HOME
>
BOOK
>
雑誌
>
『被差別統一戦線』『被差別共闘』
Tweet
last update: 20160708
◆1974
「74年、部落解放同盟の大会で被差別統一戦線の構想が提起されました。」『被差別統一戦線』1)
◆19740526 集会→被差別統一戦線実行委員会結成(『被差別統一戦線』1)
「集会は、開会時からたくさんの人びとがつめかけ、よびかけ団体の予想をこえて350名の参加者と30数団体の参加があり、具体的な差別に苦しむ団体からの報告とアピールが提起されました。そして最終的に被差別統一戦線実行委員会が結成されたのです。」
◆総括会1回目
◆総括会2回目
「一回目の総括会は、話し合う内容がかみ合わず流会になり、2回目の総括会は、50名位の参加者をあつめ、組織の形、運動の方向と方法、被差別統一戦線の内容などが討論されましたが、女性差別問題、被差別者のとらえ方などについて結論が得られず、セクション事(ママ)の会合を開く事、集会後、総括会で不十分であった部分を積極的にとき明かす努力を全員で進める事を決議して閉会しました。」(『被差別統一戦線』1)
◆19751001
「10月1日に再び実行委員会を開き、この一年半にわたるブランクについて討議し、再出発する事を決定しました。しかし、この1年半にわたるブランクは大きく、昨年の5月26日の集会に参加された30団体すべての人びとに参加してもらうことにはなりませんでした。」
◆19751014 世話人会
◆19751107 世話人会
「10月14日、11月7日の世話人会において、まずもって相互理解しきれる場をつくりだすためのニュースを月一回出す事を決め、ここにこのニュースが誕生しました。」(『被差別統一戦線』1)
■『被差別統一戦線 ひさべつとういつせんせん』第1号 1975.11?
■『被差別統一戦線 ひさべつとういつせんせん』第2号 1976?
◆1976/04/12 集会
◆1976/05/18 集会
5・18第2回集会(被差別共闘会議準備会)報告
「5月18日、芦原橋部落解放センターにおいて、部落解放同盟大阪府連合会の提起で、被差別共闘会議(準)の話し合いがなされた。これは4月12日被差別統一戦線実行委員会第1回特別集会の経過に基づき(機関紙「被差別共闘」p1参照)、名称を「被差別共闘準備会」として被差別大衆の結集と全ての差別と戦う運動を再出発させた。
部落解放同盟大阪府連合会からは山中政治共闘部長、安永部員と、元被差別統一戦線実行委員会世話人から10名程が出席。4月12日集会の経過(同上)を確認し、5・18集会の意味を全体のものとして討論が行われた。」
[…]
C構成
代表者会議は当面、部落解放同盟大阪府連合会、日本脳性マヒ者協会関西青い芝の会連合会、関西「障害者」解放委員会、イムジン川に集う会、大東から公害を無くす会関西水俣共闘会議、と個人からなる。
事務局は大賀、安永、岸田、大東で構成する。」(『被差別共闘』5)
◆1976/07/17 被差別共闘会議(準)ーパネルディスカッションー
「被差別大衆の結集に向けて問題と課題を明らかにし被差別共闘会議の課題を共に解決しよう
とき:7月17日 午後6:00?
ところ:芦原橋部落解放センター
パネラー:部落、障害者、在日朝鮮・韓国人、沖縄、公害被害者、女性の差別と闘う人から一名づつ
[…]
よびかけ:
部落解放同盟大阪府連合会
日本脳性マヒ者協会・関西青い芝の会連合会
関西「障害者」解放委員会
イムジン川に集う会(在日朝鮮人朝鮮・韓国人)
大東から公害をなくす会
関西水俣共闘会議
反公害住民ひろば
神戸水俣告発
兵庫県スモンの会
(個人)岸田、大東、木野、市山」」(『被差別共闘』5)
◆1976/07/17
「7月17日、第一回パネルディスカッションは、70人程の参加者の中で、多くの差別の実態と闘いの状況が提出された。パネラーの提起の前後には、参加者の中から新たな提起が続々となされ、時間的に討論を深めることはできなかった。今号機関誌第1回で語られたことを記載し、9月26日の第2回パネル討論集会においては、パネラー間における討論と全体の討論・交流を深めるため準備した。」(『被差別共闘』6)
◆1976/09/26
全ての被差別者は団結せよ―― 被差別共闘会議の課題を明らかにするために―
第二回パネル討論集会
☆9月26日(日)午後一時〜
☆芦原橋部落解放センター
◆1976/10/25 第一回学習会=狭山差別裁判闘争学習会
「10月25日、芦原橋部落開放センターにおいて第1回学習会−部落差別学習会(狭山差別学習会)を行なった。当日は10月31日中央決起集会に向けて各地で決起集会や学習会が行なわれていたため、約20名の参加であった。」
