『がしんたれ』No.3
障害者解放新聞編集委員会 1978年10月5日
再録:定藤邦子
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薔薇の花計画を全面的に推し進め、確固たる共同の陣営を構築しよう!
8月半ば、10余名の有志によって選出された薔薇の花計画は、私達の運動の方向と今の有り様に一石を投じ、運動全体に一定の波紋を生じしめた。言うなれば、私達新聞編集委員会の一部にも唐突の感無きにしもあらず、であった。
しかし、振り返れば、昨年末来の運動の混迷と退潮を突破すべく、旧全体会議が、新聞「がしんたれ」を生みだし、新聞編集委員会を通して何らかの結集軸を準備させようとしてきたし、また私達自身も「新聞の編集」委員会としての限界を知りつつも、障害者差別を憎み運動に参加している皆に、結集軸の構築へ向けての全体化作業の場を保障してきたはずである。
であればこそ、薔薇の花計画のような形で有志の提起があり、それに対する様々な討論と動きが生れてきたことを、新聞編集委員会のみならず、運動全体が、日々活動を営む者すべてが自負すべきであろう。一つの提起に対し、枝葉末節に処するのでなく、真摯な批判と新たな提起、そして運動の本流を太く豊かにすべく個々の組織と私達一人ひとりが全体で価値付与していかなければならない。それが、私達障害者解放運動の大道を歩む者の取るべき正しい姿勢である。
さて、既に9月10日、薔薇の花計画は暫定的(グループ・ゴリラの準備を待つ意味で)にではあれ出発した。そこで三者(青い芝の会・グループ・ゴリラ、リボン社)の得た共通認識は、@現状は悲観的であり、A障害者の団結と健全者の団結が特に求められ、Bそれも相互に代行や引きまわしとならない団結を強化していく、Cさらに障害者及び障害者組織にとっての健全者組織の有り様は、共通の場をもつことで今後話しあって行く、というものである。この共通認識を土台に、私達は一気に二つのことを成し遂げようとしている。一つは、差別−被差別を軸に据えた青い芝、ゴリラ、リボン社三者の組織としての明確な位置を提出し、組織がかつてのような相互のもたれあい、(2頁)ナレアイにならないような自立化(自律か)である。
もうひとつは、それを踏まえた共同の獲得であり、そのために内と外の全体を見通し、私達の障害者解放運動全体の方向を見極める指導部の創出である。
無論、私達は運動に参加し、担う者であると同時に、一人ひとりが自らの想いを伝え、或いは他者の想いを酌むものであり、そのことは人と人の有り様として私達闘う者のやさしさであろう。しかし、運動は端的に組織であり、力である。たたく者の一人ひとりの副いたいとしての力の結集である。一人の人間の想いはその人をしばるだろうが、運動の有り様まで縛らない。まして、闘う者一人の想いのみが他者や社会を変えはしないし、ややもすれば想いは主観的な組織嫌いに転落する。いわば、想いの具体化を私達は総体としての力に求め、そのための組織の自立(自律9、そして共同の総意のものとして明確に創りあげることだろう。だから、私たちはそのための闘いの陣形として、指導部=意しけって委員会を選択し、一人ひとりの想い、そして闘いを総意のものとして共有すべく、組織と共同の有り様を作るだろう。これが、次回全体集会(10月22日)までの私たちに課せられた作業である。
さらに見落としてはならないのは、薔薇の花計画が大阪のみならず、一定関西レベルの参加を予定したものであり、9月10日においては個人参加ということで他府県の青い芝のメンバーが数名参加したことである。私たちは健全者組織の有り様をめぐっての総意と課題を持ちつつも関西的に前記の@〜Cの共通認識を得たのである。このことは、私たちの今後の運動展開にとって、そうでなくてはならないのである。
何とならば、最近まで私たちの運動の混迷と退潮は、ひとつには私たち自らがつくり出してきたものであると同時に、社会状況が大きく反映されてきた質のものである。危機に揺れ動く資本主義は、国家の再編を進める中で人民への収穫・差別分断攻撃を強め、あらゆる人間の解放の息吹を踏みにじり、自らの意図に忠実に人民を組織し、管理しようとしている。反差別の闘いが、告発の運動としてとにかく一等であった時期と異なり、人民の様々な闘いが自らを守ることに並々として、より下層な者や被差別をはじき出そうとしているということである。そういあったあるがままに飼い馴らされるイデオロギーと生活を通した締めつけが、人民に闘いを放棄させ、闘う者としての情熱をグチや不満の吐露に転落させる。全国の様々な障害者解放運動として、この社会状況のなかでは、また無方針状態といっても過言ではなかおう。
与えられた課題は大きい。社会的な視野と広がりを獲得し、私たちのより大きな団結と具体的な展開で、関西そして全国に範をたれて行こう。
