日かし、指導すると同時に、弱小県への支援を各県青い芝の会に要請する。
各県青い芝の会の例会等については連合会として、かならず参加し、関係を強めて行く、そして、現在の組織数、○○○名を、1年で○○○○名にたかめ、内実を強化し、障害者の自立戸開放の運動を関西敵に不動のものとする。
以上
(25頁)
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会 規約
(1)本会は、日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会(略称、関西青い芝)と称し、以下、連合会と呼ぶ。
(2)連合会の事務所を、大阪市淀川区南方町306 大広荘(06-323-4456)におく。
(3)連合会の目的は、関西各府県の青い芝の会を結成し、各府県の青い芝の会の障害者差別と戦う内容を交流し、深化し、全体化する事にある。各府県の独自性をふまえ、全国青い芝の会とのパイプとして、連合会は、機能する。障害者、とりわけ、CP者の団結をすすめ、個別を全体に、全体を個別に問題を向上させることによって、障害者の自立と解放の道を切りひらく事に、連合会は、全力を上げる。連合会は、関西各府県青い芝の会の上部機関である。
(4) 連合会は、その組織目的を達成するために、次の活動を行う。
イ.関西各府県青い芝の会の情報交換と、意見の調整。
ロ.全国青い芝の会と、関西各府県青い芝の会との意志一致の促進。
ハ.関西規模での方針の確定と、戦いの開発。
ニ.機関誌、紙の発行。
ホ.その他、目的達成のための活動。
(5) 連合会の構成は、関西各府県の青い芝の会でもって構成し、各府県青い芝の会は、会 員数、方針、活動様式等によって、不利益をうける事はない。また、関西各府県青い 芝の会は、連合会に対する権利、義務をまもらなければならない。
(6) 連合会に、次の機関をおく。大会 常任委員会
大会〜大会は、連合会の最高決議機関であり、年一回、定期敵にひらく、なお、各府県青い芝の会からの要請があれば、臨時に開く事ができる。大会は、代議制を採用し、各府県青いしばの会会員、5名につき、1名の代議員で構成し、代議員権の差し替えは、無期限とする。(26頁)
常任委員会〜常任委員会は、連合会の執行機関であり、各府県青い芝の会会長、事務局長の2名を1名の人格として構成する。連合会の役員は、会長1名、副会長1名、事務局1名(財務ふくむ)を常任委員会内で互選し、大会で承認を受ける。なお、任期は1年とし、常任委員会が必要と認めた場合、担当役員をおく事ができる。
(7) 財務は、各府県青い芝の会の上納金(月額5000円)、カンパ、事業収入でまかなう。
(8) その他、監査、査問、統制、賞罰、専門部、役員の権限、選挙法等については全国青い芝の会規約に準ずる。
この規約は、昭和49年12月1日より発効する。
(27頁)
1975年、関西青い芝連合会の活動の基調
1975年、年頭にあたって
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会、
常任委員会代表 かまたに まさよ
(ことば)
自由は、人間のためにある。そのためにこそ、CP者は差別を許さず、闘い、団結する。
(大きな闘い)
私達は、総力を上げてとりくむ。
(行政)
行政交渉の窓口をひろげ、差別的な行政姿勢の転換をかちとる。
(生活)
CP者一人一人の自立した生活を拡充するために、キメの細かい生活圏確立の指導を行う。
(教育)
養護学校、学級、施設の増設を許さず、そのあり方を追求し、全ての子供に普通教育を保障するためにあらゆる方法をさがす。
(労働)
不況のとき、真っ先にその影響をうけるのが働く障害者である。労働運動の戦線に対しても変革の姿勢で接しつつ、共闘を呼びかけ、障害者の労働権をまもり、拡大する。
(社会意識)
隔離と優生思想を内容とする障害者に対する差別とは断固として闘い、そのあらわれを糾弾する。
(融和運動)
全障研をはじめとする、あらゆる障害者の人格を無視する運動とは徹底的に対決し、解体する。
(全国組織)
(28頁) ますます全国青い芝との連帯を強化し、地域エゴを克服し、全国レベルの戦いに取り組む。
(各県のこと)
各県青い芝への指導の重点を次のように設定する。
京都〜青い芝の会の結成をめざす。
奈良〜組織体制の確立と行政窓口の開設。
兵庫〜県に対する交渉を再開し、障害者自身が支配する個人単位の施設作り運動に取り組み、また、神戸に拠点をつくる。
和歌山〜県行政の福祉政策の中心である「黒潮の子運動」との対決を運動化し、CP者の結集を図る、また健全者対策を強化する。
大阪〜組織の飛躍的拡充をはかり、会員個々の自立した生活を追求する。
第八養護学校阻止運動を通じて教育の問題にきりこむ。
(会員の資質)
あるがままの障害者である事をやめ、解放をめざし、すべての差別を許さない、あるべき障害者をめざす。
(組織)
イ.すべての地域に青い芝の会を建設し、共同組織をつくり出す。
ロ.あらゆる、差別と闘う団体と連絡を取り合い、共同行動を追求する。
ハ.全ての闘いの先頭に、常任委員がたち、すべての障害者から信頼される指導権を確立する。
以上が、年頭に当っての常任委員会の施策である。
(29頁)
U.第8養護学校設置をゆるさない 12・15集会
第8養護学校設置阻止集会への招請状
とき・12月15日 PM1時 ところ・枚方市民会館
集会実行委員会(電話 06-323-5523)
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
関西「障害者」解放委員会、枚方障害者問題行動委員会
保障しよう市民の会、親有志、大阪「障害者」教育研究会
私達は、第8養護学校設置を阻止していくために、上記の通り、集会を持ちます。
現在、養護学校の数は、ものすごい勢いで増えつつあります。例えば、昭和34年度には、養護学校の義務教育課程の在籍者数は、3600名であったのに、であったのに、昭和47年度には、23000名をこえています。たった13年間に6倍以上に増えた訳ですし、その伸び立は、昭和53年度の、「養護学校義務設置」めざして、ますます、急上昇しています。そして、養護学校の数の多い所ほど、障害者福祉が進んでいるような考え方が、一般的になされています。そういう中で、大阪では、寝屋川に、第8養護学校を設置する準備が、ちゃくちゃくとすすめられています。
しかし、養護学校が、増えていく事は、そんなにいい事でしょうか。そもそも、なぜ、養護学校と普通学校とがあるのでしょうか。今の社会(資本主義社会)にあっては、「生産できる」者が大切とされます。そして、障害者は、「生産できない」、または、「生産性が低い」という観点から、切りすてられていきます。養護学校をつくるという事は、「生産性が低い」障害者を、少しでも生産にやくだてようとするねらいからです。そこで、養護学校での教育では、障害者の人間性を全く無視してしまったのです。更に、養護学校があるために、
(30頁)
普通学校においても、できる子、できない子との選別がなされ、特に、できない子は、特殊学級へ、今まで特殊学級にいた生徒は、養護学校に送り込まれていきます。こう考えてくると、養護学校の問題は、単に、障害者やその親達だけの問題ではなく、国民全体にかかわってくる事です。世界の歴史をみてみても、特定の集団を隔離していく、その次には、その集団の抹殺が計られ、その後で、多くの人々が殺されていくというのが常であります。
もうこれ以上、障害児を隔離していく場としての養護学校を作ってはなりません。私達は、障害者、親、教師の立場から、「第8養護学校設置」に、反対していくために、この集会を持ち、集会がおわった後もそれぞれの立場をまもり、広範な「第8養護学校設置措置阻止運動」を盛り上げ、障害児を普通学校に受け入れさせていく運動を通して、「第8養護学校設置」を阻止していきます。
障害者、障害者を持つ親、教師、一般労働者、学生、その他、たくさんの人びとが、この集会に参加し、「第8養護学校設置阻止運動」に、加わられるよう、強く呼びかけます。
以上
(31頁)
第8養護学校設置阻止、すべての子供に普通教育を、人間の未来をかけて、関西青い芝連合は戦うことを宣言する!
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
常任委員会、電06-323-4456、大阪市東淀川区南方町306 大広荘
(はじめに)
私達、関西青い芝連合会は、今まで「障害差者差別を許さない」という立場から、脳性マヒ者の団結と戦いを創り上げる努力を続けてきました。すでにご存知のように、全国の兄弟達とは、「障害者はあってはならない存在」と規定し、社会的意識としてある「障害者はダメな人間、かわいそう名人間」とする考え方に法的根拠をあたえ、権力の秩序支配を優生思想によって貫こうとする、優生保護法改悪を阻止する戦いを行い、廃案修正を実現しました。また、この関西の地でも、全国の兄弟の戦いに呼応して、兵庫県「不幸な子供の生れない運動」に対して百年戦争を宣言し、基本的な問題は残るけれども名称の変更をかちとり、和歌山県「黒潮の子を生む運動」へと戦いをひきついでいます。
これら、近年になって急激に展開しはじめた私達CP者の戦いは、決して偶然に起こったのではありません。日本の社会が生産の秩序を強化し、全ての構造を体系化する事によって、私達障害者をますますしめだし、差別を強化するため私達自身が、もうこれ以上がまんできなくなったからに他なりませんし、現在の体制に反対する人々ですら私達の事を黙殺しつづける事に私達は、だれかをあてにせずに自分の力で戦おう、と決意したのです。
私達は、日常的に障害者の諸権利や行動の自由を保障する活動を続けるかたわら、いろいろな生活場面にたちあらわれる差別に対して反撃を加えています。私達の障害者の権利と自由を創出する戦いは決してはなやかなものではありませんが、私達は、しっかりと私達の行動を通じて社会の動き、私達の位相をつかみとりつつあります。日々、新しい障害者としてCP者の成熟を促しつつあります。
障害者に対する差別は苛酷であります。どうしようもなく苛酷であります。(32頁)ですから、私達はその現実に対して具体的に回答しなければなりません。私達の兄弟は、すでに差別に対する回答として、大阪、和歌山、兵庫に青い芝の会をつくり上げ、奈良、京都でも準備委員会を発足させ、CP者の団結形態をふかめています。私達は、私達を圧殺せんとする者どもと戦争するために、あるがままの障害者である事を中止したのです。私達の兄弟のおおくは養護学校を卒業しています。そして、例外なく、あるがままの障害者なのです。差別と戦うのではなく、差別をみとめ、その前にひれふし、おなさけをこい細々と健全者社会の裏側、闇の世界に生きる事を主張する障害者として卒業してくるのです。
教育の問題は、私達にとって重要な問題です。そこにこそ障害者差別が体系的にあらわれるからです。関西青い芝連合会は、優生思想と戦う、戦いの一つとして、この問題に総力をかたむけたいと考えています。
(第8養護学校にまつわる事)
私達は、第8養護学校の事がもち上がった時から、すでにその危険性をみぬき、単に障害者だけの問題ではない事を共同団体と共に折にふれ訴え続けてきました。中教審路線の目玉商品として養護学校の増設や、養護大学の設置があるのは万人承知の事柄です。そしてまた、昭和53年度全員就学も予定の事としてあります。これは、はっきりと現在の普通学校が70年代中に体制秩序を受け入れ、障害者差別学校として生き残る事を宣言した事に他なりません。教育は、「死んでしまう」のです。一方では就学猶予、免除制度が残される事はあまり語られません。
私達は、青い芝独自の集会やポスター、ビラでそのことを言い続けてきました。すでに、私達のまいたビラは50万をこえています。
私達は、ある設問をして見ました。一定の期間、人々とちがう所で生活し、その語その人々のもとにかえされて「さあ、うまくやれ」といわれてうまくいくだろうかとか、そのような角度から検討しても否定的です。健全者と、健全者とでも相当むつかしいのに、受け入れる側の人々が差別意識をもっている以上、絶対にダメだと断言できます。(かえって行くほうが屈服すれば別ですが、それは差別を強化します。)
これが養護学校の本質なのです。障害があるという事で、自分の住む所に学校があるのに、(33頁)別の学校に行かされるのは不条理です。私達は特別な事を望んでいるのではありません。みんながいく要に、みんなのいく学校に行きたいだけなのです。その学校が、十分なものではなかったとしても、それは、私達も一緒になって変えていけばよいです。
養護学校では、私達は例外なくつぎのように教えられてきました。「お前らは、満足な身体では内のだから人一倍努力して、他の人に迷惑になるような事はするなよ。人の半分でも、十分の一でも一生懸命働いてほめてもらえよ。」
教育内容は全く不十分で、あまり役に立たない訓練と職業訓練の合間を埋めるような形で授業を受けさせられる。つまり、親や教師の怠慢(卒業後の生活を保障するものとして、行政保障をかちとる戦いを放棄し、福祉政策を補う形で)によって、私達障害者に努力が強要されるのです。12年間、スクールバスでよい、おさな友達と遊ぶ時間もとり上げられ、なんぼ差別されてもじいっと我慢し、あたたかい人の情けをたよるような教育しかしない、情けない養護学校なんかいらんわ。
こんな教育が普通の学校で行われるでしょうか、障害者だけになぜこんな教育が許されるのか、これ以上隔離と選別を本質とする養護学校をつくってはならない。障害者には特別な教育必要とする常識にぬりかためられた教育を変えなければなりません。安価な労働力として虫けらのようにあつかわれえ、養護学校からはきだされてくる私達の兄弟は、自らの主張と存在を自分の手で放棄し、死に急いでいます。(先日、私達の仲間であるCP者が、過労のため心臓発作を起こし死んでいます。)私達は、私達の手で第8養護学校の設置を阻止し、屈辱にみちた私達自身の歴史に終止符をうち、教育の差別性を暴露し、新しい教育を創り出すくさびを教育実践にうちこみます。
障害児教育というものはもともとありません。あらゆる教育は本来、普通教育の事としてあります。その教育も今では差別支配の手によってメタメタの情況であるわけですが、可能性が全くないわけではありません。それは、分離されていたものを統合するという方法によって切り開かれるでしょう。この方法は、今まで最もつらい所としてさけて通って来た道でもあります。(34頁)私達は、絶対にそこを通れと主張します。あらゆる子供達は、あらゆる子供達とつき合う事によって初めて、子供たりうるし、新しい創造的な人間(差別しない人間)になる条件を獲得することができるのです。障害児も健常児も円的、球的に発達するのですから、相互にかみ合った対等の教育条件を同一化すべきなのです。障害児と、健全児が同じ土俵で学ぶ事、そのことのみが一切の教育的現実を突破する出発点であります。
また、私達は、私達を差別する人々と対決しなければなりませんが、一方では、障害者を取り巻く差別現実をおおいかくし、もの事の本質をごまかし、権力者となれ合い、「障害児の願いは、みんなの願い」のスローガンをかかげて融和主義をふりまく人々ともハッキリとけんかしなければなりません。この人々は全障研といわれる集団ですが、なまじ味方づらするから余計にあつかいにくい。
第8養護学校の設置に際して、全障研の人々は、積極的推進をとなえ運動化しています。彼らの主張は、その根拠を親と教師のあやまれる団結論にあります。彼らがいかように理屈をこねようが、とどのつまりは「お前らは、障害者だから普通の学校にいくな、普通の学校が迷惑する。我々がお前らむきの学校を作って、民主的に面倒みてやる。」と言っているにすぎないのです。彼らの実践の実績はたいへんに評価されていますが、その実践の影でどれだけ私達の兄弟が泣かされてきた事か、私達の経験がそれを教えています。彼らは、偉大な反面教師です。私達は、彼らを批判するに多くの言葉を必要としません。過日、豊中教祖青年部教研に全障研大阪支部長が来るというので私達は、話し合い、話し合おうと行ったのですが、見事に私達は罵られたのです。「トロッキスト、こんなやつらの話は聞く必要はない。」と障害者と話し合う事もなく、彼らはどのようにして私達の発達を保障しようというのでしょう。彼らの方法論は、実践現場から獲得するのではなく、東京は、代々木の方から聞こえてくるのでしょう。これが全障研の正体です。中教審路線の先兵、全障研がいうように養護学校に私は言いたい。全障研がいうように養護学校がそれほどいいものならば、全障研の人々の子弟を優先的に入学させれば良い、と
(私達の提案)
(35頁) 以上で私達の言いたい事は、ほぼおわりですが、まだまだいいたりません。養護学校は本当にひどい所なのです。どのようにいえばわかってもらえるのか、……私達は言葉を知りません。
私達はその困難性を克服するために次の事柄を提案し、今後の戦いを保障し、私達の心からにアピールとします。
イ.おそらく、全国的にも養護学校阻止運動は初めての事でありましょう。この動きを全国の仲間に知らせる事
ロ.第8養護学校設置に関して対府交渉を開始する事
ハ.地域的な障害者、親、教師の協議会をつくり、普通学校への障害児受け入れを点検する事
ニ.障害者の教師をつくる運動を始める事
他にもありますがとりあえず以上の事を集会参加者全員で追求される事を要請します。
私達は、みなさんと共に戦います。私達の自由と糾弾権をかけて。明日の強固な連帯を強く望む。
以上
(36頁)
もうこれ以上養護学校をつくるな!「障害」児に普通教育を!
