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『カルチャー・レヴュー』2006・1

『カルチャー・レヴュー』
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/


 *以下は立岩に送っていただいたものです。
  直接上記のホームページをご覧ください。

『カルチャー・レヴュー』57号(正月号)
『カルチャー・レヴュー』別冊4号(正月号)
『カルチャー・レヴュー』58号(如月号)

『カルチャー・レヴュー』59号(弥生号)


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■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した「全頁」
 の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
 無断部分転載は厳禁です。
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◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)
     『カルチャー・レヴュー』57号(正月号)
         (2006/01/01発行)
     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
        [58号は、2006/02/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆連載「文学のはざま2」第4回:-------------------------------村田 豪
◆連載「映画館の日々」第11回:巳喜男の日々の砕片(2)--------鈴木 薫
◆INFORMATION:「哲学的腹ぺこ塾」60回/朝鮮語講座/フォトジャーナリス
 ト村山康文写真展「ベトナム戦争の傷跡」
◆黒猫房主の周辺「新年の初仕事」-----------------------------黒猫房主
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////// 連載「文学のはざま2」第4回 //////

  『日本文学盛衰史』『ミヤザワケンジ・グレイテストヒッツ』ほか
   高橋源一郎の最近の小説はいかが?
   ――あの素晴らしい「国民文学」をもう一度(1)
                              村田 豪
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 高橋源一郎が、最近どんな小説を書いているのか、気にしている人はあまり
多くないかもしれない。

 もちろん、デビュー作『さようなら、ギャングたち』は、本当に素晴らし
かった、とその印象を心に強くとどめている人は、たくさんいるだろう。ま
た、その後の『虹の彼方に』や『ペンギン村に陽は落ちて』にも、なんだか胸
のすくようなすがすがしい気分を与えてもらった、とある種の感謝の念を、今
なお作者にいだいている人もわりあい多いはずだ。そういえば『優雅で感傷的
な日本野球』が、創設されたばかりの三島賞の第一回受賞作となったとき、ど
んな内容なのだろうと本屋で立ち読みをして確かめてみたなぁ、という人もそ
こそこいるにちがいない。

 しかしそれらの作品はすべて80年代の作品である。そうではなく、2000年代
前半が過ぎようとしている現在、このたった今、高橋源一郎は「何を」「どん
なつもりで」書いているのだろうか、このような問いと興味をいだいている人
は、はたしてどれくらいいるものなのだろうか?

 確かに、大手新聞に書評や文芸時評を書いたり、また文学方面に限らず、競
馬解説などを通じてテレビにさえ頻繁に顔を出すことのある高橋なのだから、
世間の認知度は純文学作家にしてはかなり高い方だろう。にもかかわらず、今
彼が書いているものが、広い関心をえているとは言いがたい。むしろ、80年代
の、作者がそう広く知られていなかっただろう頃の作品の方が、まだしも読ま
れているのではないだろうか。

 本稿の今回の目的は、最近の高橋の作品にとりつき、それらが捉えようとし
ている「文学と日本語」、「文学と政治」のようなことを、つらつらと考えて
みることにあるのだが、本題にはいる前に、この「認知度はあるが、本職たる
作家活動の現在には、たいして関心を持たれてない」という、高橋の状況にか
んして少し言及しておきたい。

 まず、お断りしておきたいのは、「読まれているか読まれていないか」「注
目を集めているかそうでないか」という指標でもって、なにか作品の良し悪し
を論じようとしているのではないことだ。そもそも、この連載で扱われてきた
小説家や批評家のほとんどが、文学の領域以外ではずいぶんマイナーな存在
だったのだから(そしてその多くが高橋よりもはるかに認知度は低いのだか
ら)、今さらここにきてそんなことを言い出すのも奇妙なことだろう。つま
り、私が特別にこのこと「広く読まれているか否か」を重視しているのではな
い。

 しかし、高橋の近作を読むうえでは、結構このことを考えなければならなく
なる。なぜか。それは、実は小説家高橋源一郎こそが、この事態――自らの作
品と現在の「文学」が世間からあまりにも気に留められていないことに、最も
敏感であり、最も問題を感じているだろうからだ。そしてこの悲しむべき
(?)事態に傷つき(?)ながらも、高橋は逆に、この受け入れられていな
さ、自分たちの「文学」が帯びてしまう現実からの隔たりこそを手がかりにし
て、現在、自身の小説を模索探究している、と見うけられるからだ。どうして
それが小説にとっての「手がかり」になるのかは、また後に述べるが、とりあ
えず以上のような理由によって、現在の高橋の小説を読むうえで、「一般に興
味を持たれていない」ということはどうしても意識されてしまう。

 そして、いつからこうなったのか、というのも重要である。こちらはかなり
はっきりしていて、97年に出た『ゴーストバスターズ』以降のスタンスだと言
うことができる。なぜはっきりしているかというと、『ゴーストバスターズ』
が思いのほか受けなかったからだ。

 高橋は、「これぞ現代文学! これぞ世界文学!」とよばれうる、後世に名
を残すような傑作にするつもりでこれに取り組み、その意気込みに比例して80
年代後半から90年代の大半、つまり10年近くをも費やして苦心のうえ完成させ
た。ところが出来上がってみると、大方の評価はまったくかんばしいものでは
なかったのだ。ついには作者自身が「あれは失敗作」とまで公言するようにな
り、その後はこれまでとうって変わって矢継ぎ早に作品を世に送り出すように
なる。この一連のいきさつは、対談やインタビューなどで何度も繰り返し語ら
れており、「文学」業界では一種の常識や共通認識に属するのかもしれない。

 しかし、このことをどう受け止めればいいのかというと、これは難しい。と
いうのは、『ゴーストバスターズ』が本当に「失敗作」なのかどうか、考えな
いといけないからだ。こういう私自身、当時さっそく本を買って読み出しては
みたものの、どういう「ノリ」で受容すればいいのか、どういう「気分」で受
け止めればいいのかわからず、途中で読むのをやめてしまっていた。まあ、
ちゃんと読んでいなかった。いきおい読まずに「面白くない」と否定的な評価
をしていたのだ。

 それで、この原稿を書くために今回『ゴーストバスターズ』を読み直してみ
たのだが、やはり一概に「失敗作」と決めつけてしまうわけにはいかないこと
が、わかるのだった。というか、作者がこれを「失敗作」というとき、通常の
意味で「愚作」だと言っているのではないことがはっきりするのだ。単純に
言って、『ゴーストバスターズ』は上質の抒情をたたえ、容易には解きがたい
ミステリアスな後味を感じさせてくれて、「すんげー面白い!」と断言できる
傑作だと思う。実際、作者もそれだけの労力をつぎ込んだ意欲作だったのだ。

 ただし高橋はそのことを自分で「間違っている」と言うのだ。完璧な作品を
めざそうとするのは、十九世紀的な「傑作意識」によるのであり、フローベー
ルができたことを今も可能だと思うのはどこかおかしい、というのだ。作品完
成後の対談で高橋は、そしてそう考えるようになった理由を、自分の中の批評
性と小説作品との間のバランス、あるいは現実世界との関係をどのように取っ
ているのかを問題にしながら説明している。

 高橋――そういう作家(=苛烈な批評精神をもっている作家)は、自分の作
 品とどうやって折り合いをつければいいのか。何かスタンダードな方法はな
 いのだろうか。一つは、「名作」をつくるということだと思います。「名
作」 は批評の埒外にあるものだからです。そして、もう一つは自分の批評の
スピ ードに見合うスピードで走る小説を書くということです。そんなこと
を、こ の小説を書いている間ずっと考えていたんです。(『現代文学の読み
方・書 かれ方』河出書房新社、1998年)

 この自注的な発言からうかがえるのは、『ゴーストバスターズ』は、「名
作」として、あるいは「批評のスピード」に見合う作品として、位置づけられ
るべきだと作者はもともと考えていたし、それは可能性としてありえた。とこ
ろが、『ゴーストバスターズ』が現実的にはそのような作品にならなかったこ
とで、高橋は今度は、問題を「世界のスピード」のほうから計り直そうとする
ようになる。

 高橋――たぶん『ゴーストバスターズ』のような書き方はもうしないだろう
 と思うんです。妙な言い方になりますが、自分のスピードと世界のスピード
 は別々にあって、たいがいずれているわけですね。批評とは、そのずれを正
 していくことだと思うんですね。外の世界のスピードに無理に合わせる必要
 はないけれども、こことここはずれているということは言わなければならな
 い。(同上)

 つまり「批評のスピード」こそが、先んじて「作品」と「世界」を導いてい
く感覚が、80年代には幸福的にありえたのに、それを「作品」に落としこんで
いる間に、いつの間にか「世界」のほうが別のスピードでどこか別の方向に逸
れていった、というのだ。あるいは「世界のスピード」の前では、「作品のス
ピード」も「批評のスピード」も相対化されてしまうと、感じるようになった
のかもしれない。注目したいのは、先の発言では「批評」は自律的なものだっ
たのに、後の発言では「世界」と「作品」の距離をはかる単なるものさしに格
下げされているところだろう。

 もちろん、高橋は何度となく「まず第一に作家であるべきだから、とりあえ
ず世界のスピードに合わせる必要はないわけです」と確認して、いわば『ゴー
ストバスターズ』のような作品が書かれることを肯定している。が、これから
取り組む作品については、「外の世界に合わせて(書く)」と、はっきりその
スタンスの変化をうち明けていたのだった。

 以上のことから、近年の高橋の作品を読むうえで、一つの指針が浮かび上が
る。「世界のスピードに合わせる」ことが、具体的にどのような姿で作品にあ
らわれて、かつどのような成果をおさめているのかを見ることだ。その上でこ
そ『ゴーストバスターズ』の「失敗」の意味は明らかにされるだろうし、また
そのことなしに「いま広く読まれているか否か」というようなことを意味づけ
ることもできないだろう。そして、可能ならば、それらを本稿の本題である
「文学と日本語」「文学と政治」というような、難しくて高級な問題にも結び
つけて考えてみたい。ちょっと意あまって力及ばずになるかもしれないが。

 さて、現実の「世界のスピード」からずれていることを意識して、高橋源一
郎がまず取り組みはじめたのは、『日本文学盛衰史』(1997-2000雑誌連載、
2001年刊)だった。これは、ある意味で現実とは逆の方向に目を向けることに
なっている。というのも、作品の趣旨が、明治の近代文学にさかのぼり、近代
文学と口語日本語をつくりださんとする明治の作家たちの苦心に間近に立ち会
うことだったからだ。『浮雲』の二葉亭四迷や「ローマ字日記」の石川啄木、
『蒲団』の田山花袋、そして森鴎外に夏目漱石。なかば文学史をなぞり、なか
ば設定を現代におきかえて、自在なフィクションとしてそれらの文豪たちを描
き出したのだ。

 それで、これのどのあたりが「世界のスピードに合わせる」ことになってい
ると見なせるかというと、

(1)明治の文学者が格闘した「言語革命」を通じて、現代日本語における
「文学」の可能性を示すこと
(2)明治の文学者を使って現代の「風俗」を描き、またそこに潜む書くこと
の『政治性』を浮かび上がらせること

この2点が顕著に浮かび上がってくる。

 たとえば、作品は、日本近代ではじめて「自由な散文」で小説を書こうとし
た二葉亭四迷の「失敗」(!)とその死を描くプロローグから始まりるが、そ
れに続づく章に置かれているのが石川啄木なのだ。啄木は貧困と借金で首が回
らなくなっているのに伝言ダイヤルにはまりこみ、女子高生と「援交」する気
の弱い若者として描かれている。その「ローマ字日記」が以下だ。

 4gatu 8niti. Tyusyoku wo tabete Densya de syussya. Yugata 5ji-han
goro, Sinbun no Daiippan ga Koryo ni naru to Yo wa Sya wo deta. Densya
de Sibuya ni oriru to, Denwa Box ni hairi, Dengon Dial ni Denwa wo
kaketa. Yo wa Kyonen no Aki goro kara Dengon Dial ni kotte ita. Tuki
no Denwa no kakari ga 6yen kara 7yen mo atte, Kindaiti ni ayasimareru
hodo datta.[Isikawa-san, zuibun Denwadai ga kakarune] to Kindaiti ni
iwareru to, Yo wa [Hakodate no Setuko tati ni Denwa wo kakete iru
kara] to kotaeta. Zibun no Ansyobango wo osu to, Nangen kano Henzi ga
haitte ita. Yo wa Sono naka kara Zyosikosei wo erabu to, haitte ita
PokeBell no Bango wo osita. Sibaraku suru to, Yo no PHS ga natta.
[Ano, Bell haittandesu kedo] [Aa, Dengon de Henzi moratta Isikawa desu
ga] [Isikawatte?] [Etto, Tanka kaiteru Isikawatte Message ni iretanda
kedo] [Aa'…… Tankatte, Tawara-Mati toka aayu yatu?] [Tyotto tigau
kedo, Namae kiite ii?] [Miki] [Miki-tyan ne] [Ano, Enko nandesu kedo,
iidesuka?] [Aa, iiyo] [Ikura moraeru?] [3yen gurai?] [Ee? 5,6yen wa
hosiindakedo]

