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『カルチャー・レヴュー』2004・1

http://homepage3.nifty.com/luna-sy/

『カルチャー・レヴュー』
『カルチャー・レヴュー』2004・2
『カルチャー・レヴュー』2004・3
『カルチャー・レヴュー』2004・4


 *以下は立岩に送っていただいたものです。
  直接上記のホームページをご覧ください。

『カルチャー・レヴュー』35号(弥生号)

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>TOP

Date: Mon, 1 Mar 2004 00:00:27 +0900
From: 山本繁樹(るな工房・窓月書房)
Subject: 『カルチャー・レヴュー』35号(弥生号)

■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した「全頁」
 の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
 <無断部分転載>は厳禁です。
■本誌へのご意見・ご感想・情報は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
http://bbs3.otd.co.jp/307218/bbs_plain または「るな工房」まで。
■メールでの投稿を歓迎します。

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
(創刊1998/10/01)
     『カルチャー・レヴュー』35号(弥生号)
         (2004/03/01発行)
     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
        [36号は、2004/04/01頃発行予定です]
    ★http://homepage3.nifty.com/luna-sy/に移転しました★
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆連載1:ますます不思議な小津安二郎            鈴木 薫
◆知の伝統 知の力                     岩田憲明
◆連載2:困惑する福田和也                 村田 豪
◆INFORMATION:ブックフェアのご案内/六甲奨学基金古本市/第45回「哲学
 的腹ぺこ塾」
◆黒猫房主の周辺(編集後記)--------------------------------黒猫房主
---------------------------------------------------------------------
★今秋創刊予定、会員制の評論誌「コーラ」(A5判・80頁・予価500円)への
投稿を募集中です。投稿規定等の詳細はメールにてお問い合わせください。
E-mail:YIJ00302@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re32.html#32-1

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////// 連載「映画館の日々」第1回 //////

           ますます不思議な小津安二郎

                              鈴木 薫
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■ミッチーとさぶりん
 昨年十一月から今年一月にかけ、東京・京橋の国立近代美術館フィルムセン
ターでは「小津安二郎生誕100年記念 小津安二郎の藝術」と銘打って、全作品
の上映が行なわれた。私がはじめて小津を見たのは、一九八一年一月の同じ場
所での全作品上映時(その後発見されたフィルムもある)で、当時八重洲北口
を出たところに勤めていた私は、終業時の五時半になると八階のオフィスから
降りて南口まで東京駅の長さを走ってゆき、京橋方面へ曲がってさらに走り、
火事を出す前の昔のホールで席を確保して目をつむり、場内が暗くなると目を
あいて、見終ると勤め先へ戻って十時まで出版物の校正をするという生活を続
けた。ついに上映がはじまっても目があかないようになったので終りの方はあ
きらめたが、その後あちこちの名画座で見そびれた作品をつかまえたから、後
期の小津もほぼ見ているはずだった。

 今回は年が明けてからようやく通い出したので逆に初期作品を見そこなった
が、『東京の宿』(三五)サウンド版、『小早川家の秋』(六一)と『秋刀魚
の味』(六二)の二本を除く全トーキー作品、加えて、発見されたサイレント
・フィルムの一つである『突貫小僧』(二九)を最終日に――後述する理由で
――見ることができた。『淑女は何を忘れたか』(三七)、『戸田家の兄妹』
(四一)、『宗方姉妹』(五〇)は、どうやら未見だったらしい。前二作をも
し見ていれば、桑野通子を覚えていないはずはない。

 桑野通子――小津作品中、この二本にだけ登場する彼女には、まず『戸田家
の兄妹』で端役とはいえ強い印象を受けたのだが、その後『淑女は何を忘れた
か』で、チャーミングさに目を見張らされた。東京のおじの家にやってきた元
気のいい姪で、帽子を斜めにかぶり、佐野周二と並んで遜色ない長身の、オー
バーコートから出ている形のいい脚。部屋着も似合い、関西弁がキュート! 
子供たちが地球儀をぐるぐる回して、目を閉じたまま指で押えた箇所の地名を
当てる遊びをしているところへ来た彼女、「北極!」とやってひとり勝ち。

『淑女』のリメイクでもあろう『お茶漬の味』(五二)は、戦時中に書かれた
最初の脚本では、おじが佐分利信、妻役が桑野だったという。十年後、おじを
佐分利のままで撮ったのは年齢的にミスキャストと、『小津安二郎映畫讀本』
(フィルムアート社)は主張する(桑野は四十二年に急逝、彼女の早すぎる死
については悲しすぎるからここには書かない)が、しかし、この佐分利信、な
かなか素敵である。テレビでもずいぶん見た顔だけれど、その頃にはさらに年
を取っていたし、もっとアクの強い役が多かったような。小津でも、『彼岸
花』(五八)のやたら怒っている父親の印象が強かった。今回、『戸田家』で
のういういしい二枚目ぶりにも驚かされたが、おつけを御飯にかけてお嬢様育
ちの妻にうとましがられる『お茶漬の味』の彼には誰もが同情するだろう。い
や、佐分利信、断然素敵で、自分のウェブサイトで「さぶりんと銀座でデー
ト」と空想を記す若い小津ファンがいるのにも不思議はない。

 以下では、主に『東京暮色』(五七)と『風の中の牝鷄』(四八)に関して
今回気づいたことを記すが、この二本がいずれも小津の失敗作と言われている
ものであるのは偶然にすぎない(それともそうではないのだろうか?)。

■エレクトラ?
「もう今日は帰ってドラマ見なくていいわね」『東京暮色』が終ったあと、明
るくなった客席で年配の女性が連れの女性とそう笑い交わしていた。たしか
に、小津を見た後では画面を見ないでも理解できるテレビドラマなど見る気が
しないだろう。私はといえば、その夜ニュースを見ようとテレビをつけたまま
寝てしまい、夜中に目をさますと何やら字幕つきの映画が映っていたが、その
カメラワークが煩くてしょうがない。やたらと動き回り、対象にこれでもかと
接近し、観客に見させ、驚かせようとするのが、不自然で、押しつけがまし
く、堪えられないのだ。

 むろん、不自然なのは小津の方である。小津作品には、観客がけっして見せ
てもらえないもの(例外的なシーンを除いて)がいくつかある。たとえば見合
相手の写真。たとえば娘の結婚式。たとえば正面から撮った階段。こうした禁
忌に加えて、固定された空間の中へ/から人が出入りする安定した構図や、切
り返しショットの交わらない視線や、並んで同じ動作を繰り返す二人の人物
は、そこに尋常ならざる事態が起こっていることを(しかも、描かれている出
来事は、これ以上ないほど尋常なものである)見る者に気づかせずにはおかな
い。
 しかし小津は、人々の好奇心をあおり立てようとして、大切なものをわざと
見せないでいるわけではない。私たちが(十分に)見せてもらえないもの、そ
れはまた、『東京物語』(五三)の冒頭で、尾道から上京しようとする笠智衆
が、すでに鞄に入れたのを忘れて妻の東山千栄子をなじる空気枕や、最後に妻
の形見として原節子に贈られる時計でもある(註1)。むろんこれらは登場人
物たちにとっては大切なものだが、しかしそこには秘密が隠されているわけで
も何でもなく、荷物の中に見なれた空気枕を笠智衆が認めるとき、それが私た
ちにとってもまた、見たこともない驚嘆すべきものではありえないのはわかっ
ている。ロラン・バルトがストリップティーズについて言ったような、すべて
の中心にあり、段階的に露出された末に開陳されるもの、東京物語という〈物
語〉の謎を解く、秘められた核心としての〈性器〉でそれがありえないことは
わかりきっている。

〈性器〉の対極にあるもの、それはまた原節子の顔でもある。小津映画が絶対
に隠すことのできないもの、私たちの視線を引きつけてやまぬもの――だが、
私たちは本当に見ているのだろうか。新聞のテレビ欄に、衛星放送で『晩春』
(四九)を見た視聴者の投書が載っていた。笠智衆が結婚について娘の原節子
に説く、幸せはなるものではなく、作るものだ云々という言葉に感動したのだ
という。言うまでもなく、何に感動するかはその人の自由である。いや、本当
は、「自由に」感動することなどありうべくもないのだから、何に感動しよう
とそれだけで非難の対象にされるべきではないと一応は言える。あるものに
「感動した」と公言すること、頼まれたわけでもないのにそれを新聞に投書す
ることが、自分をどんな人間として他人に示すことになるかがわかっていない
愚かさを嘲笑されることはあっても。だが、今は、この投稿者にそうした嘲笑
を浴びせようというのではなく、ただ、次のことを指摘したいだけだ。笠の演
説に本気で共感したのだとすれば、この人は原節子の顔を見ていなかったのだ
ろう、と。

 原節子の顔。古風な、日本的な、といった形容はおよそ似合わない。その顔
を、たとえば吉永小百合と取り替えることなど、考えることもできない。愛ら
しい、という形容さえ彼女にはふさわない。意志的な、男性的な顔立ち。小津
作品に出てくるとき、多くの場合、その顔は作り笑い――あえてそう呼ぼう
――を浮かべている。『晩春』で、結婚相手にと目されていた男性にすでに婚
約者がいることを父に向かって明らかにするときも、『麦秋』(五一)で杉村
春子に向かって、こんな売れ残りでいいのかという言葉で彼女の息子との結婚
を承諾するときも、原節子はその微笑を浮かべている。

 互いに好意を持っているらしい、しかし婚約者のある男と嫉妬について話し
ながらも、彼女は嫉妬などしていない。彼女が本当に嫉妬するのは、父の縁談
を叔母から聞かされたときだけで、そのときの原節子は本当にすごい眼をす
る。そして自らの結婚話を受け入れてのち、父と二人きりでの京都旅行での最
後の晩、「あたし、お父さんが好きです。このままお父さんのそばに置いて下
さい」と迫るとき、彼女のパッションの強さに笠の返答は見合わない。原節子
の表情の強度にも、父の台詞を受動的に堪える絶望と諦めにも気づかずに、彼
女の代りに笠に説得されてしまう人がいることに驚かずにはいられない。

 原の告白を、笠は文字どおりに取らない。父を必要としていると言われなが
ら、父の代理で事足りると考えるのだ。ここに〈性器〉があると思う者は、原
節子は父のファロスから夫のファロスへ、さらにファロスの等価物である子供
へと移行すると考えるのであろう。しかし、彼女が欲する父とは、「男」と交
換できるようなものではない。この場面について、二人が父と娘ではなく、男
と女になっているといったたぐいのことを言う人は、何か思い違いをしている
のだ。(娘が父へ寄せる愛情を、一般的なヘテロセクシュアリティへ至る通路
と見なさない方法はあるのだろうか?)

 結婚してもこれ以上の幸せがあるとは思えないという娘の訴えに、そういう
幸せは性愛の相手を持つことによって得られるのだと、父は教えることができ
ない。彼はただ、享楽の難しさ(「一年かかるかもしれない、二年かかるかも
しれない」)と忍従の暮しを説くのみだ。『晩春』の母親が台所で泣いていた
とは父自身によって語られている(母についての唯一の言及)が、『東京暮
色』の母、山田五十鈴は、単身赴任の笠智衆を捨て、長身の「下役の人」と出
奔した。

 はじめて、『晩春』の笠の台詞――「結婚してもすぐに幸せになれるとは限
らない。一年かかるかもしれない、二年かかるかもしれない。いや、十年かか
るかもしれない、幸せはなるものじゃなく、作るものなんだ」――を聞いたと
き(オールナイトの映画館だった)、私にはそれが、夫との性交では得られな
いであろうオーガズムのことを言っているとしか思えなかった。

『東京暮色』が『晩春』の後日談であると誰も指摘しないのは、説得されて嫁
いだ原節子が、父の代理、すなわち、父と娘ではそうなりえない性愛の相手と
の幸せを得たと信じたいからだろうか? しかし、幸せは得られなかった――
原節子は幼い娘を連れて家出し、実家に身を寄せている――と『東京暮色』は
告げるのだし、『晩春』では触れられることがなかった父の過去までがここで
は語られている。『晩春』の父娘――まさしく笠智衆と原節子である二人――
が、『東京暮色』にはそっくり引用、というよりむしろ移植されている。小津
作品と聞いて誰もが思い浮かべるであろう晴れ上がった空を第一の属性とする
風土から、雪が舞い、マフラーで頭を包み、マスクで口を覆う慣れぬ風土への
移植。『晩春』の娘にとっては絶対の存在だった笠の父親も、ここでは相対化
されている。彼は妻を寝取られた男なのだ。
 
『東京暮色』の原は、姦通した山田五十鈴を許さない。彼女自身すでに母親で
ありながら、長男が何年も前に山で遭難死していたと最近知ったばかりの母
に、今また、末娘、有馬稲子の死を冷酷に告げる。のみならず、妹の死は母の
せいだと責め立てる。そこまで母親に厳しいのは、彼女が父を裏切った女であ
るからだ。

 有馬稲子のような片親の環境で娘が育つのを避けるため(だが、母の不在と
父の不在は対称ではありえないから、この説明には説得力がない)、夫のもと
に戻ると原節子が笠に告げるとき、彼は明らかに意外そうな顔をする。硝子戸
の外に雪がちらつく家での直談で、彼は婿にすでに見切りをつけている。娘自
身に対しても、かつて彼女が好意を寄せていた別の男と一緒にしてやればよ
かったとさえ口にしている(やっぱり「男」は取り替え可能なのだ)。取り替
えのきかぬ唯一のものである父のそばに――「このままお父さんのそばに」
――娘と幼い孫娘がいてもかまわないと、末娘まで失った今、彼は思うように
なっていたのだ。『晩春』で父が娘に行なった紋切型の説得が、今度は娘から
父に向かって反復される。もはや夫のもとでの娘の幸せを信じられない父親
は、それでも「そうか」と頷く。「わかりました」と頷く『晩春』の原節子の
ように。彼女の表情に漲っていたパッションは、だがすでに遠い夢であり、そ
れゆえ『東京暮色』の世界はさむざむとしている。

■もう一つの二階
 誰もが知るとおり、後期小津作品の二階は、蓮實重彦により「女の聖域」と
名づけられている。それは、不在の階段によって宙に浮かんだ、嫁入り前の娘
たちの特権的な空間だというわけだ。では、真向から映し出される『風の中の
牝鷄』の階段については、蓮實は何と言っているか。「階段が顕在的なイメー
ジとして鮮明な輪郭におさまる瞬間、人は画面を直視してはならないのだ。階
段が不可視の存在として廊下のすみに隠されているとき、人はフィルムの全篇
へと映画的感性を投げかけねばならぬが、それがいったん可視的なものとなる
や、危険を察知して目を閉じること。小津的「作品」は、そうつぶやきつづけ
ているかのようだ」(『監督 小津安二郎』青土社、一九八三、91〜92頁)。
『牝鷄』の見え過ぎる階段を、あくまで「例外」とすることで嫁入り前の娘た
ちの主題を支えさせようとするこの記述には納得がいかない。なぜなら、「危
険を察知して」のこの身ぶりは、『牝鷄』の二階が娘の聖域とは全く異なる、
死者(たち?)の「アイビキの場所」(註2)であることから、目をそむけて
しまうことに他ならないと思われるからだ。

