HOME > BOOK > 雑誌 >

『がしんたれ』No.2

障害者解放新聞編集委員会 1978年9月5日

再録:定藤邦子



(1頁)
自らの位置を見極め、解放の進路を共に切り開こう!

 今、まさに時代は大きく動きつつある。資本主義の危機が到来していることは誰の力をしても覆い隠すことのできない厳然たる事実として我々の眼前に展開される。戦後30数年"民主主義"という擬制(みせかけ)の仮面の下、葬り去ったと思わされていた怪物がヌクヌクと肥え太り体制の危機の深化と共に鎌首をもたげようとしている。支配者は資本主義矛盾のツケを民衆に転嫁(なすりつける)し危機を乗り越えようと収奪・差別分断攻撃を強め、日常生活のしめつけを日に日に強化している。我々を取り巻く情勢は厳しさを増す一方であり、これを感じえない者、いや感じ取ろうと努力し、事の本質を見極めようとしない者は個人であれ組織であれ歴史のクズかごに葬り去られるだけである。
 転じて内を見据えてみよう。我々の運動は数ヶ月に渡る混乱と動揺の時期をぬけ、新聞・全障連・キャンプ等の取組みにより分散化の流れに一定程度の歯止めをかけえたものの外の嵐に抗し飛び発つ程の内実と力は残念ながら現状では擁しているとは言い難い。個への回帰(苦しさからの)逃亡や一見綺麗な言葉のオブラートでくるまれた皆の前に展開しない個の感情・想い(擬制民主主義の下で飼い慣されたブルジョア的エゴ)を大切にする風潮がいまだに根深く残り、真の同志的関係・解放運動創出への個々の献身と努力を拒んでいる。
 団結は一夕一朝でなるものではないが外の情勢を考える時、我々の知恵と力と情熱の結集は余りにも遅々としていると言ってよい。
 この憂うべき現状は何から生れているのか。これは主には先の見えない不安からきているのではないだろうか。将来を展望するには、まず足下を照らし出す努力をしなければならない。『我々は全体として個として、どういう位置にあるのか? 差別者なのか被差別者なのか? 収奪し抑圧する側なのか、される側なのか? 支配者なのか被支配者なのか?
(2頁) 被支配者ならば、どう差別・抑圧され、収奪され、支配されているのか? その支配の構造はどうなっているのか?』
 これらのことを明細に捉え闘わないかぎりどうあがいてみても我々は支配される側に身を甘んじなければならない。
 我々の運動は多くの成果を生み出してきたものの、生れてこの間まだ6年のハナタレ小僧である。学ぶべきこと、創り出さなくてはならぬものが無限にある。
 我々の運動に身を投じている全員が差別を憎み、支配されることを拒む、真の自由を欲する熱き人間であることを確信する。我々は将来を展望し、未来を切り拓く為に、まず足下を照らし出す作業に全員の努力を傾けようではないか!各地区・書くそう・全体で学習運動を強力に組織化しよう!
 学習運動の組織化と並行して障害者と健全者の共同性獲得の足がかりとして織学運動を展開しなくてはならない。障害者における識字とは、単に健全者が本を読み知識を得る"お勉強"では決してない。障害者がこれまで奪われてきた教育権を自らの手に取り返し、今後の解放闘争の一武器とする運動である。障害者にとり字を憶え知識を得ること自体が闘争であることを、我々は障害者も健全者も深く認識しなくてはならない。
 識字運動の落とし穴は教える側、学ぶ側という関係に陥り易いことである。障害者は健全者から字(物事)を学んでいるのでは決してなく、健全者は障害者に教えているのでも決してないことを認識し、障害者は卑屈にならず、健全者はおごらず、共に闘い団結を強める作業であることを日々・点検・確認し合わなくてはならない。
 すべての運動・個人に「支配する側に手を貸すのか、それとも新しい世界を築く側にまわるのか」が突きつけられている時であるが、我々の運動も又例外ではない。『着飾った感性論・決意主義に振り回され、差別の本質を見据えようとしないボランティア以下の運動・体制の補完物になりうるのか。それとも冷徹に差別を見据え、熱き情熱で闘う障害者解放運動を創出し、世の中を変革する流れの一翼となるのか』の重大な岐路に立たされている。前者は安易な悔悟の道であろう。後者は茨の道ではあるが、光が、未来の扉が約束されている。どちらの道を選ぶのかを一人一人に、今、突きつけられていることを忘れてはならない。我々の運動がどちらの道に進むのかは我々自身の努力と情熱の結集いかんにかかわっている。
■各地区・各層・全体で学習運動を強力に組織化し、全員で未来を展望し、切り開こう!!
■「がしんたれ」を媒介に障害者と健全者の協同性獲得を目指し、識字運動を大胆に展開しよう!!