(日本語訳)
 四月八日。昼食を食べて電車で出社。夕方五時半頃、新聞の第一版が校了に
なると余は社を出た。電車で渋谷に降りると、電話ボックスに入り、伝言ダイ
ヤルに電話をかけた。余は去年の秋頃から伝言ダイヤルに凝っていた。月の電
話の掛かりが六円から七円もあって、金田一に怪しまれるほどだった。「石川
さん、ずいぶん電話代がかかるね」と金田一に言われると、余は「函館の節子
たちに電話をかけているから」と答えた。自分の暗証番号を押すと、何件かの
返事が入っていた。余はその中から女子高生を選ぶと、入っていたポケベルの
番号を押した。しばらくすると、余のPHSが鳴った。「あの、ベル入ったん
ですけど」「ああ、伝言で返事もらった石川ですが」「石川って?」「えっ
と、短歌書いてる石川ってメッセージに入れたんだけど」「ああっ……短歌っ
て、タワラマチとかああゆーやつ?」「ちょっと違うけど、名前聞いていい
?」「ミキ」「ミキちゃんね」「あの、援交なんですけど、いいですか?」
「ああ、いいよ」「いくらもらえる?」「三円ぐらい?」「ええっ? 五、六
円は欲しいんだけど」

 私が高橋源一郎をエライと思う一番の理由はこのあたりにあるのだが、まだ
うまく言う自信はない。もちろん、啄木に伝言ダイヤルさせ「援交」させるこ
とを面白がっているのではない。それは別に素晴らしいとも、くだらないとも
言う必要はない。重要なのはこの「ローマ字日記」を、近代日本文学の成立の
過程で、四迷の試みの次に配置しているところだ。

 四迷は自らロシア語の小説を翻訳し、それを日本語での近代小説の基礎にし
ようとした。しかし過度といえるほどロシア語原文を尊重したため、その文は
あまりに生硬でぎこちなく、口語的な小説を実現できないまま、死んでしま
う。そもそも外国語に理念と形式を与えられながら、その理念と形式の実現
は、民族が日常に使用する俗語によってなされなければならない、ということ
ほどの矛盾があるだろうか。しかしその矛盾を矛盾のまま実現するのが、近代
国民国家の言語であり、そしてこれは日本語だけの特別な事情ともいえないの
だろう。

 ややわかったように書いてしまったが、私はこのことが実はよくわからな
い。たぶん高橋もよくわかっていないように思う。四迷が懊悩する「状況」を
描きはするが、具体的にそれがどんな懊悩となるものなのか、できあがった日
本語で書かれるしかないこの『日本文学盛衰史』からは想像できないからだ。
とりあえず私にはできない。高橋にはひょっとすると想像できるのかもしれな
いが、それを現在の日本語の小説で描くことははたして可能なのだろうか。

 近代における国民言語・国民文学の創出についての歴史研究は、今日ではた
くさん著されている。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』や柄谷行
人『近代に本文学の起源』を先駆として、いまやポストコロニアル的文化研究
の視座は、良心的な知識人には常識の範囲に属するだろう。けれど、本気でそ
れは理解可能なものなのかどうか、どうも私には今もってよくわからない感じ
がする。

 要するにこれは、理解できたら済んでしまうというような種類の問題ではな
いからだろうと思う。ものすごく単純な言葉で言うと「実践」しなくては意味
のない問題だからだ。実証的な研究によって問題を分析的に理解できるように
なっても、その矛盾や課題に取り組まないならば、結局それはわかっていない
のと同じではないだろうか。

 『日本文学盛衰史』では、四迷の「革命」と「失敗」の意味を十分に理解し
えたのは、漱石と鴎外だということになっている。彼らこそが四迷の試みの本
質を受け継ぎながらも、その生硬さを洗練にかえることで、私たちがいま知る
ような日本語による国民文学を作り上げたことになっている。だから、漱石や
鴎外という大先輩にまじって小説を書こうとして果たせなかった啄木の「ロー
マ字日記」は、そういう意味で「また別にありえたかもしれない日本語」の可
能性を示している。そしてそれをいまでも使えるのではないかと考える高橋に
は、その「実践」を模索するぐらいの良心はあることになる。「ローマ字でも
現代日本語は表現できるんじゃない?」「ローマ字でも啄木ならコギャル語を
書き留めるんじゃない?」って具合に。

 では、実際この文は「読める」のだろうか。ほとんどの人は、一目見て反射
的にそれを飛ばして次の「日本語訳」を読んでしまうだろう。でも丁寧にロー
マ字を拾っていけば、音の連なりに意味が生じ、理解できることもわかる。注
意深い人なら、外来語はもとの外国語のつづりでつづられていることにも気づ
く。「ダイヤル」は「Dial」のように。それにしてももしこの文が広く定
着して存在することが可能だった場合、「Dial」ははたして何と発音され
ていたのだろうか?

 また女子高生の話し言葉「ああゆーやつ?」は「aayu yatu?」となってい
る。しかし正規のつづり方である「ああいうやつ?」も同じく「aayu yatu?」
とするしかないだろう。ということは「ローマ字日記」では、女子高生の口ぶ
りを写したかのような日本語文の作為性(「間違った」棒引き使用の表記は、
もちろん話し手が選択しているのではなく、書き手が「だらしなさ」「ばか
さ」のレッテルをはるためにある)は、消えてしまわざるをえない。たぶんに
口語的な文体を随所に折り込み多用している高橋にとっては、現在の日本語の
ある種の偏りと偶然と歴史性をあばくローマ字つづりには、可能性と同時に、
おそらく自らの文飾の消失点としても捉えられているだろう。

 田山花袋にも、高橋は石川啄木と似たような位置づけをあたえている。四迷
のなそうとしていたことのラディカルさが念頭にあった花袋にとって、自然主
義文学運動の盟友島崎藤村が打ち立てた金字塔『破戒』は、すごい作品だとわ
かっていても、何かが突き抜けていない、と感じられて不満だった。そして自
ら書いた自然主義文学者のマニフェスト「露骨なる描写」を実現する作品とし
て『蒲団』に取り組むことになる。

 ところが通常の文学史と違って高橋は花袋に、自分の理念である「露骨なる
描写」を小説作品では実現できないことに気づかせるのだ。そしてそれを真に
実現させるのはこれではないか、と花袋が可能性を見いだすのは、映像作品そ
れもアダルトビデオ制作だった。内容も中年文学者が弟子の女学生に悶々とす
るという、原作(?)と同じ設定。タイトルは『蒲団・女子大生の生本番』だ
という。

 ここでも花袋を現代のアダルトビデオに結びつける着想には、あまりこだわ
らないでおこう。より重要なのは、先ほどの「(1)明治の文学者が格闘した
「言語革命」を通じて、現代日本語における「文学」の可能性を示すこと」の
ラインでとらえられる問題を、高橋が現代の設定なら、小説や言語表現の枠組
みを逸脱する方向でしか示せないはずだ、と考えたことである。ここが端的に
『ゴーストバスターズ』以前では見いだせないスタンスかもしれない。「文
学」は別に小説とか詩やことばでなくてもいいかもしれない、と。そしてこれ
こそが「世界のスピード」とかかわる一つの方法とみなされていることは間違
いないだろう。

 ところが当たり前のことだが、高橋が書いた『日本文学盛衰史』は小説とい
う形式である。ローマ字日記も、コギャル語も、AV制作の現場も、監督との
「描写」についての問答も、高橋が考えるように、「四迷の不可能な試み=小
説の可能性」の極限を示す現実的素材ではある。しかし高橋はそれをやはり小
説に定着するやりかたで「暗示」するしかできない。だから描かれるものと描
く方法のずれを、高橋自身が消去できるわけではない。

 ここにきてようやく高橋のもう一つの取り組み、「(2)明治の文学者を
使って現代の『風俗』を描き、またそこに潜む書くことの『政治性』を浮かび
上がらせること」を見て取ることができるだろう。高橋はこれを具体的には大
逆事件を背景にした石川啄木と夏目漱石の交流として描き出している。が、も
ちろんこれも、高橋自身が書きつける過程で、自ら背負い込む問題として二重
化されている。次回後半では、高橋が啄木と漱石の姿に託したその「書くこと
と『政治』」の関係を見ながら、さらに最新の作品を読み解く予定である。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(むらた・つよし)サラリーマン。「哲学的腹ぺこ塾」塾生。

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////// 連載「映画館の日々」第11回 //////

           成瀬巳喜男の日々の砕片(2)
                              鈴木 薫
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 前回ちょっと触れた『三十三間堂通し矢物語』(1945)のクライマックス、
若者が次々と放つ矢が的に当るか外れるかの繰り返しという、基本的には単調
な(見物人の反応もむろん描かれるものの)場面を、成瀬は音を使って巧みに
構成しています。矢が命中すると太鼓が打たれ、逸れると鉦が鳴らされる。よ
く響くその音は家にとどまっている田中絹代の耳にも届くので、彼女は気が気
ではなく、ついに通し矢が行われている三十三間堂へ駆けつけるのです。

 これがサイレントの技法を継承したものであることに私が遅まきながら気づ
いたのは、『腰辧頑張れ』(1931)を見たときでした。家賃を取りにきた大家
を避けて父親が押入れに隠れると、そこには一足先に幼い息子が入り込んでい
ます。飛行機を下から見上げた映像が一瞬インサートされ、押入れの中の子供
がそれに反応する――この映画はサイレントなのですが、観客はこの瞬間、頭
上を通過する飛行機の爆音を本当に聞いたように感じます。あの飛行機は誰か
の視点によるものではない――押入れの中にいる子供にはむろん見えるはずが
なく、ただ聞こえただけなのですが、私たちもまた映像のせいでそれをともに
聴くのです(子供は飛行機見たさに押入れから出ようと暴れ、襖がはずれて、
結局父親は大家に見つかってしまいます)。

 『通し矢物語』のあの場面は、だから、考えてみれば絶対的に音を必要とす
るものではないのでした。鉦や太鼓が叩かれる映像に、田中絹代が何らかの身
振りをしている映像が接続されれば、それだけで、彼女にそれが聞こえている
のだと私たちは思い込みます。本来別々の映像の砕片[かけら]が、モンター
ジュにより相互に関連づけられるのです。

 こうした画面つなぎに役立つ技法とはいささか異なる、画面に同調しない
音、物語のなめらかな外皮に罅を入らせる異物としての音の使用が際立つ例と
して、『女の中にいる他人』(1966)が挙げられましょう。成瀬の終りから三
番目の、すでにカラーとワイド・スクリーンの時代にあってあえて白黒スタン
ダードで撮られたこのフィルムは、犯人が(ほぼ)最初から明らかな倒叙ミス
テリで、しかも、彼が周囲の人間に犯行を告白しても相手にされないアンチ・
ミステリでもあります。しかし、通常は、(成瀬作品としてもサスペンスとし
ても)異色のサスペンス映画ということになるのでしょう。

 この映画は、情事の最中に相手を誤って殺してしまった小林桂樹が主人公で
すが、タイトルを卒然と見れば、夫の殺人と自首の決意を知り、子供たちの将
来のために彼を殺す、新珠三千代が中心であるかのようです。藤井仁子は『成
瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房)所収の論文「映画の中にいる他人」で、小林
が本当に殺人を犯したのか、新珠が本当に夫の飲み物に毒を入れたのかは確定
できないと述べていますが、小林が殺人の状況を物語るナラタージュ(登場人
物のナレーションとともに現出する、一種の回想シーン)が事実の客観的な再
現とは限らないとしても、新珠は最後にナレーションで饒舌に語るので、少な
くとも彼女の夫殺しは事実として示されていると見るべきでしょう。ミステリ
あるいはサスペンスとして物語を消費したい観客を満足させるだけの辻褄合わ
せはなされていると考えられます。『女の中にいる他人』は、ある見せかけと
してのジャンルにおさまることで、逆説的にその中で最大の冒険を可能にした
フィルムと言えましょう。(註1)