 復員して来ない夫を、幼児を抱え、二階家の二階部分を借りて待つ田中絹
代。子供の入院で金が必要となり、思いあまって一夜彼女は売春する。帰った
夫にそのことが知れるだろうとは観客には容易に予想がつくが、それは心ない
他人の口からとか、どうしても告白しなくてはならない状況に陥ってというも
のではない(少なくとも、観客にはそうは見えない)。第一、夫が帰ったこと
は語られはするものの、夫婦そろって他人の前に姿をあらわす場面は一つもな
いのだ。夫の帰還がなぜ遅れたか、どんな苦労の果てに日本に帰りついたか
が、夫婦の間にせよ、他の人との間にせよ、一言も触れられないのも腑に落ち
ない。なるほど、二階へ上がってみれば夫は帰ってきてはいる。子供は元気
だったかという問いに、病気をしたことを答え、入院したのかと言われてそう
だと認める。間、髪を入れずに、費用はどうしたんだ、借りたのか、誰から借
りたのかと責め立てられる。まるでそのことを問いつめるため、夫は帰ってき
たかのようだ。佐野周二は、小津作品の中でも役によってかなり印象の違う役
者だが、ここではたとえば『父ありき』(四二)のやさしい息子とは似ても似
つかぬ嫌な奴で、乱れた癖っ毛を顔の横に垂らしてけわしい表情をしている。

 クライマックスは、有名な階段の場面である。正面から撮られた階段には紙
風船や茶筒などが、それまでにもふわふわと、あるいは音立てて落ちるのが目
撃されたが、ここに至って、佐野周二に突き飛ばされて田中絹代がどすどすと
転がり落ちるのを(実際には「浅草の曲芸の女の人」にやってもらったそうだ
が、いかにも痛そうな落ち方である)、私たちは目のあたりにすることにな
る。佐野は妻を追って階段を駆け降りるものの、なぜか段の途中で止まり、大
丈夫かと声をかけるばかりだ。見下ろされた田中絹代は起き上がってこない。
佐野も本気で心配しているようではあるが、下まで降りて抱き起こすどころ
か、手を貸してやるそぶりも見せない。昔の男はそんなものだったのだろうな
どと思ってしまってはいけない。家主の妻が外から帰ってきて田中を発見す
る。カメラが階段を映すと、もうそこには誰もいない。

 家主の妻が入ってきたとき、田中はもう立ち上がっており、壁にすがってい
る。この直前、佐野に見下ろされたまま、気を失っていたらしい田中がゆっく
りと起き上がってくる場面があって、そのさまは、死者の甦りを私たちが目に
していると考えれば一番納得がいくものだ。家主一家が一画多い川の字になり
静かな寝息を立てる階下と、件の夜の詳細を聞き出そうと責め立てたあげく、
曖昧宿では不首尾に終わったらしい性交に及んで田中の喘ぐ声が聞こえる階上
は、所詮別世界なのだ。佐野周二が手を差し伸べないのは、二階以外の場所で
は、彼らは触れ合えぬからではなかろうか。妻を突き落としたことを家主の妻
に悟られまいと、夫は急いで階上へ戻った? そんな気づかいは生者のするこ
とだ。たぶん夫の姿は、妻以外の者には見えないのだろう。

 幼い息子を唯一の例外として誰も割り込む余地のない「アイビキノ場所」か
らいったん離れるなら、彼らは他の人々の目に確固として存在しているようで
はある。佐野周二は復職し、友人の笠智衆に悩みを打ち明け、田中が客をとっ
た宿へ赴いてそれが「一度きり」であったことを確かめる。客として上がった
部屋にやって来た女に同情し、仕事を探してやりさえする。昼間、川べりの土
手で弁当をつかう女が佐野と並んで話すところは( 夫が帰ってきたと知らさ
れる直前、田中絹代は子供を連れて友人と、やはりそんなふうに土手でピク
ニックをする)、この映画では例外的に風通しのいい場面だ。

 田中が痛む身体で必死で二階に戻って夫に謝り(夫が謝るのではない、彼に
そのようなことをさせてしまった自分の行為を、田中が謝るのだ)、もうこう
なったら……というような意味のことを言うとき――実際にはそれには、ぶつ
なり蹴るなり好きにして下さい、あなたを苦しめたくない、とすでにそれだけ
痛めつけられていながら信じられないようなマゾヒスティックな台詞が続くの
だが――すでに話は知っているのにもかかわらず、私は彼女が、今にも、「本
当は私はもう死んでいるのです」という告白をはじめるのではないかと思って
しまった。

 忘れるんだ、やり直そう、本当の夫婦になろう、と佐野はしきりに繰り返
す。だが、これは、小津の映画全体をおおっている、ほとんど意味をなさない
紋切型の台詞のヴァリエーションに過ぎない。歩いてみろ、と佐野は足を引き
ずっている田中に命じ、まともに歩けないのを歩かせる。彼女が崩れ落ちよう
とするのを支える形で二人が抱き合うとき、彼女は立っていられず、ずり落ち
て、佐野の下半身にすがりつく。階段の場面と同じく、最後まで男―上、女―
下の構図なのだが、これとて佐野周二が完全に死霊の女にとらわれてしまった
としか見えないのだ。彼女は「浅茅が宿」の女のように、戦乱の中ですでに命
を落しているのではあるまいか。それとも、夫に対する罪悪感にうちひしがれ
た田中絹代の妄想の世界に私たちはいるのであり、彼女の夫はいまだ復員して
いないのだろうか?

■etc.
 一月二十五日午後、『秋刀魚の味』と『東京物語』を見に出かけようとして
郵便受けから朝刊を取り出し、突貫小僧こと青木富夫の死を知る。フィルムセ
ンターに着いてみると、『秋刀魚の味』の当日券はすでに完売(日曜日で最終
日、前売りを買っておくべきだったのだ)。『東京物語』の当日券を求める列
に入るかどうか(販売と入場開始は何時間も先)迷っていると、並んでくれな
いと人数が数えられない、入場できるかどうか責任が持てない、と警備員に声
をかけられる。むっとして、並ぶかどうかは自分の責任で決める、入れなくて
もあなたのせいにはしないと言ってやる。結局並ぶことにして、持参の本を読
んで時間をつぶす。モギリのおねえさんと警備員、人数を数えつづけた結果、
『秋刀魚の味』終了以前に、列の人数は残り枚数に達したと判明。前の回を見
終えて列につこうと走ってきた人たち、あるいは落胆し、あるいは怒る。上映
前のアナウンス、青木富夫の逝去と、終了後 『突貫小僧』の追悼上映が行な
われることを告げる。これは、九一年に発見された十数分の断片で、八十歳で
の彼の死と引き替えに(というのはむろんこちらの感傷で、本当に残酷なの
は、映画が俳優の生死なんぞには完全に無関心で「在り」つづけるということ
だ)、私たちは六歳の彼を見ることができた。この心遣いと、隣の席の人とお
しゃべりしたことで気がまぎれ、お節介な警備員への怒りを投書するのを思い
とどまる。

 思えば『東京物語』には、ずいぶん糖衣がかぶせられていたのだった。それ
を剥ぎ取ったときあらわれてくるのは、たとえば『東京暮色』の最後のショッ
ト、妻と息子と娘を失い、もう一人の娘はその男と一緒ではついに幸せを得ら
れないであろう夫のもとへ帰ったあと、いつものように勤め先へ向かう、フィ
ルムのように自らの生を磨り減らしてゆく笠智衆の後ろ姿だ。小津の世界は、
古き良き時代の象徴として退嬰的に懐かしまれたり、人々がそこへ回帰したい
と思うようなものでは断じてない。『父ありき』の終り近く、動かぬカメラが
冷酷に見据えつづける笠智衆の、身体に変調を来しながらそれでも仕事に行く
ため立ち上がろうとしてあがく、生なましくも不気味な姿を見よ。あるいは顔
いっぱいに広がった笑みにパッションを封じ込め、般若の異相と化す寸前で小
津映画のヒロインに踏みとどまっている原節子(それを隠すために、彼女は両
手で顔をおおって泣くしかない)を。小津映画に出てくるのは抑圧された人々
である。決められた空間の中で型にはまった動きをし、紋切型の台詞を口にす
る不自由な人たちだ。

 そうしたすべてにかかわらず、小津の四本立てオールナイトを見るとは次の
ような体験であることを言っておかなければならない。相変らずのショット、
相変らずの構図、相変らずの台詞の心地よさ。新しいもの、見たこともないも
の、驚くべきものではなく、見馴れたものの反復のみを私たちは求め、小津は
それに応える。『お早う』の子供たちによって非難された、オハヨウ、コンニ
チハ、ナルホドといった単語と同レヴェルの台詞は、あまりの稀薄さに、もは
や紋切型の意味すら聞き取らせることはない。小料理屋(「若松」か?)に
入った男たちの前に 高橋とよがまたしても現われる(別の作品なのに!)と
き、人はもう笑うしかない。

 今回、フィルムセンターにはじめて行くという人に、『長屋紳士録』(四
七)をすすめて大いに楽しんでもらえた。父親とはぐれた男の子をひょんなこ
とから世話する羽目になってぼやく飯田蝶子に、本当はもうあの子のことを好
きになっているのだと、友達の吉川満子が指摘する。犬であれば互いに尻尾を
振り合っているところだが、人間だから見えないのだと、子供の小さい尻尾、
飯田の大きな尻尾と手をふってみせる。飯田の顔を「土佐だからね」と言い、
「ブル入ってるけど」と付け加えて、「ぶつよ」と言われる。動物園で遊んだ
帰るさ、上野山下の写真館でポーズをとって澄ました顔を今度は猿になぞらえ
て、「よく似てたよ」「何が」「さっき檻ん中にいたじゃないか」。( この
コンビ、『淑女は何を忘れたか』でも掛け合いをやっていた。狐の襟巻きを巻
いて有閑マダムに化けた――と言いたくなるが、役の上では本物の重役夫人の
――いくらか若い飯田、目尻に皺を作らない笑い方を考えたと、口先だけで
「ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、ホッ」と笑ってみせる。「なんか動物園行きたく
なっちゃった」と吉川。思わずにっと笑ってしまった飯田、あわてて目尻に指
をあて皺を伸ばす。)にらみつけられれば土佐犬よりおっかない飯田蝶子の無
類のコメディエンヌぶり。手動鉛筆削り器かコーヒーミルのようにハンドルを
ぐるぐる回して配給の小麦を粉に挽きはじめた手の動きが次第に速まり、機械
仕掛けみたいにものすごい勢いで挽きまくる……。

『長屋紳士録』はまた、何度見ても感嘆措くあたわざる、写真撮影の場面に
よって記憶されるべき作品でもある(註3)。『麦秋』をはじめて見たとき、
記念写真を撮る一家にスクリーンからまともに見返され、ぎょっとして座席の
上ですわり直したものだが、ここでもまた、写真師の視点とばかり思っていた
転倒した像に、一瞬の黒画面を介して、誰のものでもない視線におさめられた
像が接続されるとき、私たちは不意に別世界に連れ出されたような気分を味わ
う。そして『麦秋』で二階の廊下の端から階段を降りる原節子の後ろ姿が視界
から消えてのち、なおも前進するキャメラ……これらについてはいずれ稿を改
めて論じたい。

註1:「論座」(朝日新聞社)2004年2月号で吉田喜重が挙げているものを引
き写してみた。ただし、人間がそれらを見落していた間にも物の方ではつねに
人間を見ていたとか、物の視線は死者の視線でもあるとか、聖と俗の対立とか
いった吉田の発言からは、恣意的で奇矯な感じしか受けない。
註2:「私ト私ノ妻トノアイビキノ場所」(入澤康夫)
註3:四方田犬彦の「死者たちの召喚」(『映像の召喚』青土社、一九八三所
収)に詳細な分析がある。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(すずき・かおる)東京生まれ。現在の勤め先は築地本願寺(『長屋紳士録』
で釣りをする子供たちの背景にそびえ立っていたアレです)近く。月一回、
「きままな読書会」を主催。三月は初の試みとして「私の見つけた○○表象」
と題し、映画、CM等のビデオを持ち寄って、隠された(あるいはあからさま
な)映像表現を「読む」ことにしました(○○は伏せ字ではなく、好きに入れ
てみて下さい。「ホモソーシャリティ」「同性愛」等)。3月20日(土)18:
00〜21:00、文京区男女平等センター(本郷)にて。詳細は
dokushokai@hotmail.comへお問合せを。

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////// 講演会から //////

       知の伝統 知の力――大分県中津市での話から

                              岩田憲明
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■地域に残る知の伝統
 最近、地域通貨の活動などで大分県内のいろいろな場所へ出向くことが多く
なりました。実際に地域に出向くと、そこには多くの伝統的なものがあります
し、またそれを生かした町づくりもよく目にします。南蛮文化と寺町の融合し
たような臼杵の町並み、私が長年研究している国東半島は安岐町の三浦梅園、
竹田の岡城とそこで夏開かれている大阪大学名誉教授茅野良男先生による『哲
学講座』など、現地に出向くと結構面白いものに出会えるものです。ここ中津
市も古くから知的伝統には恵まれていて、蘭学の前野良沢や一万円札で有名な
福沢諭吉などが出ています。中津駅などに行くと、福沢諭吉が異常に目立って
いるのですが、このような人物を輩出したのも、もともと中津に知的伝統が根
付いていたからだと思います。蘭学者ももともとは漢籍に通じている人たちで
すし、江戸時代の教養は単に文字に書かれたものだけではなく書や絵画にも及
んでいますから、中津の自性寺に池大雅の絵が多く残されていることは、当時
におけるこの町の教養の広さを示しているものではないかと思います。

 一般に文化の中心地は東京などの都市部にあると見られています。歴史的な
遺産の多くは地方にあるのですが、ファッションや音楽の発信地はどうしても
都市部ということになります。また、知的な面でも、多くの大学や出版社は都
市部に集中していますから、都市部が教養文化の中心地になっているといえる
でしょう。けれども、これらの多くは新しさを常に求めて動いている傾向があ
り、なかなか伝統として個々人の意識に根づかないのではないかと思うことが
良くあります。都市部には知の流入・集積が見られるのですが、それを持続さ
せるのは個人であり、その個人の住む(東京も含めた) それぞれの地方ではな
いかと感じます。たまたま先日、コミックマーケットというものに生まれては
じめて出向くために東京まで行ったのですが、その巨大な会場の中に都市部の
文化の集積の度合いを感じるとともに、全国から集まっている人々に個人の中
に持続して生きている日本のコミック文化の広がりを見ることが出来ました。

 文化にしても知的教養にしても、最新の流行を求めるには都会は便利なとこ
ろだと思います。単にこれらのトレンドの発信地であるだけではなく、海外か
らも多くの情報がそこには流れ込んでいます。しかし、知的文化の主体が私た
ち一人ひとりであることを考えると、必ずしも都会に住むことが有利であると
は限りません。むしろその流れの激しさに目を奪われて、自分を見失うことも
あるのではないでしょうか。また、本来それらの文化を成り立たせている基盤
となっている古いものが見えなくなる危険もあると思います。哲学の場合、カ
ントにしても三浦梅園にしても地方に住んでいながら地道に自らの知的体系を
構築して行った人たちです。彼らの住んでいたところには適度に外部からの情
報が入っていましたし、たまには外の世界に旅行に出たこともありましたが、
自らのペースを守りながら学問を続けることによって、後世に影響を残したと
いえるでしょう。そのことを考えると、流行的な知の集積の面では都市部が有
利という感じですが、真に持続して知を育てて行くには自らの住む地方に根づ
くことが大事なのではないかと思っています。