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各団体アピール
大阪青い芝の会(長沢香代子)
昨年の11月に、関西青い芝の会から緊急アピールが出され、健全者の問題が、大きくふくれあがり、全国にまで及び、4月には障害者差別を許さない全国健全者協議会(全健協)の解散にまで至りました。
全健協は、私達青い芝の会が、健全者を友人組織として、又、健全者が障害者と関わっていき、健全者の立場から主体的に、障害者問題を社会的に担っていく為に全国的に組織されたものでした。ところが、関西で、健全者の障害者に対する関わりかた、又、差別者としての健全者の自覚、健全者自身の自覚、健全者自身の主体性が問われた緊急アピールが出されました。
具体的には、健全者による引きまわし、健全者組織の水ぶくれ状態が出されたのですが、その緊急アピールの中味を、捉えようともしないで、「健全者の組織が、あるのが問題だ。」とか、又、「健全者は、個に戻らなあかん。」(この個というのは、障害者と関わる前の個人という形なのだが)という事になり、自立障害者はこのような状況の中で介護者の奪い合いをしたり、健全者の顔色を見たり、障害者の発言力が弱くなって、明日の介護という目の前の問題しか見えなくなってしまい、更に、在宅障害者・施設障害者を切るような状況にまでなっています。
そういう事態の中から障害者の中に、危機意識が、だんだん強まり、この状況を打開する為に、具体的に「バラ計画」という中期運動プランをみんなに提起しました。そして、9月10日に、全体会議を開きました。そこでは、いろいろな意見が出されましたが、あまり「バラ計画」をやっていこうという意見が、出たとは感じられませんでした。それよりも、はっきりと出た問題点は、ゴリラの主体的な独自の運動が今までなかったということとリボン社の位置がはっきりしていないという事が出されました。
又、そこで、意志決定委員会の機能の果たす事と、意志決定委員会の中にオブザーバーとして関西青い芝の会の各面々を入れていく事と新人獲得作戦本部、ゴリラ生活センターを置く事、そして、各組織の中で話し合い独自のプランをもって、10月22日に集まり全体会議を開く事が確認されました。
☆
今、私達はなにをすればいいのか。
(4頁) それは、前の事を振り返る事ではなく、これから独自なものを具体的に下もよりよい方向性でもって今までの状況、そして、今の状況を打ち破っていく事が先決です。大阪青い芝としては、「バラ計画」の中に、「青い芝がやる事」ということで、具体的な動きが出ていますが、あれは本来的に、従来通りの基本的路線と同じであり、同じであるという事を確認しています。当面は確認された意思決定委員会と、新人獲得作戦本部と行政交渉(助成金倍増をめざして)といった生活要求闘争に力を注いでいきます。
この「バラ計画」も、絶対的な決定事項としてあるのではありません。社会が大きく移り変わるように、障害者解放闘争も大きく変わらなければなりません。そして、障害者解放運動を牽引していこうとする私達は、いつでも各自、みんなが常に、社会の動きを見て、私達の運動の動きを見て、私たちの運動の動きを出していかなければなりません。その都度、皆の認識のもとで、検討しあい、そのことをもって、大阪青い芝の会として、「バラ計画」中期運動計画・方向性を出していきたいと思います。
☆
一人一人の行動で、今の状況を打破しよう。
社会に目を据え、責任をもって運動に文句をいっていこうではありませんか。誰かが何かをしてくれると思うのは、社会的な運動とは言えません。責任を持ち、それぞれの層の人間が状況の打破を行動として行っていかなければなりません。責任のない文句は愚痴でしかありません。過去、現在と何かを障害者がしようとする時にそれに対して、批判にもならない批判を健全者がいうことがありますが、それは、障害者の最も弱い弱みを握り、そこでの脅迫でしかありません。
私達はそういう脅迫ではなしに、きっちりした健全者としての批判は批判で受けていきたいと思います。
◎障害者解放運動を、総体的に社会に目をむけよう。
◎運動の層を強か、拡大しよう。
◎自分の足もとをみよう。
◎地域での運動の地盤を固め、拡大・強化しよう。
◎お互いの意志疎通をはかろう。
◎青い芝の会の行動綱領を見直そう。
◎今ある状況を皆の力で打破しよう。
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グループゴリラ −大阪ゴリラ再誕へ− (糸原栄子)