◆山中 多美男(大阪「生活の場・事業所」連絡会 会長) 「反差別共同闘争の思いを重ねて」,楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会 編 20141001
『追悼楠敏雄――その人、その仕事、その思想』
,楠敏雄・偲ぶ会―その人、その仕事、その思想―実行委員会,95p. pp.48-49
「楠敏雄さんと私は、障害者解放運動と部落解放運動の連帯を通じて出会いました。
私は、1976年当時、部落解放同盟大阪府連合会・執行委員で、政治共闘局長として、「被差別統一戦線」を発展させ、最賃闘争を基軸に「部落の解放なくして、労働者の解放なし。労働者の解放なくして、部落の解放なし。」と「反差別共同闘争」を取り組んでいました。部落解放運動においては、1974年の福井聾学校軟式野球出場停止阻止の闘い。さらに79養護学校義務制反対など、障害者運動に連帯する中で、「障害者の解放なくして、部落の解放なし。」「部落の解放なくして、障害者の解放なし。」「障害者の解放なくして、労働者の解放なし。」と位置付け取り組みました。
1976年8月(8日〜10日・大阪市立大学)に、全国障害者解放運動連絡会議(全障連)結成大会が開催され、正式発足しました。楠さんは事務局長だったと思います。
楠さんとは、障害者解放運動との共闘の中で、楠さんの生い立ちや障害者運動とのかかわり、そして障害者差別の厳しい実態や当事者主体の大切さについて折に触れて聴き、学びました。私自身が受けてきた部落差別の現実や経験も楠さんにお話しする機会もありました。このような中で、女性差別撤廃運動、民族差別撤廃の闘い、いのちとくらしを守る会運動をはじめ、「反差別」の旗の下で、多くの団体や組織がつどい、差別撤廃の共同闘争が広がりました。楠さんとは、「部落解放研究全国集会」や「福祉研究集会」をはじめ、行政交渉や共闘の会合でも頻繁にお会いしました。
そして、「総合福祉センター」(ヒューマインド)の建設要求運動において、いろいろな助言や提言をいただきました。当事者が主体となる活動理念をしっかり打ち立てること、障害者解放、部▽0049 落解放、人権確立の共同闘争の拠点と位置付け推進することなど、熱く語り合ったことを今でも忘れません。
私ども東淀川の地域における「社会福祉法人ノーマライゼーション協会」の設立(1990年10月)にも力強いご支援をいただき、当法人の評議員として長年かかわっていただきました。大阪「生活の場・事業所」連絡会の組織化や関係作業所との連携などにも、支援や助言をたくさんいただきました。障害当事者の立場から叱咤激励の厳しいご意見、ご指導もいっぱいいただきました。
日常生活の中で、ふと振り返ってみるとき、楠さんが亡くなられたことが未だに信じられません。これからも、もっと、もっと、語っていただきたかった。お互いに老いてもますます元気に一緒に運動したかった。共同闘争の運動のうねりの中で闘ってきたことが昨日のことのように思い出されます。
あなたの思い、共に闘ってきた歩みを胸に刻み、障害者差別の撤廃、部落差別の撤廃、人権を基軸としたノーマライゼーション社会の実現をめざして、奮闘していきます。
楠さん、本当にありがとうございました。」(全文)
>TOP
■『被差別統一戦線 ひさべつとういつせんせん』第1号 1975.11?
被差別統一戦線実行委員会 世話人からのアピール・・・2
被差別統一戦線実行委員会 経過報告・・・・・・・3
世話人会で討論された当面の課題・・・・・4
被差別統一戦線実行委員会へ 関西青い芝からのアピール・・・・7
解放同盟のとりくみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
水俣病患者・支援者のデッチ上げ逮捕・提起を許すな!・・・・・・・12
◆被差別統一戦線実行委員会 世話人からのアピール
世話人
部落解放同盟大阪府連合会
日本脳性マヒ者協会 関西青い芝の会連合会
水俣病共闘関西連絡会議
「刑法改悪」に反対する市民連合
大東から公害をなくす会
関西「障害者」解放委員会
◆被差別統一戦線実行委員会、経過報告
「74年、部落解放同盟の大会で被差別統一戦線の構想が提起されました。つまり、部落解放運動の中心として、水平社以来50年の闘う歴史の中から、部落の解放がそれのみでは可能ではなく、あらゆる所で差別されている人びととの連帯、統一を通してなされることを学んだ事が、構想として具体化されたのです。
この構想提起は、反差別をになう多くの戦線に伝わり、研究会、討論会の中で議論がかわされ、統一戦線の具体的な登場と、その内容の展開が大衆的な熱望としてひろがって行ったのです。…」
◆197511? 被差別統一戦線実行委員会へ 関西青い芝からのアピール
◆解放同盟のとりくみ!