大阪「障害者」教育研究会
本日、集会に参加された皆さん、とりわけ教育関係職に従事しておられる皆さんに強く訴えます。
今、寝通川に府立第8養護学校がまさに設置されんとしています。"「障害者」差別をなくすためにすべての「障害」児に教育を一"という時、なぜそこに親や教師の巨大なエネルギーが注ぎ込まれるのでしょうか。「障害」者差別は、彼らの「障害」故にではなく、彼らを取り巻く絶対多数の健全者の価値観、生産第一、能力主義の社会や教育のあり方そのものに起因しているのであり、従って、この事を問わない「障害児教育」を想定すること自体誤りであると考えます。
「障害」児に教育(全面発達の保障)を一の名のもとに作られる養護学校とは一体何でしょうか。養護学校を卒業した多くの「障害」者が、"やっぱり皆と一緒に普通学校に行きたかった"といいます。また、彼らがいわゆる機能訓練の結果手に入れたもの、それは非常な低賃金を代償とした安い労働力でしかなかったのです。「障害」児を「健全」児から切り離し、一カ所に集める事は、「障害」児にとって子供社会(健全者社会)からの隔離・排除であり、そのような中ではたして「障害」児の人間性が開花するといえるのでしょうか。「健全」児にとっても、「障害」児を差別しない関係をつくることができるでしょうか。「健全」者社会が「障害」者を切り捨てた上に成り立ってきたことにすら気づかない「健全」者がほとんどであるのも、その結果であることに気づかねばなりません。
ところがなお、"隔離はいけないが、養護学校は必要だ"という声を多く聞きます。その根底にあるのは、今の普通学校では「障害」児は切り捨てられる、発達は保障されない、だから特別に養護学校がひつようであるという全障研の人々の考えです。そこでまず、彼ら全障研の人々のいう発達保障について考えてみるならば、それは、「障害」児を一個のじんかくとして全体的に捉えるのではなく、頭、口、手、足、……それぞれの機能をどう発達?させていくかというふうに、(37頁)人間をぶつ切りにしていく物をしてみていくものでしかありません。そしてそれは、「健全」者の自らを、発達したもの(優れたもの)とする傲慢さに根ざし、「障害」者を劣った存在、本来あってはならない存在と規定し、「健全」者に近づくことを強要するものであり、「障害」者が「障害」者として生きること、「障害」者としての自らの存在そのものを否定するものです。従って、この"発達保障"という美名のもとに、これを売りものとした養護学校建設運動は基本的にあやまっているといわざるを得ません。さらにこの"発達保障"の考えの中のあやまりは、一点目は、「障害」児には発達段階に応じた等質集団や多様な集団が必要であるとすること、二点目は、教育や医療などの分野の専門家が必要であるとする事、三点目は、これら二つのことが、養護学校建設運動の中でこそ実現できるとすることです。
まず、一点目について考えると、「障害」児ばかりの集団、一般社会から隔離阻害された、あの限られた養護学校空間で真の発達が可能と考えられるでしょうか。"発達"を単に能力の向上と考えるなら、「障害」の種類やようすが等質な集団は効率的であり、教師にとっても便利でしょうが、私達は発達をそのようには考えません。また、いくつかの「障害」児集団を"多様な集団"と称していますが、「健全」児を除いたところでの"多様"などはあり得ないし、「障害」児を集めること自体無意味であるばかりか、かえって「障害」児間に"あいつよりましや"という差別意識をうえつけるばかりです。
二点目の"専門性"について考えると、「障害児教育」の専門家などというものを教師の名かに作ってはならないのではないかと思います。"専門性"を強調することによって「障害」児を「健全」児や教師集団から分断・隔離していく方向につながることが明かです。"医療の保障"についても、それは単に養護学校だけでなく、すべての地域、すべての学校、すべての子供に保障されるように勝ち取っていかなければならないものです。そして、これまで、医師の決めつけを専門家の診断であると絶対化し、そのことによって「障害」者がはらわされた犠牲ははかりしれません。"街には車がいっぱいだから"と街に出ることを禁じられた「障害」者が、それを犯してはじめて自立と解放を自らのものとしつつある姿、そしてまた、"生まれてこの方、差別され、隔離され、疎外されることによってしかいきることを許されない「障害」者が正常な精神をもっている筈がないではないかという「障害」者の言葉を、(38頁)私達に対する告発として受け止めなければなりません。
また、養護学校への批判に対して、全障研及び建設をすすめる人々は、"開かれた養護学校を"といい、"隔離ではなく「健全」児との共同教育が必要といいながらも、共同教育を可能にするために前もってコミュニケートできる力量をつけることが必要であるといいますが、「健全」児とコミュニケートできる力量がつけられるはずはありません。
第8養護学校についてもいえば、"重度児から受け入れる"ことを目玉商品としながら、その内実は、在宅「障害」児を切り捨て、現在いささかなりとも「健全」児と交流をもち得ている普通学校の「障害」児を養護学校へと引っ張ることがおこなわれています。
次に養護学校の存在とりわけ設置義務かの中で、その意味するところは何かを述べたいとおもいます。"「障害」児に教育を"という時、それは普通教育とは無縁の特別なものとして存在するかのように語られてきましたが、養護学校の存在は実は、能力による差別選別の中教審路線を根底から支えるものであり、とりわけ、その義務化は、それを確立させるものであり、まさに普通教育の問題であると考えます。養護学校・学級の設置は、普通学級で落ちこぼれた子を養護学級へ、重度の者は養護学校へ、さらに訪問教師制度、施設、コロニーの確立により、就労免除・猶予の固定化してしまいます。このことは、私達が、養護学校から校区の普通学校へ、さらに普通学級へ返そうとした時、予想以上に大きな抵抗にぶつかるという経験からも明らかなことです。以上ことから、養護学校の設置、とりわけ義務化の動きの中で、それは阻止されなければなりません。
しかし、それでもなお、「現実の教育体制では……」と別の所での解決を図る教師の声を多くききます。しかし、これほど責任のがれのいい様はありません。「障害」者差別はすでに述べたように、彼らの心身に「障害」があるからではなく、かえって「働くことはいいことだ」「できることはいいことだ」とする生産第一・能力主義の「健全」者の一般社会意識そのもの、(39頁)とりわけ、それを体系的に支えてきた学校教育の在り方そのものによるのです。その当初から「障害」者を排除した所に出発した学校教育は、その当然の結果として、能力主義に貫かれ、健全者のエゴによる「障害」者への差別をますます熾烈に駆り立てていったのです。しかも忘れてはならないのは、そのような差別・選別の教育体制を望む、望まぬにかかわらず、現実に支持していったのは、他ならぬ教師自身なのです。「障害」者差別を生み出し支えてきた自らの責任を不問にし、果たして"別の所で……"などといえるのでしょうか。現実の教育があやまりであると認めるならば、「障害」者差別を生み出した自らの責任を認めるならば、たといそれがいかに困難であろうとも、それを変える闘いをしなければならないとかんがえます。
私達は、「障害」児は「健全」児と交わり合うことによって初めて自らの社会的位置を知り、差別と闘いながら人間としての自己を完成させることができるし、「健全」児にとっても、「障害」児と過ごす事に依って、自分と「障害」児との関係を形づくることができ、その相互の自立家庭こそが、真の教育であると考えます。そのような新たな教育を実現するために、私達は養護学校設置とりわけまさに設置されんとしている第8養護学校に強く反対し、同時に、「障害」児を校区の学校へ、さらに普通学級へという運動の補 によって阻止するつもりです。
「障害」児者の奪われた権利は、奪われた所で取り返す−そのことが、差別・選別の中教審路線に犯されてしまった教育を変革する闘いであると考えます。
「障害」者と「健全」者の共同の場を、我々の未来をつくり上げようではありませんか!
大阪市東淀川区南方306 大広荘・文化住宅内
障害者解放センター設立委員会 気付
大阪「障害者」教育研究会(TEL 06-323-5523)
(40頁)
第八養護学校設置阻止!全ての子供に地域での生活と教育を保障せよ!障害者隔離政策と真っ向から対決しよう!施設を施設解体の拠点に!私達は、障害者の自立と解放をめざし、第八養護学校設置阻止に向け、闘いを宣言する!!
枚方障害者問題行動委員会
枚方市渚本町5-50-24(電話 0720-48-5161)
養護学校は、障害者の未来を奪い、自立の芽をつみとり、障害者をさらねる差別と抑圧に落とし込むもの以外の何ものでもない。労働、生産力のみを価値基準とする社会にあって、障害者は、あらゆる社会関係から排除され、生命までも奪われて当然とされていく。養護学校は、その差別構造・意識を利用し、価値基準に見合う障害者つくり出し、合わない者を抹殺していくためのものである。障害者のためといいつつ、施設、コロニー、養護学校等がつくられ、高度成長だと喜び、就学猶予・免除がなくなったとうそぶく。そして障害者は殺され続ける。私達は、障害者の自立と解放をめざし、あらゆる差別と闘う。第八養護学校設置阻止の闘いは、私達が許すことのできない、妥協のない闘いである。
1. 枚方市教委の場合
ことし四月、私達は、就学猶予・免除をなくす運動として、枚方市教委に公開質問状を出した。それに対し、市教委は「養護学校・学級も普通教育である」「第八養護学校は推進する」と回答してきた。それ以後、私達の再三にわたる交渉要求に答えることなく、障害者の声を圧殺せんとしている。現在の教育はその始まりから障害者を除いたものである。そして今、障害者の自立と解放をめざした闘いの中から、教育への闘いがうまれてきている。そのような障害者の声を無視したところで何の「障害児教育」なのか。全ての行政がそうであるように、枚方市教委もまた、自らの差別を問い返すことなく、「障害者の教育を奪っていない」「養護学級の増設で問題はない」、平然といいはなつ。養護学校も養護学級も普通教育だということが、そもそも健全者のエゴ、差別ではないか。(41頁)私達はこの集会以後、あくことのない闘いを続ける。市教委のあらゆる隠れ蓑をはぎとり、全ての子供がごくあたりまえの生活と教育が保障されるまで。
2.私達の闘い
私達は第八養護学校設置阻止にむけ、次の闘いを提起するとともに宣言する。
1.障害児を養護学校に行かせない
2.全ての子供を普通学校・学級に入学させる
3.障害児を受け入れる教師をつくる
4.障害者自身の自立と解放をめざす闘いをつくる
5.障害者と健全者の共同をつくる
以上運動を中心としつつ、障害者の自立と解放をめざし、あらゆる人々を巻き込み、全ての差別と闘う。
3.私達の考え、言いたいこと
先に述べたように、現在の教育は、もともと障害者を排除した上でなりたっている。したがって私達は、養護学校を拒否する一方で、教育そのものに対する闘いを続けなければならない。養護学校を「よし」とする人々は、設備のととのった養護学校こそが障害者の未来を保障するものだという。しかし、私達は、障害者と健全者を切り離す中で奪われるものこそ、眼を向けなければならない。切り離された間に、障害者は、価値基準に見合うよう健全者に近づけと教えこまれ、健全者は障害者の存在すら問題にせず(その裏で障害者は「あってはならない存在」という意識がつちかわれている)よりよい労働力としての自分をつくっていく。またある人々は、今の学校にすぐさま障害児を入れるのは無理だという。しかし、障害者抜きのままで教育のかわろうはずがない。まだだ、まだだ、といっているうちにも全ての子供の「大事なもの」が奪われ、障害者は殺されていく。障害者と健全者を切り離した養護学校・学級の中でこそ、差別を温存し、新たな差別がつくり出されているのだ。養護学校の建築様式、設備をすべての学校にもちいればいい。金がかかるという理由で、人の未来を奪う権利は誰にもない。教育は、端的にいえば、人の未来を保障するためのものであるだろう。それが、障害者だけの世界、健全者だけの世界と分けられていて、人の未来を保障する教育の成り立つはずがない。(42頁)養護学級というごく限られた交流の場しかないところでも、お互いにかかわりえた子供達が、自分達で差別をくずしていこうとしている事実を私達は知っている。それはやはり、障害者と健全者の交流があってはじめてなされたことである。誰もが当たり前の教育、生活を保障される場をこそ、私達はもとめる。「よりましだ」という形の中で、それが固定化され、差別を助長するようなものはいらないのだ。
また私達は、甘い言葉、障害者のためという言葉にだまされてはならない。「障害者のため」という言葉の裏に「健全者に都合のよい」「富あるもののため」という本音のあることを私達は知っている。「障害者のため」にとつくられた施設、コロニー、養護学校等々が、障害者の首をしめているのは歴然とした事実なのだ。
私達は、今この場で私達の考え、言いたいことが言いきれないはがゆさを感じています。しかし障害者運動は、障害者と健全者の共同のなかでこそ闘われるものです。今この場で語る何万言よりも、毎日の共同こそが障害者の自立と解放への闘いだと考えます。だから、ええかげんやごまかしをうちやぶった共同でこそ第八養護学校設置阻止は闘わなければならない。私達は皆さんが私達とともに共同をつくっていかれることを要望します。
障害者は今、守るべきなにものもありません。保障されるべきなにものもありません。すべて障害者自身の手で勝ちとっていくものがあるだけです。私達は、障害者抜きの運動体がいくら「守ろう」とか「保障しよう」とりきんでも決して信用しない。障害者抜きはもうたくさんだ。健全者のお情けやおあまりをいただく運動ではなく、障害者自身で勝ちとる、つくる運動こそ、と私達は考えています。
第八養護学校設置阻止!を障害者と健全者の共同で、ともに闘いましょう。
1974年12月15日
(43頁)
"「障害児」の生活と教育を地域で保障しよう" 12・15集会に参加を
「障害児」の生活と教育を保障しよう市民の会
私達は、地域の差別の強さ、行政の壁の厚さをかんじつう、なおかつ教育を変えていく運動の一歩をふみ出し、子供達とかかわる教師、親、そしてその地域の人々とのつながり、「障害児」の生活と教育を保障する闘いをすすめてまいりました。
当然のことながら、そのつながりの基盤には「障害児」自身の真の願い、訴えを受け止めていくという姿勢が要求されてまいりました。
つまり、一人の「障害児」が、どのように教育を受け、どのように生活が保障されていくのか。その問題について、私達が主体的に考え、話し合い、「障害児」とかかわって行く関係を日常的に築き上げなければなりません。
現状の体制の中で、とりわけ教育問題に於いては、「障害児教育」は「個々の子供の発達に応じた教育を与える」「同等の発達課題をもつ集団の確立」等という形で行い、地域から「障害児」を閉めだし、
すべての子供達の生活は「地域=校区」の中でしかありえないというところを出発点に真剣にとりくんできた私達に対して、
巧みに様々な形態で−[取り組みの隙間を巧みに利用する中で][「障害児」を世の中の例外的存在として特殊化させていく、そこには「障害児」だから、仕方ない、その方があの子自身にとっても幸福なんだという社会意識を利用する中で]−管理体制=養護学校体制を強化していく=攻撃をかけてきています。
まして、現在においては、養護学校体制が「障害児」をもつ親が積極的に望んでいるものではないのです。
すべての子供にとって、すべての子供に開かれてこそ、はじめて本当の意味での子供達の世界がつくるチャンスが生まれ、よく言われる「訓練」とか「発達」とか、まさにこんな世界でこそ、本当に保障できるものあることは、各地域でとりくまれる中であたりまえのこととされています。
そこで、私達は、養護学校体制が地域から「将棋児」を追い出していくことを見抜いていく中で、地域での取り組みをより強固なものにしていかねばなりません。
この事から、子供を分断しない、追い出さない取り組みを、それぞれが地域で取り組んでいきましょう。
(44頁) 一.「障害者」を取り巻く情勢
現在、日本の支配者階級は戦後最大の危機に直面している。高度経済成長政策と日本列島改造論は高物価とインフレ、公害のまき散らしとなって完全な破綻をきたし、人民大衆の不満は高まる一方である。更に金儲けに飽くことを知らぬ帝国主義・独占資本家どもは東南アジアへの「援助」に名を借りた経済侵略を行い、南ベトナムのチュー政権や勧告の朴政権へのテコ入れによってアメリカ帝国主義とともに反革命支配体制を確立しようとしているが、これまた死をかけたアジア人民の民族解放闘争によって挫折させられかけている。
このような日帝の危機をあおりを真っ先に被るのはいうまでもなく「障害者」である。これまで支配者階級は、大衆の不満をそらす為に「福祉」を唱文句にしていたが、いまやこれさえ担いきれなくなっている。もともと彼らのいう福祉とは、とりわけ「障害者」にとって「軽度」のものを低賃金労働者として利用してし、「重度」の者を隔離、抹殺するものでしかなかった。その証拠に彼らは「障害者」へのわずかばかりの施策に「障害者」の意志を無視した恩恵を強要し、一方では優生保護法の改悪や「不幸な子供の生まれない運動」、羊水チェック等によって「『障害者』は生まれてこない方が良い者」、「生きているのは不幸な事」という「障害者」殺しの思想を大衆の中にまき散らしているのである。コロニーや収容施設では「障害者」は人間としてのあつかいさえ受けずに自由を拘束され、「障害児」学校では「差別されても辛抱する『障害者』になる」ための教育がおこなわれ、そして非「障害者」の大衆は能力主義、生産第一主義の社会のなかで日常的にも「障害者」差別に加担させられ、しかもときには積極的に「障害者」差別に手を貸しているのが現状である。
しかし、こうした厳しい情勢の中からようやく「障害者」自身が自らの自立と解放を叫んで立ち上がっている「障害(児)者」の親や教師もまだまだわずかであるが、これらの「障害者」差別糾弾に応えて、「障害者」を隔離しない生活と教育に向けて行政闘争の取り組みを開始しつつある。労働者の中にもごく少数であるが「障害者」解放闘争に学ぼうとする部分が現われてきた。もちろん「障害者」にとって、決して楽観は許されないが、もはやだまって帝国主義者に殺され、権利を奪われている事態に「障害者」自らが終りを告げさせようとしている。
(45頁)
二.全障研運動に対する批判
イ.差別との闘いを放棄する全障研は、いつでも差別と闘うことを回避している。彼らは「障害者の要求は大衆に支持されるものでなければならないと言うが、「障害者」への差別、偏見に充ちている大衆が簡単に「障害者」の要求を支持するとでも考えているのだろうか。現実には、大衆の多くが支配者の思想に屈服して「『障害者』は施設に行った方がよい」とか「生まれてこない方が良い」といいった考えをもち。日常的に「障害者」をのけもの扱いしているのだ。共産党に指導されている全障研が「施設、養護学校の増設運動」を進めているのは「この子さえいなければ」という親の意識やこうした大衆の意識に迎合して、選挙の時の票集めに利用する為に他ならない。なぜ「障害者」だけが自分の家族や近所の子供達から切り離されて、わざわざ遠くの施設や「障害児」学校にやられるのか。なぜ多くの学校や地域の医療機関で「障害児」の教育や医療、生活を保障しようとしないのか。すると全障研は直ぐにお得意の「発達保障の論理」とやらを持ち出す。「地域や一般学校に『障害児』がいると一般の子の権利がおびやかされると、『障害児』の発達も保障できない」という。この主張は、中教審ののびる子をどんどんのばすには、能力別に分けた方がよい」という考え方と基本的に同じである。彼らは、こうした批判からのがれる為に、「横への発達」とか「集団の民主的発達」などと言うが、これは実はあいまいかつ抽象的なものしかなく実際には「この子を少しでもましな子に」という親や社会の要請に合わせているにすぎない。そして結果的には、発達が目に見えた形ではなかったり、出にくい「重度、重症」の「障害者」を切り捨てている。彼らも一般学校へ帰すというが、それは「ある程度のびて一般の子についていけるようになった『障害児』から」でしかない。我々は彼らのように現在の能力主義、合理主義を前提として、問題をたてるのではなく、こうした教育体制そのものを変える立場にたつ。