去る9月10日、「バラの花計画」全体集会が持たれ、大阪全体の障害者解放運動の再建の大枠が急速に決まりつつあるが、今見落としてならないのは、現在の運動の混乱状態が昨年来の緊急アピールに端を発し、以後それに充分に答える体制が創出できなかったことによるものであることはあきらかである。この激動の1年は、現在決定的な危機状況として我々Gの前にあらわれている。一人よがりの能力主義−介護に入る量の多少や、どれだけエエカッコ言えるか等の発言力が運動総体を決定する−といった無責任なやる気論、意地で支えられた嘘塔は、それ故に崩壊した。
そして、それに変わって現れたのは運動展開の視点を持たぬ個別関係への逃避であり、3月来連続として進行している。無責任にもGは、その様に個々人がバラバラになっていく現象に対し、何らかの組織的に対処することなく放置して来た。その中に「バラ爆弾」が炸裂したのである。
我々Gは、今岐路にたっている。行く手には3本の路が待っている。左の路は障害者解放を闘う健全者の大衆組織としての主体性、独自性を確立せぬまま運動全体の単なる駒となる路であり、右の路は健全者の差別者としての立場を放棄し、つきあい論に流れる路である。我々は前者を主体性の欠如、後者を運動から逃避と捕え、残る真中の路、独自性をもった健全者の大衆組織としての闘うグループゴリラの再誕への路を歩んでゆくことを、大阪ゴリラ準備会議において確認したのである。以下はその確認に基づいた緊急アピール以降の情況整理と総括である。
新大阪ゴリラは、その出発点を飽くまで『緊急アピール』とし、そこでの批判指摘された運動内実を真に変革してゆくものとして建設されねばならないことは言うまでもない。バラの花計画に対して、我々は、その推し進め方etc…を問題にしつつ、内容の大体に置いて、大青、大G・リボン社の独立した組織による三者共同の運動体制の確立と受けとめ、当世はやりの感情的な組織嫌いや個人的反発といった事で、バラ計画に消極的になったり、また無批判に追従するのではなく、旧来の組織のあり方の総括から、健全者の大衆組織として機能しうる体制をめざす大G再建、その過程の中で、バラ計画の内実の機能について考えるべきだと考える。
緊急アピールは、関西青い芝、関西ゴリラ、リボン社各代表の連名で出された。主な批判点は、@能力主義によるランクづけ、A組織の没主体性による馴れ合い主義。B一部少数者による運動の私物化etc…であった。(6頁) 「障害者の自立と解放を目指す」闘いの7年間の歴史的展開の中で、内実がそれと無縁なものとなりつつあることが明かにされたのであった。大衆組織と言いつつも、内部の能力主義が結束を阻止し、社会基盤のない専従者やルンペンが中心となって運動が進められた。結果、地区と全体との遊離が助長されていった。
具体的には、昨夏の関西合宿のレジュメを見ると、関西の西日本制覇の方針からくる全健協主導の方針や創る会、福祉工場、リボン保育所の開設、情緒障害児への取組み、全障連結成、前章権、54への理論学習会への強化etc…に見られる様に、課題が多様化し、それに伴ってスケジュール活動が増えた。それに対して、グループゴリラ中心人物の専従化と課題担当者割り当て、によって情況に対応し、スケジュール活動の増加に対して、新人オルグをひたすら介護、介護へとつなぎ、我々の運動の基本的な原則等を伝えないまま、闘いという自覚のない総仕立のゴリラをでっちあげる事で対応してきた。
そうした組織内部の二層化は、個人の状況へ没落するゴリラが増加する過程でゴリラ総体が自ら介護集団へと転落する道でもあった。スケジュール消化を運動と捉え、障害者への愚痴は(現社会における健全者の立場を省みることなく)日常茶飯となり、差別的言動が平然と横行し、それを指摘批判もせず、また差別とも気づかぬ感性が醸成されていったのだった。しかし、それを克服すべき関西ゴリラ大会は、神戸ゴリラのアピールを生みだした情況の総括の不充分さの指摘と各地討論の不備、無責任参加によって流会となり、後の続開大会も真にアピールに応えるものではなく、形式的な組織強化へ先行した。つまり、地区ゴリラ、労働ゴリラによる組織体制案、健全者の立場性を明らかにした活動方針も単なる課題の羅列にすぎず、地区と全体を結合させる機能をもたないばかりか、健全者の個々の想いに対する批判や対策、総括を全体化できず、我々の生活の基盤である社会構造を運動に吸収してゆく視点も回路もなかったのである。関西ゴリラ解散は全国状況の混乱へと発展し、ゴリラ内部では個別関係で問題解消するつき合い論が生れ、結果個々がバラバラとなった。
我々は、大阪ゴリラ再建にあたって、個別のつき合いが大切であり、それを基盤にしつつも。それのみでは自己変革と社会変革の統一を思考することが不可能であることを知り、組織の集団力を利用することで実現に向かって前進せねばならない。未だ、アピールで指摘された障害者とゴリラの関係は現存していることを忘れず、又、在宅障害者を切りすて、周囲の健全者から見離され地域社会から浮き上がった運動を創ってはならぬことを肝に銘じ、10月8日の大会は飽くまで再建の中期段階であり、今年いっぱいをもって、綱領等含め真の闘うゴリラとして、再誕するつもりである。