 知というものは一定の連続性の上に成り立っています。それは先人の知的遺
産を前提として成立するものであり、単に最新の流行をマスターすることだけ
で身につくものではありません。しかし、近頃ではそのことが理解されていな
いのではないかと思うことがしばしばあります。

■日本語に生きる知の遺産
 上にも紹介した茅野先生による『哲学講座』では、昨年からいかに日本人が
海外の文献とその翻訳を通して自らの知的伝統、特に日本の近代哲学を築いて
いったかをテーマにお話がなされています。私も拙いながら翻訳をしたことが
あるので、先人たちがいかに西洋の文化を言葉を通じて日本に取り入れるため
に苦労したかが良く分かります。「哲学」 と今日では呼ばれている
[philosophia] にしても、その訳語が定着するにはいろいろな試行錯誤があっ
たことがこの講座を通じて語られています。「哲学」 という訳語を考えたの
は西周ですが、この語は当初は原語の<知を愛する>という意味を生かすため
に『希哲学』と訳されていました。まったく異なる知的世界を自らの世界に取
り入れるためには、自らの知的能力を最大限に問い返す必要があります。その
時に日本人にとって助けとなったのは漢籍の知識ですが、おそらくこの知的伝
統がなければ私たちは日本語で西洋の文化を取り入れることは出来なかったで
しょう。ここ中津は前野良沢の出身地でもありますが、彼が「ターヘルアナト
ミア」を訳した際にも、同じ苦労があったと聞いています。このような知的格
闘が結果として日本の近代を導いたのであり、また同じ漢字文化圏の人々に多
くの西洋語の訳語を日本の先人たちが提供したことを思うと、知の伝統の底力
を感じずにはおれません。

 私はいま立命館アジア太平洋大学(APU)で大学院生として学問をしてい
るのですが、ここにいるといかに日本語が近代語としてよく出来ているかを感
じることがあります。最近では英語が世界標準であるとして、日本人にももっ
と英語教育をという意見をよく耳にするのですが、英語が出来るからといって
必ずしも学問に有利だとは限りません。英語の必要性が高まっている以上、そ
れが出来るに越したことはないのですが、発展途上国を見渡すと英語でしか勉
強できない国々が多くあります。それは単に自国語での出版が経済的に出来な
いというのではなく、そもそも専門用語などの近代語を自国の言葉で表現でき
ない場合が多いのです。恐らく、漢字圏以外で医学の専門書を西洋語ではなく
自国語の教科書で出版している国はこのような地域ではそうないのではないか
と思います。フィリピンなどでは小学生のときから英語で授業をしていると聞
いたことがありますが、逆に自国語では高度な専門用語を表現できないことが
多々あるそうです。また、インドなどのように、使われている言語が多岐にわ
たっている場合には、学問をする言語を英語などの外国語にする場合も良くあ
ります。このような地域では、自らのネイティヴの言語と学術的な近代語の間
にギャップがありますし、時には英語などの外国語ができる人たちとそうでな
い一般の人たちとの間に意識のズレが生じることもあるのではないかと思いま
す。

 これらの地域では欧米や日本の植民地支配のために十分に近代という時代を
消化する機会がなかったのも確かです。この点で日本は非常に恵まれていたわ
けですが、多くの途上国では、戦争と革命の時代の混乱に引き続き、グローバ
ル化に伴う急激な経済成長の中で自らの地域の持つ伝統に対する無関心が蔓延
しているように思います。この伝統に対する無関心は日本人自身が体験してい
るところでもありますが、いずれにしても自らが身に着けたネイティヴの言葉
とインテリとしての言葉との間に溝があることは、経済発展の進むこれらの
国々でますます自らの伝統に対する無関心とその反動としての宗教的原理主義
を増大させるのではないかと危惧しています。

 この問題の重要さを私が最初に感じたのは大学時代にカントを読んでいたと
きでした。私は大学時代、ドイツ理想主義哲学を勉強するためにドイツを語を
やったのですが、ドイツの哲学用語の多くが日常語であることに驚きました。
たとえば、[Vorstellung] という単語は哲学用語としては『表象』と訳されて
いますが、これは本来<前に立てる>という意味合いを持った言葉で、一般に
は『イメージ』とか『紹介』、『上演』などの意味で使われています。『概
念』と訳されている [Begriff] もそうで、<つかむ>という語感を持つ
[greifen] に<固定させる>という語感を持つ [be] をつけて出来ています。
つまり、ドイツ語のやまと言葉で哲学が語られていたわけですが、このネイ
ティヴな感覚がドイツ語で哲学書を読むことで、伝わってきたわけです。西
ヨーロッパにおいてドイツ以外ではこのような自国語への特別な翻訳はなかっ
たように思います。英語の哲学用語はラテン語からの借用語でしたし、フラン
ス語やスペイン語などはもともとラテン語から派生した言語なので、特にラテ
ン語を用いても問題がなかったようです。ドイツ哲学が近代哲学の礎となれた
のも、ドイツ人が自らの言葉で哲学をすることをいとわなかったからだと私は
思っています。余談になりますが、鈴木孝夫さんの『日本語は国際語になりう
るか』(講談社学術文庫)によると、英語では医学などの学術用語もラテン語
がそのまま英語となっているものが多いので、ネイティヴでもその専門外の人
はあまり理解できないそうです。この点、スペイン語を使うラテン系の人たち
の方が英語をネイティヴとして使う人よりも、自らの日常語と専門用語との間
のギャップに悩まなくて済んでいるかも知れません。

 日本語の場合、西洋語の翻訳は本来外国語である漢字を通してなされてきた
わけですが、日本人は音読みと訓読みとを併用することによって、日本のやま
と言葉と漢語との間にうまく連続性を持たせてくれたのではないかと私は考え
ています。これも上述の鈴木さんの本に書かれていたことなのですが、日本人
は訓読みによって漢語の意味を理解し、漢字の熟語によってそれを使いこなし
ているところがあります。鈴木さんの例によると、日本人は『屈折』という語
を「かがむ・おれる」と読むことによって、自らの日常語の語感で理解するこ
とが出来ますが、英語の場合は必ずしもそうではありません。英語の場合、専
門用語に至っては、医学用語のようにただ日常語とは離れて覚えるしかない場
合も多いようですが、日本語の場合はそうではない、少なくとも何らかの意味
の取っ掛かりがあるというわけです。このことの意味は私も日本語教師をやっ
た経験があるのでよく分かります。外国語の教育では直接法といって、子供た
ちに外国語を教えるには具体的に物で示したり、形で示すことによって理解さ
せることがあります。そのことによって言葉をより直接的に理解してもらおう
というわけです。これは抽象的な言葉を理解するための大切な前段階といえる
でしょう。このように具体的な感覚とともに身につけられた言葉が抽象的な専
門用語の背景にあるかないかは、より深く学問を進めるにあたって大きな違い
を生むことになります。

■失われていく知の現場
 このように考えてみると、私たちの知的生活があらゆる面で先人たちの恩恵
の上に成り立っていることを感じざるを得ません。以前と比べれば、外国語が
出来る人も格段に増えていますが、私は最近の状況を見ているとむしろ日本人
の言語能力は低下しているようにさえ思います。そこには流行を追う「今」だ
けを追い求める知のあり方にも問題があると思っています。

 私はアニメファンなのですが、日本のアニメの現状を考えてもこのことは言
えるのではないかと思います。80年代にアニメブームが到来して以降、今日で
は宮崎アニメをはじめとして日本のアニメは海外に広く知られるようになりま
した。けれども、あの80年代に比べて細かな作品の部分的クオリティは上がっ
たものの、物語としての作品のレベルは当時に比べて落ちているのではないか
という印象を持っています。特撮ものを含めれば、80年代以前に出来た最初の
ゴジラやウルトラマンに匹敵する作品が生まれる可能性は最近ほとんどないよ
うにさえ思われます。これらの作品にはまだ日本の戦後の重みを感じ取ること
が出来ました。ゴジラはもともと反戦映画でしたし、初期ウルトラマンの脚本
を書いていた金城哲夫さんは沖縄出身者として常に日本人に対する他者として
の意識を持っていた人でした。この流れは、ファースト・ガンダムにも生きて
いたのであり、そのことがガンダムを今日までゴジラやウルトラマンとともに
生かしている理由のひとつだと私は思っています。正直、最近のアニメを見て
いると、その作り手が昔のアニメを見ていても、それ以前の文化的なものに対
する関心の広がりがないのではないかと思うことがしばしばあります。私の好
きな押井守監督の場合、古い映画を何度も見たり、聖書などの古典に詳しかっ
たりして、その知的関心の広がりは並大抵のものではありません。しかし、最
近のアニメ製作者にはそれを感じることが出来ないのです。

 このことは最近のアカデミズムにも言えることで、多くの大学の学生たちは
忙しく勉強はしているものの、本当に自分で考える機会が少なくなっているの
ではないかと思っています。私が大学生だった頃(80年代の前半)は結構いろ
いろなことができて、私はカントの「純粋理性批判」のドイツ語の原書を筆写
し、翻訳と逐次付き合わせながら読んでいました。けれども、このようなこと
は今日の大学では文学部を除いてまずないのではないかと思います。昔は経済
学部でもマルクスやケインズの原書を読んでいたようですが、今は教科書を理
解するのに手一杯なようです。この手の学科では次々に新しい学説が出ますか
ら、それについて行くのも大変なようで、とにかく外から与えられた情報を取
り入れることに多くの時間と労力が割かれているのでしょう。しかし、これで
はアカデミズム本来の役割である本当に新しい考えを導き出すということは出
来ません。学生たちはテキストを読むことに、また最新の学説をそのまま取り
入れることに忙しく、結果としてその業績は外から入ってきた学説のパッチ
ワークかそれを単純に日本の事例に当てはめるという程度しかできなくなって
いるのではないかと思われるほどです。

 問題なのは勉強することによって学問の結果を取り入れることは出来ても、
それを生み出すプロセスが身についていないということです。先日、中津出身
で図解に関して多くの本を出しておられる久恒啓一先生が故郷でお話しをされ
ましたが、先生の最近出された『勉強してはいけない!』という本はこの意味
でとても印象的でした。良くぞ言ってくれたという感じです。勉強して何とか
問題が解決できると思っている人たちは<答えは誰かがすでにどこかに用意し
ている>と思っている人たちです。久恒先生は現場主義の立場からこのような
態度を戒めていますが、残念ながら勉強すれば何とかなると思っている人た
ち、自分の足元に関係なく問題の答えがすでに用意されていると思っている人
たちが多いのは確かです。最近『バカの壁』を書かれた養老孟さんは、以前オ
ウム事件が起こったときに、自らの教え子がオウムに入信したことがショック
だったと言っています。しかし、今の大学での知のあり方を考えればさほど不
思議なことではありません。理系の場合、大学では特に勉強が大変なのです
が、彼らは教えられる理論の辻褄さえ合っていれば、それが現実に合っている
かどうかなどはさほど気にしません。頭の中で何らかの理由を作って、二つの
異なった知の体系を使い分けることが出来るのです。しかし、そこには彼ら自
身が生きる【現場】がないのであり、だからこそ適当な知の使い分けが出来る
わけです。

■ファーストフード化する世界の中で
 私はこのような知のあり方を「知のファーストフード化」と読んでいます。
知識として短い時間で多くの情報を仕入れることは出来ても、それを自らの人
生に生かすことが出来ないのです。このようなファーストフード化した『知』
しか持たない人たちが何らかの問題にぶつかった時はまるのが、オウムのよう
な新興宗教です。そこには分かりやすく秩序だった教説と、体験談のような形
で示された効能書きが並べられています。あたかもそれは人生の問題を解決す
る万能薬のように自らを宣伝しています。しかし、本来の宗教はそのような便
利な「薬」を用意しているものではなく、むしろ人間には限界があるものであ
り、それ故にいかに悩むかを教えてくれるものなのです。単なる問題の解決を
望むのであれば、病気のときに薬局や病院に行くのと変わりありません。しか
し、本来宗教がかかわるのはそれとは別次元の問題なのであり、宗教とはもと
もと苦しみそのものを排除するのではなく、それをいかに自ら受け止めるかを
教えているものだからです。けれども、「知」のみならず「ファーストフード
化」した世界に生きている人たちにはその違いを理解する感覚が失われていま
す。日頃伝統的な宗教に触れる機会も乏しいですし、日常彼らに求められてい
るのは時間内で一定の決められた仕事をすること、それもどこかに正解として
用意された基準に従って仕事をすることです。そこには自らが主体として悩
み、道を切り開く余地などないのですが、残念ながらこの傾向は最近のイン
ターネットの発達によって助長されているように思います。というのも、そこ
には各自の求めに応じて大量の知識が即座に検索され、提供されるからです。

 かつての日本人は西洋から多くの知識を得るにあたって、決してそこに日本
の現状に自動的に当てはめられる答えがあるとは考えていませんでした。日本
が西洋に比べて遅れていたことは自覚されていたわけですが、日本が西洋と異
なることも十分に理解していたわけです。ですから、逆に明治の先人たちは何
を西洋から学び取ればよいのかを知っていたのであり、福沢諭吉をはじめ欧米
に渡航した人たちは単なる科学技術にではなく、むしろヨーロッパの社会制度
に強い関心を寄せていました。また、その後、文明開化が進んでいく過程にお
いても、多くの知識人は西洋と日本との間で文化的に悩み続けたのであり、そ
の成果が近代文学や京都学派などの日本の哲学という形に結実したということ
が出来るでしょう。しかしながら、このような先人たちの近代化に伴う営みは
戦後、殊にバブル以降、急速に忘れ去られている気がしてなりません。これら
に対して、今日どれだけの人が自らの【現場】を踏まえた上でそれに検討を加
え、その上に立って自分の考えのを打ち立てているか疑問です。日本近代の知
識人たちの知的所産に問題が多いのは確かであり、実際にそのことが太平洋戦
争につながっていったわけですが、過去と未来の間に生きる人間として、先人
たちにそれなりに敬意を払いつつ、その問題点を考えていくことが必要ではな
いでしょうか。

 昨年 (2003年) の3月に「仮面ライダー」の死神博士役で有名な天本英世さ
んがお亡くなりになりました。それから一週間くらいしてたまたま臼杵に行く
機会があったのですが、小手川酒造の小手川道郎さんが倒れられたと聞いて
ショックを受けました(小手川さんは7月にお亡くなりになりました)。天本
さんと小手川さんは旧制七校時代の同級生で、私も臼杵を中心にして活動して
いた「BUNGO−大分日本エスパニヤ協会」でお二人にお会いしたことがあ
ります。天本さんはスペインの詩人ロルカの朗読者、スペイン狂としても有名
な方でしたが、臼杵はかつて南蛮船が出入りしていたこともあり、小手川さん
は臼杵を中心にエスパニヤ協会を設立されたわけです。お二人とも戦前、特に
旧制高校の時代を知る方たちでしたが、明治期以来の日本の知の伝統を受け継
いできた方々がいなくなっていることに私は危機感を覚えています。アニメの
ことしか知らないアニメ製作者、教科書の専門知識しか知らない学者たち、
「知」のみならず、あらゆるものが「ファーストフード化」する中で「知」の
伝統は辛うじて臼杵や竹田などのような地方に生きているように思われます。