ロ.全障研は改良主義である
全障研は「社会の民主的改良による障害者問題による解決」を目的とする。もちろん我々も「障害者」の要求実現の為の改良闘争を重視するが、「障害者」差別の根元が、現実の資本主義社会にあり、資本かの福祉政策はほんのわずかな譲歩にすぎない。(46頁)
以上、我々は改良を目的とする事はしない。更に我々の「障害者」解放運動は単に制度的改善ではなく労働者階級の闘いの内実に対する根本的な突きつけであり、我々のめざす社会主義、共産主義社会の在り方そのものを問う立場なのである。したがって、我々は一部の政治家やおしゃべりの議会に「障害者」差別の解決などまったく期待していないのであって、「障害者」自らが全存在をかけてあらゆる可能な闘いを進めるのである。
三.我々の基本的立場
イ.「障害者」差別糾弾
我々は「障害者」への一切の差別を許さない、帝国主義者の「障害者」抹殺の攻撃はもとより、行政闘争の中で現われてくる差別や融和策動も許さない。更に我々は非「障害者」である労働者大衆の差別意識に対しても、ねばり強い糾弾を経て、「障害者」解放闘争へと獲得し、彼らの変革をめざす。
ロ.「障害者」の基本的人権奪還
我々は「障害者」がこれまで奪われてきた生活、労働権、教育権などあらゆる権利を「障害者」の主体的な闘いによって自らの手に取り戻す。我々の闘いは選挙や誓願に依拠するのではなく、「障害者」、労働者による実力闘争を基本とする。したがってその一つ一つの過程で常に国家権力との熾烈な闘いが迫られてくるであろう。
ハ.コロニー解体
我々は、「障害者」へのあらゆる隔離、抹殺攻撃に反対して闘う。コロニー、収容施設、精神病院、「障害児」学校、「障害児」学級は支配者の隔離政策のあらわれでしかない。我々はこうした現実と妥協することなく、まず、これらの隔離の場の内部からの闘いを具体的に進めつつ、一方で地域、校区での「障害児(者)」の生活、教育、医療を保障させる闘いを組織的に推し進めなければならない。
ニ.日本帝国主義を打倒し、「障害者」解放闘争の社会主義的発展に勝利しよう。
「障害者」の完全解放をめざす我々にとって、政治闘争は決して無縁なものではない。帝国主義は危機に瀕するほど国内の人民にしわ寄せを行い、他方で他国への侵略を行い戦争を準備する。そうした時、最も抑圧を受けるのは、(47頁)あの第二次大戦時と同様「障害者」である。帝国主義のもとでは「障害者」の解放は決してありえず、単に個別闘争を進めるだけでは解放の展望はでてこない。闘うアジア人民、日本の労働者階級と連帯して日本帝国主義を打倒し、すべての人民の解放をめざして永続的な闘いを続けなくてはならない。
四.我々の当面の課題
イ.片平闘争
府立堺養護学校を不当に解雇され、一年の闘いののち、部落解放同盟の支援をも得て復職を克ち取った、CP者、片平敏昭氏の闘いを発展させ、「障害者」の生活圏、労働権の完全な確立をめざし、同時に堺養護学校の差別性を暴露する。更に闘いの過程で片平、村上、両「障害者」にかけられた権力による差別弾圧をはねのけて完全無罪を克ち取る。
ロ.大平さん支援闘争
国鉄によって両足を奪われた「視力障害者」の大原隆さんを支援し国鉄に対する、大原さんの生活の全面保障と「障害者」が安心して使えるホームへの改善を要求して闘う。更に、大原の地域での生活権、労働権を克ち取る為の行政闘争をすすめる。
ハ.K学園での闘い、みずほちゃん支援、未網症児支援、第八養護学校設置阻止などコロニー体制解体の闘いとして進める。
更に全国各地で闘われている精神科医、患者による精神病院糾弾解体の闘い。府中両行くセンター在所生の闘い、大阪で進められている「障害児」の教育と生活を保障しよう市民の会運動とも共闘し、施設、養護学校内外からの闘いを進める。そのためには、
@収容施設の改善と解放
A地域の差別、偏見との闘い
B「障害者」の使える住宅や、介護料要求などの地域の生活条件を行政に要求し
C全ての学校の原学校の教員の加配をはじめとする受け入れ体制の要求と教育の在り方の根本的な変革を目標とする。
ニ.より多くの「障害者」の日常生活をも含めた保障と組織化
(48頁) 更に闘う「障害者」解放の団体との支援共闘関係を作り、全障研に代る「障害者」解放の全国組織の建設を目指す。
ホ.刑法改「正」=保安処分親切、優生保護法改悪との闘い。
ヘ.狭山差別裁判糾弾!朴政権打倒!75年春闘など被差別大衆、闘う労働者との連帯による日帝打倒との闘い。
五.最後にこの集会への我々の参加のスローガンは、あくまでも「第八養護学校建設阻止」と「『障害者』の教育を地域の校区で保障せよ」の二つである。
この集会に参加している団体の中には、このスローガンを二つともあげることに消極的な部分がある。「第八養護学校建設阻止」だけしか強調しない部分は「障害者」解放闘争への発展と「障害者」の家族をも含めた大衆の組織化を考慮に入れないことを証明している。一方、「取り組みが不十分だから」といって地域での保障しか言わない部分は行政や全障研の差別生と対決することを回避した経験主義的なものである。我々にとって前者のスローガンは、隔離を拒否する「障害者」の怒りの表現であって、例えどんな取り組みが不十分であろうと(実際、我々もそうなのだが)建設を促進せんとする者への糾弾と、対決を示す立場なのである。また、後者のスローガンは「障害者」の隔離体制を真に打ち破り、行政や全障研にだまされている親の意識を変え、我々の側に組織する為の重要名視点なのである。
我々、関西障害者解放委員会は、この闘いに勝利する為にも今後とも集会に結集した諸団体と相互批判を行いつつ連帯を強めていく決意である。
関西障害者解放委員会
(49頁)
集会統一アピール
我々は第八養護学校の建設に断固反対する
現在、大阪府教委が建設を決定し、全障研系の「促進する会」が建設の即しを主張している、第八養護学校は「障害児(者)」にとって、隔離教育の場以外の何ものでもない。何故「障害児(者)」だけが、自分の兄弟や近所の子供達とも切り離されて教育されなければならないのか。「障害児(者)」がついていけない教育こそが問われているのではないか。「障害児(者)」と「健全児」がともに影響し合い、育っていくことこそが、真の教育では亡いか。我々は「障害者」に対するあらゆる差別、偏見は許さない。我々は「『障害者』であって何故悪い」という立場を原点に地域=校区で「障害者(児)」の生活と教育を保障するために闘う。
この集会に結集した「障害者」、「障害児」の親、労働者、学生は、府教委および「促進する会」に対して、「障害者」を隔離する第八養護学校の建設を阻止するために、最後まで闘いぬくことをここに宣言するものである。
12.15 集会実行委員会
(50頁)
V.仲間と共に −様々な集会−
申し入れ書
日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘内 (電話 06-323-4456)
会長 かまたに まさよ
(1)今回の部落解放同盟の呼びかけによる、被差別統一戦線(仮称)の結成ならびに、結成準に参加するに当って、私達、大阪青い芝の会は次の諸点について申し入れを行いたい、と考えます。それは、各団体のこれまでの差別に対する戦いの歴史を相互に尊重しあい、共通した課題の元に各々の戦いをつなげ、解放への戦争を勝利したい。あるいは、勝利する為には統一した戦線が必要であるし、創り上げたいとする私達の願望の素直な表現でもあります。未だ、統一戦線の内容が十分に深められていない時、私達の申し入れが内容検討に役立ち、各団体からの意見交換のよび水にでもなれば幸いだと考えます。
また、この統一戦線の戦いを成功させるためには、各戦いの個別の実践を学び合い相互対等、多くの組織、団体への門戸解放という原則が守られなければなりません。私達は、その上に立って、私達の戦い、原則をふまえ、主体的に、統一戦線を担う決意である事を表明する所です。
(2)統一戦線内部で留意していただきたい事
(イ)私達、障害者、特にCP者は、言語障害、筋肉硬直があり、音やとっさの動作に過敏に反応しやすい。この事は、私達には、私達のペースやリズムがあるという事なのです。会議や行動の時、往々にして私達の言いたい事、やりたい事がすぐに表現できないため、黙殺され健全者のペースですすめられてしまう、あるいは、言語障害特有のしゃべり方のために、相当、健全者の方がたには聞く努力をしていただかなければなりません。私達の組織員は、在宅障害者が多いために会議の時間、会場の設定の仕方などにぜひ、(51頁)十分な配慮を要請します。
(ロ)労働にたいする考え方の転換
労働は本来、人間の生存権を保障する手段にしかすぎませんでした。しかし今日、労働は賃労働を指す様になってしまいました。障害者問題の基本的視点は、重度重症障害者問題です。賃労働のできない障害者にとって労働はいかなる意味を持つのかを統一戦線の中で追求しないかぎり、働ける者がはたらけない者を助ける、という差別構造を抜け出すことがじゃできない。働けなくても生きていかなければならない障害者を、健全者といわれる人々はどうしても「あってはならない存在」と考えてしまいがちです。人間の尊厳の対等性を考えるならば、労働に対する考え方になってしまうでしょう。つまり、健全者のための刺身のつまになってしまうのです。
(3)統一戦線の統一要求スローガンにつぎの2要求を加えていただきたい。
(イ)優生保護法改悪阻止〜解体!
(ロ)大阪第八養護学校建設阻止〜障害児に普通教育を!
今国会にされようとしている優生保護法改悪案は、ハッキリとした優生(健全者)のの強調を内容としており、劣生(障害者)を圧殺しようとするものです。私達は、優生保護法そのものも解体しなければならない。と考えていますが、障害者が生まれる事が羊水チェック等で判明すれば堕胎をすすめる。とする改革案は、私達障害者を「あってはならない存在」とする優生思想であり、私達の生存権を否定するものに他なりません。また、これら改悪作動を続ける政府は、この法によって福祉政策の基本を貫き、一般社会にある障害者差別意識(かわいそうだ、不幸だ。) とする気持ちをあおりたて、よりかかり、巨大コロニー建設、隔離政策を展開し、安上がりの福祉の実現をめざしています。これらは、障害者の人間性を圧殺するものである。と断言できます。また、この改悪案を先どりする形で、兵庫県では(不幸な子供を産まない運動)、和歌山県では(黒潮の子供を生む運動)が、羊水チェックを中心に行われている。(52頁)私達は、兵庫県に対して百年戦争をしかけ、名称の変更をかちとりましたが、なお障害者はダメなんだ。とする障害者差別はますます強化されています。
現在の教育体制は、明示23年、教育勅語の発布をもって元基が形づくられましたが、同じ年、障害者に対する就学免除の制度も発足しています。つまり、現在の教育は、障害者を排除した、障害者差別教育です。その実体を放置したまま、学校に行きたい。という障害者や障害児を持つ親の願いをさか手にとり、障害があるという理由のもとに、養護学校や施設の増設を進め、障害者である私達を、社会から切りすててきたのです。はたして、学ぶという行為のために、障害があるとか、ないとかいう事が関係あるでしょうか、私達は、ないと考えます。支配者にとっては、手間のかかる障害者のいない、よく働く人間をつくる学校こそ望む所ではありましょうが、このような学校教育は人間の未来を切り開く事には役立ちません。全ての子供は自由で、平等な普通教育をうける権利がある。私達が、養護学校で受けてきた恥辱と非人間的な扱いを振り返るならば、普通学校とは別な所につくられるいかなる、障害者ばかり集めた教育機関を拒否します。
中教審答申で報告されているように、昭和49年度養護学校設置義務か、昭和53年度全員就学をめざし、行政は別仕立ての学校体系を完成しようとしています。大阪では、そのために第八養護学校がつくられ様としています。驚いた事に、ある革命政党(?) 系といわれる全国障害者問題研究会(全障研)が、この第八養護学校の建設を進める運動をはじめているの事です。親の弱みにつけこみ選挙運動のつもりで彼らは養護学校をつくろうとするのです。障害児を普通教育からますます遠ざける、このような差別作動や養護学校の増設を阻止しよう。
障害者にたいする差別は日常ふだんに、私達におそいかかってきますが、以上の2点の問題は、それが集中的に表現されているものである。とはいえません。(53頁)すべての人々にかかわるものとしての性格を持っています。世の中は、まさに、ある特殊なものを差別する事によって合理的に歩もうとしています。これは、はっきりと人間の堕落の歩みであるといわねばなりません。社会のすべてのいとなみから隔離され、健全者を幻想する事によってしか生きる事を許されず、自らダメな存在といわなければならない情況、つまり、障害者は、障害者として生きる事を否定されているのです。ひるがえって考えるならば、健全者は、障害者切りすてる事によって、死んだまま生き続け、人間としての生を奪われている。といわなければなりません。今の時代は、差別社会を強力に助長させ様とする、動きと、差別と対決して新しい価値観を創り出すのかを荒そう時代といわねばなりません。
障害者差別を許さない。という運動は、いかなる差別も許さない。という事と同質であります。以上、2点の要求スローガンを加えていただきたく様、強く要請します。
追記〜それぞれの差別には、各々の歴史があり、ちがい性があります。そして、本質を見つめながら、そのちがい性をふまえなければ本当の統一はできません。何でもいいから差別問題だから一緒にやろう。とするのは、十把一からげのためにする統一です。私達は、そのような安易な態度を許す事はできません。今まで、その様な中から生まれる空気の様な差別によって、兄弟が殺されてきたのです。
私達、障害者の事を知っていただくために(理解してくれ、といっているのではありません)私達の兄弟組織である、自立障害者集団グループ、リボン連合会制作の「映画、カニは横に歩く」を是非ともみていただきたい。と思うと同時に、上映運動への参加を要請します。
以上
(54頁)
本日の集会に参加されたすべてのみなさんへ ( 大阪青い芝の会の報告と提案)
日本脳性マヒ者協会大阪青い芝の会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘(電話 06-323-4456)
私達のたたかい
私達、大阪青い芝の会は結成以来、全国青い芝と共に他府県の兄弟と力を合わせ数々の戦いを担ってきました。そして、その中で数多くのCP者を結集し、CP者の団結とは何かを追求し続けてきました。それは、CP者の団結の理念を確立しなければ、障害者全体の団結が不可能である。あるいは、個別、症状ごとの障害者の自立がなければ、障害者全体の団結がひ弱なものになってしまう。と考えたからに他なりません。
私達、青い芝の会をして、障害者の自立と解放の戦いに向かわしめるものは、日々私達をおそい続ける差別と抑圧、私達の兄弟を次々と殺していく社会の在り方なのです。私達は、本日の集会に参加するに当って、単に集会の人数をそろえる。というのではなく、戦いの線上にあるものとして、国家の思想(優生保護法)改悪阻止の戦い、5月22日国会前における全国青い芝の戦いを第一番に報告しなければなりません。22日には優生保護法改悪案が国会の委員会に上程される、との報告のもとに私達、大阪青い芝の会は、21日緊急代表団会議を行い、22日当日には20名の代表団を国会前に送り、全国のCP者百名と共に、国会周辺における抗議行動を展開しました。そしてまた、この28日には、兵庫県「不幸な子供の生まれない運動」解体のための、民生部、母子保健課との交渉をかまえています。
私達が今日ここまでCP者としての主体的な戦いを拡大しえたのは、私達自身の戦いを思想の問題として捉えなかったからです。私達は、分類学的に、あるいは思想上の位置づけの上にこの社会に存在しているのではありませんでした。つまり、障害者に対する差別は、私達自身に私達自身の思想を持つ事を許さなかったのです。私達は、私達に対してかけられてくる一つ一つの差別に直接対峙する事によって(55頁)私達自身の考え方を創り上げてきたのです。障害者としての私達は、生きる事が戦いであり、発言し、行動する事が戦いである事を知りました。言葉を変えていうならば「存在としての自己主張」となります。私達は、障害を持つ事によって不利益をうけている(その側面も多分にありますが)というだけではありません。その上に不合理な、あってはならない存在として位置づけられ、同情のベールをかぶせられ、圧殺されようとしているのです。私達は戦わなければ殺されます。文字通り、私達の戦いは生活としての戦いなのです。歴史の中で自分たちを規定し、方向を作り出す思想運動ではなく、生活(戦い)を追求する中で差別とぶつかり、それと対決する中で自分たちの社会位置を確定し、障害者の自立と解放の思想を創り上げていくのが私達の運動です。ですから私達は、青い芝の会は、思想が正しくなければ少数でも良い、」とか同一の思想を持つ人々しか結集しない。という事はありません。多くのCP者、差別を差別と感じとれない人々でも、その生き様を共有する事で、多数を結集する事で私達自身の思想を創り出す運動の正しさを実証するのです。その意味では健全者の組織のあり方と若干異なります。
多数を結集しなければ正しさを実証できない。という事はウラをかえせば少数の運動が、健全者に反省をうながすだけの精神主義におちいり(決して無駄なことではありませんが)、障害者の生活実態を変革する事につまがりません。同時に、障害者の現実が健全者と対等ではない事を明かにしているのです。異次元の人間として(本当にCP者は、健全者と感覚が違うし、物事のうけとり方が違うのです)あつかわれてきた私達は(健全者を幻想し、目的とする生き方の強制)未来の総体としての人間のあり方を目指しながらも、現実には、私達を差別し続けてきた健全者の言語を使い、異次元の人間として、障害者として、障害者の生活と思想を形づくるのです。そうしなければ、私達は、支配の関係を私達の力で見つけ出す前に、健全者といわれる人々の中におぼれこんでしまうでしょう。特に、健全者の力を借りなければ動けない重度重症障害者の問題が障害者の自立と解放にとって、その環をなすと考える青い芝にとってなおさらの事です。私達はハッキリといいます。「障害者であって何が悪い。障害者を悪いと決めけたのは健全者のほうである。」と
以上の様な組織運動を通じて、多様な人間による多様な社会関係を創り出すために、(56頁)私達は、CP者の日常生活に基盤をおきながら障害者年金の増額、介護手当、等級の変更、医療制度の改善、地域生活の保障等の要求を行政レベルで追求し、成果を上げてきました。特に、74年春闘の中では、春闘共闘委の不十分性を乗り越え、東京都庁交渉、厚生省交渉を全国規模で行い、等級制度、医療制度、電動車イス、タイプ等の事で大きな前進をかちとりました。私達、青い芝の会はこうした生活要求と並行して、障害者に対する差別や優生思想に対する戦いも追求してきました。76年には、兵庫県内にある施設での重度障害は去勢手術事件に対して、行政責任を追及し、県庁内すわりこみ闘争を一週間続け、民生部長の謝罪をかちとり、県不幸な子供の生まれない運動への糾弾を引き続け、名称の変更を実現しましたが、県当局の障害者に対する姿勢を変更させるにいたっておりません。現在も、兵庫県に対する百年戦争を宣言し交渉を続けています。また、障害者を差別する教育への戦いや個別の差別事件に対してハッキリとした態度を表明する活動を続けていますが、まだ私達の力は充分ではなく、自らの正しさを実践しきれていません。その意味で、私達は他の差別と戦う運動から多くの事柄を学んでいきたいと考えています。この集会の意図する被差別統一戦線の結成も私達の参加の理由がそこにあります。私達は次の3つを集会に参加された皆さんに要請します。
1.戦いの場としての統一戦線を
2.本当に差別をうけている人々の統一戦線を
3.統一戦線内に様々な立場の障害者団体の協議会を
私達の未熟な経験はおしえています。差別されている者の正しい連帯こそ望まれている。
以上
(57頁)
映画「カニは、横に歩く」 5.5大阪上映集会〜基調
障害者問題資料センターりぼん社、理事会
自立障害者集団グループリボン連合会制作
74年5月5日 午後1時
部落解放同盟日の出支部、解放会館
集会に参加されたみなさん!