 もともと成瀬の映画では、生活音が実によく聞こえてきます。日本の伝統的
家屋の開放性にそれが由来するという指摘はもっともで、『流れる』(1956)
について、「いかにもこの町らしい、洋食屋風の喫茶店での栗島[すみ子]・山
田[五十鈴]の会話の背後に、豆腐屋のラッパや〈バタバタ〉と呼ばれた当時の
乗物の音」が聞こえる、「家の中が往来のつづきででもあるかのよう」な「下
町風俗」と、自らも下町生まれの小林は、それをリアリズムと見なす視点から
証言しています。けれども、下町ではない場所にも音は入り込んでくるのであ
り、それはしばしば暴力的な侵入となります。前回の終りに挙げた『晩菊』
(1954)では、冒頭で表通りを走り回る宣伝カーの喧騒から離れたキャメラ
は、遮断された一種の安息所としての杉村春子の住いに入り込みます(彼女が
使っている女中さえ、そこでは、言葉を発することがないという理由で――余
計なことを外で喋られないからと杉村自身は言いますが――選ばれていま
す)。しかし、元芸者である杉村を若い頃無理心中で殺しかけた男の訪問によ
り、それもはげしく玄関の戸を叩くというやり方で、この静寂は破られます
(皮肉なことに、杉村が待っていた男、上原謙が訪れたとき、耳の聞こえない
若い娘は彼になかなか気づきません)。

 これが『妻として女として』(1961)になると、のっけから、リアリズムで
は全く説明できない音が、幸福な家庭のただなかに入り込んできます。淡島千
景は星由里子と大沢健三郎の一女一男を森雅之との間に持っているのですが、
実は彼らは二人とも、森の愛人、高峰秀子の産んだ子です。映画がはじまって
間もなく、家族四人が仲良く団欒する場面で、遠く警報機の鳴る音が聞こえて
きます。この線路は、あとになって、彼らの真の関係がすっかり明かされ、幸
福な家庭の幻影が崩れ去ったとき、家を出て姉弟が歩いてゆく先に現実のもの
として現われるのですが、大沢少年が『女の座』で鉄道自殺をすることや、
『乱れ雲』での警報機と赤いシグナルの不吉さを思いあわせて、観客は一瞬、
彼がそこに飛び込むのではないかという懸念に胸をよぎられます。実際には、
『女の座』が撮られたのはこの翌年ですし、『乱れ雲』(1967)はいうまでも
なく成瀬の遺作ですので、当時の観客はそんなことは思ったはずもないのです
が。近くに線路があることは、このときもこれ以後も、物語に何一つかかわっ
てきません。たんに監督の何らかの記憶が、ここで警報音を響かせたというこ
となのでしょうか――ボヴァリー夫人が情夫と走らせる馬車に養老院の傍を通
過させながら、少年時代の記憶の中の、養老院の庭の情景をそこに書き加えた
フローベールのように。(註2)

 『女の中にいる他人』に戻りますと、この映画は殺人を犯した直後の小林桂
樹が(むろん観客はまだそのことを知りません)路上に佇んでいるのを、私た
ちが見出すところからはじまりますが、このときすでに画面はノイズに満たさ
れています。むろん、都会の道路が耳ざわりな音で充満しているのはごく自然
なことと言えるので、車も人もさして見当たらないものの、それを気にとめる
観客はいないでしょう(ただ、路面が濡れていることと閉じた傘を持った通行
人が傍を通り過ぎるのは伏線で、このあと執拗に降る雨を私たちは目にするこ
とになります)。小林が路傍のビアホールに入ると、ノイズは遮断されます。
しかし代わって、すぐにガラス張りの壁の向うに友人の三橋達也が現われ、小
林を見つけて親しげな身振りをして入ってきます。代わって、と言いたくなる
のは、小林の挙動のはしばしから、この男に会いたくなかったということが明
らかにうかがえるのに加えて、この映画を最後まで見るならば、小林の留守中
に大きな音の出る玩具を持って彼の子供たちを訪れる三橋もまた、外部から入
り込んでくる一種のノイズではないかと気づかされるからです。また、小林の
勤める会社は、隣のビルが工事をしており、窓を開けると騒音が入ってきま
す。これはもう、リアリズムでも何でもない、〈聞こえている音に気づかせ
る〉ための仕掛けとしか思えません。

 翌日からは雨が振り出し、外から内への絶えざる浸透を思わせる雨は、小林
の自宅の窓ガラスを、また、三橋の妻の葬儀が行われる、葬祭場の待合室のガ
ラスを濡らしつづけますが、これには梅雨の時期であるという合理的な解釈が
なされるでしょう(物語の終りは花火大会に設定されています)。しかし、雨
はもちろん、工事現場の騒音さえ、窓を閉めれば遮断しうるのに、小林が帰宅
してみると、そこには三橋が騒々しい音を立てる玩具で、彼の子供たちを遊ば
せているのです。実は小林が殺したのは三橋の妻であり、警察にも真実が突き
止められない中、堪え切れずに三橋を訪れて小林は告白します。この場面で
は、相対する二人の背後、あけ放たれた窓の向うに見える隣家の、これも開い
た窓の中に、ゴーゴーを踊っている若者たちの姿が見え、騒音が響いてきま
す。閉ざされた二人きりの告白の場であるべきものが、ここでもまた、ノイズ
に/へと、開かれ、浸透されているのです。この告白にもかかわらず、三橋は
一方では小林の行為を見過ごそうとし、他方では〈内〉へ入り込んで、夫婦の
留守中に急病になった息子の命を救い、おもちゃの消防自動車のノイズを響か
せます。

 『女の中にいる他人』の終り近く、小林の自宅の階上の窓の外には、夥しい
花火が打ち上げられています。言うまでもなく、これは〈内〉への激しい音と
光の侵入でもあるわけです。一方、会場でそれを見上げる、小林の子供たちお
よびその祖母の顔と花火の映像は切り返され、花火を見て彼らが顔を輝かせて
いることが示されます。闇を彩る白くまばゆい光。同時に室内では、小林と新
珠の最後の対決が行われています。ここに至るまでに、実は光と闇との対比は
至るところで示されていました。ビアホールで出会った夕、三橋の妻に異変が
あったことが知らされたあと、帰宅した小林がそうした話を妻にしながら家族
に背を向けるとき、その顏は半ば闇に浸されます。スイッチで部屋の一部を明
るくしたものの、また消してしまう小林。そこへ近づいてきた新珠の、白いた
まご形の顔もまた、一瞬闇に沈みます。彼女が夫の共犯者なること、今はまだ
打ち明けられていない罪を、あくまでひた隠しに葬り去ろうとするであろうこ
とは、このときすでに予告されていたのかもしれません。

 妻に対する小林の一度目の告白(浮気の告白)は、停電と、新珠がともした
一本の蝋燭という、まさに光と闇のコントラストそのものの中で行なわれ、二
度目のそれ(殺人の告白)は、神経衰弱になって湯治に行った小林と、後から
訪ねた新珠が、散歩の途中入ってゆくトンネルの中で行われます。彼方に出口
が見えるトンネルの闇(暗黒の背景!)を背負う小林から、キャメラは切り返
して、トンネル外の明るさを背景にした、白い和服とパラソルの新珠の顔をス
クリーンいっぱいに捉えます(彼女の白い顔がこれまでにない比率でスクリー
ンを占め、それは圧倒された観客の心に、いずれも微量ながら恐怖と笑いを呼
び起こしもするでしょう)。子供たちのためにあくまで事件を隠し通すこと
が、彼女の一貫した願いです。しかし小林は翌朝自首するとすでに心を決めて
います。そして暗黒の空に花火が上がり、絶え間ない侵入者としての爆発音が
響き、見上げる子供たちの顏が明るく照らし出されるとき、新珠も心を決める
のです。

(註1)この映画の脚本と完成したフィルムの違いについては、藤井仁子の興
味深い指摘があります。殺人の行なわれた部屋の持主である草笛光子が被害者
の葬儀の席で、ベッド・サイドの花瓶にこんなものが入っていたと三橋達也に
ペンダントを渡す場面があり、また、小林が新珠に殺人を告白するとき、情事
の前に愛人の首から外した装飾品を花瓶に入れるさまが〈ナラタージュ〉とし
て観客の前に展開されるのですが、藤井によれば、脚本ではこのあと新珠は三
橋に電話して、確かにペンダントが花瓶から見つかったとの答えを得、夫の告
白が真実だという逃れられぬ事実に直面することになっていたそうです。
 しかし成瀬はこの部分を省略してしまったので、唯一の物的証拠は宙に浮
き、わざわざそれを花瓶に入れることも意味を持たなくなり、草笛が三橋にそ
れを渡す場面ともども、物語との緊密な連携を失ったことになります。
(註2)『乱れ雲』の警報機に関しては以下で触れています。
http://kaorusz.exblog.jp/pg/blog_view.asp?srl=3589621&nid=kaorusz

★参考文献は最後に載せます。
 
■プロフィール■
(すずき・かおる)またしても大晦日に原稿を書いています(今年はコミケも
見送ったのに〜)。ジェンダーフリー・バッシング言説の愚かしさと、近代建
築の破壊と、再開発という名の止まない町殺しに、怒り、呆れる一年でした
が、これは新年へ持ち越さざるを得ません。
最新の信じがたい提灯持ち記事です。↓
http://www.sakigake.jp/servlet/SKNEWS.Column.hokuto?newsid=20051228ax
鈴木のブログ「ロワジール館別館」は、http://kaorusz.exblog.jp/ です。
なお、近代建築の破壊と保存については、最近書いたエントリーが
http://kaorusz.exblog.jp/i10 にあります。

●●●●INFORMATION●●●--------------------------------------------

 ★朝鮮語講座 http://ksyc.jp/korea.html

 2006年度受講生を募集します。(神戸学生青年センターの朝鮮語/韓国語講
 座は、1975年からつづいている神戸でもっとも歴史のある朝鮮語/韓国語講
 座です。講師はすべて経験豊富なネイティブ韓国人。)
 2005年度の編入も可能です。http://ksyc.jp/korea.htmlをご覧ください。

 ★フォトジャーナリスト村山康文写真展「ベトナム戦争の傷跡」
     http://ksyc.jp/sonota.html

 ■2006年1月16日(月)〜22(日)
   午前9時〜午後10時まで(ただし最終日は午後6時まで)
 ■1月19日(木)午後7時〜 講演会
  「枯葉剤被害者ユンちゃんと出会って」村山康文さん
 ■主催:枯葉剤被害者ユンちゃんを支援する会
 ■会場・後援:(財)神戸学生青年センター http://www.ksyc.jp

 --------------------------------------------------------------------

 ★第60回「哲学的腹ぺこ塾」★
 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/harapeko.html
 ■日  時:06年01月29日(日)午後1時より4時まで。その後、新年会。
 ■テキスト:ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』(岩波現代文庫)
 ■会  場:るな工房/黒猫房/窓月書房

■黒猫房主の周辺「新年の初仕事」■------------------------------------
★新年明けましておめでとうございます。読者各位、本年もよろしくお願い申
し上げます。
★毎年、黒猫房主の初仕事はこのメルマガの発行なのでした。仕事にはlabor
とworkの意味がありますが、黒猫房主にとっても寄稿者においてもその両義性
を生きていると思います。この両義性を限界まで愉しむこと。仕事は苦痛ばか
りではない。敵対もあれば出会いもある。凡庸だが「人生は山あり谷あり」で
あるから希望を失うことなく、疲れたときは休めばいい。生き急ぐことなく、
とにかくゆっくりと歩けば拾いものもあるさ、とビールを呑みながら。(黒猫
房主)

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『カルチャー・レヴュー』57号(通巻60号)(2006/01/01)
■編集同人:いのうえなおこ・小原まさる・加藤正太郎・田中俊英・ひるます
      文岩優子・野原燐・村田豪・山口秀也・黒猫房主
■編集協力:中原紀生 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
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 (創刊1998/10/01)
    『カルチャー・レヴュー』別冊4号(正月号)
         (2006/01/01発行)
     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房

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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆映画『三丁目の夕日』異論
   ――涙とともに流してしまいたくはないこともある---------橋本康介
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////// 映画時評 //////

     映画『三丁目の夕日』異論
     ――涙とともに流してしまいたくはないこともある

                              橋本康介
/////////////////////////////////////////////////////////////////////

     青丹よし 寧楽の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
                   (『万葉集』卷第三、小野老朝臣)
      730年、小野老 太宰府の高官に着任(737年、太宰府で死亡)

 奈良の都の隆盛を、今が盛りと そのまま単純に称え上げた歌だろうか?
 奈良と倭の旧都ここ大宰府をともに知る作者が、この地の荒廃の その訳を
 知らぬはずもない。
 奈良よ 勝ち誇る奈良よ、そうやって浮かれていなさい、咲き誇る花は 盛り
 であらばこそ やがてまもなく散って行くのだ……そう言っているのではな
 いか? 作者の歴史認識と 奈良の隆盛とが対を成している。諦念である以
 上に異論でありそうだ。
 倭国、倭都、天智天皇、白村江、大海皇子、大友皇子、壬申の乱を巡るぼく
 の仮説もあるのだが、ここは古代史を論ずる場ではない。 それはしかるべ
 き機会に譲りたい。