 中津も福沢諭吉や蘭学をはじめ知の伝統を育んできた土地柄といえるでしょ
う。どうしても都会を中心に発信される流行に目を奪われることが多いのでは
ないかと思いますが、むしろ自らの足元にある知の伝統を掘り起こし、その力
を地域に生かすことが必要ではないかと私は常々思っています。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(いわた・のりあき)哲学者。元大分県庁の公務員で現在はフリーの立場で研
究を進めている。研究分野は文明論からアニメまで幅広いが、その中心には独
自の記号論がある。現在、【哲学茶房のサクサクHP】にてその著述を公開して
いる。http://www.oct-net.ne.jp/~iwatanrk/

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////// 連載「文学のはざま」第1回 //////

            困惑する福田和也

                              村田 豪
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 福田和也という批評家の名前を初めて知ったのは、7,8年前に梅田の紀伊
國屋書店で『日本の家郷』や『日本人であるということ』などが平積みにされ
ているのを目にした時でした。文学や批評のコーナーで、こうもあからさまに
保守的イデオロギーを彷彿とさせるようなタイトルが幅をきかせていること
に、一種異様な感じがしたものでした。「どうしてこんなところに、文春みた
いな安っぽいデマゴギーの本が積まれているのだろうか?」

 今から振り返って考えてみると、福田自身のジャーナリズムでの認知は、デ
ビューから数年経ちすでに広がっていた時期であり、多少事情をわきまえてい
るものなら、特に驚くような光景ではなかったのかもしれません。また私自身
が、文学や批評に対して抱いていた進歩派的イメージこそが、あまりにナイー
ブに過ぎたのだと、今となっては言えるのでしょう。しかしこの最初の印象の
ために、時おり文芸誌などでお目にかかる福田に対しては、読まずに無視する
か、せいぜい一定の距離感をもって目を通すぐらいしかできないでいたのでし
た。

 このように福田和也を忌々しく扱う態度には、確かにアンフェアなところが
あることを認めなければなりません。なんといっても、きっちり彼の文章や作
品を読もうともしていないのですから。「自ら『右翼』を任じて臆することの
ない批評家などろくなものでもあるまいし、どうせ右傾化する世の趨勢に浅ま
しくおもねる権力欲の人なのであろう」と、そう決めつける私に独断がないと
はいえないのは明らかでした。そして、多少まとめて福田の本を読んでみると
き、それまでの印象は、その印象をまさに「ナイーブ」に堅持しようとしてい
た私の偏見として、解体されざるを得ないのでした。

 例えば、『「内なる近代」の超克』では、戦後吉田茂がレールを敷いた日米
同盟のスパンが、実に明治以来の日英同盟的世界観に基づくものであることを
照らし出しながら、その耐久年数の限界を指摘し、同時に日本の作家や芸術家
が西洋にいだいてきたアンビバレントな態度が、まさにその政治上の問題と完
全に平行していることを浮き彫りにしています。また『愛と幻想の日本主義』
においては、日本ではなぜ文芸評論家が思想の担い手になるのかという問題
や、自分が「日本」や「伝統」という言葉を通じて唱えているのは、言ってみ
ればカント的な「趣味の共通感覚」の再建なのだという議論など、興味深い問
題を明晰に扱っています。どれもが新しい知見を与えつつ、面白い読み物に
なっていると思います。そして『甘美な人生』『日本人の目玉』などは、そう
いう問題意識を持った福田和也という文芸批評家の、実践的成果と見なせるで
しょう。

 ただしここで問題にしたいのは、福田を避けていた当初の「ナイーブ」さ
を、私が自分自身の意志で克服したわけではない、というところです。反感を
抑えて、虚心になって、福田の文章を読んでみた結果、評価できると翻ったの
ではないのです。要するに、ジャンルを問わず展開される福田の旺盛な評論活
動がもたらす浸透力こそが、私のような、『批評空間』の定期購読者で、たま
に文芸誌を読んだり、サブカル誌を冷やかし見たりはするが、論壇誌など絶対
に手に取ったりしない者にも、その政治的な態度と文学的な態度をつらぬく一
貫性と妥当性に気づかせただけなのです。こういう前提で著作を読んでみるわ
けですから、つまり、私自らが福田を発見したのではない。すでに福田和也
は、大きな支配的言説として作用していて、私が知らぬうちに影響を受けてい
た。そういう事実として受け止める必要があると思われるのです。

 端的に福田の優位を示すと思われるのは、ナショナリズムについての議論と
その推移でしょう。保守の擁護者として文壇・論壇に登場して以来、福田は一
貫して、左派や市民主義に巣くう無自覚なナショナリズムが、欺瞞的な自己正
義しかもたらさないことを批判してきました。しかしその一方で、小林よしの
りや「新しい教科書を作る会」に見られるナショナリズムが、戦争の実体を正
視できず、責任を欠いたものであり、弱者のルサンチマンにすぎないと指弾す
ることも忘れませんでした。左右の対立は、所詮見かけ上のものにすぎず、
「弱者のナショナリズム」「似非ナショナリスト」としてどちらも厳しく斥け
なければならない。こうした態度は、既成左翼のスローガン的自動性に飽きた
らず、かといって右派の知性を欠いた無様なナルシズムの垂れ流しには、どう
もガマンができないという読者にたいして、一定の理解を獲得していたことは
間違いありません。

 例えば、最近話題を提供した、戦後民主主義擁護の書である小熊英二の
『〈民主〉と〈愛国〉』が設定する問題機制とも、福田の「左右に根深い無自
覚なナショナリズム」への批判は、かなりの部分共通するものでしょう。自己
の政治的立場を明確に整理した『余は如何にしてナショナリストとなりし乎』
を見ても、福田のナショナリズムについての議論には、相応の論理性と説得性
が備わっていることが分かります。

 しかし、さらに重要なのは、ナショナリズムを客観的な手つきで旧来のイ
メージから取り出し、しかもこれが日本人の主体にまつわる問題なのだとす
る、現在では一般化した感のある言説の身振りを用意したのが、当の福田和也
だったということです。もちろん福田一人がそうした状況を作り上げたとはい
いませんが、論壇誌で彼が当初「日本」ということを正面切って言い出したと
き、誰も似たようなことは言っていなかったようです。その意図がほとんど理
解されなかった、ということを福田は何度か語っています。また右翼的ポーズ
の「偽悪」性は自覚的に選択されたものであり、自分の言論活動の一つの目標
が、状況を「シェイク」することにあるとも、ことあるごとに公言している。
このような福田の態度が「新しさ」と見なされ、広く受容された結果として、
左右を問わず正面からナショナリズムについて論じ合うような、現今の風潮が
出てきたとみることはできるでしょう。

 しかし、今や福田自身が、自分が切り開き、荷担してきた言説状況の中で、
ある種の困惑を隠せなくなっているように、私には思われます。というのは
「シェイク」の結果現れれたのは、福田が期待したような「責任倫理」や美意
識としてのナショナリズムの形成というよりは、テレビインタビューで「日本
も国際貢献をしなきゃいけない」と主婦であれサラリーマンであれ誰もがすら
すら答え出すような状況、単に保守論壇的な言説が、その中身を問われないま
ま自堕落なまでに一般化した状況に過ぎなかったからです。

 だから大塚英志との対談(『最後の対話』)では、右傾化する左派陣営への
批判はもちろん、親米的保守たちの無能と混乱を嘆く福田に対して、「そうい
う状況で、あなたの保守的なポーズは以前ほど現実に対して軋轢をもたらさな
くなっているのではないか」というような大塚の指摘を、福田もある程度認め
ざるをえません。さらに「あなたのナショナリズムの根拠は、『天皇』でも
『国家』でもないのだとしたら、何があるというのか?」と詰め寄られて、や
はりせいぜい「日本語」と答えるのが精一杯なのです。

 また香山リカとの対談(『「愛国」問答』)では、若者たちの「ぷちナ
ショ」を精神分析したところで、現実のナショナリズムの趨勢には全く無力
だったと感じているらしい香山が、その現実分析と対処法を「ナショナリス
ト」を自認する福田に全面依存して教えてもらおうとしている。これが奇妙だ
と客観化できない香山を、しかし福田自身が突き放せず、対立点が少しも明確
にされていないのです。左派としての立場をどう構築し直せばいいのか迷って
いる香山に、福田はどこか責任と同情を感じているような風情なのです。

 また一方で、反時代的に「左傾化」著しかった『批評空間』、その最終号
(第3期4号)での柄谷行人とスガ秀実との討議「アナーキズムと右翼」では
「僕は今日の座談会ははまりすぎているので、どう自分の言説を『異化』すれ
ばいいのか、非常に困惑しています」と、漏らしています。「右翼」や「ファ
シズム」という自身が挑発的に設定してきた問題群によって、自分のほうがす
でに取り囲まれていることを率直に認めているのです。

 こういう福田の「困惑」が、最も興味深く現れていたのが、『新潮』誌上
(2003年11月号・12月号・2004年1月号)における島田雅彦との応酬でしょ
う。

 ごく一部で話題にされただけで終わった、島田の皇室恋愛小説三部作『無限
カノン』は、作者自らその第二巻の発表を自粛していたのですが、去年ようや
く日の目を見たのでした。この延期は、皇太子浩宮とそのお妃雅子をモデルと
した人物が登場する小説が、「ご懐妊」騒動の中で不測の事態を招来しかねな
い、と危惧されたためのものでした。ところが最終的に公表された小説の内容
が、作者の身振りとは裏腹に「不敬小説」(渡部直己)としての気概に欠け、
恋愛小説としての華麗さも見あたらないことに、多くの不評を買ったのです。

 福田の批判も、第二巻『美しい魂』の「恋愛」が、「禁忌」を「侵犯」せず
に永遠化されて落ち着いていく様に、疑念を呈するのでした。それに対して島
田はこう応答しています。「禁忌を禁忌としてあつかわないことにしたのだ。
なぜか? まだ三島や中上のように死にたくないから」「二人(=小説の人
物、カヲルと不二子)は恋を仮死させたが、いつかその恋が蘇る日が来るかも
しれない。その方がよほど危険ではないか」何ともピントがずれているように
思われますが、これでも島田なりに率直なのかもしれません。確かに「禁忌を
犯した至上の恋」というモチーフそのものが、島田の言うようにすでに陳腐で
あり、自作の意図は三島由紀夫『春の雪』のリメイクにはない、という弁明に
もある程度理解はできるでしょう。

 しかし、福田はこの転倒を端的に再反論しています。「皇室を媒介とせずに
は書くことが出来ないのならば、なぜそのような小説を書く必要があるのか。
むしろそれは恋愛小説というよりは皇室小説であり、皇室小説として引き受け
るべきものを担うべきだったのではないか」つまり、島田はまず「皇室小説=
不敬小説」を目指したはずなのに、そのための材料であった「恋愛」のほうに
小説の目的をすり替えてしまっている。しかも皇室を素材に「恋愛」を物語る
ことは、近代日本が政治的に要請した皇室の機能そのものであり、いわば「皇
室アルバム」の域を超えないような、あまりに穏健で保守的なものに過ぎな
い。と、そう指摘したのでした。

 ただ、この指摘は、島田に対して非常に痛烈な批判であるのに、どことなく
いたわりを感じさせるのは、彼らが結局は文壇上の盟友だからかもしれませ
ん。だからまた福田は多大な「困惑」を明らかにしつつ上記の批判を展開して
いるのです。要するに、島田はデビューして二十年も経つのにいまだに「優し
いサヨク」のままであり、ろくに「不敬小説」も書けないどころか、皇室に
頼ってしかロマンスを書けないでいる。その限界と反動を「わきまえのあるウ
ヨク」がたしなめねばならない。福田の「困惑」にはそういった趣があるよう
に思われるのです。

 ところが、このような福田の誠意さえ感じさせる「困惑」の質が、石原慎太
郎とつるむ光景の中では一向に窺えないことには、やはり強い違和感を抱かざ
るを得ません。「困惑」が連れ戻すある種の思慮を、石原をめぐる言説におい
て、福田は完全に放棄しているかのように思われるのです。例えば『石原慎太
郎「総理」を検証する』での、現在の日本政治への「提案」や未来の石原政権
への「建議」なるものの、現実的な反省を欠いた薄っぺらさは、ほとんど同じ
書き手のものとは思えません。同書で居並ぶ渡部昇一や高市早苗、立川談志な
どの執筆陣・対談者の、恥を弁えぬ低能ぶりに足並みを揃えているのでしょう
か。しかし足並みだけならまだしも、石原へのおべっかとバカ騒ぎに、福田自
身、弛んだ顎がだらしなく上向くような醜態をさらしていないとも言えないで
しょう。

 いえ、私は最後に一転して福田批判を始めようとしているのではないので
す。だいたい福田の石原支持の態度は、当初から一貫したものだと知られてい
ます。今さらことごとしく言い立てることではないかもしれません。ただ「日
本」や「ナショナリズム」あるいは「伝統」というものについての福田のパ
フォーマンスには、その背後に知的な意欲と注意深い考察が働いていると感じ
られるのに、石原との癒着にはそんなものは見あたりもしないため、私が一番
はじめに福田に対して感じた「ナイーブ」な反感が、ここに来てあらためてわ
き上がってくるのです。この感覚は、すでに相当切り崩されてきたものです
が、こと石原への福田の態度に関しては、完全に無感覚になることはどうやら
なく、そして今後もおそらく絶対に拭えないだろう、とふと気づかされるので
す。

 翻って、福田の擁護する「日本」や「文芸」というものへの批判も、この
「ナイーブ」から始まるようにも思います。なぜなら福田の「ナショナリズ
ム」や「伝統」に対して、「ナイーブ」さが実質を持たないとは言えないから
です。福田は、この手の「ナイーブ」こそが「国を危うく」するのだと危惧す
るのでしょうけれど、しかし一体何が悪いのか。かつてスガ秀実は、歴史論争
での左翼には「亡国ナショナリズム」が足りないと言い放ちましたが、ここは
もっと縮めて単に「亡国」を意識するのみでしょう。「ナイーブ」が「亡国」
をもたらそうと、それでも結構ではないか、と。それに対して福田がせいぜい
「フィクション」としての「伝統」に依拠し続けるしかないのなら、それは例
えば三島由紀夫の反復を超えるものではありえません。そして、その三島で
あってさえ、いわば戦後的「ナイーブ」に敗れたのではなかったのでしょう
か。

 最後に、本稿を書くにあたっての一番の目安になったのが、鎌田哲哉の福田
への批判「進行中の批評5『批評と放蕩』」(『早稲田文学』2002年1月号)
であったことを、申し添えておきたいと思います。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(むらた・つよし)1970年生まれ。腹ぺこ塾塾生。高校時代は三島由紀夫に傾
倒。三島と福田の関係については、またいずれ考察してみたい。