本日の上映集会の基調は、単に、映画を見てその感想を述べ合うという事ではなく、参加した一人一人が主体的に自分の生活空間を足場として、障害者問題ならびに、障害者問題を媒介とした、具体的な「本音」をぶつけ合うという事です。現在の社会は、高度(?) に発達した帝国主義国家です。この国家形態は、人間としての諸権利を収奪する事、収奪されても平気な感性を持つ人間を日々作り出す事、つまり、差別によって成り立っており、その実体をおおいかくすために、福祉国家の幻想をふりまく。私達は、その幻想におぼれる事なく、本当の事を見極め、労働(生産力)のための人間ではなく、人間のための労働への価値転倒を通じて、障害者解放=自立(人間の解放)の大道を歩み続けなければならない。そしてまた、この大道は、日常の生活空間のからみによって形成される事も知っていなければならない。帝国主義であり、階級社会である以上、様々な所で人間の尊厳をかけた戦いが続けられている。そして、障害者の自立と解放の戦いもその中の一つの戦いなのです。それぞれが、自分の戦いを通じて総体としての解放を目指している。だからこそ、差別の諸関係をないがしろにした、安易なためにする連帯を求めるのではなく、この上映集会の場で、「本音」をぶつけ合い、自分のかかえる中身を激突させることを通じて、戦いの実践的結合をはかろうではありませんか。それを通過する事なく戦線の団結はありえません。私達、りぼん社がこの映画の上映運動を担おうとするのは、りぼん社がありふれた障害者問題の情報交換の機関に身をおとす事なく、「本音激突の場」を責任をもって保障し、新たなる戦場の創出と結合を目的意識に追求する事で、創られつつあり、これから全面展開しようとする障害者の自立戸開放の歴史に責任を全うしようとする努力の証なのです。私達は、上映のために、グループリボンの仲間と共に、私達自身の「本音」を語り伝えるために、(58頁)海を越え、山を越え、川を越えて、私達自身を変えつつせまりくるいます。
※映画、カニは横に歩く〜のこと
重度、重症の障害者の兄弟達が、自分達の知恵と創意を唯一の手がかりとして、在宅障害者固有の困難な情況を一つ一つ突きくずしつつ「そよ風のように街に出よう。」の運動を自分達の力で映画かしたものです。(家の外に出る)という、この簡単な行為が運動になる、運動がなければちょっとした買い物もできない。という情況をなんといえば良いのだろうか。
運動を進めつつ、映画を映す、映画を映しつつ運動を形づくる。そんな中で彼らの出会ったものはなんであったのだろうか、福祉という名の元に大切な人間の出会いを封じられた彼らにとって、どんな、わずかな出会いも鮮烈だ。彼らは最初おそるおそるにじり出る。そして、本当とウソを選り分ける術を身につけるや、すさまじい速さで疾駆する、早いはやい、健全者に何を想念していたのか?
彼らの情念はほとばしる。彼らは、1年間に500万の金と、天にもとどく創意をたたき出した。彼らは巨大になる。そして、未来に向かってひとみをそそぐ、そんな彼らを今の世の中は受け入れるだろうか?未来に向かう共同はありうるだろうか?
彼らは、初め、車イスの通らぬ改札口は差別だ。と声だかに話す。しかし1年たった今、それはだれかに聞いた話である事に気づく〜改札口まで自分はたどりついた事があっただろうか、と
1年の時間と、映画づくりは、彼らをして現実とあらねばならぬ自分達の姿の落差を思い知る。
彼らは、どこに行くのだろうか、そして……私達は……
※私達の知っている事〜〜上映運動の中で何を広め、何を手にいれるのか?
障害者を取り巻く情況は、その苛酷さにおいて私達の想像をこえるものがあります。そして、それは日本の社会が近代的になればなる程強化され、放任隔離から、体系隔離への道をひたすら突きすすんでいます。このような全体的な動向に対して、障害者の自立と解放運動の側からの反撃も青い芝運動を主体として、全国規模で展開され始めていますが、まだまだ弱いものです。私達は、(59頁)このような運動と呼応し、戦線を広げねばなりません。また、障害者管理行政が強化されるにつれ、管理行政を支える事を見抜き、その相乗実体を様々名局面で切断し、運動のヘゲモニーを形づくる努力をしなければならない。階級関係の中にまで複雑にからみこんだ差別の構造をときほぐすのは、人間の社会を目指す者の当然の任務ですが、その深さを語るためには多くの事例を必要とはしません。
私達は次の様な事を知っています。
障害者施設は、地域社会と隔絶した所につくられる。施設では、春の花をみようとフラリと出かけるだけで、脱走犯人をつかまえるように、山がりが行われる。施設の中では、テレビカメラで障害者の生活を監視する。これが、障害者に強制される、障害者らしい、障害者の一般的生活なのです。これが、人間らしい生活といえるでしょうか。そして、この生活は長い差別の歴史の重みによって、より強化されようとしています。だれが、それを許してきたのでしょう。その罪は誰が償うのでしょう。なるほど、時々の権力者は、国の基礎である生産の機構を強化するために、人民管理を行い、その合理化の最先端を担わされたのが障害者であったという事は事実ですし、また障害者を取り巻く情況は、障害者をして、奈落につき落とすに充分すぎるものがあるのも事実です。しかしながら、なにかも、権力者のしわざである、と言い切る事ができるのでしょうか。
地域における、障害者の生活を見つめる健全者の眼が、あの施設のテレビカメラといかほどの違いがあるのでしょう。親の愛という名の障害児殺し、福祉という名の施設づくり、結婚差別、生活空間としての、住宅、生命保険からも排除、つめたい同情の視線、かぞえ上げれば切りがありません。障害者は不幸なのだ、とする一般的差別意識は決して、障害者を不幸な情況に追い込んだ、自分を含めたそのものへの戦いとは結びつきません。私達は、施設がないから障害者殺しが起こるのではなく、施設があるから障害者殺しが起こることに気がつかなければなりません。
このような事柄に目をつむって、行われるあらゆる運動は止揚されなければならない。なぜならば、事は、人間の過去、現在、未来に関わる事であるからです。私達の上映運動は、この事柄を暴露し、関係性を創り出す重要な場なのです。(60頁)〜また、上映運動をすすめる中で障害者運動がかかえる戦いとの結合もかちとらねばなりません。
(1)優生保護法改悪阻止の戦い
国家の法によって殺人を肯定し、障害者の生存権を抹殺しようとする、この改悪案を断じて許す事はできない。すでに、この改悪案の先取りとして関西では、行政レベルで、和歌山(黒潮の子供を生む運動)、兵庫県(不幸な子供を生まない運動)として展開している。これらに対しては、大阪青い芝の会を中心とした運動が、兵庫県に対する百年戦争宣言として続けられ、県側をして、不幸な子供を生まない運動の名称を、母子保健と変更させたけれども、ますます戦いを強か化し、県側運動の内実、羊水チェックを廃絶させ、県の福祉行政の姿勢をかえなければならない。改悪阻止の戦いの思想は、障害者問題にかかわる者の原基である。
(2)大阪第8養護学校設置阻止の戦い
日本の近代学校教育は明示23年に確立した。その内実は、教育勅語の発布と障害児の就学免除である。つまり、日本公教育は、とっぱなから障害者を排除した所で、なりたってきたのである。現在も基本的な変化がないだけでなく、より強化される形で、昭和53年全員就学、養護学校体制の確立がはかられ、障害者を教育のばからより隔離しようとしている。これは、単に、障害者の問題ではなく、総合的な人間の教育に対する挑戦である。これら、中教審路線に基づく動向は、大阪において、第8養護学校設置として表われている。ある党派系の全障研は、障害児をもつ親の弱みにつけこみ、障害者の味方の様な顔をして、第8養護学校作りをすすめ、みずから、障害者差別を実践している。私達は、この設置阻止の戦いの中で、教育のありかたを問うと同時に、障害児の普通教育をどのように保障するかの実践を創り出し、その事を日常的に追求する教育集団を形成する。(大阪障害児教育研究会〜大障研)
(3)被差別統一戦線
様々な、差別と戦う、各戦線の結合体として被差別統一戦線の結成をおしすすめるこれによって各戦線のかかえる闘争を有機的に爆発させ、未来に向かっての原則を確立していく。もちろん、共同の戦いは、(61頁)各戦線の独自の戦いの上に成り立つ。それを保障するのは、真剣な討論と情報の交換である。障害者問題は、健全者が事故によって障害を受けた事と同じ問題であるというような主張をする。障害者解放をうたう団体がある事をかんがえれば、統一戦線組織の内容をゆるやかにするためには各戦線の原則をふまえる事が大切である。
(4)障害者の生活空間に拡大〜〜障害者組織の確立を通じて、様々な組織との戦いの連帯を形づくる。
生活保障(地域での戦い、行政との戦い)〜等級制度
障害者自身が経営する施設創り運動
青い芝の会、グループ・リボンとの共同行動
(5)その他
人間の息ぶきする全てのところで上映運動を!!!
(52頁)
特別試写会に向けて
日本脳性マヒ者協会 大阪青い芝の会
これまでのあゆみ
「障害者差別を許さない」と云うスローガンのもとに、大阪青い芝の会は結成してほぼ1年を経過しようとしています。まずここで、我々のこの1年間のあゆみを簡単に振り返ってみたいと思います。
4.29 大阪青い芝の会結成
6.14 交通局抗議(障害者の住みよい街づくりから)
7.2 堺福祉センター抗議(障害者の人権を守る立場から)
7.15 第1回大阪青い芝の会例会
7.26〜27 夏期大交流キャンプ(健全者と障害者の交流を深めるために)
8.9 去勢手術兵庫県民生部に抗議、以後5日間すわりこみ
21 民生部長団交
8.下旬 障害児殺しに大阪として初めて「殺される側」から抗議文提出
9.10 堺市役所抗議(障害者手帳の不当な扱いに対して)
東淀川同対審共闘に加入
10.13〜14 青い芝の会全国活動者会議に参加(青い芝の会全国組織化)
11.25 優生保護法改悪阻止全関西討議集会開催
1.17〜19 機能回復センター設立のための都庁闘争参加
2.4 生活困窮者、年金生活者、障害者(児)難病患者等などの生活防衛、社会福祉予算拡充中央集会参加
2.25 兵庫県衛生部「不幸な子供の生まれない」対策質に公開質問状提出
以上の様に、我々は自らの強烈な自己主張をもって様々な面で障害者差別と闘いつつ、一方で週に一度の役員会、学習会運動(当初は、全国常任委員会会長、(63頁)
横塚晃一
氏の「CPとして生きる」を学ぶ)を続け、11月から月に一度の例会をもうけ、CP者同士の団結をはかって来ました。また、いく人かのCP者の兄弟は、行政より生活保障をさせ、地域生活に根をはりつつあります。振り返るに、この一年間は、我々大阪青い芝の会として一大飛躍の一年間ではなかったかと思います。
一体、福祉とは
全国各地で「福祉、福祉」と叫ばれ、障害者も救われていくように言われている今、その中にあって我々にとって「福祉」とは一体何を意味しているのでしょうか。我々が、様々な闘いを通じ、また多くの兄弟の現実を見るに、「福祉」の実体、そしてそもそも「福祉」そのものに対して、疑問、怒りを感じずにはいられません。
我々は、常に健全者によって代弁され続けてきました。我々自身のペース・思想を持たぬまま、「五体満足な、働ける健全者こそいいものなんだ。不自由名、手間のかかる障害者はだめなんだ」と健全者ペース、思想をおしつけられ、健全者に一歩でも近づくことが良い事であると教育され、それが美徳とされ、健全者文化の中に無理矢理押し込められてきたのです。
現在の日本は、資本主義の社会であり、そこで必要な者は効率的な生産力であり、生産力たりえない我々障害者は、「弱者」としてこの社会から切りすてられていくのです。しかし、「強者」は「弱者」を対置してこそ「強者」たりうるのであり、「福祉」とはますますこの関係を強化せしめるものです。「弱者」たる我々は、人権を否定され、優生保護法改悪、その実質的先取りとして兵庫県の「不幸な子供の生まれない」運動などにも見られるように、「福祉」というベールのもと、生存権をも否定され、抹殺されていくのです。
CP者の団結を
我々障害者は、健全者幻想に浸り切らされています。我々自身のものは圧殺され、今あるすべてが健全者ペース、ことば、様式なのです。我々は、まずこれら自らの見にしみこまされた健全者幻想との闘いから開始せねばなりません。我々CP者独自のものを自らのものとするために、強烈な自己主張をもって、今ある健全者社会に切りこんでいかねばなりません。この過程で、価値観、美意識、労働観を変えていかねばなりません。我々は、労働について次のように考えています。(64頁)労働とは、社会参加でなければなりません。つまり自己の生命を燃焼させる場としての社会に参加していくことこそが、本当の意味ではないでしょうか。
我々は、現代社会に生きているのを決して否定することはできません。この事を自覚した上で、運動をしていこうとするものです。その為には、何ももっていない力の弱いわれわれが少数で何の武器ももたず闘っていても無力です。自らのCP者たる自覚の上に立ち、強固な自己主張をし、それを我々の武器とせねばなりません。CP者がCP者として正当に生きる武器は、この自己主張の場を持つか持たないかによって決まるわけなのです。そして、我々は多くの兄弟と共に団結を組まねばなりません。その固い団結こそが、CP者の力と成りうるであろうし、それを、我々の未来へ向けての大きな「歩」とせねばならないと思います。
(65頁)
差別を許さない人間の歴史を創り出すために
自らの手で、勇気ある決定を!
大阪市東淀川区南方306 大広荘・文化住宅内
障害者解放センター設立委員会(電話 06-323-4456)
日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会
本日の結成集会にあつまられたすべてのみなさん!
すべての運動がそうであるように、障害者の運動も最初はあるがままのものからはじまります。私達、青い芝の運動もやはり、もの言わぬCP者の集団として出発しています。しかし、今までの私達のやむにやまれぬ戦いの中で私達は、私達に対する差別と戦う、戦うCP者集団へと変わってきました。これは、私達が最初に集った時「だまってたらあかん、差別と戦かおうないか」と約束したからに外なりません。
障害者に対する差別が手をかえ、品をかえ強化されているいま、最初の約束事が大切です。53年度全員就学をめぐってさまざまな動きの中、なにが障害者差別であるあるのかをみきわめる事が大事なことです。それが組織をつくるものの責任であるといわねばなりません。「保障しよう市民の会」がそのおかれている立場上重要な課題をかかえるからこそ余計にその点をはっきりしなければなりません。私達は、私達の戦いの一つとして「しよう会」がいま問題になっている、第8養護学校設置にたいする決議をされるよう要求します。この決定は大きな意味を持っています。一つは差別に加担するしかないのであり、二つにはいままで障害者の」教育を別体系で処理してきた安易な差別教育を拒否するために、より困難な現実と直面しなければならないという事なのです。私達は、差別を許さない人間の歴史を求めています。そのために私達との共同のもと勇気ある決定を下される事を望みます。
大阪第8養護学校設置に反対し、障害児に普通教育を。
9.22〜23 青い芝連続集会に参加しよう。
(66頁)全障研と対決する、大阪「障害者」教育研究会に入ろう。
映画、カニは横に歩く、の上映運動に参加しよう。
被差別統一戦線に」結集しよう。
施設、養護学校を考える!連続集会へ参加を
9月22日 P、1 東淀川勤労者センター(新大阪駅東口スグ 電話 321-0001)
主催、大阪青い芝の会
9月23日 P、和歌山県民文化会館 (和歌山県庁前)
主催、和歌山青い芝の会
基調報告 関西青い芝連合 準備会
特別報告 私の就学闘争 八木下 浩一
(67頁)
施設、養護学校を考える青い芝連続集会、参加要請状
すべての団体、個人のみなさん!
