分けようとすれば、Z'iを取りだすことを要請することになる。しかし、その方法は示されていないだけでなく、(むしろこちらの方が重要なのだが)理論的に困難であると考えられる。
ここではその困難である理由を列挙することはしない。しかし、直観的にもこのことは感じられるはずである。(努力(の不足)に起因するものとそうでないものとをどのように弁別するのか。おそらく他方の障害に起因する部分を取りだし、全体からそれを差し引いたものとして、努力に由来するものは規定することになるだろう。身体の障害に関わる部分については、それでなんとかなるかもしれないとも思う。しかしとりわけ知的な「障害」あるいは「能力」についてはどうなるだろうか。といったことを考えることになる。)
(ところでこの種の理論はまったく初めてのものというわけではない。社会的分配に対して肯定的なリベラル派ほぼそういう方向の議論をしている――ゆえにまた同様の困難を抱えることになっている。例えば Roemer, John E. 1998 Equality of Opportunity, Cambridge: Harvard University Press *