0.涙……たが映画への違和が……

 世は『涙ブーム』だそうだ。先日NHKの番組がそう語っていた。「いま会
いに行きます」しかり、「その日のまえに」しかり……と。
 『三丁目の夕日』もそのブームのうちなのか? 何人かの友人に薦められ観
に行ったのだが、やはり号泣してしまった。
 何なのだろう、今回は違和が身体にこびりついている。
 漫画作者の西岸良平に文句はないし、映画の作り手への敵意もない。
 あのようなカタチで時代を切り取る「視線」「思想性」は、それはそれでひ
とつの立場・方法論だとは思う。

 独身にして作家志望、駄菓子屋にして雑文書き東大卒の竜之介さんの立ち位
置にも、身寄りなき少年淳之介との奇妙な共同生活にも、街の人々の温かく優
しい人情にも、「昭和33年」らしさや「前向き」な時代の気分を感じないわけ
ではない。また、ぼく自身(当時十一歳)の「時代記憶」や、親・兄・先輩・
恩師によって刷り込まれている「時代譚」と大きく違うわけでもない。今はも
う失せてしまった「良きもの」に満ちていた時代でもあったことを、いささか
も否定するつもりはない。

 ただ、ぼくを含めた観る側の「涙!涙!」にはちょっと違和があり、それは
日に日に成長してわだかまってしこっている。
 号泣場面・号泣事案を喪失して久しいぼくを含む市井の人々が、カタルシス
を求めて映画館へと脚を運んでいるとしたら、考え込むところだ。ぼくもま
た、御多分に漏れず号泣してしまっただけに、そこはハッキリさせておきた
い。 ぼくを含む観客の過剰な涙も映画が示す「時代」への目線も、どうにも
気なってしかたがない。
 もちろん、政治やイデオロギーではなく時代を語りたいのだ。

1.何が外されているか

 1958年(昭和33年)。東の都は、帝都の香り匂うがごとく今盛りなり、と華
やいでもいた。

 若い勤労者は、社会への目を閉じる限り、上司に『おーい中村君』(58年、
若原一郎)と呼び止められても『有楽町で逢いましょう』(58年、フランク・
永井)と逢引を謳歌できたし『銀座九丁目は水の上』(58年、神戸一郎)と浮
かれることもできた。湘南族の国民的スターは『俺は待ってるぜ』(57年、石
原裕次郎)とイキがっていても、東京でひとり働く娘は、母を招いた久し振り
の再会に『東京だよおっ母さん』(57年、島倉千代子)と無理して散財し、翌
日はまた独り『からたち日記』(58年、同)を書いて自らを慰めるのだった。

 街工場の若者は、旗揚げした組合が暴力経営者に足蹴にされ、不参加者から
は『だから言ったじゃないの』(58年、松山恵子)と嘲笑われても、クルリと
輪を描いて支持してくれる『夕焼けとんび』(58年、三橋美智也)たちを信じ
ることもできた。村では 駅まで三里の『柿の木坂の家』(57年、青木光一)
の青年は『愛ちゃんはお嫁に』(56年、鈴木三重子)と太郎を恨んで泣いてい
たし、友も『東京の人』(56年、三浦光一)を『哀愁列車』(56年、三橋美智
也)で見送ったのだ。

 復興の嵐にねじれる世情。「解禁」の好期到来とばかりに「皇国」正当化が
声高に叫ばれ、『明治天皇と日露大戦争』(57年、新東宝)が空前絶後の大
ヒットを記録したが、『私は貝になりたい』(58年、TV)は戦争における大
衆と国家の関係を問い、テレビは『事件記者』(58年、スタート)などが、覚
悟して掘り下げてしか聞こえない事件の裏面に埋もれてくぐもる「人間」の声
を描いてもいた。

 東京タワーに大量の鉄骨が使われる一方、大阪城のすぐ横では巨大な焼跡=
大阪造兵厰の残骸が剥き出しの鉄骨を、野に晒して喘いでいた。その周辺には
通称アパッチ部落があって 、その地ベタでは住人が明日の糧となるその屑鉄
を求め、連日『夜を賭けて』(02年、金守珍・監督)駆けていたのだ。

 皇太子妃が決定(58年)しても、なべ底不況(57年)以降の惨状は都市・地
方を襲い、「民主」を砕き「人権」を貶め、争議も激発。全国の米軍基地整備
はますます進み(立川基地強制測量、57年)、教育現場の自主性解体(勤評)
など、「戦後」社会は復興の完成に向かって驀進していた。以来今日この国が
進む道筋は、ぼくらの知る通りだ。

 パンフに「昭和33年はこんな年」という欄があって、その年の出来事が羅列
してあるのだが、意識してか無意識か下記の重要事項は斥けられている。
 一例として示すのだが、いま手許にある毎日新聞社発行の部厚い『昭和史全
記録』には、『三丁目』の年58年のいくつかの出来事が、「時代」から外せな
いものとしてキッチリそして大きく記載されている。いくつか挙げる。

 【勤評闘争(前年から 全国で国民を巻き込んで闘われた。多数の逮捕者
 や、自殺者も出た。翌年へと続く)、売防法スタート、道徳教育スタート、
 公安条例に違憲判決、沖縄人に日本人教育(返還前米軍政下沖縄に教育基
 本法)、王子製紙争議無期限スト、大阪地裁 監獄法に違憲判決、警職法反
 対闘争、校長手当てを組合管理。
 (何とスゴイ判決や国民的な抗いがあったのだ。)1958年。】

 もちろん、原作も映画も「たまたま」東京タワーが見えるある街の たまた
ま」実直で優しい人々の人情と交流を描いたものだ。
その限りでは、ぼくの論難は「ケチつけ」のそしりを免れまい。
 が、例えば「この十年の茨木 安威川上流の人々」を描く映画なら、安威川
ダムもダムを巡る人々の関わりも当然のごとく消せないし、「生野区 猪飼野
の群像・人情」を書く脚本なら、在日朝鮮人が登場しないはずもない。意識し
て外す以外、有り得ない。

 60年代を扱うアメリカの青春映画なら、公民権運動・ヴェトナム戦争・ケネ
ディ暗殺(63年)・キング牧師暗殺(68年)……それらを直接語らずとも、画
面に時代の影がその香りが、裏に底に重低音の響きとなって伝わって来ないは
ずはなく、それが現代中国なら、大躍進時代や文化大革命・下放青年のその光
と影が見え隠れして当然なのだ。

 事実いまも記憶に残る60年代アメリカ映画の秀作はことごとくそうだし、中
国では張芸謀(チャン・イーモウ)の作品などもそうである。「初恋のきた
道」の恋物語から、右派というレッテル貼りに翻弄される青年(主人公の夫)
という骨を除いては、観客泣かせのストーリーはストーカー少女の物語となっ
てしまう。そうなら、抜群の映像美も主人公の心理を切り取る工夫されたカメ
ラ・アイも、ちょっと嫌味な乙女心が際立つあざとい手口だとも言えそうだ。
現代中国の悲哀は伝わって来ない。

 『三丁目』には何が見え隠れしているのか? 『三丁目』にそれが見えない
のはあえて外しているからだ、と言いたくもなる。東京タワーっ? タワーは
見え隠れではなく、明るくそして誇らしく天に向かってそびえているぞ。

2. 映画作家が外せなかったこと

 話は飛ぶが、浦山桐郎(映画監督)の映画には必ず在日朝鮮人が登場する。
 例えば『キュ−ポラのある街』(62年)では、帰国運動で帰って行く友との
国鉄川口駅での別れのシーンは有名だ。『青春の門・筑豊篇』(75年)では朝
鮮人活動家:河原崎長一郎の存在や朝鮮人児童へのイジメに加わっていた我が
子を見つけ、吉永小百合が身を震わせ手を上げて叱るシーンは印象深い。
 在日朝鮮人を外しては、浦山は戦後を語れなかったのだ。『三丁目』は、で
は何を外せなかったのだろうと思うばかりだ。

 ぼくはいまここで、在日朝鮮人を出せと言っているのではない。マイノリ
ティーのエピソードが欲しいとダダをこねているのでもない。労働争議を登場
させろと怒鳴っているのでもない。そうではなく、語るべき「物語」には外せ
ないものがあり、逆に映画もそのパンフもが、58年(昭和33年)の出来事群か
ら、多くのことを外してしまうことに違和を感じているのだ。

 眼を塞いで語られる過去なら、まるで昔ぼくの前で「戦争自慢」をしていた
「大人」と変わるところはない。虚構された美しい物語、自説に不具合な部分
を外して伝えられる「大人」の「ノスタルジア」なんぞは、ハッキリ言えば
「大ウソ」なのだ。

 『三丁目』が外せなかったのは東京タワーだろうか? そして自説は「輝け
る50年代」「美しく活力ある『戦後』」なのだろうか? だとすれば、建設中
の東京タワーによって暗示される「時代」がどのような相貌をしていると、作
者は言いたいのだろうか?

 ここでは「東京タワー」までの日本を賞賛することの他に、一体どれほどの
「時代証明」が為されていると言うのだろう。
 ほぼ同時代を描いた 監督:小栗康平『泥の河』(81年)は戦争から十年と
のことだから55・56年だと思うが、戦争の影や復興に忘れ去られた人々への切
情が、つまりは「時代」の実相が描かれていた。

 船上売春する母(加賀まりこ)の場所換えに伴って去ってゆく舟の友を、主
人公が「きっちゃ〜ん」と呼びながら追い続けるラストシーンは、ポンポンポ
ンの船の響きとともにいつまでも胸に残り、泣いて終わらせてはくれない。ぼ
くと同世代のきっちゃんはヤクザになっただろうか? やはり特権的な存在
だったと認めざるを得ない「過激派学生」になんぞには、きっとなってはいる
まい。

 きっちゃんの姉・銀子は六子と同世代で、ぼくは彼女のその後が今も気に
なってしかたがないのだが、頭のよい子だった銀子はその小さな希いのたとえ
ひとつでも実現しただろうか?
 銀子の「戦後」不信の目、その願うような見通し刺すような目に、「戦後」
後の日本はもちろんぼくらは何を答えることが出来よう。

3.六子、ジュンとミツ

 『三丁目』の登場人物に移ろう。ぼくが気になるのは、集団就職の六子だ。

 その後の高度経済成長を支えたに違いない 集団就職の金の卵たちの「人生
の この一曲」は『あぁ上野駅』(64年、井沢八郎)だとのアンケート結果が
あるが、『三丁目』はせっかく上野駅・集団就職列車を登場させながら、扱わ
れる六子は集団から抜きん出て「まれに見る幸運」の女の子だ。労働は不慣れ
で過酷でも町内のいい人たちに囲まれ、未来を信じることが出来る。駅で別れ
た少女たちの中から、作者は彼女を選び取るのだ。

 六子とほぼ同世代の少女を描いた浦山『キューポラのある街』(62年)で
は、ジュン=吉永小百合はそうした現実と闘ってでも、知的にも経済的にも自
立しようと考える少女だった(とはいえ、彼女の「理想主義」は もちろんあ
る種の幼さだと言えなくはない)。

 しかし、作者(原作:早船ちよ、脚本:今村昌平・浦山)には現実を予め考
慮の外に置く美談仕立ての欺瞞も、その理想の幼さを揶揄するいやらしさもあ
りはしなかった。
 見方によっては『キューポラ』の姉妹編とも言えるだろう浦山『私が棄てた
女』(69年)では、主人公=集団就職のミツ(小林トシエ)はある意味でジュ
ンのその後を提示して哀しい。

 60年安保の政治の季節が終わり、吉岡=河原崎長一郎はインテリ学生の贅沢
な、そして誠実(?)な湿った時間を挫折病にしがみついて生きている。そん
な東京のあこがれの学生さんと出会い信じ、愛し中絶の果てに棄てられる女。
それが ドジでのろまで田舎者の主人公 、集団就職で東京へ出て来て働くミツ
だ。

 浦山は明らかに、この対照的な二人の女性主人公(六子の前後の世代)ジュ
ンとミツを浦山がこだわり・抱きしめるべきひとつのことして、その表裏とし
て描き かつ「二人はどこか同じで自分とも同じなのだ」と女・時代・己れ、
その全体に挑んだ。

 六子に、そうした視点へと辿れる可能性をこそ見たいのだ。それをさせない
のが、多くを外して成っている『三丁目』ではないか? 巨大な「東京タ
ワー」の威容がそれを阻んでいる。
 六子像の続編を構想できる、何か時代の香り、その片鱗を感じたかった。