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リボン社 (リボン社理事会)
私たち「障害者問題資料センターりぼん社理事会」は、私たちの参画する障害者解放運動の新しい飛翔のために、総力をあげて「バラの花計画」を推進する事を全理事の総意でもって決定し、私達の行動綱領をすべてのみなさんに明らかにする事で、その責任を果たす方向性を指し示したいと考えます。
障害者問題資料センターりぼん社 中期行動綱領
★共通認識
@りぼん社は、障害者解放運動を主要な闘いとして、社会変革に参画する闘う組織であります。
A私達は、あらゆる解放闘争に主体的に参画し、各々の戦線をつなぎ発展させます。
Bあらゆる解放闘争のあらゆる所に障害者の自立と解放の潮流を創り上げます。
Cりぼん社が目指す社会変革の道筋は、りぼん社に属する全ての要員の創意と合意によって確立されます。
★組織性格
@現在的には健全者のみの組織ですが、あらゆる階層に組織の門戸は開かれています。
A加盟者は、障害者解放運動に拘わる人たちだけではありません。
Bりぼん社の中期行動綱領をみとめる人のみが加盟できます。
★現在的関係
@りぼん社は、青い芝の会やその友人組織とは、各々の組織的特徴を認め合い、つつも、独立して、同じ地平に存在します。
Aその他の障碍者解放闘争の、あらゆる局面、あらゆる共闘関係には独立した集団として参画します。
Bりぼん社は、多くの諸集団および個人との相互変革的関係を切り結ぶと同時に、特に障害者解放運動誕生と生成の歴史にかんがみ、また、今後の歴史的発展を展望し実践するに当って、青い芝の会やその友人組織と密接な支持・協力関係を結んだ集団との信頼の上に立って、積極的に取組みます。
★任務
@りぼん社の生成をふりかえってみれば、イ.障害者と健全者の混成の時代、ロ.障害者と健全者の任務別文化の時代、ハ.三者の分化に伴っての共通した教宣機能の時代、ニ.三者の主体的独立とその組織的性格確立の時代。
つまり把つぃたちはニの時代に位置しています。私達は自己の属する組織の性格を単に(8頁) 存在することによって確定する事はできません。つまり、私達が私達の行動(闘い)を通して個別の敵を確定し、相対的な敵を確定し、従って、私達の個別都全体を確定する事ができます。この相互の確定作業は、主体的な努力と客観的な状況(私達にとっての差別のあり方、経験、個々の人民をとりまく政治的・経済敵動向)の相関関係によって決定されると私達は確信しています。私達の任務は、このような認識の上に打ちたてられます。
A支持・協力関係を結んだ諸団体の活動を保障し、拠点を意地・発展させます。
Bりぼん社が関わる様々な闘いを推し進めるために、その思想化と情報化を強くすすめます。
C各々の戦線の情報や宣伝を大量に、組織的に確保するための機能を強化します。
Dりぼん社の活動が単なる知的作業に片よる事を避け、実践とかたく結びつき、障害者解放運動の歴史的要請に応えるため、支持・協力関係の諸集団との共同行動を強化します。
Eりぼん社のかかげる共通認識や任務を完全に果たし、りぼん社に所属する要員は強固な主体を形成しつつ、組織化、拡大をはかります。加盟に当っては、充分、」運動の前進を基準にして配置を決定します。
★社則
りぼん社の道徳律は次の通りです。
@思いついた事は、自分の責任で推し進めよ。
A一人の責任は全員が、全員の責任は一人が負う。
Bなんでも相談するべきこと。
C社中の人間は義兄弟である。
D会して議して決す、決して行う、行ってのち責を取る。
以上の文章は、りぼん社全体の意思として、「りぼん社中期行動綱領」と命名されました。この「中期行動綱領」は、私達りぼん社が行こうとする未来への過渡的な指針であり、今後、りぼん社へ加盟しようとする者の判断基準となるものです。1978年初頭より始まった、私達の運動内部の混乱とせめぎ合いの中から真摯な討論と反省を通して、この「中期行動綱領」は策定されたものです。りぼん社の全員がこの全文と意味を深く胸にきざみ、全ての闘いにおいて、全ての人々の先頭において、闘うことを表明します。
1978年 9月
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9/10 報告 "バラの花計画"全体討論会 −入部兼昭−