●●●●INFORMATION●●●--------------------------------------------

 ★ブックフェアのご案内★
 「<私=意識>とは何か〜哲学を柱に認知科学から脳科学まで」をテーマ
 に、約60点を選書したブックフェアを下記の書店にて開催します。

 ■選書リスト:http://homepage3.nifty.com/luna-sy/bookfair.html#0403
 ■開催期間:2004年3月中旬より1ヶ月間
 ■場  所:ジュンク堂書店大阪本店2階東窓側フェア台(喫茶部隣)
       大阪市北区堂島1-6-20 堂島アバンザ内
       TEL.06-4799-1090  FAX.06-4799-1091)
       [営業時間] 午前10時〜午後9時
 ■企画選書:るな工房・窓月書房■選書協力:中原紀生+ひるます
 ------------------------------------------------------------------
 ★六甲奨学基金古本市★
 http://www.ksyc.jp/kikin/9903hon.htm
 ■日  時:3月15日(月)〜5月15日(土)午前9時〜夜10時
 ■会  場:神戸学生青年センターロビー
       文庫・新書・児童書・マンガ=100円
       その他単行本=300円(留学生半額)
 3月4日(木)午前10時から、設営です。ボランティア募集中!
 それ以降、継続的にボランティアを募集しています。よろしく。
 ※古本の受付は、3月1日〜3月31日です。
 また、基金のための募金も行っています。毎月千円〜3千円をご自身の銀行
 口座から自動振替するシステムもあります。詳細はお問い合わせください。
 ------------------------------------------------------------------
 ★第45回「哲学的腹ぺこ塾」★
 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/harapeko.html
 ■日  時:04年03月21日(日)午後2時より5時まで
 ■テキスト:J・デリダ「限定経済から一般経済へ」
      (『エクリチュールと差異(下)』所収、法政大学出版局)
 ■会  場:るな工房/黒猫房/窓月書房

■黒猫房主の周辺(編集後記)■---------------------------------------
★今号より予告通り新連載をスタートしました。また岩田さんより寄稿を頂戴
しました。今号は長文を一挙3本掲載しましたので、送信バイト数過重につき
編集後記はこれにてゴメン。この続きはWebでお読みください。(黒猫房主)

●○●---------------------------------------------------------●○●
『カルチャー・レヴュー』35号(通巻37号)(2004/03/01)
■編集同人:いのうえなおこ・小原まさる・加藤正太郎・田中俊英・ひるます
      文岩優子・野原隣・村田豪・山口秀也・山本繁樹
■編集協力:中原紀生 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
■発 行 人:山本繁樹
■発 行 所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.com
      http://homepage3.nifty.com/luna-sy/
■購読登録・解除:http://homepage3.nifty.com/luna-sy/touroku.html
■流通協力:「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/(ID 0000015503)
■流通協力:「Macky!」http://macky.nifty.com(ID 2269)
■流通協力:「メルマガ天国」http://melten.com/(ID 16970)
■流通協力:「カプライト」http://kapu.biglobe.ne.jp/(ID 8879)
■ Copyright(C), 1998-2004 許可無く転載することを禁じます。
●○●---------------------------------------------------------●○●
■本誌のバックナンバーは、
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/review.htmlにあります。
■本誌は半角70字(全角35字)詰め、固定フォントでお読みください。

 

Date: Sun, 1 Feb 2004 01:37:20 +0900
From: 山本繁樹(るな工房・窓月書房)
Subject: 『カルチャー・レヴュー』34号(如月号)

■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した「全頁」
 の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
 <無断部分転載厳禁>
■本誌へのご意見・ご感想・情報は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
または「るな工房」まで。メールでの投稿を歓迎します。
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)

    『カルチャー・レヴュー』34号(如月号)
         (2004/02/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
        [35号は、2004/03/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆新連載企画のご案内
◆発光する言葉――「十二月・岸和田・太融寺」2---------------今野和代
◆書評『ひきこもり文化論』-----------------------------------上山和樹
◆「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」原告募集
◆INFORMATION:映画「自転車でいこう」、NPO法人・淡路プラッツの講演会&
 パネルディスカッション、ペヨトル工房常設書店のご案内
◆黒猫房主の周辺(編集後記)---------------------------------黒猫房主
---------------------------------------------------------------------
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////// 新連載企画のご案内 //////

本誌の月刊化にあたって、3月号より連載がスタートします。

■奇数月には、以下のコラム名で連載を掲載します。
 ★コラム名「映画館の日々」(担当・鈴木薫)
 「カルチャー・レヴュー」31号で初登場の鈴木さんの映画を巡るエッセイの
 連載です。http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/re31.html#31-1
 ★コラム名「文学のはざま」(担当・村田豪)
 「カルチャー・レヴュー」15号で、周逸な「中上健次」論を寄稿した村田さ
 んの連載です。http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/re15.html#15-4

■愚数月には、以下のコラム名で連載を掲載します。
 ★コラム名「マルジナリア」(担当・中原紀生)
 「マルジナリア」とは「書物の欄外の書きこみ、あるいは傍注」のことで、
 本来なら「哲学の余白」とでもいきたいところでしたが、木田元さんに先を
 越された(?)ので、敬愛する澁澤龍彦の顰みにならってみたわけです。
 (中原紀生・記)。http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
 ★コラム名「伊丹堂の理(コトワリ)」(担当・ひるます)
 メルマガ「臨場哲学」の復活(?)です。
 http://hirumas.hp.infoseek.co.jp/

■「書評の書評」投稿を募集します。
 これは、新聞や雑誌での書評の出来映えをレヴューしようというものです。
 それで本誌読者の方々に、今月の書評として出来不出来のコメントを募集し
 ます。
 コメントの投稿は随時受け付けますので、E-mail:YIJ00302@nifty.com 
 までお願いします。

上記の連載以外にも、エッセイや論考を掲載いたしますので、乞うご期待くだ
さい。また、メール投稿も大歓迎です。

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////// 現代詩 //////

      発光する言葉――「十二月・岸和田・太融寺」2
        藤井貞和講演<『自由詩学』の立場から>

                              今野和代
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 十二月十四日は赤穂浪士の討ち入りの日。そして「ことばの井戸、火傷する
ことば、過激な十二月」として、昨日に引き続き、藤井貞和さんの講演と吉増
剛造さんのポエトリー・リーデイングが行われる日だな。と思うと何だか胸が
ざわざわしてきた。
 二日目の会場は、昨日の岸和田自泉会館から、近松の「心中天の網島」の浄
瑠璃に出て来る、明治十七年自由党解党式の会場にも使われた太融寺。境内の
玉砂利を踏みしめながら、本堂の賽銭箱に百円入れて「太融寺さんこんにち
は、今日はお邪魔します。」と手を合わせた。「剣菱」一本、庫裏の大黒さん
に、仏前に供えてもらうようお渡し、友人からもらった蘭麝香をてのひらに
取って、自分のからだに振りかけた。
 大広間に上っていくと、床の間には、先日数人で下見に来た時の書の掛け軸
が、如来の仏画の軸に変わっていて、流儀花の一種生けのヒバ、臙脂の菊の立
花、蔓梅もどきの投げ生けと、花と軸による見事な緊迫した空間が創られてい
て、太融寺の心尽くしがありがたかった。
 歌人の彦坂美喜子さんの司会。雑誌「イリプス」発行人・俳人の出口善子さ
んの「ようこそ皆様おいでくださいました。今日は「イリプス」発行四周年と
して、藤井貞和さん、吉増剛造さんをお招きし、セミナー型イヴントを開催い
たします。どうか、贅沢な午後のひとときをお過ごしください。」という挨拶
から開始された。
 藤井貞和さんの「『自由詩学』の立場から」は最も楽しみにしていた講演
だ。二〇〇二年九月思潮社から出された著書『自由詩学』は「自由詩学」「民
族詩学批判」「現代詩学」と三つのパートに分けられ、声と音韻について、モ
ダニズムについて、国家や民族について、革命について、物語について、現代
詩について、「自由」という射程から、問い、揺さぶりをかけ、ことば、文学
の新しい稜線をさぐりあてようと試みた、スリリングな一冊だったから。
 その藤井さんの講演は、アイヌ話と日本語と琉球語と三種類の言語を視野に
入れて考えていくという話からはじまった。アイヌ語は、主人公が自分を語る
時、自分を語っていく引用のなかで接辞が動き、一人称でも二人称でも三人称
でもない、言わば四人称のようなかたちに変化していく重要な言葉であるこ
と。例えば、アイヌ語のように、作中人物の私が、一人称ではない独自の人称
を持っている言語が、世界の中から見つかると、今まで欧米の言語学や言語の
状態を中心にして考えられてきた考え方を修正していかなければならないし、
チャラにして作り直していかねばならない。そんなことが日本列島の中、東ア
ジアの中で起きているし、それが気付かれつつある時に来ているのだという
話。 大きな模造紙が広げられ、魏の時代の陳琳が書いた漢詩が紹介された。
陳琳の作品のこの漢詩が五音や七音の組み合わせから成立していること。
それから、南インドでみつかったサンガムという詩集が紀元前後、今から約二
千年前の、万葉集よりも古い詩集で、やはり五七五七七の形になっているこ
と。
 日本社会では五・六世紀には五七五七七の短歌形式が優勢になっていったこ
と。東アジアにどんどん言語が伝播していくという、言語周圏論についての
話。
 それからまた紙が広げられた。日本地図に濃く薄く横線や縦線が引かれ、と
ころどころ空白になっているアクセント分布図だ。昭和十五年平山輝男という
方言学者によるものという。東京アクセントとそれに類似するものが横線に。
京都アクセントとそれに類似するものが縦線で施され、説明のつかないアクセ
ントとして空白が残された地図。山間僻地のところ。福井県の真ん中あたり。
宮城県と山形県の南半分。茨城県のあたり、愛媛県喜多郡あたり。宮崎の一部
と五島列島にかけて。説明のつかないアクセント現象を白の空白で残されたそ
の地図の、空白部に自由アクセントが残っているのだという話。そしてその空
白部として残された無アクセント、自由アクセントこそが、日本語の古層、基
層であるというのだ。世界的にも言語は同じことが起きていて、例えば中央ア
ジアかどこかに、言語をもった民族、言語集団が、より優勢なインド・ヨー
ロッパ語、に追いまくられて、周縁の地に言語が移動し、追いやれて行ったと
いうケルト語の分布地図の話。西ヨーロッパ、ブルタン地方のケルト語など、
イギリス・イングランド・アイルランド西の海へたにはりつくように古い言語
が残っている言語地図とかさなっていくように、三千年前くらいのスタンスで
日本語の起源を考えること。周辺に行くほど古い文化が残っていく。古層の文
化が分布しているという話。
 日本語の特色。日本語が持ってきた時、時間についても語られていった。源
氏物語の時はどうなっているのかというと。源氏物語は今刻々と起きている事
件を述べていく物語なのだという。非過去で述べられていて、基本的に現在時
制で書かれている物語であるということ。
 それからモダニズムについての話。日本社会のどこか伝統的なものを否定す
るとモダニズムが生まれるわけではないこと。
 例えば、言文一致のようなかたちで古い時間感覚がチャラに見えたとすると
それはたかだか百数十年のことで、何千年かけて培ってきた細やかな時間認識
の問題はそう簡単に捨ててはいない。文化の上でないがしろにさせられていた
だけであって、詩の書き手や歌人たちの世界も含めて、着実に地道に自らの作
品活動を通して何か今までないがしろにしてきた感覚というものをもひとつひ
とつうずめていくことをしていけば、東アジア全体にまでひろがるようなおお
きな問題の中に日本語も脈脈と息づいているんだということが見えてくるので
はないか。
 そんな問いかけの言葉で講演が閉じられた。
藤井さんは、まるで、わたしの縮み弛緩した脳髄と感覚に揺さぶりをかけに来
た、知のまれ人みたいにいた。「何千年かけて培ってきた細やかな時間認識の
問題はそう簡単に捨ててはいないんだよ。」豊かな、底知れない日本語の言葉
の闇が広がっている。そして何とまあ鬱蒼とした森のようなこの闇に惹かれる
のだろう。わたしもまた、今というここに迷い迷い、書くという行為を通し
て、藤井さんの言葉でいうと、言葉を杖にして、行くだけだ。そんなことを
思った。

★吉増剛造「『生涯は夢の中径―折口信夫と歩行』、ポエトリー・リーディン
グ」は次回に掲載予定です。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(こんの・かずよ)大阪生まれ。詩人。集合体「ペラゴス」会員。文芸総合誌
「イリプス」編集スタッフ。雑誌「共同探求通信」編集スタッフ。神戸三宮
「カルメン」ロルカ詩祭、大阪ジャンジャン横丁「マサハウス」、ドイツハン
ブルク「アルトナ祭」、北京「藍・BLUE」「北京東京アート・プロジェク
ト」主催「日中文学交流」等で詩朗読。著書・詩集『パセリ市場』(思潮社)

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////// ひきこもり //////

          書評『ひきこもり文化論』
         (斎藤環著、紀伊國屋書店刊)