4・東京タワー青信号

 呑み屋のヒロミ(小雪)は、親の負債の取立てに追い回され、身を売って
(と店の常連が言っていた)返済に充て店も閉める。映像で見る限り、行った
先はおそらくストリップ小屋かそれまがいだろう。

 この女性からも、時代の最深層部にのたうつ女の陰りは排除されるが、どこ
かアッケラカランと今風なのだ。そのことは「いや〜あれはキャラなのだ」で
はなく、映画全体を被う「誤認」とも言える時代把握と無縁ではあるまい。
 泣け、叫べ、暗くあれ、と言いたいのではない。「時代」を透視させて欲し
いのだ。

 茶川竜之介は東大出の叡智を総動員して、這ってでもヒロミを探すぞとはな
らず、救済方法(相続権放棄、破産など)を考えることもしない。
 ヒロミも身売り(と言えるかどうかは別にして)の回避を考え逡巡しはしな
い。そうした親の債務・身売りという、ただならぬ言葉に見合うきしむ重量
も、金を工面した苦労譚=指輪逸話で仕立てた恋愛劇にふさわしい、ささくれ
た必死さも、つまりは納得できる「必然」が、彼ら二人の事態への対処からは
見当たらない。あざとい道具仕立てで観客を泣かすのは罪深く軽薄だ。

 映画にからんで、毎日新聞社『昭和史全記録』に即して言うなら、監督:川
島雄三『洲崎パラダイス 赤信号』(56年)は売春防止法成立前の時代を描い
て秀逸だ。喜劇仕立てであっても、そこに展開される「時代」にへばり付いて
生きる主人公男女のすかたんドタバタ道中には、その「必然」があったと思
う。

 パラダイス(売春街)への入り口に架かる橋が比喩的に登場する。その橋の
たもとにうらぶれて立つ呑み屋で、あっちへ行くかこっちに残るか……ギリギ
リ踏みとどまっている女、蔦枝(新珠三千代、意外にも見たことないほどのハ
マリ役だった)と、何をしても続かないダメ男、義治(三橋達也)との明日の
見えない「今日」につまずいて漂う男女。「戦後」を生きあぐねるその姿を通
して、戦後空間の時代不安を活写していた。……女は橋を渡らなかったのだ。

 社会が落ち着き始め、復興の明るい未来への展望も拓けている。公務員・サ
ラリーマン・他、その流れに与する人々から隔たったひと組の男女……。喜劇
タッチの中に、その空虚と不安を見事に映像化していた。

 出自や境遇、恋愛や別れ、その設定に作者の思想、作者の必然が示されてい
ればこそ、それが腑に届くのだ。そこにはきっと必ず作者の時代認識が示され
ているはずだからだ。設定が、便宜的で泣かす為の単なる小道具であっては白
けてしまう。
 ヒロミを探そうともしない茶川君だから、アイディア(幼い淳之介の)剽窃
に本源的な痛みも悔いも持たないのだろう……と皮肉のひとつも言いたくな
る。
 こう書いてきてハッキリして来た。映画『三丁目』が外せなかったのは、や
はり東京タワーに違いない、と。

5.本当は何が見え隠れしているのか

 では東京タワーを建設した時代とは、実のところどのような時代なのか。ぼ
くたちは東京タワーの威容に圧倒されることなく、タワー前後の時間を俯瞰し
て見届ける誠実によって時代を認識したいものだ。時代とは、ある時代だけを
切り取って提示できるものではない。どの「時代」も、それは「点」ではな
く、その前の時代から次の時代へ通過する「線」上に在るのだから……。

 焼跡・闇市の「戦後」は、冷戦構造・朝鮮戦争で政経の変貌・復興を遂げつ
つあった。「戦後」のアダ花的財産が次々と清算されて行く。自衛隊発足しか
り、教育委員公選制・戦後民主的諸制度しかり。日本は、戦後再び朝鮮をダシ
に生き延びたと言える。50年からの朝鮮戦争による特需があり、53年休戦協定
を経て、そこから五年後が『三丁目』の時代だ。朝鮮戦争後とはどのような時
間か?

 ここで年表とは雑なことだが、先を急ぐので書いてみる。

 (毎日新聞社『昭和史全記録』より)
 54年:第五福竜丸ビキニ環礁で被爆、ヴェトナムでディエンビエンフー陥落
    (フランス軍)、日鋼室蘭193日スト。
 55年:外国人に指紋押捺実施、砂川闘争。
 56年:教育委員公選制廃止、売春防止法成立、経済白書「もはや戦後ではな
    い」、ハンガリー動乱。
 57年:建国記念日可決、光文社「三光」(中国に於ける日本軍残虐行為写真
    集)販売中止。
 58年:本文の(1)に記載 『三丁目の夕日』『夜を賭けて』の現在、東京
    タワー完成。
 59年:伊達判決(東京地裁)砂川闘争「米軍の駐留は憲法9条違反」、参議
    院に創価学会登場、帰国船第一船。
 60年:三池無期限スト、韓国四月革命、60年安保闘争、池田内閣「寛容と忍
    耐」「所得倍増」「高度経済成長」、浅沼委員長刺殺、朝日訴訟(東
    京地裁)勝利
 (各種名判決がその後 高裁・最高裁で逆転されて行ったことは言うまでも
  ない。)

 そうなのだ。東京タワーとは、安保後退陣することになる岸の後を受ける池
田内閣の所得倍増・高度経済成長時代が始まる前段の、復興期日本のその集大
成なのだ。その輝くシンボルなのだ。ギクシャクしてモウレツな経済優先時代
がやって来る前の、良き時代・懐かしく麗しい時代の「美点」を謳い上げてい
るのだから、ケチをつけるなと言うむきもあろう。

 しかし、東京という特筆されて豊かな街の、タワー建設を見上げ「明日=明
るい日」に希望を託す人々のその「美点」は、いわば戦時に於ける「城内平
和」のように、限定的で拡がりもなく、近視眼的で、危ういものだ。大切なこ
とを避けている、と言えば言い過ぎだろうか?

 こうやって日本は日本人は、東京タワーによって象徴される「復興の完成」
を見事に果たしたのだ。それはこのように、人々の勤勉と誠実と人情、地域社
会の助け合いといたわりと努力によって成されたのだ。 見よ! あの東京タ
ワーを……。と言われているようで、「嘘をつくな!」と叫びたくもなる。

 作者の「復興努力」賛美と「復興期の人情」礼賛には、社会的矛盾・理不尽
・横暴はもちろん、それに抗う人物は唯のひとりとして登場しはしない。それ
は偶然か? 次代に残るべき記憶とは[城内・外]をともに外すことのない記憶
だと、ぼくは思う。

 後世この『三丁目』が残るのなら、若者たちは1950年代末を大きく見誤るこ
とになりはしないか? 『三丁目』流時代証言の在り様は、「城内」を賛美し
て、[城内・外]全体の「記憶」の塗り替えに手を貸す作業となりはしないか?
 そしてその作業は、『泥の河』(81年)や『にあんちゃん』(59年)が、腑
の底から吐くようにして示そうとした「戦後記憶」を「無化」し、東映が数年
に一度送り出す戦争期回顧映画のその礼賛の片棒を担ぐことになりはしないか
? 『三丁目』に見え隠れするものとは実はそうした構造なのだ、とそう思う
のはぼくだけだろうか。

 まもなく東映「男たちの大和」が出る。俳優中村獅童は試写会場で「愛する
者の為に逝った若者たちの国を憂える心を思うと……」と語り、言葉を詰まら
せ泣き崩れた。ぼくは、東映映画を薄っぺらな反戦思想で断罪してこと足れり
とする論に同調するものではない。青年の切情を思えばこそ 国家・人権・戦
争の関係を思想化したいと願うだけだ。

 長淵剛、むかし「♪憤りの酒をたら」していた、あの長淵剛が、今や「大
和」主題歌披露の場で愛国を語り、愛する者への情を語っている。そう言えば
彼は「死にたいくらい」中枢(東京)に「あこがれた」んだっけ。
 が、この愛する者への思いが普遍性を獲得できるとしたら、同じく愛する者
がありながら命を落としたおびただしい「他者」が、[城内・外]に存在した
という覚知がスタートだ。

6.振り落とせない「戦後記憶」

 冒険活劇やパニック映画に「ジェットコースター・ムービー」と呼ばれるも
のが氾濫している。コースターに乗っているように、ハラハラどきどき、画面
に集中できて「いい映画だった」と思えたりするのだが、家に帰ってみると登
場人物の個性や喜怒哀楽はもちろんストーリーさえ思い出せない映画のこと
だ。ジェットコースターに振り落とされそうだった擬似感動は、日を追って薄
れて行く。

 『三丁目』がそうだと言いはしないが、その涙版ではないかとぼくは疑って
いる。涙のアップダウンに翻弄させてくれるし、大いに泣かせてくれるのだ
が、上がり下りの車酔いの時間を過ぎると どうにもこうにも心の芯に残らな
い。

 ぼくの記憶に残る映画。それらは『三丁目』とは逆に、日を追って鮮やかな
記憶を刻んでくれるのだ。刻まれ抱え持つ記憶から、ぼくたちは時代の痛みへ
と外せないものへと、棄てられないものへと導かれる時間を持てるかもしれな
い。その可能性こそが、映画が観客に提供できる、映像表現の可能性であり醍
醐味ではあるまいか。作者はその為にこそ映画を撮り続けているはずだ、そう
思いたい。

 ここで、『三丁目』とほぼ同時代を描いた日本映画の秀作としてぼくの記憶
に剥がれることなく残る、いくつかの作品を下記に挙げておく。そこで享受し
共有し得た「戦後記憶」を、『三丁目』への涙とともに流してしまいたくはな
い……そう ぼくは思うのだ。

 浦山桐郎:『キューポラのある街』『非行少女』『私が棄てた女』
 小栗康平:『泥の河』
 今村昌平:『豚と軍艦』『にあんちゃん』
 今井 正:『ここに泉あり』『キクとイサム』
 川島雄三:『州崎パラダイス 赤信号』
 大島 渚:『青春残酷物語』
 金 守珍:『夜を賭けて』

7.ノスタルジア? 日本的?

 『三丁目』は東京タワーまでのカッコ付き「良き時代」へのノスタルジアな
のだ 日本的な心情なのだ、目くじら立てるんじゃないよという言い分もあろ
う。
 ノスタルジア:ノスタルジアという言葉が一般に知られる通りの意味である
なら、次の点を前提条件にその言い分を認めてもいい。

 現在が、ぼくが言う時代の要素を外してしか、あの時代を振り返えることも
再現することもできないほど衰弱した危うい時代なのだという、そのことを示
したという点において……。また今やぼくら観客が、そうした回路の心地よさ
の中でしか泣けないほどの「戦後記憶」の「無化」の時代のただ中を生きてい
るのかもしれない、ということを明確にしたという点において……。
 だが本来ノスタルジアとは、美化して懐かしむことでも、作為を持ち何かを
排除して成立することでもない。先年、ある処にぼくはこう書いた。

 【ノスタルジア。その言葉の意味を知っておこうと辞書を引いた。ノスタル
 ジア=ギリシャ語の「ノストス」と「アルゴス」の結合語。「ノストス」は
 「還る」、「アルゴス」は「傷み」。なるほど……「傷みに還る」だ。】
 (橋本、「La Vue」13号掲載、03年8月1日発行)

 日本的な心情:こちらに関しては学生時代に読んだ一文を拝借して転記し、
ぼくの返答としておこう。

 吉本隆明はその優れた論考「日本のナショナリズム」(『吉本隆明 全著作
集13』所収、勁草書房)の中に、多くの唱歌(「冬の夜」:♪ともしびちかく
衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る、「青葉の笛」:♪一の谷のいくさ破れ 討
たれし平家の公達あわれ、「故郷」:♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川、
など)とともに、ある歌を登場させる。

 明治43年1月 神奈川県の七里ケ浜で逗子開成中学のボートが沈み、乗ってい
た生徒12名全員が死亡した。 当時鎌倉女学校の教師だった三角錫子氏が発表
した有名な哀悼歌「七里ヶ浜の哀歌」だ。

    真白き富士の根 緑の江ノ島
      仰ぎ見るも 今は涙
     帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
      捧げまつる 胸と心