(3頁)
全障連第3回大会に参加して                坂本 博章

 全障連も、早三回大会を迎え、何やかやといううちに終わってしまったと言う感じ。しかし、今大会ほど混乱と動揺の中で行われたことは今までなかった。それというのも、今まで全障連を牽引していた全国青い芝から今大会以後、全障連代表幹事を出さない、という組織決定がなされ、これが全障連に集まる各団体に及ぼす影響は想像を絶するものであった。
 なぜ、全青がこの様な決断を下したかというと、全青が一年半前に全障連で提起した行動綱領問題に関してである。この行動はこれからの全障連の方向性を決めるべく考え出されたもので、健全者との関係・障害者の運動への関わりを明確にすべく、新たな方針として全青が提起したものであった。しかし、一年半の間、この行動綱領に関して各ブロックで余り討論もされておらず、行動綱領をだすのは早すぎるという声もあり、行動綱領の必要性に関しても問題意識に欠けている部分さえ存在する状況であった。(行動綱領に関してはまたの機会に)
                  ★
 今年の大会は全体的に不完全燃焼で終わった様であり、結集数は千人位であったと思わが、質的に多少低下していた様に感じる。
 各分科会。分散会をとってみても何か欠けている感じがした。教育に関しても今年は"54義務化"を控えた年であるにも拘わらず、文部省闘争に主眼が置かれ、"54義務化"以後の取組みに関しては何ら目新し方針は打ち出されなかった様に思う。確かに今年が勝負の年であることは誰にでも理解できる訳だが、今、政府・文部省に攻撃をかけてみても今の情況では"54義務化"を白紙撤回させることは困難を極めると思う。何も中央闘争がいけないという訳ではなく、その前に「何か忘れていませんか。」と言いたいだけのことである。いかにして地域・校区の学校に障害児をいれるかをもっと考えることが足りなかったのではないかと思う。
 その他の分科会・分散会を見て、今年は生活に関して皆の注目が集まっていた様に思う。障害者にとり生活に関する議題が最も身近であり、又広範なウエイトを占める問題である。今の社会情勢を見ても障害者に対して日増しに苛酷になり生活権を脅かす風潮が目立ってきている。たとえば、障害者が一人アパートを借りて住もうとしても、ナンヤカヤと周りから圧力がかかり、行政レベルのしめつけも厳しくなってきたことを考えても、我々障害者がいかに自分たちの生活圏を取り戻しきれているか分ると思う。今、全障連に
(18頁) 課せられているのは、この様な一人一人の障害者の生活権をいかにして取り戻していくかにかかわっているのではないだろうか。
                 ★
 以上が今大会に参加した報告と感想であるが、最後に一番悲しく感じたこととして、横塚氏の死去と今大会の健全者ペースが目立ってきたことである。個人的にはこの二つのことの間に何か関係があるかのごとく感じられて仕方がない。横塚氏が日頃、言っておられた障害者ペースを一番大切にしなければならないということが、何か彼の死去によって忘れ去られいくような錯覚にとらわれて仕方がない。
                ★
何のかんのと言っても全国から闘う仲間が多く集まり、今、烽火(のろし)を各地にあげ、闘いの環を広げていこうとする中、我々としてそれを芯から受け止めていく態度を早急に創っていかなければならないと思う。