緊急アピールが出、関西ゴリラ解散決定が出てから半年が過ぎたのであるが、運動展開の視点を持たず個別関係へ逃避していく者が続出し、障害者個別への批判?(愚痴)や陰口が横行しているような日常の中で、障害者の生活は破壊され、ますます個々バラバラに引き裂かれている。
こういった情況を安易に同位置的(健全者の生活もメチャクチャ)なもののように語り、また全体の情況をみていこうとせず、自分の事(障害者差別と闘う健全者としての視点)を抜きにしたところで他を攻撃し、さらに障害者の言うことを聞かなくなり、開き直るものまで出てくる有様で、具体的に全体で取り組むということがなかった。このままでは、一人一人の想いとは関係なく崩壊から滅亡へとなるしかないということで、早急に、しかし単にかけ声だけで現状を突破していくのではなく、私たちは何をしていかなければいけないのか、青い芝は、ゴリラは、リボン者は、そして三者共同でどのような組織づくりをするのか、全体で、また様々な所で討論を巻き起こすため、バラの花計画が出されたのです。さて、9月10日は、大阪のみではなく、奈良・和歌山・兵庫からも障害者・健全者が(注、組織参加でなく一個人としてという参加であった)集まってきました。
しかし、当日に向けての全体への話し込みが不徹底で、参加社はよく見る顔が多く、バラ計画に対する批判も、自分の責任はまったく抜きにしたところで出ていました。
会議の中でゴリラより出てきたのは、バラ計画の中に書かれていたゴリラのやる事について、独自の組織としての大阪ゴリラ再建が前提であるので、9月10日の時点では、少し待ってくれということが出されました。
健全者組織のあり方をめぐっては障害者部分に於いて、今後共通の場を持つことで話し合って行くことが確認されました。
意思決定委員会と二つの本部(自立介護者調整本部・新人獲得作戦本部)の具体的内容などについては、遅れているゴリラよりの委員選出を待ち、10月22日続開全体会議までに各々準備討議をにつめておくことが確認されました。
この他に話されたことは、リボン社の位置についての質問だったのですが、もう一つ質問する側も、リボン社の側を整理がつかず、不明確のままで終わりました。
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意見交換 自己主張 提言
足元の強い運動をやっていこう −金 富生−
8月3日〜4日の合宿をやって、これから何かやらんとあかんと考えて、バラの計画がでてきた。出てから青い芝の中も別々の意見があったです。でも個人の意見ばかり聞いても運動は前へ進まない。進めようと思ったらバラの花計画の中にあるような運動方針やったらええと思います。
9月10日の全体会議で運動の道の話をしても、10日に出た話はリボン社の議論ばかり出て一部の健全者にはリボン社が何をしているかわからないという意見があっても青い芝としての運動の話は聞かれなかった。リボン社の健全者のことばかり。1年前の緊急アピールの文章にある健全者の教育は青い芝が全然やっていないという結果が10日の話し合いの奈良の健全者の話にあらわれている。
バラの計画は危険性があります。話はバラの計画の中に地域の中の話は何も出てこない。僕は大阪中心のバラの計画をやってもええけど地域の運動の中にある健全者を変える運動を忘れたらあかんと思うのです。僕は僕自身誤解して見られるのも自分自身の言葉の足らんこと。バラの計画はもっともっと別の角度からみんとあかん。バラの計画を地域のなにもっていかにゃあかん。どないしてもつかいいうたら、今の状態で全部もっていこうと思ったら消化不良になる。計画の一部をもっていってもええですけどもっていけないものもあります。
僕はほんまにやろうと思ったらもっともっとはなしてけんかせにゃあかんと思います。一部の人間みても分る。バラの計画が出てくるからの態度みても分る。バラの計画が出てからの態度見ても健全者のことばりして、障害者のことは全然抜きの計画をしてるといっても、中に入って話し合いもケンカもやろうとしていない。自分の意見を言おうとしていない。こんな人間は、障害者解放運動をなんのかんのと言う資格はない。自分自身から言うのを放棄してる人間おってもホンマの障害者解放運動にならん。こんな人間は障害者を差別している。自分自身がわからない。自分自身が差別していないと思ってる人間は地域の中にいっぱいおります。こんな人間を置きざりにしてバラの花計画をやってもうまいこと消化できない。