                              上山和樹
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 「ひきこもり」というテーマは、支援を試みようとする人間をひどく消耗さ
せる。その大きな原因の一つが、支援の方法論を巡るいさかいだ。その意味
で、本書の第一章「『ひきこもり』を語ることの倫理」は、精神科医という立
場から為されたきわめて重要な貢献だと思う。論争の現場を知らない方には何
を論じているのか理解しにくいかもしれないが、この章はさまざまな批判への
レスポンスになっている。
 実は私はこの短い書評を書くのに、ひどく苦しんでいる。ひきこもりについ
て考えること自体が苦しいのだが、それを人に向けて語ってしまえば、また激
しい論争に巻き込まれてしまう。自分の発言の持ってしまう政治性につねに神
経をピリピリさせていなければならず、それはとても人を疲れさせるものだ。
 いや、このような生きた政治性が生まれてしまうということは、このジャン
ルがまだ生成途中だ、ということだろうか。逆に言えば、喜ぶべきことなのか
もしれない。
 「政治性」と抽象的に言ってもお分かりいただけないと思うので、一つだけ
具体例を。私は今、若者向けの就労支援を試みる職場に関わっているのだが、
そこで「ひきこもり支援」を対外的な看板に掲げてみてはどうだろう、と提案
したら、「医療的な対応も必要になるので、ちょっと難しい」という意見が出
た。つまり、ひきこもりというのは単なる甘えの問題ではなく、医療に関わる
問題領域なのだ、ということが一般に認知されているということだ。斎藤氏は
ひきこもりを巡って「治療」という言葉を使ったことで「治療主義」と批判さ
れているのだが(氏はひきこもりそのものを治療すべきというのではなく、そ
れに伴う苦痛を巡って話しているのであって、これについては本書で詳しく論
じられている)、「ひきこもり」の啓蒙的議論を先導した斎藤氏が「精神科
医」であったことが、一般の受容的認知に影響したと思われる。
 実はこの問題では私も攻撃を受けたことがある。私自身苦しんでいる当事者
だというのに、支援を志したということで「元当事者として現役の当事者を差
別している」というのだ。私の態度に、医療的な目線(つまり悪しき治療主
義)を読み取ったのだろう。しかし考えてもみてほしい。ひきこもりは「病気
だから」差別されるというよりも、「病気ではないから」差別されるのだ。
「病気なら閉じこもって働けなくても仕方ないけど、病気じゃないなら、甘え
でしかないだろう」というわけだ。
 つまり、「精神的な病気」と認定されることには、差別という文脈だけでは
なく、「保護」という大事な文脈がある。鬱病は病気と認定され、診断書があ
れば欠勤理由として受理されるが、「ひきこもり」は、病気ではなく、欠勤理
由にはならない。
 ひきこもりは病気ではない。でもだからこそ苦しいという面があるのだ。病
気という認定を受ければ手続きの可能な社会保障もあるし、そもそも自分で自
分を責め続けなくて良くなる。でも「ひきこもり」は状態像であって「病気」
ではない。
 現実的には、ひきこもりに随伴する鬱状態、強迫神経症やパニック障害など
を具体的な欠勤理由にするしかない。いや、周囲の人間や、さらには自分自身
に向けて「なぜ閉じこもっているか」を説明する際にも、そうした作業をする
だろう。
……というわけで、「ひきこもりを語る」というだけで、すでにこれだけの葛
藤が控えている。
 私は本書は、「精神科医という立場から書かれた」最良のひきこもり論の一
つだと思う。というのは、そこにはやはり限界も感じるからだ。
 たとえば引きこもりを巡る比較文化論的な視点(第4章)は私も興味があっ
て考えたことがあるが――斎藤氏は儒教に目をつけているが私は「日本語」そ
のものに注目した――、社会文化の環境や雰囲気を変えるには、たとえば「法
律」をいじらないとどうしようもない面もある。
 さらに重要だと思ったのは、やはり「経済」の問題が見えてこないというこ
と。
 本書には(そして多くの引きこもり論には)「去勢否認」の問題が扱われて
いるのだが、「去勢は自分自身ではできない」として、私たちが最も決定的に
去勢されるのは経済的困窮においてではないだろうか。経済的に困っておら
ず、さらに心理的な苦痛さえもないのなら、去勢される必要はないし、いつま
で閉じこもっていてもいいだろう。
 斎藤氏は人間関係の価値を重視し、仕事についてはあまり語らない。実はこ
れは多くの親や当事者たちが「就職」のことであまりに頭を一杯にしているの
で、それへのアンチテーゼとして出されているという面があるし、私自身、拙
著において「まず人間関係」という話をした。しかしどうしても触れねばなら
ないのは、多くの当事者たちは親しい仲間ができた時点(斎藤氏は精神科医と
してのご自分のミッションをそこまでに限定している)から先に進めずに挫折
し、そこで苦しんでいるのだ。つまり最大のハードルは、人間関係ではなくて
就労にある。
 本書ではラカンの「3人の囚人」の話から、「仲間関係によるせき立て」が
論じられ、これは外せない重要な論点なのだが、私が「せき立て」と聞いて最
も切実に思い出すのはやはり「お金がない」だ。心理的な苦痛の大きな部分を
経済的な問題が占めていることは間違いないし、逆に言えば経済的な問題さえ
解決すれば大抵の問題は解決したことになるとも言える。(心の苦しみは「働
けない」苦痛として最も先鋭化するし、家族が最も困るのも経済的な問題だろ
う。ひきこもりは、貧困家庭においては「弱者が弱者に負担をかける」構図な
のだ。)
 ひきこもり否定派のする精神論や説教としての「働け」から、一旦は斎藤氏
のような「ひきこもり全面肯定論」に移行することが必要だ。だがそこからあ
らためて、「働かなければ生きていけない」という事実に直面してしまうこと
になる。つまり、説教派の「働け」とはぜんぜん別の形で「働くこと」をメイ
ンテーマにした問題設定と議論が必要になるのだ。
 私自身も含め、当事者の多くは「働くぐらいなら死んだ方がマシ」と心のど
こかで思っている。現実問題としては、自分や家族が飢えてしまう状況が刻一
刻と迫っている。そこでどのような行動に出るのか。いや、行動に出たとして
問題は解決できるのか。そのとき、医者にできる相談は限られている。社会の
雇用状況はどうか、労働環境に問題はないだろうか――など、新たな切り口の
議論が必要になってくる。
 斎藤氏はひきこもりを専門とする精神科医として以外にも、オタク論などで
知られ、そのためにいろんなジャンルの方が逆に「ひきこもり」に関心を向け
る、という役割も担ってきた。ひきこもり論の豊饒化を願う氏が「文化論」を
試みたのは大きなプレゼントと言うべきだ。そこに欠けていると思われる議論
については、読者の一人一人が創っていくしかないだろう。

★補 注★
「去勢」概念については実は不正確な議論を出しているし、経済的貧困がイ
コール去勢をもたらす、とも実は思っていません。しかし、困窮の事実を核に
今後は考えていかざるを得ない、と思っているので、このような原稿になりま
した。「お金がない」という状況で、生き延びる努力をあえてするのか、それ
ともそうではないのか。努力をするとして、その環境や条件は。――そんなこ
とを、今後は考えてみたいと思っています。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(うえやま・かずき)1968年生まれ、兵庫県出身。中学で不登校、高校中退。
大学に進学するも不登校・休学。父親の病死でなんとか卒業はするが就職せ
ず、アルバイトに挫折するうち引きこもりに。2000年3月、31歳で初めて自
活。ひきこもりの親の会での発言をきっかけに、それまでひたすら隠し続けて
いた自分の体験を生かした活動を考えるようになる。不登校のための家庭教師
・訪問活動・地域通貨の試みなどをしながら、ひきこもりの問題に取り組んで
きた。これまでの無理のあった活動形態を見直し、「親世代」にではなく、
「当事者たち」本人に呼びかけることのできる取り組みを模索している。著書
『「ひきこもり」だった僕から』(講談社)ネット上で日記をつけています。
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/

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////// 転 載 //////

     ■「自衛隊イラク派遣差し止め訴訟」原告募集■

 さる1月19日、自衛隊のイラク派兵を差し止める訴訟について緊急市民集会
が開かれ、以下の理由により「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟」を起こすこと
が決まりました。
 つきましては、趣旨に賛同し、原告になってくださる方を募集いたします。
憲法違反の自衛隊のイラク派兵を裁判の場で明らかにしていきたいと思いま
す。ぜひ、多くの皆さんが原告になってくださるようお願いいたします。

【裁判を起こす理由】
1.自衛隊イラク派兵は「憲法第九条」違反!
派兵される自衛隊は無反動砲、個人携帯対戦車弾などを伴う重装備。しかも携
帯武器数量の上限は定められていない。派兵先のイラクは戦闘状態が続いてい
る戦闘地域。しかも米英の国際法違反の軍事侵略、軍事占領が続いている地
域。派兵される自衛隊の任務は医療、給水などの人道復興支援活動とともに、
米英軍の物資輸送などの「安全確保支援」活動も行う。
これは、いかなる状況下であっても武力の行使と交戦権を禁じた「憲法第九
条」に違反。自衛隊存在自体の違憲性を留保したとしても、<1>戦闘地域への
派兵であること、<2>自衛のための攻撃および自衛・予防のための先制攻撃と
いう名目による武力の行使に必要な武器を携帯しての派兵であること、<3>米
英軍の物資輸送という兵站支援は、国際法上、武力の行使の一環であり不可分
であること、<4>派遣される自衛隊は国連指揮下でなく米英軍主導の暫定占領
当局(CPA)であることなど、どう見ても第九条違反はあきらか。

2.自衛隊イラク派兵は憲法前文にある「平和的生存権」の侵害!
憲法前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免か
れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。自衛隊イラ
ク派兵は、私たちの「平和のうちに生きる権利」、「戦争や武力行使をしない
日本に生きる権利」、すなわち「平和的生存権」が著しく侵害される。

3.自衛隊イラク派兵は「イラク特措法」違反!
イラク特措法自体の違憲性を留保したとしても、今回の戦闘地域(戦地)への
自衛隊イラク派兵はイラク特措法に違反。同法第二条3項で、人道復興支援・
安全確保支援活動は「わが国領域および現に戦闘行為が行われておらず、か
つ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認
められる」地域において実施すると書かれているのに。

4.自衛隊イラク派兵は「米英の侵略行為」への加担!
米英によるイラク攻撃は国際法違反であり、「侵略行為」である。その指揮下
に自衛隊を派兵することは侵略行為の「加担者」となる。その日本に住む私た
ちは侵略行為の加担者にさせられ、著しい精神的苦痛を受けている。

【請求の趣旨】
1.国は、自衛隊をイラクに派兵することは違憲であることを確認すること。
(違憲確認)
2.国は、自衛隊をイラクに派兵してはならない。(派兵差し止め請求)
3.国は、原告それぞれに対し、各金1万円を支払うこと。(慰謝料請求)

【原告の資格】
 国籍・年齢・地域を問いません。日本に居住している人で、訴訟の趣旨、請
求内容に賛同する人は誰でも原告になれます。

【原告費用】
 原告一人あたり年間一口3000円(何口でも可)

【原告手続き方法】
1.下記の用紙に必要事項を記入して、ファックスまたは郵便で事務局宛に送
付してください。同時に原告費用を下記の郵便振込口座に振込みください。そ
の際、「払込取扱票」の通信蘭に「イラク派兵訴訟」と明記してください。ご
家族の場合は一枚の取扱票に連名でまとめて振込んで頂ければ結構です。領収
書は振込票をもって替えさせて頂きます。

2.次に、今回の訴訟の代理人となる弁護士への「委任状」が必要となりま
す。電子メールご利用の方は近日内に開設する「イラク派兵差止訴訟」ホーム
ページから委任状をダウンロードして署名・捺印の上、オリジナルを下記の訴
訟事務局まで郵送してください。ファックス、或いはハガキ・手紙で原告の申
し込みをされた方には、委任状を事務局から郵送します。

(注1) 名古屋地裁への提訴は2月23日の予定ですので、原告手続は遅くても
2月17日(火)までにお願いします。これ以降も第二次、第三次と原告を募
り、最終的には1000名以上を目標にしていますので、是非多くの方々にお知ら
せ・ご案内ください。お願いします。
(注2) ホームページは2月第1週に開設します。開設次第にアドレスをお知
らせしますので、メールアドレスを持っている方は下記申込用紙にご記入くだ
さい。

【振込先】
 郵便局 (加入者名)INBR
(口座番号)00870−7−97224

【連絡先】
 「自衛隊イラク派兵差止訴訟」事務局
 〒466-0804 名古屋市昭和区宮東町260 名古屋学生青年センター内
 TEL:052-781-0165 FAX:052-781-4334)

 以上

 ―――――――――――  切り取り線  ―――――――――――

「自衛隊イラク派兵差止訴訟」原告申込用紙

 名前:
 年齢:      才
 住所:〒
 電話番号:
 FAX番号:
 E-mailアドレス:
 連絡方法(○で囲む)・郵送
           ・FAX    
           ・メール

●●●●INFORMATION●●●--------------------------------------------

■映画「自転車でいこう」■

K・Hさんから映画紹介のメールが届きました。
大阪市生野区コリアタウンを舞台に、障害者の青年の日常の活躍を撮った映画
です。

関西の上映館は
1月31日(土)〜:第七藝術劇場
2月07日(土)のみ:生野KCC会館
3月06日(土)〜:動物園前シネフェスタ。
東京では只今上映中です。
上映時間は、公式サイト http://www.montage.co.jp/jitensya/ で、ご確認
ください。なお同サイトでは予告編がご覧いただけます。

 ★公式サイトから「自転車でいこう」storyを以下に転載★

【「家、ドコ??」】
質問することが、プーミョンのあいさつだった。
李復明(リ・プーミョン)は二十歳。大阪の生野区に住んでいる知的障害者。
よくしゃべり、よく動く。プーミョンの仕事は福祉作業所の営業係だ。毎日毎
日自転車を漕いで街へ製品を売りに出かけるのだが、行く先々で誰かに話しか
け営業を忘れてしまう。たこ焼き屋のお婆ちゃん、自転車屋のおじちゃん、
フォークリフトの運転手、喫茶店のおばちゃん………ということでプーミョン
の営業成績はかなり悪い。一日の仕事を終えると、彼は必ず街中の学童保育所
に立ち寄る。健常児と障害児を一緒に保育する「じゃがいもこどもの家」だ。
ここのスタッフはみんな彼と同年代。プーミョンとスタッフとこども達の賑や
かで普通の付き合いが、街の人々とともに過ぎていく………はずだった。実は
プーミョンには非常に狡猾な一面があり、自分のやりたいことに対してはあら
ゆる手段を使って一直線に突き進む。次第に周囲との摩擦が増え、人々は真剣
勝負で彼に臨むことになる。果たしてその行く手にあるのは………。

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   ■NPO法人・淡路プラッツの講演会&パネルディスカッション■

家族をほぐす?
 設立以来10年以上にわたって「社会的ひきこもり」や不登校の青少年を援助
してきNPO法人・淡路プラッツが、毎年恒例の講演会&パネルディスカッショ
ンを04年2月に開きます。
 今年のテーマは「家族をほぐす?」。ここ数年来取り組んできた「ひきこも
りとは何か」「ひきこもり問題はこうなる」といった大きな話題から少し距離
をとり、今年は「家族」に焦点を絞ります。
 問題の原因を「家族」に絞り込む窮屈な発想は、教育や支援の現場ではいま
だに中心を占めています。支援者や専門家だけではなく当事者や家族までもこ
の考え方に巻き込まれ、その問題をよりいっそう固めてしまっている可能性も
考えられます。
 また、現代の青少年問題はより多様化しており、「家族」の新しい捉え直し
が迫られているとも言えます。
 そこで今回の講演会&パネルディスカッションでは「家族をほぐす?」を
テーマにし、長年家族の問題を考察・実践されてきた団さんに講演していただ
きます。続くパネルディスカッションでは、それぞれの地域において、家族を
視野に入れた実践をされている目良さんと、当事者や家族の個別性を臨床的に
重視した活動をされている前田さん、また障害者福祉の現場から河内さんに参
加していただきます。この集いがみなさまの生活や関心の一助となれば幸いで
す。

■日 時:04年2月15日(日)13時〜16時30分
■場 所:YMCA学院高等学校(JR・地下鉄「天王寺」、近鉄南大阪線「あべの
     橋」より徒歩5分。TEL.06-6779-5690)

●第1部・講演(13時〜14時20分)
 講 師 団士郎氏――立命館大学大学院教授、「仕事場D・A・N」主宰。児
     童相談所等で25年間勤務後、98年に独立。大学勤務や講演の他、家
     族療トレーナーやカウンセラーとして活動。著書・共著書に、『不
     登校の解法――家族のシステムとは何か』(文春新書)、『登校拒
     否と家族療法』(ミネルヴァ書房)等多数。

●第2部・パネルディスカッション(14時30分〜16時30分)
 出席者 目良宣子氏(保健師・田辺市保健センター)
     前田ハル子氏(精神科医、NPO法人ユースサポートとも理事長)
     河内崇典氏(NPO法人み・らいず代表)
     団士郎氏
     金城隆一(NPO法人淡路プラッツ塾長)
 司 会 田中俊英(NPO法人淡路プラッツ代表)

●定 員 300名 ●参加費 2000円
●協 賛 学校法人YMCA学院高等学校

■問い合わせ・参加お申し込みは下記まで。
 特定非営利活動法人 青少年自立支援施設「淡路プラッツ」
 〒533-0021大阪市東淀川区下新庄1-2-1
 TEL/FAX.06-6324-7633 http://www.wombat.zaq.ne.jp/awajiplatz/

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   ●ジュンク堂書店大阪本店に、ペヨトル工房の出版物を常設●

 るな工房の仲介で、ジュンク堂書店大阪本店の芸術書コーナー(2F)に、
 ペヨトル工房の常設棚が設置されました。すでに解散したペヨトルの刊行
 書が入手出来ますので、お立ち寄りください。

     大阪市北区堂島1-6-20 堂島アバンザ1.2.3.F
        TEL 06-4799-1090  FAX06-4799-1091
        〔営業時間〕 午前10時〜午後9時