◆水俣病患者・支援者のデッチ上げ逮捕起訴を許すな!
水俣病認定制度−患者切り捨て体制
露骨になる"ニセ患者"キャンペーン
暴力事件デッチ上げ−
■『被差別統一戦線』2
(発行)被差別統一戦線実行委員会
連絡場所 大阪市東淀川区南方町306、大広荘内 青い芝の会 気付
目次
あなたの闘いを被差別統一戦線に! 2
被差別戦線に思うこと 4
植田マンガンの逃亡を許さない!! 7
障害者自身の解放の更なるうねりへ、更なる結束と連合 11
島田差別裁判糾弾! 死刑執行阻止!!
全ての仲間は無実の赤堀さんを即刻奪還せよ!! 14
宮城拘置所の赤堀政夫さんから
東京拘置所の石川一雄さんへの手紙 15
赤堀政雄さんからの手紙 17
被差別統一戦線の結集を! 20
■『被差別共闘』5
◆あなたの闘いを被差別統一戦線に!――被差別統一戦線の現段階と「被差別統一戦線」発行に関して
被差別統一戦線をめざす実行委員会世話人
◆被差別統一戦線に思うこと
在日朝鮮人二世 夫(ぷう) (ちゃん)洙(すう)
◆植田マンガンの逃亡を許さない!!
大東から公害をなくす会
1.はじめに
2.斗いは住民運動から開始された!!
3.植田マンガン被災労働者の斗い!!
◆障害者自身の解放の更なるうねりへ 更なる結束と連合へ
障害者解放運動全国連絡会議
第一回準備会(全国代表者会議)の報告
日本脳性マヒ者協会関西青い芝の会連合会 常任委員会
■『被差別共闘』6
■被差別共闘会議(準)が被差別大衆の結集を目指し発足する
5・18第2回集会(被差別共闘会議準備会)報告
■被差別共闘会議(準)ーパネルディスカッションー
被差別大衆の結集に向けて問題と課題を明らかにし被差別共闘会議の課題を共に解決しよう/とき:7月17日 午後6:00?
■被差別共闘会議パネルディスカッションに向けて
イムジン川に集う会(文責:夫昌洙)
■■『被差別共闘』6
◆全ての被差別者は団結せよ――被差別共闘会議の課題を明らかにするために
第二回パネル討論集会 9月26日(日)午後一時〜
◆1975/07/17第1回パネルディスカッションの記録
◆《部落解放運動からの提起》部落解放同盟大阪府連合会・安永
◆《沖縄解放運動からの提起》金城実
◆《障害者解放運動からの提起》日本脳性マヒ者協会・関西青い芝の会連合会
「大阪青い芝が結成された時、私達の会員は10数名でした。事務所を間借りで大阪に1カ所しかありませんでした。それが今では大阪4カ所、兵庫2カ所、和歌山、奈良、京都に各1カ所に事務所を設置し、正式な組織化と関西連合会を組むまでに成長し、各行政機関との交渉窓口を持つところまでになり、会員も1000名をこえました。なぜ、私達、青い芝の会は急激に発展し、ますます深化し拡大していくのでしょうか。それは、いつわりの歴史にうんざりし過酷な差別の中で苦しむ障害者の現実が、声もなくこの世に横たわっていたからです。だれも、その本当のうめきをうけとめ得なかったからです。まさしく、青い芝の会は、腕、口、手、足、声であったのです。」
《女性解放運動からの提起》 関西リブ連絡会議 高安
◆《在日朝鮮人問題》イムジン河に集う会
◆《問題提起と質問》 楠→安永、金城
【アピール】
◆"韓さんを守る会"/"11・22在日韓国人留学生青年不当逮捕者を救援する会"
◆"被爆二世の会(有志)"
◆"反公害〈ひろば〉"
◆"全国「精神病」者集団"
◆"精神病差別と闘う会・支援グループ"
◆"権末子さんを守る大阪の会(準備会)"
■■『被差別共闘』7
■第2回被差別共闘会議学習会の案内
〈関西青い芝の会〉
◎時 12月11日(土) 午後1時?
◎所 芦原橋部落解放センター(国鉄環状線 芦原橋駅下車)
◎テーマ 〈優生思想と障害者の自立〉
■被差別共闘会議・最近の情況と当面の課題
■9.26第2回パネル討論集会の報告
■《被差別共闘会議 第2回パネル討論集会を通しての申し合わせのこと(案)》
――被差別共闘・代表者会議提出――
■《提起と討論の報告》
◆1978/10/08 大阪ゴリラ再誕大会
6.各課題の取組みを活発にしていこう!
[…]
e.被差別共闘世話人会に組織加盟し、被差別共闘へ積極的参加を果たしていこう!
UP:201412 REV:20141215, 20160708 ◇
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
◇
病者障害者運動史研究
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