これからはバラの計画もあしのセンターも障害者自身の生活を考えることが運動の中心として出てきた。この運動はこれから障害者自身のものにせにゃあかん。健全者も同じ。僕は健全者、障害者、障害者別々の運動をしてもええと思っている。自分の立場を自覚したらええ思っています。悪いことは障害者中心の運動の中に健全者が入っても、同じ運動しようと思っても、ペースが別々で悪い結果がでるばかりで、(11頁) この反対もあります。僕自身の意見としては、こんな運動は長続きしないと思います。僕は今の運動は同じ道をぐるぐるまわっているにすぎないとおもいます。この間、迷い道に入った健全者もいっぱいいます。これからは未知の道へ絶対でなならん。バラの計画をきっかけにして新しい運動をせにゃ、地域も大阪もしんどいめしても、大きな輪をもって一つの問題に集中せにゃあかん。今全然やってない状態。ええ計画しても絵の中のモチにしたらあかん。格好悪いモチでもつくらにゃあかん。障害者が死んでからモチつくっても何にも使えないです。
これからバラの計画、あしのセンターの教育をきちんとするんやったら足元が弱くて頭が大きくなるような運動やったらあかんです。
(11頁)
意見交換 自己主張 提言
バラの花計画の全体会議の感想 −瀬古幹子−
今バラ計画と言うことで、あっちこっちで話し合いをしている。健全者のかたで色々反発が出てきている。緊急アピール以降の情況の中で、健全者運動というものが何をめざしているのかわからない。組織としての役割もなくなっている。日々の介護の連続で、ただ介護としてしか捉えられなくなり、健全者の生活のことしか出てこなくなっている。一人一人の役割もぼやけ、人も増えず、学校や仕事をやめても問題として捉えられない。障害者と健全者の力関係でしかなくなっている。
緊急アピール以降のこういう状況の中でこれ以上いくと運動がつぶれるということで、青い芝からバラ計画というのを出した。これに対して青い芝・ゴリラ・リボン社の全体会議の中でもいろいろな批判があった。
まず、バラの花計画を呼んでみても、健全者ペースではないのかということ。しかし、あれは形だけで、どう作っていくかは自分たち一人一人の問題であると思う。私は、今の運動には運動の原則がぼやけていると思うから、もう一度はっきりさせるためにも、バラの花計画ができあがったのだ。
それから、以前の運動のような、上から下へおりてくるという形そのままであるという批判もある。しかし、批判は単なる反発としてとどまらせるのではなく、具体的に、ではどこがどうおかしいのかを皆が言っていくことにより、考えていくことにより、これは決して以前の運動のくりかえしにはならないはずだ。この計画はあくまでも問題提起にすぎないのだから。
また、リボン社の位置を明確にさせよという意見も出ていた。このことは、やっていく中でそれぞれがおのおのの立場・責任等をしだいに追求 (12頁) し合い明確にしていけることである。
この状況の中で、今、私達がやらなければならないことは、一人一人が問題意識をもって、健全者は健全者運動とは何かを、個々人も問題として組織として取組み、運動を拡げていくということである。
それ故に皆の力でバラ計画を推し進めていこうではありませんか。
(12頁)
意見交換 自己主張 提言
健全者にとって障害者の存在は −宇佐美順−
世間の隙間をぬって働きながら、毎日毎日見るのは(障害者も健全者も)同じ顔ばかり、いつか世の中の凹部分に閉鎖社会ができ、この社会でしか通じない「カイゴワク、ヒキツギ」などという語彙も乏しく貧困な言葉を発し、明日生き長らえるため細々と一坪ばかりの畑を耕して、あえぎながらの自給自足、構成員は万年少年に晩年少女たち−
一体私たちは何者なのか。
どこへ、行こうとするのか。原始共同体へか、はたまた、障害者と健全者のユートピアへ、だろうか?
もうちょっとこの閉鎖社会の中をのぞいてみると、健全者の組織がろ紙でこされた−健全者性がこされて、私たち健全者のもっている社会性が不純物として上に残されたまま、ろ紙を通過して、鈍化(=ごま化)された−形で障害者に対していくような機能をしてたんではなかろうかと思う。
その形がパターン化され、自分の差別を見失っていた。
自給自足の閉鎖社会の状態と"障害者差別"をとらえられなくなっていったことは、別々の問題ではないと思う。
"差別"というのは、社会の歪められた、そこだけ異常な一部分ではなくて、社会のあり方そのものの歪みを逆に映し出していく。
そこから、漠然とであるかも知れないが、未来がどうあったらいいのか、そこへの方向が生まれてくることから運動が始まるのだと思う。
(一つの問題や運動だけから、壮大な未来の構図なんか描けないとおもうけれど)
そしたら、障害者の問題は、私たち健全者に一つの方向をさし示すものではないだろうか?
健全者にとって障害者の存在は、人間の信用ならなさ、矛盾を忘れさせない存在だと思う。だから私達は、障害者の存在というアンテナをもって、未来を見、一つの方向を確かめ、どこへでも流れてしまいがちの生活・感性を、健全者群の中で点検しあい、また、総体として再び、その方向へ向けて、歩き出せるのではないだろうか?