おげんきですか、私達、青い芝の会もすでにご存知のように優生保護法改悪阻止の戦いや、兵庫県における「不幸な子供の生まれない運動」に対する百年戦争に一定の勝利をおさめ、より一層の優生思想に対する戦いを強化しています。いまでは戦う兄弟もふえ、関西青い芝の会連合への展望も切り開かれ、障害者の自立と解放への道筋はCP者自らの手によって明かにされようとしています。
障害者に対する差別と戦うだけではなく私達はあらゆる差別と戦い、本当にすべての人々のためにある社会を創り出すための統一戦線づくりにも私達はがんばっています。
現在のように、日本の政治と経済が混乱の状態にある時、単に障害者に対する差別が強化されるというだけでなく、より体系的な差別が作りだされようとします。私達は、私達の力量がたくましくなったとはいいつつも未だCP者として、あるいは新しい障害者として成熟を私達の手ににぎっていない事も感じています。
昭和53年全員就学をめぐっていろいろな動きがあり、障害者隔離教育か、その事の拒否かの分水領にさしかかっているいま、大阪第8養護学校設置に対して私達は、私達のあり方をかけて反対しなければなりません。つまるところ様々な差別に対する動きが様子がちがっていても深いところでつながっている事をしらねばなりません。いまこそ、すべての人々にかかわる問題として、施設や養護学校の事を明かにしようと考えます。下記集会にぜひ参加され私達の心とその意味を知り、共にすすまれん事を心中要請いたします。
◎各団体は機関での討論を、個人の方は仲間と共にご参加下さい。
◎介護の必要な方は、同封のハガキでお知らせ下さい。
9月22日 P、1 東淀川勤労センター(新大阪駅東口スグ 電話 321-0001)
9月23日 P、1 和歌山県民文化会館(和歌山県庁前) (68頁)
9.22主催 大阪青い芝の会
9.23主催 和歌山青い芝の会
基調報告 関西青い芝連合会 準備会
特別報告 私の就学闘争 八木下 浩一
日本脳性マヒ者協会 大阪青い芝の会
大阪市東淀川南方町306 大広荘 電話 323-4456
日本脳性マヒ者協会 和歌山青い芝の会
和歌山市和歌浦東1-6-4 金屋荘は号
「施設、養護学校を考える!」 (69頁)
9.22〜23 青い芝の会連続集会 基調
9月22日P1時 東淀川勤労センター
9月23日P1時 和歌山県民文化センター
主催(青い芝の会関西連合会準備委員会)
◎開会のあいさつ
◎会長のあいさつ
◎各団体アピール
◎八木下特別報告
◎基調報告
◎討論〜まとめ
◎閉会のあいさつ
(情勢)
現代社会に存在する我々障害者の仲間達が、健全者といわれる圧倒的多数をしめる人々のエゴに抑圧され(かわいそう、気の毒)と言う、同情の名をかりた、差別にみちた言葉をあびせかけられても、それが障害者差別であると感じられる障害者、けんぜnン者がはたしてどれだけいるだろうか。
障害者=気の毒(つまり、あってはならない存在)と言う、さりげない、そして強固な意識があらゆる所でばらまかれ、常識、秩序に深くくいこんでいます。この「障害者イメージ」は、現在の資本主義国家における「利潤追求」=生産性絶対主義にもとづく思想をそのうらづけとしているのです。この思想を生み出している一つの大きな源が、公教育体制(学校教育)である事はいうまでもありません。明治23年(教育勅語発布)これを持って近代教育体系はととのったのですが、同時に、障害者の就学免除が制定されている事を見ても、学校教育は、その最初から障害者を排除していたのです。天皇を中心にした富国強兵政策は、それを基調とした国家のいしずえとして、(生めよ、ふやせよ)(お国のために)と健全者万能の教育を強化していったのです。その結果、教育は、侵略戦争を支え、さらには敗戦後、生産第一、日本復興と戦後民主主義の名の元に、働ける者をつくる教育(能力主義教育)を(70頁)行い優生思想の強化を続けてきました。昭和35年には、特殊学級、養護学校増設5ヶ年計画、心身障害者雇用促進法をうちたて今日の障害者特殊教育、隔離政策の基盤を着々と作り上げ、昭和40年社会復帰、コロニー政策、昭和45年心身障害者対策基本法、昭和46年社会福祉施設緊急整備5ヶ年計画へと続きます。また、現時、問題になっている優生保護法の先どりとして、兵庫県不幸な子供の生まれない運動がしょうわ41年に始まっています。昭和49年度養護学校設置義務か、53年全員就学等、あたかも障害者の教育がすすんでいるかのように装っていますが、はたしてこれが、障害者にとって教育といえるでしょうか。今まで、就学猶予、免除という形でうばわれてきた障害者の教育が養護学校、施設で保障されるなどというのはゴマカシにしかすぎません。あたかも真の教育権が帰ってきたようにいわれるけれども決してそうではありません。教育というものは、本来、人間を人間たらしめる事であるはずです。しかし、本質的人間であるはずの障害者を、自己を否定する「人間」的人間へと変えてしまうのが、養護学校、施設で行なわれている事なのです。
なぜ、施設、コロニーは人里はなれた所にあるのだろうか。おさないころ、母親の手から奪われ、オオカミと共に育った青年は、オオカミと同じような行為をし、まさにオオカミそのものであったという事実があります。この青年は、人間としての知識と技術を吸収する環境になかったためにオオカミに育ってしまったのです。これと同じように、障害者も施設の中で健全者に管理され、「健全者に近づけ」と言う健全者指向の教育によって、障害者が持っている本性をゆがめられてしまうのです。これは、障害者、健全者は、同じ人間であって、障害者は、ただ機能に障害があるだけで、本来は健全者と同じなのだとする健全者の一方的なおしつけの結果です。障害者と健全者がその諸機能のちがい性でもって、内的にも実は異次元の存在としてある事を無視してしまっているのです。養護学校にあつめられている障害児達は、教師以外は全て障害者であるという環境の中で、相互に差別し合い、障害者と健全者との関係は無視されている。障害者に今、要求されているのは、自らが異次元の世界に生きているものであるという事を認識する事であって、そこではじめて、自らの全面的実現への教育をかちとる方法を手に入れる事ができるのです。 (71頁)
ある政党系の「全障研」は、特殊教育でもって、障害者の全面的な発達を保障する、などとほざいているが、その内実は、「コップを持てない障害者に、どうのこうのしたら、持つことができた。このコップをもつという能力を引き出し、のばしてやることが障害者の全面的発達である」と言っているだけである。しかし、私達の発達とは、コップなど持たなくても、障害者のペースにもとづいて水をのむことなのである。学者先生のためのモルモット的発達は、我々の人格を無視したものである。このような「全障研」の動きは、我々の普通の要求をうけいれれば、現在の学校の秩序がこわれる事をおそれ、障害者をして、自らをだめな人間と思いこませ、日常生活の場から我々をしめだそうとする事と同じである。我々があまりかたる事がへたである事をよい事に、かってな事ばかりしてはならない。我々が言葉をうしなっているのはひとえに差別の結果である事に気づくべきである。
障害者と切りはなされた所で育っていく健全児は、障害者をみては、「かいじゅうだ」とはやしたて、障害児学級を指して「アホ学級」といってはばからない。まれな例として、普通学級で学ぶ障害児は「お客様」あつかいしかされない。教育は、その初期から現在にいたるまで障害児を健全児から切り離しつづけてきた。そして70年代に入り、より体系的な切りすて教育と隔離施設政策が全面的に展開されようとしている昨今である。我々は心をひきしめ、現実を直視し、障害者と健全者の作られた落差をうめるべく、歩をすすめてなければならない。大阪第8養護学校の開設も、手をかえ、品をかえたくまれている、われわれのありようをかけて、阻止運動を大胆に組織しなければならない。
(経過)
これまで、我々「青い芝の会」が、養護学校や施設に反対する運動を続けてきたのは、障害者が特別な教育、特別な生活を強いられてきた事が差別ではないか、と考えるからに外なりません。障害者も社会に生き、生活している一個の人間としてその固有の権利を要求するのは当然です。なぜならば、現在の施設や養護学校での生活や学習が、我々障害者を社会から切りはなした形で行われているからです。(72頁) そこでは、障害者の人間としての権利が根こそぎひきちぎられています。我々障害者にとっても現代の教育や社会は不充分なものではありますが、全ての健全者にとってあたりまえとされている最低限の生活や学習を要求する事は正当な事であり、障害者にとって必要な事です。多くの障害者が体験してきた養護学校や施設での死活はどのような者であるでしょうか。我々の兄弟の一人は、大阪市内のある施設で9年間、外部との接触をたたれ、屈辱的な生活を強制されていた。が、その施設を出たとたん「オレはダメな人間だ」と言って自殺してしまった事にみられるように、全ての在所者を、いちじるしく社会性の欠如した人間として、徹底した社会からの隔離によって作りだしている。また施設の中では障害者間の差別が野放しであり、それを管理のために役だてている。CP者である事によって自治会の執行部に選ばれない。というような事は日常にある。
養護学校では「健常者に近づけ」、「社会に役立つ人間になれ」と言う教育方針のもとに、機能訓練、職業訓練が多くの時間をさいて行われ、健全者学校ではとても考えられないカリキュラムが組まれています。それゆえに、養護学校を卒業した障害者のほとんどが「健全者幻想」にとりつかれ、「自分は障害者であってはならない」、「働く事だけが生きがい」とむりやり想いこみ、「安い賃金でもいいから働かせてくれ」とさけび、授産所や施設などに入って行ってしまっています。
そして、このような障害者を作り出す事は国家権力の意図する所である。帝国主義国家の歴史は、その基盤である生産力とその秩序をまもるために、障害差を隔離し、切りすてる歴史であり、施設、養護学校を増強する歴史です。我々はこのような事実をふまえ、施設、養護学校政策に一貫して反対してきた。その中に、高橋さんの夜間中学入学運動の戦いがある。この戦いの中でも夜間中学の教師は「障害者は養護学校に行くべきや」、「この学校は障害者の入れるような所ではない」などの差別発言が堂々とはきすてられ、我々のきびしい糾弾によって、これらの拒否する立場から、地域での自立した社会生活を創り出す事を目ざし生活していく上での必要条件である。(73頁)生活保護、介護嶺、住宅手当、障害者年金を確保するための運動をしてきた。そして、我々を切りすててきた教育戦線になぐりこむべく、映画カニは横に歩くの上映運動をすすめる中で我々の考え方に共鳴する教師との交流の中から、大阪「障害者」教育研究会の結成をかちとってきました。そしてまた、我々の命を否定しようとする優生保護法の改悪案を廃案においこみ、兵庫県の「不幸な子供の生まれない運動」に対しても百年戦争を宣言し、羊水チェックを廃止させる事に成功しました。
徹底に優生思想にぬりかためられた現代においては、我々障害者は、団結する事によってしか差別と対決する事ができていない。そのために我々は関西各地でのCP者の組織化をすすめつつあります。和歌山青いしばの会結成をはじめとして兵庫、奈良、京都で兄弟の結集がすすんでいる、確固たる運動の支柱としての関西青い芝の会連合会は49年度内に創出されるであろう。以上の経過が施設、養護学校に反対する我々の内実である。我々は、全ての人々に本当の自由とはなにか、そしてその自由は、障害者の自立と解放の運動の中から産み出されねばならない事を我々の運動の中から告げたい。全ての人がその立場において障害者問題(健全者問題)にかかわる事によって本当の自分を見つけ出す事ができ、この事は具体的には、施設、養護学校に反対する戦いの共同によって達成されるのです。
(方針)
情勢報告と経過報告の中で述べてきたように、我々障害者を取り巻く情況はきわめて苛酷である。そしてまた苛酷を苛酷という言葉でしか表現できぬ我々の現状に我々は涙せずにはいられない。
現在の国家が、その形態の支えを優生思想にもとめている事は明白である。秩序や常識、そして諸々の諸関係は健全者の発想において苛酷であり、異質であるという意味において、異次元の世界に住む我々障害者には「不自由」、「ハンディキャップ」の言葉が投げかけられる。われわれがもつ機能、それを理由として、我々は、隔離や選別のあらしの中に身をさらされる。同じ人間なのだけれど機能がちがう、それが決まり文句なのだ。我々は、はっきりと言いたい。(74頁) 永い歴史の中で機能がちがえば感情もちがうと、差別され続けてきた我々は健全者とちがう、だからこそ我々の戦いがあるのだ。異次元からの戦争の幕は切っておとされた。共同に向かって、同一にむかって健全者の間にも、その生産をめぐって、生活をめぐって、相荒そう事柄のある事を我々は知っている。しかしながら、それは同じ土俵の上であり、我々の存在を抹殺する必要があったのだ。我々の決意はかたい。我々こそ、その土俵を上がる権利があるのだ。我々は隔離された所、切り捨てられた所、そこから進撃を開始する。そこは施設、養護学校、在宅とよばれている。我々の進撃の前に最初に血祭りにあげられるのは、今正に作られようとする養護学校である。我々は、過去、養護学校、施設にほうり込まれどれほどの屈辱をうけてきただろうか、そこを出た時、我々の目の前には見知らぬ世界が開かれているばかりだった。何が何だか分らぬままにオロオロし、差別と戦う事もなく、健全者社会に屈服せざるをえなかった。我々の犠牲と健全者のご都合によって、その組み合わせの結果としてある、養護学校を我々は拒否する。我々の機能を唯一の根拠とする、養護学校、養護学級、施設、クソくらえである。学校や、教師に取っては何回も繰り返される回路であっても、我々にとっては、かけがえのない一回なのである。そして、それが現在の差別社会を強化するならば絶対に許しはしない。我々は、なぜ養護学校や施設を不必要なのかの理論的こねくりまわしを要求しているのではない。我々はどのようにすれば、養護学校や施設をなくし我々の生活や教育を実現できるのかの方法を創り出せと要求しているのである。その結果、現在の教育や、学校制度がつぶれるとしても、それは我々の責任ではない。それは今まで、その体制を担ってきた人々の責任である。教育が、生活が、差別を許容しない未来を展望するならば、人々はその方向にむかって、具体的な旅立ちをはじめねばならない。我々は、その立場にある人々に要求する。我々に普通の生活と教育を、と、それが我々の基本的な方針である。我々は言いたい。養護学校や施設が必要であると力説する人々にそれほどいうのなら、自分立ちが入ったらいいじゃないか、なぜ我々だけに強要するのか、と。
我々の兄弟は、世捨人として、似て非なるカリキュラムを受け、いつの間にか健全者のスピードにうもれてしまう。(75頁) 我々には、自らを認識する方法が与えられない。我々は、いかに健全者ににせる事ができるか、だけが要求される。我々は、自己を今こそ認識しなければならない。それが、実際的に、養護学校、施設、養護学級を拒否する事になるし、障害者が障害者として、健全者が健全者として、その事を理由として、全ての可能を可能たらしめる社会にむかってすすむ道を確立する事になる。
CP者が、CP者として成熟するためには、我々にかけられている差別をきょひする態度を発動する以外にない事を全ての障害者に、今告げよう。我々は、我々の組織を上げて、優生思想に宣戦を布告し、我々の内部にある甘えやエゴを克服し、我々の前にたちはだかろうとする的、味方のような顔をする偽善者に、するどく、糾弾のやいばをつきつけよう、その事を経過せずには、未来に向かう、我々と、健全者との神聖な共同を創り出す事はできない。
我々は、当面次の事柄に全面的にとりくむ!
すべての人々が、この戦いに参加されるよう強く要請する。と同時に、これらの戦いが、差別、非差別の分水領である事も我々は告げたい。
1.当事者の」苦痛を無視し、親や教師のエゴのためにのみ存在する、全障研との全面的な対決と、解体の戦い
2.障害児に普通教育を保障させる戦い
3.障害者の教師を教育実践の場に送り出す戦い
4.養護学級のあいまい性をつぶす戦い
5.施設に入れられている障害者を解放し、その生活を保障する戦い
6.我々自身が経営する障害者運動のための学校としての施設の増設
7.大阪第8養護学校建設阻止の戦い
8.被差別統一戦線への結集と、障害者問題の提起の強化
我々は、以上の戦いを通じて、ますます組織を強化し、拡大するだろう。障害者の自立と解放の戦いを通じて、ますます組織を強化し、拡大するだろう。障害者の自立と解放の戦いの中から生み出した、大阪「障害者」教育研究会との共闘や、健全者団体との共同も、我々が強くなる過程で促進されるだろう。すべての解放が同時に達成されるまで、我々は、我々の自由をかけ戦い続ける事をあらためて宣言する。
和歌山県の障害者福祉の美名による障害者隔離政策 (76頁)
施設建設 などの差別政策と対決しよう。
◎西むろ地区の重度療護施設
定員100名〜140名(重度身体障害者療護施設) 49年度県予算に土地取得費として1憶円計上ずみ。現在、西むろ群上富日町に土地をさがしている。完成予定は未定。
◎東むろ地区の身障児施設(新宮、東むろ地区)
定員100名くらい(身障児、精薄児療護施設) 49年度予算に土地取得費6500万円計上ずみ。現在土地探しの段階、完成予定は未定。
以上の外に和歌山県では重度障害者に対する福祉手当の増額、医療費の無料化などをすすめ、由良あかつき園に重度施設を建設するなど重点政策として展開している。障害者モデル都市として、公共施設の改造、有効ケ丘学園の移転、盲人用交通標識の整備等とともに、重度施設職員への激励菌支給、手話通訳者の配置、補装具日の本人負担の軽減、在宅障害者のキャンプ大会の設置、身体障害者事業近代化資金の増額なども散見できる。
私達、和歌山青い芝の会は大阪青い芝の会の先進的な隔離政策との戦いに学ぶ時、この和歌山権の行政政策が決して、障害者に対する福祉ではなく、健全者のための福祉である事をみぬく事ができる。行政政策の基本的な思想は、「黒潮の子を生む運動」に
みられるように、徹底した優生思想にもとづく障害者廃絶隔離思想であり、お恵み分断思想である。
私達、和歌山青い芝の会は、教育においても、地区生活においても特別な事を要求しているのではない、だれもがしているような、あたり前の生活や教育を要求しているだけである。しかるに、行政は、私達障害者がうけてき、なおも現在、強化されつつある差別と困難性を放置するだけでなく、その歴史的犯罪性の上にあぐらをかき、住民サービスの名のもとに、行政秩序をまもらんとして差別政策をつらぬこうとしている。私達は、はっきりとこの行政の姿勢を糾弾する。私達障害者の当然の要求は行政の手によって完全に拒否されているのである。県行政の政策の内容を検討すればハッキリするがそのすべてが、重度の障害者を分断するようにでき上がっており、重度障害者は施設に隔離し、(77頁)在宅障害者には文句をいわない程度に金をあたえ、軽度障害者にはせっせと働くように奨励し、そのためには街をすこしは改造しますと広言し、施設職員に」はしっかり障害者を管理しなさいと激励金をわたす、ここには障害者を人間としてあつかい、その基本的人権をまもろうとする視点などかけらもない。
私達、和歌山青い芝の会は要求します。
1.県はただちに施設建設をやめ、福祉政策の基本姿勢をあらためよ
2.障害者政策の決定にあたっては、私達障害者を参与させよ
3.生活できる障害者年金を確立せよ、ヘルパー、介護の制度を確立し地区生活を保障せよ
4.障害者に普通教育を保障せよ、養護学校、学級をつくるな
5.私達障害者を、合ってはならない存在ときめつける「黒潮の子を生む運動」を中止せよ
私達、和歌山青い芝の会は、9.23集会を起点として、障害者の地区生活をかちとるために、行政との徹底的な対決を開始します。私達障害者はこの戦いをぬいては私達自身の生活(ピカピカのぶたばこ)が自分自身のための苦労ある生活か、私達は、私達に対する差別が強かされているがゆえに、その事を原因として勇気をもって後者を選ぶのです。
すべての障害者の兄弟のみなさん、自由をもとめる健全者のみなさん、施設建設を阻止し、障害者の生活を確立する戦争を開始しよう。
自由と正義の旗は和歌山青い芝の会の手中にある。
(78頁)
W全てのみなさんへ −配布されたビラ類−
私達は、大阪第8養護学校設置に反対し、障害者差別教育を全力を上げて阻止する!