■黒猫房主の周辺(編集後記)■---------------------------------------
★今野さんの詳細な報告を読みながら、日本語の<律>についての菅谷規矩雄
の論考『詩的リズム――音数律に関するノート』(大和書房)を想起してい
た。藤井貞和はこの論考をどのように評価しているのだろうか。藤井の『自由
詩学』は未読なのだが、ずいぶんと盛りだくさんで刺激的な内容のようだ。早
速読んでみたくなった。
★1970年頃から「登校拒否」が社会問題化、そして「不登校」と言い換えら
れ、その不登校生が世代的に持ち上がってくると、今度は「ひきこもり」とし
て焦点化・社会問題化する。この間、当事者とその周辺は、その評価(「治療
主義/非治療主義」「親に原因がある」など)を巡って、理念や政治的言動に
振り回されてきたように私などにも思える。じっさい書評子の上山さん自身そ
の渦中の人なので、この書評は切実なトーンで書かれている。経済的な「自
立」も含めて、他者がどこまで関われるのか? 私は「家族を開く」という視
点も踏まえて、援助者の「倫理」が問われていると、以前からこの関わり方へ
の疑問をもっていた。斎藤氏の精神科医としてのスタンスは、その関わり方に
おいて自覚的に「自己限定」していることを、今回本書を読むことで確認でき
た。また斎藤氏は、問題なのは「ひきこもり」の契機でも「ひきこもること」
それ自体でもなく、「状態としてのひきこもり=立ち往生」が遷延化して悪循
環に陥りることから様々な病状が惹起されることであり、問題を家族で抱え込
んでしまうことだと指摘している。一時的な「出口のあるひきこもり」や比喩
的に言われるひきこもりとの違いもそこにある。
★映画「自転車でいこう」のダイジェストをTVで観ただけなのだが、それで
も主人公・李復明の存在としての絶対的な肯定感(being is good)が、彼が
漕ぐ自転車の滑走とともに気持ちよく感じられた。近日中に観にゆこう。
★1月31日の未明に、衆議院本会議で自衛隊の「イラク派兵」が与党単独で可
決された。これまでも憲法は蹂躙されてきたが、戦後憲法史上、最悪の事態で
ある。今こそ「否」を表明し、A・ネグリが言うところの私たちの「構成的権
力 constitution」で対峙すべき時である。(黒猫房主)

●○●---------------------------------------------------------●○●
『カルチャー・レヴュー』34号(通巻35号)(2004/02/01)
■編集同人:いのうえなおこ・小原まさる・加藤正太郎・田中俊英・ひるます
      文岩優子・野原隣・村田豪・山口秀也・山本繁樹
■編集協力:中原紀生 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
■発 行 人:山本繁樹
■発 行 所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.com
      http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
   大阪市都島区友渕町1丁目6番5―408号 〒534-0016
      TEL.06-6924-5263 FAX.06-6924-5264
■直 送 版:http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/touroku.html
■流通協力:「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/(ID 0000015503)
■流通協力:「Macky!」http://macky.nifty.com(ID 2269)
■流通協力:「メルマガ天国」http://melten.com/(ID 16970)
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Date: Thu, 1 Jan 2004 14:00:33 +0900
From: 山本繁樹(るな工房・窓月書房)
Subject: 『カルチャー・レヴュー』33号(新春号)

■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した「全頁」
 の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
 <無断部分転載厳禁>
■本誌へのご意見・ご感想・情報は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
または「るな工房」まで。メールでの投稿を歓迎します。
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

    『カルチャー・レヴュー』33号(新春号)
         (2004/01/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
        [34号は、2004/02/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆本誌の月刊化に際して--------------------------------------山本繁樹
◆発光する言葉――「十二月・岸和田・太融寺」1--------------今野和代
◆芦屋市立美術博物館支援のお願い(転載)
◆INFORMATION:「鎮魂」―第5回BOMY書展/「哲学的腹ぺこ塾」
◆ご恵送本紹介:『アーツマネジメントみち』(小暮宜雄著)、詩集『光受
 くる日に』(松村信人著)
◆ちょっと長めの編集後記------------------------------------黒猫房主
---------------------------------------------------------------------
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// 新年のご挨拶 //////


          本誌の月刊化に際して


                              山本繁樹
/////////////////////////////////////////////////////////////////////

 新年明けましておめどうございます。
 旧年中は、本誌をご愛読賜りお礼申し上げます。本年も引き続きのご愛読を
お願い申し上げます。

 と型どおりのご挨拶ですが、今年はいろいろと活動領域を広げたいと考えて
おりますので、ご期待ください。

 すでに本誌32号(03/12/01発行)でもお知らせいたしましたように、評論紙
「La Vue」の装いを改め、本年より評論・研究誌「コーラ(場)」を<新創
刊>します(雑誌「コーラ」への投稿規定や発行形態は次号でお知らせしま
す)。

 それに伴い本誌「カルチャー・レヴュー」の編集委員を改組し編集同人とし
て新たに増員し、隔月刊から月刊に変更しました。本誌はこれまで1号あたり
平均して3本のエッセイや論考を掲載してきましたが、月刊化に際して掲載本
数を減らしますが、そのぶん発行回数を増やすことでテンションを高め、また
催事等の情報の速報性にも寄与したいと考えています。
 つきましては読者各位からの投稿および催事等の情報を、随時お待ちしてお
りますので編集部までお問い合わせください。
(E-mail:YIJ00302@nifty.com)

 また今年の3月〜4月頃に当房の企画でブックフェア「<私=意識>とは何
か〜哲学を柱に認知科学から脳科学まで」を、大阪の某大書店にて開催しま
す。開催日時が決定次第、詳細を本誌およびWebにてお知らせします。
 ほかにもブックフェアと連動した講演会や、「La Vue」掲載論評をテーマ別
に再編集した「La Vue 叢書」PDF版の刊行も予定しておりますので、乞うご期
待ください。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// 現代詩 //////

        発光する言葉―「十二月・岸和田・太融寺」1

                              今野和代
/////////////////////////////////////////////////////////////////////

 日中複数言語雑誌「藍―BLUE」の編集者秦嵐さんと劉燕子さんの呼びかけ
で三月の北京を旅した。その、日中文学交流「越境する言語」でご一緒した吉
増剛造さんと再会出来たのは、八月二十日の京都ライヴハウス「磔磔」。震え
る虹の精霊みたいなマリリアさん、瞑想と狂熱が激しく鬩ぎあっているフラン
スのギタリストジャンーフランソワ・ポープロスさん、吉増剛造さん三人のユ
ニットによるポエトリー・リーディング。何百年もの時間と物語を吸い込んだ
「磔磔」の空間が、ゆらゆら立ち上がり、息飲むような、音と言葉と熱のオー
ロラ空間に変貌していった。キラキラ下京の夜。

 そして、十二月。一九九九年十月に出発した倉橋健一責任編集の総合文学雑
誌「イリプス」の四周年記念として、今一番エキセントリックで、凄まじい言
葉の歩行をし続けている藤井貞和と吉増剛造を大阪にお呼びして、朗読と講演
がミックスされた文学ゼミナールの場をつくろうという話になった。藤井さん
は、一九九五年阪神大震災・地下鉄サリン事件が起きた翌年に、俳句の坪内稔
典や評論家の松原新一さんや作家の高城修三さんたちをお誘いして、ご一緒に
「世相を思想化する」というシンポジウムにご参加いただいて以来、なんと八
年ぶりの再会だった。ふっと、今回の仕掛けの背後で、大阪生まれの折口信夫
がにこにこ笑っている気配がした。そう言えば、藤井さんには「釋迢空」とい
うご著書があったし、吉増さんには「生涯は夢の中径―折口信夫と歩行」とい
うお仕事があった。おふたりが二日泊まっていただくのは、折口信夫が少年の
頃てくてく横切っていったであろう難波の繁華街、宋右衛門町にある「ホテル
メトロ」というのもなんだか愉快だった。

 十二月十三日(土)第一日目は、昭和七年建築家渡辺節による近代建築の傑
作、岸和田自泉会館で開始された。この日の集まりを支えてくださった岸和田
文化協会の専務理事・画家の天野しげさんや詩人の中塚鞠子さん、松尾省三さ
んや牧草洋一さんや後藤早苗さんや那村洵吾さんや新井文子さんや橋本和子さ
んたちと朝からクルクル動いた。吉増さんがいつも連れていらっしゃる、はが
ね色の銅版が巻紙のようにするする舞台に開かれ、コーン、カーンと文字の彫
刻が響いていくために、美しい黒の舞台が作られた。正面右斜め上にスクリー
ンが張られ、二台の映写機が設置され、音響も照明もそれぞれの位置でスタン
バイした。瞬く間に会場は人で埋め尽くされ、定員の百人をとうに越え、椅子
が足らなくなり、応急の椅子を置いても置いても人が座った。会場には、東京
から、詩人新井豊美さん、作家の吉野令子さん、金沢の詩人三井喬子さん、砂
川公子さん、倉敷の詩人川井豊子さん、河村孝子さん、広島からの詩人松岡昭
弘さん、大野一雄研究所の舞踏家石戸谷直紀さんも、朝日新聞の音谷健郎さん
のお顔もあった。

 初日、岸和田でのテーマは「明日は何を語ろうか」。中塚鞠子さんの司会
で、藤井貞和さんが飄々と舞台に現れ「物語の結婚」のレクチュアーが始まっ
た。一九五〇年前後から約五十年間、世界中を駆けめぐった思想の潮流―構造
主義の思想家レヴィストロースの一九八〇年の仕事「はるかなる視線」という
本の中に「源氏物語」を使って「物語の結婚」論を展開していること。その十
年前の一九七〇年に、系図を使って藤井さんは「源氏物語」の錯綜する内部を
読み取っていかれたこと。「源氏物語」に登場する三人の藤壺をレヴィスト
ロースは、はっきり区別して理解していること。「藤壺」は女御ではなくて
「妃の宮」であること…‥次々とやさしく丁寧な語り口調で、話される藤井さ
んの講演にぐんぐん引き込まれていく。「源氏物語」は三代にも四代にも渡っ
て、交差従兄弟同士が結婚していく物語であること。平行従兄弟の結婚は避け
られていること。

 「源氏物語」は構造的にしっかりと骨格が整えられていて、一つの大きな基
本的なルールからはずれていかないように形成されていること。「桐壺」の更
衣を、呪い殺したのは、決して弘徽殿の女御ではないこと。「そのうらみやら
んかたなし……」と歎き嫉妬した同等の更衣であるだろうということ。若紫が
光源氏にみいだされた年を、一般的な十歳説ではなく、十二歳として主張され
たこと。若紫は、源氏が「十歳くらいとして見誤るような、幼い女性」であっ
たということ。ほんのまだ少女としてしか育っていない、そういう女性の魅力
として「源氏物語」が描かれてあること、しかし、実際は結婚適齢期にさしか
かった十二歳の女性であるという物語の結婚のルールをきっちり守った物語で
あること。源氏物語の中で不倫や密通関係を犯した女性は全て出家していると
いうこと。添い遂げた女性は誰ひとり出家していないというふうに、やはり大
きなルールがきっちり貫かれてある物語であるという話。千年も前の膨大な長
編の物語を構造的に読んでいく、その読解の見事さと明解さ。第一線で格闘す
る研究者のナビゲーター藤井貞和さんによる、スリリングで贅沢な四十分の時
間はまるで十分くらいに感じて終わった。

 第二部は、詩人倉橋健一さん、吉増剛造さん、藤井貞和さん三人による鼎
談。のっけから、「今日の会は、どこかで交点をつくったり、帳尻を合わすの
ではなく、平行を平行のまま、それぞれが持ち帰って、じっくり考えていくそ
ういうシンポジウムです。」という倉橋さんの発言から始まった。倉橋さんが
最初に藤井さんと出会われたのは、ちょうど学園紛争の時代で、最初の源氏物
語論は「バリケードの中の源氏物語」という衝撃的な論文であったこと。最初
の源氏物語の著書が「源氏物語の始原と現在」であること。吉増さんも藤井さ
んも関西に縁があること。ふたりの折口信夫論の紹介。藤井さんは十歳くらい
まで奈良、吉増さんは終戦は和歌山、和歌山で空襲にあっていることなどが話
されていった。それから、藤井さん、吉増さん、おふたりの関西体験の話に
移っていった。藤井貞和さんの記憶。物心ついた頃、昭和二十一年、父親が戦
争抑留から帰って来られた時のシーン。その頃二階に住んでおられたその二階
に、やせこけた男が上がってきて、熟した柿をポケットからいくつもいくつも
出して机に置き、また何も話さないで黙って降りていったというお話。それか
ら「天子さまにお詫びにいく」といってまた姿を消して数年間母子生活を送り
続けたという奈良時代、米軍の歓楽街でもあった奈良の存在と重ねながらのエ
ピソード。小泉とか川口とかと私は同世代。今、その片方だけの話しか語られ
ていない。沈黙のまま、私達の敗戦幼児体験が語られてこなかった故にこんな
時代になったのかもしれない。昭和二十年代とはどういう時代であったのかと
いうことをもっともっと語っていったほうがいいのではないだろうか。藤井さ
んの言葉はまだ、わたしの耳の底に沈んだままでいる。

 「えー、えー、えー、あの……。羽田から関空に着きましてね。気持ちのい
い旅。阪和線。南海電車。岸和田、岸和田、天王寺。天王寺はぼくのキース
テーションでね。岸和田ァー、キシワダー、岸和田の駅に来たら、なんかナン
カ言葉が聞こえてきてね。なんかなんかやわらかい声が聞こえてきました
よ。……」、吉増剛造さんの、やや早口な、やや高く、明るい、そしてややく
ぐもったその声の速度とトーンにまるで、麻薬でも打たれたかのように、会場
の空気が変わっていくのを感じた。それから、源氏物語の略奪婚の話や、信徳
丸の話、折口信夫と大阪の話、路地の話……。贅沢な三十分が瞬く間に流れ
た。

 三部は中国の詩人、翻訳家、雑誌「藍BLUE」の編集者秦嵐さん、劉燕子さん
の朗読と今野和代の朗読。秦嵐さんと劉燕子さんの挨拶は、何回聞いても、
ハッカみたいにじーんと胸が涼やかになる。中日二ヶ国語の文学を通じて、草
の根のように、互いの信頼と友好と理解を推し進めていくという願いと目標。
文藝雑誌「藍BLUE」を発行され、多くの文学者に会い、関係を繋げ、心魂を傾
けて詩を書き、翻訳をし、編集をし、仕事をし続けておられるおふたりの何と
いうパワー。ぐうたら呑んべのわたしは、いつも襟をただされる。秦嵐さん
は、査海生の「春、十人の海子」という詩。劉燕子は、「骨は我が筆、血は我
が墨」と記した黄翔の詩。中国語の伸びやかな音色のような豊穣な朗読に魅了
される。今野は「系譜」という女たちの詩を即興の言葉を畳み込みながら朗
読。