『なぜ帰らぬ十二人の中学生のボート死に「胸と心」を「捧げまつる」のか?
 ある種の愚物たちは』『日本の大衆にのみ固有なものであるとかんがえてい
る。かれらは、ロシアやアメリカには大衆のセンチメンタリズムが存在しない
ものと錯覚しているらしい。』『大衆のセンチメンタリズムは、そのナショナ
ルな核にしたがって質がちがっているというにすぎないのを知らないのであ
る。』
『ボートが沈んだとき中学生たちは、いかにもがき苦しみ、われ先にと生きの
びようと努めたか、という大衆の「ナショナリズム」の裏面に付着したリアリ
ズムを忘却するように書かれている。』
『わたしたちが大衆の「ナショナリズム」としてかんがえているものは、この
表面と裏面の総体(生活思想)を意味するもので』あって、『その表現にすく
いあげられている一面性を意味しているのではない。』(『』内は「日本のナ
ショナリズム」からの引用)
 
8.『三丁目』の逆説

 『三丁目』の人物たちの生活思想の表現は、確かに 「すくいあげられてい
る」「一面性」であり、しかもそれは あらかじめ作者によって、時代と交差
する回路を遮断されてしまったものだ。そこに「昭和33年」とその後の漂流す
る精神の航路も人々の姿も、つまりは時代が見えて来ないのは当然だ。

 淳之介との会話が成立せず苦闘する竜之介、淳之介を棄てるか共に潰れるか
それとも己れが逃亡するかともがく竜之介、アウトローに走る淳之介、あるい
は学生運動に関わる淳之介。

 定時制高校を巡って悩む六子はジュンかあるいはミツなのか、うたごえ運動
かみゆき族か。出会うだろう級友たちとの勉学やサークルの輝く日々、そこで
知る友の苦境や理不尽な社会の現実へ向かう行動……いや、自身に押し寄せ
る、それらを阻害する、そうはさせない力……。

 堤真一の破綻と放蕩、思わぬ素顔=強欲・ドケチ・嫉妬心丸出しの経営者女
房=を発揮する薬師丸ひろ子、這い上がり売春組織幹部の姉御になっているヒ
ロミ……。

 所得倍増期から一億総中流時代の姿に至る道筋を、映画は一切想像さえさせ
ない(原作にはあるのだろうか)。荒川土手に立つ鈴木モーター一家(堤真一
・薬師丸ら)を写し、その明るい未来を夕日の中に提示し、完成した東京タ
ワーの威容で映画は終わる。

 団塊の世代(ぼくや淳之介の世代)の涙! 涙! の包囲の中、自身もまみ
れた涙のジェット・コースターを降り劇場を出た。
ぼくたちは何に涙し何を流してしまったのか? チキショウ!
 東京タワーには答えさせまい。

 『三丁目の夕日』とほぼ同時代を描いたいくつかの映画を想い、それらを観
て流した涙、埋もれ沈みちぢかんで積もっている痛みへと 無性に還りたく
なった。

 もう手にすることが出来ないかもしれない落し物を探して、独り歩くような
気分が押し寄せて来る。ならば、そう感じさせてくれた『三丁目の夕日』に感
謝してもいい。おかげで、ぼくの中に刻まれた「戦後記憶」とよじれた個人の
記憶が鮮明になって行く……。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(はしもと・こうすけ)1947年兵庫県生まれ。壮年フリーター? 著書に『祭
りの笛』(文芸社)、現在、吹田事件を背景にした『祭りの海峡』を執筆中。

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『カルチャー・レヴュー』別冊4号(通巻61号)(2006/01/01)
■編集同人:いのうえなおこ・小原まさる・加藤正太郎・田中俊英・ひるます
      文岩優子・野原燐・村田豪・山口秀也・黒猫房主
■編集協力:中原紀生 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
■発 行 人:黒猫房主
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 の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
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◆直送版◆
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 (創刊1998/10/01)
    『カルチャー・レヴュー』58号(如月号)
         (2006/02/01発行)
     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
        [59号は、2006/03/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆連載「マルジナリア」第12回:遍在する私(二)----------------中原紀生
◆連載「メディアななめよみ」第2回:映画の思い出あるいは思い出と映画
 -----------------------------------------------------------山口秀也
◆INFORMATION:ご恵贈本/ブックフェア「大阪モダン〜博覧会・盛り場の都
 市文化論」/トークセッション「稲葉振一郎×立岩真也」/六甲奨学基金
 のための第9回古本市
◆黒猫房主の周辺「<私>とか、映画とか」---------------------黒猫房主
---------------------------------------------------------------------
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それと並行してBlog版も立ち上げました。各論考ごとに読者の方がコメント
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////// 連載「マルジナリア」第12回 //////

            遍在する私(二)
                              中原紀生
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●物や記号が「情報」であるとして、それではこれと対になる「システム」、
つまりスルメに対するイカは何かというと、それは物質、生命、精神である。
システムの典型はもちろん生命だが、生命現象だけがシステムなのではない。
物質(現象界=「諸法」)も精神(イデア界=「実相」)もシステムだし、
もっと言えば物質・生命・精神の循環そのものもまたシステムである。(余談
だが、ベルクソンの『物質と記憶』『創造的進化』『道徳と宗教の二源泉』は
それぞれ物質・生命・精神に対応している。)
 社会もシステムである。人間や動物の社会(狭義の社会=精神)はもちろん
のこと、植物や菌類や鉱物や道具や機械類、はては観念や概念や神々までも含
めたより大きな社会システムを考えることができるだろう。私もまたシステム
である。私とはそのように拡大された擬似生命的な(というより生態学的な)
社会システムにおける諸関係の総体を微分しあるいは積分する屈折点にあっ
て、たとえば預言者や使徒、声聞や巫女(メディアム)といったかたちで出現
する言語的現象である。

●話が複雑になるが、ここで生命システムを二つに分類する。集合的生命
(種)と個体的生命(個)。気分としては前者が物質システムとの界面の近傍
に、後者が精神システムとの界面の近傍により多く分布している。太極図(白
黒の巴がからまりあった円)を想像していただければいい。物質システムと集
合的生命(より精密に言うと、集合的生命の濃度が高い生命システム)との界
面に立ち上がる物情報は「食」や「性」にかかわる具象性・呪術性を帯びてい
る(ラカンの想像界、あるいは王朝和歌)。個体的生命(個体的生命の濃度が
高い生命システム)と精神システムとの界面に浮かび上がる記号情報は「名」
や「死」にかかわる抽象性・象徴性を帯びている(ラカンの象徴界、あるいは
アレゴリー)。
 もちろん物質や精神についても同様の分類ができようが、それはおそらく朧
気な比喩の域を出るものではない。私に装備された知性は生命の圏域に属して
いるので、物質や精神のあり様については物質や精神に訊くしかないからであ
る。汎生命主義の立場にたって一刀両断式に分析の刃をふるうことはできよう
が、そうして見出されるのは擬似生命化された物質であり精神であるしかな
い。

●物情報の「意味」(たとえばアフォーダンスや霊性)は物質システムと生命
システムの界面に、すなわち環境のうちに立ち上がるものであって、その意味
を固定する仕組みとして脳が設えるのが時空構造である。この時空構造を記号
情報の局面に、つまり生命システムと精神システムの界面に浮かび上がる記号
情報の「意味」(たとえば神のロゴスや魂)にあてはめようとすると、そこに
様々な論理的パラドクスや形而上学的アポリアが発生する。たとえば、無限に
分割できる空間や時間の観念。
 注記を一つ。いま括弧書きの中で断りなく「霊性」と「魂」の語を使い分け
たことについて、気分としては前者が仏教的、後者がキリスト教的といった違
いを念頭においている。山川草木悉有仏性と言われる集合的霊性と最後の審判
において復活する個別的魂。とはいえ所詮は同じスピリチュアリティの気分に
よる言い換えにすぎず、ほとんど定義というしかない。

●このあたりの議論は、養老孟司『日本人の身体観』にほぼ全面的に準拠して
いる。古い仏教の身体思想の論理が「自己相似」にあることを論じた「仏教に
おける身体思想」に、ウパニシャッド哲学における絶対者は万有に遍在すると
いうくだりが出てくる。
《これはキリスト教の神も同じである。万有に遍在するものとはなにか。私は
脳しか認めない。それなら、脳が万有に遍在するとして認めるものはなにか。
それは時空である。もっとも経験に明瞭なものは、空間である。空間は万有に
遍在するからである。実際、神が遍在するというときには、一つには空間を意
味し、もう一つには時間を意味している。神はどこの場所にも、どの時点を区
切っても、そこに存在している。それが、「神の内容は時空だ」と私が言うこ
との意味である。》
 神の概念は時空と結びついてわれわれの脳のなかにある。時空は「図」に対
する「地」としての特徴を備えている。すなわち時空の無境界性と透過性(遍
在性)。――時間も空間も、すべての物事を「通り抜けて」しまう。われわれ
の方が両者を通り抜けると感じる人もあろう。どちらにしても、さしたる変わ
りはない。われわれの方が時空を通り抜けると感じる人はニュートンの絶対空
間に共感し、時空がわれわれを通り抜けると感じるならアインシュタインが定
式化した時空にリアリティを感じる。
《こうして、時空の観念が強い存在感と結合して、神の観念が生ずる。時空の
観念も、存在感も、生物が生きるためには基本的な観念と言わざるをえず、神
の観念が人類に普遍的であるのは、そのためであろう。これは議論や説明とい
うより、ほとんど定義というしかない。》

●実証思考と対になるのは(想像力ならぬ)抽象思考であるというのが養老
説。西欧における抽象思考はキリスト教であり、実証思考は自然科学である。
《要は、わが国にも西欧にも、同じように抽象思考があり、その思考の形式に
従って、「解毒剤としての実証思考」が成立するのではないか。もしそうだと
すれば、わが国の実証思考を知るためには、わが国の抽象を支配する思考すな
わち仏教を知らなければならない。ところが、面白いことに、仏教という抽象
思考については、書かれたものがたくさんあるのだが、実証思考の方は、この
国では「思想」として表明されない傾向があることが注意される。》

●以下は私の仮説だが、養老孟司がいう日本の実証思考は歌論・連歌論・能楽
論の類においてかろうじて「思想」として言語的に表現されてきたのではない
か。(これに対して、宮大工の知恵やほとんどの芸能家・武道家の秘伝は「言
わぬが花」である。)
 たとえば『日本人の身体観』に収められた論考「中世の身心」に、「私は、
東洋の古い文献で脳を論じたものを知らない。「髄脳」ということばはある。
しかし、これを表題にした書物は、要するに歌論書である」というくだりがで
てくる。「髄脳」とは「詠歌の法則、心得、秘説、またそれらを記した書物」
のことである(『日本古典文学全集50 歌論集』巻末の「歌論用語」)。

●あるいは荒俣宏『「歌枕」謎ときの旅』に歌合の判定をめぐる話題がでてく
る。歌の良し悪しを判定するとはどういうことか。藤原清輔『袋草子』下巻
「三十講歌合」に、赤染衛門の「かへるべきみちもとほきにかはづなくさはべ
にひをもくらしつるかな」に評者の藤原義忠朝臣が下した判定が記されてい
る。蛙が夕暮れから鳴きはじめるものと知りつつ、沢辺に一日いたという。
フィクションくさいので負け。
 荒俣宏いわく「研ぎ澄まされた美と雅の感性だけをもって、神のように
「こっちが文学的にすぐれている」と託宣するのか、と思っていた。理屈とい
うより師匠の趣味によって判定するものと信じていた。ところが実際は、歌の
良し悪しを博物学的知識によって決していたのである」。また「歌をつくると
いうことは、まこと、文学である以上に理学に近い。数学や法律学に近い。そ
う、思った」。歌学は科学(博物学・理学)に通じる。

●ここで、以前(第9回)仮設した図式をもう一度取りあげる。アクチュアル
/ヴァーチュアルの垂直軸とリアル/ポッシブルの水平軸との交叉図のこと
だ。今度は物質から生命を経て精神へと上昇する垂直のシステム軸と、これと
交叉する水平の情報軸を組み合わせる。
 ここで垂直軸における物質・生命・精神の区分はあくまで水平軸との関係に
おいて事後的に定まるものである。したがって水平軸は必ず二本一組のものと
して引かれることになる。すなわち第一の水平軸が物質と生命を分岐させ、第
二の水平軸が生命と精神を切断する。第一の水平軸は物情報や実証思考に、第
二の水平軸は記号情報や抽象思考に相当するわけである。この一対の水平軸
は、それぞれが「差異性」と「同一性」を担う。養老人間科学では差異性はシ
ステム(垂直軸)に、同一性は情報(水平軸)にかかわるものだった。つまり
一対の水平軸はシステムと情報の関係を自らのうちに入れ子式に反復してい
る。