(13頁)
意見交換 自己主張 提言
健康について 細井清和
我々、グループ・ゴリラは今日、別名「病者集団」といわれる程、各々、「病気」をもっている。かく言う僕自身、今年の夏には、3週間に渡って寝込んでしまった。そして、今も尚、体重が減り続ける状態なのである。運動をやっていく以上、闘いであり、己自身が傷つく事があるのは当然と言えるだろう。しかしその「痛苦」は、未来への橋渡しという事。「我々の未来」(差別なき世界)へと結がっていなければ、その意味も薄らぎ、道徳主義的。修業層的マゾヒズムしかなくなる。
みんな、もっと、真剣に「健康」のことを考えていこう。(僕自身極度にその事に無自覚であるから。) あまりにも安易に身体を潰していかないだろうか。我々の日常は、一つの戦いである。身体を潰して、療養をとっても又、その洗浄に、赴かねばならない。しかし、その戦場では何が闘われているのか。それを問いかけてゆかなければならない。
今、我々の闘いの場は、非常に乱れている。仲間どうし、「おまえが行け」「あいつに行ってもらおう」といがみ合い、「しんどい」「いやや」と逃げ腰になっている。又、一方、できもしないのに、「銃弾」もないのに、「私が行きます」と無責任に引き受けてゆく者もでてくる。
一体全体、何を求めて闘っているのだろうか。障害者が、闘いの中核部隊であるといって、健全者が自分の持ち場を放棄してよいものだろうか?そこでお互いの信頼が生れてくるのだろうか。
健全者、自ら、健全者であることをもって、差別者たることを強いられている、健全者総体の解放、差別構造の解体に向けて、自分の人を完遂していこう。さてそこで、話をもとにもどして、「健康」の事についてだけれど、今のような状態で、この闘いに勝てる訳がないじゃないか!気分は低下し、気分はもうろう。
会議においまくられ、だらだらと何も決められず、又、何も行えない状態だ。これで、「健康」がとり戻せる訳がない。規則正しい毎日=6ヶ月間も、外で身体を動かすことがなければ、どんな身体も弱って当たり前だ。身体を動かし、食べるものを食べ、飲むものを飲んでこそ、「健康」は生れる。夜更かしはやめよう。特に労働者は、きっちりと生活のリズムを作り出し、「介護」だけではない、運動のダイナミズムを作り出してゆき、学生はしっかりとメシを食べ、栄養をつけてゆこう。
我々は、解放への百年戦争を開始したばかりだ。こんなにすぐへたばる様な体ではどうしようもない。
(14頁)
意見交換 自己主張 提言
自らの闘いの構築を! −松本徳修−
児童福祉施設の指導員という未組織労働者となり、はや5ヶ月。ここに収容されている子供の生き様にも、今はっきりと差別を読み取れるのです。昔の孤児院の感覚で施設をとらえている人は以外と多い。この間も、施設の傍をこんな会話を交わしながら歩いている親子がいた。「あんたなあ、おかあちゃんの言うこと気かへんだろ、ここへいれるでえ。」園の子供達は、この会話をどんな想いで聞いていただろう。自分の意志とまったく関係なしに、ここで生きる事を強いられている子供達……在日朝鮮人二世、混血児、猫の子のように路傍に産みすてられていた子、唯一の血縁者であった父親が、釜が崎のドヤで死んだという知らせを受けた子、「障害児」と呼ばれる子……でも、子供達は、自分のおかれている位置や、自分の被っている差別がまったく見えない状態におかれている。部落の子供会のように、きっちりと差別を教える組織もなければ、そういう職員もほとんどいないのが現実である。
園にあきらっていう男の子がいます。今6才の彼は、本当なら今年幼稚園へ行っているはずなんだけれど、一人でおしっこができない(いつもズボンが濡れている)、いつもよだれをたらしている、そんな理由で幼稚園も行けずにいるのです。あきらのお兄ちゃんのてつやは、数年前、やっぱりこの園においておくには職員の手がかかりすぎるという理由で、愛の集い学園という精薄施設に移されたのです。それから、あきらのお姉ちゃんのてるみは、今、小学1年生で普通学校に行っていますが、授業についてゆけないからと、担任の教師が、養護学校か障害児学級へ行く事をしきりに勧めるというのです。来春、あきらは小学校へ通い始めます。入学に際して多くの障害が待ち受けていることでしょう。その時、私自身一体なにができるのか、あきらや、彼と日々の暮らしを共にする子供達と、どういう関係を切り結んでいけるのか。差別のさの字も知らずにいる子供や、差別のさの字も口に出さない職員にとって、寝た子をおこす存在にならなければいけないと思うのです。