差別する人は、決して豊かではありません。差別するということは、多くの悲しみをつくりだすだけでなく、自由で平等な未来を創り出すことができないという証であります。今の社会は、資本主義であり、生産労働が私達の生活を規定する唯一の根拠とされています。しかし、人間は機械ではありません。過去、現在、未来を継承しうる文化的動物です。今の社会を規定するものを越えて、人間の本来的あり方を問い続けなければなりません。今日のパンも大切ですが、全ての人々のパンも大切なことではないでしょうか。
障害者は、何か特別な人間であるかのようにあつかわれ続けてきました。市民的権利や生活の営みを奪われ、ただひたすら健全者社会の裏側、ヤミの中の生活を強いられてきました。これは、今の社会が、障害者差別に彩られているということです。障害者は、今まで十分な教育も保障され手いませんでした。物いうすべも奪われてきたのです。学校に行きたいというのは、どこの子も共通であるはずです。しかるに、障害者には、養護学校という特別な障害者用の教育が用意されているのです。
全ての子供は、差別なく普通の教育を受けるべきではあります。障害者だけが特別な学校に行かされるのは、差別に他なりません。私達は、どんなに苦労がともなおうが、差別をなくさねばなりません。障害者を差別する人々が、養護学校をつくりだしたといっても、過言ではありません。障害者を隔離することが、福祉であったり豊かな社会づくりであるはずはありません。障害者の問題を真正面から見すえ、本当の全ての子供に豊かな教育を保障することを考えようではありませんか。全ての人々の未来のために、ごまかしの福祉を打ち砕こう!
下記集会に、全てのみなさんが参加されるよう要請します。 (79頁)
第8養護学校設置阻止集会 12月15日PM1時 枚方市民会館
枚方障害者問題行動委員会 大阪障害者教育研究会
健全者の方へ! 障害者と共同行動を、友人関係を。
グループ・ゴリラに集まれ!!
不幸な子供の生まれない運動・優生保護法・解体
兵庫県に対する百年戦争宣言!
兵庫県教職員のみなさん!!
この兵庫県庁舎の中で、殺人行為を奨励するような事が県行政の一環としておこなわれています。
それは、県衛生部の不幸な子供の生まれない運動と、その対策室なのです。障害者を不幸な存在として決めつける、そして羊水チェックを中心として、障害を持つおそれのある胎児を抹殺しているのです。これは、今生きている障害者をも、あってはならない存在とする論調に外成りません。明らかに、私達障害者に対する行政の挑戦です。私達は、この2月25日県当局に対して公開質問状を出しましたが、その県当局の回答は、(やはり障害者は不幸であるから、生まれて来ぬ方が良い)というものでした。これは、今、国会で改悪されようとする優生保護法の考え方と同じです。
私達は、私達の生を守るために、怒りを持って団結し、不幸な子供の生まれない運動と対策室の解体、優生保護法の廃絶をめざし、兵庫県に対してつきる事のない百年戦争を宣言するものです。
職員のみなさん、人間の未来を共有し、労働者と障害者の真の連帯を作り出すために、共に闘おう。
日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会 電話 06- 323-4456
大阪市東淀川区南方町306 大広荘
◎自立障害者集団グループ・リボン政策「カニは横に歩く」大阪上映集会
5月5日 午後1時 部落解放同盟日の出解放会館
(80頁)障害者の自立のために、足とつどう場所を創り出すかんぱに御協力を!!
道ゆくすべての皆さん!
私達は、全国各地の兄弟とともに、「障害者差別を許さない」運動を続けているCP者の集団、兵庫青い芝の会です。
私達の運動は、この関西でも、大阪、和歌山、兵庫、奈良、京都に、青い芝の会を創り出すほどに広がっています。
兵庫県においても、福祉政策の谷間で苦しむ在宅障害者が、たくさん、差別のただ中で生活しています。私達は、身体的理由によって、あるいは、街の構造によって行動」の自由がうばわれ、障害者の問題を共に考え、解決しよう、とする事が困難です。私達は、私達の努力で、私達の生活を形づくりたいのです。そのために私達がつどう場所と行動の足となる自動車購入かんぱを行っています。また、健全者の友人をつのっています。健全者の方は、兵庫G・ゴリラのために、あたたかいイスを用意しておきましょう。
映画(カニは横に歩く)上映運動に参加を!
すべての、障害者、CP者は、青い芝の会にあつまれ!
日本脳性マヒ者協会
兵庫青い芝の会 姫路市白浜町甲349 沢田気付 (TEL 06-323-5523)
友人組織、G・ゴリラ、大障研兵庫 姫路市梅ヶ枝町866 大賀気付
(TEL 0792-85-1826)
(81頁)
今こそ普通の教育を!
私達日本脳性マヒ者協会、兵庫青い芝の会はよびかけます。今こそ「新しい教育を」とある団体が言っているように「障害児に全面発達の保障を」という事で私達障害者には差別教育が保障されてきました。障害者であるという理由だけで私達には「特別な学校」が用意されています。この学校では、機能訓練や職業訓練が重点的に行われています。私達の兄弟の多くは、この学校を卒業させられています。そして多くの卒業者は、優生思想のみちみちた社会の中で「オレはダメな人間や、なんぼがんばってもあかん」と一度は自殺を考えるのです。
一体、学校では何を教えているのでしょう。「おまえらは、障害があって一人前の人間ではない、すこしでも健全者に近づき、働くようにならなければならない」これが「特別な学校」おしえのすべてです。ここには「人間の尺度」はありません。あるのは、健全者をよしとし、労働力として世に送り出す考え方だけです。
教育されている間だけ(特定の期間だけ)選別され、それ賀すぎれば健全者の社会ではうまくやりなさい、というのはあまりにもムチャクチャではありませんか。
私達は、特別な事を要求しているのではありません。この世に障害者と健常者がいるならば、障害者も健常者も同じ土俵の上であそび、教育されなければならないとかんがえるし、そうすべきだと思うのです。そのために、地域にある全ての学校が障害児、健全児に適したものでなければならないし、教師集団は、そのために奮闘しなければならない、と考えます。障害児教育〜なんと変な呼び名でしょう。これらは全て普通教育の事ではないのですか?私達は、これから、兵庫県の(障害児教育)をになわれる若々しい、あなた方に次の、私達の兄弟の言葉を送ります。「僕は、養護学校に入る前は、普通の学校にいた、何をするにも友達がおぶったりして手伝ってくれた。家にいても近所の子が遊びにきた。でも、養護学校にいってからは友達もこなくなり、ぼくもなんとなくひけ目を感じるようになった。数年たった時、ぼくの友達は、他の健全者と同じように、差別の眼でぼくをみるようになってしまった。」
今の普通教育が充分でない事は知っていますが、あなたは〜どうするのですか
◎全ての子供に普通教育を ◎障害者の教師をつくろう
◎全ての教師は、兵庫「障害者」教育研究会に入ろう。
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会(兵庫青い芝の会)
(82頁)
障害者差別を許さない運動にあつまれ!
自由への拠点、関西青い芝連合誕生す。
市民、労働者、学生のみなさん。
遂に、障害者の生活と権利を守り、すべての差別と闘い、人間の自由に向かってすすむ拠点としての日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会の結成がなされようとしています。大阪、和歌山、兵庫、奈良、京都のCP者が自主的にあつまり、優生思想にみちみちた社会をするどく糾弾し、自らの生活を自分達の手でかちとり、人間の自由にむかって巨大な一歩をふみだしたのです。この進撃の前には、「障害者はかわいそう」とする融和思想なぞふきとびます。私達はよびかけます。この運動をすすめ、本当の意味での現在の生活を変える障害者と健全者の共同による「差別なき社会」をめざす活動に参加される事を、運動のためのカンパをよせられる事を!
◎障害者をあってはならない存在とする優生保護法に反対しよう。障害者を隔離する大阪第8養護学校の開設を阻止しよう。自立障害者集団グループリボン政策、映画(カニは横に歩く)の上映運動に参加しよう。すべての差別と闘うために、被差別統一戦線に結集しよう。
◎あなたの参加を!!
脳性マヒ者は、各県青い芝の会に!教育関係者は、大阪「障害者」教育研究会に! いろいろな症状の障害者は、自立障害者集団グループリボンに!障害者との共同を欲し、自由をもとめる健全者は、自立障害者集団友人組織各県グループゴリラに! 障害者問題の資料をもとめる方は、リボン社に!
あなたの連絡をまっています。 カンパに御協力を!
◎このカンパ活動に参加している団体は〜
大阪青い芝 和歌山青い芝 兵庫青い芝 奈良青い芝準備会 大阪「障害者教育」研究会 大阪ゴリラ 和歌山ゴリラ 兵庫ゴリラ 資料センターリボン社
以上です。
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝連合会
大阪東淀川区南方町306 大広荘
電話 06-323-4456
( 83頁)
いつになったら、私達、障害者は、普通のように、普通の教育を受けられるのか日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
◎障害者差別を許さない。
◎大阪第8養護学校設置を許さない。
◎被差別統一戦線にあつまろう。
◎映画(カニは横に歩く)の上映運動に参加しよう。
◎障害児に普通教育を、障害者の教師をつくろう。
◎すべての教師は、(大障研)にあつまれ。
教師のみなさん!
大教組教研集会にあつまられたすべてのみなさん。私達は、関西各県に生活する、CP者の集団、日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会です。
私達の会員の多くの場合は、重度、重症障害者であり、在宅障害者として生きています。その中の多くの兄弟は、残念ながら教育と名のつくものには、お世話になった事がありません。現在でも、読み、書きに困難をきたしています。もちろん、学友友達というものもありません。私達も、一人の人間として、この世に生をうけた以上、一人の人格として、この世の中で、生きていかねばなりません。しかるに、私達、障害者の場合、どういう訳か普通のようにあつかわれたためしがありません。私達が、普通のようにしてくれ、と要求すれば、かえって奇異の眼をむけられます。
私達は、知っています。あなた方、教育にたずさわる人々が、私達、障害者を役立たず、普通の人間とちがう、と考え、気味わるがっている事を。だからこそ、就学免除、猶予をたてに、なんとか障害者を学校に近づけず、おのれの教育責任を放棄しているのではないか。ひどいになると、今の学校は、あなた方には無理だから、養護学校をつくる運動をしてはどうか、とあたたかい忠告までしてくれるヤツがいる。一体、障害者が行けないような学校にしてしまったのは、だれに責任があるのか、はっきりしようやないか、私達、障害者に責任があるんか!学校か、職業訓練所か分らないような養護学校におしこめられ、遊ぶ時間もなく、近所の幼なじみからも差別の眼でみられるのは、(84頁) 私達、障害者に責任がある、と言うか。
私達は、永い差別の歴史の中で、健全者といわれる人達とくらべ、感覚すらちがってしまっています。しかし私達がうばわれた所で、とりかえさないと、私達が人間であり、自由を創り出す権利を自ら放棄する事になります。別仕立ての養護学校はあかん。普通の学校で、普通のように学ぶために、私達は、闘う。
関西青い芝の会連合会 大阪東淀川区南方町306大広荘 電話 06-323-4456
大阪障害者教育研究会 同上 06-323-5523
枚方市障害者問題行動委員会 枚方市渚本町5-50-24 小南気付 電話 0720-48-5161
大阪、第8養護学校設置反対、全ての子供に普通教育を! 12.15集会に参加しよう。
12月15日 PM、1時 枚方市民会館(枚方市駅すぐ)
主催、実行委員会 関西青い芝の会、関西障害者解放委員会、大阪障害者教育研究会
枚方障害者問題行動委員会 ( TEL 06-323-5523)
(85頁)
本日の集会に参加された、みなさん!
私達、日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会は、障害者差別を許さない、という立場から、本集会の名によってすすめられようとする、優生保護法の改悪に反対することを表明します。
みなさん、なぜ、優生保護法の改悪が、政府、厚生省の手によって、各界の反対をおし切って、何度も国会に提出されるでしょう。その理由は、次の事柄があるからではないでしょうか。
(1)福祉、福祉とさけばれているけれども、日本の福祉政策は、その基本において健全者(働ける人)を想定しており、健全者に対する政策(決して充分なものではない。)を第一として、そのあまりを障害者にふりむける、おめぐみ福祉(近代合理化福祉)です。日本が、資本主義の国である以上、秩序ある労働力を確保する事が政府の至上命令です。そのためには、健全者に対する政策金のふりむけや健全者が安心する程度の福祉への税金のふりむけはしますが、スキを見ては、働くことの出来ない障害者への福祉金額をへずったり、きりつめたりします。そしてその結果、人間としての全ての権利を奪われた障害者の現実を指さし、不幸な障害者、生まれて来なければよかった諸会社、と大声でふれ回るのです。これは、天にツバする行為といわねばなりません。歴代の政府の不手際によって引き起こされた差別的事態を眼の前にして、その根本的解決をはかるのではなく、障害者を生まないようにしよう、とする優生保護法の改悪提案は、それこそ、差別を上ぬりでなくてなんでしょうか。
(2) 優生保護法が生まれた、歴史的事実を見てもはっきりしているように、ナチス、ドイツの断種法を基本として、日本で生まれています。優生(健全)、劣生(障害)というように分けられ、優生を優先させ、劣生を断種するというものです。そして、これは(当時は戦争をかち抜くために)現在の日本の生産と秩序を安定たらしめるものとして考えられています。また、工業の発展(?)にともない、あらわれた公害患者の胎児汚染をヤミからヤミにほうむろうとするものでもあります。
(3) すでに、優生保護法の改悪を前に、地方自治体(兵庫、神奈川、静岡、和歌山)を中心として、胎児チェックを行い、障害児抹殺をすすめています。( 86 頁)これらの動きは、ハッキリと、今いきている私達障害者をも、あってはならない存在と決めつけることに外なりません。そんな事が、国家の法によって定められるならば、一体、人間の未来はどう成るのでしょう。私達は、優生保護法の改悪に反対すると同時に、兵庫県の不幸な子供を生まない運動にも抗議を続けているのも、私達の生を守り、発展させ、幸いなるものにせんがためなのです。
(4) しかしながら、人間の自由と権利は、それ自体として尊ばれなければならない。とする私達の考え方と、私達を取り巻く現実とは大きなへだたりがあります。情況はあまりにも苛酷です。そして、それは、障害児を持つ親にとっても同じ事だと思います。人間を総体としてとらえる考え方は、まだ社会に定着していません。「かわいそうな障害者」という、差別意識が充ち、充ちています。「かわいそう」と思う人達は、さぞ気持ちがいい事でしょう。しかし、私達障害者は、同情を求めているのではありません。人間として、生きる事、幸せになる事、そして、そのためにどうすれば良いのかを考え行動する人々と、私達自身の自立と解放を求め、創ろうとしているのです。そして、それは、もの言わぬ精神障害者の人達とて同じだろうと思います。生まれるという事と、幸、不幸とは、まったく別な事です。生まれてからの過程をこそ、十全なるものにする事が、私達未来を求める人間の努めではないでしょうか。
現実は、苛酷です。ですけど、現実に負けてはなりません。障害児を生まないようにすることは、障害児をもつ親が、我が子を殺す事と同じです。現実をつきやぶる運動を通じて、障害者の社会生活を創り上げよう。抹殺された兄弟の無念をこめて、優生保護法に、改悪に反対する。
日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会
電話 06-323-4456
(87頁)
全障研を全ての教育実践現場から追放しよう。
すべての子供に、普通教育を!
◎障害者差別を許さない。
◎第8養護学校設置阻止。
◎被差別統一戦線にあつまろう。
◎映画、カニは横に歩く、の上映をすすめよう。
◎障害児に普通教育を、障害者の教師をつくり出そう。
◎大阪「障害者」教育研究会に参加しよう。
東淀川教育共闘会議にあつまられた、みなさん。
ある、特定党派の下うけ機関として機能し、障害をもつ親の弱みを逆手にとりながら、障害者差別を隠蔽するだけでなく、融和主義をふりまきながら、差別を強化している、全国障害者問題研究会を御存知ですか。
全障研といわれる、この団体は、障害児教育に関しては、大きな発言力を持っており、教組運動の中に隠然たる勢力を誇っています。しかしながら、この全障研は、校区の学校に障害者をひきうける努力(障害者が学校に入るためには、多くの困難な問題があります。)を放棄し、就学猶予、免除の差別制度を温存するがごとく、障害児を、子供社会や、地域社会からきりはなす養護学校、施設づくりに奔走しています。全障研のうたい文句は、(民主的な運営)(発達を保障する集団づくり)(親の願い)(障害児の要求)等でありますが、結果としてかれらは、あの悪名高い中教審路線(差別、選別の教育)の先兵としてがんばっているのです。全障研は、障害者の願いは、みんなの願い、などと正義ずらしていますが、この苛酷な差別現実の中で、あるがままの障害者、親の要求が、みんなの願いになる事がありましょうか、この場合の(みんな)は残念ながら障害者差別を行っている人々なのです。あるがままの要求を組織する全障研は、現実を直視する事をさけ、差別のうわずみをする差別者集団です。
さらにまた、あらゆる実践をふりかざし、今、問題になっている、大阪第8養護学校設置をめぐって、今までの民主的という仮面をなぐりすて、建設運動に熱を上げています。
(88頁) 私達、日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会は、障害者差別を許さない、すべての子供達に内容ゆたかな普通教育を保障し、差別を許さない子供を創り出す事をめざして、全障研運動と対決してきました。
障害者にとって、教育は、あこがれの的でした。しかし、その教育は、みんなが行っている学校の事で、特別に仕立てられた別なものではありません。もし、今の普通学校があんまりいいものでなかったなら、私達も一緒になって変えていこうではありませんか、私達が言いたいのは、以上のような、全障研に障害児をまかせっきりにして、自らの責任をごまかしてきた、教育関係者は、やっぱり、全障研と同罪である、という事です。養護学校もやめ、就学免除、猶予をうちくだいて、一人の障害児を校区の学校にうけ入れる事は、大変ではありません。大変にしてしまった人々にがんばってもらう以外にしようがありません。
おちこぼれのない教育〜差別をしない、させない教育〜それを、私達は、要求します。実践がないとか、実践報告をとかゴマカシではあきません。今すぐに、私達の兄弟を受け入れる運動を始めて下さい。
先日、豊中教組青年部の教研集会に全障研大阪支部である(あやつられている)かわの河野勝行が講演者としてよばれました。彼は、CP者でありながら、障害者差別を実践するエライ人です。私達、青い芝は、彼のあやまりを正すために、おだやかな話し合いをしようと会場に行きましたが、彼は全障研の教師のかたいガードにまもられ、鎮座ましましていました。全障研の教師は、私達をみて、大きな声でどなったのです。「トロッキスト」「こんなやつらの話は、聞く必要はない」と
全障研の人々は、差別を直接うけている、私達障害者と話し合わずにどうして、障害者教育を実践するのでしょう。多分、あの人達は、自分達の言う事を聞く障害者を囲い込み、東京は、代々木の方角をおがみながら、私達の発達を保障してくれるのでしょう。ところで、あなた方は、どうでしょうか〜〜
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会(06-323-4456)
障害児に地域での生活と教育を保障せよ。第8養護学校設置阻止集会に集まれ。
12月15日PM 1時 枚方市民会館(京阪枚方市駅下車)主催実行委323 5523
関西青い芝、関西障委、しよう会親有志、枚方障問委、大障研
(89頁)
障害者をぬきにした所で語られる障害者問題を、私達が、許すと考えるな!