●ここに言語が発生する。養老孟司は『無思想の発見』で、「五感で捉えられ
る世界をここでは感覚世界と呼び、それによって脳内に生じる世界を概念世界
と呼ぶ」と定義している。この「感覚世界」は第一の水平軸に、「概念世界」
は第二の水平軸に相当する。
《感覚世界つまり物体の世界を一つの楕円で示し、概念の世界を、その上に位
置する、もう一つの楕円で示す。両者の重なりが「言葉」である。言葉という
道具は、この二つの世界を結ぶ。感覚の世界は「違い」によって特徴づけられ
る。概念の世界は、他方、「同じ」という働きで特徴づけられる。(略)ここ
で大切なことは、言葉自体は「同じであって、違うものだ」ということであ
る。だから言葉は、「違う」という感覚世界と、「同じ」という概念世界を結
びつけることができる。》

●あるいはこの図式を社会にあてはめてもいい。丸谷才一は『日本文学史早わ
かり』で次のように書いている。
《非常に図式的な言ひ方をすれば、横の方角に共同体があり、縦の方角に伝統
があるとき、その縦と横とが交叉するところで詞華集が編纂され、そしてまた
読まれる。といふのは、われわれは伝統を所有する際に、孤立した一人ひとり
の力で持つことは不可能で、共同体の力によつて持つからである。孤立した個
人にさういふことができるといふのは、ロマンチックな妄想にすぎないだろ
う。事実われわれは、そのことの不可能をいはば無意識的に知ってゐるゆゑ
に、もうずいぶん長いあひだ、詞華集を持つことを実質的には諦めてゐるので
ある。つまりわれわれの文明と文化は共同体的なものを失つてからすでに久し
い。そしてそのことがどういふ弊害をもたらすかと言へば、いちばん歴然とし
てゐるのは言葉の衰弱である。言葉は過去から伝はつて来た力を失ひ、社会を
築くことをやめてしまつた。》
 丸谷才一は大野晋との対談(『光る源氏の物語』上巻)で、西洋十九世紀の
個人主義的文学理論とケンブリッジ・リチュアリストに由来する集団制作的文
学理論との対立がエリオットの「伝統のメディアム[媒介、巫女、霊媒]とし
ての個人の才能」の理論によって解消されたと語っている。

●差異性に彩られた垂直軸と同一性を刻印された水平軸。この一対の概念を二
本の水平軸が入れ子式に反復する。そしてこの一対の水平軸を言葉が媒介す
る。だとすると言葉もまた入れ子式に差異性・同一性の関係を反復表現してい
るに違いない。
 パースは記号をイコン・インデックス・シンボルに三分した。瀬戸賢一
(『レトリックの宇宙』)はこれを、現実世界における空間的・時間的隣接関
係にかかわるインデックス、意味世界における類と種の包含関係にかかわるシ
ンボル、そして意味世界と現実世界の境界上に存在し類似関係に基づき両世界
を橋渡しするイコンの三組みとして再構成した。私はかねてからそこに第四の
記号を付け加えることができるのではないかと考えてきた。言葉遣いはまだ精
錬されていないが、イコンが具象的でアナロジカルな類似関係に着目して現実
世界と意味世界をつなぐ働きをもつのだとしたら、これと対になるかたちで、
つまり抽象的でアイロニカルな相互否定関係に着目して両世界をつなぐ記号が
あるのではないか。それは「マスク」とでも名づけられるものなのではない
か。この未完の理論が完成したあかつきには、「言葉」とは感覚世界=現実世
界(インデックス)と概念世界=意味世界(シンボル)の重なりであり、「イ
コン―マスク複合体」として機能するという命題が成り立つことになる。
 水平軸はおそらく無数に引くことができるだろう。それに応じて垂直軸もま
た変容していくだろう。そして「幽明境を接する仮面の無限の重なり合い」
(坂部恵)として幾層にもわたって上書きもしくは重ね描きされる入れ子式の
図式のうちに、私というシステムはあたかも倍音のように遍在している。

■プロフィール■------------------------------------------------------
(なかはら・のりお)サラリーマン。論考として『ポリロゴス1 特集:ミ
シェル・フーコー』『ポリロゴス2 特集:メディア――越境する身体』(中
山元編集、冬弓舎)掲載。共著として『熱い書評から親しむ感動の名著』(
bk1with熱い書評プロジェクト著・すばる舎)などがある。
★「オリオン」http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n
★ブログ「不連続な読書日記」http://d.hatena.ne.jp/orion-n/

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////// 連載「メディアななめよみ」第2回 //////

    映画の思い出あるいは思い出と映画
    ――『映画がなければ生きていけない』(十河進著)を
       読みながら思い出したこと
                              山口秀也
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「しっかりしていなければ/生きていけないし/やさしくなければ/生きてい
く資格はないけれど/やっぱり…… 映画がなければ/生きてこれなかった」
(本書中扉より)

■松山容子のボンカレー(=昭和)は終わった

 休日の昼下がり、近所のスーパーで買い物をしていると、見慣れたレトルト
カレーのパッケージが目に入った。なんのこともないいつも目にするお馴染み
の……、とおもったら箱に印刷されているのは…、なんと松坂慶子ではない
か。

 そのレトルトカレー(ボンカレー)といえば、和服姿でやさしい笑みを湛え
たいかにも日本のお母さん然とした女性のパッケージで有名である。またその
パッケージ、テレビCM、地方でたまに見かけるレトロな看板などをとおし
て、いまやある年代以上の日本人の原風景として刷り込まれている食品であ
る。

 その見慣れたパッケージの女性、女優の松山容子はこの商品のメーカーが提
供する番組のヒロインを演じていた関係で、発売当初より長年パッケージの表
紙を飾り続けてきたということである。松山容子のパッケージは、とくに沖縄
での人気が高かったらしく、ここ数年の沖縄ブームも手伝って、逆輸入のよう
なかたちで数年前まで西日本限定で販売していたらしい。それがいまや松坂慶
子である。ありふれた表現であるが「昭和は遠くなりにけり」である。

 その松山容子のボンカレーが流通していった時期と同じ頃の日本を描いた、
封切り中の映画『三丁目の夕日』の舞台は昭和30年代の初めである。映画未見
のままで穿った見方をすれば、この映画は松山容子のボンカレーが醸し出すレ
トロな「昭和」を味わいたい、こういう30年代を観たいという観る側の欲望が
大きく作用してつくられたのではないかと、世間でのこの映画の反応を見ると
思えてくる。それは製作者側のスケベ心といったようなものではなく、今の風
潮がそれをもとめていてそれに即応するような形で『三丁目の夕日』が作られ
たとでもいう「何か」があるような気がする。

 翻って本書の著者十河進氏の振り返る70年代は、果たして今の日本人がもと
める「昭和」と同じくただたんにレトロなものであろうか。本書の紹介ととも
に少し考えてみたい。

■日刊デジタルクリエイターズというグループ

 ということで『映画がなければ生きていけない』(十河進著、2005年、デジ
タルクリエイターズ)を読む。

 発行元で、ビデオジャーナリストの神田敏晶も5人いるスタッフのひとりと
して名を連ねるデジタルクリエイターズとは、日刊デジタルクリエイターズ
(http://www.dgcr.com/)というメールマガジンを発行するグループであり、
本書はメールマガジンで連載されている十河進氏の文章を書籍化した、グルー
プがはじめて上梓した単行本2冊(もう一冊は『怒りの葡萄球菌』永吉克之
著)のうちの1冊である。

 著者は十代の半ばから始まり学生時代、出版社に籍を置き専門誌畑を歩いて
きた中で、折々に観てきた映画を題材に映画評プラスその時どきの自分を振り
返ったエッセイに仕立てた。

 1951年生まれの著者は、70年代を学生として過ごしてきた世代であり、本書
に出てくる映画もその頃封切られたあるいはリバイバル上映されたものを多く
ふくんでいる(80年代に観たであろう『風の歌を聴け』も、1970年が舞台の話
として取り上げられている)。

 十代で観たフェリーニの『道』、学生時代に観た藤田敏八の『八月の濡れた
砂』、サム・ペキンパーの監督作品群。いずれも、豊富な当時の記憶と多少の
メランコリーで彩られた文章は、映画本というカテゴリーを超えて時代の空気
を良く伝えている。取り上げられる映画も、松竹ヌーベルバーグから西部劇、
ヤクザ映画からアイドル映画にいたるまで多岐に亘っている。話題は映画だけ
に止まらず、小説、漫画、音楽などにも触れている。

 本書の最大の特徴は、取り上げられている映画を観た当時の自分をも赤裸々
に語っているところにある。恋愛や仕事、子育てから友人や肉親のこと。やや
もすると、甘く流れるか、さもなければ露悪的になりがちな私小説風のエッセ
イを救っているのは著者の対象(映画と自分自身)との距離の取り方のうまさ
ゆえであろう。本書を読むかぎり、この著者は若造の僕から見ても、充分にセ
ンチメンタリストで、青臭い部分があったりもするのだが、決して押し付けが
ましいところがない。自分の人生に重ね合わせて映画を語ろうとすると、どう
しても自分に無理が出てきそうなものだが、そのあたりはなぜか読後感がくど
くないのである。著者の人徳であろうか。

■(その映画が観られる時に)生まれてくる才能

 周知のごとく、映画とはフィルムに焼き付けられた「物」であり、それは上
映される「場所」で、スクリーンに投影されてはじめて「見る」ことができる
ものである。当然のことながら本やCDのように持ち歩くことはできない。そ
れどころか、読書やレコード鑑賞のように、「集める」という読んだり聴いた
りすることから派生する二次的な行為が不可能なメディアでもある。ある時期
までは……。ビデオやDVDの登場で蒐集の対象となり、カットやショットが
文節化され分析の対象となった現在では、本やレコードと同じように、文字ど
おり持ち歩くことすらできるものとなった。

 しかし、僕やこの著者の見始めた時代(同世代にあらず。念のため)の映画
とは持ち運び不可のものであった。当時、映画は上映期間が終わるとその役目
を終え、もはや二番館にかかるのを待つのみであった。観られなかった映画と
ふたたび邂逅することは不可能ではないが、それには様ざまな条件が必要とな
る。たとえば学生時代にロードショウで見逃し、二番館にかかったころには就
職していてみることができなかった。特集や連続上映会があっても遠く離れた
地域でやっていて観にいくことができなかった等、観られない理由はゴマンと
ある。結局は観たいその時に映画を観ることができる条件を具えていなければ
ならないのである。8歳の子供に『八月の濡れた砂』は分からないだろうし、
逆に60歳の大人に『仮面ライダー響』はつらいだろう。観ることができたとい
うほうからはたとえば、僕が学生の頃フランス映画社のバウ・シリーズが梅田
の三番街シネマでかかっていて、アラン・レネの『去年マリエンバートで』
や、ゴダールの『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などを観ることができ
た。また、同じころヒッチコックのリバイバルが盛んに行なわれていて『北北
西に進路を取れ』や『ロープ』、『ダイヤルMを回せ』、『めまい』などと出
会うことができた。MGMのミュージカルもちょうどリバイバルの時期と学生
であった時期が合って『略奪された7人の花嫁』などに胸躍らせることができ
た。これらはタイミングを少しはずすとお目にかかれなかったものかもしれな
いのだ。かの蓮見重彦先生にはたしか「(その映画が見られる時に)生まれて
くる才能というものがある」という言葉があるが、映画というものの一面を言
いえてこれほどぴったりな言葉は見つからない。

 限りなく一回きりの出会いを運命づけられている映画というものに対して人
は、同じく一回限りの自分の歴史と重ね合わせて接することを余儀なくされ
る。その意味で映画は、クラシックの名曲にくらべた時の流行歌と似ている。

 流行歌といえば、本書でも『セーラー服と機関銃』で使われた「カスバの
女」に触れている。ここでは、著者と大学の先輩にあたる監督相米慎二とのエ
ピソード、さらには当時ファンだった広島カープの思い出とともに映画と挿入
歌は語られている。

 こういう観方は本来映画評ではなく、映画評の形を借りた自己表出であり、
私小説であるというふうに受け取られるのであろうが、僕はここに時間という
映画の本質に即した観方を見て取る。観た時という要素が他の文学や芸術とは
少し違ったかかわり方をする映画の本質に即した観方を。

 蛇足ながら相米慎二には、このほかにも『ションベンライダー』で河合美智
子が歌う近藤真彦、『ラブホテル』に効果的に流れる山口百恵、『雪の断章』
で二人乗りのバイクの後ろで斉藤由貴の歌う古い歌謡曲など流行歌が要所要所
で出てくる。

 本書を通読すると、不思議と自らの映画体験、わけても映画そのものの内容
もさることながら、それを観た当時の自らが振り返られ、気障な言い方をすれ
ばもうひとつの映画とでもいったものが紡ぎだされるような感覚に囚われるの
は僕だけではないだろう。