障害者解放運動に関わり始め5度芽の秋を迎えた今、私は私のまわりで様々な人間の荒々しい息づかいを感じる。それは、つぶされても、踏みつけられても尚もはいあがり、何かを作り上げようと必死に生き続ける仲間の息吹き、そして毎日、毎日確実に成長し続ける子供達の息吹き。自らの運動を作っていかなければならない。今、猛烈にそう思う。でも一人では何にもできない。職場でも(20頁)一人ではやることに限界がある。仲間がいる。志を共有し、具体的な作業を共にやり遂げる仲間が、差別を憎み、自らの生きる社会を自らの力で切り開いてゆける仲間が。その意味で、青い芝の連中も、園の子供達も、私は、共に生きてゆくべき仲間として意識している。遅々たるあゆみではあるが、自らの、そして人間の未来を切り開いてゆく闘いを構築してゆきたい。
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"故横塚氏追悼集会"のお知らせ 坂本博章
横塚氏が、他界されて2ヶ月が過ぎようとしています。同氏が障害者解放運動の創始者であったことは、みなさんご承知と思います。同氏の功績は、我々の未来に大きい光を投げかけ、明日への解放の道しるべにおいて我々障害者に強い自信を与えた人は、同氏以外にいませんでした。
私が同氏と初めて会ったのは、2年前の和歌山センター闘争でした。ちょうど、私は青い芝の会に入って間がなかったし、初めての座り込み闘争だったので、参加することも家族に偽り、自分で初めて行動したのです。座り込みは、まる2日行われ、最後に機動隊が導入され、強制排除されました。が、同氏は終始一貫して、我々の行動を外部から支援し、ある時は、座り込み現場に近づき温和な顔を見せて、我々を励ましてくれました。強制排除され、護送車に乗せられ、警察に連れられて行くかと思えば、警察ではなく、和歌山事務所に運ばれました。私は、真っ先に運び込まれ、その時に同氏に初めて対面したのです。同氏は入り口近くに座っていました。そこに運びこまれてきた私は、同氏をしらず、「そこのおっちゃんのいてんか。」と言い、ずかずかと奥の方へ入っていったのです。あとで横塚氏であることが分って、なんやら気恥ずかしい思いをしました。しかし、同氏は、そのようなことは何も気にせず、笑って道をあけてくれたことを覚えています。今になって思えば、同氏はこの様に、何事に対しても広い心を持っていたからこそ、現在の全国青い芝の会の総連合会ができたと思います。
しかし、同氏が、7月20日に42歳というまだまだ活動できる年齢で亡くなったことは、非常に悲しく、惜しまれることです。我々の障害者解放運動は、まだ幼児からやっと幼稚園に入った位の状況です。全障連にしても同氏の意志を継ぎ、今年で3回目の大会が京都で行われました。前段に掲げられた同氏の遺影を前にし、大会に参加した全員が決意を新たにしたものです。
同氏の大阪(関西)における働きは、今の大阪の解放運動に大きな1ページを残し、現在の大阪青い芝回をかたちづくったと考えます。そこで、大阪で活動している多くの闘う仲間と共に、同氏の功績を称え、その遺志の正当な後継者として自らを任ずべく、また哀悼の意を表する意味で、横塚氏の追悼集会といったものを行いたいと考えています。日時、場所、内容など、まだ充分にはにつまっておりませんが、11月初旬には行いたいと思っています。
追悼集会を成功させ、私たちの障害者解放運動を太く、たくましく、大きなものとするため、早急に内容を検討し、呼びかけたいと思います。
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編集後記(小林)
○「がしんたれ」最終号をお届けします。去る9月10日の全体会議で確認された様に、「がしんたれ」は、10月22日から発足する「意志決定委員会」の機関誌に、発展的に解消されます。それに伴い、従来の編集委員会は解体され、全く新たな質をもった、運動体の中枢たる「機関誌編集局」に再編されます。
○思えば、情況の最も困難な時期に、最も困難な任を背負って出発した「がしんたれ」でした。その任を充分に果たしたとは決していえないけれども、全ての同志の協力のもと、編集委員一人一人、よく頑張ったと思います。
○「がしんたれ」の発展的解消は、運動が一歩前進したことを意味します。本当の闘い、あるべき社会をめざす闘いは、実はまだ真に開始されていません。その陣容を構築するために、共動を発展させよう。
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バラの花全体会議
10月22日(日) ひる1時 豊中解放会館
外に向けられた確固たる組織、内実の伴う指導性、それらによる、障害者解放をめざす共同性の確立のために、大阪ゴリラ再建をまって、再度全体会議が開催されます。主体性を引きつれて、全ての人々の参加を!