大阪第8養護学校建設運動に反対し、障害児に普通の教育を。
8月7〜8日障害者と健全者の大交流キャンプに参加しよう。
大阪「障害者」教育研究会にあつまろう。
映画、カニは横に歩く、の上映運動に参加しよう。
被差別統一戦線に結集しよう。
本日の集会に参加されたみなさん!
私達、大阪青い芝の会は、私達障害者にかけられてきた不当な差別を憎む心を原動力として、障害者の自立と解放の闘いを続けてきました。すでに御存知のように、把足達の直接的行動によって、優生保護法改悪案を廃案に追い込み、兵庫県の「不幸な子供の生まれ内運動」を解体してきました。これらは、はっきりと、私達障害者を「あってはならない存在」とする社会的実体と差別意識にたいする私達障害者からの切りかえしである訳です。私達は、日常的な活動とこれらの闘いを結合するなかでCP者としての成熟を創り上げてきました。私達は、いまや、この7月25日に和歌山青い芝の会を結成し、関西的なCP者集団として自らの力量を強化しています。
しかしながら、障害者は生まれてこない方が良いのだ。とする優生思想はますます強化されようとしています。教育の現場では、養護学校、学級が続々つくられ、それらの義務化すらさけばれているのです。私達が普通のように教育をうける。というのは不都合な事なのでしょうか。大阪では、障連協などという団体を中心として差別的にも第8養護学校建設をすすめる動きがあります。(おまけに、障害者の教育権を保障するために、と言う迷文句までついている)私達が要求もしないのに、障害者の要求として出てくるのです。私達は、私達の教育を、私達をとりまく人々に保障してほしい。とお願いしているのではありません。私達は、今までの教育のありかたが不当な差別であり、教育にたずさわる人々に、その差別と闘い、普通の教育を普通のように実現せよ。と要求しているのです。いままで、私達を差別した、あるいは、それを許し続けてきたあなた方は、この私達の要求に答える義務があるはずです、親も教師も戦う必要があります。しかし、それは、障害者の要求という名をかりた、自らの安心をもとめるエゴ要求であってはなりません。親と教師のあり方から創り上げた要求を、障害者の要求とぶつけ合い、差別を許さない共同の要求を戦わねばなりません。障害児の問題は、キッチリ、障害者の問題です。本日の集会は「障害児の教育と生活を保障しよう市民の会」と言うそうですが、どれほど私達障害者との意見交換があったのでしょうか、私達の知らぬ間に、私達の教育を保障する、というのでしょうか、私達は二つ目の障連協をのぞんではいません。
私達は、すでに犯したあやまりを克服し、重大なあやまりを犯す前に、あなた方がいろいろな障害者団体と話し合われる事を要求します。私達、大阪青い芝の会も真剣な討論をする用意があります。 日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会(大阪市東淀川区南方町306、
大広荘内、 TEL:06-323-4456 or 5523)
(91頁)
働いておられる皆さんに! 年末一時金かんぱ あぴいる(関西青い芝連合)
◎障害者差別を許さない。
◎大阪第8養護学校設置をゆるさない。
◎被差別統一戦線をつくり出そう
◎映画(カニは横に歩く)の上映運動をすすめよう。
◎全ての子供に普通教育を、障害者の教師をつくろう。
私達、青い芝の会は、すでに御存知のように、障害者も権利と自由をかけて戦いつづけてきました。私達の戦いは、私達自身が差別され、差別される事によって人間の本質的なあり様がそこなわれている事に対するいかりとして、激しさを加えてきました。私達は、障害者、ただ、その一点において差別され続けてきたのです。
私達の歴史は永い、すべての社会的いとなみからはずされ、その責任を私達自身のものとして、おしつけられて来たのです。しかし、私達は、私達が何物にもかえがたいものとして、いとおしい我が命までも奪おうとする社会のあり方に出会った時、私達は、真剣に
決意したのです。〜殺されてたまるか、と
私達は全国の兄弟達、CP者と手を取り合いながら、私達を「あってはならない存在」ときめつける、優生保護方の改悪をおしつける権力と戦いを介ししました。そして、また、一方では、障害者のおかれている苛酷な情況を切り開くべく、日常的な市民的権利を獲得する活動を追求する事に腐心してきました。行政交渉や、さまざまな行動の中で、兵庫県の「不幸な子供の生まれない運動」、和歌山県の「黒潮の子供を生む運動」の差別性をバクロし、障害者の解放に向かう充ちを一定、創り上げてきました。
私達の運動は、はために見て、決してはなやかなものではありません。しかし、私達の戦いこそ、すべての差別を許さない、人間の在あり方を党ものとしんじています。私達のさけびは、多くの人々にこだまし、自主的にあつまる兄弟達はひきもきらず今では、関西における青い柴の会は大阪、和歌山、兵庫、奈良、京都に、その組織を拡大しています。私達は、来る75年こそ、障害者を差別する人々、融和主義をふりまく(全障研)、切りすて体系にとじこめようとする権力との全面戦争の年だと考え、(92頁)その戦いに勝利し、差別と戦う人々との連帯を創り出し、日本階級闘争の中に確固とした基盤を獲得する事以外に、私達の未来と人間の自由はない、と思いつづけています。
私達は、普通の人間をめざし、養護学校の増設を阻止しなければなりません。私達の戦いは多様です。みなさん、私達の運動、人間の運動を保障する資金となる、年末一時金かんぱに御協力下さい。一人、一人の困難性を承知の上、あえて要請致します。
……………………………………………きりとり…………………………………………………
なまえ ところ 電話 職業
いけん
……………………………………………きりとり…………………………………………………
◎ かんぱの内容については、まったくの任意のものであります。運動とは別に、個々の人々には事情というものがある事を私達は充分知っているつもりです。同封の返信封筒についても、その意志のない方は破棄していただいて結構です。もちろん、かんぱしていただいた方には、私達青い芝のあたうかぎりの感謝の気持ちを表わしますが、その事によって差別があってはならないと考えます。私達は、障害者の自立と解放を望むすべての人々と、共に差別と戦っていきたいのです。
◎ なお、せんえつながら、カンパ額につきましては(1口〜5千円)と指定させていただきますが、それは、まったく私達の勝手でありますので、個々人のご判断におまかせいたします。ほんとうによろしく御願いいたします。
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会〜常任委員会(代表 かまたに まさよ)
大阪市東淀川区南方町306 大広荘 電話06-323-4456 or 5523
大阪青い芝の会(代表 まつい よしたか) 同上
和歌山青い芝の会(代表 かねの さちこ)
和歌山市和歌浦東1の6の4 金屋荘は号 電話 0734-45-3968
兵庫青い芝の会(代表 さわだ たかし) 姫路市白浜町甲349、さわだ方
奈良青い芝の会準備委員会(まつもと) 電話〜関西青い芝の会連合会と同じ
京都青い芝の会準備委員会(ふじた) 電話〜関西青い芝の会連合会と同じ
(93頁)
全障研運動は、落日の彼方に消え行こうとしている!
豊中教組にあつまる、教師のみなさん!
ある、特定党派の下うけ機関として機能し、障害児を持つ、親の弱い立場からの要求を逆手にとり、障害者差別を助長しつづけてきた、全国障害者問題研究会(全障研)運動は、その、差別性、融和性ゆえに今、落日の彼方に消えゆかんとしています。
(証拠1) 11月10日に開かれた、大教組教研集会障害児部会分科会では、圧倒的多数の人々によって、第8養護学校づくり運動に学ぶという差別にみちたレポートが拒否された。
(証拠2) 第8養護学校づくりをすすめる会の、すすめる会ニュース2号には、次のような記述があります。「寄宿者、医療で足踏みしていては、今までの養護学校でもいい、とにかく学校で学ばせてやりたいという切実な親の願い、賢くなりたいという子供の要求にこたえられない。」まさしく、やぶれかぶれの中教審路線であります。
これらのレポートや進める会は、はっきりと全障研運動の中から生まれたものですし、すべての子供達に内容豊かな普通教育を保障し、差別をゆるさ婦負子供を創り出そうとする人々に敵対する論調であり、運動なのです。
私達、関西青い芝の会連合会にあつまるCP者は、養護学校に反対しています。障害者である、という理由でなぜ、私達だけが特別な学校に行かなければならないのでしょう。私達は、普通のように、普通の教育をうけたいだけです。何か、特別な事を要求しているのではありません。養護学校は、私達を友達から、教育から切りはなしていく、隔離教育の花であり、あの悪名たかき中教審答申にも、その増設をうたわれています。この、豊中では、親と教師の強力と努力によって、障害児を原学級に受け入れていく運動が進んでいる、と聞いています。大変よろこばしいことです。私達はやっと普通の事が普通のようにおこなわれるようになりつつある、と評価しています。
私達は、養護学校を創る運動をするヒマがあるのなら、なぜ、自分のところの学校に障害児をひきうける努力をしないのか、不思議です。全障研の人々は、(94頁)は言います。「今の校区の学校に障害児を入れるのは、外の子供の事や本人の事を考えれば無理である。」とつまり、障害児がかわいそうだというのです。しかし、かわいそうと同情は、私達に対する差別の表現です。障害者が行けないような学校にしてしまったのは、私達の責任でしょうか、なぜ、私達だけにがまんが強制されなければならないのか。ただ、私達も、やみくもに、今の校区の学校が良いというのではありません。当然、障害児を原学級にかえすと同時に、障害者差別が横行する学校体制をかえていかなければなりません。これは、教師の重要な任務です。訓練、医療、通学保障のためにも奮闘してもらわねばなりません。これは、養護学校で、どうしようもない教育と人権無視を強いられた私達の要求です。
全障研の人々は、口を開けば、私達のこの運動を(急進的)(日民主的)(社会科学からはずれている)とレッテルをはりますが、本当に外にいう言葉を知らんのかいなとうんざりしますが、彼らこそ、現実の差別実態を無視する非科学的集団であり、障害者の言葉を信用せずに、発達、発達と念仏をとなえる、はっきりと、現在の学校体制をまもろうとする保守派なのであります。
彼らは、府教委との妥協にやぶれ、彼らの論拠であった、医療、寄宿舎もふりすて、本性もあらわに、第8養護学校建設へとつきすすみはじめました。このビラをうけとったあなたは、どうするのですか?
あなたに残された道は、学校に差別を温存し、養護学校づくりに加担する事で中教審路線を強化するのか、それとも、差別と対決し、諸外字と健全児の未来のために自分の学校に障害児を受け入れる苦労をはじめ、第8養護学校を拒否するのか。
私達、青い芝の会は、後者を選ぶ事を、要求します。
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘内
電話 06-323-4456
◎障害者差別を許さない。
◎第8養護学校設置阻止
◎被差別統一戦線にあつまろう。
◎映画、「カニは横に歩く」の上映を
◎障害児に普通教育を、障害者の教師を、大障研に結集せよ。
(95頁)
X.我々は要求する! −行政への闘い−
大阪府知事 殿
大阪府民生局
自立障害者集団グループリボン
大阪市東淀川区南方町306 大広荘内
電話 60-323-4456
私達は、障害者の自立運動のために介護費用、1ヶ月10万円の補助を出されるよう要求します。
私達は、大阪府下に在住する在宅障害者の組織(会員300名)自立障害者グループリボンです。
今の社会は、都市の構造に象徴されるように内面的要素より、外面的要素が重視されています。人間に対する評価も例外ではなく、能力主義、実力主義と生産過程にどれだけ役に立つか、によって人の一生や、価値が定まってきます。このような世の中で、私達障害者は生産能力もなく、一人で生きて行く事もできない人間としては最低の者として位置づけられているのです。それは、優生保護法にみられる、人間を優生と劣生に分類する考え方(優生思想)によって証明されています。このように、健全者のエゴが私達に対する差別を作り出し、差別が健全者のエゴを助長している現状(先日も、私達をみた小学生が、母親にむかって「これ、なに」とたずねる場面に出会いました。そして「気持ちわるい」とまで言い出すのです。私達障害者を人間としてみとめない言葉におどろくと同時に、すなおな子供の発言であるからこそ、その言葉の中にうけつがれている差別生と現在の教育のあり方にいかりいかりを感じるのです。) そして、殆どの障害者が親にめんどうをみてもらっている、という事で障害差年金(決して充分なものではありません。)も本人の手にわたらず、親に使われてしまう。また、20年間、家から出た事もなく、グループリボンに入る事によって初めて喫茶店に行ったという兄弟、姉の結婚話が自分がいる事によってこわれた事を知った兄弟は、自ら、肉親と遠く離れた山奥のもどる事のない施設に入所していきました。
(96頁)障害者である事によって親の付属物的存在を強いられ、人間としての当然の権利をうばわれるのはなぜなのか。
私達の心からしぼり出すようなこの問いかけは、「だからこそ一生めんどうみてくれる施設が必要なのだ」と言う答えによって阻止されるのです。私達は、障害者にとっては差別の現実からに逃げ出す施設、健全者にとっては差別を固定化する施設を欲しているのではありません。私達は、人間の生活を要求しているのです。その意味では、今まで行われてきた行政の障害者に対する施設は大きく変えられなければなりません。
顔をゆがめながらも、まがらぬ身体をまげながらも、一つ一つの事柄に真剣に取り組む、まさしく生きる事が労働としてある私達の姿こそ、人間の生命のあり方を見つめるものとして評価されるべきではないでしょうか。
私達、グループリボンは障害者問題の主要な課題は、重度、重症障害者の問題である、と考えています。その上にたって私達自ら、障害者としての意識にめざめ、社会的自立を創り出そうと活動をすすめています。
今までに、私達は、私達障害者を拒否してやまない街に対して「そよ風のように街にでよう。」と運動を続け、私達自身の制作による(映画、カニは横に歩く)の上映運動、あるいは、障害者に対する差別を許さない運動をくりひろげ、身近な問題の学習会、おたがいの生活を知るための「こんにちは訪問」、交流のためのレクレーション、と地域に根ざした自立運動をすすめています。
しかし、私達の運動に問題がない訳ではありません。それは、私達の行動力に関する問題です。私達が動くにはどうしても介護者が必要となります。私達は、私達が自由に行動する事が、私達にとって当然の権利だ、と考えます。そして、動くための介護者を要求する事もまさしく当然の権利である。と思います。(もちろん、介護者の人選もふくめてです。)今までの障害者の運動が行動面のカベにつき当たり、ともすれば重度重症障害者を切りすててきた事を考えればこの事は重要な事です。けれども同情や障害者差別を前提としたボランティアを私達はのぞみません。私達ののぞむ介護者は、今までの健全者としてのあり方を反省し、真剣に生きる私達の生活に対応する形で障害者、健全者の立場のちがいを確認し、日常的なぶつかり合いの中で障害者の問題をうけとめる人です。そのような人達(障害者の自立=人間総体の自立と考えるグループ)の中から私達は一人の青年を、私達の活動を補完する専従者(介護者)として生活費を支給しています。しかし、それは充分なものではなく、その支出によって私達の活動が制約されるのが現実です。
私達の活動は、ますます広がろうとしています。この私達の健全者との相互関係に夜重度重症障害者が自らの運動を理解し、新しい福祉政策を形づくるためにも、私達の運動に対して1ヶ月10万円の介護補助を出していただくよう要求します。
私達、グループリボン300名の生きようとする息ぶきを圧殺する事のないよう誠意あるご回答を要望します。
1974年6月4日
大阪グループリボン
会長 さいとう たかふみ
(98頁)
要求書
兵庫県知事
衛生部
母子保健課殿 日本脳性マヒ者協会、大阪青い芝の会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘
電話 06-323-4456
会長 高橋 栄一
兵庫県母子保健課に、対して「不幸な子供の生まれないう運動」の持つ、差別的な意味について、私達、大阪青い芝の会は、度々の抗議行動の上に立って、要求書を提出するものです。
先般、私達の公開質問状に対して、県当局からの回答がありました。そして、その中で明かにされたのは、「不幸な子供の生まれない運動」とは、「五体満足に生まれてほしい、健康な子供を産みたい、という、母親の悲願にも似た、祈りの気持ちにこたえるために、母子保健という立場から実施している。」という気持ちこそが、私達、障害者を差別する具体的な表現なのです。
この気持ちを表現する言葉が、健全者の発想です。母親も含めた健全者が優生であり、優生こそが、この世にあるべき存在である。つまり、劣生障害者は、この世にあってはならない。と考え、劣生を生む事をイミキライ、その気持ちが、上記の願いとして結実するのです。
そして、また、回答中の別項にある、「世に、母性なり、家族があるかぎり、母子保健の問題は、重要な問題であり、核家族化が進む現状にあっては、経験者による指導、助言がうすれいく事が大切であり、第1項での回答でも述べた通り、母子保健対策であり、県民大多数の支持を受けている事もあり、廃止する意志はありませんが、名称については目下、検討中であります。」については、全的に、私達に対する差別そのものです。これは、「世に健全者があるかぎり、あってはならない障害者と考える、一般的差別意識によりかかって、健全者の不安をとりのぞく事に重点をおき、(99頁)健全者エゴを貫徹します。」と言っているに等しいのです。私達は、このような、名称を変えても、どんな事をしても、なりふりかまわず、障害者の存在を否定し、合理的(?)な社会を維持する事を言明する、差別宣言を許す事はできない。母子保健課のパンフレットには、「心身障害児を生まないようにしよう。」とハッキリ書いてある。
私達は、「健康な子供を生み、健全に育てよう。」「働く婦人の健康をまもろう。」「母子保健の推進体制を確立しよう。」とする母子保健課の運動こそが、名称が変わっても、障害者差別の国家的表現である。優生保護法改悪の行政レベルでの先どりである事を、ふたたび明かにし、兵庫県に対する、百年戦争の名を持って、次の事柄を要求する。