 最後の吉増剛造さんによるポエトリー・リーディングは予想どおりの圧巻。
独白のように、語り部のようにゆっくり言葉が差し出され、ゆっくりゆっくり
せりあがってきて、旋回しはじめる、声、響き、言葉。銅板を打ちつける音が
スピリッツのように立ちあがってくる。蝶の羽からこぼれおちる微かな光の麟
粉みたいにイメージが明滅しはじめ、吉増さんはもう吉増さんではなく、いの
ちの触媒の渦巻きみたいだ。言葉の光の使徒みたいに、透きとおったネオン色
の世界を全身に引き連れて、迫ってくる。スクリーンに映し出される映像。か
ぶさるように襲うように、滲むように、二つの映写機で、スライドの光を重ね
ていくのが、わたしと後藤早苗さんのその日の役目。始まる前「こんちゃん、
どんどん動いてもいいからねっ」何の注文も打ち合わせもないまま、イタズ
ラっ子みたいに、吉増さんは笑ってたな。古座や加計呂麻南の島で撮られたで
あろう、青い空や窓や建物や草や樹やクレーンの美しいネガ。そのスライド
を、スクリーンや、自泉会館の毅然とした高い天井や壁やカーテンに、光らせ
ながら、届かせながら、吉増さんの声と一緒に歩行し始めている、わたしのな
んというおののき。何処にもない、誰も見つけられない、不思議な発光する世
界。入り口に立っている。そんな気がしてきた。

★(二日目の太融寺レポート「ことばの井戸、火傷することば、過激な十二
月」は次号にて掲載予定。)

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(こんの・かずよ)大阪生まれ。詩人。集合体「ペラゴス」会員。文芸総合誌
「イリプス」編集スタッフ。雑誌「共同探求通信」編集スタッフ。神戸三宮
「カルメン」ロルカ詩祭、大阪ジャンジャン横丁「マサハウス」、ドイツハン
ブルク「アルトナ祭」、北京「藍・BLUE」「北京東京アート・プロジェク
ト」主催「日中文学交流」等で詩朗読。著書・詩集『パセリ市場』(思潮社)

●●●●INFORMATION●------------------------------------------------

 「鎮 魂」――第5回BOMY書展

 2004・1・16(金)〜1・21(水)
 10時〜19時(最終日は〜17時)
 場所:「ギャラリー・ドゥ」神戸・三宮サンパル5F(TEL.078-231-1166)

 上野賀山 玉井洋子 磯田正三 北園春洋 今野和代 橋本吉博 間島久代
 松尾晴風 山下桂萌

阪神淡路大震災から丸9年。直後の瓦礫のなかから鎮魂の書を世に問うた玉井
洋子とその仲間が、月命日をはさんで作品展を開きます。不気味な地震の予兆
が日本列島を再び覆い始めた今、6300人を超す犠牲者の霊を慰め、いつ訪れる
とも知れぬ災禍の軽からんことを祈りながら一人一点の鎮魂の書を添えます。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// 署 名 //////

        ■芦屋市立美術博物館支援のお願い■

(1)趣旨説明
現在、芦屋市では、2006年3月までに芦屋市立美術博物館の民間委託を模索、
委託先が見つからない場合は売却、あるいは休館を計画しています。今回の行
政改革案は、同館だけでなく病院の閉鎖なども俎上にのせられ、教育、福祉、
文化にわたる広範なものです。市議会では12月2日から、この件について審議
します。

1991年の開館以来、芦屋市立美術博物館では、具体美術協会をふくめ、広く地
元の美術運動の顕彰をしてきました。今回の計画では、具体関係収蔵品や資料
アーカイブもふくめて、同館の貴重な収蔵品をどうするのか、等の点に明確な
ビジョンがまったく示されていないなど、同館の将来と市議会の対応に非常な
危惧が感じられます。

そこで、「外からの声」により同館を支援する一つの方法として、私たち「ポ
ンジャ・現懇」のメンバーは、「芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館
に反対します」という趣旨でインターネットによる署名運動を立ち上げまし
た。ちなみに「ポンジャ・現懇」(英語略称PoNJA-GenKon)は正式名称が
「Post-1945 Japanese ArtDiscussion Group/現代美術懇談会」で、本年4月、
海外で日本の現代美術を研究する美術史家・キュレーター・大学院生などで構
成するメーリングリスト・グループとして発足しました。

日本国内の方でも、この署名運動の趣旨にご賛同いただける方には、ぜひとも
参加していただきたく、ご連絡する次第です。署名運動サイトは英語ですが、
簡単に記入できます。以下(2)の「署名の方法」をご参照ください。

なお、反対声明の全文和訳を以下(3)に貼付しています。また、声明和訳文
を市議会に直接送付する支援方法もあるでしょう。こちらは、以下(4)をご
参照ください。

以上、ポンジャ・現懇による芦屋市美術博物館支援の署名運動にご協力いただ
けますよう、お願いいたします。

    富井玲子
(ポンジャ・現懇主宰、インデペンデント・スカラー)
    由本みどり
(ニュージャージーシティー大学助教授・
     ギャラリーディレクター)
    ミン・ティアンポ
(オタワ、カールトン大学講師)
    池上裕子
(イェール大学博士課程大学院生)

(2)署名の方法
11月25日までに集まった署名を、第1回分として提出しますが、年内中ご署名
いただけます。

 A) 署名運動のサイトは、
    http://www.petitiononline.com/ashiya/petition.html
 B) 頁の最後の方にある
    ”Click Here to Sign Petition”のボタンをクリックする
 C) 必要な事項を「半角ローマ字」でご記入ください。
   記入項目は次の順です。
    ご氏名
    メールアドレス**
    住所(例:Ashiya, Japan; Tokyo, Japan)
    ポジション(例:curator, professor, critic, など―オプション)
    所属機関名(オプションです)
    コメント(オプションです)
 D) 頁の最後にある
    ”Preview Your Signature”のボタンをクリックする。
 E) 内容を確認して、頁の最後にある
    ”Approve Signature”のボタンをクリックすると、署名完了です。
(なお、記入事項を変更する必要のあるときには、ブラウザーのバック機能で
前のページにお戻りください。)
 F) 署名完了後、petitions@petitiononline.comから確認のメールが送られ
  ます。

Email Address Privacy Optionについて: この署名フォームでは、メールアド
レスのプライバシー度を選択できます。今後も引き続き何かあれば本件につい
ての連絡をしたい、と思いますので、”Availableto Petition Author”(真
ん中の選択肢)を選んでいただけるとさいわいです。

(3)声明全文和訳

=====和訳はじまり=====

「芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に反対します」

芦屋市長
芦屋市議会
文部科学省 御中

反対声明

 私たちは芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に関する芦屋市の計画
に反対するべく、以下に署名します。

 1991年の開館以来、芦屋市立美術博物館は関西圏における近・現代美術の顕
彰と芦屋市の歴史保存に重要な役割を果たしてきました。しかしながら、同館
の活動は地域性を遙かに越えて、国際的な意義を有しています。同館は戦後日
本の前衛美術を代表する「具体美術協会」(以後「具体」)の資料を保存し、
学術調査と研究のための国際アーカイヴとして機能してきました。そして、こ
のことを通じて、同館は、日本の近・現代美術の海外紹介に決定的な役割を果
たしてきたのです。

 私たちは断固として芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に関する芦
屋市の計画に反対します。芦屋市で最も活発に文化活動を行っている施設を休
館するようなことになれば、国際的な「文化都市・芦屋」のイメージは大きく
損なわれることでしょう。「具体」に関する情報と研究成果を国内外に発信す
る同館の機能を制限また停止するならば、芦屋市は「具体」という日本の近代
文化遺産、すなわち日本文化の躍動性、創造性、近代性、国際性を象徴する
「具体」という貴重な文化外交の看板を失うことになるでしょう。

 私たちは芦屋市が芦屋市立美術博物館とその活動を維持するべく、民間委託
・売却・休館以外の、より建設的な方策を検討されることを強く望みます。芦
屋市立美術博物館は単に「具体」とその歴史を擁護するのみならず、同館の活
動により芦屋市は世界地図の一角に確固とした位置を占めるにいたっていま
す。これらの事実にかんがみ、今回の行政改革にあたり、芦屋市が行政の優先
事項を再検討されることを要望いたします。

私たちは芦屋市がこの反対声明を真剣に考慮され、芦屋市立美術博物館に関す
る計画を見直すことを強く望みます。

敬具

=====和訳おわり=====

(4)声明和訳文を市議会に直接送付する方法
 A) (3)の和訳文をお使いください。また、個人的なコメントもご自由に
加えてください。
 B) 受け取り人は連名で
「芦屋市長 山中健さま」
「芦屋市議会議長 都筑省三さま」
を明記してください。
 C) 「芦屋市立美術博物館の民間委託・売却・休館に反対します」という一
文を標記タイトルとして、あるいはサブジェクト(メールの場合)として明記
してください。
 D) 送付先は
メール:info@city.ashiya.hyogo.jp
ファックス:0797-38-2170
郵送:〒659-8501 芦屋市精道町7-6 芦屋市議会
 E) ご面倒ですが、美術館学芸課あてにも同じ手紙(メール)をご転送くださ
い。メール: asbihaku@ares.eonet.ne.jp ファックス:0797-38-5434

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 『アーツマネジメントみち――社会に未知、まちにダンス」』

 ■小暮宜雄著
 ■B6判・定価2000円+税
 ■晃洋書房(ISBN4-7710-1467-1)TEL.075-312-0788(代表)

芸術と生活の十字路
未知なる芸術の探究者である著者が、疲れた地域社会の文化政策による復興を
めざす。コンテンポラリーダンスをはじめ、いまを生きるアーツと人々に寄り
添いながら、「ふるさと創生」以降の芸術と文化によるまちづくりを臨床的に
展開。アーツマネジメントの理論と提言を縦横無尽に語る(帯より)。

小倉さんは「芸術探偵」という肩書きをもち、日々、ダンスをはじめとする関
西のアーツシーンを訪れ、かつ堪能しながら大学ではアーツマネジメントを講
義されている。本書の後半では、その日々の芸術鑑賞の中で様々な媒体(当房
発行の「La Vue」掲載エッセイも収録)に書かれたものが収録されていて、そ
のフットワークのよさに驚く。またWebでも「こぐれ日記」
(http://www.t3.rim.or.jp/~hs01-ckc/KOGURE/Diary.html)が愉しめます。

アーツ探検レポート「つれづれアーツ日記 1996-1998年版〜微視的芸術環境
論〜」CD-ROM版(定価は1500円+税)も発売中。
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(desk@arts-calendar.co.jp)。
また、大阪市・鷹典院(天王寺区下寺町1-1-27 TEL.06-6771-7641)にても購
入できます。

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 詩集『光受くる日に』
 
 ■松村信人著
 ■A5変型判・定価1800円+税・装丁/倉本修
 ■矢立出版(ISBN4-946350-77-2)TEL.045-771-9145(代表)

「風の視線で
 点字を解読する
 不明な世界の連続が逆に私を支えている」(「還りゆく日々」より)

この詩集も、前詩集の位相と同じ、不動の一点から生活視線のかなたが導入さ
れ、奇妙な触手感覚、つまりまるで蔦が這うように言葉が拡大しかなたを追
う。全身的に生き抜いて(書いて)みなければかなたなんか見えないという書
き方である。そのうえでここでは喩が一定の意味に規定されていることにも注
目しておきたい。そのまま松村信人の固有世界となるからである。「連続線」
「終わらざる終章」「還りゆく日々」「村」「夢の迷路」から詩集と同名の
「光受くる日に」へ、松村信人の醸し出す言葉の稜線は葛藤し蛇行しながら、
生そのものの危機へ一心に熱を妊む(倉橋健一、本書「解説」より)。

●●●●INFORMATION●------------------------------------------------

  第44回「哲学的腹ぺこ塾」
 ■日  時:04年01月25日(日)午後2時より5時まで
       その後、暫時「二次会」へ
 ■テキスト:G.W.ヘーゲル『精神現象学』
 ■会  場:るな工房/黒猫房/窓月書房
 ■会  費:1000円

■編集後記■---------------------------------------------------------
★年末の朝日新聞(03.12.25)に掲載された、テッサ・モーリス=スズキの
「自らの民主化こそ必要」という論考に同意しながら、その数日後TVドラマ
で映画「12人の怒れる男」(W・フリードキン、1997、アメリカ)を観た。
ジャック・レモン扮する陪審員こそ、アメリカ合衆国が理想とする民主主義あ
るいは正義がこの映画にはあるのだろう(この法廷陪審員映画が男たちだけで
構成されている限界は指摘できるとしても)。そしてこの映画の正義に基づけ
ば、アメリカはイラク攻撃を正当化できない。
★この二日前から呻吟しながらヘーゲルの『精神現象学』を数頁ずつ読んでい
るのだが、「まえがき」で真理と弁証法のダイナミズムを説明している箇所が
面白い。ヘーゲル小父さんは、真理を「実体」としてではなく「主体」として
とらえ表現することが肝要だと宣うのだが、同時に注意すべきことは「実体」
は知の一般的で直接的なありかたと、知に対する存在の直接のありかたを同時
に含んでいること、なんだそうだ(そのような「現れかた」をするということ
なんでしょうが、本論ではその「一般性=言語」や「直接性-媒介性」につい
て展開しています)。そして「生きた実体こそが、真に主体的な、いいかえれ
ば、真に現実的な存在」であるが、そう言えるのは「実体が自分自身を確立す
べく運動するからであり、自分の外に出ていきつつ自分のもとにとどまるから
である」。この後ヘーゲル小父さんは、否定の契機によって生じる弁証法の運
動を経て「統一」が再建され、それこそが「真理」なんだと誇らしげに宣言す
るのだ。この主体を「アクター=行為態」と読み替えるとどうなんだろうか?
★『猫の国ったら猫だらけ』(吉行理恵・編、滑川公一・画、青土社)という
猫をテーマにした詩のアンソロジーがある。その中から一遍、「猫のひげの先
が/頸筋を撫でる時/古い太陽が/匂いを立てる」、「早春」と題された串田
孫一の詩である。頸筋を撫でられた時のこそばゆく温々とした感じが、春の予
感に誘われて古い太陽が再生する感じとマッチしている。また「匂い立つ」と
いう雰囲気がエロティックで、猫(たぶん黒猫)の姿態をイメージしながら
「性の目覚=早春」を連想させる。本誌「新春号」に因んで。
★猫がらみで、『なぜ、猫とつきあうのか』(吉本隆明、装画・ハルノ宵子=
バナナの姉、ミッドナイト・プレス)というインタビュー集がある。ご存知、
詩人にして評論家で愛猫家の吉本父さんが猫さん(吉本父さんはそう呼ぶんで
すな)についてのアレコレを語る。(お向かいの飼い猫なのだが飼い主が放擲
してしまったので、お向かいに了解を得て)町内のボス猫の臨終を吉本家が看
取る話など、吉本父さんの日常ぶりが伝わってくる。小熊映二は『<民主>と
<愛国>』(新曜社)の中で吉本の罪責感と大衆観を冷ややかに分析していた
が、この罪責感が「転向論」を生み出したとも言える。小熊の冷ややかさより
も、細見和之のアンビヴァレントな感情(「管谷規矩雄と吉本隆明」、『現代
詩手帖』2003.10)に黒猫は同調する。(黒猫房主)

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『カルチャー・レヴュー』33号(通巻35号)(2004/01/01)
■編集同人:いのうえなおこ・小原まさる・加藤正太郎・田中俊英・ひるます
      文岩優子・野原隣・村田豪・山口秀也・山本繁樹
■編集協力:中原紀生 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/
■発 行 人:山本繁樹
■発 行 所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.com
      http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
   大阪市都島区友渕町1丁目6番5―408号 〒534-0016
      TEL.06-6924-5263 FAX.06-6924-5264
■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
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