(4頁)
全障連第3回交流大会 レポート

 全障連大会への参加は今年で2回目ですが、去年と比べ私自身わりと主体的に参加するようになったと思っています。というのは、去年などまったく障害者の介護だけで行っており、全体集会も分科会もうわの空。何をしに、何を聞きに行ったのかわからんというのが本音。年に1度の祭りぐらいにしか思っていなかったと思います。でも今年は、分科会の方は時間の関係上2日間まともに参加できなかったけれど全体集会の方は一番前の席を青い芝と共に乗っ取り、真剣(?) に各団体のアピールを聞いていました。でもどこの団体も中味は違えどみんな同じ様な事に聞こえ、全然記憶に残っていません。アピールなんてもんはそんなものなのでしょうかね。
 さてそこで感じた事というと、車イスの障害者が例年に比べググッと減った事にも原因があるのかもしれないけど、全障連なんて別に障害者がおらんでもドンドン進歩発展していくんやないかということ。ほとんどの団体がこむずかしい政治をどうのこうのという言葉を並べたて私にゃ半分以上訳わからんかった。隣にいる青い芝はというとポッカリ口を開けて「な〜ん?」という感じ。わからへん、わからへんと居直っているというのは全く没主体的な話で、私らももっと勉強せんとアカンと思うけど何かやっぱり肝心な事が抜けているんと違うかなあという気がします。それに今年はハプニング多く、精神病集団のおっちゃんが演壇にあがってなんか訳のわからん事をしゃべったら会場から「ひっこめ。」の声。
「時間ないのに何を遊んでいる。」……等々。そりゃあんな時にあのおっちゃんは普通からしたら非常織なことしているかわからへんけど、私には何となく恐いものが感じられた。言語障害のきついCPがしゃべると「時間がないからもたもたするな。」なんて声があがる様になってくるんとちがうやろうかと。ま、そこまで言うと言い過ぎになるやろうけど、これから全障連には、そうなる要素も多分に含んでいるということ忘れたらアカンと思う。
分科会・全体会共に感じた事とそれは私自身にもいえることですが、どの人もみんな(特に健全者)54阻止、54阻止と口々に言い、実践報告や現場での問題なんか出してはったけど、何の種に、何で54阻止をめざすのか、そのへんの一番問題にしやなアカンとこがポッコリと抜け落ちている様な気がした。自分自身との兼ね合い、健全者である私が何でどのへんで54阻止を口にするのか、障害者と接する中から出てくるであろうその答えがない様な気がした。分科会でも、ほとんどが健全者の所では、トントンと報告はされても、その本質をつくる所の意見が出ない。(18頁) やっぱり私らはいつも障害者からのつきつけがなかったら何もでけへんという気がすごくします。
 私にとっての全障連って一体何やろか。教育現場で働いている人にとっては、割と対全障研的組織として受け入れられているみたいやけど、職場にいない私にとっては、何か大きすぎて、自分が全障連に参加する一人であるという実感がほとんどない。もう少し自分との兼ね合いを考え、年に一度の祭りで終わらせない様にしようと思っています。
最後に一言。あれだけ健全者がたくさん集まったのに、毎日毎日、何でこんなに人がおらんと泣かんなんのやろ。                    (松島 裕子)

(8頁)
「青い芝」の運動から考える その1 松井義孝

 よく活動家といわれる障害者の口から「最後まで闘う、死ぬまで闘う」という言葉が出される。しかし、この言葉は青い芝の綱領に反したものであり、自己主張を基調とした青い芝の綱領からは、死ぬとか最後までとかいう発想はタブーとされて当たり前の言葉である。こういう言葉が出てくる背景には、反差別運動の歴史か決意主義に傾く情況を我々自身が創り出してきた事実があったのではないか。問題はいかにして死ぬかではなくて、いかにして生きていくかなのである。「死ぬまで闘う、最後まで闘うという」言葉は「解放を勝ち取る為に闘う、生きる為に闘う」と言いかえるべきである。
 人間の一生は波乱に満ちたものである。しかし、障害者の人生はワンパターンに終わってしまうのが当たり前にされているが、そういうことが我々の運動にとって最も危険なことである。むしろ障害者こそ健全者よりも波乱のある人生を送っていくことこそ障害者としての生き様であり、そのことをもって解放運動としていく思想構築が今我々自身に問いかけられていることではないか。
 関西において我々の運動が一定の波及力を持ったのは。我々の街に出よう運動から地域での自立生活運動がハッキリと大胆に生きていくことを宣言し、実行してきたからなのだ。
 例えば、無欲の勝利という言葉があるが、これは真っ赤なウソである。勝つ為に闘うのであって負けるために闘うのではない。はじめから負けると分れば逃げた方が良い。ただ逃げ方にもいろいろあるが、ハッキリと相手に宣言して逃げるべきなのである。この一年間中途半端な形で我々の運動から去っていった人々に右の言葉を贈りたい。
 我々の運動は混沌からの出発であり、途中で訳のわからない情況に陥っても運動の原点に立ち戻り運動を創造する情熱と努力さえ放棄しない限り、輝かしい未来に向けて何の汚点も残さないのである。だからこそ我々は、すべての力を込めて今の運動を継承発展させていく態勢つくっていくべきなのである。こういうことが我々、一人一人の行動を規定していくのではないだろうか。


UP:20050520
大阪青い芝の会  ◇障害者(の運動)史  ◇雑誌
TOP HOME (http://www.arsvi.com)