1974年4月26日
(1) 障害者差別である羊水チェックを中心とした、母子保健の名による行政指導を中止せよ。
(2) その中止時期を明らかにせよ。
(3) 先般の回答にみられるような、障害者差別に充ちた県行政の姿勢を改め、総合的な福祉行政計画を作成せよ。
(4) 計画作成にあたっては、障害者の参加を保障せよ。
(5) 具体的には、当面、等級に関係なく、医療の全学免除を実施せよ。
私達は、この要求に対する、県当局の誠意ある回答を、この交渉の場で要求する。ご回答出来ぬ場合、文書で持って、4月30日までに回答される様に、要求する。
以上
(100頁)
大阪市立長居身障スポーツセンター所長殿
自立障害者集団ぐるーぷりぼん大阪連合会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘
電話 06-323-5523
会長 さいとう たかふみ
総工費1憶円以上を費し、長居に身障スポーツセンターがつくられた事を知り、私達、ぐるーぷりぼんも見学をかねてたずねてみました。しかし、スポーツセンターの中味は行政当局の宣伝とはうらはらにさんざんなものでありました。センターそのものが重度障害者を切りすててなりたっているのです。
障害者問題は、重度障害者の事が中心であるはずです。センターのスポーツ種目はすべて重度障害者のできないものばかりであるだけでなく、行動のにない手である介護人すらおいてありません。これが本当に障害者のためのスポーツセンターでしょうか。
私達は、何も、障害者の特別なセンターをつくれと要求しているのではありません。普通のスポーツ施設に介護人をおく事によって、健全者も、障害者も共にスポーツをたのしむ事をのぞんでいるのです。当スポーツセンターではボーリングをするのにも障害者手帳が必要です。一見して障害者である事がわかっていてもこの調子ですから後はおして知るべしです。
また、スポーツをリハビリテーション的発想でとらえている所がこのセンターにはあります。これはあきらかに健全者第一の優生思想に支えられています。私達、障害者を一段下に見、なんとかしてあげようという差別意識がふんぷんとしてにおいます。私達は、このような社会意識としての障害者差別によって作り上げられた当センターをゆるしておく訳にはいきません。
行政当局が、自らの差別的な福祉政策を反省せず、障害者の苛酷な生活実体から眼をそらし、障害者の生活を保障する施策を放棄している事をおおいかくすために、福祉の美名をかぶせたこのセンターの実体を私達は強く糾弾します。
健全者が運営し、そのおなさけによってかぎられた障害者がたのしませてもらっている能力主義そのものの長居スポーツセンターを糾弾するの書
(101頁)
要望書
和歌山県民生部福祉課殿
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
和歌山青い芝の会
和歌山市和歌浦1の6の4 金屋荘は号
電話 0734-45-3968
私達、和歌山青い芝の会は、「障害者差別を許さない。」というスローガンのもとに、活動を続けています。そして、その中で、多くのCP者が、自主的に集まり、CP者の団結を追求しつつ、障害者全体の自立と解放をめざしています。私達をとりまく社会情況は、まことに苛酷であり、優生な人間(健全者)。劣生な人間(障害者)であるとする価値基準、それらは、現代の資本主義社会における、利潤追求、生産性絶対主義にあらわされるように、賃金労働のできない私達、障害者を、「だめ」な者として、「あってはならない存在」とする優生思想が、その背景です。
これまで、住民のサービス機関としてある行政は、一体、何をしてきたのでしょうか、行政は、住民の間にある、差別意識としての優生思想を、たくみに利用し、同情というベールをかぶせ、「障害者には、福祉充実をはかりましょう。」と、施設政策(隔離)を展開してきたし、しようとしている。その証明が、今、すすめられている、東、西むろ地区で建設されようとする各種施設であり、福祉モデル都市重点政策です。これらは、まぎれもなく障害者を地域生活から追い出し、健全者の秩序を守ろうとするものであります。
私達、障害者は、人間としての諸権利をうばわれています。私達、和歌山青い芝の会は、障害者に対する、一つ一つの亜別に、体当たりし、それと闘う中で、私達自身の考え方を創り出しています。その一つが、私達自身が障害者として発言し、行動する、という事です。つまり、私達にとっては、生きる事、動く事が、私達の主張である訳です。
行政当局は、夢のような、差別に充ちた話を、物語るのではなく、家から、一歩出る事が、気の遠くなるような困難をともなう、重度障害者の現実を直視した政策に、転換すべきでありましょう。そうでなければ、福祉、福祉と行政
(102、103頁空白)
(104頁)
管理の基準のもとに運営されているのです。そこには、私達の自由な生活など入りこむ余地はまったくありません。
施設の多くは、人里はなれた所につくられ、在所者は、毎日、毎日、時間表によってしばられ、自分の時間や、場をもつ事を拒否され、職員の気分しだいでいいようにあつかわれる事によってのみ、かろうじて生きる事を許されているのです。景色といえば山とたんぼばかり、社会の情勢とは無関係な別世界です。これがまっとうな人間の生活といえるでしょうか。つまり、施設とは、障害者がすべての所でじゃま者あつかいされ、生きる場をうばわれ、しかたなく、あきらめの気持ちで行く所であって、決して、行政当局のいうような施設建設によって福祉が前進するのではなく、障害者の生活を保障する福祉行政の欠如の結果として施設があるのです。これらは、明確に、私達に対する差別です。
以上が私達の基本的な考え方ですが、この考え方の上にたって、福祉行政を施策の中心にすえられている兵庫県当局に、私達は、次の事柄を要請し、私達の要求を実現すると同時に、兵庫県の障害者福祉政策の根本的転換をはかられる事を忠告するとともに、兵庫県当局が全国の地方自治体の先頭を切る福祉立県となる栄誉をかちとられる事を心からのぞみます。
イ.私達が、生れ、育った所で生活できるような行政保障を確立して下さい。
ロ.兵庫県独自に、在宅障害者が生活できる(障害者年金制度)をつくって下さい。
ハ.とりあえず、障害者の生活領域を拡大する試みとして、さわだたかしをはじめとする重度障害者が自活するための(約10名)小さな施設(もちろん、普通の人の生活領域の中で、プライバシーをまもるために、アパート形式のもの)を早急につくって下さい。
ニ.その施設の管理運営権を私達にまかせて下さい。
ホ.介護者の人選権を私達にまかせ、県職員として採用して下さい。
ヘ.以上に関する予算措置を早くはかって下さい。
以上の事柄に関して、県当局の誠意ある回答を望みます。なを、私達の経験では、行政当局が予算がないといいわけするのがあたり前の様ですが、それは私達には関係のないことである事をご承知下さい。今まで放置してきたツケが今回ってきただけなのです。それはぜひでも支払って貰わねばならない障害者の生き死にをかけた請求書と考えて下さい。県当局の回答を1975年1月末日までお願いします。
以上
(105頁)
申 し 入 れ 書
関西合成樹脂K・K御中
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
兵庫青い芝の会
大阪市東淀川南方町306 大広荘
電話 06-323-4456
私達の、兄弟であり、青い芝の会員でもある、CP者(三矢英子さん)の貴社からの退職について、私達、青い芝の会は、次の事柄を明かにしつつ、貴社に申し入れます。
(イ) 今の社会においては、良く働く人が価値ある人として認識されています。そして、あまり働けない人や、生産力とならない人は、他人に迷惑をかける人間と規定され、べっ視されるような意識が社会的に充満しています。また、それらの考え方をつつみこむように、私達障害者には、「かわいそう」「不自由だろう」という、言葉が使われています。これは、まったく、障害者に対する差別であります。
(ロ) 人間の価値を決める尺度は、賃金をえる労働力だけではありません。あえていうならば、それは、人間の価値を創るための道具にしかすぎません。
(ハ) 障害者も健全者も生きていくために食べなければなりません。そして、そのための法律や行政、生産がある訳ですが、障害者に対しては、それが充分に保障されていません。
(ニ) 以上のような情況の中で、三矢英子さんは、貴社に就職した訳です。
したがって、この間の三ツ矢英子さんに対する、貴社の対応については、私達、障害者の自立と解放をめざし、私達自身の権利をつくり出そうとしている青い芝の会から、問題を指摘し、今後、このような事がないように申し入れるものです。なを、この申し入れは、本日をもって青い芝の会の責任で公開します。
1.三矢英子さんと雇用関係を結ぶに当って、貴社は一人の人間として雇用したはずです。しかるに、三矢さんの賃金は不当にひくく、一人前の生活を充足するにたるものではなかった。
2.職場の中にある、障害者差別意識を放置し、三矢さんをとりまく職場の人間関係を正しく維持する努力を貴社はしなかった。(106頁)
3.貴社は、一方的に三矢さんに「適職」を適用する事を決定し、自ら、雇用関係を変更しようとし、親を通じて本人に通告するなど、障害者であるからとの理由で三矢さんの人権をまったく無視した。
4.また、貴社はその説明をするに当たり、本人をおどすような言葉を用い、「かわいそうなお前を使ってやっているのに文句を言うな」という態度に終始した。
5.私達は、三矢さんの事について貴社に話し合いをもとめて出かけた時、貴社の責任者は、「仕事のじゃまだ、お前らに文句を言われるすじ合いはない。」とどなりちらし、話し合いを拒否した。
6.そして、とどのつまりは、「一人前の仕事ができない。」事を理由に、三矢さんの神経をさかなでするような態度を保持しながら、雇用関係を11月21日付で打ち切った。
7.どのような労働者でも回顧される場合は、事前通告と解雇手当があるのに、貴社は、(せんべつ)という形でごまかした。
8.労働法にてらしても、人間としての倫理にてらしても、不当解雇であり、一人前の賃金も支給されていないのに、一人前の仕事をしないとの理由をもって解雇するとは……私達は、絶句する以外ない。
9.貴社は、CP者、障害者である三矢さんを、はっきり差別した。
10.私達は、ふかく、ふかく、障害者を人間としてみとめない社会や、具体的に私達を差別する人々、企業のある事を、すべての人間が平等であり、ゆたかである事をのぞむ私達は、悲しみのつるぎでうたわざるをえない。
以上
(107頁)
要 望 書
京都府住宅課、課長殿
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝会連合会常任委員会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘内 電話 06-323-4456
私達は、この関西各地に生活している脳性マヒ者の集団で、関西青い芝の会連合会です。
私達は、今の社会で、役にたたない、かわいそうな人間としてあつかわれ、日々、差別の中での生活を強いられています。私達は、この世が、健全者のためにあり、健全者をモデルに何もかもがかんがえられているし、街の構造一つとってみても、私達、障害者の事なぞ考えていない事は、明白である。つまり、優生思想によって、すべての事が運営されている。と考えています。
私達は、このような、私達をないがしろにしている、差別と闘い、運動をすすめ、障害者の生活と、権利の拡大に努力してきました。
本日は、障害者福祉のために、ご努力を続けておられる、府住宅課に対し、ある事例の、差別的現実の解決と今後共、障害者福祉のために、府住宅課が、真剣の努力をされる様、要望するために参上致しました。
奥代貴代子さんは、脳性マヒ者であり、京都府民の一人として、府営長谷団地に居住しています。奥代山は、家族(夫=障害者、長男=1年3ヶ月)2人、と3人で生活していますが、長谷団地は御存知のように、大変に交通の便が悪く、住居が5階にあるために、通常の生活を営めない現状が続いています。
◎実情〜3年前の、4月29日に移転して以来、都心に出るためにはタクシーを利用しており、その費用は、家計を圧迫している。3年半の間に、奥代さんが、バス、京福電鉄(相当に遠い)を利用できたのは、各1回だけである。日常的な買い物も、子供をだいて階段を降りられないために、(108頁)子供を部屋にとじこめ、カギをかけ、タクシーを利用しなければ、する事ができない。長男は1年3ヶ月にもなるのに、いまだ、室外、土地の上で遊んだ事がありません。奥代さんの、夫も障害者であり、その収入は、普通の障害者と同じように、低賃金であり、行動の自由(しかたのないものばかり)のために支出される金のために、家計は、圧迫され続けているのです。
私達は、この奥代さんが、多かれ、少なかれ、地域生活をする障害者にみられる事に、私達は、 を感じるのです。このままの奥代さん生活を放置する事は、奥代さんの人間としての諸権利を圧殺するだけではなく、障害者は、外に出なくてもいい、つまり、この社会に存在しなくてもいいのだ、という事になりはしないだろうか。府住宅課が、決して、そのような事を考えないとおもうが、事実は、そうなっている事に、私達は、今の社会の差別意識と考え合わせ、危惧をいだくのです。
福祉の時代とさわがれる昨今、府住宅課が、障害者福祉の一環として、この奥代さんの現状を打開される度旅奥をはらわれるよう、私達は、強く要望します。
(私達の要望点)
1.奥代さん一家の生活に支障をきたさないよう、交通の便の良い所への移転を府住宅課の責任で保障して下さい。
2.奥代さんの行動の自由を保障するために、移転先の住宅は、一戸建てか、一階のものになるようにして下さい。
3.全ての府営住宅の一階を、障害者に優先的に、入居するようにして下さい。
(109頁)
公 開 質 問 状
大阪府衛生部 部長殿
日本脳性マヒ者協会、関西青い芝の会連合会
大阪青い芝の会
大阪市東淀川区南方町306 大広荘内(電話 06-323-4456)
「すべての赤ちゃんが健康に生れ育つように」のスローガンをかかげ、昭和50年より、母子保健総合医療センター(仮称)が、大阪府の手によって建設される事になっていますが、私達、青い芝の会に集まるCP者は、この建設が障害者差別につながるものと考え、府、衛生部に対して、障害者の立場から、その疑問点、問題点を指摘する公開の質問状を出す事を決めました。府衛生部は、この質問状に誠意をもって回答される事を要請します。
(イ) 疑問点と私達の考え方〜私達は、「母子保健総合医療センター」設立に反対する。
センター建設の理由は次の点に要約されています。「赤ちゃんの出生、出生時の原因に
よる、障害や死亡を予防するために、新たな対策が必要となった事」
この考え方は、現行、優生保護法(優生思想の法的根拠)の一層の強化であり、無分別な障害者差別につながるものである。と私達はかんがえます。優生保護法一条には、はきりと障害者を生まれてこぬ方がいいと記しています。そして、この法でいう所の「優生」とは、はっきりと足でまといになる障害者を排除し、秩序ある労働力(健全者)を保護する事を目指す象徴であります。不条理な存在(障害者)をのぞいている合理的社会(健全者社会)をより強固にし、人間の未来を暗黒のやみにとざす非人間的法規定であります。このセンター建設は、以上の法理念にのっかかり、実質的には、兵庫県で行われていた「不幸な子供の生まれない運動」や和歌山県の「黒潮の子供を生む運動」などと何ら変わりなく、原案になった優生保護法改悪案を地方自治体レベルで再び復活させようとするものです。そして、私達の兄弟は、健全者の「愛」と「正義」につつまれて、次々と殺されていくのです。まさしく、(110頁)それは、ナチス、ドイツのもちいた、抹殺の論理であります。人間の保障については、みんなの力で解決しなければならないのに、有無を言わさず多数の論理で少数者を圧殺する、これらの考え方は、人間の未来を閉ざす考え方であります。
私達は、未来は全人類のために開かれていなければならないと考えています。現在も差別によって殺され続けている兄弟達、隔離されている兄弟達が正々堂々と生を全うできる社会こそ、人間の社会である、と規定できます。
このセンターの建設こそ、障害者の生活を保障する行政責任を放棄し、差別意識としてある優生思想を利用し、書会社を圧迫するものであると断定します。もう、これ以上、私達の兄弟を殺す事はできない。私達は、殺され宅ない。私達の存在を否定する事は、何人もできない。
(ロ) 私達の決意
私達は、今までの障害者のように、自分の言いたい事をがまんする事はしない。私達は、はっきりと障害者の立場から、自己の主張を行う新しい障害者である。府衛生部は、この質問状をただの紙切れであると考えてはならない。差別にくるしめられ続けてきた全障害者の想いがこめられているのである。証意ある回答を切に要請します。もし回答のない場合、私達は怒りをもって対処するでありましょう。
(ハ) 質問
1.「母子保健総合医療センター」を建設する目的はなにか?
2.障害者、特にCP者をどのようにとらえているか?
3.優生保護法をどのように考えているか?
4.優生保護法改悪案が廃案になった事をどう考えているか?
5.「母子保健総合センター」建設計画を中止する考えはあるか?
以上、この質問状は、提出と同時に公開されます。府衛生部の責任ある回答を昭和49年12月25日までに、書面をもってなされる。 以上
(最終頁)
読者各位へ
このパンフレットの発行権は、資料センター(リボン社)にあります。いかなる個人、団体も無断転用はできません。
(リボン社発行資料)
CP者として生きる
横塚晃一
250円
教育と障害者のこと 八木下浩一 250円
ふてくされ福祉論 若林克彦 250円
障害者の証言(その1) 250円
〃 (その2) 250 円
カニは横に歩く(シナリオ) 200円
リボン社通信 自由へ 200円
炎群 1000円
あゆみ
青い芝の会機関誌(東京)
大阪青い芝の会機関誌
大阪「障害者」教育研究会機関誌
関西青い芝の会機関誌
関西グループ・ゴリラ機関誌
映画「カニは横に歩く」(8o、1時間)大阪青い芝の会
映画「ああ、施設」(8o、1時間)大阪青い芝の会
関西青い芝の会連合常任委員会
障害者問題資料センター リボン社(大阪市東淀川区南方町306 大広荘 TEL 06-323-4456)
UP:20050520
http://www.arsvi.com/m/k0101.htm
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