■ウィリー・ウォンカ=マッドサイエンティスト

 映画が媒介となり、その人の様ざまな思い出の扉をノックする。

 若かりし頃、映画館の闇の中シートに深く身を沈めるて過ごすあの2時間あ
まりのひとときを大切にしていた時から何年経つだろう。このあいだ子供らと
ひさしぶりに映画館に行った。『チャーリーとチョコレート工場』(ティム・
バートン監督、2005、米)。ロアルド・ダールの原作本が好きで、これまた大
好きなジョニー・デップが出ている。『シザー・ハンズ』でのジョニーの憂い
をふくんだ目の演技。滑稽な狂気を描きながら、観たあとで胸の中で小さなさ
ざめきがおこるようななんともいえない余韻を残す『エド・ウッド』。いずれ
も見た目の奇矯さとは裏腹にセンチメンタルな側面を併せ持つ映画を作り出し
てきた監督・主演のこのコンビのことさぞや、という期待は裏切られることは
なかった。

 映画自体の感想はともかく、この映画を観たあとでふと古い記憶がよみが
えった。

 学生時代レンタルビデオ店でアルバイトしていた頃のこと。後輩のアルバイ
トにひょろ長くて眼鏡をかけたSという男がいた。レンタルビデオ店といって
も今の「TSUTAYA」のようなきれいなところではなく、繁華街の裏路地
にある小さなゲームセンターを衣替えした見た目もあやしげな店であった。当
時店には何人かのアルバイトがいたが、とてつもなく傲慢な態度のオーナー社
長ゆえ皆まじめに働く気などさらさらなかった。私はというと、当時ビデオ化
されたアレハンドロ・ホドロフスキーの『エル・トポ』や、ジム・ジャームッ
シュの処女長編『パーマネント・バケーション』などのダビングに余念がな
かった。Sもご多分に漏れず勤労意欲にとぼしいアルバイトであったが、彼の
サボリは他のアルバイトが「あーあアホらしいてやっとれんワ」とビデオを観
ながらサボタージュするのとは趣を異にしていた。彼はプロのマジシャンを目
指していたらしく、店に来る客にマジックを披露したり、自分のお気に入りの
ビデオを解説つきで売り込んでいたりしていた。年若ながら古参のアルバイト
MなどはそんなSを毛嫌いしていた。サボりながらも日常業務をこなしていた
ものからすれば、店が立て込んでいようと、レジ打ちも忘れて自らのマジック
の披露に勤しんでいるSは目障りな存在以外のなにものでもなかった。

 そんなSが、例によって細ごまとした仕事をサボって、1階のレジカウン
ターのうしろに沢山あるビデオモニターのひとつで熱心にビデオに観入ってい
た。画質や映画の中のファッションからして古い映画であることはわかるのだ
が、さて何の映画だかは分からなかった。少し興味をそそられたのを気取られ
たのか、客に押し付けるネタばれの解説よろしく一方的に話しかけてきた。曰
く「これは『夢のチョコレート工場』という映画で、監督はメル・スチュワー
トで……」。

(ああロアルド・ダールの……)、メル・ブルックスの『ヤングフランケン
シュタイン』などの出演作をわずかに知っているだけだが、主演のジーン・ワ
イルダーには見覚えがあったので、そんなことを話していたことを思い出す。
そうしているうちにもモニターではダールの原作をカラフルな映像で具現化し
ていてなかなかに面白そうな映画が展開していた。とくに主演のジーン・ワイ
ルダー演ずるウィリー・ウォンカの奔放さが良く描かれている。

 「ほら山口さん! このウォンカが凄いでしょ。彼は完全にマッドサイエン
ティストですよ。」
 彼はすでに興奮していて、目はモニターを注視しながら僕に向かって声を掛
けている。こちらの反応にはおかまいなしに、
 「ここ、ここ。『私は夢を夢見る者なのだよ』完全にマッドサイエンティス
ト!」

 子供たちとその親を自分のチョコレート工場に招待して、チョコレートで埋
め尽くされた大きなジオラマのような工場内で、どこからか連れてきたウンパ
ルンパという小人たちとともに見学が進んでいく。案内する際のウォンカの自
分勝手なこと! これはティム・バートン版のジョニー・デップによってもひ
じょうにうまく演じられているが、15年ほどまえのアルバイト先のビデオで観
たときのジーン・ワイルダーの演技のはまり具合が当時はとても新鮮だった。

 信じられない情景が次ぎつぎと繰り広げられていく工場内で、ひとりの父親
が、
「スノッズワンガーのなんのと何のことかね。」
と尋ねるとウォンカすかさず、
「質問は文書で!」
別の場面では、
「さて次は、これは子供部屋のナメナメ壁紙です。オレンジはオレンジの味。
イチゴはイチゴの味。パイナップルはパイナップルの味。これはプラム。この
バナナまるで本物だよ。イチゴはイチゴの味、スノッズベリーはスノッズベ
リーの味。」
たまらずひとりのこまっしゃくれた少女は、
「スノッズベリーってなによ。」
するとウォンカはゆっくり少女のほうに向き直りひと言
「私たちは夢を夢見るものなのだよ。」

 これをしてSを陶然とさせた名セリフであるが、ジーン・ワイルダーのこの
ウォンカ、なるほど目が完全に「イってしまってる」ではないか……。

 自分の思惑にたわいもなく乗って関心してしまった僕に、Sはいたく満足し
たようだった。
 マジックのほうもなかなかの腕前だったS。彼はいまごろどうしているだろ
うか。
 あれから15年ほど経った今、子供とカミさんを連れて映画館で『夢のチョコ
レート工場』のリメーク版を観ている僕がいる。

 スクリーンでは、新しいウィリー・ウォンカも、旧作に劣らずマッドサイエ
ンティストぶりを発揮している。テクノロジーの助けも借りてファンタジーで
はティム・バートン版に軍配があがろうか。しかし、旧作にも原作にもない
キャラクター、ウォンカの父親をくわえたことによって、原作に対する新作の
はっきりとした解釈が見えた。何かにつけウォンカを型にはめようと、ウォン
カのしたいことに規制を加えようとする歯科医の父親を登場させることによっ
て、ウォンカのチョコレート(作り)へののめりこみ(耽溺)を説明しようと
する。映画には母親は登場しないが、いわゆるエディプスコンプレックスがモ
チベーションとなって、ファンタジーの世界にのめりこんでいったというので
あろう。ことの良し悪しは別として、この父親役を『エド・ウッド』のベラ・
ルゴシ役でアカデミーの助演男優賞を取ったマーチン・ランドーが演じて味の
あるところを見せている。

 これで思い出すのは、『ケロッグ博士』(アラン・パーカー監督、1994年、
米)。あのコーンフレークの生みの親ケロッグ博士の物語では、徹底したベジ
タリアン、いまはやりの腸内洗浄を日になんども繰り返すなどを実践するサナ
トリウムを主宰したケロッグ博士を、これでもかのデフォルメで演じたアンソ
ニー・ホプキンスが秀逸な作品。ここでも父親の干渉に逆らいつつ、長じて親
に金のむしんを続ける放蕩息子との関係が、ストーリーにアクセントを加えて
いる。

 ベルイマンの『秋のソナタ』の母娘やヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォ
ンダの実の親子共演の『黄昏』での父娘で世に知られたものは多いが、父子の
関係がメインとなったものでそれほど有名な映画がないのはなぜだろう。

 今回は引用もほとんどせずに、自らの思い出話に走ってしまった。これでは
書評という与えられた役割を果たしていないのではないかという気がする。

 しかし僕はこれを全面的に、映画を媒介にして個人的な思い出を引き出す気
にさせる文章を書いた十河氏のせいにしてしまっていいのではないかと思って
いる。

 本書の続編の帯文には、ちかごろ流行りの「泣かせる」小説や映画の向こう
を張って、ぜひとも「(本書を読んで)あなたも大事な思い出を拾い集めませ
んか」とでも入れて欲しいところである。

★編集部註:十河進さんの旧作は、次のサイトでもお読みいただけます。
 http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

■プロフィール■------------------------------------------------------
(やまぐち・ひでや)1963年生まれ。京都市出身。「哲学的腹ぺこ塾」塾生。

●●●●INFORMATION●●●--------------------------------------------

 ★ご恵贈本★
 『映画がなければ生きていけない』十河進著、デジタルクリエイターズ刊
 『怒りのブドウ球菌』永吉克之著、デジタルクリエイターズ刊

本書籍は7年以上、日刊で発行を続けているクリエイター向けメールマガジン
「日刊デジタルクリエイターズ」(発行部数・約18,000部)の連載エッセイを
書籍化したものです。本書はよくある「インターネット企画本」とは、一線を
画する仕上がりとなりました。目次を含むサンプルPDFをごらん下さい。見て
美しく、読んで楽しい、充実した本が出来上がりました。
http://www.dgcr.com/books/

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 ★ブックフェア★
 「大阪モダン〜博覧会・盛り場の都市文化論」

 ■選書:橋爪紳也(都市文化論)■企画:るな工房・窓月書房
 ■期間:2月中旬より3月中旬まで
 ■会場:旭屋書店本店(大阪)4階、紀伊國屋書店本町店、ジュンク堂書店
     天満橋店、それ以外の大阪市内の書店でも展開する予定。

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 ★トークセッション★
 「稲葉振一郎×立岩真也」

 ■日時:2006年3月11日(土)13:00より
 ■場所:阪急梅田駅「阪急ターミナルスクエア」17階
 ■共催:紀伊国屋書店梅田本店

紀伊國屋書店梅田本店に問い合わせたところ、2月初旬に告知・受付を同店の
HPに掲載するとのこと。
→ http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/osaka/udfloor.htm

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 ★六甲奨学基金のための第9回古本市
  http://ksyc.jp/furuhonichi.html

 ■日時:2006年3月15日(水)〜5月15日(月)まで
     05年は240万円の売り上げがありました。
 ■場所:(財)神戸学生青年センター 
     〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1
     TEL:078-851-2760 FAX:078-821-5878
 ●古本市開催のために古本をあつめます。
     2006年3月1日(水)〜3月31日(金)まで
     この期間以外は受付けられません。ご協力ください。
 ●ボランティアを募集しています。
     交通費(片道500円まで)をお支払いします。

■黒猫房主の周辺「<私>とか、映画とか」■----------------------------
★中原さんの論考を読みながら……垂直性は通時性(伝統/システム/差異
性)、水平性は共時性(共同性/情報/同一性)、それがクロスするところに
「詞華集」が編纂されるという丸谷才一の指摘、僕はこの「詞華集」的なもの
が「言葉/文化的身体」の振る舞いだと勝手に思っているが、それが衰弱して
いる(動物化している?)と丸谷は言う。……ということは「私というシステ
ム」の衰弱か?「遍在する私」は「言葉の重層性」とともに立ち現れる事態の
ように思われるが、そのいっぽうでシステムの外部に過剰に/余剰なそれとし
て、すでに<ある>と言うほかない<私>もまたあるように思うが、それも言
葉の効果か?
★十河進さんの『映画がなければ生きていけない』は、まさに映画を観ること
が生きることの伴走になっていること(と言っても「艶歌的」ではない)を証
明する好著だと思う。僕はメルマガ「日刊デジタルクリエイターズ」連載中か
らの読者で、何人かにこの連載を紹介しもした十河進さんの隠れたファンであ
るので、この度上梓されたことを嬉しく思っている。それで僕よりも遙かに映
画に想いを凝らす山口さんに書評を依頼したという次第。山口さんじしんが十
河さんによくシンクロしている様子は、本文にて明らかだろうと思う。
★僕がいま一度観たい映画として『ル・バル』(エットーレ・スコラ 1983)
がある。「ダンスホールにスイッチが入れられ舞踏会(バル)が始まる。シャ
ンソン「待ちましょう」にのって女たちが階段を降りてくる。「ボレロ」に
のって男たちが。この展開がすばらしい。以下台詞は一言もなく、なつかしい
四十数曲をちりばめて、このダンスホールの戦前からの移り変わりが、回想的
な手法で描かれていく」(双葉十三郎のコメントより)。二十年前に私が東京
から大阪に転居してきて、毎週のように梅田の「大毎地下劇場」(名画座)の
二本立てを観ていた頃の印象深い作品。VTRは品切で入手不可の模様。どこ
かで、ぜひDVDで復活して貰いたい。(黒猫房主)

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『カルチャー・レヴュー』58号(通巻62)(2006/02/01)
■編集同人:いのうえなおこ・小原まさる・加藤正太郎・田中俊英・ひるます
      文岩優子・野原燐・村田豪・山口秀也・黒猫房主
■編集協力:中原紀生 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
■発 行 人:黒猫房主
■発 行 所:るな工房/黒猫房/窓月書房
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